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日本近代体育の思想と実践 (13)

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(1)

日本近代体育 の思想 と実践

(13)

保健体育科教育教室

じ め tこ 前稿 (本研究報告 第30巻第

1号

昭和63年

)で

,第

一次世界大戦後 な らびに大正後期 におけ る体育改造論 もし くは自由体育論

,さ

らには自由体育実践 について報告 した。本稿 で は

,大

正後期 の体育改造論が

,自

由体育実践 にどの ような影響 を及 ばしたのか

,ま

たその限界 は何 にあるのかを 主に師範学校附小 を中心 に考察 したい。 9。 大 正 後 期 に お け る 自 由体 育 実 践 の 展 開

1.千

葉師範学校附属小学校 の自由・ 自治体育 の実践

(1)千

葉県下の教育改造運動 大正

9年

4月 か ら主事手塚岸衛 を中心 に全学年

,全

学級 にわたる自由 。自治学習が実践 されてい た千葉師範附小で は

,ど

のような自由体育が実践 されていたのか。千葉師範附小 の自由教育 は

,大

9年

9月26日

,帝

国教育会主催 による全国附属小学校主事会議で

,手

塚がその実践 を報告 したが, それが東京 日々新聞によってスクープされ

,一

躍全国の注 目を集めるようになった。 当の手塚 は, その辺の事情 について『自由教育真義』 のなかで こう記 している。 「大正九年九月

,帝

国教育会 に全国師範学校主事会議が開かれた。議場 はたまた ま急 に研究発表 を 中止 し

,各

自の経験談 をなすべ き動議がでて

,二 ,二

人か ら有益な話があった。私 もまた急 に当校 教育の輪廊 を述べて批評 を仰が うとい う気 になって

,約

,八

分間日早 に語 った。 その翌 日

,即

ち 九月二七 日の東京 日々新聞 に『機械的教授 を改めた新 しい自由教育

,生

徒 自ら習い自 ら学ぶ

,付

属 小学校主事会議で発表 されて問題 となる』 という大 きな見出 しで五十行 ほ どの記事が載 った。同二 八 日の大坂毎 日新聞 にもほぼ同様 の通信が掲 げ られ

,二

九 日には『所謂 自由教育 とは何 ぞや』の題 下 に大阪市視学や師範学校長の談議が載 り

,三

十 日には小西文学博士の『自由教育 は世界 の大勢だ』 千葉師範付属 のは近頃珍 しい試みである

,

との意見が掲 げ られ

,つ

いに私の もとまで人 を寄せ られ て主事会議 の談話 をそのままに復演 を求 め

,

これ を『自由教育の実験』 と名づ け

,十

月初旬

,三

日 間に渉 って大坂毎 日紙上 に掲載せ られたので

,一

時に関西一体 に火の手があがって しまったのであ る。 これぞ我が国に於 ける自由教育問題の起源で,『自由教育』なる術語が社会的に教育界 に誕生 した

(2)

はじめである。」(1) 同附小で は手塚が赴任す る

1年

前 に

,す

で に(1)実力養成,121自由研究

,は

)立憲的活動 を教育 の理 念 に掲 げてお り,ま た長生郡高根小学校で も大正

2年

に,「児童 ノ自己活動二訴 フル ヲ以 テ第一義 ト シ

,出

来得ル限 り児童 自ラフシテ活動セ シムベ シ」 といった教育方針 を打 ち出し

,さ

らに山武郡東 金小学校

,片

貝小学校等で も及川の動的教育論 によって教育改造への動 きを見せていた。 これ らの 教育改造運動 を促 したのは

,県

教育会 に対す る千葉県当局 の諮問「児童生徒二自発的学習 ノ習慣 ヲ 涵養スルニ最モ適切ナル具体的方策如何」(大正

6年

6月

),ま

た大正

8年

6月 の「本 県小学校二於 テ公民教育,特二 自治的訓練 ヲ徹底セシムベキ適切ナル方案如何」であつた。これ らの諮問に対 して 同教育会 は

,次

のような答申を行 つてい る。 「第一 児童生徒二 自発的学習 ノ習慣 ヲ涵養スルニ最モ適切ナル具体的方案如何」 右 答 申 抑々児童 ヲシテ自発的学習 ノ習慣 ヲ涵養 シ

,自

立的人格 ノ基礎 ヲ体得セシメン ト欲 セハ

,須

ラク 教育 ノ全般ニ ワタ リ

,之

ガ具体的方策 ヲ研究考案セザルベ カラザル左二留意 スベキモノヲ掲 ケン ー 教

1

教材ハ児童 ノ実際生活 ヨリ適当ナルモノヲ採択補充 スル コ ト

2

教材ハ基礎的 ノモノヲ採択 スルコ ト

3

発見的

,創

作的教材 ヲ補充 スル コ ト

4

応用的

,練

習的教材 ヲ補充 スル コ ト ニ 教

1

各教科ニツキ児童 ノ自習スヘキ教材 卜教師 ノ教授 スヘキ教材 トヲ区別 シ

,之

ヲ細 ロニ明記 シ置 クコ ト

2

児 童 ノ自カニテ学習 シ得ル教材ハ 自ラ学習セシメ

,教

師ハ適 当ナル補導 ヲ典 フル コ ト

3

教材 ヲ児童 ノ経験二結合セシメ

,興

味 ヲ以 テ学習セシムルコ ト

4

各教科二適応 スル学習法 ヲ研究 シ

,之

力指導訓練ニツ トムル コ ト

5

児童相互 ノ研究 ヲ奨励 スルコ ト

6

応用練習 ノ機 会 ヲ多カラシムル コ ト

7

実験観察ハ単二証明的二止 メス

,尚

一層発見的性質 ノモ ノヲカ日味スル コ ト(中略

)9

校外教授,遠 足及旅行等 ノ際ハ具体的方案 ヲ立テ,自 発的活動 ノ誘起二留意スルコ ト

10

児童 ノ成績ハ単二教師ノ参考二止 メスシテ

,児

童 ノ反省考慮 ノ資料 タラムル コ ト (中略) 三 設備及 ヒ経費

(中

略) 四 家庭及 ヒ社会

(中

略) 如上 ノ諸方案ニ ヨリ児童 ヲ訓練 スル時ハ

,自

ラ自発的学習 ノ習慣 ヲ養成 シ得 シ ト雖 モ

,之

力指導誘 液 ヲナス教師ハ研究心二富 ミ

,ヨ

ク児童 ノ心理 ヲ了解 シ

,常

二 自発的態度 ヲ持スル コ ト最モ根本的 ナ リト信 ス

,左

二教師ヲ向上発展セシムル方案 ヲ述ヘン

1

盛二各種 ノ講習会研究会 ヲ開催 スル コ ト

2

各種 ノ講習会

,研

究会等 ノ内容 ヲ改善 スフコ ト

3

県郡又ハ教育会等二於 テハ或ハ問題 ヲ提 出 シ

,或

ハ 自由研究物 ヲ提出セシメ

,之

力公表 フナス コ ト (中略) 第二 本県学校教育二於テ訓練 ヲ改善 スヘキ適切 ナル方案如何 (中略

)ツ

1練改善 ノ要ハ常工其 ノ短所 ノ矯正二努ムル ト共二

,其

ノ長所二務 メサセルヘカラス

,特

二本県人 ノ特色 タル快活

,淡

,質

素等 ノ如 キハ

,其

ノ保持長所モ トヨリカ ヲ用 ヒサルヘカラサル モ

,其

ノ反面ニハ軽率

,冷

,粗

野等二陥ルノ憂ナキ能ハス

,左

二学校教育二於 テ訓練改善ニツキ テ注意 スヘキ事項 ヲ列挙セ ン ー 教師ハ常二其 ノ責務 ノ重大ナル ヲ自覚 シ

,修

養二注意 シテ窮 ヲ以テ児童生徒 ノ模範 タル ヲ期 ス ニ 成ルヘ ク命令又ハ禁止 ノ方法 ヲ避 ケ

,児

童生徒 ヲ自奮

,自

発其 ノロ的二向ツテ邁進 スルヤウ努 カセシムヘ シ 三 修身科教授 ノ徹底 ヲ図ル ト共二,他教科 ノ教授二際 シテモ徳性 ノ涵養二留意 シ,

(3)

鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 31巻 第

1号

(1989) 特二其 ノ実践,指導二カ ヲ用 フヘ シ 四 児童生徒 ノ個性 ヲ尊重 シ,之二適応セル訓練 ヲ施スヘシ(中 略

)六

児童生徒間二興論 ヲ喚起 スルコ トニ努 メ,協同一致 シテ其 ノ遂行二努カセシムヘシ 七 喜 ンテ各種 ノ勤労作業二当ル ノ習慣 ヲ養 ヒ

,其

ノ教育的価値 ノ作興二努ムヘ シ 八 児童生徒間ノ責 善ノ習慣 ヲ涵養 シ

,特

二廉恥 ノ重 ンスヘキヨ トヲ体得セシムヘ シ (中略

)青

年男女 ノ薫化二努メ, 学校教育二於 ケル訓練二資スヘ シ(中略

)一

五 土地 ノ状況ニ ヨ リテハ 自治団 ヲ設 ケ

,児

童生徒 ヲ シテ相互二其ノ実行二務 メシムヘ シ (中略

)之

ヲ要スルニ学校訓練 ノ改善ニツキテハ地方 ノ風習学 校 ノ事情等二考へ

,其

ノ軽重先後 ヲ明カニ シ以テ方法 ヲ定 ムヘキモ

,其

ノ真締 トスヘキハ学校職員 ハ常二協同一致窮 ヲ以テ儀範 トナ リ,熱誠 ,誘教二務ル ト共ニー面ニハ児童生徒 ノ自発 自奮 持久 遂行 ノ努力倹 タサルヘカラサルナ リ

(後

略)」 ② さらに県の諮問事項 「本県小学校二於 テ公民教育

,特

二 自治的訓練 ヲ徹底セシムヘキ適切ナル方 案如何」に対 して は「 自治的精神 ノ涵養」が強調 され,「一 級長又ハ組長等ハ各学級二於 テ適宜之 ヲ選挙 シ

,自

治的ニナサ シムル コ ト ニ 学芸会,運動会,其他 ノ諸会合二於 テハ努 メテ自治的ニナ サシムル コ ト」O)等自治的訓練 を力説する答申がなされている。 また折原県知事 も

,県

下 の小学校会議の席上 「今ヤ欧米思想 ノ輸入益々盛 ナラシム トス

,此

ノ時 二到 り徒二之力排斥

,撲

滅 ヲ策 スルハ回 ヨリ採 ラザル所 ナレ ドモ,国民性 ノ長短,文化 ノ相違 ヲ無視 シテ

,唯

是模倣及バザランコ トヲ恐 レ

,却

テ彼 ノ真意

,真

相ニモ背反スルニ至ルガ如キハ最モ戒ム ベキ所ナ リ」141とたんなる思想 の模倣 に陥 ることの弊害 を批判 しつつ も ,「体操教授ニア リテハ教員 ノ努力著 シキモノア リ

,其

ノ実績住々二見ルニ足ルモノア リ ト雖モ

,之

ヲ県下全般 ヲ概観 スル トキ ハ個別的取扱

,自

由運動

,鍛

練運動 ノ如キ研究 ノ余地頗 ル多 シ」15jと述べ

,体

育方法 ならびに内容 を 改造すべ きことを示唆す る演説 を行 っている。 これ らの諮問

,答

申にうかがわれ るように

,確

かに 大正 リベ ラ リズムを反映 してい るもの と見 ることもで きるが

,同

時 にそれ は

,ロ

シア革命 (大正6 年

),米

騒動(同

7年

),朝

鮮独立運動 (同

8年

),対

支21ケ条 に対 する

5.4反

日運動等動揺す る天 皇制 の屋台骨 を補強す るために

,官

民協同による「 自由 。自治体制 の改良」運動のキャンペー ンを 繰り広 げることは

,権

力 にとって も必要

,か

つ不可決で もあったのである。

(2)同

附小 の数育改造 千葉師範附小 の自由教育 な らびに体育 は

,実

はこうした思想的背景 の もとに実践 されてい くこと になるが

,同

附小 の教育改造 は

,次

のような段階 をた どって展開 されている。すなわち

,そ

れ は, (1)大正

8年

9月 に尋常

5年

以上 の

7学

級 に学級 自治会 を組織す る

,鬱

)同10月に尋常

5年

以上 の男子 組で教授細 目に拘束 され ることな く

,子

ども一人 ひ とりの能力 に応 じた「 自由進度」学習制 を採用 する

,は

)大正

9年

1月 には高等科男子組 に1週

1時

間の「自由学習」時間 を特設す る

,に

)同4月 に 全学年,全学級 を対象 に「自由学習」時間制 を全面的に実施す る,(5)そ れ と同時 に「自習室」を設 け る,(6)同 5月 に

1学

期間それ までの「校 内規」を全廃す る,(7)ま た「朝礼」を児童の「自治的集会」 に改め,「校則」を無期限に廃止 し,「掲示板」を「発表板」 とす る,(8)同 6月 に授業 を公開す る等, 従来 には見 られない思い切 った改造がなされている。 そのほか同校で は

,大

9年

5月 か ら「白揚 会」 とい う教育研究会 を組織 し

,同

13年3月 にはその機関誌 『自由教育』,『自由教育研究』 を創刊 しているが,『自由教育』の購読者 は

,約

4,500名にのばっている(表

5, 6参

照)。 また毎年実施 し ていた「教科研究会」 を大正10年か ら「自由教育研究会」 と改称す るとともに

,県

下各地で「 自由 教育講習会」 を開催 している。 この講習会 は

,例

えば大正

9年

度 に

9校 ,249回

,同

14年度 には111 校

,310回

にも達 している。 さらには年1回の「自由教育研究大会」も開催 されてお り

,大

正13年の

(4)

(表5)雑誌「自由教育」の購読者数 第3号(大工13年 12月 )のばあい 千葉県内の「自由教育」郡別購読者数(大正13年) (表6) 注 「千葉県教育百年史第4巻」よ り転載(自由教育研究・千葉県統計書 より作成 した もの) それには全国か ら1,400名 (千葉か らは765名

)も

の教師が参加 し ている。)。 ところで『自由教育研究』の創刊号 (大正15年1月15日

)は

, 自由教育への意欲 を力強 く唱つて いる。 「自由教育的思潮 は世界 の趨向であつて

,又

日本教育界 の大勢で ある。今や吾等の自由教育 の原理 と実際 は全国に於 て略々了知 さ れた。原理 に於 て理想主義的立場 にあるといふ ことゝ

,実

際に於 て児童教育 の実績 の向上 しているといふ ことの二つが略々了知 さ れた といふのである。敢 て略々了知 された といふのは,それが安 価なる了知 の程度 に止 まって,いまだ原理 に於 て深 く徹す ること な く

,実

際 に於 て十分 の実施 を見 ることのない程度 に略々了知 さ れた といふのである。然 るに原理 の源泉 は汲 めば汲むほ ど屯々 として尽 きない。実際の分野は拓 け ば拓 くほ ど竜々 として広いと 自由教育 の信者 はこの泉 とこの野 とに渇仰措 く能 はざるの求道者でな ければな らぬ。真 の自由教育 の研究 はこれか らである と思ふ。 この要求 を充すべ く吾等 は先 に『自 由教育』 を刊行 して年二回会員組織 を以 て頒布 した。 それが暮年な らず してたちまち全国に渉 って 四千五百の会員 を算 したのは

,ま

ことに斯界の奇跡であつた。その後発行 を宝文館 に移管 したが, 事情 あつて再 び本会 の直営 となった。 この機会 に於 て従来 の非売品 を改 めて一般購読 の月刊雑誌 と し

,新

に題号 を『自由教育研究』と命 じ,いさ ゝか編輯方針 を転換 し

,自

由教育運動の機関誌 として 自由教育 の原理 と実際 とに渉 って真蟄 に して深刻 なる研究 の好イ呂伴 た らしめようとしてい る。吾等 はもとより徒手空拳である。大方諸君の同情 と教育革新 に志 ある士の愛読 を乞 ひ

,こ

の大望 を達成 したい と祈願す るのみである。」171 こうして同附小で は

,教

育改造 の理念 を同校 の「要覧」 に掲 げてい る。(以下 は

,大

9年

11月現 在 のものであるが

,年

によつて多少改編 されてい る。) 「

,教

育 主 張 『我 が我 に働 く』

,F自

己の中に自己 を写す』,『即 ち自我 はその本質 として 自己の作用 を対象 とし 府県名 数 府県名 数 太 道 森 手 田 域 形 島 城 木 馬 玉 京 川 岡 梨 野 潟 川 井 山 阜 知 重 賀 都 良 阪 山 島 山 口 海                       本 不                             歌 樺 北 青 岩 秋 宮 山 福 茨 栃 群 埼 東 神 静 山 長 新 石 福 富 岐 愛 三 滋 京 奈 大 和 広 岡 山 4 42 43 33 353 5︲ 85 35 27 2 . 0 229 ・40 9︲ ︲10 47 5︲ 4 ・2︲ 5 20 62 6 ︲62 ︲0 ■ ︲9 6 35 ︲1 36 ︲5 6 取 根 島 媛 川 知 岡 賀 分 本 崎 崎 島 組 湾 鮮 州 葉 械 蒻 醒 融 雄 嘩 峨 甦 鄭 群 筋 様 児 鳥 島 徳 愛 香 高 福 佐 大 熊 長 宮 鹿 沖 台 朝 満 千     郡     市     別 ︲5 66 ︲3 ・6 2 22 28 3 3 . 36 ︲3 5 2 ・7 32 ・︲7 ・4 354 49 50 ︲5︲ ︲28 38 3︲ 42 97 78 ︲08 ︲・5 467 合 計 郡 名 小学校数 教員総数 大正13年 3月 現在 大正13年 9月 現在 購 読 者 数 教員総数に対する 購読者の割合 購 読 者数 教員総数に対する 購読者の割合 一 房 隅 津 生 武 原 葉 勘 撼 取 上 瑳 安 夷 君 長 山 市 千 東 印 香 海 匝 54 3 . 49 80 37 30 24 52 74 53 ︲8 ︲4 人 5 7 3 3 ︲ ︲ 4 3 5 2 8 3 3 9 4 別 3 7 8 阻 4 6. 5 0 2 2 8 9 ︲ 3 4 78 59 50 46 2 . 2 . 33︲ 74 ︲24 93 27 ・8 13 6 19 0 115 163 53 89 87.6 11,7 26.9 185 93 134 % ︲︲4人 83 ︲24 ︲01 39 50 397 50 ︲46 ︲27 38 32 19.9 26.7 28 5 35 7 99 213 105 0 79 31 7 25,3 13.1 23.9 % 計

(5)

鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 31巻 第

1号 (1989) 117

て自己を内省す るの自覚 を有す。 自覚 の力 に信頼 して自由に自己拡大

,自

己実現 をな さしめん とす る自教育 となす。 自教育 は物質観 に宇宙観 に生物学的

,心

理学的 に

,将

た又哲学的にその根拠 を有 す と信ず。教育 は自然性 を理性化す る作用 にして認識生活

,活

動生活

,趣

味生活

,宗

教生活の要求 より

,人

格価値 の自由実現 を期す。理性 とは真善美聖な り。人 は理性 に向ってよ り大 なる統一 を求 めつ ゝ無限 に進む。 自然性が内在的統制原理 として理性 に導か る ゝ

,是

れ真 の自由な り。生活主体 を統制 し

,刻

々 に自己が 自己 を実現 し行 くこと

,是

れ自由な り。教育 は実 に自由実現せ しむる働 な り。是 に於てか自由教育 は当然 の帰結 として生活即教育 とな り

,個

性尊重 とな り

,能

力発揮 とな り 社会我実現 とな り

,創

造教育 とな り

,心

力陶治 となる。而 して教育上画一平等の弊 を打破 し

,差

別, 個別観 に立脚 し

,教

権 中心の教師本位 を排 し

,自

由学習の児童本位 を高唱 し

,更

に吾等現教育 に関 する所 の趣味 と信仰 の教養 を力説せん とす。 吾等 は知識技芸 に対す る自学 自習,道徳訓練 に対す る自律 自治,身体養護 に対 す る自彊 自育 と,飽 くまで も児童の自覚 に基 く自由なる自己実現 を本体 とし

,教

師 は之が輔導補佐 に任す るを以て教育 の第一義 と解す。思ふに自我 とは普遍的

,必

然的活動の自覚 にして

,自

由はその方向な り。 自我 の 自覚 は具体的には文化価値 の自覚 にして

,文

化 はこの自覚の自己実現 によ りてのみその意義 と価値 とを有す。か くして自覚 と自由 とは実 に教育 の二大標識 な りと謂ふべ し。翻 って之 を方法論的に見 るも

,自

覚的なる自由には必す 自由無か るべか らす。 自由な くんば責任 な し。責任 な き自由は自由 に非ず して放縦 な り。児童 は独 自に連帯 に常 に責任 を重んじて

,自

学 し

,自

治 し

,自

育す。之 を要 するに吾等の主張 は児童 をして

,そ

れ 自体 の力 によ りて自己 を決定 し

,自

然 の本性 たる自由の生活 を獲得 し

,実

現せ しめん とす るに外 な らざるな り。」°) そして

,そ

の「二

,方

法信条」で は

,次

のような方法原則 を掲 げている。 「―

,教

授様式 に二 あ り

,一

は分別扱 にして他 は共通扱な り。分別扱 は異教科

,異

教材又 は同教科 異教材 の

,比

較的児童本位 の自由学習 にして

,能

力適応 なるが故 に教材 の進歩の何 ら制限あること なし。共通扱 は同教科

,同

教材 の比較的教師本位 の一斉教授 にして

,教

材 の基礎

,主

,付

,鑑

賞批判併 に研究法の指導或 は教授 をな し

,常

に一定 の進度 を保持す。J「―

,自

学 を分 ちて単独 自学 と協 同自学 となす。協同自学 は相互 自学 と全級 自学 となし

,相

互 自学 とは二人

,若

し くは一団の自 学 を指す。 自学 も亦分 ちて単独 自学 と協 同自学 となす。 自学 に於 て相互研究 は単独学習の批判

,補

正 をなし

,全

級討議 に於 て尚且つ解決せ ざれば

,教

師始めて之 を教ふ るを普通授業 の常道 となす。」 「―

,教

育要論 よ りは教師 は主体 にして

,児

童 は客体 な り。然れ ども方法上 よりは児童主位 にして 教師客位 にあるべ し。少 な くとも児童 自身 をして自己が自己 を教育す る自主的態度 を執 らしむるを 要す。」「―

,教

育 は生活な り。学校 をして児童 の生活な らしめん とし

,出

来得 る限 り学校全部 を開 放 して児童 の有 た らしめ,児童の社会及び家庭 に於 ける生活 と学校生活 とに格段 なる障壁 を設 けず。 無用 にして不 自然 なる教育法 の一切 を排除せん とす。J「―

,教

育並進 は高学年の進 に従 って教科適 応 に移 り

,個

性 の尊重

,能

力 の発揮 に努む。」「―

,学

級児童数 は四十人 を本位 とし

,教

科担任制 を 加味 し

,持

上が り主義 を断行 し

,経

営 は学級本位 にして

,之

が責任 は担任訓導 にある と同時 に

,濫

りに他 の干渉 を許 さず。吾等 に『学級王国』の標語 あ り。」「―

,所

謂形式万能の教授 を排す。」191 これ らの「方法信条」 には

,木

下竹治等の方法論が反映 されている。

0)同

附小 の自由体育論 と川島伊織 の体育実践 同附小で は

,前

述 の自由教育理念 の もとに「教科事項」のなかで「体操科」 について「一斉画一 な らしめず

,児

童 の自覚 に訴へ る各個人 に適応せ る体操 を主 とし

,個

別指導 を重 んず。一

,解

剖的

(6)

整形的

,論

理的に過 ぐる体操 を中和す るに一大有機体 たる全身の陶治上

,自

,自

,自

,機

敏 統合 を要す る運動即 ち遊戯

,競

技 を以てす。一

,高

学年男女 に銀

,薙

刀 を課す」 ことをあげ

,ま

た 「施設概要」で は「体育奨励」 として「体育 の方面 には殊 に細心 なる注意を払 ひ

,学

校医 と連絡 し て検査 の結果 を学級毎 に体力比較表 を調整 し

,自

己の体力 を各児 に反省 させ

,ま

た盛 に自由遊戯 を 奨励 し

,殊

に毎週水曜 に運動時 を設 け

,全

校職員児童の綱引 を奨励 し

,或

は教室体操等 を行 いつ ゝ あ り」°のとしているが

,同

校 の体育実践 は

,主

に川島訓導

,斎

藤訓導

,高

木訓導等 を中心 になされ ている。 その背景 となる同附小 の体育お よび方法理念 について

,川

島 は

,

こう記 している。 「―

,真

善美の人格価値 を豊富 円満 に体現 し

,人

生観

,教

育観

,児

童観 を確立 し

,教

育学 に

,或

は 政治に

,経

済 に

,更

に現代 の国家社会

,世

界 の大勢 を基準 とし

,体

育 の目的 を耐 えず よ り明 に究め, 生理

,解

,衛

生等の基礎学 の確実なる理解 を持 ち

,而

も技術 に長 し

,進

歩研究的で常 に組織系統 的に新天地 を開拓せ しめる教師 を要望 している。二

,各

種 の学者

,政

治家

,教

育家

,体

育専門家, 学生生徒挙 って合理的に解決せ ん としている。三,体育の目的 を根本的に樹立 し,之に即 した体操, 遊戯

,競

,教

練等の教材 を精選 し

,且

つその独特 の価値 を調和的に実現せん としている。四

,体

育 の目的たる健康価値 を人格 の中に入れないにして も

,そ

の人生 に重要 に して

,そ

が精神発現 に対 す る偉大なる根源的関係 を有す ることに着眼 し

,知

育 と共 に最近特 に体育 を重要 し

,之

によって道 徳教育 の不足 をも完成せん とし

,国

家社会 の成立 に も影響著大 なるもの と見ている。五

,競

技 に重 大価値 を認 め

,之

を合理 自覚的に実行す ることにより

,身

体及精神 目的 を遺憾 な く実現 しや うとし ている。特 に団体競技 の実行 を叫 んでいる。六

,実

施 にあたって児童の自主 自立活動 を重 し

,自

治 的に実行 させ

,個

性 を創造 し

,構

成せ しめん として次の事項 に着眼 している。一 分別

,分

団的 自 由扱重視

,二

競技場 の常設

,三

児童審判 の養成

,四

児童技術指導員養成

,五

学級 の優 中劣 チーム作戦 と能力 に即 した対級競技会 の実施等」(11) また川島 は

,よ

り具体的な方法原則 について「一 体操科及び体操

,教

,競

,遊

戯等 の目的, 運動実施 の順序

,訂

正の方法

,号

令 の掛 け方等 を児童 に指導 している。二 特 に競技

,遊

戯 は児童 の能力

,体

,趣

味等 によりて

,個

性化す るを旨 とす るも

,成

るべ く一技 のみに偏せず

,教

材全部 を調和的 に実施 しや うとしている。三 画一的指導のみを重視せず

,本

時 の如 く各 自又 は共同的に 研究

,練

習す ることに努 めてい る。四 児童の自発的の研究意志 を振起 し

,共

同 自治の養成 に便 な るや う仕組 んでいる」(りと述べている。 さらに大正12年6月15日の自由教育研究会で公開授業 をし た川島 は

,そ

の方法原則 に「個性」,「興味」,「科学的

Jの

3原

則 を力日え

,次

のように言 っている。 「○体操指導の方 針 は指導す る学級 の個性 といぶか

,空

気 といふか

,そ

の学級 としての気分 に従 っ て非常 に異 なるものである。

O一

つの動作

,一

つ の運動 といへ ども

,そ

れ 自身 に目的があ り

,価

値 が あるものであることを自覚 して運動す るや うに 指導 したい。○ 自覚ある内心か らの燃へ出た運動 に依 つてはじめて運動の興味 も

,効

果 をあげ得 る のである。○ 自覚 なき運動

,そ

れ はその運動 自身 価値少な く

,体

操の目的な どを達す ることは出来 ない。

O競

技の方法的約束 に違背せ る際,指導それ は総てを許す愛 によつて再びせぬ様

,児

童相互 に 研究 し

,或

は教師が之 を指導す る。○競技 に熱 し たる時

,運

動 に熟 したる時 は

,余

程冷静 な態度で 体育授業の風景

(7)

鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 31巻 第

1号

(1989)

■9 指導す る。○体操全体 を通 して生理

,解

剖 の必要 な ことは今更云 うを要 しないことで ある。」(19 また川島 は

,別

の機会 に『体操教授 の改造 諸点」 として「現代思潮 よりながめて

1,型

の為 の 型を脱 し

,根

本精神 よ り生 まれた真 の型 に入れ

2,画

一教授 を避 け

,能

力別 に進 め

3,児

童 を 自発的 に導 け」(10と述べて いる。川島等 は

,自

由教育 の方法的遺産 を吸 収す るとともに

,今

日のグ ループ学習論

,な

らびに後 に見 るように

,教

科体育 と教科外体 育 の有機的結合 とい う体育 の生活化

(=生

活体育論

)を

すでに構想 してお り

,い

わゆる近代的な帝 国主義的な体育論 とは

,袂

を分 かつ 論理的契機 を内蔵 してい ると言 える。また高木訓導 は,「自由教 育研究会」で次のような公開授業 を 行 って い る。 「―

,動

種 類

A,教

1,集

2,整

B,体

1,挙

2,頭

後 躍

6,呼

7,自

由 (スベ リ台

,ブ

ランコ

,シ

ー ソー其他)

C,遊

1,バ

スケ ッ トボール及バスケッ トお手玉

2,猫

々 二

,指

導順序

1,集

2,教

3,体

個別又 は一斉

4,自

5,遊

戯 競 技

6,終

(10 そして授業後,「皆 さん !皆 さんは尋―

,二

の体操 をどうやってい ますか。私 は小 さい子供 に適す る体操 を知 らないで困っています。子供 は心身共 に非常 に活動的ですね。何 をやって もす きですが, 体操 は又す きですね。 ところがそのす きな体操 を教師のや り方のわ るいためにきらいにして しまふ ので はないか と常 に恐れてい ます。子供 は一時間す きに遊 ばしておいて も決 して大人 の様 に腰 を下 ろして休息な どするもので はあ りません。ですか ら

,一

時間好 きに遊 ばして置いて も可成 りに有効 な運動がで きます。へたに一時間中

,号

令 のみでひっぱ りまわす よ りか

,そ

の方が よほ ど教育的か も知れ ませんね。 されば とて毎時間す きに遊 ばすのが よい といふ ことで はあ りません。一

,二

年で は毎時間す きに遊 ばせ ることがあって もよい と思ひ ます。 そ して漸次 に体操の要領 も会得 させ なけ ればな りません。又唱歌 を用いてする動作競技 は最 も子供 の心理 に適 した

,且

つ価値 ある体育 だ と 思いますが

,私

はで きないので

,今

日はお目にか けることがで きません。今後大いに研究 しや うで はあ りませんか。 まあ ぅ体操 だか らとてあまり面 白 く

,愉

快 に運動 させたい ものです」(1°との感想 を述べている。 また同附小では,「自由舞踊」を教材化 し

,実

践 されているが

,石

井秀雄 は

,そ

の根 拠 について こう書いている。 「自由教育 に於 ては芸術陶冶の一部面 として児童 に教育舞踊 をなさしめて居 る。勿論 それ は現今流 行 しつ ゝあるス テイジ向 き

,観

る者本位 の舞踊 とは全然その選 を異 にしてをるし

,或

は又遊戯 と称 して目的の何れにあるかが疑 はれるや うな舞踊式動作 とは到底相容れぬ ものである。わが 自由教育 が新理想主義 に立つか らには舞踊教育の原理 もまた こ ゝに基礎 を求 めねばな らぬ」(りと言い

,そ

「教育舞踊」を「一

,自

由舞踊 は美的価値実現 を目的 にお く」(19,「二

,自

由舞踊 は児童 自身の表現 を基調 とす る」(19,「三

,自

由舞踊 は教科同様 の権威 を認 める」90等 の観点か ら明 らかにしようとし ている。 まず― の「自由舞踊 は美的価値実現 を目的にお く」で は,「近時旺盛 に伝播 しつ ゝある童謡踊 り, 童謡遊戯

,表

情遊戯

,律

動遊戯

,幼

年ダ ンス等 に対 し余 は其れか一夜作 りの戯れ的の もので もない 限 り

,総

べて敬意 を払ふ ものであるが

,さ

れば とて純潔 その ものなる彼 の幼 な子達 に

,舞

はせや う とす るのであるか ら

,此

の様々なる舞踊的傾 向を無批判 に視

,無

考慮 に感 じて仕舞ぶ ことを避 けて 居 る。(中略)元来舞踊 も

,ダ

ンス も動作 の個性が生 み出す教育的価値 は夫々 に夫々の天値 を有 して

3,行

進 屈

3,上

左右前下仲

4,上

体前屈

5,其

(8)

いるのである。然 るに其等 を無批判 に取 り入れ

,無

考慮 に混清 して折角の個性 を滅脚 して しまふ場 合が多い。是 に於て我が児童舞踊 はこの点 を慎重 に攻究 した結果

,こ

こに第一条件 として舞踊 の理 想 を美的価値 の実現 にお くと定めた。言 うまで もな く舞踊 は文化価値中の審美価値を実現すべ き総 合芸術 の一 として存在 して居 る。従而表現 さるゝ姿態の根源 は形質不離の微妙一点

,感

情 の一般性, 客観性が強調す る自由の自我 の直感 の至境 に有 る。(中略)自由舞踊 は確固たる信念 の上 に舞踊 の理 想 を憧憬す るものであるか ら

,児

童 (舞者

)を

観 る として も彼 の姿や振 りを観 ない。只管彼 の眼底 に光理念 の曙旭 を観 つめるのみである。(中略)全我 を躍動せ しめつつ舞ひゆ く直下 に彼 は旋律 をな して流れ行 く生命 の究極 に触れてゆ く。 それが

,自

由舞踊 の命 だ といぶ事 になった」9うと述べてい る。 また「自由舞踊 は児童 自身の表現 を基調 とす る」のなかで は,「児童舞踊 は舞者 (児童

)の

躍動 そ の ものか ら出発 し

,躍

動 自らの流れに乗 じてゆ くべ きものである。児童 の感情

,児

童 の リズム

,児

童の表現

,其

れ らを根本 に於 て振 りの統一 につ とめねばな らぬ。 自ら作 曲 し

,作

歌 し

,描

写す るこ とに専念 なる我が 自由教育 の子達 は教師の教へ られ るか らといぶて

,そ

れに従ふのみを欲 しない。 (中略

)他

か ら強要 され る事 のない自律的な舞者 (児童

)自

身の美,規範 の顕現一 自由舞踊 はこの点 を重大視するものである」9りと言い

,さ

らに「 自由舞踊 は教科同様 の権威 を認 める」で は,「審美的 価値 の発揮 には空間的 に図画

,手

工 を以て絵画

,彫

,建

築 に当って時間的に唱歌

,国

語 (文芸材 料

)を

以て音楽

,詩

文 に当て総合的に児童劇 を完成 して演劇 に当て ようとしてをる。然 るに小学校 に於て総合芸術 の一 たる舞踊のみが独 り残 されてお く理由はあ り得 まい。図画 とも

,唱

歌 とも対等 の価 値 を認 めねばな らぬ筈である。そこ迄徹底 してみなければ舞踊 を霊の糧とな し

,無

限の発展 を 期する一過程 た らしめることはむづか しい」¢3)と舞踊 を教科構造 のなかに明確 に位置づ けるべ きで あると主張 し

,最

後 に「舞踊 とは審美的感情が統一 ある躍動 それ自らの流れに乗 じ一舞踊理念 を根 源 として一時間的に空間的に全身 を提 げて其が表現 にあたる象徴的姿態である」9つと論断 している。 一方「尋四女生舞踊」 を実践 した湯浅訓導 は

,

こう書いている。 「一

,創

作舞踊 の自由発表。舞踊 の現れに凡 そ二通 りある。一つ は曲か ら生 まれるもの

,他

の一つ は歌か ら生 まれ るもの

,前

者 は全 く歌詞がない。 曲の感 じにのみによ り躍動す る。後者は歌 曲か ら 途出す舞踊である。本時 にはその両様 の現れ を見 るであ らう。発表に対 し

,必

らず他 の児童 は鑑賞 批評 の姿での・・・・。二

,或

る一つの歌曲に対す る多 くの児童の姿。人々の其の顔 の異 なる如 く, 個性 の異 なっていることは今更論 をまたない。従 つて感受性 も又個々別々である。感 じが異 なる と, そこか ら湧出す表現 も各々の独特 の色彩 を持 つた表現形態が現れ る。そこで二人 の児童 の舞踊 は二 様 になる。二人 な ら二様 になる。そこに生命表現 の舞踊が教育的にも一段 と価値 を認 め らる ゝ所以 である。本時の舞踊の姿・・・・ 其の線・・・・ 舞踊 のゼスチユウアは其の児童 ごとに独特 な表現 をみる。其 の真純 な

,然

も生命 のある

,故

に彼等姿 を尊 んで純化す るのが我が舞踊観で

,或

る流派 や型 にはめ こむ ことは

,其

の芽生 もゆきづ まるや うになる。故 に彼等 自身の表現 を基調 として美的 価値 の実現 を目標 とし

,

どこまで も其の純 な心霊ゼスチュユーアを純化 したい。三

,舞

踊 は身体 を 通 して表現 される点か ら生理的でなければな らない。なほ感情

,心

霊か ら生 まれ るところか ら

,

ど こまで も心理的でなければな らない。即 ち体育 を通 した自由な感情 の温出で

,児

童 の世界 の もので, 而 も高尚な純真な芸術であ りたい。」?め

(4)自

治会組織 と学級対抗競技会 同附小 の個性

,自

,自

,協

同 といつた自由教育 の方法理念 は

,単

に教科の枠内に限定 され る

(9)

鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 31巻 第

1号 (1989) 121

べ きもので はなかった。川島 は,「私 は昨年 (大正10年 著者註

)四

月高男 を受 け持 ち ました。 そこで自治的訓練 を徹底 させ

,又

公民館教育 を実際 に体験 させたい。 む しろ更 に進 んで全教科で 養 はれた人格内容が全的 に統一 され

,自

我 の不可思議な力 その ものまで錬 り

,学

問以外

,人

物の修 養の一助 ともしたい といふ心か らの願 で

,毎

週一回の学級 自治会 を正課 同様 に重要視 して指導 して 見 ました」90と言い

,そ

の 自治組織 を基盤 に学級競技会 を実施 している。 それ は子 どもが 自主的に 競技会 の種 目を決定 し

,企

画・運営す るとい うものであるが

,あ

る学級 自治会 の模様 をこう記 して いる。 少々長 くなるが

,参

考 のために引用 してお きたい。 「会長 壇 に上 って敬礼す る

,こ

れか ら自治会 を開 きます。眼 をつむって下 さい。(会員 と共 に二, 三分黙想

)今

日は成 るべ く実行 の出来 る問題 を相談 したい と思ひ ます。 どうぞその積 りで問題 を出 して ください。一

,自

治集会 に出て作業す る人 の出順 をきめたい (川島茂

)二

,競

技会

,発

表会等 の会 を開 きたい (杉田

)三

,他

校へ参観 に行 きたい (川島茂

)四 ,先

生 を送 るお別れの会 を開 きた い (中野

)五,大

正十二年 の反省会 を開 きたい (粂田) 問題 は提出の都度幹事 によって板書 され る。議長 は提出者 に提案の理 由を説明 させ

,会

長 に質問 意見な どを述べさせ る。一 の問題

,今

学期 もあ とい くらもないが

,出

順 は会長 に一任 して

,来

年 は 更に新 しい進んだ知識で きめようといふ理 由で否決。二の問題

,提

出者 は第二学期か らの問題であ るか ら

,是

非早 く解決 したい と固守 し

,相

当の賛成者 もあったが

,結

局議決 して も今学期 は実行が 困難であるといふ意見 に勝 たれ る。四の問題

,可

成賛成者 も多 く

,有

力 な意見 も出たけれ ど

,高

一 男か らの新議長で議事 に不馴れであ り

,且

つ明敏 な司会 を欠いた りしたため

,教

室 は当番 によ くや って貰 はう。当番 さんへ よ くやって置 けば間 題 はない。或 は掃除 は女 の仕事 だな どと

,競

技会 を討議 したい ものの為 に

,何

時の間にか 体 よ く逃 げられた感があった。五 の問題

,先

生方の本校への引 き上 げは一月末であるから, 今相談 してお く必要 はない といぶ理由で否決。 六の問題

,よ

ほど面 白い問題 であったが

,余

り議論 にもな らず否決。結局二 の杉田君の問 題が議題 となった。会長 それで は会 を開 く 問題 を相談 しませ う

,会

については更 によ く 説明 して下 さい。杉 田 僕 の考で は会 には内 で行 うもの (発表会

,オ

トギ会

)と

外で行ふ もの (競技会

,錬

謄会

)と

二通 りあ りますが

,僕

は今回は競技会 の事 を相談 して貰ひたい と思いま す。川島 二通の会 の中身が はっ きり解 らない と相談 しに くい。それ二通について君 は原案 はあ り ませんか

,あ

った ら述べて下 さい。杉 田 別 にはっきり考へては居 ません。皆で決 めて下 さい。会 長 それで は問題 のある人 はいって下 さい。外 ギテニス会

,バ

スケ ッ トボール会

,相

撲会

,各

種 競技会

,内

発表会

,オ

トギ会

,ス

ゴロク会

,カ

ルタ会 な ど会員か ら提 出された ものが板上 に書 き 出される。松戸 一寸会長。オ トギ会 はどんな ことをす るのですか。会長

,提

出者 に説明 さす。松 戸 それな らオ トギ会 を発表会 の中に兼ねてや ることはどうですか と修正案 を出す。賛成者がある。 提出者 も賛成する。粂田 それなら

,ギ

テニス会 な ども競技会 の中へ入れてはどうですか。多数 の賛成者がある。会長 外 に意見 はあ りませんか

,な

ければこの二つの問題で決 を採 ってようござ 自治会の風景

(10)

いますか。 差支 えない発表会 に賛成 の人 は手 をあげて下 さい

15人 ,運

動競技会 に賛成 の人 17人, 石岡 前後列二組 に分れて競争 して点 を採 つた らどうですか。会長 石岡君の意見か ら急 に気づい た様子

,そ

れで は先 に競技 の種 目を決 めませ う。バスケッ ト

,テ

ニス

,砲

丸投

,走

巾跳

,走

高跳, 相撲

,キ

ヤッテイ ンボール

,デ

ッ ドボール

,な

ど会員 は提出す る。 須田 方法 は一年 と二年 とが分かれてやってみた らどうか と思ひ ます。いやそれで は喧嘩が起 こる と緊張 した声が議場か ら洩れ る。一生 は争が起 るか らだめだ といぶ。須 田 争わない ように考へて や るが よいでせ う。川島 面 白いためにや るのですか ら,争の起 こらない方法が よいでせ う。須田 だけどたった一回の会 だか ら,一二年が交 らずに分かれてや りたい とまだ頑張つている。山城 賛 成 といぶ と

,一

年 は一斉 に賛成々々 と叫ぶ。続 いて盛 んに私語が起 きる。役員 は静かにして下 さい と制する。一生 さうす ると人数 にあまりが出る。須田 いやそれ は何 とか考へ るさ。 さもあきれ た といふや うな調子でいひすてる。粂田 種類 によって一所 にして よい もの と

,分

かれてやつてよ い もの とがある。種類 を先 に決 めようと進行 に注意す る。(議長 の導 き不完全 のため遠廻 りの議論 を した)会長 で は競技種 日の選方か ら先 に議論 しませ う。此処 に掲 げてあるものを全部行 ひ ますか。 それ ともこの中か ら幾つか を選 びますか。松戸 しか し或人 はキャプテインボール に興味 を持 ち, 惑人 は他 のものに興味 をもっているでせ うか ら

,僕

は成 るべ く多 くとつた方が よい と思ひます。中 台 僕 は杉 田君 に賛成 します。 それで全部終 らなければ

,次

の日に延 ばして もよひ と思い ます。松 戸 其で は勉強家 には困 る と怒気 を含むで云ふ。杉 田 よ く勉強 し

,よ

く学ぶのが吾々の取 るべ き 道でせ う。運動 も一つの勉強であるな どとさもほん とうらし くいったので

,所

々か ら賛成 の声が聞 こえる。大賛成 という者 もある。馬崎 僕 はこの前 にも意見 を云 った ことがある。人 によって好 き きらいがあるか ら

,趣

味 のあるものを選んでやった らどうです。個人々々が趣味が違ふか ら種 目が 多す ぎると

,今

決 めて も実際の ときには脱 ける人が出来 ます。二年の中にはあ とで不賛成 した人 も あった。杉田 それ は時の巡 り合わせで仕方がない。心の中で は賛成で も

,不

賛成で も唱へ ること がある。 それ は男の意地 だか ら仕方ない。元 の会長大隋 に本音 を吐 く。宍倉 前の ことは仕方ない と反省 したや うな声でいふ。教師 議論が外へそれたや うですね。松戸

,杉

田君 は一競技の時間 と 回数 を少な くして

,種

目を多 くしたい と言ぶ けれ ども

,僕

は競技 の種 目を少な くしたいのです。勝 負 をはっきりす る為 には一種で も四

,五

回か ゝらなければ分か らないでせ うといひ

,他

生 に拍手 を 以て迎へ られ る。 須田 多す ぎると勝負が公平 に行 かない と付加へ る。杉田 松所 さんばか りさういつたつて仕方が ない。多 く取れば趣味の一致す るもの も多 くなるわけである。回数 も多 くや りたい し

,ま

た趣味あ るもの もや りたいのですか ら

,も

う多数決で決 めて貰 ひませ う。議長 相撲 もや った らよいでせ う といひ

,他

生か ら今そんな ことをいったって仕方がない ととりあはれない。いや議長 は自分の好 き な相撲 を採決す る前 に種 目を入れたい考へであ り

,又

その資格 もあるだ ろうに といふ。時期 といひ, 味方のために思が通 らず残念 さうだつた。教師 もう適当の所で採決 した らどうです と進行 につい て注意す る。議長 大体意見 も出たや うですか ら採決 を採 ります。姦 に書 いてあるもの全部 をや り たい人

17,ど

れか を選 んでや りたい人

16,一

点の差 になる。 一生

,会

長 はどつちですか。会長 此の中の選んだ ものをや りたいです。同点 になって緊張 して来 る。会員 もう一度人数 を調べて ください と不満 さうな声で再調査 を要求す る。会長更 に調べ る。 教生二人 もやっきとなって数へ る。今度 は19対19といふ同数である。此時全児童 は総立 ちになっ ている。 あまりの緊張 さに子供 の魂 は物凄 いほ ど躍 って くる。原敬式の多数党の政友会 にはかなは ないけど

,大

人地味た気勢 をあげるもの もある。たまらな くなって立 って歩 き初 めるもの もある。

(11)

鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 31巻 第

1号 (1989) 123

静かにして下 さい と役員 に制せ られて急 に我 にかへ る。中台 斎藤君 は鈴木君 を味方 に買収 した。 ○いや僕 の方へ手 をあげなさい とは言 はない。△いやいひ ました。あっちへは入 るか と進 めました。 ○いやた ゞ聞いただけだ と二人 の間に押問答が起 っが

,大

問題 にならず落着 く。会長 又同数 にな りました。 どうしますか。一生会長 も数 の中に入 って居 ますか。入 って居 ます。中台 先生方の賛 否 を聞 きませ う。会長 中台君の考 えはどうですか

,

と全体 に相談する。会員 頼 まう。 それが よ ヤゝ会長 先生方 はどっちにしますか。 二人 の教生 は杉田案 に一人

,松

戸案 に一人妥協的 にあた りさは りのない気 の利いた賛成方 をして しまった。中台 それで は川島先生 はどっちにしますか。教師 これ は君方の問題 だか ら僕 は避 け たい

,よ

く考へて何かの方法で決 めた らい ゝでせ う。中台 進退 に困っている問題 ですか ら

,

どう ぞ先生 どっちかに決 めて下 さい と願 うや うに云ふ。教師 それ は君方で折合 うがい ゝぞ。 中台 先 生 ぐず して居 られないのですか ら

,早

くなん とか して下 さい

,

と烈 し く追及 して来 る。教師 然 し それ は

,私

によって決せ られては面白 くない。君等の重大問題 だか ら

,僕

は関係 した くない。 それ では提出者が総代 となって『ジャンケン』で もして運命 にで も待 ったらどうです。一同あ ゝそれが よいそれがい ゝ。早 くも総代が立つ。総代 負 けて も頼 むよ

,

と会員 に断る。子供 の用意周到なの には驚かされ る。二人が々 『ジャンケン』 と打下す と

,そ

れ とばか り杉田案 の賛成者 は又総立 ち と なって喜び

,拍

手 し

,大

声 を挙 げて狂 ひ廻 る。反対組 は気抜 けした と見 え

,し

ば らくの間無言。中 台 一年 に力 を入れ るか らお互 いに気持 ちよ くや らうと反対組 をなだめるや うに云ふ。粂田 前 に 二年が一年の議決 を破ったことがあるか ら

,い

よ実行す る時 になって

,こ

の議決が破 られ るか も知 れない。僕等 も今度 は気 を付 けるか ら気 を悪 くしないでや りませ う。須田 心 は悪 くしない けれ ど も

,十

分 に行かないか も知れない。山城 いかな くともよい と小声でいぶ。宍倉 いや

,そ

れがい けない。全力 を蓋 してや ります とか

,何

とか一言いって貰いたい とたのむ らうに言ぶ。須 田 それ は全力 を基 して はや るが

,然

しそれで も十分 いかないか も知れない。(浅薄 に反対 してい るので は) 宍倉 いやそれが悪い。いひ方が まづい。馬崎 もうきまったのだか らい ゝので はないか。今 日は これ位 にして終 りにした らどうですか。,II島 賛成す る。全体 も無言の中に讃意 を示す。湯浅 暫 く黙 していたが

,突

然立ち上がって

,今

日の自治会 はよ く出来 た と思ひます。個人

,個

人 でな く, 一年 も二年 も一つになって

,又

みんなが意見 を本気 になって述べて居たのを見て

,僕

は個人 として 考へて もなん とな くうれ しいんです。お礼 を申 します。 といつ もの超人ぶ りを発揮す る。他生 もう なづいて不思議 とも思 はない。 うん

,さ

うだった といふ表情。会長 それでは今 日の自治会 はこれ で終わ りにしますが,まだ全部決 まっていないのですか ら,この次 に続 けて相談 しませ う。一生 臨 時 自治会 を希望 します。一生 明 日は土曜 日ですか ら

,臨

時 自治会 を開いて下 さい。会長 そうし ますか と諮 る。賛成 といぶ声が大部分。 それで は土曜 日に開 きます。 と決定する。以上」Pの こうして競技大会 は

,実

施 されているが

,そ

の終了後

,川

島 は

,感

慨 を込 めて追懐 している。 「私 は翌 日の臨時 自治会 には臨席 しなか った。然 し競技会実施 の細 い計画は滞 りな く相談 された ら しい。 十二月第二 日曜 日午前八時 よ り四時半 に亘 って競技会 は行 はれた。 競技場 の設計,整,用 具の借入 ,其 の他 の準備,同僚 中学生 に審判 を依頼 して公平 を期すな ど至れ り

,蓋

せ りである。高一 男会長 の命 によって競技会が滞 りな く進行す るよう

,精

,体

力共 に学級 の一任者 といふべ き勢力 家が真剣 のあ まり反則勝 ちになるのを,幼稚 なる一児童の『君

,君

約束 にそむ くよ』正義 の忠告振, 自ら定 めた法則 に気付いて直 ちにかへ る優生

,法

の厳正 を守 る人格 の偉大 さ

,力

強 さ とを感ぜすに は居れ ない。零時半閉会 となったが

,責

任有 り

,而

も自発的の後片付の協同動作

,一

一私 の心 は鞭 打たれて魂 のおのの きを覚 えた。 ガ ゝ自律 自治

,自

由責任

,何

と力 のこもる言葉でせ う。人格 は自

(12)

由の圃 にのみ成 る。自由教育何 と尊 みある文字でせ う。何 と無限の発展 を蔵す る教育 だ らう」・ 勤と。 また これ ら同附小 における全般的な自由教育 について

,訓

導石井信二 は,「参観人 は多 く来 るし, 自由教育 の論争がやか まし くなって くるし

,千

葉県下 はい うまで もな く

,県

外の方々か ら招へいが 多 くなるとい うわけで,われわれ同人 は益々研究 の必要 を痛感 させ られた。参観人が多 くなった り, 評半Jが高 くなった りす ると

,当

事者が 自然 に鼻 を高 くした り

,自

己陶酔 にかか りやす くな りがちな ものであるか ら

,謙

虚な気持 ちで純粋 に研究 を進 めることに注意 しあつて

,い

よいよ熱心 にやつて い こうとした。お互いに読書 をし

,思

索 した ことを基 にして談論討議 を盛んにした。宴会 の席で も 初 めか ら終わ りまで教育談が肴であつた」99と述べている。 こうした行事観 は

,明

治 の森文政以後 における軍事訓練的な行事 を克服 し

,自

由・ 自治学習の教育領域 としてカ リキュラム化 されている ことは

,注

目され る。これ ら同附小 の自由教育 について藤原喜代蔵 は,「いかに児童 の自発 的な活動 に訴へて

,児

童 の体操 として指導 に重点 を置 いていたかを窺 うことがで きる。教練 の指導 さへ も, 『内面 よ りの精神訓練』 を重視 したのであった」°のと評 している。 脩

)千

葉師範附小の影響 こうした千葉師範附小の自由教育 は

,全

国に知 られ るようにな り

,石

井の言葉か らも推測 され る ように

,参

観者が あ とを断たなかった とい う。附小への参観者 は

,時

には 1日 約300から500人

,少

な くとも50人は下 らなかった と言われてお り

,ま

た同附小 の白楊会 は

,機

関誌 『自由教育』 を通 じ て会員 は4,500人を数 え,さ らに大正10年か ら

5年

間にわたつて開催 された「自由教育研究会」には, 毎回1,000から1,500人 の参観者があつた とされている。 これ らの事実か らも理解 され るが

,た

んに 千葉県下 のみな らず

,全

国の公立の小学校 に影響 を及ば してい くことになる。例 えば千葉県佐倉小 学校長木村康哉 は

,千

葉師範附小の自由教育 を受 けるなかで

,同

校 の自由教育への取 り組 み を『自 由教育』 に「折 しもあれ

,大

正九年六月

,突

如撞 き出 され し自由教育の鐘

,伝

套 を破れ

,眠

りを覚 ませ と

,い

とお ごそかに我が総房の野 に鳴 り響 きて。・・我が校の訓導諸君 も漸 くにしてその顔 を 上 げ

,そ

の食餌 を見出たる時の如 く

,猛

然 として進 み

,世

の風評 を願 みず

,同

年九月附属小 学校 に 後 ること一学期 にして

,早

くもその傘下 に馳せ参 じ・・・ 雨来

,五

,そ

の間

,我

等 に煩悶 な く, 問題 なしといい得 ざるも

,忠

実なる自由教育 の使徒 として一校 を挙ぜて

,総

親和

,総

努力 を以て進 み来れ り」°1)と 報告 している。木村 は

,同

校 の自由教育 の特徴 として第一 に

,児

童向上会 の組織, 第二 に

,学

級経営の民主化

,第

二 として体育 の奨励 を挙 げ

,特

に女子体育 の改造

,女

子 の体育服 の 改良 に取 り組 む とともに

,男

子 の要求 に応 えて少年野球団 を組織 し

,全

校 の野球大会 を実施 してい る。 また第四には正課外の児童の自由研究 の奨励 を掲 げている。 さらに千葉県長者小学校長 の深 山 隆 は

,同

校 の自由教育 の実践 を次の ように報告 している。深山は

,ま

ず 自由教育 の実践 に取 り組 む きっかけをこう説明 している。 「世界大戦乱後思想の動揺 は社会各方面 に起 こった。永年の因習伝統 に超然 としていた我初等教育 界 にも革命 を叫ぶ幾多の警鐘 は打たれた。 この叫びは吾人が永年経験 して きた過去の教育とは根底 か ら相容れない

,強

烈 なる反逆の叫びであつた。吾人 は先づ驚異 の眼 を陛 った。続 いて激 し く懐疑 の急 に駆 られた。捨てつるが是か

,捨

てざるが非か。 これを解決せんには須 らく読書や講習で 自己 を深める以外 はない と,吾校職員が思潮 に対す る態度 を決定 したのは大正九年の始 めであつた らう。 爾来真理 の追求 は猛烈であつた。 机上 に積 まれた教授書や教案類 は何時か哲学書や

,芸

術書 に変 つて しまった。哲学 の語彙が分か らないで首 をひね るものや

,独

逸語 の辞書 を手 に入れて得意が るものが出て来た。或時 は申合 はせ

(13)

鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 31巻 第

1号 (1989) 125

て一室 に数 日起 臥を共 にし

,西

田博士の哲学書の共学 もやれば

,挙

って教育新調 の講習へ も出た。 斯 うして根本的思索 に

,各

自の行 くべ き道 に遮二無二突進 したのである。」。動 こうして深山 は

,大

正10年6月 に手塚岸衛 に出会 うことになるが

,そ

の時の ことを深山は,「この 際に於て吾人 に とって最偉大 なる権威 であったのは手塚主事 によって提唱 された自由教育の主張で あつた。微力なが ら真理の追求 に浸 り

,根

本思索への転機であった。職員 は挙 って これ に共鳴 した。 努めて全校 にお ける研究講習会 は勿論

,平

日の授業 にも出席 して自由教育の理論 と実際 とに近接 し た。 そして大正一〇年六月には手塚主事 を聘 して

,一

般父兄 と共 に氏 の教育意見 を求めた。斯 うし て吾人 は吾人 の信ずる哲学的立場 と価値的見地の下 に自由教育の普遍妥当性 を確信 し

,永

い歴史 と 異なる環境 とを持つ我校 に自由教育の根本精神 を培ひ,これを基調 としてわれ とわが施設経営に大々 的洵汰 を加へ

,全

我 を打込 めて我校独 自の自由教育 た らしめん と意気 り立ったのは

,確

か大正一〇 年の半 ば頃であった」。9と回想 している。同校で は,「児童 をして理性的に活動 をなさしむ るを以て 本校教育 の本義 とす」い。ることを掲 げる一方,「教育 の要求」として教授 において は「児童 をして知 識の構成者 た らしめよ」●0と述べ

,訓

育 においては「児童 をしてその意志 によ りて行動せ しめよ」。ω, また養護で は「児童 をして自育 自衛せ しめよ」。つと自学主義

,自

動主義 を唱導 し

,体

育 においては その奨励 と「 自由体操の発案」,「競技方面 の普及」 をあげ

,そ

の観点か ら「結果主義」,「干渉東縛 主義」を批判 し,「考査制度 の改造」と「従来 の児童観

,道

徳観 を改めて自由

,自

覚 を第一義」。9と すべ きことを高唱 している(表

7参

照)。 さらに同県の大森小学校長椎名清― は

,大

9年

か ら

4年

間にわたる自由教育 の実践 を書 き残 し ているが

,冒

頭椎名 は,「大正九年四月か ら

,全

職員 の参加す る研究授業が一三四回で

,そ

の輔導案 と批評録 とは大事 に保存 して置 く。

""公

開研究会 は十一回

,講

師 は延二十四名御願 ひ した。

""・

(表7)

表 授 並 業 に 授 業

翔講

[騨卸

口朗

糞鵜

吼蕉脚

醜卿

肺鵜

幾織

蛉吼

蜘嘉

授潮

k球

雑触

育の本

義と

同期

羮機

吼守熊

詢鵡

鶴敵

囃卿

取桁

祠鸞

れ約

鸞一鞠

訓 育 方 面 同 鶴 脚 胸 帷 胞 謗 ヵ 離 決 定 ︵慣 値 観 よ り 演 踊 さ れ た 各 教 科 の そ れ ︶ 本 校 教 育 新 生 面

(14)

研究報告会五十九回

,そ

の中講習会等の報告会 も合せて『我が校 の各科教授 を省 みて』 と題 して, 教科主任か ら

,各

科の考へ方 を三度改訂 して

,児

童学習の実際にあたつた。・・・・・新音譜 も三百 典録印刷 して

,渡

した。舞踊 もした」°9と記 している。同校で は

,教

授法 の改革 のみな らず

,地

域 の教育施設 も含 め

,さ

まざまな学校経営施設 の改造 にも取 り組んでいる。 「校紋定 め

,帽

章 を作 り

,校

旗 を調整 し

,児

童文庫 を設置 し

,町

立図書館 を新設 し

,農

商補修学校 も併設 し

,自

習時間を設 け

,自

由講座 を起 して

,児

童得意 の教科の発展 をはかつた。 自発 的学習, 真剣 なる学習

,自

力 による学習

,を

高唱 した。運動場で も

,後

庵 山の頂 きで も

,利

根 の川辺で も, 無我 の状態で勉強す る児童がある様 になった。(中略

)自

治会方面主任

,校

外監督 も実施 した。 毎月一 日十五 日には修養会 と称 して

,有

志児童―主 として高等級の男児が早起会

,体

育会

,試

謄 会

,修

徳会

,敬

神会

,奉

仕作業会 といぶ内容 を持 つた会 をしている。厳寒 の日午前三時頃校庭 に集 合す る。数十 の児童の意気愛すべ きものがある。訓練 だの

,養

護 だの

,空

,空

文 はぬきにして, 総掛

,総

看護

,実

,男

,共

学的態度

,体

験 の生活 といつた様 な ことが最 も最 たるものである と 信 じてか ゝつた。」の 一方千葉県以外で は

,福

井県坂井郡伊井尋常小学校 の校長汐見市衛 も

,教

育改造 に取 り組 んでい った。汐見 は

,同

校 の教育方針 に「自ら覚 ることによつて

,正

しい意志 を振起 させ

,力

と態度 とを 養い

,精

一 ぱいのび

,ひ

ろが らせ る」1)こ とを基本理念 として掲 げ,「―

,自

分か らすすんで

,せ

い 一 ばい自分 を治め

,さ

ばかせ る 一

,自

分か らす ゝんでせい一ぱい しらべ

,ま

なばせ る 一

,自

分 か らす ゝんでせい一 ぱい自分 を彊 め

,育

て させ る」 “りことを目標 としたのである。 そして

,そ

の方 法原則 に個性

,興

味等 をあげ,「環境 を単一化 し

,純

粋化 して事物理法 に直接せ しめ

,各

個性 に応せ る純粋経験 によ り思惟構成 させ る。一

,教

師 は児童 をして絶 えず学ば うとする意志 を振 ひ起 させ, 純粋興味 を起 さすや うな刺激

,暗

,補

,批

判 をなす

,一 ,児

童 は予案

,資

,解

,反

省 の過 程 を常 に経 させて学習 させ る」“3)としてぃる。 これ らの方針 のもとに「自治 自律 の精神 を養ぶ を以 て目的」 “°とした自治会 を組織 し

,自

治会活動 の一環 として「自由遊戯

,競

,体

,教

,遠

足, 演習」のほか,「毎月一回(成るべ く節 に因める日)自彊集会 を開催 し

,児

童紅 白の体力競技(中略), 体操教授等 を実施」“°している。 これ ら千葉師範附小 を中心 とする県下の自由教育運動が最高潮 に 達 したのは

,ほ

ば大正13年頃 までであつた とい う。その大正13年頃か らは千葉県下で は自由教育 に 対抗す るかたちでディルタイ (Dilthy.W)流の生の哲学 にもとづ く体験主義教育 が

,自

由教育 に対 する批半J者の一人であつた渡辺政盛 の指導 によって大原小学校 (井上嘉七校長

)等

で実践 され るよ うになる。

(6)同

附小 と手塚 の自由教育論 の弱点 こうした千葉師範附小 の自由体育実践 は

,そ

の背景 になる自由教育論 を精力的に摂取 し

,理

論的 裏付 けを追求 しようとしている点で注 目されて しか るべ きであろう。しか しなが ら,同附小 の眼 は, 大正後期 における社会不安

,教

育 の国家主義化や軍事化政策

,さ

らには自由教育 に対す る権力の干 渉等 に対 しては

,不

思議 な くらい閉ざされている。 自由教育 に対す る組織的な干渉 は

,治

安維持法 が成立す る (大正14年5月

)前

年の大正13年頃

,具

体的には岡田良平が文相 に就任 して以後か らで あるが

,そ

れ以前 にすでに手塚 自身がかかわつている「茨城 自由教育禁止事件

J(大

正10年

)や

同附 小 に対す る圧迫

(40,_切

衝動皆満足説 を主唱 した千葉命吉 に対す る干渉,「ナキ1井訓導事件」・ °(大正 13年

)等

が起 こってお り

,ま

た軍事教育化へのクサ ビと も言 える「教練」の教材価値 に対 す る批判 的検討 は

,遂

になされることはなかった。

(15)

鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 31巻 第

1号

(1989) そうした視点 の欠落 の原因 は

,何

にあったのか。 それ は

,同

附小の自由教育論 を代表する手塚 の 国家観 に由来す る。手塚 の国家観 は

,基

本的に有機体説や家族国家観 の枠 を出るもので はなかった のである。彼 は,『自由教育真義』のなかの「文化国家

Jで

こう書いている。すなわち,「個性 は文 化 を創造 し

,国

家 は文化 を永久支持するものである といはれ うる。 この意味 に於て文化創造 の個性 は

,よ

り大なる文化支持者 としての国家 に隷属すべ きものであるといってさしつかひない。個性が 価値創造の独 自性 を以て国家 に貢献すること

,他

のいかなる個性 を以 て して も

,代

置 し能 はざる地 歩 を占むるを要す るとともに

,国

家 は文化支持 として

,他

のいかなる国家 を以てするも

,決

して代 表 しえざる独 自を発揮 し

,世

界 の文化即 ち人道 に

,何

らかの貢献 をなすべ き特質 を有 さなければな らぬ。いな国家の発達 その ものが文化で

,国

家 を離れて人道 はあ りえないのである」 “ 9と国家 それ 自体 を即 自的 に承認す る。そ して手塚 は,「単 に富国強兵 を以て国家の目標 とするが ごときは

,た

と へば個人 にとれば腕力 と金力 との所有をのみ逐ふに等 しい ものである」 “のと一応

,軍

事大国化 に対 する批判的姿勢 を見せているが

,し

か し「か くいぶ も

,わ

れ等 は富国強兵 を呪譴す るものでない こ とは勿論

,個

人 に とりて健康 と財産 とが方便価値 として有用 なるが ごとく

,文

化支持の任務 をはた さんがために

,国

家 にとりて富強 をはなはだ必要 とす るものであるが

,た

だ本末 を転倒 して冠履 を 混視 してはな らぬ といぶ に過 ぎぬのである」。のと反転 され るのである。手塚の言 う国家の富強によ って支持 され る文化 とは

,何

なのか。それ は問わないにして も

,手

塚 は

,国

民 はこうした「文化国 家の建設 に貢献すべ きで

,こ

れ をこれ真の国家主義 の国民 といぶのである。か ゝる国民 を養成する のが国民教育 の真髄であ らねばな らぬ」61)と論断す る。 この手塚 のある種の理想主義 は

,現

実の天 皇制国家 に対 す るとき

,ど

う展開 され るのか。それ は, 「わが国家が特色 ある文化の支持者 として

,人

道 の体現者 として

,他

の国家 に比 して傑出せ る独一 不二 なる世界的地位 を獲得 し

,わ

が文化の前 には他国 をして平伏せ しめうべ しとの確信 よりして, おのづか らそこに

,わ

が国家 に対す る尊厳 と感謝 との念がいひ知 らず湧いて くるであらう。 これを こそ真の愛国心 といふのである」 “分として表現されるとともに,「文化の支持者 としての社会 の第一 歩 は家庭である。一 家文化 の代表支持者が家長である。家長 に対す る家族 の道徳 は孝道である。わ が国文化 を支持 まします元首 は畏れ多 くも天皇である。 その御家が皇室である。皇室や天皇 に対す 落由良あ圭義 患患義奉あ乞。 しおゝしセ患義

,掌

,基

凸′きあととき価値実現か

,暮

tとあか由良遣薇 として

,世

界 に誇 るに足 るべ き文化価値 を有 しているが ごとく

,宗

教 に於 て も

,芸

術 に於 て も

,は

たまた科学 に於 て も同様 にわが国特得の文化 を宣揚せ しむべ きの留意 は

,わ

が国民教育上重要なる 着眼点である」。3)と結論 され る。手塚の場合 も

,所

詮 は平均的な大正 リベ ラ リズムの限界 を露呈 し てお り

,こ

うした論理 を もって して も

,あ

のファシズムに抗 しきれぬ ことは言わず もがなのことで ある。大正 自由教育が

,明

治教育 の連続 として

,そ

れ とも断絶 にうえに成立 したのか

,否

か という 自由教育史研究上 の問題 に対 す る一つの解答である とも言 えよう。

2.山

崎博 の構案法 による自由体育実践

(1)機

械論的身体観批判 一方大正後期 における自由教育実践で注 目すべ き実践 に

,神

奈川県女子師範学校附小訓導山崎博 のそれがある。山崎の自由体育論 については

,別

の機会 に報告 しているが

,補

筆す るかたちで触れ てお きたい。山崎 は

,同

附小での実践 を大正12年に『構案法 に依 る学校体育』として出版 している。 「構案法」 とは

,プ

ロジェク ト・ メソッドの訳で

,当

時 は

,こ

れを「計画法」,「実演教授法」,「全 我活動主義教授法」 とか

,ま

たは「構案法」 とも訳 されていた。プロジェク トとは

,具

体的活動 の

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