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日本語・ベトナム語・タイ語の受身対照比較 : 間接受身文を中心に

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全文

(1)

日本語 ・ベ トナム語 。タイ語の受身対照比

一 間接受身文 を中心に 一

キーワー ド :間 接受身

,持

主の受身

,意

識上のなわば り │よ

じめに

本稿では

,日

本語の受身

,

とりわけ

,間

接受身 をベ トナム語 とタイ語で表 した場合 に

,ど

の よう に文法的ふるまいの違いが生ず るか をみる。 日本語ではこうした受身に関 しては もっとも許容度が 高 く

,広

く表現 されるとみ られるのに対 して

,一

般 に外 国語ではそのまま受身文 としては表現で き ないことが多い。 したが って

,こ

うした文が どこまで比較言語 において表現で きるのかを見 ると興 味深いことが分 つて くる。 なお

,こ

うした特定のタイプについて深 く比較 した文献は管見にはな く

,今

後の研 究 に委ね られ るところが大 きい。本稿 では

,タ

イ語 との比較 については谷守 ・タンチ ッ ト マテ イー(1998),ベ トナム語 とのそれについては Le hith H占 (1999)を 元 にまとめ

,問

題点 を明 らか に したい。そ して, 日本語その ものの特性 もこれ まで以上 に詳細 に浮かび上がって くるであろ うし, さらに興味 深いことに,背景にある表現する話者の意識の違いが文化的違い として窺い知れる部分が若千あ り, それ を今 回新 しく概念化 した。なお

,韓

国語 との比較 は別の機会 に譲 りたい。本稿では

,

とりあえ ず

,ベ

トナム語 とタイ語 について 日本語 と比較 ・考察す ることにした。 また

,こ

うした研究 によつ て

,ベ

トナム語・タイ語 を母語 とす る日本語学習者が 日本語の受身をよ り深 く認識 し

,自

然 に表現 で きるように役立て られれば幸いである。

2

受身文 の構造

2.1日 本語の受身

日本語の受身文 について直接受身 も含 めてご く簡単 に確認 してお こう。

2.1.1直

接受身 次の文 を見 られたい。

(1)a.彼

は私 を殴った。 b.私は彼 に殴 られた。 受身文(lb)では

,元

の能動文(la)のヲ格 で表示 される直接 目的語が主語 に移動 させ られ

,述

語動詞

寛* 正 守 谷 *日本語教育学

(2)

谷守正寛:日本語 ・ベ トナム語 ・タイ語の受身対照比較 で表 される行為 を行 った動作主が二格 で表示 される。そ して

,述

語動詞 に受身の助動詞 レル

/ラ

レ ルが付 く。 なお

,二

格 で表示 される直接 的な 目的語(「彼が私 に惚れた」 の「私」 な ど)や同 じくニ 格表示 の副詞句中の要素(「彼が私 に追いついた

Jの

「私」 など

),さ

らにはカラ格 で表示 される同 じく副詞句 中の要素 (「彼が私 か ら逃 げた」 の「私」 など

)な

ども受身文の主語 にで きる。 この よ うな場合 も元の能動文か ら直接 的に受身文 に変換 で きるので,「まともの受身

Jと

い う言い方 もあ るが

,便

宜上 ここでは直接受身 とす る。 したがって

,常

に直接 目的語か ら受身の主語が由来する と い う意味ではないことに留意 されたい。

2.1.2間

接受身 次の文 を見 られたい。 (2)a.太郎が花子の顔 を殴った。 b.花子が太郎 に顔 を殴 られた。 (3)a.帰宅中雨が降った。 b。 私 は帰宅中雨 に降 られた。 (4)a.彼が先 に席 を取 った。 b.私 は彼 に先 に席 を取 られた。 まず

,(2a)の

場合

,ヲ

格で表示 される顔 の持主である花子は(2b)の主語 に移動す る。 これは

,持

主 の受身である。顔 は「殴る」 とい う事態の成立 に関与する必須構成要素であるのに対 して(3a)(4a) では

,述

語動詞である「降る」や「取 る」の表す事態や動 きの成立 に関与す る必須構成要素 として 含 まれない。すなわち

,受

身文の主語「私」 は第三者 として出現 しているので「第三者の受身」 と 呼ばれる。 この場合受身文の述語動詞では元の文 に比べ て必須の要素が一つ多い ことになる。鈴木 (1972)や小泉保他編(1989)では両者 を含めて間接受身 としているが

,本

稿 で も同 じく間接受身をこ の ようなもの として扱 うことにする。なお

,寺

村(1982)に従 って「

Xガ

Y二

Zヲ ∼ラレル (一

Yガ

Xノ Zヲ∼スル

)Jに

おけるZと は

,Xの

身体の一部

,肉

親 ・縁者

,所

有物

,占

有す る空間などま で含める。

2.2ベ

トナ ム語 とタイ語 の受身構 造

2.2.1直

接受身 ベ トナム語 ・タイ語で能動文か ら直接受身文 に変換する時

,両

言語 とも能動文の直接 目的語 を受 身文の主語 に移動 させ

,受

身の形態素 bi・dlrOC/¶aをおいた上で動作主 と述語動詞 を埋 め込む。以

,両

言語の例文では

,受

身の形態素 と

,太

郎(Ta r6/Mlモ

a),花

子 (Ha na k6/g朝llng)の文中での 位置関係 を見 なが ら文構造 を把握 していただ きたい。

(5) a.太

郎は花子 を殴 った。 Ta rO d五

Hanak6.

И

9aEj 3■

男η

ng b.花 子 は太郎 に殴 られた。 Ha na kO bi Tat6 dと ,

vlnlng qn

И

η

有口

aEJ

(3)

鳥取大学教育地域科学部紀要 教育 。人文科学 第

1巻

1号 (1999) 295

(5b)の文構造 を示す と次の ようになる。

[花子

+受

身形態素 十 [太郎

+殴

る]]

ベ トナム語

[Ha na k6+ bi/dlFOc +[Ta ro+dh

]]

タイ語 [3alln称

3+ qn

[獅

Ъ 十言

a」 ]] したが って

,直

接受身に関 しては両言語 とも共通 した構造 を有 している。 なお

,こ

の場合ベ トナム 語では受身の形態素 に b:し か使 われないが

,こ

れについては後述す る。

2.2.2間

接受身 まず

,持

主の受身の場合 はどうか例文 を見 られたい。なお例文は多 く

,谷

守 ・タンチ ッ トマテ イー (1998),い hi nanh Hh(1999)か ら借用 し

,一

部改変 している もの もある。

(6) a.太

郎は花子の顔 を殴った。

ぽ手

絡需ぽ絋

3aぉ

. b.花子 は太郎 に顔 を殴 られ た。

:絣

〒緒

認“

言 うまで もな く

,ベ

トナム語・タイ語の両言語 ともに受身の形態素が使 われてお り

,受

身 と認定で きる。 日本語 と同様 に

,元

の能動文の直接 目的語(日本語ではヲ格で表示 される)の持主が切 り離 さ れて受身文の主語 に移動 される。残 りの部分が

,日

本語では レルの前 に埋 め込 まれるのに姑 して, 受力の形態素の後 に埋 め込 まれる。(6b)の構造 を示す と次の ようになる。 [花子

+受

舅形態素

+[太

+殴

る キ 顔 ]]

ベトナム語

[Ha na k6+ bi/dlrdc +[恥

r6+申

血 十

m学 ]]

タイ語

[an男

lhg tt qn +[И

nモ

9a」 +幣

n]] もっとも

,両

言語 には日本語のハ

,二 ,フ

に当たる助詞がないので

,タ

イ語 については「文法的 関係 は主 として文中の位置 によつて示 される (松井 1998)」 と言われ

,ま

,ベ

トナム語 について も同様である。 また

,時

制 については

,タ

イ語では表 さないが

,ベ

トナム語で も厳密 に表 さな くと もよい。 なお

,間

接受身を直接受身で代替 させ る言い方 については本稿では考察の対象 とはせず, 同 じ類型 どお しの比較 にとどめたい。

3

三 言 語 間 の 受 身 文 比 較

3.1

持主 の受身の場合 上に見たように

,ベ

トナム語 とタイ語 とでは文構造の面では類似 しているにもかかわらず

,一

方 が一定の条件下で日本語 と似た性格 を有することが観察で きるのは興味深い。 次の持主の受身文を対応能動文 とともに見 られたい。

(7)a.花

子 は太郎 の顔 を殴 った。

篤 紹鴇君

°

(4)

296

谷守正寛:日本語・ベ トナム語 ・ タイ語 の受 身対照比較 b.太 郎 は花子 に顔 を殴 られた。

紺希

靴留緒

詔士

(8)a.太

郎 は花子の服 を破 った。

黒載歎憲総

b.花 子 は太郎 に服 を破 られた。

珊 絣 紺諮

'

(9)a.太

郎 は花子のノー トを破 った。

Ta r6 xc v6 cua IIa na kO.

И■

3n attnl

働割

aヾgnⅥnモn3 b.花

子は太郎にノー トを破 られた。

Ha na ko bl Tar6 Xる v6. aη

Ⅵ∩

h3q∩

И

η

Ъ

an ttqttq

持主の受身「

Xガ

Y二

Zヲ ∼サ レル」 における

Zに

注 目して文法性 を確認する。(7b)― (9b)から分 るように

, Zが Xの

身体的に不離の部分

,身

に密接につけている物

,Xと

分離容易な持ち物のいず れであっても三言語 とも表現可能である。これは

,英

語では(7b)以外 は受身にならない点で大 きく 異なる性質である (英語ではhavc/gctな どの使役動詞 を使 う)。 ただ し

,述

語動詞によつては許容 度が下がる場合 も有 り得るので

,単

純に

Zの Xと

の関係のみではルール化できない問題 も残る。た とえば

,タ

イ語では次の場合許容度が下がるようである。

(10)

花子は太郎にめがねを壊 された。 ?ョ■挑nh喜 n Иη格 η ととヽ班蛹 L奮」

これは「壊す」という動詞は物に射する作用を強 く表し人間に対する行為を表し得ないからだろう。

次に

,「

Xガ

Y二

Zヲ

∼サレル」のZが↓

由象的なもの

(価

,観

念など

)で

あればどうか見る。

なお

,本

稿では,こ うした性格のZで あっても

,便

宜上

,持

主の受力とみなすことにする。

(11)a.社 長が太郎の賃金を下げた。

絡鴛靴地絆

n

b.太郎 は社 長 に賃 金 を下 げ られ た。

紹寺

;鴇

驚慧飛

'

(12)a.太

郎が我々の秘密 を暴露 した。

Ta rO dざ lo bF mat C&a chttng tOi. Иlヽ と

aa釉

嘲 ∩94関譴 悧a鶯‖っ∩L輌

b・ 我々は太郎に秘密 を暴露された。 Cllttng t6i bi Ta rO dざ 10 bf mttt.

削η

nLtt qn

И

n格

aqれ

関袖

(5)

鳥取大学教育地域科学部紀要 教育・人文科学 第

1巻

1号

(1999) 297

(13)a.太

郎が花子のプライ ドを傷つけた。 Ta r6 1ゝ

m Hanak6 m監

山ё dien.

И

η

守Иお

ll tth蚕

舗零

aミanttη

ng b.花子が太郎 にプライ ドを傷つけ られた。

辮 絡瑠紹辮幣“

いずれ も文法的である。 この点で三言語 とも類似 した性格 をもつ と言 えよう。

(14)a.太

郎が花子の弱点 を見つけた。

締鷲絡ぽ款

ahmm

b.花子が太郎 に弱点を見つけ られた。

締 柵 鞘 晶

興味深い ことに

,上

の ような動詞「見つける」 といった相手 に対 して直接危害 。変化等 を加 える動 作でない行為 を表す場合で も ((11)の「下げる」 もややこれに相当するがマイナスの意味合 いが感 じられる点で「見つける」 ほど中立的ではない

),両

言語で許容 される。 次例 を見 られたい。

(15)a.太

郎は花子の音楽のオ能 を認めた。

紹絲撫駐

鍬給

;脇

瑠瑞

g b.花 子 は太郎 に音楽 のオ能 を認め られた。

Ha tt k6 duJc Tar6 c6ng 伸 ぬi髄略 競l nhac,‖ *口lxnlng qn v41電打」aN寺伯 引■s句■■ov41可nlMaxcI有

タイ語では「受身は日本語に似て迷惑の意味 も示す (松井 1998)Jと 言われるが

,実

,受

身文の 主語にとっての利益 を表す文は常に非文 となると言 うべ きであろう。これは直接受身についても同 じく言えることであって受身は常に迷惑・被害の意味を表す。一方

,ベ

トナム語では日本語 と同様 に利益 を表す受身は許容 される。その場合 血ぃ が受身の接尾辞 として使われるが

,こ

れは 血 “ 力漸U益の獲得を合意する漢字の「得」 に出来するためである。そ して

,ベ

トナム語で被害を表す場 合は (被 )を使用するが

,こ

れも漢字の意味か らすれば納得できよう。 日本語ではこうした受身 に1ま「嬉 しいのは一つ もな く

,迷

惑の感 じが伴 うものばか りである」(三上 1953),あ るいは,「普 通なら結構なことなのだが

,間

接受身になると

,そ

れが迷惑なことになって しまう」(井上 1989) のであるが,「認める」や「誉める」のような意味的に本来明 らかに結構 なことを表す動詞であれ ばその限 りではなく

,迷

惑なことを表すわけではない。いずれにせ よ

,主

語が利益 を受けるか被害 を受けるかによって言語形式的に弁別 されるのは日本語では見 られない特異 な現象である。 ところが

,な

,次

例のように

,ベ

トナム語で も主体者の利益 を表す間接受身が非文になる場合 がある。

(16)a.先

生が太郎の子供 を誉めた。

鍬魂器幣鷲

(6)

298

谷守正寛:日本語 ・ベ トナム語 タイ語の受身対照比較

b,太郎 は先生 に子供 を誉 め られた。

辮〔

協線

F継

(17)a.先

生が私の絵 を誉 めた。 町 81とO khen btt tranh cta tOi. b.私は先生 に絵 を誉め られた。

*T6i duoc thay gittO khen tranh。

上の間接受身は非文 になるが

,子

供や絵 に対す る誉 めるとい う動作主の行為が

,主

体者の教育 ・芸 術 的能力 を間接的には姑象 とする ものの

,主

体者 自身よりもむ しろ主体者の外部存在である子供や 絵 その ものに向けられていることと

,子

供や絵 は上の例文で見た服やノー トの ように人物 に密接 に 付随するものではない こと等が要因だろうと思われる。 これは

,(14)が

ベ トナム語では許容 される ことか ら考 えれば領けよう。 なぜ な らば

,(14)の

「弱点」 は受身文の主体者 に内在す る密接 に関わ る要素であるか らである。 タイ語で も似 た傾向が認め られる。 実際

,次

の二文 を比べ る とよ り明確 に違いが分かる。

(18)私

は先生 に子供 を叱 られた。

*T6itt hay gihO ming cOn.

(19)私

は先生にいたずらを叱られた。

T6i bi tty giho rning▼ i nghich ng卿.

子供 を叱ることとは対照的に

,い

たず らを叱ることは私自身を叱ることになろうが

,子

供の教育が 悪いから私が叱 られる

,あ

るいは,(16b)の ように子供の教育がよいから誉められるという発想 も ベ トナム語にはないためにこうした間接受身で表 し得ないのだろう。 「

Xガ

Y二

Zヲ ∼サ レル

Jの

Zと

Xと

の関係 自体は持ち物 と同様であるが

,子

供が誉め られた り 叱 られることによる親の利益・被害 という観念が 日本人に比べるとベ トナム人には希薄なのかもし れない。つまり

,誉

められたのは独立 した別個の人格者である子供 自身であ り

,子

供 を自己と同一 視する日本人的発想 とは異なる側面 を示 しているとも言えよう。このように

,日

本語では他からの 影響が主語 自身に向けられていな くともそれによって間接的に被害や利益 を受けた場合 にも問題な く受身にできるという点ではベ トナム語 と異な りを見せる。 さらに視点を変えて観察すると徐々に文法性の違いが露呈 して くる。能動文は省略する。

(20)

花子は太郎に無断でケーキを切 られた。

齢澪絡棚

e鵠

鰍苫

鞄即

(21)

花子は太郎 に無断でケーキを食べ られた。

器怒絡継〒

胤絲縞

a狩

9

(22)

花 子 は太郎 に先 にケ ーキ を食べ られた。 *Ha tt k6 bi Tar6れ 脱鵬 故造 . *∬

η

1モng qn

И

η

τ

nllとflnnaⅥ これ らは外見上は持主の受身と文構造が似ているが,ベ トナム語 ・タイ語 ともに許容 されない。ケー キはいずれ も花子の もの とみれば持主の受身 とみなされるが,同 時 に

,谷

守(1997)の考察の ように, 「無断で」や「先 に

Jと

いた類 の副詞句 を導 く句 の要素か ら受身のガ格成分 に昇格 したとみれば,

(7)

鳥取大学教育地域科学部紀要 教育 ・人文科学 第

1巻

1号

(1999) 従来か ら言 う第二者の受身 ともみ られ,構造上 こうした場合 に両言語では文法性 を失 うことになる。 次 に

,意

味上の違い として

,ケ

ーキは当然切った り食べ るものであるか ら

,切

られた り食べ られた りしたことをそれほ ど強 く被害 として意識 されない とい うことも

,ネ

イティヴのインタビューか ら 確認 された。先 にみた発想の違い と同様

,こ

うした文化的違いがあるとすれば

,許

可や優先権 を持 たない者のある行為 によって被害 を受けた と強 く感 じるのが 日本的意識のあ り方の一つであるとも 仮定で きる。 こうした被害 を感 じる意識上の領域 を

,本

稿では「意識上のなわば り」 と呼ぶ ことに する。 なお,「先 に

Jを

含 む受身(以下「サキニ類」 と呼ぶ)でタイ語が許容する文 については後述 する。 次の二文 を比べてみ よう。

(23)私

は友人に車 を無断で売 られた。 TOi b:btt tlr dtt btt Xe。

(24)

私 は家の前 に無断で車 を置かれた。 ■T6i bi ai d6 tlrtien d6 xe雌 基.

(23)の車 は私の物であるのに対 して,(24)のそれは明 らかに私以外 の第三者の人物の物である。 し たが って

,前

者 は持主の受勇であ り車 を失 うことは重大 な被害 と認識 されるが

,後

者 は第三者 の受 身であ り

,家

の前 に車 を置かれるだけでは明確 に意識上のなわば りを侵 されたとはみなされず

,こ

れを被害の受身に表す と非文法的になるわけである。 タイ語で も持主の受身であって も

,次

の ような事態では意識上のなわば りを侵 された とみなされ ず

,受

身 としては許容 されない。

(25)

私 は太郎 に無断で車 を使われた。 ??式

qn

И

η

Ь

li ta稿

18ilitta4翻n9 (25)の車 は私の ものであるが

,や

は り

,太

郎が使 つたことを深刻 に被害 として表す ことは自然では ない。 こうした意識上のなわば りが言語表現の文法性 に反映 されている とすれば

,

きわめて興味深 いことである。 さて

,主

体者の利益 を表す(26)は, 日本語では受身文 とはならないので 日本語教育上指導 に注意 を要す る点である。

(26) *花

子は太郎 にケーキを食べ られた。 Ha na k6 dlrcc Ta r6 an bhnh tT Ininh lhm ra. 言 うまで もな くこの場合 は「∼て もらう」 を補 って「食べ て もらった」 と言わなければな らない。

3.2

自動 詞 の受身 の場 合 日本語 における自動詞 による第三者の受身が

,ベ

トナム語 ・タイ語で表現できるか見てみ よう。

(27)

太郎 は突然花子 に来 られた。

Ta r6中

ien bi Ha m k6艤 嵐.

*M格

qn gntthg閥

10ゴ

ngれ

(28)太

郎 は奥 さんに自殺 された。 *辞

1育(!髯

4tttη

η

(29)

タベ私は先生に来 られた。(→来てもらった。)

(8)

300 谷守正寛:日本語 ベ トナム語 ・タイ語 の受身対照比較

(30)太

郎 は奥 さんに死 なれた。 Tar6 bicM vσ。 上の場合

,タ

イ語では表現で きないのに対 して

,ベ

トナム語ではすべての 自動詞 について とい うわ けではな くとも表現可能な ものがあるのは興味深い。 なお

,

日本語では「来 られた」 は被害 ・迷惑 を表 し

,利

益 を表す場合 は「来て もらった」 と表現す るが

,こ

の違いがベ トナム語では

,bi/詢

“ とい う二つの受身辞の形式上の使い分けによつて表現可能 となる。動作主が先生 なので

,こ

の場合 利益の表現 になる。 元の能動文の 卜格 で表示 される名詞句が受身文のガ格成分 に昇格す る場合 をみ よう。

(31)

太郎は花子 に離婚 された。

f#試

!柑

hn.

このように, 日本語 とベ トナム語では受身にできるが タイ語ではやは りできない。 では

,ベ

トナム語 との比較 をもう少 し詳 しくみよう。

(32)a.*花

子は太郎に結婚 された。 b.Ha na k6 dlrdcみ 歪t hon vbi Ta r6.

c. Ha na k6 bik護充h6n vbi Ta r6.

(33)

花 子 は太 郎 に他 の女 と結婚 され た。 Ha na k6 bi Ta r6 1ttt h6n、ぬ c68hi khhc. ベ トナム語でも卜い

d)格

をとり

,日

本語 と同 じく1結婚する/離婚する」等は自動詞 とみなしてよ いだろう。 とりわけ,(32a)1ま 日本語では直接受身としては非文にもかかわらず

,ベ

トナム語では 受身として表現できる。(32b)は 日本語では「結婚 して もらったJ,(32c)は 「結婚 させ られた」の 意になろう。 日本語で(32a)が文法的になるのは

,間

接受身である(33)の意味の場合である。ベ ト ナム語ではいずれも表現可能なのは興味深い。 なお

,仁

田(1997)では「戦 う

,結

婚する∼」の相互動詞はまともの受身(直接受身)を作 らない と 指摘 されているが,「離婚する」に関 しては

,(31)の

ように

,日

本語 ・ベ トナム語 ともにこの限 り ではない。ベ トナム語では「結婚する

Jに

ついても受身文を作ることができるのが大 きな違いであ ろう。 カラ格 をとる自動詞の場合はどうであろうか。

(34)

花子は太郎に逃げられた。 Ha na k6 Tar6 Chutt m監. *3η

跳∩

h3¶

∩И

η

tt

И祝

「∼か ら逃げる」のカラ格 で表示 される名詞句が受身のガ格成分(こ こでは「花子」)に昇格 してい る。やは リタイ語では非文 となるがベ トナム語では表現で きる。

3.3

サ キニ類 の受身 上で

,自

動詞の場合 にタイ語では表現で きない ことをみたが

,サ

キニ類 の受身についてみる と必 ず しもそ うい うわけではない。

(35) a.亀

は兎 より先 に山を越 えた。

瀞評腑禁黙鎌

(9)

鳥取大学教育地域科学部紀要 教育,人文科学 第

1巻

1号

(1999) b.兎 は亀 に先 に山 を越 え られ た。

罵減禽隷球言

a“ (35a)は谷守(1997)で仮定 された対応能動文であるが,「∼より先 に」 とい う副詞句 の成分か ら受身 のガ格成分に昇格 してサキニ類 の受身を作 っている。 これは

,ベ

トナム語で も意識上のなわば りを 侵 されたことによる被害 を表 し

,

したが って

,許

容 される。 また

,タ

イ語話者 のインフォーマ ン ト によれば

,若

者 を中心 に若千言い得 るようであた さてここで再度

,他

動詞の受身にふれるが

,タ

イ語で もサキニ類 において,「

Xガ

Y二

Zヲ∼サ レル」の

Yが

Zを

Xか

ら物理的に奪 って

Xに

被害 をもた らした場合 には

,持

主の受身でな くとも文 法的な文がで きるのは きわめて興味深い。

(36)a.太

郎は私 より先 に車 を使 つた。 濡 辮 ∵ 再

6め

,(中

∼よ り先 に

/耐

刊 n酬廟れ

(nall∼

=∼

ょ り先 に/桟航

=私

) b。 私は太郎 に先 に車 を使 われた。

講 絣 綿

:押

塩 司

=鋼

AF=")

タイ語で も谷守(1997)で観察 したような現象がみ られる。すなわち,「(∼より)先に」が(36a)の 「私」に前接 し,「私」が受力文のガ格成分に移動後 も

,(36b)で

も残存する(sttalld)こ とである。 そ して「奪 う」が受身辞 とともに表れ,「車 を先に奪われ使われた」 という意味合いで受身を完成 させている。(25)と は対照的である。言 うまでもな く

,ベ

トナム語で も表現可能である。 なおしか し

,サ

キニ類の受身の中にも非文 となるものが存在する。

(37)私

は太郎に先に同 じアイデアを考えられた。

群格智

H汗

脇線 と

1胤

鮮・

ベ トナム語・タイ語 ともにこのタイプは非文 となるが

,こ

れは次のような原因によると思われる。 アイデアは

,受

身の主体者にとつては未だ占有 されておらず

,

とりわけタイ語の「奪われて∼され る」 という表現が示す ように

,Zは

奪われる対象 として成立 していなければならないが

,ア

イデア は未だ成立に至っていない。 したがって

,ア

イデアは主体者に考案されるまでは内在するものでな く

,意

識上のなわば りを侵 されたという認識には及ばない。このように

,対

象物の性格 も間接受舅 が表 し得るかどうかが決定される要因となっている。この場合は

,述

語動詞が作成動詞の類であれ ば非文になると予想できる。

ま とめ

本稿では

,ベ

トナム語 ・タイ語 と日本語の受身表現 を対照比較 して

,

日本語では広 く許容 される 受身文に対応する両言語の表現が どの程度許容 されるかを考察 し

,そ

の使用条件・環境等 を考察 し た。次 に主な点 をまとめる。

1.[Xハ

Y二

Zヲ ∼サ レル]型の持主の受身については

,Zが

Xの

身体 ・内面の一部や行為

,Xに

密接 に装着 された もの まで

,ベ

トナム語 ・タイ語 ともに日本語 と同様 に表現で きるが

,Xか

ら独立 した人格や価値のある対象 になると

,非

文 になる。 また

,日

本語での表現 では通常被害・迷惑 を表

(10)

302

谷守正寛:日本語 ・ベ トナム語・ タイ語の受 身対照比較 すと感 じられるのと異なり

,両

言語 とも

,意

識上のなわば りが侵 されたとみなさない

,つ

まり

,被

害とみなしえない場合があ り

,そ

うした場合には受身表現は許容 されな くなる。こうした文化的と もいえる文法以外の要因も働 くことが確認 された。

2.自

動詞について

,タ

イ語では通常受身文にできない。これに対 して

,ベ

トナム語では表現可能 なものもあ り

,

卜格やカラ格 を伴 う自動詞の受身も表現可能であることが確認された。たとえば, 「結婚される」 といった表現は日本語では直接受身としては非文だが

,ベ

トナム語では被害 と利益 のいずれの場合 についても表現で き

,さ

らに問接受身としても表現で きる。これは,「 (結婚)させ られる」「(結婚)してもらう」 といった日本語の意味にまで対応 しているか らであろう。なお

,タ

イ語では利益 を表す受身は作れない。

3.「 Xハ Y二

先二 Zヲ ∼サ レル」型の本稿でい うサキニ類 によつて

,Xが

優先権 を奪われて被害 や迷惑 を受けたことを表す場合

,

日本語 と同様

,ベ

トナム語・タイ語で も表現可能な場合がある。 ただし

,作

成動詞などの述語動詞が表す行為 ・出来事の実現する時点で作成 される

Zに

ついてまで は

,日

本語 とは異なり

,表

現できな くなる。

井上和 子(1989):『 日本文法小事典』大4笏館書 店 小泉 保,船越 道雄,本 田晶治,仁田義雄,塚本秀樹(編)(1989):写 日本語基本 動詞用法辞典

J大

修館 書店. 鈴木重幸(1972):『 日本語文 法 ・形態論 』 む ぎ書房 谷守正 寛 (1997):「 いわゆる間接 受動文 についての一考察」『′鳥取大学言語文化研 究』第2号,鳥取大学教育 学部 国語学研 究室 谷守正寛 ・ラチ ヤダー タンチ ッ トマ テ イー (1998):「 タイ語 と日本語 の受動 表現小 考」『鳥取 大学言語文化 研 究』第3号,鳥取大学教 育学部 国語学研 究室. 寺村秀夫(1982):写 日本語 の シ ンタクス と意味 第1巻』 くろ しお出版. 仁 田義雄(1997):『 日本語文法研 究序説』 くろ しお出版. 松井嘉和(1998):「日本語 とタイ語」『新 しい日本語研究を学ぶ人のために』玉村文郎(編),世界思想社, 三上 章(1953):『現代語法序説』刀江書院。(1972年 にくろしお出版から復干U) Le hi hanh H (1999):「SO Mnh Dttg B:〕 “ g Ci協 ■Stt VゃtV占■読g Nhat(日 本 語 とベ トナ ム 語 の 受 身表 現 比較)」 Gl・adllttion pap∝ subbmited in pardal ftllillment of hc■ quirement for hc Degrec of Bachelor of Arts(TEFL)at Tlle Japalaese Department,Collge of Forcign Lallguages,VNU,Hallcji

参照

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