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リーガー貸借対照表論の基底-香川大学学術情報リポジトリ

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香 川 大 学 経 済 論 叢 第66巻 第 2号 1993年9月 45-61

リーガー貸借対照表論の基底

井 原 理 代

し は じ め に 会計学説史上,定かな位置づけを見出し難いリーガー貸借対照表論を,われ われは,次のような意味において r動的貸借対照表観のー異型」と特徴づけた。 その出発点は,会計の目的観と貸借対照表作成の目的観すなわち貸借対照表本 質観を分けることであった。そして,会計の目的観は,これを静的な財産計算 に求める立場と動的な損益計算に求める立場に分かれ,いわゆる静的貸借対照 表論は前者に属し,いわゆる動的貸借対照表論およびリーガー貸借対照表論は いずれも後者に含まれる。これに対して,貸借対照表本質観は,貸借対照表作 成の目的を静的な財産表示に求める見解と動的な損益決定に求める見解に分か れ,静的貸借対照表論およびリーガー貸借対照表論はともに前者に含まれ,動 的貸借対照表論は後者に属する。ここに,会計目的観に立てば,リーガー貸借 対照表論は,もう一つの,あるいは異型の動的貸借対照表観といえると考えた のである。 このような特徴づけは r単独歩行者 (Eingelganger)Jと称される,リーガー (3) ないし「反対者の書(Bucheines Opponenten)Jと評されるその貸借対照表論 が,どのような意味でそうなのかということに対する一つの解釈といえるであ ろう。 (1) 詳しくは,次の拙稿を参照されたい。「動的貸借対照表観のー異型Jr会計』第138巻第 2号 (1990年 8月), 12-24ページ。 ( 2 ) Muscheid, W, Schmalenbachs砂namicheBilanz-Darstellung, Kη励 undAnti -kriぃtikー, Koln und Opladen1957, S 89

(3) Walb, E“,Besprechung von Rieger, Wilhelm, Einfuhrung in die Privatwirtschafts -lehre, Nurnberg 1928",勾'hF22(1928)Jg, S..511

(2)

十 46ー 香川大学経済論議 224 しかし,われわれは,リーガーをして,単独に,反対者の道を歩ませ,異型 の貸借対照表観を展開させることになった基底について,未だ整理しえていな い。その基底が明らかになり,リーガーの辿った道筋をみることができるなら ば,その貸借対照表論を評価し,会計学説史上の位置を定かにできるかもしれ ない。 そこで,小稿では,まず,貸借対照表論を性格づける静態観・動態観の捉え 方について,小さな省察を試みたい。ついで,その省察に基づき,リーガーに あって,貸借対照表論の対象である企業活動およびその成果計算が,どのよう に性格づけられるかを検討し,リーガー貸借対照表論の基底を尋ねてみたい。 あわせてその基底によりながら,もっぱら反対と批判に終始したリーガー貸借 対照表論のうちに潜むであろう彼自らの構想を尋ねる試みを,いま少し進めて みたいと考える。 II.静態・動態と静学・動学 貸借対照表論を性格づける静態観(Statik)および動態観(Dynamik)という 概念は,シュマーレンバッハが『動的貸借対照表論』を世に問うて以来,貸借 対照表論の領域に導入されたが,それは,元来物理学において用いられて以来, 社会学や経済学において使用され,この領域に至ったといわれる。 静態・動態という概念は,元来古典物理学において,秤りうべき物の理論に 関して用いられ,前者は物体を休止の状態において考察し,後者は変動の状態 において考察するという意味に捉えられていた。 この二つの概念は,コントを中心に,社会学において使用されるようになっ たが,コントを評論したミノレによれば,次のように捉えられている。すなわち, (4) その小さな試みを表したのが,次の拙稿である。「動的損益計算とリーガーの貸借対照 表論j I会計』第142巻第3号(1992年9月), 17-31ページ。 (5 ) 杉本秋男著『経営経済的会計学研究,1,森山脅庖, 1933年,特に20-44ページ。 (6 ) これに対して,シュムペータ によれば,静態および動態という用語は,ミルによって 経済学に導入されたものであり,ミルはこれらをコントから取り,コントはさらに動物学 者であるドゥ・プランヴィルから借用したとされる。(JAシュムベーター著,塩野谷祐 一・中山伊知郎・東畑精一訳『経済発展の理論J,岩波書底, 1980年, 25ページ。)

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225 リーガー貸借対照表論の基底 -47ー 「社会現象は他のすべての現象と同じように,二つの側面すなわち静的側面と 動 的 側 面 と を 呈 示 す る 。 静 的 側 面 と は , 進 歩 を 捨 象 し て , 進 歩 的 状 態 と 停 滞白令状態とに共通なものに限定して考察された社会的存在の諸法則の側面であ る。動的側面とは,社会/進歩の側面である。社会静学は社会状態の存立と永続 の諸条件の研究であり,社会動学はその進化の諸法則の研究である」と。 このような物理学と社会学における捉え方の違いを端的に指摘した,リンハ /レトの叙述がある。彼によれば r物理学においては静態と動態とは実在である。 静的物体は見られうる,真実に静的な事物である。コントー…においては,も

ω

はや実在を意味しないで,考察方法である」というのである。 このように異なる意味合いを帯びながら,静態と動態という概念は,経済学 において使用されるようになり,さらに多様に捉えられることになる。そのい くつかを拾ってみよう。 ミルに大きく影響を受けたマーシャルには,次のような叙述がみられる。「動 態的解決から静態的解決を導くために一切必要な・ことは研究すべき事物の相対 的速度を零に等しとなし,かくしてそれらを相対的休止の状態に置くことで ある。」彼によれば,経済学にあっては,この「相対的休止」という語が注意さ れるべきであり,静態的問題に関係するのであって r絶対的休止」は無意味な 語である。この相対的休止について,次のように説明されている。すなわち, 軌道の上を走る汽車の中で,車中の人が網棚に荷物を乗せておく場合,すべて のものは動いているが,この荷物は相対的に休止しているので,静態的なもの として取り扱われる,というのである。 マーシャルは,このように相対的休止をもって静態と捉えた後,経済事象に ついては,いくら相対的に休止している事象を考察し加算しでも,動態的な把 握にはなりえないと考える。「何となればーの力が作用して事物を動かす時,そ れによってその事物がやがて作用するところの力を変化させるからである。地 (7) JSミル著,村井久二訳『コントと実証主義1,水鐸社, 1978年, 94ページ。 ( 8) Linhardt, H., Die Begriffe Statik und Dynamik,み'B3 (1926) Jg, S.340 (9) Aマーシャル著,山田雄三訳「経済学における力学的類向性と生物学的類同性J,杉本 栄一編『マーシャル経済学選集~,日本評論社, 1940年, 249ぺlージ。

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48- 香川大学経済論叢 226 球の引力は金星の運動を変へ,かくて金星が地球に及ぽす力を変へる それは 更に地球の運動を変へ,したがって地球が金星に及ぼす引力を変へる。かくの 知くして無限にしかし次第に減少する相互的影響がある。かくの如き複雑 な関係に対しては算術は役に立た(ず)…ぃ経済学には適用し得ない。」そして, 経済学を樹木にたとえ I木の葉は春毎に成長し,全盛に達し,頂点をすぎて衰 へる。然るに樹木そのものは年々に伸びて]頁点に達し,その後はまた衰へるで あろう。さうしてここに我々は商品や用役の価値が中心点の周りを動揺し,そ の中心点がまた進行して恐らくそれ自体長期にわたり動揺しつつあるといふ生 物学的類向性を認めるのである。」 さらにつけ加えると,力学における破壊は作用する力の量における変化に よって惹き起こされ,その性格における変化によるのではないが,生命現象に あっては,力の性格もまた変化する。そして,経済的な進歩も単なる増減では なく,有機的生長であり,相互に影響しあう数えきれない要素の衰微によって, 精錬され,制限され,また修正される。それゆえに,経済学において,生物学 的類向性が力学的類向性よりも選ばれることになる,というのである。このよ うにして,マーシャルによれば,経済現象は不断に変動するので,相対的休止 と捉えられる静態的には把握されえず,生物学的動態的にそうされるものとな る。 このように経済を動態としていわば一元的に把握しようというマーシャルに 対して,シュムベーターは,静態的経済循環と動態的経済発展の二つの過程を 明確に区別する。シュムベーターにあって,静態とは,各経済期間において同 一の経済活動が反復して繰り返される状態であり,他方動態とは,経済内部に おける与件の変動,すなわち,企業者が新結合遂行のために必要な資本調達の 変化によって経済自体の自発的変動をもたらす状態と捉えられる。したがって, シュムベーターにあっては,経済現象において,循環部分が静態であり,変動 部分のみが動態の問題となるのである。 (10) 前掲稿, 251ページ。 (11) 前掲稿, 259ページ。 (12) 太田明ニ著『動態経済学への途(増補版)~,東洋経済新報社, 1961年, 25ページ。

(5)

227 リ ガー貸借対照表論の基底 ← 49← 静態・動態の概念は,シュムベーター以後,時間という要素を取り入れるこ とでさらに多様な捉え方がみられるようになった。 ヒックスは,静態とは,噌好・技術および資源が時聞を通じて不変のままで あるような経済の体系と捉えるとともに,経済の分析方法として,次のように 静学と動学を規定する。すなわち,-経済理論のうち,日付に煩わされなくてす むような部分をわたくしは経済静学とよび,各数量が日付をもたねばならぬよ うな部分を経済動学とよぶ」と。ボーモノレの指摘によると,ヒックスにあって は,定常状態の分析だけを静学として分類し,ひとたび体系が変化しはじめる や,その分析は動学となるのである。 このような「あまりに一般的で,正確さに欠けている」ヒックスの定義に対 して,ハロッドは,静学と動学を次のように捉えている。静学とは休止状態に 関するものであり,他方,動学とは産出量の率が変化している経済に関するも のである。したがって,-経済静学において,或る基礎的な諸条件,すなわち人 口の大いさとその質,土地の量, [啓好などが所与であって既知であるとし,こ れらの諸条件は,或る未知数,すなわち種々の財貨および用役それぞれの年々 の算出率を,生産要素の価格と財貨および用役の価格を決定すると考えられる。 他方,動学においては,基礎的な諸条件自体が変化しつつあれ方程式中の解 かるべき未知数は,年々の産出率ではなくて,年々の産出率の増加または減少 であろう」ということになる。ハロッドでは,動学とは,連続的な変化の分析 だけを対象とするのであり,これに対して,ある変化が起こる前の均衡状態と 起こったあとの均衡状態という一度の変化を比較する分析は,比較静学と規定 される。 さらに,ヒックスやハロッドの考察を踏まえて,ボーモ/レは,静学および動 学という概念は,研究される事象の性質を問題としているというより,むしろ (13) J R ヒックス著,安井琢磨・熊谷尚夫訳『価値と資本~,岩波書盾, 1968年, 161ぺー ジ。

(14) Samuelson, P A., ‘,DynamicsらStatics,and the Stationary State", The Review oj

Ewnomzcs and Statistiω, XXV, 1943, p.61

(15) R F.ハロッド著,高橋長太郎・鈴木諒一訳『動態経済学序説h 有斐閣, 1961年, 5ペー ジ。

(6)

-50- 香川大学経済論叢 228 どのような観点から考察しようとしているかということに関係していると捉 え

J

経済動学とは経済現象をそれよりもさきに起こった事象およびそれに引き 続いて起こる事象との関連の面から考察する研究である」と規定する。これに 対して,静学では,諸現象は,それよりも先に起こる事象やそれより後に引き 続いて起こる事象の関連からは考察がなされない。ある瞬間における状態を考 察する,すなわち体系の種々の部分の位置がどのようであるかを示す運動中の 体系の一枚の写真,一枚のスチールを研究することである。もちろん,そのス チーノレは日付、がつけられるが,それの分析自体は静学とみなされるのである。 その意味で,ボーモルによると,静学的な方法は,経済の「時間的薄片」すな わちー断面を分析し,問題から時間の経過を消去してしまうが,時間の影響を 全く消去してしまうわけではない。こうして,ボーモノレにあっては,経済現象 の時間的薄片の研究を静学,他方,時間の軸が捨象されない研究を動学と明確 に定義づけられている。 このようにみてくると,静態および動態という概念がいかに多様に捉えられ ているか明らかであるが,その諸説のうちに,これらの概念を捉えるにあたっ て異なる二つの観点がみられることに気づくのである。一つの観点は,考察対 象となる事物や事象そのものの性質にかかわるものであり,他の観点は,事物 や事象を考察するための考察方法にかかわるものといえよう。 それゆえ,われわれも変化の起こらない経済と変化しつつある経済を,それ ぞれ静態的経済および動態的経済と捉え,他方経済の時間的薄片の分析と経済 の変化の分析を,それぞれ静学的分析および動学的分析と捉えて,両者を区別 したい。そして,静態・動態という用語は,考察対象の性質を表し,静学・動 学という用語は,考察方法を表すと整理しておきたい。このように二つの観点, いい換えると,静態・動態と静学・動学という概念が区別され整理されると, これらの概念に基づく考察の意味や特徴づけが明断になると思われる。 以上のような物理学に始まり経済学に至った静態・動態ないし静学・動学と (16) W Jボーモル著,山田勇・藤井栄一訳r経済動学序説,1,東洋経済新報社, 1956年 5 ページ。

(7)

229 リーガー貸借対照表論の基底 -51-いう概念の捉え方に対して,貸借対照表論では,どのように捉えられているの だろうか。改めていうまでもなく,貸借対照表論において,これらの概念を導 入したのはシュマーレンバッハであり,彼は,次のように規定している。「財産 ーまたは資本を決定する目的を有し,それゆえある状態を示す」貸借対照表 を静的貸借対照表と名づけ,-損益を決定する目的を有し,……(それゆえ)運 動の認識に役立つ」貸借対照表を動的貸借対照表と称する。このような規定か ら,財産や資本の決定には時間が捨象されるので,静的貸借対照表は時点にか かわるものであり,他方,損益という運動の認識には時間を要するので,動的 貸借対照表は時聞において考察するものと特徴づけられる。そう考えると,シュ マーレンバッハにあっては,考察方法の違いに基づ、いて,静的貸借対照表およ び動的貸借対照表を規定し,静的貸借対照表論では静学分析がとられ,動的貸 借対照表論では動学分析が行われているといえそうである。 しかし,単純にそうはいえないようである。シュマーレンバッハは,動的貸 借対照表について,次のような叙述を続けているからである。すなわち,動的 貸借対照表でも「運動を数字的に表示するためには,運動の中から一瞬間を捉 えて示す限りにおいて,状態を示す」と。ここでは,むしろ考察対象の性質に 基づいて,貸借対照表を規定しているように思われる。 そして,まさにこの叙述に対するリーガーの批判が,彼のシュマーレンパツ ノ¥批判の核心をなす。リーガーによれば,シュマーレンバッハにおいては,貸 借対照表は運動を示すといいながら状態を示すと述べるという混、清が生じてい 伽) るが,それは,-貸借対照表の目的は甲が乙である」というシュマーレンバッハ の主張のためであり,本来貸借対照表は,本質に関して統一的なものであり, 状態を表す財産貸借対照表にほかならない。そうだとすれば,リーガーの立場 からは,貸借対照表はすべて,静態(状態)の考察対象に対して静学分析の考 (17) Schmalenbach, E., Dynamische Billanz, 4.. Auft., Leipzig, 1926.. S 79 (18) Ebenda 括弧内筆者。 (19) Ebenda (20) Rieger, W, SChmalenbachsDynamisじhe Bilanz-Eine kritisじh Untersuchuηgー, Stuttgart und Koln, 1936 S. 24-25

(8)

-52 香川大学経済論叢 230 察方法をとるものと性格づけられることになる。 III.企業活動の動態性と成果計算の動学性 それでは,リーガー貸借対照表論にあって,以上のような貸借対照表の性格 づけに対して,企業活動およびその成果計算は,どのように性格づけられてい るのであろうか。それは,彼の貸借対照表論の基底を尋ね,それに照らしてみ ることによって明らかになるように思われる。 リーガーによれば,企業は,貨幣経済たることを本質とする資本主義経済と ともに生まれたその最たる代表者であり,また,-時間において不可分離の統一 体(ωu凶n1 およびその成果計算は,このような企業の特質に制約され,以下のように捉え られている。貨幣経済たることを本質とする資本主義経済の下で,企業におい ては,営業の出発点は貨幣の費消であり,その終結は貨幣の収入である。すな

ω

わち「取引は,支出から,支出を越えて,収入に立ち至る」のである。その聞 において商品在高等の価値物として存在するものはすべて,乗り越えられ処分 されなければならず,全営業は貨幣生成の過程とみなされる。「経営的出来事の すべては,個別的にもまた全体としても,貨幣生成への成熟 (Geldwerdung

ω

Entgegenreifen)にすぎない」のである。いわゆる継続企業においては 1つの 営業が片付いても,また新しい部分営業が始められ,絶えず個別的な営業が同 時にあい並んで行われる。支出の全部または一部は未だ回収貨幣の状態に到達 せず,たとえば,設備,原材料,半製品,製品,有価証券,特許権等々の形態 にとどまるのである。その結果,継続企業にあっては,真の意味の決算は不可 能であり,したがってまた企業成果の決定も不可能となる。 ところが,時間において不可分離の統一体である企業においては,たまたま すべての個別的な営業が同時に終わり貨幣に立ち至っているとしても,なお, 正しい企業成果の決定はありえない。なぜなら,すぐつぎの瞬間には経営はあ (21) Rieger, W, Einfuhruηg zn die Privatwirtschajtslehre, Nurnberg, 1928, S 44 (22) Rieger, W, a. a 0, S. 203 (23) Rieger, W, a a. 0., S 213

(9)

231 リーガー貸借対照表論の基底 53ー らためて馳け出し,営業が再開される。その際 Iなるほど,一連の部分営業は おそらくすでに一定の成果に到達しているが,新たに危険が負担され,そのこ ω とを通じて以前の諸取引の成果も脅かされる」からである。このような状態で は I最終的な成果 (endgultigesErgebnis)について語ることは,差し控えねば ω ならないであろう」。 リーガーは,このような時間において不可分離の統一体である企業の活動を, いみじくも,さまざまなリズムからなる合同演奏にたとえるのである。あるリ ズムが終わったとしても合同演奏は未だ終わらず,その時点でこの演奏につい て感銘を語ることは不可能である。このようなリズムにも似て,あるもしくは 一連の部分営業が終わったとしても企業活動の成果を計算することは不可能で ある,と。 こうして,リーガーによれば,企業においては,全営業が完了し経営が活動 を究極的に停止した解放状態においてはじめて,すなわち全支出が再び貨幣収 入に立ち至ったときにはじめて,企業活動の成果計算が可能となることになる。 以上,リーガーにおける企業活動およびその成果計算に関する所説を追って 日 目 みたが,ここにみられる捉え方は,エンゲノレによれば,次のように説明されて いる。企業の目的が,貨幣の余剰であるとすれば,その活動の成果計算は,企 業の終末に初めて決定されうる。それ以前のいずれの時点においても,貨幣形 態に最終的には到達していなしユからである。付言すると,企業における個別的 な営業は,貨幣への個別的転換過程とみなされるが,それに関する収入および 支出と,全体としての企業に関する収入および支出との聞に,どのような関係 があるかが問題となる。そして,個別的転換過程に関する収入および支出は, 一方でその過程そのものに規定されるが,同時に他方で,企業の全体的転換過 程に制約される。 エンゲノレによれば,企業はその目標達成のために独自のリスクを負うので, (24) Rieger, W, a. a 0, S.205 (25) Ebenda (26) Engel, D, Wzlhelm Riegers Theorie des, heutigen Wertes' und sein $ystem der Privatwirtschajtslehre, Berlin, 1965 特にS.43-53.

(10)

-54- 香川大学経済論叢 232 個別的転換過程の全体的なもつれあい(tota!eVerfiochtenheit)が認識されな ければならない。企業において,個別的な営業が分割されるならば,その成果 計算も分割して行いうるが,そうでないとすれば,その計算を独立的に行うこ とはできない。それゆえ,企業の終末に至り,全体的転換過程の結果が正確に 探究されてはじめて,企業の成果計算が可能となるし,また,そうして決定さ れる全体成果から部分的転換過程の成果が導出されることになるのである。 こうして,企業活動およびその成果計算に関するリーガーの所説を追い,さ らにエンゲ/レの説明を重ね合わせてみると,リーガーにおいて,企業活動は, 継続して変化し続ける事象として,したがって静態・動態についての前述の検 討に基づくと,生物学的動態として性格づけられるであろう。これに対して, 彼にあって,企業活動の成果計算は,企業の終末時点においてしかありえない というのだから,それは,同様に前述の検討によると,静学分析であるといわ ざるをえないのであろうか。しかし,あらためて考えると,この静学分析の対 象となる企業活動は停止しており,したがって静態であるというべきであろう。 その意味で,リーガー貸借対照表論では,生物学的動態としての企業活動を対 象としながら,静態としての企業活動に対して,静学分析としての成果計算し か展開していないことになるのであろうか。 しかし,われわれには,リーガーにおける企業活動の成果計算を静態に対す る静学分析とのみ性格づけることに,鴎踏するものがある。彼は,次のような 見解を示しているからである。企業における成果計算は,その終末時点におい てしかありえないが,現実に,そのような全体計算は不可能であるし,またな んら企業の役にたたない。現実に,企業にあって必要とされるのは,企業の継 続中における成果計算である。企業は,配当金を支払ったり,税金を納付しな ければならないからである。「そこで,生活においてそうした計算ないしそれに 類した計算のために,ほかならず年度が承認された基礎を形成するゆえに… 企業においても,年度的中間決算ないし部分決算(j

ahr!iche Zwischen-oder 1) Teilabrechnung)が一般に行われる」というのである。しかも,彼は「企業の決 (27) Rieger, W, a a.0, S. 208

(11)

233 リーガー貸借対照表論の基底 55ー ω 定的な計算は,成果を表示する計算である」と明言する。 そうならば,リーガーにおいて,企業の継続中における成果計算が構想され ないはずはなしそれは,動態としての企業活動の変化を分析するのだから, 動学分析と性格づけられるだろう。このようにみると, リーガーは,企業活動 を継続的に変化し続ける事象と性格づけ,そうした企業活動の変化を把握する 成果計算を構想していたであろうことになるので,彼の貸借対照表論の基底に は,生物学的動態的な企業活動と動学分析としての成果計算があるはずである ということになる。

I

V

.

経済学的利益概念の動学性 このように考えると,リーガー貸借対照表論における成果計算は動学的であ らねばならないと思われるが,われわれは,すでにその成果計算はいわゆる経 済学的利益概念と基軸をーにするのではないかということを検討した。そこで, 改めて経済学的利益概念の特質を確かめ,その動学性についてみてみたい。 加) 経済学的利益概念を確かめるために,ハンセンの提唱するそれについて,必 要な限りで繕いてみよう。あらためていうまでもなく,経済学的利益概念と称 されるものは r所得と資本の経済理論の基本原則にもとづく利益」にほかなら ない。ハンセンにあって,経済学的利益概念の出発点は,ほかならず所得と資 本の経済理論におけるフイツシャーの周知の定義である。すなわち rある期間 の富からの便益の流れが所得と称され,そしてある所与の瞬間に存在する富の 自由 在高が資本とよばれる」と。 そこでは,資本は富の在高と定義され,資本を所有するということは,資産 の将来的便益を受け取る権利を有することを意味するであろう。富の在高は財 産の在高と考えられ,そして財産とは所得を生み出すことのできる事物もしく (28) Rieger, w., a. a..0, S 183

(29) Hansen, P, The Accounting Concψt

0

/

Profit-An Analysis and Evalution in the Light

0

/

the Economic Theory

0

/

Income and Capital-, Copenhagen and Amster -dam, 1972

(12)

-56ー 香川大学経済論叢 234 は権利にほかならないからである。それゆえ,資産の資本価値

(

c

a

p

i

t

a

lv

a

l

u

e

)

は,資産の将来的便益,いい換えれば将来的純流出によって決定される。それ は,つぎのような計算式に基づき,期待される将来純流出を評価時点で割引く ことによって算出されるのである。すなわち,

C

ぉ=0μ+r)一

1

+

02(1

+

r)-2十いれ +On

(

l

十r)-n ただし,

c

ぉ:評価時点(ゐ)における資本価値

Oz:

期間zの純流出

u

=

1

2

,“,

η

)

r 利子率 このような計算式によって,真実の資産の資本価値をえるためには,いうまで もなく,流出及び流入の将来の展開に関して完全な知識がなければならないし, また資産の所有者の主観利子率が知られていなければならないであろう。 ここにおいて,簡単な例をあげて,資本価値を算出しておきたい。かりに, ある人が自動車を所有しており,彼はそれを賃貸して所得をえる場合を考えて みよう。このばあい,彼は,自動車を 3期間所有し 3期末に 1,000で売却す る。彼はまた 3期間それぞれ 3,000の 収 入 を 受 け 取 引 他 方 1,000の支出を なして,毎期末にはその差を消費のため引き出すとする。なお便宜上,収入と 支出はすべて毎期末に同時に生ずると仮定される。さらに,すべての期間にお いて

1

年あたり

8%

の主観利子率が用いられるとしよう。そうすると,叙上の 取引は次の時間軸に示されるとおりである。 流出 流入 ヲl出額 3,000 3, 000 P

Pっ P究 f

1 r

.

.

J

ι

.

r

-

^

-

-

ら A 1. 000 2, 000 ら 1. 000 2,000 ら 1 . 000 3,000 (31) ハンセンは,フィ yシャーにならって,財産の所有者の側からではなくて,逆に財産自 体の側から便益の流れを把えて,流出および流入という用語を使用するのである。すなわ ち,財産所有者の倶IJからみた便益の

i

n

c

o

m

e

入り来るもの:所得)は,財産自体の側か らみれば便畿の

o

u

t

c

o

m

e

(流れ出ずるもの:i荒出)にほかならない。他方,財産所有者の

(13)

57 その変化およ リーガー貸借対照表論の基底 それぞれの期間における資本価値, 235 このような数値に基づくと, び所有者の純流出一一この場合1企業が考えられているので, それは所有者の 引出額を意味するであろう一ーはつぎの表に示すとおりとなる。 資本価値 資本価値の変化 ヲl出額

.

.

.

.

.

.

.

5. 948 ん... 4.424 1.524 2.000

ι

.

.

.

.

.

.

.

.

.

.

2. 777 ー1.647 2.000 A

-2.777 3.000 ただし,

仏=却ら+辻珠子+昔珠子=刷

8 =

4

4

2

4

} q L

O

一 郎 ー れ り 一 A H U

3

1

十 -1 1 十 一 円 x u n u λ U 的 2 0

+

一 4 1 l ム l t

c

= 2.777

C

ら こ このような資本価値の算出に基づき,ハンセンにあって,経済学的利益概念 O Ct3000 昭 一 1+0..08 とはつぎのような式であらわされるものと捉えられる。

P

=

O+Cu-C

ρ :期間利益

P

ただし,

Cu

::期末の資本価値

C

p ::期首の資本価値 このように,経済学的利益概念は引出額に資本貯蓄を加えたものとして定義さ それは,期首に存在する資本価値の利子に等しいことになる。 このようにして,ハンセンは,経済学的利益概念とは引出額に資本貯蓄を加 えたものとして,また期首の資本価値に対する資本利子として定義するのであ すなわち引出額 :純流出, O れるからには, 側からみた便益のoutgo(出で行くもの:支出)は,財産自体の倶Ijからみれば便益のingo (流れ入るもの:流入)になるのである。そして,純流出とは,流出と流入との差額にほ かならない。

(14)

~58 香川大学経済論叢 236 るが,いうまでもなく,そのような利益は,将来生ずる純流出と主観利子率に ついて完全な知識を有するばあい,理論的に完壁な利益概念 (theoreticallyper -fect concept of profit)となるであろう。これを,ハンセンは理想利益 (ideal profit)と特徴づけている。 このような経済学的利益概念に関する考察はこれまでさまざまな観点から多 様に行われているが,その典型的なものとして,ビアマンおよびダビドソグに よるそれをあげることができるであろう。そこで,その考察によりながら,経 済学的利益概念の特質を確かめておきたい。 ビアマンおよびダビドソンによると,経済学的利益概念の最大の特質は,価 値増加としての利益であるということである。もはやいうまでもなしこの利 益概念は,期待される将来の純収入(純流出)の現在価値に基づくものである ω からである。このように経済学的利益は,-期首と期末の価値の関数である」か らいわゆる実現をめぐる問題からは解放されるが,当然に「伝統的には会計 担当者が実現されないと考えている利得が,利益測定の中に含まれ

g

」ことに なる。 そして,このような特質は,同時に経済学的利益概念が操作的な利益概念に はなりえないという問題点を生じさせている。なによりもまず,期待される将 来の純収入の現在価値を正確に測定することは,不確実性の条件の下において は,きわめて困難であるため,この概念は操作的概念にはなりえない。また, このような現在価値を見積もるにあたって,期首か期末かにおけるわずかな割 引率の誤差が,結果的に利益の測定における大きな誤差になるので,この概念 は操作的概念になりえない。ビアマンおよび夕、ビドソンのあげる例によれば, 期首の現在価値は正確に測定され,期末のそれを測定するに際して

1%

の誤差 があるとすれば,期末の現在価値が

1

0

0

0

0

0

0

0

0

ドノレである場合,利益の誤差 は実に

1

0

0

0

0

0

0

ドルになる。したがって,利益が資本の

8%

で,

8

0

0

0

0

0

0

ド (32) Bierman, Jr H., and Davidson, S,“The Income Concept~ Value Increment or

Earnings Predictor

ヘTheA

ccounting Review, Vo.lXLIV No. 2(1969), p.239-246 (33) Bierman, Jr H., and Davidson, S.., 0ρ,ιit, P 240

(15)

237 リーガー貸借対照表論の基底 59ー ルならば,利益の誤差は12.5%に達するであろう。そして,仮に割引率の誤差 が,期首と期末において同時に生じると,今期の利益には影響を及ぼさないか もしれないが,前期以前の利益にやはり誤差が生じていることになる。 さらに,経済学的利益概念は実現をめぐる問題から解放されることによって, 会計情報利用者に,未実現利益が不確実であるという注意をなくさせることに なるので,この概念は,伝統的な会計上の利益概念のもつ有用性を失う。 このように,経済学的利益概念は操作的な利益概念にはなりえないといわれ るが,それはまた,将来の利益予測手段として不十分であるという問題点を指 摘される。一般に,将来の動向を予測しようとする場合,過去の諸事象のうち 将来も反復する可能性の高い項目が基礎におかれる。したがって,将来の利益 予測のためには,過去の反復的事象に基づく利益が必要であるが,経済学的利 益概念は将来繰り返さないかもしれない事象を含む,あらゆる事象の影響した 現在価値の変化を反映するものだからである。 以上のビアマンおよびダビドソンによる考察にみられるように,経済学的利 益概念は操作的な概念となりえず,しかも将来の予測手段としても不十分であ るため,それは,一般には,代替的な会計実務をテストし評価する上での分析 手段とみなされている。 このような経済学的利益概念に関する考察に対して,われわれは,その特質 を必ずしも十分に表していないのではないかと考える。そこでは,価値増加と して捉えられる経済的利益概念について,その価値の特質に立ち帰って考察さ れていないからである。それでは,経済学的利益概念を基礎づける現在価値は, どのように特質づけられるのであろうか。 。 自 それは,この概念の出発点をなすフィッシャーの資本価値に関する見解のう ちに見い出されるであろう。フィツシャーによれば r資本の価値は,見積もら れたその将来の純所得の価値から算定しなければならないものであって,これ 0曲 の逆行する計算を行うべきものではない。」この言い方は,原因と結果の関係に (35) 1.ブイツシャー著,気賀勘重・気賀健三訳『利子論』日本経済評論社, 1980年,第1 編。 (36) 前掲書, 15ページ。

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-60- 香川大学経済論叢 238 おいて,時間上前者は後者の前方にあると考えられるので,逆行しているよう に捉えられがちである。すなわち,通常は,所得は資本から派生するものでな ければならないという言い方になるのかもしれない。そして実際,フイツシャー 自身,このことはある意味で真実である,という。確かに,所得は資本財から 派生するからであるが,しかし,所得の価値は資本財の価値から派生するわけ ではない。そうではなくて,資本の価値は所得の価値から派生するのである。 これらの関係は,下のように表される。 資本財 ,給付の流れ(所得) 資本価値、 所得価値 すなわち,資本財から将来におけるその給付(所得)へ,これらの給付(所得) からその価値へ,そしてその価値から,さかのぽって資本価値へという流れで ある。したがって,ある資本がいくらかの所得をもたらすかを知るまでは,そ の資本に対して評価をもたらすことはできないわけである。 フィッシャーは,次のような例をあげて,この間の事情を説明している。仮 に,年 1,000樽のリンゴを産出する 10エーカーの果樹園があるとし,またリン ゴの純年収穫が5,000ドルの価値があり,果樹園が10万ド/レの価値があるとす るならば,果樹園に 10万ドノレの価値があるゆえに,その年収穫に5,000ドルの 価値があるのではない。そうではなくて,その年収穫に5,000ドルの価値があ るゆえに,割引年

5%

である場合にはその果樹園に10万ドノレの価値があるので ある。この10万ドノレは予期せられる年5,000ドルの純所得の割引された価値に ほかならず,その割引の過程の中に,すでに

5%

の割引率は考慮されているわ けである。改めていえば r資本は所得を生む」という叙述は物質的な意味にお いてのみ正しいのであり,価値の意味においては間違いである。資本価値は所 得価値を生むものではなく,反対に所得価値が資本価値を生むわけである。 このようにみると,経済学的利益概念を基礎づける現在価値は継続して生じ る所得価値を反映するものであり,したがって,この利益を測定することは, 動学分析といえるであろう。その測定によって,

[

1

つのいうべきかもしれない

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239 リ ガー貸借対照表論の基底 十 61-が]動態的企業活動の変化が,時間的要素を取り入れながら把握されるからで ある。

v

.

むすびに代えて 以上,われわれは,まず貸借対照表論を特徴づける静態および動態という概 念に関するいくつかの所説を検討し,静態・動態とこれに類する静学・動学を 概念上区別して,前者は考察対象となる事象の性質を表し,他方後者は事象を 考察する方法を表すものであると整理した。そして,リーガーにあって,貸借 対照表は状態を表す財産貸借対照表ということから,この整理に従うと,貸借 対照表を性格づけるのは,静態に対する静学分析であると考えた。 ついで,リーガー貸借対照表論の基底を尋ね,彼によれば,企業活動を継続 して変化し続けるものと捉え,またその成果計算を企業の継続中に構想してい るとみなされることから,それは,同様に上述の整理に従えば,企業活動の動 態性と成果計算の動学性にあることに辿りえた。 そうして,リーガー貸借対照表論の基底に,成果計算の動学牲があるのであ れば,リーガーは経済学的利益概念による成果計算を構想しているのではない かと考え,この概念の特質を検討した。その結果,経済学的利益は継続して生 じる所得価値を反映する現在価値に基づくので,その測定は,動態的企業活動 の変化を映す動学分析といえることになった。それゆえ,リーガーの成果計算 として,経済学的利益概念によるそれを展開することが許されるように思われ る。 こう考えてくると,リーガー貸借対照表論は,財産という静態に対する静学 分析として性格づけられる貸借対照表と企業活動という動態に対する動学分析 として特徴づけられる成果計算から構成されるのであろうか。そうだとすれば, このような貸借対照表と成果計算の相互関係ないし整合性は,どのように考え られるのであろうか。このことの考察については,稿をあらためたい。

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