生化学 第 89 巻第 2 号,pp. 269‒272(2017)
多価不飽和脂肪酸の大脳新皮質形成における役割
酒寄 信幸,大隅 典子
1. はじめに「You are what you eat(あなたはあなたが食べるものに よってできている)」という英語のことわざは,健康にお ける食の重要性を説く際に用いられる.また,食生活の差 異によってヒトの個性や文化的な背景の違いがもたらされ るという意味においても使用されることがある.このよ うに,健康における食の重要性は古くから認知されてきた が,現代における食生活の変化は著しく,どのようにして 食事がヒトの健康に影響を及ぼすかを明らかにすることは 社会的急務となっている.特に脂質は多くの国々において その摂取量が増加しており,この50年間で摂取する脂質 の種類も劇的に変化している1).本稿では,近年大きな科 学的・社会的関心を集めている脂質の脳形成・脳機能にお ける役割に焦点を当て,最近の我々の知見2, 3)を中心に概 説する. 2. 脳形成・脳機能における脂質の重要性 脂肪は脂肪酸とグリセリンから構成され,特に二重結合 を二つ以上有する脂肪酸である多価不飽和脂肪酸(PUFA) は,細胞膜の主要な構成要素かつ種々のシグナル伝達物質 の前駆体として重要な役割を担う.脂肪酸は長鎖炭化水素 の一価のカルボン酸であり,メチル基とカルボキシル基を 両端に有する直鎖構造をとっている.メチル基の炭素はオ メガ炭素と呼ばれており,PUFAの生理活性はこのオメガ 炭素からみて最初の二重結合がある位置によって決定され る.つまりPUFAは,オメガ炭素から三つ目の炭素に最初 の二重結合がある場合をomega 3(またはn-3),六つ目の 場合をomega 6(またはn-6),九つ目の場合をomega 9(ま たはn-9)として分類される. 哺乳類は一つ以下の二重結合を有する脂肪酸やn-9 PUFA を合成する酵素群は有しているが,n-6およびn-3 PUFAを 合成する酵素をコードする遺伝子を欠損しているため,こ れら2群のPUFAは食物を介して摂取しなければならない. そのため,n-6およびn-3 PUFAは必須脂肪酸と呼ばれてい る.脳における主要なn-6およびn-3 PUFAはそれぞれアラ キドン酸(ARA)とドコサヘキサエン酸(DHA)である が,我々はこれまでにARAおよびDHAが齧歯類の胎仔脳 における神経幹細胞の増殖と分化の調節因子であることを 報告し4),これらのPUFAが脳形成において重要な役割を 担っている可能性を見いだした. n-6およびn-3 PUFAは代謝酵素や輸送タンパク質の多く を共有しているため,代謝や輸送などにおいて互いに競合 し合う.これにより,n-6およびn-3 PUFAは摂取量だけで なく摂取比も重要と考えられている5).現代の多くの国々 において,n-6 PUFAを豊富に含む紅花油や大豆油などの 摂取が増加する一方,n-3 PUFAを豊富に含む魚の摂取は 減少しているため,食の高n-6/低n-3化が急速に進行し ている1).実験動物やヒトの介入実験および疫学研究など において,n-6 PUFA摂取の増加およびn-3 PUFA摂取の減 少によって脳形成不全6)や認知機能の低下,不安障害の発 症リスクの増加7, 8)などが起こることが示されているが, PUFA摂取の高n-6/低n-3状態に伴い,どのような機序に よってこれらの異常が引き起こされるかについてはいまだ 不明な点が多い. 3. 高n-6/低n-3食が脳形成に及ぼす影響とその作用機 序 脳構築の主要な段階は胎生期に行われる.我々は,世界 中で拡大している食の高n-6/低n-3化という食事様式の 変化が次世代の脳形成に与える影響を解析するため,妊娠 マウスに高n-6/低n-3飼料を与え,胎生14日目における 仔マウスの大脳新皮質原基を解析した2).まずガスクロマ トグラフィー法により胎仔脳における脂肪酸組成を評価し たところ,高n-6/低n-3飼料を摂取した妊娠マウスの胎 仔の脳においてARAが増加し,一方でDHAは減少してい た.これにより,妊娠マウスが摂取したPUFAは胎盤を介 東北大学大学院医学系研究科発生発達神経科学分野(〒980‒ 8575 宮城県仙台市青葉区星陵町2‒1)
The effect of polyunsaturated fatty acids on neocortical develop-ment
Nobuyuki Sakayori and Noriko Osumi (Department of
Develop-mental Neuroscience, Center for Neuroscience, United Centers for Advanced Research and Translational Medicine, Tohoku University School of Medicine, 2‒1 Seiryo-machi, Aoba-ku, Sendai, Miya-gi 980‒8575)
DOI: 10.14952/SEIKAGAKU.2017.890269 © 2017 公益社団法人日本生化学会
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270 生化学 第 89 巻第 2 号(2017) して仔マウスの脳に取り込まれていることが確認された. 続いて胎仔脳における組織解析を行ったところ,高n-6/ 低n-3飼料を摂取した妊娠マウスの仔では大脳新皮質の厚 さが減少していた(図1A).このとき,神経幹細胞の数に 有意差は認められず,ニューロンの数が選択的に減少して いた.また,生後10日目の新生仔マウスの大脳新皮質に おいてもARAの増加,DHAの減少,およびニューロン数 の減少が確認された.以上の解析から,妊娠マウスにおけ る高n-6/低n-3飼料摂取は仔の脳においてニューロン産 生を阻害することが明らかになった. 続いて,上述した組織学的異常を引き起こした神経生物 学的機序を明らかにするため,ニューロスフェア法9)とい う神経幹細胞の選択的培養法を用い,マウス胎仔脳から神 経幹細胞を培養して分化能を解析した.高n-6/低n-3飼 料を摂取した妊娠マウスの仔の神経幹細胞はニューロンへ の分化能が低下しており,一方でアストロサイトへの分化 能は亢進していた(図1B).また,胎仔脳組織においても アストロサイト数の増加が確認された.神経幹細胞は発生 の進行に伴いニューロン産生からアストロサイト産生へ 分化運命を変化させる10)ため,高n-6/低n-3飼料摂取に よって神経幹細胞のニューロン・アストロサイト分化運命 転換が早期に起こってしまい,大脳新皮質のニューロン数 の減少につながったと示唆された(図1C). さらに,どのようにして飼料中のPUFAが神経幹細胞の 分化運命転換に作用したかを明らかにするため,我々は PUFAの代謝物に着目した.これまでいくつかのPUFA代 謝物の神経幹細胞における役割は解析されてきたが11),胎 仔脳においてどのような種類の代謝物がどの程度存在する かは明らかでなかった.そこで,質量分析技術を用いて PUFAの代謝物を網羅的に定量するMediator Lipidomics解 析を導入し,PUFA代謝物の全体像を捉えることから着手 した.さまざまなPUFA代謝物が胎仔脳に存在することが わかったが,特にエポキシ代謝物と呼ばれるシトクロム P450によるPUFA酸化物が胎仔脳に大量に存在することが わかった.さらにエポキシ代謝物の量は妊娠マウスにお ける高n-6/低n-3飼料摂取によって大きく変動した.高 n-6/低n-3飼料を摂取した妊娠マウスの仔の脳において, ARAのエポキシ代謝物であるエポキシエイコサトリエン 酸(EET)は増加しており,DHAのエポキシ代謝物であ るエポキシドコサペンタエン酸(EpDPE)は減少してい た.野生型マウス由来の培養した神経幹細胞にこれらのエ ポキシ代謝物を添加すると,EETは神経幹細胞の分化運命 をアストロサイトへ転換させ,EpDPEは神経幹細胞の分 化運命をニューロンに保つことがわかった(図2).これ により,神経幹細胞の分化運命はEETとEpDPEによって 拮抗的に調節されており,高n-6/低n-3飼料摂取によっ て増加したEET,および減少したEpDPEによってアスト ロサイト産生へ分化運命転換が促進されたと考えられる. 以上から,妊娠マウスにおける高n-6/低n-3飼料摂取 によって,胎仔脳中のARAの増加およびDHAの減少が起 こり,これらのPUFAに由来するエポキシ代謝物の量のバ ランスが乱れ,神経幹細胞の分化能がニューロン産生から 図1 妊娠マウスにおける高n-6/低n-3飼料摂取に伴う仔の大脳新皮質形成の障害 (A)高n-6/低n-3飼料摂取群において大脳皮質原基の全細胞層(DAPI)およびニューロン層(β3-tubulin)の厚 さが減少している.一方,神経幹細胞層(Pax6)の厚さには差が認められない.スケールバーは100 µmを示す. Sakayori, N. et al., Stem Cells, 20162)
より引用改変.(B)高n-6/低n-3飼料摂取群の神経幹細胞はニューロン(β3-tu-bulin陽性細胞)への分化率の低下とアストロサイト(GFAP陽性細胞)への分化率の増加が起こる.Sakayori, N. et
al., Stem Cells, 20162)より引用改変.(C)高n-6/低n-3飼料摂取に伴う大脳新皮質形成障害のメカニズムに関する仮
説.神経幹細胞は神経発生の初期にはニューロンへ分化し,発生が進むとアストロサイトへ分化するようになる. 通常,およそ胎生14日目からこの分化運命転換が始まるが,高n-6/低n-3群においては分化運命転換が早期に始 まり,結果としてニューロン数の減少とアストロサイト数の増加に至ったと考えられる.
271 生化学 第 89 巻第 2 号(2017) アストロサイト産生へ偏り,大脳新皮質の形成が妨げられ た可能性が示された. 4. 高n-6/低n-3食が情動の発達に及ぼす影響 胎生期におけるPUFAの高n-6/低n-3状態と,それに伴 う仔マウスの脳形成異常は,仔の将来の脳機能に影響を及 ぼすのだろうか.先述のとおり,食の高n-6/低n-3化と 不安障害の発症リスクの増加には関連が報告されている が7),近年,PUFA摂取の高n-6/低n-3状態と不安行動の 増加とをつなぐ脳領域として大脳新皮質が着目されてい る12).そこで,大脳新皮質のニューロン産生が完了して いる生後10日目以降,高n-6/低n-3飼料を与えていたマ ウスにも標準飼料を投与し,仔が成体になった後に不安行 動を解析した2, 3).胎生期に高n-6/低n-3飼料を投与され ていた仔マウスは,脳の脂肪酸組成中のARAおよびDHA を対照群と有意差が認められなくなるまでそれぞれ減少お よび増加したにも関わらず,オープンフィールドテスト*1 ならびに高架式十字迷路テスト*2により高い不安を示し た(図3).生後の早い時期から成体に至るまでの長期間 にわたって標準飼料を摂取したにも関わらず,仔マウスが このような情動異常を示したことは,母親の高n-6/低n-3 飼料摂取によって仔の情動に関わる脳領域の形成が不可逆 的に阻害された可能性を示している. 5. おわりに 本研究では,世界中で進行する食の高n-6/低n-3化と いう食事様式の変化に着目し,仔マウスの脳形成および 情動形成に対する影響を解析した.近年,さまざまな疾患 の発症リスクが発生期における環境要因(特に栄養因子) によって決定されるというDevelopmental Origins of Health and Disease(DOHaD)仮説13)が着目されている.我々の 研究は,妊娠期の母親におけるバランスのとれたPUFA摂 取が子の健康に重要である可能性を示すものであり,この ことは,食の高n-6/低n-3化に伴う不安障害がDOHaD仮 説に適合することを示唆し,不安障害の病態生理の新たな 側面を脳形成に着目することにより明らかにした. わが国においてはn-3 PUFAを豊富に含む魚の摂取が多 図2 エポキシ代謝物は神経幹細胞の分化運命転換を制御する n-6 PUFA代謝物であるEETは神経幹細胞のアストロサイト 産生を亢進し,ニューロン産生を抑制する.一方,n-3 PUFA 代謝物であるEpDPEは神経幹細胞のニューロン産生を亢進 す る. ス ケ ー ル バ ー は40 µmを 示 す.Sakayori, N. et al., Stem
Cells, 20162)より引用改変.
図3 妊娠マウスにおける高n-6/低n-3飼料摂取に伴う仔の不
安行動の増加
オープンフィールドテスト(Open field test)および高架式十字 迷路テスト(Elevated plus maze test)において仔の不安行動が 増加する.Sakayori, N. et al., Stem Cells, 20162)より引用改変.
*1オープンフィールドテスト:新奇環境(オープンフィール ド)の中にマウスを入れ,一定時間自由に探索させる試験.マ ウスは壁際を好むため,オープンフィールドの中心領域におけ る滞在時間や侵入回数を測定することで不安様行動を評価でき る.不安の高いマウスでは中心領域における滞在時間や侵入回 数が減少することが知られている. *2高架式十字迷路テスト:壁のない通路(オープンアーム)と 壁のある通路(クローズドアーム)を十字形に組み合わせ,高 所に配置し,マウスに一定時間自由探索させる試験.マウスは 壁際を好み,高所を嫌うため,オープンアームおよびクローズ ドアームにおける滞在時間を測定することで不安様行動を評価 できる.不安の高いマウスではオープンアームにおける滞在時 間の減少,クローズドアームにおける滞在時間の増加が起こる ことが知られている.
272 生化学 第 89 巻第 2 号(2017) く,またn-6 PUFAの含有量を減らした紅花油(ハイオレ イック油)が広く流通していることもあり,2013年の大 塚らの報告から,少なくとも40代以上の日本人において PUFAの高n-6/低n-3状態はみられていない14).しかし, 若年層における食生活の変化は著しく,近年では欧米型の 食事の増加と魚離れが進んでおり15),今後は日本におい ても食の高n-6/低n-3化が進行する可能性が懸念されて いる.本研究が端緒となり,「You are what you eat」ならぬ 「You are what your mother ate」という理解が広まり,特に 妊娠期における健康的な食生活の重要性があらためて認知 されることを期待する. 謝辞 本研究は科学研究費補助金(#12J08042および#21300115), 公益財団法人三島海雲記念財団,および公益財団法人旭硝 子財団によるご支援を賜り遂行されました.この場を借り て厚く御礼申し上げます. 文 献
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13) Hales, C.N. & Barker, D.J. (1992) Diabetologia, 35, 595‒601. 14) Otsuka, R., Kato, Y., Imai, T., Ando, F., & Shimokata, H. (2013)
Lipids, 48, 719‒727. 15) 厚生労働省(2007)国民健康・栄養調査報告(平成19年). 著者寸描 ●酒寄 信幸(さかより のぶゆき) 福島県立医科大学特任助教(医学部). 博士(医学). ■略歴 2009年東北大学理学部生物学科 卒業.11年同大学院医学系研究科医科学 専攻修士課程修了.12年日本学術振興会 特別研究員DC1. 14年東北大学大学院医 学系研究科医科学専攻博士課程修了.同 年日本学術振興会特別研究員PD. 15年よ り現職. ■研究テーマと抱負 脳における脂質の役割の解明. ■ウェブサイト http://www.fmu.ac.jp/home/molgenet/ ■趣味 野球観戦. ●大隅 典子(おおすみ のりこ) 東北大学教授(医学部).博士(歯学). ■略歴 東京医科歯科大学歯学部卒,歯 学博士.同大学歯学部助手,国立精神・ 神経センター神経研究所室長を経て, 1998年より東北大学大学院医学系研究科 教授.2006年より東北大学総長特別補 佐,08年に東北大学ディスティングイッ シュトプロフェッサーの称号授与.15年 より医学系研究科附属創生応用医学研究 センター長を拝命.04∼08年度CREST「ニューロン新生の分 子基盤と精神機能への影響の解明」研究代表を,07∼11年度東 北大学脳科学グローバルCOE拠点リーダーを務める.「ナイス ステップな研究者2006」に選定.第20∼22期日本学術会議第 二部会員,第23期同連携会員. ■研究テーマと抱負 脳構築および機能における次世代継承エ ピゲノム現象の理解. ■ウェブサイト http://www.dev-neurobio.med.tohoku.ac.jp ■趣味 ブログ執筆(仙台通信 http://nosumi.exblog.jp/).