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看護者が不妊症患者と関わる中で感じる困難や葛藤

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Academic year: 2021

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原  著

日本助産学会誌 J. Jpn. Acad. Midwif., 20(1), 69-78, 2006

東邦大学医学部看護学科(School of Nursing, Faculty of Medicine, Toho University)

2005年11月10日受付 2006年4月10日採用

看護者が不妊症患者と関わる中で感じる困難や葛藤

Investigation into difficulties and dilemmas faced

by nurses caring for infertility patients

渡 邊 知佳子(Chikako WATANABE)

* 抄  録 目 的  本研究の目的は,看護者が不妊症患者の看護を実践する中でどのような困難や葛藤を感じているのか, その具体的な事象を明らかにすることである。 対象と方法  研究デザインは質的記述的研究であり,対象者は生殖補助医療を実施している施設に勤務する12名 の看護者である。半構成的面接法により,対象者に不妊症患者の看護を実践する中で感じている困難や 葛藤と,その時の思いを語ってもらった。データから具体的な困難・葛藤事象は何かを視点として分析 し,類似する内容をまとめカテゴリー化した。 結 果  困難や葛藤は3つに大別された。(1)「不妊症患者の特性を理解したケアが実践できない」では,看護 者は壁を作っている患者との対人関係の構築や,患者の悩みに返答できないことに困難を感じていた。 (2)「期待に反する治療結果場面でアプローチができない」では,看護者は患者の体験に巻き込まれ,悲 しみや無力感を感じ,さらに患者から逃げている状況がみられた。(3)「治療の選択に踏み込むことがで きない」では,看護者には患者の自己決定権を侵害できない,医師の治療方針に口は挟めないという認 識があり,治療の選択に関してほとんど介入できていなかった。 結 論  困難・葛藤事象は,看護者が患者をステレオタイプで捉え,患者­看護者間で援助的な関係が築かれ ていないことに起因していた。看護者は個々の患者に関心を向け患者をありのまま受けとめること,そ れにより両者の間で自己の思いを表現できる関係を築くことが重要と考えられた。 キーワード:不妊症,看護者,援助的関係,困難,葛藤 Abstract Purpose

The aim of the study was to identify the specific difficulties and dilemmas faced by nurses caring for infertility patients.

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ductive Technology (ART). Using a semi-structured interview, the subjects were asked to give their comments on the difficulties faced when caring for infertility patients and their thoughts on such occasions. Transcripts of the interviews were analyzed and similar results grouped based on specific difficulties.

Results

Difficulties experienced can be broadly divided into three categories. The first difficulty cited by nurses inter-viewed was inability to provide care taking into account the particular characteristics of infertility patients. Subjects indicated that they had difficulty forming relationships with patients that had built a wall around themselves and with answering patient concerns. The second difficulty encountered by subjects was their inability to approach patients when treatment results had turned out contrary to patient expectations. Nurses became involved in what patients were experiencing, feeling sad and helpless, and showed a tendency to avoid patients at such times. The final problem faced was nurses' unwillingness to become involved in patient choices regarding treatment options. Nurses stated that they did not want to become involved in helping patients to make their own decisions or provide advice not in line with the physician's treatment policy.

Conclusion

The difficulties and dilemmas faced by nurses were attributed to their stereotypical view of patients and the inadequacy of the supporting relationship between patients and nurses. The study revealed that it is important for nurses to take greater interest in patients and accept them as they are in order to build patient-nurse relationships in which both parties can express their thoughts and wishes freely and openly.

Key Words : infertility, nurses, supporting relationship, difficulties, dilemmas

.研究の背景

 1978年,世界初の体外受精─胚移植(以下IVF-ET) による児が誕生して以来,生殖補助医療(以下ART) は短期間でめざましい発展を遂げている。しかし,現 実にARTによる妊娠率は決して高いとは言えず,新 鮮胚を用いたIVF-ETの妊娠率は約30%,生児出産率 は約20%でしかない。また,不妊治療を受けた人の6 割が子どもを授からないまま諦めていくとの報告もあ る(柘植, 2002)。それでもARTを受ける患者は増加し 続け,今日,我が国では年間約10万周期のIVF-ET(顕 微授精を含む)が実施されている(日本産科婦人科学 会, 2005)。  ARTを選択することによって,不妊症患者は多大 な負担を強いられることになる。特に,不妊症患者が 抱える心理的な問題は深刻化を呈している。患者は, 積極的な治療を希望している一方で妊娠に対する悲 観的な見通しや焦燥感を抱き(森他, 1994),周囲のプ レッシャーを感じてストレスフルな状態にある。少子 化の進行に伴い,跡取りを切望する親族からの催促は 未だ厳しいとの指摘もある(大日向, 1998)。新たな治 療法が次々と開発されることにより,中途で子どもを 山他, 1998)。さらに,不妊症患者には頼るべき理解 者やサポートが少なく孤立している状況にあり,多く の患者が治療に関する情報提供や悩みの相談を医療施 設の中に求めていることが明らかとなっている(石川 他, 1997;伊東他, 2001)。しかし,現状において,不 妊症患者のニーズに応える看護が提供できているとは 言い難い。2002年10月より不妊看護の認定看護師研修 が始められてはいるものの,登録者数は未だ少なく, 欧米の不妊看護に比べ立ち遅れているからである。ま た,不妊看護に関する研究は少なく,その実状はほと んど明らかにされていない。看護者が不妊症患者と関 わる中でジレンマを抱えていることは報告されている (Sandelowski, 1994)が,具体的にどのような困難やジ レンマを体験しているのか不明瞭である。そこで本研 究は,看護者が不妊症患者の看護を実践する中でどの ような困難や葛藤を感じているのか,その具体的な事 象を明らかにすることを目的とした。

.研 究 方 法

1.研究デザイン  本研究は質的記述的研究デザインを用いた。

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看護者が不妊症患者と関わる中で感じる困難や葛藤 て1年以上が経過している看護者(助産師・看護師・ 准看護師)で,研究に同意の得られた12名である。対 象者は全て医師や看護師を通じて紹介してもらい,個 別に研究を依頼した。 3.データの収集期間と方法  データの収集期間は2002年6月から10月である。デー タは半構成的面接法により対象者に,不妊症患者の看 護を実践する中で困難や葛藤を感じたことがあるか, それは具体的にどのような事象だったのか,その時ど のような思いや考えが存在したのか,について語って もらった。面接内容は対象者の承諾を得て録音し,逐 語録を作成した。 4.データの分析方法  データの分析は質的分析方法に基づいて行った。す なわち,①逐語録から看護者が困難や葛藤を感じた事 象に関する文脈を取り出し,②意味内容を損なわない ように困難や葛藤を示す場面として再構成した。③そ れぞれの場面を具体的な困難・葛藤事象は何かという 視点で分析し,④内容の類似性や異質性に基づき類型 化した。  分析の全過程において,質的研究の専門家から定期 的なスーパービジョンを受け,信頼性の確保に努めた。 また,再構成した場面とその意味を対象者に郵送し, 確認してもらった。 5.倫理的配慮  対象者には本研究の目的や方法を文書及び口頭で説 明し,承諾を得た。研究への協力は自由意思であり途 中でも辞退が可能なこと,得られたデータは個人及び 施設が特定されないように配慮し,本研究の目的以外 に使用しないことを伝えた。 6.用語の定義  本研究では次のように用語を定義した。「困難」は看 護者が不妊症患者の看護を実践していく中で難しい, または苦しいと感じていることとし,「葛藤」は看護者 の心の中に複数の思いや考えが存在し,その選択にお いて迷い悩むこととした。

.結   果

1.対象者の背景および面接実施状況  研究対象者は助産師4名,看護師6名,准看護師2名 で,平均年齢は39.7歳(SD=8.58)であった。平均臨 床経験年数は16.8年(SD=7.68),不妊症患者と接す るようになってからの平均年数は4.3年(SD=2.52)で あった(表1)。対象者の平均面接回数は2.4回で,1回 の平均面接時間は41.4分であった。 表1 研究対象者の背景 年齢 施設/勤務部署 取得免許 臨床経験年数 接している年数 婚姻の有無 子どもの有無不妊症患者と A 47 総合病院/外来 看護師 26年 3年 未婚 有 B 32 総合病院/病棟 助産師 10年 10年 既婚 無 C 51 産婦人科・小児科病院/外来 看護師 26年 3年 既婚 有 D 43 産婦人科・小児科病院/外来 准看護師 21年 4年 未婚 無 E 31 不妊専門診療所/外来 看護師 11年 3年 既婚 有 F 34 大学病院/外来 看護師 10年 3年 既婚 有 G 34 大学病院/外来 看護師 13年 3年 未婚 無 H 36 大学病院/病棟 助産師 14年 9年 未婚 無 I 58 総合病院/外来 助産師 34年 4年 既婚 有 J 33 総合病院/病棟 助産師 10年 5年 未婚 無 K 45 婦人科診療所/外来 准看護師 14年 1年 既婚 有 L 32 婦人科診療所/外来 看護師 12年 3年 既婚 有

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いる困難や葛藤は3つに大別され,さらにそれらは計 12に類型化された。ここでは代表場面を挙げ,その 意味内容について詳しく述べる。 1)不妊症患者の特性を理解したケアが実践できない (1)鎧をかぶっている患者に入っていく隙間が無い 「自分だけが此処(不妊外来)に通って来ているんじゃ ないか」って話される人もいて……。そういう緊張 感をもっているからなのか,むっつりされているん ですね。壁を作っているっていうか鎧をかぶってい るような感じで,入っていく隙間が無い。毎日接し ているのに硬い表情のまま変わらなくて,何度話し 掛けても打ち解けないような方だと,やっぱり近寄 り難くなりますし,それに何を話したら良いのか分 からなくなってきます。(C-5)  看護者は患者の孤立感を掴みながらも,その壁を打 破する有効なアプローチが分からず,変化しない患者 を前に近寄り難くなっている。そのため,患者との関 係はますます構築し難い状況にある。  仕事をしている人はどうしても通院が難しいんで すね。「この時期に検査をしたい」と話しても,「その 日は仕事で来れません」って頑として言われてしま う。「そうするとこちらで提供できることもここまで なんですよ」と言うと,プッとすねてしまう。いつも 堂堂巡りになってしまうんです。そのうえ,「子ども がほしいのに解ってくれない」と泣き出したり,「だっ て,しょうがないじゃないですか」と吐き捨てるよう に言われたりするので,やりにくいです。(L-5)  通院が難しい患者を前に,看護者はまず治療が計画 通りに進められない弊害を示している。看護者は患者 の思いに目を向けず,患者も看護者に理解されていな いと感じているので,互いに自己主張が続き平行線を たどっている。 (2)患者がどんな言葉に傷つくのか分からない  (不妊看護の)セミナーに参加した時,粉ミルクを 見ただけでも腹が立つ人が居るっていう話があって ……。私は正直そういう人の気持ちが解らないんで すね。独身だし,子どもがほしいって本当に真剣に 考えたことが無いので。それで,何の気なしに言っ 症患者の心理を理解することが難しく,自分の発言に よって患者を傷つけるのではないかと怖れ,それゆえ 腫れ物に触るように患者と接している。 (3)ネガティブな感情が生じて患者を受け入れられない  患者さんはイライラしてきたんでしょうね。こん なに通っているのに何で(妊娠できないのか)って。 「もしかしたら注射を間違えているんじゃないか」っ て,猜疑心が強くなってきたんです。だけど,毎回 毎回,「本当にちゃんといつもの薬ですか」とか言われ ると,疑われているのかなと思ってね。私たちは患 者さんのことを思って一所懸命やっているけど,で も,患者さんは自分のことしか頭にないと思うんで すよね。そう思うと,はっきり言って,もう関わり たくないっていう気持ちになってきます。(I-6)  疑いの言葉を投げかけられ,看護者は患者を受け とめることができなくなった。看護者には役割を遂行 してきた自負があったが,自らの思いは患者に全く伝 わっておらず,逆に患者に対するネガティブな感情が 湧き起っている。  不妊の人は,いきなり「先生を呼んでください」な んですね。「どうされましたか」って聞いても,「看護 婦さんに言ってもしょうがないから」って,理由も 何も言わない。必要だったら「いてほしい」ってはっ きり言う人たちだから,多分看護婦はいらない存在 なんでしょうね。「あなたは先生を呼びなさい」って いう,それぐらいにしか思っていない。(看護婦は)全 く当てにされてないって感じるし,関わっていくの が難しいなあって思います。それに,だんだん患者 さんに対して敵意というか,否定的な感情も生まれ てきますね。(H-2)  看護者は,患者が自らを医師との連絡役としか捉え ていなかった事実に直面し,自分は「いらない存在」 とまで表現している。看護者は,患者から一方的に拒 否されていることを受けとめられず,患者に「敵意」 を感じるほど傷ついている。 (4)患者の悩みに適確な答えが返せない  先生から「この日にチャンスをとるように」って言 われても,(性交)できなかったと言う人が結構多いん ですね。ご夫婦とも辛いだろうな,凄い気の毒だな

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看護者が不妊症患者と関わる中で感じる困難や葛藤 です。それに,自分はまだ結婚や出産を経験してい るわけではないので,適確な答えを返すことができ ないんですよ。だから,そういう難しいことに入り 込みたくないっていう気持ちもありますね。(G-6)  看護者は患者の気持ちを辛いだろうと慮ってはいる が,それは夫婦の問題であると捉え,適確な答えが返 せない問題には入り込みたくないと思っている。結婚 や出産を経験していない看護者にとって,この問題は 未知の世界であるため自信がもてず,ゆえに自ら介入 することを避けている状況にある。 2)期待に反する治療結果場面でアプローチができない (1)何をしてあげれば良いのか分からない  例えば妊娠できなかった時,「また生理がきちゃっ た」と明るく言ってくる人も居れば,全く言葉も発せ ず無言で帰っちゃう人も居るんですね。患者さんの 反応の仕方って本当にいろいろなんです。妊娠できな かったとか検査結果が悪かったとか…,何かフォロー が必要だって,分かってはいるんです。だけど,じゃ あ今この人に何をしてあげれば良いのかっていうのが 分からなくて,毎回困っているんです。(L-4)  看護者は,妊娠できなかった時に見せる患者の反応 が多様なことに戸惑いを感じている。そのため,患者 に何かフォローが必要だと分かっているのに,どのよ うに接したら良いのか分からず,結局,何の手も差し 伸べられずにいる。 (2)患者の悲嘆にシンクロし,声の掛けようが無い  採卵できなかったとか着床しなかった時には,励 ましの言葉なんて絶対に出てこなくて,それこそ声 の掛けようが無い……。駄目だったのかって,何か さみしくなりますね。女同士で気持ちが解るだけに, シンクロしちゃうようなところがあるんです。それ に,せっかく妊娠できても流れちゃうケースが結構 多くて……,もうほんとそれが一番つらいですね。 「次,頑張ろうね」とは絶対に言えないし,「残念だっ たね」っていうのも言いにくい……。本当は,もう黙っ て手でも握って一緒に泣きたいような……,そんな 感じです。(F-7)  患者の気持ちとシンクロしている看護者は,患者へ の励ましの言葉も慰めの言葉も見つからず,ただ一緒 に泣いて悲しみを分かち合いたいと思うほど苦痛を感 じている。看護者という枠を越え,一人の人間として 患者の体験に巻き込まれている様子がうかがえる。 (3)患者の期待に応えられず無力感が生じる  体外受精とかが上手くいかなかった時,一応「休ん でいかれますか」と声を掛けてるんですけど,涙ぐみ ながら「いいえ,大丈夫です」と言って,何も話さず 帰られてしまう方もいらっしゃるんですね。私は何 の役にも立てなかったのかなと思って,非常に申し 訳ない気がするんです。まぁ,話を聴く位しかお手 伝いすることができないんですけど……。(患者が)心 を開いてくれないってわけじゃないんでしょうけど, 何も患者さんにしてあげられない,何か自分の力が 足りなかったという……,そういう思いがあります ね。(D-1)  患者が看護者の申し出を断り無言で帰宅したことは, 根底に治療を成功させることができなかった医療者に 対する無言の訴えがあり,看護者はそのことを敏感に 察知している。治療を成功させることも話を聴くこと もできず,看護者の中では無力感や申し訳なさが広 がっている。 (4)患者の苦悩に直面することから逃げている  先生からはっきり,「もう,これ以上の治療は無理」 と言われた方が居たんです。その時,どういう風に 受け取られたのか確認しようと思ったんですけど, 何も言って来なかったし……,声が掛けられなかっ たんです。何て声を掛けていいのか判らないから。 その時は逃げていたと思うんです。だけど私も生身 ですから,言葉を掛けなきゃいけないって思っても, 何か自分が出ていけないなんて時もあるんですよ。 失格だなと思っているんですけど。(C-6)  患者から何も言ってこなかったことで,看護者は, 患者の悲しみの大きさと精神的援助の難しさが分かり, 患者に直面することができなくなっている。しかし, 看護者は自らの役割を強く自覚していることから,逃 げている自分を「失格」と捉え,そこでもまた無力感 を感じている。 3)治療の選択に踏み込むことができない (1)医師の治療方針には口を挟めない  AIHばかり何十回もやっている人が居るんですね。 私だったら此処じゃ駄目だと思って,もっと不妊専 門の良い所を探すと思うんですけど。でも,それは やっぱり聞けないですよ。医者の治療方針に口を挟 むことになってしまいますから。だから,「他の病院 とか聞いたことありませんか」とチラッと言ってみた りするんですけど,そうすると「私,この病院が好き

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もできなくてもいいんだ,だからダラダラ通ってき ているんだって……。そういう人には,もうそれ以 上言うことは無いですよね。(I-5)  看護者は,長年同じ治療を繰り返す患者に対して, なぜ別の治療に移行しないのか,疑問に感じている。 しかし,その疑問を投げかけることは医師の治療方針 に口を挟むことであり,看護者は患者へ遠まわしの質 問しかできない。そして,患者の返答に妊娠への切実 な思いが見えなかったことで,看護者は「本人がそれ で良ければしょうがない」と自分自身を納得させてい る。 (2)患者の希望を叶えたい一方で,勧めることを躊躇 する  40歳を超えられた方たちには,治療を勧めるの を躊躇しちゃう部分がありますね。実際,妊娠する 可能性は非常に低いですし,これから先,本当に厳 しい闘いになるよというところがあるのでね。ダウ ン症や流産の危険性も高くなる。患者さんも年老い ていくわけだから,人生を考えていくとどうなのか な,希望されているからといって治療させてもいい のかなという葛藤が凄くあるんです。だけど,「治療 をやめようよ」とも「やりましょうよ」とも言えない わけじゃないですか。患者さんは言われたほうが凄 く楽だと思うんですよ。でも自分は,やはりそうい うことは患者さんに決めてもらいたいと思いますね。 (E-2)  妊娠の可能性が低い高齢な患者を前に,看護者は患 者の希望を叶えたいと思う反面,希望しているからと いって治療をさせて良いのだろうかという葛藤を抱い ている。しかし,このような葛藤を持ちながらも,看 護者は自らの思いを封印し,全てを患者の自己決定に 委ねたいと考えている。 (3)限界を感じても,私たちがゴールを決定すること はできない  長く治療をしていて多分もう限界だなと思ってい ても,やっぱり希望をもっている人に「限界ですね」 とは言えません。本人が「やめます」と口に出さない 限り,私たちの方からゴールを決定することはでき ないと思います。それに学会で貴重な一例っていう 療者が治療の終結を決めることはできないと捉えてい る。その背景にはリスクを負いながらも妊娠できた貴 重な一例が印象深く残っている。妊娠の可能性は僅か であっても,絶対に妊娠できないと言い切れない以上, 患者の決断を尊重するしかないと考えている。 (4)踏み切れない患者と言わない医師の間で,板ばさ みにあう  よそで長く治療してきた患者さんから「説明があっ たならもっと早く決断していた。治療してきた年月 を後悔します」と言われたので,私は医療者側の責任 を凄く感じているんですね。だから,データを示し ながら「これは凄く厳しいってことを意味している。 限界について検討してください」って言っています。 でも,患者さんは「先生に言われたら考えます」って, 現状を認識しないんですよ。だから(医師に)「そろそ ろ背中を押したら……」と促してみるんですけど,「俺 が言うのか…」と,結局は逃げてしまっているんです。 患者さんは先生の言葉を待っていて,それを踏ん切 りにしようとしているんじゃないかって思う。まだ, 妊娠が期待できるならいいですよ。でも無いと分かっ ているんだったら,早く切り替えてあげないと…っ て思うんです。(A-4)  看護者は医療者の説明責任を感じ,妊娠の可能性や 限界を患者に伝えていたが,患者は医師の言葉でない と現状を認識しなかった。看護者は,長く治療してい る患者と決断できない医師の間で,どうにもならない 苦痛を感じている。

.考   察

 本研究の結果から,看護者は不妊症患者の理解が深 まらず,さらに患者が抱える悩みや不安を受けとめる ことができないと,患者との間に距離を置いていた。 一方,期待に反した治療結果場面では,看護者自身が 患者の体験に巻き込まれ,患者と同様の悲しみを感じ たり,期待に応えられなかったと無力感を感じている 状況も見られた。これらのことから,看護者と患者と の間には援助的な関係が築かれていないことが明らか となった。また看護者は,治療の選択に関して,患者

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看護者が不妊症患者と関わる中で感じる困難や葛藤 を促すという役割はほとんど果たせていなかった。  そこで,ここでは不妊治療における援助的関係の必 要性と,不妊治療の選択における看護者の役割の2つ について考察を深めたい。 1.援助的な関係の必要性 1)患者をありのまま受けとめる  看護者は,不妊症患者が「粉ミルクを見ただけでも 腹が立つ」という話を聞き,自らの不用意な発言を警 戒し,積極的に患者へアプローチできなくなっていた。 看護者は患者を 不妊症患者 というステレオタイプ で捉える傾向があり,患者の個別性にはあまり目が向 けられていなかった。さらに,患者の言動など表面的 なところばかりに着目し,なぜそのような言動をする のか,根底にどのような思いがあるのか,ほとんど疑 問に感じてはいなかった。  例えば,看護者は,指示した検査日に「仕事で来ら れない」と言う患者に,「そうするとこちらで提供でき るのもここまで」と伝えていた。看護者は来院できな いという事実ばかりにしか目を向けず,患者の思いに は関心を向けていない。検査を受けられなくて一番歯 痒い思いをしているのは患者のはずなのに,その心情 を受けとめないだけでなく,それでは治療はここまで しかできないと,自分の意に従わせようとする交換条 件のような言葉を返している。もしも看護者が譲歩す る言葉を返していたならば,患者は治療と仕事を両立 する大変さを受けとめてもらえたと感じ,両者の関係 性も深まっていったと考える。  結果には,「本当にいつもの注射薬ですか」と猜疑心 をあらわにされたことで,患者に対するネガティブな 感情が生じ,「もう関わりたくない」という思いに至っ たことが語られていた。また,看護者が何度話しか けても打ち解けない患者に対して,次第に近寄り難く なっていることも語られていた。これらの背景には, 看護者が無意識のうちに,自らの価値基準によって患 者の言動を評価しているところがあるのではないだろ うか。しかし,患者の思いに着目しながらこれらの場 面を再読してみると,また違った姿が垣間見えてくる。 例えば,患者が薬剤や注射の打ち方にこだわるのは何 故だろうと考えてみると,それは不安の表出であり, 誰かに自分の思いを受けとめてほしいというサインと 受け取ることができる。また,なかなか打ち解けない 患者は,それだけ根底に孤立感や緊張感を抱え,周囲 の人たちの無理解や抑圧が強いことも推察できる。  前述したように,不妊症患者は悲観的な見通しや焦 燥感を抱きながら治療に臨み,ストレスフルな状態に あることが指摘されている。このような心理状態にあ る患者をサポートするためには,まずは一人一人の患 者に関心を寄せ,患者の思いに近づくことが必要なの ではないだろうか。Rogers(1965/1967)は,援助的で ある関係は他者をひとりの人間として暖かく受容する ことと述べている。また広瀬(1994)は,クライエン トの思考や行動に対して評価するのではなく,どのよ うな状況であっても無条件に彼を可能性がある一人の 人間として肯定し,受容し,尊重する姿勢が必要と指 摘している。すなわち,患者をありのまま受けとめる ことが援助的関係性の出発点であり,看護者にはこの ような姿勢が求められていると考える。  しかし,看護者が語った内容を見てみると,看護者 が援助的関係の必要性ならびに心理的サポートの重要 性について正しく認識しているのか,疑問を感じる。 看護者は,排卵日に性交できなかった患者に対して, 「自分には適確な答えを出すことができない。だから 難しい問題に入り込みたくない」と語っている。看護 者は悩みや問題を解決できないと感じると,その問題 への介入を避けるだけでなく,患者自身を受けとめる ことからも逃げている状況が見られた。また,期待に 反した治療結果場面で「何をしてあげれば良いのか分 からない」と語っていたことからも言えるだろう。何 も特別な声掛けや関わりは必要ないのである。看護者 は構えることなく,ただ患者に関心を寄せ,患者の思 いに耳を傾けるだけで良いと考える。すなわち,看護 者は心理的サポートの必要性を知識としては知ってい るのかもしれないが,そのサポートによって患者がど れだけ救われるのか,認識していないと思われる。  以上のことにより,患者理解の第一歩として,看護 者は個々の患者に関心を向け,目の前に存在するあり のままの患者を受けとめることが重要と考える。患者 自身,受けとめられたと感じることで,自己の思いや 考えを楽に表現できるようになり,患者─看護者関係 がさらに発展していくと推察する。そして,患者との 間に援助的な関係性が構築されることによって,看護 者が感じていた困難も軽減されていくと考える。 2)患者に巻き込まれる現象を共感的理解に変化させる  患者の期待を裏切る治療結果場面において,看護者 は患者の感情に巻き込まれるという体験をしていた。 看護者は自らの思いを「さみしくなる」,「女同士で気

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イエントの感情と自分の感情とを混同せず, まるで ……のように という,近づきながらも一定の距離感 を失わないことが必要である(宮本, 1998)。しかし, この場面では患者との距離感がほとんど感じられない。 看護者として共感するというよりも,一女性として気 持ちが入り込んでいる様子がうかがえる。さらに,「も う黙って手でも握って一緒に泣きたい感じ」と語って いることから,看護者が患者の悲嘆に巻き込まれ,患 者と同様の苦痛を感じていることが分かる。  また,結果の矛先が看護者自身に向けられ,無力感 を感じている場面も見られた。看護者は「非常に申し 訳ない気がする」と語っているが,この 申し訳ない という思いは,患者自身が妊娠できなかったという事 実を受けとめきれないために,側にいる看護者がそれ を感じ取り,反映によって生じていると考えられる。 さらに看護者は,患者の体験に巻き込まれることで, 看護の必要性を感じながらも声を掛けることができず, 役割を遂行できない自分を「失格」と捉えている。看 護者が患者に声を掛けられなかったのは,そのことに よって看護者自身が苦痛を体験するからではないだろ うか。それは悲嘆している患者の姿を目の当たりにす ることであり,同時に患者の期待に応えられなかった 無力な自分自身に直面することなのである。  武井(2001)は,共感的に理解するということは直 感的に『感じる』ことと『分ける』こと,すなわち感情 と理性の二つの働きが必要で,どこまでは自分に由来 する感情でどこからが相手に由来する感情か,分けて 考えられることと述べている。つまり,看護者はどこ かで自己の感情に気づいていることが必要となってく る。  看護者が共感することは,患者の悲嘆からの回復過 程を促すことに繋がるだろう。しかし,本研究で語ら れた内容を分析すると,そこには看護者が患者の体験 に巻き込まれていることしか見えてこない。看護者は 患者とどのように向き合えば良いのか分からず,そこ で患者へのアプローチが途切れているのである。だが, ここでアプローチを中断することは,一段と患者の孤 立感を強め,ネガティブな体験だけを残していくと考 えられる。援助的な関係性では,カウンセラーの姿勢 は患者の心理的サポートに繋がり,看護の役割を果た していることになるのかもしれない。しかし,あまり 患者との距離感を保てず,巻き込まれ過ぎることは患 者にとって役に立たない(Rogers, 1965/1967)だけで なく,看護者が抱く無力感や自己不全感の助長に繋が る危険性もある。無力感に繋がるような巻き込まれ体 験ではなく,共感的理解に繋げるためには,看護者が どこかで自らの感情と巻き込まれた感情とを区別して いることが重要になってくる。 2.不妊治療の選択における看護者の役割  看護者は,治療の限界を感じていても,「私たちの 方からゴールを決定することはできない」と語り,ま た高齢な不妊症患者に対して「希望されているからと いって治療させてもいいのかな」という葛藤を抱いて いた。このような結果から,看護者は心の内に様々な 思いを抱きながらも,治療の選択に関して踏み込めて いない様子が明らかとなった。  治療の選択について,看護者の考え方に大きく影響 しているのが以下の2つである。第1は,患者の自己 決定権を侵害してはいけないという認識である。看護 者は,患者自身の問題なので,治療を「しましょう」 とも「やめましょう」とも言えないと捉えている。そ こにはインフォームド・コンセントが存在していない。 看護者は患者の自己決定権を隠れ蓑にして,情報提供 の役割を放棄しているのではないだろうか。また,看 護者の中には生殖という極めて個人的な部分に介入し たくないという思いもあるだろう。我が国では,生殖 医療を取り巻く倫理的な問題や社会的問題について今 までほとんど議論されず,さらにARTの実施に関す る明確な基準も存在していない。多様な考え方が存在 する中で,何を基準にして治療の選択に関われば良い のか,患者の妊娠したいという気持ちを優先すること に問題はないのか,判断しにくい状況に置かれている のではないだろうか。加えて,不妊症の特徴から治療 結果が予測できないことも一因に挙げられる。必ず妊 娠できるという保証がない以上,積極的に,また安易 に治療を勧めることを躊躇するのは当然のことである。 そして,看護者が語っていたように,データ的に可能

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看護者が不妊症患者と関わる中で感じる困難や葛藤  第2は,医師の治療方針に看護者が口を挟んではい けないという認識である。AIHばかり繰り返している 患者に対して,看護者は何故もっと高度な治療に進ま ないのか,疑問に感じていた。しかし,看護者がその 疑問を患者や医師に投げかけることは治療方針に異議 を唱えることであり,トラブルに発展しては困るので 言えないと語っていた。看護者の中では,治療に関し て自分の考えを口にしてはいけないという思いが根強 いと推察されたが,しかし不妊治療に関する多様な考 え方の存在を鑑みると,看護者も自由に意見を述べら れる医療チームの関係性が必要と考える。  また,看護者には患者の自己決定を促す援助が求め られているが,それでは具体的にどのような援助を描 けば良いのだろうか。  良いインフォームド・コンセントの条件は,患者が 疑問を抱いたことを尋ねやすく,その質問に対して理 解しやすい説明が行われ,それによって患者が意思決 定をしていけるかである(柘植, 2002)。すなわち,一 方的に治療の説明をするのではなく,個々の患者の ペースに合わせながら具体的に疑問に答えていくこと が重要であり,そのためには専門的な知識に加え,個々 の患者の治療経過や希望等についても把握しているこ とが必要である。そして最も重要なのは,患者の考え や思いをありのまま受けとめ,両者が何でも思ってい ることを表現できる関係性の存在ではないだろうか。 その関係性をもって初めて,患者にとって何が最も良 い選択なのかを患者と共に検討することができると考 える。  また,柘植(2002)は,不妊治療の場合,その医療 を提供しなければ患者の生命にかかわるというほど緊 急度は高くない。それだけ常に検査や治療をするか否 かという選択肢をインフォームド・チョイスとして提 示できるとも指摘している。つまり, 治療をやめる ことや 治療を休む という選択肢もあり,これらが 全て同じ価値をもって提示されることによって,患者 の真の考えに沿った選択ができると考えられる。  的確な情報を収集し,話し合って治療を選択した患 者は,妊娠・出産に至らなくても,受けた治療に対し て満足しており,また医療者からの説明を受けている 人ほど治療への納得度が高いという報告がある(フィ ンレージの会「新・レポート不妊」編集チーム, 2001)。 援助的な関係性のもとでインフォームド・コンセント が行われることによって,患者は納得して治療を受け ることができる。そして,自己の思いをありのまま受 けとめてもらえるという体験を通して,治療の結果如 何に拘らず,患者は不妊治療の体験を前向きに捉えら れるようになるのではないだろうか。さらに,このよ うな患者の反応こそが看護者の困難や葛藤を軽減させ ることになり,役割に対する満足感に繋がっていくと 考える。 3.研究の限界と今後の課題  本研究は対象者が限られた施設の限られた看護者で あるため,研究結果の一般化には限界がある。今後は 援助を受けている患者がどのように看護を捉えている のか,具体的に求めている援助は何か,明らかにする ことが課題である。 謝 辞  本研究にご協力くださいました看護者の皆様に深く感謝 いたします。そして,研究の全過程を通じてご指導くださ いました日本赤十字看護大学大学院の濱田悦子教授に心よ り感謝申し上げます。  なお本研究は,日本赤十字看護大学大学院看護学研究科 に提出した修士論文の一部に加筆修正したものである。 文 献 フィンレージの会「新・レポート不妊」編集チーム(2001). 不妊の私たちが医療現場に望むこと,ペリネイタルケ ア,新春増刊,260-266. 平山史朗・吉岡千代美・出口美寿恵他(1998).ART に 対する患者の心理調査,日本授精着床学会雑誌, 15, 147-148. 広瀬寛子(1994).看護カウンセリング,10-14,東京:医 学書院. 石川早苗・藤島笑子・佐々木祥子他(1997).体外受精を 受けた患者の看護に対する意識,第28回日本看護学 会論文集母性看護,93-95. 伊東祐子・鈴木ひで・鹿戸佳代子他(2001).不妊カウン セリングの役割と必要性,第32回日本看護学会論文 集母性看護,52-54. 宮本真巳(1998).面接技法から学ぶ,26-42,東京:日本 看護協会出版会.

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Olshansky, E.F. (1988). Responses to High Technology In-fertility Treatment. IMAGE : Journal of Nursing Schol-arship, 20(3), 128-131. 大日向雅美(1998).不妊と母性,ペリネイタルケア,17, 6 人間関係論,3-69,東京:岩崎学術出版社. 武井麻子(2001).感情と看護,86-97,東京:医学書院. 柘植あづみ(2002).生殖医療における医師の論理と患者 の論理,産婦人科の世界, 54(1), 29-36.

参照

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