東南 アジア研究 35巻4号 1998年3月
山地 民 と林 業 政 策
ミャンマー連邦バ ゴー山地 にお けるカ レン人の焼畑 に対 す る 「森林村」制度の影響
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Theimpactofforestpolicyonpeopleisdescribedthroughacasestudyontheeastsideofthe Pegurange.Myanmar.Here,theForestVillagepolicyhasbeenappliedsincethe19thcentury, whentheBritishgovernedBurmaandmanagedtheforests.Itspurposewastosupply,atlow cost, labourforteaktaungyaplantations,andtoregenerateareasaffectedbyshiftingcultivationinre -moteandunder-populatedareas.A so-CalledKarenareawaslenttotheKarenwholivedinthe reservedforests,wherecultivationwasprohibited inprinciple.Theywereallowedtopractice shiftingcultivationbuthadtoworkforthegovernment,especiallyonplantations,wheneverr e-quested.Theimpactofthispolicyontheirlifewasrelativelylow becauseplantationworkwas irregularandtheareafrom whichtheKarenareawasexcludedwassmall.Additionally,unoc
cu-piedlandexistedoutsidetheKarenareaandthemanpowerofthegovernmentwaslimited,so theycouldmigrateaecol-dingtotheircustom iftheyhadanycomplaint.
Thepresentgovernmentstillappliesthispolicy.Consequently,theKarenhavemaintained theirownlife-style,whichisidenticaltothatinthesurroundingBurmesevillages.Theplantation workhasincreasedbutitsimpactisstillsmall.However,increaslngpopulationandrislngde一 mandforlandmightchangethebalancebetweenthegovernmentandpeopleinthefuture.
Ⅰ は じめに
本稿 は, ミャンマ ー連邦 (以下 ミャンマ ー)バ ゴー山地 を事例 に,森林利用 をめ ぐって,蘇 林の管理者 であ る森林局 と,森林 の住民 であ り利用者 で もあるカ レン人の間に どの ような関係 が構築 されたか, またその要 因は何 か を検討す る ものであ る。 なお ここで は過去か ら現在 まで を扱 うが,国名以外 の地名 に関 しては基本的 に1989年以降の名称 を, また国名 は当時使用 され ていた名称 を用 いることとす る。8
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* 筑 波 大学 大 学 院 農学研 究 科 ;DoctoralProgramsinAgriculturalSciences,UniversityofTsukuba, 1-1-1Tennodai.Tsukuba.Ibaragi 305-8572,Japan
-谷 :山地 民 と林 業政策 歴 史的 に見て,特定 の林産物 の商 品化 を契機 に,森林 は王室 や国家の財政 に寄与す る重要 な 資源 の一つ と して注 目され,王朝 や政府 はその管理 に着手 した。その反面,森林 は視 界が利 き に くく支 配層 のい る中央 か ら遠 い とい った物 理的条件 か ら,政治 的影響 力 を及ぼ しに くい地域 で もあ った。 そ こで政府 は林野制度 を通 して,林産物 の生 産 を実現 す るため に住民 の行動 を奨 励す る と同時 に統制 しようと した。, ミャ ンマ ーにおいて も類似 の特徴 を指摘す るこ とがで きる。河川沿岸 な ど近接性 の高 い丘 陵 地や 山地 に分布す る,チ ー クを優 占種 とす る天然林 で は,王朝期 か らすで に木材生 産が行 われ ていた。19世紀 に イギ リスの植民地 とな る と,他 の植民 地 に先駆 けて林野行 政機構 が整備 され た。 この頃か ら森林 を舞 台 に,植民 地政府 ・森林局 と森 林 の住民 の間に対立 や妥協 とい った関 係が形成 されて きた [Bryant1997]。 中で もバ ゴー山地 は, チ - ク材 の主要 産地 の一つで,二 大都市 のヤ ンゴ ンとマ ンダレ一に挟 まれてい るため,政府 の森林経営 の 中核 をな してい る。 と ころが重要 な林業地帯 で あ るに も関 わ らず,現在 もなお カ レン人 に よる焼畑 が行 われてい る。 本来 な ら土地利用 をめ ぐって森林経営 と対立す る焼畑 が なぜ , どの ように存在 してい るので あ ろ うか。 本稿 は こう した関心 か ら, バ ゴー山地 を事例 に森 林局 と焼畑民 の関係 につ いて考察 したい。 まず両者 の接 点 となるバ ゴ-山地 の森林 の特徴 を挙 げ,森林経営が 開始 され る以前 にカ レン人 が行 って いた土地利 用 の概略 を示す 。続 いて植民地期 の林業 とその ため に政府が制定 した林野 制度 の展 開 を概観 し, その特 色 を明 らか にす る。.ここで,森林経営 に焼畑民 を取 り込 む制度 と して森林村制度が成立 された過 程お よびその内容 を検討 し,最後 に森林村制 度の実態 を通 して, 森林 局 とカ レン人の間に形成 されて きた関係 につ いて考 察す るC ここで使用 す る資料 は,主 と して英 国図書館 , ビルマ 国立 図書館(NationalLibrar)7), ア ジ ア経 済研 究所等 で収集 した, 各地 の ガゼ ッテ ィア (BurmaGazetteer。 以下BG),調 査対 象地域 の森 林施 業計 画書 (woykt'ngPlallfoγSouth ToungooForestDl't,ision。 以下W P), 各年 の林 野行 政年次報告書 (progγessReport。以下PR)等 ,英語 お よび ビルマ語 の報告書 や旅行記 であ る。1902 年森 林法 は1944年発行 の TheForestManualに よった。また,1995年 5月お よび11月に二 日間, バ ゴ-県 オ ッ トウ イン郡 の二つ の カ レン人森 林村で簡単 な聞 き取 りを行 ったC ここは,1984年 以前 の林野行 政 区分 で は南 タウ ングー森林 管 区(SouthToungooForestDivision)に属 し,現 在 はオ ツ トウ イン郡 の林業事務 所が管轄す る。 山地 に住 み込 む長期 の村落調査 が許可 され なか っ たため,村 での聞 き取 りは予備調 査 の域 を出ず,調査地 もバ ゴ-山地の乗麓 に限定 されてい る. これ らの不十分 な点 は, 山地 の西側 を含 む村落調査 が可能 となった ときの課題 と したい。
東南 ア ジア研 究 35巻4号
Ⅱ
バゴー山地の自然 と土地利用
1.バ ゴー山地の位置 および 自然条件 ミャンマーは大陸部東南 アジアにあ って タイ, ラオス, 中国, イ ン ド,バ ングラデ シュの5 カ国 と国境 を接す る。国土 は南北 に長 く,標高差があ り,南西 モ ンスー ンの影響 を受 けるため 植生 は多様 である。 図式的 に捉 える と,マ ンダ レ-周辺 の乾燥 した平野 を中心 に, そ こか らほ ぼ同心 円状 に半乾燥 のサバ ンナか ら湿潤 な森林へ と変化 してい く。 また最北端 の5,800mを越 えるカカボ ラジ山 には高山植物が, タイ と接す る最南端 には熱帯雨林が見 られ る。 こう した森 林面積 の4割 は落葉混交林 で,天然チー ク(kyun:Tectonagrandis)が広 い範囲 に生育す る。チー ク材 は植民地化以前 か ら商品 として流通 し,現在 は ミャンマ ーの木材生産の中心 的存在 であ る。チー ク材 は耐久 性 に優 れ加工 しやす い ことか ら,各地で幅広 い用途 に利用 されて きた。 ヨーロ ッパ で は高級家具材, 日本で は合板 の化粧板, アジア諸 国で は家具,道具,床材 な どに 加工 ・消費 され,市場 は安定 している。 図 1は, ミャンマーにお ける現在 の天然 チー クの分布域 とバ ゴー山地 の位置 を示 した もので あ る。 チー クは主 にバ ゴー山地, タイ との国境付近, シャン地方 な どの地域 に見 られる。 また 通 常 は, ビル マ テ ツボ ク(pyinkado:Xyliadolabnformis)や ビル マ カ リ ン(padauk:PterocarPus
macrocarpus)な どの広 葉樹 と混交す る
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年 のチー ク材生 産量 の約4
割 が,バ ゴー山地 か ら 生産 された。 バ ゴー山地 は北緯1
7-21
度 にあ り,マ ンダレ- とヤ ンゴ ンの二大消費地 に挟 まれている。最 大標高 は約800m,東西 の幅 は約80kmで,乾燥度 の高 い北部 で森林密度が低下す る ものの,全 体 として有用樹 を含 む落葉混交林 に覆 われ る。 地形 的には袴 曲によって波状 の起伏 が形成 され ている。 山地 の西側 をイラワジ川が,東側 をシ ッタン川が南北 に流 れ,国道及 び幹線鉄道が植 民地期 にこれ らの河川 とほぼ並行 す るように建設 された。東西 を横 断す る2本 の道路 は独立後 建設 され, オ ッ トウイン郡 とピー郡, ピンマナ郡 とタウ ン ドウインジー郡 を結 ぶ。横 断鉄道 は1
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年 に敷設 され, ピンマナか らタウ ン ドウインジー を経 由 してチ ャウ ッパ ダンに至 る。2.
山地 にお ける焼畑 図2
は,現 地調査 の結果 と地形 図 を基 に1
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年現在 のバ ゴー山地東斜面 における土地利用 を 模式化 した断面図であ る。山頂 か ら平地 まで を地形 的特徴 か ら三区分す ると,急峻 な山地, な だ らか な波状丘陵地,河川氾濫原 となる。 これ らの地形 区分 と土地利用 や民族 にはそれぞれ対応 関係 が認 め られ る。例 えば,山地 は立 木密度が高 く指定林(reservedforest)に区分 されてい るに も関 わ らず,主 と して カ レン人の焼 畑 による陸稲 や野菜栽培 も行 われている。 丘陵地 か ら平地 に移行す るにつれ,公共林野 か ら林 832 -226-谷 :山地民 と林業政策 図1 ミャンマーにおけるチー クの分布 とバ ゴー山地 の位置 (現在 ) 出所 :[Govt.ofMyanmar1994:2] 注 :地名は原則 的に原典 に基づ く 地以外 の地 目に区分 され,立木密度 も低 下 し, ビルマ人 な どに よる水稲 栽培 が行 われ る。 そ こで本稿 で は,森林 において こう した外観 的 な共存 関係 が形成 され るに至 った経緯 を林 野 制度 の展 開 と関連づ けて検討 したい。時期 区分 は林野制 度が整備 された植民地期 を中心 に
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年 までの植民地化以前,1
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年 までの植民地期,1
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年以 降の独 立後 の三期 とす る。 1227 - 833東 南 アジ ア研 究 35巻4号 、、 鴨 一針 二で,-iEニ lTl 字 音 T 覇 竿 義 軍 竃 誓 慧 宥 L lLIL. --- . Tち 一一■` 】 - 1↑ 二一t^7tA , ート】、∼ L'i i_APTTJJH 蛾 畑 作 物 陸相 ワタ ゴマ 盛 付 密 度 市 ビルマ そ の 他 水 田 そ の他 水 和 ラ ッカ セ イ JLb Jg 林 地 (指 定 林 ) (公 共♯ J!) ・ そ の 他 図2 ミャ ンマ ー ・バ ゴー山地東斜面 の断面 図お よび土地利用 (1995年 ) 出所 :[Govt.ofBurma1942;1945] よ り作成
皿
カ レン人の生活様式 -
植民地化以前の焼畑技術 と制度
ここで は主 に Marshallお よび Ferrarsに依拠 して, 山地 カ レン人 の焼 畑 と社 会 を概 観 した い [FerrarsandFerrars1901;Marshall1922]。米作 地 や商業地 であ った平野部 と異 な り, 山地で は土地 で はな く樹 木 の獲得 が植民地政府 の関心 の中心 にあ ったため,植民地化後 も山地 民 の土地制度 や生業形態 は大 き く変 わって いない と考 え られ る。 カ レンの伝承 で は,時期 を特定す るこ とはで きないが,北部 か ら黄河流域 ,雲南 を経 て, タ ンル イン (旧サ ル ウ イン)川 に沿 って シ ャン州 に至 り, さらにカ レンニー州,下 ビルマ各地, タニ ンダー リー (旧 テ ナセ リム )地 方へ とカ レ ン人 は南 下 した [Marshall1922:6-13;飯 島 1971:26-31]。1920年代 に は北 緯10-21度 の広 い地域 に居 住 し,特 に タウ ングー県 (Toungoo district)の 山地 とカ レンニー地方 (Karennisubdivision)に集 中 して いた [Marshall1922:1]。 バ ゴー山地 には主 にス ゴーカ レン(Sg。w Karen)が移住 して きた [loc.cit.] 。1) 山地 カ レン人の焼畑 は「1年耕作す る と10年近 く休 閑 させ る」短期耕作長期休 閑型 の焼畑 で, 「簡易 な道具 を使用 しなが ら陸稲 や野菜 を栽培 す る」粗 放 な技術 に よった。 この ほか 「河川沿 1)当時 カ レン人 は,言語 で は主 と してスゴー とポーの二つ のサ ブグルー プに分 け られ,生活様式 で は 平地 と山地 に類別 された。 しか し言語 と生活様式 の間 には対応 関係 はない。バ ゴー山地 の東斜面 に はス ゴーカ レンが居住 した と考 え られ るが, ここで はこれ に限定 した記述 がで きないため山地 カ レ ン人一般 を取 り上 げた。 834-228-谷 :山地民 と林業政策 いの畑 にバ ナナやキ ンマ を,集落周辺 の水 田 には水稲 を植 え る」 こ ともあ り,変化 に富 む地形 を利 用 して土地利 用 も多様 であ った
。
「栽培 した作物 は主 に 自家用 で基 本 的 には 自給 的 な生 活 であ ったが,余剰 や一部 の作物 を販売 し刀や家畜 を近隣 の町や行商 人な どか ら入手 し」外部 と の交渉 も見 られた 。 しか し王朝 との関係 は,不 明 な点が多い。一部 で は焼畑税 が課 されたが, どの ような仕組 みで どの程度徴収 されたか な どは まだあ ま り明 らか に されてい ない。 この よ うな焼 畑 を持 続 的 に行 うため に は広 い土地 を必 要 と した。 当時 は新規 開墾 の余地 が あ ったため,生 産量 の減少 や社会不和 な どとい った問題 のつ ど, カ レン人の集 落 は移住 ・分裂 を繰 り返 し,新 たに天 然林 を開墾 したC 集落 の領域 は河川や尾根 な どで 区切 られ, その中の どの部分 を焼畑用 に開墾す るか は,一年 の耕 作 開始 時 に村 の長 が 占いで決 め た [Marshall1922:76]。土 地 は無償 で集落 に属 し,誰 も が 開 墾能力 に応 じて好 むだ けの焼畑 をす る こ とが で きた [ibid.:129]。排外 的 な権利 は使 用 中 の焼畑 (`hku,)の ほか,キ ンマ 園(betelgarden),穀物 倉 において認 め られていた [ibid.:130]。2) こ う した社会 で は所得差が小 さ く,平等 な人間関係が形成 され る。 また家族 を最小 の社会単 位 と し,一本 の共通 した廊下 に面 して各世帯 が 間取 りや規模 の似 た部屋 を構 えた ロ ングハ ウス に居住 し,一つ の ロ ングハ ウスが集落 の単位 となっていた[ibid.:56-61]。リ- ダーは人望 に よっ て選 出 され,集落 の運営 に係 わる決定 は公 開の長老 会で調整 された。複数 の集落 に及ぶ広域 あ るい は上位 の政治組織 は発達せず,村 の リー ダーの統制力 は限 られ,情 成員 間の結束 は さほ ど 強 固で はなか った。このため不満が高 じる と容易 に分裂 し,新 たな集落 を形 成 してい った[ibid.: 127-129]。 この ようにカ レン人の社会構造 は状況 の変化 に即応 で きる柔軟性 を有 していた。 そ して一部 は平野部 に移住 して ビルマ 人 と同化 し,一部 は さ らに奥 地-移住 した結果 ,広 い範囲 に居住 す るよ うにな った もの と思 われ る。 で はバ ゴー山地 にお け る森林経営 の開始 に よって彼 らの生活 は どの ような影響 を被 ったのであ ろ うか。 Ⅳバゴー山地 における林業 -
植民地期のチーク材生産技術 と制度
1
. チーク材生産 と林 業政策 の展 開 森 林資源が比較 的豊富 な どルマで は, チ ー クは建築材 や工作材 と して 日常 的 に用 い られて き た。8世紀 には既 に中国や アラビア方面へ仏教建築 や船材 と して利用す るチー クが輸 出 されて 2)タウングー県東部で穀物倉から米 を盗んだビルマ人がカレン人に殺害された例が報告 されている [Marshall1922:27]。利用権に関しては明確な意識があ り,優位 とされるビルマ人にも制裁が加え られた。またビルマ人にも類似の慣習があり,先占取得の原則をダマウ-ジヤ (刀 ・最初 ・振る), 使用 していない土地を後から来た第三者に受け渡すことを トウ-ウイン ・ガ- トウエ (彼 ・入る ・ 我 ・出る)と呼ぶ二 -229- 835東南アジア研究 35巻4号 いた [Morehead1944:19]。 しか しこ う した王朝期 の生産 ・輸 出 は量 的 に限 られ た もので,飛 躍 的 に拡大す るの は植民 地期 以 降であ った。 イギ リス は, まず1824年 の第一次英緬戦争 で,西 のヤ カイ ン (旧 ア ラカ ン)地方 と東 の タニ ンダー リー地方 を獲得 した。続 く1852年 の第二次英緬 戦争 で はバ ゴー地方 を, そ して1885年 の 第三次 英緬戦争 で残 る北部 の上 ビルマ を領有 した。 ビルマ においてチー ク材生 産が増加 したのは,1820年代 に タニ ンダー リー地方 のチ ー ク材 が イ ング ラ ン ドや ス コ ッ トラ ン ドの ナ ラ材 に代 わ る海 軍 の造 船 材 とな った こ とを契 機 とす る [Nisbit1901:427-429]。 当初 は政府 の規制 が緩 く,商社 な どの民 間業 者 は 自由 に伐採 を行 っ ていた。 この結果,1850年代 にはイ ン ドに次 いで タニ ンダー リー地方 のチ ー ク材 の枯渇が報告 され る ようになる[Falconer1852:para.81]。危機感 を抱 いた植 民地政府 は第二次英緬 戦争 後, 林野制度 の整備 に着手 し森林 の国有化 と木材生 産 の統制 を強化 した。 その一貫 と して,1850年 代後半 に政府 はす で にイギ リス領 になっていた下 ビルマで の民 間伐採 を一時 的 に禁 じた。 それ に対抗 して伐採業者 は, その当時 まだ ビルマ王 に属 していた北部 の森林 の伐採権 を王 か ら取得 す るよ うになる。 しか し伐採権 の取得及 び代金 の支払 い をめ ぐる業者 と王朝 の乳蝶 が次 第 に高 じ, これが第三次英緬戦争 の主要 な要 因 とな った [cady1958:116-121]。 この ようにチ ー ク伐採 へ の関心 が政治 問題 に発展 す る まで に高 まった背景 には, チ ー ク材 市 場 の拡 大が あ った。1870年代 には, チー ク材需要 は造船材 か ら鉄道枕 木へ移 り生 産量 も増加 し た。北部が併合 された1885年以 降のチ ー ク材生産 ・輸 出量 は,新 たに市場 開拓 されたその他 の 広葉樹 と並 んで さ らに増加 し続 けた [谷 1994]。
2.
チーク材 の生産体系 チー クは皮 を剥 いで立木 の まま枯 らせ る 「巻枯 ら し」作 業 に よって乾燥 し,水 に浮 く。 この ため,伐採 の2- 3年前 にこの作業 を施 し,斧 や鋸 で伐倒 して象 や水牛 を使 って河川 に引 き落 とす。 それ を筏 に組 み, さらに川下-流 した。 この生産体 系 の各工程 には熟練 した担 い手 が いた。巻枯 ら しや葦切 りな どを行 う地元民 ,伐 採 ・搬 出す る象使 い,流送す る筏乗 りとい った人 々であ る。3)地元住 民 は小 規模 で臨時 的 な作 業 を農 閑期 に実施 し,林 業専従者 で はなか ったがチ ー クの択伐 に不可 欠の存在 で あ った。王 や 3)チーク林業の担い手に関する研究はまだ遅れている。ただ巻枯 らしは森林の中で乾季に行 うため, 焼畑など樹木の扱いと林内の移動に慣れた地元住民が農閑期にしたと考えられる。焼畑は民族を超 えた普遍的な生業形態であるため,カレン人,シャン人などのほか丘陵地のビルマ人も行ったであ ろう。一方,伐採 ・流送は雨季に行われ特殊技能を必要 とするため,象使いや筏乗 りなど農耕民以 外の専業集団が担った。象使いに関 してはカレン州やモーレミヤイン州のカレン人が有名で,野生 象を捕獲 し訓練する技術に長け,林内での生活や移動にも慣れていたため伐採夫 としても活躍 した。 こうした人々は一つの集団を形成 し,象を森林の中で放牧 しなが ら,雨季になると伐採を請け負っ て森林から森林- と渡 り歩いていた。筏乗 りに関 してはル ドゥ ・ウ-フラ [1986]を参照。 836 -230-谷 :山地民 と林業政策 民 間の伐採 業者 は こ う した人々 を使 ってチー ク材 を生産 していた と考 え られ る。 その制度面 に 関 して不 明 な点が多 いが,王が村長 に命 じて伐採 を行 わせ た例 や,民 間の伐採業者 が伐採 して その十分 の- を納 め させ る方法が あ った [Govt.ofBurma1913;大野 1972]。 1850年代半 ばに植 民地政府 は,す で に確立 されていたチー クの伐 出体系 お よび生産組織 を も とに
,
「国有林」と して の経営基盤 を整備すべ く,ドイツ 人植物学者 ブ ラ ンデ イス を雇用 した。4) まず 国有林す なわち林地 を定義 し, その管理 ・経営 を森 林局 に委 ねた。生産 は主 に政府直営 お よび民 間の請負 とい う二形態 で行 い,巻枯 ら しは原則 として全て森林局が行 った。直営 で は, 政府が伐 出労働 者 を雇用 し,チ ー ク材 を政府施設 で競売 した。請負 で は,業者が雇用労働力 で 契約地 の,巻枯 ら しされ たチー クを伐 出 し,生 産量 に応 じた料金 を政府 に支払 って市場 で販売 した [Morehead1944]。 巻枯 らす 本数 は, チー クの年 成長率 の計 算 に基づ いて制 限 され, ブ ラ ンデ イス式 択 伐体 系 (BrandisSelectionSystem)と呼 ばれた。 当時,森林資源が豊富 で あ ったため,択伐後 は人為 的 な作業 をほ とん ど施 さない天然更新 であ った。 しか しその一方 で 「タウ ンヤ」 と称 され る植 林 も開始 され た。 もと もと 「山の畑 」,す なわち焼畑 を も意 味す る タウ ンヤ は,1850年 代 にブ ラ ンデ イスの指導 でバ ゴー山地西側 の カ レン人 の焼畑 にチ ー クを植 林 させ てか ら,造林体系 と し ての名称 として も用 い られ る ようになった。 その後 ,徐 々に体 系化 され,1920年代 にはチ ー ク な どの種子 や苗 木 を列状 に植栽 し,列 間で農作物 を栽培 す る方法 を指す よ うになった。 3.林野制 度 にお ける慣習 の扱 い 1)森林法 に よる林地の定義ビルマ にお け る最初 の森林 関連法規 は1865年 に制定 され た森林 規則(BurmaForestRules)で あ った。 これ は1869年 に森 林 法(BurmaForestAct)にな り, その後1902年 まで改 正 を重 ね た
[Govt.ofBurma1944a]。1902年 に改 正 され た森林法 (以下1902年森林法 )は森林経常 を行 う 林地 を他 の土地 と区分 し,林地 内の焼畑 な ど住民 の慣 習 的な森林利 用 を一部容認す る点 に特徴 が あ る。1902年森林法 は木材生 産 を主眼 に制定 され,主 に指定林 とい う 「面 」 と指定樹種 とい う 「点 」 を管理 の対 象 と した。 本法 は 8章 か ら成 り立 ってい る。前文 以下,第 1章 は定義 ,第 2章 は指定林 に関す る規定 , 第3章 は森林 お よび林 産物 の保 全 に関す る一般 的 な規定 ,第4章 は輸入林 産物 に関す る規制 , 4)ブ ランデ イスは ビルマ, イ ン ド, アメ リカ, イギ リスの林政 ・林業教育 に多大 な影響 を及ぼ した人 物 と して語 られ ることが多い。1824年 ボ ンで生 まれ, コペ ンハ ーゲ ン,ゲ ッチ ンゲ ン,ボ ンの各大 学で植物学 を修学 したのち1849年か ら教壇 に立つ。1856-1862年 までバ ゴー地方 の森林長官 を務 め たのち イン ドへ赴任 した。その後 も数度 にわたって短期 に ビルマ を訪 問 し助言 を続 けた。 -231 - 837
東南 アジア研 究 35巻4号 第5章 は移送 中の林 産物 に関す る規定 ,第 6章 は刑罰 とその手続 き,第 7章 は職員 に関す る規 定,第8章 は補足事項, となってい る。 指定林 に関す る第2章 は26条 か ら成 り,指定林設定 の権 限の所在 ,設定起案 のための手続 き, 設定前 の権利 の調停 ,起 案 の取 り下 げ,設定後 の指定林 内の権 限 ・権利 ・義務 ,指 定 の解 除, が規定 された。 また3- 5章 は合計16条 か ら成 り,個 々の樹 木 を対 象 と して生産方法 を定 めた。指定林 以外 の林 地 の利 用 ,政府 が 直接 管理 す る樹種 の指 定(reservedspecies), それ らの伐 採 ・搬 出 ・販 売 につ いて な ど,具体 的 な方法 に まで立 ち入 ってい るし。 森林 法 で林 地 は
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「イギ リス王家 に処分権 のあ る土地 で,次 の もの を除外 す る :1)その当時 効力 を有 して いた法律 の下 で,恒久 的 な,相続 可能で,処分可能 な使用 ・占有権 の与 え られた 土地,2)イギ リス政府 あ るい はその代理 に よって,策定 あ るい は継承 された,下付(grant)あ るい は貸 与(lease)に よって生 み 出 された あ らゆ る権 利 を有 す る土 地 」 と定義 され た (1条3 項(7))。5)実際 に は権利 が不 明確 な全 て の土地 を表 して お り, 国有林 ・国有地 と同義 で あ っ た。 そ して焼畑 は土地 を継続 的 に利用せ ず所有権 も確 立 していないため,上記 の除外規定 に含 まれず原則 的 に林 地 とされた。 管理 目的の違 い に応 じて林 地 は さらに二分 され た。一つ は周辺住民 の利用 に供 す る ことを 目 的 と した林地 で,これ を公共林野 と し,
「指定林以外 の国有地」と定義 した (1条 3項 (10))06) も う一 つ は主 と して 森 林 局 に よ る用 材 生 産 を 目的 とす る指 定 林 で あ る [Govt.ofBurma 1944b]。 その定義 は 「1)本法18条 あ るいはそれ以前 に効力 のあ ったあ らゆ る条令(enactment) において これ に相 当す る条項(sections)に よって指定林 と画定 された土地,2)1882年7月 1日 以前 に下 ビルマ において効力 のあ った実施法(rules)の条項 の下 で指定林 と宣言 され た土地 で, 1881年森林法 第30条 によって持 ち込 まれ, その当時,本法第29条 あ るい はこれ に相 当す る条令 や実施 法 の下 で も指定が解 除 されてい ない土地 」 であ った (1条 3項(ll))07)5)原文 は 「"landatthedisposaloftheCrown"meanslandinrespectofwhichnopersonhasacquired either- (a)apermanent,heritableandtransferablerightofuseandoccupancyunderanylaw for thetimebeinginforce;or(b)anyrightcreatedbygrantorleasemadeorcontinuedby,oronbehalf of.theBritishGovernment.Jo
6)原文 は"landatthedisposaloftheCrownandnotincludedinareservedforest"。1930年当時,面積 的には公共林野が指定林の約2倍あ り,利用方法については実施法(rules)に規定 された。自家用 薪炭や建築材の採集,放牧などが住居から半径32km以内で認められた。営利 目的の場合,森林局か ら営業資格 (license)を取得する。 7)18条は指定林画定の権限および指定林内の権利 と義務について規定 した条項の一つで,指定林 を画 定するための権限の所在 とその後の林分の法的扱いについて定めた。29条は指定林解除の権限およ び方法について定めた。 838 - 2
32-谷 :山地民 と林 業政 策
2
)指定林 内の住民 に対す る法 の適 用指定林 は法定手続 きに沿 って登記 された。 具体 的 な指定林画定作業 は以下 の手続 きに従 って
進 め られ た。 まず イ ン ド総 督 が住 民 の権 利 を調停 す る た め の森 林 調 停 官(ForestSettlement officer)を任命 し,指定林 の予 定地 を現 地語(thelanguageofthecountry)で公 告 , 3カ月以上 の 申 し立 て期 間 を経 て, 申請 され た権利 の調停 を行 った上 で,境 界が告示 され た。 指定林予定地 内の焼畑,定住 的 な農業,通行 な どの権利 はこの過 程の中で調停 され る ことと な ったG 例 えば定住 的 な農業 を営 む住 民 に対 して は
,
「1)権利放棄 に対 す る補償 ,2)指定林 予 定 地 の変 更 あ るい は指 定 林 内 に除外 地 を設 定 ,3)住 民 の土 地 を 『土 地 取 得 法 (LandAc-quisitionAct)』に則 って私有 を画定す る」のいず れかの方法が用 い られた (2条 13項 (1)
)
。3) 図3 ビルマにお ける指定林 と民族 の分布 (19世紀末 ) 出所 :[Govt.oflndla1822;1899] 注 :名称 は原典 に基づ く - 23 3 - 839東南アジア研究 35巻 4号 の場 合 は指 定林 の 中や隣接 した ところに私 有農地 が形 成 され る こ とになった。 また焼畑 に関 し て は,「1)保存 林境 界 の変更, 2)特 別規定 の下 に指 定林 内で実施 ,3)無償 で の立 ち退 き」 と い う方法 が採 られた (
2粂1
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項 )。 指 定林 の境 界 が決定 す る と,住 民 は調停 時 に認 定 された以外 に は,樹 木 お よび森 林 に損傷 を 与 える と考 え られ る行為 を指 定林 内で行 うこ とを禁止 され た。す なわ ちそ れ らは,「1)人 の通 行,家畜 の通行 ・放 牧,2)あ らゆ る樹 木 や材 の伐倒 ,巻枯 ら し,印付 け,枝打 ち,樹 液採 集 , 火 な どに よる損 壊 ,3)あ らゆ る樹 木 の伐 採 時 あ るい は運搬 時 に, それ らを不 注 意 に傷 つ け る こ と,4)特 定 の森林 局職貞 が随時定 め る季節 や方法 に よる,火 を扱 い,保持 ,持 ち運 び,5) 石材 の切 り出 し,石 灰 や炭 の製 造 , それ以外 のすべ ての加工 業 に関連 す る林 産物 の採 取 , 6) 耕作 な どの ための土 地 開墾 ,7)河川- の毒 の混 入 お よび爆 破 」 であ った (2条26項 )。 実 際 に指 定林 の設定 が進 むの は,全域 が英 領 ビルマ に併 合 され た1
8
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0-1
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3
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年代 にか けてで あ った。 図3は,植 民 地行 政官 が作 成 した二 つ の 図 を基 に, 19世紀 末 の指 定林 お よび民 族 の分 布 を示 した もので あ る。 指定林 はバ ゴー山地 , タイ との国境 , カ クーやバ モ ー な ど中央平野部 周辺 の 山地 に集 中 してい る。 そ れ にチ ー クの分布 を重 ね る と, シ ャ ン地方 を除 いて ほぼ重 複す る。 チ ー クが分 布 す る に も関 わ らず シ ャ ン地 方 に指 定林 が少 ないの は首 長 (Sawbwa)に 自治権 を与 え る間接 統 治 に よる もの と考 え られ る。 結 局 ,指 定林 は良質 のチ ー クが豊 富 に存在 し,経 表1 南タウングー森林管区西部の指定林概況 (1950年代 ) (単位 :ha,%) 所 在 名 称 午 事 項 面 積 カレン領域 面 積 構成比 山 地 カ バ ウ ン 1880 登 録 76,441 22,223 29.1 1897 一 部 解 除 -4,858 1899 再 登 録 4,858 カバウン拡張 1 1934 登 録 追 加 834 ピ ュ ー ク ン 1894 登 録 86,915 38,566 44.4 ビューチャウン 1889 登 録 28,190 9,584 34.0 1894 東 境 界 訂 正 ND その
他 登 録 26,010 カニユ ・クイン 1891 登 録 3,263 平 地 1926 東南角の解除 ND 1936 一 部 解 除 0.1 合 計 218,390 70,374 32.28
4
0
出所 :[Govt.ofBurma1953:Vol.1,para.19,27] 症 :1)エーカーをヘクタールに換算 した 2)構成比は対指定林面積 3)カレン領域は,西岸の 3指定林にのみ存在する 4)その他 とは,ボーダウン,カバ二,パウ トー薪炭材,ミヤヤピンチ ョ一 ・二ヤウンチ-ダウの各指定林 5)カバウン拡張 1には,焼畑用除外地1.2ha (0.1%)を含む -234
-谷 :山地 民 と林 業 政 策 営効率が高 くアクセスの容易 な地域 を中心 に設定 され ることとなった。 調査地の南 タウングー森林管区で も, 1880年代か ら1930年代 にか けて林地境 界区分が確立 し た。表1は指定林 の登録年 とその後の異動 を示 した もので,バ ゴー山地側の シ ッタン川西岸で は東岸 よ り早 く, 1880-1890年代の20年 間に画定 してい る。 また表2は, 1950年代 の地 目別土 地面積 を示 した ものである。 この時 まで に指定林 と公共林野 を合計 した林地面積 は管区全体 の 7割 に及 び,管区の 3割 に相当す る指定林 はシ ソタン川西岸 に集 中 している。 政府 の木材生産 はバ ゴー山地のある西岸 を中心 に行 われていた と考 え られ る。 指定林画定の影響 を直接受 けたの は山地の焼畑民 であ った。先の図3を見 ると, ビルマ人 は 中央乾燥地お よびデル タにかけての一部 にのみ居住 した。 森林地帯で生活 していたのは ビルマ 表2 南 タウ ング ー森 林 管 区 の地 目別 土 地 利 用 (1950年 代 ) (単 位 :ha,%) 地 目 所 在 面 積 構成比 指 定 林 公 共 林 野 耕地ほか そ の 他 合 計 GI lid ・ ・ l 所 -出 注 0 V ・t シ ッ タ ン川 西 岸 221,653 シ ッタ ン川 東 岸 52,503 シ ソ タ ン川 西 岸 113,664 シ ッ タ ン川 東 岸 261,376 183,372 36,296 868,864 5 0 1 1 1 2 5 6 3 0 1 4 2 1 3 2
ofBurma1953:Vol.1,para.19]
エ ー カ ー をヘ ク ター ル に換 算 した 2)指 定 林 は カ レ ン領 域 を含 む 3)原 典 で はUnclassedforest。 法 的 に は公 共林 野 4)耕 地 , 休 閑 地 , 放 牧 地 , 市 衝 地 , 村 落 地 , 貸付 地(lease), 払 い下 げ地(grant) 5)荒 蕪 地 , 湿 地 , 道 路 な ど 表3 南 タ ウ ングー森 林 管 区 の 民 族 別 人 口 (1931年 セ ンサ ス ) (単 位 :人,%) 地 名 所 在 オ ッ ト イ ン シソタン西岸 ビ ュ
ー
シッタン西岸 タ ン タ ビ ン シツタン東岸 チ ャウ ・チ - シ ツタン東岸 ビルマ カ レ ン シ ャ ン そ の他 合 計 人口 構成比 人口 構成比 人口 構成比 人口 構成比 人口 構成比 一 一 l 1 5 4 1 5 2 7 9 4 5 5 2 2 l-一
-7 0 0 7 5 7 4 0 2 2 % il 1.635 67.6*
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3 6 2 8 2 5 1 1 1 0 1 5 4 5 3 2 9 2 3 2 1 5 0 3 0 0 0 4 7 6 8 5 4 0 00 1 81 4 2 6 8 90 2 6 3 68 2 02 88 4出所 :[Govt.ofBurma1953:Vol.1.para.82]
注 :1) オ ッ トインに は, タ ウ ングー を含 む。 タ ン タ ビ ンに は タ ン ダ ウ ンを含 む
2)所 在 地 別 の カ レ ン人 とシ ャ ン人の 内訳 は不 明 3) そ の他 とは, 中 国 人 , イ ン ド人, ほ か で あ る
東南 アジア研究 35巻4号 人以 外 の種 々の民 族 で, 多 くは焼 畑 を してお り, 南 タ ウ ングー森林 管 区で も同様 で あ った。 表 3は,1931年 の セ ンサ ス に よる南 タウ ングー森 林 管 区 の民 族 別 人 口 を示 した もの で あ る。 セ ン サ ス の対 象 とな る18歳 以 上 の男性 に限 った数 字 と考 え られ るが ,ビルマ人 が全 体 の7割 を占め, 次 に カ レン人 が 多 い。バ ゴー山地 にお け る指 定林 画定 の影 響 を受 けたの は主 と して この カ レン 人で あ ったが 人 口数 はわず か で あ った。1884年 に,当地 まで ヤ ンゴ ン-マ ンダ レ-鉄 道 が伸 び, 多 数 の ビル マ 人 や イ ン ド人 が 農 地 を開拓 す る た め に平 野 部 とそ の周 辺 に流 入 した [Govt.of Burma1917:80]。 そ れ が カ レ ン人 を さ らに山地 の奥 まで移 住 させ る一 つ の要 因 とな っ た もの と考 え られ る。
3
)森 林 村 制 度 と焼 畑 焼 畑 を指 定 林 画 定 時 に認 め るか否 か は,森 林 調 停 官 の判 断 に委 ね られ た (2条 8項 (3))。 また焼畑 が 認 め られ た場 合 で も,既 に述 べ た上記 の規則 に反 す る と焼畑 の禁止 や罰 金 ・禁 固刑 に処 され た (2条22項 )。焼 畑 を認 め られ た住 民 は森 林 局 の監 督 下 で指 定 林 内 に居 住 した。 そ こで は住 民 に対 す る義 務 と権 利 が定 め られ, これ らは1923年 に12項 目か ら成 る 「森 林 村 住 民 に 関 す る 通 達 (ForestDepartmentCircularNo.42of1923:InstructionsRegardingForestViト lag。rs)」
と して ま とめ られ た。8)通達 は前 文 , 本 文 , 付属 文書 か ら成 り, 主 と して森林 村 設 置 の際 の省 庁 間 の調整 ,村 落行 政 の在 り方 ,住 民 の権 利 と義 務 な どの原則 が 記 され て い た。 これ を受 け て, 森 林 村 は財 務 省(Revenueauthorities)の管轄 す る一 般 農 村 と区別 され, 森 林 局 の 管 轄 す る特 別 な行 政 空 間 とな った。 森 林 局 と森 林 村 の住 民 の関係 を示 す のが ,森林 官 と住 民 が交 わ した合 意書(Agreements)で, そ の 中 で住 民 の権 利 や義 務 が 具 体 的 に決 め られ た 。 合 意 書 に は2種 類 あ り, 焼 畑 を行 う住 民 8)その内容は以下の通 りである。 1.森林村の開設は県の副知事(DeputyCommissioner)の許可が必要 2.森林村の住民の一覧 を作成する 3.森林村お よび周辺の土地は村落法(BurmaVillageAct1907,Section5(2))に制定 された方法で 宣言 される 4.村長 を任命 し,報酬および免税範囲を定める 5.森林村内に警察官 をお く 6.県の森林長官は保存林内の居住 を停止 ・許可する権限をもつ (合意に違反する住民 を森林村か ら追放することが可能) 7.森林村の設立および森林村への新住民の受け入れの際には住民 と森林局の間に条件 に関する合 意書 を作成する 8.県副知事からの通達 はすべて森林官 を通 して森林村 に伝 えられる 9.森林村の住民は村落法の規定 を受けず一般行政官による訪問は最小限 とする 10.人頭税 ・世帯税(thatameda)・租税(tribute)を3年間免除 し,植林以外の焼畑 は焼畑税 を,保 存林内の常畑や水田は地税 を森林局に支払 う義務がある 11.村長は徴税額の25%を超えない額 を手数料 として受 け取れる 12.犯罪の通報などのために監視官(villagewatchman)をお くことがある 842 - 236-谷 :山地民 と林業 政策
(taungyacutters)用 と,単 に林 業労 働 に従事 す る住 民(labouronly)用 で あ る。 どち ら も, 1)
許可 す る行為 ,2)特 典 ,3)義務 , の3部 か ら構 成 され,森 林 局 と住 民 の 間 に一種 の取 引 関係 が形 成 されて いた。それぞ れの部 に挙 が ってい る項 目数 を比較 す る と,焼畑 用が1)3, 2)6, 3)4,作業 のみ用 が1)3,2)3,3)1と,焼畑住民 向 けの特 権 と義務 が 多 く,森林 局 は焼 畑 民 の生 活 に よ り深 く干 渉 していた とい える。 焼 畑民 用 の合意書 を見 る とその内容 か ら各項 目を植林 に関す る もの とそれ以 外 に分類 す る こ とが で きる。 植 林 に関連 す る項 目で は まず政府 の対 応 と して, タウ ンヤ に適 した場 所 の無償 貸 与 (特 典 -1), タウ ンヤ に必要 な種子 や苗 木 の無償 供与 (特 典 -2), 農作物収 穫 後 に活 着 した 樹 木 数 に応 じた報酬 の支払 い (特 典 -3),最 初 の3年 間 の人豆酎見 ・世帯 税 ・租 税 の免除 お よび タウ ンヤ で の焼 畑 税 免 除 (特 典-5) を定 め た。 さ らに住 民 に対 して は,森林 官 の指 示 す る場 所 で タウ ンヤ を し (義務 -1),指定 の種子 や苗 木 を森林官 の指 示す る方法 で タウ ンヤ用地 に植 栽 し (義 務 -
2
),農作物 が植 わ って い る限 り除草 を怠 らない (義 務 -3
) こ とを義 務 づ けたO この ような合意 に基 づ いて,焼 畑民 は タウ ンヤの枠 内で焼畑 を続 け る こ とがで き, また政府 は 彼 らに農作 物 間作 を許可 す る こ とに よって伐採 ・整 地 ・除草 にかか る植 林経 費 を削減 す る こ と が で きたので あ る9)[Govt.ofBurma 1925:app.]。 この ほか に も政 府 に とって, タウ ンヤで は 頻繁 に除草が行 われ るため,作 業毎 に労 働者 を雇用 す る通常 の植林 よ りチ ー クの活 着率 が高 い とい う利 点が あ った。 さ らに政府指 定樹 種 で あ るチ ー クを植 え させ るこ とに よって林地 の所 有 を実 体化 す る機 能 もあ った と考 え られ る。 植 林以外 の項 目は,住 民 の慣 習 的 な森 林利 用 に関す る合意 で あ る。住 民 は, 自宅 や 自家用建 築物 の建 設 お よび森 林村 で使 用 す る 自家用 の道 具- の非 指定樹 種 ,竹 ,副林 産物 の無償 利 用 (権 刺-1), 自家用 に限 った森林副 産物 お よび燃 材 の無償採 集 (権利 -2),森林 局 の禁止す る地域 お よび期 間以外 で の放 牧 (権利-3),参加 を要 請 されて従事 した くタウ ンヤ以 外 の)森 林作 業 に対 す る賃金支払 い (特 典-4 :( )は著者 ,以下 同 上 合意が 有効 な期 間 に限 って集落 周辺 の 常畑 お よび水 田で の耕 作 (特 典 -6) を認 め られ たe これ に対 して,集 落 か ら半 径 16km以 内 で は森 林官 の指 示 した くタウ ンヤ以外 の) 森 林作 業 - 有償 で従事 す る こ とが (義務 -4)義 誇 づ け られた。作 業 内容 は, 山火事 防止 ,葦 切 り, 巻枯 ら しな どで, どれ も択 伐 天然更新 の施業 の 一部 をな して い た。 これ らの作 業 は広範 囲 かつ 間断 的 に しか生 じないため,焼 畑民 を必 要 に応 じて 臨時 雇用す る方 が常 雇 の林業労働 者 を持 つ よ りも森 林 局 に とって都 合が 良か った。 9)シッタンJH流域の各森林管区合計の植林 コス トを方法別に比較すると,初年度 も2年 目以降 も,直 営はエーカー当た り約30ルピーに対 し,タウンヤは10ルピー余 りであるC面積の累計では,直営が731 エーカー, タウンヤが11,7101-カー とタウ ンヤが圧倒的に多い (ImperlalForm 18:StatementShowlngtheResult()fRegenerationdurlngtheYear1923/24よ り。 1エーカー
-
0.
4ha)[Govtof Burma1925]。東南アジア研究 35巻4号
この よ うに森 林 局 が森 林村 とい う制度 を通 じて住 民 の慣 習 的 な林 野利 用 を認 めて い ったの は,指定林 にお ける焼畑 の統制 とともに,生 産 ・保 育 に必要 な労働 力 の確 保 にあ った と見 るこ とが で きる。す なわち人 口希 薄 な どルマで も山地 は さらに少 く,林 業労働 力 の不足 に よる作 業 の遅 れや 中止 が森林局 の報告書 に度 々記 されていたのであ る。10)
19世紀末 頃か ら主 と してバ ゴー山地 の カ レン人 に対 して 「カ レン領域(Karenarea)」を与 え る措 置が執 られ るよ うにな った。 カ レン領域 とは, タウ ンヤ とは関係 な く指定林 内で焼畑 を行 うこ とを森林 局 が認 め た区域 で,耕作者一人 当た りの焼畑 面積 は休 閑地 を含 め100ha (250エ ー カー) まで と定 め られた。 ここで, カ レン人 は半 ば 自治 的 な生活 を していた。バ ゴー山地 の カ レン領域 に居住 す るカ レン人の扱 い に関 して森林局職員 に交付 された通達 には,領域 面積 の縮 小 を図 るため に定住 を促 進 し,植林 - の参加 を促 す よ う指 示 された [Govt.ofBurma 1944b: para.66,app,9] 。11)また外部 か らカ レン領域 に住民 が移住 す る こ とを防止 す る義務 もあ った。 これ は領域 の拡 大 を防 ぐため と考 え られ るが, 内部 のカ レン人 に とって焼畑 の維持 や生活 の保 障 を意味 した。 こ う した措 置が とられたの はカ レン人が優 れた林業技術 を有 していたため と考 え られ る。 そ して森林 局 とカ レン人 の間 にあ る種 の相互依存 関係 が形成 された地域 で は, 1930 年 の反英農民運動 の間 も森林村 の住民 は,担 当官が不在 の折 りもタウ ンヤお よびその保育作 業
を続 けた [Govt.ofBurma 1931:para.126]。
南 タウ ングー森林管 区で も,先 の表 1を見 る と,指定林制定時 にカ レン領域 が設 け られ,描 定林 面積 の30-40%に も達 してい る.カ レン領域 が置 かれたのはカバ ウ ン,ピュー ク ン,ビュー チ ャウ ンとい う,バ ゴー山地側 の三つ の指定林 であ った。表
4
は, これ らの カ レン領域 内で許 可 された耕 作者 数 を示 した もので,- 人 当 た り100- 170haが与 え られて いた。 また表 5は植 民地期 にお ける上記 3カ所 の指定林 にお ける植林 面積 を表 した ものであ る。約60年 間 に断続 的 に500ha余 りしか植 え られず, しか もカ レン領域 の外 で行 われていた。 こ う して実際 には森林 村制度 の適用 に よって カ レン人の生活が大 き く変 わ るこ とはなか った。 表 4を見 る と住 民 数 は年 々減少 し,森林 村 に走着 させ るため に森 林局 が用 意 した イ ンセ ン テ ィ ブの効果 が上 が ってい ない。 それ はカ レン領域 の外 に開墾 の余地が あ り, カ レン人が移動 10)現在 も人口密度は低 く,カチン州など一部の地域では10人/km2前後である.ペグ-山地東麓 も1880 年代に鉄道が敷設 されるまでは森林が彰蒼 とし,1957年の地形図に 「密生 した落葉混交林(Dense MixedDeciduousForest)」と記されていることからも人が少なかったと予測できる。「南タウングー 森林管区ではチーク択伐施業区の1929年度に植林予定だった45エーカーのうち,完了 したのは10 エーカ-で,残 り35エーカーは実施できなかった。これは,伐採者の確保が難 しく,開始が遅れた ためである」 と報告 されている [Govt.ofBurma1930:14]。ほかに労働力不足については,Shir・ 1ey [1928] も参照。ll)文 書 の 名 称 は 「TheStatusofKarenswithTaungyaPrivilegesinReservedForestsinthePegu yomasandthePolicytobeAdoptedinRegardtoThem」である。カレン領域はバゴー山地以外に
も適用された例がある。
38-谷 :山地民 と林業 政策 表4 南 タウ ングー森林管 区指定林 内の カ レン領域 お よび耕作認定者敬 (1950年代 ) (単 位 :ha,人 ) 名 称 所在林拡番号 面 積 耕 作 者 数 1880年 1884年 1889年 1922年 1935年 カ バ ウ ン 179-190 5.180 128-130,136,138,139 3,108 69-85 5,439 34-37,46-51 3,108 10-12,26,27,160-166 1.554 160-166 4,144 小 計 22,533 6 0 8 1 ︻′ー 0 2 2 2 2 3 2 31 ピ ュ ー ク ン 4ト62 10,101 9-22 6,216 73-82 4,921 133-163 17、871 小 計 39,109 ビューチャウン 40-41,43-52 6.216 6,8-12,14,15 3,367 小 計 9,583 合 計 71.225 出所 :[Govt.ofBurma 1953:Vol.1,para.30] 注 :1)平方 マ イル をヘ クタールに換 算 2)年度 は,原典 に基づ く 2 0 3 7 0 3 5 2 1 1 1 2 8 3 5 3 1 2 9 2 2 0 4 1 2 6 3 3 1 3 4 3 1 8 71 5 3 (=八U 1 0 00 5 1 1 1 1 1 7 6 3 3 4 6 3 2 1 だU 31 8 9 7 2 1 4 表 5 南 タウ ングー森 林管 区西岸 の指定 林 にお ける植林面積 (植民地期 ) A)カバ ウ ン指定 林 (単位 :ha) 年 林姓番号 面 積 5 8 9 1 2 3 3 4 5 6 0 0 0 1 8 9 9 0 0 0 0 0 0 0 2 2 2 2 8 8 8 9 9 9 9 9 9 9 9 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 4 5 9 5 5 4 5 4 4 4 4 5 7 (‖凸 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 0 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 り′山 4 0 8 4 6 6 6 4 2 4 8 4 0 4 2 2 4 4 3 1 5 2 9 2 6 4 CXU 4 2 2 2 1 2 1 2 2 1 B)ビューチ ャウ ン指定林 (単位 :ha) 年 林班番号 面 積 出所 :[Govt.ofMyanmar1995C] 注 :1)エ ー カー をヘ クター ルに換 算 した 2)植栽樹種 はチ ー クのみ 3) ピュー ク ン指定林 は記 録 にない - 2 39-1906 1907 1908 1909 1910 1911 1920 20 1921 1922 1923 23 1924 1925 1926 1929 1930 1931 1932 1933 0 0 0 0 0 0 8 9 2 2 8 2 2 2 8 8 8 8 8 (XU 3 3 3 3 3 3 3 3 4 4 3 4 4 4 3 3 3 3 3 3 845 6 6 2 8 8 0 8 4 0 8 4 6 6 8 2 4 4 6 6 6 9 3 5 6 2 8 4 2 8 4 0 7 3 6 7 4 0 3 3 9 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 3 2 3 2
東南 アジア研究 35巻 4号
していたため と考 え られる。 当時の人 口密度 は,1931年セ ンサスに示 された管区内のカ レン人 全員が指定林 内に居住 していた と仮定 して も0.2人/km2とな り, これに対 し政府 の職員数 は少 な く,彼 らの移動 を管理す ることが困難であ った。 1913年 の タウ ングー県 で は,3,600km2の指定 林 を主任(ranger),副主任(deputyranger),森林官(forester)の現場職員合計107名で管理 し, -人当た りの管理面積 は34km2を超 えていた [Govt.ofBurma1914:43-45]。指定林 か ら完全 に
住民 を排 除す ることも, また指定林 内の森林村住民 を常時監視す ることも不可能であ った。 こ うした山地民 をとり巻 く状況 は独立 によって どの ように変化 したのであろ うか。
V
カレン人の生活様式の維持 -
現在の森林村
独立後 も,チーク材 は輸 出財 として国家財政 に寄与す る重要 な資源であ った。1948年憲法 は, その社会主義 的理念 に基づいて林地 を含 む全 ての土地 を国有 とし,1949年以降は外国資本 を排 除 してチー ク林業の全部 門 を国営化 した。生産量 は1960年代 か ら現在 まで,統計では年 間30万 トン前後で推移 している。 その理 由 として,制度面では1902年森林法 を継承 した持続的 な択伐 天然更新が守 られ,技術 的に も未 だに象,水牛,お よび河川 に依拠 してお り,道路 や鉄道の利 用が限 られていることが考 え られる。 一方,人 口は地域差が著 しい ものの, ここ20年 を見 る と 確 実 に増加 してお り,現在 における全国の平均 人 口密度 は約60人/kmZに達 している。 また平野 部周辺で は,農地の開墾や盗伐 による森林 の後退が顕著 になって きた。 こうした ことか ら,辛 野部周辺 における植林が1980年代か ら急増 し,その多 くはタウ ンヤによって実施 された。 政府 の森林経営基盤 となる指定林面積 は,現在 (1993年 ) も約10万km2と植民地期 か らほ とん ど変化が な く,国土の15%に相 当す る [Govt.ofMyanmar1995a:96]。指定林で行 われる焼畑 はチークの更新 を妨げ,い まなお政府 に とって統制すべ き対象である。 と同時 に林 内の労働力 確保 は難 しく,林業的 な視点 か ら森林村 を取 り巻 く事情 は変わっていない [Govt.ofMyanmar 1995b]。ただ し独立後 は ビルマ人 を中心 とす る政権 が樹 立 され,他民族 と良好 な関係 を確 立 す ることが政府 の新 たな課題 となった。 今回筆者が調査 を行 ったのはバ ゴー山地の山頂近 く,東斜面 にあ るS,K二つの森林村 であ る。 調査地の指定林 内 を貫 いて, オ ッ トウイン郡 とピー郡 を結ぶ道路 を挟 んで南北 に位置 して い る。表6は,村 の概況 を示 した ものであ る。 世帯数 はそれぞれ約40,人 口200人で,全員が カ レン人である。 各世帯 は,一戸建ての木造高床式 の住居 に住 むが,多 くの女性 は民族衣装 を 身につ け,住民 同士 はカ レン語 を話す。道具や儀礼 な どの象徴 的 な事物 に どの程度 カ レン人の 伝統が賂承 されているかは確認で きなか ったが,外見か ら判断す る限 り周辺 の ビルマ人 とは区 別 され る独 自の生活様式 を保持 していた。 村人の生活の経済基盤 は焼畑 である。単年耕作, 12-21年の休 閑 とい う短期耕作長期休 閑型 846 -240-谷 :山地 民 と林 業 政 策 表6 調 査 村 の概 況 (1995年 代 ) 項 目 S 村 K 村 所 在 カバ ウ ン指 定 林 (現 す ッ トウ イン郡 ) カ レ ン領域 26林班 分 (約13.000ha) 不 明 世 帯 数 の変 化 20 (1962年 ),45 (1995年 ) 15-20(1962年 ),43(1995年 ) 焼 畑 1年 耕 作12年 休 閑 (胸 高 幹 周3フ ィー ト- ) 1年 耕 作21年 休 閑 (同5- 6フ ィー ト∼ ) 約2 ha//世 帯 不明 食 料 と衣 料 用 の 作 物 栽 培 (陸稲 , 野 菜 , り 夕ほか ) 経 済 自給 中心 , 余剰 販売 。 道 具 や 家 畜 の購 入 , 病 気 の 治 療 は近 隣 村 落 で 村 落 行 政 村 長 は住 民 に よる選 出 1963年 以 降8代 目 不明 政 府 との 関係 1962年 以 降 断 続 的 に巻 枯 ら し 1980年 代 に3年 間植 林 (他 郡 指 定 林 ) 参 加 者 は村 長 が 任 命 不明 政 府 - の 農作 物 販売 義 務 免 除 , 納 税 免 除 注 :聞 き取 りよ り作 成 で, 陸稲 , ゴマ,各種 の ウ リな どの ほか に衣料用 の ブタを栽培 す る。 自家消費が 中心 で余剰 は 周辺 の村 や町で交換 ・販売 されてい る。 S村 に住 む ようになった経緯 を, 1927年生 まれの村長 の タ一 ・レ-氏 に尋 ねてみ た。 それ に よる と, 1960年 頃 まで は 「土地が悪 くな る」 とほぼ10年毎 に集落 を移動 させ て いた。集落の規 模 は15世帯前後 で,新 しい開墾予定地 までの移動 は徒歩半 日か ら1日かか った。 移動 を繰 り返 していた1960年 まで, この集落 のほか に も周辺 に10軒足 らず の集落が5- 6カ所 に点在 し, そ れぞれ に リー ダーのあ る 自治的 な機構 を有 していた。 植民地期 には森林 局が認 めた カ レン領域 で焼 畑 を行 い , 独 立 後 は そ の 領 域 に相 当 す る ピュー ク ン指 定 林 第42- 76林 班 の26班 (約 13,000ha)の使 用 を認 め られ た。12)1962年 にな る と政府 の指 導 で現在 の 森林 村 の原型 とな る 村が設立 され た。バ ゴー山地 で活動 す る反政府組織 の食糧供給 路 を断つ こ とを 目的 として,政 府 は道路沿 い に集落 を移動 させ たのであ る。 しか し複数 の集落 を1カ所 に集 めたため, 1965年 頃 に村 人が分離 を要求 し,森林 局の仲 介でS村 お よびK村 に分裂 して現在 に至 ってい る。 K村 の村長 ピ ョ一 ・ゼ氏 は,植民地期 の森林 局か らカ レン領域 として合計12班 にわた る土地 の利 用 を許可 されていたが, 1942年 に廃止 された と考 えていた。そ して現在 は,利用 を認 め ら れた林班番号 を把握 していない ものの,森林 局 に指示 された領域 を出ていない と述べ てい る。 この ように両村 の住 民 はその時 々の政治体制 の変化 に も柔軟 に対応 して,焼畑 に よる生活様式 12)森 林 管 区 は複 数 の指 定 林 か ら構 成 され , 実 際 の 管 理 は指 定 林 単 位 で 行 わ れ る。 指 定 林 を さ らに細 か く分 け た もの が 林 班 で , 作 業 の 実 施 状 況 は林 班 毎 に記 録 す る。 ピュ ー ク ン指 定 林 は 合 計 1-174林 班 (約87.000ha)か ら成 り, こ こで は林 班 の平 均 規 模 (約500ha/ 林 班 ) か ら計 算 した [Govt.of
Burma1953:para.207]。
東南アジア研究 35巻4号 表7 南 タウングー森林管区西岸の指定林における植林面積 (独立期) A)カバウン指定林 (単位 :ha) B)ピュークン指定林およびビューチャウン指定林 (単位 :ha) 実施年 林班番号 面積 樹種 用途 実施年 所在地 面積 樹種 用途 1980 221 38.8 その他 80 221 160.4 チーク 80 220,221 52.4 その他 80 220,221 183.6 チーク 1981 196-219 32.0 その他 81 196-219 38.8 ピンカ ド 81 196-219 147.6 +-9 1982 107-199 20.0 ピンカ ド 82 194-196 262.4 チーク 1983 198 83.1 チーク 83 199 85.0 チーク 83 200 112.0 チーク 1984 197 60.0 チーク 84 198 40.0 チーク 84 201 80.0 +-9 84 206 20.0 チーク 1992 204 220.2 チーク 元 業 元 業 元 業 業 業 業 業 業 業 業 業 業 業 業 地 商 地 商 地 商 商 商 商 商 商 商 商 商 商 商 商 1,636.2 9 5 1 2 2 7 8 9 9 9 9 9 9 9 1 1 1 1 ビューチャウン7 8.0 チーク 商業 ビューチャウン0 4.0 メーザ リ 水源滴養 ピュークン0 200.0 チーク 商業 ピュークン11 124.4 チーク 商業 ピュークン11 80.0 ピンカ ド 商業
出所 :[Govt.ofMyanmar1995C]
注 :1)エーカーをヘクタールに換算 した 2)ピンカ ド(Xyliadolabriformis),メー ザ リ(Cassiasiamea),その他 (樹種 不明 ) を維持 して来 たのであ る。 林 業労働 を通 してみ る森林 局 と森 林村 の住 民 の 関係 は,植 民 地期 と大 き く変 わ って い ない。 表7は,独 立 以 降 の旧南 タウ ングー森林 管 区西岸 にあ る3カ所 の指 定林 にお け る植 林 面積 を表 した もので あ る。 1970年代 末 か ら特 定 の林 班 で断続 的 にチ ー クや ピ ンカ ドとい った商業用樹 種 の植林 が行 われて きた こ とが わか る。 その面積 は,積極 的 な人工林化 の推 進 に転 じた90年代 か ら急増 す る ものの, 累計 で わず か2,000ha程 度 で あ る。 この植 林 は森林村 の所在 す る林班 お よ びカ レン領域 で は行 われて い ない。 また調 査村 の住民 は この 間,植 林 に3年 間 のみ参加 し,巻 枯 ら しに も断続 的 に従事 した程 度 で あ った。つ ま りこの よ うに移動 範 囲が制 限 された以外 は村 人 の生 活 に対 す る森林 局 の影響 が ほ とん ど見 られ なか ったため に カ レン人 はカ レン領域 に住 み つづ けたの で あ ろ う。 た だ し今 日カ レン領域 内 の人 口密 度 は15人/kn往二増 加 してお り, これ ま で と同 じ型 の焼畑 を維持 す るには限界 に近づ きつ つ あ る。 林 業作 業へ 従事 させ る一方 で,政府 は森林村 の村 人 に,森林村 以外 の一般農 地 に課 され る地 税 の免 除, 1960年代 半 ばか ら始 まった コメな ど特 定農 産物 の政府- の販 売義務 の免 除,政府 に よる林 内の巡視 お よび部外者 か らの干渉 の防止 とい った特典 を与 えた。 こ う した特典 が カ レン 領域 へ の定着 を促 してい る と考 え られ る。 今 日も政府 が こ う した森林村 をお く理 由の一つ と して,指 定林 内 の焼畑 を規 制す る とい う従 来 か らの経 済 的 な動機 が考 え られ る。す なわち カ レン人 を指 定林 か ら排 除 し,平 野部 に移住 さ せ た り定着農耕 を奨励 す る とい った対 策 を採 らず ,植 民 地期 と同様 に指 定林 内の一定地域 に住 848 -24
2-谷 :山地民 と林業 政策 まわせ る こ とに よって焼 畑 を統制 しなが ら,必要 に応 じて林業労働 の担 い手 と して村 か ら雇用 す る こ とがで きるので あ る。 この ほかの理 由 と して, かつ て政治不安 を抱 える地域 に森林村 を 置 くこ とに よって,治安 を維持 す る とい う政治 的意 図 も含 まれていた もの と思 われ る。 この よ うな政治 的意 図 に基 づ く森林村 の配置 は, 隣国の タイにお いて も行 われ た。 こ う して両者 の利 害 が一致 す る こ とに よって今 日のバ ゴー 山地 において カ レン人 の森林村 が見 られ るので あ る。 Ⅵ おわ りに 落葉混交林 に分布す るチ ー クは ビルマ で は早 くか ら商 品 と して流通 してお り,18世紀半 ば に 王室 の財 産 と宣言 され た。 チ ー ク材 は畜 力 と河川 を使 って天然林 か ら択伐 され た。19世紀 にな る と,植民 地政府 は森林 法 を制定 し,王朝期 に倣 ってチ ー クを政府 の財 産 と宣言 した。 さらに チ ー クをは じめ とす る有用樹 が優 占す る森 林 を,政府 が直接 管理 す る林地,す なわ ち指定林 に 組 み込 んだ。独 立後 は,林地 を含 む全 て の土地 を国有 と定 め, それ まで に築 かれ た林野行政機 構 を基 本 的 に継 承 しなが ら,森林 局が林 地 お よび指定林 産物 の利用 を管轄 してい る。 森林 の管理 ・経営 が本格 的 に展 開 した植民地期 にお いて,政府 の木材生 産活動 は主 に指定林 で行 われ た。指定林 は資 源が豊富 で ア クセスの良い地域 に順次設 け られて い ったが, こ う した 地域 には既 に焼畑 な どをす る諸民族 が居住 していた。天然林 にお けるチ ー クの択伐 と商業樹 種 も含 めて焼 き払 うこれ ら諸民族 の焼畑 とは本来両立 しに くい。特 にバ ゴー山地 の カ レン人の よ うに,短期 耕作 長期休 閑型 の焼畑 は広 大 な面積 を必要 と し,焼畑跡 地 には経 済性 の低 い二次林 が生 み 出 されてい く。 しか し植民地政府 は森林村制度 を通 して, 山地 の住 民 を森林 の 中 に温存 した ま ま森林経営 を続 けた。 その背 景 には, 人 口が希 薄 なため,森林村 に居住 させ れ ば山地 に お け る林 業労働 力 の確 保 が容易 にな る とと もに,焼畑 跡 地 の植林 の遂行 や焼畑 の拡 大 防止 な ど も可能 にな る とい う森林 局側 の意 図が あ った。 もう一方 の当事者 で あ る山地 の住民 は, それ ま で は土地 が豊富 にあ ったため 自由 に森 林 を利用 して いたが, その土 地 を指 定林 と定 め られ る こ とに よって,森林 局 と対 立す る立場 に置 かれ た。 図 4は, こ う した森林局 と住 民 の関係 を示 し た もので あ る。バ ゴー山地 の例 で検討 した よ うに,森林村 に居住 す るカ レン人 は従来 か らの生 活が撹 乱 されず, かつ 時 に応 じて森 林村 を放棄す る こ とが で きたため,両者 の 間 にあ る種 の共 存 関係 が 成立 しえてい た。 そ して この両者 の弱 い相 互依存 関係 は,地域 の政治 的安定 に もあ る 程度 は貢献 した と思 われ る。 独 立後 , ビルマ の政 治体 制 は大 き く変化 した。植 民 地政府 か らビルマ人 を中心 とす る政権 に 交代 し, 多民族 国家 とな った。 それ と同時 に諸民族 や政治組織 に よる政府- の反対運動 が各 地 で頻発 し,政府 に とって これ らの諸民 族 との関係構 築 に よる政治 の安 定が よ り一層重要 な課題 とな った。 こ とにバ ゴー山地 や国境 地域 の森林 は こ う した反政府 運動 の拠 点 の一 つ とされた。 -243 - 849
東南 アジア研 究 35巻4号 tTir的土地flJ用 *iI 水EZl.≠It 拝jl頼辞tL 放牧など 森 林 法 ff菅 的 土地 制 d;
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u 図4 指定林における慣習的土地利用 と森林法の関係 その一方,チー ク材生産 を取 り巻 く制度,経済,技術 的環境 には著 しい変化 が見 られ ない。す なわちチ - ク材 は独立以 降 も有力 な輸 出品 目であ り, このため政府 は1
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年森林法 お よび森林 局 の組織 を継承 して経営 に当た った。一方,長 ら く採用 されていた鎖 国的 な政策 の影響 は他 の 東南 アジア諸 国 と異 な り,林業分野 において も外資導入 による生産技術 の高度化 を もた らさず, チ ー ク材 の生産基盤 となる指定林面積 やその生産量 は植民地期 とさ して変 わ らず に推移 してい る。 また外部 か らの移住 による急激 な人 口増加 も見 られ ない。 こ う した状況 の中で天然林 の択 伐 に よってチ ー ク材 は生産 されて いる。 本稿 で は,バ ゴー山地 の東側 を例 に と り森林村制度 を通 して政府 と諸民族 の関係 を考察 した が,そ こで も政府 は木材生産 と政治的安定 とい う二つ の側面 か ら, 山地 の カ レン人 を統制す る だけで な く, 良好 な関係 を保 たね ばな らなか った こ とが示 された。つ ま り今 日もなお カ レン人 にカ レン領域 を与 え,一種 の 自治 を認 めてい るの は,森林局 に とって指定林 内 に居住 す るカ レ ン人の位置づ けが植民地期 か ら大 き く変 わ っていないためであろ う。 以上見 て きた ように,森林村制度 は土地 の国有 を前提 に, その利用 をめ ぐって木材生産 を 目 的 とす る政府 ともとか ら林 内 に居住 していた焼畑民 の両者が, それぞれの置かれた状 況 に応 じ て妥協 す るこ とで成立 していた。森林 の開発 をめ ぐる政府 と住民 の関係 が先鋭化 しなか ったの は,1
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世紀初頭 か ら現在 まで長期 間 にか けて状況が変化 してお り,その変化 の振 幅 も小 さいた め,住民 に対 して深刻 な影響 を与 えなか ったためであ ろ う。 しか し現在 ,農村部 で は農業機械 や港概 な どに よる生産性 の上昇が まだ限 られてい る一方 で,人 口は着実 に増加 してい る。 また 部分 的 な市場 開放 や外資 の導入 な どが新 しい動 きと して観察で きる。 こう した変化 に よって, 今後 は森林局 と森林村 の住民 の関係 は新 たな均衡点 を求めてい くことになろ う。 850-
244-谷 :山地民 と林業政 策 謝 辞 本稿 は, 日本学術振興 会の特 別研究員 として1995年 1月 よ り約 1年 間 ミャンマ ーに滞在 し科学研 究費補 助 金の助 成 を受 けて実施 した研究の一部 であ る。 また,1997年 3月 に福 岡で開催 された 「東南 アジア大陸 部 における民族 間関係 と 『地域 』の生成」 の研究会で多 くの貴重 な コメ ン トを頂 いた0本研究 のため にご 指導, ご協力下 さった多 くの万 々に この場 を借 りて感謝 の意 を表 したい。 引 用 文 献
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