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音楽における身体知

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Academic year: 2021

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1.は じ め に

音楽とスポーツでは,スキルの点では,多くの点で共 通している.体の使い方に関しては,特に共通点が多い. 体のバランスの取り方,トルクの発生から伝達の仕組み, などは,その例である.音楽とスポーツの最も大きな違い は,スポーツが力やスピードを重視しているのに対して, 音楽は指先の細かい制御などの高度な精度を必要として いる点である.例えば,バイオリンのオクターブの半音 階スケールで,下の音を弾く人差し指と上の音を弾く小 指の間隔は,半音上がるごとに 2 の 12 乗根≒ 1.059463 の逆数倍ずつ縮小させなければならない.また,スポー ツの目的は,勝つことであるが,音楽は美の追求である. 本稿で取り上げるのは,主として弦楽器の奏法の獲得 についてであるが,その前に三つのテーマについての概 説を行う.それらは,リズム研究,サンバ演奏の習得お よび演奏指導支援である.

2.リ ズ ム 研 究

リズムの研究の一環として,超一流ドラマーおよびピ アニストによる高速打鍵の研究がなされている.その速 さは,1 秒間に 10 回にも及ぶ.素人の打鍵スピードは, 6∼ 7 回程度なので,恐るべき速さである.この速さを 達成するのに,プロのドラマー,あるいはピアニストが 何をしているのかが,そこでの問題である.結論から言 えば,打鍵のための準備が速いことと,競合する主導筋 ─拮抗筋間の共収縮水準が低いことである.また,これ らの指や手首の動作をもたらすのは,脳の運動野である が,筋肉細胞に対する指令として,藤井 [藤井 12] は, 「世界最速ドラマーは,10 Hz というすばやい動作を実 現するために,速筋線維を支配する F タイプの脊髄運動 ニューロンを選択的に動員し,遅筋線維を支配する S タ イプの脊髄運動ニューロンの興奮性を選択的に抑制して いた可能性も考えられる」としている.古屋 [古屋 12] は, ピアノの高速打鍵の課題で,肘の回転と指の筋肉を固め る量に関して,アマチュアとプロの違いを指摘している. これも,訓練によって体の使い方を最適化した例として 興味深い.

3.サンバ演奏の習得

サンバはお祭りなど多くの人が集まる場で踊って楽し むものであり,コンサートのような場で座って静かに鑑賞 するものではない.クラシック音楽などの演奏会では音 楽的表現や超絶技巧が聴衆の興味をひくが,サンバは演奏 する側と聴く側が明確には分かれておらず,演奏したり 踊って楽しむものである.人目をひく技巧を追究するも のではないので,何が技なのかはわかりにくいが,子供 の頃から慣れ親しんでいないとリズムに乗れないのでそ こには何らかの身体的学びが含まれていると考えられる. 邦楽とリズムの取り方が大きく異なるので,日本人に とってサンバを演奏したり踊ったりすることは容易では ない.我々自身の経験や調査からいうと,週に一度くら いの頻度で練習するなら,おおよそ半年でリズム感が身 につく.これほど長い期間を要するのは,ビートのつか み方が正反対だからである.日本人が手拍子する場合, 頷くように頭を前傾させて拍子を取る.肩を下げること もあるので,縮むときに手を叩くともいえる.サンバを はじめとしたアフリカ系のリズムは逆で,背筋を伸ばし, 前を見るように顔を突き出すことで拍子を取る.着地す るときに拍を認めるか,地面を蹴って跳躍するときに拍 を感じるかの違いともいえる. 体幹部によるリズム表現が正反対なので,サンバ習得 ではまずそこを変える必要があり,続いて体幹部につい

音楽における身体知

Embodied Knowledge for Musical Performance

藤波  努

北陸先端科学技術大学院大学

Tsutomu Fujinami Japan Advanced Institute of Science and Technology. [email protected], http://www.jaist.ac.jp/~fuji/

古川 康一

慶應義塾大学

Koichi Furukawa Keio University.

Keywords:

rhythmic performance, education support of music performance, knack of cello playing, physical model, individual difference.

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ている腕や脚の運動が変わらなければならない.腕で演 奏するというよりは体で表現するといってよい.サンバ は踊ることが主目的であり,音楽は付随的である.跳ん だり跳ねたりして踊ると腰や手首,足首に巻いてある飾 りが動きに合わせて音を立てる.その音を強調したのが 楽器演奏なので,動きの延長線上に音楽があると考える べきであって,音楽に合わせて踊ると考えてはいけない. 音楽が動きに多少遅れてついていくところが重要で,こ れを同期させてしまうと踊りにくくなる. 踊りが音楽に先立つということは,演奏できるように なるには踊れなければならないことを意味する.我々の 実験や研究 [Matsumura 11] でもこのことは裏付けられ ており,踊れるようになって初めて演奏できるようにな ることを確認した.学習者はまずサンバのリズムに乗っ てステップを踏めるようになる必要がある.体幹部と脚 の運動がサンバのリズムに乗るわけだが,難しいのは楽 器を持っている腕の運動である.腕の動きの大部分は体 幹部の上下動から発しており,受動的な要素が強い.た とえていうなら,でんでん太鼓のようになっている. むだな力を抜いてしなやかに腕を動かさなければサン バらしいリズムにならないのだが,腕や手で演奏すると 思っていると手指を中心とした末端の動きをつくり出そ うとするため,ぎこちない動きとなり,うまく演奏でき ない.実のところ聞こえる音をすべて動きによって出し ているわけではない.ある動きの反動で「出てしまう」 音も含まれている.そのことを知らないですべての音を 随意的に出そうとすると余計な筋肉が動くこととなり, リズムが崩れる.力の入り具合は表からは見えないので 学習障壁となりやすい. しかしながら現場では「むだな力を抜いてしなやか に腕を動かす」といった指導は不要である.なぜなら踊 りや演奏が長時間,ときには一昼夜続くからで,休みな く演奏するうちに自然に力を抜くことを覚えるからであ る.環境や状況が演奏に条件を課すことで習得が促進さ れる側面がある.こういったことは当たり前すぎて見過 ごされることが多い.音楽としてコンサートホールにて 聴衆に向けて演奏しようした途端,本来の(屋外)状況 では起こり得なかった問題が発生するということがまま ある.文脈から切り離して実験室などで技芸を研究する とそのような危険が,つまり本来の姿をゆがめてしまう ことでもともとなかった現象が起きる可能性があること に注意を払う必要がある. 半受動的な腕の動きは定式化が困難な現象でもある. 体幹部の上下動は一定ではないので,腕が受ける力も一 様ではない.ステップごとに,あるときは強く,あると きは弱い.しかしながら音として表現されるリズムを一 定に保つため,脚からの力が強いときは腕を弱く,また 脚からの力が弱いときは腕を強く振らなければならない. そのような調整は指先まで続き,腕を強く振りすぎたら 指を軽く動かすことで,また腕の振りが弱かったら指を 大きく動かすことで補完する.体幹部,腕,指先といっ た各部の動きが毎回違っても,全体として見れば最終結 果が一定に保たれているといった現象を記述するのは容 易ではない.そのような調整の妙が技巧の重要要素と思 われ,今後の研究が待たれるところである [Hidaka 13].

4.演 奏 指 導 支 援

合唱や合奏,ピアノ演奏などの指導を支援するシステ ムの研究開発も,活発に進められている.香山ら [羽賀 15]は,録音されたデータから,音高(音程),音量,音 質の 3 パラメータを抽出し,それらに基づいた評価シス テムを開発した.また,結果の表示にも工夫を凝らし, 3パラメータを平面上に表示し,利用者へのフィードバッ ク情報を提供している.実際の利用の結果,好評を得て いるようである. 工藤ら [工藤 15] による和太鼓のリズムを矯正するシ ステムは,和太鼓でのリズムのずれを二通りの方法で提 示し,その優劣を述べている.一つは,ずれを試技終了 後に提示する方法で,もう一つはリアルタイムで表示す る方法である.結論は自明であるが,リアルタイムのほ うが優れていることがわかった. 古川ら [古川 14] は比喩表現により合奏の意思疎通を 図る試みについて述べている.合奏指導の現場では,音 楽の表情記号の解釈が重要であるが,例えばスフォル ツァンド(sfz)という記号は,「その音を強く弾く」と いう意味であるが,どの程度強くすればよいのか,強く する時間帯はどの程度かなど,奏者によってその解釈が まちまちになって,良いアンサンブルができない可能性 がある.このとき,比喩が有効である.そのときに用い られる比喩は,「まんじゅうの盗み食い」である.それは, 「大きい口の動きに続いて微小な動きが伴う」ことを意味 し,それは「大きなアクションの次に微小なアクションを 伴う」という動作の比喩表現になっている.奏者は,この 表現に大いに納得し,あっという間に合意が得られること になる.同様に,オノマトペの有効性も論じられている. 以下の章では,古川らによるチェロの研究 [古川 10, 12a, 古川 12b, 古川 16] について紹介する.そこでは, こつとの出合いが重要な役割を演じる.

5.弦楽器の奏法の獲得

5・1 こ つ の 役 割 § 1 こつとは何か こつは,困難な課題を達成するための秘訣である.こ つは,思いもよらないことが多い.それは,課題を達成 するのに,課題の遂行とは一見無関係な動きに関係して いることが多いからである.例えば,著者は,チェロの 運弓法で移弦や弓の返しを伴う速いパッセージで「親指 を曲げて弓を保持する」ことがキーであるとの指摘を受

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けたが,これは典型的なこつの例である.もちろん,弓 の持ち方は演奏に大きな影響を与えるが,弦の移動や弓 の返しなどは,腕の動きによってなされると考えるのが 自然なので,親指の形にまで注意を払うことはない.ま た,親指を曲げるのが良いのか,あるいは伸ばすのが良 いのかの判断は,容易にはつかない.しかし,これはプ ロ奏者の経験から割り出された結論であり,まさに思い もよらない方法である.それが正しいとして,なぜそう なのかを考えるのが次のステップである.それは,まさ に発想推論での仮説の生成につながる話である.この例 を素材にしたアブダクションは,本特集内の「身体知を 支える理論・方法論」(pp. 222-228)のアブダクション の章を参照されたい. こつの他の例としては,「エッジング奏法」[古川 10], 「スピッカートでの薬指の使い方」[古川 12a],「一弓ス タッカートでは親指を曲げない」,「左肘を上げる」など がある [升田 16].これらの奏法については,以下の「力 学モデル」の節で説明する. § 2 こつとの遭遇・気付き こつとの遭遇は貴重である.そのチャンスは,指導者 による指摘,力学的考察からの帰結,メタ認知による自 己観察など,さまざまである.こつに遭遇したときに, それをうまく自分のスキル体系に組み組むことができれ ば,スキルの向上に役立つ.スキル獲得の困難性は,多 くの場合,望ましい体の動かし方がわからないことであ る.自分で制御可能な方法で,かつ,望ましい体の動き に直結するような,一見無関係な体の使い方を発見する のが,こつの発見につながる.これは,What(体の望 ましい動き)を引き出す How(一見無関係な動き)を 発見する行為で,その直接的な因果関係が容易にはわか らない点が,こつのこつたる所以である [諏訪 09]. § 3 思い違いの修正 思い違いが,スキルの停滞を招く例として,強く美 しい音を出すためのこつである,エッジング奏法を取り 上げる [古川 10].エッジング奏法は,その言葉どおり, 弓の毛のエッジを弦に当てて弾く奏法である. 我々が陥りやすい誤解は,弓を弦に押し付けて振動さ せる,という思い込みで,そのため,弦に直角に弓を押し 当てて弾く,というイメージをもちがちであるが,その 弾き方は,弦の振動を弓で止めてしまうという逆効果 を生んでしまう.結果として,弦の自由な振動が阻まれ, 音がゆがんでしまうばかりでなく,大きな音を出すことが できない.さらに,この奏法では弦を押さえ付けるための 肩周りの大きなトルクを必要とし,体に負担がかかる. 一方,エッジング奏法の場合,腕を伸ばせばよいので, 上腕筋および前腕筋によって肘を伸ばす力をそのまま使 うことができる.それと同時に,弓および腕の重さによ る重力を利用できる.その二つの力を利用して,容易に 大きな力を発揮することができる. エッジング奏法に思い至らない理由がもう一つある. それは,エッジング奏法自身,弱い音を出すための奏法 として知られていたからである.これらの二つの誤解か ら,エッジング奏法によって豊かで大きな音を出せるこ とが知られていなかった.これらの誤解を解くためには, チェロの音響学的な知識と,トルクの生成の仕組みにつ いての考察を必要とした. 5・2 こつの理解とモデル化 以下に,こつの理解を容易にするための手段として, 身体の動きをモデル化し,力学的な説明を行う. § 1 力学モデルの役割 力学モデルの有用性は,モデル化によって動きの基本 が理解でき,客観的な説明が可能になる点である.我々 は地球上に生活し,重力の拘束を受けているが,その中 での合理的な動きの追求をするのに力学モデルは威力を 発揮する.もちろん,後述する個人差の問題があるので, 詳細にわたるモデル化はできないが,より抽象度の高い レベルでの有用性はいうまでもない. § 2 トルク 運動には並進運動と回転運動がある.力,質量,加速 度の間に成り立つニュートンの運動方程式は並進運動に 関するものであるが,回転運動に対しても同様の運動方 程式が成り立ち,回転力が並進運動の力に,慣性モーメ ントが質量に,また角加速度が加速度に対応する. 椅子に座った人の動きは,回転運動が主であるので, ここでは回転運動について述べる.人の動きに関するト ルクには 4 種類ある.第 1 は筋依存トルクであり,筋肉 の収縮によって生まれるトルクである.第 2 は動作依存 トルクである.動作依存トルクはわかりにくいが,体の ほかの部分で生じた力が関節を通して伝わった結果生じ るトルクである.第 3 は,重力依存トルクである.これは, 重力によってつくられるトルクである.第 4 は,外力依 存トルクであり,重力以外の外力によってもたらされる トルクである.例えば,足を踏ん張ったとき,床との摩 擦で反力が生じ,体に伝わるのが外力依存トルクである. 5・3 さまざまな力学モデル § 1 振り子モデル 弦楽器の演奏での運弓動作(ボーイング)を振り子運 動でモデル化できる.ボーイングは弓の往復動作なので, 振り子運動によるモデル化が自然である.振り子モデル の力の源泉は,重力依存トルクである.著者らはこのモ デル化により,習得が困難である一弓スタッカートの合 理的な奏法を発見した.例えば 4 音の一弓スタッカート では,その周期は 1 音ごとに弓を返す場合の 4 倍長くな るが,その周期を意識して振り子長を長くすればよい. 一方,振り子長の周期は,肩,肘,手首,指の各関節の どこを振り子の支点にするかで決まる.振り子長を 4 倍 にすれば振り子の周期が倍になることを考慮して,腕の 各所の筋肉を固めて,振り子の支点を移動させればよい.

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そのとき,支点にならないほかの関節は固定しなければ ならない.例えば,肩を支点にするために指や手首の関 節を固定するには,上腕筋を固めて肘を固定し,さらに, 弓を親指と掌で挟む持ち方にして手首を固定すればよ い.こうして,一弓スタッカートの奏法の完成を見た. 「一弓スタッカートでは親指を曲げない」は,「親指を曲げ て弓を保持する」こつに反している点も興味深い.このこと は,こつがまさに課題ごとに与えられることを示している. § 2 強制振動モデル 振り子モデルに類似のモデルに強制振動モデルがあ る.振り子モデルでは振り子が起動されると,摩擦がな い限り振り子運動が続くことを想定しているが,強制振 動では,外力を使ってエネルギーを注入し,振り子運動 の減衰を防ぐモデルである.我々は,チェロのスピッカー ト奏法のモデルとして強制振動モデルを選択し,その妥 当性を検証した.その際,強制振動で振動系に与えられ る外力は筋力であり,筋依存トルクである. チェロのスピッカート奏法は困難な課題であり,短期 間での習得は大変困難であるといわれてきたが,本モデ ルの採用は,スピッカート奏法の習得への新たな道を切 り開いた.その方法は,強制振動モデルとのアナロジー を使う方法で,強制振動の例である「ブランコ漕ぎ」お よび,「鞠突き」の考察から,振動の減衰を防ぐための 二つの方策,すなわち,外部からのエネルギー注入のタ イミングと,そのときのショックの吸収を考慮した動作 により,スピッカートが可能であることを示した.具体 的には,手首を回すことによってエネルギー注入のタイ ミングを計り,薬指による弓の保持によってショックの 吸収を図ることにより,短期間にスピッカートが習得可 能であることを示した.このアプローチは,プロのチェ リストにも納得のいくものであるとの評価を得た. 本例題は,アナロジカルアブダクションによるこつの 説明の例として用いられた.楽器演奏スキルの習得は, 一般には困難な課題であることが知られているが,我々 のこのようなアプローチは,練習を加速するのに多大な 貢献をすることを示している. § 3 カウンタバランスモデル 運弓動作は,並進運動と回転運動の組合せである.並 進運動は弓のアップダウンおよび弓の返しなどの横方向 の運動で,回転運動は,移弦動作を引き起こす縦方向の 運動である.これらの運動のうち,速度の速い急激な運 動では,カウンタバランスのための逆運動が必要になる. カウンタバランスを取るための力は,体の他の動きに よって生じるので,動作依存トルクである. 移弦や弓の返しには,首のねじりを伴う.弓の返しや 高速ボーイング,高速移弦では,体幹とは逆方向の首の ねじりが有効である [古川 12b].ダウンで C 線の開放弦 を弾き,次にアップで A 線の開放弦を弾く課題を考えて みると,アップの直前に,弓の返しの準備として左方向 への体重移動を行うが,それと同時に移弦による回転運 動のカウンタバランスとして首を残す感覚で逆方向にね じる.こうすると,アップの弓の動きがスムーズに始ま る.力学的にいえば,腕の回転モーメントと首の回転モー メントが相殺されて,無理なく弓の移弦・返し運動をつ くり出すことができることになる. 体の逆ねじりはニュートン力学での回転運動に対応し ているが,左右方向での逆の動きは並進運動での反力の 生成にほかならない.こつの例として取り上げた,弓を右 方向に大きく使って豊かな音を出すときに「左肘を上げる」 奏法はその例であり,このときの反力の生成は,右腕の動き に合わせて左肘を上げて左に広げることにより達成される. § 4 スピンモデル 移弦は,原則的に腕全体を使って肘の高さを変えて行 うが,そのときに背中の筋肉を伸縮させることを意識す る.また,テンポの速いときには,頭から腰に至る中心 軸周りの回転により,フィギュアスケートのスピンのよ うに身体の中心に手足を近づけ,弓の重心の近くで弾く と弓が安定する.さらに,手首(腕全体の回転よりも手 首の回転のほうが,慣性モーメントが小さいので回しや すい)の回転や指の屈伸を利用する.スピンモデルでは, 速い回転は大きなトルクを必要とするが,むしろ慣性 モーメントを小さくするための工夫がその主眼である. § 5 鞭モデル 拮抗筋の適度な同時活性化は,筋肉のバネの力を強化 する働きもする.バネの力は,スティフネスとも呼ばれ, 外力に対する抵抗力であり,電気回路でのインピーダン スに相当する.例えば右腕の各部分のスティフネスを調 節することにより,振り子モデルでの支点を肩から,肘, 手首,指と変化させることが可能である.背筋のスティ フネスの強化は,背骨から肩関節を介して上腕,前腕, 手首,指先に至る鞭のような動きにおいて,そのスピー ドを上げるのに役立つことが知られている [古川 12b]. 鞭理論によれば,スティフネスを 4 倍にすれば,鞭のス ピードは 2 倍になる.速い弓を使いたいときには,姿勢 を良くして,背筋をピンと伸ばせばよいことになる.鞭 モデルでのトルクは,まさに動作依存トルクそのもので あり,回転力が次々と関節を介して伝搬していく.

6.スキルの説明とスキル創造支援

こつは,説明できないと普遍的な価値をもたない.こ つの説明の一般的な図式は,アブダクションにより与え られる.近年,著者らは論理プログラミングシステム上 に,アナロジーを組み込んだアブダクションシステムを 実現した.詳細は,本特集内の「身体知と研究を支える 理論・方法論」のアブダクションの節を参照のこと.

7.個  人  差

スキルの獲得にとって,個人差の存在は厄介である.

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教師が弟子に教える場合,個人のタイプによって教え方 を変えなければならない.さらには,教師と弟子のタイ プが異なる場合,うまく指導できない可能性もある.野 球やゴルフなどの打撃型のスポーツでは,廣戸聡一によ る「4 スタンス理論」が個人差を説明する経験則として 知られている [廣戸 14] が,椅子に座って演奏するチェ ロにそのまま適用できるかどうかは不明である. この問題へのアプローチとして,我々はチェリストの 分類の研究を始めた [古川 16].具体的には,インターネッ トの動画サイトにアップロードされた国内外のチェリス ト46名に対して,目視により12個の属性についてのデー タを獲得し,クラスタリング,決定木分析などのデータ 分析の手法により,チェリストの分類を試みた.その結 果,以下の五つのクラスタに分けられることが判明した. i.クラスタ 0 クラスタ 0 は,女性チェリストのクラスタで,手首 の前後屈伸および首の動きがともに大である.代表 的なチェリストは Jacqueline du Pré で,小さな体 を有効に使うために,首や体を大きく使っていると 考えられる. ii.クラスタ 1 クラスタ 1 のチェリストの特徴は,小柄で,首を大 きく動かし,かつ,手首の前後屈伸をしない点である. 特に,手首の前後屈伸を行わない点が,クラスタ 0 と異なる.代表例は Mischa Maisky である. iii.クラスタ 2 クラスタ 2 のチェリストは,大柄の男性チェリスト であり,その特徴は第 1 ポジションで左肘を上げ る点である.さらにチェロを寝かせて構えている. Yo-Yo Maが代表的奏者である. iv.クラスタ 3 クラスタ 3 のチェリストは,首の動きが小さく小柄 であり,頭とチェロの間の距離が大きめである.実際, 本クラスタは,性格付けが困難で,ほかのクラスタと の距離が小さく,ノイズとみなしても良いと思われる. v.クラスタ 4 Rostropovichに代表される男性チェリストのクラス タで,首の動きが小さく,第 1 ポジションで左肘を下 げ,頭チェロ間の距離が小さく,右掌のひねりがない. クラスタ 2 と近いが,すべての点でむだのない動き をしているのが特徴である.いわば,理想的な奏法か もしれない. これらのクラスタリングの結果は,総数のサンプルの 割には驚くほど明確に分かれ,しかも納得のいくものと なった.この分類は,教師が弟子を教える際,あるいは 自習する際に,役立つであろう.

8.今 後 の 課 題

奏法についてのこれまでの研究では,技術的な面をそ のターゲットとしたが,今後,より音楽そのものについ ての探求がなされることを期待したい.どうすればより 感性に訴えられるのか,感動を生むような演奏はどのよ うにして得られるのか,細かい表情を付けるにはどうす ればよいのか,曲の解釈とそれに合った奏法の探求など が,テーマとなるであろう.

◇ 参 考 文 献 ◇

[藤井 12] 藤井進也:音楽リズム運動の生成と同期,バイオメカニ ズム学会誌,Vol. 36, No. 2, pp. 79-85(2012) [古川 10] 古川康一,升田俊樹,松原正樹,小林郁夫,西山武繁: スキル獲得におけるブレークスルーに関する一考察,人工知能 学会 2010 年度全国大会,3G1-OS2a-3(2010) [古川 12a] 古川康一,升田俊樹,西山武繁:チェロのスピッカー ト奏法の習得について,日本知能情報ファジィ学会誌,Vol. 24 No. 1, pp. 545-552(2012) [古川 12b] 古川康一,升田俊樹,西山武繁:弦楽器の運弓動作の 省エネ奏法について,人工知能学会 2012 年度全国大会,1O1-OS-6-4(2012) [古川 14] 古川康一,升田俊樹,西山武繁:合奏指導における比喩 表現の役割,人工知能学会 2014 年度全国大会,1M5-OS-05b-2 (2014) [古川 16] 古川康一,升田俊樹,西山武繁:チェロ演奏動画の目視 によるデータ獲得と演奏スタイルの分類,人工知能学会 2014 年度全国大会,1M4-OS-14a-3(2016) [古屋 12] 古屋晋一:ピアニストの脳を科学する─超絶技巧のメカ ニズム,春秋社(2012) [羽賀 15] 羽賀 翼,香山瑞恵,池田京子,橋本昌巳,伊東一典:習 熟度に関係する音響特徴量に基づく歌唱学習支援システムの評 価,第 20 回身体知研究会(人工知能学会第 2 種研究会),SKL-20-01, pp. 1-6(2015)

[Hidaka 13] Hidaka, S. and Fujinami, T.: Topological similarity of motor coordination in rhythmic movements, Proc. 35th Annual

Meeting of Cognitive Science Society, pp. 2548-2553(2013) [廣戸 14] 廣戸聡一:「4 スタンス理論」バイブル,実業之日本社 (2014) [工藤 15] 工藤喬也 , 松田浩一:和太鼓におけるリズムのズレ提示 法による学習効果の違い,身体知研究会(人工知能学会第 2 種 研究会),SKL-21-04, pp. 16-23(2015) [升田 16] 升田俊樹,古川康一:チェロに近づくチェロが近づく∼ スキルサイエンスによるアプローチ∼,ドレミ出版(2016) [Matsumura 11] Matsumura, K., Yamamoto, T. and Fujinami, T.:

The role of body movement in learning to play the shaker to a samba rhythm: An exploratory study, Research Studies in

Music Education, Vol. 33, No. 1, pp. 255-270(2011)

[諏訪 09] 諏訪正樹,西山武繁:アスリートが「身体を考える」 ことの意味,身体知研究会(人工知能学会第 2 種研究会), SKL03-04, pp. 19-24(2009) 2017年 1 月 18 日 受理

著 者 紹 介

藤波  努(正会員) 1986年早稲田大学文学部哲学科卒業.1996 年エディ ンバラ大学博士課程(認知科学)修了.(株)日立 製作所,Stuttgart 大学勤務経て 1998 年より北陸先 端科学技術大学院大学勤務.人の巧みさを研究して いる. 古川 康一(正会員)は,前掲(Vol. 32, No. 2, p. 228)参照.

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