成人教育の組織と経営に関する研究 IV : 成人学習におけるTRANSFORMATIONについて
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(2) 140. が成人の学習の本質であると考える」とまとめられている(5) メズィローの成人学習論は1970年代の米国コミュニティ・カレッジにおける女性のため の再入学プログラムを研究する中で構築されたものであり,教員の大学院再教育の場にお ける, 「教員の成人性」と再教育(長期研修)のaccountabilityを考究する上で示唆的で ある。 彼の成人学習論の特徴として,いくつかまとめられる。まず,注目すべきは, 1970年代 以降の米国成人教育研究のキー概念でありつづけている「自己主導的学習」を「成人性」 ("adulthood")という視点から理解していることである。このことは,ノールズのSD L理解への批判的言質を展開するブルックフィールド等の見解に通じる(6)。ブルックフィー ルドは,成人がそもそも生得的に自己主導性であるという基本的な見解に疑問を呈してい る。そして,ノールズのSDL論が,生来の自己主導性にもとづく学習による自己主導性 の獲得という矛盾をインボルブするものであることを指摘している。そして,メズィロー ら,ブルックフィールド等と同位の視角に立ち,自らの実証的研究をもとに,ノールズ等 のSDL理論とは性格を異にする批判的SDL理論(critical theory of SDL)を展開し ている。メズィローの立論の視点は,いずれも「成人性の実現」にあり,それによる理論 化を試みている。 SDLの考え方は,成人教育の関連文献において確固として定着しており,実践および 照会の明確な領域として成人教育のアイデンティティのための基盤を築いてきたいくつか の核となる概念のうちの一つである。しかし, SDLは解釈の幅が非常にオープンとなっ ている。スペクトルの一方の端には, SDLは,学習者が目的や具体的目標を決定し,逮 切な資源配置をし,学習戦略を計画立案し,そして結果を評価する場合に生じるとみなさ れている(ノールズやタフ等)。従って, SDLは自己学習のための一連の技術および手 続きの専門的知識として特徴づけられうるものであるOスペクトルのもう一方の端に,メ ズィローやブルックフィールドのようにSDLは「批判的認識」の考え方を受け入れると 考えられている。批判的に認識している学習者は,彼らが所与のものとして当然とする自 らの生活を総括する仮説をアイデンティファイし,挑戦するキャパシティを有している。 彼らは自らの心理学的,文化的仮説から解放され,真のニーズをより身近なものとする。 従って,彼らは純粋なオールタナティヴの知識に基づいて学習にコミットすることができ る。 こうしたSDLへのアプローチは,学習者の心理学的成長という共通した関心が存在し ている。それらは,場合によってその関連性はことなってはいるが,ともに学習と心理学 的成長とは関連しているということを仮定している。第-に, SDLは本質的に一つのス キルであるということがあり,成人は自己主導性のための心理学的ニードを有すると仮定 されている。この見方を基盤とする学習過程(例えば,ノールズのいう学習契約Iearning contract)は,このニードを認知し,喚起することを企図されている。第二に,メズィロの成人学習論に示されるように,社会的な構造において起こる学習を束縛する仮説がなさ れ,成人学習によって主観化されるようになる。こうした束縛あるいは心理文化的仮説を 流布することは,直ちに自己生得的に学習の行為であり心理学的成長であり,結果として 生じるSDLの前提条件である。 SDLをめぐる論議は, 「成人性」をどう理解するか,換言すれば成人学習における自 己主導性(self-direction)をアンドラゴジー概念としてどのように位置づけるかが中心 となる。しかも自己主導性が実際の成人学習プログラムにおいて,どのように理解され,.
(3) 成人教育の組織と経営に関する研究. IEII. どう意義づけられているかを探究することが不可欠となる。このことを前提とした成人の ための学習プログラム開発は, 「自習プログラム」 「学外学位プログラム」 「企業・団体に おける研修・開発活動プログラム」 「農営振興教育プログラム」 「福祉関連サービスプログ ラム」 「識字教育プログラム」 「専門的継続教育プログラム」など多様な成人教育プログラ ムに従事する実践家にとってこそ,まさに重要な課題として把握される必要がある。そこ において,自己主導性への着目はプログラミング上の一時的なスキルではなく, 「成人性」 への問いかけを常態的に示したものとして理解される。従って,成人の学習場面という実 践-の掛かり方における理解が重要となってくる。 例えば, R.プロケット等は, PRO (the Personal Responsibility Orientation)モ デルを提示することによって成人学習における自己主導性の複雑さを整理し, SDLの理 論から実践-の架橋を示唆している(7)。 PROモデルによって示される自己主導性の意義は,自らの学習に個々に責任を果たす 個人が自己主導性を理解する中核となるという考え方にある。これによって自己主導性は 教授方法としてのSDLとパーソナリティ特性としての学習者自己主導性の両者として見 なされうる。この二つの次元がどのように関係しているかを理解することが重要である。 また, PROモデルは学習がなされるその社会的文脈を理解する重要性を強調する。プロ ケット等は4つの構成要素を示すことによってPROモデルの概念図を示している(8)。 下記図において, 「個人的責任」 「SDLJ 「学習者の自己主導性」 「学習における自己主 導性」の4つの要素が社会的文脈内での成人学習の自己主導性を構成する概念として描か れる。 「個人的責任」は中核となる概念であり,個々人は自らの考え方と行動の主体(主人公) であることを前提とする。これは,人間の性向は基本的に善であり,個々人は無限の発達 の可能性を秘めている。そして,自らの学習への責任を受容することによってのみ学習プ ロセスに対してプロアクティブなアプローチを取ることが可能となるという人間哲学を基 盤とする。また,自分にとって何が価値あるものか,しかも自己実現と調和して選択する ことができることに言及するオートノミーの考え方にも依拠し,人はすべての外的な制約 や束縛から独立しているがゆえに個人の責任を負うという原理原則を仮説する。 図: 「個人的責任志向性」モデル.
(4) 142. 個人的責任を自己主導性性の礎石として構想するポイントはいくつかある。第一に,人 間的な無限の可能性を前提としながらも個々人はある程度個人の責任を前提とする。従っ て,成人学習者は学習者としてそれぞれの可能性に,それぞれに違った程度に自らの責任 をもっであろう。第二に,学習が行われる社会的文脈を看過するというわけではないが, 広く社会というよりも個々人の学習プロセスに焦点をあてる。そして,成人が学習者とし て追求する方向性について選択権をもち,考え,行動し,その結果に責任を有することが 根幹となる。 「SDL (Self-directed Learning)」は,ここでは成人学習のプロセスの方向性である と捉えられる。教授方法としてのSDLについては, 1970年代中ごろからSDLについて 論述されたノールズやタフの研究をみると,学習のプランニング,実行,評価に焦点をあ てていた。そして,このプロセスの方向性を強調し,さらに教授および学習のプロセスを 個別化するものとしてSDLを位置づけてきた。成人学習における自己主導性の方向性は, 教授学習関係の特徴に焦点化したもので,ニーズ・アセスメント,評価,学習資源,学習 促進者の役割と技能,独学などのSDLプロセスの基本概念が検討されてきた。こうした 概念をノールズやブルックフィールドは,人的資源の開発,専門的継続教育,大学院およ び学部での研究,コミュニティ教育などの分野において教授プロセスとして例証している。 従って,成功しているSDL学習者の特徴を理解することが重要となり, 「学習者の自 己主導性」は個人的な方向性であることを認識する必要がある。ノールズはアンドラゴジの基本を成人が学習することを助成するモデルであると仮定し,その後教育学から成人教 育学への連続として理解するようになった。学習者の自己主導性は,個々の学習行動に責 任を担うことを前提とし,その考え方の基本はロジャーズやマスローなどの「人間性の心 理学」に依拠している。 1970年代以降の成人学習における自己主導性の調査分析の多くに, 創造性,自己概念,知性開発などに関連して自己主導性が検討されている。 「学習における自己主導性」は決定的に重要な環(リンク)である。このことは, PR Oモデルが,学習に対しての学習者の内的外的な力の区別を描出するものであることに依 拠する。また,同時に個人の責任という基本理念を前提にSDLと学習者自己主導性とは 密接な結びつきがあり,これが所与の学習の文脈における自己主導性の成功を理解するた めの鍵を提起する。 SDLにおける,自己主導性の発露,換言すれば「成人性の実現」は,メズィローの成 人学習論において柱の一つとして示されるものである。彼の立論は,成人が学習すること の意疎,すなわち成人学習の中核は何であるかを探究するに非常に示唆に富むものである ことがあげられる。メズィローは,それを「パースペクテイヴ変容」 (perspective transformation)として示している。これは,メズィローが既存の成人学習への批判 論として,学習そのものの「適応」を問題視しており,学習者個々人の学習による「変容」, そのプロセスを示したものであり, 「意味パースペクティヴについての学習」 (learning aboutmeaningperspective)とも表現されている。そして,成人のパースペクティヴ変 容の前提としてあげているのが, 「契約的連帯」 (contractual solidarity)であり,人々 の因襲的な旧来型の人間関係の脱却として成立するものとしている。こうした人間関係分 析をメズィローは, -ーバーマスのコミュニケーション的行為論を援用し,ラーニング・ ディスコースとして,契約的連帯という人間関係図示式を具現化している。 具体的には, -ーバーマスが区分している人間の認識関心の基本的領域である「技術性」 「実践性」 「解放性」に依拠し,メズィローは「手段的学習instrumental learningJ 「対話.
(5) 成人教育の組織と経営に関する研究. 143. 的学習dialogic learningJ 「自己省察的学習self-reflective learning」という三つの成人 学習を考えているCio)。 xI TPD (Teacher Professional Development)における意味変容 1大学エクステンションと専門的継続教育 いかなる専門的職業領域においても,今日のような職業環境が時事国刻変化する社会に あっては,研修や再教育として`upgrading and refresher programs'の提供が望まれる。 専門的継続教育の理念は,大学をはじめとする高等教育機関における当該専門領域を中心 とする総合的研究環境とそれぞれの職業に関わる現場との連携,協同によって探究される ことが理想である。 しかし,大学等の専門的継続教育を提供する組織は,相互関係を考慮せずに専門分化さ れた専門職と職務内容に対応したものとなっており,プログラムそのものが教育・研究よ りも訓練や資格敢得を重視したものとなっている現状があるo Lたがって,専門的継続教 育のダイナミズムにとって不可欠ともいえる「学際的業際的プログラムと一般教育」 (interprofessional programs and liberal education)がプログラムにおいて軽視される 傾向にある。しかし,今日の複雑多様な社会においては,いかなる専門的職業人も個別に 存立することはできない。 大学が専門的継続教育を提供するエクステンションに本格参入すべき理念はどこに兄い だし得るであろうか。ノンクレジットの一般的な継続教育が知識の普及という課題をェク ステンションの理念として位置づけることと同様に,基本的には,大学はそれぞれの専門 分野での課程履修者の生涯的な専門性開発へ直接的に責任を負うべきであろう。なぜなら, わが国のように大衆化された大学にあっても,一般的に社会において専門的な技能,技術, 知識の継続的発展,調査研究を行う最も重要な機関が大学にはかならないからである。し かも,大学および学術研究のスタッフは,それぞれの領域における実務・実践者との共生 関係から多大なる恩恵を得ているという事実がある。それは,試験,モデルを実地に試み たり,実地研究・調査をしたりする機会であったり,大学のための重要な政治的政策的支 援の基盤を確固たるものとしたりする場であったりさまざまである。今日の専門的継続教 育は,大学を中心として社会とのマトリクス構造において展開されるべきものである。 2教員再教育とaccountabilityの問題 本節では,専門的継続教育の一つの事例として教員再教育をとりあげる。教員再教育の 実際場面では;現職教員の課題意識を第一義に考案すべきことが最優先事項となることは 確かである。しかし,そのことが学校における子どもの現象面にのみ過度に収縛されたア プローチに拘泥することを正当化しえない。これまでの既述してきたフレームワークに依 拠したアンドラゴジー仮説を検証する基礎研究が課題となる。すなわち,大学院の専門的 コースにおける教員再教育のレゾンデートルは,いかなる成人教育および成人学習の原理 原則に基づいているのか。アンドラゴジー的原理を大学院専門的コースに適応することに 関しての研究と検証は,当該教育機関においてこそなされるべきであること。具体的には, 先に示したいくつかの課題として,素描されよう。すなわち,大学院専門コースにおける.
(6) 144. アンドラゴジー原理の探求,アンドラゴジー的アプローチの成人学生への妥当性,指導者 のアンドラゴジー的アプローチ採用の差異性など,教員再教育におけるアンドラゴジ-の 問題,再教育大学院におけるその専門職および社会に対する包括的なaccountabilityに ついて理念探究,および具体的なプログラム開発,コニス設定についてである。そこで, ここでは, accountabilityの問題とそれに関連する評価の問題について考える。 教師の専門的職能開発におけるaccountabilityについて,以下の三つの形態として教 師自身によって認識されているとする考え方がある(12)。 教師は, Becher等によれば三つの形態のaccountabilityを認めている,すなわち道 徳倫理的なaccountability,専門的なaccountability,契約的なaccountabilityである。 教師の行動によって影響をもたらされるところの道徳倫理的なaccountabilityとは, あらゆる人々によって認められるところの原理原則であり,教師と児童生徒,保護者, 同僚との関係をインボルブするものである。しかしながら,それはいくつかの異なった レベルで解釈されうるものである。例えば,すべての教師の児童生徒にとって親切であ り,励ましになるということは,比較的簡単な目標である,それが例え実践に移すには 必ずしも容易ではないにしても。教師の児童生徒に与える影響を意識することは,ほと んどの教師が考えている以上に困難なことである,相互観察mutual observationsある いは教室観察classroom researchに携わってきた人が実感するであろうように。子ど もに何をするのが最良であるかは,碓かに非常に困難であり,とうてい達成できない目 標である,したがって,教師は挑戦し,結局は自己を正当化するレトリックselfjustifying rhetoricへと引っ込んでしまうのである。 専門的なaccountabilityは,教師の専門性の標準と倫理的規範を是認することに関 係している,教師はこのことを同僚に,当該地域社会,あるいは教師一般に対してまで も自ら説明する責任があるものとする。一つ重要な側面は,道徳倫理的なaccountability にも共通することであるが,自己責任性self-accountabilityあるいは教師自身の専門 的な道義心に対するaccountabilityである。専門的なaccountabilityの力点と範囲は, 専門職への社会化の経験およびその教師の現在の学校(教育施設・機関)文化の規範に 大きく左右される。一つの学校内の教師集団あるいは,さまざまな学校間のネットワー クによって形成される下位文化もまた重要である。繰り返すと,そうした標準は, 「規 範」 (誰もがそうしている)なのか,それとも「抱負」 (教職のレトリックとして誰もが そうあるべきだというもの)であるのかという問題がある。 契約的なaccountabilityは,雇用主に対するaccountabilityを包含している,すな わち学校それ自体,学区あるいは地区/州/連邦政府,そして経営管理者,視学官,敬 育長・校長として任命されている人を意味している。当局の中には全ての契約的な accountabilityの形態を専門性とは反対のものとして攻撃する人もいる,通常,民主主 義の名のもとに。しかし,このことは教育諸機関の役割を民主的なプロセスにおいて認 識することに失敗するのであり,教育機関の指導者が教育機関がどうあるべきかに対し て責任を有するという信任を置くことに失敗することになる。 (中略)以下のことはお そらく賛同を得られることに違いないであろう,すなわち教師は自ら望むいかなること も他人の子どもにする法的な権利をもってはいない,あるいは他の利害関係のある団体 との関連性なしに教育政策を立案,施行することも許されてはいないのである。実際に 問題となるのは契約上の制約contractual controlの程度に関わることである。どの程.
(7) 成人教育の組織と経営に関する研究. 145. 度までのディテールで政策はつまびらかにされるべきであろうか?どれくらいきちんと, どういった方法で政策の実行は監視され,批評されるべきであろうか? 大学院における教員再教育のaccountabilityは上記の視点でのアプローチが可能であ り,そこには当然, 「修士論文」としての研修(研究)課題の評価が関わってくる。 例えば,本学の修士論文の評価の視点として,以下のような主張もなされている(12)。 ( 1)修士論文の研究課題が,学校現場の生徒指導に直接的・間接的に関わる教育実践 学的問題へ焦点化されているか。 (2)著者は,学校或場においてその研究課題について,どのような問題意識を持ち, どのような教育実践を試行してきたのか,その研究動機の明確化がなされているか。 ( 3)研究課題に関連した学問分野の学術論文や資料論文(特に本学生徒指導講座の修 士論文を含め)の文献研究が詳細になされ,本研究課題の専門分野における位置づけの 確認がなされているか。 (4)科学的研究手法をモデルに,論文の内容が構成されているか。つまり, 「研究課題 意識」 - 「研究目的」 - 「文献研究」 - 「研究方法の呈示」 - 「実践的研究(実践授業 研究や事例研究および調査研究を含む)」 - 「研究結果の分析」 - 「研究成果の分析」 - 「研究結果の考察」 - 「研究上の問題点と今後の実践的課題および発展的課題」,の 順序で明確に記述し,資料論文的ではなく,簡潔かつ要領よく,しかも論理的に整理さ れた論文か。 (5)論文の研究成果が,今後どのようなかたちで学校現場において実践され,どのよ うな実践的成果が期待されるのか,即教育実践へ移行するための諸々の課題が具体的に 明示されているか。 (6)編集委員の厳格な審査をパスして掲載される全国レベルの学術雑誌への投稿の可 能性はどうか。 「筆者自身の個人的見解に過ぎない」としながらも修士論文を「学校現場における教育 実践家としての力量の具現化」として促え, 「評価」 -の積極的な意見表明であると理解 できる。しかし,当該講座分野での窓意性の発露ともいうべきものであり,大学院におけ る教員再教育,長期教職研修の評価基準としては,検討すべき課題は多い。 3 transformation theoryとしてのTPDへのアクセス 成人の学習の意義は本来,自己革新にその根拠を求めるべきであり,職業上の必要や業 務命令などによる知識習得や単なる趣味・教養活動にのみ帰するものではないであろう。 そのためには,成人の学習が自らの生活を主体化する自己変革の動機とむすびつく必要が ある。現職教員が学ぶ大学院においても個々人の学習のあり方はそうした観点で捉えられ るべきであるが,受験の経緯,入学してからの研修課題,課題への問題意識の焦点化など において,内省すべき事項は数多い。重要なことは,教員としての教育実践を中心とする 生活体験に依拠した問題発見のプロセスであり,学校現場とリンクした教員個人としての 学習の組織化の視点である。修士課程での研究課題は,そうした視点での「意識化」(13)を 前提とすべきものであり,成人学習者としての内的変容のプロセスを含むものである。 現職教員の個人学習の組織化の問題は,自らの教員生活を職業人としての生涯設計を学.
(8) 146. 校において,どう位置づけ,いかに主体化するかであり,生活世界における学習(教職研 修)の自己組織化現象に関わる。具体的な活動が自己革新としての学習であり,それを可 能とするリカレント教育システムとしての生涯学習体系化の文脈に教職研修,教員の生涯 学習は位置づけられなければならないであろう。これまでの短期,中長期的な研修体系と の関連性,研修機会の格差の問題,動議的な権力構造における派遣の窓意性など明らかに すべき課題は山積しているが,われわれ自身の「自己点検,自己評価」の問題として厳し く受諾すべきことである。 教員の生涯学習が直接的に社会の秩序体系の保持や変容を促す契機となる場合に,その 学習を取り巻く生活世界の論理はいかなるものであろうか。人々の学習を行為の合理性で はなく生涯学習社会へ向けての社会システムの合理性という観点で理解すると,従来型の 教員研修と異なるシステムと環境の差異に依拠した教員の生涯学習論が展開される。 生涯学習の体系化に位置づけられる長期派遣研修としての教員の再教育は,学校を取り まくマイナス状況の結果としての「危機の共同主観化」,例えば登校拒否(不登校),学力 格差(落ちこぼれ),中途退学等を通じて,内在化された教育課題について教員がディス コースすることで,生活空間の有機的な自己組織化をめざすものでなければならないであ ろう。中途半端な「疑似体験学習」や自らの資格取得のためのみの「実績づくり」など許 容されるはずもなく,現代的な学校病理現象ともいえる登校拒否児童(生徒)の顧在的, 潜在的急増に子どもの「生」や保護者の「世界」に真正面から向き合う真筆な姿勢が要求 される。自らの存在基盤を確認すべきかのごとくの「教師一生徒」関係を絶対視する権威 主義的学習空間へ,いかに異議申し立てをし, 「対話」による学習環境を創造していくか。 成人教育としての大学院におけるリカレント教育は,複雑かっ困難な課題が錯綜している といえるOメズィローのいう変容理論の意義は,よりフォーマルな教育学習状況での分析 が求められているのではないであろうか。. [注] (1)この場合の「教員」とは,とくに本学において想定される国公私立の幼稚園および小中高等学 校の教諭のことである。 (2)主として修士論文研究に壕小化されがちであるが,総体としての学習と促えたい。 (3) Jack Mezirow,コロンビア大学教員養成学部(teachers college)大学院成人継続教育コー ス教授,成人教育センター研究員。彼の研究領域(著書)としては,成人教育,コミュニティ 開発(ディベロップメント)に関わるものが主であるが,現在は, 「意味変容的な成人学習」 transformative adult learningの研究に取り組んでいるUC LAにおいて成人教育研究 で教育学博士(Ed. D.)を取得している.なお,彼のファミリーネームのE]本語表記につい てであるが,研究者間で相違が見られるがここでは,メズィローに統一して記するO 彼の最近の著作としては,以下のようなものが公刊されている。 Mezirow, J. Transformative dimentions of adult learning, San Francisco: Jossey-Bass Publishers, 1991. Mezirow, J. and Associates, Fostering critical reflection in adulthood: A guide to transformative and emancipatory learning, 1990.. (4)メズィローの学習論に言及した先行研究論文(邦文)および関連論文(邦文)は,最近のもの として以下のようなものがある。.
(9) 成人教育の組織と経営に関する研究. iEH. 永井健夫「認識変容としての成人の学習- J. Mezirowの学習論の検討-」 『東京大学教育 学部紀要』第29巻, 1989年, 331-339貢。 永井健夫「アメリカ, J. Mezirowの学習論をめぐって-成人の学習およびその考察にお ける基本的視点-」社会教育基礎理論研究全編『諸外回の生涯学習』 [叢書生涯学習Ⅸ]雄松 堂出版, 1991年, 73-114頁。 豊田千代子「自己決定学習と成人性の発達- ∫.メズィローの批判的成人学習論を中心とし て-」社会教育基礎理論研究全編『学習・教育の認識論』 [叢書生涯学習Ⅷ]雄松堂出版:, i99i 年, 145-177頁。 永井健夫「成人の学習過程の解明に向けて(n) - 「解釈のパターン」と「意味パースペク ティヴ」の試論的比較」 『社会教育学・図書館学研究』第16号,東京大学教育学部社会教育学 研究室, 1992年, 63-71頁o 永井健夫「成人の学習過程の解明に向けて(Ⅱ) -学習者の生きる生活世界一」の試論的比 較」 『社会教育学・図書館学研究』第17号,東京大学教育学部社会教育学研究室, 1993年, 3542頁。 柳沢昌一「生活世界とコミュニケーション的行為の理論-∫.--バ-マスの理論展開の跡 づけを通して-」社会教育基礎理論研究全編『生活世界の対話的創造』 [叢書生涯学習Ⅹ]雄 松堂出版, 1992年, 3-29頁。 入江直子・豊田千代子「成人の学習と発達-N. A. Gのアンドラゴジー理論を中心として-」 日本社会教育学会編『社会教育の国際的動向』 [日本の社会教育第31集]東洋館出版,昭和62 年, 143-155頁。 堀薫夫「アメリカにおける成人発達論の展開-エイジングと教育との関連の中で-」日本 社会教育学会編『社会教育の国際的動向』 [日本の社会教育第31集]東洋館出版,昭和62年, 156-169頁。 宮坂広作「生涯教育の思想と実践一国際的な理論動向についての管見-」 『生涯学習の理論』 明石書店, 1990年, 1-38頁。とくに, 23-33頁において「Mezirowのパースペクティブ変容 論」として詳述。 (5)前掲永井論文, 1993年, 39頁。 (6) Brook field, S. "Self-directed learning: A critical review of research", in Brook field, S. (ed.) , Self-directed learning: from theory to practice. San Francisco: Jossey-Bass Inc. 1985. ( 7 ) Brockett, R. G. and Hiemstra, R. Self-direction in adult education: Perspective on theory, research, and practice. London and New York: Routledge. 1991. pp. 18-33. (8) Ibid., p. 25. (9) 「パースペクティヴ変容とは,われわれの仮説がいかにして,なぜ,われわれの世界について 知覚し,理解し,感じる様式を束縛するようになったのかを批判的に認識するようになる過程 である。より包括的,差異的,統合的なパースペクテイヴを可能にするよう,こうした習慣的 な期待を変えさせる,そして結局は,新しい理解を選択するか,またはそれに従って行動する ことである」 (Mezirow, Op. Cit., 1991, p. 165.) (10)この三領域についての理解は,永井によれば「手段的学習は,客体を操作・支配することによ り,学習者にとって外在的な価値を習得する過程であり;対話的学習は,学習者の置かれた関 係性における間主観的な価値判断構築の過程であり;自己省察的学習は,自己の対象化による.
(10) 148. 学習者自身の価値再編の過程である」 (前掲永井論文, 1989年, 332頁)0 (ll) K. H. Lya, C. V. Hans and F. Ralph (eds.) Teacherprofessional development: A multipleperspective approach, Amsterdam: Swets & Zeilinger, 1993, pp.24-25. (12)上地安昭「修士論文の学術的評価」 『生徒指導研究』第4号,兵庫教育大学生徒指導講座'. 1993 年, 1-2頁。 (13)ここでいう「意識化」とは,フレイレのいう「信号の受け手ではなく認識主体としての人間が, みずからの生活のあり方を定めている社会文化的現実と,その現実を変革するみずからの能力 とを深く自覚する過程」を意味する。.
(11) 成人教育の組織と経営に関する研究. 149. Organizational Theory and Administration in Adult Education IV - Transformation theory in adult learning -. Kazuki YASUHARA. Abstracts This paper is an attempt to discuss implications of transformative dimensions of adult learning. It is a comprehensive theory of how adults learn by making meaning of their experiences. As such, it represents a new foundation for formulating adult learning and philosophy. Especialy in this paper, the aim is to think about how adults learn,focussed on teacher professional development according to the transformation theory".. The contents of the paper consist of two parts, as follows:. X. Self-directedness in adult learning and dynamics of "transformation XI. Meaning transformation in teacher professional development. 1 University extension and professional continuing education 2 In-service re-education of teracher and its accoountability. 3 Meaning of TPD as transformation theory in adult education and learning.
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