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「闘う主婦」の誕生 : 日本炭鉱主婦協議会の活動から

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(1)Title. 「闘う主婦」の誕生 : 日本炭鉱主婦協議会の活動から. Author(s). 古村, えり子. Citation. 北海道教育大学紀要. 教育科学編, 55(2): 187-201. Issue Date. 2005-02. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/358. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) 北海道教育人学紀要(教育科学編)第55巻 第2号 JournalofHokkaidoUniversityofEducation(Education)Vol.55,No.2. 平成17年2月 February,2005. 「闘う主婦」の誕生 ∼日本炭鉱主婦協議会の活動から∼. 古 村 えり子. 北海道教育人学 岩見沢校 生涯教育課程 社会教育コース. thebirthofthehousewifewhofights especiallyabout,Miners’Wives’Associations“TANPUKYOU” FURUMURA Eriko. HOKKAIDO UNIVERSITY OF EDUCATIONIWAMIZAWA CAMUS. abstract Woman’schangeto”thenation”wasperformedbythestateorganizing”Women’sassociation”. AfterWorldWarII,itwasorganizedagainincommunity.Inthecollieryzone,thewomen’sassociation. becomestheorganizationofclasswarfarewiththecollierylaborunion. ItistheCoalMinerWives’Associations,theso−Called”Tanpukyou”.Asmotherandwife,Self− definition”Worker’swife”isacquired.Itwasabirthof”Housewifewhofights”as”Worker’swife”.Itwas withinthelimitofthegenderrank.But,theyexceededthetendencyofaccordingtothetradition. thehistoricalresultsof”Womanmovement”fought,aSthekeeperofdailylife,issucceeded,tO notonlythewomanbutalsoaman,Ontheagewithoutsexism. Inthispaper,thebirthofthehousewifewhofightswi11beshown,fromfact−findingonthespotin Hokkaido.. キーワード 婦人運動(Womansmovement),階級闘争(classwarfare),ジェンダー. (gender). 課題と方法 ここ十数年の社会変化のなかで「主婦」の社会的位置が動揺している。戦時体制における国防婦人会や愛. 国婦人会の組織化による女性の「国民化」から,第2次大戦後の「地域婦人会」再組織,行政における地域 婦人組織にたいする位置付けのなかで,或る年齢に達して「主婦」でなければ社会のなかに「居場所」がな いに等しかった時代が終わろうとしている。その社会的背景は様々に論じられているが,一口にいえば,経 済のグローバル化のなかで既婚女性の就労が時代の要請となったということであろう。. 187.

(3) 占 村 えり/. また,女性の生き方,働き方,家族のあり方も多様化した結果,「主婦」として女性のアイデンティティ を括ることも不適切になった。こうした社会情勢の変化のなかで地域婦人会や消費者協会,母子会など,こ れまで地域の生活と福祉を担ってきた女性の団体が後継者難となっている。他方,都市中心ではあるが活動 主婦による各種NPOの立ち上げが盛んになっており,地域生活と福祉,環境などに対する住民パワーの受 け皿となっている。. これまでのながれと,現在の新しい動きには連続性がある地域とない地域,様々であるが,地域における 「婦人」運動が作り上げた成果が生かされているとはいいがたい実情もある。それは「女同士の杵」の持つ 独自性と戦闘性である。生活を守るために団結して闘うという姿勢はこれからの男女に受け継いでほしい内 容がある。. しかしそれは「婦人運動」一般のなかにあるわけではない。国防婦人会から再組織された地域婦人会の多 くは,行政からの位置づけを得るのと引き換えに,社会運動する主体としての側面を失っていった。だが, 闘う「主婦」として行政からも一目置かれる存在となった地域もある。. ここでは北海道炭鉱主婦協議会の誕生から労働組合家族会の地域組織である「北海道主婦協議会」すなわ ち「主婦協」結成と,その活動の性格,すなわち「闘う主婦」の誕生と,地域活動への発展経過をたどる。 元炭鉱主婦協議会の活動家からの聞き取りと,提供された資料,法政大学大原社会科学研究所資料,三笠市 立博物館,夕張石炭博物館資料から,なるべく具体的な活動を浮き彫りにする形をとった。. 序章 フェミニズム研究の現段階と「婦人運動」研究 第1草 炭鉱主婦会の結成 1.戦前:教化団体としての設置 2.戦後:炭鉱労組による再組織化 3.1952年:日本炭鉱主婦協議会結成の動き 4.道炭婦協の結成. 第2章 「生活者」としての自己定義 1.闘いのなかで「主婦会」から「炭婦協」へ 2.地域住民としての新生活運動と炭婦協 3.「労働者の妻」という自己規定:職員夫人との峻別. 4.北海道主婦会連絡協議会(主婦協)の結成 5.「闘う主婦」の誕生 6.生み出された多様な活動. 第3章 国家による組織化が女性を鍛え上げた ∼ 元日本炭鉱主婦協議会 会長の聞き取りから 1.国防婦人会でみとめられた行動力 2.運命的な多鴫氏との出会い. 3.実体験からえた「労働者の妻」という規定 4.暴力団と対決:三井三池闘争支援. おわりに 地域福祉の主体へと発展する炭婦協. 188.

(4) 「闘う主析」の誕生. 序章 フェミニズム研究の現段階と「婦人運動」研究 筆者が勤務する岩見沢校では,筆者が赴任した14年まえ,「婦人・こども論」という科目があった。これは,. 男性中心の社会科学に対し,体系をかえずに「婦人」(念頭に置かれるのは既婚女性)に関する事柄を論ず るものであった。「こども論」のほうは,アリエス『こどもの誕生』を題材としたものであり,インパクト はあるが社会科学の体系を揺るがすものではない。カリキュラム改正の際,筆者はこれ「女性学」に変更し た。当時「女性学会」などが成果をあげつつあり,「女性の視点」からこれまでの研究を見直す取り組みが なされており,階層の定義や統計のあり方など既存の社会科学の不備を指摘できるようになっていた。これ を「女性学」としたのである。現在この科目は「ジェンダー論」となっており,フェミニズム(女性解放論). だけでなく,多様なセクシュアリティの存在を視野に入れ,男女2分法を前提としたこれまでの社会科学を みなおす必要を提起する内容となっている。 フェミニズム自体も多様化している。男性との同一性を主張する古典的なものから,差異性に重点をおき, 女性性の優位性を主張する立場も少なくない。バトラーの「ジェンダー. トラブル」1以降,ジェンダーアイデ. ンティティ自体を自由化する戦略が「ジェンダーフリー」として男女共同参画の運動にも使われてきた。こ うした取り組みは,「男女」という2分法が社会的に構築されたものであり,そのことが多くの抑圧をもた らしたという認識にたっており,研究の到達点からみても正しい戦略である。しかし,「ジェンダー. フリー」. が「男らしさ」「女らしさ」の全面否定であるとの歪曲が浸透しはじめ,行政などでこの言葉が姿を消しつ つある。数々のバックラッシュには許しがたいのもの多いが,フェミニズムの側も,「妻として母として」 婦人運動してきた歴史の成果を総括しきれていないのではないかということも,このようなバックラッシュ を招いた一因と考える。この成果は生活者の視点として「ジェンダーフリー」の時代にも「男女」に引き継 がれるべきものだからである(図1)。 つぎに「婦人」という用語について述べる。女に帝と書くことから「差別語」として使われなくなったこ. とは知られているが,それには諸説あり,帝という文字は巫女のつかうものをさすので,高貴な女性という 意味であるとの説もある。それ以上にこの言葉にはいい意味でも悪い意味でも歴史がある。この言葉は一般. に,若い女性には使われず,一定の年齢の女性につかわれる。それは社会的立場をもち,自覚的に行動でき る女性というニュアンスが含まれているからである。しかし,その社会的立場とは多くの場合. ,結婚してい. ることを指し,そうでない場合は教師や看護婦などの一定の専門職についていることが市民たる資格となっ ているのである。これは総動員態勢における「婦人」の組織化(国防婦人会,愛国婦人会など)によって, 女性が「国民」として社会の中に認知されたことに関係がある2。. 戦後,国防婦人会,愛国婦人会は解散したが,まもなく「地域婦人会」として再組織される。戦前のリベ ラリスト「山高しげり」に指導された地域婦人会は,結成当時は労働運動ともいっしょに運動する場面も少 なくなかったが3,やがて労働組合家族会主導の婦人運動と枚を分かつようになる。地域婦人会はその後, 行政上に位置づけを獲得し,他方,労働組合系の婦人組織は対抗的な婦人運動を展開する。つまり,社会的 運動の担い手として,あるいは国民として「婦人」が活動してきた歴史があるのだ。ここには結婚していな い女性は入り込めなかった。. もはや,「結婚」が義務でなく,女性が職業を得ることができる現代において「婦人」という用語は不適 切であろう。しかし,「婦人」としての社会活動を論じる場合には使用すべきであろう。. 189.

(5) 占 村 えり/一. 図1 フェミニズムの現段階と社会. 「婦人」とは,市民社会において位置づけを定義される存在,市民の資格とは妻であること(男性に属し ていること)にほかならない。それは,労働組合家族会などの対抗的婦人連動においても同様である。しか し,図2にしめされるように「国民化」のなかで足場をあたえられた女性は第1に,現在の地域婦人会がそ うであるように,社会的な位置づけを得て行政上の権限をあたえられる。各種委員会などの構成員はここか ら選ばれるのである。第2に労働組合家族会のように,対抗的婦人運動においては,社会運動の主体として 自らを定義する。「生活者」として男性との差異性に独自性を見いだしていく。本論文でとりあげる,「炭鉱. 主婦協議会」は総評で家族会結成の方針が決定される2年前に結成され,のちに,「労働者の妻」4と自己定 義する。この自己規定は社会的存在としては男性に依拠するという矛盾をはらんでいるが,階級的立場の明 確化,支配者側の立場にたつ婦人との峻別という大きな意味を持った。この運動は「家族会」を超えて生活 協同組合運動や「いのちとくらし」をまもる北海道主婦協議会の運動に発展するのである。. ①男性社会を支える婦人「市民」. :国防婦人会など総動員体制のもとでの. 「女性の国民化」 ]二二三 現在の地域婦人会:衰退の方向:BUT行政上の権利は絶人 ②社会運動主体としての婦人:労働婦人 労働者の妻 生活者 男性との差異性を基盤とした運動 初期の地域婦人会 労働組合婦人部 ]:二三. 労働組合家族会 生活共同組合. ③「生活世界」において口々生活を営む女性 ヤマ. 炭鉱ごとの主婦会:生活共同体&運動体 女同士の杵 生活世界の植民地化への抵抗 ここまでは女性が「自分のために生きる存在」であることは許されていない。支配者が わも運動する側も同様である。全き定義される存在である。 しかし②,③の運動のなかには「定義される存在」を超える契機があった。 戦前:妻:自らを語る言葉をもたない。. 戦後:妻:語り始めた??? 「労働者の妻」という自己規定の意味 図2 婦人運動のバリエーションと自己定義. 190.

(6) 「闘う主析」の誕生. 第3に,だれからも定義されなくとも,日々「生活世界」を生きる女性は生活共同体を守るため闘う存在 となる。地域においては階級的峻別よりも生活共同体として連帯することを実践したのは第1と,第2の過 程をへた「婦人」である。炭鉱が閉山となり炭鉱労組がなくなっても,地域共同体として活動をつづけてい るのは元炭鉱主婦であった。. 以上の第2,第3,の動きには「定義される存在」を超え,社会を変えうる存在としての契機がある。 行政の受け皿としての婦人会の行く末は?「国民」としての「婦人」は何処へ?現在,働く女性は主体的 でいられるといえるのか?5そんな問いに答えるための一助として,全国頂点までの「女同士の杵」を作っ て闘った「炭鉱主婦協議会」の足跡をみてゆこう。. 第1章 炭鉱主婦会の結成 1.戦前:教化団体としての設置 炭鉱主婦会の出発はけっして戦闘的だったわけではない。野依智子によれば1925年:6月1日「内務部長 通牒」による市町村主婦会の設置に端を発するもので,炭鉱は居住区と職域が一致することから炭鉱主婦会 となったものである。三井田川鉱業所主婦会設置の記録がある。その目的は「良妻賢母たること 料理,洗 濯,編み物,作法,生け花,慰安会」など,親睦を目的としていた。しかしその活動には「安全運動」が含 まれていた。6. 資本・労働者・家庭の三位一体による「安全運動」は四つの画期でとらえられる。 第一期(1925−1927)国家から資本へ:啓蒙期 第二期(1929−1931)資本から労働者へ. 機械化,ないしは女性の坑内労働・深夜業禁止を定めた鉱夫労役扶助規則改正 (1929)により解雇された女性坑内労働者が炭鉱主婦会に組織され安全運動を支える。→主婦会と して授産所を開設,ミシン裁縫など 主婦という家庭内存在として,夫の安全服装の点検などをになう 第三期(1932−1935)労働者の自発的安全運動 第四期(1936−1940)国家から資本と労働者への安全運動 (遜湧㌢貞繭雛 女性への動員(非常時)→女性鉱夫へ (斜字は筆者). 当時の「安全運動」は,労働者の「安全」に対する認識が十分でなく,それを使用者側が,「啓蒙」する ためのものであった点は,戦後炭鉱労組と炭鉱主婦協議会が使用者がわの「保安のサボタージュ」と闘った のと対比される。タバコを口にくわえたまま坑内に入らないように,あるいはそのために,婦人会が坑口で 「タバコ接待」を行うなどの協力することは,男性労働者にとっては,「労働する身体」の資本家側による. 形成であり,女性にとっては「労働する身体」7を「再生産する身体」の育成である。内務省通帳の目的は 国民統備だが,企業による直接的な対峠関係とは異なり,生活の隅々まで管理されるわけではない。だが, 地域婦人会と職域婦人会の両方の性格を併せ持つ炭鉱主婦会は地域だけを基盤とする婦人会と異なり生活の 様々な場面で矛盾を生み糾すこととなる∩. 191.

(7) 占 村 えり/. 2.戦後:炭鉱労組による再組織化. 戦後,これら上から作られた組織は敗戦とともに解散した。そののち地域婦人会として改組,あるいは別 個に作られたものもある。それぞれの独自性にもとづいて,労働婦人と家庭婦人が一緒に婦人会をつくった り,別個に作ったりしながら,闘う組織に変貌していった。 労働婦人と家庭婦人の関連について,組織内において活発な議論がかわされた。例えば1947年の第1回炭 鉱労組婦人部長会議での議論によれば 全炭支部協婦人部第1回年次総会規約改正;「働く婦人:正会員」 「家庭婦人:賛助会員」として最初は組合の下部機関として組織された。しかし,しだいに労働婦人は労組 内に結集,家庭婦人は独自組織をもつようになる。8 北海道での形成は早かった。1946年4月1日 大夕張主婦会が結成される。この主婦会の前身は,戦前は 国防婦人会と愛国婦人会。会長は所長夫人であった。しかし,生活上の直接的な階級対峠関係は炭住(炭鉱. 住宅),の場合明確である。苦汗制度9そのもの生活監視,価値収奪,職員住宅との明らかな差は炭鉱主婦 の階級的意識を生じさせる。「大きい電球(規則より)をつけたところ,労務にみつかって首」「職員の家に は水道,内風月」「配給物資の職員による隠匿」このような事例は当時の炭鉱ならどこでもあったことである。 共同の風呂場の板の間にあつまり労組とともに準備会を開き,主婦会はつくられた。「主婦役員」を選出 したが,投票は主婦全体で独自に実施し,労組に依存していない。大夕張主婦会が班編成(20人ごと)を行. ヤマ い,網羅組織として成立すると,北海道の各地に続々主婦会が結成される。炭鉱ごとに独自性があるがおお むね次のような特徴がある。. 1.労働婦人と協力しつつも別組織 2.職員婦人層との峻別 3.配給物資隠匿,越冬手当て支給闘争,配給所からの不買運動など生活をかけた闘いへの取り組み 4.生協結成を通じた地域婦人との連帯. この4点において共通でありまた「炭鉱主婦」としての独自性の明確化し,北海道では1950年ごろから連 絡組織ができていた。連帯基盤の成熟を得て,全国組織ができる。. 3.日本炭鉱主婦協議会結成. 1952年2月,炭労において結成準備会がおこなわれ,日本炭鉱主婦協議会は結成された。北海道では炭労 の組織率を上回る勢いであった。. 表1 結成当時の日本炭鉱主婦協議会 主婦会 50団体 45,000名 炭労 30団体 30,000名 福岡炭婦協 80団体 70,000名 北海道地方. 42支部 36,000. 福岡地方. 36支部 20,000. 佐賀地方. 10支部 6,000. 山口地方. 10支部 7,000. 長崎地方. 14支部 8,000. 常盤地方. 192. 4支部 7,300.

(8) 「闘う主析」の誕生. 図3 炭鉱労組とR本炭鉱主婦協議会との関係. 規約から:「炭労は,会議の内容によって参考意見助言を述べることができる。」 「最終決定は婦人だ けで行う。」,とあるように炭労と協力関係にありつつも,対等でありえた大きな要因として炭労が必ずしも 取り組まない生活課題を独自の課題としていたことがあげられよう。「団結の力を利用して安くものを買っ. たり,生活共同組合活動,託児所,幼稚園,子どもの遊園地を設置あるいは改善すること,税金の問題,米 価の吊り上げ,統制の撤廃,学校教育の改善,・・・」などなど・・。. 4.北海道炭婦協の結成 北海道に炭鉱主婦協議会ができたのは1952年5月27日。日本炭鉱主婦協議会ができたのが同年9月11日だ から,それより4月も早い。この年は会社の配給物資隠匿に対する抜本的な対策として,職域に生協を作る 取り組みが全国で成功し,続々と生協が出来てきた年でもあった。 日本炭婦協結成後,はじめての63日間にわたる賃上げストライキでは,北海道の主婦会は土方,植林,薪 切り,行商などあらゆる仕事に従事してストライキ期間の生活を支えた。さらに住友奔別主婦会(三笠)で は「生活対策委員会」を労組から一任され,生活物資の組合員への貸し出しなどの物資対策を実施した。 後の生協設立へむけて実力を蓄える契機となったのである。このほか空知炭鉱主婦会などでも同様の取り組 みがあり「無尽」の廃止運動など,主婦の裁量権を高め,生活を防衛する主婦会の力は蓄えられていった。 主婦の力が限られた消費の場面に押し込められるのでなく,必要とあれば,肉体労働による賃金の獲得も 辞さず,共同組織もつくりだすその「生産性」は,地域に新たな動きを作る原動力となっていく。 道炭労自主制作映画「女ひとり大地をゆく」(山田五十鈴主演,宇野重吉,岸旗江共演)の成功もこのと. ヤマ きである。「男の世界」である炭鉱に女の存在感が映像を通じて伝えられたのであった。 第2章 「生活者」としての自己定義 1.闘いのなかで「主婦会」から「炭婦協」へ. この63ストライキのあと,アメリカから輸入される石炭,重油,そして朝鮮戦争の休戦状態のため,貯炭 が増大した。全国で,閉山が相次いだ。これをうけて三井鉱山は職員1000人,鉱員5000人をこえる人員整理 を打ち出した。そのなかには優秀な勤務を表彰された労働者も含まれており組合つぶしの指名解雇でもあっ た。三井三池,砂川,美唄の主婦会代表が炭労の全国会議(幹事会)に出席。闘争方針に決定に関わった。 砂川婦人会はこの闘いのなかでそれまでの「国防婦人会」から横滑りしてつくられた地域婦人会を再組織し て炭婦協を結成。小さなまちで3,900人の結成大会が会場溢れんばかりに開催されたのである。子どもの手. 193.

(9) 占 村 えり/. を引き,鉢巻をしめてデモ行進,座り込みを敢行する闘う主婦の誕生であった。. 主婦会の闘争委員は夫の意思とは無関係に決まっていた。だから,「おまえがそんなことをやると俺が首 になる」という鉱員がいても「家庭を捨てようと思った」「首になったらどこかで働こうと思った」という 主婦の存在は普通に存在していた。夫と喧嘩してまで運動に加わる多くの主婦が生み出された。ここには女 同士の杵で連帯に支えられた自立した女性の姿がある。 中′トの炭鉱では夫の賃金だけでは生活できない家族も多く,妻たちは,内職,行商,土方などの仕事をし. ヤマ ていた。その数は8割にものほったといわれる。こうした炭鉱では会社の福利厚生として保育所を闘いとっ ていった。. 会社に押し掛け,テーブルをたたいて獲得したという「米よこせ」運動」を端緒として,配給物資,住宅 問題など,生活改善に関わる問題は主婦会ないしは炭婦協として会社と交渉した。運動するなかで力をつけ た炭鉱主婦は,地域住民としても,婦人会や社会福祉協議会,老人クラブの結成,母子会,PTAなどに代 表を送り,能力を発揮するのである。「皆で集まって要求すれば何とかなる」という経験の蓄積が新たな活 動の広がりをつくる。. 2.地域住民としての新生活運動と炭婦協. 地域婦人会としての性格も持つ炭婦協は当時,全国の地域婦人会がすすめていた「新生活運動」を自分た ヤマ. ちの状況にあったかたちで進めていた。炭鉱にはびこっていた高利貸しや無尽によって借金を背負う,ある いは飲酒や娯楽の問題などは男性組合員だけでは解決できないものであった。全国で展開されていた,「家 計簿記帳」の運動はここでは労働者の弱点克服としておこなわれる。組織労働者固有の規律性獲得を生活過. 程から支える取り組みが,主婦の手でおこなわれる。啓蒙的な性格を持つ「新生活運動」を自分の生活地域 にそくして組み替え,炭鉱地帯の青少年「不良対策」10を地域でとりくんだ。夕方になると,遊びに行こう とする「不良」たちに主婦たちが声を掛け自制を促すなど,温かで仲間意識に満ちた実践がおこなわれた。 「蛍光灯よこせ」から「婦人の職場確保」「保育所要求」などしだいに生活を守る運動は家庭から地域へ,. 地域から会社,自治体へと広がりを見せる。豊里主婦会でははやくも1956年には会社,労組,主婦会による 市への陳情によって市立保育所が実現するのである。. 炭婦協による新生活運動は「生活の科学化」などの啓蒙的な性格を残しつつも女性の枠内で運動するので なく,男性を含めた組合員,会社への要求,地域自治体への要求と,広がりを持ってなされたところに特徴 がある。. 3.「労働者の妻」という自己規定:職員夫人との峻別 ヤマ. 地域婦人会として再出発した炭鉱主婦会のなかには鉱員の妻と職員の妻が一緒の炭鉱も少なくなかった。 たとえばある「婦人会」は鉱員の妻が配給委員として組合活動に参加するなかで,「会社に利用されやすい 立場にある職員や鉱長夫人を除けた組織を」「お茶やお花やお料理しかできない,これでは生活を守る組織. ヤマ にはならない」として,これを解散したのちに鉱員の妻からなる他の炭鉱の主婦会を結成する。配給や主食 問題を会社を相手に闘い,炭婦協として発展する。会社を交渉する正式の団体として,生活費貸付問題,配 給問題にとりくむ。生活を守るための闘いに加わるか否かが分かれ目となって大夕張や三菱美唄などでも職 員夫人との婦人会の分裂は続く。. 「生活を守る」ための階級的対峠関係の差異がもたらした当然の峻別といえる。炭婦協の強さの鍵である 「労働者の妻」という自己規定による階級的自覚11は他の労働組合家族会と協力して「北海道主婦会連絡 協議会」(主婦協)を結成し,「母親」として「消費者」として「いのちとくらし」をまもる社会運動の基盤. 194.

(10) 「闘う主析」の誕生. をささえるようになる。. 4.北海道主婦会連絡協議会(主婦協)の結成 総評は1957年の春闘以来,全国的に主婦会結成をよびかける。全道労協ではいち早く準備にとりかかった。 日本ではじめての取り組みとなる。. 第1回の会合は1957年,第2回は58年。このときの結成準備委員はすでに家族会(主婦会)を結成してい た炭婦協,全鉱主婦会,王子主婦会,全道庁家族会国労家族組合の代表であった。これに日鋼室蘭主婦会, 平和婦人会の協力で「主婦会づくりのために」が作成され全国の教典になった。北海道は労働組合家族会に おいては先進地だったのである。. 結成総会は58年6月4日,20単産236名の参加で開催された。当時の組織状況は以下の通りである。. 日本炭鉱主婦協議会北海道地方本部. 53支部(主婦会) 40,650名 全鉱北海道地方主婦協議会 16組合主婦会 2,217名 国鉄労働組合の家族組合. すでに結成していた札幌にくわえて,旭川,釧路,函館の各管理局単位に家族組合を結成 し,全道一本にまとめる方向で運動を進めていた。 国鉄機関車労働組合の家族組合. すでに札幌に家族組合連絡協議会(会員105名)が結成 紙パ道連の主婦会 苫′ト牧:王子だけに主婦会があり2,100名全員参加 北教祖の家族組合 帯広,夕張,留萌に支部単位の家族会 全逓の主婦会. 後志南部特定局,苫前,胆振,北上川,上川,北空知,東十勝,西紋別,釧路の各特定局 岩内局に家族組合結成 富士製鉄社宅婦人連絡協議会 8主婦会で計4,970名が加盟 日鋼室蘭主婦協議会. 会員数1,150名 東洋高圧主婦会 全道庁職員組合家族会. 当時は会費運営でなく,全道労協からの年間30方円の助成金でまかなっていた(推定10カ人)。役員は会 長:多鴫光子(炭婦協)ほか,3人の副会長や事務協長は各単産からでた。. この年,「第1回 北海道母親大会」「第3回 働く婦人の北海道集会」がひらかれ家族組合の代表も数多 く参加した。. 単産ごとの連合体だけでなく「地区主婦協」結成の方針がだされ,稚内,釧路,網走,留萌において結成 された。おりしも王子製紙主婦会が争議中であり,秋大根などのカンパが実施された。母であり,妻であり. 195.

(11) 占 村 えり/. 働く女性であるということ,つまり「婦人」ということで,一致した運動を展開したのである。. これは後述するように,権力の側が一定の進歩的な勢力を「地域婦人会」として再組織し,その力を地域 支配に利用するという戦略をとったことに対抗する勢力として労働者の階級的基盤のうえにたち,そのうえ. での「階級規定」つまり「労働組合家族会」12を理論基盤としているが,総評の場合あくまで,労働者組合 員に所属するものとしての位置づけであった。だから必ずしも本性として「自主的」とは言い切れない単産 も存在していた。. 5.「闘う主婦」の誕生 「主婦協20年の歩み」13のなかで,結成当時の様子がうかがえる。主婦協結成の中心となったのは全道労協, 炭婦協,平和婦人会である。その他の単産は必ずしも積極的という訳ではなかった。もと東洋高圧家族会の メンバーは次のようにかたる。「私の所と同様,労組からつくれといわれ嫌々ながら結成された感じの所も あったわけですから。そしてつくってから勉強を始めた程度ですから,炭婦協とはだい分遣う。しかし,こ れが当時の家族会大半の実態だったでしょう。」14 すでに争議をくぐった日鋼室蘭の代表は最初から炭婦協と同等に発言していたが,後に激しい争議を経験 する王子製紙の主婦会代表も,はじめはもの静かだったという。15日鋼室蘭も王子も炭婦協のオルグが入っ ていたが,しだいになかから優れた指導者が育っていった。16ぉりしも,60年安保の年にさしかかり,政治 的な社会運動が国民的な規模でひろがりつつある時期であった。結成の翌年に開かれた総会では「婦人の権 利」「婦人の活動」「子供の教育」とならんで「安保闘争への積極的な参加」も討議の議題となった。この年, 「安保体制打破全道婦人集会」が開催され女性だけのデモ行進をおこない,反響を呼んだという。 「20年のあゆみ」の座談会では炭婦協の発言の激しさに「これで女か」という感想をもった参加者がいた ようである。「やさしい妻,母」という社会的な位置付けは,「激しさ」や「闘争」のイメージとは相反する ものであった。当時の社会通念を打ち破り「闘う主婦」17が誕生した。街頭でのデモ行進,ときにはテーブ ルを叩くような激しい会社との交渉,すわり込みなど,「女性」のイメージを変えるような運動がおこなわれ, それだけに内部の困惑や他の婦人会からの反発もあったようである。 しかし,女性には無縁とされてきた「闘う」ことをアイデンティティとする「婦人」集団の形成は,生活 領域のなかでは男性にたいし,相対的独自性を持った領域で,男性に従属することなく,また権力に対し闘 うという,近代における「女性」の位置づけをこえる指導者を生み出していった。. 60年安保闘争は国民的な運動として全国にひろがった。主婦会は「三池炭鉱闘争支援」「新聞代値上げ反対」 「′ト児麻痺」対策など,独自の課題にとりくんだ。「′ト児麻痺」の問題は,当時ワクチンがソ連でしか製造 されておらず,日本政府はイデオロギー上の問題からソ連と正常な国交を結んでいなかったため,ワクチン を輸入できなかったのである。「赤でも,白でもワクチンはワクチン」と,主婦協が中心となって厚生省に 代表をおくりソ連からワクチンを入手したことは歴史に残る業績であろう。このときは三笠市など,階級的 立場の違いを乗り越えて結束して代表を送った地域もあった18。. 6.生み出された多様な活動. 図4に示されるように炭鉱主婦協議会の活動から全道,全国単位の活動が発展し,また地域活動も生み出 されていった。しかし,それはあくまで地道な生活に根ざした活動がもとになっている。日本生協連の会長 も勤めた三笠在住の五十嵐光枝氏は三笠市市民生協で1959年に女性ではじめて理事を務めている。聞き取り によれば,炭鉱労組の資料には炭労がやったように善かれていても,会社の購買への闘いや職域生協の結成. 196.

(12) 「闘う主析」の誕生. は主婦の働きによるものが多い。記録にはかかれていなくとも実際にはこのようなことが多かったとのこと. である。「炭労がなくなってから女性の名が出てきた」19というわけである。 平和運動,消費者運動から地域福祉まで,炭鉱主婦協議会で培われた活動力はさまざまなバリエーション をもって,地域で展開する。地域生活が多様であることにそくしてその発展形態も多様である。いろいろな 活動のなかで,先頭に立って活動し続けたリーダーもいれば,何も問題がないときは,日常活動を静かに継 続し,何か危機があれば立ち上がるリーダーもいる20。婦人運動はむしろ後者に特徴がある。だから見かけ において派手でなくとも,しっかりと地域生活を守る活動を維持していることが多い。炭婦協は両方のタイ プを持っている社会運動である。. 地域婦人団体などの育成 社会福祉協議会の組織作り 市会議員. 図4 炭鉱主婦協議会の活動からうまれた婦人運動. さりげない日常のなかで闘う炭鉱主婦(夕張石炭博物館資料より). 197.

(13) 占 村 えり/. 幾人か聞き取りしたなかで,前者のタイプ,リーダーとして闘い続けた多鴫光子氏の自己形成をみてみよ う。. 第3章 国家による組織化が女性を鍛え上げた ∼ 元日本炭鉱主婦協議会 会長からの聞き取りから ここでは,もと日本炭鉱主婦協議会に会長で創始者の一人,多鴫光子氏の聞き取りから,女性の主体形 成をみてみよう。. 1.国防婦人会でみとめられた行動力. ことしで87歳になる多鴫光子氏は第2次大戦中に岐阜で結婚。戦争に行った夫の兄(乳中飼育農家) のもとに身を寄せていた。しかし,小さな男の子を残して夫は戦死。レンガ職人をしていた札幌の父親の所 にもどる。札幌で多鴨さんは「働く人がコーヒーを飲む所」で働く。ここでは国防婦人会の副会長であった。. この時,軍から4回表彰される。戦争で男性がいない状況のなかで,女性を軍が直接訓練することもあった。 表彰理由を以下の通りである。. 一,伝令一足が速い 二,消火活動 三,竹槍訓練 四,銃の訓練. 「ここまで足だから」と自分の体を示して,長い足と体力に基づいた優れた機動性を説明してくれた多鴫 さんは往年の眼光をとりどし,かけ声をあげて竹槍の訓練の様子を話す。軍の訓練のなかで,規律性と組織 活動を学んだようすがうかがわれた。. 1923年,敗戦のころ,国防婦人会は地域婦人会として再組織される。ここでも副会長として,進駐軍に使 われた。「まあ,利用されたんだな。」とはいうものの,卓越した組織力と行動力はここでも重宝される∩. 2.運命的な多嶋よしたか氏との出会い この頃は,母から譲り受けた人との付き合いをもとに,洋服を仕立てる仕事をしていた。そうこうしてい るうちに,知り合いが,「帯広におとなしくていい人がいるから会ってみないか。」との誘いがあった。多鴫 光子さんの激しい気性を知ってのことである。太平洋炭鉱の機械部に勤務していた多鴫よしたか氏と最初に. 会ったとき,子供は3歳。「父さん」といって多鴫さんの膝にのったので一緒になることにきめた。以来,. 忙しい活動のときも妻を支える役割をはたすのである。このやさしい夫は,塵肺21で9年苦しんだ末にな くなった。子供は一人だったが,「どこにもつれていったことがないので息子には恨まれているかもしれな い。」というほど活動に打ち込んだ。「道主婦協20年史」にも,「集会からかえったら,子供が大根をかじっ て涙を流したあとがあって,自分も泣けた」という記録がある。仲間が「鬼の目にも涙だね」といったら「え. らくおこられた。」というが,活動に打ち込むなかでも家族を思う気持ちに引き裂かれるような感情を味わっ たのは,この頃の活動家のだれもがそうだったのではないだろうか。. 198.

(14) 「闘う主析」の誕生. 3.実体験から得た「労働者の妻」という規定. 敗戦後,国防婦人会,愛国婦人会は解散となり,新しい時代の息吹をうけて,北海道にも各地に女性の地 域婦人会が組織された。婦人参政権の成立,社会教育法の制定(1949年)をうけて,教育委員会を中心とし た婦人教育行政もはじまる。1950年,北海道教育委員会などの主催で「北海道婦人大会」が開催され,以後,. 参加者を毎年増やしながら開催され,これが元になって1957年,北海道婦人団体連絡協議会が結成される。 このとき,炭鉱主婦協議会も加わり,多鴫光子氏は副会長となった。季節保育所や母子福祉,学校給食など 地域生活における切実な課題を取り上げ,さまざまな立場にいたるまえに,生活者として多くの問題提起が. なされた。22初代会長は留学経験のある毛利明子氏。代議士の娘で病院長夫人という家柄であった。23 間もなく行政から補助金が出されるようになり,道庁などの行政組織と協力関係も形成される。炭鉱主婦 協議会のような,労働者として当局と対略する階級的立場をとる多鴫氏は行政当局との関係を許せず,毛利 氏と決別した。これが「労働者の妻」という階級的立場を自覚した実際のきっかけであった。. 炭婦協の戦闘性は一層つよまり,新聞代値上げ反対のときには,炭婦協ではみごとに一枚岩で不払い実行。 きわめて戦闘的な活動へと発展させていったのである∩. 4.暴力団と対決:三井三池闘争支援 相次ぐ炭鉱事故のなかで,三井三池炭鉱へも支援にいった。会社が雇った暴力団に炭鉱労働者が殺された ことも有る俄烈な闘いで主婦は盾となって男性労働者をまもった。24「ドスを懐に入れたやくざ」を睨みつ けたと語る多鴫氏の迫力は当時を彷彿させるものであった。 「男性を守る」のは主婦であるという立場,はじまきとズボンという姿は勇ましい女というアイデンティ イに誇りを持つ女たちの自ら獲得したジェンダーの改革であっただろう。 多鴫氏はやがて平和運動,母親運動へと活動の場を広げていくのである。25. 表2 多鴫光子氏の活動歴 1952年 日本炭鉱主婦協議会結成 多鴫光子副会長. 1954年 太平洋炭鉱 ガス爆発 39名殉職 生協の設立 大論議の末文化協会主催の生活改善講習会への 参加拒否. 1955年 日本炭鉱主婦協議会 多鴫光子会長 同年 世界母親大会出席 1959年 新聞料金不#、い運動. NKH視聴料「不払い」「後払い」運動 1965年 原田副会長とともに沖縄官公労組の招待により 訪中. 1966年 佐藤書記長とともに常盤地方オルグ 1977年 全道労協から講師を招いて社会保障の学習会:. 1957年 道婦連. 副会長. 1960年ごろ 池田内閣 「高度経済成長政策」:インフレ的. 財政投融資→公共料金軒並み値上 げ 「独占資本に対する戦い」 独占価格粉砕 食管制度 1970年カラーテレビ不買運動. 年金の見直しと拡大道炭婦協から講師招いて学 遺族年金見直しを要求. 1995年 日本炭婦協解散. 199.

(15) 占 村 えり/一. 終わりに 地域福祉の主体へと発展する炭婦協. 今回は,誌面の関係で,聞き取りした炭鉱主婦協議会の活動家のなかで,地域というよりは全道,全国の 指導者をとりあげた。主婦協に見られるように炭婦協が他の労働組合家族会や婦人運動全体に与えた影響は. 大きい。「闘う主婦」というアイデンティティは「定義される存在」を超えるものであった。 他方,地域で生活を営む女性にも「必要なら闘ってとる」ことを基本としながら,行政との関係も,従う のでなく,主体的にかかわる婦人組織を作ったリーダーもいる。2003年9月,赤平市で「第6回国際鉱山ヒ ストリー会議」が開催され,筆者が三笠の事例を中心に報告した。この事例はリーダーが地域福祉の担い手 として活動するものである。「炭鉱が閉山になったら,男は闘いをやめるが,女は続けるんだね。」. という感想を炭鉱社会研究者からもらった。本論文ではこの前の段階で誌面は尽きたが,「続ける力」が歴 史的なプロセスをへて形成されたものであることを本論では論じたつもりである。次回以降の機会で社会福. 祉協議会の活動を作った三笠,上砂川の事例,次世代の活動ともいえる,NPOの活動をしている事例を取 り上げる予定である。. 三笠市住民の杵 炭鉱友子制度→ 炭労(男性) →. ら 鋳. OB会. 博物館協力会 社会福祉協議会. 鉱物資斡旋所→炭鉱生協→市民生協. 炭婦協(女性) → ボランティア椿会 (OG会). l・∴・. 消費者協会 地域婦人会. 図5 三笠市炭婦協の事例(詳しくは次の機会に). 脚 注 1 ジュデイスバトラー『ジェンダートラブル』(竹村和子訓 育土社1999年) 2 小山静子『家族の生成と女性の国民化』(勤草書房1999年) 3 地域婦人会50年史『全地婦連50年のあゆみ』(2004年) 4 もと日本炭鉱主婦協議会会長 多嶋光子氏の定義による。 5 男性中心の職場秩序をかえる状況とはいえない。元炭婦協の幹部からいわせれば,「働く女性のほうが,男性に従順」と. いう意見があたっている側面もあろう。 6 野依智子「炭鉱資本における教化活動としての安全運動の構造と展開」(エネルギー史研究一石炭を中心として−第19号 2004年3月 九州大学石炭研究資料センター編集・発行). 7 小倉利丸『搾取される身体性』(青弓社1990年). 8 日木炭鉱主婦協議会 30年史 9 家族も同じ資本家から価値収奪される制度。 10 夕張市もと市会議員で元炭鉱主婦協機会会長 秋元嘉代氏からの聞き取り 11『北海道炭婦協20年史ズリ山は知っているご 12 元炭婦協会長 福井よしえさんによれば,総評では最初,主婦の年金加入には反対であった。年金が独占資本のために運. ヤマ 用されて利用されるからということであるが,女性の牛括保障という独白の観点から炭鉱をまわり年金加入を勧めた。 200.

(16) 「闘う主析」の誕生 13 「道主婦協20年のあゆみ」座談会より. 14 「20年の歩み」6ページ 15 太田伸子『座談会 王子争議と私たち 16 広田義治「日鋼労働者と主婦の青春」 17 毎日新聞「北の人脈」(昭和46年連載) 18 三笠市在住のもと炭鉱主婦協議会会長. (上)ご(『北海道女性史研究 ご NO.9(2004年) (光陽山販社 2001.3). では社会のなかに「闘う主婦」の誕生が記されている。 田奈田京子さん,渡辺ユリ子さんからの聞き取りによる. 19 同上 現在でも地方では,実際には女性が活動しても対外的には男性の名で記録される慣習はすくなくない。 20 元赤平炭鉱主婦協議会会長 未森康子氏の活動姿勢 21炭鉱では粉塵を肺に吸い込むため「塵肺」という職業病にかかる場合が少なくない。本来であれば,国が労働環境を指導 し,会社が防塵マスクなどの設備をそなえる義務があるのに,危険を知りながら放置したとして,2004年,労働者とその遺. 族による「塵肺訴訟」は原告側が勝訴した。 22 道婦連協30年史より 23 私事ながら,筆者はこの毛利昭子氏が経常する英語教室で中学生のころ英語を習っていた。当時の婦連協には,毛利氏に 限らず経済的に自立している女性も少なくなかった。だから「主婦」の親織というよりは,社会活動家の親織という性格で. あっただろう。 24 当時のやくざは,「女に手を山す」ことはなかった。. 25 聞き取り 2004.7.24 於:グループホーム ほくおう,ビデオ撮影 古田かよ子(北星短大教授). (岩見沢校助教授). 201.

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参照

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