Title
市町村合併に関する一考察−沖縄における過去の市町村
合併を素材に−
Author(s)
照屋, 寛之
Citation
沖大法学 = Okidai Hōgaku(19-20): 1-31
Issue Date
1997-06-27
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/6613
市町村合併に関する一考察
l沖縄における過去の市町村合併を素材に 一、序 かって人間の行動範囲はせまく、したがって、市町村の規模もあまり広域であると日常生活に何かと不便を生ずるので 可能な限り小規模であることが望ましかった。役場の位置も住民が徒歩で行ける程度の距離にあることが住民にとって は好都合であった。ところが、今日、車の爆発的普及と道路の整備によって住民の距離感が昔とは全く違っている。し 一、序 二、沖縄における過去の市 三、沖縄における過去の市 四、市町村合併の阻害要因 五、合併は住民自治・住民 序 沖縄における過去の市町村合併計画 沖縄における過去の市町村合併の必要性 合併は住民自治・住民参加と共存可能か IあとがきにかえてI 市町村合併に関する一考察 目次照屋寛之
同時に、地方分権の推進という時代潮流にあって、その分権化を効率的に推進するためには現在の市町村の規模では 果たして十分にそれに対応することができるのかと疑問視するむきもある。その推進にあたっては分権の受け皿として の市町村の行政能率を高めるという視点からも市町村の規模の拡大化・合併は最重要な検討課題になりつつある。地方 分権の推進いかんによっては全国的な規模で市町村合併が起こり「平成の大合併」へと連動するかもしれない。 市町村合併は極めてデリケートな問題であり、論者の価値観によって全く対象的な評価がなされており、時として市 町村においては重要な課題と認識しつつも、「合併アレルギー」もあり、「タブー視」し回避しているとの声さえある。 しかし、合併問題に対してはかような消極的な対応ではなく真正面から対峠しそのメリット、デメリットを大いに論ず べきは時代的、社会的要請となっているのではなかろうか。市町村合併について、次のような二つの対極的な議論が展 開されている。A説》「現在の市町村の中には、基礎的地方公共団体として、規模能力に欠けるものが全国的に存在し ている。国において最低限度の規模能力をなんらかの指標によって定めて、合併を全国的に強力に推進していくべきで (2) ある。」しかし、この説に対する次のような反論にも傾聴すべきであろう。「〈口併により各地域の自立性が失われてゆく かるに現在の市町村のエリアは車の普及していない時代のものであり、今や、住民の生活圏は隣接市町村と「ひとつの (1) 生活圏になっているのに、行政の垣根が街づくりの障害になっている」との指摘もある。したがって、これからの市町 村の規模はモータリゼイションの時代にマッチするように検討すべきであろう。住民の日常生活の行動範囲はいまや自 分たちの市町村の区域をはるかに越えており、生活圏で考えるともはや隣接市町村の境界を気にしないボーダーレスの 時代になって久しい。かような時代変容に相応しい市町村の規模の拡大化・広域化が時代的要請として起こってくるの は当然である。 沖大法学第十九・二十合併号 一一
ことは否めない。歴史とアイデンティティ
ーを重んじる海外では、都市連合はあるが旧加川剛皿川ⅧⅦ川ⅢⅢ川Ⅲ川棚Ⅶ川ⅢⅢⅦⅧⅢ川ⅧⅧ川棚川
31-11346792 143都市〈口併はほとんどないといわれている。徽平
頁 日本での市町村の〈口併はある意味では曰本規 2 4人のアイデンティティーの欠如でもあ麺・」伽蝋而皿Ⅲ川畑〃川棚断報Ⅲ棚Ⅲ加甥迦皿配刀茄陥棚Ⅷ川刀川蝉
△ロ治拓632888 3因みに、イギリスの市町村の平均人口は一目自
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(4) 北 にみるように諸外国の基礎自治体の人口は 日本よりも少ない。市町村の合併を論じる際には諸外国の市町村の規模も大いに参照すべきであろう。B説卵「現在の 市町村はすでに一定の規模能力を有している。これを前提に、合併が必要かどうかは、それぞれの市町村に任せておけ (5) ば良い。むしろ国や都道府県は、〈口併を進めるべきではない。」しかしB説は理想的ではあるが次のような現状をどう 考えるのであろうか。市町村で人口が最も多い横浜市(一一一三O万七四O八人)と和歌山県北山村(六0-人、全国で一六番 目の過疎の村)とを比べてみると、一人当たりの歳出では、横浜市の四一一一万円に対し、北山村は一一三八万円と五・五倍 である。結果的には、税負担の少ない住民が、多く納税する住民よりも豊富な行政サービスを受けるという負担と受益 市町村合併に関する一考察 一一一(6) の逆転現象がおきている。地方分権推進委員会の堀江湛・慶応大教授は「自治体のうちロロ主財源が五割を切るところが 大半で財政調整の財源はほかの地域の住民などが負担していることになる。こうした自治体では、合併や広域行政で効 (7) 率的な行財政のあれソ方を検討すべきだ」と小規模市町村の合併の必要性を指摘する。 特に全国的にみても小規模市町村の多い沖縄県においては、このような状況のもとにこれから市町村の合併の促進が 大きな行政課題となるであろう。本稿においては、過去の沖縄における市町村合併を素材にして、沖縄においてなぜ市 町村の合併が提起されたのかを考察し、そのような合併の必要性があったにもかかわらず、なぜ市町村の合併はうまく
促進されなかったのか、つまり市町村合併の阻害要因は何か、等々について過去の事例を整序してみたい。時間的制約
のためすべての事例を考察することはできなかった。残りのケースについては他日を期して検討したい。 注(1)「朝日新聞」「分権の受け皿1市町村合併」一九九七年二月一日。 (2)松浦正敬「市町村合併をめぐって」「地方自治」第五六二号三頁。 (3)毎日新聞水戸支局「検証・つくば合併」筑波書林、六八頁。 (4)重森暁「地方分権」丸善ライブラリー、一一一三頁。 (6)(7)前掲「朝日新聞」。 (5)松浦前掲、三頁。 沖大法学第十九・二十合併号 四二、沖縄における過去の合併計画と市町村の適正規模 (1) 本土の他の都道府県では、明治の大合併、昭和の大合併の際に、小規模の市町村どうしが隣接の市町村と《ロ併しその 規模の拡大を図ったのであるが沖縄県の場合はこれまで大きな市町村の合併の経験がなく、表2にみるように市町村数 の大きな増減はあまりない。 沖縄の市町村合併は、一九五六年の「市町村合併促進法」の施行によって、市町村合併作業が進められたが、復帰前 にわずか十市町村が合併したにすぎず、復帰後はコザ市と美里村の合併の一件だけにとどまっている。 復帰後の昭和四七年、県は市町村合併促進審議会を発足させ、市町村合併のあり方を審議してもらった。県は「現在 表2 都道府県別市町村数 市町村合併に関する一考察 1996年1945年 合、f市町村合、f市町村 325568919935731057820818028568 五 出典)「琉球新報」1996年8月21日 1996年 1945年 合叶市町村 合計市ロT村 総計 32556891993573 1057820818028568 道森手城田形島城木馬玉葉京川潟山川井梨野阜岡知重賀都阪庫民山取根山島口島川媛知岡賀崎本分崎島縄 海 舂本 歌 児 北膏岩宮秋山福茨栃群埼千東神新富石福山長岐静愛三滋京大兵奈和鳥島岡広山徳香愛高福佐長熊大宮鹿沖 2211222145620480271581686607040911-07740265804985111797 3 2631 21 2 弱弧犯弱印汀記妬詣窕犯“5,弱旧訂正師犯弱但幻幻蛇窕旧、、犯引刎記印師犯犯糾弱舶師ね配犯出氾旧 王8旧旧9旧旧、吃Ⅱ佃引印pm98777411371310748034452937811940 112311321 12 1111 尼印困而田無切開伯乃蛇印田師尼弱釧犯則、明阿肥困印““引幻切羽弱氾脆弱印幅、田印伯ね叫記“飴田 2 211111331122屹引卯卯乃卯沁旧引田弱沁閖脆犯配“弘明岨印⑩犯妃刎朋別叫旧、仰加川印羽卯刎的詑、肥旧印刀田、印 3111132212111311123211112121 町刈羽“相引圧記幻如別別旧羽⑲羽並叫旧卍弱印氾訓別お幻ね西卍別記団弱お個別弧羽記塑窕姐羽巫“5 0333244344572752321647873300-423450136112545333 11 田餌沁印型お兜困だⅣⅡ川明加卵旧氾沁肌距旧師工明朗叫朗出佃皿、相関幻田訓閲調節朋正印肥灯明、記 212122331133132112332221213121233-1121211321
の小規模市町村では十分に行財政事務を消化することはできない。とくに最近の行政は広域化の動向をたどり、合理的、
(2)能率的市町村行政の経営が要求されている」との視点からくう後の沖縄の市町村を育成強化するにはどうすべきか審議し
てもらった。同審議会の答申案は、合併基本方針として、「市町村自治の基盤強化」と「行政合理化のための基本を固める」ことをめざし、住民福祉の向上、適正な市町村規模、市町村の調和、市町村単位の合併、振興開発計画との調和、
一部事務組合との関連-の六項目をかかげ、市町村合併が地域住民の福祉を恒久的に向上させる方向をとるよう要求し
た。合併後の市町村は原則として人口は一一一万人を標準とするが、行財政力を高めるためできる限りその規模を大きくす
る方針を打ち出している。そして特別措置で財政援助が受けられる昭和五0年一一一月一一八日までに合併を促進することを (3)目標に、この方針に基づき、四十二一市町村を一五ブロックの市町村に合併再編する合併計画を作成した。国頭・大宜
味・東ブロック、名護ブロック、本部・今帰仁ブロック、石川・恩納・金武・宜野座ブロック、嘉手納・読谷ブロック、沖縄・北谷ブロック、具志川・与那城・勝連ブロック・宜野湾、中城・北中城ブロック、那覇・浦添・豊見城・南風原
ブロック、与那原・佐敷・知念・西原・大里ブロック、東風平・具志頭・玉城ブロック、糸満ブロック、宮古ブロック、八重山ブロック、久米島ブロックの一五ブロックをつくり合併を促進したのであるが名護、糸満ブロックの合併以外に
は実現しないままに今曰にいたっている。 表3,4にみるように人口、面積を比較してみても、沖縄県の市町村の規模については、これだけのバラつきがある・ 市町村は地方自治の主体として様々な活動が要求されるのであるが、果たして現在の市町村のほとんどの実態がこうし た基礎自治体としての役割を遂行するのに相応しいものとなっているのかと疑問視する向きもある。基礎自治体として の市町村の規模はどの程度の人口、面積をもって適正な市町村の規模というのかについての説得力ある規模は今のとこ 沖大法学第十九・二十合併号 六うことが要求されるのではないか。 市町村という行政機関は、もっとも住民と密着し、揺りカゴから墓場まで生涯のつながりをもつ役所である。そして、 その自治行政の主たる目的は、住民福祉の絶えざる向上であり、同時に生活環境の改善から医療、保健、学校、公共施 設の整備など、直接的に住民の暮らしと負担にかかわる幅広い活動を展開している。これをより強力に推進するには、 小規模市町村を当該市町村の住民の納得するかたちで「適正」な規模に編成し直すための市町村の合併が社会的、時代 (5) 的要請となっているといえよう。沖縄県の場谷口には表5にみるように特に本土の市町村と比べて面積がかなり小さく、 公共施設の効率的配置、ゴミ処理場、し尿処理場など広域性を必要とする施設の建設などを考慮すると市町村の合併は 検討すべき時期であるかもしれない。 表3 沖縄県における 人ロの最も多い.最も少ない市町村 市町村合併に関する一考察 町村村 市市村国城東 覇川谷那見大 那石読与豊北 多少多少多少 最最最最最最
圖國圖
302,068人 21,851人 33,791人 1,798人 45,271人 503人 表4 沖縄県における 面積の最も大きい.最も小さい市町村 228.85K,2 18.92Km2 333.97Km2 4.26Km2 194.80Km2 3.74Km2 町村 市市町原村喜 垣添富那頭名 石浦竹与国渡 大小大小大小 最最最最最最圖國圖
出典)沖縄県総務部地方課「市町村行財政概況」 平成8年 ろはないといえよう。「具体的な市町村の適正規模は、地域社会 の実態により、時代により、市町村に期待される行政機能によ り異なる。又、国の制度における市町村に対する事務・権限の (4) 配分、行財政措置等によって異なる」。したがってその適正規模 を論じることは甲論乙駁、議論百出しても結論を下すことはな かなか容易ではない。今曰考えられる市町村の適正規模のひと つの目安は、地方分権に耐え得る行政能力、高齢化福祉を行う うえでの財政力、ゴミ・し尿の処理能力のある市町村規模とい 七三、沖縄における過去の市町村合併の必要性 一般的に市町村合併のメリットとしては、①住民生活の広域化に対応できる。②行財政の合理的、効率的な運営が可 能になる。③強い財政力が確保できる。④公共施設の効率的な建設、運営が可能である、などが代表的なものとして挙 (1) げられている。沖縄において復帰前に琉球政府が〈口併を推進したこともこれらのメリットとある程度一致するであろう。 その当時、各市町村が自己財源が少ない。さらに市町村民の担税力もほぼ限界にきており、また、市町村職員の事務の (2) 不慣れでいたずらに行政事務費の消費面が指摘されていた。一」の問題を解決する一つの方策として市町村とりわけ零細 市町村の合併が日程にのぼったのであった。復帰前の合併は琉球政府が市町村に対して合併を勧告するかたちですすめ られた。沖縄の場合、復帰ということも市町村合併の大きな契機となっている。もちろん、当該市町村においてもいろ 表5 -市町村当たりの人□・面積の平均
圖姜舅'雛:士
魎壽舅’;淵
157.38Km2 72.75K,2 沖大法学第十九 103.72Km2 35.76K,2 注(1)明治の大合併では「町村は概ね三00戸を標準として合併されることになった。これは「当時の町村は江戸時代か らのもので、その規模は小さく、市町村成立前においては、その数約七万余で、一市町村当たりの平均人口は五五五人 にすぎなかった」という事情によるものであり、その結果「町村数は約五分の一に減少し、町村の平均人口は二三七四 人となった。この大合併は、従来の町村数の七八%をわずか一年間に減少させた」のである。」また昭和の合併では「昭 和二0年に一万五二Oの市町村を、昭和一一一六年に一一一四七O市町村に統合し、新しい時代に対応可能な基礎的地方公共団 体の建設を実践した(山田光矢「地方分権の推進と区域の適正化」「政経研究」第三三巻、第一号、六一四頁。」 (2)「琉球新報」一九七三年一月一八日。 (3)「沖縄タイムス」一九七一一一年三月二五日。 (4)吉田民雄「分権化時代の市町村合併と都市間協創の時代」「地方財務」一九九四年八月号、二一頁。 (5)「沖縄タイムス」一九七七年-0月二二日。 二十合併号 八いろな面から合併の必要性は指摘されていた。そこで通常の合併のメリットと沖縄で行われた合併のメリット、必要性 がどのように交差するかを考えるために過去の合併の行われた市町村が合併に乗り出した契機について考えてみること も必要であろう。市町村合併にはいろいろな要因があり、離島の市町村であれば離島特有の合併の理由があり、本島内 でも地理的状況などによってそれぞれ合併への思惑がある。あるいは地域開発という視点から合併の必要性が指摘され ることもある。そこで沖縄におけるかっての合併がどのような必要性からその動きがでたのかについてそれぞれのブロ ックごとに整序してみたい。 の与那城村・勝連村ブロック 両村は地理的にも風俗、習慣、日常の生活など同一の生活圏にある。特に合併の話のでた一九七七年当時、両村で運 営していた与勝中学校、与勝第二中学校は一一一年ごとに与那城村立、勝連村立と名称を変えていた。そのため生徒によっ ては入学時は与那城村立、卒業時は勝連村立という極めて変則的な状態にあった。また、予防接種の場合は同じ学年で ありながら出身別に接種をうけるといった具合であった。したがって教育行政の面から、その変則的運営は合併にょっ (3) て一曰も早く解消する必要があった。また〈口併による人件費の節減の面からも両村の合併が唱えられ、同時に、住民の 多様な要求に応えるとともに公共施設の統合、ゴミ、し尿処理場の建設など一村では手におえない事業も合併すること によって可能になる。さらに産業の振興も一段と効率的に促進される。また両村の日常生活の面でも、たとえば、部落 行事は勝連村であるが、行政は与那城村に属するといった状況や問題点が次々と指摘され、こうした変則状態を解消す (4) ろためにも早期(口併の必要性が説かれていた。 市町村合併に関する一考察 九
③宮古ブロック(平良市・下地町) 宮古ブロックで最初に合併の動きがでたのは一九六一年である。当初琉球政府の合併基本計画では、宮古ブロックを 一円とした合併を考えていたのであるが、平良市、下地町以外の町村が賛成しなかったので、両市町だけの合併となっ た。そのメリットとしては次のような点が指摘された。平良市と下地町は交通はもちろんのこと生活、経済の上でも密 接につながっているので行政の一体化で財政力を強化し、組織、運営を合理化すれば理想的な田園都市が建設され、 ②宜野湾市・中城村・北中城村ブロック (5) 宜野湾ブロックの〈口併問題は、一九六一一年に「地域住民の福祉向上のためにはいまの地方自治財政ではムリだ」との 理由で行政主席から勧奨されるかたちでスタートした。六五年に合併促進協議会が設置されたが、対等合併か編入かの 合併方法、合併後の新市計画の推進の仕方などで行き詰まり、六七年八月を最後に合併促進協議会の正式な会合は開か れなかった。七一一年の復帰が話題になった六九年一一月頃から再び一一一市村合併問題はクローズアップされた。合併に消極 的だった宜野湾市も「復帰するまでに合併を終えておく必要がある」と積極的になり、大城北中城村長も「合併は本土 復帰準備のためにもひとつの使命とかんがえている」「沖縄の情勢は厳しくなってきている。この重大な局面を乗り切 (6) るにはぜひ一二市村合併をしなければならない」と合併の必要性を説き、意欲的な姿勢をみせた。このように一一一市村の合 併は県側からの勧めによって推進された感があり、住民側には是非合併しなければならないという事情はなかったので はないか。 沖大法学第十九・二十合併号 一 ○
(7) 住民福祉が増進されると期待された。‐)かし、合併は実現しなかった。 さらに、復帰を目前にひかえ再度合併の動きがあった。そのときには次のような点が合併の必要性として指摘された。 宮古六力市町村の合併をめざし平良市議会に「合併調査特別委員会」が設置され、七一一年復帰をひかえて、懸案となっ ている合併実現に動き出した。宮古の合併問題は、七一一年復帰をひかえながら過疎化現象が激しくなったことから議論 が活発になった。若い働き手の島外流出による過疎化を食い止めるため、農業改良、産業開発など大規模な事業を推進 する必要に迫られており、それには弱小自治体を吸収し宮古全体をひとつにまとめる必要があるとの理由から推進され たのであった。同時に合併促進法が施行され、宮古ブロックも琉球政府の合併勧告を受け、さらに本土復帰した場合、 (8) 合併都市には新市建設補助などの特典もあるといわれたことなどから合併にのりだしたのであった。当時市議会議員で あった狩俣恵典氏は次のように宮古における市町村合併の必要性を説いた。「復帰を目の前にして、早急に取り組まな ければならない問題は、市町村合併だ。本土の地方自治体を視察して感ずることだが、宮古はあまりにもおくれている。 たとえば、教育の面で言えば現在の沖縄では、学校の校舎建設なども-00パーセント政府補助でできている。しかし、 復帰後は、各市町村が三五パーセント負担しなければならない。今の宮古の市町村でそれを負担するとなれば問題だ。 そのほか、国民健康保健の問題、人件費のことなどもある。現在、宮古には八十八の市町村会議員がいるが、これも合 併すれば三十人ですむ。宮古本島を一円としての事業も、今のようなこまぎれ市町村では、ばらばらのものになる。そ (9) の点、平良市はこれからの行政や事業の上でも、宮古全体としての構想のもし」で進めるべきだ」。 市町村合併に関する一考察
一方、美里村は泡瀬港の問題は何年か前から中部振興会でも取り上げていたが一向に進展しなかった。とうとうコザ 市長と相談して美里・具志川・勝連・北中・コザの五市町村で促進期成会を組織して大同団結して促進することにし た。泡瀬港を建設するには、美里村独自でやるよりは合併して、広域都市でやった方がより早く、より充実した港湾が 出来ると考えていたのでコザ市との合併が必要であった。このように「コザ市、美里村はそれぞれ長短があるが相補う (旧} ことによって完壁になる」と考えたので両市村は合併へと動いたのである。美里村の中村村長はとくにコザ市との(口併 に積極的で「美里とコザは水道、道路行政は入り込んでおり、住民の負担軽減の立場からすると早期な合併がのぞまれ 大山コザ市長は、一九七二年のコザ市の広報紙「コザ市報」の雑誌「世替わりのとき」の中で、合併について、中部 地区の再編を提唱し、「新生沖縄建設の一環としてコザ市、中部地区の再編は、基地経済から平和経済を目指してなさ れます。しかも、これは愁眉(ママ)な課題であります。東部海岸と観光、この二つの開発を平和経済確立の基礎とし (川〉 て位置づけていきたいと考えています。」と東部海岸の開発と観光が一一つの柱である一」とを明一一一一口していた。そして、合 併問題について、一九七三年度の施政方針の中で「市村合併は、今や時代の要請であり、合併問題は市民の中から提起 されてきております。また、コザ市を中心とする中部地域の都市開発と地域振興の立場から、東部海岸の開発、なかん (Ⅲ} ずく港湾建設、軍用地の解放等については、広域的な観点からおしすすめて、その実現を図りたいと考えております。」 と述べているように、東部海岸の開発による市の発展に大きな期待を寄せていた。しかし東部海岸は美里村の区域であ り、合併しなければその政策を展開できなかった。したがって、その実現のためには是非ともコザ市は美里村と合併す る必要があったといえよう。 ⑤コザ市・美里村ブロック 沖大法学第十九・二十合併号 一一
る。とくにコザの場合は施設用地も飽和状態にあること、合併すれば美里地域に公共施設をはじめ多くの施設誘致がで
発、泡瀬港は合併の目玉商品であったといえよう。一ど
き、またそれがコザ、美里を中心にした東部開発の発展にもなる」と指摘した。コザ、美里にとって特に東部海岸の開
⑥嘉手納村・読谷村ブロック一九七三年一二月の両村議会で読谷村・嘉手納村合併協議会規約が議決され、七四年一月、合併協議会が発足した。
両村の合併の必要性は特に嘉手納村側にあったようである。嘉手納村の総面積は一四・九七平方キロである。ところが
そのうち約八五%の土地が軍用地として接収され、わずか一一平方キロの土地に約一万四00人の村民がひしめきあい、
基地を除く面積の人口密度は一平方キロ当たり六六00人となっており、これは県内では那覇市に次ぐ高密度であった。
このような同村にとって「土地の広い」読谷村との合併はそれだけ切実なものであった。現に読谷村の南部地域は宅地
を求めて移住した「嘉手納村民」がかなりの数いた。また農家にとっても耕作地が少ないことは致命的で、そのために
農振地域指定からはずされていた。任意組合だった嘉手納漁業組合は昭和五0年四月、読谷村漁協に自主加盟した。ま
た農協でも合併計画が進んでいた・当時、し尿の場合、読谷村側も含めて嘉手納村側が海中投棄を受けもっていたが、
ゴミ処理は読谷村側が行っていた。しかし、それも限界に達しており、両村とも独自の処理法を検討中であった。この
ように両村の合併はひとつには嘉手納村の住宅が少ないこと、ゴミ、し尿処理はすでに実質的には共同でやっており、
(閥)漁業組〈ロも実質的にはひとつであったことなどから両村の合併の必要性が説かれたといえよう。
市町村合併に関する一考察 一一一一九七一一年ふたたび合併の話が出た時の両村からみた合併の必要性は、市町村財政の窮迫が急速に進み、具志川、仲 里両村でもそのあおりを受けているのは例外ではなかった。そのき窮状を打開するたのにも両村が合併し、思い切った 合理化策を取って対処しようという点から合併の必要性が唱えられたのであった。しかし、このような両村にとっての (、) 合併の必要性にもかかわらず、具志川村と仲里村の合併は再度失敗に終わった。昨年から両村では一二度の合併の動きが 出ている。今回の合併の必要性としては、財政基盤の強化、広域的な土地利用計画、公共施設の効率配置、大規模なプ (肺} 両村の《口併は実現I」なかった。 、久米島(仲里・具志川)ブロック 両村の合併の話は一九六一年頃からあったが、なかなか進まず、六一年当時の琉球政府が合併を勧告してもうまくい かなかった。当時琉球政府が久米島の合併を実現しようとした理由と両村からみた合併の必要性は次のようである。久 米島の仲里村と具志川村の合併は、立地条件をはじめ、社会、経済、文化的な諸条件から早急に合併すべきであると琉 球政府は思っていたが、両村民の積極的な意向にそわず、|部指導者が政争に利用しようとの動きもあったので琉球政 府は両村に対して特別の「合併勧告」をした。両村の合併を得策とする理由については、①道路、港湾交通が一体化し ており、これらの施設は久米島の総合開発の見地から効率的な利用を考えるべきであり、そのためにもまず合併が必要。
②久米島の主産物である砂糖、米の増産も水利施設や農道などの基本施設、また水産業振興の施設も久米島を一体とし
て計画をするのがより効率的である。③教育、文化、また電力、電信、電話の公共施設も両村の一体化でより効率的に 運営される。④久米島の一周道路が未完成のまま放ったらかされているのや、港湾が全島の総合的な見地で利用されて いない、一」となどを合併を勧める理由として挙げている。以上のような琉球政府側からの合併の必要性にもかかわらず、 沖大法学第十九・二十合併号ロゼクト事業の実施、福祉事業の向上などが推進できるとし、「両村の過疎化に歯止めをかけ、雇用確保、若者の定着 〈川) ができる」などメリットを強調している。 注(1)小林良彰、石上泰州「自治体財政の現状と要因分析」「地方財務」一九九一年二月号、一六一一一頁。 (2)「沖縄タイムス」一九六一年七月一二日。 (3)「琉球新報」一九七七年五月二九日、七月二八日、一九九五年六月二五日。 (4)「琉球新報」’九七七年九月一六日。 (5)「琉球新報」’九七一年-0月一七日。 (6)「琉球新報」一九七一年-0月一三日。 (7)「沖縄タイムス」一九六一年七月一三日。 (8)「琉球新報」一九七一年一月一四日。 (9)「沖縄タイムス」一九七一年一月三0日。 (旧)「コザ市報」第一四六号、昭和四七年六月二一日。 (Ⅲ)ヨザ市報」四七九頁。 (、)中村哲二郎「沖縄市へ (B)中村哲二郎「あまから (ご「沖縄タイムス」一九」 (ご「沖縄タイムス」一九一 (旧)「沖縄タイムス」一九L (巾)「沖縄タイムス」一九L (旧)「沖縄タイムス」一九L 市町村合併に関する一考察 中村哲二郎「沖縄市への道のり」二0頁。 中村哲二郎「あまから人生よちよちある記」四三頁。 「沖縄タイムス」一九七三年一月五日。 「沖縄タイムス」一九九六年六月三日。 「沖縄タイムス」一九七五年一二月三一日。 「沖縄タイムス」一九七五年一二月三一日。 「沖縄タイムス」一九九六年六月三日。 一 五
合併の推進が強化された。「住民発議 制度」の導入や合併後の財政上の優遇 措置や合併自治体の議員定数増や議員 の任期延長の特例措置などを講じた。 また、合併で「過疎地域」からはずれ る場合も、旧過疎地域の事業は過疎債 の対象とするなど方策を打ち出した。 しかし、表7にみるように、これまで 全国で一一一一地域一一一二市町村で合併の動 六0%をしめている。そこで、政府はさらなる市町村の合併を促進すべく、改正合併特例法では、市町村の「自主的な」 万四O三九人)の市が約一一一四%、全国の一一五六八町村では人口一万人未満(町村人口の全国平均は一万八七二人)が約 見送られるケースも多い。現在、表6にみるように、全国六六五市のうち、人口五万人未満(市人口の全国平均は一三 いざ合併となると極めて困難を極める難事業であり、甲論乙駁、議論百出した後で「時期尚早」だということで合併は とかく不都合な点が指摘され、小さな市町村を合併して効率的な行政を行うことは時代の要請ともいえよう。しかるに、 日本の財政状況の変容さらには地方分権の推進などを考慮すると、基礎自治体としての市町村の規模も現状のままでは 四、合併の阻害要因 沖大法学第十九・二十合併号 表6 市町村の数 総務庁統計局「1995年国勢調査」(速報)による東京都の区部は 1市として数えた。 (出典)新藤宗幸「地方分檀を考える」日本放送出版協会18頁。 表7 合併協議会の設田を求めた住民発議の動き (96年12月現在、自治省鯛べ) i1蕊協議会設置に至った発議懸繍籍蕊灘鰯蕊露蕊溌蕊蕊織蕊 ①茨城県常北町・水戸市 ②岡山県川上村・ハ東村 ③沖縄県具志川村・仲里村 織協議会設置に至らなかった発議蕊|蕊議鍵鐘蕊溌議 ①埼玉県上尾市,与野市・大宮市・浦和市・伊奈町 ②宮城県名取市・仙台市 ③京都府田辺町・木津町・精華町 ④京都府園部町・丹波町・曰吉町・瑞穂町・和知町 京北町・美山町 ⑤福岡県志摩町・福岡市 ⑥兵庫県洲本市・津名町・淡路町・北淡町・一宮町 五色町・東浦町・緑町・西淡町・ 三原町・南淡町 ⑦茨城県藤代町・取手市 騨手続き進行中の発議蕊鍵蕊蕊鶏識騨騨:鍵蕊蕊騨蕊灘溌瀧溌 ①長野県岡谷市・諏訪市・茅野市・下諏訪町・原村 富士見町 ②埼玉県鳩ケ谷市・川口市 ③埼玉県本庄市・上里町 一一ハ (出典) 朝日新聞」1997年2月1日 市 町村 100万以上…………11 500,0〔X)~999,999人…・11 300,000~499,999人.…43 100,0(X)~299,999人…・156 50.OCX)~99,999人……220 30,0(X〕~49,999人……156 3万人未潤…………68 計………665 3万人以上…………113 20,(X:X)~29999人……218 100(X〕O~19,999人……701 50000~9,999人.…・…850 500〔X)人未満..………677 計………2.568
{-} きがあったが、「〈口併協議会」が設置されたのは一一一地域にとどまっている。 本県においても、たとえば平良市と下地町の合併の場合には、当初その障害となる要因はなく、関係住民の絶対的な (2) 支持があれソ、合併できるものと楽観的であった。与那城村と勝連村の合併作業の場合には、当時の勝連村長が「村民が まとまっていたので、合併は必ず成功すると確信していた」、与那城村長も「議会も賛同してくれたので七割は実現で (3) きると思っていた」というふうに当初は、〈口併は大きな阻害要因もなく実現すると思っていたようである。しかし合併 を予定していた市町村のほとんどが失敗に終わった。復帰後はコザ市と美里村の合併以外まったくない状況である。そ れはいかに合併が難しい仕事であるかを証左するものであろう。そこで次に、これまで他府県で行われた合併の阻害要 因なども参照しながら、これから市町村合併を行う際に予想される阻害要因について次のような視点で整序してみたい。 Ⅲ首長、議員、職員の身分の保障 本来合併を積極的にリードしていくべき市町村長、議会議員、市町村職員が、その身分を失う可能性があるために、 合併の必要性は痛感しつつも、合併には諸々の理由を挙げて反対したり、消極的になったりしているのではないかとい うことが指摘される。例えば、コザ市と美里村の合併のときに、美里村の中村哲|一郎村長は「私は最初の頃は正直のと ころ合併には消極的であった。その理由は至って単純で、村長職を棒にふってまでは合併したくないという至極当然の (4) 欲があったからである」と、あまりにも率直に述べているようにその職を失うことの不利益から〈口併に消極的になった り、いろいろと理論武装して反対の論陣を張るのが常である。特に本県の場合、今、合併した方が望ましいのではない かと思われている町村の場合、他の規模的に大きい市町村よりも比較的容易に町村長が一一選、三選しており、無投票当 市町村合併に関する一考察 一 七
選の可能性も高く、首長にとっては小さな町村のメリットもそれなりにある。したがって一期目の首長がいるところで は合併が難しくなる可能性も高い。合併予定の町村の首長が両方とも一期目であるとか、年齢的に若くこれから先一一期 も一一一期できそうである町村の合併は難しいかもしれない。その点では改選期のタイミングも大切であろう。すでに首長 を退任される方は、得てして合併には積極的であるが、在任中の首長は一般的に消極的になるという傾向があるように
みられることから推察してもその身分の問題が影響しているのではないかと思う。合併についての意見がこれほどまで
に違うのかと驚いたしだいである。 議員にしても、合併して広域の選挙区になると選挙に影響することは間違いないので合併して自分の選挙が気になる のはごく当然である。特に本県の小規模町村の議員は得てして字代表であり、時には「親戚代表」という形で選出され ており、合併による選出規模の広域化を嫌うのは議員にしてみればこれまた当然であろう。与那城村と勝連村の合併の 動きがあったとき、与那城村には反対が多かった。その理由のひとつは「合併で議員の数が半分になることで離島な (5) どは地域の代表を議会に送れなくなる懸念が生じた」ためであった。本土の例では、茨城県つくば市の合併の場(ロには、一度目は失敗し、一一度の合併のはなしは、関係六町村議会議員の改選期が近づいたことなどを契機として一九八七年六
月に県知事は合併の要請を行うことになった。最終的には四町村による対等合併で合意し、十一月に新生つくば市が誕 生した。五町村のうち合併に合意しなかった茎崎町が合併に参加していないのは、議員の任期が他の町村と大きくズレ ていたという「議員の事情」が最大の要因であったといわれている。それ故に市町村合併は関係市町村議会議員の身分 (6) との関係から、統一地方選挙の年に行われやすい傾向がある。このことからも〈口併と議員の身分が微妙な関係にあるか がわかる。首長と議会がその気になれば、合併は促進されるがそうでない場合には、合併は難しい。 沖大法学第十九・二十合併号 八首長は比較的同意が早いがやはり議会がいちばん難しい。たとえばいわき市の合併のときには県議会が直接行って議 (7) 員に話してまとめている。なお、〈口併特例法では、議員が合併によってその身分を失うことを考慮し次のような特例措 置も設けている。①新設合併の場合には最長で一一年以内の間、②編入合併の場合には編入をする合併関係市町村の議会 の議員の在任期間相当期間、それぞれ合併関係市町村の協議により引き続き合併市町村の議会の議員として在任するこ 身分保障の問題は市町村の職員とて同様であろう。これまで合併問題の成否のカギを握るのは、議員と一般職員だと されていた。合併について、一般職員は職場環境の変化、肩書の変更につながる。だから地位保全意識が働き、職員は (8) 各種事務処理に消極的になる。これも合併の大きな問題である。たとえば美里村の場〈ロには、主に人事問題を中心に調 査している。その理由について当時の中村村長は「合併により不利益をもたらすことはない、と言い続けてきたので人 事に関することは神経過敏と思われる程真剣に考えていた。私の偽らざる心情から察して職員もみんな自分自信の身 (9) 分は可愛いので〈口併に不安をもっていることだろう。」と指摘するように、職員でも合併後の身分の不安から合理的判 断としては合併に賛同しえても、個人的な立場としては消極的にならざるをえないケースもある。美里村が調査にいっ た鹿児島市の場合には、次の点が申し合わされた。課長、係長は原則そのままとして、事情により降任された課長、係 (川) 長は復元されている。降任された職員は公平委員会によってくつがえされている。給料の是正は一一年かかった。しかし、 このような念入りの調査をした上での合併であったが、沖縄市になってから美里村の職員四人が降格されたとして人事 委員会への不服申し立てをして三年のあいだ人事委員会で争うということもあった。合併に伴う人事の難しさを思い知 らされるものである。以上、首長、議員、職員の身分との関係で考えてみたのであるが、「合併ができない本音は、み とが認められている。 市町村合併に関する一考察 一 九
②一部事務組合が合併を遅らせる
都市化、広域化が急激に進行する中で、住民の生活圏が市町村の粋を越えてきており、共同で事務を処理する必要性
が高まってきた。このような社会環境の変容に効率的に対応するひとつの手法は市町村の合併であると多くの論者によ
って指摘されているところである。しかし市町村合併には慎重な手続きを必要とするので各市町村ではそれにかわる ものとして一部事務組合という方式で当面する諸問題の解決にあたっている.つまり、市町村そのものはそのままとし ておきながら、その機能の一部(広域的処理を必要とする事項)について実質的に合併と同じ効果をもたらす手法であ (Ⅱ)り、これを「機能的(口併」と呼ばれることもある。その代表的なものとしては、消防、清掃、ゴミ処理などの一部事務
組合がある。したがって小規模市町村で独自でやると財政的負担などで困難な場合、隣接市町村と共同でやった方が効
率がよいものは一部事務組合でやっている。これを大いに活用すれば、実質的には合併に相当する効用を発揮するので
あり、市町村にとっては面倒な合併という手法を意識的に回避し、一部事務組合という一種のパーシャル合併という便 宜的な方法で仕事をしている。それゆえに市町村の合併の必要性を痛切には感じないのである。 なか本根の部分を公言しないだけにやっかいな阻害要因のひとつとして挙げることができる。 不本意にその職を失う程不快なものはないからである。その身分の問題は予想以上に難しいものであり、当事者がなか合併を棚上げしてしまうのである。しかしそのことを非難することはできない。なぜなら、職に就いてる人間にとって
守ろうとする気持ちがいささかでも心底にあると合併を困難にするであろう。「時期尚早論」という常套手段でもってんな自分が可愛いからでしょうね」(中村哲一一郎旧美里村長)と語るように当時者たちが己の地位にしがみついて職を
沖大法学第十九・二十合併号 一 一 ○合併しなくても、一部事務組合で市町村の仕事は十分こなせるのではないか、という考えもあるが、この方式には次 のような長短があり、長期的な抜本的な広域行政を行うという点では次のような限界が指摘される。この一部事務組合 は、ごみ焼却場とか、し尿処理等、住民に嫌われるいわゆる「迷惑施設」を共同で圏域内に一カ所建設しようとする場 合などには好都合であるが、しかし構成団体の利益がお互いに相反するような事業を行う場合とか、また、たとえば 文化、スポーツ施設等、住民に喜ばれる施設をどこか一カ所設置しようとする場合には、構成団体としての足並みは揃 (旧} わないので市町村圏の事業としては進めるのが難しい。小さな町村の場《ロ、競技場、図書館、美術館、町民会館などを 建設したくてもこの種の事業の場合には、なかなか事務組合方式ではうまくいきそうにない。関係市町村のすべての意 見が一致する事業でなければ一歩も進まない。この方式はうまく機能しないということになりそこに大きな限界がある。 このような一部事務組合を必要に応じていくつもつくったら、時間的にも、経費の面でもロスが大きく、いっそのこと 合併した方が好都合であるのではないか。 ⑥新庁舎の位置の問題 現在合併の動きのある久米島の具志川村、仲里村の場合、新庁舎の位置についてはさほど問題にしていないようであ るがこれは、まだ合併が現実の問題として目前にせまっていないからではないかと思う。本県において過去の市町村 合併が失敗に終わる場合の原因の多くは、新市町村の庁舎の位置問題であった。かって久米島の具志川村と仲里村が一 九七六年一月一曰に合併することを目標に両村の執行部及び県は積極的に合併事務を進めたのであるが、庁舎の位置が (灯) 解決できずく口併は実現できなかった。又、与那原ブロック(与那原町・大里村・佐敷町・知念村)の《口併作業はすべて 市町村合併に関する一考察 一 一一
順調に運んでいたが、最終的に庁舎建設場所を決定する段階に至って紛糾し失敗に終わった。当時の新聞は「与那原ブ ロックの合併も誤算か、”庁舎“で物別れ」と見出しをつけ次のように報じた「与那城ブロックの合併問題は新庁舎の 設置場所をめぐり、与那城町と佐敷村が対立、硬直状態になっていた。四町村の首長、議会の会合で調整を図ったが、 双方の意見は平行線をたどり、物別れに終わった。同ブロックの合併問題は一九七一年初めから話し合われ、十一月合 併をめざし、五月には促進協議会を発足、本格的な作業を進めた。九月中旬には「新市建設計画』もまとまり、政府への (川) 書類提出を待つばかりとなっていた。」土壇場で庁舎の位置をめぐり、意見対立し合併そのものが《」破算になったのである。 コザ市・美里村合併協議会においても庁舎の位置決定問題は、「難題中の難題で、合併はまたもご破算になるのでは ないかとさえ思われるほど両市村が深刻になって対立したのが、新市の事務所の位置をどこにするのか、つまり本庁舎 をどこに置くかで、議論が交わざれ結論がでなかった」と当時合併事務局で仕事をしていた砂川政夫・現沖縄市収入役 が述べるように大きな阻害要因であった。新庁舎の位置について、コザ市、美里村とも互いに譲歩せず、それぞれの庁 舎を新市の庁舎と考えるのも無理はなかった。特にコザ市側にこの考えが強かった。しかし美里側からすればあくまで も対等合併であり、安易に譲歩することはできなかった。合併の際に新庁舎の位置が問題化するのは、①本庁舎のある ところが新市の中心地となり得ること。②本庁舎を核にして都市開発と地域整備がなされる、からであるといわれてい る。したがって、両市村ともそれぞれの庁舎に対する愛着もあったであろうが、何と一一一一口っても本音では新市の中心地と (面) して、地域開発を推進したいという利害と思惑が錯綜していたと一一一戸われている。 コザ市側の合併協議会委員や市民団体は、「新市の庁舎の位置はコザ市庁舎にせよ」「庁舎を美里に変更することには 絶対反対である」と強硬な態度で当局に迫った。そこで、合併事務局では客観的な資料として、両市村の庁舎までの交 沖大法学第十九・二十合併号 一 一 =
通体系、宮公署の所在数、両市村の庁舎の面積と増築可能面積、駐車場面積の詳しい比較表を作成して委員会に提出し たが、その位置決定の結論には至らなかったので、次に合併先進地を調査してそこから収集した情報や資料を根拠に (旧} 改めて協議して位置決定をした。総務財務委員会では、暫定的に現在のコザ市庁全口とし、美里村庁舎を支所とする。 新市建設計画に基づいて、新庁舎を現在の美里村行政区内に建設する。その間、支所においても住民サービスを低下さ せないように努める、と決定した。ところが、時の両市村長及び議会議長、議員並びに五十名の委員で構成された合併 協議会委員が激しい議論と慎重審議を苦心惨たんの末に合意された協定事項であったが、合併後それは守られることな (州) く、旧コザ市の旧庁全口跡に新庁舎の建築が決定され、旧美里村側には大きな不満となった。いま、合併の動きがある久 米島の仲里村と具志川村の場合、すでに仲里村は立派な庁舎を建設している。合併して再度、新庁舎を建設することは 財源のロスであるので、仮に仲里村の庁舎を使おうとした場合、すでに庁舎を建設した村の住民にとっては自分たちの 税金で建設した庁舎を合併とはいえ、全く建設費を負担していない他の村民が一緒に使うことに対する抵抗はないか。 一方、具志川村の住民からすれば、自分たちの役場がなくなり、位置的に遠くなることへの不満はないか。同時に、具 志川村の住民からすれば仲里村に吸収されるような不満はないのか。庁舎に関してはいろいろと不安が出てくると思わ
れる・コザ市と美里村の場合も合併そのものは全体としてうまくいったが、庁舎問題については合併協定事項が守られ
なかった結果になり、今なお、美里側には不満が残っているようである。 側過去における合併のにがい経験 過去における合併の失敗そのものが、これから新たに合併をしようとする場合の阻害要因になっているように思われ 市町村合併に関する一考察  ̄ - - -(帥) 事態よりあった。 このように本県市町村の合併作業は失敗に終わったケースも多く、このこと自体が市町村の合併をしりごみさせてい るのではないかと思われる。首長にとって合併がこんなに困難なものであれば少なくとも自分の在任中は合併問題には
破算となった。この両市村の合併騒動は逮捕者がでるなどこれまでの沖縄県における他の合併反対ではみられない程の
は合併反対の町長、議員とも無投票当選となった。議員は一六人中反対派一四人、賛成派二人となり、事実上合併は「」 たことに怒り徒党を組んで町長宅に押しかけ乱暴を働いたという事態にまで発展した。また町長、議員辞職後の選挙で に押しかけ乱暴、家をたたき壊したり、その家族を脅かした。これに対して町長はこれらの人達を告訴したが、告訴しが辞表を提出し、解散となった。暴行事件も起き、逮捕者もでるほどの騒ぎであった。合併反対の町民が町長、議員宅
町長の解職と町議会の解職請求を行うという事態にまで発展した。しかし、リコール投票を前に町長が辞任し、全議員 ったとき、平良市との合併に反対する下地町民は、有権者総数の一一一分の一以上の署名を集め、選挙管理委員会に対して あることは否定しがたい。過去の失敗のきずをいやすことも必要であろう。特に宮古島における過去の合併の動きがあ 談となった。そのにがい経験をした当事者が住民、行政責任者、議員の中にもおり、再度の合併話には疑心暗鬼の面が村、具志川村と仲里村、平良市と下地町の場合、合併にこぎつけそうであったが、最終局面になって困難にぶつかり破
う懲りているという面も考慮しなければならず、見逃すことはできない9例えば、勝連町と与那城町、中城村と北中城
ろ。今後、沖縄県で合併の動きのでそうな市町村のほとんどが過去において一度失敗を経験しており、合併の話にはも (Ⅳ)騒ぎとなり、いまだに「下地町合併問題」として語り継がれている。中城村、北中城村、宜野湾市の二一市村の合併の時
には、中城村の合併反対が強く、合併決議案を撤回し、村長が道義的な責任をとり議長に辞表を提出するというような 沖大法学第十九・二十合併号 一 一 四係わりたくないということになるのも当然の成り行きである。「わがなき後に洪水はきたれ」の心境になるのも無理か らぬことであろう。 ⑤市町村間の財政上の問題 (ア)市町村間財政の格差 市町村合併の際に相手方が財政的に苦しいときには、そのことが合併を困難にするであろう。すでに保持している 「財・サービス」をこれまで保持していなかった他のコミュニティがこれによって恩恵を受ける場合には、拒否反応が (。) 起こるのも当然である。与那城村と勝連村の〈口併のときには勝連村側は大方賛成であったが与那城村側に大きな反対が あった。その反対の理由のひとつが与那城村の財政的な豊かさであった。「平安座島にできた石油産業が村に多くの諸 (、一) 税を落とし、村が地方交付税の不交付団体になるほど財政が好転していた」のである。与那城村民からすれば、CTS 闘争で村を一一分するほどの犠牲を払って企業を誘致し、自己財源が六億五千万円から七億円に達し、昭和五十四、五年 には十一一、三億円になろうとしているのに、村民に還元しないうちに合併してしまっては何もならない。せっかく着い (幻} た実は食べてからでもよいのではないか、という意見があった。コザ市と美里村の〈口併のとき、美里村の一部の合併反 対の議員の反対理由は、コザ市の起債が多いことであった。これに対して中村村長は、「起債は即財産だ。起債して職 員の給料を支払って金がなくなっておれば問題であるが起債したからには必ずそれの何倍かの財産が施設として残って いる。したがってコザ市の起債が一一倍あろうが三倍あろうが一一一倍、四倍の施設が残っているからコザ市の起債のことは (型) 〈口併の反対理由とならないと考えていた。」このように合併の相手方に多くの起債があることは合併を困難にするのが 市町村合併に関する一考察 一 一 五
(雪} とよりい』える。 (イ)合併市町村への過重な財政的負担 市町村が合併を行う場合には職員の身分保障があるため、|時的ではあれ、類似団体と比べて過大な職員を抱えるこ とになる。確かに合併は長期的には財政的にもメリットがあるとしても、短期的には職員が増えるということもあって 合併した市町村はその負担増に耐えるのは大変である。合併した場合、経常的な経費については、議員や職員の待遇を 低下させることはできないので人件費は一時的に大きく膨れ上がる。例えば、コザ市と美里村が合併したときには美里 村の職員の給料をコザ市並にするのでその分だけでもかなりの負担増となった。一方、職員数は合併によって効率的な 運営が可能になり長期的には合理化が進められるはずであるが、合併による経常経費の重圧が増すことによって、投資 水準が低下するようなことは避けられない。沖縄市についてみると、普通建設事業費は財政計画では、歳出の一一分の一 を越える四三億円を見込んでいたが大幅にこれを下回った。人件費の急増が、建設事業を圧迫した格好になっている。 こうしたことから、経常収支比率は急速に悪化し昭和四八年度はコザ市が八二%、美里村が六九%であったのが合併し た四九年度は一気に九五%へと上昇した。経常収支比率は、その後もしばらくは九0%前後を推移することになり、沖 縄市財政の硬直化をまねいた。このように合併による経常経費の重圧による投資水準の低下が合併を消極的にしている り除き合併を促進させた。 普通であるが、起債を即財産と発想を転換した中村村長の英断が美里村民の合併に対する財政上の不安要因を大きく取 沖大法学第十九・二十合併号 一一一ハ
⑥わが町が消えることへの住民の抵抗 住民の心理は常に平穏無事を好み保守的傾向にあって現状の変革を好まない。このことは市町村合併についてもいえ
るであろう・市町村合併に消極的になりがちな住民感情のひとつに長年住み、親しんできたわが町の名称が消え、それ
に伴って共同体意識が薄らぐことへの恐れがあるように思える。ことに年配者にとっては自分の市町村の歴史が閉じら
れることに堪えられない寂しさを感じるので、現状のままであって欲しいと願う住民が多いことも合併を阻害している (あ) ひとつの要因としてあげることができよう。都市周辺の町村の人口動態からみれば、その町村の元々の住民の数よりも近年都市部から転入してきた住民の比率が
年々高くなっており、さらに、このことがすすめば合併の阻害要因となる名称や共同体などの歴史への執着は薄まり合
併の際の阻害要因ではなくなるかもしれない。 ⑦補助金依存体質小規模町村の場合には現実問題として、自己財源はほとんどなく当然のことながら自立には程遠く、離島振興法、山
村振興法、過疎地特措法などの諸々の助成策によって多方面から支えられることによって市町村の財政は成り立ってい
る。このように小規模な町村の財政は補助金によって補強され、事業はそれなりに展開できるのであえて困難を伴う合併をして財政基盤を強化し、町村の活性化・自立化を図ろという考えはあまり必要に思っていないかもしれない。し
かし、このような補助金への安易な依存体質は適性な町村規模を考えるということを阻害しているように思えるのであ る。「補助金が合併の阻害要因」になっているのではないか。地方交付税制度は、都市部から地方への所得を再配分し、 市町村合併に関する一考察 一 一 七どこにいても最低限の生活を保証する社会の安定化装置である。しかし、過疎地の社会資本や公共サービスもかなりの (刀》 レベルに達したくう、交付税や補助金を柱とする地方財政制度は弊害を生み出している、との指摘もある。現在の交付税 (羽) 制度のもとでは、零細な小規模市町村も「自己努力をしなくても、国が面倒をみてくれる」という考え方があるかもし れない。石弘光・一橋教授は「地方には、汗をかいて税金を集めるより東京見物をかねて国に頭を下げに行き、地方 (羽) 交付税や補助金をもらった法がいいという意識が残っている」と地方の安易な補助金依存体質を指摘する。 注(1)「朝日新聞」「分権の受け皿-市町村合併」一九九七年一一月一日。 (2)「沖縄タイムス」一九六一年五月二二日。 (3)「琉球新報」一九九五年六月二五日。 (4)中村哲二郎「沖縄市への道のり」二頁。 (5)「沖縄タイムス」一九九五年六月二五日。 (6)横道清孝、村上靖「市町村合併の実証的分析(二)」「自治研究」第六九巻、第七号、八一頁。 (7)横道清孝、村上靖「自治研究」「市町村合併の実証的分析二)」八五頁。 (8)吉田民雄「分権化時代の市町村都市間協創の時代」「地方財務」一九九四年八月号、四九頁。 (9)(旧)前掲書「沖縄市への道のり」一o頁。 (川)牧田義輝「自治体合併の理論」「季刊行政管理研究」NO三四。 (旧)坂田期雄「民間主導で動き出した諏訪圏城の合併運動〒)「国会月報」一九九o年二月号、四四頁。 (旧)「沖縄タイムス」一九七五年一一一月三一日。 (N)「琉球新報」一九七一年-0月二二日。 (ご砂川正雄「秘録沖縄市誕生」前掲書「沖縄市への道のり」所収、一四o頁。 (旧)前掲「秘録沖縄市誕生」一四三-一四四頁。 沖大法学第十九・二十合併号 一 一 八
(、)「沖縄タイムス」一九七七年九月二九日。 (群)中村哲二郎「あまから人生よちよちある記」四二-四三頁。 (お)小林良彰、石上泰州「徹底検討!自治体財政はこう変わる」「地方財務」一九九四年八月号、六三頁。 (配)高良武「コザ市・美里村の合併を振り返る」前掲「沖縄市への道のり」所収、二二二頁 (”)「読売新聞」「地方は分権に耐えられるか(1)」一九九七年二月二日。 〈羽)(羽)「読売新聞」「地方は分権に耐えられるか(3)」一九九七年二月一三日。 (エ)「琉球新報」 (則)牧田義輝「 (羽)「琉球新報」 (四)「沖縄タイ, (旧)中村良男「 (、)前掲、一四 市町村合併に関する一考察 前掲、一四七頁。 中村良男「合併の思い出あれこれ」前 「沖縄タイムス」一九六一年七月一三[ 「琉球新報」一九七一年一o月二六日。 牧田義輝「自治体合併の理論」「季刊行政管理研究」NO三四、 一四七頁。 夷「合併の思い出あれこれ」前掲書「沖縄市への道のり」所収、一八二頁。 イムス」一九六一年七月一一一一日、二0日、二六日、八月一日、一一一日、九月-0日、一一一一日、’0月二四日、二八日。 一九九五年六月二五日。 一九八六年六月、一九頁。 一 一一 九
最近の多様化する都市化状況からすると必ずしも小規模町村であることが、その住民自治の促進の条件ではないであ ろう。大都市にあっても地域行政システムの設計いかんによってはきめ細かな行政サービスの供給や住民参加の促進が 可能であろうといわれている。しかし、小規模市町村で合併の動きがでると、住民側からは「サービスの低下」「住民 参加の困難性」などの危倶も指摘されるのである。合併によって住民へのサービスを低下させないように努め、従来ど おり住民参加ができるような方策を講ずることは十分可能であるし、これは行政の力量の問題であろう。 合併後、地域性や住民の意見が反映できるように諮問機関を設置したり、これまで以上に議会活動を強化・活性化す (1) ろなどの工夫をすることは可能であろう。さらに市町村〈口併は「中央集権化」につながり「住民の自治権を侵害」する ものであり、自治権を狭めるものであるとの指摘もある。思うに合併は自治と相反するものではなく、民主的な住民自 治と共生する方法を模索することは時代の要請するところであろう。逆にあまりにも小規模な市町村の場合、自治能力 そのものが低下しているのではないかと思われることさえある。自己財源の少ない市町村の場合、ほとんどの事業が補 助金に依存し、そのため補助金漬けにされているのが日本の自治の現実かもしれない。小規模市町村であればあるほど、 自治を守っているつもりがその内実は「自治の空洞化」が徐々に進んでいるかもしれない。離島振興協議会会長の金川 範光南大東村長は、「およそ年間百曰は那覇や東京への出張のため役場を留守にする。県や国との顔つなぎや予算確保 (2) のための陳情が主な用務だ。」これは決して離島村である村に限った}」とではなく、日本の各地の小規模町村の実情で 合併は住民自治・住民参加と共存可能か lあとがきにかえてI 沖大法学第十九,二十合併号 ○
その一方で、市町村合併を考える場合に留意すべきことは、地方分権の推進や市町村財政の悪化などから合併の必要