Padma-hbyun-gnasandhispOSItlOnInTlbetallBUddhlsm
矢
崎
正
見
は じ め に 八 世 紀 中 葉 、 時 の チ ベ ッ ト国 王 チ ソ ン デ ツ ェ ン(Khri・sron・lde-btsan)に 招 か れ て 入 蔵 、 サ ム ェ(Bsam-yas)寺 の 建 立 に尽 力 し 、 秘 密 仏 教 の 布 教 伝 導 を行 っ た 蓮 華 生(Padma・sa血bhava, Padma-hbyun-gnas)の 略 伝 と、 そ の 思 想 を 紹 介 し 、 併 せ て 、 彼 が チ ベ ッ ト仏 教 史 上 に お い て 占 め る位 置 に つ い て 考 察 し よ う と す る 事 が 本 稿 の 目 的 とす る処 で あ る 。 1略 伝 と 思 想 の 特 色 〔名 称 〕 パ ドマ サ ム バ ー ヴ ァ(Padma-samb-hava・ 蓮 華 生)を 中 国 仏 教 で は 巴 特 瑪 繖 巴 幹(斡)・ 巴 特 瑪 薩 木 巴 瓦 ・巴 摩 娑 盤 婆 等 と音 訳 す る 。 チ ベ ッ ト名 を ペ マ ジ ュ ン ネ(Padma-hbyun-gnas) と い い 、 チ ベ ッ ト人 は彼 を グ ル リム ポ チ ェ、(Guru-rin・po-che・ 宝 師)、 グ ル ペ マ(Guru-padma・ 蓮 華 師)、 ロ ブ ポ ン(Slob-dpon・ 師)、 或 い は 単 に グ ル(師)、 リ ム ポ チ ェ(宝)等 と呼 び 、ま た 、 彼 の 生 地 が 下 記 の 如 く、 イ ン ド北 西 の ウ ル ギ ャ ン(Urgyan)で あ る と こ ろ か ら 、 ウ ル ギ ャ ン ペ マ(Urgyan-padma・ ウ ル ギ ャ ン 生 れ の 蓮 華)、 或 い は 単 に ウ ル ギ ャ ン(ウ ル ギ ャ ン 生 れ の 人)等 と も云 う 。 〔家 譜 〕 カ シ ミ ー ル の 北 西 、 ウ ル ギ ャ ン 、 或 は ウ ッ デ ィ ヤ ー ナ(Uddiyana・ 鳥 耆 延 那 ・鳥 伏 那)、 即 ち 、 現 在 の 西 パ キ ス タ ン 、 カ フ ィ リス タ ン(Kafiristan)に 出 生 。 ジ ュ ニ ャ ナ シ デ ィ (Jnana-siddhi・ 智 慧 成 就)等 、 多 く の 書 を 著 し た 碩 学 の 王 候 、 イ ン ドラ ブ ー テ ィ(Indra・ bhuti)の 一 子 と し て 生 ま れ た 。 一 説 に よ る と 、 同 時 代 の 入 蔵 イ ン ド僧 、 シ ャ ー ン テ ィ ラ ク シ タ (Santi・raksita・ 寂 護)の 妹 、マ ン ダ ー ラ ヴ ァ ー (Mandarava)と 結 婚 し た と云 わ れ て い る が 、家 系 そ の 他 に つ い て は 詳 か で は な い 。 〔修 学 〕 長 じ て 、 当 時 の イ ン ドに お い て タ ン トラ(tantra)仏 教 の 中 心 地 で あ っ たベ ン ガ ー ル 地 方 に お い て 修 学 し、 の ち に 、 瑜 伽 行(Yogo-cariya)派 系 統 の 密 教 学 者 と し て 、 ナ ー ラ ン ダ (Nalanda・ 那 爛 陀)寺 で 活 躍 し、そ の 名 声 を 内 外 に 広 め る に 至 っ た 。 〔活 動 と業 績 〕 当 時 の チ ベ ッ ト は仏 教 の 興 隆 に 対 し て 熱 心 で あ っ た チ ソ ン デ ッ ェ ン(754年 頃 即 位 〉 王 の 治 下 で あ っ た が 、 王 は そ の 頃 、 在 蔵 中 の シ ャ ン テ ィ ラ ク シ タ と 共 に 、 ラ サ(Lha-sa・ 拉 薩)郊 外 の マ ル ポ リ(Mar-po-ri・ 赤 い丘) に寺 院 を建 立 し よ う と し た処 、 雷 電 ・地 震 等 の さ ま ざ ま の 災 害 が 国 内 の 各 地 に 起 っ た 。 之 は仏 教 に敵 対 す る悪 魔 の 所 業 で あ る と考 え ら れ た の で 、 シ ャ ー ン テ ィ ラ ク シ タ は 之 を退 治 す る よ う に 命 じ ら れ た が 、 彼 に は そ の 能 力 が な か っ た 。 そ こ で 、 シ ャ ー ン テ ィ の 請 に よ っ て 、 チ ソ ン は パ ドマ を チ ベ ッ トに 招 く こ と ・ し た の で あ る 。 招 か れ て 入 蔵 し た の ち 、 パ ドマ は シ ャ ー ン テ ィ と協 力 し て 、 マ ル ポ リに 北 イ ン ドの オ タ ン タ プ リ寺(OtantapuriVihara)の 伽 藍 に 型 を と り、サ ムエ 寺 を建 立 し£
更 に イ ン ドよ り12名 の説
一 切 有 部(Sarvastivadin)の 比 丘 を迎 え 、7人の チ ベ ッ ト人 を 出 家 せ し め 、 ま た 、 王 な ら び に 選 ば れ た 数 人 の チ ベ ッ ト人 に 陀 羅 尼(dharani) の 秘 義 を授 け 、 『空 行 母 火 焔 熾 盛 呪(T?1_1__1_ivtKnan- hgro-mame-lca-hbar-ba・Dakini-agnijihva-」va1。伽t,a)、 等 の タ ン トラ 経 典 を 講 義 した り゜ 或 い は各 種 の 密 教 経 典 の 飜 訳 を な す 等 、 秘 密 仏
教 をチ ベ ッ トに紹 介 す る事 に尽 力 し8
〔著 述 〕(1)Dam-tshiglna-pa(五 種 三 摩 耶 ・ デ ル ゲ 版 東 北 大 目 録No.1224) (2)Hphags-palag-nardo-rjegos-soon-pocan- gyisgrub-thabs-kyiman-nagrgya-CherIbsad-pahihgrel-pa(聖 金 剛 手 青 衣 成 就 法 優 波 提 舎 広 釈 註 ・合 上No.2214) (3)RdoIrjernam-par-hjoms-pashes-bya-bahi gzuns-kyirnam-par-bsad-pardo-rjesgron-ma shes-bya-ba(金 剛 摧 破 と 名 つ く る 陀 羅 尼 釈 金 剛 燈 ・全 上No.2679) (4)Dpalhjig=rtenmgon-pomkhahspyod-pahi sgrub-thabsshes-bya-ba(都 羊世 間 尊 空 行 成 '就 法 ・x上No .2729) (5)Them-yiggsan・bashes・bya・ba(秘 密 書 状 全 上No.3049) (6)Khor-yugmnar-bahisgrub-thabsshes-bya-ba(周 縁 愛 楽 成 就 法 ・全 上No.3186) (7)TshigThug-pahia-ra=pa-tsaInahisgrub-thabs(長 行 述 阿 羅 波 遮 那 成 就 法 ・全 上No. 3310) (8)Gshal-yas-khangsal-bar-byedpahimnon-rtogsmun-selsgron-ma(超 量 殿 作 明 現 観 闇 滅 燈 ・会 上No.3706) X XX X 上 述 の 略1云 に よ っ て 窺 い得 る 如 く、 イ ン ド に お い て は ナ ー ラ ン ダ 寺 に あ っ て 密 教 有 数 の 学 者 と して 活 躍 し た が 、 入 蔵 后 は チ ベ ッ トに お い て 、何 等 の障 害 ・抵 抗 も な く仏教 を興 隆 せ しむ る た
め に 、巧 み に 同 国 在 来 の宗 教 で あ るボ ン(Bon)
教 の思 想 と融和 し た教 義 を案 出 した 。す な わ ち、
彼 以 前 にチベ ッ トに紹介 され たアサ ンガ(Asanga
無 著)系 統 の瑜 伽 派 で奉 ず る諸 々 の仏 や 菩 薩 と、
ボ ン教 で祀 る処 の 諸 神 との類 似 点 を強 調 した り、
ま た 、竜 樹(Nagarjuna)系
統 の 中 観 派 の諸 仏 ・
諸 菩 薩 が 、 ボ ン教 の諸 神 とな っ て チ ベ ッ トの 国
土 に現 わ れ た とい う、一 種 の 本地 垂 迹 説 を立 て
る こ と義 。よ り、 ボ ン教 、 乃 至 ボ ン教 徒 と い う 、 当 時 の チ ベ ッ トに お け る反 仏 教 勢 力 か ら の 障 害 な し に チ ベ ッ トに お い て仏 教 を伝 播 し よ う と 、 ボ ン 教 に 対 す る配 慮 の 点 で は 誠 に 細 心 で あ っ た 事 が 窺 わ れ る の で あ る 。 一 方、 イ ン ド仏 教 そ の も の に つ い て は 、 彼 自 身 が タ ン ト ラ仏 教 の 中 心 地 で あ っ た ベ ン ガ ー ル で 学 び 、 瑜 伽 行 派 に属 す る 密 教 学 者 で あ っ た と い う点 か ら 、 当 然 の 事 な が ら 、 当 時 、 南 方 イ ン ドに お い て 流 行 し て い た タ ン ト ラ仏 教 の 系 統 の 要 義 を 第 一 義 と考 え 、 ま た 、 普 賢 法 身 の 思 想 を 無 上 秘 密 乗(Bla-medgsan-bahitheg-pa)と 名 づ け 、 大 喜 楽 禅 定(Bde-ba-then-pohitin=ne-hdsin)と よ ぶ 瑜 伽 法 を もっ て 、 最 上 の 教 と考 え て 居 た の で あ る 。 II入 蔵 前 後 に お け る チ ベ ッ ト国 内 の 実 状 パ ドマ サ ム バ ー ヴ ァ の 活 躍 し た 入 世 紀 中 葉 の 時 代 、 イ ン ド国 内 に あ っ て は ア ー デ ィ トヤ セ ー ナ(Adhityasena)に よ っ て確 立 さ れ た 、 い わ ゆ る 後 期 グ プ タ(Gupta)王 朝 が カ シ ミー ル の ラ リ タ デ ィ トヤ(Lalitaditya)に 滅 ぼ さ れ 、更 に 、 ゴ ー パ ー ラ(Gopala)が ベ ン ガ ー ル に パ ー ラ(Pala) 王 朝 を 樹 立 し た 時 代 で あ っ た 。 同 じ時 代 の イ ン ド仏 教 々 団 内部 は 如 何 で あ っ た か と云 え ば 、 知 ら る ・如 く、 イ ン ド仏 教 は 四(69)
世 紀 か ら五 世 紀 末 に か け て の グ プ タ 王 朝 の 時 代 が そ の 最 盛 期 で あ っ た が 、 こ れ が 、 中 国 よ り玄 奨 が 入 竺 し た 時 代 、 す な わ ち七 世 紀 の 前 半 か ら は衰 滅 の 一 途 を 辿 り、 こ の 間 、 因 明 の ダ ル マ キ ーJLテ ィ(Dharmakirti・ 法 称)、 中 観 派 に チ ャ ン ドラ キ ー ル テ ィ(Candra-kirti・ 月 称)、 ハ リ バ ドラ(Haribhadra・ 師 子 賢) 、 入 蔵 僧 の シ ャ ー ン テ ィ ラ ク シ タ、 カ マ ー ラ シ ー ラ(Kamala-siia・ 蓮 華 戒)等 の 著 名 な論 師 が 輩 出 し た が 、い わ ゆ る大 乗 仏 教 の 教 勢 は 、 回 教 と イ ン ド教 の 攻 勢 に 遭 い 、 そ の 勢 力 は 凋 落 の 一 途 を 辿 り、 仏 教 の 教 義 内 容 と し て は 金 剛 乗(Vajrayana)と 称 す る新 し い教 派 、 す な わ ち 秘 密 仏 教 の 出 現 を 見 た の で あ る 。 特 に 、 大 乗 仏 教 中 、 竜 樹 系 統 の 中 観 派 と弥 勤 の 流 れ を汲 む 諭 伽 派 は本 来 、 相 補 う べ き思 想 で あ っ た の が 、 時 の 流 れ と 共 に 対 立 す る 学 派 を形 成 し て行 き 、 大 乗 仏 教 末 期 に 至 っ て は 、 瑜 伽 派 の 勢 力 は 頓 に 衰 え 、 之 に反 し て 中 観 派 は 次 第 に 密 教 化 す る こ と に よ り、 そ の余 勢 を 維 持 し得 た の で あ る 。 パ ドマ が こ の よ う に衰 微 の 道 を辿 る瑜 伽 派 に属 し た 事 は 、 彼 が イ ン ド本 土 を 離 れ て チ ベ ッ ト国 内 に 瑜 伽 密 教 の 教 勢 拡 張 を 志 向 し た一 つ の 理 由 と も な る の で は な か ろ う か 。 一 方、 こ の よ っ な パ ドマ を迎 え 入 れ た チ ベ ッ ト国 内 の 状 勢 は ど う で あ っ た か と云 え ば 、 前 述 の 如 く、 八 世 紀 中 葉 の チ ベ ッ トは チ ソ ン 治 下 で あ っ た が 、 チ ベ ッ トへ の 仏 教 初 伝 は 六 世 紀 中 葉 よ り七 世 紀 中 葉 に か け て の ソ ン ッ ェ ン ガ ム ポ (Sron-btsan-sgam-po)の 時 代 で あ り 、 王 が トン ミサ ム ボ ー タ(ThAn-miSams)Kota)等 を イ ン ド に 送 り、 イ ン ド文 化 の 招 来 と 、 同 時 に 仏 教 を 導 入 し 、 更 に 中 国 王 室 の 女 、 文 成 公 主 と ネ パ ー ル 王 女 ブ リ ク テ ィ(Brikti)と の 二 人 の 妃 を 通 じ て 仏 教 との 接 触 を持 っ た等 、 王 室 の 名 に お け る 仏 教 の チ ベ ッ トへ の招 来 と い う点 で 、 ソ ン ツ ェ ン
の 功 績 は 多大 で あ る と云 わね ば な らぬ が 、 当 時
に お け る仏 教 の チ ベ ッ トへ の伝 播 は 、 も と よ り
チ ベ ッ ト社 会 全 体 へ侵 透 した と云 うべ き もの で
は な く、上 部 社 会 の王 室 な ら び に そ の 周 辺 の一
握 りの人 々 に よっ て仏 像 が安 置 せ られ 、 之 に対
す る信 仰 が な され た に過 ぎな い と見 るの が妥 当
で あ ろ う。寧 ろ、仏 教 の 本格 的伝 来 とい う意 味
で は上 記 チ ソ ンの 治下 こ そ、 そ の時 とい え よ う。
然 しな が ら、 チ ソ ン治下 の チ ベ ッ トにお け る仏
教 の伝 播 も、決 して平 坦 な道 の上 で 、何 等 の障
害 な しに行 わ れ た訳 で は なか っ た 。
チ ソ ンの即 位 は彼 が13才 の 時 と云 われ て い £
王位 に は つ い た が、 幼 少 の彼 に政 治 ・行 政 の実
権 は な く、補 弼 の任 に当 っ た大 臣 等 が恣 に政 権
を握 り、単 に行 政 上 の権 利行 使 の み な らず 、 国
家 運 営 の宗 教 的 理 念 に対 して さ え 、容 喙 す る と
い う状 態 で あっ た。 す な わ ち 、 ボ ン教 に傾 倒 す
る大 臣 達 は ソ ン ツ ェ ン以 来 、 チベ ッ トに建 立 さ
れ た様 々 の仏 教 堂宇 を破 壊 し、 イ ン ド ・中国 ・
ネパ ー ル等 か ら の入 蔵僧 の追 放 を行 う等 、 仏 教
に対 す る様 々 の 弾圧 を行 っ た の で あ る。 ソ ンツ
ェ ンの即 位 後 、歴 代 王室 の名 に よっ て招 来 せ ら
れ た仏 教 が 、 臣 下 の大 臣達 に よ っ て破 壊 され る
の を 目前 に見 た チ ソ ン は成 年 に達 して 政 治 権 力
を政 府 高 官 の側 近 の手 か ら奪 い取 っ た後 、 仏 教
の 尊 重 を彼 の 国 王 と して の姿 勢 の根 本 に採 用 し
た の で あ っ た。 即 ち 、 中国 ・イ ン ド・ネパ ー ル ・
カ シ ミー ル等 か ら、仏教 に 通 暁 した学 僧 を招 き、
特 に使 を当 時 のマ ガ ダ(Magadha)国
に送 り、
前 述 の如 くナ ー ラ ンダ寺 の学僧 パ ドマ サ ム バ ー
ヴ ァ を迎 え入 れ た の で あっ £
チ ソ ン に よ る こ
の よ う な仏 教 興 隆 の擧 は 、 も と よ り彼 一 人 の 意
志 に よっ て の み行 わ れ た もの で は な く、 その 背
景 に 親仏 派 の 政 府 高 官 達 と排 仏 派 の 高官 達 に よ
る仏 教 乃 至 ボ ン教 を軸 と した権 力 闘争 が展 開 さ
れ 、 夫 々 の 権 力 の 強 弱 を裏 楯 としてチ ソンに よ
る仏 教 復 興 の運 動 が行 われ た事 実 を物 語 っ て 居
るの で あ っ た 。即 ち、 チ ソ ンの幼 少 の 時代 に は
ボ ン教 に親 しむ大 臣達 が権 力 を握 っ て 居 り、 た
め に上 記 の如 き廃 仏 の事 が行 わ れ たが 、 チ ソ ン
の 成 長 と共 に次 第 に親 仏 派 の大 臣 達 が 力 を持 ち 、
かつ て ボ ン教 支 持 の人 々 に よっ て仏 教 堂宇 の破
壊 が行 わ れ た の に対 して 、之 に対 す る一種 の報
復 行 為 と して 、 ボ ン教 派 の大 臣達 を生 理 め に し
た事 な どが 史 書 パ サ ム ジ ョ ンサ
ン(Dpag-bsam-ljon-baan)に
記 さ れ て い00
然 る に、 チ ソ ンに よ る仏 教 の 興 隆 運 動 が さ ま
ざ ま に行 われ て居 る折 も折 、 た ま た ま、首 都 ラ
サ の マ ル ポ リを 中心 に雷 電 、降 雹 等 の不 吉 な前
兆 が 現 わ れ た 。 そ して 、前 述 の如 く、之 が 直接
の 原 因 とな っ て 、 パ ドマ が招 か れ て 入 蔵 す る事
となっ た の で あ る。
斯 くの如 く、 パ ドマ が 入蔵 し た理 由 を彼 の入
蔵 前 後 にお け るチ ベ ッ ト国 内 の現 状 に徴 して考
察 す る時 、先 ず考 慮 に 入 れ ね ば な らぬ事 は 、 当
時 の チ ベ ッ ト王室 を取 りま く人 々 の間 に お け る
親 仏 ・親 ボ ン両 派 の勢 力 闘争 が 熾 烈 な形 で展 開
され て 居 た事 で あ る。 更 に、 こ の争 い が 実 は権
力 志 向 の 戦 い で あ りな が ら も、 そ れ が具 体 的 に
表現 さ れ た形 態 は仏 教 とボ ン教 の争 い で あ る と
い う形 を持 っ て居 り、 しか もそ の宗 教 的優 劣 は
そ の そ れ ぞ れ が持 つ 呪術 的 な力 の 強 弱 に よ っ て
決 定 さ れ ね ば な ら な か っ た とい う点 で あ っ た 。
こ の よ うに呪 術 性 の強 弱 が宗 教 と して の優 劣 に
結 び つ くとい う思 考 が 、 当 時 の チ ベ ッ ト人 に よ
っ て持 た れ ね ば な らな か っ た理 由 の 第一 に考 え
られ る事 は初 期 の チ ベ ッ ト社会 に お い て 、 当 然
の事 な が ら、 宗 教 に対 す る チベ ッ ト民族 の 志 向
が そ の よ うな方 向 へ 向 った事 に よろ う。す な わ ち
八世 紀 中 葉 の チベ ッ ト社 会 は草 創 の 時代 か ら僅
か二 百 余 年 を経 た にす ぎな い未 開 社 会 で あっ た。
この よ う な社 会 に あっ て、 人 々 が宗 教 に求 め る
もの は招 福 攘 災 の偉 大 な力 以 外 の何 物 で も な く、
二 つ の宗 教 の 内 、何 れ か一 つ を選 ぶ とす れ ば 、
その よ うな力 が よ り強 い もの を選 択 す る こ と、
当 然 で あ ろ う0在 来 の宗 教 た る ボ ン教 の存 在 す
る処 へ 、 仏 教 が之 を排 除 し なが ら押 入 ろ う とす
れ ば、 よ り強 力 な呪 術 性 を誇 示 し な け れ ば な ら
なか っ た事 は 自然 の理 で あっ た。 第 二 に 、 当 時
に お け るチベ ッ ト人 達 の 志 向 の質 もさ る事 なが
ら、 ボ ン教 その もの が 持 っ て い る呪 術 的要 素 に
も注 目 し な けれ ば な ら な い で あ ろ う。 ボ ン教 に
関 して は、 その 宗教 的 起 源 ・教 義 等 、不 明 な点
⑧
が 多 いが 、 そ の根 本義 とす る処 は 、宇 宙 空 間 に
様 々 の霊 魂 が浮 遊 して居 り、 その結 合 に よっ て
人 の世 の吉 凶禍 福 が決 定 す る と考 え る の で あ る
か ら、 こ め精 霊 に対 して祭 祀 を行 い 、祈 疇 す る
事 に よ っ て攘 災 招 福 を計 ろ う とす る 。 しか も、
そ の祭 祀 の具 体 的 な方 法 は巫僧 に よ る一 種 の 心
霊術 の如 き手段 が 採 ら れ る の で あ る。 この よ う
な シ ャ ー マ ニ ズ ム 的 宗 教儀 礼 を根 本 義 とす る ボ
ン教 に対 抗 す る ため に は 、仏 教 も、 その 持 つ 呪
術 的 な面 を もっ て対 抗 せ ざ る を得 な か っ た の で
あ る。 と云 うよ り、徒 らに高 遠 な教 義 を説 い た
り、 或 は清 浄 な戒律 に よ る生 活 規制 を唱 え た り
し た処 で、 到 底 、 当 時 の チ ベ ッ ト人 に よっ て受
入 れ ら れ る事 は な か っ た で あ ろ う。 第 三 に、 呪
術 その もの と も云 え る ボ ン教 に対 抗 す べ く招 来
され た イ ン ド仏 教 その も の ・性 格 が 、 幸 か不 幸
か、 所 謂 、密 教 で あっ た事 をそ の理 由 と して挙
げ る事 が 出 来 る。 シャ ー ンテ ィ と い い、 パ ドマ
とい い 、 当 時 にお け る殆 ん ど大 部 分 の 入 蔵僧 は
イ ン ドにお け る末 期 仏 教 た る密 教 の 洗 礼 を受 け
た僧 侶 で あっ た。 こ の事 実 は、彼 等 が好 む と好
ま ざ る とに抱 らず 、 ボ ン教 の 呪術 的 要 素 に対 し
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て 、 同 じ く呪 術 を も っ て 対 抗 せ ざ る を得 な い 結 :果を招 い た の で あ っ た 。 斯 く て 、 呪 術 仏 教 の チ ャ ン ピ オ ン と し て 、 パ ドマ は シ ャ ー ン テ ィ ラ ク シ タ の 要 請 に よ り 、 チ ソ ン に 招 か れ て 、 仏 教 と ボ ン教 の 闘 争 場 裡 に 登 場 し た の で あ る が 、 彼 の チ ベ ッ ト仏 教 に お い て 占 め る地 位 を 明 ら か に し よ う と す る 時 、 そ の 考 察 の 根 底 に は 上 記 の 如 き チ ベ ッ ト王 室 を 取 り ま く仏 教 と ボ ン教 の 血 み ど ろ の 闘 争 が行 わ れ て 居 た 事 を 前 提 と し な け れ ば 、 と云 う よ り 、 こ の よ う な 仏 ・ボ ン両 教 の 抗 争 が パ ドマ を し て チ ベ ッ ト仏 教 の 上 に逆 に 彼 の 地 位 を下 さ し め た と云 う べ き で あ ろ う。 そ れ で は 、 彼 は 一 体 、 如 何 な る 位 置 を チ ベ ッ ト仏 教 史 上 に 占 め る の で あ ろ う か 。 以 下 、 更 に 論 を進 め る こ と ・'しよ う 。 3チ ベ ッ ト仏 教 史 上 に お け るパ ドマ の 位 置 パ ドマ の チ ベ ッ ト仏 教 史 上 に お け る地 位 を考 察 す る 場 合 、 二 つ の 流 れ を考 慮 に 入 れ ね ば な ら な い 。 即 ち 、 そ の 一 つ は チ ベ ッ ト仏 教 に お け る 秘 密 教 の 歴 史 の 中 で の パ ドマ の 位 置 で あ り 、 他 の 一 つ は チ ベ ッ ト仏 教 全 体 の 流 れ の 中 に 置 か れ る 彼 の位 置 に つ い て で あ る 。 先 ず 前 者 に つ い て は 、 チ ベ ッ トに お け る密 教 の 歴 史 は 二 つ の 時 期 に 分 け る こ と が 出 来 る 。 即 ち 、 パ ドマ の 時 代 を 去 る こ と約 一 世 紀 、 ラ ン ダ ル マ(Glan-dar-ma)の 在 位 中 に 、周 知 の 如 くチ ベ ッ ト に お い て 仏 教 に 対 し空 前 絶 後 の 大 弾 圧 が 行 わ れ 、 ソ ン ッ ェ ン の 時 代 に初 め て 仏 教 が チ ベ ッ トに伝 播 さ れ て か ら 、 約300年 間 に 亘 っ て 営 々 と し て 築 か れ て 来 た チ ベ ッ ト仏 教 は 潰 滅 に 瀕 す る 大 打 撃 を受 け る に 至 っ た の で あ る 。 そ し て 、 そ の 後 、 約100年 の 間 、 無 仏 教 の 時 代 が 続 い た 後 、 西 方 ガ リ(Mnah-ris)地 方 に958年 の 頃 、 リ ン チ ェ ン サ ム ボ(Lo-chen-rin-chen-bzan・po)が 出 て 、 パ ドマ の伝 え た 密 教 を復 興 し 、 こ こ に ラ ン ダ ル マ 以 前 の 所 謂 、 ガ タ ル(Sna-dar・ 前 伝) 仏 教 に 対 して チ タ ル(Thyi-dax・ 後 伝)仏 教 の 時 代 に 入 る わ け で あ る が 、 こ の 新 し い 密 教 は 同 じ頃 、 東 部 カ ム(Khams・ 喀 木)地 方 か ら 起 っ た 戒 律 系 統 の 仏 教 と共 に 、 一 旦 、 滅 亡 に瀕 し た チ ベ ッ ト仏 教 を復 興 す る と い う枠 中 で 主 軸 を な し た 関 係 上 、 パ ドマ 当 時 の 密 教 と は や ・、 そ の 0 色 彩 を 異 に し て い た 。 こ の 後 伝 仏 教 に お け る新 し い 密 教 に対 し て 、 よ り呪 術 的 で あ り 、 よ り ボ ン教 に 近 い傾 向 を有 し て い た破 仏 以 前 の 密 教 は 秘 密 古 派(Gsan-snags-grain-ma)又 は 大 究 竟 派 (Rdsogs-Chen-po)と 呼 ば れ て 居 る が 、パ ドマ は こ の 古 派 の 祖 と考 え ら れ て 居 る の で あ る 。 即 ち チ ベ ッ ト仏 教 史 上 、 そ の 主 軸 を な す 秘 密 教 は 、 ラ ン ダ ル マ に よ る破 仏 を機 と し て 新 旧 二 つ の 流 れ に 分 断 せ られ 、 旧 派 密 教 の 祖 が パ ドマ で あ り、 新 派 の 祖 が 上 記 の リ ン チ ェ ンサ ム ボ と さ れ て 居 る の で あ る 。 リ ン チ ェ ン の復 興 ・提 唱 し た新 密 教 は パ ドマ 流 の 古 派 密 教 と、 そ の 教 義 に お い て 幾 多 の 相 違 点 を持 っ て は い る カ0全 体 的 な密 教 の 流 れ に つ い て 見 る な ら ば 、 リ ン チ ェ ン が 開 祖 と さ れ る新 秘 密 教 の 流 派 が そ の 後 の チ ベ ッ ト仏 教 の 主 軸 と な っ て 、 顕 教 が 稍 々 、 軽 視 さ れ る傾 向 が 生 じ た ・め 、 十 一 世 紀 に お け る ア テ ィ シ ャ (Ati§a)の 入 蔵 を 見 た の で あ る 。 そ し て 、 ア テ ィ シ ャ の 入 蔵 に よ っ て チ ベ ッ ト仏 教 に お け る 秘 密 教 重 視 の 傾 向 は 略 々 、 是 正 さ れ 、 顕 密 相 関 の 教 た る チ ベ ッ ト仏 教 の 一 つ の 特 色 が 発 揮 さ れ た の で は あ る が 、 ア テ ィ シ ャ の 流 れ を 汲 む 新 興 諸 派 の 内 、 ゲ ル ク パ(Dge-lugsIpa)を 除 い て は 総 て 密 教 の 色 彩 が 濃 厚 で あ り、 チ ベ ッ ト仏 教 が 本
来 具 有 す る密 教 的色 彩 は拭 うべ くも な かっ2
そ して 、 そ れ ば か りで な く、 こ の よ う な密 教 的
色 彩 は 時 の 流 れ と共 に左 傾 化 の 方 向 を辿 り、遂
に 十 四 世 紀 末 に お け る ッ ォ ン ヵ パ(Tson-kha・ pa)に よ る宗 教 改 革 が 行 わ れ た の で あ る 。 次 に 、 チ ベ ッ ト仏 教 史 全 体 の 流 れ の 上 に お け る パ ドマ の 位 置 に つ い て は 上 述 の ツ ォ ン カ バ に よ る 戒 律 主 義 の 仏 教 復 興 運 動 の 展 開 に伴 っ て 成 立 し た新 し い 宗 派 を 黄 帽 派(Shwa'ser-pa)、 或 い は徳 行 派(Dge-lugs-pa)と 呼 び 、 之 に対 し て 旧 来 の 宗 派 は 紅 帽 派(Shwa-dmar-pa)、 或 い は 単 に 古 派(Rnin-ma-pa)と 呼 ば れ た が 、 こ の 前 者 、 黄 帽 派 の 祖 は ッ ォ ン カ パ と さ れ 、 パ ドマ が 紅 帽 派 の 開 祖 と さ れ て い る の で あ る 。 ツ ォ ン カ バ は リ ン チ ェ ン 流 の 左 傾 密 教 の 是 正 を 目 的 と し て 宗 教 改 革 を チ ベ ッ トに お い て 展 開 し た の で あ る が 、 そ し て 、 密 教 の 流 れ そ の も の が ラ ン ダ ル マ の 廃 仏 を 契 機 と し て 二 分 さ れ て は 居 る が 、 改 革 后 の ツ ォ ン カ バ の 流 れ を顕 教 と 見 る 立 場 か ら は 密 教 全 体 に つ い て は 、 や は りパ ドマ が そ の 開 祖 と さ れ る の で あ る 。 す な わ ち 、 全 チ ベ ッ ト仏 教 史 を ッ ォ ン カ バ に よ る 宗 教 改 革 を境 と し て新 旧 の 両 仏 教 に 分 け る と き、 旧教 即 密 教 と い う 立 場 か ら は 新 教 の ッ ォ ン カ バ に 対 し て 、 旧 教 の 開 祖 と考 え ら れ て い る の が パ ドマ な の で あ る 。 従 っ て 旧 派 の ラ マ 教 に あ っ て は 、 チ ベ ッ ト守 護 聖 と し て の 彼 の 像 は 釈 尊 の そ れ と全 く同 等 の 位 置 を祭 壇 に お い て 占 め る程 に尊 敬 を 払 わ れ て い る の で あ る 。 こ れ に よ っ て も 、 ッ ォ ン カ バ 以 前 の チ ベ ッ ト仏 教 に お い て 、 パ ドマ の 占 め る位 置 が 如 何 に 重 要 な も の で あ る か を知 る こ と が 出 来 る 。 パ ドマ の 教 学 が チ ベ ッ ト仏 教 史 、 特 に 前 記 、 前 伝 仏 教 に お い て 強 く根 を お ろ す に 至 っ た 今 一 つ の 出 来 事 が あ っ た 。 即 ち 、 八 世 紀 の 中 葉 、 チ ベ ッ ト に お い て イ ン ド伝 来 の 中 観 派 系 統 の 学 派 と 中 国 か ら移 入 さ れ た 瑜 伽 派 系 の 一 団 と の 間 に 確 執 が あ り 、 時 の 国 王 チ ソ ン デ ツ ェ ン の 面 前 に お い て イ ン ド僧 カ マ ラ シ ー ラ(Kamala-§lla)と 中 国 僧 大 乗 和 尚(MahayanaHwa-can)と の 間 に 法 論 が行 わ れ 、 こ の 法 論 に お い て は カ マ ラ シ ー ラ の 一 派 が 勝 利 を得、 こ の 結 果 、 こ れ 以 后 の チ ベ ッ トに お い て は大 乗 和 尚 は チ ベ ッ ト国 内 よ り追 放 せ ら れ 、 中 国 瑜 伽 派 の布 教 は 禁 ぜ られ 、 イ ン ド系 の 中 観 派 仏 教 の チ ベ ッ トに お け る伝 導 が 公 認、さ れ る こ と ・ な っ た の で あ る 。 こ の 法 論 が 行 わ れ た 理 由 に つ い て 、 プ トン(Bu・ston)の 仏 教 史 に は 法 論 に参 加 し た1イン ド僧 ペ ヤ ン(Dpal-dbyans)は 受 戒 の 規 範 師 に任 命 さ れ て 戒 律 の 伝 統 護 持 に 意 を注 ぎ 、 同 じ く法 論 の イ ン ド側 代 表 者 の 一 人 エ セ ワ ン ボ(Ye・ses-dban-po)は ロ ダ ッ ク(Lho-brag)に お い て 瞑 想 中 、 中 国 の 大 乗 和 尚 の 一 派 は 大 い に 増 加 し、 而 も 厂全 く思 考 を な さ ぬ 者 こ そ 、 こ の 現 世 の 生 活 よ り た 易 く脱 れ 得 る の で あ り 、 如 何 な る 思 考 も 探 求 も行 為 も な い と い う事 は 正 し い 意 味 の 無 所 得 を 斎 す こ と ・な る 。 か く の 如 き方 法 に よ っ て こ そ 、 人 は 悟 りの 境 に到 る の で あ る」 と い う 頓 悟 流 の 教 義 を 喜 ぶ チ ベ ッ ト人 達 も次 第 に 増 加 し、 一 方 で は シ ャ ー ン テ ィ 流 の イ ン ド仏 教 の 信 奉 者 も 多 く、 こ の 両 者 の 間 に 争 い が 絶 え な か っ た の で 、チ ソ ン は 厂シ ャ ー ン テ ィ の 教 義 に示 さ れ た 見 方 に よ るべ し。」
と勅 命 を下 し、
之 を中 国 派 の 人 々 が怒 っ たの力曾
この法 論 の直 接 原 因 で あ る と して居 るが 、 実 は
そ の裏 に チ ソ ン を中心 とす るチ ベ ッ ト王 室 の イ
ン ド並 び に 中 国 に対 す る見解 の差 異 が大 き く影
響 して 居 た の で は な か ろ うか 。即 ち 、 チ ソ ン治
下 の蔵 中 関係 は唐 書 に も記 され る如 く常 に于 戈
を交 え る状 態 で あ り、就 中 、応 徳 元 年(763)十
月 の如 き、 蔵 軍 二 十 余 万 は長 安 に ま で侵 入 し、
時 の 中 国 皇 帝代 宗 は陝 洲 に逃 れ る とい っ た侵 寇
が行 わ れ た の で あ 調
之 に反 し、 チ ベ ッ トの イ
ン ドに対 す る態度 は如 何 で あっ たか と云 え ば 、
ソ ン ツ ェ ン時代 に使 を イ ン ドに遣 して仏 教 を主
E73)
軸 と す る イ ン ド文 化 の 吸 収 を は じ め て よ り、 イ ン ドを チ ベ ッ ト に とっ て 文 化 的 に 母 国 と見 て い た よ う な 観 が あ る の で あ っ た 。 こ の よ う に 中 国 イ ン ド両 国 に対 す る 見 解 の 相 違 が 、 チ ベ ッ ト国 内 に お い て 同 じ よ う に 伝 導 さ れ て 居 た 中 国 仏 教 と イ ン ド仏 教 に 向 け ら れ た 時 、 前 者 を 国 外 か ら 追 放 し、 後 者 を チ ベ ッ ト国 内 に お い て 公 認 し よ う と云 う意 途 の も と に 、 最 初 か ら仕 組 ま れ た 法 論 と見 る こ と も 、 強 ち 不 当 な解 釈 と は 云 い得 な い で あ ろ う 。 そ れ か あ ら ぬ か 、 プ ト ン の 記 述 す る 処 に よ れ ば 、 チ ソ ン に よ る法 論 の 計 画 は 秘 密 裡 に行 わ れ て 居 た の が 、 大 乗 和 尚 に よ り察 知 せ ら れ 、 和 尚 は之 に 対 抗 す る た め に 「禅 定 眠 臥 の 法 輪(Bsam-gtan-nal-bahi-hkhor-lo)」 を 著 し た
と され て居 毳
更 に この よ うな意 途 を もっ て な
され た法 論 は 中 国側 の 大乗 和 尚 の 敗 退 に よっ て
終 っ た の で あ るが 、こ の 時 、チ ヲ ン に よっ て 「
教
義 に関 して は龍 樹 の教 学 を採 用 す べ く、 実践 に
関 して は十 法行 乏 十 波 羅 蜜 を学 ぶ べ し。且 つ 、
中 国流 の 頓悟 教 学 は之 が布 教 を許 さ な い」 と云
う命 令 が如 何程 厳 重 に守 られ たで あ ろ うか 。竜
樹 流 の 中 観 仏教 を採 用 す る事 を勧 奨 しな が ら も、
チ ソ ン 自身 が瑜 伽 派 の タ ン トリス ト、 パ ドマ を
招 聘 して そ の呪 術 力 に依 頼 して い る の で あ る。
チ ソ ン以 后 数十 年 を下 っ た ラ ルパ チ ャ
ン(Ral-pa-can)の
時代 に至 る ま で 、 チ ソ ン滅 后 の チ ベ
ッ ト王 朝 の 動 き、並 び に チベ ッ ト仏 教 の動 静 にr
つ い て は 、 その 詳 細 は不 明 で あ るが 、 ラ ルパ の
時代 とな っ て 、再 び チ ベ ッ ト仏 教 は隆 盛 の時 期
を迎 えた が 、 こ の時 、王 の命 令 に よ り説 一切 有
部 以 外 の小 乗 経 典 と秘 密 教 の密 呪 等 の飜 訳 は一
切 禁 止 の勅 令 が 発 せ られ た の で あ る。 しか し ラ
ルパ に よ る勅 命 に は前伝 仏 教 に お け る仏 教 中興
の祖 た る チ ソ ンの遺 命 を汲 む処 は少 し も見 られ
な い の で あ る。 斯 くの 如 き事 実 よ り見来 る時 、
法 論 の 目的 と す る処 は仏 教 の 教 義 ・儀 礼 の 内 容 如 何 と い う よ りは 、 あ く ま で も イ ン ド仏 教 の 庇 護 と 中 国 仏 教 の 追 放 に あ っ た と考 え ら れ よ う 。 こ の よ う な機 運 の 中 で 、 パ ドマ は イ ン ド、 ナ ー ラ ン ダ寺 の 碩 学 と し て 招 か れ て 入 蔵 し た の で あ っ た 。 とす れ ば 、 チ ベ ッ ト に お け る イ ン ド仏 教 の 確 立 の 上 で 彼 が果 さ ね ば な ら な か っ た役 割 り に も 当 然 、 注 目 し な け れ ば な ら な い の で あ る 。 4む す び パ ドマ サ ム バ ー ヴ ァ が 招 か れ て 入 蔵 し た直 接 の 理 由 は チ ソ ン に よ っ て行 わ れ た 仏 教 保 護 の 姿 勢 に 反 対 す る悪 魔 の 調 伏 で あ っ た 。 こ の 限 り に お い て は 、 彼 が チ ベ ッ ト仏 教 に お い て 占 め る位 置 は 呪 術 力 に 富 む タ ン ト リ ス ト以 外 の 何 物 で も な か っ た 。 然 る に 、 入 蔵 後 の 彼 が そ の 後 の チ ベ ッ ト仏 教 史 上 に 占 め る位 置 と し て 、 上 述 の 如 く、 1.イ ン ド仏 教 の チ ベ ッ ト に お け る教 勢 確 立 者 、 2.旧 派 密 教 の 開 祖 、3.旧 教 の 祖 と い う三 つ を挙 げ る こ と が 出 来 る の で あ る が 、 こ の 三 つ の 立 場 に 彼 を 立 た さ し め た 夫 々 の 契 機 と、 そ の 契 機 を 作 り上 げ た 根 拠 は や が て 、 今 日 に お け る全 チ ベ ッ ト仏 教 を 所 謂 、 ラ マ(Bla-ma)教 と,して 成 立 せ し め た要 素 と全 く合 致 す る も の で も あ っ た 。 即 ち 、 先 ず 彼 を して イ ン ド仏 教 の 教 勢 確 立 の 主 導 者 た ら しめ た 契 機 と な っ た も の は 、 チ ソ ン 治 下 に お け る カ マ ー ラ シ ー ラ と大 乗 和 尚 と の 法 論 で あ り、 こ の 法 論 を起 さ し め た動 機 は 上 述 の 如 く当 時 、 と い う よ り ソ ン ツ ェ ン 以 来 の伝 統 的 チ ベ ッ ト人 の 思 考 た る イ ン ド文 化 の 尊 重 で あ っ た 。 次 の 旧 派 密 教 の 祖 た る位 置 は ラ ン ダ ル マ の 破 仏 を契 機 と し て 、 そ れ 以 后 の 新 し い 秘 密 教 の 開 祖 リ ン チ ェ ン サ ン ボ に 対 し 、 旧 派 の 祖 と して の 立 場 が 与 え ら れ た の で あ る が 、 こ の ラ ン ダ ル マ に よ っ て 行 わ れ た破 仏 は そ の 根 拠 に 仏 教 と ボ ン教を軸 とす る、 王 の治 下 に お け る権 力 闘 争 を根 底
に含 む もの で あっ た 。初 期 の チ ベ ッ ト仏 教 に お
い て 、 ボ ン教 との宗 教 的 な戦 い は チベ ッ ト仏 教
に とっ て一 種 の宿 命 で も あっ た 。パ ドマ の 入 蔵
を求 め た チ ソ ン治 下 の チ ベ ッ ト仏 教 界 に も、 ボ
ン教 との確 執 の 中 か ら、 パ ドマ の入 蔵 をryrとし
て 、 ボ ン教 に一 大 打 撃 を与 え よ う と し た意 途 は
勿 論 、存 し て い た 。更 に、 宗 教 を軸 と し た政 治
権 力 の獲 得 を 目的 と した争 い は 、後 代 の ダ ラ イ
ラマ 制 確 立 期 に 及 ん で も繰 返 し展 開 され た処 で
あ っ た 。 第 三 の 旧教 の祖 と して の パ ドマ の 出現
ぽ 、 そ の 契 機 た る もの は無 論 、 ツ ォ ン カバ に よ
る宗 教 改 革 で あ っ た が、 こ の場 合 の み 、左 傾 し
た密 教 の是 正 と い う純 粋 に宗 教 的動 機 か ら改 革
が行 わ れ た の で あっ た。 然 し なが ら 、密 教 と顕
教 と い う立 場 か ら見 る時 に は 、 ッ ォ ンカ バ の 改
革 に よっ て密 教 の 左傾 化 阻止 の 実 は挙 げ得 た に
して も、 も と よ り、 チベ ッ ト仏 教 そ の もの が 持
つ密 教 的 色 彩 を完 全 に払 拭 し得 た わ け で も な く、
又 、 ツ ォ ンカ バ 自身 の意 途 も呪術 的 密 教 の チベ
ッ ト仏 教 か らの 完 全 な排 除 で は な か っ た。 事 実 、
14世 紀 後 半 か ら15世 紀 に か け て の ツ ォ ン カバ 出
現 以 后 の チ ベ ッ ト仏 教 の性 格 の 中 に 、 多 か れ少
なか れ呪 術 的密 教 の色 彩 は色 濃 く存 在 して居 る
の で あ る。 が 、 兎 も角 も、 パ ドマ を旧教 の始 祖
た ら しめ る契機 と なっ た ッ ォ ンカ バ の 宗 教 改 革
の み は顕 教 と密 教 の 絡 み 合 い とい う純 粋 に教 学
的 立 場 か ら起 っ た もの で あ っ た 。
チベ ッ ト仏 教 にお い て、 パ ドマ の 地位 を作 り
上 げ た契 機 た る チ ソ ン治 下 の法 論 、 ラ ンダ ルマ
の廃 仏 、 ツ ォ ンカ バ の宗 教 改 革 、之 等 を行 わ し
め た根 拠 た る イ ン ド仏 教 と中 国仏 教 、 仏 教 と ボ
ン教 、顕 教 と密 教 、之 等 の諸 要 素 は総 て又 、 同
時 に チ ベ ッ ト仏 教 に その 特 色 を与 え る重 要 な要
素 で あ っ た。 そ し て、 パ ドマ の 存 在 が之 等 の 諸
要 素 の相 互確 執 を理 由 と して チベ ッ ト仏 教 に そ
の 存 在 意義 を持 ち なが ら も、逆 に彼 の存 在 そ の
もの が チベ ッ ト仏 教 に欠 くこ との 出来 な い之 等
の要 素 を浮 彫 りにす る結 果 を招 い たの で あ っ た。
チ ベ ッ ト仏 教 をチ ベ ッ ト仏 教 と して 成 り立 た せ
て い る基 本 的 諸 要 素 と絡 み合 っ て 存 在 した処 に
こ そ 、パ ドマ サ ム バ ー ヴ ァ の チ ベ ッ ト仏 教 にお
け る特 殊 な地 位 が あ る と云 い得 よ う。
以
上
(註) 1.サ ム エ 寺 の建 立 は 前 后12年 の 才 月 を要 し た と云 わ れ 、 そ の 規 模 に お い て 空 前 の 伽 藍 を チ ベ ットに 出 現 した 。そ の 全 様 式 を オ タ ン タ プ リ ー に 取 り な が ら 、 中 央 の 三 層 の 大 講 堂 は そ の 第 一 層 は チ ベ ッ ト式 、 第 二 層 が 中 国 式 最 上 層 を イ ン ド式 の建 築 様 式 に よ っ て 居 る こ と も亦 、 何 か を 象 抽 す る も の ・ よ う に 思 わ れ る 。 2.こ れ が チ ベ ッ ト に お け る タ ン ト ラ経 典 講 義 の 嚆 失 と さ れ て い る 。 タ ン ト リ ス ト と し て の パ ドマ の 面 目 を 示 す こ と ・ な る で あ ろ う 。 3.パ ドマ の 入 蔵 前 后 の 事 情 、 並 び に 入 蔵 后 の 活 躍 に つ い ては 所 謂 、チ ベ ット正 史 たる"Dpag-bsam-ljon・bzan(S.C。 Das校 訂 本)"170頁 以 下 に 、並 び にBu-stonのChos・ hbyun(Bkras・ §is版)"141b以 下 に 詳 述 さ れ て い る 。又 、 中 国 資 料 と し て は 「彰 所 知 論 」 巻 上 、 並 び に 「聖 武 記 」 巻 第 五ct国 朝 撫 安 綵 西 蔵 記 上"等 に 彼 に 関 し て 記 述 さ れ て 居 る 。 更 に 東 北 蔵 外 目録No.7045に"0-rgyangu-rupadmahbyun-gnas-kyiskyes-rabsrnamIpar thar-pargyas-parbkod-pa;Padmabkahithan-yig (本 生 伝 記 広 説 般蓮 華 勅 命 の 書")と 称 す る伝 記 が収 め ら ら れ て い る 。 4.元 来 、 密 教 の教 義 に よ れ ば 、仏 教 以 外 の 諸 神 ・諸 尊 が 密 教 に お け る根 本 仏 た る大 日如 来 の 顕 現 と考 え る 思 想 が 存 し た か ら、 彼 に とっ て は こ の よ う な 一 種 の 垂 迹 説 を唱 え る こ と も 、 単 に ボ ン教 に 対 す る迎 合 の 意 ば か り で は な か っ た か も知 れ な い 。 5.Das校 訂 本Dpag-bsamP.170. 6.チ ソ ン が 招 い た 入 蔵 僧 に つ い て 、チ ベ ッ ト年 代 記"Hu-1an-deb・ther"で はShi-ba-tsho,Padma-hbyun-gnas, Vimala-mitra,Santi-garbha,Vi§uddhasi血ha,Dha-rmak3rti,Jinamitra,Dana'sila,Kamalas31a,大 乗 和 尚 の10名 の 名 が並 記 さ れ て い る 。之 等 す べ て の 僧 侶 が 入 蔵 し た か 否 か は疑 問 と して も 、兎 も角 も チ ソ ン が ボ ン教 派 の 大 臣 達 と対 抗 す る た め 、 イ ン ド ・中 国 の 学 僧(75)
を招 来 す る の に 如 何 に 熱 心 で あ っ た か 、 そ の 証 左 と は な り得 よ う。 7.上 掲 本Dpag-bsamP170 8.ボ ン 教 に つ い て はH.Hoffmannの"QuellenzurGes-chichtedertibetischenBon-Religion"が あ り、そ の 経 典 に つ い て は寺 本 婉 雅 著 「十 万 白 竜 」 参 照 。 9.後 伝 仏 教 が 着 目 す る 処 は仏 教 の復 興 す な わ ち 戒 の 流 伝 の 復 興 で あ っ た 。 こ の 戒 律 の 流 れ が 三 つ の 戒 、 即 ち 、 波 羅 提 木 叉 、 菩 薩 戒 ・秘 密 戒 の 夫 々 に 正 し い 系 譜 を保 と う と し た も の で あ り 、 そ の 限 り に お い て は 秘 密 教 は 戒 の 系 譜 の 確 立 の 上 か ら 必 要 で あ る と考 え ら れ た の で あ っ た 。 10.リ ン チ ェ ン は パ ドマ の伝 え た 秘 密 教 の復 興 に 尽 力 し た が 、 そ の 教 義 に 相 違 を生 じ た一 つ の 理 由 と し て 考 え ら れ る事 は 、 彼 の 遊 学 地 は イ ン ドで な く、 ネ パ ー ル に 前 後 三 回 に 互 っ て 留 学 し た 事 も挙 げ ら れ よ う。 な お 、 リ ン チ ェ ン の伝 記 に つ い て はDas本Dpag-bsamP182 参 照 。 11.Atisaの 入 蔵 に つ い て は 「大 崎 学 報 」101号 所 収 、 aア テ ィ シ ャ の 入 蔵 と そ の 功 罪"参 照。 12.Bu-ston璽 ℃hos-hbyun"(Bkras-sis版)142b。 13.旧 唐 書 巻196上 、 列 伝146上 。 14.上 掲 本Bu-ston142b。