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社会文化的アプローチによる英語教育研究の再検討 : 「獲得」から「アプロプリエーション」へ

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(1)41. 社会文化的アプローチによる英語教育研究の再検討1) -「獲得」から「アブロプリエーション」へ-. 吉田達弘 1.本論の目的 本論は,これまでの多くの英語教育研究が前提としてきた個人能力主義,また, そこから派生する「学習」や「獲得」という概念を批判的に捉え,かわって, Wertschらが撹喝する社会文化的アプローチ(sociocultural approach)の立場か ら,学習者と言語,他者との関わり方とらえることを試みる。これまでの英語教育 研究の領域の幅は広いが,特に学習や知識の獲得を情報処理パラダイムの中でとら えてきた傾向にある。そこでは,学習というものが外界の情報を個人内に内在化 (internalization)していく心的処理プロセスへと還元されてきた(還元主義)。 一方,このような見方と異なり,ヴィゴツキーの心理学の流れを汲む社会文化的ア プローチでは,分析の対象を, 「文化的道具(culturaltools)に媒介されて行為す る個人」としている。そして,学習を,個人の行為や活動が,他者や言語を含めた 文化的道具に媒介され,変容していく有様としてとらえている。英語教育の文脈で 言えば,学習者が英語という言語や他者とどのように関わり,コミュニケーション を実践していくのかを関係論的視点でとらえていくことが重要な内容となる。 もう少し詳しく述べると,社会文化的な学習観を英語教育研究に持ち込むことに より,学習が単なる規則や情報の獲得(acquisition)ではなく,学習者と他者・ 文化的道具との関わり,すなわち後述するアブロプリエーション(appropriation) を通した文化化(enculturation)ととらえられることになる。本論は理念的研究 であるが,教室内での英語学習で,アブロプリエーションの発生する環境や学習へ の参加構造をデザインしていくことの必要性にも言及し,実践への示唆を導く。 2.これまでの学習観: 「内在化」にもとづく獲得の概念 これまでの心理学や応用言語学研究,あるいは,それに基づく英語教育研究では, 人間の学習や知識獲得,言語獲得を分析する際に,学習者個人,あるいは,その学 習者に入力(input)として与えられる言語が分析の対象となっていた。そして, 学習に関わる諸要因を個人もしくは入力に帰属させる還元主義をとっていた。つま り,そこには,学習者個人内(究極的には,その脳内)に情報処理のメカニズムが 想定され(「計算操作」メタファーの導入, Bruner, 1990 (邦訳p.5)),学習が, 外界の情報を「記憶」, 「表象」, 「スキル」, 「思考」という概念として内在化するこ と(internalization)と同義とされた(Gregg, 19932))cこれまでの英語教育研究 のもう一つの特徴は,学習者の理想化が行われたことであるChomskyが提唱した ように,生成文法研究においては, 「理想的な話者/聴者(ideal speaker/hearer)」.

(2) ・1 'J. の言語能力(linguisticcompetence,もしくは, i-language)の獲得が研究対象の 一つとなっている。この理想化と能力理論は,第二言語習得研究にも継承され,コ ミュニケーション能力(Communicative competence)とそれを構成する4つの下 位領域(文法・談話・社会言語・ストラテジー能力)が想定された。 4つの下位構 成能力を設定することで,第二言語話者の学習や言語獲得を正確に説明することが できると考えられているが,結局は,学習や行為を内在化された能力に還元してい ることに代わりない。 また,言語の役割についても,学習者内に言語知識を構築するために必要な入力 という見方がされている。したがって,入力の操作(あるいは教授による介入)に よって,学習者内にどのような言語知識が構築されるのかを検証することが研究の 目的となってきた。例えば, Krashenの入力仮説(input hypothesis)や言語の交 換に焦点を当てたインプット・インタラクションの研究はその代表例であろう。 この内在化や理想化という概念については,様々な問題点が指摘されている (Davis, 1995; Dunn & Lantolf, 1998; Firth & Wagner, 1997; Lantolf, J. P. 1996; Willet,1995)cまず,内在化は,人間の内部と外部を分けて考えるもの(あるいは, デカルト流の心身二元論)で,基本的に人間の知識は,外部世界の情報を人間の内 部にコピーすることで所有されるという非常に静的なモデルである(Dunn& Lantolf, 1998;Wertch, 1998)。また,内在化に基づく学習のモデルは,時間を断絶 して学習を捉えている(Rogoff, 1995)cつまり,時間を過去,現在,未来に分断 し,過去からの知識の蓄積を前提にして,現在の知識を測定し(例えば,記憶の想 起やテストなど),現在の状態をもとに将来の行為の予測を行う,というものであ る。英語教育研究でも実験的手法としてよく使われるプリテスト,ポストテストは, 時間を断絶した形で,蓄積された知識や記憶を測定し,その量で発達を捉えていく 学習観であるといえよう。 また, Firth & Wagner (1997)は,学習者が最終的に理想的話者/聴者の言語能 力獲得を目指すという,これまでの第二言語習得研究の「理想化」についての批判 しているFirth & Wagnerによれば,これまでの第二言語習得研究は,認知的研 究を重視しすぎており,その中で,理想的話者/聴者の言語能力をモデルとしてき たが,これは,最終目標に到達しない外国語学習者を"deficient communicator" とする偏見を生みだし,学習者を社会的に捉えていないとしている。 3.社会文化的アプローチによる学習の捉え方 一方,内在化や理想化に基づく個人心理主義的とは異なる学習観として, Wertschらが提唱する社会文化的アプローチ(Wertsch, 1991, 1998など)があるo 社会文化的アプローチは, VygotskyおよびBakhtinを思想の源流に持つ理論であ るが,以下では,まず,このアプローチを概観してみたい。 われわれの日常の行為のほとんどは,他者や様々な道具に支えられておこなわれて いるが,社会文化的アプローチでは,人間の行為と媒介手段(mediational means)と は還元不可能な緊張関係(irreducible tension)にあるととらえる(Wertsh, 1998)c.

(3) 43. ここでの媒介手段(以後, 「文化的道具(culturaltools)」とも同義で用いる)と は,記号,言語,人工物,他者などを指すWertschは,人間の様々な行為を説明 する場合,個人とその媒介物を断絶して分析することはできないと主張する。つま り,行為の主体や媒介物,あるいは,社会的状況のいずれかのみを取り上げ,そこ に行為の諸要因を還元していく方法で分析するのではなく,あくまでも「媒介一手 段を-用いて一行為する- (請)個人(individual(s)-acting-with-mediational-means) 」 を分析の単位としていくのである。 このことをWertsch (1998)は,次のような例で示している。例えば, "343× 842"という計算問題を解かなければならないとしよう。通常,われわれはそろば んや暗算の訓練を受けていない場合, 3桁のかけ算にはすぐには答えられない。し かし,九九を知っていて,なおかつ,紙と鉛筆を用いることができるならば,次の ような形で容易に答えを導くことができる(計算機があればもっと容易だろう)0 343 1・、842. これは,個人が"343×842"の解を計算能力の一部として内在化していないという ことを示しているのではなく,文化的道具(紘,鉛筆,および九九という計算アル ゴリズム)がわれわれの行為を支えていることを示す例である。このように,社会 文化的アプローチでは,鉛筆と紙を持ち筆算をする個人を丸ごと分析の対象として いく。このような方法論は,個人や言語のみに焦点を当て,個人の能力を探る理論 とは異なり,あくまでも使用の理論,あるいは,行為の理論であるといえる。言語 学習について言えば,学習者が他者や文化的道具の媒介を通して,言語をいかに使 用していくかが研究の対象となる。 4.アブロプリエーション(appropriation) 4.1対話と他者の行為の引き込み 社会文化的アプローチでは, 「媒介-手段を一用いて一行為する-(請)個人」を 分析の対象とするが,その場合,個人がどのように道具と出会い,媒介されるよう になるのかが問題となる。英語学習で言えば,学習者が目標言語という文化的道具 とどのように出会い,その媒介によってコミュニケーションをおこなっていくが関 心事となる(具体的には後述する)0 Wertsch (1998)は,個人と道具の関わり方のレベルとして,アブロプリエーショ ンという概念を提案している。アブロプリエーションとは,もともと今世紀初頭の ロシアの言語思想家であったパフチンの用語であり,言語使用における「他者性 (alterity)」を強調する関係概念である3)。アブロプリエーションとは他者との対 請,文化的道具との関わり,対話を通じて, 「他者に属するものを自己のものにす る過程」である。換言すると, 「対話を通じ自分なりの解釈をもとに,他者の行為 を自己の行為,意図の中に引き込む」という意味である。学習者は,他者との対話.

(4) m. を通じ言語使用の有り様を学び,自らの中に内化4)していくのである。そこには, 個人内の情報処理メカニズムの設定はない。 パフチンの考えをもう少し見てみると,パフチンは自己と他者の間の緊張関係が コミュニケーションを可能にしていると考えている。つまり,自己とは異なった 「意味」や「指向性」,あるいは文化や歴史を持つ他者が存在することによって初 めてその溝を埋めるべく対話(dialogue)が可能となる。アブロプリエーションは, まさにこの対話の中で,他者の行為を自己内に引き込むことで,文化的道具の使用 を可能にする過程であると言えるoしかし,アブロプリエーションは,いつも容易 に発生するわけではないWertsch (1998)は,アブロプリエーションの過程には, 摩擦(friction)と抵抗(resistance)が必ず関与してくると述べている。つまり, 「文化的道具はそう簡単に円滑に行為者によってアプローブリュートできるもので はない。しばしば抵抗をともなうものであり,媒介物とそれを媒介された行為のた めに使用していくことの間には,最小限の『摩擦』が存在する。」 (p.54)このこと は,後述するBrownらの「相互教授」における生徒と教師の対話の分析に言及し ながら説明したい。 アブロプリエーションによる学習の捉え方は,上述した内在化による言語学習観 に比してつかみにくいかもしれない。その理由の一つには,これまでわれわれが個 人能力主義的学習観にあまりにも拘泥されてきたこと,もう一つには,アブロプリ エーションは,進行中の活動や行為,対話そのものを捉えていくので,学習者や媒 介物の一側面に還元していくことが難しい関係概念であるからである。しかし,言 語学習が本来,他者との対話を通じて,また,話者共同体の文化に参加することで 成立すること(正統的周辺参加, Lave&Wenger, 1991),しかも,学習は,時と して個人だけでなく共同体全体の変容(歴史)として考えられる(佐伯, 1995)こ とから,社会文化的アプローチは,教室での学習の有様を捉えるのにより有効な見 方を提供してくれると言える。 以下では, Wertsch (1998)が比較している二つの教室での言語使用を概観するo これにより,二つのタイプの教室のディスコースが,それぞれ,教師のどのような 学習観,環境設定の下に発生しているかを検討したい。 4.2教室でのディスコース: I-R-E構造 通常の教室の中で見られるディスコースの典型的な例は,次のようなものである。 Teacher: Where is the capital of France? Student: Paris. Teacher: That's right. 上の一連の発話は, 「教師の主導(initiative)」, 「生徒の反応(response)」, 「教師 の評価(evaluation)」という構造をなしていて, LRIE構造と呼ばれている (Mehan, 1979)<教師と生徒間の権力関係が存在する教室や,上述した内在化に.

(5) 45. よる学習が基盤となっている教室では,トR-Eに基づく言語使用がよく観察され る。英語教育でも,このような教室独特のディスコースは以前から問題視されてき た(Widdowson, 1978など)。つまり,教師は生徒が知っている(であろう)こと を引き出すために,質問を与え,生徒がそれに答えることによって,知識が内在化 されていることを確かめるわけであるoしかし,教師一生徒間の権力関係が一時解 体され,下のような純粋な質問(au血enticquestion)が発生した場合, Bのよう な反応が返ってくるかもしれない。 A: Where is血e capital of France? B: That is a question that I find very interesting. (Wertsch, 1998: 123) そして, Bの発話は,それをきっかけに,次の発話を引き出していく「思考装置 (血inking device)」 (Wertsch, 1998; van Lier, 1996)と・して,機能する可能性が ある5)。ここでは,単に知識が獲得されたかどうかを確かめるために,対話がおこ なわれているのではなく,他者を意識したやり取りがおこなわれているのである。 (4.3を参照) 4.3相互教授におけるアブロプリエーション 他者の発話を自らの文化的道具として自分の意図や行為の中に「引き込み」,ア ブロブリュートしていく教育実践として, Wertsch (1998)は, Anli Brownらがお こなった「相互教授(reciprocal teaching;以後RT)」 (Brown, Palinscar and Armbruster, 1984; Brown, Ash, Ru仙erford, Nakagawa, Gordon & Campione, 1993)に注目している1980年代から実施されてきたBrownらの相互教授は,母 語話者で読み書き能力やI Qが低いとされる子どもたちが読み書きの水準を上げる ことに成功したプログラムである。このプログラムでは,グループを構成するメン バー,あるいは教師という他者との対話(質疑,ディスカッション)を手続きに従っ ておこないながら,思考を外在化(externalize)していくことが基本となってい る.生徒どうしのRTでは, 6人ほどのグル-プである文章を読み,あらかじめ 決められたリーダーが,読んだ内容についての質問を行う(questioning)cメンバー はその質問に沿って再度内容について読み直し,対話を行いながら不明な点や読解 上の問題点を明らかにしていく(clarification)c一連の対話の最後に,内容を要 約し(summarizing),リーダーは読後に予測できる文章の内容を尋ねる(predictions)。 RTでは,このような一連の活動の中で,探求のための純粋な質問や 対話が繰り返されるoここでは,メンバーどうしの対話を通して他者が示す意味を 自分の意図の中へ引き込みながら,グループ内に,教材についての共有知識が形成 される。同時に,読みの能力の低い子どもも,他のメンバーが展開する対話が外在 化されるのを観察することによって,徐々に対話への参加の仕方を学び(Lave & Wenger, 1991),自分の役割を自覚できるようになる7)0 Wertsch (1998)は,このRTの中に見られる生徒と教師の対話の中にアブロブ.

(6) 46. リエーションが発生していることを指摘している。以下のプロトコルは,生徒どう しのRTに入る前に7年生の生徒(S)と教師(T)が個別におこなったRTの例である. Sの読みの能力は3年生レベルとされている。 <第1日目> S : What is found in也e southeastern snakes, also the copperhead, rattlesnakes, vipers-they have. I'm not doing this right. All right. Do you want to know about the pit vipers? S : Yeah. T : What would be a good question about the pit vipers that starts with the word "why? S : (no response). T : How about, "Why are the snakes called pit vipers?" S : Why do they want to know that they are called pit vipers? T : Tryitagain. S : Whydo they, pitvipersin a pit? T : How about, "Why do they call the snakes pit vipers?" S : Why do仇ey call the snakes pit vipers? T : There you go! Good for you. (Brown, et al. 1984, reprinted in 1994: 775). 教師は, Sが質問をしたいことが"pitvipers (マムシの一種)"についてであるこ とを確認したあとに, 「Whyで始めてごらん」という指示を出して支援している。 しかし,この時点でのSの発話は,教師が直接示す発話の模倣にとどまっている。 つまり,教師による支援や足場かけ(scaffolding)が見られるものの, ``Whydo they call thesnakespitvipers?という質問は,まだ, 「教師の発話」であり,生 徒Sは質問を文化的道具としてアブロプリエートできていないことを示している。 しかし,第2日目以降のプロトコルでは, RTへの参加を続けていくことで,生 徒Sは教師との対話を通じ,状況にあった発話(-質問)を徐々に自己の中に取り 込んでいく。第1日目では,教師の他者性はほとんど意識されず, Sはただ模倣す るだけであった。しかし,第4日E] (つがいのクモの話)には,最終的には教師の 発話の模倣となったものの,自分がなにを尋ねたいのかという意図を教師に確認し てもらうことで,質問を自ら構成できるところまでたどり着いている。 <第4日目> S : (no question) T : What's也is paragraph about? S. :. Spinner's. mate.. How. do. spinner's. T : That s good. Keep going.. mate…..

(7) 47. How. do. spinner's. mate. is. small. than.…. How. am. I. going. to. say. that?. T I Take your time with it. You want to ask a question about spinner's mate and what he does, beginning with the word "how." S : How do they spend most of his time sitting? T : You're very close. The question would be, "How does spinner's mate spend most of his time?" Now you ask it. S : How does spinner's mate spend most of his time?. さらに,第7日目(火山の地下活動についての話)には,教師との対話の中で,よ り適切な質問となるヒントを出してもらうことで,質問を構成できている。やがて, 第11日目(食虫植物の話), 15日目(南極探検の話)には, RTにおける質問とい う文化的道具を自らの道具として使いこなすまでに至っている(詳細なデータにつ いては, Brownetal. 1984を参照)0 ここでは, RTでおこなわれるく質問-明確化-要約-予測>という一連の活動の 中で,活動の状況をSが認識し,質問を自らの文化的道具として取り込んでいく様子, つまり,対話における他者性を通してアブロプリエーションが,実現されている8)O 生徒Sは,文化的道具の取り込みが可能になるにつれて, RTの中での自らの立場, すなわち,アイデンティティの確立も実現している。ただし, 2週間という期間の対 話を通して質問という文化的道具が,アブロプリエートされる過程のなかで,生徒S にとっては,状況にあった言語使用やその意味になじむまでに,様々な抵抗や葺藤が 見られるという点は重要である9)。つまり,アブロプリエーションには,その本質と して,他者との対話における一致だけでなく,抵抗や摩擦も含まれる(注2を参照)0 5.社会文化的アプローチから英語教育研究への示唆:教室の環境デザイン 以上,社会文化的アプローチに基づく学習観とアブロプリエーションという概念 を提示してきた。個人心理主義,内在化に基づく学習との比較を表にまとめると, 表1のようになるだろう。 表1学習観の比較 これまでの英語教育での学習,言語獲得観社会文化的アプローチにおける学習観. 分析の対象. 理想化された話し手,学習者の情報処理文化的道具によって媒介され行為する システム,内在化された言語能力個人 (linguisticcompetence),コミュニケー. ション能力,入力(input)としての言語. 学習観. 知識,スキル,表象,思考の獲得とその内社会的状況における文化的道具による 在化,知識の蓄稗媒介,他者性,対話を通したアブロプ リエーション. 静的な概念(外界の情報のコピー)動的な概念(一致,抵抗,摩擦). 言語の役割言語知識構築のための入力文化的道具,対話における中心的役割 過去一現在一未来に分断された時間(蓄積進行中の活動自体が学習や発達(現在 時間感覚された知識,思考)は過去の,未来は現在の延長である) 例)プリテストーポストテスト.

(8) 48. つまり,言語学習を社会文化的に捉えていくと,明らかに,これまでの学習や獲 得観とは異なった見方ができる。教室での英語教育の目標が,理想的話者/聴者の 能力の獲得ではなく,コミュニケーションという行為の遂行にあるとすれば,他者 との対話によって,行為を引き込むというという行為自体が,すでにその目標の一 部をなしているといっても過言ではないだろう。しかし, BrownらのRTでに見 たように,対話やアブロプリエーションが発生する教室環境は,他者との対話,行 為の引き込み,教師と生徒の権力関係の解体など,特別な構造を持っており,われ われは,そのような環境を慎重にデザインしていく必要がある。 筆者は,教室での英語学習において,ある共通の目的をもった共同体やグルー プ10)による作業,プロジェクト,作品作りなど,他者,言語,文化的道具を意識さ せるような活動に生徒たち取り組むことにより,新しい参加構造を持った教室環境 がデザインできると考えている。すでに筆者たちは,教室現場でプロジェクト目標 とした教室環境のデザインと英語学習実践,そこでの生徒たちの活動や発話の分析 を始めている(望月・吉田, 2000; Mochizuki.inpress ;吉田・望月, 2000)が, そのような環境下では,生徒と教師の対話がトR-E構造とは異なった言語使用に なっていることがわかってきた。そして,生徒たちはプロジェクト達成のために, 他者を意識し,教師一生徒間の権力関係も非常に緩やかになっていた(詳しくは, Mochizuki, in pressを参照)。これからの英語教育研究は,学習者が新しい環境や 共同体にどのように参加し,他者の行為を引き込みながら,プロジェクトを完成さ せていくかをつぶさに観察,分析(エスノグラフイ-の作成)していく必要がある。 このとき,社会文化的アプローチは,規範理論として機能するだろうo 研究上の課題ももちろんあるO一つには,社会文化的アプローチがこれまで第二 言語習得研究でおこなわれてきた質的な教室分析や談話分析とどのように異なるの かである。社会文化的アプローチはあくまでも,学習や発達についての理論であり, 方法論ではない。とは言っても,社会文化的アプローチに基づいてデザインされた 教室や社会文化的アプローチの立場に立って教室分析をおこなっていく場合,これ までとは異なり,より質的な(ェスノグラフィックな)手法を取らざるを得ない。 重要なことは,冒頭でも述べたが,社会文化的アプローチは,あくまでも「文化的 道具に媒介された行為する個人」を分析単位として,学習という行為を捉えていく 理論ということである。学習や活動に関わる文化・歴史性を重視し,学習者,教師, 教材,環境を関係論的な視点で捉えていく点は,社会文化的アプローチが他の質的 アプローチと異なる点として強調されるべき点であろう。 ;主. 1 )本研究は,第25回全国英語教育学会北九州大会における口頭発表「社会文化的 アプローチによる教授・学習の概念の再検討」に加筆,修正を加え,論文化した ものである。 2) Gregg (1993)は,第二言語習得研究の目的はチョムスキー的意味での能力 (competence)獲得の説明にあるとした上で次のように述べている。.

(9) 49. SLA theory is a theory of the acquisition of linguistic knowledge, and thus requires a property theory or functional analysis of that knowledge. But it is also. a. theory. of. the. acquisition. of. linguistic. knowledge…. Our. property. theory. asks "How is L2 knowledge instantiated in the mind/brain?"(279) 3)パフチンは自己と他者の緊張関係を重視し,次のように述べている。 「言語の中の吉葉は,なかば他者の言葉である。それが, <自分の>言葉と なるのは,話者がその言葉の中に自分の指向とアクセントを住まわせ,言葉を 支配し,言葉を自己の意味と表現の指向性に吸収したときである。この収奪の 瞬間まで,言葉は中性的で非人格的な言語の中に存在しているのではなく(な ぜなら話者は,言葉を辞書の中から選び出すわけではないのだから!),他者 の唇の上に,他者のコンテキストの中に,他者の指向に奉仕して存在している。 つまり,言葉は必然的にそこから獲得して,自己のものとしなければならない のだ。そして,あらゆる言葉を,誰もが同じように,容易に収奪し,自分のも のとして獲得できるとは限らない。頑強に抵抗する言葉は多いし,相変わらず 他者の言葉にとどまり,その言葉を獲得した話者の唇の上で他者の声を響かせ, その話者のコンテキストの中で同化することができず,そこから脱落してしま う言葉もある。それらの言葉は,いわば自分自身,話者の意志に関わりなく, 自分を括弧の中にくくっているようなものだ。言語とは話者の思考が容易かつ 自由に獲得しうる中世的な媒体ではない。そこにはあまねく他者の思考が住み ついている。言語を支配すること,それを自己の思考とアクセントに服従させ ること,それは困難かつ複雑な過程である。」 (パフチン, 1996 :p.66-67) 引用中の「吸収する」, 「収奪」はそれぞれappropriateおよびappropriationに あたるが,パフチンは,主体によって言語のアブロプリエーションをおこなうこ と,すなわち, 「言語を支配」し, 「自己の思考とアクセントに服従させること」 が必ずしもスムーズにおこなわれず,何らかの抵抗をともなうものであることを 尭調している0 4) Vygotskyは, "internalization'という用語を用いているが,筆者は,アブロ プリエーションの引き込みによって生じる「内化」と情報処理的意味を持つ「内 在化」を区別して使用している。 5)ここで述べていることは,単にauthentic (あるいはreferential) questionの 頻度を高めればいいということではない。教室での言語使用を考える際に重要な ことは,問題を単に「発間」の研究に短小化することではなく,教室での権力関 係や環境といった社会文化的側面にまで目を配らなければいけないということで ある。 6) Brown, et al. (1993)は, RTの中に発生する対話こそが参加者にとっての発 達の最近接領域zone ofproximal developme叫ZPD)を形成するとしている。 7) Brown,etal. (1993)では,アブロプリエーションの引き込みの方向性が,読.

(10) 50. みの能力の低い子どもの方向だけに向いておらず,やや読みの能力の高い子ども にも起こることから, 「相互的アブロプリエーション(mutualappropriation)」 と呼んでいる。 8)パフチンの用語を使うならば,生徒Sの問題は,どのような構造を持った発話 をするのかというよりも,どのような発話がRTの<質問>という「ジャンル」 の中で適切なのかを把握することにあった(Wertsch,1998) 9)第1日目に見られた単なる模倣による質問は,全く価値がないというわけでは ないことをWertsch (1998)は指摘している。まず,模倣した発話でさえも, R Tの中の対話では,他のメンバーの思考や発話を引き出す重要な役割を持ってい る。また,口まねを通して他者の発話を使っていくことは,その発話の意味を十 分理解していなくても,後々の発話の使用に重要な影響を及ぼす。 Wertschは, Cazden (1981)の言う"Performance before competence"が当てはまる例だと している。 10) vanLier (1988)のある授業の分析によれば,その授業の大部分は反復練習や ドU/uなど教師のコントロールが強い活動で占められていたが,その制約の中で もグループワークなどを環境を変化させることによって,自由度の高いディスカッ ションや日常の会話に近い形態が現れる可能性があることが示唆されている (van Lier, 1988: 163) (. 引用文献 パフチン,ミパイル. (伊東一郎訳) 1996. 『小説の言葉』平凡社. Brown, A. L., Palincsar, A. S. & Armbruster, B. B. 1984. Instructing comprehension-fostering activities in Interactive learning situations. In H. Mandl, N. Stein,& T. Trabasso. Learning and comprehension of text. Lawrence Erlbaum Associates. (Reprinted in Ruddell, R.B., Ruddell, M. R., & H. Singer (eds.) Theoretical models and processes of reading, Fourth edition. 1994. International Reading Association.) Brown, A. L., Ash, D., Rutherford, M., Nakagawa, K. Gordon, A. & Campione, J. C. 1993. Distributed expertise in the classroom. In Gavnel Salomon (ed.) Distributed cognitions: Psychological and educational considenton. Cambridge University Press. Bruner, J. 1990. Acts of meaning. Harvard University Press (邦訳岡本他訳1999. 『意味の復権-フォークサイコロジーに向けて-』ミネルヴァ書房.). Cazden, C. B. 1981. Performance before competence: Assistance to child discourse in the zone of proximal development. Quarterly newsletter of the Laboratory of Comparative Human Cognition, 3:5-8. (Reprinted in M. Cole, Y. Engesrom, and O. Vasquez (Eds.) 1997. Mind culture and activitiy: Seminalpapersfrom the Labor拐tory of conφ・arative human cognition. Cambridge University Press.). Davis, Ka也ryn, A. 1995.Qualitative theory and methods in applied linguistics.

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