官僚制組織論の古典的展開
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(2) からである。 換言すれば, 「目的に対する志向性を明確にする」 という点に おいて「支配」はきわめて重要な機能的意義をもつばかりでない。 ウェ ー バ ー. が「非常に多くの場合において, 無定型な共同社会行為から, 新たに定型. 的な利益社会関係を生み出すのは, 支配と支配の行使の様式であり, そうで ない他の場合にも, 共同社会行為に形を与え, とりわけ「目的』に対するそ の志向性を最初に一義的に決定するものは, やはり支配の構造と支配の展開 なのである。 とりわけ「支配」の存在は, 過去および現状の, まさに経済的 にもっとも重要な社会的構成体ー一方における荘園制と他方における資本主 義的大経営にあって 決定的な役割を果している」" というとき, 「官僚制化」 が,「共同社会行為を 合理的に秩序づけられた利益社会行為に導く特有の手 段」2) として きわめて大きな意義をもってくるのはいうまでもないであろう。 ちなみに佐藤慶幸教授も指摘される如く, これを「タルコット・パ ー ソンズ の社会システム論の図式にてらすと,「支配」は目標達成の機能を受けもつ領 域であるがゆえに, 「官僚制化」は目標達成の機能を受けもつ構造の明確化 となってあらわれてくる」ばかりでない。「ウェ ー パーのいう「組織」とは,. r 命令権力の配分」のことであり,. その点においては, 彼は, 組織を「目標. 達成」の機能を 受けもつ構造に焦点を おいて考えている」 という ことにな る3) 0 ウェ ー パ ー の 組織分析 の 脈絡に おける いま一つの 重要祇念は 「団体」 (Verband)にある。 けだし,. ウェ ー バ ー の概念体系において,. いわゆる. 「組織」 に該当する意味をもつ用語を さがすと. それにもっとも近い意味を もつものとして出てくるのがこの概念に他ならないからである。 もちろん, ウェ ー パ ー 自身も「組織」 (Organisation) という用語を 直接に用いないわ けではない。 しかし, その場合のこの用語は多分に「命令権力の配分」とい う特殊な意味において用いられているばかりでなく, その使用の頻度も「団 体」のそれにくらべてきわめて少ない。 加うるに, 「団体」には, 国家や政 党, 教会, 宗派, 会社などの様々の集合体の観念が含まれるという点におい. ー108 (108)-.
(3) ても, それは「組織」と翻訳されるにふさわしい外延の広さをもつ。しかし ウェ ーバ ーにとっては, ①「秩序化された社会関係」と, ②「その秩序の維 持を 自己の特別の任務とする 成員の存在」の二点に おいて, それは単なる 4). 「組織」以上の特殊な含蓄をもつ概念たるのは重要であろう 。ちなみにこの ことは, 「団体」を「社会関係の秩序の維持が一 定の人々の, すなわち指揮 者 (Leiter)の, また時には. 必要とあらば通常同時に代理権力をもつ管理 要員(Verwaltungsstab)の秩序維持の逐行にとくに定位した態度によって 保証される時に. 外部に向って規制的に制限されたまたは封鎖された社会関 係のことをいうべきである」5) とする彼の概念規定にもよく反映されている。 以上のような「団体」についての概念規定にもうかがわれるように, ウェ ー. バ ー は, 通例, 人間の行為が 一連の秩序に方向づけられているという事実. を. 社会学的分析にとって基礎的であるとみなしている。かくて ウェ ー バー の組織概念においては, 彼のいう「管理秩序」(Verwaltungsordnung), す なわち成員の行為を規制する一 連の独 自の規則が, とくにその維持に定位し て行動する指導者や管理要員(行政幹部)とともに,• その本質的要素をなす が, 管理要員もまた, 組織にとって不可欠であるのは, 組織における構造の 維持がまさに彼らによってなされているからに他ならないとされるとき, こ こに, モスカとミヘルスの分析の中心点がかなり要約的にウェ ー バーの分析 にくみ込まれてくるのは いうまでも ないであろう。 こうして定義上, 組織 は,指導者一管理要員, あるいは, 指導者一管理要員ー一般成員(Untertan) 6. という二層構成. あるいは三層構成の階層的構造をもつ \ それを欠いては, 組織的行為と非組織的行為の区分が困難になるという意 味において, 成員の行為を規制する管理秩序も, 組織に不可欠なのはいうま でもないが, そのもっとも重要な側面が, 誰が誰に命令を与えるかを決定す ることにあるとすれば, 「命令」 とともに「規則」もまた, 社会関係の組織 化において同様に重要な要素になってくる。けだし「規則」によって支配の 範囲とその把持が規定されるというかたちにおいて, この両者は相互に結び. ー109 (109)-.
(4) ついているからであるが, とくに管理要員の場合には, 彼自身の行為が一方 においてそれによる規制を受けるとともに, 他方では, その遵守について, 他の成員達を監視するという任務をもつ点において, 管理規則との間には二 重の関係がある” 。 以上を要するに, 「管理」は, 個々人の個別的行為を機能的な意味関連に おいて体系化し, それを組織活動に転化させる「組織化」の決定的要素であ り, これを欠いては組織は成立しない。換言すれば, 組織とは, 集団が何ら かの規律によって秩序づけられ, 目的的な協力の体系として機能するところ に成立するが, かかる組織の形成, すなわち規律による秩序化の基礎として 不可欠であるのがウェ ーバ ーのいう「支配」であり, その日常的な機能的表 現が管理に他ならない。ウェ ーバー によれば, 官僚制はこの管理的構造の類 型的パタ ー ンの一つであるばかりでない。彼が合法的支配に対応する近代官 僚制に, そのすぐれて形式合理的なパタ ー ンを見出すとき, 官僚制理論に展 開されているウェ ー バー の組織分析の中心内容が, 正当的支配の組織論的脈 絡における表現としての「権威システム」についての理論と彼の定式化した 官僚制組餓の理念型にあるのはいうまでもない。 注1) Max Weber. Wirtschaft und Gesellschaft, 5 auflage, horsg., von Joha ness Winckelmann, Tubingen: J.C. B. Mohr, 1972, S. 562. (以後. 本杏は Wu Gと略す。) 2) M叙Weber, Wu G., a. a. o., ss 569-570. 3)佐藤慶幸著,「官僚制の社会学」,1966年, 57-58頁。 4) M. Albrow, Bureaucracy, 1970, p. 38. 5) M. Weber, Wu G, a. a. 0., S. 26. 6) M. Albrow, op. cit., p. 38. 7) ibid., pp. 38-39.. 第一節. 権威の基本概念. プラウ=スコットは, ウェ ーバ ーの「正当的支配」をパー ソンズのそれに. -110 (110)-.
(5) ならって「権威」(authority) と英訳するばかりでない。 彼らはウェ ー バ ー の所説に即して, この概念を次のように分析するI) 。 すなわち, ウェ ー バー が「支配」を「権威」の同義語として用いる場合, それは「特定の(または すべての)命令に対して, 挙示しうる一 群のひとびとのもとで, 服従を見出 2) をさすがゆえに, プラウ=スコットに よると, 他者 に しうるチャンス」. 「権力」や「影響力」 をおよぽしうるあらゆる種類の チャンスがすべてここ にいう「支配」に含まれるわけではなく, まずここに, 「権力」 との区別が 必要になる3\ ウェ ー バ ー が 「権力」を, 「それがなににもとづくかに かかわらず, 一つ の社会関係の内部において, 抵抗に逆っても 自己の意志を貫徹するおのおの 4). のチャンス」 と規定するところから, プラウ=スコットは, 物理的強制力 の活用および その可能性という脅威を通じて なされる支配は いうまでもな く, 独占企業のように, 諸条件の操作を通じて必ずしもその本意ではない行 為を人々に強制するというかたちにおける支配もまた, 権力の範疇に入ると して,「命令への服従の 自発性」 に 「権力」と区別される「権威」の第一 の 特質を見出すばかりでない。「一群のひとびと」が, 自発的に, あるいはす すんで (Willingly)命令に従うのは, それが 正当とみなされているからで あるとして, 「権威」 の実体が正当的支配に他ならないということもまた. 彼等によって指摘されている% しかし プラウ=スコットによれば. 「説得」 といういま一つの人的影響力 の類型の存在からして, 「自分の行動に 他者が影智をおよぽすことをすすん で許容する」ということも, それ 自体が必ずしも「権威」関係の存在を示す ものではないが, 彼らが両者の差異を, 「後者の場合, 部下は先験的に 自己 の判断を停止しており, したがって, 『説得』の必要がない」という点に求 めることは重要であろう6) 。 けだしそれは明らかに, 「権威関係の 下では, 部下は, 彼自身の判断能力にもとづいて代替案の選択をなすことを停止し, 命令あるいは信号の受領というフォ. ー. マルな基準を選択の基礎として活用す. -111 (111)-.
(6) る」” というH·A・サイモンの 所説をより所としており, ここにウェ ー バ ーとサイモンの間における一 つの連続性をその権威概念に見出しうるからで ある。 • かくてここに, 「正当的命令への 自発的服従」と「先験的な判断の停止」 の二つが,「権威」の指標として出てくるが; 社会的コントロ ールの具体的 な状況においては, 実際にこれらの基準が満されているか否かの判定はきわ めて困難な場合が多い。たとえば, 極端な, 奴隷使用人のケ ー スを例にとれ ば,. 彼の強制力は 「ムチ」 に依存しているが, 実際には必ずしもつねに. 「ムチ」が用いられるわけではない。 通常はそれが使用される可能性がある ことを知らしておくだけで十分だからである。しかし, この場合を 自発的服 従とみなす者は殆んどいない。しかるにプラウ=スコットによると, これを 経済的支配力にものをいわせて従業員を服従させる企業者の場合と比較して も, そこには「程度の差」があるにすぎない8) 0 プラウ三スコットのあげるいま 一 例は, 従来より特定の人間からしばしば 説得を受けた結果,• その人間の意見の比重が増大し,. とくに説得をせずと. も; 彼のいうことにはすすんで耳をかし, それを受容するという場合に権威 関係の存在を認めうるかというケ ー スにある。 かかるボーダーラインのケ ー スが非常に多い理由をプラウ=スコットは, 他の社会的コントロ ー ルの諸関係が, しばしば権威に転化してくることに求 めるばかりでない。 そのために満されねばならないいま 一つの条件 を, 「特 定の社会的コントロ ールの行使を正当と規定する一定の価値志向が存在して いなければならないが, かかる志向は一定の集団的脈絡においてのみ存在し うる」” ということに見出しているが,. これが彼らのあげる「権威」の最后. の基本的指標に他ならない。 たとえば, プラウ=スコットによると, ある者が余儀なく他者の命令に服 従させられた場合でも, 彼は, 実際に彼 自らがその指示をあおぐことを望ん でいたがゆえにそれに従うというように 自己の態度を合理化して, この状況 ー112 (112)-.
(7) に適応しようとする場合がある。ところがそれが単なる合理化にすぎないの は, ひとたび背后の強制力がとりのぞかれると, もはや彼は服従をつづけな いという事実からも明らかであろう。しかるに r もし一 つの集団全体が同様 な状況にあり, それへの服従が良いことで正しいこととされ, 自分達にとっ て最善の利益になるとの信念が成員達に共有される場合, 個人にあっては単 なる合理化にすぎぬものも, 共通の価値志向に転化してくる。「何が 正しい か」についての集団の意見の一致および是認は, 人々の信念をうらづけ, そ れを「真に正しいもの」 にするところの「社会的価値」を構成するからであ る。 かくて「上司の命令には従うべきである」という社会規範が発展すると, 成員は部分的にむしろこの集団規範への同調という点から命令にしたがうこ とになり, ここに命令への服従が部分的に上司の強制力や説得力から独立し てくることになる。されば他の種類の社会的コントロ ー ルの「権威」 への転 化の一 つの基本的条件が「社会的コントロ ールの客体である集団の内部にお ける共通な価値志向によって, 特定主体によるコントロ ールの行使が正当化 され, 是認される」ということにあるのはすでに且朋てあるう。rかくてプラ ゥ=スコットは, 「権威」の基本的特質を部下の先験的な判断の停止と上役 の命令への 自発的服従が, 主として, 彼等に対する上司からの積極的な働き かけによるよりも,むしろ部下の集団において自生的に形成される社会的抱 束 (social constraints) にもとづいているという点に見出している. 10. \. 以上のように権威関係においては, 自発的服従といえども• 背后の社会的 抱束とは決して無関係でないが, このことは単なる自発的服従は必ずしも権 威の存在の証しでないことを示唆しているばかりでない。プラウ=スコット によれば, それは二者間における-種の父換過程に根ざす人的影響力の類型 を権威とみなすことが正しくないことをも指摘するものに他ならない。けだ し, 「集団的諸価値のみが 社会的コントロ ールの発揮を正当化しうるのであ り, 社会的規範のみが,. 服従という 行動類型を要求する独立の基準たりう. ー113'{ 113·). 一.
(8) る」ことからして, 「権威関係は, 集団あるいはより大なる集合体において のみ展開しうるものであって, 本来,孤立した二者間にはあらわれるもので ない」からである。 しかしここで注意を要するのは,’権威構造が制度化され てくると, それは明らかに, 二人だけの間の諸関係にも現われてくることで ある。 たとえば,プラ ウ=スコットは, 父とその一人 息子の間にもそれを見 出しているが, この場合, 父の息子への影響力は彼の優越した能力や巧みな 説得あるいは好んで好意を服従と交換することにのみ依存しているのではな い。 むしろ文化的に規定された役割期待が, 息子をして父に従わせしめてい るのである1 1) 。 もちろん, かかる「権威」も現実には他の様々の影響力の諸類型と共存し ていて, それだけが純粋なかたちにおいてみられることはめったにない。 し かし, この事実は権威関係と他の影響力の諸形態の分析上の区分の重要性を いささかも減じないのはいうまでもないであろう。 注 1) P. M. Blan and W._R. Scott, Formal Organizations, op. cit., pp. 27-30.. s:. 28. 2) M. Weber, WuG, a. a. 0., 3) ,p; M. Blau日W; R; Scott, op. �it., p. 27. 4) M. Weber, WuG, a. a.O., S. 28. 5) P. M. Blau and W.R. Scott, op. cit., p. 28. 6) ibid., p. 28. - 7) H. A. Simon, Administrative Behavior, 1957, pp. 126-127. 8) P. M. Blau and W.R. Scott, op. cit., p. 28-. 9) ibid.• pp. 28-29. 10) ibid.• p. 29. 11) ibid.• pp. 29-30.. 第二節. 官僚制組織の古典的定式化. ウェ ー バ ー は「正当性の信念」における根拠の相違にもとづいて, 正当的 支配を三つの類型に区分したが, それが伝統的支配とカリスマ的支配, なら �114'(114)-.
(9) びに合法的支配の三者であるのはいうまでもない I) 。 伝統的支配は, 久 しく行われてきたがゆえに神聖不可侵とされる伝統を正 当 性の根拠とするがゆえに 現行秩序も本来, す ぐれて神聖不滅で不可侵と みなされ る ばかりでない。 支配者は神の意志によって選ばれた 人民の統治者 と みなされ, 通常の場合, その継承は世襲によって行われる。 従者達は, 個人的忠誠や支配者の地位の強化をはかる文化価値的信念によ って支配者と情緒的に結びついている。 伝統的支配の最ともよい例は, 絶対 君主の場合にみられるが, 家父長制約家族や温情主義の親方の事業所にもそ の例がみられる。 伝統的支配の下では.. 支配者は伝統による抱束を受ける. も その規範の範囲外では 自由に恩恵と恣意をふるう余地があり, かつ, こ れがまた伝統の一 部になっているがゆえに , その権力は通常, 絶大であ る 。 しかしこのように 現行の行為の正当 化を過去の伝統に求めねばならないと いうことが, 現存の社会秩序を永続させる傾向をもたらすばかりでない。 社 会的変化, とくにその基盤をほりくずすような社会的変化に対して, それが 適応性を欠くゆえんである。 カ リ ス マ 的支配は, 指導者および指導者のもつ非 日 常的な天与の資質に対 する情緒的帰依によ っ て成立つ。 換言すれば, この場合の正当 性の基礎は, 指導者と指導者の使命が, 神 の啓示, あるいは超 自然的力によ っ て導かれて いるという信念にある。 指導者は新しい社会運動の先頭に立つが, 帰依者お よび門弟は, その新しい運動への改宗者である。 帰依者達は, 神に召された という使命感や新しい世界のさきがけにならんとする使命感によって, 彼等 にとって内面的義務としてカ リ ス マ 的指導者に従う。 カ リ ス マ 的支配は一般に伝統的価値を否定し, 既成の秩序に反抗する革命 勢力としての作用をもつ。 すなわち, 当 初のカ リ ス マ 的運動は無政府主義的 傾向をおび, 内部組織の形成さえもさけようとする。 革命的理念や緊迫し た 使命感によって,. カ リ ス マ的指導者や その従者達は とか く 日 常事を軽視す. る。 組織や規則の抱束によって指導者の霊感がさまたげられてはな ら ず, 世. -115 ( 115 ) -.
(10) 俗的な経済的配慮によって神聖なる使命への献身がけがされてはならないの で ある。しかしある程度のル ー チ ンや組織, あ るいは安定した経済的手段へ の現実的要請をいつまでも無視しえないのは 自明であ ろう。 したがって運動 の継続 と と もにどうしてもある程度の公式的な制度化やル ー チン化は不可避 的であり, フ ォ ー マ ル組織の発展も必要になるが, こ れが と りわけ明僚にな るのが, カ リ スマ 的指導者の継承 と いう事態に他なら ない。 けだ し彼が死ん だ場合, 後継者を選ぶ定まった手続がうちたてられていない と , 「天の 啓示 による導き」の欠如による崩 壊 と 後継者争いによる分裂の危険に直面せざる をえないからである。 か く てカ リ スマ的運動は, 指導者 と いう一人の人間の 生命に結びついているがゆえに, 本来的に不安定であ り , 永続的であるがた めには, 本来, その打破 と 変革の対象であったはずの世俗的世界の諸特質を も と り入れて こ なければならない。 かくて こ こ に 「カ リ スマ の 日 常化」 と い う 過程が生 じ るが, こ れが伝統的支配に結晶するか, 合法的権威に転化して 官僚制組織の基礎をなすかは必ず しも一概にいえないが,. 一般には次第に後. 者のケ ー スがふえる傾向にあるのはいなめない。 合法的支配の 特質}と ついては, 官僚制組織 と の関連において, すでに こ れ までにもかなりのくわしい検討が加えられているので, こ こ でそのすべてを あらためてくりかえすにはおよぶまい。 しかし, それがウェ ー バ ー の官僚制 組織のモデ ルを構成している三つの主要部分の一 つたる こ と にかんがみ, そ の五つの基本観念だけは例外で, それは次のように要約しうるであろう。 (1). 任意の法が合理的な志 向をもって, 団体成員によって それが遵守され. るべきで あ る と いう要求をかかげて制定されうる と いう観念。 (2). 法は個々の事例に適用される抽象的な規則の 体系であり, 経営 (ad. ministration) は, 団体秩序によって定められた利益を, 法規則の限界内で 追求する こ と で ある と いう観念。 (3). したがって, 「権限」を行使する上司もまた, こ の没人格的秩序にし. たがう と いう観念。. -116 ( 116 )-.
(11) (4). 成員は, 成員としてのみ, その法規に従がうという観念。. (5). 服従は上司の人格に対してではなく, 彼にその地位をもたらしている 2. 没人格的秩序に対してなされているという観念 ウェ. ー. バ. \. ー の官僚制組織のモデルにおける一連の構造的諸原理は要約する. と, 次の諸点にあるが. これらは以上のような諸観念にもとづく合法的権威 を, 合目的的な組織構造に具象化することによって導き出されてきたものに 他ならない。 (1). 規則的な, 継続性のある体系的な職務の配分. (2). これらの職務はそれぞれの職能領域 ごとに区分され, その各々には必. 要な命令権力と強制手段が配分されている。 (3). 各職位は, 相互間の統制と上訴の権利についての明確な限定の下に,. 階統制的に編成されている。 (4). 手続の準拠となる 「規則」は. 技術的規則である こ ともあり. 規範で. あることもある。 (5). 組織の所有財産と成員の私的財産は完全に分離されている。. (6). 官職保有者による官聯地位の専有は全くみとめられ ない。. (7). 文書にもとづく業務の原則 によって, 文書と官吏による継続的な経営. とは, あい合して事務所を形成するが, これが近代的な団体行為の核心その ものをなす。 (8) 合法的支配は種々の形態をとりうるが. その最とも純粋な型は, 官僚. 制的経営幹部にある3\ 以上のような 構造的特質をもつ 官僚制組織における 成員の 地位について は, ウェ ー バー はその主たる特質として次の諸点をあげている。 (1). 成員達は 人格的には 自由で, 識務上の 没人格的な義務にのみ服従す. る。 (2). 彼らの職位は明確な階統制のうえに位置づけられている。. (3). 各成員は明確な職務権限をもつ。. -117 ( 117 )-.
(12) (4). 任命は契約によ って, したがって(原理的には) 自 由な選択に よ って. なされる。 (5). また, 原則的に試験によ って確かめられ, 免状によ って認証された専. 門資格にもとづいて任命がなされ, 送挙されるのではない。 (6). 成員は貨 幣形態での定額の俸給を報酬として受け, 多くの場合には年. 金請求権も与えられている。 (7). 官職は, 官識保有者の唯一の, または主たる職業として扱われる。. (8). 在眠年数または功績, あるいは こ の両者にもとづいて昇進するが, そ. の判断は上司にかかっている昇任制度がある。 (9). 成員は完全に「管理手段から分離」されており, 職位の専有もなしえ. ない。 �O). 成員は厳格で統一的な眠務規律や統制に服する%. 以上がウェ ー バ ー の官僚制組織のモデルにおける三つの主要な構成部分に 他ならないが, ウェ ー バー がそ こ に見出すのは, 「合法的支配の,. 技術的に. みて, も つ と も純粋な型」 であるばかりでない。 それはまた, 官僚制組織が あらゆる経験に徽して正確性や恒常性, 規律, 厳格性, 信頼性などの点で, したがって一ー ヘルにとっても利害関係者にとっても一ー計算可能性を備え ている点で, また仕事の集約性と外延性の点で, さらにあらゆる任務に対し て形式的には普逼的に適用できるという点で, 純技術的に最高度の仕事を果 たし う るまでに完成する こ とが 可能であり, こ れらすべての意味において, 「支配の行使の形式的には最とも合理的な形態である」5) と ウェ ー バー がみ なしている こ とを反映している こ とは重要であろう。 かくてウェ ー バ ー は官 僚制化をすぐれて不可避的な過程とみるが, そのもっとも集約的な表現の一 つが, 「あらゆる領域における 近代的な組織形態の発展は, 官僚制的酋理の 発展お よ び, その不 断の増大と全く一致している」 Gl という 彼の 言明に他な らない。 以上のよ うな官僚制組織の概念に関 するウェ ー バー の定式化において特微 -118 C 118 ) -.
(13) 的であるのは,. そ れまでの 官僚制研究における一 つの大 き な主題, すなわ. ち, 「繁文振礼」 に代表される官僚制組綴の 非能率的側面にかかわる用語は 決してつくり出されていないばかりでなく, そ れらの現象には殆 んど注意も 払っていない こ と である。 た と えば一般によく用いられる 「官僚主義」 と い う用 語も殆んど使用されておらず. むしろ そ れど こ ろか. ウ ェ ーバー は官僚 制組織の合理性をし き りに強調し. そ の一 つの大 き な源泉を合法的権威に求 めた のである。 明らかに. 官僚制組織に 関 する ウ ェ ーバー の論議は, 非能率 と いう そ れまでの 大 き な主題の無視の下に展開されているのは ア ル プロ ウ の 指摘の と おりであ ろ う 7) かくて ウ ェ. ーバー. O. が官僚制の非能率的側面についての体系的な検討をっ怠. た と しても, 他方で彼は官僚制的権力の問題に周 到な注意を払う こ と で そ の 埋め合せをするが, ウ ェ. ーバー. の場合も, その大 き な契機が. 官僚制化に伴. う官吏の権力の増 大にあるのはいうまでもない 8) 。 しかし, 官僚が権力を狸 得するか否かはあくまでも一 つの経験的な事実であって官僚制化の定義 と は 別 問題である こ と から, 彼は決して 「官僚制」を 「官吏による支配」 と 同 一 視しないのみならず, 選挙された 官吏を官僚制的 と みなす こ と にも反対する と と もに, 官僚の所有する知識に そ の権力の根源を見 出している。 もちろ ん ウ ェ ー バ ー は民主主義 と の OO 辿においても特定の予断を伴わない 官僚制の分析につ と めており, 近代行政の特性 と 近代 国家装置の統制 と を概 念的に き りはなす こ と によって, 官僚制 と 民主主義 と を相 互に対立する排他 的な政治制度 と みなす論者達 と は好対照な ア プロ ー チを試みている。 もちろ ん . こ の こ と は, ウ ェ. ーバ. ー が民主主義 と 官僚制の 関 係 と いう伝統的な主題. に関心をよせなかっ た こ と を窓味するものでない。 そ れど こ ろ か. こ の問 題 への 懸念 こ そが, 彼の官僚制 へ の関心の最大の動機 たるのは, 1918年の彼の 長文の論文. 「新秩序 ド イ ツ における 議会 と 政府」の内 容からしても明らか であ ろ う。 こ こ で彼が と りく んでいるのは. 官僚制が そ の用 具 と して奉任す る こ と になっている組織の政策 や行動が, 逆に, 官僚制に内在する権力の集 -119 ( 1 19 ) -.
(14) 中への志向によって支配されるにいたるのをいかにして防ぎうるかという点 にあるが, そのためになされた種々の メ カニ ズムの検討の結果, 彼もま た合 議制の代表機関に官僚制に対するもっとも有力な抑制手段を見出すが, アル プロ ウによれば, この代議制度への ウェ ー バ ー の情熱は, 彼が政党の官僚制 化を, 代議政治に対する基本的な障害とみなしていないことからも明らかな ように , 民主的価値への関心からというよりも, むしろ,「国家的偉大きは, 有能な指導者を見出すこ とにもとづく」という確信に 由来することは注目を 9. 要する \ ここで「 ウェ ー バ ー は決して官僚制の定義を下さなかった」 といえば, 驚 く 者がいても決して不思儀はないが, アルプロ ウによれば, それどころか, ウェ ー バ ー が「官僚制」という用語を社会科学における専門用語の一 つとも みなしていないのは ; 彼がしばしば引用符をつけてこの用語を用いているこ とからも朋らかである10) 。 換言すればウェ ー バ ー は, 官僚制の最とも合理的 な形態たる近代官僚制の特質は解明したが, 官僚制の一航概念に関するかぎ り, 何ら明確な概念規定はなしておらず. し た がってその合理的類型の場合 と は対照的に それは官僚制にふれた ウェ ー バ ー の多くの文言からの類推1こ よって構成される 以外に方法はないが, その 一 つの手掛りをなすのが, 非 自 由人の官吏への依存という点において近代官僚制とは異質的な家産制的官僚 制について の ウェ ー バ ー の類型に他ならない。 けだし家産制的官僚制の概念 にとっても, 官吏の 一団は明らかに その本質的存在をなしており, かように ウェ ー バ ー においても· 「官吏」 の概念が, 官僚制の概念にとっても基本的 であればこそ, 彼はしばしば「官吏制度」という用語を 「官僚制」 に代用し たとみなしうるからである。 ウェ ー バ ー はますます重要になる社会的役割の一類型として, 近代社会に おける官吏の役割に言及したが, その顕著な特徴の第一 が, 個々人がそれぞ れに遂行すぺき特定の職務を も つことにあるとすれ ば, その第二は, この職 務の遂行において要する資源も, 組織によって調達され. 所有されるところ. ー120 ( 120 ) -.
(15) の組織の資源であるということに あ る。 この点に お い ては, 官吏は工場労力 者と全く同じ立場 に あ るが, ウェ ーバ ー は, 「権限」 をもつという点におい て前者に, 後者と異なる特質を見出しているd -しかし, ーウェ ー バ ー が官僚制 的官吏に見出す基本的な特徴が, 「被任命者」 たることにあるのは, 彼が, 選挙や抽 選で選ばれた官吏を「官僚制的」とよぶことを断固として拒否して いることに明らかであるばかりでない。 ウェ ー バー が,「どのような支配も , 純粋に官僚制的に, すなわち, 純粋に契約によって雇われ, 任命される官吏 だけによって運営されうるわけではない」11) と述べるとき, すでに「任命さ れた行政官吏の一団」という官僚制の一般概念がかなり明瞭にあらわれてい るが, ウェ ーバー が近代の陸軍将校やロ ーマカト リ ッ ク の司教, 工場長をも ここにいう 「官吏」 の範疇に含むとき, . 更にぞ の意味はJ任命された職員 ( 管理要員)の一団」 にまで 拡大されてきて, ミ ヘル ス やモス カのそれにい ちじるしく近似してくることになる。 かくてここに, 「ウェ ーバーは 明的示 にそれを定化しなかったが, 彼も官僚制の.:..:.般概念をもっていた」という ア ル プロ ウの指摘も生れてくるが, 彼によると, ウェ_ .;.; パ ...:. fことっても; その 後継者達にとっても, もっとも中心的な関心の対象はその合理的な類型,念 す なわち近代官僚制にあるがゆえに, これによって官僚制の一般概念が多かれ 少なかれ, 背后におしやられる結果になったのはいなみがたい12) 。 か く て ウ ェ ー バーにあ っては, 単に「官僚制」や「官僚制組織」といえば, それは多 分に「合理的官僚制」 , あ るいは「近代官僚制」のことをさしており, この 点からすると ウェ ー バー の 官僚制理論も これを組織理論という 点からみる と, すぐれて特殊近代的な理論たることは注目を要するであろう。 かかる特 殊歴史的な分析視 角こそは, 組織理論におけるウェ - バーの一大特色に他な らないが, 彼の理念型構成の方法も, これと密接に関連するのはいうまでも ない。. 注1 ) 正当 的支配の三つの純粋型に関するウェ ー バー の 分析は, 「経済 と 社会」 第 3 -121 ( 121 ) -.
(16) 章 お よ び第 9 章 (Wu G, Kap. III., Kap. IX.) に お いて 展開 さ れて い る 。 2 ) Max Weber, Wa G , a . a . 0., S . 125 . 3 ) Max Weber, Wu G, a. a. 0., SS. 125-126 . 4 ) Max Weber, Wu G, a. a. 0., SS. 126-127. 5 ) Max Weber, Wa G, a. a. 0., S. 128 . 6 ) Max Weber, Wa G, a. a. 0., S. 128 . . 7 ) M. Albrow, op. cit., pp. 45-46 . 8 ) ibid p. 46 . 9 ) ibid., pp. 46-49 . 10) ibid., pp. 40-41 . 11) ibid., p. 42 . 12) ibid.. p. 42 . ◆,. 第三節 ウェ. ー. 理念型構成の意義. バ ー によって歴史認識における概念構成の方法として提唱された理. 念型が現実の無前提の模写や単なる実在類型でないのはいうまでもない。 け だしウェ ー バ ー にとって, 社会的現実は無限の多様性をもつがゆえに, その 認識はおの ずから認識主観における特定の価値理念にてらしてえらび出され る一定有限の部分にかかわら ざるをえず. したがってそれは多かれ少なかれ 純粋な 思惟像として つくられるからである。 かくてウェ ー バ ー によれば. 「理念型は歴史的な生活の 一定の諸関 係と現象とを むすびつけて, 思考によ ってつくられた連関を総合して, ひとつの矛盾のない世界にきずきあげたも のである。 内容からいうとこの構成はユ ー ト ビ ア, すなわち, どこにも存在 しないものという性格をもっていて, そのユ ー ト ビ アは, 現実の特定の諸要 素を思考によって高めあげることによって獲得されたものである」I) ば かり でない。「理念型概念は,. 一. つのあるいは若干の観点を一面的 に高めあげる. ことによって, そしてばくぜんとばらばらに, ここには多 < ' かしこには少 く, 場所によっては全然存在しないこともあるというような, 個別的諸現象 で, 上にのべた一面的にとり出された観点にあわせて考えると, それらがひ -122 C 122 ) -.
(17) とつの統一のある思想像になるようなものをば, まとめあげることによって 2) えられる」 ものに他ならない。. かくて理念型は, その価値関係的な構成において, 単なる枚挙的な「平均 型」, すなわち, 社会現象から平均的に帰納して構成された類型でないのは いうまでもないが, 同時にそれはま た, 特定の共通なる属性を分類の甚準と することによって, その項目の下に, 様々の具体的な現象を集合する役割を もつ, 単純な論理的分類項目としての類型でもない。たとえばウェ ー バ ー に よれば, 「歴史的思考の 総合物である個人主義や帝 国主義のような概念を, 形式論理学でいう 「直近の類や種差の別』の図式にしたがって定義しようと 3) しても, それは全く無意味なこと」 であり, 「同様に上の概念を, ただ 「記. 述的J にその構成部分に分解することもできるこ と ではないし, できると し ても, ただみせかけの上だけである。なぜかといえば, その構成部分のなか で, どれがそもそも本質的なものと考えねばならないかということが, まさ に問題となってくるからである。概念の内容を発生的に定義する試みがお こ なわれるべしとするならば, 理念型という形式だけがそ う いうものとして残 4) る」 のである。 しかしまた,. ウェ ー バ ー の理念型は, ひとつの 質的あるい. は景的な連続性をもつ定規のように, 諸現象を, それからの距離によって位 置づけることだけをその唯一 の機能とする単なる極限類型でもないのはいう までもないで ぁ ろう。けだしウェ ー バ ー のなした構成類型は, 社会的諸現象 の説明と解釈に宜接に貢献する分析用具たることを意図する点において, そ れ 以上の存在であるからである% しかしそれにもかかわらずウェ ーバ ー が, 理念型を一つの理論的モデルと して, すなわち, 経験的な検証が可能な, 相互に関連しあう一連の仮説の体 系としてとらえていないのは, モゼ リ ス の指摘する如 < ' それが次のような 6. 三つの手順をふんで構成されていることにてらしても明らかであろう ) 。 まずその第一の手続が経験的資料の選択とその概念化にあるのはいうまで もないが, この選択は一定の社会現象が, そのいかなる面においてとりあげ. -123 ( 123 ) -.
(18) ら れ, · 何に意義が見出 されるかによ っ て 多分に規定されて く る 。 それゆ え, 官僚制 の理念型の諸特質 は , その概念的純粋さに も かかわ ら ず, それ ら が 多 少 と も み ら れ る 現実の組織 J4 :て らし て帰納 的な方法で選択されて い る 。 次に その第二の手続 き は ,. 選択された諸要素 を 一定の見地か ら 一面的に誇張 し. て;: こ れを論理的に極限化す る こ と にある。 た と え ば官僚制 の理念型では, 職員間 の 階層的諸腿係は, 百バ ー セ ン ト没人格的である と い う 想定に立って いるが, . 現実には こ のよ う な こ と はあ り えないo 最後に, その第三の手続 き に 目 を 向 け る と , こ こ で は , すでに選択され, 極限化された諸要素を, 相互 に関連づ け て , これ ら を論理的に内 的 一貫性 を も つ 一 つ の 全体像 と し て構成 する こ と にある 。 と こ ろが, こ の 場合の諸要素相互間 の関連づ けが. 具体的 諸現象の 間にみ ら れる相互関係につ い て仮説の提起をなすと こ ろの理論的言 朋ではない の は い う ま で も な い であろ う 。. け だ し,. ム ゼ リ スが指摘す る 如. .< , その連関の妥当性の判断は ; 経験的事実にて ら し てなされる検証によっ て で はな く , 次 の 基準に も と づい て い るか ら である。 ‘・ ま ずその 第ーは f客観的可能性」 にあ る が, これは構成された類型, ある い は問題 と なる連関が; ' . ,経験的 に 可能であ る こ と ,. すなわち「知 られてい. る, い かな る 自 然法則」 (known laws o f nature) と も 矛盾する も のであっ て はな ら ない こ と を意味する も のに他な らない。 ’. • 次にその第二は, 「有意味的適合性」 にあるが. こ れは ウ ェ ー バ ー の理解 的方法におけ る社会的事象 の 因果的な解明において, 知 的思考 や感情移入な ど の方法によってその確定がなされ る と こ ろの , 認識の対象をなす当該事象 を直接的に規定する と こ ろの 原 因 と し て の , 人間の主観的な意味や動機が, われわれの平均 的な思考習慣 と 感情習慣 と 合致す る こ と をさす。 し たがって 「平たく い え ば ,. それは, 問題 と なって いる連関が, われわれの平均 的な思. 考習慣 と 感情習慣にて ら し て納得がい き , 理解の で き る も のでなければな ら ない と い う こ と を意味するが, 理念型の構成にお い て と くに 大 き な役割を演 じ るのが, 、 こ の 種の直観的理解 と 感情移入的知識である。」. -124 C 124 ) -. 7).
(19) 的であるのは ,. それまでの 官僚制研究にお け る→つの大きな 主題, すなわ. ち.「繁文振礼」 に代表される官僚制組織の 非能率的側面にかかわる用語は ー. 決してつ く り 出されていないばか り で なく, ,そ れらの現象には殆んど注意も 払 っ ていないことである。たとえば一般によく用いられる 「官僚主義」 とい 、う 用語も殆んど使用されておらず¢ む しろそれどころかi ウ ェ ーバ ー は官僚. 9. 制組織の合理性をしき り に強調し,, その一 つの大きな 源泉を合法的権威に求 めたのである。明らかに, 官僚制組織に関 するウ ェ ,... パ � fl) 論議 iむ 非能率 というそれまでの大きな主題の無視の下に展開されているのは アルプ ロ ウの 指摘のとお り であ ろう7)_. 0. '. かくてウ ェ ー パ ー が官僚制の非能率的側面に ついての体系的 な検討を っ 怠 たとしても, 他方で彼は官僚制的権力の問題に周 到 な 注意を払う こ とでその 埋め合せをするが, ウ ェ ー バー の場合も, その大きな 契機が, 官僚制化に伴 う官吏の権力の増大にあるの は いうまでもな い8) 。 しかし ; 官僚が権力を獲 得するか否かはあくまでも一つの経験的 な事実であ っ て官僚制化の定義とは 別 問題で ある こ とから, 彼は 決して 「官僚制」 を 「官吏Iと :Jt ·� 支配」: と 同 一 ‘. 視しないのみならず, 選挙された官吏を官僚制的と み な す こ とにも 反対す る とともに, 官僚の所有する知識にその権力の根源を見 出している。 もちろんウ ェ ー バ ー は 民主主義との関連においても特定の予断を伴わない 官僚制の分析につとめてお り . 近代行政の特性と近代国家装置の統制とを概 念的にき り は な すことによ っ て, 官僚制と民主主義とを相互に対立する排他 的 な政治制度とみな す論者達とは好対照 な ア プ ロ ー チを試みている。 もちろ ん, このことは. ウ ェ ー バ ー が民主主義と官僚制の関 係という伝統 的 な 主題 に関心をよせなかっ たことを意味するもので ない。 それどころか. この問題 への懸念こそが, 彼の官僚制への関心の最大の動機たるのは, 1918 年の彼の 長文の論文、 「新秩序 ド イ ツ にお け る 議会と政府」の内容からしても明らか であろう。 ここで彼がと り くんでいるのは, 官僚制がその用 具として奉任す ることにな っ ている組織の政策や行動が, 逆に, 官僚制に内在する権力の集. -l19 ( 119 ). 一.
(20) 味 が と ら え ら れた「合理性」と し て 一般 に理解 さ れて い る こ と は重要であろ ぅ. 1,: ム ゼ リ ス によれば こ の場合 の合理性は「手段の 目 的 に 対す る 適合性」 を ・. さ して い る が ゆ え Iご , ・ 組織論的脈絡で い え ば それは 多分に 「能率J に 該当 す る m 。 さ ればウェ. � :I ゞ ....lは 官僚制 の 理念型 に お け ろ 諸要素. と そ の 連 関 Iこ「合. 理性J、 と いう属性を付与しだ と と に な る が, 、 こ の 評価 的 な 仮定 は更 な る 調登 研究に よ っ て検証がな さ れる ぺ ぎ 仮説 と して提起 さ れたもので ば な い の は い うま で も な 応: け だ し それは , そ の 概念的 な 純粋性を歪 曲 し て い る 現実世界 i7j::-切の異質的諸要素 か ら き り は な し て;• こ の 種の組織類型が想定 された場 合 に 出 て く る 官僚制の意味 に す ぎ な い か ら であ る. 14). 。. ^. マ イ ジ ツ もまた同様に ; ウ ェ ー バ ー の 理念型の本質的 な 特性を「合理性J に 見 出 す の は , 彼 が そ れを , 所与の 目 的 に て ら し て な さ れ る 正 し い 手段の選 択 に お い て, 目 的合理的 な行為 の 経過がみ ち び かれる 様式を定式化 し たも の と しで と ら え て し\ る こ と に 明ら かであ る ばか り で な い 1�\. マ ィ ン ツ に よる. と , 官僚制組織の 理念型に お け る 個 々 のメ ル ク, 7 ー ル も , 合法的支配が最 と も能率的 に 逐行 される だ め た ほ い か にあ る はずか と いう設問への 回答 と もみ な し う 右 が. ` 表面的 な 観 察 だ け で は ,: 「高度の 合 目 的性」 に そ の 基準をお い て な さ れだ構成モデ ル と じ て の 官僚制組織の理念型のもつ意味が と ら え がた い の ほ , ウェ ー バ ー が . そ の 「 合 目 的性J と い う 属性 を に な う 諸要素を 理 論的な演繹を通 じ て わ かり やす く 明示 し て い る わ け で は な いのみな ら ず, 個 々 の概念的諸要素を, 歴史的現実の 中 か ら 直接 に と り 出 し て き て い る か ら に '. 他な ら な い が ; ウ ェ ー バ ー に と っ て は , こ れ ら の 歴史的現実は , それ 自 体が すで に ,. 増 大す る 合理化の過程によって 特色づ け ら れて い る が ゆ え に , ぃ. さ さ かも支障を き たすもので は な < ; かくてウェ ー バー は , 官僚制組織 の 理 念型構成 に お い て . 合理的秩序 の親念を, さ な が ら , それによ っ て歴史的. 経験的諸要素 を取捨す る選択原理 と し て 用 いたのである 16) 以上の よ う な 特質 に かんがみ,. ウ ェ ー バー の 官僚制組織の 概念への批評. は , ま ず, ゥ ;_ ...... バ ー の意図 に 即 し て , それを正 し く 理念型 と してうけ と め. ー126 ( 126.) -.
(21) た上でなされ ねばならないが, ウ ェ ーバー ヘの批判の多くは必ずしも こ の点 において十分でないばか り でない。 ウ ェ ー バ ー がなした分析の全体的脈絡を 無視して, その一部だけを, 自 己の関心の如何に 応 じ て断片的 に と り 出して くる と いう受け入れ方も誤解の大 きな原因をなしているが, マイ ン ツ によれ ば, こ れらの誤解にも と づ く 批判 と いえ ども, 組織社会学の展開の新しい方 向の甚礎づけ と いう点では, 大 き な意義をもつ こ と は重要であろ う 。. 注 1 ) マ ッ ク ス ・ ウ ェ ー バ ー稿, 出 口 勇蔵訳, 『社会科学および 社会政策の 認識 の 「客観性)」 (Max Weber, Die "Objektivitiit" sozialwi_ssenschaftlicher und sozialpolitischer Erkenntnis, 1904.) , 「世界の大思想23 : ウ ェ ー バ ー 政治 ・ 社 会論集」, 河出書房, 昭和40年, 90-91 頁。 2 ) 同上, 91頁。 3 ) 同上, 94頁。 4) 同上, 94頁。 5 ) N. Mouzelis, Organization and Bureaucracy, 1967, pp. 43-45. 6) ibid., pp. 45-46. 7 ) ibid., p. 46. 8) マックス. ・. ウ ェ ー バ ー, 「政治 ・ 社会論集」, 上掲害, 91頁。. 9) 同上, 91頁。 10) 同上, 93頁。 11) 同上, 93頁。. 12) 同上, 94頁。 13) N. Mouzelis, op. cit., p. 46. 14) R. Maynty, (Hrsg.), Biirokratische Organisation, a. a. 0., S. 28. 1 5) R. Mayntz, a. a. 0., S. 28. 16) R. Mayntz, a. a. 0., S. 27.. 第四節. ウェ. ー. バ ー ・ モ デ ル ヘ の批判 と 反論. ア ル プロ ウ に よれば,. ウェ. ー. バ ー ヘの 非難のう ち で 最 と も単純なのは ,. 「必要以上 に 用 語を 混乱させた」 と いう シ ュ ト ラ ウ ス (E. Straus ) のそれ にある!) 。 すなわ ち , シ ュ ト ラ ウ ス によれば, 「官僚制」 や 「 官僚制的」 と ー127 C 127 )-.
(22) い う 言葉を ウェ ー バ ー は近代行政のゆがんだ構造だけでなく, 正常なそれに も 用 いたために通常の語法との断絶が生じたことにその原因があるが叫. ウ. 工 ...:. バ ー にとってはそれ も やむをえない 理由がある 以上, その妥当性の如何 は結局において彼の立場の も つ説得力にかかってくる。 かかる観点から ウェ ー バ ー ヘの 攻撃をみる アルプロ ウが.. ウェ ー バ ー の. 「合理的官僚制l の合理性を疑問視する立場にまず 目を向けるとき, その代 表例が, ウェ ー バー的な意味で合理的な構造 も , そのおかれる状況の如何に i. ょ っては, かえって組織目標の達成をさまたげる予期しない結果を容易に生. む可能性をはらんでいるこを強調するマ ー ト ンの「官僚制の逆機能の理論」 にあるのはい う まで も ない。 このマ ー ト ンのモ デルが, 主として階統制にお ける 「規律」への庄力を主因とする「同調過剰」や「目標の転移」に焦点を おくのに対して, セ )もズ ニ ッ ク は, 専 門化や職能的特殊化から生じる下位部 門間の 「 目 標」 や 「利害関心」 の分化に焦点をおいて官僚制の逆機能を分 析するが, 彼らはいずれ も , ウェ ー バ ー によるフ ォ. ー. マル組織の構造的特質. の描字が組緑の現実の記述としては不十分であるとO)- 立場をと るこ と は重要 であろ う 。 も ちろんこのことは, 「イン フ ォ. ー. マルな諸要素への着目の欠如」. を問題にするプラ ウ=スコ ッ トや「目標設定過程や環境との関連の看過」を 指摘するル ー マ ン (N. Luhman) に も あてはまりはするが. れ少なかれ, ウェ. ーバ ー. これらは多か. の理念型を実在に関 する経験的記述とみる点で大き. な問題を含むからである。 たしかにウェ ー バ ー の官僚制概念は. その特質か らして記述として不完全なることをまぬがれがだいが. マ イ ン ツ も 指摘 する 如く, かかる批判はそ も そ も ウェ ー バ ー の理念型が, 組織を, その最大限の 合目的性において定式化した一 つの純粋型であ っ て, 決して実在に関する経 験的記述を意図する も のでないことを看過する も のに他ならない3) 0 も っと も マ イ ン ツ も , 固定化された諜業の常規的逐行 に 重きをおいて想 定 さ れているウェ ー バ ー 流の能率の概念のみならず, 基本的には, 環境への適 応と 目標の修正や変更による z· ス テ ム の維持をより重 く みる今目の組織社会 -128 ( 128 ). 一.
(23) 学 の そ れ に て ら せば, ウ ェ ー バ ー の 理念型力も そ の経験的妥当性に お い て欠 け る と こ ろ が あ る こ と を 決 し て い な む も の で は な い。. し か し,. こ の点 に つ. い て は マ イ ン ツ は , C ・ フ リ ー ド リ ッ ヒ の 「責任行政」 (Vera�twortlichen Verwaltung) の 主張4) に ヒ ン ト を得て次の よ う な解釈をす る 。 つ ま り , 通常 そ れ は , 「所与の 目 的」 に 関 し て 「合 目 的 的 な」 と い う 論理構成,� お い て そ の定式化がな さ れた 「合理的組織」 の 極限概念 と み な さ れて き た が.,. 実際. は そ こ に は 多分に, 当 時 の プ ロ シ ャ 行政 に お け る 特殊事情が反映 し て お り ,. .. か く て事実上 そ れ は , そ の 内 容に つ い て よ り 具体 的 な 限定を う け た 「 特定の 諸 目 的」 に 関 し て の み , 合 目 的 的た る こ と を主張す る だ け に他な ら な い と の 解釈で あ る 。 . か く て マ イ ン ツ に よ れ ば.. こ の ウ ェ ー バ ー の 理念型を 適切 に. 理解す る た め に は, それが彼 に よ っ. て分析 さ れた歴史的過程に お い て 占 め る 位置 に つ い て の 認識が不可欠で あ る と と も に , そ れ に 対 し て な し う る 唯一の 意味 あ る 批判は, そ こ に 示 さ れ た組織形態が, ウ ェ ー バ ー の 想定 し た 実質 的 な 「 目 的」 に て ら し て,. 真に 能率的 た り う る か 否か と い う 設問 に お い. て の み可能で あ る % 次に, 官僚制 の 理念型の論理的 一貫性を問題 と す る 批 判 と し て は ,. パー. ソ. ン ズ や ゴ ー ル ド ナ ー の そ れを あ げ う る の は , ア )臼プ ロ ウ の 指摘 を ま つま で も な い で あ ろ う 。 彼 ら に よ れ ば, ウ ェ ー バ ー は 一方では専門知識に よ る 管 理 と し て の宮僚制 を強 調 す る も , 他方で は そ れを, 「規律の も っ と も 合理的 な 申 し 子」 と す る こ と に よ っ て, 官僚制 は 同時 に 二方向を志向す る ヤ ヌ ス 的 な 存 在にな る 。 つま り 「 それは,. 一. 方の側では専門技能に も と づ く 管理で あ り ,. 他方の側で は規律に も と づ く 管理で あ っ た。 前者を重視する と , 服従 と は 目 的 へ の 手段 と 観念 さ れ る 。 す な わ ち 規則 や命令が, あ る 目 標 の実現に最善の 方法 と 思われ る が ゆ え に, 個人は服従す る こ と に な る 。 規律 と い う 考え方で は, 官僚制 は服従が お の ず と 目 的 に な る よ う な管理形態 と ウ ェ ー バ ー はみて い る 。 お も に命令者の 占め る 職位の ゆ え に, 個人 は そ の命令の合理性や道徳 性を判断す る こ と を放棄 し て命令 に服従 し , そ の 内 容は不問に付 さ れ る 。 要. -129 ( 129 J —.
(24) するに, 前者の場合,. 一. つには, 規則や命令に関する 自分の感情のゆえに個. 人は服従 し , 後者では, 自分の感情を無視して服従す る�」 り かくて両者 に 矛 盾がある以上 ; ’ •この二つを同時に強調するのは論理的一貫性を欠くというの である。 ‘ ・ー じ か じ マイン ツ に よ れば, これも明らかにウェ ー バ- の理念型の誤解にも :と づく批判のー っ tご 1也ならない。 けだし, これらの批判がいかに経験的事実 に合致する内 容をもっていても, これをもって, ウェ ー バ ー ヘの批判とする のは妥当 でないから である6 何故な ら , 管理が最大限の能率において逐行さ れる場合を想定すれば.. 専門家として の資格にお いても, 上司が部下にまさ る ことはありうるのみならず, 完全に合理的なゲ ー ス と しては, むしろその 方が論理的にもよ り大なる適合性があり, ぃ ささかも理念型にお ける妥当性 の 甚準Iと はもとらないからである6\ � j ;レ プロ�ウがあげるいま 一つのウェ ー バ ー 批判比 管理の合理性は; 組織 の お かれてい・る文化的脈絡 から離れては論 じ えないという見解にある7) 。 た とえば, ル ドル フ. ・. ス メ ン ド (Rudolf Smend)は, 1928年に, 「行政は合理. 的機構であり, 官吏は単なる技術的専門家にすぎないという誤まった考え方 を導 き 出した貰任はウ ェ - バ ーにある」と非難し, 「判事と 行政官吏は生命 のな い存在ではない。 彼らは文化的に規定された社会的存在であり, その活 動は, ある文化的全体の内 部における職能の一つである。 それは全体によっ � 規定 さ れ,`・ 全体に向って方向づけられる、と ともに, ひるがえって, その全 体の性格を規定する一助に も なっている。」と主張する:s> 。 同様な見地から , ー. 、. 組縦能率の 評価は; そのフ オ ー マルな規則お よ びそれに対する人間の態度の 双方の考慮が必要とす る ベ.ンデ ィ ッ ク ス (Rei'fihard Bendix) は, ア メ リ カ 高級公務員の研究において, [成文規則に 盲従しすぎると, 官僚的と非難さ れるし; 法の字句でないとして も ,: 法の精神を実現するためにイニシ ャ チ プ を発揮しすぎることは,・ i....般に権力の濫用として, あるいは 談会の特権への ・. 子渉と じて非難さ れる] という ジ レ ンマに; 規則 の特定事例への適用にお い ー130. :(130 }. 一.
(25) て判 断を要求 さ れ る 官吏が直面 し て い る こ と な どをふま えて, 一般 的 な 社会 的 ・ 政治的諸価値の 浸入がな ぐ て も , 信 念に 反論す る. t. 一. つ の 規則をあ く ま で 守 り う る と い う. 、. )0. か く て官僚制がよ り 大な る 社会 の 一部である こ と を強 誤す る ベ ン デ ィ ッ ク ス も, ウェ. ー バー. の理念型の合理性 と 能率性に 疑 問を投げか け る と い う 点で. は マ ー ト ン と 一致す る の に対 し, 他方で は ; 特定状況の下にお け る 合理的管 理の構成を 自 問するこ と によ っ て,. い ま 一 つ の 方 向 から ウ ェ - バ ー に 接近. .し, 自 己の 回答をウェ ー バ ー の それ と 比較す る 論者 も い る. 10). 。 た と え ば ブラ. ウは, 「変化す る 環境下で の 組織 目 的 の 安定的達成は ;·. 官僚制的構造のたえ ざ る 変革 に かか っ て い る 。 し たが つ て それは, 硬直的規則 に職員を厳重に 抱 束する こ と に よ っ て な し う る も の で は な い。 職員が組織全体の 目 的 と 一体化 し, 変化す る 環境 に つ い て の 彼の認識 に その 行為 を 適合 さ せ う る 場合 に の み, 能率的管理は生み出 し う る 」. 11). と し て, 官僚制や合理的管理の概念 の 再. 検討を と な え る 。 更 に , こ れに つ い て は すで に ふれ も し たが, ウ ェ ー バ ー 的 モ デ ルが必ず し も 合理的で は な い事例を建設業 に 見出すス チ ン チ カ ム の批判 も , こ の範 疇 に 入れ う る. 12. \. 非西欧社会 の研究者の間で も 同様 な 論 旨 の 展開 がみられる d た と え ば ア ル プ ロ ウらはウェ .ー バ ーが暗黙に 前提する 人間 の 動機づけが非西欧社会で は 必 ず し も 妥 当 し な い 事例を, タ イ の石炭産業 に 見出すプ レ ス サ ス と か13) . ゥ エ • ー. バ ー型の合理的行政よ り も , 家産制的行政の 方が開発途上国の経済発展に. “ は 寄与す る とす る デ ィ レ イ ニ ィ (W. Delaney) に 加 え り 大論文集 , 「官僚. 制 と 社会発展」 (Bureaucra-cy and Political Development, ,. 1963 . ) の編集. 者, ラ ・ パ ロ ム バ ラ (J. La Palomba ra) を も , 同様な 推論をなす も の と し てあげて い る. 15 \. こ れらの種 々 の所説は , それが世界の歴史的基調 に お け る 合理化の 一般的 過程に 確 た る 地位を 占 め て い る と こ ろ から, 官僚制 の増大を必然的 と み な す ウ ェ ー バ ー の確信に疑 問を投げ か け て い る ばか り で な い。 ア ル プ ロ.ウによれ. -131 ( 131 ) -.
(26) ば, 更には, ウェ ー バ ー の理念型の合理性を一応はみとめ ても, このことは 決して そ れが, 常 に他の行政制度に う ち勝つ根拠にはならないとする論者も いる16) 。 たとえば, カ リ ス マ 的支配における行政幹部が, 終極的には合理的 官僚制に転化することを当 然の前提にしているとしてウェ ー パ ー を非難する コ ンスタ ス H C . Cons臼s)m , ・ 官僚制の 理念型におけ る 諸特質の殆ん どは, 紀元前 200年までにすでに 中 国でも存在していたと主張して合理的官僚制を 近代的現象とするヴ ェ ー バ ー に反論する ク リ げ ら れ る ばかりでない B. :Spitzer)191 が,. "). 。 更には,. ール. H ( . G: Creel) などが あ. フ ラン ス について は シ ュ ビ ッ ツ ァ (A.. エ ジ プ ト につい てはバ ー ガ ー (M. Berger) 2°> が,. し て東欧に関しては ベ ッ ク. cc:. Beck). 2 1>. が,. そ. 各々の 調査研究に もとづい. て·. 近代世界の行政では, 必然的に官僚制が支配的な形態になるとするのは 誤 り で あ る と ウェ ー バ ー に反綸ずる。 アルプロ ヴ は, このょ う な批判がら出てくる一つの産物として, ウェ ー バ ..:..の理念型を一 枚岩の性格の も の と み る のをやめ, そこに含まれている諸特 質の う ち のどれが各管理 シ ス テムに共通であり, どれが そ ぅ でないかを区別 22). しよ う とする一連の経験実証的な ア プロ ー チの展開をあげるが , それに先 鞭を つ け た ヲ リ の ァ メ リ カ• て,. ー. ド り ッ ・ヒ は, イギ リ ス , フ ラン ス , プロ シ ャ , 植民地時代. および ア メ リ カ合衆国 に おける中央行政機関, の比較によっ. こ れ らに共通な諸特質を,. 中央集権化, 聴能分化, 資格にもとづく任. 命, 客観性, 正確性と恒常性, および秘密主義の六つに見出し, これらを官 僚制の基本要素とした. 23). 0. ウェ. ー. バ ーの理念型を構成する諸特質は,、 それぞれが各々. と の分析以来,・. の次元において 独 自 に 変化する一つの変数 と みる立場から, 管理構造の検討 も, その多様な次元の各々を独 自に測定するとい う 方法でなし う ることを主 張する一連のア プロ ー チが出てくるが, これが R · H・ホ ールやユ ー デ ィ など の次元変数的 ア プロ ー チとよび う るものに他ならない。 →. しか し,• これ ら の ア プロ ー チにおけ る ウェ ーバ ー ヘの批判が, 官僚制の理. -132 :( 132 ) -.
(27) 念型における諸要素の各々が, 現実の組織では実際に, どの程度の積極的な 相関の下に相互に結びついて存在しているかという設問においてなされると き, マイ ン ツ も指摘する如 < . すでにそこにははじめから, まちがいがみら れるのは注意を要するであろう。 けだし, この理念型の構成は, 官僚制概念 のメ ル ク マ, ールのすべてが, 個々の実在において必ずつねに, 相互に結 びつ き 一体となって同時にあらわれてくるということを決して主張するものでは ないからである 。 換言すれば, それはただ単に, 合法的支配の逐行が最大限 に合目的的な場合には, これらがすべて同時にあらわれてくるであろうとい 24. うだけにすぎないのである. \. たしかに経験的に観察すると, 官僚制の概念の個々の諸要素の妥 当性の度 合いも組織の種類に応じて一様でないところから, 官僚制に固有な要素と, 一般的に合理的なそれとの 区 分を試みる論者もいるが,. 彼らによると, この. 両者の相関性は必ずしもつ ねにポ ヂチプではなくネ ガチプな場合もあるのは 注意を要するであ ろ う。 しかし, マ イ ン ツ によると, かかる思考は,. 一般的. に妥 当 する経験的規則を主張するつもりが毛頭もないウェ ー バ ー の理念型構 成の意図を看過 するものに他ならない25\ もちろん,. 一. 般的な組織理論の構築 をめざ す場合には, 直ちに諸要素間の. 法則的連関の追求をなすことも必要であろう。 たしかに, 没歴史的視角から の, 抽象的一般化をめざ すこれらの試みも重要ではあるが, システム概念か ら出発し, 機能主義の方法を用いる社会学の一般的組織理論で扱いうる命題 の範囲はおのずとかぎられてくる。 たとえばそれは, 近代的組織がいかなる 経過において発展し, その特定の諸特質を 具有するにいたったかを, 過程的 に説明するものでない。 しかるに歴史的実在の説明にあたっては,. 一. 般理論. の文言における 「他の事情に してひとしければ」 という条項にこそ, 、つ ね に, 重要な意義 をもつ諸要素が含まれているがここには, . 普逼歴史的に妥当 する社会的法則の定立の努力のもつ意義の限界が示唆されているばかりでな い。理念型構成の重要性も同時にそこには示唆されている。2�) 。. ー133 ( 133 ) -.
(28) こ 次にマイ ン ツ がふれるのは, 理念型の性格についての誤解というより, そ れが支配社会学の脈絡において定式化されたとい う事実の看過に根ざすもの で, これはすでにふれた ウ ェ ー バーヘの 批判の一部にも 妥 当 する性格をも っ。 たとえば 「支配は本来. つねに管理である」 という ウ ェ ー バ ー の主張 も ときとして, 政治的過程の軽視のあらわれとして, すなわち, 組織 目 的 は元来決して所写ではなく複雑な権力過程やコ ン フ リ ク ト の産物なるがゆえ に, それ 自体に種々の考察を要する問題が含まれるという事実を看過するも のとしてう けとられることがある。たしかに, 伝統的組織論のそれと同様, ウ ェ ーバー のモデルがもっぱら組織活動の様式面に, つまり, その逐行面だ けにかかわり,「何が」 . 「何のために」 ということが, すなわち目標設定と意 思決定面が無視され る ならば, 組織社会学もその踏襲だけにとどまりえない のは当 然である。しかし マイ ン ツ によると, サ ン. ・. シモ ンやマ ル ク ス流に.. 支配と管理を相互に対立する別個の存在とする立場を, 価値多元論者の ウ ェ ー バ ーがとるとみなすのが, 甚だしく彼を否認することになるのは, ウ ェ ー バ ー にとって政治的意思形成とその執行は, 支配団体のときがたい統一性を 形成し, 管理と支配は恒常的に緊張しつつも, 相互に結びついて離れない二 つの両立的な原理であるからに他ならない。かくて ウ ェ ー バー が支配社会学 の舞台で, 官僚制を, 政治的指導者の種類やその存立基盤, ならびに活動様 式との関連でとりあげ,. 詳細な歴史的分析をなしている点にも 目を 向けれ. ば, かかる批判も出ないというのである27) 0 • 同様なことが, 「組織と環境との関連が十分に 考慮に入れられていない」 と ' いう批判にもいえるのは, ウ ェ ー バ ー の ア プロ ·- チでは, 個別組織それ 自 体に ではな < . より大なる全体の. つまり全体社会の政治的 ・社会的秩序に 基本的な関心の対象があり, 個別的支配団体はあくま で も その枠内でとり あげられるにすぎぬ結果,~ 後者に言及される場合も, 組織能率の代りに, . 組 織活動の社会にも たらす諸結果の分析がまずなされ, 次いでその諸結果を規 定する構造的, 過程的諸要素にも 目 を向ける というかたちで分析がすすめ ら. ー134 .( 134 ) -.
(29) れ る か ら であ る が, マイ ン ツ に よ る と , こ れ は ま さ に全体社会的考 察 と 組織 28 \. 論的考察の結合にお け る 一 つ の 有望な方 向 に 他な ら ない 最後 に , ウェ. ーバ. ー の 概念 にお け る理念型 と し て の構成を問題 と す る 批判. に 目 を移せば, ウ ェ ー バ ー の理念型が単な る 概念 的 図 式 に と ど ま ら ず, 仮説 を含む点を問題 と す る プ ラ ウ= ス コ ッ ト の そ れがあ る が. こ れ に よ る と , 元 来 , 理念型は, 概念の発生的な規定において, 本質的諸要素を明示する 概念 的図式た る 点に 重要な意義があ る が ゆ え に ,’ • そ の 妥 当 性 の 判 断 は , 科学的調 査 の 導 き と し て有効か否 か と いう点か ら な さ れ ね ばな ら ない。 し か る に , 「 ウェ ー バ ー の 所説を注意深 く 吟味する と , 彼 は 諸要素を, そ れが管理能率に寄与す る か ぎ り において 「官僚制 的J と み な し てお り , こ と に , こ の場合の理念 型 に お け る 「完全 さ 」 の 指標があ る 」 が, 「 こ れ ら の 諸 要素の 各々 が, あ る いは そ の 結 合が管理能率を高め る か否 か はあ く ま でも, 経験的検証に服すべ き 事実の 問題であって 定義の 問題でない」. 29). ば か り でな. い。 プ ラ ウに よ れ ば, こ の二つ の 基本的に 異な る 科学的用 具の 区別がな さ れ 30). ていない と こ ろに , そ の 大 き な 問題点があ る が. ,. モ ゼ リ ス に よ る と . かか. る 問題点も, ウ ェ ー バ ー の 場合 に は, 実質的に は さ し て 大 き な支障を き た し ていないの は , 彼が, 主 と し て そ れを歴史的比較分析 に 用いたか ら に 他な ら ない。 実際, 伝統的形態やカ リ ス マ的形態 と の 歴史的な比較 においてみ る か ぎ り , 近代官僚 制 の き わ立った特質が. そ の 合理性 にあ る の は , 殆ん ど 異論 のない と こ ろであって , こ こ に ウ ェ. ー バー. の 主張が きわめ て 大 き な現実的説. 得力をおびて く る 。 .. と こ ろがムゼ リ えが. 「も し 仮 に . 、 そ れが実在すれば, 最大限の 能率が現 実にもた ら さ れ る はずの 『完全に 合理的な組織」 の 概念構成が. もっぱ ら 思 惟の作用 のみで, すなわち , 選択 さ れ る ぺ き 諸要素 と その連関の先験的な確 定において, 果 し て ど の程度 ま で可能か」 と 問 う と き , 彼が こ れ に 否定的な 態度を と る の は 次の理由 か ら であ る 。 すなわ ち , 組織の能率あ る い は 非能率 は. つ ね に そ の 環境の特定の状況 に よ って, つ ま り そ の 時 々 の テ ク ノ ロ ジ 一. =135 ( 135 ) '-.
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