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想像力の潜勢力, 伊奈正人・中村好孝, 『社会学的想像力のために』

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Academic year: 2021

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(1)想像力の潜勢力 伊奈正人・中村好孝﹁社会学的想像力のために﹄. 田. されたのだろうか。その扱われ方も(評者を含めて). て0 0七 年 世 界 思 想 社. 本書巻末の文献目録を見ると、日本におけるライ. せて論ずる、という傾向はなかったか。であればミル. 自説に都合のいい部分だけを自分の問題関心に引き寄. としてとどまるところを知らないその政治経済力の増. ると、もはやかれの社会認識は過去ものとして、それ. ズ以降にアメリカの凋落が始まり、冷戦体制が崩壊す. J. 大が誰の目にもあきらかに予見されたなかで、世界に. なっていく、という趨勢もまたここから読み取れる。. しかし、従来からミルズの諸著作の研究を進めてき. 自身が何であるかという検討に付されることもなく. た本書の著者たちは、時代を超えて、というよりも. されてきた二十開紀中葉のアメリカ社会に漂う不安 感・閉塞感を批判的に描き出した社会学者として、か. 九・一一以降の現在(今/ここ)においてますますミ. ルズの認識は普遍的に生きる、あるいは生かす必要が. ナルに、そしてジャーナリスティックに取り上げられ てきた様子がこの目録から見て取れる。高度成長期の. ある、と考える。評者もミルズについてはかねがね、. とるに至ったことを率直に喜びたい。. よって、﹁社会学的想像力﹄を素材としてそれが形を. なかで日本社会も同様の途を追随していくだろうとい. phR S O. 、. そのような思いを抱いてきた。そして著者らの努力に. れが日本でも社会学という領域を超えてセンセーショ. 先駆けて﹁ゆたかな社会﹂を実現し、大衆社会と表現. づかされる。冷戦体制のなかで. 方の雄となり、国家. 泉. ト・ミルズの内在的研究が意外に少ないのに改めて気. 堀 うことがそのリアリティを支えていたのはいうまでも ミルズの舌鋒の鋭さや挑戦的・批判的なき口辞に惑わ. JJFFK. -49一. 堀田 想像力の潜勢力.

(2) 書副題の﹁歴史的特殊性﹂の提起に尽きる。③、①②. 法論の要件を探ること。これは先回りしていえば、本. の見解も参照しながら現代社会を解明する社会科学ト刀. ②、①を前提にして、ミルズの他の著作やミルズ以外. に忠実に正確にミルズの論旨・主張を伝えていくこと。. に、あるいは﹃社会学的想像力﹄を読まなくても原著. の戦略が輯鞍していると思われる。①、初学者のため. 本書の叙述には布の課題を果たすために、次の三つ. 触発されるのか、というのが本書における基本的なス. をいかにパラフレーズするか、そのことによって何が. の﹁問﹂をいっている。すなわち﹃社会学的想像力﹄. だが、本書は、著者好みの表現をとると、この両極端. と、このあたりの絡みの仕掛けの妙が興昧をそそるの. でなく、たとえば大塚久雄のヴェ lパl論などを見る. 法態度があるかと思う。両者は決して排除しあうもの. げかけ、対話や応答のなかから自説を傍証していく方. く直緩語らせる方法態度と、著者の見解を原著者に投. ずるとき、自己の主張を表に出さずに原著者になるべ. の常の冒一頭に﹁はじめに﹂を置き、どの部分が原著を. スタイルの斬新さとは対照的に本書のミルズ解釈は極. 原著に忠実にという態度がなせることなのだろうが、. タンスである。. の目的を達するために最もふさわしい叙述の形式・様 ②に最も重点が置かれるのはいうまでもないが、本. 式を採用すること、である。. なぞり、どの部分が本書の著者の見解に引き寄せた解. めて自然でオーソドックスであり、違和感を覚えるよ. 書が原著と同一の章立てをとっていること、それぞれ. 釈であるか等の見取り凶を示していること、内容注は. ていないわけではないが、ミルズの叙述以上に本書が. うな部分はほとんどない。したがって、ミルズが語っ. 強調し、こだわっている部分に着目すれば本書の特徴. 番号をつけずに適切だと思われる部分に随時挿入して 通常の研究室 Hと は 趣 が 大 分 異 な っ て い る 。 抵 抗 感 を 持. が見えてくると思われるので、それに即してコメント. いることなど、①や③を意識したスタイルへの顧慮は たれる向きもあろうが目的が必然的に要請するもので. まずは、本書全体の主張となっている﹁歴史的特殊. していきたい。. およそひとりの社会科学者をとりあげて何事かを論. ある、と解しておきたい。. -50一. 2 0 0 8 .3 1 9巻 2号 立;学・芸術・文化.

(3) 堀田 想像力の潜勢力. 判というよく知られた観点から導出される。ミルズに. 理論と抽象化された経験主義││に対するミルズの批. 当時のアメリカ社会学界の 一つの主要な潮流│││誇大. いうこと。これは﹃社会学的想像力﹄の前半部分の、. 性﹂において﹁社会学的想像力﹂の内容を同定すると. て、﹁補償額を減らしてでも全員の一律救済を﹂とい. 囲や程度を決めようとする政府の問題の立て五に対し. なる。したがって、患者個々の状況に応じて救済の範. ことを告発する患者たちは身をもって認識するように. のとまったく同じ構造のものから生じている、という. 政の現在の対応が、過去において薬害を生み出したも. 量的把握今辺倒の﹁ト刀法論的禁制﹂は、社会を確実に. 患者たちが至ったことを思い起こすなら、本書が掘り. う﹁構造﹂そのものにかかわる反論および問題提起に. a. よれば前者の肥大化した概念と操作、後者の統計・数 把捉する方法としては誤っており、むしろイデオロ. さ﹂のゆえにたまたま肝炎は免れたとはいえ、われわ. 起こした方法論的主張の意義深さは、﹁歴史的な特殊. れにも広く共感できる。異なる体験のうえに同一の確. 両者とも方法論として無産昧不必要ではないが、その. かな構造認識に達することを可能にするのが、社会学. ギー的役割さえ担っている、とされる。ここで本書は 間にある歴史的文脈に措定された個人的経験、すなわ. 的想像力であり、歴史的過程は現在の構造そのものな. のである。そしてそこに人間の多様性が生かされたま. つめることをつうじてこれを社会構造全体の普遍的な 把握につなげていくこと、これが社会学の豊かさを約. ま個人と社会が交錯する。その関連を解きほぐしてい. ち﹁今/ここ﹂で何が問題なのか、という間いをつき. 束していることではないか、そしてここに﹁社会学的. ではなかったか。マルクスが過程 H構造論で資本論を. ヨーロッパ近代の社会科学の伝統に定礎されていたの. だが、顧みるとなぜそれがミルズなのか。それは. くのがミルズの﹁社会学﹂だ。. ちが始めた健康被害の訴えに対する行政の不快な対応、. 展開しているのは周知のことであるし、かれほど自分. たとえば昨今の C型肝炎訴訟を見るならば、患者た. 想像力﹂があるのではないか、とミルズを読んでいく。. (本書の万葉でいうと﹁どこかおかしいぞ﹂)、という. の理論や歴史観が一般化・法則化されることに慎重で. こんなあたりまえのことが何故すんなり行かないのか 思いを持ちつつ行動を進めていくなかで、政治家や行. ヘ 戸. d.

(4) 1 9巻 2号 2 0 0 8 .3 文学・芸術・文化. 型学がヨーロッパの、そしてドイツの﹁今/ここ﹂と. 験主義は強く排除したが、かれが作り上げた多くの類. あった人はいない。ヴェ l パ ー も 素 朴 な 実 感 主 義 や 体. モチーフであった。このミルズの認識の骨組みになっ. 制 を 支 え て い る 、 と い う の が ﹁ ホ ワ イ ト ・ カ ラ l﹂の. 治的無関心を醸成することによって、この全体主義体. メリカでなぜ、このことがミルズによって言わなけれ. 繰り返し著者たちが強調するポイントがある。それは. ここで﹃パワ l ・エリート﹄にないわけではないが、. ているのはヴェ l パl の 合 理 化 論 で あ り 、 本 書 は そ れ. ばならなかったのか、という問題に思いを巡らす必要. ﹁強大な権力を持ちながら、パワ l ・エリートたちは官. いうような切迫した意識に根ざしているという研究が. があろう。それは本書でも正面から論じられている公. につながる﹂という言説である。誇大理論や経験主義. 僚 制 的 合 理 化 を も は や 制 御 で き ず 、 国 家 の 暴 走 U戦 争. を﹁理性なき合理化﹂として正当に視野に収める。. 衆論である、と私には考えられる。この点については. 以前から持続的に出ている。だから二十世紀中葉のア. 後で触れる。. はまさに﹁均衡﹂や﹁制御﹂といった社会工学的思想. しかし、これはパラフレーズをいささかはみ出して. ミルズが批判する右のアメリカ社会学の二つの両端. いるのではなかろうか。﹃パワ l ・エリート﹂の素直な. のうえに成り立っている社会学であり、ミルズがこれ. コミュニティの古い伝統を恨拠にして、世界にこれだ. 読みとしては﹁だれがアメリカを支配しているか﹂と. の 潮 流 は 、 ア メ リ カ 産 業 社 会 の ブ ォ lデ イ ズ ム 的 進 展. け多元的で民主的な国家はないというアメリカ社会に. の関連で見ると論理的に筋が通っている。. 漂う自負が、実はひとにぎりの権力者グループによっ. いう問いに答えるかたちでこの階層の支配の様態や再. らに対決する根拠にしているという本書の説明は、こ. て最も非民主的に支配されている、という構造を描き. 生産の構造、かれらの閉鎖的同門意識や道徳的腐敗. と呼応する民主主義の危機という文脈に位置づけられ. 出 し た の が ﹃ パ ワ l ・エリート﹄だった。そして操作. 題ーーを描くことに第一義があったのであり、その点. ーーー国家官僚制の制御不可能問題の前にまずは弊害問. る。歴史的に封建制を持たず、タウンミーティングや. ているという意識が、実は虚偽であり、実質的には政. されている﹁大衆﹂が抱くところの民主主義を実践し. ワ 臼. R a.

(5) しろ現代的怠義がある。だが、いま少し以F の関連か. あるから、ポストモダン的制御不可能問題のほうにむ. ような地球規模のリスクをわれわれは抱えているので. などを想起すれば、ミルズの時代では想像もできない. 的管理を超えてしまうような現今の情報や科学の展開. ズをより現代に生かすという意昧では、たとえば技術. しているからといって非難しているのではない。ミル. が若干ないがしろにされているのは気になる。はみ出. のは﹁近代﹂への根本的懐疑といった大上段なもので. ﹁公衆﹂がミルズによってアメリカ社会に要請される. のとして、民主主義の虚偽意識を担う大衆ではなく. 表現をとっている。だが、それをコントロールするも. に華やかになるポストモダン的言説のはしりのような. ミルズは﹁近代﹂が終末を迎えている、というその後. からである。それを予期するようなかたちで、他方で. 的価値にもとづく抽象的パワーがそこで暴走している. とともに、民主主義を根こそぎ掘り崩している。二冗. 近代の﹁自由と理性﹂が啓蒙的な明るい未来を保証. ら、手順として﹁近代﹂に関わるミルズにこだわる必 ﹁合理化が制御できない﹂という、このはみ出した. ﹁第四の時代﹂が到来しつつある、とミルズはいう。. できなくなっているからこそ古代、中世、近代に続く. なく、状況のなかの﹁怒り﹂からである。. ように見えるミルズのパラフレーズの部分は、いわば. 要はないだろうか。. 抽象的なものが一人歩きして社会の全面を覆い尽くす. しかし、かれによれば﹁理性なき合理化﹂が﹁自由と. 随伴物であるという考えはない。合理化は﹁制御﹂で. という、本書でいうところの社会全体を包む﹁フエ. 元を異にしている。それも含めてむしろ既にヴェ l. きるもの、また、されなければならぬものなのである. それが﹁自由と理性﹂の必然的結果あるいは-不可避の. パーはこの事態を﹁計算可能性﹂にもとづく﹁事象. 誇大理論や経験主義に等しくミルズもまた﹁近代﹂の. 理性﹂の正常な関係や発達を妨げているのであって、. 化﹂として総体的に見ていた。現代においては実体経. 枠の只中にある﹁制御﹂の理論なのではないだろうか。. エリート﹄の社会統制の不可能さ、戦争の原因とは次. 済から禾離したデリパティヴ的マネ lゲlム、教育や. 私が主張するこのことは、現代社会におけるミルズ. ティッシュなゲ lム﹂を指している。それは﹃パワ l ・. 成果主義における点数物神化が人間の多様性を損なう. c. -53-. 堀凹 想像力の潜勢力.

(6) 2 0 0 8 .3 1 9巻 2号 文学・芸術・文化. にはいかない。ミルズがヨーロッパの社会科学を基礎. ここに近代へと至るヨーロッパの影を意識しないわけ. 理化論にしても、ヨーロッパ市民のアメリカ的表現と. 制御しきれるか否かは別にしても誇大理論や経験主義. 的なものとして正しく理解し前提としていた、という. の限界を示しているのではなく、むしろ可能性を示唆. にはない処方事としての意義を依然として保持し続け. 意昧ではない。かれのヨーロッパ理解は日本の私たち. メリカの二十世紀的現実を見つめたにもかかわらず、. ているからである。ここで本書が﹁教養﹂に着目する. とはやはり偏差がある。そうではなく、ヨーロッパが. とれなくもない公衆論にしても、ミルズは徹底的にア. のは重要である。﹁バブル美術館﹂の例を出しながら本. 考え抜こうとしたものが知らずのうちにミルズを取り. している。なぜなら、フェティッシュなゲ 1 ムのこの. 書が示すところの投機目的でヨーロッパの名画を買い. 込んでいたとでもいうべきか。. 現代にあっても、ミルズが提起した﹁公衆﹂の形成は、. あさる日本のバブルの浅薄さと、これがもたらす行動. 本書の結語は﹁ヨーロッパ的伝統とアメリカ的伝統. が、スイス人画商の審美眼によって見透かされ文化的 のみならず経済的にも大逆転を食らう、というプロセ. の二つを総合した方法論﹂となっている。ここからか. 統の重みを意識して出発した日本の社会科学はヨー. スは、﹁教養﹂のもつ底力を思い知らされる。対象や. ロッパ的伝統どういう関係を持ちつつあるのか、そし. 人間の行為の持つ多様性や豊かさや、そして限界を見 や行動を選択し、実現していく原動力のようなものが. てそのなかで日本の知的伝統はどのように生かされて. ロッパの伝統は生かされているのか、ヨーロッパの伝. ﹁教養﹂なのであろう。そしてそれこそが古き良き時. き立てられる想像力は今、アメリカの社会学にヨー. 代ではないこの時代の﹁多元的民主主義﹂を支えてい. いくべきなのか、といった思いである。知的風土を踏. 極めるだけでなく、雁史的特殊性のなかで最良の価値. くものに違いない。ミルズの﹁公衆﹂の提起はいまだ. まえた知識社会学による現代社会批判が本書をきっか. けに誘発されていけばと思う。. に実を結ばないままである。 このように見てくると、過程 H構 造 論 に し て も 、 合. Fhd. sq.

(7) この書評を書くというのがもちろん主たる理由では あるが、本書と並べて原著を読み直した。地位や権力 への利害状況が教育・研究制度のなかに色濃く反映さ れ、金銭的にではなく社会的に学問が蔑ろにされてい る日本社会の現状を思いつつ読み進むと、私にとって は﹃社会学的想像力﹄が、さらには﹁社会学﹂が出発 点ではなかったけれども、はじめて学問に触れたとき のみずみずしい気持ちがこの一冊を前に睦ったような 思いがした。. 5 5. 堀町 想像力の潜勢力.

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