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慈しみのこころを養う:仏教に基づく慈悲の瞑想実践とケアへの適応可能性、そして学際的研究の役割についての探求

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慈しみのこころを養う:仏教に基づく慈悲の瞑想実

践とケアへの適応可能性、そして学際的研究の役割

についての探求

著者

ネイセン・慈心・ミシャン

雑誌名

東北宗教学

15

ページ

243-261

発行年

2019-12-31

URL

http://hdl.handle.net/10097/00127443

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慈しみのこころを養う:仏教に基づく慈悲の瞑想

実践とケアへの適応可能性、そして学際的研究の

役割についての探求

ネイセン・慈心・ミシャン

 工藤さくら 訳

キーワード スピリチュアルケア、慈悲、瞑想、仏教心理、学際 1.はじめに  「我れ今より。盡未來際。不可計劫に。是の罪苦六道の衆生の為に。廣く方 便を設けて。盡く解脱せ令めて。面して我れ自身方に。佛道を成ぜん。」1この 地蔵菩薩による誓いに示されているように、仏教経典や現在に生きる教えにみ られる慈悲(compassion)とは、きわめて多様な受け取られ方がされることが たびたびある。それは全ての人間を含むだけでなく、動物や霊、天人、阿修羅、 そして地獄に存在するあらゆるものをも包含する。慈悲は、すでに影響力があ る概念であるだけでなく、近年、増加傾向にある仏教チャプレンの分野におい ても部分的に実践されている。2 また、慈悲は多くの仏教系の瞑想で使用され る。慈悲、すなわち慈しみの瞑想実践は、臨床の場(チャプレシー)から離れ てはいないのだが、そのような実践法へと展開する大きな可能性がある。本稿 は、まず仏教思想における慈しみについて概要を説明する。次に、先行研究の 分析を行うことで、ケアにおけるそのような慈しみの実践への可能性を示すだ

1 畑田慧順編(1926)『地蔵菩薩経・和文』皇恩会事務所 p. 8(英語原文は、The Sutra of the Past Vows of Earth Store Bodhisattva. http://www.drba.nl/docs/eng/earthstore.pdf, p. 7より引用) 2 以下に挙げた文献における議論を参照のこと。Cheryl A. Giles and Willa B. Miller, eds., The

Arts of Contemplative Care: Pioneering Voices in Buddhist Chaplaincy and Pastoral Work

(Boston: Wisdom Publications, 2012), 46 52, 106, 244 48, 287 88; Koshin Paley Ellison and Matt Weingast, eds., Awake at the Bedside: Contemplative Teachings on Palliative and End-of-Life

Care (Somerville, MA: Wisdom Publications, 2016), 209 12; 坂井祐円 , 仏教からケアを考え る (東京 : 法蔵館 , 2015), 83-851 153; 大下大圓 , 瞑想力:生き方が変わる四つのメソッド (東 京 : 日本評論社 , 2019), 151 53.

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けでなく、瞑想や瞑想研究の注意点や限界についても示していく。最後に、宗 教学や他分野間の幅広いやり取りが、臨床の場において、どのような有効性を 希求されているのかについて述べていこうと思うが、その前に、これらをふま えて、実践において瞑想を取り入れるための有用な方法について述べたい。  慈悲(慈しみ)は、手に余るほどの仏教的伝統を横断して記述され、様々な 方向性をもつ。多くのテーラヴァーダの僧侶たちは日々詠唱し、頻繁に、 Sabbe sattā sabba-dukkhā pamuccantu すなわち「一切衆生を苦から完全に解放 する希望」を本来的に意味するフレーズを引用する。慈悲に連想されるパーリ 語の言葉に、カルナー(Karuṇā)というものがある。スピリチュアルケアと 瞑想の専門家である井上ウィマラは、この言葉の意味を「生き物たちの痛みや 苦しみが和らぐことを祈る心です」3と言い表している。この言葉は、度々、四 無量心(brahmavihāras)として知られる4の単語からも表される。慈悲は、 おおむね慈悲喜捨(mettā[慈], karuṇā[悲], muditā[喜], upekkhā[捨]) という言葉の2番目として表される。日本語の訳において、mettā(慈悲)と karuṇā は、一対であることが多いが、慣習的には、どのように個人が他者と 関わるべきなのかという点で、karuṇā は概して muditā と対比されることが多 いようである。言い換えると、これらの教えに従えば、個人は常に mettā と upekkhā を他者に対して持つべきだが、karuṇā が、相手がネガティブな感情的 状態にあるときに使用される一方で、muditā は、相手がポジティブな感情的 状態にあるときに使用される。これが意味することは、誰かが幸福で喜びに満 ちているとき、我々は嫉妬してはならず、ともに喜びを共有しなければならな い。そのような時には、慈悲は必要ないのである。しかし、もし他者が苦しん でいる場合には我々は慈悲を表わすべきである。 2.ストレスとそれを断つこと:こころの能力  仏教的瞑想における脱ストレスの大抵の形や、他者に対する慈しみを発展さ 3  井上ウィマラ , 『子育てから看取りまでの臨床スピリチュアルケア』 (東京 : 興山舎 , 2019).

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せるための鍵となる基礎形態の一つは、我々個々人のストレスを軽減するため にも重要である。それは、どのようなことが我々に他者に対する慈しみを高め させるのかという事だ。これに留意しつつ、後に取り上げるような、ケアを提 供することと関連する慈しみに基づくこころの鍛練について、その可能性を確 認する目的で、ストレスが精神と身体に作用するといういくつかの批判的手法 を知ることは助けになるだろう。  我々の身体における重度の緊張は、自然と身体の神経細胞の全体に「闘争・ 逃走」の刺激を呼び起こす。ほとんどすべての生存メカニズムは、成長と保護 という2つの反応に分類される。人類は発達とともに、危険が差し迫ると、す べての身体のエネルギーが保護反応(すなわち闘争逃走反応)へと充てられる ようになるのは当然だった。空腹の虎から逃げるか、辛うじて避けることは、 哲学的思索をしたり、なおさら、内面的な病気と闘うことよりも、さらに差し 迫って重要だろう。顕著なストレスや恐怖は、体内で連鎖反応を引き起こし副 賢ホルモンの放出を促す。これにより、人間は筋肉に必要な即時的な力を得る が、一方でいくつもの興味深い副作用が起こる。それは、腕や脚に流れていた 必要以上の血液が内臓への血液循環に費やされるのだ。消化と吸収のプロセス が中断され、身体のエネルギー貯蔵の生成が止まり、免疫システムはほぼ停止 し、頭部の血流とホルモンは脳の前部ではなくむしろ後部に直結していく4  なぜ、このことがストレスや他者との関わりという点で特に重要なのか?血 液はより低速で、前脳の系統的論理や推理を行う部分から、反射神経をつかさ どる本能的な後脳へと迂回している。ストレスと恐怖は、文字通りに人間の知 性、推理、そして自覚意識を低下させるのである。5 前脳への血液の流れと、

4 Bruce H. Lipton, Klaus G. Bensch, and Marvin A. Karasek, Histamine-Modulated Transdifferentiation of Dermal Microvascular Endothelial Cells, Experimental Cell Research 199, no. 2 (April 1992): 279 91, https://doi.org/10.1016/0014-4827(92)90436-C.

5 Amy F.T. Arnsten and Patricia S. Goldman-Rakic, Noise Stress Impairs Prefrontal Cortical Cognitive Function in Monkeys: Evidence for a Hyperdopaminergic Mechanism, Archives of

General Psychiatry 55, no. 4 (1998): 362 68; Lee E. Goldstein et al., Role of the Amygdala in the Coordination of Behavioral, Neuroendocrine, and Prefrontal Cortical Monoamine Responses to Psychological Stress in the Rat, The Journal of Neuroscience 16, no. 15 (August 1, 1996): 4787 98; Hiroyuki Takamatsu et al., A PET Study Following Treatment with a Pharmacological

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困難な状況に対処するために必要な客観的推理は、密接に関係している。さら に、葛藤の変形(conflict transformation)に取り組む人々が自らの心の平静さ を保つことができるとき、その人は同じように他者を助けるのを試みることも 可能だろう。しかし、焦点の合わないストレスは、状況のコントロールを失う ことに容易につながりかねない。  ケアの提供者のこころにとって重要なもう一つの要素は、慈しみそのものの ような、自分との折り合い(personal traits)の発展だ。以前から行われてきた いくつかの関連する科学的見解は、過去数十年にわたって大きな変化を遂げて いる。科学界における共通認識においては、脳の神経パターンは若年時に比較 的固定され、それ以降は変化しないというものだった。しかし、それ以降の数 多くの研究によって、この理論は覆されてきている。科学者たちは、この神経 可塑性の概念、本質的に、脳がそれ自体の配線(ハードワイヤリング)を変え るという能力の発展について議論してきた。脳のさまざまな領域は拡張し、か つて固定された接続も変化可能だ。これらの革命的発見の最も重要な議論は、 意識的な思考と注意によっては、我々の長年の心理的パターンさえも変えるこ とができるという点にある。我々がさまざまな状況下における感情や、そこで どのような反応をとるかについて気づくようになるために学ぶのなら、我々は より、それらをコントロールできるようになるだろう。  人間の脳から身体の残りの細胞に至るまでの経路は、Candace Pert によって 「感情の分子(molecules of emotion)」と名付けられた、神経ペプチドと呼ば れるいくつもの小さな化学要素によって成り立っている。当時、ジョージタウ ン・メディカル・スクールの教授だった彼は、その発見に寄与した。6 Pert よると、我々の身体は、感情に依存するのだという。感情は、単に心理的なも のではなく、無数の生化学的反応によって構成されている。脳の視床下部は、 我々が感情を感じる度におびただしい量の神経ペプチドを生成する。これらの

Stressor, FG7142, in Conscious Rhesus Monkeys, Brain Research 980, no. 2 (August 8, 2003): 275 80, https://doi.org/10.1016/S0006-8993(03)02987-1.

6 Candace B. Pert, Molecules Of Emotion: The Science Behind Mind-Body Medicine (NY: Scribner, 2003), 133 45.

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ペプチドは、それぞれの感情に従って組み立てられ、身体の全体に高速で伝達 される。そして、それらは数千ものペプチド受容体をかかえる細胞に付着する。 ペプチドが各細胞に固定化されると、ペプチドはそこに信号を送り、最終的に、 それぞれの感情として我々が感じる身体的感覚を作り出すのである。  決定的な分岐点は、それらの細胞が分裂した時に起こる。なぜなら新しい細 胞には、それらの感情からペプチドを飲み込むように設計されたより多くの受 容体があるからである。ヘロインなどの薬物や栄養素はこれらと全く同じ受容 体を使用する。依存の程度は異なるが、実際には、人間の身体の細胞は、我々 の細胞でより多くの受容体を含む化学物質を強く要求することを助長するので ある。おそらく、うつや怒りはネガティブな経験として考えられるだろう、し かしそれらはまた、究極的にはその感情をより誘引する感情的突発(emotional rush)を与えているとも言える。しかしながら、我々の感情への気づきは、そ れらの感情のパターンを抑制するために役立つだけでなく、好ましい感情に向 けた意識的な努力は、生産的なパターンを発展させる一助にもなる。7  別の研究では、意識的な思考が人間の遺伝子構造全体に及ぼす力についても 示されている。遺伝子は、環境的な刺激なしには活性化されない。H. F. Nijout が述べているように「遺伝子が必要とされるとき、遺伝子自体の自発的特性で はなく、その環境からの信号がその遺伝子の発現を活性化させる」8。人間の染 色体の遺伝子はタンパク質で覆われている。タンパク質が外的な信号を受け取 ると、それらは変形し、覆われていた遺伝子配列が活性化するのを許す。たと え両親からどの遺伝子を受け取ったとしても、思考や感情への意識的な注意、 さらに栄養素のような他の因子たちは、それらの遺伝子が実際に活性化される かをコントロールするのを助けるのである。9

7  Candace Pert et al., Neuropeptides and Their Receptors: A Psychosomatic Network, Journal

of Immunology 135, no. 2 (August 1985): 820 26; Candace Pert, The Wisdom of Receptors: Neuropeptides, the Emotions, and Bodymind, Advances 3, no. 3 (Summer 1986): 8 16. 8 H.F. Nijhout, Metaphores and the Roles of Genes in Development, Bioessays 12, no. 9 (1990):

441 46.

9 M. Azim Surani, Reprogramming of Genome Function Through Epigenetic Inheritance,

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 特に、難しい感情的なストーリーに対する反応を処置する必要がある場合に は、ケア提供者は、彼ら自身の反応や反応のスタイル、特定の状況における彼 らの感じ方、そして、彼らが遭遇する感情を処理する上での態度について、記 述したり、書き直したりする能力から利益を得ることできる。Pert は、この努 力をヨットの操縦中の方向転換と比較している。人びとが帆を逆側にシフトす るとき、すぐには方向を変えられないかもしれない。同じように人びとは、帆 が風をとらえるまで風を待つ必要があるかもしれないが、もし彼らが、帆を、 新しい方向に十分な時間固定したとしたら、さほど時間もかからずに新しい航 路へと滑らかに帆走させることができる。まさにこのように、積極的な姿勢と 思考様式に意識的な注意を向け、それらを首尾一貫して実践することで、結果 的には、簡単に固定されてしまう癖を展開させることができるのである。 3.心理療法としてのマインドフルネスの実践と心理的効果  建設的な意識の注意パターンを取り入れるのを助ける仏教的な瞑想の伝統に 着想を得たストラテジーや技法は、心理学や認知科学においてますます研究さ れてきた。今日、正式な注意の修練は、増加の一途にある心理学者、セラピス ト、精神科医の間で「マインドフルネス」という用語でおおかた認識される。 マインドフルネスは、こころと身体の異なる一連の過程を観察する意識、すな わちメタ意識として働く。マインドフルネスは、多くの関連しつつも異なる属 性として定義されるが、研究者がどのようにマインドフルネスを概念化してい るのかについて、以下の個別に収集されたアンケートによる調査では、その定 義について5つの側面が確認できる:(1)内的経験に対する非反応性、(2) 観察/気付き/感覚への注意/知覚/思考/感情、(3)自覚した行為/非・ 自動操縦/集中/注意散漫でないこと、(4)表現/言葉によるラベリング、(5) 経験の非・判断である。10

and Jorn Walter, Genomic Imprinting: Parental Influence on the Genome, Nature Reviews: Genetics 2 (2001): 21 32.

10  Ruth A. Baer et al., Using Self-Report Assessment Methods to Report Facets of Mindfulness,

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 しかし、本稿で特に関連があるのは、情動神経科学研究所11の所長である Richard Davidsonによる、この「注意トレーニングは可塑性への入り口と考え られることができる」という記述であろう12。 マインドフルネスは、我々の生 涯をつうじて形成されるトップダウンのメンタル・プロセスを解放する一助と なる。これらのプロセスは、我々の感覚が世界から取り入れる計り知れない種 類の情報を分類するために役に立つだろう。そのような生来の概念カテゴリー あるいはミーム(文化的遺伝子)なしに、個人は、四肢とその上にプラット フォームを備えたテーブルのように機能しうる新しい形態に改めて気付かなけ ればならなくなる。生命は、トップダウン・プロセス無くして信じられないほ ど非効率である。ただし、トップダウン・プロセスは、偏見や差別というネガ ティブな産物や、現在の状況にはほとんど影響を及ぼさない瞬時の、無意識で すらある判断の異なる形式にも付加されるだろう。脳のトップダウン・プロセ スについて、カリフォルニア大学ロサンジェルス校の精神科学者である Daniel Siegelによると: 奴隷化(enslavement)と呼ばれる脳内での奪取命令が実行されると、そ こでは瞬時に「より低位の」知覚プロセスが形成される。この形成過程は、 我々の日々の生活において自動的かつ持続的である。しかし、マインドフ ルな気付きがあれば、なにか非常に深遠なものの発生を、我々は提唱する ことができるのではないか…… 受容性、観察、そして反射性の内省的な 組み合わせは、意識に関与するニューロンの大規模な集合体の性質を大き く変えるということが提唱できる。イプセイティ(ipseity)へのアクセス を与えることで、このようなシフトは、我々が、判断を支持しないことを 可能にする。この自動的なプロセスを解消する変化は、その後、観察され、 注目され、それらの奴隷化の影響からの解放を許されるかもしれない透明

11  the Laboratory of Affective Neuroscience

12 Sharon Begley, Train Your Mind, Change Your Brain: How a New Science Reveals Our

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の心理活動よりもなお、まさにそれらを可視化させるのを幇助するのであ る。 13  ボトムアップ・プロセスを通じて脳を捉えることにより、マインドフルネス は「物事をあるがままに見る」のを助けてくれるはずだ。このプロセスは、差 別や偏見といった既にパターン化された、あるいは瞬時にパターン化された判 断によって生じたさまざまな知覚エラーを解消するのを助ける。しかし、これ らの判断は、逆に、他者を気遣うことや、他者に対する十分な傾聴という人間 の受容能力にとって、根本的な阻害要因の一つにもなる。さらに、我々自身の 過去の知覚的ミスに気づくことができれば、他の誰かに我々が間違っていると 言わせるよりも、究極的には、はるかに効果的だ。  一方で、マインドフルネスの実践は、脳の左右の半球のさらなる一体化を供 し、これによって、明確かつ創造的に考えるための能力に直接働きかけるだけ でなく、適応能力をも高めるのである。14 長期的な実践者15の場合は、瞑想を 持続することでガンマ波が最高値を記録することさえある。これらの脳波は、 人が何かを発見した瞬間の「なるほど」( aha 反応)という時に常に活性化さ れるものである。ほとんどの人びとには、それは通常ほんの短い数百ミリ秒な のだが、高度なマインドフルネスの実践者には、5分間もの間続く脳波(EGG) の結果が示される。16 このような瞬間は、他者の物語や状況を含む、現状の詳 細を理解するためにも不可欠である。全ての人がこれらの高みに達しはしない だろうが、ほとんどの人は通常の練習から1週間以内に進歩がみられる。さら

13 Daniel J. Siegel, The Mindful Brain: Reflection and Attunement in the Cultivation of Well-Being, 1st ed. (NY: W. W. Norton & Company, 2007), 157 58.

14  Siegel, 46.

15 ここで言う「長期的な実践者」とは、「同じチベット仏教のニンマ派やカギュ派の伝統におい て、1万から5万時間以上の期間、15年から40年に及ぶ訓練を受けた」仏教徒を意味してい る(Antoine Lutz et al., Long-Term Meditators Self-Induce High-Amplitude Gamma Synchrony During Mental Practice, Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of

America 101, no. 46 (November 16, 2004): 16371, https://doi.org/10.1073/pnas.0407401101. 16 Antoine Lutz et al., Long-Term Meditators Self-Induce High-Amplitude Gamma Synchrony

During Mental Practice, Proceedings of the National Academy of Science 101, no. 46 (November 2004): 16369 93.

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に、マインドフルネスの瞑想実践が、単に瞑想の間に限られたところから一線 を越え、明確な思考、創造性、幸福、共感の増加という結果を示すとき、全て のケア提供者にとって重要な資質が裏付けられるのである。17  マインドフルネスの実践を伴うボトムアップの作業によって生み出されるも う一つの重要な要素は「安心感」である。社会心理学者は、個人の安心感があ るほど、外部のグループを含む他者に対して、より親身に慈しむ可能性が高い ことを示している。彼らはまた、独断的ですぐに決めつけるような可能性も低 い。18マインドフルネスは、安全と安心感を生成する脳の部位を活性化させる のを助け、安心感の一時的な活性化をもたらし、より心を解放した状態を生み 出すのである19  短期間の練習は一定の利点となりうるが、長期的な練習によって発展した深 い集中状態は、さらに大きな利点を得ることにつながる。少なくとも少し熟練 した実践者の脳が、瞑想した状態に入り込んだ時、ほとんどの領域の脳の活動 は最小限に落ち着くが、前頭前野は活動を続ける。脳波は、アルファ波とシー タ波が顕著に増加することを示し、より穏やかで安らかな感覚をもたらす。増 加した血流は、脳と臓器に栄養を送り、新たなニューロンが生成され、そして 自己と他者を定義する脳の領域が静かになると、分析プロセスがさらに開放さ れる。さらに、僧侶が慈しみに焦点を当てた瞑想を行うと、その分析結果は、

17 Begley, Train Your Mind, Change Your Brain, 220 39.

18 M. Mikulincer, T. Dolev, and R. Shaver, Attachment Related Strategies During Thought Suppression: Ironic Rebounds and Vulnerable Self-Representations, Journal of Personality and

Social Psychology 87 (December 2004): 940 56; M. Mikulincer et al., Attachment Theory and Reactions to Others Needs: Evidence That Activation of the Sense of Attachment Security Promotes Empathic Responses, Journal of Personality and Social Psychology 81 (2001): 1205 24; M. Mikulincer et al., Attachment, Caregiving, and Altruism: Boosting M. Mikulincer, T. Dolev, and R. Shaver, Attachment Related Strategies During Thought Suppression: Ironic Rebounds and Vulnerable Self-Representations, Journal of Personality and Social Psychology 87 (December 2004): 940 56; M. Mikulincer et al., Attachment Theory and Reactions to Others Needs: Evidence That Activation of the Sense of Attachment Security Promotes Empathic Responses, Journal of Personality and Social Psychology 81 (2001): 1205 24; M. Mikulincer et al., Attachment, Caregiving, and Altruism: Boosting Attachment Security Increases Compassion and Helping, Journal of Personality and Social Psychology 89 (November 2005): 817 39. 19 Siegel, The Mindful Brain; Mikulincer, T. Dolev, and R. Shaver, Attachment Related Strategies

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脳が苦しみに対してより順応するようになることを示し、そこで脳の「計画さ れた活動」の部分への循環が増加し、また、僧侶本人の幸福をつかさどる左前 頭葉の脳領域にも著しい増加が示されるのである。20 もう一つの興味深い点は、 慈しみの瞑想の長期的な実践によって、実際にも慈しみを生み出す脳の部位の サイズを増大させるという証拠が示されることである。これは、長期的な思考 パターンを通して実際に発生する。脳の特定の部位に費やすエネルギーが多く なると、それらの領域は大きくなるのである。Daniel Siegel が述べているよう に、「自律パターンが開放されることによって、こころは自由になり、新しい 自己調節レベルを獲得できるようになる」のである21。脳とこころは筋肉のよ うなものであり、それらを向上させたいのならば、そこに働きかける必要があ る。アスリートがワークアウトによって特定の筋肉群に集中的にアプローチす るように、いずれの個人も、実践に専念することで、共感や慈しみを少しずつ 増加させることができるのだ。 4.マインドフルネスへの批判  瞑想とマインドフルネスに関する初期の前向きな研究にも拘わらず、過去10 年ほどは、批判や重要な是正研究の増加が見てとれる。瞑想は万能薬ではない ことに留意すべきだとする主張は、瞑想が全ての状況、あるいは全ての人びと に役立つ思考とはなり得ないと批判する。これは、例えば、あらゆるタイプの 精神病や重い精神疾患によって苦しむ人びとに対しては害となる可能性があ る。22 より極端な事例では、ブラウン大学の Willoughby Britton が、10日間に 及ぶリトリート(瞑想期間)の間に精神病を進行させた複数の患者、しかもリ トリート前にはそのような病気の兆候が表れていなかったにも拘わらず、彼ら の治療を始めたというものだ。もちろんこれはまれなケースだが、このような

20 Begley, Train Your Mind, Change Your Brain, 233 38. 21 Siegel, The Mindful Brain, 110.

22 Aubree Mendel-lovelace, Schzophrenia, in A THousand Hands: A Guide to Caring for Your

Buddhist Community, ed. Nathan Jishin Michon and Daniel Fisher (Richmond Hills, ON: Sumeru Press Inc., 2016), 206.

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実践が全ての人間に受け入れられるわけではなく、特定の場合には、むしろ有 害になる可能性があることを示す事例だということを認めることは重要だろう。  マインドフルネスの多様かつ有用な側面そのものは、一部の人びとがそれを 立証しようと望むほど十分には確立されていない。2007年に米国保健福祉省は 813もの瞑想に基づく研究を検証し、セラピー治療的な効果は「不確実性がつ きまとうことに悩まされている」ことと「現状の文献に基づいて確立すること ができない」ということを結論として述べている23。また、47のマインドフル ネスに関する研究を対象とした2014年の調査報告では、公表された研究の多く が、他の調査設計の短所に紛れて、何らかの確固たる結論を引き出すにはあま りにも規模の小さい事例に基づいていることが指摘された。24

 David McMahan と Erik Braun が指摘するように、そのような研究の多くは、 彼らが対象として研究する瞑想について、明確な概念定義すら欠いているので ある25。より明確に定義されるために、我々は、それらの研究が二次資料とし てどれほど用いられているのかにも注意を払うべきである。「資金調達はしば しば測定可能な“成果”に依存し、これらの科学的研究の多くは、当然のこと だが、実証的で、定量化可能な研究にとって従順な瞑想の様相に焦点を当てて いる。」26 基本的な瞑想の明確に定義された形からの研究は、瞑想スタイルと いう点でそのバリエーションが尊重されることなく、カジュアルに参照される ことが度々よくある。そのため、結局のところ、幾千ものマインドフルネスの 形は、仏教伝統のなかに見出されるのである。マインドフルネスについてよく 計画された研究から導き出された一つの結果は、マインドフルネスの他の異な る形式ということよりも、特定の心理的弊害を癒すことという点で、異なる結

23 Maria B. Ospina et al., Meditation Practices for Health: State of the Research (Rockville MD: Agency for Healthcare Research and Quality, 2007), http://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/ NBK38360.

24 Madhav Goyal et al., Meditation Programs for Psychological Stress and Well-Being: A Systematic Review and Meta-Analysis, Journal of the American Medical Association, Internal

Medicine 174, no. 3 (2014): 357 368.

25 David McMahan and Erik Braun, eds., Meditation, Buddhism, and Science, 1 edition (New York, NY: Oxford University Press, 2017), 13.

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果を示しうるのである。  要するに、マインドフルな慈しみの瞑想実践は、ケア提供者をさまざまな方 面で助ける可能性を持ちうるが、他方で、そのような結果がどのように導き出 されるのかについても注意すべきであり、いくつかの出版物が示唆するほど、 有効性という点ではさほど確実性がないということも認識すべきだろう。第2 章や第3章で取り上げた多くの研究は、潜在的な利点の特定のポイントについ て強調するために選択されているが、なぜならそれは、第4章で提示された批 判のいくつかを避けるためなのであった。しかし、事実、瞑想は万能薬ではあ り得ず、それらの瞑想が全ての人びとによって実践されると言いたいわけでも ない。 5.思いやりの瞑想体系の事例  上述のことを念頭に、以下では、患者と直に接するケア提供者にとって有益 とされる、慈しみを養うための仏教に基づいた瞑想システムについて述べてい く。それを見つけることができれば、それは、個人に特定的な形式というより も、瞑想自体の有機的なシステムの一例であるといえよう。以下は、ケア提供 者の潜在的な利用についての3つの側面にかかわる議論である。すなわち、ケ アの提供を経験する前の準備、ケアのプロセスそのものの間、セルフケアの時 間である。 基礎形態  瞑想の始めにおいて共通認識とされるように、実践者は、まずこころと身体 を落ち着かせるために数回、深い深呼吸を行うことから始めなければならない。 そのあとの最初の段階は、自分自身とその人自身の身体の内に慈しみの気持ち を生じさせることである。多くの場合、柔らかくて心地よい光を体内で想像す ることで最もよく表される。この光は、呼吸をするたびにより純粋になり、ほっ とさせる。身体の中に微小なストレスの領域があったとしても、実践者は、そ の領域のストレスが消えゆくまで痛みを和らげて慰め、思いやりの光を想像す ることができる。可能であれば、実践者は呼吸しながら、その光が全身にゆっ

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くりと広がるのを視覚化する。その人が身体のひとつひとつの部分を捉えるこ とができると、それらがそのように働いていること──脚には歩行に費やされ るエネルギーが、さまざまな臓器にはそれぞれの機能の役割が、免疫、血球、 身体の特定の部位に至るまでも──に感謝の気持ちが、それぞれの部分に対し て慈しみが芽生える。  ただし、各個人にとって最適な方法を試されることを推奨したい。一部の人 びとは光の視覚化が難しいことに気づくだろう。暖かさを想像することや、特 定の色や、慈しみの発想そのものだけでもうまくいくかもしれない。また、何 日間か何時間かは、ある方法のほうが他の方法よりもうまく機能することもあ るだろう。このプロセスにおいて重要なことは、実践者が自分自身のこころに 注意を払い、さまざまな時間、状況においてどのように反応するのかをつぶさ に確認することである。そのような実験をとおして、その人は徐々に自分自身 を知るようになり、その瞬間の状況に対して瞬時に適応できるようになるので ある。  この実践に加えるべきもう一つの重要な側面は、慈しみと平静の質である。 上述のように、思いやりを感じるか、共感の喜びを感じるかにかかわらず、こ れら2つの性質は可能な限り一定不変のものでなければならない。換言すれば、 周囲の人びとの幸福を願いつつも結果にあまり執着しないことである。最初の うちは、これを維持するバランスが難しいだろう。これは時に「背面は強く、 前面は柔軟に(strong back, soft front)」というフレーズで伝えられるものである。 我々は、ほかの人が良い状態であると願うことに完全に固執するが、その結果 は、時事刻々と変化し悪化する可能性もある。もし我々が大きなショックを受 けたり落ち込んだりすることがあると、そのような反応の影響は自分自身だけ でなく、患者にも感じとられてしまうだろう。 ケアに先立って  その人自身の身体全体に広がった慈しみのエネルギーの想像によってこころ が落ち着くと、実践者はケア対象者の状況を想像することができる。部屋のレ イアウト、その人の表情、体調など可能な限り詳細な状況を想像しよう。そし

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て、慈しみが自分自身からケア対象者に届くように広がり、拡張していくのを 想像しよう。その感じがどのようなものか確認することが重要だ。理想的には、 健全な慈しみはポジティブな感情であるべきなのだが。慈しみを表現したり感 じたりするために、相手の苦しみを持ち込む必要がないことを、そのケア提供 者は注意することが重要だ。慈しみとともに平静さを培うこと、そして視覚化 を通して我々の反応を分析することもまた重要な時間である。患者が、非常に 困難な状況にあることを想像しよう、彼らの話に耳を傾けて、あるいは彼らの 病気は治らないという近況報告をちょうど受けたかのように想像してみよう。 あなたや彼らはどんな反応をするだろう──あなたは彼らの反応に対して、反 応をするだろうか?感情的に?身体的に?もしあなたが自分の反応に満足でき ない場合には、瞑想の中で再びあなたの平静を見つけ出す時であり、それから あなた自身の反応のルーツを探求する時だ。あなたにとって理想的な反応を視 覚化し、再度やり直そう。この種の視覚化の訓練は、本当の深みにたどり着く ためには時間を要すが、このような方法でさまざまな重要な資質とともに慈し みを育むのだ。平静さは、慈しみの健全な表現を保つために特に重要である。 なぜなら、平静さがなければ慈しみは燃え尽きてしまう可能性があるからだ。 健全な慈しみの感覚は、他方では、活力を与えることや、浄化を感じさせるこ ともあるのだ。 ケアのあいだ  ケアそのものの状態の間、慈しみの瞑想に焦点を当てつつ患者にも同時に焦 点を当てることは難しいだろう。もちろん患者に耳を傾け、注意を払うことは 優先されるべきだ。しかし、訓練によって、患者に耳を傾けながら、患者への 慈しみに基づいたエネルギーの光を視覚化することに焦点を当てることは可能 だ。何れにせよ、実践したりそれを言語化したりすることに言及する必要はな く──瞑想自体は、通常、内的な鍛練であることに変わりない。少なくとも、 患者たちと共に座っている時、沈黙の時間に試してみるのが良いだろう。  慈しみをリアルタイムで他者に向けることに集中するためには、さまざまな 手段がある。慈しみは、自分自身から患者へと拡張するものとして描かれるか

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もしれない。代わりに、単に、患者自身を抱擁したり包み込んだりするエネル ギーに焦点を当てることも可能である。また、ケア提供者と患者の間の絆とし て視覚化することもできるだろう。信心深い人にとっては、患者に届く慈しみ のエネルギーには、神、イエス、阿弥陀如来、観音菩薩などケア提供者による 選択によって、異なる存在が想像されるかもしれない。また、それは宇宙的な ところから来ている思考だと言うこともできるし、その慈しみのエネルギーが 部屋の空間自体を満たしているというようにも言え、要するに、そのエネル ギーの中に患者を取り込むことも可能なのだ。上述のように、その慈しみのエ ネルギーにはさまざまな選択肢がある。それは光として視覚化されるもの(透 明、白色、または特定の色)、感情/感覚として視覚化されるもの、または慈 しみのエネルギーそのものとして視覚化されるものである。その時どきに患者 自身にとって何が正しいと感じるのかを試し、見定めるのは、ケア提供者にか かっている。最適な個別のスタイルを調整し見つけるには、それなりの訓練が 必要である。 ケア後  数ある手段の中でも、これは最も重要な部分である。ケアの場に直面した後 は、慈しみのエネルギー、あるいはその人自身の身体とこころに向けて感覚を 拡張することだけに集中すると良いだろう。ケア提供者は、ケアに直面した直 後は十分に時間がないかもしれない。そのような場合は、短くて15∼20秒間の 振り返りの時間(reflection time)だけでも気持ちを切り替えることができるし、 やや長い時間のものを1日の終わりに行うのも良いだろう。  また、これらの瞑想中の変化に気づくことも重要なことである。いくつか有 用な質問の一つに「今、自分はいつもより多くの慈しみが必要かどうか?」が ある。もしそうであるなら、何が変化していて、その他に自分は何を十分に回 復することを望むだろうか?これらのトピックについて繰り返し振り返るため の時間を取ることは、瞑想中であろうとなかろうと重要であると言える。しか し、この瞑想状態は、自身の今現在の状況について洞察するレベルを助けるだ ろう。追加されたストレスのそのようなパターンは、認識され、ケアされるの

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が早ければ早いほど、長期的ストレスのパターンが定着することや、完全な燃 え尽きを避けることも容易になるだろう。 6.結語に代えて  「慈しみ(compassion)」という英語の単語は、「苦しむ(suffer with)」を意 味する語根から来ている。そのような定義は、現在、仏教チャプレンシーの書 籍にも言及されており、ある意味では少し皮肉なことだが、苦しみを克服する ことに向けられると言われる云われがある。しかしながら、伝統的な仏教徒の 見解と慈しみの実践は、決して苦しみだけを必要としているわけではない。仏 教における慈しみとは、苦しみに直接向けられていることを意味するが、理想 としては、苦しみというものを解放する一助となることである。こころと身体 のストレスの働きの中でも特に、長期間にわたる繰り返しのストレスについて 考慮する場合、ケア提供者にとってストレスや、それが自分たちにどう影響し ているのかに気づくことは、自分たちの周りでそれらを最小限にとどめるため にも重要である。  神経可塑性と後成的遺伝学(エピジェネティクス)の研究が示すように、我々 のこころは、置かれている環境と心理パターンの両方の条件に順応している。 慈しみに思考の焦点を合わせると、脳の領域さえも拡張することがあるのだ。 従って、第5章で示したような精神の修練は、ケア提供者自身にとって、また 患者との相互作用における質を向上させるために非常に有益である。しかし、 瞑想的な修練だけでは、全ての人びとに効果がある訳ではなく、臨床データは まだ非常に初期的段階にあるということもまた心にとどめておくことが重要で ある。   研究的な観点からは、研究上で頻繁に使用される瞑想のタイプと、第5章 で提示されたシステムとを比較することが重要なことであろう。瞑想に関する 科学的研究においては、典型として、非常に狭い意味での定義や実践が使用さ れる。そのため、その効果は、研究に関与する人びとの間で適切に観察されう るのである。ここで説明する慈しみの瞑想実践とは、多種多様な他の瞑想実践

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と密接に関係するものなのだ。それらは高度に有機的で、実践者のニーズや異 なる場面の状況への切り替えが可能だ。筆者は、瞑想するプロセスが有機的に なればなるほど、実生活の状況においてより効果的に適応できるようになると いうことを理論化したいと考える。生体測定技術が進歩し、そのような研究が 特異性や幅広さという両側面で発展するにつれて、より具体的なデータが可能 となるかもしれない。しかし今は、個人的経験の報告とともに、より広がりの ある一連の分野から推測し、そのような瞑想的実践の一定の有用性について私 見を述べるに留めたいと思う。  しかしながら、明らかなのは、そのような研究と理解はまだ初期段階にある ということだ。瞑想のさまざまな形式や科学的有用性の検証について議論が重 ねられていくことで、大きな潜在的利益が得られるようにも見受けられる。一 方で、瞑想研究の数だけが増えたところで、そのような瞑想の定義や説明は、 しばしば狭義で、一貫性があるとは言い難い。宗教学や仏教学の研究者は、そ れらの実践を詳細に探求し比較することに長けていると言えるが、近年になっ て、それらの矛盾のいくつかを指摘し始めている。しかも、それらはそもそも 他の研究者によって最初に読まれた研究の範囲内で指摘されているのだが。27 瞑想にふける実践という伝統的応用術を認識しているような研究者たちの間で 交わされる活発な議論によって、さまざまな事情に対して役立つ多様な瞑想形 式への深い理解の提供が可能になるかもしれない。セラピストと臨床心理学者 は、どのようなシステムが実際に適応されるのか、そしてどのような条件が有 用性に限界を与えるかについてフィードバックを提供することができるだろう。 応用的な瞑想研究は、まだ初期段階ではあるが、今後、数十年先に多くの成長 への道標を提供することになるだろう。同様に、これらのシステムは、万能薬 となるにはほど遠いものの、ケアへの応用という点では多少注意して扱われる べきであろう。だがしかし、学際的なやり取りを拡張することでこの分野をさ

27 例えばDonald S. Lopez Jr, Buddhism and Science: A Guide for the Perplexed (Chicago: University of Chicago Press, 2010); McMahan and Braun, Meditation, Buddhism, and Science; Wakoh Shannon Hickey, Mind Cure: How Meditation Became Medicine (S.l.: Oxford University Press, 2019).

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らに前進させる可能性が大いにあると指摘する余地もあるだろう。 訳者付記  著者のネイサン・ミシャン氏は、その名前に慈心という出家名がつくことか らも、日本の真言宗とつながりの深い修行者である。著者は、宗教学と仏教 チャプレンという二つの修士号を持ち、現在、バークレーの Institute of Buddhist Studiesの博士課程に在籍し学位論文を執筆中である。本稿は、著者 が米国政府のフルブライト研究助成を受けて来日し、東北大学の宗教学研究室 に滞在した期間に執筆されたものである。仏教チャプレンとして活躍する筆者 は、紛争解決などさまざまな社会活動の経験も持ち合わせ、また、仏教に関わ る出版物の編者など多彩な経歴を持つ類まれな研究者である。訳者は室友とし て研究生活を共に過ごした縁で翻訳を引き受けたが、不十分な訳については、 全て訳者の能力不足の故であることを付記したい。

[ 代 表 編 著 ]Nathan Jishin Michon, and Daniel Clarkson Fisher eds., 2016, A

Thousand Hands: A Guide to Caring for Your Buddhist Community, Sumeru Press

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Cultivating the Compassionate Mind: An

Exploration of Buddhist-Based Compassion

Meditations, Their Applicability with Care, and

the Roles of Interdisciplinary Research

Nathan Jishin Michon

 Compassion is also used in a number of Buddhist forms of meditation. Although compassion meditation is not absent from chaplaincy, there is great potential to expand such usage. This paper will first briefly introduce the Buddhist idea of compassion. It will then examine a number of studies that show the potential for such practices in caregiving, as well as those which show the limits and warnings of meditation and meditation studies. Finally, with the above in mind, it will describe potential ways to use the meditations in care-based settings, before finally describing how greater communication between religious studies and other fields is still needed for greater efficacy in chaplaincy.

参照

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