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橘千蔭自筆「父枝直十三回忌追悼の文」について : 報告

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Academic year: 2021

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報告

橘千蔭自筆﹁父枝直十三回忌追悼の文﹂につい

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 橘千蔭が加藤千蔭であり、その父が加藤枝々であったことは衆知の とおりである。手もとの﹃和歌文学大辞典﹄ ︵昭和三十七年十一月 明治書院刊︶によると、   千蔭ちかげ享保二〇Hおαi文化五一◎。O。。・九・二。七四歳。加藤氏。        かなめ      はぎその   本姓は橘。通称は常太郎。要人、後に又左衛門。父以来の芳宜園       うけらその   をはじめ、ボ園・逸楽窩∵橘八衛狂号などと号した。 ︹閲歴︺江   戸の産で歌人枝直の第三子。父は吉宗の治世に大岡忠輔の下で与   力を勤める一方、江戸に出た賀茂真淵を援助しその高弟であっ   た。この枝直の公私の生活がそのまま神童と讃えられた俊秀千蔭   に投影し、一〇歳で真淵に入門し、早く英才を認められて二〇余   年の師弟の交わりを結んだ一方、三〇歳では父の後を次いで奉行        おきつぐ   所吟味役の与力となり、次いで田沼意次の側用人に挙げられた。   世にいう田沼時代の弊政は二〇余年に及び、この間公職に在った   彼は次の松平定信の粛清に遭い、減俸閉門を命ぜられるに至っ   た。初学的全銀﹃万葉集略解﹄の名著はこの一〇〇日田の所産で   ある。かくて五〇倉皇にして公職を辞してから作歌と古典学に専 橘千蔭自筆﹁父枝直十三回忌追悼の文﹂について   念して名声大いに揚り、また李法は大師流の正統を伝えて世に千   蔭流と福われ、画もまた一家の風を成すなど、妙法院宮し山小路   貞直らの貴人から卑賎の徒までがその作品を愛重した。風流な生   活と文雅の天分とが渾融して、明和・寛政頃を背景とした都会的       ゆる   文化人の典型である。︹業績︺相澄した同門村田春海と同じく、   学者というよりもむしろ歌人として傑出した。優麗温雅にして繊   細洒脱な江戸派の歌風を学者歌の多い県門に樹立した功はこの工   人に帰する。その実績が家集﹃うけらが花﹄七巻である。それは        ママ   三三淵が理想とした万葉調になじまず、むしろ古今・新古今回に   洗練された近世調に時代感覚を表現せんとした。 ﹃答長瀬真幸書   ナ政・﹃答小野勝義書﹄・﹃答富小路貞直回書﹄瀞和・﹃歌の   をしへ﹄叢・﹃芳宜園歌話﹄等の護の歌論量・の要旨は、師の   古体になずまず、彼が近体を採用した信念の論弁である。 と村田邦夫氏によって詳細に説かれてあるが、千蔭流と呼ばれるその 筆蹟は、現在多く伝えられていて決してめずらしいものではない。た 六一

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      橘千蔭自筆﹁父枝直十三回忌追悼の文﹂について だ、このたび拝見した﹁枝直下十三回忌追悼千蔭君文﹂ ︵田中重太郎 先生所蔵︶と題する一巻は千蔭の亡き父をいかに敬慕し、なつかし み、また、その恩に謝し、さらにその影響で彼が作歌をこととし、歌 会をつづけて来た経緯がよくわかる。わずか五十行程の一文ではある       六二 がまことにすぐれた擬古文であるといえよう。学界未紹介の資料なの でここに原文を活字にし、句読点・濁点などを施し、本文の右に適当 に漢字などをしるして読解に便にした。

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 ︵枕詞︶ ︵枝直︶ 壮年 ち㌧の実の父の翁みさかりなりし時より  公務    暇 おほやけのいとまなかりしかども、寄をしも  深   好      年 毎 ︵陰暦︶八月十五日 ふかくこのみたまひ、としごとのはっきのもちの     友垣  招  集   終夜 夜には、ともがきまねきつどへ、よもすがら  歌 詠      己  、 幼 うたよみし給ひぬ。おのれいわけなくして 傍 聴      未熟  歌  詠 かたはらに侍りて、かたはなることらいひ         外居大人︵賀茂真直︶近 出つる事も侍りき。あがたみのうしちか隣   転居       常久   交際 にうつろひたまひては、とはに行かひたまふ          歌会︵宴︶絶年 ま㌧に、ことにこのうたげもたゆるとしなんあら

     或時父︵愚直︶宣    汝

ざりける。あるときち㌧翁のたまへらく、 ﹁いまし、

歌詠    忘   歌トイフ

うたよむこと、なわすれそよ。うたてふもの㌧ 尊重      老  後 たふとむべき事はおいてのちおのつから 知 しらる㌧ことなれば、いまはいはず﹂とて、たゴ   愚    親      思 ﹁おろかさのおやに㌧よとはおもはねど 教      詠 をしへおかる㌧子の行へかな﹂とよみてたま

(3)

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橘千蔭自筆﹁父枝直十三回忌追悼の文﹂について         五十年      昔 へりつる。もはやいそとせばかりのむかしに          父     余 なんなりぬ。かくてち㌧翁七十あまり     年齢    宮仕   退 二つのよはひにしてっかへをしそきたまひ    己 彼父ノ教訓 ぬ。おのれかのをしへをまご㌧うにまもる         異   勤務  参上 とはすれど、日にけにっかさにまうのぼりて、          夜昼  我家   働 事 こと㌧あるときは、よるひるわがいへをすらかへり        歌ノ道ヲ 見せざりしかば、おのつからおこたりぬる ことも侍りき。さるを、父翁九十あまり       年齢  生存 四とせといふよはひを在へたまひて、こと    悩      十日 さらになやめることもなくて八月のとをか       逝去       年 の日なんみまかりたまひぬ。百とせに近き 年齢  経      モノノ よはひをへたまへるものからあかぬ心に まかせはてなんには猶あかず悲しくやは      己      以前 あらぬ。おのれ、はた、この十とせさきに病に    官    退職    仏   向 よりてっかへをしそきしょりほとけにむかひて 仏法 書︵経典︶     詠 のりのふみよまんよりは寄よみせんこそ  枕詞 御魂 天がけるみたまもうべなひ給ふぺけれと  思    ヒタスラ詠  詠   毎  中旬 おもふま㌧に、たゴよみによみて月ごとの中ば    人人     来    歌会  集 にはひとハ\もとぶらひきまして、うたのつどひ       六三

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橘千蔭自筆﹁父枝直十三回忌追悼の文﹂について

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六四       今年      逝去 なむしける。ことしち㌧翁のみまかりたまひて     上1..,回閏己心      幼 より十まり三とせになりて猶いわけなかりし    中秋︵八月十五日︶  思  忘 をりの秋のなかばを、さへにおもひわすら        前  昔 えぬま\に月のまへにむかしをしのぶと       渚 諸 いふを題にてもろくの君たちの寄をも 乞      孫     一 こひ、うからやからをむまこらまでもよみて 手向       思 たむけまつれり。つらくおもふに、かく人々の 絶       老  後 たえせずとぶら.ひ給へるも﹁おいてのち 知      回 しらる㌧ことよ﹂とのたまへりしうたてふ       思 ものの光にこそあなれとやうくおもひあ        畏 はせられて、いとくかしこくそおぼえ侍る。    今日  集   一 これ、けふのつどひのうたの序といふにも       思   心       書 あらず、たゴおもふご㌧ろのまにくかき  記 しるしてんとすれば、しかすがに  涙    落 なみだのみおちまみりていとゴたど/、 しくなむありつる。こは寛政九 年八月十三日のことなりつ。橘千蔭

(5)

 右の本文の意味については、ここに解説するまでもないが、従来の 文学史・近世歌学史・和歌史上に小さな援証となり、すこしは補える ところがあろう。  たとえば本文中の﹁月のまへに⋮⋮たむけまつれり﹂のところは﹃ うけらが花﹄巻六︵校註国歌大系・第十六巻︶に、   父君うせ給ひて十あまり三年に成りぬる八月の十三日人々をつど   へて月の前に昔をしのぶといふ題にて歌よみて手向け奉るによめ   る  面影をあふぎてしのび古ごとをふしては思ふ袖の月かな の箇所と関連があるようであり、 ﹁面影を﹂の歌の成立事情をものが たる一つの手がかりになるであろう。なお、末尾に寛政九年とあるか ら、千蔭六十四歳の作である。  千蔭の父枝直が有名な江戸南町奉行大岡越前守に仕えた与力である ことはよく知られている。枝直の伝記などについては、関根正直氏の ﹃からすかご﹄ ︵昭和二年十月 六合館刊︶にも詳説されているが、 ここでは先掲の﹃和歌文学辞典﹂から引用させていただく。執筆者は 神戸大学教授黒岩一郎氏である。   枝直繊な 元禄五δ㊤b。1天明五ミ◎。㎝・八・一〇。九四歳。本姓は橘。   通姓は加藤。初名は為直、のち枝直。通称は又左衛門。南山・常      はぎその   世事・芳十三などと号した。 ︹閲.歴︺伊勢の松坂に生れたが享保   三江戸に下り、町奉行大岡越前守をたよってその配下の組与力と   なり、吟味役を勤めた。つづいて町奉行稲生下野守にも仕え、漸   次重用されて宝暦九からは依田豊後守の命によって吟味方四人の 橘千蔭自筆﹁父枝直十三回忌追悼の文﹂について 外として、御吟味筋の重い役目を勤めている。彼は吏務のかたわ ら学問詠歌の事を好んで、賀茂真淵の江戸下降を迎えてはこれを 師友として保護し、一時は己が管轄内の地に住わせたこともあっ た。 ︹業績︺彼の功績として特筆大書すべきは、謡曲の明和改訂 がこの人の手によってなされていることである。けだし趣味豊か な文人であったのである。そして宝暦一三に七二歳で致仕した が、致仕の後はもっぱら好きな学問と詠歌のことにふけり、これ について学ぶ者も少なくなかったという。彼は生来義侠心に富 み、真淵のことは言わずもがな、例の甘薯先生で有名な青木陰陽 を大岡越前守に推挙したのもこの人であった。子供の千蔭が歌人 として大を成したのも、この父の感化によるもの多大であったこ とはいうまでもなかろう。家集には﹃あづま歌﹄六巻があり、歌 論をうかがうべきものには﹁歌の姿古へ今を論ふ詞﹂﹁子に与ふ る文﹂などがある。古今集の貴ぶべく新古皇位の乱世の韻なる事 を説き、今の世には治世の歌を起すべきことを説いたものである が、後の﹁江戸派﹂の原流をなす思考と考える時、興味深いもの である。  なお、 ﹁,枝直君十三回忌追悼千蔭君文﹂の原文は縦三十三・五セン チメートル、横八十九・五センチメートル、一行約十八字、五十一行 に書かれたものであり、それを後人が軸にしたものである。字くば り、行数などは右の翻刻で知ることができるであろう。 六五

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      橘千蔭自筆﹁父枝直十三回忌追悼の文﹂について  おわりに、貴重な研究資料を見せていただきました上に御指導をた まわりました田中重太郎先生、参考資料をお貸しくださり、御教示に あずかりました柿谷雄三先生に心からお礼申しあげます。       ︵昭和四十七年十月二十五日受理︶

      ︵短大助手補国文学科︶

六六

参照

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