• 検索結果がありません。

甲南女子大学学術情報リポジトリ

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "甲南女子大学学術情報リポジトリ"

Copied!
223
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

中国の祖 先崇拝 の不均等 的

_7El

― 江 西省 ・ 墟 村 の家 と宗 族 を め ぐって一 (要約) 北京第二外 国語学院 日本語学部講師 周潔 中国の祖先崇拝 については、すでに多 くの研 究があ り、相 当な成果 をあげてい る。 の うち、漢 民族 につ いての社会 人類学 的研 究 で先駆 をなす フ リー ドマ ン (M OFr は、祖先崇拝の もつ社会統合的機能に着 日した。彼 は、東南 中国の祖先崇拝 を家 レベ と宗族 (リ ニー ジ

)レ

ベル とに分け、祖先を祭 る場 としての 「家祠」 と「宗祠」が、 かに社会組織 としての家族 と宗族 に対応 してい るかを示 した。つま り、家族 と宗族 と う

2つ

の レベル での漢族父系出 自集 団において、いかに祖先崇拝が統合の結節点にな 得てい るか を論証 しよ うとしたのである。 他方で、フ リー ドマ ンの宗族理論に異議 を唱 える研究者があ り、この方面か らもい つ か の研 究成 果 が あが つてい る。 た とえば、陳其 南 の 「房 」理 論や 最莉莉 に よる 「 の重 要性 の主張 な どで あ る。 しか しなが ら、 これ ら従来の研究は、いずれ に して も構造や機能 に重点 をおいた 族・親族研 究であ り、成員 の意識や感情の面か らの実証研究が軽視 されてきた とい う とでは、共通 してい るよ うに思われ る。特に、中国人の精神・感情生活 に大 きな影響 及 ぼ してきたはず の、儒教 に着 目した実証研究は皆無 に等 しい。 しか しなが ら、現代 国の宗族 。親族 についての研究、とりわけ祖先崇拝についての研 究を十分 に進 めるに たつては、感情や意識や思想 の面か らの研究が不可欠だ と思われ るのである。 そ こで、現代 中国にお ける祖先崇拝の実態 を把握す るため、筆者 は、1996年か ら1 年 までの間に全

3回

、延べ約4ヶ月間にわたつて、江西省撫州地区崇仁県 に位置す る「 村」で、感情や意識 の側面、特 に儒教思想 に注意 を払 つてフィール ドワー クを実施 し 本論文は、このフィール ドワー クによつて得 られたデー タに基づ き、家 レベル と宗族 ベル ニ元性 とい うフ リー ドマンの基本観念 を踏襲 して、祖先崇拝の 「宗教性」と「社 性」とが

2つ

の レベルで どの よ うに関連 しあつているのかを、解 明 しよ うと試みた も である。本研 究が中国にお ける祖先崇拝の今 日的一形態の解 明を通 じて、現代 中国人 般 に潜む情感構造の一端 を明 らかにす ることができれ ば幸いである。 筆者 が調査地 として墟村を選んだのは、次のよ うな理由による。まず、この村は、大 な宗族が数多 く残 る江西省撫州地区に属 していて、全 中国の中でも宗族=リ ニージ研究 とって最 も適 したものの一つ と考えられ る。また、この地区は、農業が基幹産業である 西省 のなかで も、伝統的文化 と教育重視 の気風 を比較的濃厚 に残 していて、「思想」

い´

妥ミ

(2)

を重視す る研 究には、と りわけ好都合 なよ うに思われた。これ らの主要な理 由に加 え 墟村 の調査 は、これ まであま り実証研 究が行われて こなかった江西省 に関す るフィー ドデー タを収集・提示す るチ ャンスに もなると思われた。従来、東南 中国の漢 は、香港、台湾な どを中心 とす る広東 0福 建省方面に限定 され る傾 向が強かったか ら ある。 墟村 は、基本的に

1つ

の宗族か ら構成 されてい る自然村である。全

204世

帯の う 197世帯が張氏であ り、父系血縁集 団を形成 している。1998年現在 、墟村 の張氏人 口( 村の戸籍 を持 ち、墟村 に住んでい る

)は

1058人である。 この よ うな父系血縁集 団は 中国歴史学では一般 に「宗族」とい う学術用語で取 り扱われ てきたが、これ に本格的 社会人類学的研究のメスを入れたのはM・ フ リー ドマ ンである。彼 は この父系 を呼ぶのに際 し、専 ら「リニー ジ」(lineage)とい う語 を用いた。また、 リニージの 節 と して存在 して い る「房 」について、フ リー ドマ ンは「サ ブ・ リニー ジ」(sublin とい う用語 を使 用 してい る。本論文 で は、宗族 と リニー ジ、房 とサブ・ リニー ジをそ ぞれ 適 宜使 い分 けてい るが、基本 的 には、フ リー ドマ ンにな らつて同 じ意 味 で用 いて る。 宗族組織 は、1949年まで東南 中国の行政的な基礎組織 として存在 したが、1949年の 国の成 立以後 、非合法の組織 と して取 り扱 われ、壊滅的な打撃 を受 けた。 ところが、 年代 以降、政府 の基本政策 の転換 に ともなつて、一時 中断 していた宗族 レベルでの 「修 譜 」 の復活 な ど、 リニー ジ文化 を回復す る動 きが見 られ るよ うになつてい る。宗族 には の系譜関係や重要 な事項 を記載 した 「族 譜 」 が備 え られ てい るが 、一族 の血縁 的な継 を保 証す るた めに一定の時 間内 に再編成す る必 要 があ り、これ が 「修族譜 」 と言 われ もので あ る。 なお、本論文で取 り上 げた村 の名称、調査対象の リニー ジ、イ ンフォーマ ン トの氏 は、現地の人 々のプ ライバ シー を考慮 し、原則 としてすべて仮名 に した。 この村は、 史的に崇仁県の一つの 「墟」 として、繁栄 した ことがある。墟 とい うのは、中国東南 の定期市場 の意味で使用 され、農村での物物交換や売買な どに大きな役割 を果た して た。現在で も、農村 の 日常生活 にかかわ り深い もの として残 つている。このよ うに、「 とい う文字 は、この村の歴史的並びに地理位置 をよく物語 つてい ると思われ るため、 に 「墟村」 と名付 けたわけである。 本研究論文は、

4章

で構成 されている。 序論 研 究の 目的、研 究対象地の選定、研究の方法、研究の内容 第

1章

墟村 の家族実態 と リニー ジ構造 第

1節

墟村 の概況 第

2節

墟村 の家族

結び 第

3節

墟村 の張氏 リニー ジ構造

結び

(3)

2章

家 レベル の祖先崇拝――孝行 の宗教化 第1節 墟村 の葬送儀礼 第

2節

墟村の祖先祭祀 第

3節

宗教性 を持つ親子関係 の社会化 結び 第

3章

リニー ジ レベル の祖先崇拝――社会統合機能の実現 第 1節 リニー ジの社会的性格 第

2節

張氏 リニー ジによる 「修族譜」 第

3節

「修族譜」による社会統合機能の実現 結び 第

4章

中国祖先崇拝の両義性―一宗教性 と社会性 第 1節 中国祖先崇拝の思想的根拠 第

2節

中国祖先崇拝の社会的基盤 終論 第 1章では、墟村 の概況 をふまえ、祖先崇拝 を

2元

化 してい る家族 の実態 と張氏 リ ー ジ構造 を解 明 しよ うとした。 第1節では、まず、墟村 が位置す る江西省撫州地区崇仁県の概況 と人文歴史に着 目 調査地 と中国移民史及び 「客家」との関連、並びに移 民による宗族の形成 な どを歴史 に考察 を した。崇仁 県 が所 属す る撫 州地 区は、唐 (618-907年

)後

期 、特 に両宋( 1279年)時代 にその発展 の最盛期 を迎 えた こと、客家の南移動 に重要な役割 を果た し こと、移民による宗族形成 は宋時代には貴族や官僚によるものが多 く、次いで一般庶 によるものが明、清時代 にいたって形成 され た ことな どを歴史資料によつて論証 し、 村 の社会的、文化的、歴史的背景 を考察 した。 さらに行政組織 、地理的位置、空間構‐ 言語、歴史、経済構造な ど、多方面か ら墟村 を考察す ることで、その生態的、社会的 歴史的、経済的実態 を明 らかに した。 第

2節

では、墟村 の家族形態は、基本的には、息子たちによる屋敷相続が どのよ う 行われ るかに よつて異 なつて くることを実証 した。 さらに、他の農村部 と同 じく、墟 でも男子による相続が一般的であるため、最 も重要な家族関係 となる親子関係 (擬制血 関係 を含 め

)を

、生産活動 と日常生活の両面か らの参与観察に基づいて考察 した。また 兄弟関係、姑嫁関係などについても、 どういったものなのかを写実 した。 さ らに墟村 民に も根強 く存在 してい る ところの、男子孫 を切望す る 「生育意識」につ て も考察 を加 えた。墟村 の親 と子のあいだに も、現実には各種 の葛藤 と矛盾が存在す る それ に もかかわ らず 、親 が子 を養 う「養育一 依存」関係 を越 えて、子が親 の扶養 をす る ともに、 さらに家の継承者 を生む義務 もある と考 え られ ている。つま り親子関係は、2 代 間 に とどま るものではな く、根元的な生命 が祖先 か ら子孫 までの全世代 を通 じて永遠│ 継承 され るべ きものである とい う、「根源一成長」の観念 の上に成 り立っているのである。

(4)

また、結婚、住宅の新築、長男の誕生な ど、い くつかの重要な家族の出来事にともな う 儀礼によつて、家族が親族や房 (サブ・ リニージ

)と

強 く結びついている様子を実証 した。 このよ うに家族の内的並びに外的な諸関係 を考察す ることは、家 レベルでの祖先崇拝の あ り方を把握す るのに、重要な意味を持つていると考えられる。 第3節では、張氏 「族譜」と県の歴史資料、村 での間き取 り調査 によつて、張氏 リニ ー ジの始祖である張二公 が宋 の末期、或いは宋 、元交替期 に村 に辿 りつ き、その200年 ぐらい後の明の成化年間 (1465年-1487年

)に

張氏 リニー ジが形成 された ことを実証 し た。また、張氏が風水説 を根拠 に して、「張氏上一千、楊家絶火煙」(張姓が千人に上 っ て、楊姓が絶滅す る

)と

い うスローガ ンを掲 げ、墟村 は張氏の土地であ り、風水的 にも 張氏 に最 もふ さわ しい所 だ と主張 した とい う、村 の 口頭伝承 を採集・紹介 した。張氏一 族 は、先住 の楊氏 を排除 して墟村 を占拠す るための最 も合理的な 口実 として、風水説 を 利用 したわけである。 かつて存在 した張氏 リニー ジの

7つ

の房 の うち、「

1房

」が消 えたほかは、

6つ

の「房」 が現在 も残 つてい るが、それ らはけつ して均等 に発展 してきたわけではない。墟村 に住 む第

2房

と第

4房

の世帯 は、それぞれ20世帯 しかな く、そのため葬式や結婚式 な どは、 両サブ・ リニージが協力 して営んでい る。第 406・

7房

にはそれぞれ県内に分節 が形成 され、第

4の

分節 は山塘村 と楓樹阪に、第

6の

分節 は庫背村 に、第

7の

分節 は墟村 内に 生活 してい る。墟村 に住 んでい るもつ とも盛んなサブ 0リ ニージは第

3房

(40世帯)と 第

7房

(「大

7房

」 と 「砂灰 山

7房

)(68世

帯)で ある。 以上のよ うな張氏 リニー ジ

=宗

族 とそのサブ・ リニー ジ

=房

の形成 と発展の過程 は、 リニー ジが外 に向けては他 の リニージ (楊氏)と ある種 の緊張関係 をは らま ざるをえな い ことを示唆す る同時に、 リニー ジ内部で も (サブ・ リニー ジ間で

)必

ず しも均等 に発 展す るわけではない ことと示 してい る。 第

2章

では、墟村の葬送儀礼 と祖先祭祀に着 日した。親 の葬儀 と祭祀 を行 うことによ って、個々人の生命 が永続可能 な ものにな り、また、葬送儀礼 にみた よ うに、親子関係 は、社会関係 の拡大につれて、社会性 を帯びてい くよ うになるとい うことを論証 した。 第 1節では、まず、家 を単位 とす る 「家桐」を取 り上げる。家桐 とは、墟村では 「祖 宗」 とよばれ、比較的近い祖先 (両親や祖父母

)の

写真 が飾 られていて、祖先祭祀 を行 う祭壇の ことである。家桐が置かれている部屋 は「大堂」とい うが、家桐 とい う言葉で 大堂全体 を指す場合 もある。 家桐

=大

堂では、遺体 を安置 し、葬儀 を行い、「霊宅」を設置 し、祖先 の忌 日、清明 節 、正月な どの礼拝が行 われ る。また、出生、結婚、他 出に際 して も、祖先に報告 した り、儀礼 を執 り行 う場 に もなる。 しか し、他方では、 日常生活 で使 う食器 、米、農具な ども置かれてお り、ふだんは居間や客間 として用い られていて、正客の接待 の場 である と同時に、私的な家庭生活 との結びつ きも強い とい う特徴 を持 つてい る。 ところで、現地での間 き取 り調査及び参与観察 による と、墟村の葬送儀礼は、臨終→

(5)

小蜃→報喪 と吊喪→大蜃→ 出棺→埋葬→ 百 日以内の供養上 げ→死の完了 とい うふ うに、 基本的には儒教的儀礼に即 して行 われてい る。そ こには、一方 において、子が親 に最後 の孝行 を尽 くそ うとす る態度が窺 え、他方では、一連 の儀礼 を とお して親 の生命 を子に 継承 しよ うとす る意図を汲み取 ることができる。また、葬儀 は、家の男子継承者 を始 め とす る直系家族 の成員の他 に、喪家か ら「孝布」を配布 された親族、サブ・ リニー ジ集 団 (房)、 死者 と交際があつた人たちな どが参列す ることで、喪家 と親族集 団やサブ・ リニー ジ集 団 との結びつ きを再確認す る機会 にもなつてい る。また、葬送儀礼には、陰 陽両界 (死者世界 と人間世界

)観

念 な ど民間信仰 が、儒教 と混 じり合 つて残存 してい る ことを論 じた。 第

2節

では、墟村 の墓地 と祖先祭祀 について論 じた。張氏 リニー ジの 「祖墳 山」(死 者 の埋葬地

)は

、村か ら

4キ

ロほ ど離れた鳳形 山にある。「東葬東絶 、西葬西絶、南葬 南絶、北葬北絶」とい う言葉があ り、張氏始祖・張二公の墓か ら東西南北 5メ ー トル以 内に埋葬す ると、その家 は断絶す ると言い伝 え られていて、始祖 の墓は特別 に神聖視 さ れてい る。墓 は、殆 どが鰻頭形 を してい る。経済的に余裕がある場合 には、石碑 を建て ることもあ る。また、張氏 リニー ジが この山を 自分たちの祖墳 山 とす るにあたつては、 かつて この山を祖墳 山 としていた曹氏 リニー ジ と戦 つた とい う伝承が残 つている。墟村 の祖墳 山は風水 によつて選択 されていて、この ことか ら、風水信仰か らも祖先 と子孫 と の関係 を見出す ことができる。 また、今 も祖先祭祀 として墟村で毎年4月 に盛大に行 われ る、清明節の意味を深 く探 求 した。清 明節 は、ま さに、新 と旧、現代 と古代、生 と死、子孫 と祖先 な どが、融合 し あ う絶好 な機会である。季節 の新 旧交代 と人類 の新 旧交代 とが対応 し、大 自然の生命 の 更新 と復活 は、村人の生命 の更新 と復活 を意味す るもの と考 え られてい る。 第

3節

では、葬儀 にお ける子か ら親への最後 の孝行 、葬送儀礼にみ られ る再生意識、 清明節 の祭祀な どの意味 を再検討す ることで、家 レベル での祖先崇拝 にみ られ る宗教性 の問題 を取 り上 げた。墟村 にみ られ る親子観 では、子 は親 を扶養す るだけでな く、男子 孫 を生む義務 を持つ とされ る。 さらには、親 の葬儀 を し、祖先 を祭祀す ることで、個体 生命 は無限の生命 の源へ と連 なることができると信 じられて もい る。また、

5等

喪服の 慣習 によつて、血縁集団内部の遠近関係 が再認識 され るとともに、血縁集 団全体の結東 も再確認 され てい る。 さらに、葬儀 においては、子の親 に対す る孝行の態度への共感 が 家族 、親族 、な らびに房 (サブ・ リニー ジ

)の

間に広が ることにな り、親子関係 を核 に して同心円を描 く家族 、親族、サブ・ リニー ジ集 団は、血縁的な親和性 によつて再整合 (統合

)さ

れ るのである。 第

3章

では、「家」 よ りもむ しろ リニー ジ (宗族

)に

焦点 を移 し、 リニー ジが元々、 政治的、行政的、身分的等の諸側面において、対 内的及び対外的に多様 な社会的 (順・ 逆

)機

能 を果 た してきた集 団であることを、墟村 の過去 と現在 とい う両時点か ら考察 し た。 さらに、1985年か ら1990年まで行 われた張氏 リニー ジの 「修族譜」の全過程 を記

(6)

述 し、その社会統合的機能 を再検討 した。 第

1節

では、墟村の過去(1949まで)と現在(調査時点)の リニージ内部の階層制、 リ ニー ジ と政府 との関係、リニージ内部での協調・統制体制や他 の リニージとの闘争関係 (武力闘争 になる と 「械闘」 とよばれ る

)な

どを考察 した。 現在では リニー ジは公 の行政組織 として認 め られていない。 しか し、実際には、村 の 幹部 の選出は、 リニージの大小 によって左右 されてい る。墟村村民委員会 は、張氏、曾 氏、黄氏、陳氏 とい う

4つ

の リニージか らなってい るが、村民委員会の党書記及び主任 は、いずれ も、最有カ リニージである張氏一族 の出身者 である。他方で、張氏 リニー ジ の運営にあたっては、村幹部 とサブ・ リニー ジで威信がある人物が、一定の力をふ るつ てい る。

1998年

には行政の末端単位 である生産小組が張氏サブ・ リニー ジを単位 に再編成 さ れた こともあ り、今後 リニージ意識が回復 して くる可能性 もある。また、墟村 の所属す る崇仁県だけでな く、中国南部地方では リニー ジ間での 「械闘」が今 も発生 してい る。 しか し、現在地方政府 は、 リニー ジをある程度再評価 しつつ も、リニージ意識があま り に拡大す ることには、「安定団結」 を脅かす もの として強い警戒感 をもっている。「械 闘」に も厳 しい対応 を していて、大規模 な闘争 にまで発展す ることは少 ない。 墟村 には、荒廃 したかつての 「宗桐」の建物が残 つてい る。宗桐 とは、もともと宗族 の祖先の祭祀場であるが、その他 に、宗族 自衛 の武術 の練習場、一族の師弟 に教育を施 す 「読書屋」、宗族 の掟

(=族

)違

反者 を裁 き罰す る 「法院」な ど、諸 々の公的な儀 礼、集会、教育、武術 な どのための場 として使用 され、一族 の勢威 を誇示す る上で重要 な役割 を果た してきた。 しか し、1949年以降、「宗桐」の こ うした機能は失 われ、今 で はかえ りみ られ ることもほ とん どない。

1980年

代 になつて崇仁県の 「宗桐」が

2つ

修復 され た例があるが、いずれ も 「文物 保護」 とい う名 日で、県か らの資金援助 を受 けた ものである。また、宗桐が修復 された とはい え、それ らは、一つの宗族 のためだけの ものではな く、村の共有的な場 と して利 用 され ている。 さらに、

1950年

以後 に生まれた世代の 「宗祠」 に対す る無関心、財源 の問題 、さらに宗桐の 「封建性」への政府の警戒等の問題 を考 えると、今後 さらに宗桐 が修復 され るには、多 くの難 しい問題 がある。 第

2節

では、張氏 リニー ジによる1985年か ら1990年にかけての

9回

目の 「修族譜」 の過程 を、完成 した 「族譜」をもとに、また県・郷・村・ リニージ成員か らの聞き取 り を参考 に、再現 した。す でに少 し触れたが、族譜 は、一族 の血縁的な継続 を保証す るた め、一定の期 間 ごとに宗族 の人数や世代数や大事件 な どをチ ェ ック して、再編成 され る 必要がある。 これ を 「修族譜」 といい、

30年

か ら

40年

ごとに 「大修」(修復

)す

るの が一般的である。 この節 では、近年 の修族譜事業の高ま りの時代的背景 と目的、族譜の内容、修族譜の 各段階での活動 (修族譜 の組織 とプ ロセ ス、新 しい族譜完成 の慶祝祭典

)等

について、

(7)

検討 をカロえた。 まず、修族譜の時代的背景 を、村民の心理 と政府 の態度 とい う両面か ら考察 した。1980 年代 になつて社会的・経済的に急速 に変化 した中国農村 では、農民達のあいだでのある 種 の焦燥感 の広が りがひ とつの社会現象 になつてい る。こ うした趨勢 の もとで、若 い世 代が祖先のルー ツを認識 し、自分の存在価値 を確認す ることで、各種 の困惑、苦悩、焦 燥 な どをあ る程度緩和できるのではないか とい う思いか ら、修族譜への期待 も高い。た しかに、修族譜 は、宗族 の原点を確認 し、村人のアイデ ンテ ィテ ィを再構築す るきつか けにな りうるか も しれ ない。 地方政府 も、族譜の歴史的・文化的価値 を認 め、これ にわ りと理解 ある寛容的な態度 を取 つてきた。 しか し他方では、国法 を遵守 し、安定団結の局面を破壊 しない ことが大 前提であつて、明確 な条項の規定はない ものの、宗族 の活動 には一定の制限が課せ られ てい る。県関係者 も一般村 民 も、あ くまで歴史的記録 としての族譜 の修復保存 を通 じて 祖先 の系譜 をた どることを重視 してい るのである。歴史的記録 とも言 える「族譜」を修 復保存 し、祖先の家系を継 ぐことができることは 「族譜」の もつ とも基本的、主要 な 目 標 である。 また、族譜 の凡例 、派系図規 (族譜記載規定)、 序、跛等の内容か ら、張氏 「族譜」 の重要な特徴 として、①一族が父系出 自集 団であることを強調 し、またそれ を維持 しよ うとしてい ること、② リニージの人物の事跡 を記す伝統 を継承 してい ること、③祖先の 源 をた どることを修族譜 の重要な 目的 として強調 してい ること、とい う

3点

を指摘 した。 また、新 しい族譜 は、これ までの族譜 を継承 しなが らも、現代社会の要請 に応 えて、そ れ までの族譜 に含 まれていた因習的倫理性や 自集 団中心性 を薄 めよ うとす る柔軟性 を 持 つている。 とくに男女平等 とい う今 日的要求 を受 け入れ、女性 の 「上譜 」(族譜 に載 せ ること

)を

認 めてい る。原則的に男系血統の純潔性 を保持 してきた 「族譜」に女性 の 「上譜」が許 された ことは、男系血統 に女系親族 を加 えて、男女双系血統へ と変化 し始 めてい ることを示 してい る。 張氏第

9回

の修族譜 にあたつては、それ を担 当す る組織である「譜局」の責任者 に両 小隊長 (組長

)が

つ き、実際の編纂 には村 の中で もある程度の知識人があたつた。具体 的な作業は、次の よ うな ことである。なお、譜局は、あ くまで も臨時的な組織であ り、 修族譜 の完成 とともに解散す る。①修族譜 の実施及び資金の拠 出方法 について、各世帯 への通知。②資料の収集・整理・編集並びに各サブ。リニージによるチェ ック、及び修 族譜 の具体的 な内容の決定。③修族譜 の全過程 の管理。④盛大的な完成慶祝祭典の挙行。 族譜 には、同一世代 で修復す る 「蘇修」と系譜的に修復す る 「欧修」があるが、張氏 の族譜は欧修 で修復す ることになってい る。修復 にあたつては、まず、リニージ成員の 「上譜」(登録

)と

「草譜」(下書 き

)を

お こない、その後で、族譜の 「正本」に正式 に 記載 され ることになる。正本への記載 は、家系的に代 々族譜 の知識 を受 け継 いでい る「譜 匠」とい う専門家が担 当す る。正本 の作成 には、伝統的な木板活字印刷 の技術が使 われ

(8)

るが、木板活字は、譜匠の手彫 りである。 また、修族譜 の完成 はそれ 自身が リニー ジ集 団を統合す る機能 をもつ ものであるが、

1990年

4月 に挙行 された族譜の完成慶祝祭典 (競走、宴会 、演劇

)な

ど、修族譜 の各 段階での活動 も、 さま ざまな社会統合的機能 を有 してい る。 第

3節

では、前 2節で記述 した ことを総括 し、修族譜 によつて父系出 自集団が再確認 され るが、慶祝祭典 な どに も、社会関係 の再拡大や張氏 リニー ジの実力の誇示な ど、さ ま ざまな社会統合機能がみ られ ることを論 じた。族譜 を作 り替 えることで、リニー ジ成 員 の系譜的 な相互関係 が確認 され、同 じ祖先 を持 つてい るとい うリニージヘの帰属感が 促進 され る。 さらに、こ うした血縁集団の再確認 ばか りではな く、慶祝祭典 によつて、 親族や婚姻 関係 ある親戚集 団、同 じ墟村民委員会 に属す る曽 リニージ、陳 リニー ジ、黄 リニー ジ といった近隣集 団、その他 なん らかの関係 を持つ人々が慶祝祭典 に参カロした こ とで、人間 ―社会関係 の拡大を果たす ことがで きた。また、張氏 リニー ジの修族譜 によ って、 リニー ジの実力 な どを近隣社会 に誇示す ることもできたのである。 第

4章

では、祖先崇拝 の 「宗教性」 と「社会性」とい う両視点か ら考察 し、理論的な 根拠 を辿 ることにす る。 第

1節

では、具体的な事例 を踏 まえ、墟村の人び との情感構造の基礎 になつてい る 「孝」 とい う観念が、「親 を扶養す ること」「男子孫をも うけること」「親 の葬儀・祭祀 をお こな うこと」とい う

3つ

の要素か ら構成 されてい ることを示 した。自己の生命 は、 一方では、子孫への生命 の継承 のなかで生きつづ けることができ、他方で、親の葬儀 と 祭祀 をお こな うことで、生命 の根元に結びつ くことができる。 リニー ジ レベルの修族譜 が実現可能だつたのは、家 レベル にみ られ る生命 の源 を辿 る精神 によるものだ と思われ る。また、多 くの儒教研究者の説 を踏ま えなが ら、漢民族の生命観 と情感構造 を明 らか に し、それが中国文化の再構築 に重要 な意味 を持 ってい ることを論じた。 第

2節

では、墟村の事例 を踏 まえなが ら、祖先崇拝の社会基盤 である東南 中国の宗族 と社会 を論 じ、生態的・経済的 と社会的・政治的 とい う両面か ら考察した。また、中国 の家族宗法制度が リニー ジ祖先崇拝 に とつて重要 な役割 を果た したことを論 じた。 最後 に、墟村 の祖先崇拝が家 と宗族 の両者 を基盤 に しなが らも、家レベル の方の重心 が片寄つてい る。この不均等的二元性 に着 日し、その原因を分析することで、祖先崇拝 の宗教性 と社会性 との関連性 を探 つた。 墟村の家 レベル の祖先崇拝では、「孝」を基準に した道徳指標は、祖先の根元的生命 が子孫の生命 の中に継承・展開 され るとい う「根源一成長」の観念 を基礎 に してい る。 子 は親の生前扶養 を果た し、男子孫 を生み育て る義務があるだけでな く、親 の葬儀 、死 後祭祀、清明節 の祭祀な どを とお して、生者 は死者 に「追孝」を果た さなければな らな い。「孝」の行いによつて、 自己の生命 は、父母 に通 じ、祖先 に通 じ、天地に通 じるの である。同時に、自己の生命 は、その未来を子孫 に託 され、永遠 に生 き続 けられ ること になる。こ ういつた生命観 は、たんなる道徳観 に とどま らず 、厚い宗教的内包 を有 して

(9)

い ると考 え られ るべ きものである。 他方、墟村の宗族 (リ ニージ

)レ

ベル での祖先崇拝について言えば、 リニージの祖先 を祀 る「宗祠」は荒廃 し、いまでは一族 の祭祀活動 もまった くな くなつてい る。もとも と宗族 は、対 内的にも対外的に も、共同 (協同

)や

競争 (闘争

)等

、 さま ざまな社会的 機能 を果た してきた集団であ り、それ を取 り巻 く社会環境 の影響 を受 けやすい。そのた め、新 中国の建国は宗族 の活動 に壊滅的な打撃 を与 えることになつたのである。ところ が、血縁的な持続性 を求める人び との欲求は強 く、また 「族譜」の歴史的・ 文化的価値 を再評価す る政府 の黙認 もあつて、「修族譜」が復活す ることになつた。 新たに復活 した修族譜は、封建的倫理性 を強調 したかつての修族譜 とは違 つて、「同 祖 同宗」(トンズ ウ トンゾン)と い う文化的な 「根」をた どり、リニージ成員の文化的 0 精神 的なアイデ ンテ ィテ ィを再構築 し、現在 にまで宗族が存続 してきた ことの歴史根拠 を確認す ることに重点が置かれてい る。この修族譜事業は、もともと宗族が果た してい た さま ざまな社会的機能 を再活性化 し、リニージの統合 を復興 させ る効果 も発揮す るこ とになつた。 中国の祖先崇拝 に内在す る生命観 に もとづ く「孝」は、原則的には親 と子 との間の も のである。 したがつて、ただちに宗族 レベル にまで拡大す るものではな く、また子孫か ら祖先へ と直接 に結びつ くもので もない とい う「非連続性」をひ とつの特徴 としてい る。 しか しなが ら、この 「孝」行為 は子か ら親へ、さらには親か ら祖父へ とい うふ うに、生 命 の元 をた どることで、遠祖 と結ばれ ることは可能である。 自分の生命 は、子に継承 さ れ ることで生 きつづ け られ、逆 に、親 の葬儀 と祭祀を行 うことで、父の生命 か ら祖父の 生命へ とい うふ うに、生命 の根源へ とた どることができる。この よ うに、宗族 レベル で の修族譜は、宗族 自体の再評価 によつて とい うよ りも、人び とが、自分の存在価値 の源 泉 をた どろ うとす る欲求 にもとづいて、達成 された とい える。こ うして、墟村の祖先崇 拝 は、本質的に、宗族 レベルではな く、家 レベル に依存 してい ると思われ るのである。 こ うした儒教 にい う価値根源 、道徳根源 は人の生命 の中にあ り、生命 は「生生の徳」 の中で成立 してい る。村人は孔子 を知 らな くて も、こ うした生命観 は彼 らの行為、思惟 、 習慣 の中に浸透 していて、彼 らの情緒、欲望、現実な どと入 り混 じり、行為規範 、観念 様式 、思惟方法、情感態度の最下層 に沈殿 し、彼 らの心理構造性 の基本 を構成 している のである。 他方、宋以後の近代 中国家族宗法制度 は、封建時代 の統治制度 に とつて不可欠の補足 であ り、重要 な構成部分で もある。家族宗法制度 は、宗族制度 と結びつ き、権威 による 一族 の統合 を 目的 とす る、宗族 レベルの祖先崇拝 の存続 に重要 な作用 をな した。しか し なが ら、墟村 の 「宗洞」での祖先祭祀活動が消滅 して しまい、カロえて現政府 が リニージ の宗桐の封建的性格や 「械 闘」による社会混乱 に大きな警戒感 を持 つてい るか ら、宗族 レベル の祖先崇拝 は停滞 したままである。宗族意識が回復す る兆 しがないわけではない が、現代 中国の政治的枠組みを前提 にすれば、これは、限 られた ものに とどま らざるを

(10)

得 ないであろ う。 もつ とも、家 レベルの祖先崇拝 とい え ども、狭い私的範囲の宗教性 に とどまるわけで はな く、社会的 に広がつてい く性格 も有 してい る。つま り、「宗教性」 と「社会性」 と は、断絶 して存在す るわけではな く、相互に関連 してい る考 えられ るのである。 家 レベル の祖先崇拝 に残 る

5等

喪服の着用習慣や、葬送儀礼による親子関係 を軸 にす る家族 、親族 、房 (サブ・ リニー ジ

)の

人倫関係 の再整合の実態か ら伺 えるよ うに、墟 村 の親類 関係 は、親子関係 を核 に して、家族、親族、房へ と広がつてい く性格 を特徴 と してい る。子 の親 に対す る 「孝」の態度 は、葬送儀礼 を とお して家族、親族、サブ・ リ ニー ジ社会一般 に披露 され ることで、親子関係 を軸 に して広が る血縁関係 を再整合す る ことになる。 さらに、喪家 は、「孝布」を配布す ることによつて、親族、房 などとの関 係 を再確認す る。 親子関係 は家族 、親族 、房 に影響 を与 え、人倫 関係 が拡大 されてい く枠組みを提供す る。 と同時 に、当初は宗教性強 く帯びていた親子関係 は、人倫の輪を広めることによつ て、社会性 を帯びてい くよ うになる。さらに、 リニー ジ レベルの修族譜によつて血縁関 係や社会関係が再構築 され、社会統合が促進 されることなどか らわかるように、血縁集 団の周辺地帯に行 くにつれ、社会統合へ と転化す るようになる。墟村の祖先崇拝の宗教 性 と社会性 との関連関係 を筆者は以下の図で表現 したい。 強 上述のよ うに、筆者 は墟村 とい う江西省 の一つの村 を通 して、思想面に着 目しなが ら、 宗教性 と社会性の両者関係 を考察す ることによつて、現代中国祖先崇拝の理解 に1例を 提供できた と考 えてい る。 サ プ 。リニ ー ジ

(11)

中国 の祖 先崇拝 の不均等 的二元性

― 江西省・墟村 の家 と宗族 をめ ぐって―

北京第二外国語学院 日本語学部講師

° 周潔

目次

序 論 …… … … … …… … … …

5

研究の目的、研究対象地の選定、研究の方法、研究の内容

1章

墟村 の家族実態 とリニージ構造………

-17

1節

墟村の概況………

17

1.墟

村 の属 す る崇 仁 県 の概 況及 び人 文歴 史 … … ……… … … … …… 。20 (1)崇仁県の概観

20

(2)本調査地の人文歴史

23

2.墟

村 の概 観 … ……… ………¨…………30 (1)村落の行政組織

30

(2)地理的位 置

34

(3)墟村の空間的構造

35

(4)墟村 の言語

39

3.墟

村 の歴 史 … … … …… … … … …42 (1)1949年 以前の村落状況

42

(2)1949年以後の村落状況

44

4.墟

村 の経 済 構 造 … … … … …… 。… … … ……48 (1)農業経営

48

(2)副産業 と出稼 ぎ

51

2節

墟村 の家族 … … … …… … … …

53

1.相

続による家族の多層性………

53 (1)家族 の多層性

53

(12)

(2)屋敷相続儀礼

55

(3)相続 の意義

57

2.親

子 関係 を軸 にす る ライ フ・ ス タイ ル ……… … … ………… …58 (1)父 と子

58

(2)兄弟・ 姑嫁

64

(3)「父慈子孝」

66

3.墟

村 の生 育 意 識 … … … …67

4.家

族 と親 族 、サ ブ・ リニ ー ジ との 関係 … … … …72

-―

村 の幾つかの 「大事」 を通 して (1)結婚

72

(2)住宅を建築す る

74

(3)長男の誕生

74

結 び … … … ……… … … …・… …… … … …75

3節

墟 村 の張氏 リニ ー ジ構 造 …… … … …… … … … 。

76

1.張

氏 リニージ概況………

76 (1)張氏 リニージの成立

76

(2)張氏 リニージ現状

81

2.張

氏 リニー ジの 「房 」 につ い て … … … …82 (1)「1房」(第 1サブ・ リニージ

)の

消失

84

(2)「

2房

」(第 2サブ 0リ ニージ

)と

4房

」(第

4の

サブ 0リ ニ ー ジ

)と

の協力 関係

85

(3)「

7房

」(第 7サブ・ リニージ

)の

分節形成

86

-―

「大

7房

」 と 「砂灰 山

7房

」 結 び … … … …・… … … …87

2章

家 レベ ル の祖 先 崇 拝 … … … …

90

-孝

行 の宗教化

1節

墟村の葬送儀礼… … … …

90

1.家

を単位とする「家祠」………

90 (1)葬送儀礼の場

96

(2)祖先供養機能

97

(13)

2.葬

送儀礼 のプ ロセ ス………98

3.葬

送儀 礼 に見 る陰 陽両界観 念 ……… ………107

2節

墟 村 の祖 先祭 祀 … …… … … …… … … 。

108 1。

墟村の墓地………¨………

108

2.風

水 信 仰 … … … 111 3。 清 明節一 生命 の伝 承 … … … 114

3節

宗 教性 を もつ親 子 関係 の社 会化 ¨…… …… … … …

0117 1。

「孝」の宗教化の達成 …・………

0117 (1)子の親 に対す る態度

117

(2)葬送儀礼 に現れた再生意識

H8

(3)清明節 に よる 「追孝」 の実現

119

2.親

子 関係 を軸 にす る人 倫 関係 の再整 合 … … … 0119 (1)5等 喪服か ら見 る家族 の人倫関係

120

(2)葬送儀礼 に見 る親子関係

123

結び… … … …

125

3章

リニ ー ジ レベ ル の祖 先 崇 拝 … … … …

0127

-― 社会統合機能の実現

第 1節

リニージの社会的性格…… … …… …… …… … … … …… …

127 1.リ ニ ー ジの社 会性 … … … …… … … ……・127 (1)リ ニ ージの階層性

127

(2)政府 と リニージ との関係

130

(3)リ ニージの内外的な社会機能

134

2.権

威 と富 の象 徴一 ― 張 氏「宗 祠 」・…・… … … 。137 (1)張 氏 「宗祠」の機能

137

(2)関係者 の 「宗祠」への態度

142

2節

張氏 リニ ージに よる「修族 譜 」… … … …

145 1。

「修族譜」の歴史的条件………

146 (1)「修族譜」 に対す る村民の心理

146

(2)政

府の態度

148

2。 「修族譜」の 目的及び 「族譜」の内容 ………151

(14)

(1)「修族 譜 」 の 目的

151

(2)「族譜 」 の 内容

153

3。 「修 族 譜 」の 各 段 階 の活 動 … … … 0162 (1)「修 族 譜 」 の組 織

162

(2)「修族 譜 」 のプ ロセ ス

166

(3)「族譜 」 の完 成 を慶 祝 す る祭 典

168

1)競 走

169

2)宴会

171

3)演劇

172

3節

「修 族 譜 」に よ る社 会 統 合機 能 の実 現 … … … …

173

1.血

縁集団への再確認 ………・……

174

2.慶

祝祭典によって、人倫関係の再拡大………

175

3.競

走の意味………・………。

…・……・

176

4.張

氏 リニージの実力の誇示………・

177

結び… … … …

0178

4章

中国祖 先 崇 拝 の 両義 性 … … … …・

188

-宗

教性

(孝

)と

社会性

(権

威、

統合

)

第 1節

中国祖先崇拝の思想的根拠…… … … …… … …・

189

-―

中国祖 先 崇 拝 の宗 教 性

1.墟

本寸にお け る 「孝 」 とは何 か 。…… ……… ……… …… …… ………・ 190 (1)生命 の意味

190

(2)報恩 としての孝

192

2.儒

教 の深 層 構 造一 儒 教 文化 精 神 の価 値 ……… … ………… … 194

2節

中国祖 先 崇 拝 の社 会 的基盤 … … … …

0196

-―

中国祖先崇拝の社会性

1。

東南中国の宗族及び社会………

197

2.家

族宗法制度………・…・………

199

終論 ‥…… …… … … … …… …… …… …… …… …… … … …… …

204

(15)

研 究 の 目的

祖先崇拝が人類社会において重要な役割 を果た してきたことは、多 くの研究

者が指摘 しているところである。た とえばフュステル・ ド

・クランジュ

(Fustel de Coulanges,N。

D.)は

、祖先崇拝をギ リシア・ ローマの古代国家形成の基盤

に位置付け、古代国家が家父長的権威 に裏 うちされて成立 してお り、家父長の

もとで祖先を祭 る家族宗教によつて維持 されていた と考えた。

(フ

ュステル・ク

ランジュ 1956)

また、

『 儒教 と道教』を著わ した

M・

ウェーバ

(Weber,M。

)は

、中国漢民族に

とって、祖先崇拝が太古以来の唯一の民俗宗教であつた とし、祭司 としての家

長によつて管理 されて、氏族の団結を維持・存続する基盤になつてきたと論 じ

た。

(M・

ウェーバ 1971)

中国の祖先崇拝についても、すでに多 くの研究があ り、相当な成果をあげて

いる。その うち、漢民族についての社会人類学的研究で先駆をなすフ リー ドマ

(Freedmano M)は

、祖先崇拝のもつ社会統合的機能に着 日した。彼は、東南

中国の祖先崇拝 を家 レベル と宗族

(リ

ニージ

)レ

ベル とに分け、祖先を祭る場

としての 「家祠」 と「宗祠」が、いかに社会組織 としての家族 と宗族に対応 し

ているかを示 した。つま り、家族 と宗族 とい う

2つ

の レベルでの漢族父系出自

集団において、いかに祖先崇拝が統合の結節点にな り得ているかを論証 しよう

としたのである。

(M・

フ リー ドマン 1958:81∼

91)こ

うしたフ リー ドマンに

よる三分法的分析は、中国祖先崇拝の特徴を鮮明に し、その研究を大きく前進

させた といえるのである。

(史

宗 1995:870)

他方で、フ リー ドマンの宗族理論には異論 もあ り、この方面か らもい くつか

の研究成果があがつている。た とえば、陳其南の 「房」理論や、豪莉莉による

「親」の重要性の主張などである。

陳其南は、台湾の調査データを参考に、中国漢民族の宗族を分析す る場合に、

家族構造を重視すべきことを主張 した。彼は、各 レベルの血縁集団のセグメン

(分

節)が 形成 され るためには「祀産」

(祖

先祭祀権 とそれに伴 う財産の分与

)

が決定的に重要な条件になるとす る、フ リー ドマンの宗族セグメン ト形成論を

(16)

批判す る。 陳 は、漢 民族 の宗族 システ ムにお け る 「房 」 の役割 を重視 し、家族 が必ず房 に分 かれ る こ とが漢 民族 の家族構 造 の基本原 理 だ と指摘 してい る。彼 の 「房 」理論 に よれ ば、父 を同 じくす る息子達 は、必ず分離 し、系譜 上それ ぞ れ独 立 した 「支」 を形成 してい るので あ り、 また父 と息子 た ち とは一体 と して 「共属」す るのではな く、それ ぞれ個別 的 につ なが つてい るのであ る。(陳其南

1985)

陳 の 「房 」理論 は、漢 民族 の親族 関係 を分析 す る上 で、重 要 な視 点 を 提供 してい る。 しか しなが ら、彼 の研 究 は、理論 的分析 に片 よ りが ちで あ り、 社会 的 、政 治 的 に変動 が大 きい 中国家族 (親族

)の

実態 を把握 す る上 で は、不 充分 な面 が あ る こ とが指 摘 され てい る。 また、最莉莉 は親族 関係 にお いて 「親 」の概 念 を提示す る。「親 」 とは、肉親 や親 族 の こ とで あ る と同時 に、人 間関係 の 「親密 さ」 の こ とを指 してい る。彼 女 は、東 北地方 のデー タに も とづ き、親 族 関係 を緊密 に し、結束 させ る重 要 な 要件 は 「親 」で あつて、 これ は 「財 」 と対 立す る とい う。「財 」 とい うのは、親 族 あ るい は兄弟 た ちが財 産 に対 して独 立 して持 つてい る権利 の こ とで あ り、兄 弟 間 あ るい は親 族 間で対 立 の要 因 にな る とされ る。 さ らに、豪 に よれ ば、漢 民 族 の父 系血縁集 団の特徴 は、宗族 レベル で は 「共祖 」 と 「分房 」 を通 して現れ るの に対 して、家族 レベ ル で は 「家長制 」 と 「分房制 」 を通 して現れ てい る と して、漢 民族 の血縁 的集 団が共 同性 と分散性 との結合 で あ る こ とを強調 した。 (豪莉莉

1992)

しか しなが ら、 これ ら従 来 の宗族・ 親 族研 究 は、いずれ に して も関係 や役割 に重 ′点をお いた もので あ り、成員 の意識 や感 情 の面 か らの実証研 究 が軽視 され て きた とい うこ とでは、共通 してい る よ うに思 われ る。 特 に、 中国人 の精神・ 感 情生活 に大 きな影 響 を及 ぼ して きたはず の、儒教 に着 日した実証研 究 は皆無 に等 しい。 しか し、現代 中国の宗族・親 族 につ い ての研 究 を十分 に進 め るには、 感 情や意識 や 思想 の面 か らの研 究 が不 可欠 だ と思 われ る。 こ うした観 ′点か ら し て、現代 中国 にお ける祖 先 崇拝 の研 究 の意 義 は大 きい と思 われ るので あ る。 そ こで、現代 中国 にお け る祖 先崇拝 の実態 を把握す るた め、筆者 は、

1996年

か ら

1998年

までの間 に全

3回

、延 べ約

4ヶ

月 間 にわた って、江西省 撫州 地 区崇 仁 県 に位 置す る 「墟村 」 で、感情や意識 の側 面 、特 に儒教 思想 に注意 を払 つて フィール ドワー クを実施 した。本論文 は、 この フィール ドワー クに よつて得 ら

(17)

れ たデー タに基づ き、家 レベル と宗族 レベル の二元性 とい うフ リー ドマ ンの基 本観 念 を踏 襲 しつつ 、社 会 的 、政治 的 に急激 な変化 を遂 げつつ あ る中国で、儒 教 が一般 民衆 の間 で どの よ うに受容 され てい るのか 、祖先 崇拝 の 「宗教性」 と 「社会性」 とが どの よ うに関連 しあってい るのかを、解 明 しよ うと試みた もの で あ る。本研 究 が 中国 にお け る祖 先崇拝 の今 日的形態 の解 明 を通 じて、現代 中 国の家族や親 族 を支 えてい る情感構 造 の一端 を明 らか にす る こ とがで きれ ば幸 い で あ る。

研 究 対 象 地 の選 定

筆者が調査地 として墟村を選んだのは、次のよ うな理 由による。

① 中国の東南部に当たる広東

(香

港を含む

)福

建両省は、宗族組織の歴史 と

規模において、他に類 をみない地方である。また、江西省は、両省に次いで宗

族集団の多い ところとして知 られている。調査地は、江西省のなかでも大きな

宗族が数多 く残 る撫州地区に属 していて、全中国の中でも宗族=リ ニージ研究

に最 も適 したものの一つ と考えられ る。

②江西省 は比較的開放的な中国東南部に位置 しなが らも、農村部は広東省 と

福建省の農村部 と比べて相対的に閉鎖 されている。そのため、伝統農業

(生

技術が未発達で労働依存性が高い

)が

依然 として続いてお り、旧来か らの習俗

が相当残存 している。また、墟村の属す る崇仁県は、歴史的に臨川文化に属 し、

江西省の九江、宜春、吉安 と並んで、伝統文化 と教育重視の気風を比較的濃厚

に残 していて、「思想」面を重視す る研究には、特に好都合なように思われた。

③ これ らの主要な理 由に加 えて、墟村の調査は、これまであま り実証研究が

行われてこなかつた江西省 に関す るフィール ドデータを収集・提示するチャン

スにもなると思われた。従来、東南中国の漢民族研究は、香港、台湾などを中

心 とす る広東・福建省方面に限定 され る傾向が強 く、この地域に関す る実証研

究が盛んに行われているものの、同 じ東南部に位置する江西省についての実証

研究が少ない。 したがって、そこでの調査によつて、東南中国のもう一つのフ

ィール ドデータを提供できるのではないか と思われた。

(18)

研 究 の 方 法 調 査地 には、

1996年

か ら

1998年

までの あい だ に、全

3回

、延 べ約

4カ

月 に わた つて滞在 し、文献 を主 とす る資料 収集 、 関係者 か らの間 き取 り、参与観 察 な どを行 つた。調査 票 に よる調査 は、単独 での配布・ 面接・ 回収 な どの作業 が 困難 な こ とが予想 され 、断念 した。 墟村 での間 き取 りは、村 党書記 、村 主任 (大隊長)、 村小組長 (小隊長)、 宗 族 (リ ニー ジ

)及

び房 (サブ・ リニー ジ

)の

長 老 、墟 村小 学校 の教 師 、そ の他 村 民一般 な ど、年齢 、性別 、社会層 を問わず 、幅広 く実施 した。 さ らに、 同村 での調査 デー タを補 強す るた め、崇仁 県政府 の各部 門の幹部や責任者 、沙 堤郷 政府 の関係 者 に もイ ンタ ビュー を行 った。 こ うした聞 き取 り調査 を繰 り返す こ とで、家族 、親 族 、房 、宗族 にお け る複雑 な人 間 関係 (対立、競争 、協調 、互 助 な ど

)が

浮 かび あが つて きた。また 、収集 した文献 資料 も、膨 大 な量 に達 し、 その整理 と分析 には相 当の時 間 を費や した。 ここで、墟村 の住 民 は も とよ り崇仁 県 と沙 堤郷 の 関係 者 か らも、調査 中、多 大 な協 力 を頂 い た こ とを、書 き加 えてお か な けれ ばな らない。村人 か らは、素 朴 で暖 かい対応 を してい ただい た。 この こ とは、農 村 生活 の経験 が ない筆者 に は、何 よ り嬉 しか った。 また、 自分 た ちの生活 につ い て率直 に話 して頂 いた こ とも、有難 か つた。

3回

の調査 に当た つて、村人 か ら暖 かい配慮 と歓迎 を受 け た こ とを、心 よ り感 謝 したい。 なお 、調査 対象 の村名 、宗族名 、イ ンフォーマ ン トの氏名 は、プ ライバ シー を考慮 し、原則 と してすべ て仮名 に した。この村 は、かつ て崇仁 県 の一つ の「墟」 と して 、繁 栄 した歴 史 を もつてい る。「墟 」とは、も とも と中国東 南部 の定期 市 場 の こ とで あ り、農 村 で の物物 交換 や売 買 な どに大 きな役割 を果 た して きた。 現在 で も、農村 の 日常生活 にかか わ り深 い もの と して残 つてい る。この よ うに、 「墟」 とい う文字 は、 この村の歴史的並びに地理的位置 をよく物語 つてい る と 思 われ るた め、 こ こで は仮 に 「墟村 」 と名 付 けたわ けで あ る。

研 究 の 内容

本論文で取 り上げた墟村は、基本的に 1つ の宗族か ら構成 されている自然村

である。全 204世 帯の うち 197世 帯が張氏であ り、父系血縁集団を形成 してい

(19)

る。

1998年

現在 、墟村 の張氏人 口 (墟村 の戸籍 を持 ち、墟村 に住 んでい る

)は

1058人

で あ る。 この よ うな父 系血縁集 団 は、中国歴 史学 では一般 に 「宗族 」 と い う学術用語 で取 り扱 われ て きたが、 これ に本格 的 な社会人類学的研 究 のメス を入 れ たの は、M・ フ リー ドマ ンで あ る。彼 は この父 系血縁集 団 を呼ぶ に際 し、 もつぱ ら「リニー ジ」(lineage)と い う語 を用 い た。また、 リエー ジの 「分節 」 と して 存 在 して い る 「房 」 につ い て 、 フ リー ドマ ン は 「サ ブ・ リニ ー ジ 」

(sublineage)と

い う用語 を使用 してい る。本論文 では、宗族 と リニー ジ、房 とサ ブ・ リニー ジをそれ ぞれ適宜使 い分 けてい るが、基本 的 には、 フ リー ドマ ンにな らって 同 じ意 味 で用 い てい る。 宗族組織 は、

1949年

まで東 南 中国 の行政 的 な基礎 組 織 と して存在 したが 、

1949年

の新 中国の成 立以後 、非合法 の組織 として取 り扱 われ 、壊滅 的な打撃 を 受 けた。 ところが、

1980年

代 以降 、中国政府 の基本政策 の転換 に ともな つて、 一 時 中断 していた宗族 レベル での 「修族譜」 の復活 な ど、 リニー ジ文化 を回復 す る動 きが見 られ るよ うにな つてい る。 この研 究論 文 は、

4章

で構 成 され てい る。 第

1章

で は、墟村 の概 況 をふ ま え、祖 先崇拝 を二元化 してい る家族 と張氏 リ ニー ジの実態 と構 造 を解 明 しよ うと した。 第

1節

で は、まず 、墟村 が位 置す る江西省撫 州 地 区崇仁 県 の概 況 と人文歴 史 に着 日し、調査 地 と中国移 民史及 び 「客家 」 との関連 、並 び に移 民 に よる宗族 の形成 な どを歴 史的 に考察 を した。崇仁 県 が所属す る撫州 地 区は、唐 (618-907 年

)後

期 、特 に両宋

(960-1279年

)時代 にそ の発 展 の最盛期 を迎 えた こ と、客家 の南移動 に重要 な役割 を果 た した こ と、移 民 に よる宗族形成 は宋 時代 には貴族 や 官僚 に よる ものが多 く、次 いで明 、清 時代 にい た つて一般庶 民 に よるものが 形成 され た こ とな どを歴 史資料 に よって論証 し、墟村 の社会 的、文化 的 、歴 史 的背 景 を考察 した。 さ らに行 政組 織 、地理 的位 置 、空 間構 造 、言語 、歴 史 、経 済構造 な ど、多方面 か ら墟村 を考察す る こ とで、そ の生態 的、社 会 的 、歴 史的 、 経 済 的実態 を明 らか に した。 第

2節

で は、墟 村 の家族形 態 が、基本 的 には、息子 た ちに よる屋 敷相続 の仕 方 に よって異 なつて くる こ とを実証 した。 さ らに、他 の農 村部 と同 じく、墟村 で も男子 に よる相続 が一般 的 で あ るた め、最 も重要 な家族 関係 で あ る親 子 (親

(20)

―息子

)関

係 (擬制血縁 関係 を含 め

)を

、生産活動 と 日常生活 の両面 か らの参 与観 察 に基 づ い て考察 した。 また、兄弟 関係 、姑嫁 関係 な どにつ い て も、そ の 現状 を記述 した。 さ らに墟村 民 の あい だ に も根 強 く存在 してい る ところの、男子 孫 を切 望す る 「生育意識 」 について も考察 を加 えた。墟村 の親 と子 のあいだに も、現実 には 各種 の葛藤 と矛 盾 が存在す る。 それ に もかか わ らず 、親 が子 を養 う 「養 育― 依 存 」 関係 を越 えて、子 が親 を扶養 す る とともに、 さ らに家 の継承者 を も うけ る 義務 もあ る と考 え られ てい る。つ ま り親 子 関係 は、

2世

代 間 に と どま るもので はな く、根源 的 な生命 が祖 先 か ら子孫 までの全世代 を通 じて永遠 に継 承 され る べ き ものであ る とい う、「根源一 成長」の観 念 の上 に成 り立 ってい るのである。 また、結婚 、住 宅 の新 築 、長男 の誕 生 な ど、い くつ かの重 要 な家族 の出来事 に ともな う儀 礼 に よつて、家族 が親 族や房 (サブ・ リニー ジ

)と

強 く結 びつ い てい る様子 を実証 した。 この よ うに家族 の 内的並 び に外 的 な諸 関係 を考察す る こ とは、家 レベル での 祖 先崇拝 の あ り方 を把握 す るのに、重 要 な意 味 を持 つてい る と考 え られ る。 第

3節

で は、張氏 「族譜 」 と県 の歴 史資料 、村 での間 き取 り調査 に よつて、 張氏 リニー ジの始祖 で あ る張二公 が宋 の末期 、或 い は宋 、元交替期 に村 に辿 り つ き、その

200年

ぐらい後 の明の成化 年 間

(1465年-1487年

)に

張氏 リニー ジ が形成 され た こ とを実証 した。また 、張氏が風水説 を根拠 に して、「張氏上一 千 、 楊 家絶火煙 」(張姓 が千人 に上 って、楊姓 が絶滅 す る

)と

い うス ロー ガ ンを掲 げ、 墟村 は張氏 の土地 で あ り、風水 的 に も張氏 に最 もふ さわ しい所 だ と主張 した と い う、村 の 口頭伝承 を紹介 した。 張氏一族 は、先住 の楊 氏 を排 除 して墟村 を 自 分 た ちの もの にす るた めに、最 も合理 的 な 口実 と して風水説 を利 用 したわ けで あ る。 かつ て存在 した張氏 リニー ジの

7つ

の房 (サブ・ リニー ジ

)の

うち、第

1房

が消 えた ほか 、

6つ

の房 が現在 も残 つてい るが、それ らは けっ して均等 に発 展 して きたわ けでは ない。墟村 に住 む第

2房

と第

4房

の世帯 は、それ ぞれ

20世

帯 しか な く、そ のた め葬 式や 結婚式 な どは、両サ ブ・ リニ ージが協力 して営 まれ てい る。 第

40607房

にはそれ ぞれ 県 内に分節 が形成 され 、第

4の

分節 は 山塘 村 と楓樹 跛 に、第

6の

分節 は庫背村 に、第

7の

分節 は墟村 内に生活 してい る。

(21)

墟 村 に住 んでい る もつ とも盛 ん なサ ブ・ リニー ジは第

3房

(40世

帯)と 第

7房

(「大

7房

」 と 「砂灰 山

7房

)(68世

帯)で あ る。 以上 の よ うな張氏 リニー ジ

=宗

族 とそのサ ブ・ リニー ジ

=房

の形成 と発 展 の 過程 は、 リニー ジが外 に向 けては他 の リニー ジ (楊氏

)と

あ る種 の緊 張 関係 に な らざるを えない こ とを示唆す る同時 に、 リニー ジ内部 で も (サブ・ リニー ジ 間で

)必

ず しも均等 に発 展す るわ けで はない こ と示 してい る。 第

2章

で は、墟村 の葬 送儀 礼 と祖 先祭 祀 に着 日した。親 の葬儀 と祭 祀 を行 う こ とで、個 々人 の生命 が永続 可能 な もの にな る とされ 、また、葬 送儀 礼 の考察 に よつて、親子 関係 は、社 会 関係 の拡 大 につれ て、「社 会性 」を帯 び て くる こ と を論 証 した。 第

1節

で は、 まず 、家 を単位 とす る 「家 桐」 を取 り上 げた。 家 桐 とは、墟村 で は 「祖 宗 」 とよばれ る祭 壇 の こ とで あ り、比較 的近 い祖 先 (両親 や祖 父母) の写真 が飾 られ ていて、 ここで祖先祭 祀が行 われ る。家 桐が置 かれ てい る部屋 は 「大 堂」 とい うが、家 桐 とい う言葉 で大 堂全 体 を指す場合 もあ る。 家 桐

=大

堂 で は、遺 体 を安置 し、葬儀 を行 い、「霊宅 」を設置 し、祖 先 の忌 日、 清 明節 、正 月 な どの礼拝 が行 われ る。 また、 出生 、結婚 、他 出に際 して も、祖 先 に報告 した り、儀 礼 を執 り行 う場 に もな る。 しか し、他 方 では、 日常生活 で 使 う食器 、米 、農 具 な ども置 かれ てお り、ふ だんは居 間や 客間 と して用 い られ てい て、正 客 の接待 の場 で あ る と同時 に、私 的 な家庭 生活 との結 びつ き も強 い。 ところで、現 地 での間 き取 り調 査及 び参 与観 察 に よる と、墟村 の葬送儀 礼 は、 臨終→小蜃 →報喪 と吊喪→ 大蜃→ 出棺→埋葬→ 百 日以 内の供養 上 げ→ 死 の完 了 とい うふ うに、基本 的 には儒教 的儀 礼 に即 して行 われ てい る。 そ こには、一方 にお い て、子 が親 に最後 の孝行 を尽 くそ うとす る態度 が窺 え、他 方 で は、一連 の儀 礼 を とお して親 の生命 を子 に継 承 しよ うとす る意 図 を汲 み取 る こ とが で き る。また、葬儀 は、家 の男子継承者 を始 め とす る直 系家族 の他 に、喪家 か ら「孝 布 」を配布 され た親族 、サ ブ・ リニー ジ集 団 (房)、 死者 と交際 が あつた人 た ち な どが参列す る こ とで、喪 家 と親 族集 団や サ ブ・ リニー ジ集 団 との結 びつ きを 再確認 す る機 会 に もな つてい る。 また、葬 送儀 礼 には、陰陽両界 (死者 世界 と 人 間世界

)観

念 な ど民 間信仰 的 な ものが、儒 教 と混 じ り合 って残 存 してい る こ とを論 じた。

(22)

2節

で は、墟村 の墓 地 と祖 先祭 祀 につ い て論 じた。 張氏 リニー ジの 「祖 墳 山」(死者 の埋葬 地

)は

、村 か ら

4キ

ロほ ど離れ た鳳形 山にある。「東葬東絶 、 西葬 西絶 、南葬南絶 、北葬 北絶」 とい う言葉 が あ り、張氏始祖・ 張 二公 の墓 か ら東 西南 北5メ ー トル 以 内に埋葬す る と、その家 は断絶す る と言 い伝 え られ て い て、始祖 の墓 は特別 に神 聖視 され てい る。墓 は、殆 どが慢頭形 を してい る。 経 済 的 に余裕 が あ る場合 には、石碑 を建 て る こ ともあ る。 また、張氏 リニー ジ が この 山を 自分 た ちの祖 墳 山 とす るにあた つて は、かつ て この 山を祖 墳 山 と し てい た曹氏 リニー ジ と戦 った とい う伝 承 が残 つてい る。 墟村 の祖 墳 山は風水 に よつて選択 され ていて、風水信仰 か らも祖 先 と子孫 との 関係 を見 出す こ とがで き る。 また、祖 先祭 祀 と して墟村 で今 も毎年

4月

に盛 大 に行 われ る、清 明節 の意 味 を深 く探 求 した。清 明節 は、ま さに、新 と旧、現代 と古代 、生 と死 、子孫 と祖 先 な どが、融 合 しあ う絶好 な機 会 で あ る。季節 の新 旧交代 と人類 の新 旧交代 と が対応 し、大 自然 の生命 の更新 と復活 は、村 人 の生命 の更新 と復活 を意味す る もの と考 え られ てい る。 第

3節

で は、葬儀 にお け る子 か ら親 へ の最後 の孝行 、葬 送儀礼 にみ られ る再 生意識 、清 明節 の祭 祀 な どの意 味 を検討 す る こ とで、家 レベル での祖 先崇拝 に み られ る宗教性 の問題 を取 り上 げた。墟村 にみ られ る親 子観 では、子 は親 を扶 養 す るだ けで な く、男子孫 を生む義務 を持 つ とされ る。 さ らには、親 の葬儀 を し、祖 先 を祭 祀す る こ とで、個体 生命 は無 限の生命 の源 へ と連 な る こ とがで き る と信 じられ て もい る。 また、

5等

喪服 の慣 習 に よつて 、血縁集 団 内部 の遠 近 関係 が再認識 され る とともに、血縁集 団全 体 の結束 も再確認 され てい る。 さ ら に、葬儀 にお い ては、子 の親 に対 す る孝 行 の態度 へ の共感 が家族 、親族 、 な ら び に房 (サブ 0リ ニー ジ

)の

間 に広 が る こ とにな り、親 子 関係 を核 に して同心 円を描 く家族 、親 族 、サ ブ 0リ ニー ジ集 団 は、血縁的 な親 和性 に よつて再整合 (統合

)さ

れ るので あ る。 第

3章

で は、「家」よ りもむ しろ リニー ジ (宗族

)に

焦 点 を移 し、 リニー ジが 元 々、政治 的 、行政的 、身分的等 の諸側 面 にお い て、対 内的及 び対外 的 に多様 な社 会 的 (順・ 逆

)機

能 を果 た して きた集 団で あ る こ とを、墟村 の過 去 と現在 とい う両時点 か ら考察 した。 さ らに、

1985年

か ら

1990年

まで行 われ た張氏 リ

(23)

ニー ジの 「修族譜」 の全過程 を記述 し、その社会統合的機 能 を再検討 した。 第

1節

で は、墟村 の過去(1949ま で)と 現在(調査 時点)の リニー ジ内部 の階層 制 、 リニー ジ と政府 との 関係 、 リニー ジ内部 での協調・ 統制 体制や他 の リニー ジ との競争・ 闘争 関係 (武力 闘争 にな る と 「械 闘」 とよばれ る

)な

どを考察 し た。 現在 では、 リニー ジは、公 の行 政組織 と して認 め られ てい ない。 しか し、実 際 には、村 の幹部 に選 出 され るか否 か は、所 属す る リニー ジの大小 に左右 され てい る。墟村 村 民委員 会 は、張氏 、曾 氏 、黄 氏 、陳氏 とい う

4つ

の リニー ジか らな つてい るが、村 民委員会 の党書記 及 び 主任 は、いずれ も、最有 カ リニー ジ で あ る張氏一族 の 出身者 で あ る。他 方 で、張氏 リニー ジの運 営 にあた つては、 村幹 部 とサ ブ・ リニー ジで威 信 が あ る人物 が、一定 の力 をふ るつてい る。

1998年

には行政 の末端 単位 で あ る生産小組 が張氏サ ブ・ リニー ジを単位 に再 編成 され た こ ともあ り、今 後 リニー ジ意識 が回復 して くる可能性 もあ る。また、 墟村 の所 属す る崇仁 県 だ けで な く、 中国南部 地方 で は リニー ジ間での 「械 闘」 が今 も発 生 してい る。 しか し、現在 地方政府 は、 リニー ジをあ る程度 再評価 し つつ も、リニー ジ意識 が あま りに拡大す るこ とには、「安定団結」を脅かす もの と して強い警戒感 を もつてい る。「械 闘」に も厳 しい対応 を していて、大規模 な 闘争 にまで発 展す る こ とは少 ない。 墟村 には、荒廃 したかつ ての 「宗 桐」 の建物 が残 つてい る。 宗 桐 とは、 も と も と宗族 の祖 先 の祭 祀場 で あ るが、そ の他 に、宗族 自衛 の武術 の練 習場 、一族 の師弟 に教育 を施 す 「読 書屋 」、宗族 の掟

(=族

)違

反者 を裁 き罰 す る「法院」 な ど、諸 々の公 的 な儀 礼 、集 会 、教育 、武術 な どのた めの場 と して使 用 され 、 一族 の勢威 を誇 示す る上 で も重要 な役割 を果 た して きた。 しか し、

1949年

以 降 、 「宗 桐」の こ うした機 能 は失 われ 、今 ではか え りみ られ るこ ともほ とん どない。

1980年

代 にな って崇仁 県 の 「宗 桐」が

2つ

修 復 され た例 が あ るが、いずれ も 「文物保護 」 とい う名 日で、県か らの資金援助 を受 けた ものである。 また、宗 桐が修 復 され た とはい え、それ らは、一つ の宗族 のた めだ けの もので はな く、 村 の共 有的 な場 と して利 用 され てい る。 さ らに、

1950年

以後 に生 まれ た世代 の 「宗祠」 に対す る無 関心、財源 の問題 、 さらに宗桐の 「封建性 」へ の政府 の警 戒 等 の問題 を考 え る と、今後 さ らに宗 桐が修 復 され るには、多 くの難 しい 問題

参照

関連したドキュメント

専攻の枠を越えて自由な教育と研究を行える よう,教官は自然科学研究科棟に居住して学

大きな要因として働いていることが見えてくるように思われるので 1はじめに 大江健三郎とテクノロジー

突然そのようなところに現れたことに驚いたので す。しかも、密教儀礼であればマンダラ制作儀礼

これらの定義でも分かるように, Impairment に関しては解剖学的または生理学的な異常 としてほぼ続一されているが, disability と

最後に要望ですが、A 会員と B 会員は基本的にニーズが違うと思います。特に B 会 員は学童クラブと言われているところだと思うので、時間は

女子の STEM 教育参加に否定的に影響し、女子は、継続して STEM

海外旅行事業につきましては、各国に発出していた感染症危険情報レベルの引き下げが行われ、日本における

 親権者等の同意に関して COPPA 及び COPPA 規 則が定めるこうした仕組みに対しては、現実的に機