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『源氏物語』の語りの方法としての呼称 ―「男」「女」「男君」「女君」呼称に注目して

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Academic year: 2021

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『源氏物語』の語りの方法としての呼称

「男」

「女」

「男君」

「女君」呼称に注目して

 

 

 

一   語りと「男」 「女」 「男君」 「女君」先行研究 玉 上 琢 弥 氏 が 指 摘 し て 以 来、 『源 氏 物 語』が 光 源 氏 を 知 る 古 女 房 た ち に よって語られる体をなして い 1 注 る ことが着目されるようになった。しかし実 際には、語り手を特定することは難しく、むしろ明らかになってきたのは、 この作品がしばしば作中人物の視点や心情に寄り添って語られていること である。語り手が語っているはずの地の文に、敬語をはじめとする待遇表 現の有無が見られたり、 「なつかし」 「あはれなり」等の、誰かの感情を内 包する形容詞や形容動詞が配されたりなどして、作中人物の心情や視線が 組み込まれている。人物Aの心情に寄り添っていたかと思えば、そのAの 様子を見ている人物Bの視線に同化し、時にぐっとひいて客観的に語りも す る と い う 自 在 な 語 り 方 は、 『源 氏 物 語』の「語 り」の テ ク ニ ッ ク の 一 つ である。 「女」 「男」 、また「女君」 「男君」は、こうした語りと深く関わる呼称と して早くから注目されてきた。玉上氏は「屏風絵 ・ 屏風歌から歌物語、作 り 物 語 を 通 ず る 系 譜 を 認 め う る」と し、 「作 り 物 語 と て も そ の ク ラ イ マ ッ クスたる男女出会ひの場では、物語中の呼び名をすてて、この『男 ・ 女』 となる」と 指 注 注 摘 している。清水好子氏も「伊勢物語の『昔、男ありけり』 『女 …… し け り』と い う 形 を 思 い 起 こ さ せ る し、ま た、思 い 起 こ す べ き 技 法であったにちがいない。おそらく、屏風絵の男女の歌の詞書以来の恋の 場面を書く伝統に依るもので、さまざまの肉付けや枝葉の根本に、男と女 の恋の場面のあることが、源氏物語においても、本来目指されていたこと であ っ 注 注 た 」と、 「男」 「女」呼称を恋の場面を描出する呼称であるとした。 清水氏はまた「 『おんな』といわれ、 『おんなぎみ』と呼ばれるときは狭く 狭く限られて、ただ男に対する女として見られているのである。それらの あらわれるのはいずれも恋の場面、源氏物語でいえばクライマックスの場 面 で あ る わ け 注 注 だ 」と も 言 う。 「男」 「男 君」 、「女」 「女 君」は そ れ ぞ れ 同 義 に捉えられ、恋の最高潮の場面を構築する呼称として注目されてきたと言 え る。一 方、 「男」と「男 君」 、「女」と「女 君」に つ い て は、そ の 差 異 に 注目する論も 多 注 注 く 、「男」 「女」は身分の低い者に使われる傾向があること や身分の高い者に使われるときにはより社会的身分を捨てた切迫した場面 であることなどが論じられて い 注 注 る 。 こうした研究を受け、園明美氏は、 「男」 「女」 「男君」 「女君」の使い分 けを以下のように整理さ れ 注 注 た 。すなわち『源氏物語』以前の作り物語につ 学苑 ・ 日本文学紀要   第九五一号   一八~三一   (二〇二〇 ・ 一)

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─ 19 ─ いては、歌詞や歌物語で確立していたかたちを引き継いで、 「男」 「女」は 一対の男女の恋の場面で用いられ、 「男君」 「女君」は相当な身分の人物に 用 い ら れ つ つ、各 作 品 世 界 に 特 有 の 用 法 が 生 み 出 さ れ て い る。と こ ろ が 『源氏物語』の「男」 「女」に関しては、相手と共有し得ない心情や、すれ 違 う 気 持 を 語 る 文 脈 で 現 れ、 「『男』 『女』と い う 呼 称 が、突 き 詰 め れ ば そ の 根 底 に、恋 す る 相 手 の 存 在 す ら 排 除 し た、 『個 の 問 題』を 語 る と い う 特 性を持つことを示す」とし、一方で「男君」 「女君」は、 「生活圏内で認め られた男女の関係において、周囲との関わりの中で何らかの不安要素が生 じた時 ―― つまり周囲との関わりの中での問題として語られるという傾向 が認められた」とした。さらに呼称の組み合わせに注目し、 「男」 「女」の み の 関 係 は「夫 婦 関 係 と は 認 め が た い も の」 、「男 君」 「女 君」の み の 関 係 は「生 活 圏 内 に お い て 認 め ら れ た 男 女 関 係」 、「男」 「女」 「男 君」 「女 君」 が混在する関係は「格段に複雑な関係性」とまとめた。 い ず れ に せ よ「男」 「女」 「男 君」 「女 君」は、男 女 を 一 対 の 存 在 と し て 恋物語の主人公として描き出す呼称と捉えるのが基本的な理解らしい。し かしながら『源氏物語』の用例を確認してみると、そもそも「男」 「女」 、 「男君」 「女君」が一対のかたちで用いられている例が極めて少ない。先行 研究においてもこの現象への注意が払われてはいるが、呼称が対になって 現れなくとも、片方の呼称を取り上げ、相手が想定される場合には対にな っていると見なして考察することが多い。しかし、一対の呼称であるのな ら、片方のみが現れ、片方が省略されることの意味も重視されるべきであ ろ う。園 氏 が「男」 「女」呼 称 に つ い て「相 手 と 共 有 し 得 な い 心 情 や、す れ 違 う 気 持 を 語 る 文 脈 で 現 れ る」と 指 摘 し「 『個 の 問 題』を 語 る」点 に 注 目 さ れ た が、 「個」を 語 る 以 前 の 男 女 一 組 の 関 係 性 に お い て も、恋 と は そ う し た 一 対 に な ら ざ る も の、と 捉 え て「男」 「女」 「男 君」 「女 君」を 対 に せず、あるいは意図的にあえて対にしながら、ままならぬ複雑な男女の仲 を据えて恋物語を紡いでいるのではなかろうか。 「女 君」に つ い て は、恋 の 場 面 以 外 で 用 い ら れ る こ と も 多 い。例 え ば 紫 の上の場合、多くの「女君」の用例を持つが、日常の姿を捉える際にも用 いられており、光源氏との恋愛関係が底流するとは言え、情熱的な恋愛場 面であるとは言い難い。加えて紫の上の「女君」呼称は、 「若君」 「姫君」 呼称を経たもので、紫の上の成長を反映する呼称という点からも注目され ねばならない。しかも、紫の上の幼少期の呼称には、光源氏の視線が呼称 選択に関与している様子が顕著に 窺 8 注 え 、多様な呼称の取捨選択によって、 紫の上に寄せる光源氏の微妙な心の隈々を巧みに語っている。こうした幼 少 期 の 紫 の 上 の 呼 称 の 選 び 方 語 り 方 と、 「姫 君」か ら「女 君」へ の 移 行 の 関わりも無視できない。 本稿では、 「男」 「女」 「男君」 「女君」呼称それぞれを改めて検証し、特 に「男」 「女」 「男 君」 「女 君」が ど の よ う な 場 面 を 描 出 す る の か、ま た 「女 君」に つ い て は、紫 の 上 の「姫 君」か ら「女 君」へ の 移 行 に 注 目 し な がら初期の「女君」を中心に、語りの問題を視野に入れつつ考察する。 二   『源氏物語』の「男君」 「男」 用 例 が 少 な い「男」 「男 君」か ら 確 認 す る。 『源 氏 物 語』に お い て、 「男」の用例は 8注例あるが、 「男」を呼称として持つ人物に限定すると、 1注 人 注1例 (薫 ・ 夕 霧 の 子 の 蔵 人 の 少 将 ・ 惟 光 ・ 鬚 黒 の 次 男 ・ 小 野 妹 尼 の 娘 婿 の 中 将 ・ 雨 夜 品 定 の 左 馬 頭 の 体 験 談 中 の 殿 上 人 ・ 藤 中 納 言 ・ 時 方 の 従 者 ・ 何 某 の 院 の 預 り の 子 ・ 匂 宮 ・ 光 源 氏 ・ 鬚 黒 ・ 豊 後 の 介 ・ 揚 名 の 介 ・ 夕 霧) に 限 ら れ る。基

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─ 注0 ─ 本的には脇役の、身分の高くない人物にも使われる呼称であり、主人公格 では、光源氏、夕霧、薫の三人のみに見られる。なお、 「男」には「女」 、 「男 君」に は「女 君」を 一 対 の 完 全 な 対 応 関 係 の 呼 称 と し、ま た そ れ 以 外 の呼称は準対応関係として、必要に応じて言及する。 源 氏 の「男」の 用 例 は 全 注例、末 摘 花、朧 月 夜 ( 注例) 、六 条 御 息 所、 藤 壺 ( 注例) 、 明 石 君 を 相 手 に 用 い ら れ て い る。こ の う ち 完 全 な 対 応 の 「女」 呼称を持つのは、六条御息所 ・ 明石君である。六条御息所とは、伊勢下向 に 際 し て 別 れ を 惜 し む 場 面 (賢 木 九 〇) で、直 前 に 御 息 所 を「女」と 呼 ん で 別 れ を 憂 悶 す る 様 を 捉 え た の を 受 け て、 「 男 は、さ し も 思 さ ぬ こ と を だ に、情のためにはよく言ひつづけたまふべかめれば、ましておしなべての 列には思ひきこえたまはざりし御仲の、かくて背きたまひなんとするを、 口惜しうもいとほしうも思しなやむべし」とあり、源氏と御息所の別れを 俯瞰的に綴っている。明石君との用例も別れの場面である (明石二六四) 。 藤 壺 の 所 に 忍 ぶ 場 面 (賢 木 一 〇 八) と 想 い を 伝 え る 場 面 (賢 木 一 一 一 : 藤 壺「宮」で 準 対 応) に も「男」は 用 い ら れ る が、藤 壺 に は「女」呼 称 は な く、ここでは「宮」の準対応によって「宮」のあり方を失わない藤壺との 隔 絶 が 露 わ に な る。 「宮」と 呼 ば れ る 人 物 へ の 源 氏 の 不 埒 な 行 為 を 暴 く 効 果 も あ ろ う か。朧 月 夜 も「か の 有 明 の 君」 「女 君」で 準 対 応 し て い る。再 会 の 場 面 (花 宴 三 六 二 : 朧 月 夜「か の 有 明 の 君」で 対 応) と 密 通 発 覚 の 場 面 (賢木一四六 : 前後に「尚侍の君」 「女君」 ) に見られる。 末 摘 花 巻 (二 八 二) で は、源 氏 の 男 振 り に 感 嘆 す る 命 婦 の 心 中 思 惟 に 先 立 ち、末 摘 花 を「正 身 は」 、源 氏 を「男 は」と 語 る。命 婦 の 心 中 を 通 じ 源 氏に不釣り合いな「正身」の様子を察する読者にとり、真実を知らぬ源氏 一人が「男」であることの滑稽さが際立つ。 光源氏の「男」呼称は、対になる「女」呼称の有無に関わらず、密通や 別れの波乱を含んだ場面、滑稽な恋の場面を構築している。恋の側面では あるものの、恋の喜びや絶頂を描くものではなく、先行研究が指摘する屏 風絵的な風情からは意図的にずらされていると考えられる。 夕 霧 の「男」は 全 注例、誕 生 時 の 性 別 を 言 う 1例 (葵 四 一) を 除 く 注例 を確認すると、 注例は雲居雁が相手で、 注例は落葉宮である。雲居雁には 対となる「女」が 1例、準対応する「女君」 注例が確認できる。少女巻で は、 「 女 君 こ そ 何 心 な く 幼 く お は す れ ど、男 は、さ こ そ も の げ な き ほ ど と 見 き こ ゆ れ、お ほ け な く い か な る 御 仲 ら ひ に か あ り け ん、 」 (少 女 三 三) と、 二人の幼恋の様子を捉えている。叙述では「何心なく幼く」 「ものげなき」 とあどけなさが強調されながら、呼称の「女君」 「男」が恋情を掬い取り、 叙述と呼称の不均衡が「おほけなくいかなる御仲らひ」と響き合って二人 の た だ な ら ぬ 仲 を 邪 推 さ せ る。夕 霧 を「男」 、雲 居 雁 を「女 君」と 絶 妙 に 呼び分けてもいて、引き離されたことに焦燥感を募らせた夕霧と頼りなく 受け身で隙がある雲居雁の、心構えや覚悟の違いを浮き彫りにする。 藤裏葉巻では「三条殿」に転居した雲居雁と夕霧夫妻について、 「 女 は、 またかかる容貌のたぐひもなどかなからんと見えたまへり。 男 は、際もな く き よ ら に お は す」 (藤 裏 葉 四 五 七) と あ る。こ の 直 前、二 人 が 歌 を 交 わ す 場 面 で は「男 君」 「女 君」 (藤 裏 葉 四 五 六、四 五 七) の 一 対 で あ る の に、こ こ で「女」 「男」であるのは、新婚の二人を尋ねてきた父太政大臣 (頭中将) の視線に寄り添っているからではないか。太政大臣は、娘と婿を生身の男 女と見つめ、婿の比類ない男ぶりを賞賛する。かつての左大臣邸に住まう 幸せな若い夫婦を祝福する眼差しは今日に至る歳月をも見つめ、夕霧と雲 居雁の現在を絵のように切り取っている。障害を乗り越えようやく夫婦と

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─ 注1 ─ なった男女の恋物語の美しい結末であるのだが、娘である「女」は凡庸と 評され、一幅の男女の不均衡が父の眼差しによって切り取られているのが 暗示的であると言えようか。夕霧巻では、落葉宮の母御息所の文を雲居雁 が 奪 う 場 面 で、 「 女 は、か く 求 め む と も 思 ひ た ま へ ら ぬ を ぞ、げ に 懸 想 な き御文なりけりと心にも入れねば、……取りし文のことも思ひ出でたまは ず。男 は 他 事 も お ぼ え た ま は ず、 」 (夕 霧 四 三 〇) と あ る。嫉 妬 を 露 わ に し て手紙を奪い取る妻、その妻を持て余す無粋であざとい夫。恋の叙情性と は 程 遠 い 生 身 の 男 女 の 行 き つ い た 先 が、久 し ぶ り の「女」 「男」に よ っ て 皮肉に浮かび上がる。残る 注例の「男」は落葉宮が相手であるが、落葉宮 は呼称自体が省略され「女」 「女君」はない。 夕霧は、まめ人として父光源氏とは異なる恋を生きたが、その幼恋が、 「男」と し て 雲 居 雁 に 向 き 合 う も の と し て 語 ら れ た。父 光 源 氏 は 密 通 に お いて「男」であったが、夕霧の幼恋も親の許さぬ恋という、夕霧なりの逸 脱だった。また、藤裏葉巻以降は、恋でない場面にあえて一対で使うこと で、夕霧 ・ 雲居雁という夫婦を様々に考えさせる。一方、落葉宮に向き合 う「男」は、官職を脱ぎ捨て恋する夕霧を再び浮き彫りにするが、落葉宮 には呼称自体が省略され、夕霧の懸想が一方的なものであることを暴いて いる。なお落葉宮は、柏木とも「男」 「女」を持たない。 薫の「男」は 1例、相手は浮舟で「朔日ごろの夕月夜に、すこし端近く 臥してながめ出だしたまへり。 男 は、過ぎにし方のあはれをも思し出で、 女 は、今 よ り 添 ひ た る 身 の う さ を 嘆 き 加 へ て、か た み に も の 思 は し」 (浮 舟 一 四 四 ― 一 四 五) と、対 の「女」が 見 ら れ る。こ の「男」 「女」に つ い て 『新 全 集』頭 注 は「男 女 一 幅 の 画 面 を 思 わ せ る が、し か し な が ら そ の 心 と 心 は 断 絶 し て い る」と 指 摘 す る。呼 称 は「男」 「女」と 完 全 に 一 対 で、い か に も 典 型 的 な 恋 の 場 面 で あ る か に 印 象 づ け な が ら、 「男」は 過 去 の「あ はれ」を「女」は今後の憂さを思うという通い合わない心情があり、呼称 と叙述の隔絶によってかえってこの二人の心の断絶が浮かび上がる語りと なっている。 続 い て「男 君」呼 称 を 考 察 す る。 『源 氏 物 語』の「男 君」は 全 注注例。人 物 別 で 見 る と 特 定 で き る の は 注人 注注例 (薫 ・ 左 近 の 少 将(浮 舟 に 求 婚 す る) ・ 小 野 の 妹 尼 の 娘 婿 の 中 将 ・ 光 源 氏 ・ 鬚 黒 ・ 夕 霧 ・ 真 木 柱 の 子) 。ま ず そ の 用 例 の 少なさに驚かされる。 「男君」は、 「君」によって最低限の敬意を保ちつつ も官職は特定しない、いかにも汎用性が高い呼称であるが、実際の使用例 は 非 常 に 少 な い。特 定 可 能 な 人 物 も 注人 と 極 め て 限 定 的 で あ る。先 に 「男」呼 称 で 確 認 し た 三 人 の 用 例 数 が 源 氏 注例、夕 霧 11例、薫 注例 と 比 較 的多い。 突出して用例が多い夕霧において、恋の相手が特定できるのは 11例中 11 例である。最後の 1例のみ相手が落葉宮で「宮」で対応する。残る 10例は 全て雲居雁が相手で、呼称の対応があるのは 注例である。呼称がない 注例 のうち 1例は引き離される二人を不憫がる大宮に寄り添う視線で雲居雁と の 仲 が 想 定 さ れ (少 女 四 六) 、他 注例 は 内 大 臣 に 隠 れ て の 束 の 間 の 逢 瀬 の 場 面 (少 女 五 七、五 八) に 見 ら れ る。完 全 な 対 の「女 君」が 新 婚 の 三 条 殿 の 場面に 注例 (藤裏葉四五七 ・ 四五八) 見られ、その他「女」 注例 (少女四九 ・ 藤 裏 葉 四 四 一) 、「姫 君」 1例 (少 女 五 四) 、「わ が 北 の 方」 1例 (若 菜 下 二 〇 三) 、「上」 1例 (横 笛 三 六 〇) の 準 対 応 が あ り、夕 霧 の「男 君」は、雲 居 雁との夫婦関係を語る呼称と言える。ただし、夫婦となってからの「わが 北の方」 「上」は、母としての雲居雁を描出している。

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─ 注注 ─ 大 将 殿 は、君 た ち を 御 車 に 乗 せ て、月 の 澄 め る に ま か で た ま ふ。道 す が ら、 箏 の 琴 の 変 り て い み じ か り つ る 音 も 耳 に つ き て、恋 し く お ぼ え た ま ふ。わ が 北 の 方 は、故 大 宮 の 教 へ き こ え た ま ひ し か ど、心 に も し め た ま は ざ り し ほ ど に 別 れ た て ま つ り た ま ひ に し か ば、ゆ る る か に も 弾 き と り た ま は で、 男 君 の 御 前 に て は、恥 ぢ て さ ら に 弾 き た ま は ず、何 ご と も た だ お い ら か に う ち お ほ ど き た る さ ま し て、子 ど も あ つ か ひ を 暇 な く 次 々 し た ま へ ば、を か し き と こ ろ も な く お ぼ ゆ。さ す が に、腹 あ し く て も の ね た み う ち し た る、愛 敬 づ き て うつくしき人ざまにぞものしたまふめる。 (若菜下二〇三) こ の 君 い た く 泣 き た ま ひ て、つ だ み な ど し た ま へ ば、乳 母 も 起 き 騒 ぎ、上 も 御 殿 油 近 く 取 り 寄 せ さ せ た ま て、耳 は さ み し て そ そ く り つ く ろ ひ て、抱 き て ゐ た ま へ り。い と よ く 肥 え て、つ ぶ つ ぶ と を か し げ な る 胸 を あ け て 乳 な ど く く め た ま ふ。児 も、い と う つ く し う お は す る 君 な れ ば、白 く を か し げ な る に、 御 乳 は い と か は ら か な る を、心 を や り て 慰 め た ま ふ。 男 君 も 寄 り お は し て、 「いかなるぞ」などのたまふ。 (横笛三六〇) 若菜巻の例は、 「 わが 0 0 北の方は」と夕霧視点で始まった一文が、 「男君の御 前」と視点者を変え、夕霧を「男君」として意識する雲居雁の女心を看取 さ せ る の だ が、落 葉 宮 の 存 在 が 影 を 落 と す 横 笛 巻 へ の 布 石 の よ う に、 「男 君」との呼称の格差が夕霧に兆す倦怠感を窺わせる。 薫 の 注例 の 内、 1例 は 出 生 時 の 性 別 を 指 す。恋 の 場 面 の 用 例 は 注例 (宿 木 四 二 九、四 四 四、四 五 二) あ る が、大 君 で も 浮 舟 で も な く、中 の 君 が 相 手 である。対となる「女君」が 1例、匂宮の子を懐妊中の中の君に見られる (宿 木 四 四 四) 。薫 が 中 の 君 に 想 い を 告 げ る 場 面 だ が、薫 の 告 白 は 不 毛 で し かない。 「男」でなく、 「男君」の告白である点は、薫の理性を感じさせ、 密通を働くつもりでもなく失恋をわかったうえで告白をする、薫らしい恋 の あ り 方 を 読 み 取 ら せ る。薫 と 大 君 の 場 面 に は「男 君」 「女 君」呼 称 は な い。先に見た「男」に対応していたのも、大君ではなく浮舟であった。 最後に光源氏の「男君」を確認する。源氏の用例は 注例。登場頻度、呼 称用例の多さに照らすと、源氏の「男君」の使用はひどく少ない。その 注 例 を 見 る と、 1例 は 葵 の 上 が 相 手 で「女 君」な ど の 呼 称 は な い (紅 葉 賀 三 二 三) 。残 る 注例 の 相 手 は 全 て 紫 の 上 で あ る。新 枕 の 場 面 で「女 君」 (葵 七 〇) 、他の 注例はまだ幼い紫の上が相手で、 「君」 「姫君」で対応する。 君 は、 男 君 の お は せ ず な ど し て さ う ざ う し き 夕 暮 れ な ど ば か り ぞ、尼 君 を 恋 ひきこえたまひて、うち泣きなどしたまへど、 (若紫二六一) 男 君 は、朝 拝 に 参 り た ま ふ と て、さ し の ぞ き た ま へ り。 「今 日 よ り は、お と な し く な り た ま へ り や」と て う ち 笑 み た ま へ る、い と め で た う 愛 敬 づ き た ま へ り。い つ し か 雛 を し す ゑ て そ そ き ゐ た ま へ る、…… と こ ろ せ き ま で 遊 び ひ ろ げ た ま へ り。 「儺 や ら ふ と て、犬 君 が こ れ を こ ぼ ち は べ り に け れ ば、つ く ろ ひ は べ る ぞ」と て、い と 大 事 と 思 い た り。 「げ に い と 心 な き 人 の し わ ざ に も は べ る な る か な。い ま つ く ろ は せ は べ ら む。今 日 は 言 忌 し て、な 泣 い た ま ひ そ」と て、出 で た ま ふ 気 色 と こ ろ せ き を、…… 姫 君 も 立 ち 出 で て 見 た て ま つ り た ま ひ て、雛 の 中 の 源 氏 の 君 つ く ろ ひ た て て、内 裏 に 参 ら せ な ど し た ま ふ。 (紅葉賀三二〇 ― 三二一) 一方、完全に対になる「女君」は新枕を語る場面で用いられ、後朝の様 子が俯瞰的な視点で切り取られている。 思 し 放 ち た る 年 月 こ そ、た だ さ る 方 の ら う た さ の み は あ り つ れ、忍 び が た く

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─ 注注 ─ な り て、心 苦 し け れ ど、い か が あ り け む、人 の け ぢ め 見 た て ま つ り 分 く べ き 御 仲 に も あ ら ぬ に、 男 君 は と く 起 き た ま ひ て、 女 君 は さ ら に 起 き た ま は ぬ 朝 あり。 (葵七〇) 紫 の 上 に は 注0例 余 り の「女 君」呼 称 が あ る が、 「男 君」と 完 全 な 対 に な っているのは、新枕のこの 1例のみである。しかし、見てきたように「男 君」と「女君」が対になっている用例がそもそも限られており、完全な一 対 を な す 源 氏 と 紫 の 上 の「男 君」 「女 君」は 希 少 な 一 例 で あ る。夕 霧 と 雲 居 雁 に も、新 婚 の 二 人 を 捉 え る「男 君」 「女 君」 (藤 裏 葉 四 五 六) が 見 ら れ た が、源 氏 と 紫 の 上 の「男 君」 「女 君」も 遂 に 迎 え た 新 枕 の 場 面 を 印 象 的 に切り取っている。一方で、ようよう結ばれた二人を捉える叙述は「とく 起き」た源氏と「さらに起き」ない紫の上の不調和な関係性でもあり、あ えて恋の喜びには光を向けず、呼称とのずれによって紫の上の衝撃に焦点 を当ててゆく。 「男」 「男君」が用いられるのは、従来の指摘通り多くが恋の場面ではあ った。ただ、そもそも全体的に用例数が少なく、主要人物の用例は数える ほどであった。また、恋の場面に女君と一対で用いられるもののように言 わ れ て き た が、 「女」や「女 君」で 一 対 と な る 用 例 は ご く ご く 少 数 で、準 対応する呼称さえないことが少なくない。また恋の絶頂や幸福な恋愛の場 面を構築しているとは言い難く、むしろ密通や別離や心情のすれ違いをこ そ描いてゆく。 「男」と「男 君」の 使 い 分 け に つ い て は、光 源 氏 の 密 通 に お い て「男」 が選び取られて、 「男君」より破滅的な人物像を描き出している。 「男」が 恋のクライマックスを描く呼称と指摘されるゆえん だ 9 注 が 、では、密通を描 く の が「男」呼 称 か と 言 え ば、柏 木 に は「男」は 見 ら れ な い (「男 君」も な し) 。鬚 黒 に は「男」が 1例 (真 木 柱 三 六 七) あ る が、玉 鬘 か ら 文 の 返 事 が な い こ と に「 男 胸 つ ぶ れ て、思 ひ 暮 ら し た ま ふ」 (真 木 柱 三 六 七) と、密 通 の場面ではない。源氏の罪深い恋愛を暴くのが「男」呼称なのであり、そ れ は、歌 の 詞 書 な ど の「男」 「女」が 喚 起 す る 一 幅 の 画 中 の 恋 す る 男 女 の イメージとはかけ離れている。一方で、父帝を裏切り帝の妻 ・ 継母との不 義を働く源氏を捉えるのには「男君」では障りがあるのだろう。あるいは 物語は、そうした罪深い恋に生きる男主人公を「男」と俯瞰的に捉え、読 者にただ目撃させ、止めようのない物語の展開を描き切っているのかもし れない。 「男 君」 「女 君」は「男」 「女」に 比 べ 夫 婦 関 係 に 根 ざ す と い う 指 摘 が あ 注1 注 り 、夕霧と雲居雁に照らしても「男君」呼称には安定した関係性が確認 で き る。 「男」夕 霧 の 幼 恋 は、内 大 臣 に 妨 害 さ れ、年 を 重 ね て 再 び「男」 と呼ばれたときには「女」雲居雁に対峙しながら落葉宮への浮気心が兆し ていた。比べて「男君」とあるときには夫婦の安寧があるのだが、この物 語は安寧が抱えるマンネリズムをも鋭く突いており、屏風絵的な恋物語と はやはり一線を画している。 光源氏の場合「男君」は、葵の上と紫の上を相手に用いられていた。婚 姻のかたちからも揺ぎ無い「北の方」である葵の上に対した「男君」が紫 の上にも用いられ、源氏と紫の上の間に夫婦的な絆を窺わせる効果がある のだが、それは夫婦になる以前、紫の上がまだ幼い時分に集中している。 源氏と紫の上の一対はあえて歪めているらしく、源氏の「男君」に対応す る 紫 の 上 は「君」 「姫 君」と 幼 い の だ が、源 氏 が 先 ん じ て「男 君」と 呼 ば れることで紫の上に「女君」と呼ばれる将来が期待されるわけで、 「男君」

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─ 注注 ─ 呼 称 に よ っ て、二 人 の 未 来 像 が 予 感 的 に 描 き 出 さ れ て い る。 「男 君」と 「君」 「姫君」の対応は、紫の上の幼少期から特別な絆を築いてきた二人の 関係も象徴的に示しており、新枕で「女君」としてようやく対となる前か ら、既に源氏の伴侶となるべく造型されている。早くから源氏が「男君」 と 呼 ば れ る こ と で、紫 の 上 の 成 長 を 待 つ 年 齢 差 と、つ い に 理 想 的 な「男 君」 「女君」に至り着く新枕とを、際立たせているのである。 三   「女」 「女君」 次 に「女」 「女 君」呼 称 に つ い て 簡 単 に 確 認 す る。対 に な っ て い る 関 係 に つ い て は「男」 「男 君」で 既 に 触 れ た の で、そ れ 以 外 は 全 て 一 対 の か た ち か ら は 外 れ た 用 例 と い う こ と に な る。 『源 氏 物 語』に お い て「女」の 用 例 は、 278例。一 般 的 な 女 性 を 意 味 す る 例 を 除 き、 「女」が 呼 称 と し て 見 ら れる人物は 注注人 120例。右近や浮舟の乳母など女房階級にも使用される。主 要人物としては、藤壺 ・ 花散里を除く、源氏の妻や恋人には概ね確認され る。一方「女君」は全 117例。呼称としては、 18人 116例が確認できる。葵の 上、紫の上、花散里など源氏の妻をはじめ、源氏の恋人に概ね確認でき、 続編の大君、中の君、浮舟にも見られる。 「男」 「男君」と比べ用例数が格 段に多い。 「女」 「女君」の両方を有するのは、正編では明石君 ・ 葵の上 ・ 空蝉 ・ 朧月夜 ・ 雲居雁 ・ 末摘花 ・ 玉鬘 ・ 紫の上 ・ 夕顔 ・ 六条御息所、続編 では浮舟 ・ 大君 ・ 中の君の 1注人である。 「女君」について田中恭子氏は次のようにまとめている。 「女 君」は、実 質 的 に 夫 婦 関 係 (な い し は そ れ に 準 ず る 関 係) が あ る (あ っ た) 夫 の 男 君 に 対 す る 妻 の 意 と し て 用 い ら れ、そ れ は、世 間 に 向 け て で な く、 全 く の 夫 婦 二 者 関 係 の 中 で、用 い ら れ て い る。 「女 君」な る 呼 称 の 多 く 与 え ら れ た 女 性 の 面 々 を 見 れ ば 瞭 然 た る よ う に、紫 の 上 や 宇 治 の 中 の 君 や 雲 居 雁 は、それぞれ、源氏や匂宮、夕霧の、実質的な愛妻として造型されて い 注注 注 る 。 確かに「女君」は、紫の上、雲居雁、中の君に多く、田中氏の指摘の通 り、夫婦関係の安定を窺わせる。一方で「女」と「女君」を比較すると、 「女」の み を 持 つ 者 は 身 分 が 低 く、彼 女 た ち の「女」に は 対 応 す る「男」 が見られないことが多い。 「女」 「女君」両方を持つ場合は、身分が高いと 「女君」が「女」の用例を上回るが、朧月夜と六条御息所は例外で、 「女」 が「女君」を上回る。朧月夜は右大臣の六女で尚侍、六条御息所は先の皇 太 子 妃 で 斎 宮 の 母 と、天 皇 (皇 太 子) と 関 わ る 公 的 存 在 で あ る。本 来「尚 侍」や「御 息 所」と 呼 ば れ る べ き 二 人 が、 「女 君」で す ら な く「女」と 呼 ばれるとき、公的立場を捨て、生身の存在として光源氏との愛に向き合う 姿が浮かび上がり、源氏との緊迫した、また結局のところ成就することが ない破滅的な恋の場面が構築される。 限 定 的 な 使 用 の「男」 「男 君」呼 称 に は、恋 の 場 面 の 印 象 を も た ら す 効 果が認められたが、 「女」 「女君」は用例も多く、朧月夜や六条御息所のよ うな例がある一方で、むしろ大半は必ずしも恋の場面と言えない。これは、 普段、公の身分である官職を伴う呼称で呼ばれる男性にとって、その官職 を 捨 て た「男」 「男 君」呼 称 は 特 別 で あ り、想 う 女 性 を 相 手 に 一 人 の 男 性 と し て 向 き 合 う 視 点 が 持 ち 込 ま れ 得 る の だ ろ う。朧 月 夜 と 六 条 御 息 所 の 「女」に つ い て も 同 様 で あ る。し か し、ほ と ん ど の 一 般 的 な 女 性 た ち は 公 の身分を有さず、基本的には〈家の女〉であり、夫など男性との繋がりが 生 活 の 全 て と い う 場 合 も あ る。常 に「女」 「女 君」で あ る た め に、 「男」

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─ 注注 ─ 「男 君」呼 称 ほ ど に は 明 確 な、恋 の 視 点 を 持 ち 込 む 呼 称 た り 得 な い の で は ないか。 「女君」呼称には夫婦の安定があるとする田中氏の指摘は、 「女君」呼称 を多く有するのが、紫の上、雲居雁、中の君の三人であることからも頷け る が、 「女 君」呼 称 を 持 つ 人 物 側 か ら 確 認 す る と、相 手 が 不 在 な、例 え ば 一人思い悩む場面でもしばしば使用されており、夫婦の安定は、実はそれ ぞ れ の 伴 侶 で あ る 光 源 氏 や 夕 霧 の「男 君」呼 称 に こ そ 鮮 明 で あ る。 「男」 「男 君」は、通 常 身 分 な ど 公 的 立 場 を 背 負 っ て 生 き る 男 た ち か ら、色 々 な ものを削ぎ落とす呼称であるが、身分の高い女性の「女」呼称についても、 同じ効果を認め得る。既に指摘のあるように、 「男」 「男君」また「女」呼 称は、不倫のような破滅的で切迫 し 注1 注 た 、あるいは安定的な男女の恋の場面 を構築する一助として、意図的に使用されていると考え得る。ただし一方 で、幼 い 紫 の 上 を 相 手 に 使 い 重 ね ら れ る「男 君」 、あ る い は 末 摘 花 巻 や 藤 裏 葉 巻、夕 霧 巻 の「男」 、薫 を め ぐ る 用 例 な ど、恋 の 場 面 を 持 ち 込 む 呼 称 で あ る こ と を 逆 手 に と っ て、今 後 の 展 開 の 期 待 や 皮 ア イ ロ ニ ー 肉 、作 中 人 物 の 情 動 などを持ち込む表現技法が見られることも改めて指摘したい。 例えば紫の上には 注例の「女」呼称があるが、どちらも野分の垣間見の 場 面 で、 「 女 も ね び と と の ひ、飽 か ぬ こ と な き 御 さ ま ど も な る を」 (野 分 二 六 六) 、「 女 の 御 答 へ は 聞 こ え ね ど」 (野 分 二 七 一) と、垣 間 見 る 夕 霧 の 視 線 に 同 化 す る 叙 述 の 中 で、紫 の 上 が「女」 、源 氏 が「 大 お と ど 臣 」と 呼 ば れ る。垣 間見る者の視線の中に、恋の場面を持ち込む「女」呼称を用いることで、 尊敬する父大臣の素晴らしい愛妻を、一人の生身の「女」として見つめる 夕霧の心隈が抉られて い 注1 注 る 。前節で見た、命婦の眼差しを通じて末摘花が 「正 身」源 氏 が「男」と 呼 ば れ (末 摘 花 二 八 二) 、新 婚 の 雲 居 雁 と 夕 霧 を 見 つ め る 太 政 大 臣 の 視 線 の 中 で「女」 「男」と 呼 ば れ て い た (藤 裏 葉 四 五 七) のも同様である。 と こ ろ で、こ れ ら「男」 「男 君」 「女」呼 称 に 比 べ、 「女 君」は、一 般 性 が高く用例も多い。人生の大半を夫を初めとする男女の関係に生きる女性 たちにとって、 「女君」呼称は異なるレベルの問題を孕んでいそうである。 そ こ で、 「女 君」呼 称 の 用 例 を 特 に 多 く 持 つ 紫 の 上 の、初 期 の「女 君」呼 称に注目し、更に考察を試みたい。 四   紫の上の「女君」 紫の上には、多種多様な呼称用例が確認できるが、このうち「女君」は、 「姫君」 「北の方」等の特定の身分や立場に因んだ呼称と違い、漠然と貴人 であることは示すものの、それ以上の情報はあまり持たない。会話文中で 呼びかける類の呼称ではなく、それだけに語りが大きく関わる呼称である と考えられる。 紫の上の「女君」で特筆すべきなのは、最初から「女君」と呼ばれる状 況 に あ る の で は な く、 「若 君」や「姫 君」を 通 過 し た、そ の 成 長 の 先 に 「女君」がある点である。しかも、一度に「女君」に移行するのではなく、 「女君」と呼ばれ始めてからも、 「姫君」呼称に振り戻されている。 早 く に こ の 現 象 に 注 目 し た 玉 上 氏 は、 「姫 君」と「女 君」が 交 互 に 現 れ る須磨巻において、 「この場面で注目したいのは、作者が紫の上のことを、 ある時には姫君と呼び、他の場面では女君と呼んでいる点である。女君と 呼ばれた時は、光る源氏が紫の上を女として意識し、みつめていると考え るべきなのである。しかし、紫の上は、まだ姫君とも呼ばれている。若く、 う い う い し く、娘 々 し て い る の で あ る」と 注 し 注1 注 た 。「女 君」と「姫 君」呼

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─ 注注 ─ 称の行きつ戻りつは、紫の上の成長を反映するものであり、源氏の願望と、 それに追いつかない紫の上自身の幼さに起因するという指摘である。しか しながら、 「女君」 「姫君」呼称に纏わる視線 ・ 意識は、光源氏のものだけ な の だ ろ う か。 「男」 「男 君」 「女」の よ う に、破 滅 的 あ る い は 安 定 的 な 恋 の場面として印象づける、語り手の俯瞰的な視線が持ち込まれることはな いのだろうか。 紫の上の「女君」呼称の初例は紅葉賀巻である。この巻では、祖母を恋 し が る 様 子 や 雛 人 形 で 遊 ぶ 姿 な ど 紫 の 上 の 幼 さ を 強 調 す る 描 写 も 多 く、 「幼 き 人」 (紅 葉 賀 三 一 七) 「姫 君」 (紅 葉 賀 三 一 七 ・ 三 二 一) と 呼 ば れ て い る。 一方で、二節に見たように、光源氏については既に「男君」呼称が用いら れ、 男 君 は、朝 拝 に 参 り た ま ふ と て、さ し の ぞ き た ま へ り。…… い つ し か、雛 を し す ゑ て そ そ き ゐ た ま へ る、…… と こ ろ せ き ま で 遊 び ひ ろ げ た ま へ り。… 「… 今 日 は 言 忌 み し て、な 泣 い た ま ひ そ」と て、出 で た ま ふ 気 色 と こ ろ せ き を、…… 姫 君 も 立 ち 出 で て 見 た て ま つ り た ま ひ て、雛 の 中 の 源 氏 の 君 つ く ろ ひたてて、内裏に参らせなどしたまふ。 (紅葉賀三二〇 ― 三二一) と、 「男 君」に 対 す る「女 君」た る べ き 未 来 が 期 待 さ れ な が ら も、不 釣 り 合いに幼い紫の上が象られている。 その同じ紅葉賀巻に「女君」呼称が登場する。 1 つ く づ く と 臥 し た る に も、や る 方 な き 心 地 す れ ば、例 の、慰 め に は、西 の 対 に ぞ 渡 り た ま ふ。し ど け な く う ち ふ く だ み た ま へ る 鬢 ぐ き、あ ざ れ た る 袿 姿 に て、笛 を な つ か し う 吹 き す さ び つ つ、 の ぞ き た ま へ れ ば 、 女 君 、あ り つ る 花 の 露 に ぬ れ た る 心 地 し て 、添 ひ 臥 し た ま へ る さ ま、 う つ く し う ら う た げ な り 。愛 敬 こ ぼ る る や う に て、お は し な が ら と く も 渡 り た ま は ぬ、な ま 恨 め し か り け れ ば、例 な ら ず 背 き た ま へ る な る べ し、端 の 方 に つ い ゐ て、 「こ ち や」 と の た ま へ ど お ど ろ か ず、 「入 り ぬ る 磯 の」と 口 す さ び て 口 お ほ ひ し た ま へ る さま、いみじうされてうつくし。 (紅葉賀三三一) 臥したままで目を合わさず、訪れが減った男を詰る古歌の一節を口覆い して口ずさむ紫の上の姿が、初めて使われる「女君」によって、新鮮な驚 き を も っ て 描 か れ て い る。と は 言 え、こ の 頃 の 紫 の 上 は、源 氏 が 自 分 の 「男」だ と 聞 い て も、乳 母 の 老 い て 醜 い「男」と 違 っ て 良 か っ た と 思 う 程 度 で (紅 葉 賀 三 二 二) 、男 女 の 機 微 を 理 解 し て お ら ず、こ の 嫉 妬 も 言 わ ば ポ ー ズ、利 発 な 少 女 の ま ま ご と に 過 ぎ な 注1 注 い 。こ の 場 面 は「の ぞ き た ま へ れ ば」という動作、 「心地して」 「うつくしうらうたげなり」など、源氏の視 線 に 同 化 し つ つ 展 開 し て お り、 「女 君」呼 称 も、一 つ に は 源 氏 の 姿 が 引 き 寄 せ た 呼 称 で あ る よ う だ。こ の 直 前、源 氏 は、皇 子 (冷 泉 帝) を 出 産 し た 藤壺と和歌を贈答しており、その苦悩を癒すべく「例の、慰め」に紫の上 を訪うのだが、乱れた袿姿と髪で、笛を吹きつつ足を向ける仕草は、男が 女のもとに通うそれに他ならない。大人の「女君」を求める仕草が、脇息 に 寄 り 臥 し て 拗 ね て い た 少 女 を「女 君」に 見 せ る。 「女 君」呼 称 は、大 人 の振舞を真似始めた紫の上と、 「女君」を求める光源氏の心持との双方に、 光を当ててゆくのである。 この用例 1と一続きの場面で紫の上は、源氏の眼差しに同化する地の文 に お い て、再 び「姫 君」と 呼 ば れ て い る (紅 葉 賀 三 三 二、三 三 三) 。葵 の 上 を訪う予定だった源氏は、心細げな「姫君」の鬱屈を捨て置けず、結局、

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─ 注注 ─ 外 出 を 取 り や め る。源 氏 の 外 出 を「慕 ひ き こ え」 、内 裏 に 二 三 日 泊 ま れ ば 屈してしまう紫の上が愛しくてならない、というこれまで (紅葉賀三一七) と同様の場面である。図らずも葵の上と源氏の愛を競った紫の上は、未だ 幼い「姫君」だからこそ、光源氏を引き留め得た。しかし、一方で源氏は 既に「男君」であり、藤壺との恋に苦悩する「男」でもあって、その仕草 と共に、少女が「女君」と俯瞰される一瞬もあった。一連の「姫君」呼称 の中にぽつんと置かれた「女君」呼称は、幼い紫の上を見守る光源氏の、 青年としての心中に光を当てる。だが、大事なのはむしろそうした心中を 有する光源氏が「姫君」の様々な姿を大事に慈しんでいること、またその 延長線上の姿に「女君」を発見していたことではなかろうか。 物語は、二人が「男君」 「女君」となる未来を期待させながら、しかし、 紫の上の成長をゆっくりと辿ってゆく。花宴巻でも源氏の視線に同化して 「姫 君」 (花 宴 三 六 〇) が 使 わ れ、そ の 直 後 に は、 「若 君」ま で も が 確 認 で き る (花 宴 三 六 一) 。葵 巻 で 用 い ら れ る「姫 君」で も、 「 姫 君 の い と う つ く し げ に つ く ろ ひ た て て お は す る を」 (葵 二 七) 、「 姫 君 、 い と う つ く し う ひ き つ く ろ ひ て お は す」 (六 八) 、「 姫 君 の 何 ご と も あ ら ま ほ し う と と の ひ は て て、 」 (六 九) と 愛 育 す る 対 象 を 慈 し む 源 氏 の 視 線 を 重 ね な が ら、 「と と の ひは」つまでの、紫の上の成長の過程が辿られ、その丁寧な「姫君」の姿 の 積 み 重 ね の 上 に、よ う や く 二 例 目 の「女 君」 、先 に も 確 認 し た 新 枕 の 場 面がある。 注 い か が あ り け む、人 の け ぢ め 見 た て ま つ り 分 く べ き 御 仲 に も あ ら ぬ に、 男 君 はとく起きたまひて、 女君 はさらに起きたまはぬ 朝 あした あり。 (葵七〇) 光 源 氏 や 紫 の 上 の 視 点 や 感 情 を 一 切 交 え る こ と な く、源 氏 は「男 君」 、 紫の上は「女君」と呼ばれ、実質的な夫婦となった二人の「朝」が俯瞰的 に捉えられている。紫の上の成長をある意味待ちかねていた「男君」に対 し、思いも寄らない事態におののき臥せる紫の上は、後朝のやり取りなど 毛頭できない。紫の上の内実が未熟であることを丁寧に描きながら、しか し呼称の上では「男君」 「女君」と呼んでゆく。源氏の行為を嫌だ、酷い、 と恨む「女君」と、そうした「女君」の素直な感情の発露が愛しくてなら な い「男 君」 。そ こ に は、 「若 君」 「姫 君」の 時 間 が 丁 寧 に 描 か れ て き た 「女 君」な ら で は の 個 性 と、そ の 時 間 を 大 事 に 慈 し ん で き た「男 君」 「女 君」な ら で は の 関 係 性 が あ る。俯 瞰 的 に「男 君」 「女 君」と 呼 ぶ こ と で、 特 別 な 個 性 と 関 係 性 の 二 人 だ か ら こ そ の「男 君」 「女 君」関 係 と し て 枠 取 られているのである。 特筆すべきは、次の場面である。新枕の後、源氏が紫の上の裳着を執り 行おうと考える一続きの場面において、紫の上には、まず「姫君」が、続 いて「女君」が用いられている。 注 こ の 姫 君 を、今 ま で 世 人 も そ の 人 と も 知 り き こ え ぬ も も の げ な き や う な り、 父 宮 に 知 ら せ き こ え て む、と 思 ほ し な り て 、御 裳 着 の こ と、人 に あ ま ね く は のたまはねど、 (葵七六) 注 な べ て な ら ぬ さ ま に 思 し ま う く る 御 用 意 な ど、い と あ り が た け れ ど、 女 君 は こ よ な う 疎 み き こ え た ま ひ て 、年 ご ろ よ ろ づ に 頼 み き こ え て、ま つ は し き こ え け る こ そ あ さ ま し き 心 な り け れ、と 悔 し う の み 思 し て、さ や か に も 見 あ は せたてまつりたまはず、…… (葵七六) 用 例 注は「思 ほ し な り て」か ら も わ か る よ う に、源 氏 に 同 化 し て「姫

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─ 注8 ─ 君」呼称が使われる。実質的な夫婦となった新枕後も、源氏の眼差しに寄 り添うとき、紫の上は、時に「姫君」とも呼ばれるのである。一方用例 注 では、その源氏の心配りを紫の上が「こよなう疎」んでいる姿が俯瞰され る。 「たまふ」とあるから語り手による語りであるが、 「女君は……疎」む と紫の上の心中に寄り添った表現でもある。信頼を裏切られたと源氏を恨 む紫の上はやはり子ども染みているが、その「女君」らしからぬ心ざまこ そ が、 「姫 君」と も 慈 し む 源 氏 に と っ て の「女 君」な の で あ る。あ り ふ れ た恋の場面とは異なる二人の仲を、あるいはその中で育まれた紫の上の個 性を、あえて「女君」と枠取ることで、光源氏の伴侶たる女主人公のあり 様を端的に指し示している。 その後も賢木巻では、源氏に同化する地の文で「女君」と「姫君」が使 われている。 注 も の 心 細 く、な ぞ や、世 に 経 れ ば う さ こ そ ま さ れ と 思 し 立 つ に は、こ の 女 君 の い と ら う た げ に て あ は れ に う ち 頼 み き こ え た ま へ る を ふ り 棄 て む こ と い と かたし 。(賢木一一三) 注 律 師 の い と 尊 き 声 に て、…… ま づ 姫 君 の 心 に か か り て 、思 ひ 出 で ら れ た ま ふ ぞ、いとわろき心なるや。 (賢木一一七) 源氏が、紫の上を置いては出家できないと考える、非常に似通った場面 で あ る が、用 例 注は「女 君」 、 注は「姫 君」と あ る。出 家 と い う 一 つ の テ ーマにおいて二つの呼称で同じ感情が語られ、紫の上を愛妻とも愛娘とも 見つめ続ける、光源氏の愛のかたちを窺わせる。また用例 注は「女君」は 「女君のいとらうたげにてあはれ」と見る源氏に同化すると同時に、 「あは れにうち頼みきこえたまへる」の主語でもあり、紫の上の立場に寄り添う 語りともなっている。 須 磨 巻 で は、主 に「女 君」を 用 い る 中、 注例 の「姫 君」 (須 磨 一 六 一、一 九二) を挟み、最終的に「女君」に統一されてゆく。 「姫君」 (須磨一六一) は、紫の上を愛娘のように慈しむ源氏の眼差しを照らし、頼み少ない彼女 を都に残す哀れを浮かび上がらせる。残される紫の上も「心細うのみ思ひ た ま へ る」 (須 磨 一 六 二) の だ が そ の 主 語 は「女 君 も」と あ っ て、幼 い 姫 君 故の不安からではないのだが、源氏は、後ろ髪を引かれつつも、流離先へ 同 行 は で き な い と 改 め て 思 う。だ が「 女 君 は、 『い み じ か ら む 道 に も、お く れ き こ え ず だ に あ ら ば』と お も む け て、恨 め し げ」 (須 磨 一 六 注1 注 二 ) で あ っ た。別れは誰しも心細いが、都に残す源氏の思いやりを「恨めしげ」に見 つめ、流離も厭わない「女君」の姿は、新枕の後にも通じる紫の上の個性 か も し れ な い。ま た こ の 源 氏 の 危 機 に、 「女 君」と し て 留 守 を 預 か る と い う精神的成熟が問われているという、物語の展開も窺えよう。 こうした揺れを経て、 「女君」との別れの場面が描出される。 注 御 鬢 か き た ま ふ と て、鏡 台 に 寄 り た ま へ る に、面 痩 せ た ま へ る 影 の、我 な が ら い と あ て に き よ ら な れ ば、 「こ よ な う こ そ お と ろ へ に け れ。こ の 影 の や う に や 痩 せ て は べ る。あ は れ な る わ ざ か な」と の た ま へ ば、 女 君 、涙 を 一 目 浮 け て 見おこせたまへる 、いと 忍びがたし 。(須磨一七三) 源氏の瞳に映る紫の上が「女君」と呼ばれているとも、涙を浮かべる動 作主としての紫の上が「女君」と呼ばれているとも取れる例である。これ を受けて俯瞰的な地の文においても「その日は、 女君 に御物語のどかに聞 こ え 暮 ら し た ま ひ て、例 の 夜 深 く 出 で た ま ふ。 」 (一 八 五) 「恋 し き 人 多 く、

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─ 注9 ─ 女 君 の 思 し た り し さ ま、春 宮 の 御 事、…」 (一 八 八) と、二 人 の 別 れ が、 源氏の庇護の思いと恋情を重ねながら描かれてゆく。そして、この須磨巻 に お け る、都 の 人 々 か ら の 文 を 受 け 取 る 場 面 に お い て、最 後 の「姫 君」 (須 磨 一 九 二) が 用 い ら れ、複 合 型 の 呼 称 に お い て も「二 条 院 の 姫 君」 (須 磨二〇七) を最後に、 「姫君」は消失し、 「女君」に統一される。 紫 の 上 の「女 君」呼 称 は、 「姫 君」か ら「女 君」へ と い う 成 長 に 重 ね て 使われるようでありながら、一度に移行するわけではない。しかし、その 揺れる呼称を作中人物の視線や語り手の俯瞰的視線に注目して再確認する と、新枕以後に繰り返される「姫君」は全て源氏の心情に寄り添うもので、 かつ時には源氏の視線を通じても「女君」呼称が使われていた。一方で紫 の上の心情に寄り添う、あるいは俯瞰的に見つめるときには「女君」が用 いられ、源氏の瞳には「姫君」と映る彼女が既に「女君」へと成長してい る こ と を 看 取 さ せ る。幼 い ま ま の 紫 の 上 を 求 め る 源 氏 の 意 識 だ け が「姫 君」をなかなか手放さないらしい、あるいは女君へと成長を遂げても源氏 の 庇 護 が な け れ ば 生 き ら れ な い 紫 の 上 を 炙 り 出 し て も い る。 「姫 君」か ら 「女君」への呼称の揺れには、 「姫君」でもある「女君」を愛する源氏の心 情があり、その果てに至り着いた「女君」であるからこその紫の上の妻と しての意義が刻まれる。紫の上の場合、その「女君」呼称は、幼少期から 愛育し妻とした紫の上への源氏の愛情のかたち、生涯を貫く二人の絆のあ り方を反映しつつ、またその中で培われた紫の上の姿を語るものとして使 用されている。 揺れる呼称の中で、紫の上の心情に寄り添いながら用いられた「女君」 は、 「姫 君」と の 揺 れ が な く な る と 紫 の 上 に 多 用 さ れ て ゆ く。雲 林 院 に 籠 もる源氏の歌に「 女君 もうち泣きたまひぬ。……風吹けばまづぞみだるる 色 か は る 浅 茅 が 露 に か か る さ さ が に」と 返 歌 す る (賢 木 一 一 八) 、い わ ば 普 通の「女君」の姿は、新枕から二年ほど経ってようやく登場する。雲林院 か ら 戻 る 源 氏 の 目 に「 女 君 は、日 ご ろ の ほ ど に、ね び ま さ り た ま へ る 心 地」 (賢 木 一 二 一) に 映 る の だ が、こ の 場 面 を 別 本 の 御 物 本 で は「ひ め 君」 と呼ぶ。写本も揺れるように、長い歳月の微妙な狭間に、幼少期から愛育 し妻とした紫の上への源氏の愛情のかたちと、その源氏に育まれた紫の上 と い う 人 物 の 個 性 が 象 ら れ て い よ う。若 菜 巻 以 降 に は、 「対 の 上」 「紫 の 上」と と も に 主 要 な 呼 称 と し て 使 用 さ れ、 「女 君」と 呼 ば れ る と き に は、 源氏との繋がりを見つめ、結びつきを確認し、死を迎える時までそれを背 負 っ て 生 き よ う と す る 紫 の 上 が 描 か れ て ゆ く。 「女 君」は、肉 親 の 縁 の 薄 さ故に、源氏との深い絆の意味に向き合う人物を呼ぶ呼称となって い 注1 注 る 。 五   まとめ 通常、呼称は、森一郎氏が指摘するように「その人物の内なる位相を象 徴的に映し出す形象的言語、内在的言語」で あ 注1 注 り 、作中人物の官職、居所、 家族関係、人生行程といった様々な位相の一つを象徴的に照らし出すもの で あ る。 「男」 「男 君」 「女」呼 称 は、こ れ ら の 呼 称 と は 異 質 で あ り、作 中 人 物 を 官 職 そ の 他 の 立 場 を 脱 ぎ 捨 て た 生 身 の「男」 「男 君」 「女」 、す な わ ち特別な位相を持たない男と女として据え、恋の場面を構築する効果があ る。屏風歌や歌物語の伝統を背景に、画中や歌の贈答を見つめるのと同様 な俯瞰的な視点、ここを恋の場面として見る枠組が持ち込まれるのである。 そしてそのように枠取った上で、 『源氏物語』の「男」 「女」の恋の場面は、 恋の絶頂や幸福とはかけ離れた側面を語ってゆくのであり、それは夫婦間 の安定があると言われる「男君」 「女君」においても同じである。

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─ 注0 ─ 恋や夫婦愛が語られるに違いないと期待させる呼称をあえて用いて場面 を枠取った上で、理解し合えない男女を描く。それ故にこそ恋の難しさが 際立ち、男女の繋がりの本質的な面白さと難解さが浮かび上がるのだ。そ も そ も「男」 「女」 「男 君」 「女 君」が 一 対 で 使 用 さ れ る こ と は 非 常 に 少 な く、単 独 で 使 用 さ れ る「女」 「女 君」の 多 さ が 確 認 で き る。一 対 の か た ち をあえて外して語る『源氏物語』では、幸せで円満であって欲しいのにそ うはならない、男女の関係性の難しさをこそ暴いてゆく。もはや恋からは 程 遠 い 夫 婦 の 諍 い (夕 霧 巻) 、寄 り 添 い な が ら 心 は 遠 く 離 れ た 男 女 (浮 舟 巻) を、あえて「男」 「女」呼称で枠取って、皮肉を醸し出すのである。 ま た『源 氏 物 語』の 呼 称 は、人 物 本 人 の 性 質 (位 相) を 照 ら し 出 す ば か りでなく、しばしばそう呼ぶ作中人物の感情を内在化するものでもあった。 一見中立的な文章においても、呼称に注視することで、作中人物たちの心 情や視線を汲み取ることが可能となるのである。こうした呼称の技法に照 らしたとき、 「男」 「女」についても、紫の上の「女」呼称、藤裏葉巻の三 条 殿 転 居 の 際 の 夕 霧 夫 妻 へ の「男」 「女」呼 称 な ど、作 中 人 物 の 心 隈 を 読 み取らせる用例も指摘できる。 なかでも独特な用法を編み出しているらしいのが「女君」呼称である。 安定的な男女関係の呼称という点では、恋の場面に起源を持ちつつも、身 分を持たない女性たちのむしろ日常の呼称としてあり、恋の場面とは無関 係に用例数も多い。特に紫の上の場合、 「若君」 「姫君」から「女君」へと いう人生行程の一環に位置づけられて、屏風絵の中の人物にはあり得ない、 「女 君」へ の 道 程 が 象 ら れ て い た。し か も、光 源 氏 に は、紫 の 上 が「君」 「姫 君」の と き か ら 一 早 く「男 君」が 用 い ら れ、よ う や く 新 枕 の 場 面 に お い て 俯 瞰 的 に、 「男 君」 「女 君」と い う 一 対 の 夫 婦 と し て 枠 取 ら れ る。 「男 君」光源氏に「君」や「姫君」で対応してきた紫の上の道のりが、 「男君」 に対する理想的な「女君」に至る時間として枠取られるのである。 そ の 新 枕 の 場 面 は「男 君」 「女 君」と 俯 瞰 さ れ な が ら、し か し 女 君 が 拗 ねて返歌もしないという、通常の恋の場面、男女の関係とは、少し異なる 内 実 を 描 い て い る。ま た、新 枕 の 前 後 で 展 開 す る「姫 君」 「女 君」呼 称 の 行きつ戻りつの中に、そう見つめる源氏の視線、 「姫君」でもある「女君」 を 愛 す る 源 氏 の 意 識 を も 掬 い 取 る こ と が で き る。そ れ は「姫 君」を 経 た 「女 君」で あ る か ら こ そ の、光 源 氏 に と っ て の「女 君」と い う 関 係 性、紫 の上という「女君」の個性を造型するものであろう。 *『源氏物語』本文の引用は『新編日本古典文学全集』 (小学館) による。 * 呼称検索は 『源氏物語   CD ― ROM   角川古典大観』 (角川書店) を参考とした。 注 1   玉 上 琢 弥「源 氏 物 語 の 読 者」 (『源 氏 物 語 評 釈 別 巻 一   源 氏 物 語 研 究』 、角 川 書 店、一九六六年) 。 注   玉 上 琢 弥「屏 風 絵 と 歌 と 物 語 と ― 源 氏 物 語 の 本 性(そ の 三) ― 」(前 掲 注 1書 に 同 じ   * 初 出「屏 風 絵 と 歌 と 物 語 と」 『国 語 国 文』二 二 ― 一、一 九 五 三 年 一 月) 。 注   清 水 好 子「源 氏 物 語 の 作 風 Ⅰ」 (『清 水 好 子 論 文 集   第 一 巻   源 氏 物 語 の 作 風』 武 蔵 野 書 院、二 〇 一 四 年   * 初 出「源 氏 物 語 の 作 風」 『国 語 国 文』二 二 ― 一、一 九五三年一月) 。 注   清水好子『源氏の女君   増補版』塙書房、一九六七年。 注   長 谷 川 成 樹「源 氏 物 語 の 人 物 呼 称 ― 『女 君』に つ い て ― 」( 『日 本 文 学 論 集』 四、一 九 八 〇 年 三 月) ・「源 氏 物 語 に お け る 人 物 呼 称 を め ぐ っ て ― 『女 君』を 中 心 に ― 」( 『日 本 文 学 研 究』二 三、一 九 八 四 年 一 月) 、宮 川 葉 子「源 氏 物 語 姫 君 考 」( 『緑 岡 詞 林』七、一 九 八 三 年 三 月) 、森 本 元 子「源 氏 物 語 の『女』考」

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─ 注1 ─ (『源 氏 物 語 の 探 求』八、風 間 書 房、一 九 八 三 年 六 月) 、西 田 禎 元「 『源 氏 物 語』 ヒ ロ イ ン の 呼 称」 (『言 語 文 化 研 究』六、一 九 八 六 年 三 月) 、森 一 郎『源 氏 物 語 生 成 論 ― 局 面 集 中 と 継 起 的 展 開』 (世 界 思 想 社、一 九 八 六 年) ・「源 氏 物 語 の 人 物 造 形 と 人 物 呼 称 の 連 関」 ・「源 氏 物 語 の 人 物 造 型 と 人 物 呼 称 の 連 関(そ の 二) 」( 『源 氏 物 語 の 主 題 と 表 現 世 界 ― 人 物 造 型 と 表 現 方 法 ― 』勉 誠 社、一 九 九 四 年) 、佐 久 間 啓 子「源 氏 物 語 に お け る『女、女 君』に つ い て」 (『平 安 朝 文 学 研 究   作 家 と 作 品』有 精 堂、一 九 七 一 年 三 月) 、田 中 恭 子「 『女 君』に つ い て ― 源 氏 物 語 の 人 物 呼 称 の 中 か ら ― 」( 『中 古 文 学』一 六、一 九 七 五 年 九 月) ・ 「源 氏 物 語 の 人 物 造 型 に お け る 呼 称 の 意 義」 (『関 根 慶 子 教 授 退 官 記 念   寝 覚 物 語 対 校 ・ 平 安 文 学 論 集』風 間 書 房、一 九 七 五 年) 、古 泉 俊「玉 鬘 の 呼 称 ― 視 点 者的呼称 ・ 体現者的呼称 ― 」( 『王朝文学研究誌』一、一九九二年九月) 、など。 注   前 掲 注 注佐 久 間 論 文、田 中 論 文 な ど。田 中 氏 は、 「『女 君』は、恋 物 語 の 女 主 人 公 の 普 遍 的 な 呼 称 で あ る た め、し ば し ば 言 及 さ れ て い る が、一 般 に、 『女 君』は、 『男 君』に 対 し 恋 す る 女 を 意 味 す る と か、 『女』と い う 語 と と も に、 恋 の ク ラ イ マ ッ ク ス の 場 面 で 用 い ら れ る、と か い わ れ て き た。こ れ で も 当 ら な い わ け で は な い だ ろ う が、大 雑 把 な と ら え 方 と い わ ね ば な ら な い よ う で あ る。と い う の も、こ れ で は、こ と ば が ち が え ば 用 法 も 意 味 も 区 別 し て 使 い わ け て い る 作 者 の 作 為 を 無 視 し て『女』も『女 君』も 同 義 に し て し ま う 恐 れ も あ る し、た と え ば 葵 の 上 や 鬚 黒 北 の 方 に 与 え ら れ た『女 君』の 例 は、必 ず し も 源 氏 や 鬚 黒 大 将 と い う 男 君 の 恋 慕 の 対 象 に な っ て い る わ け で は な い こ と が 説 明 で き な く な る だ ろ う」 (前 掲 注 注「『女 君』に つ い て ― 源 氏 物 語 の 人 物 呼 称の中から ― 」)とする。 注   園 明 美『源 氏 物 語 の 理 路 ― 呼 称 と 史 的 背 景 を 糸 口 と し て ― 』風 間 書 房、二 〇 一二年。 8   拙 稿「 『児』と 呼 ば れ た 紫 の 上」 (『日 本 文 学』一 〇 四、二 〇 〇 八 年 三 月) ・「若 紫 巻 に お け る 紫 の 上 の 呼 称 ― 十 種 類 の 呼 称 が 描 く も の ― 」( 『 東 京 女 子 大 学 紀 要論集』五九 ― 二、二〇〇九年三月) 。 9   前 掲注 注、注 注。 10   前 掲 注 注田 中 論 文 「『 女 君 』 に つ い て ― 源 氏 物 語 の 人 物 呼 称 の 中 か ら ― 」 に 同 じ 。 11   前 掲 注 注田 中 論 文 「『 女 君 』 に つ い て ― 源 氏 物 語 の 人 物 呼 称 の 中 か ら ― 」 に 同 じ 。 1注   「男」 「女」と 敬 称 が 除 か れ る こ と に つ い て は、 「息 づ ま る よ う に 緊 迫 し た 恋 の 場 面 が 多 く、そ の 場 合 に は 身 分 や 地 位 を か な ぐ り 捨 て た ひ と り の 男、女 で あ る と い え よ う」 (前 掲 注 注佐 久 間 論 文)と し、 「『女』は、君 と い う 敬 称 も つ か な い こ と で わ か る よ う に、全 く の 下 衆 女 を 示 す 場 合 か、社 会 や 家 庭 と い う 属 性 を 抜 き に し た 存 在 と し て 描 く 時 に 限 ら れ る。こ れ は「男」に 関 し て も 同 断 で あ る」 (前 掲 注 注田 中 論 文「源 氏 物 語 の 人 物 造 型 に お け る 呼 称 の 意 義」 )な どの指摘がある。 1注   森 一 郎 氏 は、こ の 野 分 の「女」に つ い て、 「紫 上 の 女 と し て の 限 り な い 魅 力 的 な 美 し さ に『目 移 る べ く も』な か っ た 夕 霧 の 眼 と 心 が 紫 上 を『女』と 見 た 心 情 に 即 し て『女』と 呼 ん だ の で あ る と 解 し た い」 (「源 氏 物 語 の 表 現 方 法 ― 視 点 ・ 文 体 ・ 人 物 呼 称 ・ 敬 語 法 ― 」『学 大 国 文』三 五、一 九 九 二 年 二 月)と 言 う。 源 氏 の 存 在 を 排 除 し、夕 霧 が「男」と な っ て「女」紫 の 上 に 対 座 す る と は と ら な い が、紫 の 上 を「女」と 捉 え る 眼 差 し に は、確 か に 夕 霧 の 心 情 が 介 入 し ているものと考える。 1注   玉上 琢弥『源氏物語評釈第三巻』角川書店、一九六五年。 1注   今 西 祐 一 郎 氏 は、当 該 箇 所 の「女 君」に つ い て、大 人 び た 姿 態 を 示 し た 紫 の 上 に 用 い ら れ た「例 外」と す る( 「姫 君 ・ 女 君 ・ 上」 『源 氏 物 語 の 鑑 賞 と 基 礎 知 識 注注   紅葉賀 ・ 花宴』至文堂、二〇〇二年) 。 1注   「女君」が「ひめ君」とある本もある (別本(御物本) )。 1注   拙 稿「 『紫 の 上』と い う 呼 称 ― 『対 の 上』か ら『紫 の 上』へ」 (『東 京 女 子 大 学 紀要論集』六六 ― 二、二〇一六年三月) 。 18   前掲注 注森論文「源氏物語の人物造型と人物呼称の連関」に同じ。 【付 記】 本 稿 は、日 本 文 学 協 会 第 三 五 回 研 究 発 表 大 会(二 〇 一 五 年 七 月 五 日   於 ・ 奈 良 女 子 大 学)に お け る 口 頭 発 表 の 一 部 を も と に 作 成 し た も の で す。発 表 の 席 上 及 び 発 表 後 に、御 意 見、御 教 示 を 賜 り ま し た 先 生 方 に、心 よ り 御 礼 申 し 上 げ ます。 (うがい   さちえ    元本学日本語日本文学 科)

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女子の STEM 教育参加に否定的に影響し、女子は、継続して STEM

カバー惹句

編﹁新しき命﹂の最後の一節である︒この作品は弥生子が次男︵茂吉

ɉɲʍᆖࠍͪʃʊʉʩɾʝʔशɊ ৈ᜸ᇗʍɲʇɊ ͥʍ࠽ʍސʩɶʊՓʨɹɊ ӑᙀ ࡢɊ Ꭱ๑ʍၑʱ࢈ɮɶʅɣʞɷɥɺɴɺɾʝʔɋɼʫʊʃɰʅʡͳʍᠧʩʍʞݼ ɪʫʈɊ ɲʍᆖࠍʍɩʧɸɰʡʅɩʎɸʪৈࡄᡞ৔ʏʗɡʩɫɾɮʠʄʨɶɬ