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第五回日蓮宗敎学研究大会紀要

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第五回日蓮宗教学研究大会紀要

(2)

蕊鍵灘鍵縛瀞蕊鶴欝孝箪譲溌蕊議蕊熟考

熱学織蕊織灘騨撚蕊鍵聯勝脅無難燃灘﹄︾

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罰 難 画露宰也鵬壷幽学識傘齢鍵 ;".・ 鍵 翠 (木版については一三六頁参照〕 日蓮聖人註法華経巻首雀末 罐、 之尋 さ諺 秘渦癖“

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(3)

二︶大会記事

一へ日時誇朋聿蓉率申一塞一鴎前八時より

一、会場身延山短期大学講堂

一、役員

総裁身延山法主深見日円

副総裁日蓮宗総監増田宣輪

同立正大学為長事務取扱望月桓匡

会長身延山短期大学々頭松木本興

副会長日蓮宗激学部長中西本秀

顧問宗学研究所長望月職厚

同身延山短期大学教授塩田義遜

との大会は開宗七百年紀念の慶讃法要の樟尾をかざる催しと して、宗丙多大の期待をうけて、交通や天候について案じたが 思の外の盛会であった。 十月廿四日︹金︶やL曇、 開会式、午前八時、本院旧書院に於いて、江利山前司監の挨 拶宗門の現欣について、挙って聖意に基づく自覚を要望し、松 木学頭は今年は反省餓悔精進の秋、教学研究は最も意義あると

第五回日蓮宗教学研究大会紀要

Q 九時、本学の大教室で発表大会 研究発表論題及氏名 身延山御書系年考 諸法実相論 日蓮法華宗の現代的旗職 我等の信條について 本宗信徒集団の現状 檀徒及び信徒の行爲綴式 教観双用法花溌安心 日蓮教学の現代釈 侭言宗における判教綱格私見 日蓮聖人書入本﹃註法華経﹄の版軽 と述ぺられた。 とさらに論題は今回の措溌に鑑みて、鯛後は早めに提出したい 瀧電披露 一、京都、太田義英師 セイカイヲシユクス ニ、高松、渡辺日宣師 ハルカニセイカイヲシクス

鈴木一成︹立正︶

田村芳朗︵東京︶

浦上芳武︵東京︺

望月歓厚︵立正︺

佐藤智雄へ立正︺

沼義昭︵立正︶

綱脇龍妙︵神奈川︶

浜田本悠︵立正︶

脇本日賦︵山梨︺

兜木正亭︵東京︶

(4)

午後六時より本院新書院広間に粗餐を供し、同時に教学座談会 を催す。浜田本悠氏司会し、左記要項について活溌な討論をき 〃匙。 ﹁座談会論題﹂

1、﹁本宗の信条﹂草案の討議

祈礒について身延詞中山の関係影山堯雄︵立正︶

法花経成立史上における見宝塔品の重要性

木村日組︵立正︶

御消息に顯れたる二、三の統計的研究

齊藤龍蓮︵栃木︶

無作三身の根本批判と本仏の根本開顯

河合砂明︹明治︶

プトン﹁善逝史﹂に引用せられし法花経について

矢崎正見︹東京︶

日隆上人の教学について森川博防︵大阪︺

宗学観における個的立場と種的立場

茂田井教亭︵立正︶

本門戒壇の性格長井辨順︵大阪︶

龍華像師の布教に関する一考察高木豊︵立正︶

罪障消滅について河村孝照︵静岡︶

妙法花経に見られる文体上の特色野村耀昌︹立正︸ 4 一、私達は遥日蓮聖人に依て体験せられた法華経を、人生 一切の基本といたします。 二、久遠の釈迦牟尼佛は唯一常住の御佛です。私達はとの 御佛に絶対の信仰を捧げます。 三、南無妙法蓮華経は衆生救済の要法です。私達はとの要 法を堅く心身にたもちます。 四、鍵性開顯、佛土建設抵日蓮聖人の理想です。私達は誓 てこの理想の実現に精進いたします。 五、私達は、常に佛子たるの自覚をもち、法悦と感謝のう ちに生活いたします。 2、本尊勧請式について 本黛勧請式については、時間の都合上、後日を期して割愛され たが、大体﹁本宗の信條﹂草案の字句を宗学的と通俗的との両 立場からの安当さにつ・いて微妙な点が教へられた。八時散会 第二日戸廿五日︶は午前八時より正午まで、研究発表。

教義と教学芹沢寛哉︹立正︶

経女無覗の首題本尊天魔亡国論竹田日澗︵禧井︶

現代における日蓮主義の進路.高木大幹︵東京︺

大般渥薬経の佛性論勝呂昌一︵東京︶

宗祀の佛身観について安永辨哲︵迂正︶

日蓮教学の布教動態結城瑞光︹靜岡︶

以上研究発表了って、塩田義遜氏の挨拶あり。

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龍樹は中諭の中で、察観と法観とを統合して、有無生滅の分 別 を 超 え る 眞 実 相 と し て の 諸 法 実 相 ︿ 貫 き 画 の 胃 一 望 $ 言 幽 ︶ 、 法 性︵国富目員鋤の体系を立て塁いる。しかし彼の実相論は原則 を示しただけに止6、未だ猿極的に現実展開がなされるに至ら ず、その限り矢張りなお室的否定的な段階に止るものであった と一云える。空観による諸法実相の体系が如何にして現実に生成 展開手,るかはその後に残された問題で、以後の大乘仏教はすべ てとの問題に何程か関係しているのであって、所謂実相と稼起 の相即に苦心を挑つたのである。ととろがとの問題についての 表察が進むにつれて、今一つの問題に遡遇せねぽならなかった それは眞実と現実の相即を論ずるあまり、軍なる同一性的な現 実肯定に階ろ危険性を孕むに至ったととである。一体筌観は、 現実を常住であり有なるものであるとする執見を破して、無常 であり室なるものであると見ることから出発するのであるが、 その無常であり室であると・いうことに叉執着して虚無室見に贈 る者の生じたととから、更にどの空をも否定して﹁室亦復筌﹂ ︵二︶研究発表

諸法實相論1日蓮聖人篁相観

田村芳朗

という否定の否定を説くに至った。﹂﹂の空亦復筌としての全き 否定は”しかし実は裏返せば全き肯定となるもので、所謂眞室 妙有と云われたり、華厳の一即一切、一切即一の事事無藤、眞 言の即事而眞、天台の円融実相論等全てとの傾向の現れで、現 実への生成展開、現実への関係づけが考察されていくにつれて その傾向が狼くなってくるのである。それが有と無との二元対 立を否定して筌亦復空として不一二如の円融相即を説く点は、 思想としては最高の慨値を有するものであるが、一方否定の否 定としての全き肯定を押し進めるあまり、空本來の否定性が見 失われ、更にはとの肯定的一元鋤をその茨奇相対的現実に適用 し、事実としての現実は依然として無常であり罪悪に満ちたも のであるに拘らず、善悪不二、邪正一如をふりまわして悪迷す るという結果を生ずるにも至ったのである。 R蓮聖人当時の天台はまさに右の如き頤向を有したので、﹁ ノニヂニラルカラフ 善悪盃一邪正一如故狸善悪不し可レ云也﹂︹早勝問答︺との言葉 によっても想像しうる。密教に於ては、﹁彼の眞言等の流れ偏 に現在を以て旨とす。所謂畜類を本尊として男女の愛法を祈り 莊園の望をいのる﹂︵星名五郎太郎殿御返事︶と評されている 如く、との傾向は顯著であった。聖人はそれらに対して、﹁天 〃ハヲメンヴメヲンメ 台出世悪息爲歎叉悪増爲歎﹂︹早勝問答︶、叉﹁若︽是證以て 勝れたりといはぱ彼月氏の外道等にはすぎじ﹂︹星名五郎太郎

テラテ夕

殿御返事︶、或は﹁只立二不二不し知二而三謂己均仏の大慢を成

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叙織、

ぜり﹂︵聖愚問答抄︶等と狸く批判し、それらが不一二如の理 に停滞し、しかもそれをその蓑典現実に適用して堕落したとと 猛戒めている。そして聖人自身はそのような悪肯定、悪無差別 の実相観を否定して、﹁底下の愚人﹂たる自覚を媒介として、 仏凡対立の現実の事実を事実として認めながら、しかもそれ茜 統攝する能統一酌実相観を立てたのである。とれが即ち﹁久遠 実成の妙覚極果の仏の境界﹂︹立正観抄︶としての実相である。 それは﹁底下の凡夫理性所具﹂e一大趣法抄︶の実相でなくしそ ﹁犬覚世尊久遠実成の当初証得︵同抄︶の実相、即ち久遠本仏 によって実証せられ、久遠釈箪の因行果徳の備わる久遠本仏果 上の実相である。﹁其諸法実相と云ふも釈迦多宝の二仏と習う なり﹂︵四條金害殿御返事︶と説かれているのもとのととを指し ている。そしてわれノ、にとっては、それは﹃旅直捨方便但読 無上道と信ずるを諦法実相の開会の法門とは申す也﹂︵凹條金 吾殿御返事︺と設かれている如く,信仰の諸法実相である。と の本仏果上の諸法実相に於て眞に円融不二の世界が具現されて いるとみられるのであり、われノ\は信仰によってとそとの本 仏果海の実相の世界に融入するととが出來るとされるのである 次に日蓮聖人の実相観に於て注目す厚へきととは、それが﹁力 用﹂の実相観であるととである。先にみた如く聖人の実相観は 久遠仏によって実証せられ、因果の功徳を含ませられ、久遠仏 によって統擶せられたところの具体的普遍なる実相として、能 動的な救済の実相観であった。それが仏界綴起とも称せられる 所以である。したが三﹄七れは単に靜止的加不一二元観に止ろ ものでなく、又その一元観をそのまL現実にあてはめるのでも ない。これらはた度観念の上で立てられた抽象的な一元観でし かな堵日蓮聖人の場合は、﹁不可見無対色を、可見有対色の かたちとあらはしぬれば、顯・形の二色となれるなり、減せる 梵菅声、かへつて形をあらはして文字と成って衆生を利益する なり﹂ロー像開眼抄︶と述べられてどっ如く、﹁色心不二なる が故に而二とあらはれて﹂︵同抄︶現実に具成し・猿極的な救 済力用の動力の場を瀧成するところの実相である。それば、﹁ ことして﹁在る﹂実相から。一﹂として﹁成る︺実相である 云いかえるなら、それは不一二如の実相を観念するのではなく 現実に行ずろのである。即ち歴史世界に具現し実証し、歴史世 界を改革しゆく実相である。﹁教主釈尊をうごかし奉れぽゆろ がい草木やあるべき、さわがぬ水やあるべき﹂︵円眼女造立釈 迦抄︶とて釈尊を極めて動的なものとして見、叉﹁成仏は持つ にあり﹂︵四條金吾殿御返事︶と云われ、法華経の信者は常に ﹁法華経の行者﹂であると躯調される所以もと上にある。﹁諸 法実相抄﹂の、﹁凡夫は体の三身にして木仏ぞかし。仏は用の 三身にして通仏也。然匁ぽ釈迦仏は我等衆生のためには●主師親 の三徳を備へ給ふと恩ひしに、さにては候はず、返て仏に三徳 を蒙らせたて堂つ亮は凡夫なり﹂という逆説的な表現も右の如 き力用の実相論としてみる時に始めて理解しうるところのもの である。即ち﹂﹂れ膣、仏の仏たる所以は衆生救済のために、い

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十餘年前の法華会席上、今は亡き姉崎博士の﹁今の円蓮宗は 鮮出なる旗幟を掲ぐる要あり﹂との言に共感して以来、との問 題に関する私の思案は絶えず胸中に去来し、今以て簡明にして 完全な成案を得たわけではないが、混沌たる世界情勢と世相の 下、人心の不安迷信の横行を目前にしては何時迄も騰艤逵巡す る能はざるを痛感し、宗門有爲の土と共に我等は、今の世に如 何なるスローガンを以て教陣を布くべきかを提案すると共に、 此処に私案を述べんとするものである。 巽産難のスローガンは多くの青年暦に対する迫力に於て定評 能動的な力用救済の論理であることを知りうるのである。 かれているものは、佛と衆生との間の力動崎な相瓦媒介であり いかえれば衆生によって佛が呼び出されるのである。と︲に説 入すべき衆生あるが故に慈悲救済の佛が引き出されるので、云 ざす所は体の佛であり本佛となることであり、そして本体に歸 ろに存ずるととを説示したものである。それに対して衆生の目 わぼ凡夫にひかれて現れ出でて用の仏となり現象佛となるとと

日蓮法華宗の現代的旗幟

浦上芳武

あり、総選挙に臨む各政窯も亦国民の生活感情に呼應するスロ ーガンを競い鍋ぐる如く、日蓮法華宗も鮮明なる旗幟を掲げる ととは焦眉の急である。日蓮聖人及びその以後の教団にはそれ があった。一々文会皆釈尊金口の説法と信ぜられた当時に於て は四十除年末顯興実とか、諸宗は無得遁堕地獄の根元、法華経 独り成佛の法等の標語は有力なろスローガンであったと思はれ るが、今日の民衆にとっては馬耳の念仏でしかない。しかも説 き方によっては今日間相当の迫力を持つものに現世安識後生善 処資生産業皆順正法等あり、或は病即消滅不老不死等も正当に 心的に正解すれば必ずしも空言と言えない。教は現代の時、機 乃至今日の世界状勢下の日本国を対象とし、教法流布の前後国 民思潮の動向等所謂五綱の教到を鑑みて説くべきものであるが とれは単なる読書士や机上の学者の爲し得る所ではない。衣食 に窮せるかと恩えぽパチンコに怠屈をまぎらす金はあっても、 鶏講無料の教にも耳を籍さず、他愛もなき迷信に易々諾々と金 銭を投ずる複雑怪奇なる民衆は、活眼を開く法師と錐も容易に 救済し難いであらう。しかも看過し得ざる大問題は仏滅後正像 末三時に関し大集経を中心とする諸経と法華羅との正反対な豫 言を如何に会通し得るかである。即ち通頭佛教は正法千年像法 千年を経て衰退し第五の五百歳たる闘靜堅固の時代たる近代に 及んで白法鱈没すと誘く大集経の讓言と、第五の五育浅に於て 却って﹃広宣流布して閻淨提即ち世界に於て断絶するとど無け ん﹂と識言する法華窪との明かなる矛質である。しかも大集溌の

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溌言はそれ自らの経典の滅後流通を藻言してゐるのでなく全教 法を識言してゐるのであり、諸除の経概してこの経読に一致し てゐるのみでなく佛滅後の歴史上の事実もとの謹言に一致して ゐるのであるから、法華経一部の溌言は無覗され佛徒は諸経の 多きに就き易きは当然である。 大体﹁末法﹂なる語の意味する所は﹁教﹂そのものが後世に 至るに從い装退し無力化するの謂であって、一般文化や人智の 衰退を意味するのではなく、寧ろ逆に教とは無関係に人智は発 達するが只宗教的に無智であり邪智であり、その弊害に堪えず して就会的国家的組織の力即ち民衆自らの共同的団体的乃至法 制の力によって向上するものであるが、﹄﹂れを佛教的に解すれ ぽ衆生丙在の太佛の力、丙具佛性の自然的発露に因るものであ る。然るに教法とは本來釈迦佛がその当時の民衆に対し、その 当時の言語文字や時代鮒感覚を帯びての随他意のものであるか ら時移り惟隔方ろに随い衰退するのが寧ろ当然である。だが衆 生の迷儲に鮒順した教は祇電折伏共随他意方便の教であり、と |れは時代の推移世の潅蓮と共に衰退するのが当然であるが、佛 意に随順した教即ち随自意の実激はとの逆であっても不思議は ない。即ち佛は後代の擬哲よりも高き先覚者と言うに止まらず 時代を超越した覚者であるから、その超時代的麓自意本懐の所 説は後世各時代の賢哲学者の支持指導により且つ民衆各自の向 上自覚も加わるに麓い、後世益々随自意の教は受け入れ易くな 、 に法華経が別頭佛教たる所以がある。 るに反し随他意の方便叉陣受け入れ難くなるのが当然で、此処 とれ随他意窪が蟻没する時、法華経が後五百歳広宣流布する 所以と私は信ずるのであるが、只古典特有の表現乃至教相の時 代的意義は各時代の民族意縦に應じて取捨と活用が行われ有效 適切に新鮮に表明されなければならぬと信ずる者である。 佛、随他意の立場に立って衆生界を観れば、恰も火宅の如き三 界に於て嬉戯に耽る童の如く、目前に迫る諸苦の火をも宛ら知 らざるが如くなるが故隆一扉漁如火宅衆苦充満と、人身の垢駿 国土の不淨等の厭世観を説いて警醒せしめたのが小乘教淨土教 の苦観不淨観であり、四諦に於ける苦集二諦、無明稼起の十二 因稼であるが、これは衆生をして鍋離を促さんが爲の方便であ るから、とれは佛教ではあるが佛這とは言えない。仏の本意は 滅這二諦に入らしめるのだから、﹄﹂れこそ佛這であり随自意の 実教である。然るに淨土教は滅諦に至るが爲め八聖這の修行を 自力難行道となし死後淨土住生後の修行として現生は只他力の 念佛によりて現俄鐵土を厭離し只管死後十万億土の彼方なる淨 土を欣求せ主と教え、キリスト教亦天国を欣求せよと教えるも のであり、共に現実批界の外に理想世界ありとする二深相対観 に立脚する激なるに於て一であるが、どれ実に無量義経が.一 法あるとと無しと観察すべし﹂との教訓に背くものである。 然るに法華経は苦集の現実を離れずして苦集削減道、此土即

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寂光、太佛体内の衆生に外ならずと一藩の円融即一を明し、一 方偏在の佛身佛土を求めず、十方一切勝任の本佛と現実の此土 本有の寂光淨土を欣求する激である。 誠に法華経﹄﹂そ三界の火宅を離れて寂然として安処し得る我 此士安穏天人総充満常樂我淨の明縁起の実相を開顯した溌であ り、末法と難も上行等の本化の佛地辺の大菩薩相次で出現し、 日月光明の能く諾の幽冥を除くが如く斯人世間に行じて能く衆 生の闇を減ずるのであるから、淨土激の如く末法だからとて如 來の遣弟悲泣するを要しない。﹁明かなること日月に過ぎんや 淨きとと蓮華に過ぎんや、偏蓮と名のること自解佛乘と謂いつ くし﹂の聖語の如く佛乘は明淨なのである。現実の仮相がたと い暗黒不淨であっても、それを心の対象として厭離軽礎するこ となく、自他共に本有実相の魚貴明淨を信じて互いに溌敬乱奔 尊重識鍬する所やがて現実の淨化がある。﹃佃の中若し除想︵ 地獄餓鬼等の悪想︶の雑え超らぽ、則ち其の想を顧みず、直ち に当念に於て南無妙渋葬塞耀と称し、只身心溶淨にして、凡卑 に瞳せざらしめん乃至大朗融妙の三千自在に顯現し自然に成就 する明ろ費佛教とそ但令照実の口蓮洪華宗である。以上を施織 として寺院教会の掲示板に鍋示し布教の演題として詳誘すべき ではないかと信ずる者である。 ︵宗教を信ずるなら過去の時代の宗教よりも︶現代將來の教典 たる法華経を 『 ︵宗教を信ずるなら方便の厭世教や新興の怪宗教より︺世界第 一の大聖釈尊の最後眞実の明るい激 Q方偏在の淨土や天国よりも︶十方一切常住の統一的木仏と 淨土を信じましょう ︵他方枇界を欣求する暗い宗教よりも︶人間乃至万有の実相を 乱讃する明るい宗教を ︹方便の易行宗よりも︶眞実聖這の易行宗を ︵身病めば心も病む心病捺ゆれば身病も頓治︶身病は最新の医 学、心病は純一無雑の佛教で ︹人生献会諸問題の偏見を去りて︶一切論義の対立を円融歸一 せしめる宗教を ︵弱く暗き方便教よりも︺翌く明るい眞実の佛教を ︵女人の禁制不成佛の方便教よりも︶男女季等の人格完成の教 を ︵部分的一面の眞理の教よりも︺釜面的綜合統一の最勝王耀を × 又 × × × ×

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日蓮宗の説教は多くが、宗祗の御伝記を有難く誘く、とれは 誠に結篭で、そうあるべきで、宗祀が生きた法華経なんだ・から 今後も一層力を入れ、益為磨きをかけて欲しい。が然し法義の 段になる.と﹁勧持品的折伏時代のまLが多く、現代としては兎 角徹底を欠き、殊に一番大切な安心の段になると読者自らが確 たる安心を握っているのか、甚だ疑はしいのが多く、奮癖が好 いから説教家になっていると云ふ観があり、信徒も叉一向安心 に重きを置いていぬように見える。 宗門人が、確たる法華経の腫実の安心を持たぬ所から、多く が迷信に焔り、兎角嬬慢心が弧く銭に不軽品の﹁増上慢比丘 比丘尼、優婆塞、優婆夷﹂となり、﹁増上慢比丘、有大勢力﹂ となって、鐡盈混乱を來すのである。素を時代を指導し得る、 眞実の確たる物を握っていぬのであって、警へぼ方角を知らぬ 者が、団体旅行の統卒をして、愈冬道に迷い、閥まってどっよ うなものである。 宗教ば世の磯関車である。祗会、国家、人類の客車を引いて 安全地に走るのが役目である。磯関車が役に立たぬ所から、あ

教槻双用法華經安心深敬讃講話

網脇

妙 られもない方向に走って、途に機関車自らも、客車も、千樋の 熱底に陥って、三千年の歴史を台無しにし、万劫悔いて及ばぬ 紅涙十丈の哀しみを見るに到るのである。それでも術責任を覚 らず、恥を知らぬとあっては、最旱や言語同断である。 私は曾て、十数年前かと恩ふが、野上彌生の書いた短編小設 を汽車の中で読んで、欧羅巴と亜細亜の堺か、壷は希脳の山上 かに、職争好きの魔肺の何とか堵最後に捕はれて、鉄索でぐ るぐる種きにされて、永遠に鉄の大きな杭に縛られている像が あることを知って、日本が斯くなる時が來るのではないかと、 寂しい感を懐いたととがあった。シベリヤ出兵、満洲事変から 今度の戦争等に対しても、宗教家にも責任はある。矢張り機関 車が役に立たなかったからだと思う。 私は十八歳から五十六歳まで三十九年間の長い間、猛烈な持 病の喘息に悩んだ結果、昭和七年に正月から小一年間、佛天に 祈請して、その年の十二月三日に謹感を得て、蒲団を着たま冬 の、極めて簡顛な運動を案出し、それで完全に喘息を征服し、 他にも勧めて、喘息のみならず種為の病に用いて、折令奇蹟的 の効果を現はした所から、深敬運動と名づけて、祗会に普及し たいと恩ふていた際に、大阪天王寺附近椎寺に住んでいた岡左 馬太氏に頼まれて、此の運動に併せて唱ふる歌を作ったのであ ります。弦に揚げる深敬讃がそれであります。とれは気が向い て、ふと郎坐に作ったので、叉運動に併せるためでありますか

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必 ら、ざっとしたものでありますが、私の法華経信仰の安心を、 卒直に現ほしているのであり童す。三十分間位での説明で、犬 1体納得出來るようにしたのであり蓑す。然し詳しく説く段にな ると、何十坐の競教にでもなるのであり愛す。

深敬讃

からだ 己が体は多宝塔 た顎ひしんきょう 親子互に深敬し 夫婦互に拝むくし 己が体は多宝塔の一句で、諸法実相、一念三千の佛智即ち釈尊 の悟道を得心させるのであります。雲中の塚原三昧堂で、阿佛 坊上人が即座に改宗したのが、実に﹁宝塔乍ら阿佛房﹂の法門 で、方便仮設の十万億土の阿蝿陀佛よりも、宇宙の宝を楽めて 田來ている阿佛房あなたの体の中にとそ、日蓮は如來様が拝め ますよと謂はれて、ハツと麓いて覚り、即座に数珠を切ったと 想像されるのであり蓑す。 迩門の三周説法に依り、舎利弗を筆頭に、佛弟子が悉く成佛 の記別を受けた時に、一同が我が身の大宝塔、即ち我が毘楼遮 那眞実身、宇宙遍満の本体を拝んだのである。法華拡門の観心 の大法門、佛教哲学の極致が実に﹁己が体は多宝塔﹂の一句に 髄っているのである。此れを教え此れを覚らせれば、釦ち親子 夫婦互に自然に拝み合い、其所には眞実美しい道義が現はれ、 嬬慢の態度が、自づと影を潜めるのであり茨す。 一 一 ひと 他の体は神の宮 師弟互に深敬じ 隣人互に拝むくし 私は一を書いた時にふと側にあった其の日の山梨日日新聞に 眼を落した途端に、その三面記事屑此の縣下東山梨郡某村で 補習夜学の生徒が、大勢で不意に電燈を消して、模範校長と云 ほれる先生を、袋叩きにしたととが載っているので、﹄﹂れはと 思って、即坐に神道や基督教と屯邇ずろように、﹁他の体は神 の宮﹂と醤いたのであります。師は先生、弟は生徒であり蓑す 隣人は兎角仲が悪い例が多いから特に深敬精神で、お互に天国 に居る思いを起させるのであり蓑す。 一 一 一 い か 。 り 順悪は地獄の焔にて ちしほ 血汐は沸すのみならず いのちちぢ 毒を縮むる毒を鯛ず 十界互具の法門を、地獄の一つで覚らせるのであり室ず。﹁ 一念地獄の心を起す時は、即ち法界皆獄なり﹄で、我が色心が 宇宙遍満のものであり、肉体は我が心の現はれであるから、心 が地獄の火を燃やす膝、肉体が焼け焦げるだけでなく、その人 にとっては、実に宇宙全体が火となって燃ゆろ、これが地獄で

(12)

ある。憤怒す趣ぱ、髄から毒が出て、壽命を縮める。これは立 腹し易い人間が、大概短命であることが何よりの証拠である。 私は昭和十年十一月曙阪大医大識堂での第八回日本癩学会 大会堤映画應用で、との深敬運動を発表して、自ら誘明それ も法衣姿でしたのであり蓑すが詞その時会の希望でいとの歌も といふことで野しましたが、お医者さん達が、怒れば毒を出す ととば、医学上からも、慥に間違いは無いと賛成しました。 四 雄さけめ瞳え 慈愛は佛の萠芽にて 家庭の円満のみならず いのち 命を長むる蕊なり 此れは前の地獄の反対で、説明するまでも無いと思います。 仁者は命長しとは儒教でも教えている。悟れぽ藥師如來は自己 の中たおはし垂し、その蕊唾は自己の骨の髄の中に在ると恩へ ぼ善しいのであり詮す。不愉快で長く居れば、自然病気になる 反対に、絶えず有難い有難いの心で居れぽ、持っている病気も 自然に鎌ろととも眞理でなければならぬ。信仰で病気を治すろ ととを、踵ち迷信とすることは間蓮であろう。〃 過去の譲悪消滅し あ・こふ 不軽菩薩の芳燭践みて 経歴多年の行積まぱ 五 ● 溺淨自在の身となりて 壽命を増益したる上 即身成佛致すべし 此れは、不軽品の﹁不軽菩薩、能忍受之、其罪畢己、臨命維 時、得聞此経、六根清淨、神通力故、増益壽命﹂の女をゞ宗祀 の﹁日蓮は不軽の芳踊を継げるものなり﹂のお言蕊に併せたの であります。法華経の現代に威力を発揮するのは実に此の段に あるのでありまして、此れは口先の説教では駄目で、不軽色読 が、日蓮聖人の現代に於ける本筋で、此れを実行している宗団 は栄へ、然らざる宗団は衰滅することは必然と恩はれる。新興 教団の盛大になるのも一概には云へいが、中にはたしかに善く 篭っていると恩へるのもあります。 総りに、此の深敬讃の含んでいるものは、現代の最も重大な る問題に、も、関蓮すると恩はれるのでありま堂﹂、此れに依っ て世界の虞の平和を築き、人類を恐るべき戦鯛から救はねばな らぬと思ふのであります。 ︹昭和二十七年十月二十三日認︺ × × × × × × ×

(13)

御勧奨に接して不肯脇本日祇は過去五十年已前に高野山にて 蕊講せし学究が何如檬の点まで保有し居るや試験的に右標髭の 下に当学院学生諸氏の研究の一助になれば幸甚と存胆て推参し ました。して唯今見渡す皆様方は己達の御方盈にては億面の次 第ですが併し拙老も陣や八十二畿を越へし老衲でありますが、 併し記憶の保有を点械批判くだされば幸甚鈴も誤膠の点は御 笑に付しください。 さて判教とは宗旨肴玲の祀師方の主義意見の発表せらち主義 主張が即ち判教にて其宗旨が成立する訳です。弘法大師は竪繊 二様の分類を以て判激の綱格とす。 堅の方は十住心の解義、横捻頴密の判なり、して弘法大師は ぼうやく 十住心論︵十巻︶時の朝廷に奏上せろもの後に劉藏宝舗︵三巻︶ に撰述せらる。横は癖頴螢一教諭ロー糧︺に於てです先づ宝蛎 に標目略釈を示せり。即ち

メラヲ

第一異生抵羊心凡決遊舞不レ悟菩非一

但念一姪食一如一溌抵羊一

眞言宗に於ける判教の綱格私見

I

脇本日

ノー

第二愚童持齊心由一柳因縁一 〆

施心萠動

第三嬰童無畏心外道生天

シノ卜

如一溌嬰児

シチヲ

第四唯葱無我心唯解二法有一

羊車三藏

夕二

第五抜業因穂心修二身十三 ニテ

業生已除

二案夕

第六他灘大乘心無識逸捲

幻影観し心

二メヲ

第七覚心不生心八不絶し戯 ニメ

心原空寂

ニ メ

第八聖雪道心一参姉本淨

ヲ 知二此心性一 ︿シ 第九極無自性心水無二自性一 一 一 法界非し極 ︽巴 第十秘密莊嚴心顯藥挑レ塵 二ヘデ

税宝忽陣

忽撰餅享タ

シノブカ二 如一殿逼﹃し蓋 ク ラ 暫得一蘇息一 トノカニ 積子随ワ母・ 乳 我圦醤遮一一 悉攝一庇句一 クヲ 無明抜レ種

二ヲ

無言得し果 テル

大悲初発

尭ヲ 唯識遮レ境 ニズレペ 一念翻し室 ナリ

無相安樂

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境智倶融

メフー

号日一遮那一 テ幸・ヂタツ 遇し風即波

蔑警タ忽湾

︿クラ 眞言開し庫 ス

万徳即証

(14)

︵列名、大円経住心品第一の丈に拠て立つろなり︺ 右を平易に消釈すれば第一の住心は凡夫の一向に悪を行読ろ心 品にて抵羊ひつじ愚なるが如しとなり第一底孔老の三綱五常の 教とか前の心品に鞘蕊勝江た心組になり時に仏教の教え等に依 て節食持齋などして少分の施心生ずるを始として稽盈善心の萠 する部分なり 笙一辰幼稚なる心品にて例せぼ外道等の持戒に依て生天ずる を或は郷6聞きては彼の嬰兒なり小牛の母に随伴して暫く安心 の気分を生ずる故に無畏心の住心なり。 第四住心は、声聞乗の始めて三界を厭ひ出世の行を修し四諦 の法を行じ浬薬に入るもの。 第五は縁覚乘なり、十二因縁を観哩て無明の種子を抜けぽ、 抜業因種心と云ふ。第四、第五輝共に小乘教の分にて三賢位に 配当するならん。 第六は法相宗に当る、此の心品にては唯心の道理を心外無別 法と知り一切衆生に於て同行の大悲を生じて衆生を化す。 第七は一切諸法に本不生の解をなし可心境倶塞能所繊の心も 空寂とす三論宗の八不所談の分齋なり。 第八は如実一道心天台に当り、法相宗にては心の有を知り、 三論は心室を覚り、天台は心の中道を観ず。故腫大辺に浅深あ るなり、有空盃一なりと知る故涯中遁の体として造作を雛ろ故 一道なり。 第九極無自性心、此句は華厳宗に当る、前の一道は境智倶融 する処を至極とせるを因分可誘、更に果分不可説の位と立つる 所謂ろ十仏十境界を宗体とする故に極無自性心とて天台より一 歩越へたるを極無自性と云って華嚴を上位に置く。 第十種密莊嚴心眞言自乗の所談として、万穗部証の境智とし て税密受茶羅とするなり即毘臓遮那仏乘の境智莊嚴とす。 已上、前九住心を顯乘とし、第十独り税密莊嚴の仏界とす。 大抵は大日経住心品中の女言に基くなり但し経女上は一句。第 八九は合諭にて弘法大師げ極の字を以て華厳と判じ自乘所談に 合致するの便を計かれるならん。 そとで一寸績這に入るが、天台宗の五大院の安然は弘法の此 そり の住心を反橘住心と批評せりγ即ち第八住心は橘の中央の高き 処 と し 、 第 九 住 心 の 華 嚴 は 下 り 坂 の 処 な り と 許 せ . り 。 次に横の判激を云は瞳、顯と密との二激なり。弘法大師が幕 ノ二

顯堂教謹毯六自性督受用欝仏自受注驚與二鳥属︸

各鈴説二三密門一謂乏密塗︵此の中の自性仏とほ曼茶羅の中鎚 の奪即ち大日経の教主なり︶他受用報鵬化身応随機之読謂二之 ト 顯教一叉大且一身釈迦三身各玲別仏と云ひて釈迦所誰を顯教と し、大日所説を密教と到す。 即ち大日三身の中自性法身が説法主にて執金剛を対告として 説法するなり。R尤も古義新義に異説あり︺略之﹂・ 叉眞言宗には、三身に就て織竪の三身四身を多穐多厳匿云篤 せり。且く図示すれば左に但し誘朋は略す

(15)

釦 兎に角税密教は南天〃鉄塔中に秘蔵せろを、龍樹︵新訳には龍 猛︶大士が開塔して金剛頂溌大日経等を諦持して世々流伝せり と云ふ。是を密激とす。 此の外の教、釈迦の誘法の分を顯教と云ふ。 随って龍猛所捲の発菩提心論の中に、惟眞言法中即身成仏於 ⑤ 諸法教中關而不審と言て、顯激とし、浅略の分齋と決断す。叉方 等部中の六波羅密涯に、五味五識分別せる中に於て、醍醐味藏 を密部健誘收すれども、斯等の意味は釈迦所読の密存ありとし て維部の密教と云ふ。顯密の分限大途斯の如し。併し、菩提心 論中に三醗地段に阿字の五黙云云法花経中の開示悟入の義門に 相似せる義意あれば、大日溌疏︵二十糧本︶眞言宗専用書︵天 台は十四雀菱天専用︶中妙法迩華経の最深秘処、眞言阿字意義 と所含有無勝劣対辮の意向を存せり。箇襟の点に於て研究を要

I自性

I横三身倶是本

I自受用 地一一シテ能現 亦云二能加持一I他受用 − 1 他 受 用 I他受用身 l竪二一身噸吟伽倦レーl変化身

所現ナリ

亦︿所加持卜云うI等流身

身 l ︲ 新義頼職之を教主とす 身 古義は大日軽主とす 身 。

■日■■0J■■Ⅱ■■・■Ⅱ001■■04!■日Ⅱ日日■■■IⅡⅡ■8Ⅱ■ a F

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I!

北l成所作智

西I妙観察智

中11法界体性智

東l大円鏡智

南I平等性智

すろもの多きととならん。 さて仏身論、二仏並読、是れ国家に二王の存立に齊しからん か、蛾に宗祀の亡国と破斤せる所以です。世俗の遊戯具の將 棋駒でさえ一方は王將一方は韮將とせり、叉法華経には第一 の女を仏自ら主唱するにも拘はらず真言第一華厳第二法華第 三とするならば、是れ一を三と読みし事にて弘法は智者なる が故に一を三と読む。日蓮は愚者なれば一を一と読むとや痛 罵せられしも道理ならん歎・二激論に顯人争盗醍醐云云。依 て又戯言とそ其資あるを免れざるくし。叉安然和尚の十住心 を反橘住心と噸弄し又ポタポージは一宇の転声なりと云って 即身義の梵字に批点を加へたり。 そこで迂生は私見として、学生諸氏が悉曇梵字研究をお願 したい。併し当節印度ぽパIリー語文字となりて古代の梵語 三十三菩薩

(16)

ダ 文字は印度自国にも消滅せりとか遺憾の至りです。貝葉二枚 を某氏より貰ひ受けて所持して居りますが、悉袋学者にも其 が読め室せん。現今パーリー語の経文の断片なり。是を患ふ につけても安然和筒の弘法大師の所用せし梵字に付てポタポ ージは一字転声と論定ず杯は縮学の人と敬意を表します。 菩提心論の三厩地の章句中に於ける義意の阿字玉転の解釈を. 法華経の開示悟入と合義し総結する緯具足成就の詞を以て底恵 は真言が善巧智円満なりと云ふが如き睦其の間の研究を要す る点なるべし。換言せぽ大日経疏の妙法蓮華経の最深秘処女と 本年︵昭和二十七年︺七月十三日附で、玉沢妙法華寺藏の日 蓮聖人書入木法華版経が重要文化財に指定されました。これ堂 で、多くの先師方がとの註法華経の版経はどういふ系統の版か といを﹂とを究明しようと、熱心に研究してとられたようであ りますが、何版であるかは遺憾ながら、まだ測定されてはゐ葦 せん。重要文化財指定のときの解説書に塔本議版は叡山版で

日蓮聖人書入本﹁註法華經﹂の

版經について

兜木正

→今 ・雫 I

I

駄辮大いに清總を汚がしました。是にて笑却を煮。 なければ。当学院の篤志の御方に研究を切望し主す。已上愚見 妄狂惑的涯近き事もあるべし。野袖憾餘命短縮來生を待つの外 儒用.無理ならぬでしょう。されぼ天竺の純粋の爽言も或は迷 に混和せら甚﹂、更に秘密てう文字に謹職せられしと云ふ誘を 鉄塔開放︷,るや西藏ビルマ等に発展し、祈薦、兇術風の事多分 次第です。是奴私瀧私見と鼬せし所以です。由來其言の流伝は 此の、三躍地の勝義浅深、或は異同論などは能く精研を要する あると書かれてあり蓑したが法華経版に叡山版はありません。 おそらく山家本ずなはも叡山版と見られたのかと思ひますが、 これは成立しない説です。 註法華経の書入文字は、その書風から見て、お若い頃の筆蹟 は見られず、聖人壮年期以後の御筆と拝見せら鞘大体弘長年 間以後のお書入であらうと推察されます。右のように見て本経 版は弘長以前に開版された版経でなければなりません。 法華版経で弘長以前に開版された遼例では刊記本では嘉藤元 年︵聖人生年四歳︾弘零版があり、ついで弘長三年へ聖毒四二 歳︶心性第四度版があって、いづれも春日版法華詮です。年号 を護入れた奥雷本では、ずっと古く承暦本があり、法華経八巻 または開結を具した十雀本摺写の文献峰と紅より遡って斑弘 )

(17)

■ 六年以降たくさんの記録があり蓑す。これらは摺経とよぽれて ゐ室す。しかし、藤原時代の洪薙版経は、鎌倉時代のそれと版 式が違ってゐ叢す。註洪華懸の版式は零日版ですから、鎌倉時 代に大和で開版された版経です。鎌倉時代はわが国版経がもつ とも盛んに行はれ、技術的にも最啓進んでゐた時代で、版経の 全感期であったのだす。春日版法華経亀さきに云った弘容版と 心性版があり、いづれも聖人御在世中に行はれてゐた版経です 蓑えに刊記本といふととを云ひ童したが、刊記本といふのは、 何年何月に茶がこの版を開いたといふ趣旨のととを版木に彫刻 した版木をいふのですが、註法華経には、その刊記は摺り出さ れてあり童せん。これは版木に本文と同じやうに陽刻してあっ ても、その部分を故意に摺らないととがあるのですが、註経を 摺写した版木には刊記が有ったのか無かったものか、何れにし ても巻末餘白は十分あるに拘らず、刊記はありません。しかし その版面から見て春日版であることには相逵ありませんから、 同じ鎌倉時代に開版された鎌倉での開版かと思はれる称名寺胎 丙木版法華経とも相違し、高野山にその遺品の現存する実遍本 版法華経とも違った版であり蓑す。そうすると、註経と同禰の 版は弘容版か、心性版のどれかではないかといふととになりま す。 そこで、弘泰版と註経の版を比ぺてみますと、版面の大きさ 字劃なぞ非常によく似てゐますが、同じ版ではありません。つ ぎに心性版ですが、心性版については少しく誘明を加えてをか ねばならぬととがあります。現在、心性版の遥品の知られてゐ る版は第四度版が初めで、弘長三年腫開版された版ですが、と れが第四度目の版ですから、現在知られてゐない版が、との前 に三度開版されてゐるのです。とのととを証する資料は何も見 当らないのですが、心性版は現在、第四廃版のほかに第五鱈版 第六度版、第七度版、第十度版、第十四度版、第十五度版の遺 品が伝へられてゐ蓑す。第一度、第二度、第三度、第八度、第 九度、第十一度、第十二鹿、第十三度の十五度中の八版は伝本 の所在がわかりませんが、現存の第十五度版蓑での中の七版を 比ぺてみますと、よく似てゐますが、皆版木を新らしく作って 擬写した別版であることは確かです。どの別版の現存本から推 察して、他の版も皆別版で作られたものとみてよいものと考へ られ主す。現存本を見ますと覆刻版で、巻八巻末の刊記年号と 度数、彫師の名が新らしくなってゐる程産です。今まで広く知 られてゐませんが、心性は法華版経を全国的に普及させた偉大 な恩人です。一版の法華経の版木を作るのには、大体一人の彫 師がこれに専門にかしって約三ヶ年を要した仕事です。その費 用は三年間の日当だけでも莫大です。これを平均年数にして九 年と四ヶ月の間隔を置いて、くりかえしくりかへし版を新刻し たことを老へると、心性の法華軽普及の熱願のほどがうか堂尭 まず。心性の法華開版の趣旨は護持正法と利樂有儲を発願し、

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證未來際を霊くじて、法華の版木を彫置かん、庶くは衆人瘤写 して広く諸国に流布し、互に興法利生し、自他共に威佛せん、 といふのですから、一山一寺の読諦の用にするととをいふやう な小さい目的や私ごとの開版ではなく、開放的な全国的普及を 目的として・誰にでもこの版木で法華経を摺ることができたと 恩はれる趣旨が心性版のどの版にも刻記してあります。しかも 一版で、二、三千部は鮮明に摺写できるのですから、一版三千 部として十五版で四十五万部の法華経が刊行されたととになり ます。心性は興源寺の塔頭四恩院にゐた人です。中世初頭に於 ける心性版法華軽の普及は、想像にあまりあるものであはあり ませんか。日蓮聖人はとの心性版の版経を入手せられたものと 見られます。現存の心性版の各版と註経の版経を比べますと、 文字面の高さや行間の寸法も全く同じであり、字劃、字体も共 一、祈薦経について 1、宗組御直筆の祈鴻経と転写本 宗祗が女永十年正月廿八日佐渡に於て最蓮房に御輿えにたつ

身延、中山の關係

l特に所祷経及所祷相伝書についてl

影山堯雄

I

通です。たぜ現存心性版に、寸分運ばずぴったり合致する版は 見当りません。とれは擬刻による微細な相遼です。弘長三年第 四度版はいくぶん文字が大目です。︵釜頭写虞参照︶ですから、 第三度版以前の心枠版の刊記を省いた摺写本がR蓮聖人書入木 註法華経の版経であらうと推定され、心性の第一度から第三度 蓑での中のどれかの版であると見て間蓮はないと恩はれます。 註経には法華経八巻のぼかに、開結二雀が具してゐます。開 結の版経で刊記の有る鎌倉時代のものは鴬て見聞したととがな いので、何版といふことば私には不明です。春日版々式の開結 版経は心性第四度版伝本にも一具の本として備はってをり、そ の他にも鎌倉時代と見られる版を度受見うけるととがあり主す が、その開版した人はわかりません。た壁開結も鎌倉時代の春 日版であるといふ概念的なことしかわかりません。 た事はその邊状によって知る頚が出來ろが、その直筆が未だに 見出されていない、た蟹甲州下山本国寺所藏の、天正三年七月 十三日身延日叙師が写された原本となったものが直筆であった ようにも思はれるけれども、それ以外には発見されないのは陸 だ残念である。 祈祷経の転写本は室町のものが各地に見られるが、その中で 今までに発見された最も古い写本は越後村上経王寺所職の、常 宣坊日臘師の所持本であろう、その奥書に上ると、嘉吉二年鰯

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月三円辰対書写雌ろとしてある。その他は態仁三年卯月十五日 京都抄満寺日通師韓写の卜総東金本漸寺職本、延徳二年三月十 八日画頓房日泰師が妙満寺で写された脂総浜野太行寺の藏本な どで、この頃のものには久遠親師のものもある。 2、祈禰経の相伝について 祈薦経は今では中山か身延かだけに伝えられたように思はれ るが、実際はどうであったろうか、祈祷経血脈によると宗祀か ら日向師へ伝えられ、それがまた平賀にも伝授されてをろ。 大覚大僧正から朗源師への書状によると、宗祀が御弟子の人 冬へ沢山に御書き與えになったから、時によって勘女も具略の 相違もあったろうとのととである。とれらによると所鱸経は佐 渡に諸弟子に御與えになり、各門流に伝えられたようである。 それがいるノ、の事情で或は伝承を失い或は重用せられた門流 もある事となったと察せれる。 二、祈露相伝醤について と坐で相伝書というのは祈薦経の解説書を始め修法上の事を 書いたものを一括した総称であるが、とれについてその身延と 中山との関係を見ようと思う。との相伝醤は中山が元で身延へ 伝えられたものか、身延から中山へ伝えたのか、今二三の文献 によって考えて見ろ。 身延所蔵の蔵書目録について見ると 御所溝謹之事三巻文朋十三年正月十二日日朝在御判

所禰経口決二雀文明十三年五月日朝在御到

祈艤経三頂口決文明十三年日妙

兇咀返守護女電元年六月日妙

所源肝要文勉三年七月日顯・

御符相伝二通承正元年砿月廿一日日妙

などが見られる、これによると朝師以後この方面に力が注がれ たととが知られる、 中山の祈禰法の相承について見ると、正和三年四月廿一日の 日高師から日裕師への譲縦に﹁於御祇祷者任先例可奉勤行者也 ﹂とあり、延丈六年三月六日の日裕師から日露師への譲炊にも 同嫌の文言が記されている。逹癖院文書によると天正十九年正 月二十日の日焼師が﹁門弟中江可申渡三條を﹄を出して祈薦に 対するいるノ、の注意を與へられてある、さらに奥藏抄の奥書 によれば ■ 叩 マ シ 叩 〆 日院聖人云自一輔師日常相承日常代々日綻迄相承來貫主一人 ﹄ シ 之相承餘法師縦及一身命一不し可レ伝但可し閏二口伝﹃也 と、今文献の上でば中山の祈醗相伝の様子が跡づけ易熈また 身延と中山とが別鐙に伝えられて來たように見受けられる。 それが室町の末ごろから次第に両者の間に交渉が始まったか に思はれる、即ち奥藏抄の奥雷にとの書の相伝を次の如く記し てをろ。

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相伝之師從二中山本明院酌乘院伝眞戒伝泉乘坊伝積善坊伝大乘

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泌伝仙礁錘伝後仙應疑伝後亦積善坊日賦伝権大律師日東︵下 略 ︺ 穣善坊は身延であらうし、中山の本明院から身延の方へ伝はっ たようである、察するに天正から慶長ごろのととかと思はれる 更に堀丙妙法寺所蔵の祈禰相伝砂上雀の奥書に依てその伝承を 辿ると、 九州光勝寺修善院秀賢大進 日南1日妙l日耀IR讃1日眼1日叙 となり次に 永正十四年閏十月廿三日從日耀示日壼 天文廿二年癸丑四月一百日眼犯抑

示日叙

とあるから室町期の末に近い頃である。日耀師は下総松崎顯実 寺の常寂院日耀、日壷師は中山蓮行坊日嶺であろうし日眼は本 盆諭資料稚二、一五三頁によると東昌房という。日叙師は恐ら く身延久遠寺十五世宝蔵院の事であろう。これらによれぽ中山 から身延の方へ伝えられたととが知られる。 ところが甲州小室妙法寺所徽の心性遼師撰述の祈禰経瓶水紗 の奥書によると、寛永六年仲秋八日にどの書を紀州感應寺住持 眞如院日逮師に伝授してある。この日逮師はのち堺の妙国寺へ さらに中山法華経寺廿四世に輪番さが、その在番中の寛文六年 十月に祈禧禁制を厳守するととを追記されてをろ︵謹壽院文書 .、ととから見ると、日逮師を通じて身延の祈濤相伝書も或は 中山へ伝はったかも知れない。 蓑た身延の識爵目録達見ると、遼慧院日久師が元錐五年の五 月から十二月に亘って中山の修法相伝書を写して身延へ納めら れたものは十種以上である。即ち五、六を摘録すると.

祈癖経言上元職五年五月十三日遼森院日久

遠雛税法同年七月十三日同

国鱈諦女二通同年七月十六日同

疫紳遠離教同年同月同日同

、法華肝心加持諭女同年十月二十日同

霊気教化同年十月廿二日同

疋中山十箇條相伝同年十月廿六日同

日久師はまた日逮師が省己日中師に、日中師は善迩日順師に 伝えた瓶水勢を、身延に於て転零伝受してをろ即ち 右之一軸者於身延七面山百日龍並七度参詣卿祈薦堂衆徒無碍 庵善邇日順依指南奉書写畢

元職八乙亥五月二十日中山徒遠壽院日久判

とその艇重にして敬塵な像子が鏡はれよう。 また身延の方でも中山の斬繍伝書を相承した事が知られる、 同じ目録の亥に 御祈禰口決血脈抄上下二稚從山中淨光院相承 長壽院日彰

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一愈佛証覚の一法と能統一の法華経 法華経が最勝数たるととは経それ自体の構成上に現はれてゐ ねばならぬ。その原型である嘱累品までは、方便品を中心とす る一類と、澪鼓品を中心とする一類との相互関係に於て講成さ れている。前者は迩門で﹁法の開権顯実﹂であり、后者は本門 で﹁仏の開通顯本﹂である。斯く所乘の﹁法﹂と能乘の﹁仏﹂ との両面を具現した処に最勝教たる所以がある。更に仏教思想 史から見ると、仏成這証覚の一法から開展した全仏教が法華経 に統一されている。経には前者を﹁於一仏乘分別説一言といひ 后渚を﹁唯有一乘法無二亦無三﹂と表示されてある。斯く能統 疫瀞遠離秘法中山直抄也享保十五年孝東院日彰

寄加持大事一本同

邪気露気遼離秘法日彰

中山生霊死鍵遠離孝東院B彰

御祈薦経享保十五年八月廿五日 孝東院日彰 などの書名と伝受者が列ねられてある。なを日影師は初め長森

法華經成立史上に於ける

見寶塔品の重要性

木村日

I

紀 一の立場に立つ処に法華経の最勝教たる理由がある。 而して仏成道誰堂の一法と能統一の激たる法華経とは全く同 一立場に立つものであるから、仏成道に於て所証の﹁法﹂と能 証の﹁人﹂とが相互関係即ち融合してゐる如く法華経も本迩具 現、所乘能相互関係に於て織成され而もその融合点として見宝 塔品のある処に最勝教たる意義がある。 二、佛成道の体験と法華経の中心問題 ・経の文献から法華経の中心問題を糠討すると、それが﹁仏知 見﹂の開示悟入にあることが確信できる。それは﹁唯以一大事 因縁故出現於世﹂とあるからである。処でその﹁仏知見﹂とは 何を指すのか。経に﹁惟尊法久後要当説爽実﹂とある。との真 実﹄が﹁仏知見﹂でなくてはならぬ。また﹁道場所得法﹂とも ある。との﹁所得法﹂が﹁仏知見﹂でなくてはならぬ。処で どの文に該当する錐本では日。号冒鰯目と︵菩提鹿︶とある これは金剛宝座を意味し﹁成道﹂其自体を指すのであり、仏証 院とい皇、のぢ孝東院と改められたと察せられる。 六牙潮師が積善房日閑伝に云はれたように身延流中山流と並 び称せられていても、江戸中期頃の穣善房流も逹涛院流もその 丙容をなす相伝書は互に交流していて相当密接な関係にあった ことが察せられよう。 昭和廿七年十月廿一日稿 1

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覚め﹁体験﹂を指すに外ならない。して見るととの体験が﹁仏 知見﹂でなくてはならない。予はとの梵文に極めて重要性左認 む。この文に照して見ると羅什訳の﹁道場所得法﹂の﹁法﹂は ﹁体験﹂と同一意義を有すと解すべきである。仏陀の成道には ﹁所証の法﹂︵哀理︶と﹁能証の人﹂︵仏陀︺との一禿とそれの 融合とを含むそとが佛の﹁休険﹂である。換言すると。所証の ﹁法﹂其自体は﹁もの言ぱい真理﹂であつ﹂て、其重一元の融合 に於ける﹁佛陀﹂を通して﹁も皇一景教法﹂となって現はれ、 同時に能証の﹁人﹂ほその融合に於て渋化し、尚悶悶に捧身 仏、向外的に報身佛礁身佛となって現はれるのである。斯く佛 陀に於て現はれた﹁法﹂と法に於て現はれた﹁佛陀﹂との一禿 の融合が正しく﹁成道﹄であり﹁体験﹂である。三論の吉藏は法 華義疏に左の如くどの融合との休鹸を﹁顕観﹂と表示している ﹁問ふ己に開示悟入を知る云何注るを珂諸仏の知見と名くるや 答蓋し般若の異名瀝観の別目なり、今此の経に依らぽ則ち是四 知あり、一には一一切知、一Eは一切稲知、三には自然知四には無 師知なり、一切知は六道の衆生本來寂滅にして一切衆生は本来 是匁佛なりと知るなり⋮﹂と、﹃正観﹂が﹁佛知見﹂であるか ら、伽知見の意味には﹁法﹂に対する佛の体鹸と﹁人﹂即ち佛 陀自己に対する体瞼との二つの意義を含み、かつ﹁至人類が仏 と同格たる﹂といふ体験も含まれてゐる。﹁佛知見﹄といふ法 華経の中心問題に照して見ると法華経の識成は正しく﹁仏成道 ﹂を具現したものである。して二元の融合点を現はしたものが ﹁見宝塔品﹂である。 三、見宝塔品の説相と佛成道の正観 法師品に於て﹁若経巻所住処應起七宝塔。:::所以者何此中 己有如来全身..﹂とある。見宝塔品の﹁宝塔﹂は正しくとの女 より職想したものであり﹁有如來全身﹂とは明かに成道を指す のである。﹁法を観る者は佛を観、仏を観る者は法を観る﹂と いふ阿含の文に照して法のある処に如來の全身があるのである 法なくして仏はあり得ず仏なくして法はあり得ないからである との二元の融合を具現した処に見宝品の重要性がある。東方宝 淨仏国も宝塔も多宝如來も仮想的であって歴史的存在ではない たとへ仮想としても﹁無﹂を仮想したのでなく﹁有﹄を仮想したの である。﹁宝淨仏国﹂は佛成道の地金剛宝座を指す以外でばあり 得ない。それは聖地四ヶ所の中成道の地が中心であり最も清淨 であるからである。﹁宝搭辰菩提樹の周囲に阿育王が玉垣造ら れた点を仮想したものであるととは﹁涌出﹄の表示で擢考洲來 る。﹁多宝如來﹂は﹁法﹂を人格化した法身佛である。天台は 文句に﹁多宝は法佛を表し釈迦は報佛を表す﹂と読述してゐる 人格を有する佛の激法を﹁真なり﹂と証する関係上﹁法﹂を人 格化して法身佛としたのであるが、爽理以外に真理の教法化を 証し得ないのであるから多宝佛は成道所顯の﹁法﹂以外のもの ではない。コー佛並座﹂は正しく成道に於ける所証の﹁法﹂と

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宇宙本体は二つ在って存すと云ふくきが如くである。然乍ら 本体は一なるべし。宛もデカルトに於て紳の本体と物心の一本 体との二つが、スピノザに依て一本体としての肺に歸決するが 如し。さらばスピノザ乃至東西古今の本体は果して神なりや。 カントも批評する如く西洋古今の本体は神に非ず。加之彼は途 に物自体を以て神とせり。否東洋に於る印度哲学等の弱愚写冒目 亦同嫌なり。然るに仏教に於ても、此誤を犯せる者が無作三身 の本仏なり。而も其れを無始無維の本仏となす。あ鴎迷源の如 何に甚しきか。とれ人女古今の大問題なり。さらば本体とは何 ぞや、是れ実相・真如・法身に過ぎず。未だ断じて神に非るな 義を明す..⋮今の一乘は真実となすと明し⋮⋮今の身を真実な 藏は﹁初め正覚を成じ、寂滅道場にして諸菩薩の爲に葵ぺて二 能証の﹁法﹂との融合、体験、正観を表示したものである。吉 りと癖ず。謂く製開なり。然るに乘と身とは更に二体なく即ち 一の正観を宜しきに随って之を説くのみ﹂と序文に述べてゐる

無作三身の根本批判今﹄

本佛の根本開顯

I

河合

明 り。私は之を﹁理本覚﹂と云い性悪法門と云い﹁神の各国言号 ﹂となす。実相の根拠に立って法華軽洞観するに、一戸代の綱骨は 記小と久成である。二乘作仏せずんぱ菩薩も成仏せず、乃至一切 凡て成佛せず、仏陀も亦旛者の瀞変のみ。一切は虚妄戯論に経 る。然るに若し真に覚るや十界の全体を一挙に統覚するもので あって、銭に三乘の浬梁の真理性と実在性とが保証せらる上も のでなければならぬ。とれ空間論に於ける浬樂の普遍妥当的・必 然的なる実在性を説くものである。然乍ら更に最も大事なるも のは実に時間論に於ける問題である。久成論は即ち是なり。今二 乘を含む十界の一切が大乘の鴬を得るとするも、その覚の丙容 が十界の一切を含む超越的絶諦者としての﹁理﹂であっ官事と しての客観的現実でないならば如何であるか。蓋し﹁事﹂とは、吾 人の知ってゐる経験は実在界の全部ではないが、藤験を因果の 原理で押し拡げた客観的惟界を事と称するのである。然るに若 し軍に理であるならぽそとに理の一念三千が成立ずろの1で事 の一念三千は成立せない。然し因果の理なろものごそ東洋哲学 示したものである。 乘の義始めて円なり﹂と。との見宝塔品は正しく円の一乘を表 一には所乘の法一庭は能乘の人なり、能乘と所乘とを具して一 並座﹂で表はしたものである。更に吉蔽は﹁但し乘隆一種あり が、見宝塔品は正しく仏成道の正観、人法相依の融合左﹁二仏

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特に仏教の独埴場であって、西洋哲学には存しない。その然る 所以は彼は個体生命の不滅を論ぜず。更に一層進んでその然る 所以は実に宇宙本体を以て神となすに依る。彼等は更腱十界事 常という個体生命の実在左知らず。さて今久成論に就て綱要二 門あり。一は先づ始覚・本覚の関係なり。凡て佛陀は必ず因果 の理を経ざるべからず。因果なくしては何等の佛陀なじ。然る に佛陀の鴬か覚った蔭以後の事の十界を体隣するというならば そは顕に始覚のみ。即ぢ大乘起信論の真如本覚を始覚するなら ば、筍しくも本覚を論ずろ者皆之を知れり。然るに從來の佛教 史上の本覚論皆誤れり。されば佛陀の覚に於ける時間上の有始 勺 と無始ととそ、佛教史上の最大渥昌ロ。日割にして西洋哲学には 全く無し。今之を如何に解決すべきか。舷に実に佛陀の覚を以 #● て宰宙本体とも称すべき最後の理由在って存す。其れは実に認 ●G 識論上媛後の一元的統一なり。云く佛陀の覚とは覚った時以前 の現実界に遡って無始以來の事の十界の有織即ち全法界の全体 を体験するととを以て﹁事本覚﹂といふ也。ど江法華経壽量品 のみの独顯なり。もし始覚のみで事本覚のない迩門に從うなら ば、自分の覚って後の十界の実在性は一往保証せらる入も、自 分の覚る前の現実界を知ることを得ない以上、﹄﹂の覚ってから 後の十界の現実も結局真実の実在性を得ず。かくて先に覚った 人の実在界と後に覚った人の実在界とは、それ丈蓮つたものに なり、二乘不作仏の場合と同様な不都合莚生ずる。天台の仏陀 観。法界観も全く同綴なり。凡そ主観なくして客観なし。認職 なくして実在なし。されば本覚の思想が爽実の実在観にとって 必須不可鉄な蕾嘗﹂と言迄もなく、本有の実在と本覚の認識とは 相俟って全もさて、第二の大綱はとの本覚を党する始党者が 無始実在でなければならぬ。かくて始めて雌始事常住の仏法界 が成立ち、其れを一個体にして同時に遍法界たる佛陀に体現す る処に本仏生じ、釈尊は即ち是なり。之れ﹁神の豊冨歓昌﹂也 ﹁ 事 の 無 作 三 身 ﹂ と と に 始 め て 正 し 。 是を以生顯具の理で表す時そとに本門の事の一念三千が成立 する。即ち仏が有始の始覚に郡して無始﹁仏界縁起の実相﹂を 本党すというは、無始以來の実相を己心の中に含んでいなけれ ばならぬと同じくう衆生も亦己心一念の陰妄中に無始の仏知 見を備え、その丙容として無始以來の十法界を、而も巳顯の客 観的。現実的なる事の十法界を、本具していなげれぽならぬ。 故に一念の陰妄心は一瞬の中にも無始無絡の大現実界を包有す るという意味に於て、全く超時間的生命であり叉は超時間的精 諒びなければならぬ。Q1ゲル・西田哲学等の西洋に陣全く 此理なし。︺是を法身・真如・実相、乃至、九縦心王という。 衆生成仏の時はとの無始の仏界を覚り無始の九界を党ろを﹁本 果と太因﹂との倶時感得といふ也。銭に始竺﹂報身應身が成立 す。開目紗に之を示す心然るに術との本仏釈愈を我が一念の中 に蔵し、己心の述語たることを﹁観心本尊﹂といふ也。本果な く即ち本嫁なくしては日蓮教学土いう仏教教観中最高最大の本 因なく、且実に観心も成立せざることを知るべし。︵完︺

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ど の 歴 史 の 正 し い 名 称 は 、 g の − ず 胃 I 鴨 の 鴇 I 冨 騒 冨 冨 ロ ー 冨 毒一瞬②堅’ず嗜の邑○毒C”−]愚評I毎丘葺屋ロー頤ご昼切、の崖言1H葛ご吋冨.iも○○寄 呂了冒風切目。﹁善逝の教の明かとなる法の生処たる繋典の宝蔽 、 ﹂と言ひ、その餐末に記さる鰐所に従へぼ、著者プトX胃1 ・88三十三才の言o官−℃言1置賃18三即ち壬戌の年︵AoD 二三二cになったものである。 本書の丙容に関しては、東洋文庫汚職の勇曽1功箭厚昌I宮 ︹札什倫布︺版に依れば、全冊一面四枚が三十九枚目の裏一行 目︵碧言と記す、以下同じ︶蓑でを境とし三一部分に分ち得る。 即ち巻首より鷺ご全での第一部に於ては始迩に仏徳讃嘆の数類 窪述べ︵麺聡まで︶、本文に入っては、①仏教修学の功徳、特に 教法の宣布が即ち仏陀を敬ふ所以なる事等を述べQ雷訣g @次に仏教の文献に関し、経論一般に互b、特に弓目。m員法︺ の概念規定を篤し︵醗脚諏裳で︶

ブトン﹁善逝史︲一に引用せら

れし法華經に就いて

へ ご

矢崎正見

然らば、斯くの如き内容を有する善逝史中に法華経は如何に引 用せられて居るかと言ふに、 A﹁教法の性格﹂に関し特に教法宣布の方法に就いて、この部 分の引用文が最も長く、 ③第三にご罵言毎19。こ︹教一に就いて、所証の法としての 教 の 性 格 を 分 析 し 、 総 じ て 爵 負 g I 碕 冒 の 1 句 T 号 8 − ﹃ ︹ の目的とする処を如何に党知すべきかを述べて第一部を総ろ。 ︵碧豊まで︶。斯くて、第一部はその一内容が仏教の手引獄論の 如き観を呈して居るが、第二部に入三﹂は所謂仏教史となり、 その丙容は 1佛陀釈尊に関じ、その一代の伝記 2経典結集の歴史 3龍樹・目称・惟親等の諸論師の伝記 4パー|三等の文典家の略史 5月gIgo凰瞥目I爵昌︵卜、リニャンッ手ン王︶を中心と する伝誘時代より喝1くCl号︵何提抄︶に至るまでの西藏仏教 史等を主なる項目とし、巻末に諸経論の索引を附し.最後に前 記の如く﹁との雷は尉胃Cl答ロー息の国舞目により云童2 シ版二四四︶と記して女を結んで居るのである。 ︵一一︺

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﹁導師たるものは衆生をして三宝に向はしむるが如き準備を なし、且つ彼自身の聴聞者に対する愛を明示せねぽならぬ。 妙法蓮華藤に次の如く述ぺられてある﹂ ?シ版四ヶl監巴と、以下梵文法華豊喜画く涛肖昔恩く鱒罫。園の 廿閥偶より廿五。好一を除き珊五偶まで、即ち妙法華安樂行品 第十四の﹁菩薩有時二八撚靜室一以二下憶念一随し萎観レ法﹂︵派藏 九巻。蹄七頁下︶より﹁我減度後若有二比丘一熊演二読斯妙法華経 こ︵正識同上舟八上︶までの数偶が引用されて居る。而して どの部分の藏訳本は梵女・並びに妙法華経等とその丙容は大同 小異である。 B次に佛陀行に関する項に於て、周頭に梵文毎号品”爵”冒巷圖 昌g§且く。沖○・亨妙法華如來壽量品第十六の所謂久遠偶中の第 一 偶 た る ﹁ 自 二 我 得 一 し 佛 來 云 令 ﹂ ︵ 正 蔽 九 巻 四 三 頁 中 の 一 偶 を 準 げ、 ﹁之によって我令は我灸の轄鐸抑が詞ずつと昔に仏となられた 事を知る事が出來る﹂︵タシ版急らと、 釈尊の久遼実成を講堂品に依って証して居るのである。 C之と関連のある事であるが、教理の本質に関する詳細なる註 釈と題する頚中に、釈愈の死と言ふ事に就いて ﹁釈尊の肉体は決して減し浬薬に入る事はないとか、或は光 の肉体は醜に浬薬に達して居るとか言はれて居る。而してと の渥桑とはその飼隊が文字通り全/、減すると言ふ事を意味し て居るのでは勿論ない。法華経には次の如く説かれて居る﹂ ︵タシ版畠g と言ひ、以下同じく毒鮫品長行中の﹁良医狂子﹂の響嚥を引用 し、釈奪の入滅は真の生命の断絶ではなく、衆生をして佛這に 向はしむる篤の方便行なる事を明かにして居る。 D更に大女の引用ではないが、891息宮呂○mIご一目昌鳴鰯 瀞Iご旨旨厨︵十一蔀経︶の設明中、冒口I冨言ごI己名園の︵ タ ク 授記経︶の代表的なろものとして、国鼬日1号8旨ロー冨薗ロー冨⑦ ︵妙法華授記品第六・侭のI伽一呂芦計I亘電角一屋ロー冨冨ロー己毘 ︵同五街弟子授記品第八︺覆挙げる伽処がある。 ︵一二︶ 以上が、との﹁善逝史﹂に引用せらる膳法華経の全貌である が、彼、プトンが教法流布の篤の織受の面に於ては安樂行品に 示さる、が如き行法を以てすべしとし、或は壽蛍品の久遠偶に 依り釈尊の久遠実成を明かに述べ、或は叉、同品長行中の一寓 話により仏壽無鐘を説く等、かく、法華経が西臓佛教史上の一 大学匠たるプトシに依り正確に把握せられし事実により、我盈 は法華鮭の新しき偵値と、特にそ形が西蔽佛教に於て如何に見 られて居るかと言ふ点に関し、思を新にすべきであらう。以上 附記;.:本稿に於一﹂、プトンの年代試激学上の立場等に関し しても触れる心算であったが、紙面の都合上、之を省略した 事を、と聖に附記致し卦す。

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