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ツークの一五・一六世紀英国穀価史 (陵水三十五年記念論文集)

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(1)

ツークの一五・一六世紀英国穀価史

安 達 新 十 郎

      序

 本稿において問題とするところはッーク物価皮︵↓oo冨.ω出凶馨。著。剛団ユ。⑦①︶中の一五・=ハ世紀英国一穀物11       

小麦価格の変動傾向とその変動原因に関する研究である。ととろで、小麦価格の変動原因に関しては、様々の原因があ

 ②

るQしかし、こ・では、小麦価格の変動原因に関して、彼がeアダム・スミス ⇔アーサー・ヤング ロ ロバー

ト・マルサス等の小麦価格史を論考するととろを追考し、最後に の 季節の変化 ⇔ 戦乱の作用 ⇔ 金銀の生産

⑭ 外国貿易 ㈲ 鋳貨の改鋳等の原因に関する彼の考察を、更に、一歩、深化することにする。

 ①目oo寄︵二9昌血  ワ州O更昌P帥﹃Oげ︶︾国剛ωεqoh℃ユ8ω︵雪αohけげ⑦ωけ9ユ89昏①Ω8巳9。凱。コ費。言ミ旨8H。。鵠︶<<Oい.一一昌﹀   ピOづOOづHO圏●  ②この点に関しては、難論、拙稿﹁ツークの一七・一八世紀英国桝目史﹂参照︵滋賀大学経済学会編彦根論叢第四十二号︶       一

 ツークは小麦価格史の研究期間をつぎの三期間に区分する。即ち

   第一期11一四〇一一一五八○年。第二期11一五八一i一七七〇年Q第三期睦一七七一−一八五学年。     ツークの一五・一六世紀英国穀価史︵安達︶      四九

(2)

格には何等、連続性なく、大抵が偶然的な時折の価格に依拠しているとい弓。︵第六巻・三四七頁︶しかし、彼は、サー・ フレドリ 第一表一五・一六世紀英国小麦価格の変動表 期 間 1401−  10年  11− 20年  21− 30年  31− 40年  41− 50年 イ・・デン表・ウイ

ンチエスタe8ブ

ッセル当り価格

溝而↓司4

SFO7湘b噌■5

   1

同表上の欠

年数と欠年度 2年忌 1408.10. 5年1412.3.8.9,20 2年    1421.2 2年  1432.3 2年  1443.5 同表上の平均 価格超過年数 と年度 3年    1401.2.9 1年  1416 4年  1423.5.9.30 3年    1434.8.9 3年  1442.6.8 ・4・・一・・剣・・年間・一・・3年 1・4年 51− 60年 61− 70年 71− 80年 81− 90年 91−1500年 5−0 5−3 8−0 6−4 6−4 3年    1465.7.70 9年 1480年のみあり 2年  1482.90 7年 1451.2.3   6.7.9.60 4年    1464.6.8.9 1年  1480 2年    1481.6 2年  1491.7 ・45・一・5・・年1・・輔・一・・4年 1・6年 1501− 10年 1511− 20年  21一一 30年  31− 40年  41− 50年

Qゾ8110

卜卜↑d匹

  121

   1

51 2 53

年年年年年

1502.6.7.8.1014年  工517  3年  1523.6 4年 1531.2」3.5.6  4年  1546.7.9 4年 1501.3.4・5 1512.8.9 1521.7.8.9 1501.3.4.5 1541.3.4.5 ・5・・一・55・年1・・輔・2一・1・6年 15年 1551− 60年  61− 70年  71− 80年 1551− 80年 14−7 16−9 22−O 1年  1570 1年  1571 130年間17−9 [2年 1581−  90年  91一一1600年 イeトン

 表

43−2 オックス フォード

 表

21−4 31−11 イr・トン

 表

4年1591   2.3.4 オックス フォード

 表

2年1581.    2 3年  1553.7 (4年)  8.(60) 5年 1561.2.3.5.6 3年  1573.4.80 ]11年(12年)

壌ン髪雫

    β年1586   一 r 7.90. 2年1597.5年1594    81 5.6.7.8

・58・一・6・・年1刊26−7/4年

12年

8 TooL‘e’s Histosy of Ptices VoL. 7L p. 404. pp. 422−8 (蕾歯考  P.405) 期 間 当時の価格 1856年間価格 当時の1シリング 1401一工450年 14S1一一1500年 1500−1550年 s c1 7−1 6−2 12−O s 慮 14−0 10−O ユ5−o 1856年の2sid  t, ls8a  1, ls3d ところで、彼は、以上の期聞の区分は各期聞中に利用される資料の異った性格の結果であるとして、第一期に関しては、年々の価 五〇

(3)

  ツク・イーデン︵Qりぱ出門①山。臨。犀国自⑦コ︶の﹁貧民の状態﹂︵Qo梓簿Φoh勺oo円︶︿第四巻・一七九七年発行﹀中の一一二五i一六一九   年聞の商品と賃銀の蒐集を完全にして正確な編集であると称讃して使用する。    第二期に関しては、ツークはイートン表︵ぐ唱圃昌山ωO随 O同 国辞O昌 ]り四σ一①︶とオツクスフオτド表︵O箆。耳目帥σ♂︶とを併用する。前   者の小麦価格は一五九五年に始まり、後者のそれは一五八三一一七七〇年までの期聞を含む。ところで、彼は、広い考察範囲を含む   ものとして、後者は前者に比して、一層、権威あるものであるとい弓ことは全く確実であるという。 ︵三五四一五頁︶    かくして、いま、彼の一四〇一一一六〇〇年間における小麦価格の変動傾向を示す表を、ここに、加工一引用すれば、前頁のごと   くである。 ︵第一表参照︶    ところで、彼は一四〇一一一五八○図郭の期間申、価格を示さない年数は重大な困難を示す程、大きなものではないとして、価格   の存在する年⋮数を計算するが、 一八○年聞に一三四ケ年、即ち、四分の三の価格が存在することとなる。 ︵三九六年置

 かくして、彼は前表を考察していうQ

 ﹁一般に⋮⋮英国における小麦の価格は一四〇一年より一五一〇年まで下落し、一五﹂○年より一五六〇年まで当時

の鋳貨の状態によって証明が著しく損われ、決定的な上昇の第一の表明は一五七一一八○年、あるいは、一五六﹁一七

〇年であり、当時、生じつつあった価格の真実の上昇傾向は直接に、それに先行する期間の価格を約一〇〇%も超過し

たということが判明する。﹂ ︵四〇一頁︶

 つぎに、 一五八一年以後の小麦価格の過程に関しては、イートン表とオックスフォード表より考察すれば、価格は急

騰の傾向にあるごとが覗われる。

 したがって以上の諸表より以下のごとき小麦価格の変動傾向を把握しえよう。

  ●    一四〇一一一五一〇年間  小麦価格低位    一五一一−一五七〇年聞  小麦価格高位

   一五七一i=ハOO年聞  小麦価格急騰

    ツークの一五・一六世紀英国穀価史︵安達︶      五一

(4)

五二

 果して然らば、以上のごとき一五・=ハ世紀の英国小麦価格の変動傾向は如何なる原因によるものであろうかQ即ち、

つぎに、その変動原因に関して、ッークが O アダム・ス、・\ス ⇔ アーサー・ヤング ⇔ ロバート・マルサスの 小麦価格史を論老するととろを追考してみよう。 A アダム・スミス 第二表 英国鋳貨価値の変動 Equal in money of the several Periods to, say     £一s−d        8 5 1 10 1 17 ユ 16 1 15 Price in Oun− ces of Silver Periods 4.0 oz 2.0 6.0 7.5 7.2

zo

1350年以前 1350・一一1570 1570−1620 1620−1636 1636−1700 1700−1775 ook〆5 丑istOJrγ (ゾPrices 7b」乙. VL p・385 (cf. p.379)  アダム・スミスは﹁国富一論﹂第一巻・第十一出早中﹁ニニ五〇1一七五〇年聞、 四世紀聞における銀価値の変動に関する余論﹂において、その四世紀を三個の不 等の期聞に区別する。即ち、第一期一一五五〇一一五七〇年・第二期一一五七〇 一一山ハ四〇年︵笛奮二期n一六四〇1一七五〇年︶  ところで、スミスが利用し得た唯一の価格表はフリートゥード︵コ09毛ooΩ︶ のもの︵一二〇三一一五九七年︶であり、 一五九五年以後はイートン表であった。 しかし、彼は前者を批判するところがある。

 かくして、ツークはアダム・スミスの﹂三五〇一一七五〇年間の銀の価格

ーイングランドにおける物価︵11穀価11小麦価格︶の上昇・下落に関する結論を

要約しでいうQ

e スミスは不変の三期間を採用し、標準銀のオンスで、通常小麦のウインチエス  ター・八・クオーターの価格をのべ、別表︵第二表参照︶にしたがって、一般的  に見て、アメリカ︵銀山︶の発見は銀で測定された穀物の価値、あるいは、価格を  二〇〇%方引上げた。即ち、穀物の価格は、以前一〇〇オンスの銀で売られた数量が三〇〇オンスの銀で売られる点まで上昇した。 ◎ 一五七〇年以前の長い期間︵一世紀半︶において、銀の価値は漸次、上昇し、物価は漸次、下落した。そして、かふる変化は、全  く、増加する人口・より大きな生産・拡大する貿易・薪領土への転住等の必要に適合するための銀に対する需要増加によるもので

(5)

 ある。 ⇔ 一五二〇1三〇年代のペルーとメキシコの占有・一.五四三年におけるポートシー︵℃08巴鉱山の発見等に不拘、イングランド  においては、一五七〇年頃まで非常に明白な物価上昇は生じなかった。 ⑭銀の価値における下落は一六四〇年頃に絶えた⋮と。︵三八五−六頁︶

 即ち、以上において明白なごとく、スミスは、銀生産←銀価値︵←鋳貨価値︶と物価、その代表・穀物H小麦価格

との変動の対応関係を主たる考察の対象とし、前者の変動が後者の変動の原因であると解しているQ

F アーサー・ヤング   つぎに、ツークはヤングに関し左記を引用してい5。   貯昏霞鴫。鐸昌ゆq”﹀⇔国ロρ巳防ぎ8普①℃︻oαqR①。。。。貯。<巴二〇〇h]≦o昌亀一昌国昌ぴq置目9器目9。﹃犀①自げ団団ゴ。勺ユ80hbゆqユ。巳癖﹄  ℃賊。山50冨⋮薯淳げOσoρ臼くm江。昌ωロロ。昌ω冒OooHσqΦωげロ。〆σ二﹁讐、ω↓四三〇〇h︾℃唱器99ざ昌ロρけげ。≦げ。﹃ユ。ユロ8麟蹄。葺餌σq8鉾  く餌ユ。¢oh諺崖90ユ費⑦ω昌9σΦho﹃Φoo目①8α。   ヤングは一八一一年に、多数の権威者の物価表を検討し、とくにシヤソクバ、グ︵OD貯OΦo置。ωぼ。閃びロおび︶とイーデンの﹁貧  民の状態﹂とを結合して、これらの諸価格を一八一〇年の貨幣標準に換算して、通常質の小変・ウィンチェスター・八・ブツシエ  ルクオー自虐の通常価格に関する平均価格︵その他の穀物・農業賃銀︶に関する表を作製した。 ︵第三表参照︶

 ととろで、ツークはヤングの表を老察して以下のごとくいう。

 ﹁これらの・考察の一般的結果は=二〇〇一﹁五〇〇年との期間に物価が著しく下落したという影響に関するアダ

ム・スミスの学説を決定的に確認するようである。即ち、アメリカの鉱山の発見の影響は二〇〇%方物価を上昇せ

しめたということ⋮⋮を決定的に確認するようである﹂との ︵三九三頁︶

 即ち、との点より解して、ヤングもスミスと同様、銀価値︵−鋳貨価値︶と物価“穀物11小麦価値との変動関係

に関して前者の変動を以て後者の変動の原因と解するもののごとくである。

  ツークの一五・一六世紀英国穀価史︵安達︶      五三

(6)

第三表 アーtrr・ヤングの物価表 18(04一)10年を20とする指数 大工・ 石工賃 銀 農業賃 銀 小麦・ 裸麦・ オート麦 麦ト  F 裸根麦 麦 小 日当り

農業

賃銀

4; ・号 ・去  1 3百  1

4T

 1 5互  1

52

5  1 5万 3 5

3﹁4  旦4旦4

4    5   2   4

■2■4

5   6   り0   6 4d 1

5td

1

6td

1 6万d 普通小麦ウインチ

エスタF8ブッシ

ェルクオeタ炉の 平均価格 £一s−d 1一 2 一9

1−6−O

O−12−O

1−3−8

間 期 1200−99年 1300−99年 1400−99年 1500−99年 ooiles Historor of Prices VoL. vr. p.387 p.389・ p・391. p.392 五四 C ロバート・マルサス   ツークは、つぎに、 マルサスの見解に関して二七世紀の後期までの物価の  状態より推論される季節の性格に関して簡単で、私に正しい見解と思われる本  のしとして﹁故マルサス氏の筆になると信ずべき理由がある−私の前の著作に  関する批判を含んでいるO轟詳①二矯 幻①乱。毛Zo・鶏における一論文﹂を引用  している。即ち   ﹁リチャード三世とヘンリー四世の治世︵二二七七一一四一三年︶三十四ケ  年の期間中、穀物の地金価格はエドワード三世の治世︵一三二七1七七年︶前  半におけるよりも、一層、低下したよ弓に思われる。最後の三十三年聞に、そ  れは五五七輪であり、最後の十一ケ年において、六一一片である。 エドワード  三世の治世の後半において銀のポンドは二五志で鋳造され、 ヘンリー四世の治  世︵二二九九−一四一三年︶の前半におけるよりもより低いということはなか  つた。この期間の地金価格はエドワード三世の治世の前半におけるよりもより        ロ       コ   リ   コ      低くなった。そして、季節の有力な作用なくして、一二十四ケ年の低価格とそれ  に先行する二十六ケ年の高価格を説明することは確かに困難であろう。  一四四四年に賃銀を規定する他の法令が通過せられた。即ち、それは、多分、  鋳貨における一層の変更なしに、十ケ年の先行する年配の平均十志八片に上昇       コ   ロ      した穀物の高価格によるものである。そして、かかる上昇に関しては、比較的  ロ  の     コ         不足な穀作の継続以外に充分な原因があったように思えない。   とくに、この期間以後、約六十年聞、低価格の継続があったQ一四四四年よ  り[五〇九年におけるヘンリー八世の終りまで、約六志に復帰した。他方、一  三五〇年の労働者法令の通過のときと同様に一ポンドニ志六片の代りに、 一ポ  ンド一七志六片に一ポンドの銀が鋳造されたので、小麦の地金価格における非

(7)

常に決定的な下落を示した。しかしながら、かかる下落は、非常に著しく、また、非常に、長期聞、継続したので、我々はそれを、 必ずしも凡て、季節に帰属せしめえない。否、アダム・スミスによって帰属せられた原因−銀の価値における漸進的な上昇にそれ を帰属しようとは思わない。⋮⋮       ロ        そして、ヨーク家とランカスター家との間の内乱︵一四五五一八五年︶の可成りの部分において、穀物は著しく安価であった⋮      コ   の 内乱よりも季節が⋮より一層、価格に関係したとい5、充分、強い推論上の根拠がある。       コ  コ        コ     コ  サ        ロ      サ     コ  ロ  コ  の  コ  コ       コロ    コ  つぎの世紀︵一六世紀︶の聞、穀物の価格における上昇は勿論、不利な季節の援助なしに、アメリカの鉱山の発見と入口の増加 によって容易に説明されよう。しかし、そのよ直な季節は一五九四−九八年聞の終り方における小麦の価格を引き上げる点におい て、丁度、のべたような他の原因と結合したが﹂とQ ︵第一巻 二一一二二頁︶︿た母し、傍点は筆者﹀  以上において、 マルサスの一五一一六世紀間の小麦価格の変動原因︵季節の作用・入口の変動・銀貨の改鋳・アメリカ銀山 の発見−銀価値の低下.内乱の作用︶に関して考察したが、彼が一五世紀において根本的原因と重視するものこそ季節の作

用︵.銀鋳貨の改鋳︶であり、とれに反して、一六世紀に入っては、アダム・スミスと同様、アメリカ銀山の発見“銀価

値の低下と人口の増加等を根本的原因とし、季節の作用を副次的原因として理解しているQ

 以上において、小麦価格の変動原因に関して、彼が O アダム・スミス ◎ アーサー・ヤング ⇔ ロバート・

マルサス等の小麦価格史を論考するところを追求したが、いま以下に、小麦価格の変動原因としての O 季節の変化

⇔ 戦乱の作用 ⇔ 金銀の生産 ㈲ 外国貿易 ㈱ 鋳貨の改鋳等に関する彼の老察を深化してみょうQ・

 第一に、小麦価格変動の原因としての戦乱の作用であるが、この点に関しては、既論のごとく、マルサスの解明する

ととろである。しかし、ツークは、さらに、これを詳論していう。    ヨーク。ランカスター両家の内乱は一四五〇1一四八三年の三十年の期聞に滅るが、その聞、小麦価格は一四五〇年に先行する三 ツークの一五・一六世紀曲央国穀価史︵安達︶ 五五幽

(8)

五六 十年聞におけるよりも、あるいは、一四八三年以来三十年間におけるよりも著しく低価であった。その期間における小麦の低価格の 優勢に関して、彼は二様の解明方法を示してい5。 e 内乱は殆んど、上流階級に制限され、一定の地域と短期聞を除いて、その国の普通の職業を麗乱する程、社会の表面下に充分に  滲透しなかった。また、さらに、有利な季節の継続は農業者の労働に大きな収穫を与えた、換言すれば、小麦の低価格は豊饒な供  給の結果であった。さらに、 ◎ 他方において、内乱は、擬乱を導入し、商品に対する関係において、金と銀との価格を引き上げる程、大きな貴金属の保蔵と翰  出とに導く程、全地方に渣って、非常に大きな麗乱と信用収縮とを導入したと想定してよい。換言すれば、小麦の低価格は、より  大きい不足によって引き起された銀の価値の上昇の結果であった。そして、季節の豊饒な,生産の結果でなかった一と想定してもよ  いであろ5。   しかし、これらの仮定の第二のものを拒否する点で、ながらく濤序する人は少いであろうし、一五世紀におけるイングランドに  関する他の説明と最も一致するものとして第一のものを採用するであろ弓と。︵四〇一一二頁︶  第二に、小麦価絡変動の原因として、彼は新世界における金銀の生産︵・その世界的配分︶即ち、﹁一四九二年のアメリ

カ発見の結果として、ヨーロッパへの金銀の流入と結合する事項の一般的順序﹂を論考する。即ち、彼は一六〇〇年以

前の期間を四期分に区分し、新世界の金・銀鉱山の平均年生産量︵・平均年消耗量。金銀の全存在量︶をヤコブ︵冒8σ︶に        ⑳

依拠して考察せんとするQ

①︾昌頸ω8ユ。巴H口ρ三豊一口8§o中。巳。謡象含αOo目撃日嘗δpo臨昏Φ牢092ω竃①け巴99寓﹃.Hβ。8σ嫡腎・切・ω●い8匹8  b⇒<O一ロロQQ<O目QQgo一●   第一期 一四九二年のアメリカの発見より一五二五年のメキシコの占宥までQ   第二期 一五二五仁やより一五四五年のポートシ鉱山 の発見まで。   第三期 一五四五一一五七一年聞。水銀の豊饒な供給が差担の目的で最初に利用せられた時期Q   第四期 一五七一一一六〇〇年聞。新世界の新鉱山の銀鉱石を処理する有効な方法が応用された最初の三十年間。 ︵三五九頁︶

(9)

 かくして、彼はヤコブの結論を要約していうQ e 一五二一年まで、ヨーロッパ︵とアメリガ︶における金銀の以前より存在する数量に対する年々の附加1それは、主として、金  であるが、大きな、あるいは、突然の効果を生ずる程の大きさではなかった。 ⇔ 一五二一−四五年間。以前の状態に対する擬乱は大きな毎年の供給iそれは主としてペルーとメキシコとにおいて獲得された銀  の大量の年々の供給の結果として感ぜられ始めたQ 日 かかる概乱はポートシ鉱山より着実に獲得される銀の大供給やアメリカの他の部分よりの金銀の供給の増加によって一五四六年  と一五七七との間に大きく増加したQ ㈲ 一五七七年頃の水銀の豊富な供給源の発見と銀採掘の過程へのその有効な応用は大なり、小なりの範囲において、供給源泉が比  較的消耗した結果として、貴金属、とくに銀を獲得する費用の増加を相殺する以上に役立つたよ5には思えない、とQ︵三六九頁︶ 然らば、 していう。

か・る新世界の金・銀のヨipッパへの流入は、その物価に如何なる影響を与えたであろうかの彼は論結と

〇 一五五〇1七〇年︵1その当時、アメリカの供給は広大な影響を生じ始めた一︶に先行する著しい期間の間、銀の価値における  著しい上昇があり一為体的、あるいは、低下しつつある銀の全貯蔵の結果として、物価における著しい下落が生じた。商品を流通  せしめ、より人口の多い国家の便宜を促進し、より政治的な安全を享楽するために、その金属に対する需要が増加した。 ◎ 貿易・発見・企業・生産に対して一六世紀に与えられた刺刺とアメリカ鉱山の発見によって著しい程度に与えられた刺戦とは、  非常に強力であり急速であったので、金・銀への増加した需要は非常に供給を増加するという作用を引き起したQ︵物価の上昇︶ ⇔ 物価を引き上げる点で一六世紀のアメリカの供給の結果より生じた部分的な不便利は入間の生活を高貴にし、あるいは、入間の  幸福を増加する各工業と企業に1一世代以上−影響を与えた彼等の活動・発展・勇敢によって一〇〇倍もつぐなわれた、と。 ︵四  一三−四頁︶  即ち、との点で、彼の物価に対する一貫的な基本的立場は、

その克服傾向を強調する点に明白に現われるといえようQ

ツークの一五・一六世紀英国穀価史︵安達︶

貴金属の流入による物価上昇よりも生産力の上昇による

五七

(10)

五八

 以上において、ツークにしたがって、 一般的・間接的に新大陸における金銀の生産とヨーロッパの物価への影響につ

いて考察した、然らば、具体的・直接的に、それらの金銀は如何なる過程を経て、英国に流入したか、また、イングラ

ンドで、それは、如何に、物価に反映して現われるか。かくして、か・る観点より、第三に、小麦価格の変動原因とし

て、 一五五〇−七〇年期における英国の外国貿易に関して考察を進めるとととナるQ    アダム・スミスがのべるごとく、一五七〇年頃まで、イングランドにおいて物価の大上昇が生じなかったということは極めて明白   である。ポートシの鉱山は一五二五年以来活動していたが、他方、ヨーロッパにおいては貿易を抑制した多様の原因が支配した。一   五二五のパビア︵℃p<猷︶の戦争よりシャルル五世︵O冨ユ。<︶の死まで、西部ヨーロッパ全体はフランシス一世とコンスターブル   ・ド・バアボン︵]り一日① ∩WO︼口。ロ梓鋤σ一① αO 切09﹁σO一P︶の絶対王政によって、また、ドイツでは宗教戦争によって概乱、消耗せられた。    しかし、 一五七〇年に先行する二〇1三〇年の聞、航海と商業とが急激に発展した。ベニスとゼノアの貿易は、低地諸国ーロン   ドン・リスボン・ボールドーに移行し、アントワープの港がヨーロッパで最大の貿易中心地となったQ ︵四〇五−六頁︶    マツクフアソン︵冨餌嗣げ①酵。口︶は、ネーザーランドに関する記述より、アメリカよりの金・銀の配分に関して、当時、積極的に作   忘した要因に解明を与えているが、ツークは一五六〇年におけるアントワープ貿易に関する説明を引用している。 ︵竃曽8け①屋8、ω   四呂巴ω︶    いま、アントワープとフランス・イングラXド・スコットランド・アイルランド・スペイン・ポルトガル聞の貿易中、とくに、イ   ングランドに関する貿易を引用すれば、       ●    ﹁アントワープは、イングランドへ宝石・高価な石材・銀地金・水銀・加工され絹・金銀の布地・金銀板・カムレット︵絹と毛と   の混織︶プログラム︵一種の絹毛交織物︶香料・薬品・木綿・カルミン︵洋紅︶・胆裏・上製粗製のリンネル・サーヂ.デミーオス   タード︵山Φ日鴇。ω冨山Φ。。︶・綴織・染料・大量のボツプ・ガラス製品・塩漬の魚・多額の全種類の金属性1それ以外の反物.各種類   の兵器・戦争用弾薬︵11軍需品︶・家具類を送った。イングランドよりアントワープは、大量の上製粗製の反物・ふさ飾り・多額の   同種の他の反物・最上等の羊毛・小量の優良なサフラン・多量の鉛と錫・多数の羊・免の皮・様々な時点の立派な生皮や皮革。ビー   ル・チーズ・大量の他の種類の食糧品・他に、イングランドがカンデアより輸入した白葡萄酒を受取つた。﹂ ︵四〇六−七頁︶

(11)

 以上の点で、 アントワープの中継︵警宇品︶貿易的性格とイングランドの毛織物・原生品輸出−貴金属の輸入との関

係を把握しうる。然らば、それはイングランドに如何なる影響を与えたであろうか。いうまでもなく、その第︸の影響

は﹁︼五五〇一七〇年期における産業と取引の急激な発展﹂であるゆ

  一 いま、一五五五年の記録によれば、商業が急⋮激に発展し、古い道路に重い貨物が多く通過したので、法律によって、道路補修が    各教区に命ぜられた。 ︵メアリー女王の治世に六法令・エリザベス女王の治世中に一九法令が発令せられた。︶   二 一五八三年には、商船数一三五隻、その多数は五〇〇トンであった。しかし、二十二年後には四百隻に増加したQ︵四〇八頁︶  第二に、イングランドが、ドレーク︵∪憎潮齢Φ︶その他、多数の大謄な航海者の高名と昌険とで満たされた一五七三年 当時、急激に拡大する外国貿易︵と海賊行為︶は国民の富を増大せしめたり即ち  エハ〇九年に、サー・ロバート・コトン︵ωマ閑。げ①詳OO簿。口︶はつぎのごとくのべている。  ﹁一七七二年に、葡萄酒・絹・香料・上等リンネル等の大量の専修品の使用がイングランドに生じた。上等リンネルに関しては挽 割カラス麦の価値にして年々、三六〇、○○○ポンド以上が消費せられたQそれは英国の羊毛織物の価値の約半分であり、国民をし て売る以上を購入せしめている﹂と。 ︵四〇八頁︶また  カムデン︵O曽日山。ロ︶は彼のエリザベス女王史中・一五七四年に関して以下のごとくいう。富者階級の衣服の奮修・饗宴の流行・ 邸宅の壮麗1﹁それら凡てを正しく考察すれば、一それらは増加する富と商業との自然の結果以外の何物でもなかった﹂と。︵四〇八 一九頁︶  即ち、 以上のごとく、新世界において生産された金・銀は外国貿易︵と海賊行為︶を通じて英国に流入したが、 それ

は︸五五〇f七〇年期に物価騰貴を媒介として、国内の産業と取引とを急激に発展ぜしめ、富者階級の富を増大せしめ

た。しかし、︸五五〇一七〇年期に器ける外国貿易︵と海賊行為︶による新世界の金銀の流入という物価上昇の原因は、

同期間の小麦価格の上には,一五六一i七〇年期を除いて、明白な上昇として自己を現わしていないもののごとくであ

    ツークの一五・一六世紀英国穀価史︵安達︶      五九

(12)

六〇 る。︵後論︶

 したがって、つぎに、第四に、小麦価格の変動原因としての銀鋳貨の改鋳の作用を考察することにしょう。

 いま、彼の作製した小麦価格変動表︵第一表︶と鋳貨価値変動表︵第四表参照︶とを対比すれば一五〇〇一五〇年間、両 者の変動には明確な比例関係が存在することが明白となるであろう。 ︵銀鋳貨の内在価値は同期間低下して行く。︶       ヒ    彼は﹁一五二七−一五六〇年聞の英国鋳貨とその結果としての物価の麗乱﹂に関して、ヘンリー ヂエームズ︵国。昌量H帥旨㊦ω︶の表    ︵第四表参照︶を引用していう。一五一一七一五二年の二十五年間、銀鋳貨基準と内容とに関して八回以上の変更が行われ、それは、        ②   不酊避的に、凡ての貨幣取引に最大の困難と混乱とを導いた。しかし、遂に、一五五二一六〇年に、鋳貨の復元改鋳が行われた。 ︵三   七〇一二頁︶  ①国ωω塁①ω8日8Φ矯磐自国蓉冨口⑰q①。・∵ξ国窪曙冒ヨ①の●ピ05αopH。。b。9昌ド忌・  ② その聞の事情ーエリザベスの銀鋳貨の改鋳とそれによる利得等に関してはルーデンク︵園&山ぎもの﹁鋳貨年代誌﹂ ︵珍旨9。60︷   9ΦOoぎ鋤αq①︶を参照する。 ︵三七〇1四頁︶

 かくして、彼は結論としていうQ

 イングランドとウエイルズにおいて、その国の標準鋳貨︵銀︶に関する身重にして、不正な政府の干渉は一五二七年

より一五六〇年まで、三十三ケ年の期間に渣って、非常に多数で、突然で、暴力的で、不規則であった結果、確実、あ

るいは、評価の満足な手段をもたない程、不確定と掩乱的要素とを物価に導入し、・また、それを騰貴せしめた。 ︵三七 七一八頁︶    しかし、その改鋳の結果、一五五三︵一一五六〇︶年期と、それ以後において、英国の銀鋳貨は金属の重量と品位とに関してその   内在価値において均一となった。︵三四九−三五σ頁・四九五頁︶改鋳の結果としての一五五一−六〇年期の小麦価格の低下を見よ。

 したがって、以上の点より考察して、一五五〇i七〇年期の英国外国貿易の拡大−新大陸の産銀の流入−物価上昇の

(13)

第四表 (A)英国銀鋳貨の価値変動 ツークの一五・一六世紀英国穀価史︵安達︶ Periods 1356 一 1421 1421 一 1464 1464 一 ls:tiT 1527 一 1543 1543 一 1545 1545 一 1546 1546 一 1551 1551 一 1560 1560 一 1600 Number of Grains of Fine Silver in Twenty Shillings Coined No 3996    3330    2664    2368    2000    1200    800    1760   176e One Shilling so coined equal to of Shillings of     1560 The Ounce Troy of

匙撫。諮’gts

lequal to Shillings so coined      s  d 2.25= 2 3 1.87一= 1 10 1.50=1 6 1.33= 1 4 1.12= 1 1 0.67==一 8 0.47==一 5 0.99= 1 一 1       s  d 2.40= 2 5  2.90=一 2 11 3.60= 3 7 4.06 == 4 1  4.80== 4 10 8.00= 8 一 12.00t−12 一 5.44= 5 5 第四表(B)英国銀鋳貨の価値変動(Henry James) 六 Dates and Regnail      Years       へ 1509(1且en Viii) 1527 (18 〃   〃) 1543 (34 〃   〃) 1545 (36 〃   〃) 1546 (37 〃   〃) 1549(3ED. Vi) 1551 (5  〃   〃) 1552 (6  〃   〃) 1560(2  Eiiz) Fineness of  Silver in   Coins Oz dwt

11 2

11 2

10 0

6  0

4 0

6 0

3  0

11 1

11 2

Number of   Shillings coined from a Pound wei− ght of Silver

s4045484848四η6060

Number of Grains of Fine Silver in Shilling gralns  133.2  118・4  100.0   60.0   40.0   40.0   20.0   88.4   88.8 Value of the Teston in the Coinage of    1560 pence 18.06 16.07 13.57  8.14  5.42  5.42  2.71 11.80 12.00 Toolee’s 正listor二γ (ゾ.」Pi’icθs γo、乙。 V五・P,370 pp.420−1 (cf. pp.4J6−9) 忌

(14)

      六二

傾向に比して、 一五︵〇九1︶二七i五〇年譜の英国銀鋳貨の改鋳による物価の騰落傾向が、さらに、強烈であり、前

者の傾向が強大となり、銀鋳貨の基礎としての銀価値を急激に下落せしめていったのは、まさに、 一五︵六一1︶七〇

年以後であったかの如くである。︵後論︶

 つぎに、第五に、小麦価格の変動原因として季節の作用に関して考察しよう。小麦価格の変動に関する彼の根本的原

      

因は、既論のごとく、季節の︵短期的.︶長期的変動であったの即ち、それは既論のマルサスの一五世紀に関する見解と

同様であり、 一五世紀の小麦価格変動の傾向と原因とに関しては、後者の見解を以て代替するととが出来よう。   ①前掲・拙稿参照。    いま、既考、小麦価格の変動に関するマルサスの見解を要約すれば   e =二九九i一四ニニ年聞−安価一良好な季節の作用によるQ   ¢⇒ 一四三五1﹂四四四年間−高価−不良な季節の作用による。   ⇔ 一四四四一一五〇九年聞−安価一六鋳貨の改鋳と良好な季節の作用による。その内、一四五五i一四八五年聞︵あるいは、一四    五〇一一四八三年間︶1安価ーバラ戦争の作用よりも良好な季節の作用が強い。

 ところで、彼は、 ︸五・一六世紀の大部分を通じて、非常によい季節と悪い季節とを区別する唯﹁の方法は、特定の

年間における異常な低・高価格という方法によることであり、換言すれば、季節より価格を推論する代りに価格より季

節を推論するということであるが、以上の期間に関して、との方式を揉下することが出来なかった、蓋し、資料中、小

麦価絡の記載を欠く年度が存在するためであるという。 ︵三九六頁︶    しかし、いま、以上の方式にしたがって、 一〇ケ年平均の小麦価格を超過する価格の多い年数を第一表より求めれば、一五六一i   七〇年期︵イーデン表︶一五九一1工く00年期︵一五九四−八年間ーオックスフオード表︶である。

 至論の如く、英国外国貿易の発展−新世界の産繭の流入一物価騰貴の傾向が強大となり、銀鋳貨の基礎としての銀価

(15)

値を急激に下落せしめ、小麦価格を急騰せしめたのは一五︵六一1︶七〇年以後であると推定したが、以上二期におけ

る高価は、唯、単に、以上の原因にのみよるものではなく、また、以上の両期の不良な季節の継続によるものであるこ

とが判明するであろうQ ︵彼の基本的立場︶  彼は既論のごとく、価格変動より季節の良否を推論するという方式が資料の関係上、困難であるというが、さらに、一 歩前進して、 一四〇一i五八年問に関して、彼の価格表とフランスにおける小麦価格︵ウィンチェスター。八・ブッシエル クオーターー英榜に換篁Qとを比較していう。

 ﹁﹁般的帰結として、両国の価格には、各々に関して、一見して、その正確性に疑をいだく程、それ程、大きな、ま

た時間上の遅れの六出ハはないQ反対に、二組の結果には合理的で充分な︸致がある﹂と。 ︵四〇二頁︶

 勿論、彼がかく、英仏両国の小麦価格の変動傾向を比較して、その共通性を認める理由は一世界的な銀価値の変動以

外に1西欧圏における季節の作用の類似性を主張せんとする意図に出するものであることは明白である。

結 び

 以上、ツークに基ぎ O  一五・一六世紀英国穀物11小麦価格の変動傾向を考察し ⇔ その変動原因に関して、彼

が先学の見解を論考する点を追考し 匂 彼の小麦価格変動の諸原因を検討したQしたがって、最後に 画 彼が小麦

価格の変動傾向とその原因とに関死すにところを年代順に統︸的に把握してみよう。

 いま、彼の小麦価格表︵第一表︶を前提として、年代順に、その変動原因を探求すれば、一五世紀初期以来、 ﹁五﹁

○年期までの期間に関しては、正論、マルサスの見解・ツークのバラ戦争の作用に関する見解が妥当するであろう。ま

た、 一六世紀においては、 一五〇九i二七一五〇年間の銀鋳貨の改悪による物価上昇の傾向は同期の小麦価格の漸騰と     ツークの一五・一山ハ世紀英国穀価史︵安達︶       山ハ三

(16)

      六四

なって現われるととろである。しかし、一五五一−六〇年期、銀鋳貨の改鋳復元のため小麦価格は下落するQさらに、

︵一五五〇1七〇年期における︶英国の外国貿易の発展は新大陸産量の流入一したがって、物価騰貴を引起す原因であるこ

とは事実である。しかし、それに基く物価謄貴が急激化したのは、まさに、 一五︵六一1︶七〇年以後のことであり、

それは小麦価格に謡いては一五︵六一一︶七〇年以来、 =ハ世紀末までの価格騰貴となって現われるゆしかし、一五六

一−七〇年間・一五九一一一六〇〇年間の高価は、以上の原因のみによるものではなく、また、以上両期の不良な季節

の継続に恣よるものである。

 以上に暴いて、一五1=ハ世紀における英国小麦価格の変動とその原因をツークに基を老察して来た.しかし、その

問題の研究は、それ自身として価値をもつであろう。しかし、それは、外延的には、一五1=ハ世紀英国農業経済史研

究の中心として、即ち、羊毛価格とともに両価格の変動、とくに、外国貿易と羊毛工業の発展による羊毛の高価−土地

囲込の進展i農業経営︵・技術︶の変化一農村階級の変容−地代の質的量的変化i農業賃銀の統制、あるいは小麦・羊

毛に対する国王の取引i貿易政策等の諸問題と重大な関聯をもつものであることはいうまでもない。即ち、以上は、た

f、英国農業経済史一資本制農業成立史という内面的・具体的な史的研究の準備として、小麦価格の動向という観点よ

り、それを外面的に考察したにすぎないQ

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