――目次――
1,
宗教学50年の歩み:東京大学宗教学講座創設50年を記念して, 小口偉一, The fifty years of religious
studies in Japan, Iichi OGUCHI, pp.1-15.
2,
姉崎正治の業績, 増谷文雄, The works and merits of Prof. Anesaki, Fumio MASUTANI, pp.16-30.
3,
神話の問題, 西谷啓治, Mythology, as a problem, Keiji NISHITANI, pp.31-44.
4,
道蔵の成立について, 吉岡義豊, On the formation of the Tao-ts’ang (道藏), Yoshitoyo YOSHIOKA,
pp.45-56.
5,
菩薩団より仏乗教団への展開に関する一考察, 紀野一義, A study on the development of the Buddhist
societies, from Bodhisattva-ga
ṇa to Buddha-yānika, Kazuyoshi KINO, pp.57-92.
書評
6,
中村元著『ヴェーダーンタ哲学の発展』, 山口恵照, Keishō YAMAGUCHI, pp.93-95.
7,
ドイツ通信, 田丸徳善, Noriyoshi TAMARU, pp.96-98.
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ぃ国 授乳の 世 とな ら ・ニれ 全機関とし ァ, - の 教会 ボ 成立 旧 王だ﹂対する新教の戦が 主 制の祭政一致で、天下の平定流一によ を 奉ァ Ⅰ - ム。る円ニ王 けぢ Ⅰ
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北進され・にといえよ う 宗教学者とい・えば 比ぃ 定の宗教を研究 諾の講義になじまり、次いで井上哲 沃 郎 から見れば、井上円了のョ笑標的宗教学 そにとくに注目 め す べ 占ニ Ⅰ下る 一 一 ァ ﹂、存在 l- フ 。 0%, 亜目 一 ォ ・ - いだにちがいなり・重だ漠然どしだ宗教 0 研究・から、 宗教生﹂の 前ならなくなる。 け れ
- つまり宗教を決定す るものは 折 母子にほかならないこしたト人世 0-"
層 にば ぅけり れられ
示教現象を﹁発達﹂と
い, ≦点で、ル一万教学の
一 ベルに相談しだとこ
か -0 が、劣等宗教とか
キ 、して単セ 下 か自己
山見られだ。
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︶とを証し ぅ るという
か らめつだ :これらに 対
としては、信仰 は 神聖
ダ - の 一ヰ 琵ミ ・ 日 田 , 研究 ニ
︶ - ﹁ , -. のの ょ、 - エめ - っ、が、し ﹂
、迷信であり、迷信で
、も 、社会において 大 一 宗受 単一 ユ 十年の・歩み
るい L むので - 山や 0 から、
中心の思想が見・・ ん、 科学どし プ,の 宗教学・ 宗教から宗教の根本的原理 キ温 M-W 一 かし、これに ⅡⅠ 、 ... オ しノ L つ : ノ ・ - 哲学Ⅳち岡 ダヲ -. ニ ﹂。
丁る・もの て ・あるとし 1% 安一・一 は 、比較的研究
- 久 - コ 、りノ :、 一 ,・ 、 ペ ソ - ハ :一一 % 芸林
的 方法にば、 包俺的 - と 、綱目 @ 心進化的 ハ ・ -
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門に 継承される領域 316
︵ 4 Ⅰ
四部門がとりあげら
一 れと人格的交渉を結
日を観察して、包括的
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の 部面を担当するも
とりわけ宗教と社会
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事 した加藤支管の 貢
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よって育てられだ哲
な 立場からも、宗教学
らない、という論法
て、 此も外面的に過 320
単に過去の記録だと 見 る偏見と同じである﹂と述べている。 この期間に、動、心 ﹁宗教研究﹂誌上で、 立場から、研究対象 学が キリスト教偏重で としだ。つまり、宗教 中 に生きているものと 示教社会学 ゃ 民族心理 学ば未開人の宗教を対象としているがめ の 宗教事象を説明 寸 - る ︵ 2 ︶ ある。この主張 は幾 く 反響を呼ぶにいだら なかった。 際にば、こうした 学 の 資料と方法に基 く学 んよ ir,, コ潮近 宗教学説 円 一万Ⅱ % れ学の成立 史 を内 のとして忘れえない。 九 宗教学五十年の歩み
し た 頭 わ 媒 な の - て 。 し ゆ
介意
さ 類 種 華 字 て る 者 味 き 型 の 八一示教 覇 、 学的な にも述 で 丈、 0 よ う 宗教研 ュざィ,、い 野 円空 げ @ こ 二本 教 現象学, ヒカ 念 ・ ヤ 、この側面か 大きな影響を与、。 ん にと,Ⅰにトレル ほ 宗教史学者でも 究 者がすくなくなかつた。 げ れども一方で は、 個別科学の発展に 赤松 智 城の精力的 一九二二年︶とを 示教民族学は主と 、日本における代表的な宗教学文 して未開社会の宗教︵原始宗教︶ だのは宗教心理学であった - 方法 チは 、宗教心理学、主木 教 哲学との おり、宗教哲学土見,も 由 やなような つれて、宗教民族学や宗教社会学 な活動によって・めざましく 展 ら 再考しなげればならぬとおも う 最近の ワ ・ " ハ 0 業績と共に、宗教 現象 論約 問の が 拾 聞 し 献と を研 一般宗教史 は 特殊ゎ一木 訳者宇野円空じの訳者 際に著おされだもの 一例外づ
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あり、むしろ経験的な 単 - 間と L 一 i-
問題が、進化主義の 百尋 @. アし, ⋮ 再 % 高 -- 、才 ユ ・サトノ 一 O
三 二年 レ である。 そ
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宗教学五十年の歩み 一一
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ご ろこ広, 。・ 、し遷イ、し 信人等によう子 - 紹介 ム、 - ︶ て 紹介され、 ド 山 正直等の業績があ 古代宗教の研究も見逃せない。
二つて﹁現代宗教 と 片山正直とが宗教 哲 - と︵ 、 - 山や ・ 0 :学問的 一一一一 宗 % むむ 一 ,王土干の ヰ - み
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られた・引用・ ズ
々 御 振舞 書 ︶ 曄 ∼ /-
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一、し こ, -@- か一ムⅠ月一:・ん一調・ 一 伸一 否 の 積 入合ハ ゼ ・ だ け回向とし プ刊は 、文化人類 堂 ,
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穣 ・ ニ つの立場 に お られる方よに は礼 ・甲兵する・かと思われま寸が 、
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卸 海の南北 荘 におい /- 、再度の脳溢血の・だわ ょ し,、 、なられました
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ょ き に り ;) な の ぅ る 大 に ま み か に ち ぎ ほ @ ノ は と
覚 の な 覚 え で 空 え
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ま 績 み え の あ 、 笑 み す の ま に 成 る て な 自 て ま に をフべぎ ものではないと思 うの ぅか 、その点については、私ど
のことな見落してはならないの
ロミ丁ともまったく 別箇に 、人間 討 ﹁ ど ・ 、 - ゆくというこの道を 、ば, ︶ u 口 のであけま 丁 ,だが、この辺の
- め ・ り, ・ -- き ・ 一
G2 ぅ L 息 う のであります。 石 三十年から三十三年にいた
刊行いたしております,おの でありますが、なおそこには、わが 国 もがどれだ げ 感謝してもなお足りない であります: す な む ち 、
私どもが
今 のいとなみとしての宗教 7 科学的に検 ことは、小口氏の講演の領域でありま 二 - ﹁ ニ 二 % 未億趺ユ - のものとしてば、こ び る 数年のあ い だに、﹁印度宗教史﹂﹁ 印 おの大部の力作ではありますけれど 一八のかとい、 r> ことは、 か
巧ぁヱ ・、みることが適当
の 宗教学の育ての
年から三十三年まで
学校講義録︶、ハルト
せられましだ。
た 。丁でに稀にし
した。甘皮 の 、ヴォ 姉崎正治の実績 一九 ぎ 館 を か ) あ そ い づ ・ 、 - ・ " も
,一八・
し常
ア @なかだ
る な衰廃
で Ⅰ、
り、
の て @ @ イ いにお・ぎましては、 い な Ⅰ リと言 由ってよⅡじと思 うハ りであります。 先生を冒 漬 するもの と 心配して下さ 。何となれば、この ま丁 。 い たいと思い古 ヱ 3 。 いありまぜんから、 ち 闇もなくのことで 心 をあっめていた。 の べ た いと 思フ こと あ h., ま ・ 一 3 。 ばなかった。日本の
に 帰し ム ・星白であ・ りま 生で・あり 巨 しだ 困難 甘 ・。 、あ ・いました、 文化の中心である東京が焼土と化したのであ す 。そのために・古書の価格というものが 異 古書を ,も、ヰ ぎることは、それを見付 げ 出すこ この話は、 それ以来、 ありました 。ての 関 T 小の でありまず 三十 先生と 幾 。東大 焦点に が、先 私との間だけのもの、そし 年、私 ニ固だ げの記憶の ュは では百万のすばらしい蔵書 立つて、先生は東大の図書 圭の研究そのものにも、 大 ではないか、あるいは、やがて私が彼の世に る む き もあろうかと・ キギ, るのでありますが、 ことは、先生みずから認めておられたからで ずれも、古典として後世にのころようなもの
名義のあ、 - ニ - 光 しわぷ 二苦
弟子 は 、先生
過は、,も、フお耽ょ @.@ /, 、 の役割をもっ
リ ます。も
-- まだ 翌 四年に られましだことなどがそれでありま 丁 。
、異 つて - Ⅱ・ @ の してば、次のようなものがあげられます。 仏教聖典史論︵明治三十二年︶ 年 ハンブルグ 現身体と法身体︵明治一キ七年︶
おいて執筆。学位論文であった。︶ 清三十四生,︶ 0% 洋学会での報告︶ りン に 二コ
叱られ
つ
れ 以後
それ
開拓
生と
刊行せ
労作と 3 色 2
経が 、その訳出
、復原せんとする努力が行われている。︶ 根木・仏教︵明治四十三年︶
﹁現身 仏 と法身
れぞれの意味にお い
できないもの許りで あります。
ますると、今日、私
かと 質 ねられたと 致
えてみましても、 私
思想論﹂でありまし
のは、大正十一年の
一体なにをしていた
いのであります。
︵すが、非常㌧に流暢 な 名文をもつ プ 皇民かれ ァ - 五で︵こもかかわらず、
只今日の人々には、
め ・ りユ - 中上 ョ :
。すな ね ち、研究 一一一 姉崎正治の業績
る 、学的研究の結
含とパ 一リ五部 と 、 仝 亡 きめ、円二の局 0 由 *,
ねに恩恵をこう ちっ
、先生がこの領域に
ろフと 思われます,
ギ 臼に
疎 なるは仏教 の上において従来 宣旨 目こ接 ぜんとの
信念に出づ。﹂的 研究に基礎をお 二言葉 は 、先生の新し 序文にも、 一一一一
コ ・ づ 0
案
の 研究﹂ ギ料 とによる特殊研究
のの コ のもとに、 学
め 、オルデンベル ヒ
じて Ⅰらば、リス
い毘ル 田斉,を 呂 Ⅰ け ・と っ ・ に
に Ⅰ わのレ ﹂ 壬己 つてよか ろうかと思われま 十 - :
。すな ね ち、留学
八頁の小さな書物で おりまし ィ ・ - 、おそらく、先生の労作の中でも。
+,, が 、それにも拘ら
含まれていると思われるのであります,
の 緒論にすぎない
額 であり、また、 そ れに 塞 いての方法論の問題でありましだ。
一 三年から二十 セ八
を 試みましたのもそ
ことであります。 ま
はじめての仏教史学
一一一一一 姉崎正治の業績
二四 のことは、今日では
りかえし︶・ - 、なんら
容易に -. ての芽をのば
仏教学の領域にも、
をといたものが、 @. ﹂ の ﹁仏教聖典史論・一であ っ だのでありまず
詮 したのち、大へ
@@ キ ・ ヘ、 延 手元年︵・西暦千七百四十四年し 士 。 E 永作基の出定後語 西暦二丁八百三十五年︵天保一八 %, し 音書簡論 三善 mW 現の記念として、この小著吉公にす 明治 冊 二年中夏 後学 妨崎 正治 とキ の ぃ ・十ヱ ,
げらいた徳川時代の
の ﹁所謂牧者書翰に 就 、いわゆる 新 チュ 一 336
の トップを 男ノた も
、自分はい き それら
富永仲基の緒を っぐ ﹂
であります。
ののちに先生が 刊
Ⅱ ゴ n@ H っ o ︵ 屯 ひり Ⅱ ︵︶︵ 臣 レ ︵ ︶︶ い の一汁
・デヴィッ ズ のもとで
にこの小著において 茄 していたの 干 、あり, ま 丁。
したことは、ぞこ
究 こまず到るという こととなり、その到達するところは、やがて、
と 具体的にいえば、
えり みれば、この 小
発していたのでありま ニ 。 ,
支いのでありまし
- 出されているので, あ
ぇ られております。 む
はどこか不徹底なと 二五 妨 時正治の業績
も 卓絶した人物を
うち 、この問題を歴史的な問題にの 人 局限し ノ :教理的な問題とし 論 批判﹂の中に・も 、 一八一一一一一 け ・ -. レ一 ﹁ れ ・ 一 , 一 --U .-,, 一 " 一層 卜 れる リ 、村上光生は 、 して解しがたいもの・で 三 、どうしても、 大 呈 さにもかかわらぶ ,、 えば村上専精先生で 占めるとⅡⅠ ミノ ことにない ノてし 上イみハ ノ だが、今日にして静かにふりかえって見ると、 而か 、ここ姉崎正治
ぅ のであります。 一 一 イ ソ でドイッセ ン の 、 ,こしろで知己となった ハ | バートの ウ ー ツ いたしました,これ す 。 338
れるのでありますが、 でありま 寸, 。
口 賃料を用い プ ﹂ 、 て 二・一・ 0 ︶︶・ n@ ︶ し 二集 ミトず侍 重義には用いなかつた
書かれたものであり
くして刊行ぜられで
ニ倍 す - ハ つもので 主ハレ - っぅ がと思われます。
す 。へて 、 決して 単
この人物の細胞のな @ そのことは、この 学 た 。最後の著作﹁わが 勺 のも、その間の消 自ゅ 立ち向 ぅと ぎの先生 っ ておられるのであります。 ,てこでは、 よノヘ知
かい闇にわたって 、 ニセ 妨 時正治の業績
いて、この美佳 硬は、
であるということが できょうかと思 う のでありま す 。 四 異里な図書を蔵した さきにも一寸申しの のであります @- だ
億 も及ばぬ大任を負
ら 、その多忙な日常 の 一端 宮 見聞してまいつたのでおりま 丁 。
了った時代に は、 荻た 仕事を片手一 L か ㌦ かつていた﹂のであり
れました。この後者 二 - 、 @
信仰的態度が、冷静
ありますが、そうした宗教史の実質のなか ふかく入りはじめだのでありま す , 幸 - の中で、 特に先生の関心・をつまぐとらえたものば 、 度合のあ﹁ ダ 一でみ n, こ,レだ,ゾ ,一二かファナ テ 刀 ゎ感じたこ、 ニ :・ あ - ︵: ,,, ・㌃と思われ コ - み 十 ナ呂 、 ・ く 小ロ し商 Ⅲ 一 1 片 切麦 丹 宗門の迫害と潜伏︵大正十四年︶ 初亥 丹 禁制の終末︵大正十五年︶ 切麦 丹 迫害英中の人物事蹟︵昭和四年︶ ︶ ヲ巳携ぎコ ︵昭和四年︶ 切麦 丹 伝道の興廃︵昭和五年︶ 切 麦丹 宗教文学︵昭和 セ年 ︶ 切麦丹の問題は、宗教の学の立場からい り 多くの注意を払われていなかった。その ぅ ような名をつけて、忌物のごとく取扱わ 0 日常のうちからも・貴重な時間をさいて い 研究領域の開拓者とし ィ ・ - すぐれた仕事を をもたないために、 そ 8 案績の内容にふか できないことを残念に思 う のであります。 妨 時正治の業績 資料は、、江戸にも、 たします・ると、非常に興味 各藩に ね 、手をつけようとする者 このような労作をいと・ な の こされたのであ ります。 , く ふれて 申 しあげることの 三 九 ・ に 。先生の関心はしだいに この国 一 ﹂よ の いて,キリスト イゃクは 珪格を,ノ ミ・オゾ , ¥-
昭和九年、停年によ つ ︶﹂ んで﹁ 已腓集 ﹂と名す け ま 歌主巴瓦、 梵行已上。 所作 已非 。 不安 後有 という釈尊の詮 法 の一節 とぼ為し終った、 二 旨いう ら なお、申しだシミ﹂と、 と ・を・ 甲 しおとしていること もり ノ, おりますこ今日の私 ︵附記じこの講演の参考・ 女 によってた 叶糊衣さ ねだりもので 五
しだ :申すま づ 、もな く、
みノ ﹂、所作すでに弁ぜ り 、わがなすべ きこ
ばならないのであり・ます。
太子の研究の二﹂となど、 申 ざねばならぬこ
を 車上げ・まして、私の今日の責を果したり い ・にだと ビ たいのであり J- も よ :。
早暁学生後藤光一郎・松本渡岡君の非常な努力 あります。 三 ① 342
神話と らではな ある宗教 ると考え 宗教と 方や色々 が、中世 Ⅰ ニへ 、 吉 ,の 存在の基 宗教が占 もい う べ なく、 古 ﹂的な角度・ か
ぎな問題で
を 潜めてい
らで ・ある, 、ものの 考 、めん
基本的精神
ば 社会制度
闇の歴史的 、それま 千 - 亡桂 の 睾 ﹂いこ
たことでは どこまで 遡 一一一一
神話の間
窟神話の問題
西
谷
啓
舌ム一一一一一 教から独立し 、 更に で ,もつ ゲ - 土に・にこし亡し 科学的も・二布、だ方が 段 -C し Ⅱ /-. 千 ・一ト・Ⅱ。・・Ⅰ・ / 、 - 、 ホ教のと 干 いは、何らか いわゆる啓蒙主義と ﹂ れ、 五 % 示教自身も
,合理的な思考以前 であり、合理化の運
を 及ぼして来たこと ていることは否定で ないような事態が現れ
ことで言い現わされ 間 との関係、つまり
に 機械化されて 来, ・ Q く、 或は少くとも 衰
などにお げ ちょう た 344
人間が自分自身の内へ返照 し 、自分自 が 一般的にも社会的にも表層的になり 前世紀の杓陵王。から現代一にか 叶, て色人の いと 思 -- ノ 。 そういう趨勢につれて、その反面に た 有機的なものというか、とにかくそ れてィ、 るという頓阿 が丁 つと続いて 現 する人人の場合では、単に遠い過・云の のところに現在でもなお動いている ょ の 想起である。想起ということは・ 周 れと似た仕方においてである。プラト た イデアを想起する、それが認識とい で 人間の魂が自分自身の故郷へ帰る 、 て 色々な迷妄に囚われ、矛盾や困難に こから由来している故郷へ帰る。その けであるが、神へ還るということは、 れたことは言 う までもない。ところで の 問題は、歴史的な生の間頭のことで
神話の問題
を 主にした見方というか、生 き 場 というものが、再び想い起さ 、そういう意味で神話を問題に く 、むしろ 吾 々の生の一番根本 つてよい。即ち本質的な意味で 質的な概念になっているが、 それる前の前世において直観し の 認識ということは、ある意味 在 感覚的な世界のなかにあっ 起 によって脱出し、魂が元々 そ は神へ還るということになるわ が愛 智の意味での哲学の道とさ とば違っている,とい、 フ のは 今 ているという時に、あらゆる 文 一一一一一一
ぺ 忘れられてゆ き 、人間の生活
末 革命以来次第に顕著になり、 ミ 、一億 列ニ, - 斗毒 ⅡⅠ るヨニ 345
三四 + やのような神話的世界へ還る 、吾 々 の 起の意味である - だだ緩し、プラトン な 意味しだよ う に、歴史的な生活にお やはり 吾 々自身の歴史的な生自身 えられ、現在のうちに歴史の元 初 を開 質的に取られている。歴史の始めとい めケし 姿のことだと言ってもいい,。 てぅ 配が 段々醸し出して 未 だ、すべてのも 神話的なものを想起するといつても、 紀 の神話 " というような本も出だが、 埠は 却って生が全面的に機械化され ノ 。 、 になり日本でも最近翻訳されだ、スイ いている。即ち社会のみならず生ロ々 の 三班ての人、﹁ヒット一 ァ一 Ⅰ か 現れ得 Q のも、 又 その仕方も、そういう機械 のの想起は、もつと基本的な意味のも を 指すのである。 つた 意味での想起、 即 , ち吾 々の現在の 化がそれを母胎正して - そこから 現在の歴史的な生活の根源に還 の 想起訴において、事物の認識 いて、 吾 々がその中に生 ざてい の 根源へ現在において還る 、現 ノ 、とい下意味で考えられている つて、も早なる過去ではなくて、 い う 形で神話への想起が起つて のの機械化という問題に対する たとえば曾てドイツのナチズム あの立場は私が今言っている ょ 夫ム,一世界を地盤 こ 。 ヱ :現われ / 。 - スのピ ガードの圭司キ目身の う かめぅ,ごき 、世界の見方ヤもの 化された世界の地盤の上のこと の 、つまりその機械化された 世 併しその問題ば、現在の五ロ々 346
で 迂遠の昔に、科学 さまざまな過程 は、 であるとも言える。 伸
ぅ ことも事実である
いということも事実 徹底してゆくに つ れ て よ う に、あらゆる
くであろうが、その ・︶︶︶の M.g ロ ︶ 幅 という傾向
互に破りムコ っ ている
る 。今までの歴史﹂ と ぅ とする傾向が起 -, 。
あり、且つ広い意味 で ムジ q その様にし
でもやって 行 げない
やっ プ、ゆけ ㌔ 仏い 、 ま つ という事態が潜んで
神話の問
廣 三五く ま 法 あ に つ の お が 伸 動 ィ に 科
どを見ても、一方
という気持が・
昭一・飽くなき認識 衝
観の成立によって 、
さないという・問題 ェ エイチェの回心想的展開のうちに、初めから、
思,フ 。 ニイテエ に の中で、近代料必ず
ぅ意 ・味の , ・ - 之 か ﹂ 言
ということを非常
﹂いないかり ノ T 曲目通ボⅠ 世界を自然必然の 別 に支配された世界と見る科学的世界観から、
自己というとこ, つ
追求し徹底して 行
間 に化すという 所 艮一山、 ノ
はいかと思 う ,その 意
を 得ないので・ あ -@ 月 @
ぱり,神話的立場と
︵で。 お由 口目 のア ︶ な問
然 的に生ずる筈であ
生身を剥ぐ大きな 苦
。そこに彼自身のうち
が 、科学的な立場の
段々合理化されて 行
が 普通である。人々
ゎば 科学を自ら実存 い 。深淵が開けると
自分の立場として 引
科学者は自分自身の
でも進歩するかも 知
が 、根本において ニ
るが、科学的良心が
返ってくる時、彼の
﹂から深淵の声が聞か
と 言 う のである。 併
﹂、科学が無意味だと 三七
神話の問題
その問題ばつまり、
アメリカのキリスト 刺 違えと呼んだ事態 洋 では現在、ルドル 一 -- 一 - 、
よ 問題が含ま・れているというので,ある,
の立喝で 済まぜる
- 干 ているという 話八
可能性を現わし出し
示教にとって一番根本
% 分とか思想乃至は観
0, 人間の思想や生活
とかのようなもので
基礎の 、 深みに
てそういう問題が解
んば社会が、社会主義
のままの問題が残る
くな 7 る、,ンし 二言 ロう なら
いと
重
言える。 ニヒ界 、第三には、これ
主体的存在、そ うい
ユ考えるかという事に
係 がそうであり・神と 三九
神話の問題
つていると思 う 。。 て して、そこからど うであるが、そのこと えていることを簡単に述べることにする。 一 一 の際 彼はハイ ヂソガ したわけ ァ - エや父 。 ダ ﹂ こから、聖書のうち のある立派な態度だ リズムとい、 フ ,もの ぅ,ヱ 主任 論 的解釈に 1 の開いス呈 、 あニ とばやば に現れている と 巳ぅが 、し まで問題を堀 しても、 そ @ 一
一
由旬
思
神
思 、 , 存論 的な解 な問頭貸し 正 ぅ ,それは 話 との相剋 至って い ・ な Ⅰ ノつ 釈 ということ・ マ 二 % ぃ ,山山 面からぶっかつて、 そ 非常に誠実で上っ勇気 から発生して来たⅠ ヒ い ので は ,ないかと 思 となって、近代科学の
マンは、それらの神
f. ェ ・︵ , - Ⅰ っ ぬと舌ロ う :ニ七
口 O
るもの︶の体系を支 にいっで、これら 三 と 思 う :神話の立場 。神といわれるもの 自己と世界との関係 流動的な或はダ ノ ブ 自己同一 へ 帰着して に一 つ Ⅱ結びついて この主宰す ,る 立場、 , ての根本的な意味に
、 或る個人が周囲の 、伸三 % も @ てう い うぬ ・ ェ
ば 現われていない。
ば 松の木の形をもつ 、目ミ
見えない
形 ろ形 、例えば神人が て 構想力の働ぎが 老 なく、リアルな,もの 352の ﹂の世界としで、それと神々 と 、フ ﹁もの﹂の地盤では、﹁ 考 、 乙 ・の﹂ な、形 そのものの自発目 屋 である 神々も聯関して在るという、 大ぎ い う ものか働いていると考えられ すことは出来ない,まム 卜 ての構想 とか 一 1 主観的﹂とかいうこと 空成 の 触れ合い、或 は 一種の相互選入 ば 同時に例えば呪術的宗教的な か 、そういう大きな事実が生起し もの・一の世界の中での人間の或る の神話論でなし︶ - いる様に、構想 璃 的な立場 ホら 挿話的思考を取扱 源 的な 在 , 方 、﹂ ,ど :人間 C 一 つ ないかと思 う, と 破られて来たのであり、ミュ
神話の問題
トスに対してロゴスが次第に目覚め 四一 0 間もまた流動的であり、 且 ? てれ といつても、ものの形を離れない。 。併しそれは単なる空想でばなく、 な 全体の把握の一つの仕方といえ ょ ると思 う 。神話に働いている構想力 力 め 働 き ・を主観的な夢想と考えるこ 立 する以前のところで、即ち﹁もの﹂ がある地盤で、上にいつた大きな 全 行為といっでも睦れていない。叉そ ︶。 - 来る 源 として、構想力ということ 根本的なあれ,方に体ならない思 う 。 力 を初め、ずり・早に人間の意識の一つ フン こ、ぅニ 5, ア三問題がおる ,神、その時の 一 ・もの﹂ いに流入し合 う もの
、科学の立場が現れ んに物質の世界とし ある: - て れが唯物論 の 生ける関係を切断 によって世界を支配 口二
程 はやばり 千 リ ンヤ
よって 穏 つていると
ゥ一 ・・ルグ l
出づ 珪 / :・ @ ぷ - 仁 - 汐,|レ
二 - て 0% Ⅰ、二方にもま
学的知性の立場が現
,、 ざせ名神と人との
自己自身に即して 見
問 と神との関係 み中
、ミュ・・ スの 立場か
立場のこと 黛日 , 入措
論 的、原子論的なも
技術の発達がもたらすそういう人間の新し 七円 ム Ⅱ @ 六 ・ 亡 ス Ⅲリ @ ・ l 古田作
立してくる。第三に、世界と自己との生け
性 とい, , : 一 Ⅴ一時 壊 か山 巳 ・
芙
ている,悟性の立場いると思 う ,それは
ぞの反省、内への屈折によ つ千 : 八 闇は
己は 世界との 生 げる直接的な繋りから断ち 自己 ゆ質
豪的普遍の立場とか或は之の㏄巴綴︵ い お と
中心的になる立場で
係を切断するのであ
るような関係が成立
して現在までその 上 場を段々発展させて来たのである。
揚し 、根底から・ 統
や アリストテレスに
にも よく 現われてい
去に古ム キ Ⅰ 起 Ⅰしてい 二り 。
的 苦闘は消えて 朽 つ
、 @ ダ @- フ い うソブ イ ス 四三 %
話の間
題しかし ユ ﹂ ぅ しだ 哲淫て による再調整の努 刀 、 プ 学の努力にも拘ら 廿,、
にいう ノ十卜 Ⅰヒリズムの か無 とかが根本の問 いろ。それは将来に解
芸
服するというよ う ⅠⅠⅠ と 思っている。 四四一度 把よ 直すという
成立し、それが哲学 0 基礎として近代にまで 到 つだの てふぜ 0,
目 次 一 ﹂ 序 二 嵩高宗の御製一切漬藩庁 三王懸河の道蔵経 序碑 四道蔵形成の経緯 五 秀文 操 の三韓蔵経 封 士ヘ上ロ / 十八 小 一 一 一 一 口
一席
編纂せられ、これを道蔵と呼んだの
のし、他面、中国仏教学の生成にもか 当 重要な問題を包蔵している、と言える。
は 、今のところ資料的に不充分なの ぼ 蔵の成立について は 、何時ごろからであろうか。 らんでくるま ぅ であるから、 相 で、本稿で は 、道蔵と名づける 四五
道
藏の成立に
ノっ Ⅰ 玉て
十
岡
亘
豆
上鍵羅福蔓氏 の 輯 録し 一に、一切道 隆が 写録せら る 。 顕慶 元年二八五ムハ︶ しだが、唐朝歴代にば数 幸の人物であ同そ -.
モ
。ての全文を掲げ・ -0 。 一切 道経序 蓋聞 、紫 仙握契 、 銀喜 睡彩 、 盈尭印於 愛以擬範 、 堅昭通敏 鴨 雑載 饗 、克復八 %フ 一文がある,これは孝敬白手帝の追善のため
は唐 高宗の第五子で、名は弘、母は武后であ
L 。時に二十四歳。 翌 五月に孝敬白手 帝と 追認
くしていム士 か 、即位しないま ュ三ト天析 した 薄
せられだことは人情の当然といえ よう 。 次
の 極めて重要な資料と 転 ぜ OJ ものであるから、 御製
一概 穣 、 著 節理 函 、 ボハ, 釜ョヰ億 蕪編 、 刊功百笥 、
憲 治 警於街檸 、 普 無功 於 晋一
、 問安視膳 、 韓 恭章 以端儀 、 撫 軍監 國 、服仕
何 % 離遮隈碧 、 旋虚翔鶴可弼 、 奄促源仙之駕 、
昔方 於賓階 、抑 虚帳 、 而推心 、伸 空苑而咽
二度高宗の御製一切漬経度
匹 ムハ﹂ い 。即ち道蔵出現の
チ 二弔 J 和芯占ご坤 Ⅰ 二 りであ八 つ 、ソ、 ども 思 素甘, る 次第である。
- 知るこ ,, ﹂が出来
成都に上﹁ 日 ︵一万のものと、
製序 なるものが、 ど 四七 道蔵の成立について
れ
るまいで即
%
な端にっ
たそ
"れの
た御
含 "筒丸、
"宮、
涙 " 。 の 時 ち く ら の も 製 陰 擁 秘 、 興 こうで
年期ろこしこの
の うといとなを芝屋、
序陽流冊 、
言 鞠任家 、
而警
新色 所 播植、亜美人 辮 、供出四遠
何時
一 る士 ヰよ
常で
プかつ 。
、て @.
亮後
孝敬
、と
成立していた、ということになる。
三王懸河の道蔵経
序碑追尊老子 號玄 元皇帝 詔 太平公主出家勧戒事三年 嵩天下諸州 観詔 安道元年 道蔵経声 碑 三 %% 高床 櫻
、
即ち 玄 元皇帝 詔 といい、太平 大事を伝えるものばかりである 成都立成都
興一武后 製 、 一月二十三日別 公主出家 勅 とい お 、それ等がすごし
:
成 日午 安 道元 生 仏 車宿 天下諸州 ﹂ 王 懸河に,十二月刊成都
世の道教 安道元年 んな内容のものであったか。定刻 笘篇 ことが @ ぃ ⋮七ィ @ 、ない:しがし、おキミ @ くそ いか:後世になると、 仏芸 c 大蔵経干し おいて、それも道教の一切経を書写 供 到底あり 得 べからざることだ、ニ言える のことである。老子道徳経を科 挙 の 話 係 が不二一体の形にまで高められだの 道士達の活動、唐 室 との結合が想像以 代表的な一人として三懸河を考 、ニ ﹂ 見 次の如く記されている。 四八から、序の内容については 卸る
めるのかも・ ガ ・れない,というの
, ・ 一 ・なお不明である:若しも臆測
し - Ⅰ ゾハ, -/. 、 -@ 一エ - リ -- ハし ・ 一 - 玉
の 余程強力な関与がなくてば、
、古里 示 の 転 封元年二八上八一八︶
も
高宗であ同宿
室と 道教の関い ,このことほ同時に、当時の
てしてこれ等の道モグループの
ヱ の玉懸河の碑は四種あって 、 350
道蔵の成ヱ は ついて 四九
る 。中央 で 活躍して
- してその時期に彼の
られだのではなく、 こ
て ・三懸河の立石 し
不都合なこととは舌口
ばあるまいか。御製
小 理な @ 二 @ と ではあるま
り 内心レ・一誠めるものが
居宅のもの, ヱ如 らげ られていても不思議ではない,
な 資料が提供せられ
、現行本・道蔵の中
傑出した道士であっ
慮を払ったわけであ
仏教信者であったこ
、フ ことになって - い
すでに修正してある
しの点をいざさか掘 り 下げて補説することを意図している。
て、 少な,
三
, b 高題へ 、 ,ぬ - つ /.- 、かけ・一に
-. あったか、という 疑
れている経典の分量
が 当然で・姿の。そし
げて有機的な体系を
代 に完 - 成していたの
レよ 、フ 七仏もので モ の - の の
していても不都合
てよい、と思われ。の ことを若干注意し︶。 - 見たい
四道蔵形成の経緯
五 ① 362五一 道蔵の成立について
牡上
︶ |
小乗
初法
允伯
之
ド . ユ亘 "正太
清
- 部部 この中に道教 経 実際にば 三洞 三十 詮の浅深によって 別されている。即ち洞貫 は 大乗、 洞支 は中乗、 して施設せられた つて十二種に分類 録 、戒律、威儀、 法 、衆 術 、記伝、請願、 表 奏の十二種である。。
洞真 もこの十二 いるというわ け で で ヰやのから、とに ,フ のは、天文部、 ﹂いる。即ち人文 は あると さ れてい 7,Q。
な 関係になる。 主 三周 申 日輪 教教法
そ 洞 穴 か あ 部 労 し も 区 六 典
いし、殊に南京の近 ノ、 に占の ニ ラ しだ道士の活動ばあ っ 北周武帝は仏道二教を廃
ので当時道門の英
士が 学理を・青めだ、極めて視野 直接心原因となった 、と言 経を集めて隆広暁諭八千三 要 しているから、その収蔵 文帝の帰依を受げて支部 観 に委 化してい マ 0 か 、このこ にものと考えられ, 0 :かく 残念なことには、是等の著流と ,ばつ 一 ・ - いにらしい・﹂北朝におい サ ・ -, っ、
ム ﹁の佼の梓洗二俣だなくてばならな
% を 抑圧し︶・ - 道教を保護 寸 ・ること一しふめう た
、、 多 / 、 0 席を占め、ここで儒教、仏教の
云は桔から初唐にかげて道教学が大成す 7 る
す有道士の一人であった正延 は 、天下の道
られている 1 - 彼は在ニ上方山道士 % 焦蛙 にも 師
廿 ﹂と づ,あ - つ - フ 。惰が天下を統一寸,るや、
最高の地位に即 き 、仁寿四年︵ 六 0 四レ
行く上には、まことに恵まれた立場にあっ
によって、玄門大義、玄門大論、玄門主
料が、 続々と出現したわげであろう。 唯 、
い るものでも、 わづ かに断片を伝えるのみ
こ 注意Ⅱ ニ -
, ・ 孟刺 石下のふ 担士
備に努力していたらし
敦 の "" 士 % - 毛 "@ ょ 枢
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Ⅰ・Ⅰ l ユ l@@ -- リ ン D - 頃
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Ⅰ
U
l - (" t 同 ・ " て 一 一 % 二 已 % -l- 理
ほ梵 の ・ 発 二 丑 - 一 ・
立葦
接子
開 定 ・ @ " 一 し っ て初唐 蔵経回 理作成 観に建 ったわ もので 一号、上 てば な
十 一二一口Ⅵ杏の道
千三十巻を 整
等 ・建立1が 楼
まれた立場にあ
出来る最初の
印川甲 Ⅰ リン Ⅰ。 m 七 % の 威
あったと見な ノ、
窒の庇護と尊信 五三 ぼ 蔵の灰立たり い て
五男文
操 の三縄蔵経 たらしい事情が全く看過されて きた るし、水際 経は藪 畑出土経典の中に ﹂とが出来よう。 して大蔵経成立後に編修せられた 点は ついても、若干修正しなくてばならない。 惰の統一天下という客観的な好条件 % に 集められて整理せられることに しろ、 周 武道道観の余韻を考慮する 車ヴ 、することがで き だということがで 。しかしながら、 相当量のものが大 よ う に推測せられ を得てばじめて、 なったので、その と 、 惰 初において きよう " 玄門大義と玄門 められるよ、 フ で ていたが、この これまで東西南 意味では仏教と 道教徒がは五四
- の ,仲村里一一・ な 事情,も - だほ
, 。 、し Ⅰ主日 厄チ 二億
Ⅰ﹂も想起すべ キ毛、あ
延 の 三洞 経書八千
大体におⅡ
千三百 巻 というの
実在し
俺 すれは よ いであろ
芳文 操 の主簿軽目 と
六巻を著録し ノ ・、ある
十 四十八巻にず 一 - ざな
よ い。
、マスペロ氏は遺
張仙庭 の 三洞 後嗣 の
これを道士 張仙庭の
0 玉 緯 軽目の侠女 と
よう に思われる。 366
究は 、まるで手が
か 大供しで いサ ざし
止み任期しだい。 士 た
なりに真剣な努力
与えてしかるべぎであろ - フ 。
資料の扱い方など
め @. の
十一を参照のこと ぽ 拙著 一 1 道教経典史論一一一三頁 参昭 ㈲同前拙著九四頁 参硅
田溝
繭 、 懐 、第七八 01 セ 八二冊 ㈲ 滝蔵 、 姑 、 珪セ 六五冊書中の引用書目を占子本してあるから参照せられたい
の 下も倖 ぜ 参照のこと
所に触れているから、ついて見ていたださたい
皿拙
・ 著 ﹁道教 統血宙註 ・一九四頁 参昭 漣茂 の 戎ヱは ついて 五五 五口 ムハ 鮭柏 367一 ユ