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『宗教研究』147号

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(1)

――目次――

1,

宗教学50年の歩み:東京大学宗教学講座創設50年を記念して, 小口偉一, The fifty years of religious

studies in Japan, Iichi OGUCHI, pp.1-15.

2,

姉崎正治の業績, 増谷文雄, The works and merits of Prof. Anesaki, Fumio MASUTANI, pp.16-30.

3,

神話の問題, 西谷啓治, Mythology, as a problem, Keiji NISHITANI, pp.31-44.

4,

道蔵の成立について, 吉岡義豊, On the formation of the Tao-ts’ang (道藏), Yoshitoyo YOSHIOKA,

pp.45-56.

5,

菩薩団より仏乗教団への展開に関する一考察, 紀野一義, A study on the development of the Buddhist

societies, from Bodhisattva-ga

ṇa to Buddha-yānika, Kazuyoshi KINO, pp.57-92.

書評

6,

中村元著『ヴェーダーンタ哲学の発展』, 山口恵照, Keishō YAMAGUCHI, pp.93-95.

7,

ドイツ通信, 田丸徳善, Noriyoshi TAMARU, pp.96-98.

(2)

子に︶ 士 不乱 以が 字の韓 帝 ・ 座一 い -, しかし、この五十 仁、 - 、 v め, 0 仝 息味千 - ば、 - て 仁ナ ・ 一ン こにも・なる,

担任しだ 11 記録 使用されだ一八七 ち年 だ げを重要視するならば、それ以前にも、 ノ ア クやテル レ に・よって して重要視すべ き こと

れゲ - いても、その内 宗教学五十年の歩み

念 して

口 ㌃ 丑

宗教学五十年の歩み

(3)

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ぃ国 授乳の 世 とな ら ・ニれ 全機関とし ァ, - の 教会 ボ 成立 旧 王だ﹂対する新教の戦が 主 制の祭政一致で、天下の平定流一によ を 奉ァ Ⅰ - ム。る円ニ王 けぢ Ⅰ

- ヱ 祖師に﹂ " す る - しかしこれが勢力を 、 。 ん - w ︵ と、教理 ニれで あ 色だが新教の旦︵︵ - 万寛容の態 屯ト圭ノ、 : :・ - 1 % 、偶像 教 、 凡 物 我 、動物 年 しに は 有賀長雄の三万 教 進化論﹂ ぶ刊 る 宗教的行為に祖先の亡霊に対ニ・ る 恐怖 ・と・ 下 ら成り・翌晩に身体・を遊離すること 神の仕出と考えられ、逆にこれを利用す ヘンサ @ の 二 宗教進化 払囲 の翻訳ロ星 摘 い 孝三三Ⅰ︵ つプ 。

北進され・にといえよ う 宗教学者とい・えば 比ぃ 定の宗教を研究 諾の講義になじまり、次いで井上哲 沃 郎 から見れば、井上円了のョ笑標的宗教学 そにとくに注目 め す べ 占ニ Ⅰ下る 一 一 ァ ﹂、存在 l- フ 。 0%, 亜目 一 ォ ・ - いだにちがいなり・重だ漠然どしだ宗教 0 研究・から、 宗教生﹂の 前

(4)

ならなくなる。 け れ

- つまり宗教を決定す るものは 折 母子にほかならないこしたト人世 0-"

層 にば ぅけり れられ

示教現象を﹁発達﹂と

い, ≦点で、ル一万教学の

一 ベルに相談しだとこ

か -0 が、劣等宗教とか

キ 、して単セ 下 か自己

山見られだ。

比較宗教学会を創立しだ岸本能武人 は 、三本教 の 比較的研究。に 二

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か らめつだ :これらに 対

としては、信仰 は 神聖

ダ - の 一ヰ 琵ミ ・ 日 田 , 研究 ニ

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、迷信であり、迷信で

、も 、社会において 大 一 宗受 単一 ユ 十年の・歩み

(5)

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中心の思想が見・・ ん、 科学どし プ,の 宗教学・ 宗教から宗教の根本的原理 キ温 M-W 一 かし、これに ⅡⅠ 、 ... オ しノ L つ : ノ ・ - 哲学Ⅳち岡 ダヲ -. ニ ﹂。

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- 久 - コ 、りノ :、 一 ,・ 、 ペ ソ - ハ :一一 % 芸林

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宗教の本 圧貝 と聖経、 教を美術、道徳、科 げ れども・おそらく 教学の内容﹂ ピ蕗踵しィ 。 、 翻訳し、これに ょっ

門に 継承される領域 316

(6)

︵ 4 Ⅰ

四部門がとりあげら

一 れと人格的交渉を結

日を観察して、包括的

のとした。そして第一

の 部面を担当するも

とりわけ宗教と社会

識 の一部におこる 偏

のである:

出しだが、それらは

事 した加藤支管の 貢

くに 宗許宙乙 ﹂関心を寄

発達史的方法︵ 、 、ある

ている点がばつざり ︵ ニリ ︶

の 宗教学の概論書の

国 大学に続Ⅱ

では主 として宗教哲学

マ ツクス・ミュラ 五 宗教学五十年の歩み

(7)

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(8)

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(9)

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クロア等の翻訳や紹介が行われ㌔

し 、雑誌﹁宗教研 画一。 - はあまり恵まれな

会の機関誌として 今

れているものでは・ な

宗教家も神 単 ﹂者もい

困難である -., この点

和 三年︶ L 刊行され ︵ⅠⅠ /

容 的には問題中心 ヰ汀 なく、執筆者中心になっている,

よって育てられだ哲

な 立場からも、宗教学

らない、という論法

て、 此も外面的に過 320

(10)

単に過去の記録だと 見 る偏見と同じである﹂と述べている。 この期間に、動、心 ﹁宗教研究﹂誌上で、 立場から、研究対象 学が キリスト教偏重で としだ。つまり、宗教 中 に生きているものと 示教社会学 ゃ 民族心理 学ば未開人の宗教を対象としているがめ の 宗教事象を説明 寸 - る ︵ 2 ︶ ある。この主張 は幾 く 反響を呼ぶにいだら なかった。 際にば、こうした 学 の 資料と方法に基 く学 んよ ir,, コ潮近 宗教学説 円 一万Ⅱ % れ学の成立 史 を内 のとして忘れえない。 九 宗教学五十年の歩み

(11)

し た 頭 わ 媒 な の - て 。 し ゆ

介意

さ 類 種 華 字 て る 者 味 き 型 の 八一示教 覇 、 学的な にも述 で 丈、 0 よ う 宗教研 ュざィ,、い 野 円空 げ @ こ 二本 教 現象学, ヒカ 念 ・ ヤ 、この側面か 大きな影響を与、。 ん にと,Ⅰにトレル ほ 宗教史学者でも 究 者がすくなくなかつた。 げ れども一方で は、 個別科学の発展に 赤松 智 城の精力的 一九二二年︶とを 示教民族学は主と 、日本における代表的な宗教学文 して未開社会の宗教︵原始宗教︶ だのは宗教心理学であった - 方法 チは 、宗教心理学、主木 教 哲学との おり、宗教哲学土見,も 由 やなような つれて、宗教民族学や宗教社会学 な活動によって・めざましく 展 ら 再考しなげればならぬとおも う 最近の ワ ・ " ハ 0 業績と共に、宗教 現象 論約 問の が 拾 聞 し 献と を研 一般宗教史 は 特殊ゎ一木 訳者宇野円空じの訳者 際に著おされだもの 一例外

-

あり、むしろ

経験的な 単 - 間と L 一 i-

問題が、進化主義の 百尋 @. アし, ⋮ 再 % 高 -- 、才 ユ ・サトノ 一 O

三 二年 レ である。 そ

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(12)

宗教学五十年の歩み 一一

よ いであろ T@ 。しか

社会学派との

全学からの

いうべき意義をもつている。

0

塞 冊立

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︵久松真一︶

研究について

派の宗教研究

︵矢吹屋

と特殊宗教︵シル

ワ,ン

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ている。鈴木祭

﹁宗教学買論・

二九四八缶

たはギ

・である。

4

日純近

宗教学説の研究し所収。

と理論

︵一九三一年︶

所牧

されたが、

︵Ⅰ

ユ ︶

諸々の研究機

の 羊 一 校 九 い ? て の プ 関 究

対象

旺 … - 本

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宗教 書 と ロ ー 係に

(13)

三一

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一札二一年し 、 - ての 活睦 な運動わ開始し、 ルカ チェフス

捜 して -

大本教

興止 - 示教

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ネ仮 ・ ナ孔 自 3 ︶ に 圧力が加わって,くることに 気 つかなかつた。

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(14)

ぬ 状態になった,そし ︵ ユ ・ ノ - ょ 一なら ュ,写だ 事態を見上﹂

・: 頃 でおる , - 一 れば 査 をぼ, h. な ﹁の ほ、 多く 一 :里の必要を感じさせ ︵ 5 Ⅰ 残念であったが、個別 的 研究だ けぽ 進んでいたといえよ テ, スラム研究・ なこば、

、乙る 。本来、民族学 一白 牙と l り ては、 丁のと ゴ

ご ろこ広, 。・ 、し遷イ、し 信人等によう子 - 紹介 ム、 - ︶ て 紹介され、 ド 山 正直等の業績があ 古代宗教の研究も見逃せない。

二つて﹁現代宗教 と 片山正直とが宗教 哲 - と︵ 、 - 山や ・ 0 :学問的 一一一一 宗 % むむ 一 ,王土干の ヰ - み

(15)

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られた・引用・ ズ

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刊は 、文化人類 堂 ,

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(16)

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一は・ か - つぅ ・ ,が 。ト @ 五 % と﹁ し /-

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足 していないの

め - げる宗教学の歴

- もつて 発 - 書 する

:近い将来に達 れることを念願ニ

もので + の, 一る 宗教学五十年の廿 入 一一五

(17)

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ッ - の 。 弔 一ナ︵: - めつ ・ 一 ・﹂

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穣 ・ ニ つの立場 に お られる方よに は礼 ・甲兵する・かと思われま寸が 、

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手 - のま ,ニパ - 先生は曲

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訳 の 改 - 訂版 のための

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(18)

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(19)

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のことな見落してはならないの

ロミ丁ともまったく 別箇に 、人間 討 ﹁ ど ・ 、 - ゆくというこの道を 、ば, ︶ u 口 のであけま 丁 ,だが、この辺の

- め ・ り, ・ -- き ・ 一

G2 ぅ L 息 う のであります。 石 三十年から三十三年にいた

刊行いたしております,おの でありますが、なおそこには、わが 国 もがどれだ げ 感謝してもなお足りない であります: す な む ち 、

私どもが

今 のいとなみとしての宗教 7 科学的に検 ことは、小口氏の講演の領域でありま 二 - ﹁ ニ 二 % 未億趺ユ - のものとしてば、こ び る 数年のあ い だに、﹁印度宗教史﹂﹁ 印 おの大部の力作ではありますけれど 一八

のかとい、 r> ことは、 か

巧ぁヱ ・、みることが適当

の 宗教学の育ての

年から三十三年まで

学校講義録︶、ハルト

せられましだ。

(20)

た 。丁でに稀にし

した。甘皮 の 、ヴォ 姉崎正治の実績 一九 ぎ 館 を か ) あ そ い づ ・ 、 - ・ " も

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衰廃

で Ⅰ

の て @ @ イ い

にお・ぎましては、 い な Ⅰ リと言 由ってよⅡじと思 うハ りであります。 先生を冒 漬 するもの と 心配して下さ 。何となれば、この ま丁 。 い たいと思い古 ヱ 3 。 いありまぜんから、 ち 闇もなくのことで 心 をあっめていた。 の べ た いと 思フ こと あ h., ま ・ 一 3 。 ばなかった。日本の

に 帰し ム ・星白であ・ りま 生で・あり 巨 しだ 困難 甘 ・。 、あ ・いました、 文化の中心である東京が焼土と化したのであ す 。そのために・古書の価格というものが 異 古書を ,も、ヰ ぎることは、それを見付 げ 出すこ この話は、 それ以来、 ありました 。ての 関 T 小の でありまず 三十 先生と 幾 。東大 焦点に が、先 私との間だけのもの、そし 年、私 ニ固だ げの記憶の ュは では百万のすばらしい蔵書 立つて、先生は東大の図書 圭の研究そのものにも、 大 ではないか、あるいは、やがて私が彼の世に る む き もあろうかと・ キギ, るのでありますが、 ことは、先生みずから認めておられたからで ずれも、古典として後世にのころようなもの

(21)

名義のあ、 - ニ - 光 しわぷ 二苦

弟子 は 、先生

過は、,も、フお耽ょ @.@ /, 、 の役割をもっ

リ ます。も

-- まだ 翌 四年に られましだことなどがそれでありま 丁 。

、異 つて - Ⅱ・ @ の してば、次のようなものがあげられます。 仏教聖典史論︵明治三十二年︶ 年 ハンブルグ 現身体と法身体︵明治一キ七年︶

おいて執筆。学位論文であった。︶ 清三十四生,︶ 0% 洋学会での報告︶ りン に 二コ

叱られ

れ 以後

それ

開拓

生と

刊行せ

労作と 3 色 2

(22)

経が 、その訳出

、復原せんとする努力が行われている。︶ 根木・仏教︵明治四十三年︶

﹁現身 仏 と法身

れぞれの意味にお い

できないもの許りで あります。

ますると、今日、私

かと 質 ねられたと 致

えてみましても、 私

思想論﹂でありまし

のは、大正十一年の

一体なにをしていた

いのであります。

︵すが、非常㌧に流暢 な 名文をもつ プ 皇民かれ ァ - 五で︵こもかかわらず、

只今日の人々には、

め ・ りユ - 中上 ョ :

。すな ね ち、研究 一一一 姉崎正治の業績

(23)

る 、学的研究の結

含とパ 一リ五部 と 、 仝 亡 きめ、円二の局 0 由 *,

ねに恩恵をこう ちっ

、先生がこの領域に

ろフと 思われます,

ギ 臼に

疎 なるは仏教 の上において従来 宣旨 目こ接 ぜんと

信念に出づ。﹂

的 研究に基礎をお 二言葉 は 、先生の新し 序文にも、 一一一一

コ ・ づ 0

の 研究﹂ ギ

料 とによる特殊研究

(24)

のの コ のもとに、 学

め 、オルデンベル ヒ

じて Ⅰらば、リス

い毘ル 田斉,を 呂 Ⅰ け ・と っ ・ に

に Ⅰ わのレ ﹂ 壬己 つてよか ろうかと思われま 十 - :

。すな ね ち、留学

八頁の小さな書物で おりまし ィ ・ - 、おそらく、先生の労作の中でも。

+,, が 、それにも拘ら

含まれていると思われるのであります,

の 緒論にすぎない

額 であり、また、 そ れに 塞 いての方法論の問題でありましだ。

一 三年から二十 セ八

を 試みましたのもそ

ことであります。 ま

はじめての仏教史学

一一一一一 姉崎正治の業績

(25)

二四 のことは、今日では

りかえし︶・ - 、なんら

容易に -. ての芽をのば

仏教学の領域にも、

をといたものが、 @. ﹂ の ﹁仏教聖典史論・一であ っ だのでありまず

詮 したのち、大へ

@@ キ ・ ヘ、 延 手元年︵・西暦千七百四十四年し 士 。 E 永作基の出定後語 西暦二丁八百三十五年︵天保一八 %, し 音書簡論 三善 mW 現の記念として、この小著吉公にす 明治 冊 二年中夏 後学 妨崎 正治 とキ の ぃ ・十ヱ ,

げらいた徳川時代の

の ﹁所謂牧者書翰に 就 、いわゆる 新 チュ 一 336

(26)

の トップを 男ノた も

、自分はい き それら

富永仲基の緒を っぐ ﹂

であります。

ののちに先生が 刊

Ⅱ ゴ n@ H っ o ︵ 屯 ひり Ⅱ ︵︶︵ 臣 レ ︵ ︶︶ い の一汁

・デヴィッ ズ のもとで

にこの小著において 茄 していたの 干 、あり, ま 丁。

したことは、ぞこ

究 こまず到るという こととなり、その到達するところは、やがて、

と 具体的にいえば、

えり みれば、この 小

発していたのでありま ニ 。 ,

支いのでありまし

- 出されているので, あ

ぇ られております。 む

はどこか不徹底なと 二五 妨 時正治の業績

(27)

も 卓絶した人物を

うち 、この問題を歴史的な問題にの 人 局限し ノ :教理的な問題とし 論 批判﹂の中に・も 、 一八一一一一一 け ・ -. レ一 ﹁ れ ・ 一 , 一 --U .-,, 一 " 一層 卜 れる リ 、村上光生は 、 して解しがたいもの・で 三 、どうしても、 大 呈 さにもかかわらぶ ,、 えば村上専精先生で 占めるとⅡⅠ ミノ ことにない ノてし 上イみハ ノ だが、今日にして静かにふりかえって見ると、 而か 、ここ姉崎正治

ぅ のであります。 一 一 イ ソ でドイッセ ン の 、 ,こしろで知己となった ハ | バートの ウ ー ツ いたしました,これ す 。 338

(28)

れるのでありますが、 でありま 寸, 。

口 賃料を用い プ ﹂ 、 て 二・一・ 0 ︶︶・ n@ ︶ し 二集 ミトず侍 重義には用いなかつた

書かれたものであり

くして刊行ぜられで

ニ倍 す - ハ つもので 主ハレ - っぅ がと思われます。

す 。へて 、 決して 単

この人物の細胞のな @ そのことは、この 学 た 。最後の著作﹁わが 勺 のも、その間の消 自ゅ 立ち向 ぅと ぎの先生 っ ておられるのであります。 ,てこでは、 よノヘ知

かい闇にわたって 、 ニセ 妨 時正治の業績

(29)

いて、この美佳 硬は、

であるということが できょうかと思 う のでありま す 。 四 異里な図書を蔵した さきにも一寸申しの のであります @- だ

億 も及ばぬ大任を負

ら 、その多忙な日常 の 一端 宮 見聞してまいつたのでおりま 丁 。

了った時代に は、 荻た 仕事を片手一 L か ㌦ かつていた﹂のであり

れました。この後者 二 - 、 @

信仰的態度が、冷静

(30)

ありますが、そうした宗教史の実質のなか ふかく入りはじめだのでありま す , 幸 - の中で、 特に先生の関心・をつまぐとらえたものば 、 度合のあ﹁ ダ 一でみ n, こ,レだ,ゾ ,一二かファナ テ 刀 ゎ感じたこ、 ニ :・ あ - ︵: ,,, ・㌃と思われ コ - み 十 ナ呂 、 ・ く 小ロ し商 Ⅲ 一 1 片 切麦 丹 宗門の迫害と潜伏︵大正十四年︶ 初亥 丹 禁制の終末︵大正十五年︶ 切麦 丹 迫害英中の人物事蹟︵昭和四年︶ ︶ ヲ巳携ぎコ ︵昭和四年︶ 切麦 丹 伝道の興廃︵昭和五年︶ 切 麦丹 宗教文学︵昭和 セ年 ︶ 切麦丹の問題は、宗教の学の立場からい り 多くの注意を払われていなかった。その ぅ ような名をつけて、忌物のごとく取扱わ 0 日常のうちからも・貴重な時間をさいて い 研究領域の開拓者とし ィ ・ - すぐれた仕事を をもたないために、 そ 8 案績の内容にふか できないことを残念に思 う のであります。 妨 時正治の業績 資料は、、江戸にも、 たします・ると、非常に興味 各藩に ね 、手をつけようとする者 このような労作をいと・ な の こされたのであ ります。 , く ふれて 申 しあげることの 三 九 ・ に 。先生の関心はしだいに この国 一 ﹂よ の いて,キリスト イゃクは 珪格を,ノ ミ・オゾ , ¥-

(31)

昭和九年、停年によ つ ︶﹂ んで﹁ 已腓集 ﹂と名す け ま 歌主巴瓦、 梵行已上。 所作 已非 。 不安 後有 という釈尊の詮 法 の一節 とぼ為し終った、 二 旨いう ら なお、申しだシミ﹂と、 と ・を・ 甲 しおとしていること もり ノ, おりますこ今日の私 ︵附記じこの講演の参考・ 女 によってた 叶糊衣さ ねだりもので 五

しだ :申すま づ 、もな く、

みノ ﹂、所作すでに弁ぜ り 、わがなすべ きこ

ばならないのであり・ます。

太子の研究の二﹂となど、 申 ざねばならぬこ

を 車上げ・まして、私の今日の責を果したり い ・にだと ビ たいのであり J- も よ :。

早暁学生後藤光一郎・松本渡岡君の非常な努力 あります。 三 ① 342

(32)

神話と らではな ある宗教 ると考え 宗教と 方や色々 が、中世 Ⅰ ニへ 、 吉 ,の 存在の基 宗教が占 もい う べ なく、 古 ﹂的な角度・ か

ぎな問題で

を 潜めてい

らで ・ある, 、ものの 考 、めん

基本的精神

ば 社会制度

闇の歴史的 、それま 千 - 亡桂 の 睾 ﹂いこ

たことでは どこまで 遡 一一一一

神話の間

神話の問題

西

舌ム

(33)

一一一一一 教から独立し 、 更に で ,もつ ゲ - 土に・にこし亡し 科学的も・二布、だ方が 段 -C し Ⅱ /-. 千 ・一ト・Ⅱ。・・Ⅰ・ / 、 - 、 ホ教のと 干 いは、何らか いわゆる啓蒙主義と ﹂ れ、 五 % 示教自身も

,合理的な思考以前 であり、合理化の運

を 及ぼして来たこと ていることは否定で ないような事態が現れ

ことで言い現わされ 間 との関係、つまり

に 機械化されて 来, ・ Q く、 或は少くとも 衰

などにお げ ちょう た 344

(34)

人間が自分自身の内へ返照 し 、自分自 が 一般的にも社会的にも表層的になり 前世紀の杓陵王。から現代一にか 叶, て色人の いと 思 -- ノ 。 そういう趨勢につれて、その反面に た 有機的なものというか、とにかくそ れてィ、 るという頓阿 が丁 つと続いて 現 する人人の場合では、単に遠い過・云の のところに現在でもなお動いている ょ の 想起である。想起ということは・ 周 れと似た仕方においてである。プラト た イデアを想起する、それが認識とい で 人間の魂が自分自身の故郷へ帰る 、 て 色々な迷妄に囚われ、矛盾や困難に こから由来している故郷へ帰る。その けであるが、神へ還るということは、 れたことは言 う までもない。ところで の 問題は、歴史的な生の間頭のことで

神話の問題

を 主にした見方というか、生 き 場 というものが、再び想い起さ 、そういう意味で神話を問題に く 、むしろ 吾 々の生の一番根本 つてよい。即ち本質的な意味で 質的な概念になっているが、 そ

れる前の前世において直観し の 認識ということは、ある意味 在 感覚的な世界のなかにあっ 起 によって脱出し、魂が元々 そ は神へ還るということになるわ が愛 智の意味での哲学の道とさ とば違っている,とい、 フ のは 今 ているという時に、あらゆる 文 一一一一一一

ぺ 忘れられてゆ き 、人間の生活

末 革命以来次第に顕著になり、 ミ 、一億 列ニ, - 斗毒 ⅡⅠ るヨニ 345

(35)

三四 + やのような神話的世界へ還る 、吾 々 の 起の意味である - だだ緩し、プラトン な 意味しだよ う に、歴史的な生活にお やはり 吾 々自身の歴史的な生自身 えられ、現在のうちに歴史の元 初 を開 質的に取られている。歴史の始めとい めケし 姿のことだと言ってもいい,。 てぅ 配が 段々醸し出して 未 だ、すべてのも 神話的なものを想起するといつても、 紀 の神話 " というような本も出だが、 埠は 却って生が全面的に機械化され ノ 。 、 になり日本でも最近翻訳されだ、スイ いている。即ち社会のみならず生ロ々 の 三班ての人、﹁ヒット一 ァ一 Ⅰ か 現れ得 Q のも、 又 その仕方も、そういう機械 のの想起は、もつと基本的な意味のも を 指すのである。 つた 意味での想起、 即 , ち吾 々の現在の 化がそれを母胎正して - そこから 現在の歴史的な生活の根源に還 の 想起訴において、事物の認識 いて、 吾 々がその中に生 ざてい の 根源へ現在において還る 、現 ノ 、とい下意味で考えられている つて、も早なる過去ではなくて、 い う 形で神話への想起が起つて のの機械化という問題に対する たとえば曾てドイツのナチズム あの立場は私が今言っている ょ 夫ム,一世界を地盤 こ 。 ヱ :現われ / 。 - スのピ ガードの圭司キ目身の う かめぅ,ごき 、世界の見方ヤもの 化された世界の地盤の上のこと の 、つまりその機械化された 世 併しその問題ば、現在の五ロ々 346

(36)

で 迂遠の昔に、科学 さまざまな過程 は、 であるとも言える。 伸

ぅ ことも事実である

いということも事実 徹底してゆくに つ れ て よ う に、あらゆる

くであろうが、その ・︶︶︶の M.g ロ ︶ 幅 という傾向

互に破りムコ っ ている

る 。今までの歴史﹂ と ぅ とする傾向が起 -, 。

あり、且つ広い意味 で ムジ q その様にし

でもやって 行 げない

やっ プ、ゆけ ㌔ 仏い 、 ま つ という事態が潜んで

神話の問

廣 三五

(37)

く ま 法 あ に つ の お が 伸 動 ィ に 科

どを見ても、一方

という気持が・

昭一・飽くなき認識 衝

観の成立によって 、

さないという・問題 ェ エイチェの回心想的展開のうちに、初めから、

思,フ 。 ニイテエ に の中で、近代料必ず

ぅ意 ・味の , ・ - 之 か ﹂ 言

ということを非常

﹂いないかり ノ T 曲目通ボⅠ 世界を自然必然の 別 に支配された世界と見る科学的世界観から、

自己というとこ, つ

追求し徹底して 行

間 に化すという 所 艮一山、 ノ

はいかと思 う ,その 意

を 得ないので・ あ -@ 月 @

ぱり,神話的立場と

(38)

︵で。 お由 口目 のア ︶ な問

然 的に生ずる筈であ

生身を剥ぐ大きな 苦

。そこに彼自身のうち

が 、科学的な立場の

段々合理化されて 行

が 普通である。人々

ゎば 科学を自ら実存 い 。深淵が開けると

自分の立場として 引

科学者は自分自身の

でも進歩するかも 知

が 、根本において ニ

るが、科学的良心が

返ってくる時、彼の

﹂から深淵の声が聞か

と 言 う のである。 併

﹂、科学が無意味だと 三七

神話の問題

(39)

その問題ばつまり、

アメリカのキリスト 刺 違えと呼んだ事態 洋 では現在、ルドル 一 -- 一 - 、

よ 問題が含ま・れているというので,ある,

の立喝で 済まぜる

- 干 ているという 話八

可能性を現わし出し

示教にとって一番根本

% 分とか思想乃至は観

0, 人間の思想や生活

とかのようなもので

基礎の 、 深みに

てそういう問題が解

んば社会が、社会主義

のままの問題が残る

くな 7 る、,ンし 二言 ロう なら

いと

言える。 ニヒ

(40)

界 、第三には、これ

主体的存在、そ うい

ユ考えるかという事に

係 がそうであり・神と 三九

神話の問題

つていると思 う 。。 て して、そこからど う

であるが、そのこと えていることを簡単に述べることにする。 一 一 の際 彼はハイ ヂソガ したわけ ァ - エや父 。 ダ ﹂ こから、聖書のうち のある立派な態度だ リズムとい、 フ ,もの ぅ,ヱ 主任 論 的解釈に 1 の開いス呈 、 あニ とばやば に現れている と 巳ぅが 、し まで問題を堀 しても、 そ @ 一

由旬

思 、 , 存論 的な解 な問頭貸し 正 ぅ ,それは 話 との相剋 至って い ・ な Ⅰ ノつ 釈 ということ・ マ 二 % ぃ ,山山 面からぶっかつて、 そ 非常に誠実で上っ勇気 から発生して来たⅠ ヒ い ので は ,ないかと 思 となって、近代科学の

マンは、それらの神

f. ェ ・︵ , - Ⅰ っ ぬと舌ロ う :ニ七

(41)

口 O

るもの︶の体系を支 にいっで、これら 三 と 思 う :神話の立場 。神といわれるもの 自己と世界との関係 流動的な或はダ ノ ブ 自己同一 へ 帰着して に一 つ Ⅱ結びついて この主宰す ,る 立場、 , ての根本的な意味に

、 或る個人が周囲の 、伸三 % も @ てう い うぬ ・ ェ

ば 現われていない。

ば 松の木の形をもつ 、目ミ

見えない

形 ろ形 、例えば神人が て 構想力の働ぎが 老 なく、リアルな,もの 352

(42)

の ﹂の世界としで、それと神々 と 、フ ﹁もの﹂の地盤では、﹁ 考 、 乙 ・の﹂ な、形 そのものの自発目 屋 である 神々も聯関して在るという、 大ぎ い う ものか働いていると考えられ すことは出来ない,まム 卜 ての構想 とか 一 1 主観的﹂とかいうこと 空成 の 触れ合い、或 は 一種の相互選入 ば 同時に例えば呪術的宗教的な か 、そういう大きな事実が生起し もの・一の世界の中での人間の或る の神話論でなし︶ - いる様に、構想 璃 的な立場 ホら 挿話的思考を取扱 源 的な 在 , 方 、﹂ ,ど :人間 C 一 つ ないかと思 う, と 破られて来たのであり、ミュ

神話の問題

トスに対してロゴスが次第に目覚め 四一 0 間もまた流動的であり、 且 ? てれ といつても、ものの形を離れない。 。併しそれは単なる空想でばなく、 な 全体の把握の一つの仕方といえ ょ ると思 う 。神話に働いている構想力 力 め 働 き ・を主観的な夢想と考えるこ 立 する以前のところで、即ち﹁もの﹂ がある地盤で、上にいつた大きな 全 行為といっでも睦れていない。叉そ ︶。 - 来る 源 として、構想力ということ 根本的なあれ,方に体ならない思 う 。 力 を初め、ずり・早に人間の意識の一つ フン こ、ぅニ 5, ア三問題がおる ,神

、その時の 一 ・もの﹂ いに流入し合 う もの

(43)

、科学の立場が現れ んに物質の世界とし ある: - て れが唯物論 の 生ける関係を切断 によって世界を支配 口二

程 はやばり 千 リ ンヤ

よって 穏 つていると

ゥ一 ・・ルグ l

出づ 珪 / :・ @ ぷ - 仁 - 汐,|レ

二 - て 0% Ⅰ、二方にもま

学的知性の立場が現

,、 ざせ名神と人との

自己自身に即して 見

問 と神との関係 み中

、ミュ・・ スの 立場か

立場のこと 黛日 , 入措

論 的、原子論的なも

(44)

技術の発達がもたらすそういう人間の新し 七円 ム Ⅱ @ 六 ・ 亡 ス Ⅲリ @ ・ l 古田作

立してくる。第三に、世界と自己との生け

性 とい, , : 一 Ⅴ一時 壊 か山 巳 ・

ている,悟性の立場

いると思 う ,それは

ぞの反省、内への屈折によ つ千 : 八 闇は

己は 世界との 生 げる直接的な繋りから断ち 自己 ゆ質

豪的普遍の立場とか或は之の㏄巴綴︵ い お と

中心的になる立場で

係を切断するのであ

るような関係が成立

して現在までその 上 場を段々発展させて来たのである。

揚し 、根底から・ 統

や アリストテレスに

にも よく 現われてい

去に古ム キ Ⅰ 起 Ⅰしてい 二り 。

的 苦闘は消えて 朽 つ

、 @ ダ @- フ い うソブ イ ス 四三 %

話の間

(45)

しかし ユ ﹂ ぅ しだ 哲淫て による再調整の努 刀 、 プ 学の努力にも拘ら 廿,、

にいう ノ十卜 Ⅰヒリズムの か無 とかが根本の問 いろ。それは将来に解

服するというよ う ⅠⅠⅠ と 思っている。 四四

一度 把よ 直すという

成立し、それが哲学 0 基礎として近代にまで 到 つだの てふぜ 0,

(46)

目 次 一 ﹂ 序 二 嵩高宗の御製一切漬藩庁 三王懸河の道蔵経 序碑 四道蔵形成の経緯 五 秀文 操 の三韓蔵経 封 士ヘ上ロ / 十八 小 一 一 一 一 口

一席

編纂せられ、これを道蔵と呼んだの

のし、他面、中国仏教学の生成にもか 当 重要な問題を包蔵している、と言える。

は 、今のところ資料的に不充分なの ぼ 蔵の成立について は 、何時ごろからであろうか。 らんでくるま ぅ であるから、 相 で、本稿で は 、道蔵と名づける 四五

藏の成立に

ノっ Ⅰ 玉

(47)

上鍵羅福蔓氏 の 輯 録し 一に、一切道 隆が 写録せら る 。 顕慶 元年二八五ムハ︶ しだが、唐朝歴代にば数 幸の人物であ同そ -.

。ての全文を掲げ・ -0 。 一切 道経序 蓋聞 、紫 仙握契 、 銀喜 睡彩 、 盈尭印於 愛以擬範 、 堅昭通敏 鴨 雑載 饗 、克復八 %

フ 一文がある,これは孝敬白手帝の追善のため

は唐 高宗の第五子で、名は弘、母は武后であ

L 。時に二十四歳。 翌 五月に孝敬白手 帝と 追認

くしていム士 か 、即位しないま ュ三ト天析 した 薄

せられだことは人情の当然といえ よう 。 次

の 極めて重要な資料と 転 ぜ OJ ものであるから、 御製

一概 穣 、 著 節理 函 、 ボハ, 釜ョヰ億 蕪編 、 刊功百笥 、

憲 治 警於街檸 、 普 無功 於 晋一

、 問安視膳 、 韓 恭章 以端儀 、 撫 軍監 國 、服仕

何 % 離遮隈碧 、 旋虚翔鶴可弼 、 奄促源仙之駕 、

昔方 於賓階 、抑 虚帳 、 而推心 、伸 空苑而咽

二度高宗の御製一切漬経度

匹 ムハ

﹂ い 。即ち道蔵出現の

チ 二弔 J 和芯占ご坤 Ⅰ 二 りであ八 つ 、ソ、 ども 思 素甘, る 次第である。

(48)

- 知るこ ,, ﹂が出来

成都に上﹁ 日 ︵一万のものと、

製序 なるものが、 ど 四七 道蔵の成立について

るまいで即

%

端にっ

たそ

"

れの

た御

含 "

筒丸、

"

宮、

涙 " 。 の 時 ち く ら の も 製 陰 擁 秘 、 興 こ

うで

年期ろこしこの

の う

といとなを芝屋、

序陽流冊 、

言 鞠

任家 、

而警

新色 所 播植、亜美人 辮 、供出四遠

何時

一 る士 ヰよ

常で

プかつ 。

、て @.

亮後

孝敬

、と

成立していた、ということになる。

三王懸河の道蔵経

序碑

(49)

追尊老子 號玄 元皇帝 詔 太平公主出家勧戒事三年 嵩天下諸州 観詔 安道元年 道蔵経声 碑 三 %% 高床 櫻

即ち 玄 元皇帝 詔 といい、太平 大事を伝えるものばかりである 成都

立成都

興一武后 製 、 一月二十三日別 公主出家 勅 とい お 、それ等がす

ごし

:

成 日午 安 道元 生 仏 車宿 天下諸州 ﹂ 王 懸河に

,十二月刊成都

世の道教 安道元年 んな内容のものであったか。定刻 笘篇 ことが @ ぃ ⋮七ィ @ 、ない:しがし、おキミ @ くそ いか:後世になると、 仏芸 c 大蔵経干し おいて、それも道教の一切経を書写 供 到底あり 得 べからざることだ、ニ言える のことである。老子道徳経を科 挙 の 話 係 が不二一体の形にまで高められだの 道士達の活動、唐 室 との結合が想像以 代表的な一人として三懸河を考 、ニ ﹂ 見 次の如く記されている。 四八

から、序の内容については 卸る

めるのかも・ ガ ・れない,というの

, ・ 一 ・なお不明である:若しも臆測

し - Ⅰ ゾハ, -/. 、 -@ 一エ - リ -- ハし ・ 一 - 玉

の 余程強力な関与がなくてば、

、古里 示 の 転 封元年二八上八一八︶

高宗であ同宿

室と 道教の関

い ,このことほ同時に、当時の

てしてこれ等の道モグループの

ヱ の玉懸河の碑は四種あって 、 350

(50)

道蔵の成ヱ は ついて 四九

る 。中央 で 活躍して

- してその時期に彼の

られだのではなく、 こ

て ・三懸河の立石 し

不都合なこととは舌口

ばあるまいか。御製

小 理な @ 二 @ と ではあるま

り 内心レ・一誠めるものが

居宅のもの, ヱ如 らげ られていても不思議ではない,

な 資料が提供せられ

、現行本・道蔵の中

傑出した道士であっ

慮を払ったわけであ

仏教信者であったこ

(51)

、フ ことになって - い

すでに修正してある

しの点をいざさか掘 り 下げて補説することを意図している。

て、 少な,

, b 高

題へ 、 ,ぬ - つ /.- 、かけ・一に

-. あったか、という 疑

れている経典の分量

が 当然で・姿の。そし

げて有機的な体系を

代 に完 - 成していたの

レよ 、フ 七仏もので モ の - の の

していても不都合

てよい、と思われ。の ことを若干注意し︶。 - 見たい

四道蔵形成の経緯

五 ① 362

(52)

五一 道蔵の成立について

牡上

︶ |

小乗

初法

允伯

ド . ユ亘 "

正太

- 部部 この中に道教 経 実際にば 三洞 三十 詮の浅深によって 別されている。即ち洞貫 は 大乗、 洞支 は中乗、 して施設せられた つて十二種に分類 録 、戒律、威儀、 法 、衆 術 、記伝、請願、 表 奏の十二種である。

洞真 もこの十二 いるというわ け で で ヰやのから、とに ,フ のは、天文部、 ﹂いる。即ち人文 は あると さ れてい 7,Q

な 関係になる。 主 三周 申 日輪 教

教法

そ 洞 穴 か あ 部 労 し も 区 六 典

(53)

いし、殊に南京の近 ノ、 に占の ニ ラ しだ道士の活動ばあ っ 北周武帝は仏道二教を廃

ので当時道門の英

士が 学理を・青めだ、極めて視野 直接心原因となった 、と言 経を集めて隆広暁諭八千三 要 しているから、その収蔵 文帝の帰依を受げて支部 観 に委 化してい マ 0 か 、このこ にものと考えられ, 0 :かく 残念なことには、是等の著

流と ,ばつ 一 ・ - いにらしい・﹂北朝におい サ ・ -, っ、

ム ﹁の佼の梓洗二俣だなくてばならな

% を 抑圧し︶・ - 道教を保護 寸 ・ること一しふめう た

、、 多 / 、 0 席を占め、ここで儒教、仏教の

云は桔から初唐にかげて道教学が大成す 7 る

す有道士の一人であった正延 は 、天下の道

られている 1 - 彼は在ニ上方山道士 % 焦蛙 にも 師

廿 ﹂と づ,あ - つ - フ 。惰が天下を統一寸,るや、

最高の地位に即 き 、仁寿四年︵ 六 0 四レ

行く上には、まことに恵まれた立場にあっ

によって、玄門大義、玄門大論、玄門主

料が、 続々と出現したわげであろう。 唯 、

い るものでも、 わづ かに断片を伝えるのみ

こ 注意Ⅱ ニ -

, ・ 孟刺 石下のふ 担士

備に努力していたらし

敦 の "" 士 % - 毛 "@ ょ 枢

う と よ 研 道 ョ U(7) 麗 」 の で 米里 明 徳

し ; 丈

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Ⅰ・Ⅰ l ユ l@@ -

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- 一 ' @ 文 てて '1' て Ⅰ「 Ⅱ ラ穏 再 ・ て 三 n, % @. Ⅰ @ J-- ㌧ @- @ 占 し、 Ⅰ 巴、

U

l - (

" t 同 ・ " て 一 一 % 二 已 % -l- 理

ほ梵 の ・ 発 二 丑 - 一 ・

立葦

接子

開 定 ・ @ " 一 し っ て

(54)

初唐 蔵経回 理作成 観に建 ったわ もので 一号、上 てば な

十 一二一口Ⅵ杏の道

千三十巻を 整

等 ・建立1が 楼

まれた立場にあ

出来る最初の

印川甲 Ⅰ リン Ⅰ。 m 七 % の 威

あったと見な ノ、

窒の庇護と尊信 五三 ぼ 蔵の灰立たり い て

五男文

操 の三縄蔵経 たらしい事情が全く看過されて きた るし、水際 経は藪 畑出土経典の中に ﹂とが出来よう。 して大蔵経成立後に編修せられた 点は ついても、若干修正しなくてばならない。 惰の統一天下という客観的な好条件 % に 集められて整理せられることに しろ、 周 武道道観の余韻を考慮する 車ヴ 、することがで き だということがで 。しかしながら、 相当量のものが大 よ う に推測せられ を得てばじめて、 なったので、その と 、 惰 初において きよう " 玄門大義と玄門 められるよ、 フ で ていたが、この これまで東西南 意味では仏教と 道教徒がは

(55)

五四

- の ,仲村里一一・ な 事情,も - だほ

, 。 、し Ⅰ主日 厄チ 二億

Ⅰ﹂も想起すべ キ毛、あ

延 の 三洞 経書八千

大体におⅡ

千三百 巻 というの

実在し

俺 すれは よ いであろ

芳文 操 の主簿軽目 と

六巻を著録し ノ ・、ある

十 四十八巻にず 一 - ざな

よ い。

、マスペロ氏は遺

張仙庭 の 三洞 後嗣 の

これを道士 張仙庭の

0 玉 緯 軽目の侠女 と

よう に思われる。 366

(56)

究は 、まるで手が

か 大供しで いサ ざし

止み任期しだい。 士 た

なりに真剣な努力

与えてしかるべぎであろ - フ 。

資料の扱い方など

め @. の

十一を参照のこと ぽ 拙著 一 1 道教経典史論一一一三頁 参昭 ㈲同前拙著九四頁 参硅

田溝

繭 、 懐 、第七八 01 セ 八二冊 ㈲ 滝蔵 、 姑 、 珪セ 六五冊

書中の引用書目を占子本してあるから参照せられたい

の 下も倖 ぜ 参照のこと

所に触れているから、ついて見ていたださたい

皿拙

・ 著 ﹁道教 統血宙註 ・一九四頁 参昭 漣茂 の 戎ヱは ついて 五五 五口 ムハ 鮭柏 367

(57)

一 ユ

般 大夫夫人 尹 尊師穣一金石棒縞 巷 七十一 上に所収︶参照のこ 、し ㈹拙著﹁ 沌教 経典史論﹂九五頁参詣

Ⅱ㍉

かよ の - め

史的Ⅰ 礎 的研究﹂中の分担邦題一 % 蔵の研究﹂ 及び古検 窩 紫雲行 麒 % 安む の 成果の一部である C 一一︵ U 、一一、一五︶

(58)

︶、資産者の学者 五セ 菩薩 回 より 佛乗 教団への展開に関する一考察 洩 らは最高善に努力 せよ,

アナン

ダよ、

わよ ノ - 。 な ン ま旦 ま ⅠⅠ ミ Ⅰ しヒ レ @, こ ; 菩 ダ ラ 初 る 直 れ

至薩

], 弗 が

滅ぅの、

2

期がかるるの

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葉入

陀 後 に ユゴ二 言帯 こ し @ て 日 滅 処 っ 教 の 発 し る な の た 五 -

述のか

あ 置 た 田 芥 展 私 が り 比 ほ の で 備 の ば 、 正 一 つ は ば に 迩 こ こ こ 教

つ を / こ の れ 団 佛 措

臣ヒ 捧豆 し

てモえ正

賢い

叱ぅ

。 垂教如

旺 接 す 元

紀度

し カ ; る 而 允 -, 『 。 帝 , 己

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し一・ 一レ

@

Ⅱ ュ 七

乗 法

の 聖 -

のし

時て

提と定ま

存 の

起しをで在

すて十発と

る 、 し 展 な

に 別 て す っ ナ を 止 の い る て

に関する一考察

参照

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