――目次―― 1,黙示文学について,ヨハネ黙示録理解への序説,富森京次,Kyōji TOMIMORI,pp.1-24. 2,法華古流の研究,後秦より北魏を経て陳代に及ぶ,布施浩岳,Hirotake FUSE,pp.25-54. 3,パウロの宗教における「現在」と「未来」,山谷省吾,Shōgo YAMATANI,pp.55-78. 4,ドラクロアの宗教心理学説,古野清人,Kiyoto FURUNO,pp.79-102. 5,涅槃の語義の概念,寺本婉雅,Enga TERAMOTO,pp.103-116. 6,アミ族の発祥伝説と祭祀の一例,小泉鉄,Tetsu KOIZUMI,pp.117-128. 7,ロゴス,神,火の宗教哲学,比屋根安定,Antei HIYANE,pp.129-133. 8,千体仏と摺仏,東洋印刷の黎明期,禿氏祐祥,Yūshō TOKUSHI,pp.134-143. 9,原始耆那教の聖典について,龍山章真,Shōshin TATSUYAMA,pp.144-151. 10,松村博士の『神話学論考』について,土方辰三,Tatsuzō HIJIKATA,pp.152-154. 11,新刊紹介,pp.1-8. Posted in 1929(昭和4)年
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教示文学に裁て
・−−ヨ ハネ教示錬理解への序訝T!!
次富 森 京
新約聖書は、一般語者にと上し、誠に取附の琴匂い書物である。その巻頭第一頁に掲げ・つれてう るものは、乾燥燕味へ†Q﹁アブラハムの子、ゲ古デ■り子.ィエでキリストの系固∴といふものであ 一っ。﹁アブラ♪ム、イサクノで生み、イサク.ヤコブノで生み﹂といつた調子に、十四代一竺一つ隔てて二iマ リヤの夫ヨ七フ﹂に及んでゐる︻︶ニいマリヤにイエスの陣ぢるも.その後の記事に徒へば、イエス はヨセフとほ何ら血線へ㌧い、1り、如くでぁる。ヨセ7は名高みの父にして、■イエスはマリヤ僻﹁麗 女﹂たトし時二.空室によユし﹂佳言∵∵?も山であ一Q。従ってこの系陶は、ヨ七フの系囲ぃ?。も.† エスの系固ではへ㌧い。イエスの系固としては.誠に的外れのものと言は︷ナ\ては掌らぬ。而かも二 れは﹁イエでキリストの系固﹂と、銘打たれてわる。こ∼に二力無味乾燥の中に、矛盾とも稀†べ き新約聖書了解の第一の困難が横はってゐる。 吏らにこの四十二代い系国中に、特に円名の婦人の名が寒げられてゐる。而もその三名は、何れ も外国人である。殊に如何ほしいヒテ人﹁クリヤの妻たりし女︰︵沓約サムエル凍害一一章参照︶を 茨示文学に就て898
二
獣示文事lこ銑てソロ毛ソの母として、この紳聖であるべき系図中に、特に婦げるに至っては、編者の真意何連にあ
るか・誠に相反し難いものがある。イエチを以て∵特にユダヤ人の租先であつたアブラハムの子孫、
その理想の王た♭しダビデの後裔と見てゐる本璽日暮記者が、殊更外国婦人の名を奉げて、イエス
の系岡を胃滴︵こしてゐるのは、この系陶に於ける第二の困難と言はなくてはならぬ。 斯くの如くにして新約聖書の第云が撃ちてゐる。一哀して奇怪でなければ乾燥無味.再讃し て矛盾に充ちたものである事を知る。その無昧乾燥も普代の人にとbては極めて有意義、その撞着にも夫々大なる温理の存在してゐたわけであらうが、時代と場所とを隔てたる我らにとりては、誠
に厄介なる讃物で今¢。少くともその取附は、初畢岩国らせである。而もこ鱒難解は、冒頭に韮盲 、
てゐる評ではない。新約垂書の巻尾を飾る三ネ教示銀なるものが、また隣る取附の患るい、難解
のものとせられてゐる。白衣を纏ひたる二十四人の天上界の﹁長老J紳の御座の周囲なる四つの怪 い書lめ しげなる﹁活物﹂、その前の﹁水晶に似たる披璃の海﹂、または赤青黒白の四色の馬が輩出するが如き、何故であるか。何を意娩するか。誠に奇怪千萬にして、荒唐薬箱の軌がある。また、これらの奇怪
月る幻像の錯綜は、すべてユダヤ教示文畢︵p琶阜p且に特有なる衣裳であるとするも、これらの 衣裳を似て表現せられてゐる終末或は世末思想︵窯11旨l品y︶なるものは、夏らに不可解なるものである。何故に世界の最後の審判の前に、地・海・河・天上・地上・峯中、或は餞饉・疫病・戦守などの語
幹が度々輩射しなくではならぬか。何故にこれらの諸難の後に現はれ凍る翠想の観の地上の存療は、
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千年喝と阻もれてゐるのであるか。その理想の囲も、何故再び壊滅する蓮命を有ってゐるのであら
ぅか。そこに行はれる﹁第二の審判﹂、﹁第二の死﹂とは何事か。次に現はれ凍る永遽無窮の﹁薪天新
地﹂とは何か。斯かる第一或は琴一の世界の審判は、何時凍るペきものか。果してこの地上に現は
れ凍ぇ云きものなるや。吏らにこれらの終末思想は、これ一ぜ文字通りに解辞すペきものなるや。或
は渦潮的に解辞すペきものなるや。そこに幾多の問題が介在してゐる。難問が構はつてゐる。
これら新約畢書に特有なる問題を取扱って.その意義を究明せんが焉に、新約文革絶諭或は聖書霹義など耕する新約挙が興ったわけであるが、然しこれらの新約文革の難解は、必ゃしも高級なる
古典文革の難解ではない。複雑なる暫畢のそれでもない。寧ろ平民文畢の無用意に胚胎して凍る難
解である。多くは時代と環境との相違に基因したる困難セある。またその寮生の過程に於ける環境
の差異か.ら凍る錯雑でぁる。即ちユダヤと解する覇異なる天地に生れたる基督数が、夙くもギリシ ア・pマJ名づけられたる倭難なる文化の世界に樽播せらる∼に及んで、そこに構成せらるゝに至った二重厨或は三重盾の複雑である。その錯綜より凍る混乱でぁる。その調節の無理より生やる撞
着である.。例へば前記マタイ侍胃頭に掲げられたろ系固に於ける二偶の矛盾の如きは、この原始基 督数の環境の錯雑に基因してゐる。ePちイエスを以てヨセフの子と看催して、その剋先をダビデ或はアブラバムに辿らんとするものは、人間関係の中に紳を見る原始基督敢のユ〆ヤ的要求を代表し
たる信仰の駿露である。而してイエスを以て直接聖霊の子なりとす・るものは、精銅一ざ尊び、内債
黙示文筆に就て700 獣示文筆に枕て −・
四
を卑んで凍たギリシア世界の信仰を表はしたものであ一三酎鮎鮒恥㍗臥詔仙篭︶。また・このユダ ヤ的なる系飼の中に、特に数名の外観婦人の名が奉げられてゐる所以のものは、イエスが蕾にユダ ヤ人のキリストであるばかりでなく、異邦人のキリストでもぁるといふ事を、意味せしめんが鰯で ある。而してマクイ侍の編者が、かゝる客砕なる系固に於ても.敢へてこれら二楼の信仰的慾求を 充さしめんとしてゐる所以のものは、イエスの有ってゐる救の十全なる包容力と、原始基冊数が有 してゐる豊かなる融通健とを表現せしめんとする用意に外ならぢいのである。 こり環境の複合性に韮内すろ新約文畢理解の困難は、我がヨ:獣示領主於て最も著しいものが ぁる。その取扱ってゐる表象は、蕾にギリシャ・:の世界のものばかりではない。速くはペルシ ャやノビⅤソの侍統の倉に戒せられたる衣裳をも借り集めてゐる。然し乍ら新約文学殊に教示銘 に於ける大なる坤解の困難は、斯くの如き典故世界よりの借物にあらすして、ユダヤの世界に燭典 なる思想傾向そのものにあるのでぁる。原始基督数が、世界に軍兵なるユダヤ民族の巾に敬遠した る宗教思想を侍承したる所に、存在してゐるのである。我らは泰西文明を通して、合理的な一芸リ シヤ哲畢の傾向に親しんで水た。また東洋文化の根抵をなす偶数を通して、ギリシャ哲撃と相通す るものあろ印度哲畢のま智的へ与行方にも慣れてゐる。否、基督敦夫自身でさへも幾世紀問、ギリシ ャ哲学によつて解挿されて充た。泰西文明の合理諭によつて説明されて凍た。さうしてヱ〆ヤの天 地に特有な畠〃想傾向.殊にその終末思想一で、夙︿上り疎んじて凍た。厄介脱して凍た。時には異70】
職級ひをして凍たのである。
このへブル思想の行方、わけてその終末思想を疎外して、ギリシャ人の合理化になじんだ所に、
新約文型殊にヨ∵矛獣示戯の理解が横はってゐるのである。そこに取附の悪いものが存在してゐる
のでぁる。然し乍ら原始姦智敦を正督に解滞せんとするに昏って、その最も蚤要なる環境であつた
ユダヤり天地に螢逢したる終末M心想を度外しては、到底その正鶴を得ることが出凍ない串は理の普 然であ一心。原始基智敦如−即終末思想で小甘いとしても、基衡敦は﹁一ダヤの終末思想の狗異なる思想似向 に、大いに負ふ所があるのである。然るに今俄にその終末軌を疎外する㍍らば.或は姦智敦其老の相異性を大に失ふの炭れがあるかも知れない。
大戦後ヨ∵ネ獣示儲の終末思想を文字通りに解辞せんとする所謂再臨派が、某軒数界に復興す一ん
に至った。これほ昔も今も憂らぬ所で、何時も大なろ災害が人類敢争ぞ染ふた時に、か∼る理想境 ︵軸の固︶の天降り的ぢ出現を暁望すること∼なる。政令事業・教育普及・宗教大骨・国際骨法など、 人類赦骨の改善救済に関するあらゆる人間の努力に失望したる所に、か∼る奇蹟的なる茂物の東新を希ふことになるのである。風教頚磨・人情冷却に悲観したる桝に、生するものである。然し乍ら
大戦嘩 特に猫逸地方に於て、もつと根柾の洗い埋かに基いて、終末思想と迄は行かなくとも、さ
ぅした思想槻向を歓迎する紳轟が勃興すろに至った。オットーの﹁空号る薯﹂、または危機紳撃と名
獣示文塑に就て 五702 黙示文筆1こ就て
六
つけられるもの、如きが、それである︵鱒㌫根葉紅舶如鵬︶。即ち人本主義的彗泰西文化の徒らなろ合理化・ぜ排斥して、宗教燭其の具現を確立せしめやうとするものでぁる。基督数より人間本
位の御都合ま義を援斥して、紳其者の絶封牲を高調せんとするものでぁる。その人本的・主観的壷
史的.勅封的字。あらゆるものを否定する鮎に於て、一面彿故に相似たるものがある。然し乍らその否定は、偶数のそれの如ぐ、ま智的または超倫理的なものではない。またその否定は、倫理的にし
てまた超倫理的なる細の絶対性を、絶対的に肯定せんが溜めの否定である。またこの紳畢は・宗教
上の官用主義を排斥して.宗数的眞理の賓在論を唱へるものとも観ることが出凍やう。 プラグ†チブタ 斯かj危機紳畢の詮議立ては暫く措き、理容的また御都合ま美的なる人間の一面に・斯うした要 求のぁることは.敢へて危機前畢を侯つまでもへ・甘い。各人の東歌的慾求の止み難きものに属してゐる。殊に何事も相封的なる科畢的研究を尊ぶ現代人の胸底深き所には、所謂文化ま義に政道して、
超自然的なる紳の世界の絶対性に憧れる。漸うした慾求の起る時に、我がヨ;の教示餞は、大に愛潰せらるペき性質を有ってゐる。何となればこれも初代敦骨の文化重義を排斥して・醐の絶封的
なるま樺の絶大を怒耽するものでぁる。燦然として地中海沿岸に輝いた:文化の壊滅を叫んで・ 紳の眞理の囲の降臨を預言するものである。否.紳の絶大なる道徳的ま樺の前には、:帝国の滅亡は愚か、天地も破滅の危機に和するものである〇
ゎれ見しに、大なる地震ぁりて、日打発き毛布り如く書く、月は全面・血の如くな
▼_ ダーTO3 な,おくれ り、天の基は、無花果の樹の大風に括られて、生後の果の落つる如く、地に落ち、 天は巻物の巻く如く∵去りゆき、山と島とは悉く、その廃を移されたり︵六三⊥四︶ の言の如きは、それである。神国出現の序幕をなすべき一つの天慶地異を琴不する具象であつて. その構想の雄大は†赴含改造運動の如き部分的な人間の革新運動を冷笑するもの∼如くである。前 の囲は、人間本位なむ人の固ではないと.嘲笑するもの∼如くである。また自然界の機械的な岡持 によつて.物が進化するといふ進化論を笑ふもの∼如くである。それは天地を填り動かし、萬有を 一新するやうな,徹底的なものでなくてはならぬと主唱するもの∼如くである。而してその全能者 の絶対的なる王様を表現するが焉に措かれたる天上界の数々の具象、または殉教者の凱歌や諌美歌 に至りては、誠に幽玄にして荘重厳粛の紳気迫り凍るものがある。その人類審判を預示する具象の 如きは、誠に凄愴を極めて居ち。例へば終末最後の大難の前腕をなす罪人審判の具象に、 いき、、氏り 御使その鎌︵審判の︶を地に入れて、地の葡萄を刈りをさめ、紳の情意の大なる洒槽に 投入れたり。かくて都︵救はる∼者のみ入る一ぎ得︶の外にて酒漕を践みしに、血、酒槽 より洗れ出で∼、馬の轡に遠くほどに打アり、一千六百町に廣がれ♭︵一四一九、二〇︶ の言がある。審列の際に流す罪人の血の形容であ右。誠に寄算的な筆敦ではあるが.賓に森脇亜重 である。醐の人類の罪悪に封する情意の心が、怖ろしくも描かれて居る。我らは斯かる教示者ヨハ ネの措いセ天上終末醐秘劇の筋書に於て.それを悉く文字通りにとらなくとも、その荒唐無稽的な 献示文畢lこ就て 七 ■Fヰ
704 八 黙示文革に就て 幻像の錯綜によつて、文字以上に、測り知るべからざる紳の世界の滑息を、努乾せしめる事が出水 る。誠に宗教の串は、言語に絶したる賓在の世界の消息に係かる。これを高級に設けば、抽象に流 れて、現賓のカを失ふ。これを卒易に説けば、卑俗に泥して、高さと深さとを失って了ふ。誠に取 扱に困難なるものである。然るに我がヨ∵矛黙示録は、極めて現質的にして而かも幽玄雄大なる筆 致によつて、賓に力強く、劇的に紳の観の超絶性を説いたものと言はなくてはならぬ。 アンによつて解辞せられた使徒バゥ二Ⅴに止ってはならぬ。それ 斯くの如くに観察し凍る時に、この初代散骨の危機紳撃とも挿すべき我がヨ∵矛琴不厳に、今少 しく正常なる理解が輿へられなくてはならぬ。親しみを布たなくてはならぬ。さうしてそれが筋ら してくれ一る絶大なる異琴否、和英者の聾を聞かなくてはならぬ。我らの允機軸撃は、近代人カル は初代軟骨の終末思想に.否、ユダ ヤに覇異なるメシヤ思想にも、 一瞥を輿へなくてはならぬ。この意味に於て、舌代琴不文畢中随一 なる我がヨハネの教示餞の理解に、拙筆一ど振ふ事は、必ゃしも意義ない黎ではなからう。 ∵ ヨハネの黙示磁を理解する前に、先ヴュダヤの終末思想.またその教示文塾に就いて、更らにそ の超脱に就いて、一通りの説明を要する。 終末思想とは、その文字が示すが如くに、表面的には世の終に関する思想である。人間死後の閃 退・観々の逆命・世界の終局などに隣lする要言†ある。殊に問題となるのは、世界の最後の審判と紳
70;
′シ† の囲の降臨とでぁる。それに連関して死とか、復活とか、世界の倦みとか、救世まの偲現とかいふ
問題が諭せられる。而して教示文畢とは、これの問題を取扱ふ、終末思想に特有なる、幻像によろ
表象的な文畢を指していふ。
以上逓ぶる所は軍に表面的な終末思想とその教示文畢との定義に止まる。若しこれを根本的に見
るならば、それは必ずしもユダヤのみに限られたものではない。初代基督数に特有なるものでもな
い。何れの図にも共通なるものであるっ帥ち人類の文化が、天災や戦耐に琴フて一度危機に激する
や、人智は一種の輯攣状態を惹起して、終末思想と耕すべき一つの素朴な厭世哲畢を産出する。そ
ぅして過去の奇踏的な救ひの日一里問顧して、同じやうな奇蹴的救済を暁望するに至る。黄金時代り
出現を待ち望むに至る。従って何れの民族にも、形こそ其れ、現はれ凍るもいである。彼の冷静に
して打算に富み、政治に長じたる古代ロマの間にも鋸はれた。例へば紀元前八八年そフの内乱の
昨.またジュリアス・シーザーの葬儀の口に、彼らは天上に具象を見て、苦難の前兆や新峠代の曙 光を認めたといふ。況んや共和末期の戦乱の時や、一その碗乱を牢げ七英傑オクテダイアスS由現せんとした時に、詩人らはへブルの軒言文畢にも劣らぬ荘重さを以て軽率の世を欺き、黄金時代の出
現を歌ってゐる。否、理智的なストアの哲学でさへも.進化の道程によつて漸進的に.はバ到底原始の理想墳には達することが出凍ない。それはただ現宇宙の急激な崩暗によつて、この世界が一度そ
の元素に道元せらるヽ所に、現はれ凍ると見た。但しストアの哲畢は、一個の苦難時代の苦難哲学
黙示文隼に就て706 朝顔文やに就て 一〇 である。それが教示文撃と同じやうに、人間の努力に悲観的憩度をとつて、萬有の一瞬的更新を希 ふのは、皆然であるかも知れない。 斯くの如くに終末思想は、何れの民族にも存在してゐる。然し乍らそれはユダヤの天地に於て、 その猫異なる民族性と特種なる環境とによつて、格段なる費蓮を遂げた。さうして黙示文革ぢる狗 時の宗教文革を産出するに至った。然⊥乍ら吏らにその起原より考察し凍ると、それは一個の天災 暫畢であり、受難文革であるが故に、その淵源する所は速く、太古の民の紳話にあると言はなくて. 明君英まの出現によつて河水を整理し、文化生紆の第一歩を確保し得るまでに、多年洪水と耕する の文明は、河水の息澤によつて奥り、またその氾濫に依って破壊せられて凍たものである。人類は その勝利を記念する凱歌でみる。例へば洪水に関する神話の如きはそれである。何となれば原始人 はならぬ。即ち紳話なるものは多くは、人類文化史上に於ける自然界との苦闘の歴史の記儀、また 自然界の暴力と戦って凍たものである。而してその苦難の記憶や奇蹟的な救の憬陰が、醐話となつ て保存されるに至ったものである。それがまた所業とな♭、紳秘劇4なつて、超人紳の奇蹟的な人 類救済の偉業を、殖讃するに至るものである。裔約聖書に於ては、彼の創世記にあるノマの洪水の サーガ 物語や天地創造の話は、即ちこれでぁる。英国に於ては、アングロサクソンの舌話べオウルフ物語 ● がそれである。支那に於ては、治水の明君丙の鴻業を侍へたものが、それであらうか。我国に於て は、八頭の大蛇を退治した素壷鳴今の物語の如きが、それではなからうか。即ち八つの源を有する
707 出雲彼の川の氾濫を整理して、その文化の基礎一竺据ゑ給ふたことを、記念するものではなからうか。 それは何れにあつたにもせよ、これら洪水神話に共通なる薪は、その明君英まがいつも救世ま或は 光明の紳として崇められ、洪水を代表する深淵の龍蛇は、造物主或は救世主に逆ひて起つ悪魔の表 象となってゐるところである。此の如くにして後に者達した終末思想の、救世主や反救世まの思想 は、夙くもこれらの原始的な洪水紳諸に胚胎してゐる。否、この紳詩は、形を襲へ姿を襲じて、彼 の教示文単に、執こくも反復せられてゐる。吏らに言葉を換へていへば、教示文畢はこの洪水紳話 を中心として螢達したと言ふとも、敢へて過言ではなからう。我がヨ♪ネ就示儀においても、第十 二、三章にあらはれてゐる。尤もこの﹁赤き龍﹂.﹁古き蛇J或は﹁海の戟﹂の物語は、洪水神話その ままで.はない。それは洪水紳題に関係深き日没・日の出に関する神話に、より多くその形式を負ふ てゐる。 、 日没・日の出の神話、これも各民族に共通なるものであつて、また教示文単に好んで用ひられる 衣裳の一つである。即ちこれは太古の民が、魚貝を食しっつ夕べ海遽に坐して西を望み終日光と熱 とを輿へて呉れた太陽が、暗い大海の魔物に呑まれんとして、血の色をなして落ちて行く悲壮な光 景を眺めた時.さぅして世界が暗黒と寒冷とに閉されんとするを見た時、原始人の胸に浮び凍る終 末思想尤のではなからうか。而かも太陽は全く死に終ったのではなくして、再び東の島陰から新し き光を以て躍り出で、沖天するを目撃した時、そこにこの不議なる自然界の現象を説明する神話が ー 教示文幾lこ就て
708
款示文単に就て
一二
なくては叶はぬ。即ち太陽を呑まんとするものは、深淵の患龍である。下界の揮沌欺である。太陽
なる若き日の紳の島陰に駐ふものは、女神である。而して若き日の紳は、人類の救まなのである。
斯くの如くに観察し凍る時に、終末思想の費蓮は、人類の蒙むる災前の刺戟に負ふ所多く、教示
文勢の内容は、神話に侠つ所多い挙が、首肯されるであらう。而も人類がその文化の途上に於て蒙
むる災害は、ひとり洪水に止って居ない。暴風・地震・噴火・僕健・疫病・戦乱など、教へ凍れば幾多の
難がある。これらほ何れも終末思想り刺戟をなしたもので、教示文勢の内容を構成して居る。即ち
教示文単に於て.世の終の前に重雄する七難は、畢発するにこれら人類が蒙って充た諸難を集めた一 ものであ一る。而して人文が進歩したる場合に於て、宗教的な民族にとつて最も痛烈なる救難は、宗
教迫害でぁる。従って最も進歩したる教示文革は、畢発するに迫害の下に惜のる同胞を励ますにあ
る。さうして殉教の精神を鼓吹するにある。即ち進歩したる教示文革は、一個の殉教文革である。
斯くの如くにして、天災文革として出費したる獣示文革は遂に殉教文畢になり終ったのである。背
約聖書のダニエル革新約聖書のヨ∵矛教示叙の如きは、をの典型的のものである。
〓
我らは獣示文畢の一般的な発達について、概略述べ凍った︵脚机﹁が昆報轄計略㍍鳩にほ︶。我らは更らにそれがユダヤに於て如何なる発達を遂げたか、簡単に述べたいと思ふ。
先づ淑示文畢と預言文撃との牌係に就きて述べヘててはならぬ。この二つは相似たるものである¢
709 預言文畢も一面に於ては獣示文学に外ヘケ♭ぬ。獣示文理も亦一仰の預言であ・る。我がヨハネ教示傲 の如きも、自ら﹁寧言の書と稀へて屠一り。従ってこの二つ一で明確に陥別寸ることは困難である。然 し乍らそこに幾分の差異がある。即ち同じく世の終・ピ叫ぶにしても、預言は革命的であつて、時代 の風潮の正反対の位置に立ち、国民の罪悪を眞向より弾劾するのである。さうして同家の滅亡を預 言するものである。これに反して歎示は、民心の綜趣する所と平行の位罷に立ち.民族の発光ある 鼎凍を預言することによつて、国民一貨奨励するにある。即ち一は審判一ぜ叫び、他は救済を説く。一 は同胞の罪を責め、他は外敵の刑罰を叫ぶっ吏らに預言は国家の運命を諭するものでぁつて、その 限界は陶家政骨の現賓境を脱してゐぢい。これに反して教示ほ世界的であつて.宇宙の締趣一ざも諭 するものである。即ち一は地lの閲家を本位とするものであるに反し、他ほ地上の閲家を超越した る永遠無窮の理想境を主眼と†るものである。一は政令改革によつて到着せらるべき現世の固一で説 くものであるに反し.他は紳のカのみによつて天上より降臨し凍る超自然ハ㌧る紳の出現を説くもの である。一は人間本位であつて、理想の王の君臨を必要となし、他は紳中心であつて、人間の王の れたる理想 の王の意 診であり、他は終末思想である。かるが故に獣示文畢はその形式の上に於ても.漸次預言文畢現賓 味を失って、夢幻架客的となつて凍た。 井元文革に就て 君臨を排斥する。紳其者の直接の支配を侯つ紳政固を理想とする。郎十り預言の理想はメシヤ︵ ︶の囲であつて、教示の理想は世り終に現れ来るべき天上無窮の観である。一服メシヤ待望 紳より 菅注が
TlO −四 獣示文拳に鏡て 固より以上に述べたる預言と教示との差異は㌧ その主眼鮎の相違に基くものであつて、雨着の錯 綜は免れ難い。吏らにこの相違は如何にして生するに至ったかを説明しなくてはならぬ。それは要 ■ するに環境の差異に基くものである。即ち琴言はまとし.てイそフエル王国滅亡以前に行はれたもの ′ である。国家の運命を論じ.敢曾改革を唱へ、理想の王の君臨を説くペく、未だ希望のあつた時代 でぁる。同胞の審列を叫び、国家の滅亡を預言しても、それはそれらの不鮮事を未然に防がんとす る響戒の言なのであつた。まだ人力を腰む除地があつたのである。これに反して教示は、最早理想 の王国を諭すべく.その存在を失って居るのでぁる。人力による政令革命を叫ぶペく、あまりに希 望が少く見えた。自国ひとりの運命を云点すべく、世界の強固があまりに多く厳存して居る。地上 の理想の王を頼むべく、あま♭に屡々裏切られて水た。たヾ前の超自然的カによる世界の崩喝萬 物の一瞬的なる東新によつてのみ、救は.今フせられなくてはならぬ。たゞ紳其者の支配のみによつ で、理想は到達せられなくてはならぬ。これ教示が要一己に放し.・非現質的、世界的また紳中心的な る所以である。 斯くの如くにして王国の滅亡以後数世紀間に、漸次預言の跡を絶ち、献示の撞頸を促した。否. 黙示は預言た代るものであつた。教示老の終末思想は、預言者のメシア待望論に代るものであつた。 殊豆この形勢は、新制時代に近づくに従って著しいものがあつた。世界の大国の間に介在したる小 爾たるユダヤは、誠に数奇なる運命に弄されて、つぶさに幾多の辛酸を嘗めた。内乱や外患によつて
Tll 多くの生嘗が失はれた。而かも土地不毛に近く、屡々餞饉に憾まされた。鴇てて加へて過重なる二 重耽の下王坤吟しセ。.即ちユダヤ人は愉むペき外傲に貫を納れなくてはならなかった外に、そのエ ルサレムの紳厳にもか行了り過重なる捧物をしなくてはならなかった。即ち大凡彼らの牧入の三割乃 至四割或はそれ以上のものが、これらの二重枚のために身されたといふ。御殿への捧物は彼らの喜 びであるとしても、 へロブ王家或はpマへの貢は、前の民として払ぶ可からざるものであつた。そ こで或る者は千曳に訴へて、無謀なる燭立の旗を奉げた︵所謂熱心黛︶。さうしてその敢焉の気象、 犠牲的なる熱誠によつて、全能者の大権の教勒を促し、以て紳囲の降臨を促進せしめんとした。他 の者は紳の梓法を完全に遵守することによつて、エホノの憐憫に訴へ、以て御国の出現空誘致せし めんとした︵バリサイ窯︶。何れにしても人間の支配を排斥して、紳其老の直接の支配即ち紳の囲を 暁望するものであつた。 斯かる事情の下に∵バビロン幽囚以彼、わけて新約の時代に近づくに従って、教示文畢が大に布 はるゝに至つ.た。終末思想がユダヤ人の頭脳を支配するに至った・。エゼキュル、;イ、ゼカ ︵紀元前六世紀︶、マラキ︵同五世紀︶.ヨエル︵同四世紀︶∴クエエル︵同二世紀︶、盤外書ユノク︵同二 或一世紀︶.第二エブラ、でフク︵紀元後一世紀︶の請書は、ユダヤの終末思想の螢蓮、琴不文畢の ノ.一、 進歩・官物語るものである。たゞこ∼に一言を要すべき問邁がある。それは終末思想は幽囚以前に絶 無でらつたであらうか。璽一一日文革は教示文畢に先立ったもので、獣示文畢は蟄一一口文革の以前になか 厭示文拳lこ耽て
712 ったものであらうかといふ問題である。 既に述べたる如く、教示文畢はその淵源する所産く太古氏の神話にありとするならば、普然それ は預言文単に先立たなくてはならぬ。否、預言文畢は一個の革命文革であ一Q。在凍の思潮に向つて 敢然立って批判を加へる所に、紀元前七八世紀の寧言老の使命があつたのでぁつた。即ちお芽出度 い黄金時代の出現を預言する俗洗預言の終末思想を排斥して、﹁エホバの日﹂の崩なる所以を高調す ろにあつた。換言すれザそフエル︵謂㌫酎㌔思認両炉㌶即㌫拍ユ︶の警毒は.ヘブルの宗 教文畢史一で中断するものである。教示文畢ほその前後にあ・つたものである。吏らに幽閃以後に於て、 その特種なる環境は獣示文埋の後輿一で促したとも言ひ得る。その特別なる蓉達を促進したとも言ひ 得る。即ち幽E以前の獣示文畢は、未だ皮相な楽天軌に終始してゐた低級へ与るものであつたに反し, 王国滅亡以後のそれは.痛烈な一つ氏族の憶陰に剣戟されて、誠に深刻雄大なるものとなったのであ る。殊にバビロン、ベル.シヤの影響を受けて、 ノ 我らは紙数少きために、今はこの概括諭に止め、詳細にへブル終末思想史の費建一ど諭する事を避け る。然し乍らかゝろ概括諭によつても、終末思想が如何なる経路を辿って費達して凍たかゞ大略額 かれるであらう。主うしてその本質の達家に向つて、資する所ぁつたかと思ふ。吏らにこれより進ん でその本質の批判究明に力め度いと思ふ。その前に終末思想の特寧仏る筋書に就いて二言を要する。 就示文単に就て
アユ3
三
我らは既に終末思想が人類の蒙むる災禍に刺戟せられて、蓉達し凍りたる所以一で述べた。即ちユ ダヤにぁりては.災難の重雄する毎に、獣示文学の現出一で促して凍たのであつた。さうして在凍の 教示文畢を、新事情に適合するやうに、屡々編集して凍た。即ち琴不文畢は反復するものでぁる。 蒐集と編纂とセ事とするものでぁる。従って預言文畢のやうに、狗劇的要素を秋いてゐた。而して 費達したる教示文畢は、宗教迫害に対して殉教の精神を鼓吹する一個の殉教文畢であることも述べ た。即ち紳の義人は此の地上に於て、何故迫害を受けなくてはへ㌧ら言いかっ受難すべき運命を有っ 老は.恍惚墳裡に、天の御使の塞内によりて.天上界の幽玄墳に天翔けりゆくのである。さうして ー あらうか。紳は何故に彼等の跳染抜屈を許し鈴ふのでぁらうか。何故t義人の受難を教戒し給ふか。 て居るのであらうか。而かも紳なき忠人は、何故に勝ち誇って、生を此の世に重たぅして居るので ′∼
かゝる天道是乎非乎の問題に悩セじゐる信仰の従を慰め励ますがたがに、教示者が終末思想を説く のである。 然して琴不老の見た解決の鉱は、天上椰秘境に秘められてゐるのである。その鍵を説くべく準不 そこに凍らんとする世外の推移を預示す一心神秘劇一ど目撃して、義人受難悪人跳染の解決一で得ろので ある。即ち凡ては紳の永遠の終倫の中にあ云。義人の受難、悪人・り跳染は、一時的である。否、今 後と雄も仲裁多リノ苦難が義人一で襲ふでめらうじ然し乍ら絡まで耐へ忍ばなくてはならぬ。やがて養 黙示文単に就て7】4 一八 戴示文革に放て 人の両目を立つるべく、天上の審判重が降り乗ら給ふであらう。さうして悪人を倍執し給ふであら う。而してこの血上に悪人が抜屈して義人を迫害するのは、畢完するに天上界天使の群の中の乱轢 に基因してゐる。紳がその御子を凡ての天使に勝りて極愛し給ふより、一部の天使がこれを破戒し て薮逆を試み、下界に蹴落さる∼に至りしに基因してゐる。人類の租先は、この簸逆の天使の損失 を慣ふために造られたものでめるからして、その子孫は元務、墜落したる天使即ち志度の嫉親を受 け、その患意ある誘戒に骨ひ、その迫害に遭ふペき宿命を有ってゐるのである︵教示藤一二丁一入 参照︶。然し乍ら紳は何時までも悪魔の跳梁を許し給はぬ。やがてその天上の全軍を率ゐる審判圭を 邁はし給ネであらう。さうして志度の子らを産前し給ふ・であらう。義人に永遠無窮福祉を輿へ給ふ であらう。而して既に殉致したる義人は、紳の御許に於て、重き白衣を糎ひ、永遠の頑就の凱歌を 奏し.その讃美を歌ってゐる。我ら地上に悩む信仰の従ほ、死一ぎ怖れてはならぬ。迫害を辟易して 、 はならぬ。斯くの如きが教示者の奨魔の言である。その天上幽玄境に目撃したりと耕せられる紳秘 劇の、お極ヰ㌻り節書である。終末思想の形式の一端である。 斯くの如く観察し凍る時は、終末思想はまた一個の悪の起源諭である。教示文畢はその解決を試 みる一個の素朴なる歴史膏畢である。否.ヘブルの終末思想は、ギリシャの常単に代る一桐の宇宙 哲畢である。たゞその行方を大に異にしてゐるのである。即ちギリシャ哲畢は、自然界の現象一ぎ密 約に観察して.宇野の木賃へと締約してゆくに反し、ヘブルの哲単なる終末思想は、内的なる道徳
715 意識に出費して.人生苦難の鰭駿より敬して、天地の本鰹へと紳中心に演拝してゆくのであえ。さ ぅして現世に存在し、変らにまた脾殊に現れ凍らんとす一っ萬事は、凡て創造の普より.紳の思想り 中に賓在してゐると観るのである。即ち世の終の串は、既に菜に世の創めに思想として天上界に存 在してゐるのである。その思想を.迫害の下に坤吟してゐる民衆に了解し易く、卒易且つ劇的に表 現したるものが、教示文畢の筋書なのである。 絶えず現世の苦難と闘ひ.意志的にして思索の除裕を有せぎりしへブル人は、萬専一ざ御中心に考 へ凍た。道義心を中心として考へて凍た。そこに彼らの哲学に、ギリシャ哲学の推論妙がなくして、 荒唐無稽的なる素朴がぁるわけである。わけて痛烈なる迫害の下に悩める大衆に向つて、廻りく∫ い論理は禁物である。軸の耗射的ま樺を、絶対的に高調した一匂、力強い表現が必要である。これ教 示文革が勒もすれば妄誕に流る.∼の嫌ぁる所以である。然し乍ら我らはこの素朴なる終末思想の歴 史膏畢の中より、その教示文畢の妄誕なる幻像の郵綜のうちより、 ヘブル心に碑異なる偉大なる哲 畢を見逃して灯らぬ。その璽芸位哲学その時間中心青草、その敢曾的宇宙観、その差別即絶封 貌、その偉大なる物質肯定論、一その人梅本位なる宗教観、その紳中心的世界軌完ど一で、看過しては ならぬ。乞ふ暫くその詭明を許せ。 四 抑も終末思想が動もすれば荒唐無稽に走らんとする根本的へ.遥遠は.紳の団の思想にある。その 款示文単に放て
716 琴ホ文単に就て ′ 二〇 暫畢の至高蕃を、人間の集合髄に置いてゐる所にある。紳の意志の賓現を.人格の社食的関係に見 んとする研にある。而かもそれは現賓の人間政令に於ては、僻J二l現到底不可能でム∵る。こゝに終末思 想り妾誕的なる筋書の無理が胚胎してゐるのである。我らはその奇怪なるブⅤグラムの形式一で探ら すして、その根本的な一〇人格的・政令的観念藍ヤ芸きである。即ち人格的・融合的慾求ほ、ヘブル 仰の根本的なる慾求であつて、その宗数的極致は、宇宙の本鰹と超倫理的に融合する忘我の現には なかつた。それは人格的交渉の中に、人間の敢魯生活のうちに、紳の道徳的意志を賓現せしめる所 にぁるのであるっさうして畢なぇ自己一身の宗教的悦楽を排斥するものであ.る。飽くまでも隣を忘 れ仁い宗教なのである。而かもその人間の政令生活は、紳中心でへててはへ与らぬ。これが翻の図・り 思想なので今Q。即ち紳の観の思想ほ、危機紳畢の紳中心思想と、現代高調せらるゝ祀骨的粗念と を包赦するものであるとも言へやう。 斯くの如き敢骨的な至高轟観は、雷然歴史的生息義智も抱擁してゆく。即ち人格的交渉とい.ひ社 食生活といひ、時間の過程を経れては存在し得ぬ。彗一再すれば紳の意志は、時間の過程のう一りに差 別の世界の中に、賓現せられてゆくべきものである。二れ終末思想に於て,時間的軌念がその根底 をなしてゐる所以である。即ち再々反故し凍る世の終の前の七難といひ、漸くにして現れ凍ろ現世 的な理想の‡固が千年問柿績するといふが如き、而かもその理想の王国も亦永遠無窮福祉の世界の 焉に壊滅の運命を見るといふが如き、飽く迄も時間観念を克て終始してゐるのは、終末思想S一一大
T17
特徴である。これ時間を以て賓在の一顕現と看偵すへブル暫畢の表現と見なくてはへ㌧らぬ。而しへ
ブル哲単に於て、斯くの如く時間的観念が重んせらる∼所以は、それが意志本位の哲学に即してゐるからである。即ち意志は時間の約束一ピ侯ちて始めて存在し得るものである。そ山猫足は永き時間
の過程を通じての行男の連繚にある、︸これに反して感情や智識は、成るべく意志の労力を避け、時間一で超越したる静的な境地に満足を求める。勢的な宗教は客間の助を借♭て想像の裂を麓げ、思索
瞑想のうちに、居ぢがらにして客間的に宇宙大の生活一で返らんとするに反して、意志的な宗教は、
時間の約畢で保ちて、差別の時間的世界に、絶封的生活を送らんとする。これを轟術に繁へるなら
ば.一は平面の諮布に表現し得らるべ、き給婁であ∵ヮ、他は時間の無形の過程の巾に表現し得られる青空であらう。ギリシア人が客間的なろ彫刻に長じ、ユダヤ人が時間的な一呈臼架に得てゐるのは、
これが秀ではなからうか。⊥また且グヤ人なるベルグ.ソンの哲学が、時間を以て賓在となし、意志を ヘブル心の一表現ではなからうか。それは兎も角∼︶として、以て宇部の本館と茄催してゐるのも、
獣示文邸の終来日心想に於て、理想の境地に到着する前に諸難が反復せられ/水き準備的過程と鍛錬の時間とが置かれてゐるのは、全くこの意志本位の宗教観の虜でめらう。
変らに嬰不文単の終末思想に顕著なるものは、その物質的・現質的なる表現の仕方である。これ
が鶉にそれは荒旭無稽の軌あらしめるぃである。我がヨハネの獣示叙﹁於ても、その表象ま義は除
∫▲すヾ︶ほ りに精致に走ってゐる。例へば﹁斬らしき紳の都の大路ほ、連経る披璃の如.き純金㍗てり﹂といひ、 琴㍍文轢に試て718
教示文筆に就て
二二
その石垣の基は、﹁第一は碧玉、第二は瑠璃、第三は玉髄、第四は続玉∵第五は紅縞噂璃.第六は赤 確瑠、第七は蓑撒檻石.第八は線種石.第九は黄玉石、第十は繰玉髄.第十一は青玉、第十二は紫水晶へ与り﹂といふに至っては、聯かその表象ま義の精細ぢるに驚かざるを得ない。然し乍ら終末思
想を通して現れたるへブル心の一大特徴は、か∼る物質にする表象ま養であるばかりではぢく、進 んでは物質そのもの皇R足するにある。内債の有用を説くに一のる。ギリシャ哲畢のやうに、物質を疎んじない。内債を卑めへ仏い。内債は﹁婁魂の獄屋﹂ではない。﹁紳の宮﹂である。人格的生命の
殿堂である。道徳的生活の貴き機関である。況んや悪の起源ではない。否、紳の甲′−のちのは、物質の忌避に非ゃしてその活用である。物の世界に精神一で掠充せしめてこれを浄化し、錐命を輿へて
格的生命の曙関をなすとま張する︵コリソト前書一五四甲ユノク六二〓ハ、一〇八一二参照︶。 る五官を通して感知し得る範囲に止ってはゐない。蛋的ヘナQ物質﹁室の憶﹂があつて、凍る世の人 はる、所に.紳の囲はあるのである。発光はそこに輝く。尤も物質と耕しても、我らが今不完争与 と唱ふべきである。即ち紳の塞がこの物質の世界に住み.その意志が人間の人格的生命を過して行 ゆく所にある。﹁言は内懐とn了りて、我らのうちに宿れり、我らその発光を見たり﹂︵ヨハネ博一一四︶斯くの如くにへブル心は、またその代表的ハ与る漑示文型町終末思想は、物貿の勢力や肉倍のカの
前にひるまない。さうしてその善用をま張し活用を説く所以のものは、意志カの陀盛を前提してゐ
るからである。紳の婁能の十全を期してゐるからであるっその道徳的葺樺の絶対一曾認むるからであ
が7】9 る。紳中心に考へるからである。そこに﹁第二の死﹂二.琴一の審判﹂などいふ誠に不可忠誠なる思想 が胚胎して氷る。何とぢiLばそれは一面に於て人間の人格的生命の紀封一ぜ認めぢがら.他面工於て は頑の道徳的ま樺山縫封性一ぜ認むるか三じある。人間の赴食生活に紳の固の賓現を見んとす一qから である。即ち人格至上重義・り紳中心論に即するが放でJウQ。申.紳中心ハ㌧るが故に、紳に似たる人
間の存在が必要せられて凍るのであ一心。その人格的なる紳の道徳的本性の満足の名に、人間と世界
とが創造せられてゐると観るのであ一〇。而して紳の図は、その創造の窮極的なる目的であ一Q。これがへブルの宗教の根本的なる信念でぁる。この信念を運命の逆樽急激ぢる現賓の世界に適用する所
に、而かもギリシアの哲学なく、今日り科隼なく、また現代人の有ってゐる爾後三千年の歴史的経
廠のない所に、終末思想の矛盾、教示文学の妄誕が生じたわけである。否、終末思想は紳の絶対ま㌦
擢を竹重す一っが故に、自然山楕梯的阿輯を説く現代の進化論一で排斥了ろ。紳は一個の時計帥ではぢ
いのでJりる。 斯くの如く観察し準Q時は.極めて非常撃的へ㌧る獣示文学の、荒唐無帯的なろ終末思想の巾に、偉大ハ仏る哲学の僻んでゐる事を看取しなくてはならぬ。ギリシア哲費の形式によらぬ特種なる哲学
の存在してゐる事を認めなくてはへ†っぬ。而して我がヨ∵矛の琴不儲は、か∼るユダヤの琴不文寧を背景として現れて凍た事を思ふ時に、基衡故に深遠百る暫畢ぢしといふやう㍍、謬見を退けなく
封示文学に就て就示文筆に放て
二四
m てはならぬ。それはぎリシア哲学の形式によつてゐないまでゞある。或はそれ以上の哲畢であるか
も知れない。況んや基督数を淀め或は合理化するが焉に、ギリシア哲畢を構用して凍るといふが如
丁:ヱ1 ー序 係数史上法華錯仰の流行は改めて言ふまでもない事と思ふが、其れ等の講銀者が使用せる鮮典は 常に尿什謬であつて、法碓謬は少しも拝喋やされてゐない。尤も雁什己前には多少正法華経の諸鐙 ∋J ︵二︶ ︵〓 者もあつて、.干法開.些法会、竺法義なデは其の例であるが、巌什の弟子曇影も亦其の一人である。 ︵M︶ 備に依れば、能講正法華経及光讃般若と言はれ、僻又、什後出妙法華鮮、影眈蕃所命宗、特加探思. 乃著法華義疏四穿とあるに依って正法華錯仰の重賞を知ろことが出水る。斯やうに第阿世紀己前に は多少其の鋸仰者もあつたが、長安に迎へられたる羅仰が四〇六年に妙法華七草で悼辞して已水、 正法華の講鎮は全く跡を絶っやうになり、濁り什謬のみが洗行するやうになつたのは帝‡の保誰や 時代思想など補々有力なる理由もあらうが、普代の偉才竺堂に集めて完成Lたる什渾は辞書とし ても数段、法講評に勝れてゐたことは彼者の受決品に天見入人見天とあるのを、什謬では伶叡の献 言に依って人天交接両得和見と改めたと言ふ革質に依っても知られる・のである。のみならす・帥の 法珊昔流の研究
法華古流牒研究
− 後秦より北魂を経て陳代に及ぶ・
布 施
722
法準古流の研究
尿什は勿論、帰叙、追生、慧軌の如き辞々たる弟子達が常、法華銀仰着であつて・是等が什公示寂
の前稜より南北各地に特赦したのでやがて其れが披く可からぎるカとなり、蓬に什謬のみの流行を
見るに至ったものでぁる。
願ふに法華恵潮は天台己凍頓みに隆盛とな㌧店来を経て支那内地の弘油は終りを告げても、天ム‖・
稀、口述の各宗に依って日本の現在に伺其の洗行一で見る位であるから.天ム‖己彼の法華思潮は徒凍可打アりに論じ違されてゐる委である。尤も有り憶に言へば隋唐時代にぁっても捏紫、天台・華厳∵法相・
辟などの嬢衰興亡に於ける興味ぁる思想的関係は未だ/\開明されたとは思はれないが・それはともかく、天台己前の法華思潮は従来刊行の沸教史に依る限り、殆んど研究されてゐないのである。
天台家の相偶に依れば周知の如く南岳を鮭て北賓慧文に翻り、更に一躍して観相に承けてゐる。
思想史上の問題であるから何首年跳び越えやう㌢御随意とは言ふものゝ龍樹沸教は既に第五世紀の
初頭、雁什に依って殆んど完全に侍へられ五百年前後の北寮慧文に至る迄、約百年問と言ふもの、
汀の南北に侍弘されてゐるから其の礎蓮費達に於ける滑息を明らめる.ことは興味ある問題であり、又其れは偶数史家の任務でもなければへ与らぬのである。剰へ、雁什及び其の弟子の多くが法華ざ宗
とする人師行アりしを思へば何吏其の必要を成する次第であつて、其の史的必然的意義の諭澄はやが
て天台及び南岳の位置を確立する所以となるのである。とは言へ、此時代は彿敢史上の暗黒時代であ
って、北魂武帝の破彿に次いで蔑度びか療備の行はれヤ一る結畢文献梅空し少なく其の諭澄の甚だ囚
723 難なるは言ふ迄もないが、とにかく出来るだけ大系づけて見やうとするのが此の一袋の諭旨である。 〓 羅什の弟子と法事債仰の事‡ 法華思潮の源泉は支那日本の沸教に関する限り雁什三戒に出費するが、師匠の媛度は一般に弟子 に反映するものであるから許什と弟子との間に於ても其の串は免れす、弟子の巾では法華経に関係 ぁる人が最も多いのである。境野氏の﹁支那沸教史講話﹂に依れば滑侍ぢどの文献に現れてゐる羅什 ︵五︶ の弟子は借琴 滑遜、法欽、恵斌、道融、曇影、借叡、滑稽.・道恒、道標、慣琴 道生∵慧叡、慧巌、 慧軌、付弼、曇幹、何葛、曇蓉、恵安、曇無成、曇岡、倍導、何画、道温、悪友、貿度、悪精、道 華道恢、道嘩 倍某、志和の三十三人と断言してあるが吾人の知る範園に於ては少くとも三十五 人を算へ ︵六︶ ︵七︶ 塁順侍に依れば、少受業什公、後逸師遽とあ丁り、曇翼偶には、晩通関中、稼帥確什とあるから雨着 とも雁什の弟子なることは明白である。敢て先人の難を指摘するを好むものではないが後者の曇巽 は法華思潮に願係がぁるから序でに一言附け加へておくのでぁる。さて是等の弟子小、叙述の順序 として先.っ法華に関係ある人師及び事項を左に列馨して見やう。 ﹁慧遽﹂l‡羅什の弟子でlェ互いが北ハの影響を受けてろ事ほ別瞭でぁろから弟子に準する者亡兄′・姦支へぁろよい。語法倦に俵 へ八︶ ︵九︶ れけ慧菰法帥が鑓山へ賛つ上峰にこ喜連が法華経わ講じてゐろのに構った三コロほれ、法論日銀にほ妙法蓮雅絆序なる一番の存在ぜろ ね記載・してゐろ。蛙山の念彿は度々論究の恩日ミなつてゐろが法華搾ごり関係lェ陰り論りしられてゐない。けルビも臆山な中心ミT る法華思潮lェ殊に慧速u後に於て侮ろべからざろ努力わ亨してゐ・0ので、此空風疎から見ても帥寸J法郵程ヾJの閑係は見学して光ら ㌧ 法華古流の研究
724
乃都賓である。
︵一つ︶ ﹁伶肇﹂は弟手中芸オで惜・しい=ごにほ三十完で大折・してゐろが、護摩に法難の開富欝現れてゐろばかりか、巴 ︵一〓 築無名論にけ、究寛之学芸霊、法華撞云第一姦箸補正、常以益票望於表箸別望、三思大蒜董也喜つ て法華慧引川・し、開富想蓋いてゐる。但・し=ゝに引用されて晶は葉腎に堤管互い、恐らくは警、髪完互い で憩い‡のセわらう。斯く・し蒜よ垂蒜仰者2人ざ見ろ串は出誉が、大館からすれげ本部軋に裁つての法雅錦仰でぁつ て、後に捌けろ近在慧勘光ごミほ多少過さな異にLてゐる。 ﹁慧軌﹂法難則豊第三還に栴誉れ夫で、両地に移る迄に禁に業苦竿ぁつ㌔帥が技芸芹姦什に見 二二 ︵︰三 買帖、洗骨代書鬼才扁論叢品び、賢蓋遊琵之間、尊以弘道霧義教・しぎ倦へられてゐろばかりか、技芸窄序に 法彿法之孟、窮紳之妙境、其此揮之顔乎、此#2謂乎三璧苧してゐ嘉法芸の要でわつ去でぁる。附みに芸諾に 、︹一円︺甲晶り、墓警の関係並びに貰ヾしの讐等に霊長けれげ誉兄いのでわろが莞は別問題でわろから一回れ浬喪の闘
故に就て費表†る機骨に譲るこヾ:J†ろ。 ﹁追生﹂法要去漂苧、11つ其の伍り濱斥事件ほ殊若草ぁろが要撃の漂に就てけ僅かに崇葦讐澄 二五︶ 悌に、荒諾芝諾崇品諸押鶉純欝害毒へるの・けでぁろ。吉永、莞嘉す長の音概ね完警品係轟くの ︵一六︶ みで わろけれミ帥に誌蓮華群疏J→二番がわつよで現に空中に我誉れてゐる。其り序文に依るも叉内容より軋るも道 義警認造ろので、是に依り帥も亦法華錦仰の村方尤えー人⋮て=1に列学芸竿わーの。・桝みに此蒜芸疏ほ諾す ろ警の法芸秤苧ぁつて法芸望遠孝要誉倣莞占むt言のでぁるが、怖教品係の霊の書法看て此ハ内容に椀れ吉去ぞ、僅かに支那偶数正史に其の若鶏ぐるのみで内容には巳然崩れてゐ互いのでぁる。
﹁曇讐は欝思監禁言箕碧行の人でぁり嘉ら不幸ドも怖致史1から忘れ去られん三吉は嵐蒜でを二∵八 丁−⊥四五〇隼の人て禁遥遠に雷、後洋品⋮て軽律に苧、若十三蕃稽に学んで毒山り西北一法撃精舎姦 て、頻ろこ主二十卑、元壷竺十七郎に七十オで示寧してゐろ。 法華昔流の研究丁25 宕、掲ぐる五帥は偲撃で除くの他、男南地に活躍して南地にホ寂せ一Q人であるから南帝を口座と する法華古流の研究には一見蛇足のやうに思はれるが、羅什及び其弟子漣の法華経軌、即ち庶始法 華思潮一ど知る焉には南北の巌別を巌足する必要がないから.文献僅少の此時代には南地も亦映′、可 からざる事項なのである。 .一七︶
﹁﹂は上述
︵一へ︶ ハ一九︶ 也ご讃歌亡ており、中宵十二門論、大智穫論等の序文にほ基れ等を見れ程にlェ率してゐ互いlでかりか‖水王緯後けには般新法準捜 乗り三警甘阿讐、小疇祈年に法芸莞摘警慧・し嘉一わ。師ほ北地規郡り人で水晶貰1封−に慧、後背に帥苧、全 く北地に措縄L㍗人でわる。 ﹁道融﹂も亦北地の人、霞城にこ樽琴して間近猫千有飴人草言にれ、新法華が諸出され㍗岬、羅什ほ帥に命じて見な講ぜ・しめ‖ 分も聴講†ろミ共に、彿法輿融其人也ヾJ軍し㍗ミ儒へられ、爪此の他.法華及び大‖⋮り詭疎かわつて二つ左がら世に毎はれてゐ㍗ のでぁる。 ﹁曇影﹂は羅什に肺彗・ろu附から法華群に関係が一りつて、稚nて正法華鱒聖華してゐ㍗が、新法滞り詣出一丹見ろや托ハの税関 琴卑草し㍗人でわろ。帥の什仲代イ明でわろが南軍﹂赴い㍗根イも亮く、普の量胱葦中に永野し、伺、停にほ役山稜隠盛守節用外 ミ記されてゐるから、恐ら′、紋章未の戦乱な避けて長安地力の山林に隠避生活わ迭つtもりご思ほれろ。 ﹁倍導﹂ほ二︰論及び城警関係深い人でわろが幼少の折から既t法革警の関係がわり、且つ又、汀北莞両替︵北斉語又は此 地力に化†︶わ中心与して弘通に努め七人でわろ。 ︵.二︰︶へ一︰て.ノ ﹁道温﹂ご﹁倍芦﹂ミーミ共に北地より南地に移った人で漣温ほ宋の大明四年に督緊像念号∵蒜中興の軒店lニ於て斉わ設 けたミ修へられ、偲奄ほ宋?水和咋中北地苅山の精舎に人り、尊賢俄な行じ、叉勘音信仰を勤めtご博へちれてゐろq此竺一人は 萄華家でー‡互いが薙什り弟♪でちつて見れげ法華の坤の尊賢及び翌日を信仰lし㍗賓餞翁行の人ミ見ろべ与でわる。 法華古流り研究726 ′
三〇
法華古流の研究 右、列馨せる十一人は急速を除く他、常澄什の弟子であつて而かも静々たる人物を網雁し、是等 の他には僅かに淫柴故に隣−係の深い慧巌や曇顛成がぁるばかりである。此の他の人蓮は皆.名が存 してゐるだけで侍記も思想も共に不明であるから何れに結びつけても痛棒を威じないのであるが. 其れはともか.く、羅什の弟子中に斯くの如く法華関係の人物多きは師の思想的根底が奈速にあつた かを類推せしむる善い根接となるばか↓か、法華思潮が可打了り急激に江の南北に流行するやうにな った事を容易に推察せしむる次第である。 さて凝什が法華を根底としてゐたと言ふことは他の経論を顧みなかったと言ふ意味ではなく、法 華経を中心として他の経論を鎧仰したと言ふ意味で・のつて、事貰綴付は種々の経論を相蕾に尊重し ︵二門︶ てゐたのである。この事は借叡が﹁喩疑﹂に那仰の託として般若法華泥海の特栗を遽ペてから、此三 ︵二末︶ 洋開照照無造英と言ひ、屈に語を抱いで、此三好老如什公所言.是大化三門無権眞鰻と逓べ−小品 経序には、是以法華般若粕待以期経と言ひ遣こせ に比較すれば如何にも寛大な首此の感度が︵因みに支部沸教優にあつ.ては一粒のみを謂歎し宗とし て他を排給すると言ふ感度は、何時、何かなる人師にあつてもあり得ないことであるから、法華昔 流と言っても他経の諸鐙を併せ考察しなければ到底史的研究の光明は得られないのである︶弟子に 侍へられたる時.そこに自づから次に示すやう生二種の思潮を教生するやうになつた。 一大品法華思潮 − 付叡、造敵、曇影.曇翠造温∵偲葛等、727 二 捏柴法華思潮−−⊥混生、慧軌、曇無成等、 三 三論法華思潮・−借輩、伶導等、 右のやうに雁相思潮里二種に分類するのは貸室一日へば叙述の都合からであつて、決して左横に明 / 確に分類し得るものではぢい。滑叡の如き、大品法華思潮に属せしめてはあるが三諭の序文一で書い て居り、曇影にしても中諭の序を書いてゐるから、さう一概には言はれないのである。けれども大 健からすれば付叡を客軌泥に入れるには師は除りに動的であると言ふやうな見方から、他の場合も 同棲に分類したものでぁつて、僻..曇巽己下の三師は畢ぢる賓践主義者である。そして後に説明す るやうに南岳も亦第一の大品法華思潮に属するのである。 三 原始法事思潮を論じて北隷時代に及ぶ 南番犬師を目棟として法華古流を諭する限ト∴に於て、師は北地の人でぁるから北地沸教に英系統 を探らねばならす、叉南岳思想の主流一ざなすものは大品法華思潮であるから先つ最初に此の潮瀧に 留意しなければならぬ。こ∼に着眼し丁北地偶数を一瞥すれば農什思潮の第一系統に注意するのが 雷然であつてヾそLて是に属する者が付叡造融等の藷師である。 へこ六︶ 是等の中、先づ造融に就て言へば註維摩の中にニケ所其の詭が引用されてるだけで、内容に就て ノ.一、 ︵こ八︶ は取り立てゝ言ふ程の主ではない。曇影に就ても同棲で、中諭序が現存してゐるけれど眞俗二諦に 対して中道の意義を説明してゐる位で,三諦詭の粛芽圭一ロム問題に吼なるが、.今ほ、やはり殊更に 法部首流の研究
72S 法華昔流の研究 三二 記す祥の必要′ぜ戚じないのでぁる。最後に付叡は相常に文献も現存し、帥の法蒋に射する憩度は既 に逓ペたやうに ︵宗研七月㍑︶ 或程度迄、明確になし得るのであろが、残念なことには義疏がないの で法華雑観として見れば已然として追憶な鮎が多いのである。斯くして北地に於ける罪什直系の大 晶法華思潮は残念ハ与がら不明であ一〇ので他の系統に資料を求めねばならぬ。 第二の浬杢法華思潮は南地彿致を意威するけれど、原始法華思潮の資料とはへ与り得るから、次に 此系統に限一で輔じて慧観及び造生の思想を探ぐ至しとにする。其の小、慧観は前述の如く僅かに法 華宗要序ヘ甘心一片を残すのみであつて、是に依り只、師も亦南都に移る迄は法華讃仰の入行†りし一ピ 知卜得るのみであるから、甚だ物足らぬものであるので、原始法華思潮の資料としては僅かに追生 の簡畢なる鶉疏に注意せねばならぬのである。 − 温生は支那に於ける捏磐教の創唱者であり、且つ又、創唱の故に都から壌斥された人であるだけ ︵二八︶ に.捏紫綬を揖祭する意志は此の妙法蓮華耗疏の笹頚に出てゐる四種法輪詭によつても首肯かれる ノ 次第であるが、それはともかく大倍に於ては此の義疏一で基本にして原始法華粧軌一ぞ窺ひ得るのであ る。追生は六谷泥海た依って大提梨綻を預想した位であるから、此の疏の中には侶命、師の意見が混 入してゐるとしても、仰又、師は長安を去って江南に活躍した人であろとしても、此の疏の序文に、 耶於訪日.疏鏡餅聞、連記重石、茶粥放生、又以元茅九年春之三月於臆山東林精舎、叉治定之、加探訪衆木具成一懸、 とみる謙遜異教な記餓によつて、本疏は長安で聴いた講義の筆記であり、それを更に晩年︵師は
729 元嘉十一年示寂、即ち四三四年︶應山に入ってから校正したものであることが分かる。何又、本疏 は提婆品を快ける二十七品本によつており、内容から見ても明らかに舌代に威するので、其の内容 の殆んど凡ては罪什及び其の弟子達の原始法華経軌を代表するものと見て差支へないのである。 さて此我流を読むに普り、先つ注意をひくのは大憶に於て天台家の教義と似ざる思想の多いこと ︵二九︶ である。例へば見賓塔品の賓塔を説明して、 夫人情味礫、不能不以紳奇致信、欲国立類誌故現安堵、以事真義、使額然可見、 と述べ、更に塔巾の滞迦多貿二彿並座の形式に就いては、 所以分車座共坐新式亡不必亡、存不必存、存亡之異、出自群品、豊聖然耶、 と言ってゐる。此の見方は大へん面白いのであつて、千五官年後の吾人の見解でさへ、是と左程 の距離あるものではないが義挙的な天台家の其れとは除程遠ってゐる。天台に依る限り此の貿塔思 ●. 想は徐り黍きをなしてゐないけれど、邁かに下って日本沸教史上、特に日蓮師の数撃となると又似 ︵三∩︶ て凍てゐる。例へば諸法賓相妙に 法外の†がt妙法蓮華経の五字lこかはる事写し,秤迦多賀の二彿ご云ふL妙法等の五字より川の利益わ施、し給ふ時、事相に二 彿ミ凝れて賀塔の中に・してう彗つき合ひ給ふ、. とぁるのがそれでぁる。前半の五字題目思想は勿論羅什時代にはへ仏く、南岳の法華経安奨行義に ︵三一︶ 宇市大の抜身を説いて是一で妙法達筆経と名づけて居る串賓に至って始かて其の類似を求めることが 出水るのでぁるが、後半に言はれてゐる﹁串粕に二彿と顕れて賢塔の中にしてうなづき合ひ給ふ﹂は f29 法華昔流め新発
730 三四 法華古流の研究 混生の疏に﹁以事表義﹂とぁるによく似た見方である。根本観念に於て鹿骨と言ひ南岳と言ひ、なか なかよく日本偶数々畢に類似してゐるのであるが、天台家に至っては反って其の類似智疑はしめる ものがあるのは何故であらうか。斯かる問題は偶数史上特に興味あそJと∼思ふが、骨て此の同胞 に観れたこともあり、飼又、此の際は羅什より南岳までの法華盲洗一曾可及的に開明するのが目的で ぁるから詳論することは避けるが.只〓富附け加へるなら、天台家の異色ぁる法華経軌は南地偶数 義挙の風を受けてゐるものと吾人は信する。 僻、道銀の法華義政には此の他に種々の問塩一ぞ食んでゐるが、就中重要で且っ妙味があるのは其 の十如是観である。十如是は妙法葦にのみあつて、他の正法華にも.西戎繹法野紆にも又は梵文法 畢軽にもないことは、甘て本田岡両氏の間に諭零された・が.立場が違うので角カにならなかった ︵三こ︶ やぅに吾人は記憶してゐるが、添品法華の序文に正法華の原本は梵文で一のり、妙法華のそれは亀弦 文即ち胡本でぁると明記してゐるから現存梵本と什評法華経と符合しないからとて少しも不思議 はなく、又符合したからとて其の鰯に法輩経の具備が高まるものでも小心い。屏什時代の人師が﹁如 是﹂の敦に無関心であつたことを思へば.思ひ竿ばに過ぎるものではないか。想ふに妙法華の評出 ほ稜秦の弘始八年︵四〇六年︶であつて、この評場では一堂に骨集した多くの弟子達が原典の意味を ︵三三︶ 失はぬ範囲に於て諸典を悪評した事茸は倍叡の侍記や師の大品綻序に依って明白なことでぁるから、 妙法華の原文も直辞しては分らにくかったので、如是相乃至本末究覚等と意辞されたものであらう、
7〇1 ︵三門︶ そして其の謬出の形式は﹁十如是﹂と同じ見方で諸法を解滞せる個所の多い大智度論を其の前年に評 出したばかりであ一心から.その評方がnづから現れて相性等の十如是に意辞されたものと見るのが 滋も提督な考方でゐI・りう。斯かる博諾の消息は付叡の女献によつても肯つかれる次第であるが、羅