地域福祉をめぐる「新しい福祉 政策」の検討
馳 松 村 直 道
1 課題の設定
1970年代中葉以降10年余の間,「地域福祉」という現代日本的社会福祉観,お よび「コミュニティ・ケア」という近代的福祉の方法ないし形態をめぐって,
社会福祉政策の領域を中心に,多様な論議が展開されてきた。その結果,いく つかの生産的な理論形成が試みられつっあるが,全体的には,それらの概念規 定や理解は多種多様であり,霧散状態にある。
こうした概念理解の拡散性と,いっこうに止揚の方向が見られない背景には,
大別して二つの観点からの認識の不一致がある。第一は理論レベルにおける価 値志向,対象認識の方法,およびカテゴリーをめぐるものである。第二は福祉 の実践(ここには政策形成から,直接的福祉労働までを含む)現場において,
両概念はその理念の高さにもかかわらず,現実にはそれを具体化する法制度や 物的人間的条件のあり方をめぐって,政策実践と現場実践との間に,大きな理 解の格差があることである。
以上の事実は,社会福祉学とその周辺に位置する研究者内での論議,および 狭義の社会福祉行政内での実態である。しかし近年における両概念をめぐる論 議は,狭義の社会福祉を離れて,福祉国家や社会政策との関連で取扱かわれて おり,その根底に,国家財政をめぐる事態の急変が係わることによって事柄は いっそう複雑になっている。
そこで以下,低成長経済下での福祉をめぐる議論の大枠を検討する中で,本 稿の課題を明らかにしたい。
1973年のオイルショックを契機として,国家および地方自治体の財政収入が
減少し,その再建策として,フリードマンらの公共経済学に立脚した小さな政
府論,公私役割分担論が登場し,その検討対象として財政支出の多大な割合を
占める社会保障,とりわけ社会福祉サービスが注目視され,現在に至っている
ことは周知の事である。
この過程の内実については,既に多くの論者や資料によって語られているの でここではふれない。むしろそれらの変化を「新しい福祉政策」として論拠づ けている二つの発想に着目したい。その一つは「福祉国家から福祉社会へ」と いうマクロな状況変化の認識であり,もう一つは「地域福祉への転換」や「在
宅福祉サービスの重視」と言われる,福祉サービスの形態をめぐるミクロな施 1 策変化の認識である。両者の関係は,前者の福祉状況認識が,具体的には「日
本型福祉社会論」や「公私役割分担論」を媒介として,後者の視点に立つ福祉 政策の背景を形成し論拠づけるものとなっている。
そこで以下では,これら二つの発想の論理について整理検討し,その上で,
「地域福祉」をめぐる論議をいっそう生産的にするための方途を考えてみた
い。
2 福祉国家から福祉社会へ
地域福祉の考え方を,国家レベルの政策として具体的に位置づける契機と なったのは,1979年の「新経済社会七ケ年計画」である。そこでは「日本型福 祉社会」について次のように述べている。
「欧米先進国ヘキャッチアップした我が国経済社会の今後の方向としては,
先進国に範を求め続けるのではなく,このような新しい国家社会を背景とし て,個人の自助努力と家庭や近隣,地域社会等の連帯を基礎としつっ,効率 のよい政府が適正な公的福祉を重点的に保障するという自由経済社会のもっ 創造的活力を源動力とした我が国独自の道を選択創出する,いわば日本型と
もいうべき新しい福祉社会の実現を目指すものでなければならない。」
ここでの「日本型福祉社会」の取り扱いをめぐる論点の整理や批判は,堀勝 洋を始めとして,詳細な議論が行なわれているので,こごこではこれ以上ふれ
(注1)
ない。
本稿では,上記引用に見られる「福祉国家から福祉社会へ」という発想法に
っいて,これまで,ややもすると等閉視され,またはイデオロギー的理解や現
象的理解に止まる嫌いがあるので,この点について,社会政策学の研究成果に
学びながら,歴史・社会的な観点から検討を進めたい。
松 村:地域福祉をめぐる「新しい福祉政策」の検討 3
(イ)福祉国家の概念とその歴史社会性
マルクス主義国家論における共通の理解として,「福祉国家」は国家独占資 本主義段階に対応する国家観であり,幻想性とイデオロギー性に基づき,国家 主導の下に,労働者階級内部での所得の強制的再分配が実施されているにすぎ ず,それさえも現在では崩壊傾向にある,とされている。
本稿ではそうした基底的認識を認めながらも,現代社会において福祉国家 の「考え方」が社会政策における重要な柱(史的実体性)になっていることは 否定できない,と考える。
福祉国家の理解については,通常,ビバリッジレポートの内容と構成,つま り,ナショナル・ミニマムに基づく社会保障給付の体系を中軸にして,目的概 念的に理解されており,従来その社会的前提条件については比較的関心が薄 かったといえる。
(注2)
この点に関して,木村正身は「福祉国家の起源と社会政策」の中で,次のよ うな論理を展開している。
福祉国家の制度的・政策的側面からの成立根拠を,歴史的理論的に求めると 三つの認識方向がある。第一ほ両大戦問の国独資の一般的成立に契機を求める もの,第二は1880年代の独占資本主義一般の発足,第三は産業革命直後の近代 的産業資本主義の確立に,それぞれ契機を求めている,という。我が国では第 一の認識が有力であり,制度や政策の具体的事実に則する限りそれは正しい が,イギリスでは,むしろ第二第三の認識が支配的であるという。その認識根 拠は第二の場合,1880年代以降の労働運動の新展開と自助概念の決定的衰退,
その結果としての最低賃金立法やナショナル・ミニマム概念の成立,そして 1911年のりベラルリフォームに至る生活保障政策の画期的成立の流れの重視,
第三の認識根拠は,社会史の観点からみて,1830年代に始まる「一連の画期的 な国家干渉的行政諸改革」の事実の重視,に求められているという。そしてこ れらの認識に立つと,第一のそれは,福祉国家の完成形態であり,結果論にす ぎないという。
福祉国家を,国民経済や国民生活の歴史社会的変動の過程に則して考えると いう第二第三の認識方法は,現代日本におけるr福祉国家から福祉社会」へと いう,発展図式を正しく取りおさえる上で示俊する所が多い。この点は後のの で問題としたい。
最後に,木村正身は福祉国家の成立の歴史的理論的必要条件として,以下の
七項目をあげている。
(1)近代的行政官僚機構の整備とその自律的。能率的展開。
(2)市民社会の枠内で国家干渉を肯定するような思想と理論の形成。
(3)国独資的労働問題・生活問題またはその先駆的状況の展開。
(4)社会政策の包括的全面化。ナショナル・ミニマム理念の成立とその基本 的展開。
(5》政治の民主化の形式的達成。労働者の組織化と労使関係の成熟。生活保 障・社会福祉の技術や方法の進展。
㈲ 国民所得の相当程度の水準と完全雇用。
{7}福祉国家概念の国際的定立と相互促進活動(ILOなど)
(ロ)「福祉社会への論理」とその転倒性
先に見た「新経済社会七ケ年計画」では,「日本型福祉社会ゴの特質につい て,自助努力や家族・地域社会による相互扶助の重視を提言しているが,「福祉 国家」から「福祉社会」への移行,とりわけ,国家と社会(および個人)の関 係の変化については何もふれていない。そこで,以下では,同計画とかなり近 い関係にあり,社会政策の現代的再編成について理論的展開を試みた『総合社 会政策を求めて』(1977年 経済企画庁編)に従がって「福祉社会の論理」(こ れは同著の副題でもある)をやや詳細に整理・検討してみたい。
その際予めお断わりしたい事は,本書は,福祉社会そのものを直接的に論議 しているのではなく,「総合社会政策」の構想を媒介として,福祉国家から福 祉社会への「飛躍」の契機を論議している。したがって,総合社会政策の必要 性,構想の内容,政策実現のための必要要件に係わって,どのような福祉社会 観が,直接的間接的,または全体的部分的に論議されているかが,本稿の担う 論点となる。以下内容を簡単に要約しよう。
最初に,総合社会政策の「必要性とねらい」について,従来の社会政策は「事 後的に経済成長のもたらした影響により必要が生ずる都度その摩擦を緩和する
ことを主たる目的とし」そこには「一貫した論理と整i合性が欠け,事後処理策
の積み重ねとしての性格が強い」という。その結果「従来の個別的,事後的な
社会政策および政策一般のあり方を反映し,より体系的,事前的かつ広範な関
連領域にわたる政策の企画立案を行なうことが必要」になったという(第一章
五節)。
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総合社会政策は,社会保障政策,社会政策,経済政策をもって構成され,政 策の対象範囲は人的,物的資源に加えて,「文化的資源」(余暇,文化,価値観)
と「関係的資源」 (家族,地域,階層と移動,社会統合)を加えている所に大 きな特徴がある(第2章1節)。
政策実現のための必要要件の出発点として「個人と国家」という西欧的な基 本的社会関係に代わって,「中核的な帰属集団」を重視し,「核家族でない形の 新しい家族的結合や地域コミュニティの再確立を目指した」 「個人主義と中間 的集団への帰属の組合せという形の日本的原理」が提示される。そして「個人 主義の福祉原理と集団主義の福祉原理の調和をいかにして確保すべきかという 問題がより具体的な福祉政策の制度や;進め方の問題として生じてくる」とい
う(第3章2節)。
福祉の最低基準については,ナショナル・ミニマムに代わって「ソーシャ ル・ミニマム」が提起される。その基本的論拠は次の二点に求められている。
第一に「ミニマム水準の充足はすべて政府公共部門の責任で行なうという考え 方は,官僚化,財政負担の過度の膨張とその硬直化をはらむと同時に,個人の 責任と自発性,ひいては社会の活力にマイナスの効果をもたらす」こと,第二 に「貧乏や生活困窮が中心であったとき有効に機能した国家責任論も,予防や 治療が中心となってくると,現に限界が出てきている。」「予防や治療のうえで はこの中間項(家族・地域・企業等)の機能が特に重要であり,今後の社会政 策は,これらに正当な位置を与え,正しい機能をよりよく発揮できるようにし なければならない。」という(第3宴5節)。
最後に「合意形成と目標設定」のための参加の機能について,権力の分配の 公正化と共に「社会の安定化と統合性の促進」が重視されている。いわく,
「参加する者が事柄の次第をよく理解し,自からに課せられた制約条件を認識 して,必要な選択を行なうことが期待される。当事者は共同の決定を行なうわ けで,したがって決定への責任を負うことになるので制約条件を無視した無責 任な態度をとれなくなる」 (第4章2節)。
この「報告書」について,相沢与一は「現代社会政策の問題状況を屈折ない し転倒させて映し出している」とし,最終的にはrまだ実存しない『総合社会 政策』を提示して今日的な貧困または生活困難の解決と『福祉社会』実現への 夢を作り出し,それに『国民の合意』を獲得することによって,危機における
日本国家独占資本主義体制への合意と統合を促進することこそ,この超抽象的
(注3)
な政策イデオロギーの基本課題なのである」と結論づけている。
こうした本質的理解は基本的に正しいが,ここでは「福祉社会への論理」と いう観点から,いくつかの点に具体的に立ち入って検討したい。
最初に,「必要性とねらい」で引用したように,「報告書」におけるr社会政 策」の理解は,一見するとコレクティビズム(Collect五vism)の立場に立つソシ
アルポリシー(Social Policy)のようであるが,実際は歴史社会性の欠如と機 能主義に立つ,システム論的な論理構成をとっている。
次に.総合社会政策の特徴的構成要素である家族・コミュニティ。階層等が,
政策実現の中で,どんな文脈に位置づけられているかを検討したい。福祉社会 認識の焦点はここにある。
先に引用した三つの「必要要件」をみると第一に家族や地域コミュニティ等 は,それぞれ「新しい家族的結合」「再確立」の中で,来たるべき「福祉社会」
の中軸をなす「集団主義の福祉原理」を担うことが期待されている。しかし,
第二にそうした福祉原理は「ソーシャル・ミニマム」にみられるように,無原 則な責任負担論であり,第三に,参加機能にみるように,参加「責任」を重視
した社会統制論でもある。
以上のことから,帰属集団の自助能力形成や国家政策への合意手段形成が重 要視されていることが判明する。このことは国民の側からみると,客体化され 手段化された自己像しかでてこない。つまり,ここでの「福祉社会論は,国民 の側からみると,全く転倒した論理となっている」のである。
の 論理構成上の問題点と課題
「福祉国家から福祉社会へ」という論理にっいて,上記(イ)・(ロ)において原理 論的認識,および政策論議のレベルで検討を試みた。こうした検討は未だかな り不十分なものではあるが,以下ではそこから帰結した問題点と課題について ふれてみたい。
第一に,(ロ)でも指摘したが,(イ)の木村正身が指摘する「福祉国家」成立の七
項目の要件からすると,『報告書』での福祉国家概念は全く歴史性を欠落して
おり,転倒した論理の下でアプリオリに社会性を付与している。こうした歴史
社会性の等閑視は,「現代」社会政策論が生活問題に対応する社会保障や社会
保険の領域を主な対象領域とし,したがって社会変動のダイナミズムから間接
化された所で所得の再分配が論議されていることと大きな関連があるように思
松村:地域福祉をめぐる「新しい福祉政策」の検討 7
われる。
木村正身が指摘するように,福祉国家を,その本質規定ではなく,実体的力 テゴリーとして把握する限り,市民社会の成立とそれに付随する社会関係や制 度の領域が決定的に重要になるといえる。こうした視点に立つと,高度経済成 長期とその前後期における福祉国家論議や,ビバリッジレポートを理念とした 福祉国家観がいかに一面的であったかが反省される。市民社会の諸原則をふま えた上での,国民社会的視角に立つ福祉国家論は,我が国でこれまで論議され ておらず,研究視角を含めて今後の重要課題といえよう。
本節の最引に引用した,「欧米先進国へのキャッチアップ」論に対して,か って日本の大都市とその生活環境を視察したW・A・ロブソンは,「どの国に
も住宅問題はあるが,西欧世界に限っていえば,日本の主要都市では,その最 (注4)
ォの状態に匹敵する」という。その事実は「東京が世界最大の大都市地域であ りながら,その公共サービスは現在の都市規模の五分の一ないし半分の都市の ために作られている」からだと椰楡する。さらに「老人への援助も・老人病院 およびナーシング・ホーム,リハビリテーション訓練および医療・勤労可能な 人々のための雇用機会,さまざまな社交施設やレクリエーション施設を提供
し,もはや子供たちと住まなくなった老人の孤独を慰めるコミュニティ福祉セ ンターなどを考えれば,やはり不十分である。厚生年金も国民年金も,受給者 の生活を支えるにはとうてい十分とはいえない。老人は退職機会が早いこと・
核家族化の動向,そして求人の場合に老人を冷遇する傾向などによって・ます ます孤立している」と,日本の社会政策と福祉サービス水準をかなり厳しく批 判している。
都市生活の全体レベルで日英の批判をしただけでも,いかにキャッチァップ 論が統計的には正しいにしても,社会的にはいかに空虚で偽善的なものかが知
、 轤黷謔ツ。
さらにロブソンは「福祉国家から福祉社会へ」という論理に対して,一方 で「日本は未完成もしくは停滞状態にある福祉国家とみることができる」,「日 本は若干の点でイギリスより相当高度に福祉社会としての資格を持っている。
それは日本が人種問題も,階層システムも持たず,ずっと良好な労使関係を
持っているという理由からである。他方,イギリスはより多くの,はるかに秀
れたソーシャル・サービスを提供し,いっそう強固に定着した社会的公正の観
念を持ち,より総合的で効果的な計画・開発システムをもっている」とし,他
方で「福祉国家はソーシャル・サービスの範囲,適切さ,および質に関して絶 えず改善することを目標としている」。それに対して「福祉社会は,中央政府,
公共団体および営利企業の手に過大な権限が集中しないように注意しなければ ならない」と指摘する。
ロブソンのいう福祉国家とは主に社会保障制度を主体とした理解であり,福 祉社会とは充実した市民社会の内実を示している。以上を要約すると,前半で は,日本は市民社会の今後の成熟を通じてこそ豊かな福祉社会が期待しえるこ
と。後半では,福祉国家と福祉社会の相互補完性とその内部での緊張関係の必 要性を指摘している。
ロブソンの日本評価の是非は別問題として,市民社会の成熟こそが福祉国家 形成の不可欠の要件とする考え方は,80年代の日本の福祉状況にとって,非常 に示俊的である。
さらに氏は福祉国家の正常状態としての地方分権制にふれて,「市民が自か らの労働と生活を地方的,地域的協同によって組織し,国家の直接干渉は必要 最少限の場合にだけ交渉することにし,自分たち自身でますます大きな責任を とる,というユートピア的な地方分権化した民主国家の適切性」(G・ミュル ダールからの引用)を支持している。
以上を総括すると,現代日本においては「福祉国家から福祉社会へ」という 時系列的な理解は,社会的実在的には全く妥当性がないこと。両者は相互補完 的で緊張を有する一つの体系の二要素として歴史社会的に理解することが妥当 であること。さらに付言すると地域福祉の概念は,中央集権化,官僚化した現 代福祉国家の危機打解(=新たな正常状態の追求)としての市民社会と地方分 権制の成熟化の中で,本格的にその意義がクローズアップされてくるものとい
えよう。
第二に,「報告書」における福祉国家および福祉社会の概念は,国家論ない し社会構造論的視角をほとんど欠落させているといえる。そして,福祉の対象 が労働力の再生産過程(=財やサービスの分配や再分配の領域)に限定される ことによって,その合理的配分や運営をめざす機能主義的論理は,一見すると 不自然さを感じさせないが,福祉国家と福祉社会の実体的構造連関を説明でき ないという限界がある。
木村正身は前掲論文の中で,ティトマスの規範主義的な福祉国家の三分類
にふれて,「かれの接近法は,イギリス風な経験論議に理想主義的な規範選択
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論(贈与原理の提唱)を直接つなぐことを出なかった」と批判しているが,再 分配論レベルの経験論とコレクティビズムという規範主義からは,実体的な 定義は不可能であり,ティトマスが言うように「福祉国家」を「定義不能な抽 象」と考えるのは必然的であろう。先に引用したロブソンの福祉国家論や近年 の日本における「在宅福祉サービス論」もティトマスとほぼ同様な認識視座に 立っているようだが,この点は次節でふれたい。
現代日本における国家論不在の福祉国家認識は,第一にソーシャル・ポリシ 一概念の一般化,第二に社会的共同消費手段や社会保障への国民と国家の関心 の増大,第三に社会政策学における現代的生活問題研究の軽視,等により,「福 祉国家=社会保障を中軸とした再分配制度」という理解の一般化によって補強
されてきたようだ。
他方,福祉社会認識も,(1970年代の「福祉コミュニティ」を想起すれば,
すぐに気付くことだが)理念型的概念構城が本質であり,実体としての社会構 造分析(研究)から演繹されたものではない。それにもかかわらず,そうした 用語が高い社会的関心を持たれるのは,現代的生活問題の深刻さを逆説的に示 すものであり,それ以外のものではない。
以上のことから,目的概念としての「コミュニティ」観を前提にして,福祉 社会の持つ意味は極度に規範性の高いものであり,木村正身やロブソンの先の 指摘を想起すると「福祉国家」とは全く対応関係をもてないことがわかる。
以上の帰結として,「当面」想起されることは次の二点である。
第一は,福祉国家概念の実体的規定に向けてであり,これは,社会政策学が 社会保障の領域を,どのようにして固有な対象領域として規定するかの問題と 僻5)
「えよつ。
第二は福祉社会(ないし福祉コミュニティ)の実体概念化の契機を,最近の 研究成果,および先に指摘した市民社会,地方分権等をふまえて「地域福祉」
の概念の中に求めてみることである。
これらを検討することの意義や現実性について,現代日本の福祉状況からす
ると,ややもすると消極的評価を受けかねない。しかし1960〜70年代にかけて
の英国における社会政策的観点からの地域社会開発政策やシーボムレポートを
受けての地方自治体における福祉行政的サービスの大改革が福祉国家の再成を
めざして行なわれたとはいえ,その根底には実体としての福祉社会を強化せん
という意図が伺がわれる。英国の場合,二大政党交代の中で,市民社会的要求
が政治過程の一大要素であるという特色があるが,日本にとってこうした政策 は無縁な経験ではないだろう。
3 地域福祉概念の形成と変容
本節では,地域福祉の概念がどのような過程を経て形成され,その変容の結 果,現在みるような多様な理解とイデオロギー性を生むようになったかを検討
したい。
(イ)地域福祉概念の形成
現在,日常的に使用されているコミュニティ・ケアや在宅福祉の用語を含め て,地域福祉の概念がどのような経過を経て現在に至っているかについては,
(注6)
これまで,いくつかの整理がなされている,ここでは井岡勉の整理を手がかり にして,重要な経過のみを示しておきたい。
コミュニティ・ケアの最初の発想は,20世紀初頭のイギリスにおける精神障 害者の治療と処遇における施設収容(特にその隔離主義がもたらす非人間性と 治療効果の限界性)への反省から,薬物療法等の医学の発達を前提として,病 院空間の日常生活化や地域生活処遇をめぐる法制化が進んだといわれる。これ
(注7)
に関して右田紀久恵は,コミュニティ・ケアが具体化した「絶対的要因」は国 民保健サービス法による医療制度の確立にあるとしている。
これと平行して,児童福祉施設においても子供の人権と発達の観点から,分
(注8)
別収容や施設の改善,里親制度の見直し等が重視されている。
イギリスの場合,1950〜60年代にかけての社会サービスの体系化志向の中で 医療保健や福祉分野の法制化が進み,福祉分野においては,シーボムレポート
を経て,1972年,地方自治体社会福祉法という形で,地域福祉の法制度化が一 応完結している。
日本では1951年,社会福祉協議会の設立以降,地域組i織化活動を中心にして 関連領域を含めて,地域福祉活動という表現が与えられていたが,それが福祉 施策の中で具体化してゆくのは60年代後半であり,福祉政策との関係で体系的 に論議されるのは,70年代後半以降である。
高度経済成長を支えた国家政策としての全国総合開発計画(1962年)および
新全国総合開発計画(1969年)は経済成長の波及効果として,地域社会におけ
る住民の福祉向上を位置づけたものであって,政策そのものには社会政策的観
松村:地域福祉をめぐる「新しい福祉政策」の検討 11
点が欠落していた。したがってマイナスの開発効果の中で,福祉施策が個別分 散的,非体系的に登場せぜるをえない必然性があった。具体的には,老人,身 体障害者を対象とする家庭奉仕員派遣事業,社協における福祉活動指導員の配 置,民生委員の活動強化等がはかられた。
70年代の初頭,全国化した地域社会問題の深刻化と住民運動に対して,きわ めて規範性の高い「コミュニティ」概念を鍵とした,上からの地域問題抑制政 策が,国政の全般にわたって展開されるが,それはコミュニティ施設の部分的,
分散的配置を媒介とした,住民による地域生活問題の自主解決の強要(監行政 責任の回避)とあいまい化であった。
地域福祉の枠組みの提示という意味では,1971年の中央社会福祉審議会答 申「コミュニティ形成と社会福祉」は重要な意味をもつが,ここでのコミュニ ティ概念は典型的に,規範的要件によって構成されており,福祉についても制 度の管理運営面にはふれずに,居宅福祉を中心にした事業の拡張(=コミュニ ティ・ケアの重視)論が主体となっている。ただ,その後の地域福祉政策との 関連で,本答申がコミュニティ・ケアにおける福祉技術の基本的専門性につい て述べていることは注目してよい。
70年代前半は,高度経済成長のための公共的需要創出の意味もあって,教育 文化,医療福祉その他生活環境面での物的施設の増改築が進んだが,そこでは 新しい思想や哲学,法制度の改革はほとんど論議されていない。地域福祉の面 では,イギリスにおける社会サービスの充実と整備統合の影響を受けながら
も,それを総体として具体的に検討する基盤はほとんどなく,むしろ基盤の脆 弱化が進行したのが現実である。
したがって,後に検討されるが,70年代の前半に提起された「地域福祉」が 財政問題の深刻化を契機に「変質」してゆく,という論理や認識は必らずしも 正しいとはいえない。むしろ,当初の地域福祉理念提起のされ方に多くの問題 があったといえよう。この点は今後の課題としたい。
70年代の後半における1地域福祉政策論議は,高福祉高負担ないし受益者負 担という,市場原理と福祉における贈与原理の調整という立論の仕方で始ま
る。
1975年版の「厚生白書」,社会保障長期計画懇談会報告「今後の社会保障の
あり方について」 (同年8月)は共に,地域福祉の観点からの福祉施策の体系
化と受益者負担の考え方を強く打ち出している。これら二つの考え方は,本来
的に全く別のカテゴリーに属するものであるが,73年のオイルショックを契機 にして,後者の論理に前者が次第に従属化,変形化し,受益者負担という市場 論的発想も,「都市経営論」「公私役割分担論ゴという公共経済学的行政観に支
えられて,福祉行政,施設運営を大きく規定してゆくことになる。
「従属・変形化」は,具体的には「地域福祉の観点」を「宅在福祉サービス」
と「施策の社会化」へと限定的に理解し,「福祉施策の体系化」の視点の後退 として現われる。高令化する社会の中で,多様な生活,福祉問題と現行福祉事 業体系との全体的な検討を不問にしたままで,「在宅福祉サービス」のみが,
即時的な生活問題対策の戦略として過大な期待をもって位置づけられてゆく。
福祉政策論の中に,宅在福祉サービス論が位置づけられる時,それは必然的に 機能主義的なサービス給供技術論に転化せざるをえない。全社協『在宅福祉サ 一ビスの戦略』もその一つといえる。
こうして80年代の福祉政策の下では,地域福祉の理念は,本来その構成要素 の一つである在宅福祉から切りはなされて著しく観念的なものとなり,地城福 祉に代わる政策理念として福祉社会論や,日本型福祉社会論が支配的理念にな
りつつある。
1983年,閣議決定「1980年代経済社会の展望と指針」によると,地域福祉の 基盤づくりのために,ノーマライゼーションやホーム・ヘルプ,ディ・サービ
スの充実が唱えられているが,地域福祉法制度が全く不備なために政策理念と 具体的施策との関係が全く明らかではない。さらに「国家財政難」の理由で施 策の実施にあたって自治体や住民へのしわ寄せが大きくなっているのが現実で
ある。
井岡勉は地域福祉政策の現状を「わが国の地域福祉・在宅福祉は,住民生活 を守る方向でまともな展開条件を欠いたまま,より大きな政策目的を達成する ための手段として,不当に一面化され,歪曲されて,総動員させられていると (注9)
「わざるをえない」と総括しているが,その通りである。
次に地域福祉概念の変質やイデオロギー化について,検討を進めたい。
(ロ)地域福祉概念の変質・イデオロギー化の背景
右田紀久恵は,地域福祉における行政責任不在の歴史性について,今日ま での社会福祉施策は「社会政策・社会保障などの政策の不備をふくみながら,
『補完・代替』の機能を一段と強く担わされてきた。このため,社会政策・社
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会保障などの分野における行政責任の回避が,問題の質と量を増して社会福祉 分野にもちこまれ,社会福祉分野における行政責任の稀薄さと不明確さが民間
(注10)
社会福祉の実践現場や家族におし込まれるという循環」があったという。
従来,社会福祉が社会政策・社会保障を「補完・代替」してきたという関係 構造の温存は,現在および今後において,地域福祉が社会福祉を,否,社会政 策や社会保障をも「補完・代替」しかねない事態を生みつつある。
社会福祉における理念と現実の乖離と低水準性の基本的原因は,行政責任の あいまいさによる所が大きかったが,地域福祉の規定については,さらにいっ そうそうした性格が強いといえる。
1970年代中葉における,自治体独自の判断による在宅福祉サービス実践に対 して,その後,財政難時代を背景にして,「ばらまき福祉」との批判が展開さ れたが,現代の福祉法制,特に在宅福祉法制の不備からすれば,自治体の福祉 政策が個別化するのは当然であり,「バラまき」批判はあまりにも現象論的見 方であった。
そこで以下では,『在宅福祉サービスの戦略』(全社協)や三浦文夫『社会福 祉経営論序説』 (磧文社)にみられる地域福祉概念を念頭において,法制や財 政・福祉労働といった実在的な構成要件との関係,および概念構成という認識 論的視点から,その特色を整理検討したい。
の 実在的要件と地域福祉
『在宅福祉サービスの戦略』(以下,『戦略』と略す)では,我が国の現在の 社会福祉がおかれた諸条件,例えば政治経済的環境,歴史社会的規定等が考慮
されていないばかりか,社会福祉の実践機構や生活問題の所有形態や内容につ いての論議がいっさい取りあげられていない。そこで展開されているのは,生 活問題を機能的に抽象した要依存在(ニーズ)と,社会保障が理想的に実現さ れたという前提に立っての福祉サービス(非貨幣的サービス)との関係につい てである。さらにそれらは,無前提的に提示された「居宅処遇原則」と「在宅 福祉サービス」の範囲内において,検討されている。
これらの論理については,これまでにいくつかの秀れた論議や批判があるの
(注11)
で,以下では,筆者からみた主要な論点についてのみふれたい。
第一は,住宅問題や生活環境整備と在宅福祉との相互連関性である。イギリ
スの戦後福祉政策における住宅政策の最優先性をみるまでもなく,社会福祉
サービスの基礎・前提として適切な住宅が容易に利用できることは,福祉サー ビスの効率性のみでなく,生活問題の所有者ないし家族にとっての自立化の第 一前提である。
さらに生活の資本主義的社会化の中では,労働力の再生産過程に占める社会 的共同的消費手段やサービスの有無と水準が,上記の効率陸と自立化を大きく 規定する。
仮に高い水準の福祉サービスが提供されたとしても,住宅・生活環境が劣悪 であればサービス効果はあがらず,生活問題が継続する結果,勤労者の場合,
労働力の消費過程がさらに低位化し,生活問題の拡大再生産へと連続する。こ うした事実は,我々の周囲に枚挙にいとまがないことである。
第二は,地域福祉に関する社会福祉の法制度の不備や財政的配慮の欠落であ
る。
現行の社会福祉法制は,老人福祉法における,いわゆる「できる」規定にみ られるように,行政側の裁量に委ねられる条文規定が多く,制度の利用当事者 の権利保障性が著しく弱い,さらに,国から自治体への機関委任事務が多く,
行政責任が曖昧になっている。その上,通達や要綱によって地方自治体の福祉 行政が行なわれる結果,自治体施策の固存性や独自性の条件が大きく規制され る。その事を物質的に決定的にするのは現行の国庫支出金における補助金単価 設定の過少性に基づく自治体の超過負担の激増である。
地域福祉,在宅福祉面では,先にも示したように,法制度の不備によって公 私の役割関係はあいまいであり,したがって財政支出も最少限に極限されがち である。低経済成長下の「国家財政難」という事態が,これにいっそう拍車を かけている。
英国の場合,在宅福祉費と施設福祉費の割合は,右田によればほぼ64対36で あるというが,日本の場合,在宅福祉費は5%程度といわれている。これは,
日本の在宅福祉が,公的財政負担を軽減する方向で実施されているといわれる ゆえんである。
第三に,地域福祉を支える福祉労働の専門性と現実の乖離がある。『戦略』
によれば,「狭義の在宅福祉サービス」を構成する専門的ケアと在宅ケアの 内,前者は,「家族成員相互の援助では元来充足することのできないニーズ」
として「即自的に『社会的』解決が求められるニーズ』に対応し,具体的に
は「一定水準以上の医療・看護,リハビリテーション,教育,カウンセリング
o
松 村:地域福祉をめぐる「新しい福祉政策」の検討 15
などの濃密な身辺介助的な社会福祉サービス」を指摘している。しかし,昭和 50年当時からの社会福祉士法案をめぐる国側の取り扱かいに典型視されるよう に,福祉労働の専門職性をめぐる国および自治体制の態度は極めて消極的であ り,在宅福祉サービス=「在宅ケア」の理解の下に,福祉職の「専門性」より も「職員の意欲」や「住民の奉仕的態度」が強調されている。
その原因の大きな一つには,前記『戦略』における「専門職性」の位置づけ の根拠が不明確であること,二つのケアへの分離とその内容展開が本質的に重 要でもあるにもかかわらず,r仮に分類することとする」といった安易さがあ
(注12)
る。
在宅福祉サービスを支える福祉労働の専門職性は,生活問題の複雑化とその 予防・解決の体系的対応の必要性の中で,『戦略』のいう「在宅ケア」の前提
をなすものであり,また,施設の現代化・社会化と共に,基本的構造要件であ ることを忘れてはならない。一般的に,社会的な政策に関する機能主義的,ま たは理念型的論理展開は,論者の意図とは離iれて,政治的役割をはたすことが 多い。『戦略』の論理もその一つであるといえよう。
第四に,以上の三つの論点をふまえて,それでは,地域福祉の概念は.いか に構成されるのかという本質論に帰着する。
従来,地域福祉の概念規定については,古くは全国社会福祉協議会『社会福 祉騰会要網』(昭和38年)における規定澱近では岡鳩夫・胡紀久恵・
真田是の諸氏による規定があるが,これらについては拙稿でふれてあるので,
ここでは再論しない。
これらの内,右田の規定はかなりグローバルではあるが,実在論的立場から 規定したものとして最も興味深い。氏は「やや問題意識が先走って,方法,手 法の細部にまで十分ふれ込みえなかった」と自己反省しているが,事実喚蜜志 ろ,地域福祉をめぐる構造的要件の歴史社会的な未成熟にあるといえよう。
右田氏は,この未成熟1生を国と自治体における行財政レベルで,かなり詳細 な検討をしているが,筆者は,もう一つの未成熟の領域は,地域・自治体レペ ルにおける,実践的な市民社会形成力の弱さ,具体的には,先に木村正身が示 した福祉国家の七つの項目を前提にした,住民サイドからの福祉の管理や運 営・参加への関わりである。
このことは右田氏が「地域福祉の課題」として,「まず第一に,社会福祉を
地域の視点でとらえ直すことの意味,内容を明らかにする必要があろう。社会
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福祉を住民の生活の場,自治の場としての地域の視点でとらえ直さねばならな い」と主張することとほぼ一致しよう。氏は,第二の課題として,機能論的ア ブローチに代わる社会科学的・政策論的アプローチを提言し,具体的究明課題 として,地域構造,住民の貧困化状況,地域福祉の固有の対象課題,地域福祉 関連領域,住・環境整備の重視,の五点を指摘しているが,これは筆者にとっ ての現在の具体的課題でもある。
⇔ 近代的認識論と地域福祉
ここでは前記『戦略』における地域福祉に係わる基本的用語法について,批 判的検討を試みたい。
第一に居宅処遇原則の理解についてである。本書の第一部第二章第二節で は,居宅処遇原則の根拠について次のように指摘している。第一一は施設収容に 対する最近の反省や批判,第二にプライバシーの確保,第三に国民経済上の資 源の制約等が,主な根拠である。
ここで注意すべきは,現在の施設福祉の不備状況の中から,すべての根拠が 導びき出されていることである。周知のようにヒューマニズムと人権尊重の理 念の下に20世紀初頭から展開される,コミュニティ・ケアの発想は,収容施設 における劣等処遇の原則を排除し,収容施設の人間主義的改善を求めるもので
あった。
しかし,戦後日本における「収容施設」の「福祉施設ゴ化は,最低生活保障 の権利がありながらも,現実態としては,福祉財政の貧困ゆえに,劣等処遇に 準じる事態が長く続き,施設改善や人々の施設観も遅滞状況にあったといえ
る。
したがって,コミュニティ・ケアの観点から現代的処遇原則を求めるならば,
施設福祉と在宅福祉は同レベルの関係にあり,居宅=自宅という素朴な理解は 出てこない。収容主義的な現行の福祉施設の不備とそれに由来する国民の貧困 な施設観が,「素朴な理解」を妥当なものにしていることを注視する必要があ る。居宅=自宅処遇の原則は,ややもすると,生活問題の顕在化を抑制し,か えって生活問題を深化存続させかねない。そして結果的には福祉施設の相対的 な需要減少を媒介として,財政負担の大きい施設建設や維持を合理化節約する 論理としての役割を果たすことにもなりかねない。
第二は」ニード」および「非貨幣的ニード」におけるdemandの下位概念
松 村:地域福祉をめぐる「新しい福祉政策」の検討 17
的性格についてである。demandは通常,自己の要望や欲求を,自己の価値判 断の能力と規準に照らしあわせて動機づけられ,または自から社会的に行為す
る所に,具現化するものとされる。したがって,市民社会と市場メカニズムの 与件が準備されない状況下での社会福祉的「ニード」という用語法は,本来的 には機能的概念としての使用には妥当性を欠くのではなかろうか。需要=供給 という市場論的発想,個溺的な生活課題を「ニード」として一般化して考える ことの有効性には疑問が大きい。
『戦略』における「非貨幣的ニーズ」の諸問題については,前掲の林博幸論 文を参照してもらうことにして,ここでは同概念をめぐる機能的与件や規準の
問題,社会学的機能主義の限定性,等についてふれたい。
「社会福祉政策の主要課題が貨幣的ニーズの問題と並んで,あるいはそれに 代って非貨幣的ニーズに移行する」前提,すなわちここでの機能的与件は,「経 一 マ的不安に社会福祉政策がもっぱら対応しなければならないことではなく,雇 用政策,賃金政策,年金などを含む所得維持政策などによって対応する必要が
(注15)
あり,またそのことが可能になりつつあるという認識」に基づいている。
ここでは社会政策の成功ないし進展による経済的保障の充実という「構造的 与件」が,まつもって前提視されている所に注目したい。それは,非貨幣的二 一ズの概念が現実性を獲得し,機能的有効性を発揮するか否かが,この構造的 与件に大きく規定されるからである。ここでの中間的結論としては,そうした 構造的与件が現実的に真理であるとは,とても言い難いことである。
次に,「非貨幣的ニーズ」の充足や水準設定について『戦略』は,「このミ
(注16)
ニマム基準の設定は,きわめてあいまいにならざるをえない。」という。その 結果「公私の役割分担は,改めて再検討されねばならない」という。ここでは ニーズ充足に対する責任の分担論が提起されているが,ここでは理論的に導び き出された規準の政策化志向以前に,現行の規準や規準設定の現実的論理の究 明の方がより重要である。その理由は,現行の在宅福祉サービスの政策的適応 範囲が,現実の福祉需要の社会層的拡大とは別に,老人と心身障害者の二階層 にかなり極限されているからである。
最後に「非貨幣的ニード」や「在宅福祉サービス」の機能主義的理解につい 9
て,多くの批判的論者は,機能主義それ自身を批判しているが,これは適切で
正確な批判とはいえない。批判の対象は,機能主義的な概念の構成と全体シス
テム(構造)との関連の妥当性,機能分析の射程,政策論議における価値意識
や禁欲性,等に向けられるべきである。
新明正道は,C・W・ミルズらによる批判を要約して,社会学的機能主義は
「現行の制度的構造を中心とした社会の統合と秩序の維持を重視するもの」で あり,「社会における斗争や対立の側面を閑却し,おのつからまた社会変動を も第二義視する」と述べている。こうした批判は『戦略』にもそのままあては まる。新明はさらに「社会学的機能主義における機能的分析が,その機能の概 念の規定によって直接社会の内容と結びつくことのない,それ自体独自の特徴
(1注7)
有する方法を意味するものになっている」と指摘している。『戦略』におけ る機能主義的な多くの操作概念が,直接にこの指摘と一致するわけではない が,共通性が大きいことは確かである。つまり操作概念は,本質的に狭い枠組 内における一定の論理下において,限定された有効性を発揮する所に特徴があ る。しかし『戦略』では「非貨幣的ニード」概念に典型視されるように,操作 概念が,自由に空中を飛び回っているのである。概念内容と用法の現実との乖 離の根本原因は,社会構造をあまりにも軽視した機能主義的方法の過大な援用
にあるといえる。
4 今後の課題
以上,地域福祉をめぐる混乱の止揚をめざして,「福祉国家から福祉社会へ」
という外在的側面,「地域福祉の生成と変容」という内在的側面に則して検討 を進めてきた。
どうしてこのような混乱が発生し,その事態が悪化しているのか,について は・現代日本における地域福祉が位置する所からの必然性を指摘することがで
きる。つまり・社会福祉は国民へのサービス給付を媒介として,実は重大な国 民統合の役割を果している。その役割は国独資の最終的成熟期といわれる現在 において,「福祉国家」の名の下に政治的経済的にますます重視されている。
その中でも「地域福祉の理念」は政治的社会統合の焦点であり,「地域福祉の 施策領域」は財政面からの予算削減の焦点にある。これらの焦点に政治的利害 や社会的諸運動が関係することにより,多様な概念規定や用語の使用法が派生
しているといえよう。
鈴木五郎は・コミュニティ・ケアの現代的性格について「日本の社会福祉
が,基本的には国民の福祉ニーズの拡大・多様化という状況のなかで,新たな
対応をせまられたときに,その期待を一身に担って登場した言葉であるだけに,
松 村:地域福祉をめくる「新しい福祉政策」の検討 19
イデオロギーとしての色彩の強い,価値的な概念もしくは結果的には操作性の
(注18)
強い概念として機能するという一面を担っていた」と指摘するか,「地域福祉」
についても全く同じごとがいえる。
したがって,本稿の結論としては,地域福祉の概念的形成をめざすには,従 来のようなイデオロギー性と規範性の高い論議を排除した上で,国際的比較研 究や実証的調査研究を進めることが要請されよう。
比較研究においては,戦後のイギリス,とりわけ,イギリス福祉国家体制の 危機と再生過程である1960年代から70年代の自治体の福祉行財政改革と社会的 サービスの再編およびこれらを支えたソーシャル・ポリシーの検討が重要事
となろう。具体的には,地域福祉の土台を整備し,法制度化を実現した所の住 宅政策,シーボムレポートを受けての自治体社会福祉法の施行,国民保健サー
ビスの再編成,住民参加を法制化した都市農村計画法,等がさしあたって注目 されよう。
また,周知のように,T・1ヨ・マーシャルやR・M・ティトマスの社会福祉政策 論は,先にみた『戦略』を含めて,現代日本の福祉政策,地域福祉の理論に大
きな影響を与えているが,必らずしも本質的な理解や状況認識がなされている
(注19)
とは言いがたいように思える。
地域福祉の実証的な調査研究の枠組としては鈴木五郎,三塚武男らのプログ
(注20)
宴?ェあるが,地域社会構造や「現代的貧困」等との関係で,もっと幅広い研 究枠組が必要であろう。
〈注〉
(1)この点については,孝橋正一編著『現代「社会福祉」政策論』ミネルヴァ書房,
1982年,第三章におよその経過の整理がある。
(2)木村正身『福祉国家の起源と社会政策』,西村・松井編『福祉国家体制と社会政 策』お茶の水書房,1981年。
{3}相沢与一「社会政策論総合化の問題所在」,西村・松井編『前掲書』110頁。
(4)W.A. Robson, Welfare State And Welfare Society,1176・辻・星野訳『福祉 国家と福祉社会』東京大学出版会,1980年,「日本語版への序文」および第9章
参照。