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授業における討論の課題設定について

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授業における討論の課題設定について (その3)

一 大 学 教 育 実 践 研 究 (4)一

    *

二重大学教育学部研究紀要第45巻・ 教育科学 (1994年)所収の拙稿の続報である。1993 年度前期「教育課程論I」 においてディベー ト形式で取 り上げた、築地久子の授業実践の 評価に関わる論題について、教育方法学教育における学習課題としての妥当性を再検討 し、

教育方法学教育の一方法としてのディベー トの有効性について、より限定的に定位する必 要性を指摘 している。

キーワー ド:教 育方法学教育、ディベー ト、授業への参加、授業規律

1.築地 久 子 の 授 業 の 特 徴

前稿(1)で十分紹介 で きなか った築 地久 子 の 授業 の特徴 を最初 に述 べ る。

築地学級 で は、1時間 の授業 は次 の よ うに し て始 まる。

「 一 チ ャイムの合図で授業 を始める(終わる)

のでな く子 ど もにまかせ る。

したが って、

 第一発言者及 び第一行動者 は、子 ど もを 原則 とす る。

 本時 の学 習課題 を黒板 に書 くの は、書 き たい者及 び書 かねばな らぬ と思 った者 が 書 く。

 授業 開始 の挨拶後、各 自の考 えた本時 の 学習課題 を ノー トす る(2に

そ して授業 の中で は、以下 のよ うない くつか の活動 が並行 して展開 され る。

「・ メイ ンの討論

・ 黒板 の活用

・ 教 師 と子 ど もとの個別対話 (ひそひそ話)

・ 子 ど もど う しの相談

・ 子 どもたちの グループによる調査 や実験 な どの活動

・ 個 々の子 ど もの作業(3」

「 教育課程論I」 で視聴 した「 バ スの運転士 さん」 も、授業開始 と同時 にい きな リメイ ンの 討論 が始 ま り、 それが授業終了 まで延 々 と続 く 授業 で あ った。討論 は基本的 に発言す る子 ど も たちの相互指名 (発言者 が次 の発言者 を指名す る。但 し、誰 を指名す ることが遮ゝさわ しいか に つ いて、他 の子 どもが対案 を出す場合 もある。)

によ って進 め られ、教 師 は時折討論 の対立点 を 際立 たせ た り、流 れを整理 す るために介入 す る だ けであ った。 メイ ンの討論 は、発言 して いる 子 ど もを中心 に他 の子 ど もたちが まわ りを取 り 囲 む形 で行 なわれ、討論参加者 の輪 は必要 に応

じて教室 の中を移動 す る。全員 が メイ ンの討論 に集 中 しなければな らないわ けで はな く、参加 す る意思 のあ る子 ど もが 自由に席 を立 って討論 の輪 に入 る。 メイ ンの討論への参加以外 に、子 ど もは教 師 と1対 1で話 し合 った り (ひそひそ )、 自分 の判断で関係 す る資料 を黒板 に貼 っ た り、板書 した りす る。

ビデオを視聴 した受講者 の多 くは (学生 に限 らず、初 めて築地 の授業 をみた ものの大方 に共 通 す る ことで あ ろ うが)、 さま ざ ま な活 動 が 自 由分散 的 に展開 されて いて、一見 した ところで は何 が起 こっているのか さえつかみ に くい教室

二重大学教育学部教育学教室

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(2)

の状況 に度胆 を抜かれ る。 その驚 きを肯定的又 は否定 的評価 と して表現 させ (ミ ニ・ レポー ト No l)、 それを集約 して、 そ の中 の批 判 的・ 否 定 的評価 を教 師がやや誇張 した表現 につ くりか えてデ ィベー トの論題 を設定 した ことは、前稿 で述べ た通 りであ る。

2.「デ ィベ ー ト・ そ の 2」 の 内 容 分 析

『 バ スの運転士 さん』 の授 業 に は学 習 者 全 員 が参加 して いない」 とい う論題 は、前稿 で紹 介 したよ うな授 業VTR視聴 直後 の受 講 生 の初 発感想 (ミ ニ・ レポー トNo l)にお ける相対立 す る評価、 すなわち要約 すれば「 人前 で発言 で きない子 な どは授業 に参加 しに くいので はない だ ろ うか」 とい う否定 的意見 と、「 全 員 に 自分 の意見 を クラスの仲 間 に言 う機会 が与 え られて い る」 とい う肯定 的意見 に接 して、「 これ は議 論 にな る」 と判 断 して設定 した。

この1時間 の授業 にお ける子 ど もたちの発言 に関 して言 えば、何人 の子 ど もが何 回発言 して い るか は、授業記録 を調べば確認 で きる。私が 確認 した ところで は、 メイ ンの討論 での発言者 が19名 、 ひそひそ話 を した子 ど もが18名 であ っ た。 この事実 は、 ミニ・ レポー トNo lを 集約 し た直後 に把握 していたが、 それをす ぐに受講生 に提示 す ることは敢 えて しなか った。

それ は一 つ には、 デ ィベー トに勝 つ ために利 用 で きる資料 の中か ら受講生 自身 がそ うした事 実 を捜 し出す ことを期待 してである(実際のディ ベー トで は、授業記録を証拠 として活用 したディ ベ ーターはいたが、発言者数 をカウ ン トした者 はいなか った)。

また もう一つ には、発言 だ けを問題 にす るの で はな く、 それを授業へ の参加 の一形態 と して 位 置付 け直 して い くこと、 デ ィベ ー トに取 り組 む過程 で よ り広 い視野 か ら授業 を見 ることがで きるよ うにな る ことを期待 しての ことであ った (このね らいは成功 し、反対派 か ら「 参加 」 の 範 囲 を発言 に限 らず広 くと らえる主張がなされ、

賛成派 もそれへ の対応 と して、発言 だ けで は狭 す ぎると判断 して、「 表現」 に広 げ る主 張 を行 な った)。

デ ィベー トで は、双方 の立論 が終 わ った段 階 で、 メイ ンの討論 での発言・ ひそひそ話 のいず れ につ いて も、全員 の子 ど もがそれを行 な った わ けで はないという事実が確認 された。 したが っ てその後 の論争 は必然 的 に、発言以外 に授業へ の参加 と見 なせ る活動 があるか どうか とい う点 をめ ぐって行 なわれ る ことにな った。

賛成派 は、(自由討論 の過程でややブレがあっ た ものの)「授業 への参加」 の範 囲 を「 発 言 を は じめ と して、 自分 が意見 を持 ってい ることを 表現す る行為 を行 な うこと」 に限定 した。 ブ レ とい うの は、議論 の応酬 の中で、一旦 は「 意見 発表」(発)しない と参 加 して いな い と見 な す とい う発言 を したが、狭 く限定 しす ぎた と判 断 して、 す ぐに「 表現」 と訂正 した ことを指 し て い る。

これ に対 して反対派 は、立 った り移動す ると い う行為 や、座 って頭 の中で考 えているとい う 行為 も「授業 への参加」 に含 む とい う広 い定義 を した。 そ こで論争 の局面 は、 この2つの行為 を 暖 業への参加」と認めるかどうかに移行す る。

立 った り移動 した りす ることにつ いて は、反 対派 がそれを、 ひそひそ話 や友達 と共 に資料 を 見 ることな どの 目的 を持 った活動 と見な した り、

考 えて い る ことの表 われ と解釈す るのに対 して、

賛成派 は、雰 囲気 に流 されて い るだ けで主体 的 な行動 で はないか もしれない と言 う。外 に表 わ れ る行動 につ いての解釈 のずれであ り、 いずれ の側 も裏付 けとな る証拠 を持 っていない。

また、考 え るとい う行為 につ いて は、賛成派 が、本 当 に考 えて い るか ど うかや、考 えて いる ことが授業 に関係 す ることで あるか ど うか はわ か らない と批判 したのに対 し、反対派 はその こ とを認 めた上 で「考 えて い ると解釈す る」 とい う見解 を対置す ること しかで きなか った。 さ ら に賛成派 は、仮 に本 当 に考 えて いた と して も、

それを表現 して いない場合 は参加 と解釈 しない

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と表 明 したが、 これ は定義 の範囲 の違 いであ っ て、両派 の主張 は平行線 を辿 る しかなか った。

3.「デ ィベ ー ト・ そ の 2」 の 論 題 の 論 理 構 造 の 再 検 討

「 教育課程論 I」 の後半 で この論題 を再度取 り上 げた時、以上 のデ ィベー トの経過 を踏 まえ て「授業への参加」 の範囲をどう定義す るか と い う点 で対立 して い ると考 えた。 そ して子 ど も の内面 に関わ る事柄 につ いて は判断の材料がな いわ けだか ら、 その レベルで は論争 の決着 のつ けよ うが ない と私 自身 は見 な していた。

しか し、 いま改 めて振 り返 ってみると、(デ ベー ターがそ こまで考 えていたか どうか は別 と して)「考 え ることも参加」 とい う主 張 は、 論 題 を否定す る上 で大 きな有効性 を持 って いた と 言 え る。

「『 バ スの運転士 さん』 の授 業 に は学 習者 全 員 が参加 して いない」 とい う論題 を肯定 す るた めには、論理 的 には、授業 に参加 しているのが 全員 で はない こと、つ ま り、少 な くとも1人 参加 して いな い子 ど もが い る ことを証 明すれば よいので あ る。 これ は一見容易 な ことのよ うに も見 え るが、実 は「 参加 して いない一事例」 を あげ ることは、 そ う簡単 で はない。

なぜ な ら、参加 して いない と見 なす ことが可 能 な何 らか の証拠 をあげ るだけでは十分でな く、

そのよ うに断言 で きること、参加 していると見 なす余地 がない とい うことも論証 しなければな らない。 それ は、収集可能 な証拠 の範囲で、子 ど もを主語 とす る活動 で あ る「授業へ の参加」

につ いて、第二者 が断定 して よいのだ と主張す る ことを意味す る。

これ に対 して、「 考 え ること も参加」 とい う 主張 は、「授業へ の参加」 の有 無 の判 断基 準 を 子 ど もの意識 レベルの活動 にお くとい う主張 な のであ る。子 ど もの意識 レベルの活動 が外 か ら 確認 で きない場合 が あ ることは自明の ことであ る。 したが って、 も し反対派 が、「 参 加 」 の判

断基準 と して子 ど もの意識 を全 く無視 して よい のか とい う点 につ いての見解表 明を求 めれば、

賛成派 を もっと追 い込 む ことがで きたであろう。

賛成派 は、 もしも子 ど もの意識 を参加 の有無 の 判断基準 とす ることを認 めれば、外 か らの行動 だ けで「参加 していない」 と断定す ることの誤 りを認 めざ るを得 な くな る。逆 にそれを認 めな ければ、「 授業 中の子 ど もの行 動 の意 味 につ い て、子 ど もの意思 を無視 して断定 して よい」 と 主張す ることにな り、 この ことによ って教育 を 論 じるモ ラルの レベルでマイナス・ イメー ジを 判定者 に与 え る可能性 が あ る。

だ か ら、 も しもこの デ ィベ ー トに お い て、

『 バ スの運転士 さん』 の授業 には学習者全員 が 参加 して いない」 とい う論題 を厳密 に解釈 して いれば、反対派 は「全員が参加 している」 とい うことを立証 しなければいけないわけではな く、

「 (依拠 で きる証拠 の範 囲で は)『全 員 が参 加 し ていない』 と断定 す ることは誤 りであ る」 とい う こ とさえ立 証 で きれ ば よ か った の で あ る。

「 参加 して い るか ど うかわか らな い」 は、 弓│き 分 けを意 味す るので はな く、賛成派 の敗北 を意 味す るはずで あ った。

ところが、私 はデ ィベー トを始 め る前 に、 こ の論題 につ いて余計 な解説 を して しま った。賛 成派 に対 して は「全員参加 とは言 え な い」、 反 対派 に対 して は「全員参加 して いる」 とい う論 題 を与 え、 それぞれを論証 す るよ うに指示 して しま ったので あ る。 これ は、 デ ィベー ター両派 を、賛成派・ 反対派 と呼称 して いた こととも関 わ って い る。論題 に賛成 とい うのは意味が は っ きりして いるが、反対 とい うの は曖昧 で、対置 す る主張 を明示す る必要 が あ ると考 えたのだ。

しか し、 この論題 は事実認識 に関す る もので あ るか ら、「 全員参加 とは言 え な い」・「 全員参 加 して い る」 のいずれかを必ず論証 で きるとは 限 らない。つ ま り、「 収集 で きた資 料 の範 囲 で は、 いずれ とも断定 で きない」 とい う判断 もあ り得 るのであ る。賛成派 で もな く反対派 で もな い第3の主張 が成立 し得 るので は、 デ ィベー ト

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で両派 の勝敗 を判定 す ることはで きない。

デ ィベー トの形式 と して は、賛否2つの論題 を示す ので はな く、 1つ の論題 について、肯定・

否定 の2つの立場 か ら論争 させ るべ きだ ったの で ある。 これな らば、否定側 は、先 に述 べたよ うに、肯定側 に対立 す る別 の論題 を立証す るの で はな く、肯定側 の論題 が立証 で きない ことを 論証すればいいので あ る。 つ ま りこの場 合 は、

「 全員 が参加 して いない」 と断定 す る こ とが誤 りであ ると言 えればいいので あ って、「 全 員 が 参加 して い る」 と立証 す る必要 はないのである。

4.ディベ ー ト論 題 の 教 育 的 意 義 (1)

だが、論題 の論理 的性格 を ここまで分析 して み ると、今度 は、立証不可能 であ るよ うな論題 を肯定派 に課 す ことの道義 的責任 が問われ るこ とにな る。 そ もそ も与 え られたデー タか らだ け で は断定 で きない と予 め (教 師 には)わか って

い ることを、 あえて断定す るよ うに要求 してよ いのか。

このデ ィベー トは教育方法学教育 の一環 と し ての思考実験 であ るか ら、結果 的 に見 て肯定側 が必然 的 に敗北 す る構造 になっていたとして も、

思考 の過程 と結果 か らデ ィベー ターを含 む受講 生全員 が何 かを学 ぶ ことがで きれば意義 があ る

と考 え ることもで きる。

だが、勝敗 を争 うゲ ームであ るな らば、結果 的 にみて も、奮闘次第 で どち らの派 に も勝利 の 可能性 があ る構造 にな っていない と不公平 であ る。授業 に持 ち込 んだゲームの、遊 び と しての お もしろさを、 ど こまで尊重す るか とい う問題 で ある。

今 回 の実践 で は、論題 を決定 す る際 に、 その 論理構造 を厳密 に検討す る作業 を行 なわなか っ た。 その必要性 も自覚 していなか った と言 って よい。 デ ィベー トで ま ともな論争 が成立す るよ うにす るためには、予 め十分 に検討 した論題 を 用意 してお くことが必要 であ る。

ところが ここに もう1つの問題 がある。前稿

の末尾 で述べたよ うに、 デ ィベー トの論題 を教 師が与 えた ことに対 して は受講生 か ら不満 が出 されて い る。論争のテーマは自分達で決 めたか っ た とい うのであ る。 このよ うな受講生 の要求 に 応 え る ことと、論題の論理構造 に対す る事前チェ ックを行 な うこととを両立 させ るためには、授 業実践 の諸事実 か らどの よ うに して有意義 な検 討課題 を構成 す るか (しか もそれがデ ィベー ト の論題 た り得 るためには、論理的 に見 て どのよ

うな条件 を備 えて い る必要 が あるか)について、

受講生 自身 が予 め学習 によ って一定 の判断能力 を獲得 して い ることが前提条件 になる。 しか し、

実 は このよ うな能力 (デ ィベー ト論題設定 の能 力 はと もか くと して、教育実践 の事実 の課題化 の能力)獲得 の必要性 を、試行錯誤 を通 じて 自 覚 させて い くことが この授業 の主要 なね らいな のであ る。獲得 目標 であるものを前提条件 にす るわけにはいか ない。

今 回 の実践 で は、前半期 のデ ィベー トを終 え た段階で前述 の よ うな不満 を把握 し得 たため、

後半期 の各論題 に関す る再検討作業 の中で、班 ごとに討論 テーマ設定 の 自由を認 めたのだが、

デ ィベー ト論題 を前提 と した討論 であ るため、

あま り意味がなか った。 これを踏 まえた改善方 向 と して、最初 か ら受講生 自身 に論題 を設定 さ せ るとい うことも考 え られ る。 しか し、授業実 践 の検討 も、 デ ィベー トとい う討論方法 もほと ん どの者 が未経験 とい う状態 で、適切 な論題が 設定 で きる保障 はない。

デ ィベー トをお も しろ くし、 その ことによ っ て デ ィベー トの意義 を実感 して もらうために、

教 師 自身 が デ ィベー ト運営 の方法 に精通す る必 要 が あ ることは言 うまで もない。私 の実践 は、

この点 で まだまだ改善すべ き点がある。 だが こ の方向での授業改善 は、一般化 して言 えば、周 到 に準備 され た コースに受講生を乗せ ることで、

肯定 的 な学習体験 を させ よ うというものである。

これを試行錯誤 に」よ って次第 に ものの見方 を獲 得 して い く学習方法 と両立 させ ることは、 きわ めてむずか しい (さ らに模索 してみ る必要 はあ

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るが)。

但 し、 デ ィベ ー トらしいデ ィベー トを行 な う ことで受講生 が本 当 にお も しろい学習体験 をす れば、 それが 自分達 の発案 による もので はな く 教 師 の指示 に従 うことによ って得 た体験 だか ら とい って、不満 が出 るよ うな ことは起 こらな く な るか もしれない。

5.「デ ィベ ー ト・ そ の 1」 の 論 題 の 論 理 構 造 の 再 検 討

「 教育課程論 I」 でのデ ィベー トの他 の2つ の論題 につ いて も検討 してみよ う。

「『 バ スの運転士 さん』 の授業 において学習 者 は授業 中勝手 に立 ち歩 くべ きで はない」 は、

事実認識 で はな く、授業 の中の事実 に関す る価 値判 断 に関す る論題 で あ る。 この論題 の下線部 は、後 か ら付 け加 えた ものであ る。 当初 は、 自 由な立 ち歩 きを認 め る築地 の授業 と、子 ど もが 勝手 に立 ち歩 くことは授業規律 に反す ると見 な され ることが多 い とい う一般 的な状況 の両方 を 視野 に入 れ たデ ィベ ー トに しよ うと考 えた。 と ころが、 デ ィベ ー トの準 備 過 程 で反 対 派 か ら

「 築地 の授業 に限定 して考 え るのか、 それ と も 一般 的 に言 って とい うことか?」 と質 問 された ため、築地 の授業 を離 れて しま って一般論 レベ ルだ けの論争 にな ることを懸念 して、下線部 の 限定 を入 れ たので あ る。

この限定 によ って、論題 の性格 が変化 した。

変更前 は、築地実践 を含 めて いろいろな授業 の ケースを想定 しなが ら、学習者 の立 ち歩 きにつ いて、個 々の授業 の文脈 を越 えて一般的な評価 を行 な うことを求 めて いたわ けであ るが、変更 後 は、築地実践 とい う特定 の文脈を前提 として、

立 ち歩 きを評価 す ることにな った。

私 が この論争 に期待 して いた の は、「 勝 手 な 立 ち歩 きは授業規律 を乱 す」 という一般常識 と、

それを覆す築地 の授業観 との対決 であ った。 し か し今考 えてみ ると、築地 の授業 の文脈 の中で 立 ち歩 きにつ いて評価す るとき、 その意義 を否

定 す る立場 に立つ賛成派 は、2つの戦略のいず れかの選択 を追 られて いたのである。すなわち、

築地 の授業構造全体 への否定 的評価 に立 ってそ の一部分 と しての立 ち歩 きを も否定す るのか、

それ とも、 この実践 の特殊 な構造 を基本的 に承 認 した上 で、立 ち歩 きにつ いては否定す るのか。

論理 的 には、前者 の方が よ り整合性 が あるわ け だが、 この戦略 に立 つ と築地実践 を全面 的 に批 判 す るとい う負荷 を背負 うことにな る。 その負 荷 を嫌 って後者 の戦略 を取 れば、築地実践 の構 造 を全体 と して肯定的 に評価 しなが らも立 ち歩 きを否定す るの はなぜか、 その論理整合性 の証 明 に苦 しむ ことにな る。

私 は前者 の戦略 による論争 を想定 して いたの だが、実際 には賛成派 は後者の戦略を選択 した。

そのため、築地 の授業 にお ける活発 な討論 を評 価 しつつ も、「 それ は自由 に立 ち歩 か な くて も 可能 だ。」 とい う主張 を論 証 す る ことが必要 に な り、 またメイ ンの討論 と並行 して1人 1人 子 ど もが教 師のそばへ来 て行 な うひそひそ話 は 立 ち歩 きを否定す ると成立 しない とい うジ レン マに陥 るので、「討論 を問題 に しているのであっ て『 ひそひそ話』 は議論 の対 象 で はな い。」 と 論争 の土俵 を狭 めざるを得 ない とい う無理が生 じた (反対派 は当然 なが らこう した議論 の限定 を承認 しなか った)。 築地 の立 ち歩 き承 認 は、

活発 な メイ ンの討論 やひそひそ話 と密接不可分 な もの と して授業 の全体構造 の中 に位置づ いて い るのであ り、 その構造 を承認 した上で立 ち歩 きの意義 だ けを否定 しよ うとす ることは、思考 実験 と して あま り意 味 のあ ることで はない。 し か し賛成派 に とって、立 ち歩 きだけでな くメイ ンの討論 の進 め方 やひそひそ話 も含 めた築地実 践 の構造全体 を批判 の対象 と して引 き受 けるこ

とは、 や は り荷が重 す ぎたのである。

築地 の授業観 と一般 的 な授業 の常識 を対決 さ せ るとい う目論見 を実現す ることはく この論題 設定 で は無理 が あ り、築地実践 と他 の実践 の比 較 を必然 的 に要求 す るよ うな構造 を持つ論題 を 設定 す る必要 があ った。

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それでは、最初の論題のままでよか ったのだ ろうか。最初か ら最後 まで討論を始めとする子 どもの自由な学習活動を保障 している築地の授 業での立 ち歩 きと、例えば教師の説明を学習者 全員が集中 して聞 くことを要求する授業 におけ る立 ち歩 きとでは、全 く文脈が違 う。 いろいろ な授業の事例を検討 して、同 じく「立ち歩 き」

と言 って も、文脈 によって意味づけが異なって くるので、授業の特定の事実を取 り出 してその 是非を検討す る作業 は慎重 に行なわなければな らないことを学ぶ ことは、教育方法学教育 にお ける実践分析の初歩的段階の学習 として重要で ある。 ところが この学習をディベー トという形 式で行 なお うとす ると、論争 に勝つために賛成 派 は立 ち歩 きを否定す る根拠 となるような特定 の実践の文脈を持ち出 し、反対派 は立ち歩 きを 肯定す る根拠 となるような別の実践の文脈を持 ち出すであろう。そうなると結局 は異なる授業 形態のいずれを価値 あるものと見なすか という 論争 になって しまう。

教育方法学教育の初歩的段階では、具体的な 授業実践例 について性急 に良 い悪 いの評価を下 そ うとす るのではな く、 さまざまな実践事例 に ついて学習 しなが ら、 1つ の実践に対 しても観 点の設定の仕方の違 いによつて多様な評価が可 能であることに気づいてほしい。「学習者 は授 業中勝手 に立 ち歩 くべ きではない」 という論題 でディベー トを行なうことが、そのために役立 つ とは考えに くい。

6.「デ ィベ ー ト・ そ の3」 の論 題 の論 理 構 造 の再 検 討

『 バスの運転士 さん』 の授業 の討論 は少数 派を追 いつめるものになっている」 という論題 は、事実認識を問 うものなのか、価値判断を問 うものなのかが曖昧であった。

この論題設定のもとになった受講生の意見 は 以下の通 りである。

「 あまりにも子 どもまかせに している一面 も

あ り、 ひ とりの子 が集 中的 に反対 の意見 をいわ れた り していると、 その子 が 自分 の考 えを上手 に言 えな くな って しま ってかわいそ うであった。

また、 けんかのよ うな ものの言 い合 いにな った り して いたが、 そ うな るとお とな しい子 は うし ろにい って しま うので、 その辺 は もう少 し管理 した ほ うが いい と思 う。」(2班・ 奥 田)

「 少数意見 の子 ど もが攻撃 され るとい う形 にな らないだ ろ うか、 という不安があった。」(2班

三橋)

「 生徒 は白熱 した討論 を行 な って い るが、 その 迫力 に気負 されて しま う子 ど ももいるので は いか。」(4班・ 清水)

「 自分 の意見 を主張 す るばか りで、反対 の意見 をあま り聞 いて いないよ うに思 え ま した。意見 を変 えた子 は大勢 にせ め られて、変 えて しま っ たよ うに も思 え ま した。」(4班・ 坂 田)

「 バ スの運転士 さん」 の授業 で は、 バ スの運 転士 さん は運賃箱 のお金 を1人で もらうのか、

それ とも会社 の人 たち と分 けるのかをめ ぐって、

冒頭 か ら激 しい議論 の応酬 が続 き、最終的 に児 玉 さん1人を残 して他 の子 ど もは「分 ける」 と い う意見 にな るが、児玉 さん は「 私 はまだ考 え を変 えてない」 と自分 の立場 を明確 に表 明 し、

意見 の対立 が続 く状態 で終 わ っている。上記 の よ うな受講生 の意見 は、子 ど もたちの討論 の激 しさと、「分 けない」 とい う立場の子 どもが次々 と意見 を変 えて い く討論 の推移 に対 して、意見 変更 が納得 に基 づ くものでな く、多数 の圧力 に よる もので はないか と疑間 を呈 したものである。

この ことを論題 で は「少数派 を追 いつめ る」

と表現 したわ けであ る。 そ して この表現が論題 の曖昧 さを生 む原因 とな って しまった。

この論題 は、「『 分 けない』 と主張す る子 ども が減少 したのは討論 の中で心理 的 に圧迫 された か らであ って、 それ は好 ま し くな いの だ。」 と い う価値判断の表現 とも読 める。 しか し一方で、

この論題 は、論争 の過程 で「分 ける」 とい う主 張 が客観 的 に見 て優位 に立 ち、「 分 けな い」 と い う立場 を取 る子 どもが どん どん減 って遂 に1

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人 にな って しま った とい う単 な る事実認識 もし くは授業 の構造 に関す る客観 的判断 を意味す る と も読 めな くはない。賛成派 は、論題 を前者 の 意味 と解釈すれば、授業 の進 め方 を批判 しなけ ればな らないわ けだが、後者 の意 味 と解釈すれ ば、事実認識 を確認 す るだ けで よい (それで は デ ィベー トにな らないが)。 この よ うな論 題 の 曖昧 さが、 デ ィベー トにお け る賛成派 の「 追 い つ め る」 の概念規定 の ブ レの一因 とな ったので はないか と思 われ る。

す なわ ち、賛成派 の発言 者 の中 に は一方 で、

「意見 を変 えて いないか ら追 いつ め られて い る」

な ど、「 追 いつ め られ る」 を授 業 の流 れ の必然 的 な帰結を示す表現 として用いている場合があっ た。他方 で は、「授業 の最後 の教 師 の発 言 は、

一人残 った少数派 を孤独 に して い る」 など、心 理 的圧迫 を与 え る働 きか けを批判す る論調 もみ られた。 つ ま り、「 必然 的 に追 いつ め られ るの だ」 とい う判断 と、「 追 いつ め る ことは望 ま し くないのだ」 とい う判 断が賛成派 の中 に混在 し て いたので あ る。

これ に対 して反対派 は、賛成派 の概念規定 の ブ レを指摘 しつつ、「分 けな い」 と主張 す る子 ど もが減 って い く過程 に批判 され るべ き不 当性 はない と主張 した。言 い替 えれば少数派 には少 数 にな る必然性 が あ った と主張 したとも言え る。

そ して賛成派 の論調 は、部分 的 には この必然性 を承認 す る ものであ った。 この ことと、心理的 圧迫 を立証す る有力 な証拠 がない ことを合 わせ て考 えれば、賛成派 は明 らか に劣勢 であ った。

そ うな らざるを得 なか ったのであ る。

7.ディベ ー ト論 題 の 教 育 的 意 義 (2)

「 デ ィベー ト・ その1」「 デ ィベ ー ト・ そ の

3」 につ いて は、 デ ィベー トの記録 の詳細 な紹 介 と検討 は省略 したが、 デ ィベー ト開始以前 の 論題設定 の段階で、いずれの場合 も賛成派 にとっ て不利 にな る条件 を意識 せず に付与 して しま っ た ことは明 らかであ る。

前稿 で は、3回のデ ィベー トの審査員 による 判定結果 が いずれ も「反対派優位」が多数であっ た ことにつ いて、「 ビデオを見 せ た以 上教 師 は 築地実践 を支 持 して い る」 とい うhidden cur―

riculumが 機能 したためで はないか と推測 した。

この ことは否定 しきれないが、 同時 に3つの論 題 自体 がそれぞれ に築地 実践批判 をや りに くく す る構造 的欠 陥を含んでいたのであ る。 つ ま り 受講生 の意見 を基盤 に して私 が設定 した築地実 践批判 の視点 は、 デ ィベー ト形式 で論争 す るた めのテーマ と して はいずれ も不適切 であ った こ とにな る。

実 際の ところは前稿 で率直 に述 べ たよ うに、

思 いつ きで デ ィベ ー トを始 めたので あ り、 デ ィ ベー トの方法論について、論題設定にしてもフォ ーマ ッ ト (デ ィベー トのプログラム)設定 に し て も事前 に十分 に習熟 してか ら実施 したわけで はない。 デ ィベー トにつ いて熟知 した上 で これ を授業 に導入 したわ けで はないので、十分 な教 育効果 を発揮 で きないの は当然 であ る。

この問題点 は しか し、教 師が デ ィベー トの経 験 を重 ねてその運営 に次第 に習熟 して い くこと で克服 で きる。

但 しここで考えなければな らないことは、ディ ベー トの 目的が論題 に関す る真理探究で はない ことであ る。勝敗 の判定 は論証能力 に対 して行 なわれ るのであ って、論題 の真偽 を決定 す る も ので はな い。 デ ィベ ー ト自体 をopen endで わ って も、後 にデ ィベー トで はない形式 で同 じ テーマにつ いて検討 し、特定 の結論 を出す とい う授業 の進 め方 をすれば、 その繰 り返 しによ っ て受講生 は「 デ ィベー トで論 じたテーマにつ い て も最終 的 には教 師が特定 の結論 を出す ことに な って い る。我 々 は結論提示 までの猶予期間 に 教 師 の掌 で踊 らされて い るにす ぎない」 とい う hidden curriculumを 習得 す る可 能 性 が あ る。

これを防 ぐためには、 デ ィベー トで論 じたテー マは最終 的 に もopen endの ま まで終 わ らせ る 覚悟 が必要 で あ る。 つ ま り授業計画 の中 に、一 定 の学習 を経 て最 後 はopen ondで締 め括 る部

‑17‑一

(8)

分 を設定 し、 そ こで デ ィベ ー トを行 な うよ うに しなければな らない。

もちろんそ こまで厳格 に考 えず に、特定 の結 論 に至 る授業 の プ ロセ スにお いて、 ス トレー ト に結論 を導 かず に、相反す る見解 をそれぞれ検 討 す る方法 と して デ ィベ ー トを利用 してみて も よいので はないか とい う考 え方 もあ り得 るだ ろ う。 しか しそのような意図で設定 されたディベー トを学習者 がお もしろい と思 うか ど うかが問題 で ある。

デ ィベー ト体験 の初期 の段 階で は、本音 を横 において仮 につ くられた意見対立状況 に参加 す るとい うこと自体 に新鮮 味が あ る。 また、 自分 の本音 とは対立す る立場 で ものを考 え るとい う 思考実験 によ って視野が広 が るとい う体験 自体

にお もしろさを感 じるであろう。 しか しディベー トの本 当のお も しろさ (特 に論戦 に勝 つ ことの お も しろさ)は、 デ ィベー ト体験 を重 ねて慣 れ て くることで初 めて味わ うことがで きるであろ う。 そ うな った段 階で は、論戦 に勝 った と して も正 しい結論 はそれ とは別 に用意 されて いると い うので は、 デ ィベー トの興味 はそがれ るので はないか。 そ う考 え るとや は り、本格 的 なデ ィ ベー トのお もしろさを体験す るためには、論題 の扱 い につ いて授 業 全 体 を通 じてopen endと す ることが不可欠 で あ ると思 われ る。

それで は教育方法学教育 の内容項 目の中で、

open endで処 理 す る とい う前 提 を付 けて、 な おかつ ど うして も学習 させ なければな らない事 柄 とは、 い ったい どのよ うな ものであ ろ うか。

教育方法学教育 において (いや教育方法学 に 限 らず教科教育 のあ らゆ る分野 においてであ る )ディベ ー トを導入す るためには、 この問 い に ど う答 え るかを本格 的 に検討 しなければな ら ない。 それ は教育方法学 カ リキ ュ ラムの全面的 な検討 に繋が らぎるを得 ないであろ う。

(1)拙稿「授業における討論の課題設定につ

いて (そ2)一大学教 育 実 践 研 究 (3)

一」『 二重大学教育学部研究紀要』第45巻・

教育科学 (1994年)

(2)築地久子『 生 きる力 をつ ける授業』黎 明 書房 1991年 p.22

(3)藤川大祐『「個 を育 て る」 授 業 づ くり学 級 づ くり 5つのキー ヮー ドで築地久子学 級 を読 む』 学事 出版 1993年 p.74

参照

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