D o n n e
か らG . H e r b e r t
へ― T . S . E l i o t の v i a m e d i a の 視 点 か ら ―
村 田 俊 一
Ⅰ
拙著『T. S. エリオットのヴィア・メディア ―改宗の詩学― 』(弘前大学出版会、2005)(以降、小論でこの 拙著に言及するとき『ヴィア・メディア』と略し頁 数 を 示 す ) は 、Eliot の詩作品に見られる文字通りの 中道精神が彼の改宗を契機にして、「英国国教会の精神」(Anglicanism)である via media にまで高められて行 った精神的遍歴を跡付けたものである。山形和美氏(元筑波大学教授、現聖学院大学教授)は、『英語青年』(第 151巻第10号、2006)の中で、拙著を書評して「本書は、エリオットの人と文学の総体を〈ヴィア・メディア〉と
〈改宗の詩学〉という二つのパラダイムを設定 … することによって〈不明の〉世界に潜入し息を切らさんばか りに悶えながら浮上してきて、掴みえたものを克明に記述している」(49-50)と述べているが、この「掴みえたも の」とは、15世紀のドイツの神秘主義者 Nicholas Cusanus の「対立物の一致」(coincidentia oppositorum)に その源泉が求められる1Four Quartets (1934) の最終行 ―「火と薔薇は一つになる」(the fire and the rose are
one)― の世界である(『ヴィア・メディア』5-9)。一方、「日本 T. S. エリオット協会」の会長である高柳俊
一氏(元上智大学教授)は、その学会誌 T. S. Eliot Review No.16 (2005)の中で、「[著者]は本書でエリオ ットの信仰的立場の考察から出発して … ジョージ・ハーバートに、1962年エリオットが高い評価を与えるよう になるまでの精神的宗教的遍歴に詩人の成熟を見ている」と要約し、拙著を「〈ジョン・ダンからジョージ・ハ ーバートへ〉という軌跡である」(142)と付け加えている。しかし、拙著は書き下ろしではなかったということも あり、「ヴィア・メディア」の概念規定が希薄になったことは否めない。小論では、こうした書評を踏まえ、山 形氏の言う「〈不明の〉世界に潜入し」、そこから「浮上」してくる Eliot の「ヴィア・メディア」の根底にあ る「包括性」2(comprehension)の視点から、高柳氏が読み込んだ「〈ジョン・ダンからジョージ・ハーバートへ〉
という軌跡」を辿ることによって、拙著で言い足りなかった Eliot の via media を浮き彫りにして行きたい。
Eliot は Selected Essays (1942) ( 以 降 、SE と 略 し 頁 数 を 示 す ) の "Lancelot Andrewes" 論(1926) の中で、英国国教会と via media との関係を宗教的神学的な立場からというより、その特質となっている文化的 精神的な「包括性」の概念から捉えて「アングリカニズムの精神であるヴィア・メディアはすべてのことがらに おけるエリザベスの精神である」3と述べている。この「包括性」は、既に「教会が東西に分裂する以前」4の原始 キリスト教にあるが、アングリカン神学で重きをなしている「受肉」に関係して行くのである。Eliot は、Andrewes がこの「受肉」を説教する時の自己の「感情」とその「対象」との関係を「観想」(contemplation)の域まで高め
ている(SE 351)。このような言うなれば「対象」と「主観」の合一の世界は、Eliot の詩作品では「認知場面」
(recognition scene) に見られる(SE 94、『ヴィア・メディア』170-213)。Eliot のこの「認知場面」に見られ る「主観」と「客観」といった両極は、厳密に言うなら、「思考する我れ」に根ざす René Descartes の近世的 二元論で、ここには二項対立の「中道」なる概念はない。しかし、Eliot のこの「認知場面」は「我々が知ってい る次元と、我々が閉め出される或る別の次元」(SE 229)といった日常性と背後世界の二項対立する世界の出会い をも包含していることを考えるなら、このような二元論の合一の世界は via media の「包括性」に通じる世界で ある。この立場から、「感性の分離」を見るなら、この原因はヨーロッパに求められなければならないのである5。 Ronald Schuchard が編注した The Variety of Metaphysical Poetry (1993)(以 降 、V M P と 略 し 頁 数 を 示 す )に あ るEliot の "The Clark Lectures"(1926) によるなら、この「包括性」の崩壊は Descartes を 転換期とする「知性の崩壊」(The Disintegration of the Intellect)6に係わって行くのである。
以上のように、Eliot の「感性の分離」はヨーロッパ精神史を踏まえた「知性の崩壊」に呼応するもので、彼の
「感性」は、統一された中世にあり、これはまさに via media が内包する「包括性」と質を同じにするものであ る。この世界は、Eliot が英国国教会への改宗の頃に書いた Dante の濃い影を落としている Ash-Wednesday (1930)を境にして、自らを理想的始源状態に回帰させようとして歌われた牧歌的な風景に見られる(『ヴィア・
メディア』239-242)。このような Eliot の包括的な世界を希求する態度は、逆に Donne の作品の中に、改宗 に纏わる二つの宗教の狭間で思い悩む via media を読み込んで行くことになる。しかし、Eliot は、Donne のア ングリカニズムの精神である via media を否定しているわけではない。Eliot にとって大切なことは、Donne が、
このアングリカニズムを自分のものとしてでなく、「客観」的な「対象」として捉えた二元論なのである。Eliot の
Donne 批評の原点はまさにここにある。
Ⅱ
ところで、Eliot の Descartes を転換期とするヨーロッパ精神史に見られる「知性の崩壊」、「感性の分離」
は、「愛」の概念にも当てはまる7。このことは、Eliot が "The Clark Lectures" の冒頭に掲げた「愛」の概念 に関する二つのエピグラフ ― 一つは Dante の『新生』から、もう一つは20世紀の流行歌の歌詞― の中に窺わ
れる(VMP 40)。このエピグラフで Eliot が訴えたことは、ヨーロッパ精神は、Descartes 以前には「愛」にお
いても「最愛なものを観想する」(the contemplation of the beloved object)という形で包括されていた(VMP 107)。
つまり、Descartes 以前の Dante の世界に見られる14世紀の「愛」の概念には、魂と肉体が二項対立的に考え られることはなかった。Eliot はこのような「愛」の概念の分裂を Donne の恋愛詩の中に見ている。Donne の 恋愛詩で中心的な概念は「一」に向かう姿勢である。このもっとも顕著な例としては、"The Extasie" があげら れよう。この詩で歌われている二つの愛し合う魂が、互いに溶解しあって「一」になるという考えは新プラトン 主義にある。しかし、このイデア的な「一」の概念は、この詩では「肉体」の肯定に変えられてしまう。絶対的 な「イデア」へ向かう向かう衝動は、本質的に宗教的な性格を帯びるものである。つまり、Donne は神との融合 を愛し合った二人の恋人たちが究極的に霊肉の「一」に帰すという形で歌っているが、彼の前には魂と肉体の分 離が立ちはだかっていた。死の彼岸で神との合一を求めたが "Holy Sonnets"(VI)で歌われているように「貪欲な 死は一瞬のうちに/私の肉体と魂をばらばらにしてしまう」(ll. 5-6)のである。このような分裂は、Donne の恋 愛詩の中では、たとえば、プラトニックな愛の目覚めを歌った "The Anniversarie" から、抒情詩人と別れを告 げた "Loves Growth" を経て、今触れた "The Extasie" では「愛の神秘は魂のうちで育つけれども、肉体こそそ の教本である」(ll. 71-2)と歌われている。Eliot にとって、Donne の肉体の殻から巣立った魂が神に向かい入れ られ、神と融合することが出来るかどうかが問題であった。Donne の肉体と魂、神と人間といった二つの極の間 で揺らぎ落ち着くことのない精神は、その当時の「新しい学問が一切のものを疑う」(The First Anniversary, 1611, ll. 205 )といった中世的世界の崩壊と係わり合い、当然、懐疑主義を生み出して行く。このような懐疑は、たとえ ば "Satyre"(III)の中では、真の教会の在処を「賢く疑え、知らない道で、/ 正しきを尋ねて佇むことは、道に 迷うことではない」(ll. 77- 8)と歌われていることにも窺われる。その根底には、宗教的真理の在所は、極端に走 ることによってではなく疑いながら、両極端を吟味しながら紆余曲折によって達せられなければならないという
Donne の懐疑主義に根ざした「中道」精神があった8。このような Donne の「中道」精神は、Donne の中でア
ングリカニズムの教義を作り上げて行く大きな要素となったことであろう。
Helen Gardner は、Donne はRichard Hooker にかなり影響されていると言っているが9、Eliot にとって問題 なのは、Donne のアングリカンについての知識や考えではなくて、彼のアングリカンへの改宗が誠実なものであ ったかどうかということである。Donne の改宗の問題は、Eliot が評論 "Donne in Our Time" (1931)の中で述 べているように、「ダンの宗教的信仰の本質的な問い」10なのである。このことに関しては、今までいろいろ議論 されてきているところであるが、Eliot は、Donne がこの二つの宗派間で思い悩む姿の背景に、その当時の「新 しい学問」で呼び起こされた懐疑的態度を読みとりながら、Descartes 以降の近世的姿に見られる「感性の分離」
を見たのである。Eliot にとって、信仰は単に知識を蓄積した結果得られるというものではなく身をもって感じ取 られ、あらゆるものを考察しながら同時に一点に集中する「包括性」を希求するものである。このように考える なら、Donne にとって神は Herbert が "Love" の中で歌っているような愛の神、至福への神としてよりは、怒 れる神、裁きの神として歌われている。 Donne は晩年に至るまで心の平静が得られなかった。 Donne の改宗 に纏わる二つの相反する世界の狭間で思い悩む姿はまさに Eliot の The Waste Land(1921)から The Hollow Men(1925)を架け橋として Ash-Wednesday までに見られる姿でもある(『ヴィア・メディア』30-36)。
Ⅲ
以上考察してきたように、Eliot が Donne を批判したのは、彼のアングリカニズムの精神そのものにあるので はなく、これを観念とし「精神の中に植え付ける」(VMP 80)という、まさに「対象」と「観念」にある Descartes の近世的二元論である。Eliot 自身の宗教的遍歴を思い起こすなら、彼は改宗を契機にして、このような二元論的 世界を克服し(『ヴィア・メディア』27-30)、Herbert の「包括」的な精神にある信仰の世界へ移行して行った のである。Herbert が真のアングリカニズムの路線を歩んだかどうかに関してはいろいろな議論があるが11、ここ には Donne で議論になる宗教詩における「誠実さ」の問題はない。Eliot は「ハーバートは決してそのような信 仰の不誠実を犯していないのである」12と断言している。Herbert が世俗的野望を払拭してひたすら神へ帰依する 境地に至るまでの彼の精神的遍歴は The Temple(1633)の幾つかの詩の中に読み込むことが出来るが Herbert の真の「精神的葛藤」は、神へ帰依してからの神と人間との間の葛藤である。その意味で、Herbert の詩にも二
元論的存在を見据えた認識があったが、ここには、Donne が二つの宗派間で思い悩んだ懐疑的態度とは違って人 類の罪に対する救済、神と人間との和睦に導かれるものであった(『ヴィア・メディア』308-311)。 H. J. C.
Grierson が述べているように、「ハーバートは神から疎外されたという感情を知っているが、また和解の感情、
宗教の喜びと平和を知っている」13のである。Eliot はこのような Herbert の背景に「全体」の概念を読み抜い た。これは彼を群小詩人から一流の詩人に再評価して行った時の要因でもある(『ヴィア・メディア』304-6)。
Eliot が見た Herbert の「全体」の概念は、Herbert の詩 "The Flower" の中に Erich Auerbach の「フィ グーラ」(figura)の要素を孕む Dante の一句「聖意はすなわはちわれらの平和」を読み込んだことにも反映され ている(『ヴィア・メディア』300-2)。この一句に見られる神と人間との和解は、Herbertが、神はいずこにと神 の探求に出発した "The Search" という詩の結末で、「御身と私の二つを一つにする」(making two one [l. 60]) という境地で象徴されるアングリカン神学の「受肉」と結びついて行くものなのである。神と人との和解は、前 に触れた Cusanus の「対立物の一致」を思い起こさせるが、Eliot はこの両極端の対立物の一致を否定で達せら れる「静止点」(the still point ["Burnt Norton" II] ll. 49-63)として捉え、"Little Gidding" の最終行では Dante の『天国篇』のイメジを使った「火と薔薇は一つになる」といった神秘的詩的表象で結んでいる。このように見 て行くなら、プロテスタンティズムとカトリシズムの二項対立する中道である via media の世界は、教会的概念 である二つの宗派の単なる中間の道といった固定的画一的な「妥協」(a compromise)ではなく14、「原始キリス ト教の純粋さと単純さを取り戻そうとする試み」15をもって、教父時代のディオニシュウスの流れを汲む神秘的要 素を孕み、最終的に二元論を克服して神概念を内包する「包括性」を有するものである(『ヴィア・メディア』
324-6)。Eliot は、Donne にはこのような「包括性」を見出すことは出来なかった。Eliot は、Donne のアング
リカニズムを近世的二元論的な立場から「観念」として捉え、そこから生ずる彼の信仰上の苦悩を見抜いたので ある。それに対し、Eliot の Herbert の再評価は、Donne とは違った中世に見られる「感性の統合」(unification
of sensibility)に象徴される「包括性」を目指す Eliot 自身の個人的な精神史の転換期であった。つまり、Herbert
から Donne への批評は、まさに Eliot 自身の精神的宗教的遍歴を跡付けるものであった。
注
1. Nicholas Cusanus, Of Learned Ignorance, trns. Fr. Germain Heon (London: Routledge & Kegan Paul,
1957) 12-3. 尚、渡邉守道、『ニコラウスのクザーヌス』(聖学院大学出版、2000)26.参照。
2. Paul Elmer More, “The Spirit of Anglicanism,” Anglicanism, eds. Paul Elmer More and Frank L. Cross (London: S. P. C. K., 1962) xxiv.
3. T. S. Eliot, Selected Essays (1942; London: Faber and Faber, 1966) 41-2.
4. Paul Avis, Anglicanism and the Chiristian Church (Edinburgh: T & T Clark, 1989) 139.
5. T. S. Eliot, On Poetry and Poets (New York: Noonday Press, 1968) 173.
6. Ronald Shuchard, ed. and intro., The Varieties of Metaphysical Poetry by T. S. Eliot : The Clark Lectures at Trinity College, Cambridge, 1926 and The Turnbull Lectures at The Johns Hopkins University, 1933 (London: Faber and Faber, 1933) 41.
7. Ernst Cassirer, The Individual and Cosmos in Renaissance Philosophy (Oxford: Basil Black Well, 1963) 129, 130.
8. Cf. The Sermons of John Donne, eds. Evelyn M. Simpson and George Potter (California: Uni. of Califor- nia Press, 1962) vo. VIII, 157. Vol. IV, 202, 208.
9. Helen Gardner, ed. and intro., The Divine Poems of John Donne (Oxford: Clarendon Press, 1969) xxi.
10. T. S. Eliot, “Donne in Our Time,” A Garland for John Donne 1631-1931, ed. Theodore Spencer (Cam- bridge: Harvard University Press, 1931) 9.
11. Christopher Hodgekins, Authority, Church, and Society in George Herbert, Return to the Middle Way (Columbia and London: University of Missouri Press, 1933) 9-33.
12.T. S. Eliot, George Herbert (London: The British Council, 1962) 26.
13.Herbert J. C. Grierson, Metaphysical Lyrics & Poems of the Seventeenth Century, Donne to Butler (Oxford: Clarendon Press, 1979) xli.
14.T. S. Eliot, ”Catholicism and International Order,” Essays Ancient and Modern (1936; London, Faber and Faber, 1949) 134-5. More xxiv.
15.John R. H. Moorman, A History of the Church in England (London: Adam and Charles Black, 1958) 234.