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『 現 代 文 学 』

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Academic year: 2021

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(1)

一 O

号に寄せて

﹃ 現 代 文 学 ﹄

によせて

長 野 隆

内現代文学﹄について何か述べよとのことですが︑残念な

がら今の患にこの錐誌十五年間の歩みを言葉で約めることは

悶難である︒突瞭︑私がこの雑誌の存荘を知り︑それの渉み

とともに自己の文学上の観念を育んで行くことのできたの は︑初めて寄構させていただいた昭和五十二年ハ掲載は翌

年﹀以降のことであるから︑その時点で既に爺刊後八年を経

溝していたことになる︒その私が今更パヴタナンパ

i

を繕い

て云々したところで︑私とはひとまず離れた所で積み上げら

れてきた過去入年に灘る時の堆積は︑郡部部にその正体宏明か

さぬであろうし︑また明かしたとしても︑実践の寵中で共に

歩んでこられた時人諸兄の心の内艇は︑恐らく到の咳きを 発するにちがいある・まい︒それがこの雑棋の今

E

に及ぶまで

の方向を定める上で最も軍要な期間であると感ずれば肖更の

ことだ︒したがって︑中途から関りをもたせていただいた私 に問わるべきは︑判明現代文学﹄という活動の総体を伺か他

1U

に置き換えてみることはできぬかということだ︒

少し大袈競な言い方だが︑この文護諒との出会いを私に促し

た文学的状況の自然なモメントこそ︑まさに患にとっての

円現代文学﹄と言い得るのではないかと思うのである︒

私が大学に進学したころハ昭和四十七年﹀︑現代の文学と

して最初に意識させられたのは︑古井出吉や小川留夫の短縮機

ι古井の﹁杏子﹂︑小川の﹁盈のさ中にい

などは︑理組ぬきで詩のような衝撃をト争えてくれた︒彼等が

いわゆる﹁内謁の世代﹂という言葉で措られているのをあと

で知ったとき︑私もまた内向の世代であると言うに薄麗しな

かった︒このたわいもない独り震は意識の裏側で念払のよう

にくり返されていたために︑かなり執換に私の観念を支配し

てしまったようである︒そして﹃反壁史主の文学﹄︑饗鹿

q u ‑

(2)

孝男のこの書を乎にしたときの厚い乎応えのようなの安今も

私は記憶している︒戒る時代の文学にとって最も必要な批評

家の存在というものを確認したように思う︒私の抱いた文学

内部の論理はことごとくそこに明かされたかのようであっ

た︒﹁現象学的存在論い︑したがってこの言葉もまたパカの

一つ覚えのように私の中で繰越されることとなる

e

当時私の大学の文芸部などでは︑西欧の新批評の影響下

i

レやプランショ︑それにパシュラ

i

ルなどが廻し競

みされていたように患う︒七

O

年関争の余韻消えやらぬ中で

相変らず状祝と文学を観ずる仲間も動いているにはいたが︑

制約えば彼等の標排する吉本務関にしても︑おしろ我々仲間内

では吋言語にとって突とは何か畑町心的現象論序説

h

の方へ

と関心が向けられ︑文学に対する原理的なアプローチの仕方

が憐勢であった︒ほどなく吉本自身が吋欝物の解体学﹄によ

って明かすように︑事態はまぎれもなく文学方法論合議の趣

を謹していた︒そうしと一連の文学論離盛のムードを最も精

力的に支えていたのが︑審美社︑思潮社にイメ

lu

される仏文

系の現代批評家遣であった

σ

作品そのものはと蓄えば︑先に 触れた作家群はもとより︑あの足掛欄ブ

i

ムを呼び起し︑それ

を政り巻くように沸き起ったそダニスティックな感覚主義が

受け饗れられていたようだ︒どこか持と詩論の時代というよ

うな印象を私は抱いている︒今締えば︑それら個々の動きが

顕の中でどのようじ整理されて居盛っていたのか判然としな いが︑ともかく流行は流行として時勢の必然を反挟させ︑表蓑柏渉る形で文学の混沌をしきりに糾弾していたように思うのだ︒そんな中で︑饗庭孝男の患東と表現は際立って冷静な意欲にあふれるものの一つだった︒﹁内向の世代﹂の批評家などという一議性の呼称は︑多分に受け容れ難いものであるに違いないが︑氏の方法を印象づけずにはおかぬ時代の文学の要請とあれば仕方のないところだろう︒文学史家の難い酒落に︑本人は違った場所で苦笑しているに相違ない︒その方法に共織を抱いた私は︑まもなく氏の評論を読みあさり︑おぼろげな人絡的輪郭まつくり上げることとなる︒全信と先の思想加の作者は殊に︑肉声の存在論のようなのを悲しい美しさで語りつづけていた︒私はこれを民の︒孤独の方法︒の原点に鋸えることがで芦た︒

私は︑学部後半期をむかえた︒卒業論文に島尾敏雄を選ん

でのち︑関係諸文献の収集や整理を進めることが楽しい手作

業と会っていた︒季刊吋審美

h

の擦刊を知ったのはそんなと

きである︒森川連也によって編集されたこの雑誌の︑どこか

佑と一線を離しているような誕独な端正さを忘れることがで

λサ担えばそんな印象も︑その頃の私が山引き寄せた︑

同時代の文学・揖評の︑絞って立つべき一つの顔であったの

かと思う︒卒論の一部となるものを神間内の間人誌に載せ︑私

は恐る恐るニ一一一の人に批判をあおいだ︒その折に御返事いた

疋いた島盤敏雄氏御本人のものと榔官接孝男氏のものは令も大

‑ 4 0 … 

(3)

切にしまっている︒悔しろ初めての経験だった︒特に饗膳氏

の御批判は淳意にあふれ︑たぶん払の方から再び語辞の手紙

を差し上げたと思う︒これを機縁に私は饗庭孝男を知り︑同時

に﹃現代文学﹄を知った︒したがって私は全く無造作にこの

季刊雑誌を︑饗庭孝男という批評家のイメ

ip

を介して︑

季刊﹃審美

h

にダブらせて眺めていたはずだ︒数一史冷静にな

らずとも再審の摺性が興った準位に立つのは明日だが︑少な

くとも私の裡ではそのように視ょうとする鎖きが強くあった

ように思わ牝る︒そして︑そういう問機を︑紛糾は今も捨てよ

うとは思っていない︒

きて︑予定された紙数も尽きてしまった︒私は﹃現代文

学﹄について伺か語ることができたろうか︒もっと麗かに内

容に立ち入るべきであったか︒微力を厭わなければそれも出

来ないではなかったが︑やはり私ごときの役目ではないと考

えた︒私はただ︑私の学生時代の︑とりわけ支配的であった

文学上の一一回憶を︑とりとめもなく綴ったにすぎない︒

‑ 41‑

参照

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