『人生 地理学 』 と清 末 中国人 留 日学 生(高 橋)23
『人 生 地 理 学 』 と清 末 中 国人 留 日学 生
一 『江 蘇 師 範 講 義 ・地 理 』 を め ぐっ て 一
高 橋 強
1.は じ め に
2.『 江 蘇 師 範 講 義 ・地 理 』 3.日 本 に つ い て の 記 述 4.中 国 に つ い て の 記 述
5.西 洋 と中 国 に つ い て の 記 述 6.む す び
1.は じ め に
20世 紀 初 頭 、 多 くの 中 国 人 学 生 が 日本 に 留 学 した 。 彼 らを受 け入 れ た 学 校 の 中で 、 嘉 納 治 五 郎 創 設 の 弘 文 学 院(1902〜1909年)は 、 大 半 の 留 学 生 を受 け入 れ た こ とで 有 名 で あ る。 様 々 な 目的 を 持 っ た 留 学 生 が 集 っ た が 、 帰 国 後 、 教 師 に な る者 も少 な くな か っ た 。 そ う した 師範 生 の な か に は、 受 講 した 数 人 の 講 義 ノ ー トを 編 集 し教 科 書 と して 出 版 し た 者 も い た 。 『江 蘇 師 範 講 義 ・地 理 』(1906年)も そ の 中 の 一 つ で あ る。
同書 の 中表 紙 に は 「人 生 地 理 学 」(牧 口常 三 郎 講 義)と 明 記 して あ っ た が 、 中 国 に お け る地 理 学 書 の 中 で 、 「人 生 地 理 学 」 とい う名 称 を使 用 した の は、
同 書 が 初 め て で あ る。 そ の後 中 国 で は1907年 に は 『最 新 人 生 地 理 学 』(青 島
に住 所 の あ る世 界 言 語 文 字 研 究 会 訳)、09年 に は 『人 生 地 理 学 』 とい う書 籍 が 出版 さ れ て い る。 近 年 の 研 究 に よ る と、 両 書 は牧 口 常 三 郎 著 『人 生 地 理 学 』(初 版 は1903年)の 中 国 語 全 訳 で あ る こ とが 判 明 して い る。 しか も09年 の 書 籍 は 、 弘 文 学 院 出 身 の 凌 廷 揮 に よ る翻 訳 で あ る。 清 末 時 期 に 中 国 の 人 文 地 理 学 に 、 大 きな 影 響 を与 え た書 籍 は、 上 記 の3種 類 で あ る とい う研 究 結 果 が あ る。 その 意 味 か らす る と、 留 学 生 の この よ うな翻 訳 活 動 は 、 そ の後 の 中 国 の人 文 地 理 学 界 に大 き な 貢 献 を した こ とに な る。
更 に特 筆 す べ き こ とは、03年 発 行 の 雑 誌 「漸 江 潮 」 の 中 に も、 牧 口著 『人 生 地 理 学 』 の 部 分 訳 が す で に掲 載 され て い た 、 とい う こ とで あ る。 同書 の発 刊 が03年 で あ るか ら、 発 刊 と同 時 に留 学 生 か ら注 目を集 め て い た の で あ る。
本 稿 で 分 析 を試 み る 『江 蘇 師 範 講 義 ・地 理 』 は、 受 講 した 内容 を編 集 して い る の で 、 受 講 生 の 反 応 や 新 た な展 開 が 含 まれ て い る と考 え られ る。 本 稿 の 目的 は、 注 目 を集 めて い た 「人 生 地 理 学 」 を受 講 して 、 編 集 者 で あ る師 範 生 が 新 た に追 加 した部 分 に考 察 を加 え な が ら、 当 時 の 留 学 生 の 意 識 動 態 を考 え て 見 る こ とで あ る。
2.『 江 蘇 師 範 講 義 ・地 理 』
2‑1.「 奥 付 」 「序 」 「目 次 」
「奥 付 」 に は 次 の よ うな 記 載 が あ る。
光緒32年3月25日 印刷
光緒32年4月1日 発 行 全 部16冊 定価 大 洋6元 編 集者 江 蘇 師範 生
発行所 江 蘇寧 属学務 処 江 蘇蘇属 学務 処
『人生 地理学 』 と清末 中国人 留 日学生(高 橋)25
印刷人 日本東京浅草黒船町 榎本邦信
印刷所 日本東京浅草黒船町 東京並木活版所
光 緒32年 は1906年 の こ とで あ る。 発 行 所 は 中 国 で あ るが 、 印刷 所 は 日本 と い う こ とな の で 、 日本 で 印刷 ・製 本 し、 中 国 で 発 売 され た もの で あ る。 本 書 は128頁 か らな っ て お り、 そ の後 に5枚 の 地 図 が 付 され て い る。
目次 の 後 に 次 の よ う な 「序 」 が あ る 。
人 生 地 理 学
日本 牧 口常 三 郎 講 義
地 理 学 は三 類 に分 け られ る。 一・、 数 理 地 理 学 、 ま た 天 文 地 理 学 と も言 う。 二 、 自然 地 理 学 、 また 地 文 地 理 学 と も言 う。 三 、 人 生 地 理 学 、 また 人 文 地 理 学 と も言 う。 この科 目 は専 ら地 人 の 相 関 関 係 の理 を発 見 し明 らか に す る。 講 師 、 牧 口先 生 の著 書 に は専 門 書 が あ る。 根 拠 が 甚 だ正 確 で あ る。
そ の 中 で の 議 論 も多 く豊 か で あ る。(本 書 は)編 集 し要 約 を選 ん だ も の で あ る。 以 て 教 科 書 の用 に備 え る。 も し全 貌 を見 た い と欲 す るな ら ぼ、 先 生 の原 著 『人 生 地 理 学 』 が あ るの で 、 参 考 に す る事 が で き る。
目次 構 成 は、 計5編21章 か らな っ て お り、 『人 生 地 理 学 』 初 版 本 と比 較 す る と、13章 少 な い。 初 版 本 で の 第1編 「人 類 の 生 活 処 と して の 地 」 第2章
「地 球 」 を、 本 書 の 第1編 に配 列 し突 出 させ 、 初 版 本 第2編 「地 人 相 関 の媒 介 と して の 自然 」 第15章 「気 界 」 を 、本 書 の 第2編 に配 列 し、 そ の 上 で 地 球 表 面 の 「陸界 」 を第3編 に、 同表 面 の 「水 界 」 を第4編 に、 初 版 本 「地 人 相 関 の媒 介 と して の 自然 」 第19章 「人 類 」 と、 初 版 本 「地 球 を舞 台 と して の 人 類 生 活 現 象 」 第23,第24章 「産 業 地 理 」 を第5編 に そ れ ぞ れ 配 列 して い る。
この配 列 は、 牧 口独 自 の考 え方 な の か 、 或 い は編 集 者 で あ る江 蘇 師範 生 の 需 要 に沿 っ た も の な の か は不 明 で あ る。 「人 類 の 生 活 処 と して の 地 」 に力 点 が 置 か れ 、 自然 地 理 の 内 容 が 大 半 を 占 め るが 、 「人 生 との 関 係 」 を述 べ た 項 目が10箇 所 あ り、 牧 口の 「人 生 地 理 学 」 を貫 い た 内容 で あ る。 但 し第1編 第 2章 の1か ら5ま で は 、 測 量 製 図 理 論 に関 す る もの で 、 『人 生 地 理 学 』 初 版 本 に は無 い 内 容 で あ る。 当 時 清 末 の 学 者 は 、 伝 統 的 な測 量 製 図 方 法 と西 洋 の 測 量 製 図 理 論 を結 合 させ 、 新 しい 測 量 製 図 理 論 と方 法 を作 り上 げ よ う と試 み て い た 。 そ れ を踏 ま え、 牧 口が 特 に紹 介 した の か 、 また は受 講 者 の要 望 を取
り入 れ た 結 果 な の だ ろ うか 。
2‑2.本 書 出 版 の 背 景
本 書 の 出 版 は 、 「序 」 に も あ る よ う に、 牧 口 の講 義 を 受 講 した 江 蘇 師 範 生 が 、 牧 口の 『人 生 地 理 学 』 を編 集 し要 約 を選 ん で な され た も ので あ る。 牧 口 は1904年2月 か ら1907年4月 まで 、 弘 文 学 院(1902年 〜1909年)で 地 理 学 を 担 当 して い た 。 同学 院 の 留 学 生 は 卒 業 の 際 、 各 講 義 の講 義 ノ ー トを持 ち 寄 っ て一 つ に ま とめ 印刷 し、 帰 国後 、 それ を使 用 して教 授 した り して い た、 と言 わ れ る。 本 書 もそ の 中 の0つ で あ る。 同 学 院 の ク ラ ス編 成 は 出身 地 別(方 言 の差 が 大 で あ るの で)で 、 また 通 訳 を つ け て行 わ れ て い た 。 従 っ て 、 牧 口が 地 理 学 を担 当 した江 蘇 省 出 身 の 師範 生 が 出版 した も の で あ ろ う。
本 書 の 印 刷 年 月 日は1906年3月25日 、 発 行 は 同年4月1日 とな っ て い る。
同学 院 の特 徴 の 一・つ に、 速 成 科 中 心(就 学 期 間 、1年 、8ケ 月 、6ケ 月)の 課 程 が あ げ られ る。 速 成 課 程 は1906年 以 降廃 止 さ れ るが 、1902年 か ら1907年
まで 速 成 科 卒 業 者 が93%で 、 そ の 内8割 が 師範 関 係 者 で あ っ た こ とか ら、 本 書 の 出版 は、1905年 に入 学 して きた 江 蘇 師 範 生 に よ る もの で あ る と考 え られ
る。
本 書 の 発 行 所 が 「江 蘇 寧 属 学 務 処 」 「江 蘇 蘇 属 学 務 処 」 とな って い る の で 、
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本 書 は寧(南 京 の別 称)所 属 の 師範 学 堂 や 蘇(蘇 州)所 属 の 師 範 学 堂 で 使 用 され て い た もの と思 わ れ る。 な お学 務 処 とは、 教 育 の先 進 地 域 で は、 す で に 1902〜3年 頃 か ら各 省 の学 務 を統 括 す る機 関 と して 開 設 さ れ て い た 。 江 蘇 省 で は、1902年 に両 江 総 督 に な っ た張 之 洞 が 「江 蘇 教 育 改 革 構想 」 を明 らか に
し、 南 京 に学 務 処 を設 け、 これ に江 蘇 地 区 と江 寧 地 区 か らな る全 省 の 学 務 を 統 括 させ て い た。 学 務 処 の 中 に は教 科 用 図書 や 参 考 図書 の収 集 、 翻 訳 を管 理 掌 握 す る翻 訳 科 もあ っ た 。
本 書 は教 科 書 と して使 用 され た が 、 中 国初 の全 国統0の 教 科 書 は1907年 春 に編 集 さ れ た 『初 小 国 文 教 科 書 』 で、 学 部(日 本 の 文 部 省 の 制 度 に 習 っ て 1905年 に 開 設 され た)は1906年3月 に 教 科 書 審 定 制 度 を 設 け準 備 を 開 始 し た 。 従 っ て 『江 蘇 師 範 講 義 』 編 纂 は教 科 書 統 一 前 の も の で あ るが 、 江 蘇 省 各 学 堂 の 教 科 書 が 混 乱 して い た 状 況 を考 え る と、 質 量 を統 一・した とい う点 で 注
(1)
目 に 値 す る 。
3.日 本 に つ い て の 記 述
「個 人 と世 界 の 関 係 」 につ い て の 講 義 を 聞 き、 自 己 即 ち 中 国 が 世 界 の 中 で お か れ て い る位 置 を 明 らか に しな け れ ぼ な ら な い 、 と主 張 して い る。 そ の 際 、 次 の よ うな 注 意 点 を指 摘 して い る。
「世 人 或 い は 自 らが そ の位 置 を 高 す ぎて 見 る と、 む や み に尊 大 ぶ っ て し ま う。 こ こで の弊 害 は驕 りに あ る。 驕 りは 即 ち進 歩 が な い 。 また 自 らが そ の位 置 を卑 しす ぎて 見 る と、 全 て の 事 に臆 病 に な る。 即 ち我 が 権 利 は、 必 ず他 人 の 手 中 に無 理 矢 理 入 れ られ て し ま う。 今 二 通 りの 弊 害 を挙 げて 見 る と、 日本 は前 者 とい う こ とに な ろ う」 と。 こ こで の後 者 とは 中 国 の こ とに な ろ う。
この 問題 意 識 が 、 同書 編 集 の 一 貫 した 内容 で あ る。 これ らの 点 につ い て 、 日本 に 関 して は次 の よ うに述 べ て い る。
「日本 は維 新 の 前 、 欧 米 の 商 船 が 雲 集 した 。 所 謂 鎖 国 派 の 者 が 立 ち 上 が り、
各 地 に走 り周 り呼 び か け、 その 気 勢 を張 っ た 。 中 国 の義 和 団 の 変 と同様 に、
幸 い あ ま り騒 然 状 態 も長 くな く、 民 の 智 慧 は次 第 に、 自 らの そ の地 位 の所 在 を 明 らか に す る こ とを始 め た 。 そ れ で 以 て 他 国 と渡 り合 っ た 。 しか しな が ら 明 治24,5年(1891,2年)頃 、 国 内 で また 一 つ の奇 怪 な 現 象 が 起 き た。 外 国 人 を 崇 拝 す る こ とで あ る。 日本 人 で 西 洋 に留 学 した 者 は 、 西 洋 の学 問 や 風 俗 を 美 しい と見 な し、 本 国 の 全 て は美 に足 ら な い と思 っ た 。 他 国 は揃 っ て い る。 一 途 に制 度 を起 こ し、 飲 食 を推 し量 り改 革 を欲 す る。 そ の後 有 名 人 が 輩 出 され 、 国粋 の説 を保 存 す る よ う唱 え る。 しか し この 風 紀 は、 次 第 に下 火 と な っ た 。 そ うで な け れ ば そ の 受 け た 損 害 は 巨大 で 、 臆 病 や 尻 込 み 者 と、 異 な
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る こ とは な い 」。
こ こ に お い て は、 日本 の 「民 の 智 慧 は次 第 に、 自 らの そ の 地 位 の所 在 を 明 らか に す る こ とを始 め た 」 こ とに 評 価 を して い る。 日本 は 改 革 を 欲 し保 守 的 に陥 らな くて 、 中 国 と異 な り、 臆 病 や 尻 込 み者 で は な か っ た 。 西 洋 を 崇 拝 し す ぎ る現 象 に つ い て は、 奇 怪 で あ る と捉 え て い る。 但 し尊 大 ぶ っ た 、 また 驕
り高 ぶ っ た 日本 に 対 して は、 大 き な 不 満 を も って い る こ とが 判 る。本 書 の 編 集 時 期(1905年)か ら考 え る と、 日露 戦 争 に勝 利 した 日本 の現 状 か ら、 実 感
して い るの で あ ろ う。
そ の 上 で 、 読 者 に 対 して は、 続 けて 次 の よ うな提 案 を して い る。
「交 通 の 世 界 に あ る上 は、 先 に 自身 の 適 当 な 位 置 を認 定 し よ う と思 う。 以 て 対 応 の方 法 を尽 くす の で あ る。 そ の 後 改 革 と保 守 の 両 者 は そ の 道 を得 る。
しか しな が ら地 理 に 明 る くな い と、 そ の位 置 が 如 何 な る もの か 自身 で 定 め ら
(3)
れ な い 」 と。
こ こで 使 用 して い る地 理 とは、 国 際 情 勢 、 国 際 関 係 等 の 内容 を も含 ん だ も の で 、 人 生 地 理 学 は単 な る地 理 とは異 な る こ とが 判 る。
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「国 際 交 渉 に お け る 安 静 の 地 位 」 を受 講 して 、 日本 の 地 理 的 条 件 の よ さ を 想 起 し、 次 の よ うに述 べ て い る。
「大 陸 の 国 の 治 乱 は 互 い に 影 響 す る。 数 千 年 不 変 の 王 の 統 治 が 、0度 乱 れ る と、 付 近 の 小 国 は必 ず 多 くの波 を受 け る。例 え ば朝 鮮 は 中 国 と連 動 して い る。 中 国 で 争 乱 が起 き るた び に 、 朝 鮮 は その 影 響 を受 け る。 日本 は神 武 が 開 国 して よ り、 一 つ の姓 を継 承 し、今 日 まで 二 千 五 百 五 十 年 間 、 激 しい 航 海 の 戦 役 も必 要 な く、 国 交 に お い て恐 怖 す な わ ち民 族 の遷 入 に遭 遇 した こ とが な い 。(略)太 平 が 久 し く内 治 に専 心 し、 文 明 を輸 入 し民 の 智 慧 を開 く こ とが で きた 。 日本 の政 治 ・教 育 ・技 術 は皆 、 異 国 の産 物 で 、 しか も安 価 で これ を
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得 て い る」 と。
編 集 した 江 蘇 師範 生 は、 こ こで も 「民 の 智 慧 」 に注 目 して い る。 そ して そ れ を 開 く条 件 と して、 太 平 で 政 治 が 安 定 し、 文 明 を輸 入 す る こ と を上 げ て い る。 前 述 との 関 連 で い う と、 「民 の 智 慧 」 は そ の 次 に 「自 らの そ の 地 位 の 所 在 を 明 らか に す る こ とを始 め る」 こ とが 求 め られ る。 こ こで は 日本 の 地 理 的 条 件 の よ さ を上 げ る一 方 で 、 輸 入 した 文 明 は皆 、 異 国 の産 物 で 、 しか も安 価 で これ を得 た もの で あ る、 との 見 方 か ら は、 少 なか らず 軽 蔑 の よ うな もの を 感 じ る。 この よ うな 西 洋 崇 拝 を、 前 述 の言 葉 を借 りる と奇 怪 現 象 とい う こ と
に な ろ う。
「山 嶽 」 の 講 義 を 聞 い て 、 日本 と中 国 の 比 較 を試 み て い る。 ま ず 中 国 の 山 嶽 に関 す る語 彙 を紹 介 して い る。
「中 国 の 古 書 の 中 で 山 嶽 を形 容 す る名 詞 は、 大 体 に して 先 鋭 な もの を峯 と し、横 た わ る もの を嶺 とな す 。 今 日の人 が 地 勢 を論 ず る に、 名 称 はや や 異 な る。 小 さい 岳 が 集 ま る もの を 、 山彙 とい う。 そ の連 続 な る も の を 、 山脈 とい う。 山 脈 の 壮 大 に して 系 統 な る もの を、 ま た 山 系 とい う。 中 国 の嶺 の字 の意
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味 と、 今 日 の 山 脈 は 近 い 」 と。
次 に 日本 を紹 介 す るの で あ るが 、 語 彙 の創 造 性 に は評 価 を与 え て い る。
「しか し 日本 の学 者 は、 嶺 を峯 と し、 別 に 峠 を設 け嶺 の 代 わ り と し、 そ の 最 も高 い所 を嶺 とい う。 日本 の 文 字 は 中 国 か ら得 て お り、 そ の 解 説 に は差 は 無 い はず で あ る。 しか し時 に そ うで な い こ と もあ る。 しか も新 た に名 詞 を創 作 し、0切 を発 明 して い る。 お お よ そ世 界 が 交 流 す れ ば す る ほ ど、 事 物 の発 見 も多 くな る。 す な わ ち 文 字 の 間 に お い て は 、 拘 泥 す る こ とが で き な くな る
(s>
の で あ る」 と。
そ の 上 で 、 中 国 の 語 彙 使 用 の 反 省 点 を 指 摘 し、 改 善 法 を紹 介 し強 調 して い る。
「中 国 の 種 々 の 名 称 は 演 繹 法 を 多 用 して お り、 古 書 か ら は 問 い 直 す こ と は 無 い とい うの は、 実 際 は 間 違 って い る。 た とえ ぼ、 仁 義 道 徳 な どが そ れ で あ る。 演 繹 法 の 為 に、 惑 わ され て 久 し い。 今 日適 宜 改 め 帰 納 法 を使 用 して い る。 古 い字 の意 味 を もっ て 、 今 日の 普 通 名 詞 に沿 っ て 、 そ の適 切 な もの を選 択 し用 い て い る。 名 称 は 当 を得 て 、 各 種 科 学 研 究 に お い て 、 得 た る利 益 は大
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き い 」 と。
こ こに お い て は特 に、 地 理 学 の 新 しい用 語 を習 得 し、 それ を 中 国 の そ れ に 適 応 させ 、 科 学 研 究 を発 展 させ よ う と試 み よ う と して い る点 が 注 目 に 値 す る。 編 集 した 留 学 生 は、 祖 国 中 国 の発 展 の為 に とい う意 気 込 み に溢 れ た学 生 で あ る と と も に、 中 国 の 古 典 に か な り深 い 学 問 を 身 に つ け て い る こ とが 判 る。
「世 界 の 体 勢 は、 陸 地 か ら海 面 に 向 か って お り」 は 、 講 師 で あ る牧 口 の 見 解 で あ る。 列 強 に よ る中 国分 割 の後 は、趨 勢 は大 洋 の分 割 競 争 とな る こ とを 予 測 して い る。 そ の 見 解 を 聞 い て 、 日本 の現 状 を分 析 した の で あ ろ う。 次 の
よ うに述 べ て い る。
「現 在 世 界 の体 勢 は、 陸 地 か ら海 面 に 向 か っ て お り、 島 国 の 地 位 は優 勢 で
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あ る。 そ の 時 勢 の 訓 戒 に基 づ く と、 保 守 的 方 針 を変 え ざ る を え な い で あ ろ う。 人 口が 増 加 し、 この 国 の場 所 は非 常 に小 さ く、 ゆ くゆ くは収 ま り切 れ な くな り、 次 第 に植 民 地 を企 て 、 勢 力 を拡 張 す るで あ ろ う。 日本 の侵 略 政 策 で あ り、 最 近 発 動 し始 め た 。 国 内 の議 論 は、 太 平 洋 は将 来 大 和 民 族 の格 好 の舞
(s)
台 で あ る と して い るが 、 そ の議 論 は既 に長 き に わ た っ て い る」 と。
こ こで い う 「日本 の侵 略 政 策 で あ り、 最 近 発 動 し始 め た 」 とは、 日露 戦 争 後 、 日本 が 韓 国 の 指 導 権 を 掌 中 に した り、 関 東 州 と樺 太 の 南 半 を 割 譲 した り、 長 春 以 南 の 鉄 道 等 の 権 利 を獲 得 した こ とを指 す の で あ ろ う。 更 に 日本 は 日英 同 盟 の 改 訂(1905年)を し、 英 国 か ら 日本 の 韓 国保 護 権 の確 認 も取 り付 けて い る。 その よ うな こ とも背 景 に あ るの で あ ろ うか 、 続 け て 英 国 につ い て も触 れ て い る。
「英 国 に属 す る多 くの地 は、 特 に各 国 で も優 れ た 地 に な っ て い る。 経 営 や 創 建 に余 す こ とな く力 を注 ぎ、 そ の勢 力 の膨 張 は、 ど こ まで 行 くの か 推 測 も
く ラ
で き な い 」 と。
本 書 を編 集 した江 蘇 師 範 生 は、 日本 の 世 論 ぼ か りで な く、 世 界 の情 勢 に極 め て 敏 感 で 、 日本 や 英 国 の植 民 地 拡 大 に警 戒 を して い る。
な お この 日本 の 「勢 力 拡 張 」 に関 して は 、 中 国 へ の 拡 大 も予 測 して い る。
「海 洋 は万 里 一・潟 の 如 く、 通 じ な い と こ ろ は な い 。 た だ 他 国 の領 海 は 、 任 意 に勝 手 に は行 けな い 。 波 浪 に遭 遇 した り、 また 海 面 が 広 大 な場 合 に は、 少 し警 戒 心 が 出 て く濁 。 これ 以 外 は、 船 舶 は縦 横 に、 我 が 欲 す る と こ ろ に従 う こ とが で き る。 そ れ ま た誰 が 禁 止 す る こ とが で き よ うか 。 この時 、 至 極 便 利 な道 、 唯0の 公 道 とな る。 昔 の よ うに大 洋 を望 み 、 嘆 き を興 す こ とが あ ろ う か 。 日本 人 の 中 国 行 き は、 必 ず か な りの 力 を 入 れ て後 に行 わ れ るで あ ろ う」
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と 。
「国 境 の 堅 固 」 の 部 分 を受 講 して 、 前 述 の"世 界 の体 勢 は 、 陸 地 か ら海 面
に 向 か っ て お り"を 想 起 し、 日本 の海 軍 につ い て 言 及 して い る。
「日本 の海 軍 建 軍 は 中 国 に遅 れ た が 、 物 資 を惜 し まず つ ぎ込 み これ に従 事 した 。 進 歩 の 速 さ は欧 米 も恐 れ 憤 慨 した。 明 治37,8年(1904,05年)の2
年 の海 戦 は、 特 に奇 が 功 を奏 した 。 ロ シ アが 全 力 で経 営 した旅 順 艦 隊 、 ウ ラ ジ オ ス トク艦 隊 、 波 羅(ボ 「ロ)艦 隊 は、 ほ とん ど海 面 に再 び船 影 を 留 め る こ と は な か っ た 。 百 年 の 海 戦 史 を 見 る に、 皆 、 島 撰 の 人 間 が 優 勝 の 地 位 に あ
く ラ
り、 また 地 理 上 の 影 響 が そ の能 力 を作 り上 げ る こ とを感 ず る」 と。
「奇 が 功 を奏 した 」 と は、 日本 海 軍 の仁 川 沖 ・旅 順 港 で の ロ シ ア艦 隊 奇 襲 の こ とを指 して い るの で あ ろ う。 た だ し こ こに は 日本 に対 す る少 な か らず の 批 判 が 含 まれ て い る よ うに 思 え る。 一 方 、 海 軍 建 軍 の 早 か っ た が 日本 に遅 れ を とっ た 中 国 に対 して も不 満 を滲 ませ て い る よ うだ 。 「島 懊 とい う地 理 上 の 影 響 が そ の 能 力 を 作 り上 げ る」 との 視 点 は、 「人 生 地 理 学 」 の 命 題 を 学 び
とって い る感 が す る。
「島 国 の 特 質 」 を受 講 して 、 特 に 日本 人 の愛 国 心 を想 起 した の で あ ろ う、
日露 戦 争 の 中 で の そ れ に つ い て 言 及 して い る。
「島 民 は 愛 国 心 を 担 うに 当 た っ た 以 上 は、 す な わ ち 国 家 の 大 事 に 当 た っ て は、 知 っ て る こ とは何 で も行 い 、 形 式 は足 らな くて も、 精 神 は実 に余 裕 しゃ く しゃ くで あ る。 日露 の事 で は、 日本 軍 は旅 順 を包 囲 し、 無 数 の 生 命 を投 入 した が顧 み ず 、 に わ か に堅 忍 の ロ シ ア軍 を力 で 屈 服 させ 降 参 させ た 。 ナ ポ レ オ ン 曰 く、 両 軍 の 勝 負 は最 後 の5分 で 決 す る と。 戦 陣 の 際 に は体 力 は余 事 に
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属 す る」 と。
牧 口 は特 に 島 国 根 性 を批 判 した の で あ って 、 愛 国 心 を この よ う に讃 えて は い な い。 編 集 者 の 考 え は、0大 事 とい う時 に愛 国 心 の 弱 い 中 国 人 に対 す る批 判 が 、 逆 に 込 め られ て い る よ うだ。 こ こ で の 愛 国 心 も少 な か ら ず無 鉄 砲 と い った 意 味 合 いが 込 め られ て い る よ うで あ る。 ナ ポ レオ ンの 言 葉 を 引用 して
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お り、 編 集 者 は か な りの 博 学 とい え る。
祖 国愛 に溢 れ て い る留 学 生 だ け あ っ て 、 日本 海 軍 を必 ず し も絶 賛 して い る わ けで は な い 。 地 理 的条 件 も功 を奏 した の で あ る と、 一 言 付 け加 え て い る。
「軍 事 に お い て は 島 は有 益 で あ る。 即 ち 石 炭 を蓄 え られ る事0つ とっ て も、
こ の事 が わ か る。 更 に あ る時 は、 敵 の 航 路 を牽 制 す る こ とが で き る。 日露 戦 争 の 当初 、 ロ シ ア の ウ ラ ジ オ ス トク艦 隊 は 、 旅 順 と連 絡 が とれ なか っ た。 そ
の 理 由 は即 ち 、 対 馬 島 が そ の 間 を隔 絶 して い た の で あ る。 日本 海 軍 が 東 亜 細 亜 の 海 を横 行 で き た の は、 戦 術 の 優 ば か りで な く、 位 置 の 堅 固 さ も あ る」
と。 当 時 の 留 学 生 の 関 心 事 は 日露 戦 争 で あ った の で あ ろ う、 そ れ に 関 す る記 述 が 大 変 に詳 細 で あ る。
「海 洋 」 を 受 講 して 、 編 集 者 が 新 た に商 業 との 関 係 を追 加 して い る。 そ の 中 で 特 に 日本 と中 国 との 商 業 関 係 に も言 及 して い る。
「日本 は生 糸 の 繭 を フ ラ ンス に輸 出 す る。 中 国 は綿 花 を 日本 に輸 出 す る。
皆 所 謂 原 料 を輸 出 す る も の な り。 フ ラ ン ス製 の絹 織 物 が 日本 に逆 輸 入 さ れ 、 そ の 価 格 は数 倍 に増 加 す る。 日本 製 の布 が 中 国 に逆 輸 入 され 、 そ の価 格 も数 倍 に増 加 す る。 故 に文 明 国 人 は原 料 を購 入 す る人 で 、 未 開 国 人 は原 料 を売 り
出 す 人 で あ る。 一 循 環 して 、 未 開 国 の財 政 は消 費 され る の で あ る。 西 洋 が東 洋 の 原 料 を輸 入 し、 日本 が 中 国 の原 料 を輸 入 す るが 、 中国 は た だ原 料 輸 出 す るだ け で 、 原 料 の輸 入 を 見 た こ とは な い 。 こ こに お い て は 、 文 明 国 は未 開 国
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を抑 圧 して い る。 この こ とは 言 を待 た な い 」 と。
日本 は 日清 ・日露 戦 争 を通 して、 生 糸 、 絹 織 物 、 綿 糸 な どの対 外 貿 易 を膨 張 させ 、 輸 出 市 場 も中 国 、 朝 鮮 か ら東 南 ア ジ ア諸 地 域 まで 拡 大 させ た 。 そ し て 西 洋 か ら抑 圧 を受 け て い る分 を、 今 度 は東 洋 に お い て 文 明 国 と して 、 近 隣 諸 国 を抑 圧 して い る の で あ る。 編 集 者 は そ の 現 状 に大 き な 不 満 を 現 して い る。 と同 時 に祖 国 の ふ が い な さ に憤 っ て い る。 編 集 者 は他 の 部 分 で 日本 と中
国 の 関 係 を 「今 日経 済 の 上 で は、 結 局 主 従 関 係 に あ る」 とま で 言 及 して い
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る 。
4.中 国 に つ い て の 記 述
「山 脈 と人 生 の 関 係 」 を受 講 して 啓 発 され 、 編 集 者 が 中 国 の歴 史 や 地 理 に 適 用 し展 開 した 内容 に な って い る。 しか もそ の 結 果 、 両 者 の 関 係 の 密 接 な る
を実 感 し驚 い て い る。
「中 国 の 歴 史 上 、 記 録 され て い る種 々 の 事 実 は、 戦 の 事 が 最 も多 い 。 時 に 分 裂 し、 時 に統0さ れ て い る。 太 平 の 日 は少 な く、 戦 い の 日 は多 い 。 そ の 原 因 は、 山脈 で あ る。 お お よ そ 中 国 の 山 脈 の 多 くは南 北 に走 っ て い る。 そ の構 造 は分 裂 す るの に利 が あ る。 そ の た め春 秋 戦 国 時 代 の 列 強 の雄 は機 会 を うか が い、 そ れ ぞれ 相 譲 らな か っ た が 、 秦 以 降 統 一 が な され 、 状 況 が 少 し変 化 し た 。 す な わ ち 山奥 の雄 で あ る。 間 に乗 じて 盗 み を は た ら くの で あ る。 山 が あ
ま り高 くな か っ た の で 、 分 裂 局 面 で 、 最 終 的 に統 一 され ず 、 大 英雄 の 出現 に よ り、 全 て を統 制 した 。 も し山脈 が 高 か っ た な らば 、 歴 代 の 専 政 君 主 は そ の 権 威 を保 有 す る こ と は 出来 な か っ た で あ ろ う」 「ま た 中 国 の 地 勢 が ロ シ ア に 似 て い れ ば、 主 権 の 集 合 が 容 易 で あ り、 す な わ ち 専 政 政 権 も また 今 よ り強 固 で あ っ た ろ う。 山脈 が 人 生 に影 響 を及 ぼ して お り、 その 偉 大 さ に驚 く。 お そ
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ら くこの よ うな こ とな の で あ ろ う」 と。 編 集 者 が 中 国 の 歴 史 ・地 理 にか な り 精 通 して い る こ とが 判 る。
「半 島 と文 化 の 関 係 」 を受 講 す る中 で 、 「半 島 は 文 化 の起 源 地 で あ る。 孔 子 が 山 東 半 島 で 生 まれ た如 く」 との牧 口 の 学 説 を 聞 き、 儒 教 を想 起 し、 それ が
日本 に まで 伝 播 され 、 しか も崇 拝 され て い る こ とに も言及 して い る。
「そ の学 説(儒 教)の 影 響 は全 国 に遍 き、 近 くは朝 鮮 か ら遠 くは 日本 ま で
『人生地 理学 』 と清末 中国人 留 日学 生(高 橋)35
至 り、 崇 拝 さ れ て い る」 「中 国 か ら輸 入 の文 化 は朝 鮮 半 島 を経 由 した は ず で あ る(西 暦944年 日本 は 朝 鮮 を 通 して 論 語10巻 、 千 字 文1巻 を得 て 、 儒 教 と
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文 字 を 持 ち 始 め た)」 と。 い っ 、 どの よ う に、 具 体 的 に は どん な 書 物 を通 し て まで 言 及 し、 中 国 の 文 化 に 対 し誇 りを 感 じて い る よ うで あ る。
中 国 へ の 誇 りは 、 「河 と人 生 の 関 係 」 を受 講 して 追 加 した 揚 子 江 流 域 の 記 述 に も感 じ られ る。 更 に そ こで は 日本 との 比 較 まで行 わ れ て い る。
「中 国 揚 子 江 の灌 概 地 域 は約12万 平 方 里 で 、 日本 全 国 の面 積 と比 較 す る と、
4倍 強 で 大 変 に驚 く。 通 航 の 路 は5千 里 で 、i揚子 江 沿 い の 商 業 波 止 場 は 、 四 川 の叙 州 に至 る。 貨 物 の集 積 は多 く、 人 口密 度 も高 い 。 ま さ に ア ジ ア第1の 大 水 で あ る」 と。 最 後 の 記 述 で あ る 「ま さ に ア ジ ア 第1の 大 水 で あ る」 に
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は、 読 者 に大 き な 自信 を与 え て い る よ う に思 え る。
「河 流 と文 明 の 関 係 」 を受 講 して の追 加 の 記 述 は 、 半 分 以 上 の 内 容 が 中 国 に関 す る も ので あ る。 歴 史 と文 明 の 国 ・中 国 を、 次 の よ うに詳 述 して い る。
「河 流 は 文 明 を 興 す こ とが で き る。 特 に 文 明 の 伝 播 の 能 力 を有 して い る。
中 国 は河 流 に富 む 有 名 な 国 で あ る。 そ の大 陸 部 分 は 南 北 中 に分 け られ る。 中 部 は長 江 流 域 で 、 北 部 は黄 河 流 域 、 南 部 は珠 江 流 域 で あ る。 黄 族 の始 祖 はパ ミー ル 高 原 か ら東 に下 っ て 来 た 。 しか し長 江 の 上 流 は多 くの 山 や 谷 が あ り、
越 え る こ とが で きな か っ た 。 河 に沿 っ て 進 み 、 国 の基 を 定 め た 。 神 聖 の 子 の 孫 を再 び得 て 、 これ を維 持 し0層 輝 か し さ を加 え るの で あ る。 従 っ て 黄 河 流 域 は、 上 古 文 明 の根 拠 地 とな った 。 漢 以後 、 文 化 は次 第 に南 に 向 か い、 劉 項 は南 人 を 以 て秦 鹿 を転 覆 させ た 。 これ は長 江 流 域 発 達 の 第 一 期 で あ る。 そ の 後 六 朝 が 相 継 い で 江 蘇 省0帯 を支 配 した 。 文 物 の集 ま る所 で 名 声 が麗 し く、
二 千 余 年 た っ て も止 ま る こ とが な い 。 宋 以後 、 珠 江 が 之 に応 じ、 珠 江 流 域 は 荒 漠 と言 わ れ る地 に 向 か っ た 。 中 国 に お い て 名 声 が あ り、 宋 末 よ り南 遷 を 開
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始 した 」 と。
そ して 河 流 と文 明 の 伝 播 につ い て の 説 明 に お い て も、 そ の博 学 さ を示 して い る。
「河 流 は 何 故 に文 明 を 伝 達 す る こ とが で き るの か 。 そ の第 一の要 素 は 、 人 の 交 通 を助 け る こ とに あ る。 昔 揚 子 江 と黄 河 の両 流 域 は、 風 習 の た め に互 い に連 絡 しな か っ た 。 その 上 燕 の都 は辺 鄙 な 東 北 で 、 群 雄 の 争 わ な い所 で あ っ た 。 階 の1 /J帝が 運 河 を開 い て これ を貫 通 して よ り、 揚 子 江 と黄 河 の 問 に は、
航 路 が 出 来 上 が っ た 。 南 北 統0の 基 礎 の 因 が 大 き く定 ま っ た 。 金 元 以後 、 燕 に都 を構 え た者 は 、 七 百 余 年 の 聞 、 勢 力 の厚 み は瞬 く問 に金 陵 を超 え た 。 そ の後 運 河 は泥 で 塞 が った が 、 名 声 は す で に成 り、 挫 折 させ る こ とは難 しか っ た。 そ の 上 海 運 を 以 て して も、 交 通 の 利 は減 ず る こ とは少 な か っ た。N/1帝 は
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淫 縦 で は あ っ た が 、 そ の 勢 力 は広 大 で 雄 大 で あ っ た 」 と。 河 流 に富 む祖 国 中 国 に誇 りを感 じて い る。
この よ うに 中国 の 歴 史 ・文 化 を讃 え 、 当 時 の 国 際 情 勢 に お け る地 位 を1]
した 上 で 、 中 国 の優 越 性 を次 の よ うに 述 べ て い る。 「中 国 と世 界 の 交 通 が 大 変 に不 便 で あ った の で 、 現 在(中 国 の)居 る地 位 は、 な お半 開 明 と開 明 の 問 に あ る。 た だ これ は物 質 上 の学 問 に基 づ い て 言 っ て い るの で あ る。 文 学 は、
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も とよ りす で に早 くか ら開 明 に 達 して い た 』 と。
5.西 洋 と中 国 に つ い て の 記 述
「世 界 に お け る 自 らの 位 置 を明 らか に す る」 とい う命 題 は、 列 強 諸 国 特 に 西 洋 との関 係 に 言 及 す るに 至 るの で あ る。 そ の 中 で特 に 関 心 が 向 け られ た の は、 貧 富 の格 差 で あ る。 編 集 者 は そ の格 差 を生 み 出 した要 因 と して 、 工 業 発 展 の 格 差 に注 目 し次 の よ うに述 べ て い る。
「東 洋 と西 洋 の貧 富 の分 岐 点 は工 業 に あ る。 工 業 の 発 達 とは 、 優 れ た もの
『人生 地理学 』 と清末 中国人 留 日学 生(高 橋)37
を製 造 し輸 入 の 金 額 が 莫 大 で あ る こ と。 工 業 の 行 き詰 ま り とは、 粗 悪 な もの を 製 造 し輸 出 の 金 額 が 莫 大 で あ る こ と。 朝 鮮 で 牛 を産 す る こ とを 讐 え とす る。 西 洋 人 は百 元 で 一 頭 購 入 す る。 牛 肉 を食 品 にす る以 外 に、 牛 の腹 の 中 の 物 を 肥 料 に し、 牛 筋 や 牛 角 は 溶 解 し儲 け とす る。 牛 皮 は また 多 数 の 皮 靴 に し、 高 く東 洋人 に売 るの で あ る。 そ の価 格 を試 しに計 っ て見 る に、 す で に原 価 の 数 倍 で あ る。 か くの 如 く西 洋 人 は富 を得 、 東 洋 人 は貧 を得 るの で あ る。
また 石 鹸 を讐 え とす る。 西 洋 人 は腐 魚 或 い は そ の他 の動 物 を購 入 す る。 た だ 脂 肪 を含 ん だ だ けで 、 売 値 は極 め て 安 い。 製 造 され 香 料 が加 わ る と、 一 寸 四
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方 の 固 ま りで あ るが 、 銀 貨 数 角 で 売 れ る。 利 得 の 厚 い こ とを知 る」 と。
こ こで は 西 洋 の 工 業 発 展 の構 造 を冷 静 に観 察 しなが ら も、 祖 国 中 国 の工 業 の停 滞 を嘆 い て い る よ うに思 え る。
編 集 者 は、 中 国 が す で に世 界 経 済 の シ ス テ ム に組 み 込 まれ て い る こ とを 、 十 分 に 認 識 す る に至 っ た の で あ ろ う。 東 西 の 経 済 関 係 を次 の よ うに表 現 して い る。
「商 戦 の世 に 国 を立 て、 政 治 の 上 で 独 立 を主 張 して も、 経 済 の 上 で は終 に 主 従 に 属 す る。 東 洋 人 の 製 造 は 行 き詰 ま っ て い る。 常 に原 料 を も っ て輸 出 し、 西 洋 人 が働 か な い ま ま厚 利 を享 受 で き る ま ま に させ て い る。 こ こで は西 洋 が 主 で 、 東 洋 が従 とな り、 東 洋 人 は終 に西 洋 人 の労 働 者 に な っ て い る。 こ の 地 理 学 を 語 る者 は、 速 や か に措 置 を め ぐ ら し、 そ の 主 権 を 回収 しな けれ ぼ
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な らな い 」 と。
講 師 で あ る牧 口著 の 『人 生 地 理 学 』 で は、 世 界 共 同意 識 に至 る プ ロ セ ス と して 、 軍 事 的 競 争 時 代 、 政 治 的競 争 時代 、 経 済 的 競 争 時 代 、 人 道 的競 争 時 代 を提 示 して い るが 、 そ こか らの影 響 も見 い だ せ る。 「この 地 理 学 を語 る者 は」
即 ち この 教 科 書 の 編 集 者 の 「そ の 主 権 を 回 収 しな けれ ば な らな い」 か ら は、
当 時 留 学 生 の 祖 国 救 済 との何 か使 命 感 の よ うな もの を感 じ る。
経 済 的 競 争 時 代 の 故 に 、編 集 者 は 、"経 済 上 の 勢 力 が あ るか 否 か"で 、 東 西 関 係 を位 置 つ け よ う と して 、 次 の よ うな言 葉 で 比 較 して い る。 編 集 者 に よ
る新 た な 論 の展 開 で あ る。
「約 して これ を論 ず る と、 未 開 国 と文 明 国 は 、 田舎 と都 会 の 関 係 の よ うで あ る。 田舎 の老 人 が 田舎 の 品物 を車 に一一杯 積 ん で 、 都 会 で それ を売 り、 売 っ た価 値 を もっ て 絹 布 に転 ず る に、 どれ 程 購 入 で き るだ ろ うか 。 この経 済 上 の 勢 力 の ゆ え に 、 田舎 が 都 会 に よ っ て 圧 倒 され る こ とは 、 ま た未 開 国 が 文 明 国
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に圧 倒 され る こ との よ うで あ る。 この 点 に、 私 は 注 意 せ ざ る を得 な い」 と。
こ こで の 「未 開 国 と文 明 国 は、 田 舎 と都 会 の 関 係 」 は、 ま さ に講 師 で あ る 牧 口 の影 響 を受 け て い る こ とが 判 る。 編 集 者 の 応 用 能 力 の 高 さ を感 じ る。
経 済 上 で の 、 東 西 の 主 従 関係 を認 識 した 上 で 、 次 に どの よ うに 「主 権 を 回 収 」 して い け ば よい か に言 及 して い る。
「浅 見 の者 は、 西 洋 人 を もっ て 東 洋 人 の 害 とな し、 これ を排 斥 し よ う と欲 す る。 そ れ で い い の だ ろ うか 。 吾 人 は まず 先 に 自 ら地 位 を審 らか に しよ う と 思 う。 現 在 東 洋 が 置 か れ て い る地 位 は、 手 足 の 労 働 の 地 位 で あ る。 西 洋 の置 か れ て い る地 位 は、 胃腸 の 安 楽 の 地 位 で あ る。 昔 ロー マ の 最 盛 期 に、 征 伐 が しば しば興 り、 苛 酷 に民 税 を徴 収 し、 富 豪 を 満 た す所 とな る。 郷 人 これ を苦 しみ 、 衆 議 して 納 め ず 。 あ る 日、 雄 弁 家 の 悉 西 呂 は郷 人 に対 して 演 説 して 言 うに は、 昔 あ る人 が 終 日手 足 の 労 働 を し、 そ れ に値 す る所 得 を得 るが 、 多 く は 胃腸 の安 楽 に よ り食 べ 尽 くされ た 。 ゆ え に そ の 手足 を休 ませ 、 胃 に食 を得 させ な い よ う に し、 後 に餓 死 させ よ う と計 っ た 。 これ は 即 ち東 洋 人 は手 足 の
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地 位 に居 るが 、 胃腸 の 安 食 を羨 む 必 要 が な い とい う こ とで あ る」 と。
こ こで も まず 冷 静 に、 「吾 人 は まず 先 に 自 ら地 位 を審 らか に しよ う と思 う」
と述 べ 本 講 義 編 集 の 命 題 を貫 い て い る。 そ して 歴 史 の 教 訓 か ら 「主 権 を 回 収 」 方 法 に言 及 して い るが 、 強 い責 任 感 す ら感 じ る。 編 集 者 は大 変 な博 学 で
『人生地 理学 』 と清 末 中国人 留 日学 生(高 橋)39
あ る。 更 に ま た 具 体 的 な 方 策 と して 進 化 論 を 提 起 し、 次 の よ う に述 べ て い る。
「で き る限 り進 化 を 求 めれ ば、 そ の地 位 は易 く(得 る こ とが で き)、 また 胃 腸 の 地 位 に満 足 す る こ とが で き るの で あ る。 しか し胃腸 とな る と同 時 に、 誰 か が 手 足 とな る こ とは、 ま た経 済 上 の一 大 問 題 で あ る。 しか し経 済 家 は 解 決
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す る に至 っ て い な い 」 と。
当 時 、 中 国 の 知 識 人 社 会 に お い て 、 特 に社 会 進 化 論 が 大 きな 影 響 を及 ぼ し て い た が 、 編 集 者 た ち も例 外 で は な か った 。 後 半 の 部 分 は、 現 代 の 国 際 社 会 に お い て も解 決 が 困難 な 問 題 で 、 こ の 問題 提 起 か ら も、 編 集 者 の講 義 習 熟 度 の高 さ が 判 る。
「主 権 の 回 収 」 に つ い て 、 編 集 者 は 経 済 的 勢 力 の 有 る無 しば か りに、 即 ち 物 質 文 明 の 高 低 ぼ か りに 目 を 向 けな い で 、 精 神 文 明 の高 揚 を主 張 して い る。
「文 明 に は物 質 と精 神 の 二 つ の 方 面 が あ る。 西 洋 の物 質 文 明 は、 果 た して 東 洋 に は及 ば な い。 しか し東 洋 の精 神 文 明 は、 古 時 の 中国 、 イ ン ドの如 く、
そ れ ら を文 明 の 開 祖 に 推 し上 げ た 。 また 西 洋 よ り遥 か に優 れ て い る点 が あ る。 も しそ の 固 有 の 文 明 を発 掘 す る こ とが 出来 る とな る と、(そ の 上 で)西 洋 の 物 質 文 明 を 採 用 す るの で あ る。 そ の 世 界 で 争 い 勝 つ こ とは 困 難 で は な
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い 」 と。
経 済 的 に圧 倒 され て い る現 況 を認 識 しなが ら も、 東 洋 の精 神 文 明 の復 興 に 大 き な期 待 を 抱 い て い る。 と同 時 に、 そ の点 に大 き な誇 りさ え感 じて い る よ
うに思 え る。
「主 権 の 回 収 」 に つ い て は、 更 に言 及 が 続 き、 次 の よ うな提 案 も して い る。
「欧 州 人 の 多 くは 開 明 で、 ア ジ ア人 は 半 開 明 で あ る とい うの は、 これ は世 界 の公 論 で あ る。 しか し これ は 欧 州 人 が 生 来 知 恵 が あ り、 ア ジ ア人 が 生 来 愚
か とい う こ とで は な い 。 これ は 欧 州 人 が 各 種 の 利 器 を発 明 す る こ とが で きた こ と と、 ア ジ ア人 が 古 い 道 に拘 泥 し、 改 良 を求 め て こ なか った こ とに よ る。
これ に よ り階級 の差 が あ るの で あ る。 今 日 ア ジ ア 人 は す で に古 き を変 え、 新 しき に従 う こ とが で きて い るの で 、後 日は必 ず ア ジ ア人 は 欧 州 人 を乗 り越 え
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追 い 越 す こ とが で き るの で あ る」 と。
こ こで は西 洋 の"各 種 の利 器"に 注 目 して い るが 、 前 述 提 起 の 東 洋 の 精 神 文 明 の優 越 性 との 関 連 で 考 え る と、 ま さ に 「中体 西 用 」 論 が そ の 背 景 に あ る
よ うに思 え る。 こ こに お い て も社 会 進 化 論 の影 響 を見 い だ せ る。 用 語 上 の 問 題 で 言 う と、 この部 分 だ け従 来 の 東 洋 、 西 洋 で は な く、 欧 州 、 ア ジ ア を使 っ て い るの で 、 少 し奇 異 な 感 じ を受 け る。
「世 界 で は野 蛮 、 未 開 、 半 開 、 開 明 の 階 級 が あ る ば か りで な く、0郷 民 の な か で も この 階 級 が あ る。 日本 が 東 洋 の 車 を 引 っ 張 っ て い る(リ ー ドして い る)が 如 くの よ うで 、 今 日お金 が あ っ て も これ を 蓄 え な いで 明 日の 計 り ご と とな す の は、 野 蛮 に 属 す る。 小 商 家 で 、 得 た と こ ろ の利 益 が あ っ て も、 家 族 を扶 養 で き な い の は 、 未 開 化 に属 す る。 しか しな が ら東 洋 ぼ か りで な く、 即 ち西 洋 各 国 の野 蛮 と未 開化 の 民 が 所 在 す る とこ ろの そ の 多 くは、 生 計 の 計 画 が 、 東 洋 に及 ぼ な い 、 これ は しか りで あ る。 これ は ま た 人 類 の 競 争 の故 に、
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優 勝 劣 敗 の い た す と こ ろ な り」 か ら は、 「後 日 は必 ず ア ジ ア人 は 欧 州 人 を乗 り越 え追 い 越 す こ とが で き るの で あ る」 と同様 の トー ンが 感 じ られ るが 、 彼 ら 自身 に対 す る鼓 舞 か も知 れ な い。 日本 との比 較 と とも に、 西 洋 列 強 に対 す る激 しい ライバ ル 意 識 や 敵 対 意 識 も読 み取 れ る。
『人 生地理 学』 と清末 中国人留 日学生(高 橋)41
6.む す び
江 蘇 師 範 生 が 編 集 した 教 科 書 『江 蘇 師 範 講 義 ・地 理 』 か ら は、 彼 らの様 々 な見 解 、 日本 観 、 世 界 観 、 中 国 を 取 り巻 く国 際 情 勢 へ の 理 解 等 が 読 み 取 れ る。 西 洋 列 強 へ の 憤 り、 新 興 日本 へ の 羨 望 ・興 味 と軽 蔑 、 祖 国 へ の不 満 と誇 り等 が 入 り混 ざ っ て い る。 留 学 先 日本 で の 世 論 の 動 向、 特 に 日露 戦 争 の動 向 や 経 緯 に敏 感 で あ る。 こ の よ う な 反 響 を も た ら し た 牧 口 の 「人 生 地 理 学 」
は、 単 な る地 理 学 書 で はな く、 世 界 情 勢 理 解 の為 の啓 発 書 で あ っ た とい っ て も過 言 で は な い 。
編 集 され た 内容 は 、 牧 口の 講 義 か ら大 き く啓 発 を 受 けて か らの も の で あ る こ とは言 う まで もな い が 、 そ の 内容 か らは編 集 者 の 学 問 的 レベ ル の 高 さ を痛 感 す る。 中 国 の歴 史 ・地 理 ・古 典 に対 して 、 極 め て博 学 で あ る し、 また応 用 力 或 い は展 開 す る能 力 が 高 い 。 牧 口学 説 の 中 国版 で は な いか と思 わ せ る部 分 も少 な くな い 。 更 に、 編 集 者 は祖 国 ・中 国 を 救 う とい う救 国 へ の使 命 感 、 責 任 感 の 強 い 留 学 生 で あ る こ とが判 る。
弘文 学 院 出 身者 が 、 在 学 中 の 講 義 ノ ー トを編 集 し出版 して、 帰 国後 に教 科 書 と して使 用 した こ と は、 よ く知 られ て い る。 そ の 内容 につ い て は、0般 的 に は講 師 の 講 義 内容 が 中 心 で あ るの で 、 あ ま り編 集 者 の追 加 部 分 まで 注 意 が 向 け られ て 来 な か った 。 今 回 の 『江 蘇 師範 講 義 ・地 理 』 の分 析 を通 し、 新 た に編 集 され た 部 分 に当 時 の留 学 生 の 意 識 態 度 が 、 刻 銘 に映 し出 され て い る こ
とが判 明 した 。今 後 この よ うな 手 法 も、 再 検 討 す る必 要 が あ ろ う。
日本 人 教 師 の 講 義 を 聞 き、 中 国 人 留 学 生 が ノ ー トを取 り、 編 集 し出版 した
『江 蘇 師範 講 義 ・地 理 』 の よ う な書 籍 は、 ま さ に 日 中 の 文 化 ・教 育 交 流 の 結 晶 と も言 え る。 か か る視 点 か ら も、 捉 え直 す こ とが 必 要 で あ ろ う。
(注)
(1)拙 著 「牧 口常 三 郎 著 『人 生 地 理 学 』中 国 語 版 に 関 す る一 考 察 」「創 価 教 育 研 究 」 創 刊 号2002年3月 、4〜Il頁 。
(2)江 蘇 師 範 生 『江 蘇 師範 講 義 地 理 第7編 』江 蘇 寧 属 学 務 処 江 蘇 蘇 属 学 務 処 光 緒32年4月 、3頁 。
(3)江 蘇 師 範 生 『前 掲 』3頁 。 (4)江 蘇 師 範 生 『前 掲 』59頁 。 (5)江 蘇 師 範 生 『前 掲 』42頁 。 (6)江 蘇 師範 生 『前 掲 』43頁 。 (7)江 蘇 師範 生 『前 掲 』43頁 。 (8)江 蘇 師範 生 『前 掲 』54頁 。 (9)江 蘇 師範 生 『前 掲 』54〜55頁 。 (10)江 蘇 師範 生 『前 掲 』73〜74頁 。 (ll)江 蘇 師 範 生 『前 掲 』58頁 。 (12)江 蘇 師 範 生 『前 掲 』59頁 。 (13)江 蘇 師範 生 『前 掲 』66頁 。 (14)江 蘇 師範 生 『前 掲 』72頁 。 (15)江 蘇 師範 生 『前 掲 』48頁 。 (16)江 蘇 師範 生 『前 掲 』67頁 。 (17)江 蘇 師範 生 『前 掲 』96頁 。
(18)江 蘇 師範 生 『前 掲 』106〜107頁 。 (19)江 蘇 師範 生 『前 掲 』106頁 。 (20)江 蘇 師範 生 『前 掲 』ll6頁 。 (21)江 蘇 師範 生 『前 掲 』72〜73頁 。 (22)江 蘇 師範 生 『前 掲 』73頁 。 (23)江 蘇 師範 生 『前 掲 』73頁 。 (24)江 蘇 師範 生 『前 掲 』73〜74頁 。 (25)江 蘇 師範 生 『前 掲 』74頁 。 (26)江 蘇 師範 生 『前 掲 』89頁 。 (27)江 蘇 師 範 生 『前 掲 』lI6頁 。