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家名 田 克 男

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(1)

ーユー   

成長経済史学における「非経済的要因」  

ロストク㌻経済成長の諸段階二簗ぺの諸批判を手がかりに二  

家名 田 克 男  

は し が き   

(1)  

私は,前々号並びに蘭号における2つの拙稿において,実証史学あるいぼ・そ   の延長上に展開されづつある成長経済史学の諸業績につき,その実証との連   関の下妃,そこに・おいて理論が果している機能に・関して,いささか論及する▲  

ところがあった。然るに,既に・前稿の末尾においても述べた如くプ1956年の   American EconomicAssociation の 69回大会の Economic Growth and   D帥elop血印t部会において:ほ.,経済成島紅関する報告が行われたが,そのう   ちで, Economic FactorsinEconomic Development と題する報告と並ん   で, Noneconomic Factorsin Economic Development という標題を持  

(2)  

つ報告がなされている。この1っの事実のみを以てしても,経済の成長・発展   において「■非経済的」・「社会的」要因の重要なことが知られるであろう。こ   のことほ,ウイリアム・ぺティやグレゴヅ−・キング以来の,経済そのものの量   的把握を,イギリス的伝統とすれば,正にすぐれてアメリカ的な傾向というこ  とが出来よ・う。  

翻って,ヨーロッパ・アメーリカの歴灸並び紅理論の世界において,近時大き   な反響をよび起したものに,ロストク(W.W.Rostow)著すところの『経済  

(B)  

成長の諸段階』がある。然るにこの本に関しては,「1っの非共産主義宣言」と  

(1)「ケインズ経済学と現代実証史学」,『卜香川大学経済論叢』第37巻2・3号;「成島経    済史学における理論と実証」同上,第37巻4号。従って本稿は現代欧米経済史学研究の  

(3)に当るわけである。  

(2)A∽β7・去−α川∴毘∽明の捌c見紺葎叫 VOl」ⅩLVII,1957,p28f 

(3)rゐ♂SJαgβSロメβc・の肌用扁cG7∂び玖】960,木村・久保・村上共訳 昭和36年。   

(2)

第37巻 第5号  

−・クl  

いう副題のためか,特に我が国においてほ,本来の歴史学乃至近代経済学の外   側で議論されることが多く,そのヨーー・ロッパ・アメ  リカの学問的脈絡のうち  検討されることは必ずしも多いとはいえない。またこの様な観点から論究きれ  

るこ.とがあっても,例.え.ば「■段階」という言葉からか,特にドイツ流の学風に   基く段階・類型論の立場から,しかも自己の抱懐する理論との連関に.おいて,  

こ1)  

問題にされることが多く,更に.はその外,日本経済の実証的研究を通じてロスト  

(5)  

ク理論の意義を画定しようとする爵墓な試みも見られる。しかし,こ  

な優れたものでありかつ示唆に.富むものでほあるが,なおやや特殊な観点より   するものというべきではないであろうか。   

私ほ,以下先ず,この『諸段階』に.対する彼の地匿おける諸批判の検討を   じて,−・方において『諸段階』の本来的性格の究明に志すとともに,他方に   いてそれらの批判を通じて自ら明らか紅なる経済成長の「非経済的要因」に   関して若干の言及を行うことによって−,先の2つの拙稿との連関のもとに,  

「非経済的要因」の1っの成長経済史的意義を論定したいと思うのである0    とこ.ろで,ロストクの『諸段階』に対してほ.,種々の観点から批判がなさ   ているわけであるが,本稿においては,最も本質的と考えられる「経済成長   ないし成長経済史学よりサる批判」と「アメ.リカ社会学の立場からの批判」  

の 方法』,昭和3   棚 板垣与血「ロストウn■経済成長段階』批判の問題点」,『政漁経済学   

年新版,436ぺ一首以下;酒井正三部「経済成長の段階論的考察」,機長理論と構造至  

._ ▲   【1.,〈   17 J t  

_      論』,昭和38年,85ぺ一汐以下。なお,酒井氏の場合ほ,板垣氏の場合と異なり・アメ  

ヵ社会学とくにパ−・ソンズ社会学に関する尤大な研究蓄煩がある。例え漉「経済発   の社会学的モデル」,前掲章,175ぺ−汐以下;『社会科学一般理融,昭和37年参照。▲  

かし,氏の立場ほやはり,マノ、ルブ(F.Macblup)が駄sα.γ.SのZ月山扁の扇=如励坤  

follower of theGermanHistorica  

(1963)のp74で言っている言責を用いれば  

scbool,のそれであろう。勿論ドイツ風の類型学とアメリカ社会学とは色々な意味で盛   り合う面が多いが,この両者の轄び付き紅ついては,我々後学の場合・今少しの留保と  

学なりの攻究を必要とするのではあるまいか。この点は,B)Knall, Wi摘Cbafts?   

sdhliessungund Entwicklungsstufen−Rostows Wirtschaftsstufentheorie   dieTypologievonEntwicklungsl紬dern WeltwirY・tSChajilicheSArchiv,  

(1962Ⅰ),Ss.184−258、についても同様であろう。  

(5)板垣,前掲苔,440ぺ−ジ以下参照。なお,同氏の前掲論文に集録された,ロスト  

『諸段階』に関する,批判を含めての研究論文のリスは貴重であり,筆者も本科を  

る紅当り大きな便宜を得たことを言っておきたい。   

OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ

(3)

成長経済史学に.おける「非経済的要因」   ー− 3 −   絞り上げることとしたい。  

Ⅰ   

経済成長論ないし成長経済史学よりする′批判。この場合とり敢えずとりあげ  

(6)  (7)  

られるのは,ケアンクロス(A・K・Cairncross),ハバカック(H・J・Habakkuk)  

(8)  

してクズネッツ(S.Kuznets)のそれであろう。  

先ずケアンクロスの所論を見てみよ・う。彼は冒頭において,この『諸段階』  

アニミ.ズムから神話になったようなもので,それ自身1っの進歩でほある   依然として事実に合わない点は同じであるとの意味を述べ,卑くも点の辛   を示している。欝1に彼に.よれば,ロストクは景気変動論の方法を全経済運   の説明に.とり入れようとして・,各段階における「諸変数の共働」の去デルを   ろうとしたノが,結局大した成果を_上げることが出来なかった。何となれほ,  

ご気変動論の場合は,「経済理論のもたらす諸仮説ほ,経済変動の循環的性格に   係のない多数の他の変数が個々の循環において蚤要な蒋離をひき起すという   ィとを充分認識した上で,変数の予想される動きと現実の動きの間を比較する  

\〈9) とに.よってテストされる」。然るに「全経済の動きを説明する場合ほ,かかる  

分割ほ不可能である。即ち変数ほ必ずしも経済的なものではないし,また或る   数は或る特定の状況でほ重要であっても,状勢が発展するにつれて,どめ変数   ミ大なる壷要性をとるであろうか,前以て:言うことは出来な/いのである。更に.ロ   ストクは経済成長の相つぐ段階の諸特徴のあるものに関心を寄せてはいるが,  

気循環の理論家が案出するよう迫られるが如き,それぞれの段階の変数の共  

(10)  

臥モデルを押し出すことはしていないのである」が放である。換言すれば,段  

) The Stages of Economic Growth ,Essaysin Bibliography and Criticism   XLV.,点cの肌用扇七」行わ励のγ風紺葎勘 VOl−XIII,No‖3,1961,pp.450Ⅶ458.  

) The Stageq.of Economic Growthl,A non−COmmunist manifesto小 By W..Wu  

Rostow. Reviews,EconomicJouYnal,VOl,LXXI,No283,1961,pP 601M604 

) NoteontheTake・Off ,Rostowed・・7heEco?Omicsof Take・OffintoSusi−  

ぬ那d G肌W摘,1963,pp…22¶43一・なお,この外,GOhlinの批判は披見し得なかっ   た。  

9),(10)Cai工nCrOSS,OPci t.,P.451   

(4)

第37巻 第5号  

− 4 −   634  

階から段階への発展における内的論理(inneIlogic)を示すことほ出来ず,そ  れは景気変動が認識されるに至る場合の蓋礎になる洞察力と共通なト十連の滞   納的一叔化」に・過ぎない,戎いほ歴史への段階的アプロ−チの大きな弱点の1   つは,「次にイ可が起るか」(What comes next?)という問題を提示しはするが,  

それに対して答えることが出来ないということにあるが,ワストウの『諸段削   もこの例に洩れない,ともこの批判者は嘩べている。   

次に,ケアンクロスは細かい実証的批判に入る。先ず第1に宙諸段階』におけ   る統計が不備であること,1913年以前の全ての国における実質賃錬の大筋と   畜率の動向についてほ.大いに論議のあるところである。第2にに.ほ,「どの   つの段階においても,個々の経験ほ標準的なパタ−ンから帝離しているもの  ある。しかし壷要な点ほ,1っのパタ−ンがあり,そのパタニンは定められた   ストに・よってそれぞれ証明出来る様な不変の諸特牲によって定義され得るも   である,ということである。とこ.ろがロストクの段階はこういったもので喀  

も のと近代的工業覆   い,とケアンクロスほ.いい,「■ロストウが伝統的社会と呼ぶ   

会と呼ぶものとの間に存在する差違は認識出来るかも知れないし,社会の.或  

乃至他のタイプを証明するための分析的基礎を規定することは出来るかも知   ない。しかし,ロストウが主張しているその中間的段階,或い  

その中へ動きつつありといわれる高度大衆消費段階を我々は何と理解すべき  

(11) あるのか。」とケアンクロスほいう。そして,特に疑問の多いのは届慶大  

費時代であり,例えばこの段階では,「対外鱒な勢力と影響力を国家的粧   するこ.と」と「福祉国家」と「消費水準の増大」(高度大衆消費)の3つ   択が行われるとされるが,「もし選択が自由であるなら,選択が高度大郷   に当るとほ限らない。その場合,これは決して到達することのない1段  

(12)  

るのか。」とケアンクロスほ皮肉っている。   

ところで,ロストクの諸段階のうちで最も刺戟的であったのは,飛廊  

(川.乃柑リp・453ゴチほ家名朋。  

(1訝 ∫み叫,p454   

OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ

(5)

成長経済史学における「非経済的要因.」   …・5 −−  

ると,考えられるが,ケアンクロスによれば,経済学老や歴史家達はこれに  

オして余り好意的でなく,また事実,ロストウがイギリスの場合,その綿業の   向を以て飛躍段階を論じているに.も拘らず,綿業の意義・比重は極めて低い   とがディqpン(Ph.Deane)等によって指摘されていることは,既に飛躍と  

、う非運続的性格をもつ概念の無為なことを現している,と論ぜられている。  

様に,対外事情による市場機会の突然の変化と政府の政策といったものほ,  

ストウによって,飛躍をひき起す刺戟とされているが,−・方農業の改良から   果する市場機会や社会的間接資本の形成に.向けられる政府の施策ほ先行条件   段階へ帰属せしめられている。とすれば,飛躍をひき起す刺戟と先行条件段階   轟くにすぎない刺戟とほ何によってl哀別されるのであるのか,とケアンクロ   は言っている。襲するに,農業の拡大成長は,おそかれほやかれ,工業化の   期に引続いて起り,社会的間接資本ほ工業化が進行するにつれて以前より必   となるのだ,とケアンクロスほ指摘している。  

ところで,ロストクほ飛躍のための条件として8っあげているが,その第1   の生産投資率については,彼が飛躍としている時期については,貯蓄率にも投  

率にも大きな変化が見られず,概ね漸次的な増大であり,従って歴史的根拠   ミない。次に∴第2の条件としてほ,製造業における主導的な諸セクター・の発生   emergence)があげられているが,これは後述する様に.彼の強調するところ  

あり, an為Iytic bone−StruCture であるとされる。そしてロストクは,そ   に当るものとして綿業・自動車工業その他鉄道・鉄鋼業・電気工業等をあげ   いるが,上述のイギリス綿業に見る如く,主導部門は必ずしも1つの経済に   ける生産性の成島を支配するものではない,とケアンクロスはいう。そして  致に・,第3の条件としてほ,「成島に前進的性格を与え.るような政治的・社   的・制度的な枠紳が既に存在しているか,或いは急速紅出現しつつあるこ   と」がロストウによって主張されているが,先行条件期の場合転も同様のこと  

述べられており,それがどう異っているのか,とケアンクロスは述べ,これ   事実上何も物語っていない,と嘆息している。  

以上の如く,ケアンクロスは可成り否定的な批判を加えた後,例えほ「技捕革   

(6)

ー 6 −−l   解37幾 筋5号  

新(technologicalinnovation)紅比べたぼあいの,外国貿易と市場の拡大   役割−」や「■人口の役割.」更に「ユ美的乃至医学的たるを問わず,技術的変革   人口の関像」,「生活水準」や「急速な資本蓄積との関係に.おける夷質賃金の   錮(setback)そしてまたrinnovator」の状況等は一億とうなんだ,と論   て,最後紅「上の本においてほ.,彼(ロストク)はミューズの女神をプロクノ  

(1:ミ1  

ステースの寝床に横たえさせた様紅見えるのである。」という痛烈な文章を   てその批判を終えてし、る。  

次にノ\バカックの批判を見よう。彼は先ず「その本は1つの段階が次の段   へ如何紅進むか紅関する或る観念を含むが,しかしこの観念は正当紅生産理   として威厳づけられ得る様なものにほまとまっていない。この労作は本質的   き  

(14) は 区分における1っの試み(anessayinclassification) である。」とこ  

べる。そして,ハバカックは,多くの人々が伝統的社会と大衆消費時代とは   易に認めるけれども,3つの中間的段階に就てほ必ずしも明らかでなく,また  

くとも事実の問題としては,「私は,ヨ・−ロッパの経験がこのパタ丁・ンに合  

(15)  

するとは信じ得ない十ということだけほいうことが出来る。」という。   

次に先行条件期についてほ,ハバカックほいくつかゐ難点があるとレて   る。即ち「イングランドに・おい七ほ.運輸と農業に.おける主要な変化ほ,加速  

むしろその時期の汚   的成畏(accelerated革rowth)の時期の以前というより,   

に起った。ロシアにおいては,飛躍が始まった後の時期において−,これに関連   る農業の発達がおくれて起ったし,中国紅おいては,ロストクが飛躍の時期  した時期の中頃紅おいて農業の発達が起きていた。多くの場合,虚業の産出  の増加と社会的間接資本の創造ほ.,それが早期紅存在することが成長の加速   説明する様な諸条件でほない。それ等ほ,加速の1部なのであって,  

(1t;)  

要とするものである。」と。   

更に・「一社会が広汎な近代的技術(その当時における)を大豊の資源  

(13)J勃d.,p.458.  

(14),u5)Habakkuk,OP.cii.,p,601  

(16),(17:J凝■んp.602.   

OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ

(7)

成長経済史学紅おける「非経済的要因」   … 7 −   用し得た時期」とされている「成熟へ前進.」の段階については,ハバカックに  れば,これは不正確な表現ではあるが,大雑把にいえほ判らないことほない。  

し,例えば「−一般法則としては,成熟への前進は,大衆消費時代の前に起りそ   てこれに至るのであるのに,カナダやオーストラリアは,成熟に達する前に,  

衆消費段階に・達していたのである。これ程まで鬼面人を驚かす必要のある  

(17) 臍ほ果して価値あるものなのであろうか。」と極論してこいる。  

次匿戦争の問題について,ロストクは,例えば1864,66ク70年のビスマルク   戦争,日露戦争,フランス革命の戦争を一偏して,先行条件期のダイナ■ミッ   スから発生していると言っているが,ハバカックによれば,このうち2っほ  躍の時期の中頃に現われている,と論ぜられて,これまた事実に基いて−批判   れている。  

最後にハバカックはイ成程多くの場合,ロ・ストク教授ほ・,自分が1つの厳密な   展のバタ・−・ンを叙述しつつあるのではないということを,苦労して説明しな   ればならなかった。併し彼の留保のどれを以てしても,マルクスにおいてほ 

○ロレタ.リア−・トの勝利がそうである様に,飛躍の後ほ−・般的な大衆消鄭寺代  

(18) 到来は不可避であるという印衆を散らすことはなかった。一」と述べ,例えば,  

ストクによって,トルコほ1937年が大体の飛躍の年とされているが,「約4   め1世紀を経ても,トルコは規則的成長への過渡をなしつつあるかどうか,  

(19)  

およく調べなくてほならない」と注に・おいて述べられていることは,歴史が   線進行的でないことを自ら示しているのであって,この点においても,ロスト   クの立論にほ批判さるべきものがあることを,ハバカックは指摘している。  

要するに,甲ストウの議論のうちには,優れているものがあることはある   ミ,・それほ段階論と関係なく,またこの段階論もマルクスのそれに・比べれば遥   ゝにmisleadlingではないけれども,「検証ほe:.の(ロストクの)vステム   ミ過去をより判り易くし,また未来をよりよく予示するこ・とが出来るものとす   るかどうかということ(に関するもの)である。ロストウ教授のシゴーマは,  

凱(1功」竹は.,p603,   

(8)

⊥.β・→   軍37巻 第5号   638  

(20)  

私の見解に・よれほ,何れをなすに.も鼠功していない。」と結論している。   

最後紅最も本格的なクズネッツの批判を見てみよう。クズネッツの批判の滞   1は,飛躍の間における投資率と国民総生産の急激な上層が果してあったかと   いう疑問である。即ら,多くの国々の飛躍の初期においてほ,その純資本形成   率,特に国内のそれは「5%乃至それ以下」より実質的に二.(substantially)高   い。また「飛躍とされる2,30年における純国内資本形成比率がその始めの大  

(21) きさの2倍に近づくとすらいう様なケースはなかった」。更にほ,限界国内(国  

民)資本・産出比率が3.5対1であるという想定を支持する証拠がない。草す   る紅「利用可能の証拠はロストク教授の示唆の数々に何の支持も与えて:いない  

(22)  

ということを緒論することだけほ出来る。」とクズネッツほ論ずる。   

次に第2の批判としては,「 先行条件段階 と 飛躍の段階 の区別が明瞭で  

(23)  

ない」ということがあげられている。ここ.でクズネッツほ「■特に 一腰的    伝統的社会において貯蓄とl人当りの食糧をより多く供給する農業生産性にお   ける大きな変化が,離農人口の′ための雇傭を与えるはかりでなく,より高い儲   業生産性の為軋要求され,そして利益を得た人々によって要求される,消費財やノ   生産財を供給する様な,工業そのものの他の部門の急激な発達がなくて,如何  

に成し遂げられ得るのか判らない。そしてまた社会的間接資本投資の増大と関  

(24)  

係ある生産関係も同様な相伴う効果を与えるべきものである。」と言っている   また『蘭段階』の4章「飛躍」のところで述べられている所得の問題はその∂  

茸「先行条件」期においても同様の関係がある。要する粧「既に..こ.の虚業   変化も,この間接資本投資も,近代的な経済成長の1部(partlandparceI)な  

(2a Zbid.,P..604。なお予言ゐ問題については,SりGCheckland, TheoriesofEcon    micandSocialEvolution:theRostowChal1enge,=ScotishJournalofPoliiic    助兜0∽.γ,VOlⅤⅠⅠ,No3,1960,pp・169−193のⅠⅤ紅おいて論ぜられている。因   

紅,この論文はやや歴史哲学的な立場から論ぜられており,本論文のうちに・おいては   放することは出来ないが,西欧の歴史理論の流れを問題紅する別簡の機会紅論及さる   

きものである。  

釦 Ⅹuznets,♂♪ cよ才L・,p3ま   1221J∂∠−d.,p、35  

(23)J∂摘.,ppけ35−36  錮」怖れpp 36−37   

OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ

(9)

成長経済史学紅おける「非経済的要因」   − 9 −   

(25)  

である」とクズネッツはいう。   

第3番目にロストクほ,「先行条件」を考察する際,伝統的社会のうちから   生まれる−・般的事例の外紅,「■自由なものとして生まれた」(bornfree)ケ一   戸があるこ・とを指摘して,両者を劇応区別して小るが,クズネッツによれば,  

ただそれのみに止っでいる。 

々の経済成長は,近代 工業システム の普通の前提と歴史的なhe工itageの様   々な複合(complex)とを結びつける過程である。従って結合のパラメータ−  

,その特別な歴史的heritage,近代的成長への突入時期,更に,は他の国々,  

轡匠既に・発達して小る国々との関係によって,1つ1っ国によって多分異るの   である。近代的経済成長過程の本来の分析は,従ってロストク教授によっても   たらされたものよりも,ほるかに意味の広い 伝統主義 (或いは外の言葉を用  

(26) いれば未開発)の類型学を必要とするのである。」と批判されている。   

第4の批判としては,「飛躍に続く段階におし1て起ると考えられる 規則的    成長はやや混乱している。もし飛躍の終りに達せられる1人当りのより高   い水準に関するものであるのなら,この高水準ほ貯蓄と資本蓄積のより高い水   準を許し,更に今度は,これ等が成長のより高い水準を許すのであるから(限   界資本産出比率ほ.−・定と仮定して),それほ多分飛躍段階の初期に起るであろ  

′ うが,1たび1人当りの所得の重大な増加が起れば,同じ様なメカニズムが飛  

(段階)の間に・起る,と人は論ずることが出来る。もし話が好都合な社会諸   制度の存在に及ぶの.なら,飛躍段階の大部分を通じて−,こ.れは.また存在したに 

(27)  

違いない。」とクズネッツほ述べ,更に制度的変化は漸次的である,そしても   し飛躍の間,或いほそれ以前において継続して改善されたのなら,成長率に対   する効果ほ継続的であったろう,従って「所得の増加と制度的改善とがあった  

ゝらに・は,飛躍段階の終りまで 自生的 (Self−SuStained)でなくて,次の後継   段階の問に・おいてのみその特性を経済成長は獲得するという示唆,を受け容れ  

鮎トナ加d.,p‖37 

)J∂よd.,p38;VglりKnall,ααり0.,Sl238ff      ′  

紬(28JJ∂摘.,p39 

(10)

顔37巻 第5号  

ーーJひ −   640  

(28)  

ることは難しい。_はクズネッツは論じている。そして最後に.,或る意壌で経済成   長は「自生的」(self・・StlStained)であるとともにまた「自限的」(Self・,ユimit・  

ing)である。換言すれほ「過程は.,常に.或る白限的効果を生むから,決して   純粋紅白生的であることは出来ない。この意味において,経済成長ほ常に1っ∵  

の戦いであるoそして安易な自動性(automacity)の印象や高い経済水準へ?  

(29)  

自生的飛躍に高まる陶酔感をもたらすことほ,人をあざむくものである。.」と   批判を結んでいる。   

以上の様なきびしい批判,特にクズネッツのそれ紅対して−ほ,ロストクが反  

(30)  

批判を行うととも紅自己の理論を判り易く説明している。   

彼によれば,クズネッツの第1の批判点ほ.飛躍期に.おける投資率と国民総生   産の急激な上昇に就でであるが,これは.「必要ではあるが十分でほない条件.」  

であり,このテーゼのポイントは「人口増加と資本産出比率のノ−マルな範囲   内で,1人当りの国展生産の旦常紅して実質的な増加は約1e%の純投資を必要  

(31)  

とする」ということである,とロストクはいう。ロストクによれば,この投資   率の上昇ほ.,急速工業化の部門における利潤の再投資,都市化(と多分1人当り   の所得の上昇)の激化,そして−以上2つを強める社会的間接資本を動員する政   府の役割によって行われるとされるのであるが,イギリス。ドイツ・スウェー  

デソ及び日本の≠一夕を含む歴史的データとは−傲する,という,またこれ等の  

データは,「−投資率は飛躍の間上昇する。そしてその上昇の程度は,特殊な要   因とくに社会的間接資本の必要規模にともなって変化する。しかし投潜率の上  

(32) 昇は飛躍のための唯一・の適切な基準ではない。」というロストクの見解と一億  

する,としている。更にロストクは,クズネッツの議論の背景には経済成長嘩   程を。ggregateなものとして捉えるやり方があるが,この考え方に.は不賛成   であり,「近代経済成長は本来部門的(sectorial)な過程である。それほ近代  

紀頸 ′∂よ d.,p.40  

130JRostow, 1ntroduction and Epilogue ,Rostowed.,Economicrs・,Pp 

(31)′∂摘.,p..XV  

(32)′∂査−d.,pp.XV叫ⅩVi   

OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ

(11)

成長経済史学における「 非経済的要因」   ーー」リ ー・・  

技術が供給出来る生産関数の漸次的伝播に根拠を置いている。∴私は勿論   的なものを捨てないであろう。しかし成長分析を集討的なものに.限るの  

しSJ.1 ,長手袋をしてピアノを弾くことである。.」と反批判している。  

次に,先行条件期と飛躍期との明確な区別はないというクズネッツの第2の   比判についてほ.,ロストウはこ∈・でも自分の方法ほ部門分析である所以を強調  

つつ,自分の方法が批判者クズネッツ自身の曽ての見解の発展である旨を述   べる。即ち「或る国民的システムの中で諸産業を観察する時,我々ほ発展にお  

(Sl)  

る主導が1っの部門から他の部門へ移動するのが判る。」というクズネッツ   文章をひきながら,この考えと今問題となっている2つの時期の区分とを結   つけなければならないとして−,取敢えず「ある特定先導部門における成長の   大率の時期」を問題とす・る。彼ほ,「第1紅,新工業ゐ成長最大率ほ,飛躍分   析の鍵である波及効果をひき起すに・充分な程そ・の規模が大きくない時期軋起り  

(S5) うである。欝2紅は,波及効果それ自身ほ,特に私が側面(1ateIal)効果と  

(36)   (37)  

前方効果と呼ぶものは,統計的厳密さを以て後づけること鱒不可能である」が,  

及効果は主導部門に.とって鍵に.なるもので,「18世紀の最後の20年における   ギリス綿生産に.よっで直接間接に惹起された高まり,或いは南北戦争前の紬   周におけるアメタカの鉄道の勃興によりひき起された工兼成長は,綿や鉄道   の統計のみを見ることによってほ評価され得ない。/現在の知識の状態では,  

何時飛躍が起ったかの測定ほ,全ゆる利用可能な統計的データの使用を必要と  

するが,撃なる統計的作巣ではあり得ない。人は,経済の金運動を検討して,  

脚」仙d‖,pⅩVi   錮 Cit…,J∂よd ,p‖ⅩViii  

5)これに関してほ,Rostow, Leading Sectors and the Take−OfP,,Rostow ed.,  

β∝用相関ムぶ,pp1−21のうちpp−・5−6紅かけて述べられている。つまり,主導部   門がその周囲に広い面紅わたって.工業化の過程を強める様な色々な変化をもたらすこ  

と,をいう。  

6)これに.関しても,よ揖♂‖,p小6紅述べられている。つまり,近代的な工業活動が,他の   エ兼に対する投入物の費用を切下げたり,或いは新しい生産物や用役を供給したり,或   いほ院旛をつ くって新しい有利な企業者活動を触発すること紅よって,新工業が起され   る環境を造出する,という事実を指す。  

(37),(渦 ′∂査d.,p.XIX   

(12)

第37巻 第5号  

ー・J2 − 

それが主導部門から出た潜在的(potential)波及効果紅活発に対応しつつあ   というところで満足すべきである。飛躍がいつま−でさかのほり得るかについ  

(38)  

の正しい議論に1っの限界があるというのは,この事突から来ている。」と述   て,逆にこのクズネッツの境界のあいまいさに関する議論に連関して,2つの事   例を,ロストクは提起するのである。その第1ほ,例えばナ・ボレオン戦争中のア  

メリカにおける如き, 規則的成長 紅ならないで流産した工菓勃興のグー   ついでであるが,「それ紅続く停滞乃至退歩の時期ほこの様な場合に.おいては  

(39)  

明確で大きな困難を提示しない。一」つまり,後に続く時期が停滞の時期である   からには,これが飛躍段階に属するわけはなく,先行条件期であることは明瞭   である,従ってこの2こっの段階の違いははっきりしている,とロストウはいうの   であろう。次に「イギリスにおいてはアメニリカとの戦争の時期が問題を容易に   する。即ち,非常な工業的激動にも拘らず,1770年代を飛躍に.含めることに  

して根拠がない。しかし,アメリカにおける1830年代,ドイツに関する1840年   代, スウェーデソ浸関する1860年侭ロシアに・関する1880年代紅つシ、てはどう  

l・汀=  

であろうか。」とロストウほ述べ,「■私ほ,これ等先行条件期における主導諸部門   の規模と波及効果の程度は全体として(onbalance)飛躍期に包含されるの  

を正しいとしないこと,そしててれ等の期間に.おける経済を支配する諸活動憾   先ず飛躍よりも寧ろ先行条件過程の非工業的な典型的なものであったことを結   論した。しかし,私はそれぞれのケ−スに対‥する我々の評価を最終的乃至反論  

(41)  

を超越するものと見なしてほいない。」と述べて,これ等ほケ・⊥ス・バイ・.グ   スに検討出来,しかも扱い易い問題であると述べて−いる。   

第8の問題ほ,ロストウが,飛躍並びに先行条件期の分析紅際して,beritv・  

age,timing,後進性その他の諸要素を無視している,となすクズネッツの諭   点に・対するものである。「もし無視ということが,これ等(の諸要因)を考え,  

こ.れ等に言及しそしてある予備的な観察をすることが出来ないということを∃  

(42) 味するのならば,私が無視したということに.賛成しない」が,「それ等先行条  

(39),(40),(41)J勃d・・,p,XX 

 ̄ ¢払(43),(瑚J勃dリ,pⅩⅩiゴチ腰衣名田。   

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(13)

成長経済史学におけるF非経済的要因」   ーーJ、;−−  

件期の中心的経済問題は,それより前の経済史,人口と資源のバランスその他   よって,、各国民の間に.おいて,いろいろな形で現れるのであろ。しかし,も   レ国民的経験の体系的な相互・比較をしようとするならば,先行条件期の厳密な  

(43)  

経済学が我々に・大きな困難を提示するであろう,とは私は信じない。」と述べ   で,クズネッツのいう如き単に・歴史的相違ばかりが決定的であるというのでな   く,それ等を通ずる共通性というものが必ず析出出来る,というのであるが,  

経済以外の非経済的問題については,ロストクは「先行条件過程の分析におけ  

(44) る大きな挑戦ほ非経済的傾城にある0」と述べ,しかもクズネッツの色々な示  

唆には賛成し,またなすべきこと′が多々あることをロストウは認めて小る0    更にロストクは償4の規則的成長の存在に㈲するクズネッツの疑義に答えて   いる。ロストク自身も自分の論文を引用することに依って答えており,かつ全  

以下若干の引用をしたい。「飛躍の   体の論旨にとっても重要と思われるので,   

後,成長はどの程度まで真に自動的であるのか。或る意味で,成長が自動的で   ないのは,減衰の事実から直接来て−いるのである。もし,この見解に基いて,  

社会が成長の高い平均率を続けるとすれば,社会ほ減衰に・対する絶えざる戦い   に従わなければならない。何故なら,近代的科学と技術とがリカードウ的収穫   逓減を無限に排除する(femd of引 可能性を提供するかも知れない鵬・方,こ   の可餞性を開発せんことを願う社会は古い主導的部門が減衰するにつれて,新   しい生産関数を実際に導入するのに創造的な労苦をくりかえさなければならな   いからである。そして,妄れは潜在的な波及効果を開発する能力を力強く示す  

(45)  

に違いない。」と。また「■規則的成長の−−それほlogisticであっても一−−内的  

(46)  

機構について,自動的な或いぼ易々たるものは何もない。.」とか「或る意味にお   いて,現在の歴史的証拠に基いては,飛躍にとって必要なより大きな心理的・  

社会的・技術的そして制度的変革といったものは,我々が兵の逆行を見るとい   うことをあり得べからざることと.なす様な類いのものである,と言うことが正  

(47)  

しい様に見える。」とかいう文章が示されている。  

(45),(46),(媚」肋du,p、ⅩⅩiiゴチほ家名田。   

(14)

l  

】  

第37巻 欝5号   

∬−ユ4−−  

最後に,クズネッツの,「飛躍」軋代えるに「初期近代成長段階」を以てせよ   という批判に・対して,ロストクは集計鼻のデータに.基く限りこの議論に.到達す   るのは充分理解出来る。また所謂歴史を a seemless web,と考えるやり方に   ついても,ロストクの頭脳や学問的訓練からすれは全く同感出来る面がある∈ 

とをロストウはいう。そして飛躍に.関する限り,当然近代社会と伝統的社会の   区別が問題となり,この点でほ.クズネッツとロストクは一激する,とロストグ   はいう。更に・次の様にいう。「■伝統的諸社会の歴史【さ,生産関数におきた重大   な変化のケースを含めて,成長の多くのケースを我々に提供する。(そこで)  

欠けているものは,多かれ少かれ,リカードウ的収穫逓減と人々のマルサス的   性向を打破することの出来る規模の技術革新の規則正しい流れである。成辱と   は何かについて のこの見解に基いて,飛躍は集計畳と諸部門を超えた特別な意  

(48ノ  

味を持っている。」と,この飛躍の大きな意味を論定した上で,ロストクほい   う。「クズネッツ教授と私の位置の間の対位法の形成すする基本問題はこれで   ある。即ち,我々は如何にして集計的分析を部門分析に.結びつけるであろう   か。・或る意味で,我々の課題はフクズネッツ教授の初期と後期との漠頒や   察を秩序づけることである。後期のクズネッツは,令名高い統計の厳正な世界  

ら,近代科学と技術の地球表面への拡散に対する大きな質的な見方へと動い  

(49)  

うちにあるム」  

いる。成長過程の真髄は,諸部門の間に,それ等の織りなす生活の   と述べて,反批判を結んでいる。   

以上の様なロストクの議論が,クズネッツに対して,更にほその他の人々   よる批判に対してとの程度説得的であり得たかほ疑問であり,その反批判の  

っの柱である部門分析が未だ充分な実証的成果を生んでいるとほ思われない   在においては,特紅そうである。   

然し,もう1っの少くとも「飛躍」の概念を導入せざるを得なかっ牢,伝   的社会と近代社会との関係をめぐるロストクの理論は最も重要であり,かっ   分説得的であろうと思われる。との議論が,既に前々号及び前号の拙稿匿嚢ル、  

(48)∫∂掃.,p.XXiii・ゴチ・は家名田。  

舶)∫∂揖.,pルⅩⅩiii一ⅩⅩiV.   

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(15)

成長経済史学における「非経済的要因」   − ヱ5 −−  

た如く,ロストク・クズネッツを含めての成長経済史学とポスタソ等を主   する中世経済史学との連関を明示していることは,現代実証史学の論理と  

との関係を示す意味で極めて重要であるからである。換言すれば,人口圧  

・∴(結局有効需要につながる)を事実上つき抜け或いはつき抜ける可能性をも   ことが出来るに雇った18世紀以後と人口圧力の前に潜局屈服せざるを得なか   たそれ以前の経済史が,様相・形態は異なるが,ほぼ一潰した論理で説明し   られることをロストウが明快牲説いている事実は・もっと注目されてよいこと   はないだろうか。つまり,近代経済学の知識の極めて乏しい私の素人考えを敢   で言う厚廟を許されるならば,ポスタンの中世史学の基本モデルは,前々号   室張した通り,ケインズの理論において人口が圧倒的役割を演じている場合   それであり,−∵・方成長経済史学の場合は,例えばロストクが飛躍のための条   牛の欝1として(生産的)投資率に・言及する時,先ず少くとも資本/産出高比  

と連関させて議論していることほ,明らかにノ\ロッド・ド−マ′−モデルの線   東灘してい芦ことをしめしている。しかも,ケインズ理敵将に・その「人口  

退の若干の経済的帰結」とハロッド・ド・−マ・−・モデルの関係性前号に・述べた   ロく,密接である。とすればポスタソの中世史学と成長経済史学との論理的  

く50)  

在的関係は一眉していると考えてよいのではないかと思えるのである。され  

,たとえロストウの段階諭そのものほ上述の如く苛烈な批判の前に立たされ   ており,事実なお,論理的紅も実証的にも問題が多い 

ないが,伝統的社会と,先行条件期を挟んでの,飛躍段階との連続性と断続性   問題に関する限りほ,1部の評者も認める如く,高く評価さるべきであって,  

十分説塵的な形で,実証史学や成長経済史学の背後にある論理の意味を明快に   してくれただけでも,こ一の点に関してほと.くに.知ることの少かった我が国   の研究家・読者に.とって,極めて大きな収穫であるといわなければならない。  

βα ロ ストウほ次の様に・も述べて.いる。「近代経済学者は,古典的生産翠論をケインズの    所得分析と合体しようとして,人口・工学技術・企業家精神・その他の動学変数を導入   

した。」,5≠αgg」ざ小,pト13,前掲邦訳19ぺ−汐。なあ 南亮遊,「ケインズ学派の人口論」,   

南亮三郎編『人口論史』,1960年,128ぺ−ジ以下を参照。   

(16)

第37巻 第5号  

ーh jβ−   646 ノ  

ⅠⅠ  

アメリカ社会学の立場からの批判。これに属するものとしてほ,ロストクと   しご・り   同t;lマナf・lユ・−セッツ工科大学のへl−ザン(E.E.Hagen)のそれがある。へ−  

デンの批判ほ.今までの評者のそれの如く苛烈なものでは.ない。即ち,彼ほ「■ロ   ストクの諸概念を分析するに.際して∴私は,それ等が現実の持つ複雑性のいくつ   かを無視したかどうかということでほなくて,現実の分析にと9てそれ等を   用ならしめる諸点において,それ等が現実に、適合して−いるかどうか,を討究す  

(52)  

であろう。」という。   

ところで,「段階継起の概念は,おのおの段階が次の段階へ導く変遷を起   こととなこる1殖の経験的に検証可能な諸性質によって,特徴づけられる場合   のみ,役立つ。  1っ1っの性質ほ複数の段階に存在するかも知れないが,  

1っの段階を特徴づける諸性質の組合せはその段階特有のものでなければな   ない。さもないと,1っの段階ほ他のいぐつか中段階と区別がつかない。  

1っのモデルは,たとい,おのおぁの段階を特徴づける諸性質が,モデル構   の際,測定可能でなくても役立つかも知れない。モデル構築者は,1凝あ現   を分析して,それ等の間のある諸性質や機能的諸関係が現象の基礎となり膚   となっているに違いない,と思惟する事が出来よう。もし諸性質が概念的紅   定可能ならば,説明のモデルは,たとい新しい適当な用具が工夫されるまで  

(5S) 明や測定が可能でなくても,解明を与えることが出来よう。」と,へ・−ゲ   述べセ,脚注の引用文献のリストに徹しても明らかな通り,ケアソクロス以  

きびしい批判の存在を充分意識しつつも,ロストク理論の積極性を評価せ   しているものの如くである。   

ところで,自己の著書の内容とも関連するのであるが,へ一グソ匿よ  

(51)0〝Jカβ 7ゐβ0′.γ♂ノ■50ぐ∠ αJCカα乃gクー月初妙.厨川明の捌c(わ・∂紺〃2 ββg如・   

Appendix u The Rostovian Schema pp,514・一・22 

(5功 ∫∂ま■d.,p.514.  

㈹ル紘,p.514−15.   

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(17)

成長経済史学に・おける「非経済的要因」   −−ヱ7−  

「ロストクの概念の目新しい特徴は,最初に成長のための条件が確立される時   があり,それから或る明確なそして必然的な移行的な事象が始まって終る10   ィ90・−30年があり,そして箪る後自生的な連続的成長があるという考えであ  

しり,)  

る。・それほ魅惑的ではあるが,正しいのであろうか。」という。そして,要す   る匿ロストウは移行期を「突然の変動」(abrnpt ehaI噌e)とんてこれを典型   的(typical)とするが,この結論は納得し削、。何となれば,例えば日本や   イギリスの飛躍開始の時期紅就て問題があるが,それは剛応別にしても,へ−ゲ   ソによれは,「これ等の場合を典型的なものとして受けいれるためには,人は   硬力な制度的障害が成長の全ゆる場合において 破れるとか,或いは技術的創造   性とか高率の貯蓄や投資へ導く価値や動機が経済成長への全ゆる過渡期におい   て人々の中に寧ろ広く突然に現れるとか,仮定しなければならないであろう。  

要する軋,段階の分割と,或る出来事を1っの段階へ仁他をもう1っの段階   に.割当てるということは,余りにも現実から離れていて.,説明や予言に役立た  

(55)  

ないのである。」と叫般的な結論が述べられ,更に個別の検討に.進むのである。   

先ず先行条件期について,ロストウは政治・社会・経済の枠(framework)  

の速やかな出現を絶対的条件としてあげているが,へ一−・ゲソほ,勿論  効性を認めないわけではないが,歴史的な証拠ほ寧ろ「新しい経済活動に・関心   港南するグル」−プが,より多くの成功,影響力そして権力を獲得するにつれて,  

(粥)  

制度や政府ほ.次第に成長に.対してより都合のよいものになるのである。.」と論   ずる。また,ロストウの軍2の条件たる農業と社会的間接資本の存在について   も疑問を発し,この点はハバカック・クズネッツ等の論点をそのまま引用し,  

これ等ほ要するに前提条件ではなく,寧ろ成長のうちの2つの現象である旨を   述べている。   

「飛躍」に二.就て。ここでは例の資本形成が国民所得の5%乃至それ以下から   10%乃至それ以上になるという条件に就て換討し,「国民所得の5%から10%  

(5針J凝d..,p.516 

個,蜘」徹れp,517.ゴチほ家名田。   

(18)

第37巻 衛5号  

▼・Jぶ 一  

に贋本形成が上昇するには,(ロストクによって)仮定された飛躍の時期よ  

(57)  

ずっと良い時期を必要とする」こと,そしてこれに加え.て,資本形成を間接   に表示する技術進歩と1人当りの所得あ動向をとってこもやほりロス卜占のチ   ゼを証明出東ないことを述べている。第2の条件たる政治・社会・制度的要   ほ上J述の通りとして,第3の条件たる主導部門の成長虹就てほ,へ−ゲソに   れほ,ロストウ・シュー・マのうちでほこれほ香要であるが,飛躍に.特有のも   でほないとされている。   

以上要するに.,へ−ゲンに.よれば,「ロストウに.よる事象の段階への排列   殆んど経験的な関連のないものであると結論してのち,我々ほ,段階に閲す   如何なる他の定義も通用しそうもなく,そして伝統主義から経済成長への過   においては如何なる段階も存在しない,と結論するのであろうか。」という   が発せられる。へ」−ゲンほ.ほ自ら答えて,「私にほ,これほ実質のない術語   ための様に見える。もし段階への区分がなされるのなら,それほ変動率に基レ  

(58)  

てなされわはならない」とすれは,例えば技術遊歩は単政時間当りで集計し   グラフ紅記載すれば,ゴムぺルツ曲線乃至成長曲線を得る。そうすればその   線の各部分に異なった形を見ることが出来るであろうし,それに.よって相互   段階を想定することは必ずしも不可儲でほない,とへ−ゲンは論ずる。結局,  

ストウは事象の排列に難があったが,ロストクの段階論は色々な点で洞察笹   ちたものであると述べている。   

ところで,上述の様な批判がへ■−グンによってなされたのほ何故であろ   か。このことの解明のために.は,既に部分的に現れているへ−ゲソ自身の琴   が顧みられなければならない。  

茸において,成長論における経済学者は経済成長の過程は経済学的分析の   十分取扱い可能だと考えているが,必ずしもそうとは言えないという理由  

(57)J凝■d.,p.520  郎)ノ観相.,p.522 

(59)∫∂Zd.,ppり36 52   

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(19)

成長経済史学紅おける「非経済的要因」   ー・J9 −一一  

かの理論に例をとりながら説明して行く。  

1の例として「低所得と木充分な貯蓄との患循環」という考え方をあげ  

へ一ゲンは,Vツガ−・(JH.W.Singer),ルイス(A.W.Lewis),デ.ユセ   リ・−I(J.S.Duesenberry),ブラデイ(D.S.Brady),フジ・−ドマン(M.  

riedman)の諸研究を引きながら,次の様にいう。「申すまでもなく,それ以   は生きて行くことが出来ない生理的紅生存する生活水準というものがあ   この言葉は,もし厳密な意味を持つとしたら,死亡と出生が等しく,従っ   甲が数において変らないままであるという1っの生活水準を指し示すもの   る。多数の低所得社会における人々の大半(大衆)はこの水準とさして距   いないに違いない。しかしこ.れ等の社会の殆んどの最低所得階級の人々  

て  

,現在の所得水準においても,彼等の所得の1部を生存の生理的欲求に全然   係のない塗産物に資している。より高所得の諸階級は,所得の大きな部分を  

いうやり方で処分している。もし十分に動機づけられる(motivated)な   ば,、社会の人々は1人当りの所得を高めるため紅必要な投資に.資金調達する   充分な程貯蓄する様にきめるこ.とが出来るで ろうし,またそうするであろ  

に「デモンストレーション効果」についてr 以上の様ないわば tbe too・ 

00r・tO SaVe 論にかわるものとして,低所得社会における高所得階級は,西   の消費水準を見聞しているので,こ.れを達成しようと努め,心理的に貯蓄す   ことが出来ないよう紅なっている。これを「デモンストレーーション効果」と  

うことは申すまでもなル、が,へ・−ゲンによれば,これについては,アメリカ   衆国における後進地帯であるア岬・カンサスやカンサスの地域の例からする  

,必ずしも妥当しないという批判もあるし,また低開発諸国が西欧との接触   少かった時代に.現在より貯蓄が多かったという証明もない。また放憎な消費   低貯蓄があったに、しても,過去においてそれは伝統的な対象に対しでである   た,現在はかなりの程度まで西欧の生活様式に対してである。しかし何れに 

J∂摘.,p…401ゴチは家名田。   

(20)

第37巻 第5号  

一肝20 −  

してもその比率の増大の証拠を発見することは大変難しい。要するに,低所得   社会のエリ−ト達が投資・節約よりも消費を模倣するのほ,技術に関係ある諸   活動に甚だしく関心を持つというわけに・ほ行かないからで,「もし彼等が技術   進歩に各人が力を蒸す・様に.動機づけられる(ふotivated)ならば,彼等は,西欧   の企業家の中に,全く違ったデモンストレーション効果に導くであろう様な毛  

(61)  

デルを発見するであろう。一」とへ−ゲンは述べる。   

帝8番目ほ「不足市場の悪循環」についでである。これほ,要するに,改良   された方法に投資するだけの需要が不足しているということである。例えば,  

へ・−ゲンほ.「需要の側でほ,投資の誘因は人々の小さい購売力のため低いかも   知れない。そして\小さい腐売力ほ東署所得によるのであり,そしてまたそれほ   低い生産力によるのである。しかし,生産力の低水準は生産に用いられる資本   の小さい轟の給果である  。そしてそれほ今度ほ少くとも部分的にほ小さ小牧  

($2)  

資誘因に・よってひき起されるかも知れないのである。」というヌルクセ(  

NuI・kse)の文書を引いている。しかし,へ一−ゲンによれほ,これは必ずし   正しくはなく,例えば砂糖・米・サンダル・洋傘を始めとする品々についてほ   市場があり,近代的方法を用いることも決して稀でほない。また交通機関や   場制度が変れほ,根本的に事態は変るであろうが,しかしとれが中心問題と  

うわけでほなく,技術的な障害の外何もなければ,大規模工業の導   の費用を切下吼その質を向上せしめる,という。つまり後進地帯における大   業の意義は甚だ大である,とへ・−ゲンほいうのであるが,しかし彼は更にこ   点に関して次の様にいう。「大きなプラントが伝統的社会において出現しな  

ったところ紅おいて,最も蚤要な理由牲,典型的に社会が行動のパターーソ紅   ける変化をややいやらしいものと考えたこと,また(自分自身の内的な躊躇   もふくめて)社会的圧力にさからっで走ろうと動機づけられ(motivated),  

伝統的なプラントを経営することの出来る企業者逮が現れなかったことが,  

(61)〃履.,p42ゴチは家名田。  

(62)P′・β∂′β弼S0ノ・Cα♪壱拍Jダ加・刑協わ0〃ま乃こ玩A卯・dβぴ♂Jβ♪βdC鋸用わ∠βS,1953,pり5・  

よ∂去d,p一、42,   

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(21)

成長経済史学における「非経濱的要因」   ーー2ユ ーー   

(63)  

であることを私は示唆する老である。」と。  

第4番目には「資本の1ump」に関する議論があげられている。「経済成島   は,社会的間接資本或いほ支援施設(infrastructure)1が存在する場合にの   み,進行することが出来る。 経済成長は,低所得諸国が大きな計画を完成  

(64〉  

する紅必要な大きな1umpの投資を与え.ることが出来ないから,妨げられた0」  

という議論である。しかしへ一−ゲンによれほ,この社会的間接資本が他の発展   を刺戟することほ間違いないが,しかし,発展のある段階において,この社会  

間接資凍の投資が必要欠くべからざるものであるというわけでほ.なく,個別   毎米家や国家が新しい生産手段や労働緯織等を導入しででも,同じ様濫1人当  

りの所得ほ増加するのである,という。それに更に・検討してみると,へ−グン   匿よれば,「社会的間接資本はその恩恵をうける企業に.おける生産費を減らす  

(うニ・)  

でほあろう」と一十応考えられるが,+−−・方こ.れ等の工業の存在が社会的間接資本   のサ−・ビスの生産費用を減少させるわけで,両者の関索ほ 対称的 (symmet・  

Ⅰical)であるから,「村会的間接資本の特殊な機能なるものほ大半幻想である  

(¢6) ことが判る。」とへ−ゲンはいい,「イギリスに・おいてほ,大洋ほ常に容易な沿  

岸輸送をもたらした−−・方,18 ̄l巨:紀の歴史は,他の社会的間接資本の構築が経済成   長に先行し,かつこれを許したなどという印象を与えない。むしろ色々な形の  

(67)  

投資が相並んで進行したのである。」と述べられ,、要するに「現在の低所得国   家の成長は  ,これ等の国が必要欠くべからざる計画に資金を供給することが出   来ないため,妨げられている。」というこの種の議論が誤りであることをへ−  

ゲンは指摘している。   

第5ほ「Big Pushが必要である」こ.とに就てである。以iの様な貯蓄,  

軌 社会的間接資本といったものが実際に後進性の原因であるのならば,大き   な包括的努力(large comprehensive effort)即らbig pushが経済成長の   ため必要であるというのほ筋が通っている。その場合勿論技術的創造性が前提  

(63),(64)∫み査d小,p.・44ゴチほ家名田。  

仙伽」.67)Jみ摘.,p.46 

(22)

第37巻 第5号  

}−22叩−  

だが,big pusbはこれを促進する。つまりへ・−・ザソによれほ,「このbig  p11Sbの理論ほ,何故ある社会に成長が起きて−,他にそれが起きないかを説明し   ない。何となれほ,歴史的紅ほ,big■Pusbが存在するかしないかは,区別の  

(68)  

目安にならないからである。」換言すれほ「■その社会において捜術的創造性を   欠いておれほ,big p11Sbほ不可能であろうし,また技術的創造性が大きな割   合で存在すれば,成島はbigpushがなくても漸次的に,始まるであろうし,  

(69)  

big pus土1ほこの場合更に成長を加速するであろう。」 

第6番目は「人口.」の問題である。へ・・−ゲンは.後進国においてほ.しばしば人  

\ 口榊密な場合があるが,必ずしもそうでない場合もある。人口との関係に.おい 

ての土地の問題もまた低所得の原困紅は必ずしもならない。結局,「適切な車   実ほ,1人当りの資源量がどんな紅低くても,現在の生活水準ほ原始的な技術と 

(70)  

手段に.よって得られつつあるということである。」とへ・−ゲンほ述べている。  

ところでへ−ザンに.よれは,彼が批判の対象とした諸学説は共通して2つの   前提の上紅立てっている。即ち,その第1は成長の中心問題は資本者静であ  

る,そしてその第2は全ての社会において経済成長を推遷するに充分な技術   創造性があるという前提である,という。次に,へ−ザンほ先ず,シ・ユムぺ 

−やソロー・(R.Solow)の研究を引用しながら,論理的に.も実証的に.も資本   にも拘らず技術   積より技術進歩の方が経済成長にとつて重要である旨を述べ,   

進歩,特紅その基礎をなす技術的創造性が余り論ぜられないのは何故かを論  

てニ,へ−ゲン咋,西欧世界でほ技術進歩乃至技術的創造性が日常茶飯のこと  

あるため,それが「人間性」(humannatuIe)の出来事の如く思われて,「  

(71ノ 化的に後天的な特性」(culturallyacquiredtrait)であることが忘られて   るからであり,従ってまた,技術的変革の過程もまた余り論ぜられないのセ   るこ,と論ずるのである。   

以上要するに,へ・−ゲンは,繹瀦成長にとって−は.技術と人間の  

伽),(醐J∂才d・リp。.47り ゴチは家名田。  

(70)′∂∠d・,pり49ゴチ・ほ家名田。  

(71=勃 dいp.50 

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(23)

成長経済史学紅おける「非経済的要因」   −−23−−  

いう主体的行動こそが問題の鍵であり,それとの関連払おいて,上述の色々   経済的ファクタ・−が結びつけられ「全ての説明のためのネットワ・−−クの中紅  

当な位置を決定され」た時に,それぞれの意義が明らかになる,と言ってい   のであろうが,今や何れにしても焦点が経済そのものより人間・社会構造の   胴こ移って来たことを知るのである。  

ここで当然,へ−・ゲンに.よれば,「人がそれによって1つの型の社会を他の   の社会から区別する基本的諸特質(the basic characteristics)は何である   ユ′。」と質ねられなければならない。ところがこ.の場合,社会学者は.社会の構  

を,文化人類学者はその文化を,社会乃至臨床心理学者は構成員のパ−ソナ   ヅデイを問題にする,そしてこれに加えて自然的環境に・ついては,以上8つの   学問がともに問題にする,とされる。   

とこ.ろで,文化とは「世界ほ.どの様なものであるかということに関するイ   メ√一汐やなすべきこと・なすべからざることに対する概念」であって,要す   るに「知っているこ.と及び信じていること」である。そして「こ.の文化と,  

人間の作った社会の,物賀的諸手段を含めての,自然的環境というものの性   薯及びそれ等に.対する支配の分配とが,知識(information)を与k.,そし  

て,そ・れから,人は寧ろ完全紅個人並びにグルーープ間の関係即ち社会構造を推   出来る。人はまたこの社会のメンバーの価値や動機や世界に.対するイメ・−汐   を推論出来る。逆に,もし人が,社会の自然的環境がどうであるかを,そして個   人やグル−プ間の関係を知っているならば,人ほ寧ろ完全に・その社会の文化や   そのメンバ−の価胤 動機そしで世界に対するイメ−L・ジを知り或いほ推論出来   る。従ってまた社会は,ぞのメンバーの価値や動機,世界の性質に開音■る所   信,及びこれに加えるに㌧自然的環境を以てすれば,殆んど完全に記述される  

し:3、  

であろう。こ.れ等から人ほ文化を知るし,また社会構造を推論出来る。」とヘ   ーゲンは述べている。  

そしてへ−グンによれは†■価値や動機,一順の性賀把関する所信戎いほ・イメ   貯2)Ibidりp.84 この文音ほAppendix:Difining Societiesの冒頭の文句である。  

閏=≠摘・,p85.ゴチは家名田。こ.の叙述が技術にも関係あることは.明らかである。   

参照

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