710 第36巻 第5等
ーJ66−…
研究ノート
ア.メリカにおける小売業の再編成過程について
中 野 安
Ⅰ問題提起
小売経営の規模と正也は消費人llの地理的分散の度合い虹よ/′ノて制約される。アメリカ でほ,都市における諸産業の発展は都市の人Ⅰ二l集中度を高めた。これほ交通機関の発達と ともに消費需要を地理的に集中化させることとなり,大規模/ト売蘭出現の基礎を形成し た。大都市における百貨店の出現はあきらかにかかる基盤龍立っていたのである。
しかしす矧吉ほ単一店舗所有を原則とし,店舗自体の大模規化による大嵐販売方式であ り,その点でほ人口密度の高い地域(主として大都市)にしか立地しえない。それ故,百 貨店の市場占拠率の拡大ほ制約されざるをえない。
これにたいしチーエ−ン方式による市場占拠率の拡大方法がある。それほ単一贋本所竃の
(1)
もとに複数の店舗を経営する方法である。チ亮一ンは−・般に百貨店に比し店舗が相対的に
(11チェ:−ンのⅠ ̄基本的思想ほ 水平結合の単純なものである。しかしながら,実際に ほ,このタ−ムほ−・定の経営方法を示すようになってきた。」(Vaile,RSト,ET GretheI&R Cox,Marketingi71the American Economy,1952,p1204=)。その原 因はチ.ェーンが一・定の特徴的な経営方法…中央管理・中央仕入・倉庫保有・現金持帰り
主義その他−−−をてこにして発展したことにある。そしてこのことがまたチ.ェーンの定 義に.かんする混乱をひきおこした。すなわち,チェ−ンを規定するさい,あたえられた/ト 売業種において単一贋本所有のもとに2店舗以上を経営する組織とするだけでなく,上 記の一定の経営方法(のひとつまたほそれ以上)が加えられることになった。しかしそう すれは,とく紅小規模チ.ェ−ンや初期のチーエ−ンで余りにも多くの例外紅出くわし,ま た独立店とチェーンとの間にさらに別の小売タイプを設定しなければならなくなるだろ う。ところが事実そういうことがおこなわれているのである。例えばセンサスーピコ.一 口・−は4店以上をチ㌧.−ンと規定し,2〜3店所有を two・and−thIee・StOre multiunits とした。経営面の実情に即するためのかかる規定は.3店と4店所萌の間で経営方法が 明白に異なるわけではないが故に「懇意的だ」とする批判の余地をのこすことになる
(Cf・LebhaI,GM・・,ChainSioreinAmeYica:1859▼1959,1959,pp63−4;Beckman,
T N&H CNolen,The Chain Siore PYOblem,1938,p3)。しかもチ。。−・ンの定 義に.一党の経営力法を含めることほそれらを同定イヒして肥えることになり,それ放その
変化=「流通非命」の進展につれて,いわゆる百貨店−>通信販売店→チェー・ソーストア
→ス−パーーマ−ケソト,という通説的ン工∴−マを採用することになる。しかしかかる
アメリカにおける小売其の再編成過程についで −J67■−
711
小規模なるが故に,立地のさいの制約皮が相対的紅ひくい。それ故にまた百貨店に比して はるかに広範な営業領域が獲得でき,市場占拠率をいらだんと高めることが可能である。し かし,チェ−ン方式の意義はたんに百貨店タイプの拡大方法を補完するということのみに あるのではない。それほ,理論的には・−−そして現実的にもそうであるが州いかなる小売
経営形態セあろうと,個別資本が市場占拠奉拡大のために必然的かつ一般的にとる形式で ある。他の諸産業に比し,消費人口にヨリ近接して存在しなけれほならないとい・う小売業
(2)
の特殊性に規定されて,苗場占拠率拡大のためかかる特宥の方式をとるわけである0 でほ,チェ・−・ン方式による拡大の前提条件はなにか。この点についてNystIOmほつぎ のようにのべている。r ̄チェーンーレステムは過去50年間,はばあらゆる方面において支
($)
配的であった企業の集中と統合の傾向にじたがって生じた。」と。すなわち,生産部画一 とりわけ消費財生産部門欄一におけるビッグービズネスの出現はチェー・ン方式紅よる拡大 の前提条件を創出した。それは,巨大な生産力に対応し,し たがってまたその結果としての
大壷の商品の供給を能率的紅処理しうる流通機構を要請すると同時に,それ自体,大量生 産に必然的な商品の規格化を促進し,消費行動を(従来の小売商に支配的であ′つたのれん・
サーブィス等と無関係の)商品本位のそれへと移行させた。メ−カ−のイエンヤティヴのも
とにおこなわれる広告は,小売商のおこなう広告との利用格差を通して;ますますかかる 傾向を促進した。チ.ェ∵−・ンはかかる変革漉その経営方法を依存させつつ発展した。
このことは,19世紀後半にはは同時的に発生しながら,その後眉貸店とチェ∴−ンの発展 が時期的に相違した理由を説明する。前者は都市人口の増大が発展の基太的前提条件であ
るのにたいし,後者は消費財産米におけるビッグービズネスの出現を基本的前提としてい たのである。アメリカにおいては,20世紀に入って以来,しだいにかかるチ■一エ−ン発展の
シェ−マはチェ−ンの意義を抹殺する。事実,百貨店のチェーン形成,チェーン方式紅 よ卑スーパーーマ− ケットの経営ほチェーンを特殊な経営方法=経営形儲と関連させて 規定するこ.との誤りを決定的にあきらかにしたと同時に,チ■ェーンはいかなる経営方法
=経営形態の小売経営であろうと個別資本が市場占拠率を高め,マーケットーポジレヨ
ンを強化するために必然的かつ一戯的に採用する形式たることを明白にしたのである。
通説的レェ−マの生ずる根拠は経営方法=経営形態の変化のみに局限された狭齢な視角 にあるといえ.よう。
(21チェ−ン方式困小売分野に固有のものではなく,小売分野と数似の制約をうける他の 分野においても広範に適用しうる。だがここでは生産部面を念頭におきつつもっぱら小 売部面庭限定してのべる。
(3)Nystrom,PH.,ChaiクiStoYe,1eVedt,1930,p31東京商工会議所訳り一題胡店月(産
業合理化質料第56弓,昭和11年)1ぺ」−ジ。ただし訳文は同一・では.ない。
712 第36巻 第5号
−・J6βw
前提条件が形成さればじめ,10年代になるといっそう進展した。それとともにチー‡.−ン方 式による流通機構の変革二再編成の過程が急激に進展しはじあた。
−・般にこの過程は流通部面における「産業革命」ないし「産業賞命の第ニ」変階」として 把担されて−いる。この見解によれは,「産米革命」の舞台はすでに生産面から流通面へ移 行(「生産主義」から「 ̄流通主義.」へ・の推転)したとされ,チェーンと旧来の独立小売商
との関係ほ機械制大工菜と手工米との関係に,また両者の斗争はラダイト運動に擬せられ ていた。かかる見解の合意と当否はここでは問わない。ただここで確認しでおきたいこと は,20世紀の10年代頃から,従来小売部面に・おいて支配的であった零細小売経営に代っ て,基本的にほノJ、売商問の競争過程を通して自立的に,資本主義的原理紅よって経営され るチ∴ェ−ン方式の大規模経営が全面的に発展しほじめ,それを基軸に,流通機構の全面的 再編成がほじ声ったことである。本稿の目的は,はぼ1930年までのかかる再編成過程の勤
(4)
態をヨリ具体的に解明し,その性格を把挺することにある。
ⅠIl1920年までのチェーーンの発展とそれを規定した諸要因
チェ−・ンの起淑についてほ種々の脱があるが,−・般には今日アメリカ最大のチーエーーンーー
(5)
62年の売上げ高53hl倍ドルはGlM・,Standa工dOil(NJ・),Fordについで第4位−た るA&Pが独立店としてスタートした1859年にもとめられている。本節でははぼこの頃か
(6)
ら1920年にいたるまでのチ.ェ−・ンの発展を概観する。
まず1900年までのチ.ェー・ンの発展ははとんど食料品と均一・価格(1imited・p工ice)制の雑 貨品分野に限られていた。前者はA&Pに.よって−,後者は−−まったく新たなタイプの小 売業=均一価格の雑貨品店を開設したといわれる−−−−WooIwoI■tbによって代表される。こ の期間中のチ・ェーンおよびチーエ−・ソーストアの総数は.統計資料の欠除のためわからない。
ただその後指導的地位を占めるにいたったいくつかのチェ−ンがこの期間に出現したこと は注目される。しかし19世紀におけるチ.ェ−ンおよびチ.ェーン・−ストアの発展テムポは−
1
141流通機構の変化にかんする抽象的考察については,森下二次也編『南米経済論体象』
1959年,第4茸ととくに第5茸を参照せよ。これはきわめですぐれた研究であり教えら れるところが多かった。しかし軍費な論点で疑問があるがここではふれることができな
い。
t5)Ⅴ ダ〃′わ〃Zβ,J山y,Au針,】▲963
16− なお鵬言しておくと,チー‡−ンの形成ほ独揖Eとしてスタ−トし,しだいに店舗数を
増加して形成されるのが一・般的であった。
713 アメリカにおける小売染の再編成過程について
−一−J69−−A&Pのごとく1900年に200店に達していたのもあるが−一鵬全体としてきわめて−鈍く,小売 業紅おける比重も問題にならなかったといわれている。その理由ほ,根本的には,チ宣州
ン発展の前提条件たる消費則産業に.おけるビッグービスネスの出現がみられなかったこと にあるとみてよい。それ故にまたのちにチエ−ンに特徴的といわれる経営方法を採用する 条件も動因もなか1′つたのである。
20世紀に入′つでからのチェ.−ンはその増加テムポを増大させた。第1表に示されている ように1900年から1910年に至る間に・約4・3倍に,さらにその後い:つそう増加率を高め,20 年には1900年の水準の約143倍に達した。店舗数(チエ−ンーストア数)もそれぞれ3倍,
第1表1920年までのチ.ェ∴−−・ンの増加 チ ェ ー ン
‥.● −−.ニ ー.. ‥ト
チェーンーストア
㌃「蒜諒丁高遠
(注) 増加率は1900年を基準にして−いる。増加数ほ対前年。
(出所)Beckman&Nolen,Op.Citト,pp・21,23,より作成。
第36巻 第5宅 714 ーJ70山
(7)
11倍弱増加した。こ.こで注目されることは15年を劃してチ.=−ンとチェーンーストアの増
(8)
加率が−噂逆転しているととである。15年までほ,20世紀に入り,チ.エー・ンが新しく広範
(9)
な分野に進出したこと,およびそれほ主として店舗数のすくない小規模チ・ェー・ンであつた
(10)
ことを反映してチ悠−ンの増加率がヨリ大であった。15年以後の−−・時的逆転についてほ後 述する。
さて−,上述のごとくチェーンおよびチェー・ソー ストアの発展は1900年以後,とくに1910 年頃以後,ヨリ急速に.発展した。でほその原因はなにであろうか。それほ基本的にほ生産
面とくに消費財産業におけるビッグービズネスの出現にある。とくに第一次大戦中,アメ リカほかなりの期間中立国としての地位を享受していたため,たんに軍事関連産業のみな らず消費財産業もいちじるしく発展した。それとともにナシヨブ■ル■一ブランド(璃名品)の 出現とその地位の強化もみられることになった。かかる客観的条件の変化はとうぜんチ∴‡
−ンにたいし新たな経営方法の採用を要請することになった。実際それまでのチ‡.−ンは 雑貨品チ.‡−・ンを除くと新たな経営方法を採用しているものはなく,たんに後数の店舗を 所有しているにすぎなかった。そしてこのことがまたその発展を制限していたのである。
し1】1
さて経営方法の変化にかんしてほ.A&Pを代表的な例としてみることにしよう。A&P は1880年代後単にpeddler wagonによる戸別販売をは.じめたが,そのピH−クは1900−
1910年頃であった。これほ,IuralmaIketへ・進出するためであり,事実その結果小さいタ ウンの独立儲からかなり激しい反対が生じ,禁止立法さえ要求されたくらいであった。し かし店舗販売の方法は通常の独立店とたいして変るところはなかったのである。ところが 12年に測期的意義を有する economy stOreS を開設した。この新たなタイプの店舗は営
(7)売上げ高の増加ほ統計資料の欠除によりわからない。−−・説紅よれば19年の売上げは小 売売上げ総額の約4%という(NichoIs,Jt・Pい,Chain Store Manual,1936,p111)。
Zi工n皿efma王1は14年当時で年売上げ高は10倍ドルをこえなかったという(ZimmeIman,
M・M・,TカβCゐαJJβ邦gβ0./c血扇兜5ね川㌧仇∫わ■沌胡桁川,1931,pl10)。
(8)CfBeckman&Nolen,OpCit.,p22
(9)比較的広範に進出した分野は食料品,タバコ,給油所,5−10セント雑費.払,ドラソ グ,レストラン等であった。
(10)「1‥ とく少数を例外として,大部分のチェーソはなお口、−カル経営であった。」
(ZimmeIman,Op‖Cit・,p16)。
al)CflBul工ock,RJ., A王王istoryof the Great Atlantic&Pacific Tea Coznpany
Since1878, Harvard Bu.sines.s Revieu),Vol、XK,No,1,Octl1933,pp,59−69;
Leblla‡■,OpCit,p28et s′なお食料品分野では16年音こセルフニサ−ヴィスを導入した
Piggly・Wiggly sto工eが有名であるがここではふれない。
715 アメリカにおける/ト完菓の再編成過程に.ついて
−】J㌢トニ業蟄を極端に切り下げうるように設計され,比較的小規模で,通商ワンーマン経営であっ
た0それとともに経営方法もー大転換をとげ,現金持帰り主義の採用,恒常的に大量需要
がある品目に集中することによる薄利多売の実施,従来のプレミアム,トレイディングー スタンプの廃止等が決定された。これらの諸点ほいずれも従来散在的におこなわれていた のであるがA&Pはそれを徹底的に採用したことによってその後の発展の基礎とな′)た。
この点ほ店舗数の増加にあらわれている。すなわち1860年以後生0年間に200店に達したの にたいし,20世紀の最初の約10年間にさらに200店増加し,11年にほ400店に達して−いた。
ところが economy stoI・eS 採用以後急増し,15年にほ1,817店,20年には4,621店へとおと
\1亡\
ろくぺき増加をとげたのである。
A&Pのどとき例ほ一般にみられる。とくに後に大規模チェーンに発展したものは程度 の差はあれいずれもそうであった。たとえ.ば14年当時1,000店を有す−る最大のチェーンで
あ・つたUnitedCigaIほ現金主義であり安価であ.った。それに加えて.一般の独立店と比較
しl・こ一
にならない近代的な店舗ほ顧客吸引の重安な手段となっていた。
以上を要するに,大敬重産によ′つて客観的に要請される大嵐販売鷹合目的的な経営方法 および新たなタイプの店舗を採用したチエ∴−・ンほ急速に発展したのである。しかしこb変 故において多数の小規模チエ−ンはとり残されることになった。なぜなら彼らは意識的に
も現実的にも独立店と変るところほなく,かかる変草の意識も資金も欠除していたからで ある。とくに資金調達の面において生じた格差ほ大チェーンの発展をますます急速にし,
小規模チエ.一ンとの格差を決定的たらしめた。つぎにその点を考察しよう。
チェ−・ソは,その発展の初期においては,もっぱら自己金融による拡大資金の調達が支 配的であった。これがその時期のチューンの発展が鈍いひとつ切原因をなしていた○また 実際銀行からの長期の融資などは期待することができない状態であった。ついで広く採用 されるよう、になったのはパーートナ」−シップの形態である。たとえばWooIwor仙は彼の名 前で経営している全店舗の単一所有者であったが,さらに拡大す、るため資金をもっている 相手と共同出資で合名の店舗をべらにもっていた。BelkやJ・C.Penney等はいずれもか かる形態をとって発展をとげたのである。
しかし,客観的条件はますます巨大な小売機構を要謂しているにもかかわらずかかる形 態による拡大な容易でほなか√,た。しかもその結謙.の闊さもさけられなかつた。たとえば
(12)これらの数字についてはLebhar,OpCit.,pp.29,365参即雫。
(13)Cf,Ibid‖,p.102
716 第36巻 第5号
−J7二?一
WooIwoItbなどのパ、−・け・L−シップほ結局失敗して−いる。その他のチ‡−・ンでも中央管
理・支配による統一・的経営方法の採用を要辞されて−いるにもかかわらずそれが不可能な車
(14) 態も生じた。そこでつぎに採用された拡大方法は既存の比較的大瀧模なチェーンによる合
同である。これは10年代に急速に進展した。この期の合同にかんする全体的なデー・タがな いので若干の例に.よってその特徴を示すことにしよう。
WooIwoIthは1905年匿.彼の店舗を法人組織とし,株ほ彼と彼の友人がもっていたが,19
(15)
11年に他の5チェL−ンと合同し,186店から−・挙広594店へと増加した。この合同を融資する ため7%の継続優先株が1,500万ドル発行され,さらに額面100ドルの普通株が50万株発行 された。これは「 水増し 以外の何物でもなかった」がバランスーシー・トの資産項目に
(18ノ
のれんを記入することに.よつて相殺したといわれて:いる0
1910年代に進行したチーエ−ンの合同の主要な動機ほ,それ以前にすで紅生じていた生産 部面のそれのような競争の規制ないし排除,さらには独占的価格政策を実施することにあ ったのではない。それらはこの段階のチ.ェーツにとって不可能であった。またこの期の合
同の基本的性格は20年代後半の合同のそれとも異なるものであった。この期の合同は,上 記のWooIwoIthの例によっても示されているどとく,拡大資金入手のための方便として の合同という基本的性格をもっでいる。そして合同によって大規模化したチェ−ンでほ株 式形態による資金掴遠方式が一般に採用されることにな/つたのである。それ改また株式発
\1丁〕
行条件を具備していたチェ−ンでは合同することなく拡大していった例もある○
このようにして当時の大チェ−・ンはウォール街で資金調達をおこなうようになった。
そしてこのことはますます彼らの急速な拡大を可能にし,株式発行条件を充足しえ
(18)
ず,拡大資金の入手が由経であった中・小チーエ.−ンとの格差を拡大していった。この故に 申・小チェーンの合同が進展サーるこしとになった。たとえば17年におこなわれたフィラデル は亜 もっとも Penneyなどは27年までパーけ・」−シップの形態をとっていた。しかし実
質的には管理・支配は高度に集中化されていたためたんにパL−け■一−シップとはいえな くなっていた。
(1引 これは以前パ−・トナー・レップを採用していた時の共同経営者が合同したものであっ た。
(16)Phi11ips,C.F., AHistoryoftheF・W・WooIworthCompany, HarvardBusine5S 月吻最βぴ,VolいⅩⅢ,No2,.Ian‖1935,p‖228.この合同と同時に組織を近代化した。
椚)A&PやKresge(当時WooIworthにつぐ5−10セント店)では合同はおこなわれな かった。またWooIwoIthもそれ以後は合同しなかった。
(181小売り分野における株式発行条件は新しい分野だけに当時はかなりきびしかった。
Cf Hayward,WS&PWhite,Chain Stores,3rd ed…,1928,ppl36・4,368
アメリカにおける/j\売業の再編成過程について
一一J7β・−−717
フィアの5f・ェ−∴ンの合同に.よるAmericanStores(当Hい,223)ふ金利品分野で第2位)
の出現はかかる根拠をもつものとい.ってよい。換言すれはA&P等の急速な拡大は他の
(19)
ヨリ小規模なチエL−ツに.インパクトをあたえ,それらの合同をひきおこしたのである。
このような合同こそほ15年を境に,チ.工−ンと店舗数の増加率が一博的に逆転した原因 であった。
以上においてチ.ェ∵−ツの発展を可能にした客観的条件およびチェー・ン自体における経営 方法の変革と金融的側面を考察した。しかしチ工−ン発展の可否ほ連接的にほその価格ア
ピーリレに依存している。1912年の大統領選挙でほ生活費の上昇が主要な論争のひとつをな
ていたくらいであるから消費者は価格にたいしヨリいっそうセンソティグであった○問題 しはチェ∴−ンが価格の切り下げをどの程度実現しうるかにある。上述の新たな経営方法は
それを部分的に実現した。その故にこそ消費者にしだいに受容されていったのである0し かしそれに.よる節約はかなり狭い範囲のもの・そしかない。問題の中心ほしだいに仕入面に 移行せざ芦をえない。
多数の店舗を有し,巨大な仕入力を有するチェ−・ンにとって独立小売店とおなじく卸商 から仕入れることは許容しがたいことであった。また大チ.ェーンほ卸機能と小売機能をそ の内部に結合しうるのであり,彼らに.とって独立卸商の存在ほ無意味で奉った。かくして
比較的大規模のチ・ご∴−ン堕しだい紅メーカー・との直接取引すなわち卸価格を要求しはじめ
た。これはとうぜん独立卸商,さらには従来から敵対関係にあった独立小売商の反対をひ きおこした。この時期にはチェーンのレェアはひくく,旧来の流通チャンネルは強固であ った。それ敢メー・カー・はその圧力のためチェー・ンとの直接取引を拒否せざるをえなかった0
しかし,理論的に.はメーー・カーにチ.‡.−・ソとの直接取引を拒否する理由ほ存在しない0チェ ー・ンは卸価格を要求していたにすぎないからである。
このようにチプ−ソと独立店との闘争はチェーンの強大化につれて激化していった○こ の戦いについては次節において考察する。ただこの時期におけるに仕入にかんして−いえ ば,メーカー間の激烈な競争と過剰能力の存在の圧力によりしだいにチ.ェーンの要求を実
現する傾向にあった。しかし指導的メーカ−はどそれが支配する流通チャンネルの強固さ の故に拒否していた。しかるにチ.算−ンはその経営方法からしてかかるメーカ−のプラン
ドすなわちナショナルーブランドこそを求めて−いたのである0
(19)20世紀に入って生れた多数の小規模チヱ.一−ンのうち,のちに指導的チセ−ンとなった
のもすくなくないが,それほ碍極的経常方津と合同によるものが多い9
718
−J74−− 第36巻 彿5号
ⅠⅠⅠ1920年代におけるチ、エー・ンの発展とその影響
百貨店や通信販売店と異なり,チェーーンの呉におどろくべき発展ほ20年代に入ってから であった。GalbIaithも指摘しているとおり「チ‡−ソーストアは少くともこの時代
ト (20)
の象徴的なものであった」。まずチ,エーンの発展凍とっての客観的諸前提条件をあきらか にしよう。
仙 20年代におけるチユ二−ンの発展の諸前提条件をあきらかにするさい,20−21年の景 気後退の意義を無視することはできない。
簡−・次大戦後はじま/つた資本財および各種耐久・非耐久消費朗への戦時中のpenトup demandsの−一挙の発現と旺盛な海外需要ほ,いまだ戦時経済構造から脱却しえないでい たアメリカ経済に多数のボールーネックを生ぜしめ,その結果急激な物価騰賢をひきお こした。また労働力不足もきびしいものがあった。Hambergによれば時間当り賃金率ほ
(21)
18年末から20年末までに88%増加し,20年だけで50%増加したという。かかる急激な賃 金・物価騰員は,その原因となった戦時経済構造からの転換を要論することになった。20 2−1年の景気後退はまさにかかる客観的要請を遂行したのである。「1920年の恐慌は,そ の破壊力の点で,1907年の恐慌をも含めた,アメリカにおける従来の一朝の恐慌に冠たる
(J2)
ものであった。」短期ながらきびしい生産の低 ̄ ̄F,物価の急落,そして広範な破産が生し た。それとともに賃金率のきびしい切り下げと鎮座性の急激な上昇が実現された。かくし
であたえられた新たな価値関係ほ20年代の「繁栄」の基礎となったのである。
この不況ほ上述のごとく合理化を急速に進展させ,大患生産=製品規格化を仙段と進め
しご:1\
た。ブランド品や包装化の進展もみられた。これらは独二ゞ〜滴が有する個人的サ−ダイスに よる強味を・うばっていった。そして九点ほ特定の店にたいする忠誠やサ」−・ブィスよりも特 定のブランド品へ,さら紅それを販売する店舗の外観,格潔さ,買い易さ,店内秩序等へ・
CO)Galbraith,JK.,The GYeat Crash;1929,1955,p50小原敬士訳『■大恐慌n65ペ ージ。ただし訳文はおなじではない。
m HambeTg,D.,BusineSS CyclelS,1951,p406
く221エ−・プァルガ,永住道雄訳『世界経済恐慌史』1937年,第一巻第二部,367ページ。
(23卜靴製造共における一例を引用しよう。『当社ほ1920年にほ2,500の型の靴を生産し,そ の平均価格は10・4ドルであった。しかし,1923年にほこの型を100に減少し,標準価格ほ 660ドルとなった』(リ−・ガル製靴会社社長B・.丁プリス)神野蝉−・郎・宇治田宣造『ア メリカ資本主義の生成と発展【J186ぺ−・汐。フ−ヴァ−が商務長官になった時,彼は製
品規格化の必要性を強調したが,規格化への要求は20年代を通じてとくに強かったしま
た実現されていった。
719 アメリカにおける小売業の再編成過程について 叫J75−
と移才〕しでいった。これらほいずれも圭1三産;勅封におけるビッグ〃ビズネスの出現と発展に 対応した変化であり,ひとりで紅売れ,サーヴィスを要せずしかも恒常的かつ大壷に販売
しうる規格品・低価品をストックしノ,低い利潤マ−ジンと高回転を目的とするチェ−・ンの 経営方法ほかかる変化に合致していた。このような変化が10年代に進行していたことほす で紅指摘したとおりである。しかしこの不況はそれを叫段と進展させたのである。
しかし20一ゼ1年の不況がチェーーソにとって有する意義は以上につきるものではない云10 年代におけるチェ−・ンの発展の主要な障害が仕入面に.あったことはすでにのべた。20年末
にほじまった不況はメ−カ−のチぷ−ンにたいする感度を大きく転換せしめることによっ てこの障害を除去したのである。この過程ほつぎのように進行した。すなわち,戦時中の penトup demandsの−・拳の発現による戦後の物価の急上昇は多くの商人に先を見込んだ
ヨリ多くの発注をさせることになった。しかし鉄道輸送の深刻なネック化により発注屈の
−・部しか入手しえなかった。このことがいっそう発注患の増加をひきおこした。と.こにそ の発注は投機的色彩を濃厚正したのである。そういう時に崩壊が生じ,急激な物価下落が はじまった。多くの商人ほそれ必前に高値で購入した多くの在庫を・かかえており,しかも
先に注文しておいた未到着の品がぞくぞく到着す・る有様であったよかくしてこの崩落は.彼
(24)
ら紅深刻な影響をあたえ,その処理はその後長い期間を要した。それほまたメ・一九一に深 刻な過剰能力の存在をもたらした。′このことはメーカ一紅独立店とチェ−ンの「どちらの
馬紅乗るべきかの問題を提起」した。チぶ−・ンほちょうどこの機会を利用したわけであ る。チェー・ンはその経営方法(=ストックのできるだけの減少と高回転)により−・般にこ の不況の影轡は軽微であった。それ故彼らは巨大な仕入力を背景に過剰能力に悩むメ」−・カ ーを説得し,あるいほメー・カ一間の激化した競争を利用しつつ,直接取引を実現していっ
(ごこ1\
た。もちろん独立商による圧力は活澱であった。しかし不況は,また過剰能力と競争ほチ エ∴−ソとの直接取引の誘因を強めていた。かくして−20年代初頭以後直接仕入は一段と準鹿 C24仁20年代の特徴のひとつである当用仕入(hand−tOTmOuth buying)を進展させた直
接的契機はここにあった。くわしくは以下参照。Clark,Fn E., AnAnalysis of the Causes aIld Results ofⅡand−tO−Mouth Buying, HarvaYd Busincss Revicw,VoL
Ⅵ,No,4,July,1928,pp394・−400;Committee on Recent Economic Changes,
風狛∽仁放制叩酢c C/2α〝gβ.S,Vol・Ⅰ,1929,Ch.Ⅴ,pp343−61
(257 一例として 有名なPigg王y−WigglyCalif9rnia Co の社長の言を引用しよう。21年に ロスアンゼルスのチ.ェ−ンの経営者はメ−カ−からの直接仕入の問題を真剣に考えてい
た。しかし,地方の卸商やブローカ−の断固たる抵抗のため紅はとんど望みがないよう
におもわれた。しかし21年9月,数人のチヌーンの社長がそ・ろってサンフランシスコ,
720 第36巻 第5号
ーーーJ76−
lJtこl
したのである。メーカーーがチェーンと直接取引することによってえられる利ノ且ほ明白であ ろう。ひくい販売コスト,掛売りの危険がすくなく,大恩販売と売上げ代金の回収の早い ことは流通過程に緊縛される資本を減少させ,ヨリいっそうの拡大を可能にする。その他 稀々の利点があるがここでは詳説できないム
20年代におけるチっ:−−・ンの発展ほさらに以下にのべるような要因によって加速された。
(27)
それ朋まず第一に月動薄交通の発達である。自動車産米の急速な成長は20年代の「繁栄−【
の巌大の支柱であったが,自動薄の急速な普及(乗用車ほ29年にほ13年の約20倍で49人に 1台)は流通部面の合理化を要請し,チ,エー・ンの発展を促進した。乗用薄の普及はtIading aIeaをシフトさせ,小さいタウンの消費力を吸引し,また独立店の配達サーーブィスを不必要
(28) (j9)
にした。またtラックの普及軋−その増加率は東用尊以上といわれているが…メー・カ 叫から直接仕入れ,中央倉輝から各店舗へ小口配達するシステムをとるチェーンにとって
シアトル,さらにはシカゴ,デトロイト,ニユーヨーークヘ行った。重要なメ−カーーのい るところほどこでも途中下津した。この時の機動部隊腰年1,000万ドルの売上げをもつ約
200店を代表していた(4年後にほ650店で約4,000万ドル)。同グループほ60のメ−か−
を訪問したがその大部分は非友好的であった。しかし彼らのうち5人は味方となり,宙 接取引に同意した。「もちろん,チ悠−ンほつぎゎことを指摘するのを声れなかった,
すなわち,もしナショナルーブランドのメーカーが……議論に・耳を傾けないなら,チ、エ ーンほ彼らに直接売るで鼻旦乏小規模企業と取引せざるをえないだろう。そしてチェ・−
ンがナショナルーブランドなしに.,あるいはそれらに依存することなくやっていける日 がくるだろう,と。」21年にうけた冷淡な応待に落胆せず,つぎの年の秋,同じグル−・
プは同じ旅をし,同じところを訪門した。その結果さら状・15のメ−カーが直接販売に同 意した。たった5チ\エー・ンの仕入力でかくも成果があがったので,同グルーープは西部謂 州の26チコ.−ンとWestern StatesChainGrocers Association(685店)を結成し,そ の時以来ますます多くのメ−カーがその政策を変えてチ.ェーツに膚按販売するようにな
った(Lebhar,Op・Cit・,pp・114−6)。
(26)20年代初期の仕入ソー・■スにかんする全体的なデータはないが部分的紅は研究されてい る。それ紅よると卸商からの仕入はなお蚤要な−・要素となっていたが,直接仕入の傾向 は明白であり,その度合もかなり進行していた。とくに大チ.工−ンでは卸商は事実上排 除されていたといわれて.■いる。Mullenは食料品でほ「チーズ.−ンほおそらく彼らのスト
ックの6分の5をメーーカ−から入手している」,またドヲソグでほ5分の1以下を卸商 から仕入れているにすぎないという(Mullen,WH・, Some Aspects of Chain・・Store
Development, HarvaYd BuginessReview,Vol.Ⅲ,No1,Oct1924,pp.70−3,
79)。
(27)くわしくは,今野源八郎臼アメリカ道路交通発達給』1959年,をみよ。
(28j 中・高所得屑に.チェーン利用者が多いひとつの原因を彼らの間で乗用車の普及率が高 いことに求めている論者もある。
位功 第一・次大戦直前の6.4万台から29年には330万台に増加し,その85%は大小産業会社や 商店等の所有であった。そして20年を様に馬申から道路交通の主役をうばったといわれ
ている(今野,前掲苔,217−8ぺ・−ジ)。
アメリカにおける小売菓の再編成過程について −ヱ77−
721
その迅速性,横磯患や行動がフレキンビリティに富んでいる点などによりきわめて有利で あった。またそのため生鮮食料品の取扱いが容易となり,在蹄の減少と高回転の実現を容 易にした。
さて第二に,20年代の高度成長にともなう労働力需要に対応して生じた国内移住==uI・
(30)
banizationが都市人口をますます増加させたことがあげられる。これによる都市の人口 密度の上昇は,20年代の高い人口増加率とともに,百貸店はどではないにしても,人口に より一定の制約をうけるチ,エーンにと′つて有利であった。
その他新製品の出現・製品の改良の進展等による消費品目の多様化が個々の品目への消 費支出の節約を要請したこと,独立店の前近代的経営,都市紅おける depersonaliza・
tion 等がそれぞれ−・定の役割を演じたことほあきらかである。
以上のような客観的諸条件のもとにチェーンほ「急速な拡大(mushroomiikeexpansion)」
をとげることになる。そこでつぎにその発展過程をみることにしよう。
(2)20年代のチ・ェ−ンの発展にかんする統封は29年までほ全国的なものがない。そこで 部分的な研究を・参考にするはかほない。
まずチ.工−・ンとチェ−ソースヤアの増加ほ第2表のごとくである。これほ後述するよう 第2表 20年代におけるチ.ェーンの増加
チ ーエ ー ン チエーン㌧・ストア 数 l増加数 数 量 増加数
49,20C1 53,700 63,700 73,600 83,400 96,600 105,000 112,900 119,600 9,400
10,500 12,300 13,600 14,700 16,800 18,200 19,700 20,000
4,500 10,000
9,900 9,800 13,200
8,400 7,900 6,700 り作成。
(出所)Becl【1nan&Nolen,OpCitい,pp21,23,よ
(3功1920−29年間の離農人口は1,9436万人,純離農数は6298万人であり,とくに20年代前 半紅多かった。20年代のかかる移住ほ他の時期に比しいちじるしく多かった(ⅤTomp・
SOn,W‖A小,点βィ9βαγ・(カ几免∽0γα形d〟弼¢〝J〝≠β !α/財よgγα≠≠■βガ∠〃′如か一如 β,SS∠β乃,1937,
p19)。
722 第36巻 第5号
−J7β−
にかなり控え目な評価であるが,それでも20−28年間のチェーンの年平均増加数は1,300以 上であり,10年代の600強にたいし2倍以上である。28年には2万チェーンに達したがこれ は20年の水準の2・1倍強であ′。た。他方チェーンーストアの増加をみると,28年にほ20年の
水準の2,4倍強に達し,あきらかにチエ−・ンより急速に増加した。年平均増加数も10年代 の3,600弱から20年代にほ8,800へと著増した。しかし,これらの数字もけ・つして実情を示し
てはいない。29年におこなわれた全国的センサスによれば,4店以上を所有するものをチ エ−ンと定義しでその店舗数は約16万(全小売店の108%)あった。2店以上を所有する
(31〉
ものをチェL−−ンと定義すればこれよりかなり多いことはあきらかである。
このように20年代の急速な増加の結果,4店以上を所有するチ、エ−ンの店舗数だけで小 売店総数の1割強に達した。でほその売上げ高はどうであったか。第3表に示されて:いる
ごとく,従来支配的な大規模店であった百貨店や通信販売店に比し,いちじるしく増加
(32)
している。いくつかの算定に.よれば,21年に13い69倍ドル,23年には28億ドルで小売売上 欝3表 小売形態別売上げ指数の変化、
云遠藤\\→jい919い920い921 1922】192311924」192511926壬192711928 百 貨 店
通信販売店 チェーン:
食 料 品 5−10セント品 服 飾 品
ド ラ ッ グ タ バ コ
靴
キャ ンディ 215122
(出所)NystIOm,Economic盲ofRetailing,1930,p229(FederalRese工Ve Bulletin の数字).
(31)Beckmanら紅よれば29年に4店以J:と定義して14・8万(Lebharのそれより約1方 多い),2店以上として約216万店であった(Beckman&Nolen,OpCit・,p30)。
(32)別の数字をあげると,22−27年間の年平均売上げ増加率は通信販売店(オ店)で9一2%,
百貸店(359店)で3」9%,食料品チェ−ン(27)で206%,5−10セント雑貨品チェ−ン(5)
で120%,ドラッグーチ.,:・−ン(9)で117%であった(Committee onRecent Economic Changes,OplCitり
た。
723 アメリカにおける小売業の再編成過程に.ついて −ヱ79−
\こ11\
げ総額の6%,26年にほ34倍ドルで約9%,27年は12%といわれて心る。これによってチ ェーンがそのシェアを急速に高めていったことほあきらかである。そして28年以後百倍店
(B4)
の売上げを上回ったといわれている。NystIOmによれば,28年における主な小売タイプ の売上げ総額申のシ.ェアほ百賃店16.0%,チェ・−ン18い0%,通信販売店36%,独立店
(35)
56・7%であった。29年センサスによれは4店以上のチ.=−ソだけで22.2%を占めてい た。2店以上を含めると約30%を占めることになるといわれている。店舗数で1割強を占 めるにすぎないチ,エーンが売上げ高の2割以上を占めるということはチ亮一ン・−ストアの
(36)
店当売上げ高が平均よりかなり高いことを示している。
さて,チェ−ンが急激な成長の結果到達した29年の水準ほいかなるものであったか。そ れほたん紅小売店総数や同売上げ総額申のレェアをみるだけではあきらかにされない。そ れは以下のどとき理由による。
チェーンは,基本的にほ,経営の合理化と特有の仕入=販売方法をてことし,価格競争 の過程を通しで急速に発展した。しかし,そのことほ取扱い品目を制約することに・なる0
発展の原因が同時にその樫楷となるわけである。たとえば,金物,宝石等ほ品自が多く,低
回転でサーヴィスを必要とされるし価格アピー・ルも制約されている。∵般に買回り品にか
んしては十和−けっして固定的でほないが…最寄り品のようには進出が容易でない○ しか
も主力を規格品に集中し,大屋需要の,それ故高回転の品目に集中する食料品等の分野で
(37)
ほ残余の分野を独立店にのこすことになる。さらに重要な点は,20年代に急速にその市場 を拡大していた耐久消費側の分野に進出しえなかったことである。このことこそは第二次 大戦後ディスカクソトーハウスが出現したもっとも重要な根拠をなす。その他サー・ビスの 排除もまた一定の制約となろう。消費パターンの個人的差異ほ,基本的傾向としてほ解消
(33)v,Beckman&Nolen,OpCit・,p・25;Nystrom,OpCit・,p41I訳,3ぺ−i7oなお Nystromほ別の論文で23年のチェーンのVェアを約8%,百貨店16%,通信販売店4
%としている(Nystrom, AnEstimate of theVolumeofRetailBusinessinthe United States ,Harvard Bu.sine.ss Review,VolhⅢ,No」2,Jan1925,p158)。
(3亜 CfMcNaiIM.Pり TrendsinLarge・ScaleRetaiiing ,HaYVardBulSinessReview,
VolX.No,1,Oct.,1931,p31・
(35)Nystrom,OplCitリp376
(36)26年の11都市のセンサスによれば,独立小売店の店当売上げ高は平均して,チェ′−
ソーストアのそれより約56%ひくかった。
脚 もっとも成功している食料品チェ−ンほ,900〜1,000の品目しか扱わず,年平均回転 は14臥A&Pなども平均950品目で在膵はbずか3,00つドルといわれている(Baxter,
W,丁.,Cカ〃よ乃5わγβか∠.sわ・㌶嘲わ0乃α兜d几勉〝αg♂∽♂妬1928,p16)。
724 欝36巻第5号
−jβ0・−−
=測−・化されつつあるが,一億の制約をなして.いることに・変りほない。
もちろん,他の部面におけるチェーンの発展がインパクトをあたえ,合理化をともなわ ないところのもっぱら資本力に依拠したチェーン方式による市場占拠率の拡大が図られる こともある。しかしそういう分野のチェ−ンの進出虔はひくい。
かくしてチェーンほ,20年代に多くの人々が予想したようにほ売上げの80〜90%を支配 することができな∨、。しかもチ∴ェーンの発展を制約する第二の理由は人口との関係にあ
る。チェーンは最初は主として人口密度の高い地域で発展した。これほ店当人ロが多いた め有利であったからである。そのうえ,中央倉庫からの各店への配達にも好都合であっ た。ある評価によれば,全国平均で食料品店の店当人口ほ309人であったが,チェ−ソは成
($8)
功するために800人を要するという。ドラッグでは1,885人である。このような制約を考慮 すれはチェーンが主として大都市や乗部の高度に産業の発達した諸州において増加したの はとうぜんであろう。全チェーンの85%ほ人口密集地域に立地しているという。また50%
以上がミドルーアトランタィックとノースーーセントラルの諸州に立地しているといわれて
(39)
いる。WooIwoIthなどほ長い間人口8,000以下のタウンにほ開設しない方針をとってい た。他のチェ−・ン(とくに.大チェーン)についても多かれ少なかれ同様のことが指摘できる。
もちろんかかる制約は弾力的であり,事実20年代後半にほ小さいコミュニティヘもしだい 把進出していった。しかし,それほ店当売上げの低下,経費の増大,利潤率の低下をひきお
こす。かくしてチェー・ンが大規模であれはあるはどかかる進出は ことになり,制約される。
以上のべた2点を考慮する時,チェー・ンが進出しうる業種分野と埠域において−どの程度 進出したかをみなければならないことがわかる。これによつてその重要性がいっそう明白
となろう。まず,センサスービュL一口ーの定義紅したがうと29年にほ小売売上げ総額の22
.2%をチェーソが占めていたが,雑須店では896%,靴賂7%,食料品関係32・4%,食 料品(肉類を扱うもの・扱わないもの)39・1%,牛乳および酪虚品46い2%等となってい
(40)
る。売上げ総額中のシェアにかんしてほ.,チェ−・ンは29年に到達した水準をその後もたい して一変えなかったが,同様のことほチェ−ンが主たる役割を果していた13の分野に ついても指摘しうる。そしてこの13の分野は.30年代に約30%のレグェルを保ってい
(38)Ibidり,p16
(39)Ibid.,p・10
(40)vlClark,FE&C」PClark・PYinci一〆esOfMaYIketing・3rd ed一,1947,p346;
Beckman&Nolen,Op Citu,p」267;Lebhar,OphCit・,pp68−71 ここではLebhar
による。
アメリカにおける小売其の再編成過程について −−JβJ−
725
(41)
た。それ故両者の問に約10%の差があったわけである。このようにチェー・ンほ特定の分野 ではかなり高いレ.ェ.アを占めていたのである。
つぎに地域別についてほどうか。29年にかんするデータを入手しえなかったので35年の それを引用しよ・う。人口50万以上の都市における主な業種のチ.ェーンのシェアは第4表に 示されている。こ.れによ′つてチ・ェーンが都市部において,しかも有利とする分野で重要な 地位を占めるように.な′つていたことがわかる。
チェーンが,多少の変勒があるとはいえ,29年に到達したレ,エアをその後も大して一変えな かったということほ.,20年代後半に小さいコミュニティへ・と進出しはじめていたことをも 考慮すれほ,20年代の急増の結果29年にはも・つとも経済的に−・一つまり利潤率の観点から
−・有利な進出可能地域にはぼ進出しつくし,そこでは.いらおう飽和点に達していたとみ なしてよいであろう。もちろんこのことは高速道路の建設や Suburbanization の進展
ともなう客観的条件の変化により,新たな進出可能地域の出現を否定するものではない。い 第4表 大都市におけるチ、エーンの売上げレェア(%)
ドラッグl靴 璽給油
852691197472︵05
9
5 4 9 7 1 4 2 3 3 8 0 0 8 3 8 00 5 7 3 8 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9
2 1 9 7 4 7 7 8 6 4 0 2 6 0 76 2 9 3 186 4 4 3.9 7 0 4 5 7 6 6 5 6 4 6 6 6 3 5 5
5 8 3 5 9 2 8 3 8 7 6 5 9 7
a 9 6 79 4 3
3 2 2 4 4 4 3 3 2 2 ▲4 3 3 2
1 4 8 8 2 7 5 7 2 5 3 4 0 8
6 3 7 6 0 8 9 3 18 0 8 5 8 3 5 4 5 6 5 4 2 4 4 5 2 3 3
パ ル デ ィ モア ボ ス ト ン バ ッ フ ァ ロ−
シ カ ゴ クリーグランド デ ー・ロ イ ト ロスアンゼルス ミルクォ−キ−
ニ.ユ・−・ヨ ーク フィラデルフィア ビッ ツ バ」− グ セ ント ルイ ス サンフラン1/スコ 全 国 平 均
(注)トずれも人口50方以上。ただし,1935年当時。
(出所)Beck皿an&Nolen,Op Cit・,p・39・
如 V. PostwaIPatternsofChainandIndependentStoreSales, Survey ofCurrent
β弘ざf邦β5,ざ,Vol▲29,−Tan1949,p9
第36巻 館5号
ーJβ2− 726
やむしろあたえられた地域における飽和状態の故にこそかかる新進出可能地域の出現は激 烈な進出競争を招来することになるのである。
(3)さで以上において,20年代に形成されたチ■ェ−ンの発展の客観的前提条件とその滞 来生じた急激な発展を考察した。しかしチ守一ンの発展は直接的にはどの程度経営の合理 化をおこない,したがってまたとの程度価格切り下げを実現しうるかに依存している。価 格競争を通して自立的に独立店の支配分野を侵蝕していったチェー・ンにとってこの点ほき
しjご\
わめて盛要∴である。そこで独立店との経費と価格の比較分析をして−みよう。
まず経費についてほ,この比較はきわめて困雉であり,また多くの研究もある。ここで
(48)
ほいらおう信頼性の高いものと考えられる解5表を掲げておく。この表よりチェ−ンが独 立店に比しかなり経費の切り下げ.を実現していることがわかる。その最大の原因ほ後述す
る雇用の減少と賃金の切り下げであるも
つぎに価格比較にかんしては,これもまた困難であり,部分的・断片的研究しかない。
(44)
しかしそのはとんとがチェーンの安価さを認めている。したがって問題は.その度合いであ ろう。29年にHarvard Bureau of Business Researchが食料品分野についておこなった 研究紅よると,卸=小売チ・ヤンネルの合計マージンほ28′′2%であるのにたいし,チェ−ン
(45)
は19・9%であっ牢0その他の分野については省略する。
第5表 経費比較(売上げ高紅たいする比率)
(出所)Converse&Huegy,Op・Cit・,pl361
掲2卜一ある調査によれば食料品購入にかんし,チ・.ェーンを利用する理由のうち,最初に指摘 した理由の59.36%は「安厭」,ついで立地の便利さが1504%であった(Beckman&
Nolen,Opr Cit。,P17生)。
(43)この独立店側の数字ほ約1%の過大評価があるという(Converse,PH&H W・
Huegy,7ゐβ属Jβ∽♂邦子S〃./■几ねγゐβ才友一乃g,1946,p347)。
糾 20年代になされたいくつかの研究については,Flynn,.r T小, Do tbe Cbains Un・
dersell? in Chain Siores,ed.by D.Bloomfield,1931,pp145N53,を参照せよ。
q5)Converse&Huegy,Op,Cit・,p362∩
アメリカにおける小売業の再編成過程について −Jββ−
727
さて−,以上のごとき経費・価格面での有利さはいかにして実現されたのであろうか。も っとも重要なのは小売業で最大の費用項目たる賃金である。店舗構造の規格化,さらには 販売政策の統一・=集中化その他の経営の合理化ほ分業による専門化を可能にし,単純労働
の分野を相対的に拡大した。しかも他方では各種の専門家を雇用しえたのである0
一腰にチェ−ンの雇用条件は悪く,反チェ−ソ連動ほチェーンの低賃金と長時間労働を 鋭く攻撃していた。しかし他の批判点ほともかく改善していったにもかかわらず,低賃金 の方ほあまり改善されなかった。ではい′つたいどの程度の格差があったのであろ・うか。デ 一夕不足のため30年代の研究を引鳳すると,まず,小売業全体の平均週賃金ほ2405ドル
(46)
であったのにたいし,独立店のそれは2345ドル,チ悠.−ンほ20・48ドルであった。個々の 分野における格差については第6表に示されている。これによってチ、エ−−ンの進出がいら
じるしい分野ではかなりの格差が存在していたことがわかる。先の数字でチ.コーンの・スト アーマニジャーの賃金を含めると25.49ドルと平均以上になるということは,チ.ェ−・ンの 賃金政策が低賃金と昇進とを抱き合わせにしていることを示している0
第6表 賃金比較 (1931年1月)
(注) フル−タイムの販売雇用者の週平均賃金
(出所)Beckman&Nolen・Op・Cit・,p50
q6)v.Beckman&Nolen,OplCit・・,p2081これは33年のFT C の資料紅よる。チェ ーンはストアーマニジャーの賃金を,独立店は店主の賃金を含まない。なお20年代紅お こなわれた部分的研究についてほ以下を参照せよ。Ernest,ElG &E・Mh Hartle,
=ChainManagementandLabor, inChain Stores,edby D Bloomfield,pp 200−
5
728 筋36巻 第5号
−J亡:・J−
チェ−ンの利点ほ低賃金だけでほなかった。卸機能と小売機能の統合は,雇用盈の相対 的減少叱責献したし,その他の新たな経営方法の採用について−も同様のことが指摘でき る。
(4)さて,これらの利点が大チ、工∴−ンはど大きいことは容易に想像できるであろう。大 チェ∴一川ンほ科学的・能率的組繊形腰と経営方法を徹底的に・採用し,経費の大巾な切り下げ
(47)
を実現できた。これにたいし,大多数の小規模チ・ェーンほ独立店とたいして変らなかった
(48)
といってよい。大小チ∴ご.−ン間の差は現金持帰り主義の採用のような,・一風すればいずれ も採用しうるがごとき面においても存在した。ある調査によれは,1,000店以上を有するす べてのチ,エ・−ンほ現金主義であるのにたいし,2〜5店のチ,ヱ.−ンは434%が現金主義であ
ったにすぎない。また持帰りの点についても1,000店以上のチェ−ンほ売上げの0・5%以下 を配達しているにすぎなかったのにたいし,6{一10碍のチ.ェーンでは38%を配達していた0
(49)
かかるサ−−ダイスの有無によるコストの差ほ.2〜4%といわれている。
しかし大チ・工−ンの価格上の利点はたんに経費の切り下げに・よってのみ実現されたので
ほない\。それは仕入力の差異とそれにもとづく仕入価格の格差紅よるところがもっとも大 きい。こ.れによって大チ.ェ−ンほ利潤マージンをひき上げて,しかもなお独立店および他
の小規快チ・ェーンより安く販売できたのである。そこでつぎに大チ∴ェーンの仕入面につい て考察しよう。
すでに指摘しでおいたように,チ.ェ−−・ンはメ−カーにたいし直接取引=卸師格を要求し・
しだいに実現していった。20年代におけるチ・ユ∵−ンの急速な発展ほメ−カーの態度を急速 紅変えていった。彼らは競争と過剰能力の圧力のもとでチ声−ンの仕入を自社に集中する ためリベートさえ出すように.なった。他方,大チ,エ−・ンもまた自己の実力を認識しその態度 を変えていった。彼らは彼らの巨大な販売値力の故にメ−カ−・の生産・流通上のコストを 低下させることが可能であると主張し,メーカ一にたいし,たんに卸価格のみらなず,そ
(47)その他の利点として,消耗品,備品等の一・括購入による割引,多数の店舗所有;こよる 広告効果および広告費の相対的低下等がある。なおこのノ串の抽象的考察化かんしてほ以 下を参照せよ,Weてd,LDHり Do Principles of Large・Scale PIOduction Applyto Me工Chandising? American Economic Review,VolⅩⅢ,Nol,MarL1923,pp・185−9 6,219−222
(姻 Zim血e工manは10店以下のチ・ェ・−ソほ「独立小売商に/充分分類されうる」とのぺて−い る。食料品チ,壬∴−ンではチェーソ闇有の経営方法は50店以上でないと充分可能でほない といわれている(Zinmerman,OplCit、・,p24,)。
h9)vlBeckman&No!en,Oph Cit。,pp・52−3
アメリカにおける小売菜の再編成過程について −Jβ5−
729
れ以上の譲歩を要求しはしめた。しかし20年代当時,そういう点のコスト計算が正確にお こなわれたわけでほない。大還仕入によるコスト低下ほ明白としても,問題ほその盈であ
る。しかし正確軋言傾できようとできまいとチェー・ンにとっては問題でほない0彼らとし てはメ−カーからできるだけ・の譲歩をひき出せほよいのである。計辞技術の未発達はチセ
\ご10\
−・ンにとってかえって有利にさえなりうる。しかもメーカーはコスト低 ̄Fと無関係のリベ ーートを,自己のイエンヤデイブで用いていた。これほチ悠.−ンがメ−カーからヨリ大きい 譲歩を挺得するための武器に逆転した。
このよう忙して特別の(内密の)割引・控除が,大チェーンにたいし−−・般的におこなわ れるようになった。そして20年代後半にほかかる事態はますます進行した。メーれ−はチ
ェーンの圧力のため原価以 ̄Fで売らなければならないように.なったとか,メー・カ⊥ほチ・.ェ ーンのなすがままになっているとさえいわれるようになった。しかしもちろんかかる主 張にほ根拠がない。反チ.ェーン論者がチェ丁ンを攻撃するために主張したのである。
しかしメ−カ−紅とって,その「適正利潤」を部分的に侵蝕するような要求がなさ
(51)