住民と帰国華僑を対象とする予備的考察
著者 河合 洋尚
雑誌名 客家與多元文化
巻 7
ページ 28‑47
発行年 2012‑09‑01
URL http://hdl.handle.net/10502/5595
広 西省 玉 林 市 に お け る 客家意識 と客家文化
土着住 民 と帰 国華 僑 を対 象 とす る予備 的考 察
河 合 洋 尚
摘要:迄 今 力止 日本 的人 炎 学 家根 少 美注 中 国西南 部 的客家 及 其 文化 。 本文 根 据 箸者 在 玉 林 市 的 田野 考 察付 槍 西 客家 的杁 同感 以及 文化, 杁 而提 出 西 客家 杁 同 的変 劫 性 以及 西 客 家 文 化 与 奈客 家 文 化 的"文 化 逆 居"現 象 。
キ ー ワ ー ド:客 家 地 姥 帰 国 華 僑 文 化 の 逆 転 現 象 広 西 省
客 家 は 、 世 界 各 地 に居 住 す る漢 族 の サ ブ ・エ ス ニ ッ ク集 団 で あ る が 、 そ の 多 くは 、 香 港 、 台 湾 を含 め た 中 国 東 南 部 に 居 住 して い る 。 そ れ ゆ え 、 文 化 人 類 学 で は 、 香 港 、 台 湾 、 福 建 省 、 広 東 省 、 海 南 省 な ど東 南 部 に お け る調 査 研 究 が 圧 倒 的 に
多 い もの の 、 例 え ば 中 国 西 南 部 の 客 家 に ま っ わ る調 査 は ま だ 十 分 に 進 め られ て い な い ω。 こ う し た 状 況 を鑑 み て 、 筆 者 は 2012年2月27日 か ら3月5日 に か け て 、 広 西 省 最 大 の 客 家 居 住 地 で あ る 玉 林 市 で 短 期 の フ ィ ー ル ドワー ク を 実 施 した 。 本 稿 は 、 そ の 調 査 デ ー タ ー に基 づ き 、 玉 林 市 の 客 家 意 識 と客 家 文 化 を考 察 す る こ と で 、 広 西 省 お よ び 中 国 西 南 部 の 客 家 の 一 端 を 紹 介 す る
。 そ の 前 に 、 広 西 省 の 客 家 に つ い て 概 観 す る こ と に し よ う。
1.広 西 客 家 の 人 口 と分 布
中 国 西 南 部 に は 、 広 西 省 、 貴 州 省 、 四 川 省 、 雲 南 省 、 チ ベ ッ ト 自 治 省 な ど が あ る が 、な か で も客 家 が相 対 的 に 多 い と現 在 考 え られ て い る の は 、 広 西 省 と 四 川 省 で あ る 。 そ の う ち 広 西 省 に は900万 人 以 上 の 客 家 が お り、 全 省 人 口 の 10%強 を 占 め る と 考 え られ て い る(2>。他 方 で 、 四 川 省 は 、 成 都 郊 外 と 東 南 部 を 中 心 に100万 余 りの 客 家 を 抱 え る と さ れ て お り(3)、全 省 人 口 の 約1.1%に 相 当 す る 。 こ の よ うに 見 る と、 中 国 西 南 部 で 客 家 が 最 も 多 く 、 高 い 比 率 で 居 住 す る の は 疑 い な く広 西 省 で あ る 。
そ れ で は 、客 家 は 広 西 省 の ど こ に 分 布 し て い る の で あ ろ うか 。鍾 文 典 が 著 し た 『広 西 客 家 』に よ る と 、広 西 省 に は 、 ほ ぼ100%の 人 口 が 客 家 で あ る 「純 客 家 県 」は 存 在 し な い 。
(1)た だ し、 金 裕 美 が 、 広 西 省 北 部 の 三 江 トン 族 自 治 県 に て 先 駆 的 な 調 査 を 行 っ て い る。 詳 し く は 、金 裕 美 「少 数 民 族 自治 県 の 漢 族 」瀬 川 昌 久 ・ 飯 島 典 子 編 『客 家 の 創 生 と再 創 生 一 歴 史 と空 間 か ら の 総 合 的 再 検 討 』 風 響 社(2012年)を 参 照 の こ と。
(2)鍾 文 典 『広 西 客 家 』 広 西 師 範 大 学 出 版 社 、2011年 、91頁 。
(3)劉 鎮 発 『「客 家 」 一 誤 解 的 歴 史 、 歴 史 的 誤 解 』 学 術 研 究 叢 書 、2011 年 、90頁 。
29
同 省 で は 、 客 家 は 全 域 に 分 布 し て い る。 た だ し 、全 体 を 見 渡 す と 、 客 家 は 、 東 部 に 多 く 西 部 に 少 な い 傾 向 が あ る 。 具 体 的 な 数 値 で 言 う と 、 客 家 の 人 口 が 最 も 多 い の は 、東 南 部 の 玉 林 市 で あ り、 特 に 同 市 の 博 白 県 に は 約85万 人 、 陸 川 県 に は 約50万 人 の 客 家 が い る 。 ま た 、 博 白 県 で 客 家 が 占 め る 割 合 は 約65%、 陸 川 県 で 客 家 が 占 め る 割 合 は 約69%
と な っ て い る 。 そ の 他 、 南 部 に 位 置 す る 防 城 港 の 市 区 と東 興 市 で は 約50%、 東 北 部 の 賀 州 市 八 歩 区 で は 約41%、 中 部 の 柳 州 市 柳 城 県 で は 約38%、 貴 港 市 区 で は 約35%が 、 客 家 で 占 め られ て い る 。 た だ し、 そ の 反 面 、 西 部 の 河 池 市 と 百 式 市 で は 、1県(河 池 市 管 轄 の 羅 城 区)を 除 き 、 全 て の 区/県 で 、 客 家 の 割 合 が3%を 下 回 っ て い る ω。
薫〃 碧
三 江 トン 族 自治 県
桂林
灘鳶書
賀州 羅城
蛭酵畜
べ み ナ ム
百式 河池
来賓
南寧
防城港
柳州
貴港 桂平 玉林 博 自 北海
陸川
梧州
茂名 懐 集
広斎省
図1:広 西 省 地 図
(4)鍾 文 典 『広 西 客 家 』 広 西 師 範 大 学 出 版 社 、2011年 、59‑88頁 。
鍾 文 典 の 同 書 に よ る と、 広 西 省 に お け る 客 家 の 起 源 は 、 紀 元 前219年 、秦 軍 が50万 の 兵 を 引 き 連 れ て 嶺 南 に 入 り、桂 林 、 象 、 南 海 の 三 郡 を 置 い た 時 ま で 遡 れ る と い う(5)。ま た 、 客 家 の 祖 先 が 広 西 省 に 大 量 に 移 住 して き た の は 、明 ・清 期 で あ り、
主 に 広 東 省 、 福 建 省 、 江 西 省 か ら移 入 した 。
広 西 省 の 客 家 に つ い て 言 及 す る 際 に 気 を つ け な け れ ば な ら な い の は 、 果 た して 誰 が 客 家 で あ る の か とい う問 題 で あ る 。 上 記 は 、 現 在 の ほ ぼ 公 的 見 解 と な っ て い る鐘 文 典 の 説 を 引 用 した が 、 広 西 省 に お け る 客 家 の 人 口 と比 率 に は ズ レが 存 在 す る。 例 え ば 、2011年 に 出 版 され た 『広 西 客 家 』 で は 、 広 西 省 の 客 家 人 口 が900万 人 と記 され て い る が 、 同 年 に 徐 天 河 が 著 した 『客 家 文 化 与 和 譜 広 西 』 で は 、 同 省 の 人 口 は700万 人 で あ る と し て い る 。 ま た 、 『広 西 客 家 』 は 客 家 が80余 りの 県/
区 に 分 布 し て い る とみ な して い る が 、『客 家 文 化 与 和 譜 広 西 』 は100余 り の 県/区 に 分 布 と記 して い る(6)。
こ の よ う な 違 い は 、1933年 に 羅 香 林 が 出 版 し た 『客 家 研 究 導 論 』 と比 べ る と 、 さ らに 顕 著 で あ る 。 羅 香 林 は 、 広 西 省 に お け る 客 家 の 分 布 と して13の 県/区 し か 挙 げ て お らず 、そ の 全 て が 「二 級 客 住 県 」、す な わ ち 客 家 の 全 県 に 占 め る比 率 が 約 30%の 地 区 で あ る と考 え て い た 。羅 香 林 が 挙 げ た13の 「二 級 客 住 県 」 を 挙 げ る と以 下 の 表 の 通 り と な る。
(5)鍾 文 典 『広 西 客 家 』 広 西 師 範 大 学 出 版 社 、2011年 、11頁 。 (6)徐 天 河 『客 家 文 化 与 和 譜 広 西 』 漸 江 大 学 出 版 社 、2011年 、7頁 。
地 区名 賀 県 藤 県 柳 城 馬 平 象 県 武 宜 桂 平 平 南 貴 県 博 白 郁 林 陸 川 北 流
現在の呼称
八歩 区 藤 県 柳 城 県
象 州 県 武 宜 県 桂 平 県 平南 県 貴港市区 博 白県 玉林市区 陸 川 県 北 流 県
現 在 の管 轄 市 と位 置 賀 州 市 の 中央 部 梧 州 市 の西 部 柳 州 市 の北 部 現在 の柳 州 市 内 か?
来貧 市 の東 北 部 来 貧 市 の東 部 貴港 市 の東 北部 貴港 市 の東 北部 貴港 市 の 中心 地 玉林 市 の東 南部 玉林 市 の 中心地 玉林 市 の東 南部 玉林 市 の東 部
比 率 現在の見解 約30%41.00%
約30%
約30%
1.30%
38.00%
約30%13.70%
約30%6.70%
約30%24.00%
約30%10.74%
約30%13.50%
約30%35.00%
約30%64.64%
約30%
約30%69。00%
約30%14.00%
表1:羅 香 林 に よ る 広 西 客 家 の 分 布 と現 在 の 見 解 と の 比 較 ①
表1を 見 れ ば 一 目瞭 然 で あ る が 、1930年 代 に 羅 香 林 が 考 え て い た 客 家 の 分 布 及 び 割 合 と、 現 在 の 見 解(8)と は か な り差 が あ る 。 特 に 、博 白 県 と陸 川 県 は 、現 在 こ そ60%を 超 え る 最 大 の 客 家 居 住 区 で あ る とみ な され て い る が 、 羅 香 林 は 、 そ の 半 数 し か認 め て い な い 。 逆 に 、 藤 県 、 象 州 県 の よ うに 、 羅 香 林 の 見 積 も りが 、 現 在 の そ れ を 上 回 っ て い る 事 例 も見 られ る 。 そ れ で は 、 なぜ 客 家 の 人 口や 分 布 を め ぐ る デ ー タ ー に 大 き な 差 が で き て しま うの か 。 ま ず 、 羅 香 林 が 広 西 省 ま で 直 接 調 査 に 赴 い て い な か っ た た め 、「正 確 さ 」に 欠 け て い た 可 能 性 を
(7)羅 香 林 『客 家 研 究 導 論 』 上 海 文 芸 出 版 社(128頁)を 参 照 し て 筆 者 作 成 。 現 在 の 見 解 は 、 鍾 文 典 『広 西 客 家 』 か ら 引 用 した 。
(8)鍾 文 典 『広 西 客 家 』 広 西 師 範 大 学 出 版 社 を 参 照 。
挙 げ る こ と は で き る だ ろ う。 羅 香 林 が どの よ うな 根 拠 と基 準 に 基 づ い て 広 西 省 の 客 家 を認 定 して い た の か 、 彼 ら の 著 作 で は 明 確 に 描 か れ て い な い 。 だ が 、 羅 香 林 の 見 解 が 現 在 の そ れ と大 き く 異 な る理 由 に つ い て 、 彼 の 調 査 不 足 だ け に 求 め る こ と は で き な い か も しれ な い 。 な ぜ な ら、 後 述 の 通 り、 広 西 省 で 客 家 を 自称 す る人 々 の な か に は 、 客 家 語 を 話 せ ず 、 現 地 の 広 東 語 系 話 者 と 変 わ ら な い 習 俗 を もつ 者 も少 な く な い か らで あ る 。 ま た 、彼 ら は 、1980年 代 に 改 革 ・開 放 政 策 が 始 ま る ま で 、 必 ず し も 客 家 と して の 自 己 意 識 を 抱 い て い な か っ た 。 っ ま り、 誰 を 客 家 とみ な す の か は 、 そ の 基 準 の 設 定 の あ り方 に
よ っ て 臨 機 応 変 に 変 わ り得 る 。
2,玉 林 市 に お け る客 家 意 識
玉 林 市 は 、 広 西 省 の 東 南 部 に位 置 して お り、 南 は 広 東 省 湛 江 市 と隣 接 す る。 同 市 は 、 都 市 部 の 玉 州 区 の 他 、 博 白県 、 陸 川 県 、 興 業 県 、 容 県 、 北 流 市 を 管 轄 して い る 。 そ の う ち 、 客 家 が 集 中 す る の は 、 上 述 の 通 り、 博 白県 と陸 川 県 で あ り、 そ の 他 の 県 で 客 家 が 占 め る割 合 は20%に 満 た な い 。玉 林 市 全 体 か らす れ ば 、 マ ジ ョ リテ ィ で あ る の は 広 府 系 に 属 す る 玉 林 人 で あ る 。 玉 林 市 の 絶 対 的 多 数 は 、 広 府 系 か 客 家 系 に 属 す る 漢 族 で あ る が 、 興 業 県 に は チ ワ ン 族 の 村 が あ る 。 今 回 、 筆 者 は 国 学 院 大 学 の 渡 邊 欣 雄 教 授 、 玉 林 師 範 大 学 の 陳 碧 准 教 授 と と も に 、博 白 県 、陸 川 県 、玉 州 区 の 漢 族 地 域 を 訪 問 し 、客 家 とそ の エ ス ニ ッ ク ・バ ウ ン ダ リー に つ い て の 調 査 を お こ な っ た(9)。
(9)な お 、3月4日 午 前 に 興 業 県 山 心 鎮 の チ ワ ン 族 村 で も 簡 単 な 聞 き 取 り 調 査 を お こ な っ た 。 こ こ の 村 民 が 説 明 す る と こ ろ に よ る と 、 彼 ら の 祖 先 は 山 東 省 か ら来 た と 昔 か ら 信 じ られ て き た とい う。
33
そ の うち 筆 者 が 主 な 調 査 地 と した 博 白県 と陸 川 県 は 、 玉 林 市 の 南 部 、 広 東 省 寄 りに位 置 す る。 上 述 の 通 り、 こ の2つ の 県 は 約3分 の2が 客 家 系 漢 族 で あ り 、 残 りの約3分 の1が 広 府 系 漢 族 とな っ て い る。 こ こ で 話 され る 客 家 語 は 、 広 東 省 梅 県 の 客 家 語 と少 し異 な る が 、 意 思 疎 通 は とれ る。 だ が 、 広 府 系 漢 族 が 話 す 玉 林 語 は 、 広 東 語 の 一 系 統 と は い わ れ る が 、 香 港 や 広 州 市 で 用 い られ る そ れ とは 、 か な り異 な る 。 筆 者 は 香 港 や 広 州 市 の 広 東 語 は お お よそ 聞 き 取 る こ とが で き る が 、 玉 林 語 の そ れ は 全 く聞 き 取 れ な か っ た 。 特 に 、 博 白県 で は 、 玉
テ ィ ラ ウ フ ァ
林 語 は 「地 姥 話 」 と呼 ば れ て お り、 そ の話 者 は 客 家 側 か らは
ティ ラウ ティ ラウグイ
「地 姥 」、 あ る い は 差 別 的 な 意 味 を 込 め て 、 「地 姥 鬼 」 と呼 ば れ て き た 。
こ の よ うに 、 博 白県 や 陸 川 県 で は 、2つ の 異 な っ た 方 言 が 存 在 して お り、 特 に 南 部 の 農 村 部 で は 、 昔 か ら 客 家 語 が 優 勢 で あ っ た と い う。だ が 、少 な く と も1980年 代 ま で は 、玉 林 市 区 に近 い 北 部 で は 、 む し ろ 「地 俵 話 」 が 優 勢 で あ っ た 。 例 え ば 、博 白県 出 身 の 客 家 で あ るX氏(40歳 代 、A氏 宗 族 の 有 力 者)に よ る と 、北 部 に 位 置 す る 博 白県 城 は 、1980年 代 ま で 「地 姥 話 」 の 飛 び 交 う都 会 的 な 場 所 だ っ た の だ と語 る 。 彼 は 、 昔 を 回 顧 しな が ら次 の よ うに 語 っ た 。
「私 が 中 学 ・高 校 に 博 白県 城 に 来 た 時 、こ こ で は 地 姥 話 が 主 に 話 され て い た 。 当 時(1980年 代)は 、 地 姥 話 と言 え ば 都 市 の 言 葉 で あ り 、 そ れ を 学 ん で 話 す の が 都 会 的 な ス タ イ ル で あ っ た 。しか し、2000年 に 入 っ た 頃 か ら県 城 の 様 子 は 一 変 し た 。 1990年 代 に 農 村 の 客 家 が 県 城 に 入 りだ す と、客 家 の 勢 力 が 次 第 に 強 く な っ た 。 ま た 、 博 白県 の 政 府 高 官 や 裕 福 な 商 人 も 客 家 で 占 め られ る よ うに な っ た 。 今 や 県 城 で は 客 家 語 が 権 威 を
も っ よ う に な り 、 地 姥 話 を 話 して い た 者 も客 家 語 を 話 す よ う に な っ た 。 地 姥 話 と 客 家 語 の 双 方 使 え る者 は 客 家 語 を使 う よ うに な り、ま た 彼 ら の な か に は 客 家 を 自認 す る 者 ま で 現 れ た 」。
実 際 、 博 白 県 の 県 城 お よ び そ の 周 囲 を歩 い て み る と、 客 家 語 が 優 勢 で あ り 、 例 え ば こ こ の 出 身 で あ る 言 語 学 者 ・王 力 も ま た 客 家 で あ る と説 明 され て い る 。 しか し、 王 力 の 出 身 村 の 人 々 は 地 姥 話 も 話 す こ と が で き る だ け で な く 、 か つ て は 地 姥 話 を 主 に 使 っ て い た の だ とい う。
こ う した 例 は 、 博 白 県 で は 至 る と こ ろ で 見 られ た 。 た と え ば 同 県 頓 谷 鎮 のB氏 一 家 は 、 「地 姥 話 」を 話 し、父 母 も祖 父 母 も 「地 姥 話 」 の 話 者 で あ っ た に も か か わ らず 、 自 ら を 客 家 で あ る と認 識 して い た 。 そ こで 、 こ の 一 家 の 祖 先 が ど こ か らや っ て き た の か 尋 ね た と こ ろ 、 一 家 の 老 人 は 、 安 徽 省 が 彼 ら の ル ー ツ で あ る と答 え た 。 彼 らの 語 り に は 、 客 家 の 移 住 ル ー ト
と し て 知 られ る 、 寧 化 、 梅 県 と い っ た 地 名 は 出 て こ ず 、 祖 先 が 安 徽 省 か ら ど の よ うに 博 白 県 に 辿 り着 い た の か も 分 か ら な い の だ とい う。 筆 者 が 広 州 市 で 調 査 した 時 、 や は り祖 先 が 安 徽 省 か ら移 民 し て き た と 主 張 す る 広 東 語 話 者 に 幾 度 か 遭 遇 し て き た が 、 彼 ら は い ず れ も客 家 で は な く広 府 系 漢 族 を 主 張 し て い た 。 だ が 、B氏 は 同 じ条 件 で あ る に もか か わ らず 、 客 家 を 主 張 して い た 。
同様 の 例 は 、 陸 川 県 に も存 在 し て い た が 、 特 に 興 味 深 い の は 、同 県 新 城 のC氏 の 事 例 で あ っ た 。 こ こ で は 、玉 林 語 を 「白 話 」 と 呼 ん で お り、C氏 が 祖 先 代 々 日常 的 に 話 し て き た の も
「白語 」 で あ っ た 。 だ が 、 彼 ら の ア イ デ ン テ ィ テ ィ を 聞 く と、
B氏 と 同 じ く、 客 家 で あ っ た 。B氏 の 事 例 と 同様 に 彼 らの ル ー ツ を 聞 い た と こ ろ 、 こ この老 人 は 、彼 らの祖 先 が江 西省 の
35
「珠 機 巷 」か らや っ て き た の だ と い う。実 際 にC氏 の族 譜 を 見 せ て も ら う と 、 彼 らの 始 祖 は 江 西 省 吉 安 府 西 門 珠 機 巷 の 出 身
で あ る と記 載 され て い た 。
筆 者 は 広 東 省 で 長 年 調 査 を して き た が 、C氏 の 事 例 に は 驚 き を 隠 せ な か っ た 。 な ぜ な ら、 東 南 部 で は 一 般 的 に 、 江 西 省 吉 安 府 や 珠 機 巷 か ら嶺 南 に 移 住 した 漢 族 は 広 府 系 で あ る 、 と み な され て い る か ら で あ る(10)。C氏 の 場 合 、珠 機 巷 か ら博 白 県 に 移 住 して お り、 ま た 広 東 語 系 統 の 言 葉 を祖 先 代 々 話 し て い る 。 そ れ ゆ え 、 観 察 者 の 眼 か らす れ ば 、 彼 ら は 明 らか に 広 府 系 漢 族 で あ っ た 。 に も か か わ らず 、 彼 らは 客 家 と して の 自
己認 識 を も っ て い る 。
で は 、 な ぜ 彼 ら が 客 家 と 自認 して い る の か に つ い て 、 あ る 老 人 の 語 っ た 一 言 は 印 象 深 い もの で あ っ た 。 っ ま り、 こ の 地 に お い て 「白話 」 を 話 す 者 は 遅 れ て 移 住 して き た の で 、 彼 ら は 「客 」 で あ る の だ とい う。 つ ま り、彼 ら は 、 「広 東 省 ・福 建 省 ・江 西 省 の 境 界 地 区 か ら移 住 して き た 客 家 語 話 者 」 とい う 現 代 的 な 客 家 観 で は な く、 遅 れ て 移 住 して き た 外 来 者(す な わ ち 「客 」)と み な して い た の で あ る 。 さ らに 、外 部 か ら学 者 や 政 府 関 係 者 が や っ て き て 、 彼 ら が 客 家 で あ る と言 い だ した こ と も、 彼 ら が 客 家 ア イ デ ン テ ィ テ ィ を獲 得 す る契 機 とな っ て い た 。 彼 ら は 大 夫 弟 と呼 ば れ る集 合 住 宅 に 住 ん で お り、 そ
セへお く レへ りゅ うお く
の 形 状 は 、代 表 的 な 客 家 建 築 と され る 囲 屋 も し く は 囲 龍 屋 に 似 て い る 。 ま た 、 住 民 に 「客 」 意 識 が あ っ た の で 、 囲 屋 建 築 に住 む 客 家 とい うイ メ ー ジ を つ く り だ す こ とで 、地 元 政 府 は 、 こ こ の観 光 化 を 進 め よ う と した 。 こ う し て 、彼 らは 、「客 」 だ
(10)河 合 洋 尚 『相 律 す る 景 槻 一 中 国 広 州 市 の 都 市 景 観 再 生 を め ぐ る 人 類 学 的 研 究 』 東 京 都 立 大 学 提 出 博 士 論 文 、2009年 、60頁 。
け で な く 、 現 代 的 な 客 家 と して の ア イ デ ン テ ィテ ィ を 獲 得 す る よ うに も な っ て い っ た 。
こ れ ら の 事 例 に 見 られ る よ う に 、 博 白 県 や 陸 川 県 に お け る 客 家 と し て の 自 己 意 識 は 、 近 年 創 られ た 側 面 が 往 々 に し て あ る 。 博 白県 で 筆 者 を ア テ ン ド して くれ た 先 述 のX氏 は 、 自 身 も ま た 最 近 に な る ま で 自身 と 自身 の 一 族 が 客 家 で あ る こ とを 知 ら な か っ た の だ とい う。X氏 に よ る と 、 現 在 で こ そ 玉 林 市 全 体 で 客 家 と い う言 葉 は 広 く行 き渡 っ て い る が 、1980年 代 に な る ま で 博 白県 の 多 くの 住 民 は 、 客 家 と い う言 葉 を 知 らな か
ジ ガ ニ ン ゴ ンンガイ ワ ニ ン
っ た 。 そ れ ま で は 自 身 を 「自 家 人 」 ま た は 「講 催 話 人 」 な ど と呼 ん で き た の だ とい う。X氏 と彼 の 一 族(A氏 宗 族)・ 友 人 が 自 ら を客 家 で あ る と知 っ た の は1990年 代 で あ り 、 こ の 頃 、 政 府 が 標 準 中 国 語 の 普 及 活 動 を 展 開 した 時 、 自 らの 方 言 集 団 が 客 家 と呼 ぶ と い う こ と を 教 え られ た の だ そ うだ 。
こ の よ うに 、1980年 代 以 降 、客 家 とい う概 念 が 玉 林 市 に 導 入 され る よ うに な り、 そ れ 以 降 、 こ こ の 少 な か らず の 住 民 が 客 家 と し て の 自 己 意 識 に 目覚 め る よ うに な っ た 。A氏 は 、 客 家 語 を話 し、 江 西 省 南 部 の 安 遠 県 か ら移 住 し た と い う伝 承 を も つ の で 、 「広 東 省 ・福 建 省 ・江 西 省 の 境 界 地 区 か ら移 住 し て き た 客 家 語 話 者 」 とい う現 代 的 な 客 家 観 を 抵 抗 な く受 け 入 れ る こ と が で き た 。 た だ し 、B氏 やC氏 の よ う に 、 広 東 語 系 統 の 言 語 を話 し、 広 東 省 ・福 建 省 ・江 西 省 の 境 界 地 区 に ル ー ツ を も た な い 一 族 ま で も が 客 家 と して の 自 己 意 識 を 喚 起 して い る こ と は 、 注 目 に 値 す る。C氏 の 場 合 、 そ の 要 因 と な っ た の が 「客 」 意 識 で あ り 、 ま た 、 囲 龍 建 築 の 住 民=客 家 と決 め っ け る ス テ レオ タ イ プ 的 な 客 家 文 化 像 で あ っ た 。
X氏 が 述 べ て い た よ うに 、 か つ て の 博 白 県 で は 地 姥 話 に都
37
会 的 な イ メ ー ジ が 付 与 さ れ て い た が 、 現 在 で は 、 客 家 語 に権 威 が 与 え られ る よ うに な っ て い る。 特 に 、2006年11月 に博 白県 政 府 の 主 催 で 「第 一 回 客 家 文 化 節 」 を 開 催 して 以 来 、 博 白県 と陸 川 県 は 、 客 家 を ブ ラ ン ドと して 地 域 開 発 をす る 戦 略 を 開 始 して い る 。 こ う した 社 会 政 治 的 な 状 況 の な か 、 客 家 語 を 話 し、 客 家 を 名 乗 る こ と は 、 現 在 、 政 策 的 ・経 済 的 な 側 面 で も プ ラ ス に働 く よ うに な っ て い る 。
3.玉 林 市 に お け る 客 家 文 化
近 年 、 客 家 系 漢 族 と広 府 系 漢 族 の エ ス ニ ック ・バ ウ ン ダ リ ー は 変 化 し て い る が 、 両者 には所 属 意識 の上 での 区別 が あ る こ と は確 か で あ る。 博 白県 や 陸 川 県 で は 、 客 家 語 と 玉 林 語 の 双 方 を 話 せ る 者 は 少 な く な い が 、 所 属 意 識 の うえ で は 「客 家 系 で も あ り広 府 系 で も あ る 」 と答 え た 者 は お らず 、 二 者 択 一 で 回 答 し て い た 。 で は 、 客 家 系 漢 族 と広 府 系 漢 族 は 、 文 化 の 上 で どれ だ け 差 異 を 互 い に 認 め て い る の だ ろ うか 。 こ の 問 題 に つ い て 、 ま ず 年 中 行 事 に つ い て 見 て い く と し よ う。 以 下 に 挙 げ た 表2は 、 東 平 鎮 のA氏 宗 族 か ら 聞 い た 彼 ら の 年 中行 事 の 内 容 で あ る。
日 旧 暦1月1日 旧 暦1月2日 旧 暦2月15日
旧 暦2月2日
旧 暦2月16日
行 事名 初 開 年 元 宵節 龍 拾頭 春 祭
内容
何 も しな い 。 素 食 を 食 べ る。
獅 子 舞 な ど 、 活 動 を 開 始 す る 。
「楡 菜 」 を す る こ と が あ る 。
東 平 鎮 で は な く、 他 の 鎮 で 龍 舞 を お こ な う一 派 も い る。
祠 堂 で 祖 先 祭 祀 を お こ な う。
旧 暦3月3日
新 暦4月5日
旧 暦5月5日
旧 暦7月15日 旧暦8月16日 新 暦9月9日 新 暦12月22日
三 月 三
清 明節 端 午節 鬼 節 秋 祭 重 陽節 冬 至
(こ れ は 少 数 民 族 の 祭 り で あ る か ら 漢 族 で あ るA氏 は や ら な い)
個 々 の 祖 先 の 墓 参 りを す る 。 祖 先 崇 拝 を す る が 、 ド ラ ゴ ン ボ.̲.̲
ト ・ レ ー ス は や ら な い 。 祖 先 供 養 を す る。
祠 堂 で 祖 先 祭 祀 を お こ な う。
祠 堂 で 個 別 に祖 先 祭 祀 を す る 。 特 に何 も し な い 。
表2:博 白 県 東 平 鎮A氏 の 年 中 行 事
表2を 見 れ ば 一 目瞭 然 で あ る よ うに 、A氏 の 年 中 行 事 は 、 東 南 部 の 客 家 は も ち ろ ん 、 他 の 漢 族 と比 べ て も 大 差 な い 。A 氏 は 春 祭 と秋 祭 を 非 常 に 重 視 して い る が 、 広 東 省 梅 県 で も こ れ ら の 祭 り を盛 大 に お こ な う一 族 は あ る。 お そ ら く東 南 部 の 客 家 地 区 と比 べ て 比 較 的 珍 しい の は 、 元 宵 節 に行 う 「楡 菜 」、
お よ び 旧 暦2月2日 に 東 平 鎮 の 外 に 住 む 分 家 が 行 う「龍 拾 頭 」 の 習 俗 で あ ろ う。 前 者 は 、 「菜choi」 が 「財choi」 と 同 音 と い う こ と に あ や か り、 こ の 日に(暗 黙 の 了 解 の も と で)隣 人 の 畑 か ら野 菜 を少 し盗 む 。 他 方 、 後 者 は 、 雨 を 司 る 龍 王 を 祀 る 日で あ り 、 龍 舞 を しな が らパ レ ー ドを して 年 内 に 十 分 な 雨 が 降 る よ う祈 願 す る祭 りで あ る 。 だ が 、 こ の 二 つ の 行 事 は 現 地 特 有 の 客 家 文 化 で あ る の か ど うか とい う と、そ うで も な い 。
こ の 二 つ の 習 俗 は 博 白県 、 陸 川 県 、 玉 州 区 の 広 府 地 域 に も 存 在 す る か ら で あ る。
実 際 、A氏 に 「あ な た 達 の 年 中 行 事 は 地 姥 た ち の そ れ と ど こ が 違 うの か 」 と聞 い て も 、 皆 「基 本 的 に は 同 じ」 と答 え て
39
い た 。 唯 一 違 い を 強 調 され る こ とが あ っ た の は 、 表2の よ う に 年 一 回 す る の で は な く、 季 節 の 折 り 目の 旧 暦8日 に催 され る とい う 「倣 社 」 と い う儀 礼 で あ っ た 。A氏 一 族 の 話 に よ る と 、「倣 社 」は 、木 の 下 に あ る 土 地 伯 公 を 拝 み 、米 や 豚 な ど を 供 え て 村 中 の 平 安 を 祈 る大 き な 儀 式 で 、 同 地 の 地 姥 語 話 者 は そ れ を しな い の だ と い う。 た だ し、 玉 州 区 永 上 村 の あ る 広 府 系 漢 族 村 で は 、 毎 年 旧暦4月6日 に 「倣 社 」 を盛 大 に す る の で 、 実 際 に は 客 家 だ け の 習 俗 と は い え な い 。 現 段 階 で は 、 玉 林 市 の 客 家 系 漢 族 と 広 府 系 漢 族 の 間 に 、 決 定 的 な 差 異 を 見 出 す の は 難 し い。
しか しな が ら 、 そ の 一 方 で 、 現 在 の 玉 林 市 に は 、 客 家 を 資 源 と して 経 済 発 展 を促 そ う とす る 動 き が あ る 。 こ う した 動 き の な か で 、 客 家 の 多 い 博 白県 や 陸 川 県 の 有 名 な 特 産 物 を 、 客 家 の 名 の も とで 売 り出 して い こ う と す る 戦 略 が採 択 され る よ うに な っ て い る。 た と え ば 、 陸 川 県 で 有 名 な 豚 足 、 蛇 酒 、 鍋 な ど は 、 陸 川 客 家 商 会 の 会 館 で も並 べ られ る よ うに な っ て お り、 客 家 の 名 の も と で 宣 伝 され 始 め て い る。 ま た 、 陸 川 県 の 観 光 名 所 で あ る謝 魯 山庄 で は 、 山 歌 な どの 芸 能 、 お よ び 地 元
の 料 理 が 、 客 家 文 化 と して 看 板 に 表 記 され て い た 。
現 在 、 玉 林 市 で 客 家 文 化 産 業 の 最 大 の タ ー ゲ ッ トとな っ て い る の は 食 で あ る 。 言 い 換 え れ ば 、 食 は 、 玉 林 市 に お け る客 家 ら し さ を 醸 し 出 す 最 も重 要 な 資 源 の 一 つ と な っ て い る。 で は 、 玉 林 市 で は 、 何 が 地 元 の 客 家 料 理 と して 提 示 され て い る の だ ろ うか 。 上 述 の 陸 川 豚 足 の 他 、 玉 林 市 で 客 家 料 理 と し て 提 示 さ れ て い る料 理 の い くつ か は 、 非 常 に 興 味 深 い もの で あ っ た 。 ま ず 、 玉 林 の 代 表 的 な 料 理 と して 「豚 肚 鶏 包 」 と い う 鶏 を 入 れ た 火 鍋 が あ る が 、 こ れ は 客 家 だ け が 特 に 食 す 料 理 で
は な い た め 、 何 を 根 拠 に 客 家 を 語 っ て い る の か 理 解 に 苦 しむ も の で あ っ た 。 次 に 、 玉 林 市 で 客 家 料 理 と し て 宣 伝 され て い る 料 理 に は 、 「白切 鶏 」(鶏 の ス チ ー ム)や 「牛 雑 」(牛 の 様 々 な 部 位 と大 根 を お で ん の よ う に煮 る)が あ り、 そ れ ぞ れ 「客 家 白 切 鶏 」「客 家 牛 雑 」な ど客 家 の 二 文 字 を 頭 に つ け て 売 り出 さ れ る こ と も あ っ た 。 だ が 、 こ の 二 つ の 料 理 は 、 広 東 省 や 香 港 で は 広 府 料 理 とみ な され る傾 向 が 強 く 、 広 州 で は 代 表 的 な 広 府 料 理 と して 売 り 出 され る こ とす らあ る(11)。
以 上 の 食 の 事 例 の よ うに 、 東 南 部 で は 広 府 系 漢 族 の 文 化 で あ る の に 、 西 南 部 で は 客 家 の 文 化 に な る とい う 「文 化 の 逆 転 現 象 」 は 建 築 の 面 で も 見 られ た 。 例 え ば 、 広 東 省 で は 、 青 レ ン ガ の 壁 、 横 木 の 門 、 そ して 耳 の 如 く丸 く突 出 し た 屋 根(広
ウォ イチ ョン
州 市 近 郊 で は 「鐘 耳 壁 」 と呼 ば れ る)は 、 い ず れ も 広 府 建 築 の 典 型 的 な構 成 要 素 で あ る と み な され て い る(12)。しか し、博 白 県 や 陸 川 県 で は 、 客 家 の 建 築 と して 紹 介 され た 建 築 の 多 く に 、こ れ ら の 建 築 パ ー ツ が 見 られ た 。(巻 頭 カ ラ ー 写 真2頁 上 段 「博 白県 の 客 家 建 築 に 見 る 青 レ ン ガ の 壁 と鎮 耳 壁 」 参 照)
ま た 、 東 南 部 で は 客 家 文 化 と され て い る 囲 屋 建 築 が 、 玉 林 市 で は 広 府 系 漢 族 の 住 居 で あ る とい う、逆 の 認 識 も 見 られ た 。 例 え ば 、 玉 州 区 の 北 郊 外 に位 置 す る 高 山村 を 初 め て 訪 れ た と き 、 筆 者 は こ こ が 客 家 村 で な い か と思 っ た 。 とい うの も 、 彼
らは 、 玉 林 語 を話 し て は い た け れ ど も 、 祖 先 が 山 東 省(つ ま り 中 原)よ り南 下 し て い た こ と を強 調 して い た し 、 何 よ り も 彼 らは 客 家 の 「故 郷 」 と して 有 名 な梅 県 の 客 家 建 築 囲 龍
(11)河 合 洋 尚 「都 市 化 と食 景 観 の 創 造 一 広 州 の 広 東 料 理 」 河 合 利 光(編)
『世 界 の 食 を 学 ぶ 』 時 潮 社 、2011年 、123‑143頁 。
(12)河 合 洋 尚 『相 律 す る 景 観 一 中 国 広 州 市 の 都 市 景 観 再 生 を め ぐ る 人 類 学 的 研 究 』 東 京 都 立 大 学 提 出 博 士 論 文 、2009年 、 第4章 。
屋 に 似 た 集 合 住 宅 に住 ん で い た か らで あ る。 しか し、 彼 ら に
ジイ オッヤンガ
は 客 家 と して の 自 己 意 識 は な く 、 自身 を 「住 屋 人 家 」 と称 し て い た 。 同 行 した 陳 壁 に よ る と 、 現 地 に お い て 「住 屋 人 家 」 は 、 広 東 語 系 漢 族 に相 当 す る 表 現 な の だ とい う。
「何 が 客 家 文 化 で あ る の か 」 とい う認 識 は 、東 南 部 と玉 林 市 で は 異 な っ て い る 。 こ の こ と は 、 博 白県 東 平 鎮 松 洞 村 の 義 民 廟 の 事 例 に 端 的 に 現 れ て い た よ うに 思 う。こ の 地 に は 、「義 勇 祠 」 と呼 ば れ る義 民 廟 が あ り、 そ れ を 管 理 して い るA氏 の 老 人 が 言 うに は 、 太 平 天 国 の 乱 お よ び そ の 前 の 天 地 会 の 抗 争 で 死 去 したA氏 内 外 の者 を 、 葬 っ て 祀 っ た も の で あ る 。 義 民 廟 お よ び そ れ に ま つ わ る ス トー リー は 、 言 うま で も な く 、 台 湾 を 始 め とす る東 南 部 で は 、 客 家 の 文 化 と して説 明 され る も の で あ る。 し か し、A氏 に は 、 これ が 客 家 文 化 だ とい う意 識 は 存 在 して い な い 。 つ ま り、 東 南 部 で 典 型 的 な 客 家 文 化 と され て い る も の が 広 西 省 の 地 に あ る に も か か わ らず 、 そ れ は 客 家 文 化 と し て 表 象 され て い な い の で あ る 。 客 家 文 化 政 策 が 進 む 博 白 県 で 、 こ の 義 民 廟 は 後 に 客 家 文 化 と して 「発 見 」 され る 可 能 性 も あ る が 、 現 在 は 、 ま だ 東 南 部 に お け る 客 家 文 化 表 象 と接 続 され て い な い 。(巻 頭 カ ラ ー 写 真2頁 下 段 「義 勇 祠 の殿 内 で 祀 られ て い る 戦 死 者 の 位 牌 」 参 照)
4.帰 国 華 僑 の 語 り と の比 較
こ れ ま で 、 玉 林 市 に お け る 客 家 系 漢 族 の ア イ デ ン テ ィテ ィ と文 化 に つ い て 、 広 府 系 漢 族 との 比 較 か ら述 べ て き た が 、 彼 らは い ず れ も 同 市 で 生 ま れ 育 っ た 、 い わ ば 土 着 住 民 で あ る 。 しか し 、 玉 林 市 の 客 家 に つ い て 論 じ る 際 に 注 意 し な けれ ば な らな い の は 、 この 地 に は 、 外 部 か ら移 住 して き た 客 家 も存 在
して い る とい う こ と で あ る。 特 に 、 玉 林 市 は 、 華 僑 の 輩 出 地 と して も知 られ て お り、 な か に は 海 外 の 華 僑 社 会 か ら戻 っ て き た 帰 国 華 僑 も居 住 して い る 。 彼 ら は 、 同 じ客 家 系 漢 族 と言 っ て も 、人 生 経 験 や 文 化 の うえ で 土 着 住 民 とは 異 な っ て い る 。 筆 者 は 、 イ ン ドネ シ ア か ら帰 国 し 玉 州 区 に 住 ん で い る 数 名 の 客 家 華 僑 か ら話 を 聞 く こ とが で き た の で 、 こ こ で 簡 単 な 比 較
を して お き た い 。
中 国 人 が 中 国 南 部 か ら東 南 ア ジ ア に 移 住 した 歴 史 は 、 少 な く と も唐 代 に 遡 る こ とが で き る が 、 王 虞 武 が 言 う よ うに 、 移 住 が 劇 的 に 増 加 し た の は19世 紀 半 ば 以 降 の こ とで あ る(13)。
筆 者 が イ ン タ ヴ ュ ー したD氏(60歳 代)の 祖 父 母 が 広 東 省 掲 陽 市 か らイ ン ドネ シ ア の ス マ トラ 島 に移 民 した の も19世 紀 で あ り、 彼 女 は 、 中 国 人 で は あ っ た が 、 家 庭 と 中 華 学 校 以 外 で は イ ン ドネ シ ア を 使 い 、 ま た 、 イ ン ドネ シ ア 化 した 中 華 料 理(プ ラ ナ カ ン 料 理)を 食 べ て い た 。他 方 で 、E氏(60歳 代) の 父 母 は 広 東 省 梅 県 か らイ ン ドネ シ ア の ジ ャ ワ 島 に 移 住 した が 、 同 じ 中 国 人 同 士 で も方 言 が 異 な る場 合 は 、 イ ン ドネ シ ア 語 で 会 話 して い た の だ と い う。 彼 ら は 、 幼 少 期 か ら華 人 学 校 で 勉 強 し、 標 準 中 国 語 も勉 強 し て き た が 、 イ ン ドネ シ ア で 華 人 排 斥 の 動 き が 強 ま る に つ れ 、 華 人 学 校 が 閉 鎖 され 、 勉 強 す る場 を 失 っ た 。 そ こ で 、1960年 、D氏 は11歳 、E氏 は14歳 の 時 に 家 族 と と も に 広 州 市 の 黄 哺 港 を経 由 して 、 中 国 に 帰 国
した 。
当 時 、 イ ン ドネ シ ア か ら帰 国 し た 華 僑 は 、 卒 業 後 、 華 僑 農 場 や 華 僑 林 業 に 配 属 さ れ る ケ ー ス が 多 く 、D氏 とE氏 は と も (13) Wang, G. W. "The Origin of Hua-Chiao," In G. W. Wang (ed.) Community
and Nation: China, Southeast Asia and Australia. Allen and Uniwin, pp. 1 -1 0
43
に柳 州 市 柳 城 に あ る 華 僑 農 場 で 働 い た 。 彼 ら が 柳 城 の 華 僑 農 場 を 選 択 した の は 、 単 に 都 市 に 近 い 華 僑 農 場 に 行 き た か っ た と い うだ け の 理 由 か らだ とい う。 彼 ら が イ ン ドネ シ ア に 行 く 前 、 聞 い て い た 中 国 の イ メ ー ジ は 非 常 に 美 し く、B氏 の 父 親 な ど は 中 国 に 行 く の が 夢 で あ っ た 。 だ が 、 実 際 に 中 国 に 戻 っ て 柳 県 に 住 ん で み る と 、 騙 され た 気 分 で 一 杯 に な り、 一 日で も 早 く 中 国 を 離 れ た か っ た の だ そ う だ 。 現 に 、1979年 に 改 革 ・開 放 政 策 が 始 ま り、 出 国 が 許 可 され る よ うに な る と、D 氏 とE氏 の 家 族 の 大 半 は 香 港 に 移 住 し た。 も と も と彼 ら も 香 港 へ の 移 住 を 申請 した が 、 政 府 か ら の 許 可 が 下 りず 、 華 僑 農 場 を 離 れ て 玉 林 市 に 移 住 して き た 。 そ こ で 、 ど の よ うな 点 で 現 地 へ の 適 応 に 苦 し ん だ の か 尋 ね る と、E氏 は 、 気 候 と隔 離 の2点 を 挙 げ た 。
E氏 に よ る と、 彼 ら は 同 じ客 家 と言 っ て も 、 イ ン ドネ シ ア で 生 ま れ 育 っ て い る た め 、 食 べ る物 も着 る 服 も異 な る。 彼 ら は 、 イ ン ドネ シ ア の 料 理 に 慣 れ て お り、 客 家 で は あ るが 広 西 省 の 客 家 料 理 に は 慣 れ 親 しん で い な い 。 だ が 、 彼 らの 説 明 で は 、 食 へ の適 応 は そ れ ほ ど 困 難 で な か っ た 。 香 港 に移 住 した 家 族 に 食 材 を 買 っ て き て も らい 、 自分 で ナ シ ゴ レ ン 、 ア ヤ ム ゴ レ ン 、 サ デ ー 、 カ レー 、 カ ドカ ドな ど を 作 る こ と もで き る か ら だ とい う。 し か し、 イ ン ドネ シ ア は 暖 か か っ た の で 、 広 西 省 の 寒 い 冬 だ け は 耐 え難 か っ た とE氏 は 語 っ た 。
だ が 、E氏 が 中 国 で 耐 え 難 か っ た の は 、 気 候 の 問題 よ り も む し ろ 社 会 的 な 待 遇 の 方 で あ っ た 。 彼 ら は 、 同 じ 中 国 人 で あ る に も か か わ らず 、 華 僑 と して 土 着 住 民 か ら隔 離 され 、 華 僑 農 場 の 農 民 と して 土 地 に 縛 り付 け られ た 。 ま た 、 海 外 に 親 戚 が い る とい う理 由 か ら、 文 化 大 革 命 が 起 き る と攻 撃 の 的 に な
り、 資 産 階 級 と して 警 戒 され た 。 生 活 は 保 障 され て い た の で 土 着 住 民 か ら 羨 望 の 眼 差 しで 見 ら れ る こ と は あ っ た が 、 異 な る集 団 と して 見 られ 、 通 婚 ど こ ろ か 日常 的 な 接 触 も あ ま りな か っ た 。
E氏 が 当 時 を振 り返 っ て 言 うに は 、 彼 ら が 客 家 で あ る と い う身 分 は 、 何 も役 に も 立 た な か っ た 。 ま ず 、E氏 は イ ン ドネ シ ア に い た 頃 か ら客 家 と して の 自 覚 が あ っ た が 、 広 西 省 で 同 じ方 言 を 話 す 者 に は 、 最 近 に な る ま で 客 家 と して の 自己 意 識 が な か っ た 。 次 に 、 彼 ら が 同 じ客 家 で あ る こ と を教 え よ うに も 、 地 理 的 に 隔 離 され て い た た め 、 土 着 住 民 と親 交 を 築 く機 会 が 限 られ て い た 。 最 近 で こ そ 客 家 が 現 地 社 会 で 着 目 さ れ る
よ うに な っ て い る が 、 当 時 は 、 客 家 で あ る か 否 か と い う こ と は 重 要 で は な く 、 帰 国 華 僑 で あ る か 土 着 住 民 で あ る か と い う 区 分 の 方 が 分 か れ 目 に な っ て い た 。E氏 は 、「帰 国 華 僑 と 土 着 住 民 の 間 に は そ れ ほ ど溝 が あ っ た 」 の だ と 強 調 す る の で あ っ た 。
以 上 の 語 り を本 稿 の 関 心 か ら捉 え な お して み る と 、 主 に2 つ の 興 味 深 い 事 実 が 浮 か び 上 が っ て く る。 第 一 に 、 玉 林 市 の 客 家 は 一 様 で は な く、 帰 国 華 僑 が 歩 ん で き た 人 生 、 お よ び 生
ジ ガ ニ ン
活 習 慣 は 、 そ れ ま で 自身 を 「自 家 人 」 な ど と称 して き た 土 着 の 客 家 系 漢 族 と 異 な っ て い る 。 彼 ら は 、 香 港 、 イ ン ドネ シ ア な ど と境 界 を 越 え た ネ ッ トワ ー ク を 紡 い で お り、 た と え ば 外 部 か ら食 材 を 送 っ て も ら うこ とで 食 文 化 へ の 適 応 も果 た し て い る 。 第 二 に 、 玉 林 の 土 着 住 民 が 客 家 と して の ア イ デ ン テ ィ テ ィ を 獲 得 し た の が 最 近 で あ る の に 対 し、 帰 国 華 僑 で あ るE 氏 ら は 、す で に1960年 代 以 前 か ら客 家 と して の 身 分 を 知 っ て
い た 。 しか し 、 以 前 の 広 西 省 で は 客 家 で あ る こ とが 社 会 的 に
45
認 知 され て お らず 、 そ れ ゆ え 彼 らは 客 家 と い う絆 に よ る ネ ッ トワ ー ク を 構 築 す る に 至 っ て い な か っ た 。 帰 国 華 僑 に よ る 語 りか ら は 、広 西 省 に お け る 客 家 の 文 化 と ア イ デ ン テ ィ テ ィ を 、 よ り複 眼 的 な視 線 か ら捉 え て い くべ き とい うこ と を教 え て く れ る。
5.要 約 と展 望
以 上 、 玉 林 市 に お け る フ ィ ー ル ドワ ー ク を 通 して 、 広 西 省 に お け る 客 家 の ア イ デ ン テ ィ テ ィ と文 化 に つ い て 若 干 の 記 述 と 考 察 を お こ な っ た 。 本 稿 は 、 短 い 調 査 期 間 で 得 られ た デ ー タ ー を 前 提 と は して い る が 、 現 時 点 で 明 らか に な っ た こ とを 要 約 す る と次 の よ うに な る 。
① 広 西 省 に お い て 誰 が 客 家 で あ る か は 変 動 し うる 。ま た 、客 家 へ の 自 己 認 識 は 帰 国 華 僑 の 方 が 早 い 。
② 客 家 系 漢 族 と広 府 系 漢 族 の 間 の ア イ デ ン テ ィ テ ィ の 揺 れ 動 き に は 、 近 年 の 客 家 文 化 政 策 が 関 連 して い る 。
③ 一 般 的 に 、客 家 系 漢 族 と広 府 系 漢 族 の 文 化 の 差 は 明確 に は 認 識 され て い な い 。
④ しか し、客 家 文 化 産 業 の 推 進 に よ り、食 文 化 を は じ め る と す る 一 部 の 文 化 要 素 が 、客 家 の も の と して 宣 伝 され 始 め て
い る 。
⑤ た だ し、玉 林 市 で 客 家 文 化 と され て い る も の は 、往 々 に し て 地 元 の 特 産 品 で あ る。
⑥ し た が っ て 、東 南 部 の 客 家 文 化 と接 続 す る作 業 が ま だ 乏 し い 。
⑦ そ れ に よ り、珠 機 巷 、 白 切 鶏 、牛 雑 と い っ た 東 南 部 で は 広 府 文 化 の 代 表 と され る も の が 、広 西 省 で は 客 家 文 化 の シ ン
ボ ル と な る 「文 化 の 逆 転 現 象 」 が 生 じて い る。
本 稿 で 提 示 した 要 約 は 、 あ く ま で 玉 林 市 の 数 か 所 で 実 施 し た 聞 き 書 き か ら導 き 出 され た も の に す ぎ な い 。 今 後 、 玉 林 市 内 や 広 西 省 の 他 の 地 域 に も調 査 の 手 を 広 げ る こ と で 、 上 記 の 要 約 を 、 再 確 認 あ る い は 再 考 し て い く必 要 が あ る。 ま た 、 本 稿 で 示 した 事 例 は 、2012年3、 月 とい う特 定 の 日時 に お い て 実 施 し た も の で あ る か ら 、 時 間 の 経 過 に よ り本 稿 で 提 示 した 見 解 は 変 化 し う る。 特 に 、 先 の 要 約 ⑥ で 示 した よ うに 、 現 段 階 で は 、 東 南 部 の 客 家 文 化 の 接 続 が 一 部 に と どま っ て い る が 、 今 後 、 東 南 部 の 客 家 地 域 と共 通 す る 文 化 要 素 が 、 玉 林 市 お よ び 広 西 省 で 次 々 と 「発 見 」 され て い く 可 能 性 が あ る 。
言 うま で も な く文 化 は 変 化 す る も の で あ り、 現 在 、 広 西 省 に お け る 客 家 の ア イ デ ン テ ィ テ ィ と 文 化 は 一 連 の 政 策 的 影 響 を受 け て 、 変 動 の 渦 中 に あ る。 こ の よ うな 状 況 の な か で 、 本 稿 で 挙 げ た 事 例 が ど の よ う に変 化 して い くの か 、 そ の 権 力 的 プ ロセ ス を 読 み 解 い て い く 作 業 が 、 今 後 必 要 に な っ て い くで あ ろ う。
付 記:本 稿 で は 、 客 家 語 の ル ビ に ○ 印 を 、 広 東 語 の ル ビ に ● 印 を つ け た 。 本 稿 で 調 査 の 対 象 と した 玉 林 市 の 広 府 系 漢 族 は 正 確 に は 、 香 港 や 広 州 市 で 話 され る標 準 広 東 語 で は な く 、独 自 の 玉 林 語 を 操 る。 だ が 、 彼 ら は 玉 林 語 を 解 さ な い 筆 者 の た め に 標 準 広 東 語 で 話 し て い た の で 、 後 者 を 用 い て ル ビを ふ っ た。
(作 者:日 本 ・国 立 民 族 学 博 物 館 機 関 研 究 員 、
中 国 ・嘉 応 大 学 客 家 研 究 所 客 員 准 教 授 社 会 人 類 学 博 士)