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津山高専紀要ee 18号(1980)

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(59)

津山高専紀要ee 18号(1980)

︵五︶

 最後にまとめをしておこう︒一度春・秋の句が現われたら必

ずその季の句を三句以上続けねばならないという制限が式目に

記述されるのは︑肖柏の所謂﹁近代用捨﹂によってであるが︑

実際の場においてはそれよりも百年以上前から行なわれていた

らしい︒具体的に現存資料について調査してみると︑一三三〇

年代においては︑京においても鎌倉においてもまだその制限が

行なわれていなかったと思われるが︑五〇年代︑六〇年代になる

と︑春・秋の句の二句以下で捨てられる例の頻度は次第にその

数を減じてゆく︒しかし︑一三八○年代の資料においてもまだ

春・秋の句の二句以下で捨てられている例が見え︑結局︑春・

秋の句が特別の例外を除き必ず三句以上続けられるようになっ

たのは︑現存資料より推測する限り二二九〇年代および一四〇

〇年代のことだと考えられる︒ただし︑一三七〇〜九〇年代に

ついては資料が乏しく︑十分再検討の余地がある︒

 また︑地方的偏差も当然考慮に入れねばならないが︑一三八

○年代の資料である⑧と⑨を見ると︑京連歌である働において

は春・秋の句の二野ですてられている例がないのに対し︑九州      で詠まれたと推定される圖においてはまだそれが二例見えると

いうことは︑一三八○年代京都においては春・秋の句が必ず三

句以上続けられていたが︑地方ではまだそうでなかったことを

あるいは示唆しているのかも知れない︒しかし︑これだけの資

料でそこまで断言するのは︑やはり危険に過ぎよう︒

 以上︑先学の御叱正を願う次第である︒ ︵1︶ ﹁現存最古の長連歌﹂ ︵﹃俳詔史の研究﹄︶︵2︶ ﹁金沢文庫蔵現存最古百韻連歌の研究﹂ ︵﹃跡見学園国語科紀  要﹄一︶︵3︶ ﹁醍醐寺本建武連歌・文亀連歌をめぐって﹂︵﹃連歌と中世文芸﹄︶︵4︶本文は全て江藤保定氏﹃宗祇の研究﹄資料編︑及び同氏﹁宗祇連  歌作品集拾遺﹂によった︒︵5︶本文は︵2︶に翻刻されているものによる︒︵6︶本文は︵3︶に翻刻されているものによる︒︵7︶本文は小西甚一氏﹁正平七年の伊勢連歌﹂ ︵﹃連歌俳藷研究﹄二  号︶に翻刻されているものによる︒︵8︶本文は金子金治郎氏﹁文和千句﹂ ︵﹃中世文芸﹄二二号︶に翻刻  されているものによる︒︵9︶本文は﹃続群書類従﹄による︒︵10︶本文は奥田勲氏﹁資料翻刻周阿作品集﹂ ︵﹃宇都宮大学学芸学部  研究論集﹄十五号︶による︒︵11︶本文は水上甲子三氏﹁救済追善賦春之何連歌﹂ ︵﹃言語と文芸﹄  昭和三九年三月号︶に翻刻されているものによる︒

︵12︶本文は伊地知鉄男氏﹁今川了俊一座の千句︑第五百韻の一巻﹂

   ︵﹃連歌俳譜研究﹄五二号︶に翻刻されているものによる︒

︵13︶本文は﹃続群書類従﹄による︒

︵14︶本文は﹃大日本史料﹄七編之四による︒

︵15︶本文は奥田勲記﹁資料翻刻室町前期連歌集︵一︶﹂による︒

︵16︶本文は古典研究会﹃連歌百韻集﹄による︒

︵17︶本文は図書寮叢刊﹃看聞日記紙背文書・別記﹄による︒

︵18︶本文は紫水文庫の複製による︒

︵19︶本文は島津忠夫氏﹃連歌集﹄ ︵新潮日本古典集成︶による︒

︵20︶本文は伊地知鉄男氏﹁善阿時代十四世紀初頭の京都公家の連歌懐

  紙﹂ ︵﹃連歌俳藷研究﹄十一号︶に翻刻されているものによる︒

︵21︶池田重氏もすでに︵2︶において同様の指摘をされている︒

︵22︶伊地知氏︵12︶の論考による︒

一 134 一

(2)

(58)

連歌における春・秋の句の三句以上連続の制約化の時代 勢田

三七〇年であるので︑その中央の=二六四年前後の成立と便宜

的に取り扱うことにする︶︒その分量は働が2︑㈲が5で計7︒

例数は團が九例︑㈲が十一例で計二十例︒従ってその頻度は百

韻一巻あたり二・九例である︒

 二二六〇〜六九年の十年間の資料は㈲︒その分量は近似的に

暖︒例数は十四例︒従ってその頻度は百韻一巻あたり一・四

例︒ =二七〇〜七九年の十年間の資料は⑥︒その分量は一︒例数

は一例︒従ってその頻度は百韻一巻あたり一・○例︒

 一三八○〜八九年の十年聞の資料は㈹と働︵ωは先に記した

理由によりここではとりあげない方が適当と判断する︶︒その分

量は2︒例数は㈹に二例︑團に例なしで計二例︒従ってその頻

度は百韻一巻あたり一・○例︒

 一三九〇〜九九年の十年間の資料はない︒

 一四〇〇〜〇九年の十年間の資料は⑳と⑳と働︑それに⑬の

うちの一巻でその分量は近似的に媛︒例数は0︒従って頻度も

0︒ 一四一〇〜一九年の十年間の資料は㈱のうちの十二巻と働︒

その分量は近似的に畦︒例数は一例︒従ってその頻度は百韻一

巻あたり○・一例︒

 最後に︑一四二〇〜二九年の十年間の資料は個のうちの残っ

た三十三巻と個︒その分量は近似的に暖︒例数は二ないし四

例︒従ってその頻度は百韻一巻あたり約○・一例となる︒

 以上の数値をグラフにして示すとく表且﹀のごとくである︒

そして私は︑ ﹃春・秋の句を二句以下で捨ててもよかった時代

−④で表示﹄ ﹃過渡期ii③﹄ ﹃春・秋の句は三句以上続け ねばならなくなった時代1◎﹄を左欄に示したごとく判断するが︑ほぼ納得してい︑ただけると思う︒それが本稿の結論であ

る︒

<表H>

/X一一一一一一百韻一一巻あたりの頻度

X……資料の分量(百韻一巻を一単位とする)

ツ…・一一春・秋の旬の二旬以下で捨てられている例数

年  代 κ

ツμ

1   2   3   4   5

結   論

1330〜1339 3% 16〜18

4.7〜5,3

l  l  I  l  含l    l    I    }   l     I      l

1340〜1349 0

   l   I    l   lI    l    I      II    l    l      I

A

135G〜1359

7

2G 2.9

1    1      1

P  1  鳥  1  見

@       」

1360〜1369 10% 14

1.4 I      l     I    l

戟@●  l    l    l    l

@  l       l

1370〜1379 1 1

1.0

B

1380〜1389

2 2 1.0

l    i

G l l l   l      I

1390〜1399

0 l    l    蔭     巳     1

P   1   1   1   1

@  1     }       1

1400〜1409 4.% 0

0

l l l l ・      匹

1410〜1419 10叛 1 0.1

. …      l l   l      l      巳    l     I     l

C

1420〜1429 31% 2〜4 0.1

1

   1       1      1      1      1

E1 : i : }

一 135 一

(3)

(57)

津山高専紀要第18号(1980)

    我をとΣむる是そ関もり    雑

 しかし︑④と⑧は一句︑◎は二句を隔てるのみで同君の句が

 現れており︑補益十二で述べたように︑これらには誤写等の

 ある可能性が強い︒具体的に見当をつけるならば︑④の場        合︑引用第三句は本来﹁うたてぎる蛋の衣の袖ぬれて﹂また

        

 は﹁うちてきる﹂云々とあったものであろう︒そうすればこ

 の句は﹁擁衣﹂で秋となり︑引用第二句から第六句まで秋の

 句が五句連続することになる︒

  また︑⑧の引用第三句は本来﹁奥ふかき山のひはらの一

   霞﹂とあったものであろう︒そうすればこの句は﹁霞﹂で春

 となり︑引用第二句から第四句まで春の句が三句連続するこ

 とになる︒

  ◎の場合︑引用第六句を秋の句とする所以は﹁秋﹂の語で

 あるが︑引用第二句にも﹁秋﹂の語があるので同字五句去り

 の制限を犯しており疑問で︑本来この語は︑無季または秋以

 外の季の別な語であったかと思われる︒あるいは︑この句の

 前が三折から名残折への懐紙の継ぎ目にあたっているので︑

 他の懐紙の混入ないし懐紙の並べ間違いの可能性も皆無では

 ない︒  以上のごとく考えて︑私は︑右の四例は数えなかった︒

︿補論十五﹀ 三例というのは⑥と⑥の二例を数えない場合で

ある︒なお︑世論十六と補巻十七を参照︒

︿補論十六V この句を秋とする所以は﹁いな妻﹂の語である

 が︑この場合あるいはこの語は秋として取り扱われていない

 のではないかと考えられる︒何となれば︑その前⊥ハ句を隔て

 るのみで﹁隠家もおなし浮世の露涙﹂と秋の句があり︑同季  七句去りの制限をも犯す結果となっているからである︒      ︿補回十七﹀ この句は初め﹁胸の月さとらぬ程やくもるらむ﹂ と雑の句であったものが︵﹁胸の月﹂は雑として取り扱われ る︶このように改めちれて秋の句となったものであるが︑こ の改訂は︑百韻一巻が詠みおえられた後︑何かの機会に付け 合いの再検討をした際︑添削的になされた可能性がある︒も しそうなら︑改訂前の形が本来のものであるので︑この例は 数えられるぺ・ぎではない︒

︵四︶

 得られたデータより結論を導こう︒論の都合上︑対象とした

=三二〇〜一四二九年の百年間を十年きざみにして考えること

とする︒春・秋の句の二子以下で捨てられている例は︑その各

期間において果たしてどれほどの頻度で現われているであろう

か︒

 まず初め︑=三二〇〜三九年の十年間の資料は︵三︶の初め

に列挙したうちのωと②であるが︑その分量は百韻一巻を1単

位として︑ωが完全な百韻三巻で3︑②が一面のみのもの三種

で︑一面を18と近似的に計算することとして暑︑計暗である︒

そして︑春・秋の句の二尉以下で捨てられている例は︑先に示

したごとくωに十五ないし十七例︑②に一例であるから計十六

ないし十八例︒従ってその頻度は百韻﹁巻あたり四・七ないし

五二二例ということになる︒

 次に︑=二四〇〜四九年忌十年間の資料は存在しない︒

 一三五〇〜五九年の十年間の資料は㈲と四である︵㈲もある

いはここに入るかも知れないが︑上限が一三五七年︑下限が一

一 136 一

(4)

(56)

勢田

連歌における春・秋の句の三句以上連続の制約化の時代

  水のくるにやうきをしるらん

  ・我袖のなみたは露にをきかはり

   なれても旅の夜こそ長けれ

   月まても古郷人の名残にて

   山の遠きや雪にみゆらん

しかし︑おり︑このようなことは︑

に判断して考えられない︒

冬秋秋秋雑

     共に秋の句が一句を隔てるのみで打越であらわれて

      同時代の他の連歌資料から帰納的

       恐らく本来は︑④③共に︑引用第

 二句から第六句まで秋の句が五辻連続していたものが︑誤写

 によってこのような形になったのであろうと思われる︒特に

 ④の第四句を冬とする所以である﹁雪﹂の語には非常に疑問

 がある︒まず︑六句後の同じ面にも﹁上は雪ふむ橋のした

 道﹂と﹁雪﹂の語が見え︑他資料から帰納してこの蒔代﹁雪﹂

 は面を嫌われていたと思われるのに︑同誌に二か所﹁雪﹂が

 出ている︒また引用第四句﹁雪﹂︑第五句﹁露﹂︑第六句

 ﹁時雨﹂と降物が三句連続するのも普通ではない︒そのよう

 なことで︑私は︑④の第四句の﹁雪﹂は他の降物でない無季

 の語一多分﹁雲﹂一の誤写と考える︒そうすればこの句

 は﹁ロ月﹂の語により秋の句とされる︒

  ⑧の第三句については︑そのような特に問題となる語はな

 いが︑それでも﹁水﹂は﹁秋﹂の誤りで︑本来この句は﹁秋

 のくるにやうぎをしるらん﹂であったと考えると︑季は秋と

 なるし︑一句の意味も非常にすつぎりとする︒

  以上のような理由により︑私は右の三例は数えなかった︒

︿補論十三V このように二つの季が対等に並んでいる句は雑と

 して取り扱われる︒時代は下るが﹃無言抄﹄の﹁花紅葉﹂の  条には﹁如此なる両季をかけたる物はいつれも雑也﹂という 記述があり︑私の調べた所では︑この記述は古い時代の連歌 にも適用して差し支えないようである︒︿補論十四V たとえば︑依拠した本文を絶対的なものとして取 り扱うと︑更に次の④〜◎の四例があげられる︒  ④ 初恋5〜ウ3

  里のなき舟路は鐘のきこえぬに

鰍←

S1ひ瓦ぎを残す浦のあき風

  うた瓦きる蟹の衣の袖ぬれて

  をのつからなる尾花一むら

  かりはにはのかる玉こともなく鶉

  ふしても鹿の音にそたてける

  槙の戸もあけぬに夢をおとろかし③三オー〜5

  是程にかはる姿のますかNみ

捲←

S−くもらぬ雪の花にふく風

  奥ふかき山のひはらの一嵩

椿←

hわかれになれはおなし身の春

  夢に人来かとおもふ夜半にねて

◎ 三ウー0〜名オ2

  忌めや月に猶のこすらむ

  故郷は安く秋もしらぬに

  花なぎ草のあさかほの宿

  吹風に小野のすxしき露煮て

  日のかけ誘ふ雲間くるらん

鰍←

ケ一うき稠は心にいらぬ旅なるに

雑著秋秋雑事雑 言春冬春雑

蕪雑季秋秋秋

一137一

(5)

(55)

津山高専紀要第18号(1980)

   おのつから月のためとて雲はなし

   ひとりふけ行よその山風

   かねのねもす瓦しきおとに聞也

   くるX夕日は松にのこりて

   ふりわけてはるx方ある村時雨

 という一連である︒引用第五句は他に季を示す語を伴わない

 ﹁時雨﹂の句であるが︑もしこの句が秋であるとすると︑引

 二業一句は秋の句であるから︑わずか三句を隔てるのみで秋

 の句が現われることになってしまう︒

︿補論八﹀ 例としてあげる②〜⑯のほかに︑第四﹁何物﹂の名

 残裏にあるいは春・秋の句の二句以内捨てかと思われる例が

 あるが︑本文に疑問があるのでとりあげなかった︒

︿補論九﹀ 日本古典文学全集﹃連歌俳講集﹄︑新潮日本古典集

 成﹃連歌集﹄ともにこの句を雑としている︒しかし﹁柳﹂

 は︑ ﹁柳ちる﹂などと言えば秋であるし︑ ﹁枯れ立つ柳﹂は

 冬であるが︑この句のように他に季を示す語を伴わずに用い

 られた場合︑必ず春の句として取り扱われることは︑これま

 た多くの例より確実である︒それを論証できる最も古い例は

 ﹃紫野千句﹄にあり︑それは第一﹁何路﹂の三ウ2〜4の

   剖の心は我そわひ人

   引ことの玉のを柳風たかし

   なXめにかへる雁の一行

 という一連である︒中央の句は他に季を示す語を伴わない

 ﹁柳﹂の句であるが︑その前後の句は傍線の語により春の句

 であることは確実であるから︑もし中央の句が春でないとす

 ると︑同季が一句を隔てるのみで現れることになってしま  う︒ ﹃紫野千句﹄には︑これ以外に五心他に季を示す語を伴 わずに用いられた﹁柳﹂の句があるが︑全て春として差し支 えのない位置のものばかりである︒ ﹃文和千句﹄は﹃紫野千 句﹄よりも少し前の作品であるが︑両者の親近性  ともに 救済を中心とするメンバーによる作品である一を考えれ ば︑問題の句を雑とするのは︑やはり不自然と言うべきであ ろう︒︿補論十﹀ ﹁法の花﹂は後の時代の連歌においては雑である が︑この句の場合あるいは春として取り扱われているかも知 れない︒ただし︑他に﹁法の早しの例がなく︑断定でぎな い︒︿補論十一﹀ この句は本来﹁夜るのほたるそ月にまれなる﹄と あるべきものと考えた︒︿戸棚十二﹀ 依拠した本文を絶対的なものとして取り扱えば︑ @〜⑪の十四例の他に︑次の④⑬に示す三例があげられる︒  ④ 第一﹁何路﹂ 初ウー4〜ニオ6    別の数やなみたなるらん      雑

  此並物こひ鴫のなく声に輕胸くいまはか畠の秋邊けり

  山かけの雪間はかりに月もりて

  槙のいたやは露もたまらす鰍稿くもみち見ぬく栗の杣の村時雨

  快ふく風の音はたかしま

⑬ 第十﹁常態﹂ 初ウ8〜14

  よもきかXみそ風にみたる工

鰍←

i葉のおつる柳はいとのすちありて

雑秋秋冬秋秋

秋雑

一138一

(6)

(M)

勢田

連歌における春・秋の句の三句以上連続の制約化の時代

  しらつゆや草にはしめて結らん

  くる皆空よりみゆるうすきり

という一連があり︑もし﹁露﹂が秋でないとすると︑中央の

句は他に季を示す語がないので雑ということになるが︑もし

そうだと︑その前後の句は傍線の語により秋の句であること

は確かであるから︑秋の句が一句を隔てるのみで現れること

になってしまう︒やはり﹁露﹂は秋と考えねばならない︒従

って︑今の所︑私にとって可能なのは︑ ﹃二折から三折へ懐

紙が変わったために︑回折の最後に秋の句のあったことがつ

い失念されて︑二句を隔てるのみで秋の句が詠まれた﹄と考

えるか︑ ﹃原懐紙では引用第五句に点がつけられていること

から知れるように︑この句はかなりよく出来た句であり︑三

番前に秋の句があるのを承知で︑あえで採り上げられた﹄と

考えるかのいずれかである︒共にかなり苦しい考えである

が︑ ﹁ところくにのこるうす雲﹂の句を秋の句とするより

は︑何とか納得がゆくように私には思われるが︑どうであろ

うか︒ ただし︑以上は本文を絶対的なものと仮定した上での論で

ある︒もし誤訳の可能性を考えに入れるとするならば︑引用

第四句の﹁雲﹂には疑問がある︒というのは︑この連歌にお

いて同字五器去りの制限は比較的よく守られているのに︑そ

の前三句を隔てるのみで﹁なきてうくひす雲に入らん﹂と︑

﹁雲﹂の語が見えるからである︒そこで︑もしこの﹁雲﹂が

実は本来﹁霧﹂とあるべき誤訳であると考えたらどうであろ

うか︒前句との関係は︑有名な﹁村雨の露もまだひぬ槙の葉

に霧立ちのぼる秋の夕暮﹂の歌によってうまくゆく︒そうす  るとこの句の季は秋である︒そう考えた上で引用第三句の ﹁村雨﹂を秋とするのは︑先に示した﹃改元類記﹄紙背連歌 以下の多くの例とは矛盾するが︑当時の鎌倉連歌の特殊性と いうことで何とか納得がゆく︵称名寺連歌において﹁村雨﹂ の例は︑もう一つ年次不詳百韻の初ウー3にあるが︑その句は 秋と考えても雑と考えても︑いずれにしても特に難の生じな い位置にあるものである︶︒ 以上のごとく考えて︑引用第二 句から第六句まで︑秋の句が警句連続していると考えること も可能である︒  結局︑今の所︑私にはこの⑪の一連については判断を保留 するよりない︒︿三論六﹀ ﹁現存最古百韻連歌の研究﹂はこの句を秋の句とす る︒確かに﹁.雅﹂はそれ単独では秋の語であるが︑この句の ように﹁霞﹂など春の季を示す語が伴われた場合は﹁帰雁﹂ となり春である︒それに︑この場合は︑同じ懐紙の裏の末尾 に﹁声もかすかにつくるはっかり﹂と︑疑問の余地なく﹁秋 の雁﹂である句があるから︑もしこの句も秋だとすると︑同 一懐紙に﹁秋の.雁﹂が二度も詠まれることになる︒これは私 の知る限り他に例がなく︑非常な異例である︒この句が秋で はなく春であることは︑以上より確実であろう︒︿浜弓七﹀ ﹁現存最古百韻連歌の研究﹂はこの句を秋としてい る︒しかし︑ ﹁時雨﹂を秋とするためには﹁露﹂とか﹁紅 葉﹂とか秋であることを示す語を伴うことが必要であって︑ この句のようにそれらを伴わない場合は必ず冬とされる︒好 都合な例が同じ称名寺連歌の正慶元年九月十三日百韻の中に

 あり︑それは初ウ7〜11の

一 139 一

(7)

(53)

津山高専紀要第18号(1980)

 という一連があり︑これより︑他に季を示す語を伴わない

 ﹁月﹂の句は︑応長元年においても秋として取り扱われてい

 たことが知れよう︒何となれば︑中央の句は他に季を示す語

 を伴わない﹁月﹂の句であるが︑その前後の句は︑傍線を付

 した語により秋の句であることが明らかであり︑もし中央の

 句が秋でないとすると︑秋の句が一句を隔てるのみであらわ

 れるという非常な破綻が生じることになるからである︒更に

 厳密に言えば﹃改元類記﹄紙背連歌は京連歌であり︑鎌倉連

 歌たる称名寺連歌とは同一直線上にはない訳であるが︑称名

 寺連歌においても︑春・秋の句の三句以上連続ということに

 さえこだわらなければ︑スペースの都合上一々例示すること

 はできないが︑以上のごとく考えて不都合な﹁月﹂の例は一

 つとして無い︒これらの句はやはり秋の句とせねばなるま

 い︒へ補論難﹀ ﹁現存最古百韻連歌の研究﹂は︑この句を括弧つき

 の春−これは﹃断定はできないが多分春﹄という意味であ

 ろう一としているが︑ ﹁吉野﹂の語はそれ単独では季を持

 たないことは㍉少なくとも応永以後の連歌においてであ︐れ

 ば︑多くの例によりまず確実である︒ただ︑もっと古い時代

 においてはどうかであるが︑ ﹁吉野﹂が他に季を示す語を伴

 わずに用いられている句の例は少なく︑客観的にはっきり雑

 と断定し得るものをあげることができない︒しかし︑春の句

 三句以上連続という制限にこだわらなければ︑この句を春と

 しなければならない積極的な理由も他にないようである︒そ

 れなら︑やはり雑とするほうが妥当性があろう︒

︿補論五﹀ ﹁現存最古百韻連歌の研究﹂は︑この二つの句を共に 括弧つきの秋とし︑引用第二句から第六句まで︑秋の句が五句連続するというようにしている︒しかし︑ ﹁ところくにのこるうす雲﹂の句を秋とするのは︑このままではどう考えてみても無理であるし︑ ﹁村雨の跡より風もしつまりて﹂の句も︑もしこの句が秋となるとしたら多分﹁村雨﹂の語によ

ってであろうが︑ ﹁村雨﹂と言うだけでは季を持たないこと

は多くの例より証明され得る︒その最も古いものはやはり

﹃改元類記﹄紙背連歌の中にあり︑それは︑

  をなし雲よりそエくむらさめ

  みねこしの松には風のふきすきて

  いま瓦たみれは月そほのめく

という一連である︒ ﹁みねこしの﹂の句が雑︑ ﹁いま瓦た﹂

の句が秋であることは確実であるから︑もし﹁おなし雲よ

り﹂の句が﹁村雨﹂の語により秋となるのであるなら︑秋の

句が一句を隔てるのみで現れるという異常が生じる︒従って

﹁村雨﹂は秋ではないと考えられる︒

 ただ︑私のように考えると︑引用第二句と第五句と︑秋の

句が二句を隔てるのみで現れることになる︒この連歌の依拠

した式目において︑同調は︑応安新式のごとき七句去りでな      ぬ く︑五句去りであったと私には推定されるが︑それにしても

同じ季の句が静置去りで現れるというのは異常である︒︑この

事実をどのように理解すればよいであろうか︒

 まず︑引用第二句を秋とする所以の﹁露﹂の語が︑この連

歌においては︑実は秋として取り扱われていないのではない

かと考えられるが︑年次不詳百韻の三ウ4〜6に︑

  ありしにXたる秋をむかへて

一 140 一

(8)

(52)

勢田

連歌における春・秋の句の三句以上連続の制約化の時代

㈱ 三ないし五例蒲論+五︶

 ② 応永十八年八月二十一日﹁何人﹂ 名ウ3〜6

   浦かはるけふを舟出のはしめにて   雑

   露わけきつる袖の浪かせ秋

秋蕎くはま荻はおりしく旅筆下  秋

   いも恋しぎはひとりねの比      雑

 ⑤ 応永三十一年正月二十五日﹁舌筋﹂ ニウー2〜三オー

   塩をも風の吹あけのはま       雑

   月の比まかきの菊の色そひて     秋

秋奨星の光も秋そ□□□   秋

   いやしきも高きものほる位山     雑

 ◎ 応永三十一年三月十八日﹁山面﹂ 三訂ー2〜ウー

   直言風に駒そいはゆる       雑

   春すてにきそちの旅や急らん     春春恥くかすみに細きゆるかけはし  春

   世をわたるほとこそ猶も浮身なれ   雑

 @ 応永三十二年二月二十九日前黒目﹂ ニウ3〜5

   夕立の跡より月の著すxし      夏

鰍←

i神やなるへきよひのいな妻     秋︹補論士ハ︶

   すみかへんしはしもつらしすまの里  雑

 ⑥ 応永三十二年六月二十五日﹁言入﹂ 三ウ4〜6

   うき世をすては何かわひ人      雑

鰍←

ケ−月ゆへにさとらぬ程やく志るらむ   秋?︵補論+七︶

   くらきをてらせ法のともし火     雑

個例なし㈲例なし ︿補論一﹀ 十五例というのは︑⑤の二例を数えない場合であ る︒なお捕芸西を参照︒︿補論二﹀ 池田重氏﹁現存最古百韻連歌の研究﹂はこの句の季 を秋とする︒もしこの句が秋であるとしたら︑それは多分 ﹁山おろし﹂の語によってであろう︒しかし︑ ﹃連珠合壁 集﹄ ﹃無言抄﹄ ﹃産衣﹄等を見ても︑ ﹁山おろし﹂を秋の語 とする記述は見あたらない︒ということは︑雑であるという ことであろう︒逆に︑はっきり雑としている記述もないので あるが︑それは﹁山風﹂や﹁嵐﹂や﹁雨﹂一これらが雑で あることは多くの用例より百パーセント確実である一を雑 とわざわざ記した記述がないのと同様であろう︒︿補論三﹀ これらの句を﹁現存最古百韻連歌の研究﹂は秋では ないとしている︒確かに﹁月﹂の語があるからと言って︑即 その句が秋になるとは必ずしも限らない︒しかし︑ ﹁月﹂の 語を含んだ句が秋以外の季としての取り扱いを受けるために は︑その季であることを示す秋以外の季の語を伴うことが必 要であって︑これらの句のようにそんな語を伴わない場合は 必ず秋の句とされる︒これはわざわざ例をひくまでもなく︑ 実際に連歌の実作品について調査してみればすぐ明らかにな ることである︒ただ︑この事実が正慶・元弘といった古い時 期においてもあてはまるかどうか少し議論の余地があるが︑       り 更に古い資料である﹃改元類記﹄紙背連歌のうちの応長元年 八月十四日﹁何船﹂の初生2〜4に   かりかね寒し秋霧のうゑ   月のきる雲の衣やうすからん   夜をかさねてもきぬたうつなり

一 141 一

(9)

(51)

津山高専紀要第18、号(1980)

  一枝も家づと玉なるさくらがり春黄かりなる裂やもつらん

  薪つききえし咽もかすかにて

⑮ 第十﹁唐何﹂ ニウー〜3

  輪は二車のみちはひとつにて

秋を甲風もめくるかかけの落しゐ

  人の身は生くてはてもなし

①同三ウ6〜12

  野には道ある山のうす雪

秋萄一すみやきの一重衣の冬待て

  翁すかたそ身のうへになる

  おとうふるかxみのかけのはっかしや

  風吹森の花の下水春琵明やす暮の夜鳥はや鳴て

  み山のたひね里もしられす

⑳ 同 名オー〜4

  筆にかく文字にはなきか名を留て

  つくくしこそ土のしたなれ春蕎く  うちかへす田の面くろく雪白し

  囲碁のかちまけや石にみゆらん

冬春春

訴三春楽堂秋冬 雑秋雑 雑春春雑

⑥ 現存状態では︑少なくとも次の一例があげられるが︑本

  文全般にわたって非常に疑問が多く︑再検討が必要であ

  る︒︵補論+四︶

 ③初ウー4〜ニオ3

   とたえのなきは松風のをと     雑    明日かけふわかれの花に袖ぬれて   春春藁套さそふは夕くれのかね  春   鳥のなく山里なれは住うきに     雑㎝ 現存状態では次の二例が数えられるが︑失われている十  二句の位置が不明なため︑断定できない︒ ③ 現存状態第28〜31句   宮井ふりぬるすみよしの神   時雨行松を秋風吹過て秋黄崇入かむら雲の月   身はすてつかくれ所はなき物を ⑮ 現存状態第85〜88句   陸奥のすゑまてはゆく道もなし   ゐ中にもさく花を待しま春萄くかすめとも名はしらかはの関こえて   日本よりそ国はおさまる⑧ 二 例 ③ 名オー〜5   松原のしたは旧く風ふかて

秋レ寧月にふねこくうらの夕なぎ

   雲もなき空やまことにかすむらん春賛野より山こそ套あさけれ

   有猿のかくれ所のさたまらて

創 例なし

⑯ 例なし

ω例なし

働例なし

雑秋秋雑 雑春春秋雑 雑春春雑

一 142 一

(10)

(50)

勢田

連歌における春・秋の句の三句以上連続の制約化の時代

   南す目しき松風そふく

・黄我も董戸屋の月の残るよに   たもとの露のまうねしてけり

   可可人の夢の面かけえにかきて

㈲ 十四例︵補論+二︶

 ③ 第一﹁何路﹂ 名オー3〜ウ2

   水あさき池のはちすは峯の竹

   えたたれたるは波にさく花春藁春の日のうらふな乏しほくみて

   はこふやあまの薪なるらん

 ⑤ 同 名ウ5〜8

   山にあるうの毛も白く霜をきて

   露をたれたる筆のいぎほひ秋萸玉章やこぬ夜の月におくるらん

   夢のさきをもたのむ行末

 ◎ 第二﹁何木﹂ 三ウ8〜10

   たれすみよしを市となすらん

秋レ面一秋とてもうる物ならはかへっへし

   すかのねなかき日そのこりける

 ⑥第三﹁何船﹂ 名オ3〜7

   春秋の時のたxしき滞日にて

   行きの雁はつらをみたさす

・賛ち︒そうきとても花なき里もかな   かすめは山のみえすこそなれ

   月はかりいてし都の名残にて

 ⑥第五﹁何人﹂初ウー1〜14

雑秋秋夏 雑春春夏

時津秋冬 春秋高

雑︵補論+三︶

雑︵補論十三︶

  河霧のむせふも波の岩こすに

  かすみし程の山のうくひす春藁けふことの夕馨をさそふらん

  さとつエきなる入あひのかね

㊦ 同 ニウ7〜10

  もの瓦ふのつるぎとりもつあつさ弓

  入かいつるかむら雲の月

秋仁祠く

  秋まてと思はさりしに身のいきて

  むねにたく火のいっかきえまし

⑧ 第六﹁手何﹂ 初ウ4〜7

  音まてたかき滝のしら波

  霞より上行月のおほろにて春萄く  かねきかぬ間にふくる春の夜

  夢は我ぬるをまちてやいそくらん

⑤ 同 三オ8〜11

  あひかたきをはなとやまつらん

  花にこそうしなひやすき時なるに春茜く  夢のうちにそ春をもとむる

  世のうきもさためのなきにたのしみて

①第七﹁山何﹂三オ7〜10

  通路もしらせぬ春のとなりにて

  山には声のちかきうくひす春萄く  吹いつる風や霞をさそふらん

  夜船の浦はあけ過にけり

①第八﹁片何﹂名ウ4〜7

  ゐ中ことはエきエもしられす

雑芸春秋 書春春雑 雑秋落雑

説春著雑 雑言春冬

一 143 一

(11)

津山高専紀要第18号(1980)

(49)

ω十一例︵補論八︶

 ③ 第一﹁何人﹂ ニオ7〜10

   古謡は見しにもあらす成ぬるに

   わかれのこりてなを秋のくれ秋藁整りもけには命の窒ぬほと

   契たのむはおなしよのうち

 ⑮ 同 ニオー3〜ウ2

   あけぬるか夜のさかひの鐘の音

春卜甲門はやなきのおくの古寺

  これをこそひらくとおもへ法のはな

  行人のしろきまゆの毛

◎ 同 三ウー2〜名オー

  わかこΣうたにかくれ家そかし

  かり人のいる野の維子音を鳴て春貧葺くけむり屡こそふせ

  雪おれの松とや枝にみえつらん

⑥ 同 名ウー〜4

  いまこむの秋をわするなかへる雁

  つらくおもへ露の身そかし秋茜く  くれことにちるやまさきの玉かつら

  冬かけてこそ風はさむけれ

⑥第二﹁手何﹂三ウ6〜9

  あはれしはしの春秋もかな

  桜木の紅葉さへ又ちりやすし秋病く  八重霧はれぬ風のふくやま

  すゑとをきしほちの舟の行まエに

雑孟秋雑

春︵補論九︶

雑?︵硬芋︶

冬春春雑

冬秋秋春 雑秋鯖雑

㊥同名ウ2〜5

  おほえぬなからこれはもとの身

秋萄く鷲籍餐縫ひ

  わかきたるころもに寒き風吹て

⑧ 第三﹁何木﹂ 三ウ5〜8

  なくくも別ことはわすれぬに

  ことしの秋も人のいにしへ秋蕎く  それとたにしられぬ露の草のかけ

  夜るのほたそ月にまれなる

⑮ 同名オ8〜11

  山なるみちをむきてこそしれ

  余所にてはたX花とのみ峯の雲歪絢く  よるの霞はかつらきの月

  雪とても初はしもといふへきに

①第四﹁何物﹂初ウ7〜10

  又もみん夢なりとてもたエたのめ

  しめちか原の秋のゆふつゆ秋蕎く  荻に吹風は庵のとなりにて

  あしへになくは鶴のもろこゑ

① 第五﹁片何﹂ ニウ3〜6

  松原のあなたの煙青きえて

  霞も風にたちやかぬらん春蒲く  鳥の子はまた巣の中をよも出し

  十くいつく我おやの年

⑭ 同 三ウ4〜7

pa秋秋雑

夏︵補論+一︶

冬春馬丁 書春色雑 雑益秋雑

一一

@144 一

(12)

(48)

勢田

連歌における春・秋の句の三句以上連続の制約化の時代

 ⑥ 同 名オ6〜8

   のかれてすまふかひやなからん    雑

春萄−花ゆへにあさくなるへき山ならは   春

   またいくさとの人かよはまし    雑

② 一 例

 @ 建武四年六月二十三日﹁手何﹂ 初葉3〜5

   かせたにもならはぬ松にをとはなし  雑

春卜甲かすむ野中にをそき入あひ      春

   けふもはやあまたの山をこえにけり  雑③九例

 ③ 正平七年六月二十一日﹁何船﹂ 初ウ4〜7

   老るこのみはいつまての夢      雑

・黄をく肇ふ︒瀧にき鎧らん 秋

   ねやのいたまぞ月ひとりもる秋

   見し人もおぼえぬ程にいほあれて   雑

 ⑤同ニオ3〜6

   ともし火をかエげつくせる庚申    雑

   まぼるさくらぞちりかエりける    春春仁絢くかすみてや花の鏡もくもるらん 春

   夕になりぬ近江路のやま      雑

 ◎同ニオー0〜12

   しぐれて後は其ものこらず      冬

秋ザ狗iふけてとふ人は月をやまちつらん   秋

   わかれのあとはかたみなりけり    雑

 ◎ 同 三オー2〜ウー

   なにを恨て涙をつらん       雑 ・匙く月寛し秋は其の夜にな︐にけり   日をかぞふれば心気□□□   とをかりしちぎりもこxにめぐりきて ⑥ 同 三ウー2〜初オー   となふるこゑも十こゑ一こゑ・匙く專のつきの︐﹂の夜やあけぬらむ  □臨界□□□□□夜番□騰馬   日のかげはやがて春ぞとかすむなる ㊦ 初折散扶百韻 ニウー4〜三オ2   とまらぬものはよるの夢哉讃甲夕霧のたえ間に見ゆるかすが山   ふかくたのむと神はしるらん ⑧同三オ5〜11   いつよりか法の門にはいりぬらん   在明の月のかすむさよ中春藁花なら架のし薙にと姜りて   おもひこそやれうたの昔   きエそむる関屋の軒の秋の風秋黄山かげ見え霧はれにけり   峯になを雲ののこるやしぐるらん

 ⑪同三ウ2〜5

   きxしょり猶たかき松風   ひかげさす方よりもはや雪ぎえて

、.

mしほせも見えずかすむ浦哉

   行水のすゑにのこれるはま河に

雑?秋 雑秋雑 冬?秋乱

冬秋秋雑三春雑 雑春乱雑

一 145 一

(13)

(47)

津山高専紀要第18号(1980)

⑥同名オ8〜11

   うかるへしとはあらましもせす    雑

   見るまxにたエこの花のしたはれて  春

春黄かへさわする善の山みち  春

   雲ふかくたつね入ぬる御吉野に    雑︵補論四︶

⑯ 元弘三年十月二十三日百韻 ニオ2〜4

   しろきやくものひとえたつらん    雑

秋炉絢−くもる夜は心そつくる月のかけ    秋︵補論語︶

   我まつ人もいさたのまれす      雑

⑭同ニオ8〜11

  おもかけならぬかよひちはなし

  ちる花をゆめの心やをしみけん春奨かすみにむす寒の枕に

  山里はまとうつよるのあめさひし

⑮同ニウー3〜三オ5

  おほろ夜の月もかたふくあけほのに

鰍←

i露おもけなるまとのくれ竹

  村雨の跡より風もしつまりて

  ところくにのこるうす雲

  うぎ秋はなかめしとおもふ夕気欝きけはたもとのぬる乞かのね

  もろともにつまもこもれる春日野に

① 同 名オ5〜8

  浦人はあけくれ舟をやとなれは

  いかにしほせの月をみるらん秋黄秋婆さらにねもせてあかしかた

春秋秋意雑秋春 雑誌春雑    婁憂

   響署 秋雲雑

  心やすまぬ松の嵐に①同名ウ6〜8 

  しかのうらなみおとそきこえぬ

秋卜甲月うつる水の面はしっかにて

  かろきかもめそおきにうきたる

⑯ 年次不詳百韻 初オ7〜ウ3

  おのつからふねのうきねは夢もなし

春レ甲夜はのかすみになきて行かり

  山の葉は月もいまはにかたふぎて秋萄く吹っる□□のたき秋風

  時雨してのちもさひしき松の戸に

①同ニオ6〜9

  身のかすならぬとかそしらる玉

  この春もわれとふ入のなきま入に春黄花みるおりもすご議里

  時しらぬ露の命を思ふには

⑬ 同 ニウー4〜三オ3

  風をまちてや雲はきへまし

  ちりぬへきはなのなこりの一枝に春黄春の露もゆきそやられぬ

  けふもけにならはぬたひに迷きて

⑪ 同 三オー4〜ウ3

  とにもかくにもひとりこそすめ

  とはれける花はしはしのたとりにて春三春よりのちはもとのさひしさ

  いにしへを月やわすれぬしかのさと

器秋雑

春︵補論六︶

冬︵補論七︶

秋春春雑 秋春春雑 益夏春雑

Ll

一 146 一

(14)

(46)

勢田

連歌における春・秋の句の三句以上連続の制約化の時代

(2)

(3)

(5) (4)

(7) (6)

(8)

(12)

(11) (10) (9)

(13)

(15) U4

        ︵5︶る年次不詳百韻一巻︒

醍醐寺本建武連歌一建武四年六月二十三日﹁手直﹂︒同

年同月二十九日﹁旧何﹂︒同年十一月二十五日﹁何目﹂︒       ︵6︶︵全て表八句のみ︶

﹃御鎮座次第記﹄紙背連歌!正平七年六月二十一日

﹁何船﹂ 一巻︒それとほぼ同時期と推定される初折散扶       ︵7︶百韻一巻︒同じく断簡懐紙一枚︒      へ8︶文和千句一前半五巻︵文和四年五月︶

紫野千句一十巻︒及び平野法楽一折︵延文二年以後応      安三年⊥ハ月以前の成立︶      ︵10︶四阿独吟﹁山何﹂ 一巻︵応安五年二月︶

救済追善﹁春之何﹂ 一巻︵救済没−永和二年か  後       まもなくの成立︶ ︵現存八十八句︶

今川了俊一座千句第五﹁何人﹂一巻︵永徳二年正月二十

  ロ  二日︶

      め 石山百韻︵至徳二年十月十八B︶       霊洞院蔵﹁朝何﹂一巻︵応永八年四月四日︶       ︵15︶醍醐寺蔵﹁何路﹂初折一枚︵応永八年四月十六日︶

﹃北山殿行幸記﹄所載連歌  応永十五年三月十一日       ﹁何路﹂一巻︒同年同月二十一日﹁何木﹂一巻︒

﹃看聞日記﹄紙背連歌  応永十五年七月二十三日よ

り︑同三十三年十二月十一日に至る聞の四十六巻︒ ︵う

ち︑四折完備のもの三十九巻︒初折・二折を備えたもの      り 三巻︒初折のみのもの四巻︶

売勲独吟﹁畳字﹂一巻︵応永二十年十二月五臨則︶       ︵19︶熱田神宮法楽﹁山何﹂一巻︵応永三十年十一月十三日︶  さて︑右のω〜個のそれぞれにおいて︑春︒秋の句の二句以下で捨てられている例はどれだけあるであろうか︒私の調査の結果は次のごとくである︒ ︵なお︑その資料における例数︑及び一つ一つの句の季の認定について議論の余地がある場合は︑官学として後に逐一的に検討することとする︶

ω 十五ないし十七例︵補塗︶

 ⑧ 正慶元年九月十三日百韻 初ウ5〜8

   たれゆゑそ涙ぬるx至言

   秋のうれゑをしのふごよひに秋旧くおのつから月のためと曇は芒

   ひとりふけ行よその山風

 ⑤同ニオ5〜8

   おもふほとまたねをしつるおりふしに

   かりほにちかきさをしかの三秋黄もる小田のい華しと車止ちて

   雲をませたる山おろし哉 ◎同ニオ9〜12

   うとくなる人をはつせの入相に

   とはれぬさきに花そおちゆく春黄平はさてゆめかやつみにとまらす

   おくりむかへてすくる日数に

 ◎同三生4〜6

   待にもなかぬ山ほとNきす

秋か三舎明になるへき月はおそくして

   夕やみふかく雨そふりぬる

雑秋秋雑 雑秋秋雑

雑面春帯

雑秋夏

 璽

 磐

一 147 一

(15)

(45)

津山高専紀要第18号(1980)

      ︵4︶いて春・秋の句は︿表1>のように配置されているのである︒

︵三︶

 式目の記述の変遷をたどっても納得できる結論が得られない

のなら︑あとは最も直接的な方法一つまり︑できるだけ多く

の百韻︑千句の資料を集め︑それらを成立順に並べ︑そして︑

そこにおいて春・秋の句の二二以下で捨てられている例がどの

程度の頻度であらわれているかを⁝数えるという方法しかあるま

い︒私が本稿で採るのはその方法である︒

 まず︑調査の対象を一三三〇︵元徳二︶年から一四二九︵正

長二︶年までの百年間とすることにする︒上限を一三三〇年と

するのは︑︵一︶で指摘したごとく︑その当時京都においても鎌

倉においても︑春・秋の句を三句以上続けねばならないとは意

識されていなかったことが明らかだからであり︑また下限は︑

私自身はもっと後までの資料について調査しているのである

が︑スペースの都合上︑論として必要な最小限に範囲を限定す

る必要があるからである︒そして︑その百年間の成立と考えら

れる現存連歌資料︵ただし少なくとも一面以上残っているもの

に限った︶で︑私が論の対象とし得るのは︑次に列挙するω〜

⑮である︒これ以外にも︑私が調査した資料のうちには︑当該

期間の成立と思われるものがいくつかあるが︑客観的根拠によ

ってその成立時期をある程度限定できないものは︑論の都合上

省かざるを得なかった︒

(1)

称名寺連歌t正慶元年九月十三日百韻一巻︒元弘三年

十月二十三日百韻一巻︒それらとほぼ同時期と推定され

〈表1> 宗祇の連歌における春・秋の句の配置

独吟「何路」

i文明八年三月)

1 2 3 5 6 7 8 1617181921222324293031394041424748495051525758596869708182839596979899100 t三旬 秋四句  秋四旬  春四句 秋三旬 秋四句 春三旬秋三句春三旬秋三句秋三句春三旬 秋三句

1 2  3  5 6  7 171819212223242728293839404445465152535455616263656667737475798081828990919596979899

有馬山両吟「何路」

i文明十四年二月)

春三旬秋三句秋三句 春四句 秋三句秋三句春三旬  秋五句  春三句秋三句春三句 二四句 春三旬  秋五句

水無瀬三吟「何人」

i長暦二年正月)

1 2 3 5 6 7 13141518192025262728293045464748535455565758666768697778798081899091969798

t三句秋三旬春三句秋三旬春三旬秋三旬 秋四句 春三旬秋三旬 秋四句  下五句  秋三句春三句

5 6 7 8 131415 19202130313234353637394041454647495051555657636465697071747576778586879192939899100 住吉夢想独吟

i延徳二年九月)

秋四句 春三旬 秋三句秋三句 春四句 秋三句春三句秋三旬春三句秋三句春三旬 秋四句 秋三句春三句 秋三句

湯山三吟「何人」

i延徳三年十月二十日〉

3 4  5  9 10 11 16171830313233373839414243 5455565765666768697071727387888994959699 1GO

H三旬 春三句 秋三旬 秋四句 春三句秋三句 秋四旬  春四旬   秋五旬 ・秋三句春三句秋二句プラス 独吟「何人」

i明応七年二月)

1 2 3  9 10 111516 17192021282930313233383940 4445465758596065666768697071798081828384929394        濠

t三句 秋三旬 春三句秋三句春三句秋三句春三句 秋三句 秋四旬  春望句 秋三句 春三句秋三句秋三旬

※「住めばのどけき日の本もなし」日本古典文学全集『連歌俳譜集』はこの句を雑とするが、「のどけし」で春である。

一 148 一

(16)

(44)

連歌における春・秋の句の三句以上連続の制約化の時代 勢田

︵二︶

 各時代の式目において︑春・秋の句の連続についてはどのよ

うに記述されているであろうか︑それをまず見ておこう︒

 春・秋の句の連続について言及したものとして︑現存する資

料のうちで最も古いものは︑ ﹃八雲御抄﹄巻一の連歌に関する

十五力条の式目禁制中に見える次の記述である︒

一︑かまへて連歌をはあらぬやうに引なほしくっくる也︒

春にて久しく︑秋にてひさしきは連歌せぬものXあつまり

たるをりの事也︒

 ここにおいては︑連続の下限については一切何も述べられて

いない︒また上限についても︑同じ季を長く続けるべきではな

いと漠然⁝と言うだけであって︑揚句以上はだめだと旦ハ体的には

述べられていない︒

 ﹃八雲御溝﹄以後︑多くの式目の類の作られたことが知られ

ているが︑現在その実際の内容は全く伝わらない︒私が次にあ

げることのでぎるのは︑康永四年に二条良基が著した﹃僻訳

読﹄所載の式目︵弘安の新式に基く︶の中に見える次の記述で

ある︒

一︑句数事春秋恋

五以 句上

 これは︑春・秋・恋の三種は五句まで続けることができると

いう上限を規定したものである︒しかし︑下限については︑や

はりまだ何らの規定もない︒それは﹃馬連抄﹄の異本たる﹃僻 連秘抄﹄の式目︵弘安の新式に基く︶も︑ ﹃連理秘抄﹄ ︵貞和五年の成立︶の式目︵建治の新式に基く︶も同じであり︑そして︑この記述は︑そのまま応安五年の所謂﹁応安新式﹂一その具体的な内容は長谷寺蔵﹃連詩新式事﹄により知れる一に継承される︒ 応安新式に対する増補は︑良基の生存中にも﹁追加﹂ ﹁又追加﹂と二度にわたって行われるが︑春・秋の句の連続に関しては︑そこにおいても︑また︑享徳元年の一条兼良による増補改訂−所謂﹁新式今案﹂においても何ら新しい記述は付加されない︒そして︑ようやく文亀元年の肖柏による増補改訂−所謂﹁近代用捨﹂によって︑

一︑句数事春秋恋灘既譲鴇蛭鮨瀟之

となる︒つまり︑式目の記述をたどる限り︑春・秋の句は三句

以上続けねばならないという制限は文亀元年までは現れず︑そ

れ以前は二句以下ででも捨てられていたことになるのである︒

その結論でよいか︒答は否である︒何となれば︑連歌の実際の

場で行なわれている実作上の諸制限とその式目化−即ち︑そ

の制限の成文化の関係は︑決して同時的に進行するものではな

く︑ほとんどの場合︑後者は前者の追認という形をとるからで

ある︒春・秋の句の三句以上連続という制限についても︑この

ことが考えられる︒事実︑例えば宗祇の連歌について調査して

みると︑我々は︑それらが春・秋の句は必ず三句以上連続させ

ねばならないという意識でもって作られているのを知ることが

できる︒ここでは︑スペースの都合上宗祇の代表的作品たる六

巻の百韻について例示するに止めざるを得ないが︑それらにお

一 149 一

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