著者 武者小路 公秀
雑誌名 PRIME = プライム
号 30
ページ 21‑33
発行年 2009‑10
URL http://hdl.handle.net/10723/997
武者小路です。 今日は
PRIME
の20周年記念の 国際シンポジウムで初めに問題提起をさせていた だくということで、 大変光栄にも思いますし、 少 し緊張しています。 今、 勝俣さんのほうからご説 明がありましたように、 人間の安全保障というこ とと、 連帯経済ということを中心に問題提起をさ せていただきたいと思います。PRIME
の所長をしていたときは割におとなしくしていましたけれども、 今はしていませんので、
その点ご了承いただきたいと思います。 これから 1時間、 できればそれよりも短い時間でいろいろ なことを言いたいので、 掘り下げた話ではなく、
こういう問題があるということでお話をして、 後 でコメンテーターのコメントをいただいて、 どこ を掘り下げるかというのはその後で決めたいと思 います。
ということが、 まず第1の予防線で、 第2の予 防線は、 私が言っていることを信用してはいけな いということを申し上げたいと思います。 私は、
中国的な論理に非常に関心がありまして、 山が高 ければ海は深いとか、 対句を使って言いたいこと を広い認識空間の中に位置付けます。 そのように 問題を一つのところだけでとらえることが大嫌い です。 ですから、 私がしゃべったことは、 そうだ と思っていると正反対のことを言いますから混乱 するおそれがあるということをまず先に申し上げ たいと思います。
その上で本論に入ります。 まず、 人間の安全保
障ということを取り上げますが、 皆様に人間の安 全保障というのはとてもいい考え方だといって、
この考えを売りつけようと思っているのではあり ません。 人間の安全保障というのはかなりいかが わしい形でも使われる言葉であるので、 そのいか がわしいところも対句的な形で良い面と悪い面と を一緒にご紹介したいと思っています。
それから連帯経済は連帯経済について話します が、 実を言いますと、 人間の安全保障は悪用され ていることが多いのに対して、 連帯経済のほうは とてもいいものだという私のえり好みがあります。
ですけれども、 連帯経済が嫌いな方がここにおら れても私は別にけんかを吹っかけようと思ってい るわけではありません。 ということをついでに申 し上げておきます。 要するにしゃべっていること の内容を全部聞いてから反応していただきたいと いうことが一番大事な第二の予防線です。
第3番目に申し上げたいことは、 実はここで十 分取り上げていない、 例えば核の問題とかがあり ますが、 それについてはあまりお話しません。 そ れが大事でないので話さないのではなく、 安全保 障の中でもハードな問題よりもソフトな安全保障 について関心を持っているからです。 ハードな、
特に核の問題は大変大事な問題でもありますし、
直接取り上げなくてもそれにも応用できる考え方 を紹介したいと思います。
それから最後にもう一つ、 前置きがあります。
今、 名古屋のほうでの市民の準備に協力している
人間の安全保障と連帯経済
武者小路 公 秀
(大阪経済法科大学アジア太平洋研究所所長/PRIME元所長)
んですけれども、 2010年に名古屋で一つの国際会 議が開かれます。 それは今、 日本語では生物多様 性のというふうに翻訳されていますけれども、
「生命の多様性条約」 というものがありまして、
その成立の10年目の締約国会議があります。 環境 問題が中心ですけれども、 環境問題としての生命 の問題と非暴力という場合の生命の問題とは、 相 互に切り離せません。 それから、 もちろん核は人 類全体の生命に脅威を与えるのです。 ですからす べての人間の安全の諸問題に関係が深い生命とい う一つのキーワードに私は強い関心があるという ことを申し上げたいと思います。
そういうことで、 まず初めに、 人間の安全を保 障する上で、 グローバル化時代にどんな問題が今 あるのかということについて申し上げたいと思い ます。 皆さんご存じの方もご存じない方もあると 思いますが、 スイスのダボスというところで世界 経済フォーラムというものが、 開かれていました。
もう閉会したと思いますけれども、 そこでいろん なことがありました。 これはみんなこれから話し をする、 連帯経済についてまじめに考えていない ことと関係があります。
二つのことだけ取り上げます。 一つは、 ガザの イスラエルの侵略というものについてペレス外相 がイスラエルの立場から話をしたところ、 トルコ の外務大臣が反論して、 それで激論になったけれ ども、 ペレスさんが全く妥協しないということで トルコの外務大臣が席をけ立てて帰っていきまし た。 彼はもうダボスには来ないということを言っ て帰ったということです。 そういうことで、 今起 こっている深刻な問題の一つは、 軍事的な問題が ありまして、 それがうっかりすると核も巻き込む ような形になっていくということがありました。
それから、 もう一つ注目すべきことは、 経済の 問題で、 世界経済フォーラムに対抗してブラジル のポルト・アレグレで始まった世界社会フォーラ ムが今年も開かれていたようです。 そこで当然資
本主義がこれからどうなるかという議論があって、
資本主義がだめだということをみんなで確認した ようです。
ところが、 資本主義が嫌いな人たちが集った世 界社会フォーラムではなく、 ダボスの世界経済 フォーラムという資本主義の牙城、 つまり資本主 義をもとにして世界のガバナンスをやろうと思っ ている人たちが集まっているところで、 ロシアの プーチン首相、 それから中国の温家宝さんが講演、
そして2人とも今の金融中心の資本主義でひどい 目に遭っているという立場から資本主義、 とくに ネオリベラリズムの経済はだめだということを主 張しました。 それに続いて議論があったのは、 資 本主義が生き続けることができるのか、 というこ とでした。 もう資本主義はだめだいう議論がダボ スであったわけです。 このダボスという資本主義 の牙城で、 資本主義がだめになるかもしれないと いうことが議論されていたというのは、 今日のグ ローバル化世界をみるときに、 とても大事なこと ではないかと思います。 そこで世界の金融資本主 義・世界の中に組み込まれた中国やロシアでも認 められているこの世界の問題の所在について申し 上げたいと思います。
一つは、 今起こっているグローバルな危機が今 にはじまったものではない、 ということを確認し たいと思います。 グローバル危機というのは、 実 は17世紀からはっきりした形でヨーロッパから出 てきた国際政治の仕組みとしてウエストファリア 体制というものがあって、 それが内包してきた矛 盾が表面化したに過ぎません。 要するに独立をし た国家がお互いにバランスをとって、 それでその 上には世界政府はない、 いわゆるアナキズム的な 世界。 世界政府というものを否定したところにウ エストファリア体制のとても大事なところがある。
しかし、 その国家中心の秩序に隠れた問題が潜ん でいたのです。
平和学の中ではウエストファリア体制は無政府
主義でいけないという人も多い。 無政府状態でだ めで、 世界的な政府があったほうがいいという話 があります。 しかし、 私は無政府主義者ですし、
ある意味ではヨーロッパはローマカトリック教会 と神聖ローマ帝国という世界政府が二つもあった ところで、 宗教戦争が起こって、 世界政府を否定 するウエストファリア体制ができたのです。 それ で今日の世界秩序が多数の主権国家が中心になっ て作られているというのはすばらしいことなので、
主権国家がそれぞれのアイデンティティーを主張 できるというのはすばらしいことだと思います。
しかし、 そのウエストファリア体制もだめになっ てきている。
簡単に申しますと、 ウエストファリア体制は、
人民が自分たちの持っている武器を国家つまり政 府に預けて、 国家が国民の安全を保障することに しました。 つまり、 国民は警察権と軍隊を持つ権 利を放棄して、 あるいは人を殺す権利は全部国家 に持たせた。 そういうことで宗教戦争を終結させ て一つの平和なヨーロッパをつくった。 でも今は、
そういうルールは事実上破られていて、 軍事的な 手段は国家だけではなく、 また限られたテロ集団 だけではなくて、 いろいろな宗教の組織だとか、
民族の自決を求める団体が持っている。 国家が正 当性を持って市民の安全を保障するウエストファ リア国家というものはヨーロッパにしかないか、
ある意味では米欧以外では日本が最後のウエスト ファリア国家だと思いますが、 ほかのところでは ウエストファリア国家の危機が生じている。
それから、 もう一つは、 金融中心になった国際 資本主義秩序の崩壊の問題があります。 これは説 明するまでもなく、 今、 それがもとでグローバル 金融の危機が起こっている。 資本主義というもの は、 もともと生産をしっかりするため、 生産力を 拡大するために出てきたもので、 生産が中心だっ た。 それが、 今は生産つまり物づくりではなく金 づくり、 つまり金融のマネーゲームが中心になっ
ている。 要するに金がたくさん集まれば、 そして それで得をすることができればいいという形で物 づくりを離れた金融資本主義が、 アメリカを中心 として出てきた。
アメリカでは、 1988年が切れ目らしいのですが、
GDP
の中で生産をする物づくりのほうが1988年 までは強かったのに、 1988年以降は、 むしろ金融 とか不動産とか、 そういうほうのGDP
の割合が 大きくなってしまった。 そういう形でアメリカを 中心として金融資本主義が出てきて、 それが今め ちゃくちゃな形になっている。 つまり力を中心と した国家間システムと富を中心とした金融システ ムが、 両方とも失調気味で崩壊しかけているので す。そこで、 これはかなり我田引水になるのですけ れども、 今日の問題提起として、 グローバル危機 を克服するためには人間の安全を保障するという 政治的な、 あるいは軍事、 社会的、 文化的な動き と、 それから連帯経済という経済的な動きを組み 合わせることが必要不可欠であるということを説 明したいと思います。
その場合に非常に大ぶろしきを広げて申し上げ たいことは、 群衆が実は大事なんだということで す。 今、 日本では市民が大事だというふうに言っ ていますけれども、 市民というのはすごくだらし ない人たちです。 要するに自分たちが武器を持っ て戦って自分たちの権利を主張していたものが、
それをやめて武器を全部政府に差し出して、 お上 に従うことを約束した。 そしてお上に警察力も軍 事力も持たせて、 そして自分たちは平気な顔をし て平和に生きるんだと主張している。 これが国家 と市民の契約だったというのがホッブスの言い方 でした。 市民はだらしない人たちだとホッブズに 対して言ったのがスピノザでした。 私も一応非暴 力主義者ですが、 そんな風な国家に下駄をあづけ る市民が本当にだらしないなと思います。 やはり 本当の自由は国家と契約を結んでいない群衆が持っ
ているということを言った、 スピノザに私は賛成 します。
そして、 実は、 そのスピノザとかホッブスの議 論の対立があったころ、 世界じゅうの大部分の人 たちが群衆で、 ヨーロッパの国家と契約なんか結 んでいなかった人々の方が多かった。 つまり、 と くに西欧大国の植民地支配のもとで無理に武器を 奪われたりしていた人々は皆国家と全然契約を結 んでいない。 だけど、 その群衆というものは非西 欧の植民地だけではなくて、 ヨーロッパでも、 都 市の中流以上の男性で選挙権を持っていた人々以 外は群衆でした。 そして今のグローバル化への流 れの中では、 実は先進国にもたくさん出てきまし たし、 ホームレスとか国家から保護してもらえな い 「不法入国」 移住者もいます。 しかも、 市民の 資格は持っているけれども、 実質上選挙権を行使 できない貧しい人たちもいる。 それから、 ジェン ダーの立場からいうと、 女性は完全な形で政治に 参加するとか経済活動に参加するということは許 されない国も多かったし、 今も沢山ある。 そうい うことで、 本当の意味での市民、 西洋的な意味で の市民ではない。 とくに今例に引いた南からの非 正規移住者ですとか、 あるいは格差がどんどんふ えていっている開発途上国の農村地域における農 民の大部分は国家の保護なんて受けていない。
そういう群衆がたくさんいて、 その人たちをど う動員するか、 組織化するかというのが人間の安 全を保障する条件ですし、 その群衆のどういうふ うに生産活動、 あるいは子供を産むとかそういう 再生産活動、 あるいは交換活動にどう参加できる かというところに危機克服の手がかりがあると思 います。 ですから、 私たちが勉強してきたヨーロッ パを中心とした近代化とか開発とか進歩とかとい うその考え方をどういうふうに乗り越えるかが今 問われているのです。 要するにヨーロッパ近代を 支えてきた 「政治人」、 「経済人」 (homo politicus,
homo economicus) という考え方をどう乗り越え
るかという問題が今日の危機の克服の大前提であ るということができます。
そこで、 まず 「人間の安全保障」 ということに ついて非常に乱暴な要約をしたいと思います。 普 通、 「人間の安全保障」 というのは、 例えば1994 年に
UNDP
という国連の機関で出している 「人 間開発白書」、 人間発展白書に最初に出てきた言 葉であるという解説がありますけれども、 そうい う常識を越えたところで、 「人間の安全保障」 と いうのは何かということを考えますと、 次の二つ のことが言えるわけです。「人間の安全保障」 の定義というとすごく難し いように思えます。 それは 「保障」 というと誰が 何を 「保障」 するかということが含まれているか らです。 英語ではヒューマン・セキュリティーと 言っているので、 誰が何を保障するか保障しない かなど全く言っていないわけです。 大体国家が保 障するのが安全保障であるという考え方があるの で、 国家が保障しない安全というのは、 なぜ安全 保障というのか僕にもわからないのです。 けれど も、 人間の安全ということがヒューマン・セキュ リティーだといえば、 話は急にやさしくなります。
人間の安全 「保障」 が何かということをいろいろ 議論すると、 とても哲学的におもしろいけれども、
わからない理論になる。 けれども、 「人間の安全」
がヒューマン・セキュリティーと言えばだれでも わかる。 とくに否定形にして、 人間の 「不安全」
といえば、 もっとはっきり当事者である人間にわ かる言葉になります。
ヒューマン・インセキュリティーはむしろ群衆 によくわかる概念です。 例えば日本に来ている、
いわゆる 「不法入国」 の移住者はヒューマン・イ ンセキュリティーがよくわかる。 私たちよりもよ くわかるかもしれません。 だから、 そのインセキュ リティーがないこと、 あるいはなくすことがヒュー マン・セキュリティーだという考え方を私はとり たいと思います。
もう一つ、 ヒューマンということを言うのは、
国家に対して人間ということを強調しようとして いるからだといえます。 ウェストファリア以来の 伝統的な安全保障契約というものに対して新しい 安全保障契約を結ぼうではないかというのが 「人 間の安全保障」 の意味であるということがいえる と私は考えています。 そういうかなり乱暴なこと を言いたいと思います。
古い安全保障契約というのは国家と市民の間で 安全保障契約が結ばれてきた。 その安全保障契約 が結ばれる前のヨーロッパでは、 国家と市民の間 にはさまって 「合法的な暴力」 を持った国家以外 の団体がいろいろあったわけです。 軍事力、 警察 力を持った中世都市があったり、 修道会があった り、 封建領主がいたりしました。 それを全部なく して国家と市民しかいない国家をつくったのがウェ ストファリア国家だった。 そこで市民社会と国家 が一体になる契約が結ばれた。 そういうことで国 家が、 さっき言ったように市民の安全を保障する というのが、 この古い安全保障契約です。
そこのところで実は、 後から出てきますけれど も、 協同組合とか、 そういう国家と市民の間にあ る制度というものを否定することになりました。
国家と市民の間の中間団体が力を持たないように することで、 軍事力を独占する国家とその国家の 政治を民主的にさせる市民の協力で近代国家が生 まれた。 それ以外のものは非国家・非政府の団体、
市民がつくっている
NGO
だとか、 そういうもの だという形の考え方が日本でも今はやっているわ けです。 そういう国家と市民の外にもうひとつあ るのが、 自由市場であり、 その中で競争する 「企 業」 です。ですけれども、 本当はそういうふうに単純化す ることで共同体というものがなくなったところに、
今日の危機の種がまかれたのです。 近代化という ものは、 ドイツ語でいいますと、 「ゲマインシャ フト」 共同体の存在から 「ゲゼルシャフト」 要す
るに利益社会に変わったんだという話があります が、 実はその間にはさまって 「ゲノッセンシャフ ト」 というのがあったわけです。 「ゲノッセンシャ フト」 というのは、 後からいろいろコメントして いただくことになるかと思いますけれども、 要す るに生活協同組合とか、 そういう 「コオペラティ ヴ」 つまり協同組合です。 そういう中間団体が法 的には個人がつくった法人として国家に承認され て、 実際にだんだん出てきていますけれども、 生 活協同組合は軍隊は持ってはいけないことになっ ているわけです。 それはウエストファリア以来そ ういうふうになっているのですが、 協同組合はあ くまでも企業の例外として市場の中にあります。
要するにそういう 「ゲノッセンシャフト」 という ものをもう一回入れてこないと、 今のネオリベラ ル市場経済の危機を克服することができないとい うことについてこれから説明していきたいと思い ます。
そこで大事なことは、 「人間の安全共同体」 の 単位として、 コミュニティーをセキュリティー・
コミュニティーとしてとらえることです。 そこで
「人間の」 というのは、 人間らしい、 人間の心を 持った安全共同体で、 そういう国家以外の団体を つくるべきで、 国家にはそういう心がない。 ある いは企業にしても金もうけのほうが大事なので、
人間らしい心を持ったら競争に負ける、 そういう ところに問題があるのです。 その心を持って市場 の中でがんばっているのが 「協同組合」 です。 そ れで、 むしろいろいろなアイデンティティーを持っ た共同体とか協同組合の間の共通の安全保障をつ くるということが新しい安全保障契約であるとい うことを主張したいと思います。 いろいろなコミュ ニティーの間の契約というものが今、 必要になっ てきていて、 これが人間の安全保障の一番大事な、
つまり古い契約に対して新しい契約、 キリスト教 でいうと旧約に対する新約になりますけれども、
新約の安全保障契約を結ぶ必要がある。
これは日本国憲法の 「恐怖と欠乏」 を免れる形 で、 世界の諸国民が 「平和に生存する権利」 とい うものを持っていると宣言しましたが、 この 「平 和的生存権」 をもとにした新しい契約をつくる必 要がある。 この権利をもつ共同体の間で新しい安 全保障契約が結ばれる必要があるというふうに考 えたいと思います。
この共同体や協同組合の間の契約ということを、
次に経済のほうから整理させていただきたいと思 います。 経済には市場経済の他に計画経済という ものがあり、 これはソ連が崩壊してからだめになっ たと言われています。 計画経済は、 簡単に定義す れば政治権力による財の配分のことです。 これは 別にソ連だけではなくて、 昔のエジプトでも中国 でも、 古代帝国はみなそうだし、 近代の社会主義 国家もそうだといえます。 そういう経済の形が一 つあります。
それから、 話を連帯経済にもって行きたいんで すけれども、 今はやっているのは連帯経済ではな く市場経済です。 要するに商業と貿易を中心にし たいろいろな市場をつないで国内市場にまとめる 経済です。 それを金融というもので支える。 要す るに金融によって余剰をあるところに集めて、 余 剰を集めることによって集中的な研究開発投資に よって新しい技術を生むとか、 蓄積的な大量生産 で安価で質の高い物づくりが進む、 そういう資本 主義経済が市場経済としてあります。
それに対して三つ目にあるのが連帯経済です。
いろいろな生産者や消費者の共同体、 協同組合の 間でお互いに平等互恵の交換をする。 要するにい ろいろな経済主体が、 ただ金もうけのために競争 するというのではなく、 むしろいろいろな土地に 定住して、 そして、 そこで共同体の活動をしてい る共同体同士の間の平等互恵の交換経済を連帯経 済といいます。 つまりは、 共同体を中心とした、
共同体の中だけではなく、 共同体同士のネットワー クの交換経済です。 だから一種の市場経済ですが、
どこかに余剰を集める金融中心の経済ではない。
シルクロードとか、 そういう形の経済が連帯経済 で、 一応経済にはこの三つがあるといわれていま す。
問題は、 資本主義経済、 市場経済の今日の危機 的状況です。 資本主義経済というのは、 さっき言 いましたように今、 生産中心の資本主義から金融 中心の資本主義に変わっている。 生産中心の物づ くりの資本主義も実は問題がある。 貨幣経済によっ て万物が商品化されるという問題です。 要するに 自然も商品になって、 生態系が壊されるし、 人間 も人身売買とかいろいろな形で商品になるし、 何 でも商品になってしまう。 商品としての価値がす べての価値に優先するということで、 生産中心は いいんですけれども、 そこにすでに商品化という 問題がある。
もう一つ問題があるのは、 余剰を集中するとい うことによって生産力を高めるために金融がある。
だから物づくりのために金があるわけですけれど も、 金をあるところに集めるということによって 搾取されて余剰を搾り取られる人々が出てくると いうことは、 やはり生産中心の経済の時代からあ りました。
それから、 もう一つあるのは、 計算合理性でもっ て標準化するということがあります。 標準化をす ることで大量生産ができる。 そして大量消費もで きる。 それで大量廃棄も出てくるから環境も汚染 される。 そういう問題もありますし、 標準化とい うことでグローバル・スタンダードのもとで、 ど んどんローカルな問題というものが無視されてい くという問題が実は生産中心の資本主義にもある。
しかし、 それが金融中心の資本主義になると、
ますますひどいことになってくる。 金融による万 物が商品からばくちのカタにされてしまいます。
人間も自然もただ商品ではなくてばくちに利用さ れる。 金融の投機の対象になるという問題が出て きて、 ヘッジファンドが総崩れする問題だとか、
金融危機だとか、 いろいろな問題がそこに出てき ます。 もう一つは、 金融商品の投機による利益追 求と生産の軽視、 金融のための生産ということが 中心になってきているという問題も今ますます大 きな不安全のもとになっています。
ヘッジファンドの問題は、 実質経済、 要するに 実体経済を不安定化させる金融の動きという問題 です。
そこでオルタナティブとして、 それと違った経 済をどういう違った考え方をもとにして誰が出し てくるかということです。 そこに誰がということ で、 二つの主体が出てくると思います。
二つの主体があるというのは、 国家中心の社会 主義と生産者中心の連帯経済と二つあるというこ とを、 これは問題を非常に単純化してそういうふ うに整理したいと思います。 要するに冷戦でソ連 を中心とする国家中心社会主義のブロックが崩壊 しました。 これはいろいろな形があり得るわけで、
社会民主主義の形もあるし、 ソ連型のあるいはス ターリン型の社会主義もあるし、 毛沢東型の社会 主義もあります。 しかし、 みんな国家に人民公社 とか、 コルホーズとか例外がありまして、 これは ある意味で協同組合的な共同体を国家統制経済の 中で進めようとしました。 そういう例外的な側面 がありますが、 要するに生産手段は国家が持つと いう国家管理と経済の国家計画という形で資本主 義と違うものをつくろうとして、 簡単に言うと失 敗してしまったという問題があります。
しかし、 もう一つある連帯経済は、 生産者、 労 働者を中心とする社会主義というものです。 これ は細かいことは省略しますし、 アナキズムという と危険思想だというふうに思われるので、 あまり その話はしませんが、 アナキズムからアナルコサ ンジカリズムというものがフランスとかイタリア なんかで出てきて、 そしてそれが具体的にはユー ゴスラビアの自主管理の社会主義というものにま でたどりつきました。 これが冷戦の崩壊まで続い
て、 その中では、 労働者が経営者を雇う。 そして 労働者が、 ただ経済的に企業を経営するだけでは なくて、 労働者中心の共同社会、 ローカルな地域 社会のいろいろなこと、 政治的なことも決めてい く、 そういう形の社会主義があります。
正直に申しますと、 冷戦が続いていた昔から私 は、 このユーゴスラビア型の社会主義が恐らく長 続きするだろうし、 そっちのほうが労働者にとっ てはいいと思ってきました。 つまり国家が生産手 段を独占すると、 必ずそこに官僚の 「上からの支 配」 が出てくるので、 下から自主管理ということ で官僚主義を押さえることがとても大事であると 思ってきました。
もう一つ出てきている連帯経済の形は、 これは ヨーロッパだけではなく、 日本でもある生活協同 組合のような協同組合の運動です。 これが生産者=
消費者中心の社会主義への道を開いている。 これ は生産手段を労働者が自分で管理し、 そして交換 する市場で競争します。 だから市場経済ですけれ ども、 それは生産する人たちが中心になる交換の 市場であって、 金がもうかれば、 そっちのほうに 全部移動するということではない。 儲かるところ に資本が動くのではなしに、 働く人たちが自分た ちの住む共同社会を豊にしようという形の経済で す。
ところで、 このような三種類の経済の中で今、
賭博場の金融経済というものが失敗している。 実 はこの失敗はやはり政治的、 軍事的な面におよぶ 大失敗だと思います。 ですから、 私が問題提起を させていただきたいのは、 核の問題もあるが、 新 自由主義の問題が別にあるというのではなくて、
アメリカの新自由主義がもとになって、 そして、
あるところに投資するために、 軍需産業に投資す るということが一番政府としてやりやすい。 そう なると、 そのためには軍産複合体が必要で、 軍産 複合体を動かす一番の核が、 核兵器というものを つくる、 あるいは核競争をする、 あるいはそこに
技術開発をすることになってくる。 そういうこと を全部ひっくるめて政策することが今必要になっ ている。 賭博場金融経済の支えとしての反テロ戦 争、 あるいはその前の米ソ間の冷戦というものが あったのですが、 それらを全部つくりかえる必要 がある。 そこに連帯経済が人間の安全を保障する ために必要になってくるということができます。
結局そういうグローバルな大競争、 アメリカ中 心の大競争、 アメリカ中心の安全保障のための戦 争として、 イラク戦争をしたり、 占領したり、 あ るいはイスラエルと同盟を結んでガザを侵攻する。
そして、 いろいろなところで不安全な状態をつく り出す。 そういう関係があって、 その結果、 賭博 場金融経済は、 いろいろな 「人間の不安全」 の原 因になっています。 何よりもまず金融システムと いう賭博場の外にいる群衆は、 貧富の格差がどん どん開いて、 そしてインフォーマル化が起こり、
闇の世界に落とされます。 つまり市民としての権 利がちゃんと守られていない人たちがどんどんふ えてくる。 ふえれば当然、 資本の安全保障のため にその人たちを監視しなければいけない。 そして、
不法入国をしたりする群衆、 あるいはテロリスト みたいに見える人たちは処罰しなければいけない。
そういう国家による不安全がさらに核兵器におよ ぶ軍備拡張、 軍産複合体のつくる不安全状態にま で広がっていきます。
その中心には人間の安全のために監視したり処 罰するのではなくて、 資本の安全のため国家がやっ ている軍事的・警察的な活動が、 とくに不安全な 生活を強いられている群衆の上にふりかかるわけ です。 金融資本の安全保障のために最も役に立つ のは、 核を中心とした軍事的な仕組みをつくると いうことであるといえます。 それから今、 米国は じめ西欧などで行われている企業への国家からの 援助など、 全部つながっているといえます。 政治、
軍事の面だけで議論される核の問題もそうですし、
あるいは先住民族の問題というのも関係がでてき
ます。 金融資本主義が作り出す階層分割の中で先 住民族はインフォーマルセクターの一番根底のと ころに置かれているので、 その不安全が最も甚だ しいという問題も出てきているのです。
軍事体制のグローバル化というのは、 簡単に申 しますと、 ウエストファリア体制は国家と市民の 安全契約があって、 それで軍が対外の安全を保障 し、 警察が国内の治安をする。 そして軍と警察は 別々にあるというところに端を発しています。 そ して、 市民がコントロールをするはずですが、 そ れがうまくいかなくなったウエストファリア体制 のほころびとして現れています。 それによって国 際法と国際機構の多角的な国家間の安全保障とい う仕組みそのものがうまく機能しなくなっていま す。
そのようにこれまでうまくいっているように見 えたウェストファリア体制も今は破れてしまって、
覇権国家の一方主義的な安全保障政策の推進にも なり、 それを何とかもとに戻そうとするオバマの 政策努力にもなります。 ブッシュさんの時代から オバマさんの時代になって、 うまく多角的な国連 中心主義に戻ってくれればありがたいんですが、
まだそうなっているという証拠は出ていません。
特に、 グローバルな軍・警察の協働で監視処罰 体制というものがオバマ時代に入っても存在して います。 これは反テロということもあるし、 それ から、 麻薬とかいろいろなものを運ぶ国際犯罪組 織の監視処罰、 その体制もできている。 それはど うも国際法を無視する一方的な安全保障につなが り、 これからどうなるかが知りたいという問題に なっています。
グローバル化のもう一つの問題は、 新しい南北 問題の複雑な様相です。 グローバル化以前の南北 関係というのは南がいろいろな一次産品を提供し て、 そして北の先進国が工業製品をつくる。 その 際に一次産品と工業製品の間に不公平な交易条件 がある。 だから例えば、 紅茶をスリランカでつくっ
たときには50円しかかからなかったものが、 イギ リスに持っていってアールグレイでいろいろな加 工をすると500円になったり1,000円になったりし て、 それがまた南に送られる。 そういう形で北に よる南からの余剰の吸い上げがあって植民地的な 弱者へのしわ寄せ、 男性よりも女性、 マジョリ ティーよりもマイノリティー、 北の人々よりも南 の人々、 そういうしわ寄せがグローバル化以前か ら既にありました。
グローバル化以後は、 実は南の中にも、 北の部 分が生まれた。 例えばインドではハイデラバード (サイデラバードというふうに言われていますけ れども)、 たとえば情報産業の中心になっている ところはすごく栄える。 しかし、 それと同時に貧 富の格差がどんどんふえて、 南の中には相変わら ず貧困層が残っている。
例えばマレーシアでもプートラジャヤというと ころの隣がサイバージャヤというふうに言われて、
先端技術の生産基地が新しく出てきて南北の問題 が今出てきていて、 格差の問題が出てきています。
ところが今回の金融危機の影響が第三世界のい ろいろなところにでてきています。 例えばインド にも中国にも出てきていますけれども、 とくに、
新中間層が急に就職の機会を失うなどして、 今の グローバルな金融危機で一番ショックを受けてい るわけです。 初めから貧しい人たちはそんなに違 いがありませんけれども、 もうこれで自分たちは 情報技術を勉強して金持ちになれると思っていた ら、 今また貧困の底に突き落とされる。 そういう 問題が南に出てきている。
それから、 北のほうにも南のような部分が出て きています。 南からの移住労働者のコミュニティー がどんどんできて、 例えばフランスでいろいろな 暴動が起きましたけれども、 南からの移住者コミュ ニティの貧困層が増えて、 北の中にも南がある。
だから、 グローバル危機のもとでの新しい南北 問題というのは、 南の中の北、 北の中の南という
ことでこれまで南で行っていた北のインフォーマ ル・セクターからの余剰の吸い上げがあり、 女性 とかマイノリティーなどの搾取が北に移住した人々 に向けられます。 また、 別の問題としては今まで コミュニティーでケアしていたものがグローバル 化した市場経済の中心になっていることも、 自然 の摂理を破るようになっている。 後で水のことに ついて佐久間さんからお話があると思いますけれ ども、 当然人間の安全に不可欠な水とか空気とか あるいは環境全体が商品化されてグローバル化以 降の南北問題をさらに深刻化しています。
その問題と同時に、 もう一つ大事なことは国家 だけを単位として世界の開発を評価するという時 代は過ぎ去って、 いろいろな安全共同体、 多様な 生活者の安全共同体が出てきている。 そして、 と くにグローバル化に伴って増えている市民と外国 からの移住者が混住する多文化市民社会の市民と 移住者の共通の安全を保障することが緊急課題に なっています。 そこのところでコミュニティ全体 の不安全を克服しなければいけない。 これは図式 的にいいますと、 とくに国際結婚、 家庭の中のD Vの問題がありまして、 家庭の中の個人の安全も 大事だけれども、 家庭が今度はごみを出すときに 外国人で近所から文句を言われる。 いつ出せばい いかわからない移住者家庭が非常に不安な立場に 置かれる。 それから、 もっと大きい都市とか村と か森の近くに住んでいる人とか、 そういう生態系 と文化の共同体における人間と自然との共通の安 全まで重層的に重なっています。
もう一つは、 いろいろな安全共同体でも、 例え ばウンマという、 イスラムの信仰者の共同体があ りますが、 そのイスラムの共同体が、 例えばイン ドネシアではナフタトゥール・ウラマという政党 に代表されています。 そのようなイスラムのコミュ ニティーは、 それぞれの村の中のイスラムのコミュ ニティーが集まって作られていた。 そういう形で、
重なり合って国家規模にあり、 さらに国際社会の
中でアイデンティティを主張している安全共同体 がいろいろ分かれ集まっている。 つまりウェスト ファリア体制の国家だけが安全共同体だというこ とではなくなっている。
そこで昔から中国で言われている 「修身・斉家・
治国・平天下」 ということが大事になってきてい るわけです。 まず自分の身を修め、 家を整え、 国 を治め、 そして天下を平らにするという、 そうい う下から共同体の安全というものを守っていく必 要がある。 それなのにグローバル・ガヴァナンス といってグローバルに考え、 ローカルに行動する という上からグローバルの中にローカルを入れる という私が一番嫌いな考え方が出ています。 つま り上からグローバルな問題はグローバルなリー ダー、 ブッシュがオバマに代わっても、 そういう 人たちが考えている。 その考え方に基づいてダボ スで世界経済フォーラムを開いて、 そこで決まっ たものを国家単位のガヴァナンスに上からおろし ていく。 上からグローバルなものがローカルに実 施されるという全く人々の安全を無視したことが 行われている。
そうではなくて、 下のローカルな人々の安全を 守ることから始めて、 ローカルなところの問題が そこで解決がつかないときには次第に大きな単位 で問題を取り組む。 まず家庭やその近所、 近所で できないことは村、 村でできないことは県、 県で できないことは国という形で下から、 つまりロー カルなところから次第にグローバルに考えて行動 する。 こういう言葉はだれも使ってくれないんで すが、 私はそれをローバルと言っています。 だか ら 「ローカル」 の 「ロー」 と 「グローバル」 の
「バル」 を合わせることで、 今流行りの 「グロー カル」 ではなくて 「ローバル」 を大切にし、 ロー カルに考えてグローバルな問題に対処していくと いうことを申し上げたいと思います。
しかし、 いずれにしても、 グローバル危機のも とでの安全共同体の構造というのは、 一枚岩では
ありません。 まず諸々の安全共同体がすべていい というのではない。 不安全だから人々はみんな共 同体をつくる。 軍備を持つ共同体もたくさん出て きている。 その中には国家とか安保の集団安保、
それから国連とかはウエストファリア型の軍事共 同体です。
NATO
だとかもそうです。しかし、 脱ウエストファリア型のテロ集団、 こ れはいけないというけれども、 それは国家の立場 からいけないし、 非暴力の立場からもいけない。
そして、 私はテロが好きではないですけれども、
しかし国家がテロをやっているイスラエルのよう なウェストファリア体制の中で正当化されている テロもあるわけで、 テロ集団が国家でないからテ ロしてはいけなくて、 国家ならテロしてもいいと いうのはおかしい。 それから、 いろいろな宗教、
あるいは地縁をもとにした軍事共同体、 血縁武装 組織、 軍事革命運動、 ゲバラがつくった武装した 民主化のための安全共同体の解放運動とか、 色々 な安全共同体があるわけです。
軍事力を持つ安全共同体の他に経済・社会・文 化共同体も色々存在しています。 軍事共同体より もそういう非軍事共同体を強くする必要があるん ですが、 その中には国家のようなウェストファリ ア体制の外にいろいろなアイデンティティー集団 があり、 これが
NGO
として国連でも代表を出し ている正当なものもある。 それからこの体制の中 で非正当なものとしては、 非正規な移住者、 ある いはホームレスなんかのインフォーマルな集団、あるいは体制変革の運動、 例えばアナキストとか ポストウェストファリアの安全共同体がある。
それから犯罪的な 「やくざ」 のように強い結集 力を持つ市民社会に寄生する犯罪 「安全共同体」
もあります。 そのようなはっきりした国際犯罪共 同体の中には、 国家が秘密に養っている国家の諜 報組織だとか、 これは明らかに犯罪共同体です。
そのように色々な性格の安全共同体が国家以外に、
自分たちの安全、 あるいは自分たちの支持者の安
全を軍事的に、 あるいは非軍事的に支えようとし ている。
そういういろいろな共同体があるところで、 と ても 「人間の安全保障」 にとって大事なのは、
「共通の安全」 を保障するということだと思いま す。 これは殊に核兵器に関連して、 核をめぐる冷 戦のときには、 アメリカとソ連の間の 「共通の安 全保障」 を確立しないと米ソ共滅で人類も亡びる と言われました。 このことは一番わかりやすい。
ソ連が核をたくさん持って、 あるいは核の技術を 進めているとこれに対して、 アメリカは怖いから 防備を強くする。 けれども、 アメリカが防備を強 くすると、 ソ連から見ると脅威が増大する。 それ でソ連のほうもまたさらに核を強化する。 そうい う米ソの核競争はお互いに相手を信用できないと いう、 お互いの信用ができないというところで起 こる。 いわゆる安全保障のジレンマで、 それをな くすために、 1980年代でしたけれども、 「共通の 安全保障」 という考え方がいわゆるパルメ報告書 で提唱されたわけです。 要するにアメリカにとっ てはソ連の安全を保障してあげればソ連は核をた くさんつくることをやめる。 そうすればアメリカ のほうも安全になる。 ソ連のほうもアメリカが核 軍事力の増大をやめればいいという、 お互いの間 の信頼醸成をすることで 「共通の安全保障」 をつ くる。 そういう考え方が、 核ばかりでなく、 安全 共同体のすべての対立や紛争をなくすのに不可欠 です。
例えばインドネシアでキリスト教のコミュニ ティーとイスラムのコミュニティーが対立して殺 し合っている。 イスラムのコミュニティーはとて も大きいけれども、 キリスト教徒のほうは外国の いろいろなところから金をもらうから怖い。 キリ スト教徒のほうはイスラムのほうがたくさんいる から怖い。 お互いに怖いから、 お互いの間に相互 に力を強化することで 「安全保障のジレンマ」 が 成り立つのです。 それをしないでお互いに協力を
するということができるようになれば、 「共通の 安全」 が保障される。 あるいは市民と、 それから、
入ってきたいわゆる不法入国をしている外国人の 間にも 「共通の安全」 ができれば多文化共生の国 ができるということがありまして、 そこで大事な ことは競争ではなくて、 お互いに信頼し合うこと ができるような条件をつくるということを、 一般 原則として確認することが 「人間の安全保障」 の 前提条件です。
そこで競争を中心とした今のマネーゲームとい うものに対抗して、 むしろ連帯を中心とする考え 方が、 「共通の安全保障」 のために不可欠な条件 として浮上してきます。 つまり一切のものを商品 化し、 賭のかけ金にしてもうけることばかり考え ている人たちが構成するグローバル市場をエコシ ステム、 生態系の中に埋め込んで、 そして政治人 をもっと広い知恵者に生まれ変わらせて、 地球社 会の中に入るように思いやりというものを持った、
文化とか倫理というものを持った、 もっと遊びを 中心とする伝統的な社会で生活する人々にしてい く必要があります。 遊びというものは、 かけ遊び ではなくて、 むしろもっと健全な形で人間が人間 らしくお互いに熱と光を吹き込み合うような、 そ ういう遊び方ができればいいのです。 これは部落 解放の水平社宣言にある言葉ですが、 熱と光を吹 き込むことが大事でそこに連帯経済の出番が出て くる。 なぜかというと連帯経済は人々が競争で互 いを蹴落とすのではなく、 「平等互恵」 を目指す 経済だからです。
ところで、 このような共通の安全を目指す 「平 等互恵」 ルールに関連して大事なグローバル危機 のもとでの都市の問題のことをちょっと説明した いと思います。 それは市民社会の周縁に出てきて いる、 インフォーマル・セクターの問題です。 例 えば東京でいえば新宿の歌舞伎町が典型的なとこ ろで、 国際犯罪組織が入っている。 それがグロー バルなところ、 香港から中国の 「三合会」 など多
くの犯罪共同体が入っていますけれども、 それに 頼って密航したりする人たち、 人身売買の被害者 も沢山暮らしている。 この人たちは別に悪いこと をしているのではなくて、 それ以外の形で日本に 入ってこられないから、 犯罪組織によって自分た ちの安全を保障してもらいながら搾取されていま す。 その他にも底辺生活者、 いわゆるホームレス などやストリートチルドレンなどが集まってイン フォーマル・セクターをなしていて、 ごく稀には 市民社会によじ登って入っていける。 例えば、 非 正規移住者女性は日本人と結婚することで日本市 民の資格を持つことになる。 人身売買の被害者が たくさんいますけれども、 そういう形で自分の不 安全を克服することもあります。 逆に市民社会か ら蹴落とされて底辺生活者になる人々も、 金融危 機で増えています。 今日のグローバル金融危機が 広げる格差の中で、 あるいは危機に伴う搾取強化 の中で安全共同体間の相互不信が各所で 「人間の 不安全」 状況を作り出すケースが非常に多くなっ てきているということがあります。
要するに格差社会というものがあって、 特にそ の中の相互不信が各所で 「人間の不安全」 状況を 作り出すケースがとくにその中のインフォーマル な、 国家が保護できない人たちがどんどん出てき ている。 そこで三つの原則が必要ではないかと。
一つは、 時間がないのでただ読み上げますけれ ども、 要するに人間の生命というものを利用する 政治。 バイオポリティクスというふうに言われて いますけれども、 バイオポリティクスというのは、
怪しいものは殺してもいいと。 しかし、 殺さない で拷問にかけて、 そしていろいろ白状させる。 そ ういう形で命を道具にしている政治があるわけで す。 そうではなくて、 命を大切にする政治という ものが必要になる。 これがさっき言いました生命 の多様性ということを大事にする政治。 これはア ニミズムとか非西欧の諸宗教の生命観というもの に学んでそういうものができる必要がある。
第二には、 さきに触れたローカルかグローバル かということについて、 トップダウンのグローバ ル・ガバナンスではなくて、 下からのラディカル・
プラニングという根本的なところから計画をして いく。 つまりローカルな生態文化共同体の一人一 人の参加者が自分たちで計画をして自分たちの地 域をよくする。 そういう連帯経済の基礎単位とし ての家庭が集まるローカル共同体が、 そういうロー カル中心、 下からの補完性という原則に基づいて、
人間が他の人間、 そして自然とも共存していくこ とを大事にする。
第三には、 格差を拡大する競争・紛争世界を支 えている金融資本主義を改めて、 平和共存と平等 互恵ということを原則する安全共同体の間で連帯 経済の仕組みをつくりあげる。 そうすることで生 命と文化の多様性を尊重し、 商品化を克服する。
そういうことでここで強調したいことは、 連帯経 済の問題と人間の安全保障の問題が全部つながっ ているということです。 要するに連帯経済という のは生産を再生産の中に埋め込む経済です。 それ から人間の安全保障というのは、 人々の安全を生 命と文化の多様性の中で、 人々と自然との 「共通 の安全」 を保障するという形で持続可能にするも のです。 その両方をつながないと今日のグローバ ル危機は克服できないのです。
そしてこの地球を覆う生態文化共同体を中心に、
共通の安全を保障する。 生態文化共同体というの は、 自然の中に溶け込むことで、 市場経済の持続 不可能なひずみを正す連帯経済によって保障する ことが必要です。 例えば、 先住民族の共同体とい う自然に溶け込んだ文化を持った、 そういう安全 共同体を中心とする共通の安全が保障される必要 がある。 経済の面では、 ローカルを優位にした補 完性が必要であるということは、 そのことから出 てくる当然の原則です。
この補完性の原則に従って、 様々な公共財は、
コミュニティーと国家が分担して提供することが
大切です。 国家だけがやるのではない。 今オバマ さんは一生懸命国家が公共財をばら撒こうとして いて、 それはそれでいいんですけれども、 コミュ ニティーもケアなどについての公共財を出す。 そっ ちができるようにした上で、 国家はコミュニティ が提供できない公共財を負担すべきです。
そして競争は、 格差拡大を回避する規制のもと でのみ競争が行われるネオリベラル市場経済を規 制する。 競争を一切してはいけないのではないけ れども、 貧富の格差がふえるような不平等な条件 下の競争では困るのです。
それから、 市民というのは労働者、 働く者であ り、 また同時に消費者でもあることをはっきり自 覚して経済の民主化の基礎に市民を置き、 イン フォーマル・セクターに住む人々も、 市民と同等 の権利を持つようにすべきです。 そういう平等な 生産者・消費者である市民の共同体・協同組合の 間でその自主管理というものを大事にする。 そし てそのような生産者・消費者の共同体である協同
組合単位で平等互恵の交換のネットを拡大してい くことが、 今日の危機克服の大前提です。
そのことで実現が可能になってくるのが生態文 化共同体を中心にする共通の安全保障ということ です。 紛争は平和的変容で解決する。 つまり平和 に生きる権利ということを中心にして、 核を中心 とするグローバル政治経済の軍事化はやめる。
そういう平和をつくる運動も、 連帯経済を支え にした市民参加の共同ネットをつくっていく。 つ まり、 安全共同体の平等な協力によっての平和的 生存権を保障する。
非暴力変革を目指す同時多発的なネットワーク を構築していくためにローカルな市民の努力をネッ トワークでつなぐ必要があります。 同時多発的な テロではなく、 むしろ非暴力的な変革を同時多発 的にネットワーク化していくということが大事だ ということを最後に申し上げることで私の問題提 起にさせていただきました。 どうもご清聴ありが とうございました。 (拍手)