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日本国憲法における平和主義の「国際性」

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日本国憲法における平和主義の「国際性」

著者 岡田 信弘

雑誌名 PRIME = プライム

号 26

ページ 61‑63

発行年 2007‑11

URL http://hdl.handle.net/10723/653

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はじめに

憲法9条を取り巻く環境には大変厳しいものが あるが、 そうした厳しい環境あるいは空気を形成 しているものの1つとして 「一国平和主義論」 が ある。 「日本は敗戦を経て、 憲法9条の示す空想 的一国平和主義とでも言うべき考え方を今日まで 取ってきた。 しかし、 その時期は過ぎていると痛 感している」 (西岡武夫氏) といった発言に示さ れる議論である。 こうした議論に問題はないであ ろうか。 私は、 このような議論が何らの検証もな しにそのまま一般に受け入れられるならば、 後に 見るように、 きわめて 「国際性」 に富んだ日本国 憲法の平和主義の本来の姿からかけはなれた像が 巷に流布することを恐れている。

ところで、 日本国憲法は、 前文で、 「われらは、

全世界の国民が、 ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、

平和のうちに生存する権利を有することを確認す る」 と定めている。 ここで言及されている 「平和 的生存権」 は、 日本国憲法における平和主義の

「土台」 ともいうべきものであるが、 これは日本 国憲法だけのものでない、 というのが私の見立て である。 国際社会にも、 同様の議論が存在してい る。 その意味で、 日本国憲法における 「平和的生 存権」、 ひいては日本国憲法の平和主義には 「国 際性」 がある、 というのが私の認識である。 シン ポジウムでは、 そうした立場からコメントを行っ た。 以下、 その概要を述べることにする。

国際社会 (国連) における平和的生存権論 (right to peace)

(1) 歴史的経緯

国際社会において、 「平和的生存権」 という概 念が明確な形で登場してくるのは、 1970年代、 そ れも後半になってからのことである。 その登場を もたらした要因として、 まず指摘しなければなら ないのは冷戦構造の下での軍拡競争とそれに対す る危機感であるが、 それ以上に決定的な役割を果 たしたものとして1960年代以降一般化する第三世 界の国々の国連加盟と、 それらの国々による人権 に対する新しいアプローチの主張があることを忘 れてはならない。 この新しいアプローチにおいて は、 「人権・平和・発展」 の三者の相互依存関係 が強調されていた。 そして、 このような発展途上 国の主張と当時の社会主義国の利害とが、 1970年 代後半において、 国連総会や人権委員会の場で結 びつき、 総会決議その他の国連文書における平和 的生存権概念の出現となったのである。

(2) 「法源 (法の存在形式)」

平和的生存権に初めて明示的に言及した国連機 関の決議は、 1976年の国連人権委員会決議5であ る。 そこでは、 「すべての人は、 国際的平和と安 全の条件のもとに生きる権利ならびに経済的・社 会的・文化的権利および市民的・政治的権利を完 全に享受する権利を有する」 ことが宣言されてい た。 次いで、 1978年には、 国連総会が 「平和的生 存への社会的準備に関する宣言」 (決議33/73)

― 61 ― 特集:世界の中の憲法9条

日本国憲法における平和主義の 「国際性」

岡 田 信 弘 (北海道大学)

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を決議し、 「すべての国と人民は、 人種、 信条、

言語または性のいかんにかかわらず、 平和的生存 の固有の権利を有する」 ことを宣言した。 さらに 総会は、 1984年の 「人民の平和への権利に関する 宣言」 (決議39/11) において、 「地球上の人民が、

平和への神聖な権利を有することを厳粛に宣言」

したのである。

(3) 内 容

国際社会における平和的生存権は、 先に見た人 権論の新しいアプローチの影響を強く受けている。

こうしてこの権利は、 「人権・平和・発展」 の結 節点もしくはこれら三者の総合体として立ち現れ ることになる。 つまり、 「生存権を含む基本的人 権と基本的自由の尊重と向上および、 新国際経済 秩序の達成を通して、 国際的平和と安全が維持さ れ、 逆に、 国際的平和と安全の中ではじめて、 経 済的社会的発展がなされ、 すべての基本的人権と 自由が達成される」 (廣瀬和子氏) と考えられる ことになるのである。 平和的生存権の基本的特徴 は、 こうした考え方に端的に示されているといえ よう。 なお、 1978年の 「平和的生存への社会的準 備に関する宣言」 や1984年の 「人民の平和への権 利に関する宣言」 の表現から明らかなように、 こ の権利の主体について、 個人 (「すべての人」) と 集団 (「すべての国」 あるいは 「地球上の人民」) の双方が考えられていることにも注意が必要であ る。 日本国憲法との対比において、 1つのポイン トとなるからである。

2 日本国憲法における平和主義 (平和的生存権) の国際性

(1) 積極的結合関係

国際社会における平和的生存権論と日本国憲法 のそれとを比較すると、 そこに積極的な結合関係 が存在することをまず指摘することができる。 日 本国憲法は、 先にも触れた前文において、 「われ らは、 平和を維持し、 専制と隷従、 圧迫と偏狭を

地上から永遠に除去しようと努めている国際社会 において、 名誉ある地位を占めたいと思ふ。 われ らは、 全世界の国民が、 ひとしく恐怖と欠乏から 免かれ、 平和のうちに生存する権利を有すること を確認する」 と規定しているが、 ここには 「消極 的平和」 だけでなく、 構造的暴力の除去を意味す る 「積極的平和」 観が明確に示されている。 そし て、 「平和のうちに生存する権利」 は、 これら2 つの 「平和」 を統合し、 それらの実現を確保する ものとして位置づけることができるように思われ る。 つまり、 日本国憲法における平和的生存権も、

国際社会におけるそれと同じように、 「人権・平 和・発展」 の結節点に位置し、 その意味で両平和 的生存権概念は同一の理念によって導かれ、 同一 の方向性を示しているといえよう。

(2) 消極的結合関係

日本国憲法の平和的生存権と国際社会における それとの間には、 無視することのできないズレも 存在している。 第1に、 権利主体におけるズレが ある。 先に見たように、 国際社会における平和的 生存権は個人と集団の双方を権利主体としている が、 どちらかといえば集団的側面についての議論 が重視され、 それと個人の関わり、 あるいは個人 的側面の具体的ありようについて十分な考察がな されているとはいえない。 これに対して、 わが国 では、 民族の権利として集団的側面を強調する意 見もあるが、 個人の権利として、 その法的性格や 具体的内容を検討していこうとする議論のほうが 有力である。 第2の、 そしてより重要なズレは、

戦争あるいは軍備との関わりに関するものである。

国際社会における平和的生存権も軍縮を法的に含 意しているとはいえ、 一切の戦争と戦力を排除し ようとするものではない。 むしろ、 国連憲章の枠 内で、 一定の場合にはそれらを積極的に肯定して いるとも解することができる。 これに対して、 日 本国憲法の場合、 すべての戦争と戦力を放棄して いるというのが少なくとも従来の学説における支 日本国憲法における平和主義の 「国際性」

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配的な考え方である。 そうすると、 一方は戦争を 許容する平和的生存権であり、 他方は許容しない 平和的生存権であると解さざるをえないことにな る。

(3) 日本国憲法における平和的生存権の国際性 とモデル性

日本国憲法の平和的生存権は、 三重の意味で

「国際性」 を有しているように思われる。 まず第 1に、 わが国の平和的生存権論は、 国際社会にお いて何ら孤立したものではないということである。

平和的生存権論は、 日本国憲法に特殊な議論では なく、 「諸外国においても、 あるいはまた国際機 構のレベルにおいても、 少なからず行われてきて いる」 という意味で、 「国際性」 を有する議論な のである。 第2は、 日本国憲法における平和的生 存権が、 国際社会における平和的生存権形成の推 進力となっている、 国際法上の基本価値 (「人権・

平和・発展」) を共有しているという意味での

「国際性」 である。 最後に、 第3の意味での 「国 際性」 は、 日本国憲法の平和的生存権と国際社会 におけるそれとの間に存在するズレに関わってい

る。 確かに前述したように、 日本国憲法の戦争を 許容しない平和的生存権と、 戦争をもって戦争を 終了させようとする国連憲章の枠内での平和的生 存権との間には大きなズレがある。 しかし問題は、

このズレをどのように評価すべきかだが、 評価に あたっては、 法のありように重大な影響を及ぼす 国際社会の構造変化を冷静に分析するとともに、

その分析を踏まえて国際関係のあるべき姿を模索 する必要があるように思われる。 そうすると、 国 際社会の構造変化とそれを導く基本価値を先取り して構成されている日本国憲法における戦争を許 容しない平和的生存権こそ、 「国際共同体への建 設的な道」 につながっているといえないであろう か。 もしそうだとすると、 国際関係のあるべき1 つの方向を指し示しているという意味での 「国際 性」 と 「モデル性」 を、 日本国憲法の平和的生存 権と平和主義は有しているということになるであ ろう。

このように解することができるとすれば、 日本 国憲法における平和主義は、 けっして 「一国平和 主義」 ではないのである。

日本国憲法における平和主義の 「国際性」

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参照

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