認知症早期発見の促進に効果のある スティグマ低減手法の開発
── 調査仮説と調査設計 ──
小 笠 原 浩 一
要旨: 本稿の課題は,認知症に対するスティグマが認知症の早期発見を妨げる行動心理上 の障壁になっているという仮説に基づいて,スティグマの低減に効果のある啓発手法と効 果測定に用いる評価スケールを開発することを目的として実施される実態調査に関して,
調査仮説と調査設計の考え方を整理することにある。調査の目的は,認知症スティグマの 低減効果を有する実践的啓発・学習ツールを開発することにより,認知症の人への心理社 会的支援を容易にする環境条件の整備に貢献するとともに,介護制度上,認知症ケアのゲー ト・オープナーとしての役割を期待されている地域包括支援センターのワンストップ機能 を活用した,早期発見から初期集中支援の標準マニュアルを構築するための基礎データを 構築することにある。本稿は,認知症スティグマの心理・行動構造とその操作要素を検出 するための実態調査の理論的,方法的妥当性を検証することになる。
キーワード: 認知症スティグマ,早期発見,認知症政策のイノベーション
1. は じ め に
認知症の「できる限り早い段階からの支援」(いわゆる,「早期発見」,「初期集中支援」)は,
国の認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)の施策の柱となっている。早期の適切な医療 診断と投薬管理,予防・回復促進的な介護サービスによる支援が本人の生活の自立を維持し,在 宅での生活の継続を可能にするために有効である,という臨床的知見を根拠にした施策である。
初期集中支援は,早期発見を前提にしている。早期の発見がなければ,初期段階での適切な支援 はない。新オレンジプランの「できるだけ早い段階からの支援」は,この早期発見がなかなか進 まない現実への政策的対応である。
認知症の人への社会的支援は,本人の自立した生活の継続を目的とするものであるから,「早 期発見」の「早期」は,医療鑑別の視点からの認知症の原因疾患ならびに症状の進行段階におけ る「早期」ではなく,日常生活の自立を妨げるようなこれまでとは異なる変化が本人に現れると いう意味での,いわば操作的に定義される「早期」ということになる。そのような生活行為上に 現れる変化の初期兆候の「早期発見」を妨げる要因として,簡易にアクセス可能な医療・介護情 報や相談窓口の不足,本人や家族による変化の兆しの見逃しや軽視,かかりつけ医の認知症に関 する知識不足など,多様に想定される。中でも,「認知症」になること,「認知症」であることに
ついて本人や家族が抱く心理的スティグマは,いわゆる「認知の壁」や「現状維持バイアス」の 作用を介して変化の兆しについての適切な認識を歪めることで,早期発見の回避や遅れの根本的 な要因になっていると考えられる。
そこで,認知症に対するスティグマは認知症への合理的な理解や妥当な対応の妨げとなるとい う仮説にたって,認知症スティグマの心理的構造と心理が言動として発現する契機と態様を分析 し,スティグマの低減を促進する社会的知性を創発するための専門的介入手法を構築するための 実証研究が必要になる。すでに,認知症スティグマ研究はグローバルな政策動向との関連で進ん できており,後に検討するように,いくつかの注目される先行研究をわれわれは手にしている。
そこで,われわれは,認知症スティグマの低減を通じた早期発見・初期集中支援に効果のある政 策的・臨床的方法の構築に貢献可能な実証的根拠を得るために,量的・質的調査を実施すること とした。本稿は,調査設計の方法的な思考枠組みと調査票の考え方を明らかにすることを目的と している。
本稿に示される仮説の構想構築と調査実施は,次のプロジェクトとして行われたものである。
(1) 共同研究課題名「コミュニケーション,協働型社会,政策イノベーションを通じた認知 症スティグマの低減」,日本学術振興会二国間交流事業共同研究,相手国: 大韓民国,共 同研究代表者: 小笠原浩一,ユン・ヨンスク(Hallym University教授),実施期間: 平成 26年7月1日-平成28年6月30日。
日韓に共通するテーマについて知的創発を進めることを目的とするプロジェクトで,認 知症ケアに関する理論研究の動向,グローバル・レベルならびに日・韓の国内レベルに おける認知症国家戦略および認知症施策の動向,認知症ケアをめぐる実態調査研究の方 向性に関する学術的情報交流を実施した。討議のためのデータ蒐集として,小規模な試 験的調査(日韓の大学生を対象にした書面調査)を実施した。
(2) 調査研究課題名「認知症早期発見・初期対応促進に資するアウトカム指標と定量的評価 スケールの開発に関する調査研究」,平成27年度老人保健事業推進費等補助金(老人保 健健康増進等事業分),実施団体名: 日本介護経営学会,調査研究主査: 小笠原浩一,実 施期間: 平成27年度。
このプロジェクトでは,本稿に示される調査仮説の構築と調査票の設計,および,これ らを用いての,① 介護事業を有する大規模な社会福祉法人5法人に働く職員を対象にす る書面調査,② ① の職員の家族である一般市民を対象にする書面調査,③ 介護老人福 祉施設・介護老人保健施設・通所介護事業所において認知症介護に携わる職員を対象に した聞取り調査,④ これら調査結果の分析を踏まえた早期発見に資するアウトカム指標 と定量評価スケールの開発,⑤ 指標とスケールを用いたスティグマ低減効果を期待でき る学習モデルの構築,が実施された。
本プロジェクトの研究成果報告書は,特定非営利活動法人日本介護経営学会『認知症早
期発見・初期集中対応促進に資するアウトカム指標と定量的評価スケールの開発に関す る調査研究』報告書として,執筆分担明示の上,公開されている。
http://www.kaigokeieigakkai.jp/download/h27_kenkyu_houkokusho_hp.pdf
本稿は,本報告書の「I 調査研究の目的と方法」の内容に加筆したものである。
(3) 調査研究課題名「認知症の早期発見促進のための教育プログラムと早期発見を初期集中 対応に連続化させる効果的手法の開発に関する調査研究」,平成28年度老人保健事業推 進費等補助金(老人保健健康増進等事業分),実施団体名: 日本介護経営学会,調査研究 主査: 小笠原浩一,実施期間: 平成28年度
このプロジェクトでは,① (2)の ⑤ の学習モデルを具体化したラーニング・テキスト(若 手職員用,一般市民用)とラーニング前後におけるスティグマの低減度合いを測定する セルフチェック式のテストの作成,② ラーニングテキストと前後テストを用いた実験講 座(市民向け)ならびにセルフラーニングと前後テスト(若手職員向け),③ ② の調査 結果をベンチマークする際の比較データ構築を採取するためのベテラン介護職員(居宅 介護事業のサービス提供責任者)を対象とする実験講座,④ 早期発見から初期集中支援 の好事例を収集するための地域包括支援センター(5か所)への聞取り調査,⑤地域包 括支援センターをワンストップのゲート・オープナーとするための標準マニュアルの策 定とその検証,が実施された。
本紀要に同時掲載される石附敬・阿部哲也論文および工藤健一論文は,本稿において示される 調査研究の考え方に沿って実施された調査のうち,石附・阿部論文は,(1)のプロジェクトの日・
韓の大学生を対象とする試験的調査のうち,日本での調査分の結果を,また,工藤論文は,(2)
のプロジェクトの認知症介護職員への聞取り調査データのうち,試験段階で先行実施された23 ケースを分析したものである。
2. 本稿の課題と課題の趣旨
本稿の課題は,認知症の人の自立と社会的統合を促進するための政策および臨床は認知症に対 する社会的スティグマの低減という方法的視点を基に体系化されて初めて効果あるものになり得 るのではないか,という仮説を実証するための調査設計の方法的妥当性を検討することにある。
先ず,認知症に対するスティグマを方法的視点とする趣旨について,わが国の認知症国家戦略 と国際的に主流となっている方法的視点との比較において,述べておきたい。
国際アルツハイマー認知症協会(Alzheimer’s Disease International)は,「認知症スティグマの 克服(Overcoming the stigma of dementia)」と題する2012年『世界アルツハイマー報告書』にお いて,認知症の社会的受容を効果的に促す取組みとして,認知症に対する心理社会的な障壁の克
服に焦点をあてている。その中で,認知症の人の社会的孤立の緩和,認知症の人々の当事者メディ アの確保,公共(the public)向けの啓発,認知症の人とその介護者の権利の承認,地域社会へ の認知症の人の参加の促進,制度外の有償サポーターの養成と活動支援,在宅・ケアハウスにお けるケアの質の向上,プライマリ・ヘルスケア専門家の認知症対応能力の改善,各国政府による アルツハイマー国家プランの策定,スティグマに関する研究の強化,といった10項目の勧告を 国際社会や各国政府に向け行っている1)。医療・薬事的アプローチではなく,心理社会的支援
(psycho-social support)と社会的包摂の原則を組み込んだ社会的アプローチを前面に打ち出し,
有効な国家戦略プランの立案を各国政府に求めている。
同協会は,2009年には,認知症のもたらす経済的影響の調査測定の結果を,2010年には,認 知症の心身機能への負荷とその低減につながる政策ならびにヘルスケアの対応の好事例調査の結 果を,2011年には,初期診断・早期発見・早期集中支援に関する調査結果を,それぞれ『世界 アルツハイマー報告書』として公表してきており,2012年の『報告書』はその一連の取組みを 集約し,認知症の社会的受容を妨げる最も基本的な障壁がスティグマにあることを強調し,認知 症スティグマに関する研究の強化を通じた政策上・臨床上の取組みの促進を訴えるものであった。
また,英国アルツハイマー認知症協会は,これに先立つ2008年の活動宣言文書「認知症を表 舞台に」(Dementia : Out of Shadows)において,認知症に関する公共的理解の促進,地域の指 定かかりつけ医(GP)の認知症への理解と認知症発見能力の向上,認知症専門家の鑑別的アセ スメント・サービスの向上,適時適切な情報提供,認知症の人の社会的統合に向けたピアサポー ト・ネットワークの強化といった5項目を提言している2)。ここでは,地域総合医の認知症診断 能力と認知症専門医によるアセスメントとの連続性の強化ならびに公共的理解と社会的統合ネッ トワークの促進といったプライマリ段階における対応力と社会的包摂の促進にフォーカスが絞ら れている。
英国アルツハイマー協会は,2013年のG8ロンドン認知症サミットの宣言文書の草案策定に貢 献したと言われているが,その中で,認知症に対するスティグマを1つの重要な課題とするよう 訴え,サミット最終宣言「Global Action against Dementia」の第11項として組込まれることになっ た3)。
この2つのアルツハイマー協会のアプローチは,極めて焦点化されている。焦点は,認知症に 関する心理社会環境の改善と認知症当事者の社会的包摂に貢献可能な認知症スティグマの低減方 策である。認知症に対する無理解や先入観,偏見や恐れ,回避や排除などを「スティグマ」と捉 え,それが認知症の人々に対する社会的態度の劣化や妥当性を欠く医療・ケアの原因になってい るという問題の把握の仕方である。両協会共に,プライマリ・ヘルスケア段階での認知症発見・
診断・対応の専門的能力や認知症およびその人の生活に関する情報・知識の提供を基にした社会 的学習や公共的啓発の推進,その前提となる認知症の人ならびにケアする家族の社会的承認や社 会参加の推進と言った当事者メディアの強化を掲げている。早期発見・初期集中支援,心理社会
的支援,社会的包摂といった原則が柱となっている。
他方,わが国の認知症国家戦略(新オレンジプラン)は,図1ならびに表1に示される通り,「認 知症の人の意思が尊重され,できる限り住み慣れた地域のよい環境で自分らしく暮らし続けるこ とができる社会の実現を目指す」ための柱となる次の7つの施策を掲げている。
(1) 認知症への理解を深めるための普及・啓発の推進
① 認知症の人の視点に立って認知症への社会の理解を深めるキャンペーンの実施 ・認知症への社会の理解を深めるための全国的なキャンペーンを展開
・ 認知症サポーターを量的に養成するだけでなく,活動の任意性を維持しながら,認知 症サポーターが様々な場面で活躍してもらうことに重点を置く
・ 認知症サポーター養成講座を修了した者が復習も兼ねて学習する機会を設け,より上 級な講座など,地域や職域の実情に応じた取組を推進
② 認知症サポーターの養成と活動の支援
③ 学校教育等における認知症の人を含む高齢者への理解の推進
(2) 認知症の容態に応じた適時・適切な医療・介護等の提供
容態の変化に応じて医療・介護等が有機的に連携し,適時・適切に切れ目なく提供できるこ と,ならびに,早期診断・早期対応を軸とし,妄想・うつ・徘徊等の行動・心理症状(BPSD)
や身体合併症等が見られても,医療機関・介護施設等での対応が固定化されないように,最も ふさわしい場所で適切なサービスが提供される循環型の仕組みを推進することを基本に,
① 本人主体の医療・介護等の徹底 ② 発症予防の推進
③ 早期診断・早期対応のための体制整備
④ 行動・心理症状(BPSD)や身体合併症等への適切な対応 ⑤ 認知症の人の生活を支える介護の提供
⑥ 人生の最終段階を支える医療・介護等の連携 ⑦ 医療・介護等の有機的な連携の推進
を図る。
(3) 若年性認知症施策の強化
(4) 認知症の人の介護者への支援 ・認知症の人の介護者の負担軽減 ・介護者たる家族等への支援
・介護者の負担軽減や仕事と介護の両立
(5) 認知症の人を含む高齢者にやさしい地域づくりの推進
(6) 認知症の予防法,診断法,治療法,リハビリテーションモデル,介護モデル等の研究開 発及びその成果の普及の推進
認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)で推進する主なポイント
総合戦略に関連するH27年度予算(案)約161億円
* 消費者被害の防止など,他の事業と一体的に予算計上されているため,総額に含ま れていないものがある。
*他に,介護保険サービスの確保で2.6兆円等がある。
I 医療・介護等の連携による認知症の方への支援
(1) できる限り早い 段階からの支援
・医療・介護専門職による認知症初期集中支援チームを,2018(H30)年度までにすべ ての市町村に配置。(消費税増収分を活用) *現在は41市町村でモデル的に実施
・認知症の方の声に応え,2015(H27)年度から初期段階認知症のニーズ調査を実施。
(2) 医療・介護従事
者の対応力向上 ・かかりつけ医向けの認知症対応力向上研修を,2017(H29)年度末までに6万人に実施。
等 *現在の受講者目標5万人から引上げ
(3) 地域における医 療・介護等の連 携
・連携のコーディネーター(認知症地域支援推進員)を,2018(H30)年度までにすべ ての市町村に配置。(消費税増収分を活用) *現在は217市町村でモデル的に実施 II 認知症の予防・治療のための研究開発
(4) 効果的な予防法 の確立
・2020(H32)年頃までに,全国1万人規模の追跡調査を実施。認知症のリスクを高め る因子(糖尿病等)やリスクを軽減させる因子(運動等)を明らかにし,効果的な予防 法の確立を目指す。 *現在は1町で年間2-3千人規模
(5)認知症の治療法 ・各省連携の「脳とこころの健康大国実現プロジェクト」に基づき,2020(H32)年頃 までに,日本発の認知症根本治療薬の治験開始を目指す。
III 認知症高齢者等にやさしい地域づくり
(6) 認 知 症 サ ポ ー
ターの養成 ・正しい知識と理解を持って認知症の方・家族を支援する認知症サポーターを,2017
(H29)年度末までに800万人養成。 *現在の養成目標600万人から引上げ
(7) 認知症の方の安
全対策 ・徘徊等に対応できる見守りネットワークの構築,詐欺など消費者被害の防止等を,省 庁横断的に推進。
出典: 2015年1月27日認知症対策を協議する関係閣僚会議決定,同日厚生労働省
老健局高齢者支援課認知症・虐待防止対策推進室報道発表の内容。http://
www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000072246.htmlの「参考資料1」 2016年10月23 日検索
表1 新オレンジプラン初年度における主な事業項目
【参考】総合戦略に関連する平成27年度予算(案) 約161億円
(平成26年度予算 約95億円)
*消費者被害の防止など,他の事業と一体的に予算計上されているため,総額に含まれていないものがある。
*他に,介護保険サービスの確保で2.6兆円等がある。
<上記予算案の主な事業> *括弧書きの数字は平成26年度予算額
○医療・介護専門職による認知症初期集中支援チームの配置 13億円(4.1億円)
*消費税増収分を活用
○医療・介護連携のコーディネーター(認知症地域支援推進員)配置等 15億円(12億円)
*消費税増収分を活用
○早期診断を行う認知症疾患医療センターの整備 6.4億円(5.5億円)
○生活支援コーディネーターの配置等
(高齢者の見守り等を行うボランティア等の養成や連携支援を行う) 54億円(5億円)
*消費税増収分を活用
○認知症の予防・治療のための研究開発の推進 65億円(62億円)
出典: 図1に同じ
図1 認知症施策推進総合戦略のポイント
(7) 認知症の人やその家族の視点の重視
わが国の認知症国家戦略は,予防・診断・治療・リハビリテーションといったヘルスケア領域 からのアプローチ,啓発・教育・地域づくり・当事者メディアといった社会行動領域からのアプ ローチ,それに進行段階やケース特性に対応可能な医療・介護連携の整備・推進と言った臨床シ ステム領域のアプローチから組み立てられている。認知症サポーター養成とサポーターの参加促 進,地域ケア会議や初期集中支援チームなどを通じたチーム支援,認知症サポート医の配置,地 域包括支援センターと認知症疾患医療センターとの連携体制など,具体的な事業メニューが豊富 に展開されている。柱となる7つの事業項目は,実体的には,心理社会環境の改善,社会的支援 力の向上,当事者の社会的包摂の促進といった国際アルツハイマー認知症協会や英国アルツハイ マー認知症協会と同じ方向性を有する内容となっている。
彼我の相違は,認知症に関する政策上・臨床上のアプローチを統合する,ちょうど筆の穂首の 衣毛巻に相当するようなパラダイム(すなわち,認知症を社会問題としている原因の本質に関す る明確な認識とその克服に向けた統合的な戦略指針)が存在するかどうかにある。わが国の認知 症国家戦略の目標に即せば,「認知症の人の意思が尊重され」難い社会環境・人間関係構造を生 み出している根本の原因は何か,「よい環境で自分らしく暮らし続ける」ことが難しい生活構造 を生み出している核心の原因をどのように捉えるか,という問題である。例えば,「認知症の人 の視点に立って認知症への社会の理解を深めるキャンペーン」の一環として認知症サポーターの 養成を強化し,様々な場面で活躍してもらう施策を推進すると言っても,養成プログラムが認知 症に関する知識の学習に留まっている場合には,知的充足感は得られても,そのことが,認知症 の人に対する受容力の向上や主体的活動の誘因につながる保証はない。また,上記(2)のプロジェ クトで実施された一般市民を対象にした書面調査において,認知症の人と関わった経験を有する 人々について,初等中等教育段階での認知症体験学習は認知症に対するスティグマ心理の緩和に ほとんど役立っていないことや,日常的に認知症の人と生活上のかかわりを持つ人の方が,認知 症の人とのスポット的なふれあいの共体験を有する人に比べ,強いスティグマ傾向が確認されて いる。つまり,教育や体験の組み立て方に,明確な刺激目標が組み込まれていない場合は,認知 症受容効果の向上に結びつかない。同じく(2)のプロジェクトで実施された認知症介護関連社 会福祉法人の職員を対象とする書面調査では,日常業務として認知症の利用者と関わる際には,
一般市民の意識傾向と比べ認知症へのスティグマ度は低いが,仮に自分が認知症になることや自 分の身近な家族が認知症になる場合を想定すると,「認知症になること」「認知症であること」へ の一般市民よりも強い回避意識(セルフ・スティグマ)が存在することが確認されている。同じ プロジェクトで実施された認知症介護のベテラン職員の体験に関する聞取り調査では,介護報酬 の加算項目として「認知症」限定型のサービスメニューが増えることが,却って,「認知症」を 看板に掲げたサービスの利用抑制を生み,認知症の方へのラベリングにつながる場合があること が指摘されている。
認知症に関する施策や医療・介護臨床は,認知症に対する社会や関係者の肯定的理解や積極的 受容行動を促進する効果を持つ場合もあれば,却って否定感情や回避行動を強める作用を持つ場 合もある。つまり認知症に関する施策は総花的な個別メニューの横並び配置では効果を期待でき ないのであって,認知症に対する心理社会的状態の水準の改善という明確な体系基準を束ねとし て体系的な統合性を持つ必要がある。
認知症国家戦略の非体系性は,研究開発投資の中身にも現れている。たとえば,公益財団法人 長寿科学振興財団による厚生労働科学研究費補助事業「認知症対策総合研究」の支援研究分野に ついて観ると,平成27年度の内容は,
(1) 認知症のケア技術に関する研究
(2) 認知症の地域包括ケア体制に関する研究
(3) 認知症の経済的影響に関する研究
(4) 医療・介護機関における認知症患者の医療・ケア等実態に関する研究
(5) 認知症の発症に対する危険因子の提言や保護的因子の促進に関する研究
から構成されている4)。支援研究事業の性質上,止むを得ないことではあるが,認知症の経済的 影響,地域包括ケア体制やケア技術研究,医療・ケア実態の分析から因子分析まで,支援対象と なる研究テーマが実に包括的に指定されている。幅広い理論範域にわたる多くの研究ドメインを 並列するものとなっているが,各ドメインの研究成果を臨床化する手法ならびに臨床の有効性の 評価につなげる橋渡し分野となる認知症の社会心理分析ならびに社会行動変容に向けた刺激シス テムに関する研究領域が抜けてしまっている。
臨床モデル構築に近接した研究として,制度上の支援サービスの比較に関する研究がある。公 益財団法人東京都医学総合研究所『認知症国家戦略の国際動向と我が国の制度によるサービスモ デルの国際比較研究』(平成25年老健事業費)はその代表的な例である。国内調査では,先進的 な地域包括ケアのモデル地域として富士宮市・大牟田市・世田谷区玉川地域を抽出して,認知症 へのサービス開発につながるヒアリング調査を実施している。ヒアリング項目は,
(1) 早い段階での気づき
(2) 日々の暮らしの中での困難の見極め
(3) ケアや支援の内容についての説明と相談
(4) かかりつけ医の役割
(5) かかりつけ医と専門医の連携
(6) 地域ぐるみの支え
(7) 医療・介護・地域の連携
(8) 行動・心理症状(BPSD)への対応
(9) 終末期から看取りについて
(10) 地域の認知症への取組み推進のために
の10論点から構成されている。早期発見,日常の生活過程での気づきから始まり,終末期から 看取りに至るまで,認知症の進行段階にそって,支援サービスに関わる主体がどのような役割を 担い,どのように連携しているか,整理しようとしている5)。地域包括ケアのシステム化に関わ らせながら,認知症の病理的進行段階に沿った流れとして医療・介護のダイアグラムを構築しよ うとする調査論点の設定になっている。論理的には,「早い段階での気づき」に失敗すれば,ダ イアグラム自体が機能しない構成になっている。この「早い段階」は認知症発症の早期ではなく,
「日々の暮らしの中での困難」の発生の初期であることから,本人・家族や周囲の日常生活観察 主体の気づきである「見極め」がポイントになるが,「見極め」がケア支援につながるためには,
本人や家族に,地域包括支援センターへの相談や認知症専門医の受診といった初動を促す心理的 動因が働かなければならない。認知症と診断されることへの恐れや介護サービスにつながること を回避するような認知症スティグマ心理が働くと,このモデルに示される支援プロセスは最初か ら機能しないことになる。
認知症施策体系のデザインにおいても,臨床モデルの開発においても,認知症スティグマの操 作を可能にするような刺激情報の開発とスティグマ低減に有効な学習モデルへの展開,ならびに 早期の発見・初動への心理的障壁を低めるために有効なゲート・オープナー機能の構想が求めら れるところである。本稿は,そうした構想に貢献可能な心理・行動調査の設計仮説を,海外にお ける認知症スティグマ操作に関する代表的な先行研究の到達点を踏まえて,構築するものである。
3. 焦点化−早期発見と学習−
認知症スティグマ低減に効果的な施策・臨床モデルの開発にあたり,本調査は,早期発見を促 進する効果のある心理刺激因子の特定と心理的促進効果を行動の変容へと可視化するための学習 の仕組みの構築という2点に焦点化している。
(1) 早期発見
わが国は,G8ロンドン認知症サミットの中で,新しい認知症のケア臨床モデルの開発に役割 を負うことを公約したが,いかなる臨床モデルもそれが実効性を有するためには,認知症のリス ク段階や早期の微弱な兆候の段階で適切で専門的な状態評価を伴う早期発見が行われることが前 提条件となる。発見がなければ,その後のケース管理につながらない。加えて,早期の状態評価 から連続的に,集中的な支援の初動につながることが,状態の悪化を回避し,ケア・プロセス全 体に一貫性・継続性を担保する不可欠な条件になる。
早期発見を促進するには,本人の発意と並んで,家族・近隣住民等の身近に生活する人々の意 識・行動や専門職の認識・支援といった動機付け要因が不可欠である。初期集中対応においても 医療的側面での対応だけでなく,生活環境の整備や支援のネットワークづくりといった認知症の
人が普段の生活を継続していくための条件の組織化が重要で,それは,日常生活に関与する周囲 の人々の認知症に対する前向きな意識・行動によって支えられるものである。
しかし,早期発見という初動の段階で,その妨げとなるような意識状況が社会的に観られる。
ちょっとした物忘れ程度と軽視したり,認知症の診断が下されるのを恐れたり,同情はするが関 わりたくないと敬遠したり,認知症だと疑っても歳を取れば自然な成り行きだと放置するといっ た,一般的に観察される意識とそれに基づく消極的な判断・行動である。早期発見を妨げる意識・
行動の背景には,「認知症」について社会に拡がる消極的ないし否定的な意識構造がある。認知 症介護の専門職の中にも,受診が望ましいことは理解しているが,認知症であることが判ったと して,それを,どのように支援につなげるのか方向性が見えないまま対応を躊躇するとか,認知 症であってもその人を介護するという点では変わりはないからと認識し,介護の一般論から個別 ケースを演繹するような行動が観察される。認知症介護の経験から得られた知識が,結果として,
待ちの判断を生んでしまうことがある。
ガンであれば早期発見,早期治療で治そうとする。本人や家族が心を一つにして治療をすすめ るために,同意に基づく告知や治療計画が重要である。認知症についても同様で,早期発見,初 期集中対応についての社会的なコンセンサスを促進する必要がある。そのためには,認知症であ ること,認知症になることについて,どのような心理社会的状態 (psycho-social state) が観られ,
認知症に対する心理社会的状態が,認知症という状態にある人に対するどのような行動病理を発 生させるのか解明し,認知症にとってネガティブな心理社会的状態の緩和・改善の方略を検討す ることが重要になっている。
本調査は,そうした心理社会的状態を「スティグマ」概念で定義し,スティグマ操作という方 法的視座から,スティグマの低減に貢献可能な刺激指標を特定し,併せて,スティグマ低減に有 効な学習促進スケールを開発する内容となっている。
(2) 学習
本調査では,認知症スティグマを操作し,その低減につなげるための刺激方法として,学習を 用いる。学習は,学習時期,学習場所,学習形態,ならびに学習刺激の4つの要素から組み立て られる。
学習時期は,認知症に人生のどの段階で初めて出会うかということで,一般には,年少期にお ける認知症の方々とのふれあい,義務教育段階における体験学習,高等教育段階での専門的知識・
技能の養成,認知症の家族を抱えてからの必要に応じた学びなどからなる。学習場所には,基本 的には,学校,地域,職場,家庭がある。学習形態としては,正規の教育カリキュラム,ボラン ティア,市民講座や地域出前講座,職場研修,書籍やDVD等を用いたセルフラーニングなどが ある。学習刺激としては,認知症の発症メカニズムや症状に関する知識,認知症の人が発信する 当事者メディア,認知症の人への対応の好事例情報,人間受容やストレス耐性コントロールに関
する情報,もし自分や身近な人が認知症になったらという仮想を通じた認知・行動刺激などがあ る。
効果的な学習刺激を発見するための実験的調査の方法としては,これらの組み合わせ効果を評 価することになる。その際,知識学習から行動学習へ,すなわち,学習の結果が,心理的スティ グマの低減に効果を持つことに加えて,その効果が,行動変容に結びつく仕組みを特定すること がポイントになる。
4. 調 査 仮 説
(1) 操作概念:「認知症スティグマ」
繰り返すが本調査研究では,認知症に対するネガティブな心理社会的状態を,G8認知症サミッ トの宣言にも盛り込まれた「認知症スティグマ」(the stigma of dementia)の概念を用いて分析 する。
世界保健機構(WHO)および世界精神医学会(World Psychiatric Association(WPA))が2002 年に発表した「合意声明: 精神障害を有する高齢者に対するスティグマと差別の低減に向けて」
(Consensus Statement : Reducing Stigma and Discrimination Against Older People with Mental Dis- orders)は,スティグマとは「特定のやり方で社会から信頼されなくなるような属性(attribute),
ふるまい(behavior),または,評価(reputation)であり,それは,個人が,他者によって,社 会で受け入れられている普通の存在としてではなく,歓迎されない拒絶的な固定観念のもとに心 理的に類別けされることを意味する」というアービン・ゴフマン(Erving Goffman)の古典的な 定義6)を継承している。その上で,スティグマは,「一定の個人やグループが恥をかかされたり,
排除されたり,差別されたりするプロセスから生じる」と定義した7)。
ブルース・リンクとジョー・フェランは,この「スティグマ・プロセス」という捉え方を更に 動態的に構造化して,「特徴付けのラベル貼り(labelling),偏見的先入観(stereotyping), 阻隔
(separation), 社会的立場や現状の喪失(status loss),そして差別処遇(discrimination)が,一定 の力学関係の状態(in a power situation)において同時に起こることで,スティグマを構成する 諸要素が顕在化することになる」と定義している8)。
この定義には,3つの重要な理論的・政策的インプリケーションが含まれている。
第1に,スティグマは,一定の力関係の状態の中に生じると見做している。この定義は,専門 言説を支配し,鑑別というラベリングを実施する医師と受診する認知症の人との関係,否定的な 偏見や先入観を持って見つめる周囲との関係,認知症という病名が付されることによって惹起さ れる雇用機会の喪失や社会参加機会の閉塞,「認知症対応型」という看板を掲げた介護サービス への仕分け的な処遇,介護家族が味わう近隣への気遣いなど社会関係上の苦悩,介護施設や通所 介護における認知症の利用者とそうでない利用者との隔絶など,社会関係に内在するする一定の
力関係の状態をスティグマの諸要因を顕在化させるメカニズムとして理解している。それゆえに,
スティグマの緩和・解消は,政策的には,この力関係の状態のメカニズムの組換えとしてとして 行われるべきことが示唆されている。
第2は,スティグマが顕在化する契機の重層性を描いている。マスコミ等の情報や伝聞情報に より認知症について偏見的先入観を植え付けられている場合,それだけでは,特定の人を隔絶し たり排除したりする行動には結びつかないが,自らの生活圏内に認知症の疑いや認知症と鑑別さ れた隣人が存在することによって,偏見的先入観が特定の個人に対する差別処遇という行動病理 現象を誘発する。この定義は,こうした構図に関する明快な説明となっている。つまり,意識が 行動化する契機は重層的な文脈で構成されるということである。このことは,敷衍すれば,啓発 を通じて公共の意識変容を促すことに加えて,接触体験を通して偏見的先入観を矯正することや,
認知症の本人や家族からの当事者メディアを豊富に作り出すことで,認知症を自分のこととして 仮想することなど,スティグマ意識が行為へと起動することに対し操作が可能となるような取り 組みの有効性を示唆している。
第3に,スティグマ行動の主体の複層性を描いている。外側からのスティグマは,スティグマ を貼られた側の失望や焦燥や諦めといった本人に内在化する自己スティグマ(self-stigma)を引 き起こす。早期発見の最大の阻害要因となるし,支援サービスの効果を左右する最大の要因とも なる。社会や地域からのスティグマ(social/institutional stigma)に加えて,自己スティグマを抱 える本人と地域社会の間に挟まれた家族や介護職員が,心理的切迫の中で,あるいは,自身の抱 える偏見的先入観から,介護者として被介護者を特別扱いしよとする厚遇スティグマ(courtesy- stigma)を持つこともある。この定義は,スティグマの主体間関係という視座と,差別的スティ グマ・保護的スティグマというスティグマの二面性の視座を提供してくれる。
先に挙げた国際アルツハイマー協会2012年報告書は,スティグマに関する異なるいくつかの 定義を検討しつつ,WHO/WPFの2002年の定義ならびにブルース・リンク/ジョー・フェラン の2006年の定義を変更していない。
したがって,本調査は,ブルース・リンク/ジョー・フェランの2006年の定義に関するこの ような解釈から得られる3つの視座,すなわち,力関係の状態,契機の重層性,主体の複層性を,
調査設計の方法的視座に設定する。
(2) 操作概念:「早期」
認知症国家戦略では,早期発見の「早期」は原因疾患の発症初期と考えられている。ケアの視 点からは,これを自立した生活の継続を脅かすような変化の兆候が感知される段階と読み替える ことになる。そのため,発症予防や軽度認知障害(MCI)に関する知識の普及啓発と共に,「本 人や家族が小さな異常を感じたときに速やかに」適切な機関に相談できる体制が重視される。こ の「小さな異常」とは日常生活において感知されるこれまでとは異なる変化のことを意味するか
ら,「段取りが計画通り上手くできない」「状況に応じた動作ができ難くなってきた」「くどくど,
同じことを何回も繰り返す」「身だしなみを気にしなくなった」などの日常生活行動の自立性に 関わって生じる変化というように解釈する必要がある。DSM-5が着目する6つの認知ドメイン
(① 複合的注意(complex attention),② 実行機能(executive function),③ 学習と記憶(learning and memory), ④ 言 語(language), ⑤ 知 覚-運 動(perceptual-motor), ⑥ 社 会 認 知(social
cognition))のいずれか1つの障害兆候でも確認される状態という定義に近い。操作的な判断の
仕組みであり,本人,家族のポジティブな行動に依存する程度が高い概念である。
そこで,早期発見を促進する社会条件を検討する場合,「早期」であるかどうかの判断を当事 者に委ねることは見逃しや見逃しのリスクを高くする。当事者が認知症に関する限られた認識値 や判断域の中で「早期」かどうかを判断するのではなく,支援の初動を容易にする行動様式を促 すことが重要になる。この場合の「早期」とは,医療鑑別上の原因疾患の初期のことではなく,
日常生活行動における「小さな異常」「これまでとは異なる変化」のことであり,異常,変化へ の気づきを専門的相談につなげる初動のことである。早期発見の促進に効果がある認知症スティ グマの低減とは,従って,「変化」「異常」情報をインテークした場合に,当事者が,相談への初 動を意識づけられていることを意味することになる。
(3) 操作概念:「集中」
小さな異常・変化への気づきが地域包括支援センター等のゲート・オープナーにつながた場合,
未受診者であれば認知症疾患医療センター等の専門医による鑑別診断につなげ,原因疾患の状況 を把握するとともに,介護保険未認定者であれば認定・サービス利用につなげ,基本的な支援方 針の決定と支援サービスの組織化にスムーズに連続移行することが,時間経過に伴うリスクの増 大や各関係当事者の分散的な関わりのリスクを防止するために不可欠である。初期集中支援とか 早期対応と言われるものである。ケースがゲート・オープナーにつながった時の初動態勢である。
初動体制として,新オレンジプランにおいては地域包括支援センターと認知症サポート医等の 専門医との連携を核にするチーム対応が想定されているが,実際には,認知症サポート医の存在 や地域の認知症専門医の体制,かかりつけ医の力量や判断,専門医療機関の医療ソーシャルワー カー等の橋渡し部門と地域包括支援センターとの連絡調整ルートの質など,基盤条件の実態に相 当の幅が存在する。地域包括支援センターのケース対応の力量にも,運営主体や配置職員の職務 能力などにより相当の幅が存在する。このような幅は,今後,認知症診断能力の向上・平準化や 地域包括支援センターの業務標準化などを通じて改善されるべきものであるが,しかしそのよう な改善が進んだとしても,多専門機能のネットワーク連携の範囲システムでは,本質的かつ普遍 的に,そうした幅が発生する9)。
従って,早期発見から初動対応への連続的展開を図るためには,介護保険サービスの窓口機能 であることが求められる地域包括支援センターを,ゲート・オープナーのワンストップ総合調整
機関として明確に位置づけ,ケース支援に必要な情報・資源・関係を一元化することが,安定的 なシステム運営の技法として期待されるところである。
そのような意味で,初期集中支援の「集中」とは,単なる「連携」のことではなく,ワンストッ プ機能を有する地域包括支援センターへの調整機能の「集中」のことと解釈されるべきである。
5. 先行研究の確認
以上の方法的仮説の妥当性を,先行研究に照らして,検証しておきたい。認知症スティグマを 方法的視座とする先行研究は,主要なものとして3件存在する。それぞれとの関係における本調 査研究の方法的の独創性を点検しておきたい。
(1) 認知症ケア・マッピング(Dementia Care Mapping : DCM)10)
この研究は,認知症を高齢化の不可逆的な兆候と捉え,本人の個人的な生活の質を優先する認 知症ケアの方法を構想したものである。いわゆる「その人の視点に立ったケア」(person cen- tered care)の考え方を基盤にしている。その際,方法的キーワードとなるのが,認知症への恐 れ(fear)と差別的取扱い(discrimination)である。DCMは,認知症の本人の日常生活行為を 専門家(マッパー)が観察し,24の異なるドメインから成る「行為カテゴリー・コード」(the Behavioral Category Code BCC)に即してインディケーター解釈を加え,心地の悪い状態と心地 の良い状態に得点化して仕分けし(well/ill being (WIB) value),生活の質を可視化して,ケアの 方法の改善に結びつける方法体系である。
この方法は,認知症を特別な疾患とラベリングする医療的アプローチが生み出してきた認知症 への恐れや,医療中心の対応プロセスに組込まれた認知症への差別的取扱いから醸成される社会 心理的な偏見的先入観に対し,「個人にとっての妥当性の確認」(individual validation)を優先さ せるという戦略的な目標から開発されたものである。いわば,社会的な認知症スティグマから個 人を防衛するケアの方法体系として構想されている。
本調査は,「個人にとっての妥当性の確認」(すなわち「生活の質」)を戦略目標におくという 点では,この研究を継承している。その上で,本調査研究は,次の2点を前に進めている。1点 目は,早期発見・初期集中支援という初動段階にフォーカスをあてている。そのことで,認知症 になること,認知症であることへの心理社会的状態そのものの変容を促すツールを開発しようと している。この点で,本研究は,「個人にとっての妥当性の確認」を踏まえたケアという個々的 状態の改善にフォーカスをあてるDCMと異なっている。2点目は,ケアの方法論ではなく,スティ グマの意識・行動の主体側に焦点を当て,意識・行動そのものの変容に切り込もうとしている。
そのため,一般市民のみならず,認知症ケアに従事する専門職や認知症ケア事業に関わる多様な 職員の意識・行動の構造分析と意識・行動変容への寄与変数の発見を組み込んでいる。
(2) スティグマの6次元説(Six Dimension of Stigma)11)
この研究は,エドワード・ジョーンズ(Edward E. Jones)らの社会的スティグマ(social stig- ma)研究の方法を「認知症スティグマ」の構造分析に応用したものである。スティグマを,隠 秘性(concealability : 状態の可視性),経路(course : 経時変化),断絶性(disruptiveness : 関係 の阻害性),審美的特徴(aesthetic quality : 烙印の度合いと狼狽効果),起源(origin : 発生環境 と責任主体),危難(peril : 危険性の性質と切迫性)の6つの次元から構成される行動病理体系 として仮説だてし,状態コントロール変数を発見しようとする試みである。
このため,認知症に関わるステークホルダーすべてを調査対象としており,認知症の本人,そ の家族,専門職,支援者を対象に,上記6次元に即した聞取り調査を通じて,認知症スティグマ 環境の構造分析と変化要因の検出を試みている。とくに,DCMではマッピングの客体に位置付 けられていた本人を,当事者としてメディア化しているところに,方法的進化が観られる。
本調査は,スティグマを力関係の状態,契機の重層性,主体の複層性のプロセスの中から発生 するものと捉える点では,この研究と同じ方法的視点に立っている。その上で,経時変化や危険 性・切迫性の度合いという状態観察の方法よりも,早期の発見や初期の対応がなぜ促されないの かに焦点化することにより,認知症スティグマの解析をより鋭敏にしている点,ならびに,スティ グマの緩和・解消に向け,誰が,どのような責任を負うかを特定する調査とするために,認知症 の本人を調査対象から外している点で,調査方法と調査対象選択における違いがある。
(3) ウォロンゴン大学スケール1,2(University of Wollongong Scale 1 & 2)12)
この研究は,認知症スティグマを意識・認識の次元で分析したものである。先行研究に対し,「肯 定的スティグマ」(positive stigma)の概念を投入したこと,ならびに,「もしあなたが認知症な らば」という仮想認識を組み込んだ点で,新しい。
そのため,調査票の設計は,認知症への排除・回避意識の構造分析,認知症に対する肯定的イ メージや行動心理の解析,それに,「もしあなたが」の仮想認識を問う3部構成となっている。「も しあなたが」設問では,「あなたは,もし,物事を忘れっぽくなり,それが認知症の始まりの兆 候ではないかと気になり始めたら,次のリストの中の誰に,助けを求めることになると思います か。」という問いと,「あなたは,もし,あなたの最愛の人や近しい家族に認知症の初期症状が見 られるようになったら,当人に代わって,次のリストの中の誰に,助けを求めることになると思 いますか。」という問いからなり,それぞれ,想定される家族や親族,医療・相談援助の専門家 がリスト化され,「有り得る」「有り得ない」方式で回答を求めている。「当てはまらない」(つま り,そのような人がいない場合と,いても助けを求めるつもりはない場合の回答肢)および「誰 にも助けは求めない」「最終段階まで助は求めない」という回答肢を入れて,自己スティグマ
(self-stigmatization)の存在と人間関係の阻害要因を検出できるよう工夫されている。
本調査は,調査票の設計に関しては,この研究の枠組みを継承している。ただし,この研究が 高齢予備軍,認知症介護予備軍である40-64歳層を対象に,インターネット調査で実施されてい るのとは異なり,本調査研究では,年齢層の限定を外し,対象母集団を条件付けした自記式書面 調査として実施される。その理由は,第1に,どの年齢段階における,どのような場面設定での 認知症啓発教育が,スティグマ低減に効果があるのかを検証するためと,第2に,介護を職業と する専門職集団と一般市民の2つの母集団に所属可能な年齢層全体を調査データに取り込む必要 からである。
その上で,本調査は,自記式書面調査の有利性を活かして,「認知症への排除・回避意識の構 造分析」について,これを「審美的心象」「認知機能」「関係性」に細分化している点,「認知症 に対する肯定的イメージや行動心理の解析」について,これを「心象」と「態度」に分けた点,
それに,「もしあなたが」の仮想認識について,「否定的」と「肯定的」の両方を検出できるよう している点において,独自の技術的改良を施している。
6. 調査研究の方法 6-1 調査対象と調査方法
このように,本調査では,認知症の早期発見・初期集中対応を妨げている原因は,認知症に対 する特有の心理的状態とそれを投影した態度・行動の表出にあると捉え,その心理・行動を「認 知症スティグマ」と操作的に定義したうえで,力関係の状態,契機の重層性,主体の複層性とい う「認知症スティグマ」検出のための3つの方法仮説を設定している。その上で,先行研究にお ける調査方法に対し,上記のような改良を加えて,調査設計されている。
統計的優位性の検証を容易にすすめるために,大規模なサンプル数を採取する定量調査とする。
これに加えて,認知症ケアに関わる直接職員,間接職員の方々に,日常業務において観察される ケア・プロセスにおけるスティグマの状況を把握するための質的調査を実施する。
(1) 定量的調査
① 介護事業に働く職員調査
介護事業で働く職員は,それぞれの職務を通じて,認知症の人に対する家族,地域住民,サー ビス利用者仲間,同僚職員の心理状態・行動特性を観察し,それを通じて,自らの認知症認識(心 象と知的理解)を形成してきている。そこで,調査票は,否定的認識,肯定的認識,仮想認識の 3つの心理領域から,これを検出するよう設計されている(調査票は資料2)。
サンプリングの方針は,① 大規模複合事業法人であって,キャリア形成に事業間の人事異動 が連動しており,かつ,介護関連のすべての資格・職種が法人内に揃っていること,② サンプ ルが全国に分散していること,③ 人材育成や認知症ケアについて,業界で高い評価が得られて いること,④ 認知症に人への支援メニューが多様であること,といった基準に沿って,調査趣
旨を理解し,組織的な協力が得られる法人としている。
② 一般市民調査
一般市民を対象とする調査は,市民の日常生活において取得可能な認知症に関する情報や体験 を通して形成される認知症認識を分析する目的で設計されている。3つの心理的領域の設定なら びに質問項目の内容は,① の「職員調査票」と同一である。
これに加えて,市民生活では,家族・親族メンバーに認知症の方がいる可能性や,地域近隣の 住民仲間として見つめる可能性を誰もが負っていることから,希救意識に関する質問項目も設け ている(調査票は資料3)。
調査サンプルは,① の職員調査の対象職員の方々に,「職員調査票」と一緒に職場で一斉配布 された「市民調査票」を持ち帰ってもらい,その家族,親族に協力を依頼してもらい,自記式マー クシート回答,本人投函での郵送回収するものとする。
(2) 定性的調査
定性的調査は,介護保険制度上の介護事業を営む社会福祉法人ならびに民間事業者(営利事業 者,非営利事業者の双方を含む)に雇用され,認知症介護に直接関わる業務経験のある職員を対 象とする。
調査内容は,教育経路,保有資格,職務職掌,認知症介護業務に関する経験量,認知症に関す る基礎的知識,認知症の人との初回対面時から今日までの認識変化,他者のスティグマ状況に関 する観察,ケア実施や関係形成上の工夫,認知症に関するマスメディア情報の受け止め方,認知 症施策への評価からなっている(聞取り調査項目票は資料4)。
聞取り調査は,調査者による対面方式で,聞取り時間は1職員あたり1時間程度とする。個人 情報の守秘ならびに回答バイアス回避のため,被調査者の発言内容を,聞取り担当者がその場に おいて,個人情報に関するスクリーニングを行いながら,データ入力する方法を用いる。聞取り 担当者は,福祉系大学において専門科目を担当する資格を有する研究者としている。
6-2 調査票の構成
調査項目は,認知症についての否定的認識から肯定的認識への分布としてマトリクスしている。
「排除」(exclusion): 公共的空間からの排除(social exclusion)を首肯する認知症への観方で,
認知症であることが社会的関係性の障碍になると観る一定の価値判断が組み込まれている。
「回避」(digressive belief):認知症の人と自身との関係や交わりを回避したいという指向で,
その心理的背景としては,当惑(embarrassment),不安(fear),忌避(avoidance),恥(shame),
嫌悪(dislike)など,マイナスの審美的心象,ラベリングに基づく偏見的先入観,ステレオタイ プ認識が組み込まれている。
「受容」(perceptions): 人としての保有能力への肯定的認識,人としての存在性への共感,隣
人としての受容能動的可能性への肯定的認識などからなる。
「職員調査票」「市民調査票」のIIAの質問27項目の構成は次の通りである。
質問肢番号 1〜 4 審美的心象に起因する「回避」
5〜 9 認知機能や保有能力の低さの認識に起因する「回避」
10〜14 関係性維持能力の低さの認識に起因する「排除」
15〜19 当惑,不安,忌避,嫌悪心理に起因する「回避」
20〜27 共感や肯定からの能動的認知症観としての「受容」
次に,「職員調査票」「市民調査票」のIIBの質問9項目は,「仮想認知症認識」に関するもの である。「仮想認知症認識」とは,認知症になることや認知症の人として生活することを,他人 事ではなく,自分自身のインシデントとして仮想してもらい,その仮想の心理状態や態度を回答 してもらう設計になっている。自分の能力・可能性への自己認識や自分自身の中にある認知症へ の心理的反応が現れることになる。それは,現に自分の周りにある関係性を想定して,具体的な 誰かに支援を頼むことができるか,支援してもらえる関係を有しているかといった,支援レディ ネス(help-readiness)や受援意図(help-seeking intension)の認識にも影響している。9項目の 構成は次の通りである。
質問肢番号
28・29 受援意図 ネガティブ 30・31 支援レディネス ポジティブ 32・36 ネガティブな仮想認知症観 33〜35 ポジティブな仮想認知症観
認知症発症後の自身の生活に対する評価や支援レディネス・受援意図のあり方は,早期発見を 促進する支援・受援関係の把握と改善に役だつ。
「市民調査票」には,IIIの1.および2.の質問を置いている。これは,上述のウォロンゴン大 学スケール2(University of Wollongong Scale2)を下敷きに,日本的な親族関係の表現に修正し,
地域の専門資源についても日本の制度の実態に即したものを追加して,作成したものである。自 分に認知症の始まりの兆候が見られたら誰に助けを求めるか,また,自分の大切な家族に認知症 の初期症状が見られたら,本人に代わって,誰に助けを求めるか,を問う質問から構成されてい る。
早期発見・初期対応に絞った質問であり,支援レディネス(help-readiness)や受援意図(help- seeking intension)に,希救主体をクロスさせて調べる内容に構成してある。加えて,誰にも支
援は求めないとか最終段階まで助を求めないという回答肢を入れてあり,回答者の認知症観が反 映されるものになっている。
【注】
1) Alzheimer’s Disease International, World Alzheimer Report 2012 : Overcoming the stigma of de- mentia, London : ADI, 2012, p. 75.
2) https://www.alzheimers.org.uk/site/scripts/documents_info.php?documentID=783 2016年 2 月 26日検索
3)「G8認知症サミット宣言」(G8 DEMENTIA SUMMIT DECLARATION)(2013年12月11日)の 第11項は,市民社会に対し,認知症への「スティグマ,排除ならびに恐怖を低減するためのグ ローバルな努力を引き続き行い,強めていくことを」を宣言している。https://www.alzheimers.
org.uk/g8summit 2016年2月26日検索
4) http://www.tyojyu.or.jp/ct/other000002600/h27ninchi_brochure.pdf 2016年2月26日検索 5) http://www.igakuken.or.jp/mental-health/dementiasymposium/research/gakujutsu_syukai/g_syukai
130129/pdf/h24_NationalDementiaStrategy.pdf 2016年10月26日検索
6) Goffman, Erving, Stigma : Notes on the Management of Spoiled Identity. Englewood Cliffs, New Jersey : Prentice-Hall, 1963. ISBN 0-671-62244-7.
7) 15th World Psychiatric Association, World Health Organization, Reducing stigma and discrimination against older people with mental disorders. Geneva : WHO, 2002, WHO/MSD/MBD/02.3.
8) Link, Bruce and Jo Phelan, “Stigma and its Public Health Implications”, The Lancet, 367 : 528-529, 2006.
9) 小笠原浩一・島津望『地域医療・介護のネットワーク構想』千倉書房,2007年。
10) Brooker, Dawn, “Dementia Care Mapping : A Review of the Research Literature”, The Gerontolo- gist, 45-1, 2005, pp. 11-18 ; Brooker, Dawn J. and Claire Surr, “Dementia Care Mapping
(DCM): initial validation of DCM 8 in UK field trials”, International Journal of Geriatric Psychiatry 21, 2006, pp. 1018-1025をさしあたり参照願いたい。
11) Jones, E.E., Farina, A., Hastorf, A.H., Markus, H., Miller, D.T. and Scott, R.A., Social Stigma : the Psychology of Marked Relationships. New York : W.H. Freeman and Company, 1984 ; The School of Nursing and Midwifery Trinity College Dublin, Perceptions of Stigma in Dementia : An Explor- atory Study, The Alzheimer Society of Ireland, August 2006.
12) Phillipson, Lyn, Christopher Magee, Sandra Jones, and Ellen Skladzien, Exploring Dementia and Stigma Beliefs : A Pilot Study of Australian Adults Aged 40 To 65 Yrs., University of Wollongone Centre for Health Initiative, Alzheimer’s Australia, 2012.
【注】 本調査は、日本学術振興会二国間交流事業(日韓共同研究)の委託事業「コミュニケーショ ン、協働型社会、政策イノベーションを通じた認知症スティグマの低減」(平成 26 年-平成 28 年)
の一環で実施された。調査は、日韓両国の大学生の認知症に関する理解と意識に関する比較を 目的とするもので、日本側の調査対象は、東北福祉大学において「高齢者福祉論」(1 年次配置科 目で認知症の基礎的理解を含む)、「社会福祉原論」(2 年次配当科目で、認知症に関する社会心 理と社会政策、ならびに福祉専門職の職業教育を含む)を受講する学生のうち、任意で調査に協 力した皆さんである。被調査者の匿名性を担保するために、調査票の配布は、講義終了後に担 当教員が退出後、講義室出口に置かれた調査票を協力者が任意に持参し、回収は、教員研究室 入口の回収ボックスに投函する方法で行われた。質問番号1、2、4は8の条件情報である。II の 質問項目の内容は、本文において検討されているウォロンゴン大学調査票(公開)の項目を翻訳 して用いている。調査票および調査方法は、研究代表者が所属する日本介護経営学会研究倫理 指針に則り設計された。本研究の日本側メンバーは、小笠原浩一(研究代表者)、萩野寛雄、阿 部哲也、石附敬、工藤健一(いずれも東北福祉大学)である。韓国側の研究代表者はユン・ヨンス ク教授(ハンリム大学)である。
学術調査へのご協力のお願い
この書面調査は、日本学術振興会日韓二国間交流研究事業(日本側研究 代表:東北福祉大学・教授 小笠原浩一)として、認知症に関する日韓の 学生の意識を調べる目的で実施されます。調査の結果は、認知症をめぐる 社会的スティグマの軽減・解消に役立つスケールの開発に役立てられます。
学術調査ですので、ご協力いただけるかどうかは全くあなたの任意です。
また、調査票の配布・回収は匿名で行われ、個人名が特定されることはあ りません。回答者であるあなたの属性を尋ねる場合でも、所属学科や性別、
認知症学習経験など一般的属性に限定し、あなたの個人情報やプライバシー に関する質問は含まれておりません。
調査結果は、統計的に分析された数量として、学術論文ならびに研究報告書 に公表されます。
ご協力いただける方は、以下の質問に答えてください。
それでは、よろしくお願いいたします。
資料1 学生書面調査票