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『テス』 に見 る象徴 の固定 と溶解
杉 村 泰 敬
『テス』 (Tessof thed'Urberuilles)の中 に用 い られ てい るい くつかの象 徴 は、何度 とな く繰返 され絡 み合 いなが ら、次第 にテス を苦境 に追 いつめて
ゆ き、謂 わ ば彼女 を死 へ導 く役 目を果 た してい るよ うに思われ る。
しか しなが ら、 シンボル を この ように一義 的 に固定 して しまえば、 テスの 生涯 は機械仕掛 けの如 く、 ただ悲劇 へ向か うだ けの ものにす ぎな くなる。以 下 の論述 で は、 この作 品の中か ら代表的 シンボル と思われ る もの をい くつか 取 り上 げ、 その多義 的性質 を検討 す る ことによって、 テスが一義 的 に固定 さ れた シンボル に堕 す る ことを拒否 し、無 限 に多義的な流動体 として存在 して い るこ とを明 らか に したい。
Ⅰ
『テス』 の作 品中の 「赤 い色彩」が 「死」 と同時 に 「生」 (「性」) を も象徴 す る もので あ る ことは既 に何人 か の批評 家 に よって指摘 されてい る(1)。 テス の赤 い リボ ン、真紅 の唇 、馬車 の事故 で愛馬 プ リンス (Prince)の流す移 し い血、 アレク ・ダーバ ヴ イル (Alecd'Urberville)と出会 った時、彼 の煙 ら せ る葉巻 の煙 の中に見 え隠れす る赤 いスペ ク トル、 テスの下半身 を照射 す る
「赤 い」太陽光線 、農繁期 のマ‑ ロ ッ ト (Marlott)の村 の刈取 り機 の、真赤
1 代表的なものではTony Tanner,"ColourandMovementin Tess of the d'Urbervilles,"inHwdy:TheT71agicNovels,ed.R.P.Draper(London:
Macmillan,1978),182‑208があるO また J.Hillis Miller,"Tess of the d'Urbervilles:RepetitionasImmanentI)esign,"inFictionandRepetition:
SeuenEnglishNovels(oxford:BasilBlackwell,1982),122‑24にも、その言 及がある。
に塗 られた腕木 の色、 フ リン トコム ・ア ッシュ農場 (Flintcomb‑AshFarm) の赤塗 りの動力脱穀機、 白い天井 に広が るアレクの血 の染 み‑ これ ら 「赤 の色彩」 は、いずれ もテスを悲劇的結果 に向かわせ る役割 を果 た している。
赤 い リボ ンと真紅 の唇 は、テスを破滅 へ導 くことになった二人 の男、 アレク とエ ンジェル (AngelClare)を魅了 して止 まず、愛馬 プ リンスの死 による一 家 の窮迫 はアレクの元へテス を奉公 に出す きっか け となる。 刈取 り機 の刃 は 畑 の小動物 の隠れ家 を破壊 して死 に到 らせ、動力脱穀機 は、 その非情 な車輪 でテスを含 めた農場 の女 たちを、体力 の限界 に到 るまで強制労働 に駆 り立 て る。 テス を照射 す る 「赤 い」太陽光線 は、遂 に彼女 を古代 の太陽神崇拝 の殿 堂 ス トー ン‑ ンジ(Stonehenge)の祭壇 の生費 とす る。 即 ち、此処 で彼女 は、
ア レク殺害 の廉 で官憲 に逮捕 され、後 に死刑 に処せ られ るので ある。
一方、 テスの唇 は、彼女 の豊かな 「性」 を象徴 す るものであ り、 プ リンス の傷 口か ら噴出す る血 の勢い は、死 と同時 に生命力 をも感 じさせ る。 アレク の葉巻 の煙 の赤 いスペ ク トルや赤 い太陽光線 は、勿論、「性愛」の光線 である。
アレクか ら流れ る血 も、生 (性)と死が一体 となっていることを感 じさせ る。
このように、「赤 い色彩」 は、生 (悼) と死 が交差 し合 う場 なのであ り(2)、い ずれか一方 に意味 を限定 す ることはで きない。従 って、 これ に確固た る象徴 体系 を持 たせ る ことは不可能 である。
しか しなが ら、 この 「赤」が 「回転」 に組 み こまれ る時、情況 は極 めて不 吉 になる。 この場合、「赤」は、む しろ「死」の方向 に一義的 に限定 され、「死」
に こだわ り続 けるように見 える。 「赤」 が 「死」 のシンボル として固定 され、
どこか物象化 された様相 を帯 び始 めるので ある。 その例 が、刈取 り機 の、回 転 す るマルタ十字形 の赤 い腕木であ り、蒸気機関で回転 す る赤 い脱穀機 の車 輪 である。此処 に積極 的な 「生」 (「性」) の意味 を見 出す ことは困難 である。
なぜ な ら、 この 「回転」 その ものが作品の中で一種 の強迫観念 の ような もの
2 Tanner,191‑92,205.
『テス』 に見 る象徴 の固定 と溶解 261
になってい るか らである。
この作品の中に出現す る 「回転」 は、 いずれ も、 その一 つ一つの意味 に、
かな りの差異が含 まれているに もかかわ らず、強引 に一義 的意味が付与 され る傾 向があ る。車輪 の回転が、互 いに何 の脈絡 も持 たず に唐突 に現われ、 そ れが、次第 に、遠 い昔 ダーバ ヴイル家 の馬車 の中で起 きた殺人事件 へ と繋が っ ていゆ くといった進 め方 は、 どこか牽強付会 な感 じを免れ ない。 テスが、 ま るでイ クシオ ンの車輪 (ⅠⅩionianwheel) に結わ えつ けられたか の如 くに坤 きなが らア レクを刺 し殺す といった一節 も、「車輪」甲回転 を殊更 に強調 す る ところがある。
ここで、「回転」の描写 を一つ一 つ取 り出 して、 その意味作用の差異 を検討 す ることに しよう。 先ず、 テスが弟 とともに蜜蜂 の巣箱 を馬車 に積 み込 んで 隣村 まで酉己達す る途 中、郵便馬車 と衝突 して馬が死 ぬ場面 である。 確か に馬 車 の車輪 は回転 している。 しか し、 た とえ馬 の死が、胴体 に突 き刺 さったナ イ フの刃の ような韓 による ものだ として も、 この「死」の状況 が、 ダーバ グイ ル家 の祖先 の殺人事件や、 テスのアレク殺害 といかなる連 関 を持 つので あろ うか。 プ リンスの死 は全 く不慮 の出来事 であ り、 そ こに乗 り合わせたテスに も弟 に も、 そ して郵便馬車 の駁者 に も、 なに一 つ ‑「殺意」 は無 い。 プ リンス はテスの家族 の生活 を根底 か ら支 える掛替 えのない存在で ある。 従 って、 こ の場合 の馬車 とダーバ ヴ ィ)I,家 の馬車 との意味的連関 は、単 に馬車 の車輪が 回転す るとい うこと以外 なに も見 出す ことがで きない。つ ま り、此処 で 「回 転」 とは、愛す る者 の死 の象徴 である と同時 に、憎 むべ き者 の死 の象徴 で も
あ り、全 く相反す る象徴体 系 を同時 に含 む ものなので ある。
刈取 り磯 の赤 い十字 の腕木が回転す る時、 テス は、 アレク との間 に生 まれ た私生児 に授乳 しているが、脱穀機 の赤 い車輪が回 る時、彼女 は、 しつ こ く 言い寄 るアレクの顔面 を分厚い革手袋 で殴打 し、彼 の口か ら血が滴 り落 ちる。
私生児 に、最初 こそ彼女 は嫌悪 と愛情 の入混 じった複雑 な感情 をもって接す るが、子供が衰弱 して余命 い くぼ くもな くな る と純粋 に母親 として可能 な限
りの献身的愛情 を注 ぐのである。
一 方、 ア レクの顔面 を打 った後、彼 の口か ら流 れ落 ち る血 を見 たテス は、
次 の ように言 う。
̀Now,punishme!‑ Whipme,crushme;youneednotmindthose peopleundertherick!Ishallnotcryout.Oncevictim,alwaysvictim
‑ that'sthelaw!'(3)
此処 で は、 「犠牲」、 「捉」とい うことばが 目を引 く。 ア レク との関係 は、 こ の場合、愛 を剥奪 され た隷属 的 な ものであ る。 この ように、刈取 り機 の十字 の腕 木 と脱穀機 の車輪 とは、 ともに赤 の色彩 を施 された回転体 で あるが、 そ の象徴 す る ものの性質 には大 きな差異が あ る。 そ もそ も、 この 「回転」 の シ ンボルの原型 とも言 うべ きダーバ ヴ ィル家 の馬車 の殺人事件 とはどうい うも のなので あ ろうか。 ダーバ ヴ イル家 の馬車 の空音 を聞 くと不吉 な ことが起 き る と言 い伝 え られてい る、 この伝説 とは、何百年 も前 に、 その家 の貴族 の一 人 が村 の女 を誘拐 し、彼女が馬車 か ら逃 げ出そ う と争 ってい る うちに、男が 女 を、 あ るい は女が男 を殺 した とい う話 で ある。 然 るに、 ア レクは元々 ダー バ ヴ イル家 とは無縁 の新興地主で、 た また ま彼 の曽祖父が家名 に こだわ るあ ま り、今 は没落 した この地 方 の名門 ダーバ ヴ ィル家 の名 を拝借 した とい うだ けの ことで ある。 それ ゆえテスの場合、貴族 の男 が村 の女 を誘 拐 したので は な く、村 の男が貴族 の女 を、 とい うことになる。 これ は伝説 の反復 とい うよ
りはパ ロデ ィ とい うべ きもので あ ろう(4)0
テス とエ ンジェルが トール ボセ‑ズ酪農場 (TalbothaysDairy)の中の水
3 ThomasHardy,Tessofthed'Urbervilles(Harmondsworth:Penguin,1981), 411.以下『テス』のテキス トはすべて この版により、引用文および言及のあと
にページ数のみ記す。
4 Miller,133およびJeanJacquesLecercle,"TheViolenceofStyleinTessof thed'Urbervilles,"inAltemativeHardy,ed.LanceSt.JohnButler(London:
Macmillan,1989),12‑13.
『テス』 に見 る象徴 の固定 と溶解 263
路 に沿 って歩 く時 の、人間 とも神 とも区別 のつかないほ ど幸福感 に満 たされ た雰囲気 の真只 中に、水 の中の育鷺達が感情 のない車輪 の回転 の如 くに首 を ゆっ くりと動か して二人 をしつ こ く眺 める。 この「回転」が、テス とエ ンジェ ルの未来 に暗い陰 を投 げか けている として も、 アレク殺害後 の、愛 の逃避行 の道すが ら立 ち寄 ったニ ュー ・フォレス ト (theNewForest)の一軒家での 一夜 は、到底、車輪 の回転 の中に収 ま りきるもので はない。同様 に、 テスが ア レクを殺害す る前後 の激 しい感情 の起伏が、ダーバ ヴ ィル家 の祖先 の単純 な殺人事件 と、車輪 の回転一 つで結 びつ け られ るはずが ない。
「回転」とい うシンボル は、 この作 品の中で確固たる意味へ向 けて収赦 して ゆ くように見 えるが、実 はこれ とは逆 に、 回転体 が回転 すればす る程、 その 意味作用 は無限 に差異化す る と言 えよう。
ⅠⅠ
限 りな く異 な る意味作用 を作 り出す運動即 ち差異化 の中に、特定 の意味 を 固定化 しようとす る傾 向 はテスの意識 の中 に も窺 える。 トールボセ‑ズ酪農 場 で結婚 を誓 い合 い、新婚 の旅 に出 る矢先、 テス とエ ンジェルの乗 る古 ぼけ た馬車 を見 たテスが出 しぬけに「既視感」 (LEdeJ]'aLvu")を表明す る。 「既視感」
とは、 その状況や出来事 が全 く新 たな ものであるに もかかわ らず、見慣れた ものの ように映 る感覚 の ことである(5)
̀Ifancyyouseem oppressed,Tessy,'saidClare.̀Yes,'sheanswered, puttingherhandtoherbrow.̀Itrembleatmanythings.Itisallso serious,Angel.AmongotherthingsIseem tohaveseenthiscarriage before,tobeverywellacquaintedwithit.Itisveryodd‑ Imust haveseenitinadream.'̀Oh‑ youhaveheardthelegendofthe
5 PeterHartocollis,Timeand Timelessness:The Varietiesof Temporal Expen'ence(NewYork:InternationalUP,1983),86.
d'UrbervilleCoach‑ thatwell‑knownsuperstitionofthiscounty aboutyourfamilywhentheywereverypopularhere;andthislumber‑ 1ngOldthingremindsyouofit.'̀Ihaveneverheardofittomy knowledge,'saidshe.̀Whatisthelegend一 mayIknow it?'
(280)
同様 の ことは、テス一家 の借地権 が切 れてマ‑ロッ トか ら引越 しをす る前 日 の雨 の晩 に も起 こる。 ア レクが テスの座 っている窓 の外 に姿 を見せた時、彼 女 は通 りもしない馬車 の空音 を耳 にす る. この場合 は"de'jatvu"とい うよ り
もむ しろ"de'}'aLentendu"といったほ うが適切 であるか も知れないが、前 に も 述べた通 り、 これ は遠 い昔、殺人事件が起 きた とい うダーバ ヴィル家 の馬革
の音で ある。
しか し、この ような傾 向 はテス よ りもエ ンジェルの中に顕著 に認 め られ る。
新婚生活 の第一歩 を踏 み出す ことになった農家‑ かつて は名門 ダーバ ヴィ ル家 の地所‑ の二階へ通ず る踊 り場で、石壁 に造 り付 けになった等身大 の ダーバ ヴイル家 の貴婦人 の 肖像画 を見 た時エ ンジェル はち ょっ とした不快感 を覚 える。無慈悲 な背徳 を暗示す るかの ような尖 った顔、細 い眼、作 り笑 い、
か ぎ鼻、兇暴 といって もいい程 の横柄 さを表 わ してい る大胆 そ うな 目つ き
‑ これ らの特徴 が テスの美 しい容貌 の中 に明 らか に認 め られ たか らで あ る。然 るに、現実 のテスの顔立 ちをェ ンジェル は、つ ぎの ように見 てい るの である。
How very lovableherfacewastohim.Yettherewasnothing etherealaboutit;allwasrealvitality,realwarmth,realincarnation.
Anditwasinhermouththatthisculminated….Toayoungmanwith theleastfireinhim thatlittleupwardliftinthemiddleofherredtop lipwasdistracting,infatuating,maddening.
(208‑09)
『テス』 に見 る象徴 の固定 と溶解 265
ダーバ ヴイル家 の貴婦人 の 肖像 と、テスの容貌 との間の これ ほ どの差異 をエ ンジェル は敢 えて無視 す る とい うのだ ろうか。 テスを追 い詰 めるの は、彼女 のde'j'aLuu体験 を助長す るかの ようなエ ンジェル とアレクの言動 なので ある.
deJ]'aLvuの如 き心的傾 向が、この作 品全体 を支配 す る一 つの流れであることは 既 に述べたが、エ ンジェル とテスが この流れか ら解放 され るの は、彼が、 ア レク殺害後 のテスを心底 か ら受入れた時である。 テスがアレクを殺害 したの は、イ クシオ ンの車輪 に結 わ え付 けられたか らで もなけれ ば、 ダーバ ヴ イル 家 の血 に潜 む残忍な気質 の故で もない。次の一節 は、 アレクを刺殺 したテス がエ ンジェルの後 を追 って駅へ駆 けつ け、殺害 の経緯 を語 った後 のエ ンジェ ルの反応で\ある。
Theremomentarilyflashedthroughhismindthatthefamilytradition ofthecoachandmurdermighthavearisenbecausethed'Urbervilles hadbeenknowntodothesethings….Itwasveryterribleiftrue;ifa temporaryhallucination,sad.But,anyhow,herewasthisdeserted wifeofhis,thispassionately‑fondwoman,Clingingtohim withouta suspicionthathewouldbeanythingtoherbutaprotector.Hesaw thatforhim tobeotherwisewasnot,inhermind,withintheregion ofthepossible.TendernesswasabsolutelydominantinClareatlast. Hekissedherendlesslywithhiswhitelips,andheldherhand,and said‑ ̀Iwillnotdesertyou!Iwillprotectyoubyeverymeansin mypower,dearestlove,whateveryoumayhavedoneornothave done!'
(475)
一部始終 を聞 き終 えたエ ンジェル は、暫 くの間、以前 の彼 と全 く変 らない考 え方 に捉 えられて選巡 す るのであるが、今度 は此処か ら俄 に反転 してテスへ の真 の愛 に目覚 める。この瞬間 に、彼 の心 の中で確実 に何 かが変化 している。
それ は差異 の認識、限 りな くダイナ ミックに移 り変わ る生 の実相 の把握、テ ス とい う女性 の持 つ多義的象徴性 の洞察である。 さ り気 な く語 られ るこの一 節 に こめ られた意味 は、 テスの最初 の告 白、 アレク との過去 についての告 白 の後 に続 くエ ンジェルの ぎこちない態度 と比 べ合わせれば一層明確 になるで あろう。テスの最初 の告 白に続 くエ ンジェルの狼狽ぶ りは、滑稽 を通 り越 し て哀れで さえある。彼 には、 テスの持 つ変わ り身 の しなやか さ、 とい うよ り も彼女 の作 り出す限 りな く変化 に富 んだ意 味作 用 を理 解 す る こ とがで きな い。古代 ギ リシャの詩人 や美術家 の如 く、彼女 をアルテ ミス(Artemis)やデ メテル(Demeter)になぞ らえ、静止 した彫像 として鑑賞す るか と思 えば、恰 も窃視者 の如 くテスの ご く限 られた断面 だけに捉 え られた りす る。 テスの動 的な相 を無視 し、静止 した状態、死 んだ状態 に留 め置 こうとす るエ ンジェル の願望 は、彼 の夢遊病的行動 の中に窺 える。
深夜、テス を抱 き抱 えて寝室か ら外へ運 び出 し、逆巻 く急流 の深 い淵 に懸 か る脆 い木 の橋 を辛 くも渡 り終 える と、彼 は対岸 の荒果 てた僧院 の石 の棺 の 中に彼女 を横 たえ、 自らもその傍 に並 んで安 らかな眠 りに就 く。注 目すべ き ことは、 この橋 を渡 ってい る途 中、 テス自身、エ ンジェル とともに この淵 に 身投 げす る衝動 に駆 られた とい う事実である。 テス 自らがエ ンジェル との心 中を願 う‑ これ は、 自他 ともに抹殺 し合 うことによって互 いに一切 の意味 作用 を剥奪 し合 い、謂 わ ば無色透明 になろうとす る願望である。 この ことに
よって、最早 いかな る固定的意味 に も捉 えられ ることのない水 の如 き自由な 存在 にな り得 る。 これ は詰 まる所、無限 に変化 す る意味作用 の流れの中 に身 を置 こうとす る願望 と異 な るところはない。固定 した意味 に こだわ り続 ける エ ンジェル に、限 りな く流動す る生 の実相 を知 らせ るには、 これ以外 に方法 がない ことをテス は直観 したのか も知れない。 この衝動 は、 テス とエ ンジェ ル を ともに束縛 か ら解散 す る役 目を担 ってい るので あ る。 かって トール ボ セ‑ズ農場 でエ ンジェルが テスを呼ぶ のに使 ったギ リシャの女神 の名 に、チ スが示 した微 かな抵抗 こそ彼女 の 自己主張、彼女 を束縛す る外力 との闘いの 第一歩 だ と考 え られ る(6)0
『テス』 に見 る象徴の固定 と溶解 267
HecalledherArtemis,Demeter,andotherfancifulnameshalfteas‑ ingly,whichshedidnotlikebecauseshedidnotunderstandthem.
̀CallmeTess,'shewouldsayaskance;andhedid.
(187)
ア レクの束縛 に抗 す るテスの闘 い は、これ よ りも一層俄烈 で あ る.彼が ダー バ ヴ ィル を名乗 る ことに よって、 テス はます ます過去 の歴史 の しが らみ に捉 え られ身動 きが とれ な くなって くる。 車輪 の回転 は、何百年 を隔てて既視感 の中で執物 に反復 され、殆 ど強迫観念 に近 い。 ア レク ・ダーバ ヴ ィ)t'の存在 は、単 に村 の金持 ちの好色 な男 とい うだ けに とどまらず、 テスの祖先 ダーバ ヴ ィル に関す る暗闇 に葬 られた未知 の部分 をテス以上 に詳 し く知 ってい る と い う点 で、極 めて厄介 なのであ る。彼 は、 テスの行 く手 に立塞が り、歴史 の 重圧 を利用 してテスの個 としての 自立 の芽 を摘 み とろうとす る。 エ ンジェル が テスの多面性 を捉 える ことがで きなか った ように、 アレク も 「ダーバ ヴ イ ル」とい う名 と肉欲以外 にテス を考 える ことがで きない。 エ ンジェルです ら、
テス との結婚 に際 して両親 を説得 す るために 「ダーバ ヴ イル」 の名 を最後 の 切 り札 に したほ どで あ る。 ア レクの巧妙 さは、 テス を捕捉 す ることので きな いエ ンジェル の欠陥 を見事 に見破 り、エ ンジェルの留守 に物 質的援助 を押 し つ けて経済上 の支配権 を掌握 す ることで ある。 エ ンジェル とテス を結 びつ け る愛 の幹が、財力 を基盤 に したア レクの権力 に対抗 し得 るほ ど強力 で はない ことを既 にア レクは見抜 いていた。 テス に財産 を提供 す る ことに よってダー バ ヴ ィル家 の没落 をなん とか食止 め ようとしてい る とい う観 点か ら見れ ば、
それ は妥 当な援助 で あ るか もしれ ない。だが 同時 にそれ は、テス をダーバ ヴ ィ ル家 の中に封 じ込 め る役割 を果 たす。 テス はア レクによって文字通 り 「ダー バ ヴ イル家 のテス」 とな るのであ る。 従 って、 ア レク刺殺 は次 の二 つの こと
6 RosemarieMorgan,WomenandSexualityintheNovelsof ThomasHwdy (LondonandNewYork:Routledge,1988),103.
を意味す る。 テスの行為 は、元祖 ダーバ ヴ イル の名 を煽 る贋者、即 ちダーバ ヴ イル家 の贋造物 (simulacra)を も打 ち砕 こう としてい るのである。 この贋 造物 が仮 に生 き残 った とすれ ば、必 ず本物 と競合 し、 いずれ は自 らが本物 と
なってテス を従属 させ る ことにな るか もしれない。 この作 品 の冒頭 か ら、 テ ス はTessDerbyfield、 ア レク はAlecd'Urbervillesとして登場 す る。 現時 点 で は、財産 も地位 もあ るア レクのほ うが遥 か に 「本物」 に近 く、 テスが正 統 で あ る ことを証 明す るの は唯一 、教会 にある古色蒼然 とした系図のみで あ
る。 この古 ぼ け色越 せ た系図 に どれ だけの信悪性 を置 くことがで きるのか。
一体 、 「本物 」と 「贋物」とを区別 す る確 固た る基準 はあるのだ ろうか。両者 は、ふ とした ことで容易 に入 れ代 わ るので はなか ろうか。「ダーバ ヴ ィル」は、
その入 れ代 わ り、交錯 の瞬 間、 その狭 間 に在 るので はないのか。
この ことは、かつてエ ンジェルが、 テス を実像 と虚像 に分離す る ことでブ スの本来 の姿 を見失 って しまった こととも関連 してい る。
LIrepeat,thewomanIhavebeenlovingisnotyou.'LButwho?'
̀Anotherwomaninyourshape'
(299)
エ ンジェル に とって、 この ≠anotherwoman〟こそテスの実像 であ り、今、
目の前 に居 るの は虚像 だ とい うので あ ろう。 彼 は、 この虚像 を拒 み、死滅 し た実像 を掻抱 いて僧院 の棺 に納 め るので ある。 彼 に とってテスの実像 とは、
既 に述べ た よ うに女神 の よ うな固定化 された象徴 で あ る。 そ して虚像 とは、
これ また固定化 され た二百年 ほ ど前 のダーバ ヴ イル家 の貴婦人 の 肖像画で あ る。 この 肖像画 のイメー ジ こそ、 アレク との過 去 を告 白 した直後 にエ ンジェ ルが テスの中 に見 た ものに他 な らない。
Asallvisitorstothemansionareaware,thesepaintingsrepresent womenofmiddleage,ofadatesometwohundredyearsago,whose
『テス』 に見 る象徴 の固定 と溶解 269
lineamentsonceseencanneverbeforgotten.Thelongpointedfea‑
tures,narrow eye,andsmirkoftheone,sosuggestiveofmerciless treachery;thebill‑hooknose,largeteeth,andboldeyeoftheother, suggestingarrogancetothepointofferocity,hauntthebeholder afterwardsinhisdreams.
(283‑84)
テスの本来 の姿 は、 これ ら相異 な る諸相 が無 限 に入 り乱 れ、一瞬一瞬 その姿 を流動 的 に変化 させて ゆ く中 に在 る と言 えよう。 アル テ ミス、 デメテルのイ メー ジ も、 ダーバ ヴ ィル家 の貴婦人 の 肖像画 のイメー ジ もテスの無 限 に変化 す る相 の一 つなのであ り、 そのいずれか一 つ に よってテスの実体 を判 断す る
ことはで きない。 肖像 画の中の貴婦人 の相貌 の一部 は、 エ ンジェル も言 うよ うにテスの顔立 ちに辿 るこ とがで きるか も知れ ない。作者 自身 もテスの顔立 ち に関 して、 その時 その時で相異 な る相が現れ る と評 してい る。
Phasesofherchildhoodlurkedinheraspectstill.Asshewalked alongtO‑day,forallherbouncinghandsomewomanliness,youcould sometimesseehertwelfthyearinhercheeks,orherninthsparkling from hereyes,andevenherfifthwouldflitoverthecurves.ofher mouthnow andthen.
(52)
「ダーバ ヴ ィル」の実体 も、 テスの顔立 ち同様、無数 の相 を持 ち、折 にふれ 様 々 な形 で顕現 す る。 デメテル、 ア ミテ ミス、新興地主 ダーバ ヴ イル、ダー バ ヴ ィル家 の貴婦人 の 肖像画 な どは、 いずれ もその相 の一 つ にす ぎない。 と
ころが、 この一 断面 にす ぎない もの を恰 も 「ダーバ ヴ ィ)i,」 の全 てで あるか の ように捉 える ところに問題 が あ る。 テス は何故 ア レ クを殺 さね ばな らな か ったのか。エ ンジェル は何故告 白後 のテス を拒 んだのか。 これ らの動機 の
背後 にある ものは、無限 に多面的 な実体 の一断面 のみを見 て、 それで全 てだ とす る考 え方である。テス はア レクを刺 し殺 す ことで旧家 ダーバ ヴィル家 と そのsimulacraを、 ともに切 り捨 て ようとしたのか も知 れ ないが、「ダーバ グィル」 とは何であるか とい うことは、当のテスに も不可解 なのである。 ア レク とエ ンジェルが「テス」の実体 を把握 し得 なかったの と同様、テス も「ダー バ ヴ イル」 の実体 を理解 していない。三人 とも無限 に多面的な ものの一面 だ けに振 り回 され、 それに固着 している と言わ ざるを得 ない。 アレクを殺 す こ とによって 「ダーバ ヴイル」 は消滅す るどころか、再 びあのダーバ ヴイル家 の貴婦人 の不気味 なイ メー ジをテス に付与 して しま うので あ る。 仮 にエ ン ジェルが、 アレク刺殺後 のテス を再 び拒 んだ とすれ ば、テスの一生 は、 この 不気味 なイメージの貴婦人 の肖像画 を更 に もう一枚 つ け加 えただ けで終 わっ た ことだろう。 エ ンジェルがテスを心か ら受容 した時、テス はダーバ ヴ ィル 家 の 肖像画か ら脱 け出 し、流動 して止 まない 「ダーバ ヴィル」 の多様性 の真 只 中 に在 る矛盾 に満 ちた 自己の姿 を直観 したにちが いない。 その瞬間 に、彼 女 は固定 した象徴体 系か ら解放 されたのである。
この ように考 える と、かつてテス、エ ンジェルそ してア レクが陥 った一義 的象徴体 系へ の固着 とい う現象 は単 な る錯 覚 の ように思 われ るか も知 れ な い。 だが、多義的象徴 と一義的象徴体 系 とは、実 は分 かち難 く絡 み合 ってい るので はなか ろうか。 テス とエ ンジェルの逃避行 は、再 び一義的象徴体 系、
即 ち、「綻」に阻 まれ るか らである。 テスが官憲 に逮捕 され る場所 は、古代人 が太陽神 を崇拝 した神殿 の祭壇 である。男性 的風貌 を伴 って赤 い光線 をマ‑
ロッ トの村 に照射 し、回転 す る刈取 り機 の赤ペ ンキを塗 った腕木 を強烈 に印 象づ けたの も、 この太陽で ある。 男性一太陽一赤 の色彩一 回転 は、此処 に堅 固な象徴体系 を作 り上 げ、村 の中に一種 の支配体制 を確立す るのである。テ ス、エ ンジェル、 アレク も例外 な くこの体制 に組 み込 まれてい る。謂 わ ば、
男性原理 に根差 した 「綻」 の貫徹 した社会 なのである。
Thesun,onaccountofthemist,hadacurioussentient,personallook,
『テス』 に見 る象徴 の固定 と溶解 271
demandingthemasculinepronounforitsadequateexpression.His presentaspect,coupledwiththelackofallhumanformsinthescene, explainedtheold‑timeheliolatriesinamoment.Onecouldfeelthat asanerreligionhadneverprevailedunderthesky.Theluminarywas agolden‑haired,beaming,mild‑eyed,God‑likecreature,gazingdown inthevigourandintentnessofyouthuponanearththatwasbrim一 mmgWithinterestforhim.Hislight,alittlelater,brokethrough chinksofcottageshutters,throwingstripeslikered‑hotpokersupon cupboards,chests of drawers,and other furniture within;and awakeningharvesterswhowerenotalreadyastir.Butofallruddy thingsthatmorningthebrightestweretwobroadarmsofpainted wood,whichrosefrom themarginofayellow cornfieldhardby Marlottvillage.They,withtwoothersbelow,formedtherevolving Maltesecrossofthereaping‑machine,whichhadbeenbroughttothe fieldonthepreviouseveningtobereadyforoperationsthisday.The paintwithwhichtheyweresmeared,intensifiedinhuebythesun‑
light,impartedtothem alookofhavingbeendippedinliquidfire.
(136)
「赤 の色彩」も 「回転」も、出現 す るたび差異化 され、決 して一義的象徴 た り得 ない ことは既 に述べた。 しか し、 この上 に太陽 ‑男性原理が加 えられ る 時、差異化 は阻止 され、「赤 の色彩」は常 に死へ向かい、回転 は過去 の事象 を 運命的 に何度 とな く繰返 すだけの もの となる。 フロイ ト (SigmundFreud)
は、 この種 の反復 を 「反復強迫」 ("repetitioncompulsion,W2'ederholungs‑ zu)ang〟)であ る として 「生命体 の初期 の状 態 を回復 しよう とす る固有 の本 能」 (7)である と語 る。 フロイ トによれ ば、 この 「初期 の状態」とは 「生命体以 前 の無生物」であ り、「あ らゆる生命体が究極 的 に目指す ところはこの無生物 の状態、即ち死」 (8)である とい う。即 ち、「反復 強迫」は 「死 の本能」 ("death
instinct〟)とい うのである。 しか し、同時 にフロイ トは、 この 「死 の本能」に 対立す る 「生 の本能」ドEros〟)が、生体 に刺激 を与 えて変化、発展 を促 し、
死 に到 るまでの道筋 を幅広 く分岐 させ限 りな く複雑 な迂路 (de'tours)を組 み 込 む働 きをす るとい う(9)。この二つの本能 は、個々 に独立 した もので はな く、
互 いに密接 に連 関 し合 ってダイナ ミックな相互作用 を展開す るもの と思われ る。
一方、 ピー ター・ブル ックス (PeterBrooks)は、「死 の本能」に基づ く不 気味 な反復 が、Erosのエネルギーの過剰 な放 出 による早過 ぎる死 を遅延 さ せ、直接 的快楽 か ら遠 ざけることによって究極 的な快楽 の完成 を目指す と語
り、 「反復強迫」 の効果 を評価 す る(10)0「生 の本能」 も 「死 の本能」 も行着 く 所、 ともに 「死」であるが、 この二つが密接 に絡 み合 うことによって 「死」
をで きる限 り遅 らせ ることがで きるのである。 この意見 に従 えば、 テス とエ ンジェ)I,の試練 は、逃避行 の末辿 り着 いたニ ュー ・フォレス トの一軒家での 一夜、 そしてス トー ンヘ ンジの祭壇 の上 の一夜 のためにあった とい うことに なるだ ろうし、 テスの処刑 は、極力遅延 された 「死」 とい うことになるのか も知 れない。事実、 テス とエ ンジェルが新婚旅行 に出発す る直前、作 中に引 用 されたRomeoandJulietの中のFriarLaurenceの ことば "Theseviolent delightshaveviolentends〟 (281)に も、Erosの過剰 なエネルギーの放 出 に
よる死 の加速へ の警告があ る。
それ に して も、 フロイ トやブル ックスのい う相互作用 の歯車 は、 それ ほ ど
7 SigmundFreud,BeyondthePleasuylePrincli)le,trams.JamesStrachey(New York:Norton,1975),30.
8 Freud,32.
9 Freud,32‑33.
10 PeterBrooks,ReadingforthePlotIDesign and IntentioninNarylative (oxford:Clarendon,1984),101‑02.