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失はれたる農村の樂園
で南亮三郎
一︑シス毛ンデイの描爲した
﹁農村の幸輻﹂
太初に農村の樂園があつたかどうかを私は知らな
い︒が十九世紀の前牛︑當時最も傑出したる経濟學者
の一人とされてゐたシモンド・ド・シスモンヂイは猫
立小農民の幸薦な生活状態‑農村の樂園を︑いとも
精彩ある筆・致をもつて次のやうに描爲した︒
失はれ六る農村の樂園 農村の幸幅11その姿をイタリア・ギリシアの歴史
が吾々に示してゐるーは今世紀においてもまた見
當らない課ではない︒農民的土地所有の存するとこ
ろどこにでも︑かの幸幅・かの確固さ・將來に封す
るかの信頼・かの猫立性を見受ける︒それらは同時
に幸鵜と青春とを保誰するものである︒その子供達
と共に全勢働を自分の小さな相績地で果す農民︑小
作料を上長の何人にも支梯はす︒また賃銀を下級の
一〇五
亀失にれたる農村の樂園
何人にも支⁝梯はない農民︑その生産を自からの消費
の必要に從つて行ふ農民︑自分の穀物を食べ・自分
の葡萄酒を飲み・自分の栽培した麻と自分のとりあ
げた羊毛とを着る農民︑彼等は市場便格に少しも煩
はされない︒何故ならば農民には費るものも買ふも
うヤヘへのもないからであり︑從つて農民は決して商業恐慌
ヘへあヘヘヘへもヘへもヘウによつて破滅することがない︒將來を危惧するどこ
ろか︑將來の期待で美化する︑何故と云ふに彼は︑
一定勢働の要求しないあらゆる瞬間を自分の子供の
ために︑否︑子々孫々のために費すから︒一世紀の
後には大木となるやうな種を地中に蒔く時間は彼れ
にとつて何等時間でなく︑その田畑を絶えす灌概す
る溝をつくるにしろ︑水源に通する堀をひくにし
ろ︑倦ますたゆます寸暇を倫んで自分の周園のあら
ゆる種類の家畜及び植物を改良するにしろ︑皆その
時闇は彼れにとつて時問でないのだ︒彼れの小さい
遺産こそは眞の貯蓄銀行であり︑それは常に︑あら 一〇六
ゆる小牧釜を貯蓄し・あらゆる閑暇を利用する準備
をしてゐる︒不断にはたらく自然の力はそれを實ら
し︑それを百倍にもする︒農民は最も活々と彼れの
もロリヘへううぬへあ所有と結びつく幸幅を享けてゐる①︒
猫立小農民・自作農民の幸幅についてのこの描爲は
カール・カウツキーがその前牛生の傑作﹃農業問題﹄
にこれを掲げて云ふやうに①︑あまりにも薯薇色に着
色されてゐるかも知れない︑それはまた農民の一般的
歌態の描寛側でもなかつた︒シスモンデイはこの場合主
として︑彼れの故郷たるスヰス及び上部イタリアの限
られた若干地方を眼中に置いてゐたのである︒事實に
おいて農民の一般的状態は當時︑限られたるこれらの
若干地方を除いては︑﹁農村の幸幅﹂として語らるべく
飴りにもかけ離れてゐた︒年代上の若干の隔たりはあ
るが︑たとへばドイツを見よ︒そこではなるほど︑ブリ
ードリツヒニ世(在位一二二〇1五〇年)の﹁善政﹂に
よつて農民には初めて所有櫻が確保され︑殊にシユレ
ジーンの征服後︑彼れは地主に小屋や穀倉の再建を行
はしめ︑︑農民のため家畜や器具類を供給せしめた︒し
かもなほかつ︑その施政下に農民が如何に愉快なる生
活を逡つてゐたかは︑﹃資本論﹄の著者が吾々に指摘し
てくれたやうに︑フリードリツヒニ世の崇鐸者たるミ
ラボー自身の次の叙述によつても知られる︒ー﹁夏季
には︑彼等はガリー船の奴隷の如くに耕作や牧穫の勢
働をする︒九時に寝ね二時に起きて勢働に從事する︒
冬季には︑大いに休息して力を恢復せねばならぬのだ
が︑租税の財源を得るために作物を販費するのほか無
き時は︑食用蚊びに播種用の穀物は毫も淺らぬことに
なるから︑この不足を補ふために勢ひ紡績帥労働に從事
せねばならなくなつて來る︒彼等はこの勢働に最大の
努力を向けねばならぬ︒斯くして彼等は︑冬季には深
夜又は午前一時に寝て︑五時又は六時に起きるか︑叉
は九時に寝て二時に起きるといふやうな状態に置かれ
る︒而もこれは日曜を除くほか︑毎日行はれる所であ
失にれおる農村の樂園 る︒斯かる過度の不眠と勢働とは人間の性質を消耗し
去り︑農村の男女は都會の男女に比して遙かに早く老
い込むといふ結果を來たすのである︒﹂⑲
フランスにおける農民の生活状態は到底それどころ
ではなかつた︒奮封建枇會を粉碑した一七八九年のフ
ランス革命は︑てふどロシアにおけるプロレタリア
革命がなしとげたやうに︑叛逆したる貴族及び僧侶の
廣大なる所有地を牧奪し︑それを細分して農民に與へ
た︒こ﹂からして零細地を所有する自由農民がその数
を増し︑フランスはつひに︑今日知らる曳通りの零細
地所有制度の一典型國となるに至つたのである︒とこ
ろで︑農民の幸禧が事實その﹁所有と結びつく﹂もの
であるならば︑何代もにわたる農民の血と汗とによつ
て漸くにして獲得せられ・維持せられて來たこの零細
地の所有制度こそ︑フランスの農民に無上の樂園を約
束せねばならぬ筈であつた︒が事實はどうであつたか
マ・先づ大革命の百年前ラブリユェール(い"耳ξ酵εの
一〇七
央にれtる農村の樂園
なしたフランス農民の描爲は有名である︒目く﹁眞黒
で痔せこけた︑そして日に僥けた人間面をした一種の
動物︑男と女がゐる︒彼等は土地の上に佳んで居り︑
土地に縛り付けられ︑その土地を打ち勝ち難・い忍耐を
以つてほちくり返してゐる︒彼等ははつきりした聲の
檬なものを持つて居り︑立ち上る時は人間らしい顔を
示す︒事實之は人闇であつて︑彼等は夜に洞窟に蹄り
そこで黒パンや草木の根や水で生きてゐる︒﹂㈲と︒く
だつて一八七四年のリーブクネヒトの叙述はかう語つ
てゐる︒ー﹁フランスの農民がどういふ生活をしてゐ
るかは︑一八五一年の國勢調査の統計から取つた吹の
数字を見ればこれを推測することが出來る︒即ち三十
四萬六千戸の農家には戸口以外には窓といふものが全
然なく︑また約二百萬戸の農家には窓が唯一つあつた
に過ぎなかつた!而もこれらの佳居には多数の家族
が一緒に押し込まれて居︑雨親が既婚の息子の家族と
一緒に居ることを考慮すると︑フランスの小農の殆ん 一〇入
ど牛分が︑古代の穴居民族と難も恐らくは羨望しない
やうな穴の申生活の便宜も健康も盟面も全然かま
つてゐられない上に︑家庭生活をも不可能ならしめる
穴の中で暮してゐるー・と云ふ結論に吾々は到達する
のである︒﹂働
事情はこの世紀の絡りに近づいても同じだつた︒カ
ウツキーの記すところによれば︑八〇年代の初頭のイ
ギリスの一槻察者は︑フランスの農民が逡つてゐる以
上の悲滲な生活を考へることは出來ない︑と言明して
ゐる︒彼等の家屋はまこと豚小屋の名にふさはしかつ
た︒フランスの農家は次ぎのやうに描かれてゐるi
﹁窓は一つもなかつた︒入ロの上に窓ガラスが二枚︑
それも開けることは出來なかつた︒入口が開いてゐな
いと︑光線も室氣も入らないのだつた︒室の隅の柵
も︑斜面机も︑戸棚も見られす︑床の上には球葱や不
潔な着物やパンや袋や名欣し難い屑の堆積が横はつて
ゐた︒夜になると殆んどいつも︑男︑女︑子供︑家畜
が雑魚寝をした︒そしてかうした慰安の訣乏は必すし
も貧困から起つたものではなく︑人々は概してなりふ
りを構はうといふ氣を全然失つて居り︑ひたすら薪の
倫約のことだけを考へてゐた︒﹂⑥
これらの事實に照して見れば︑前に掲げたシスモン
デイの樂園は決して當時の︑一般的な農.民の生活状態
の正しい描爲でなかつたことは明かである︒そればか
﹂りではない︒シスモンデイば読いてイクリア・ギリシヤ
の歴史が吾々に︑その農民幸幅の姿を示してゐると云
ふけれども︑私の讃みとつた古代諸國の経濟史は不幸
にもその正確なる反封をしか物語つてゐない︒尤もシ
スモンヂイが︑謂ふところの﹁イクリア・ギリシアの
歴史﹂をもつていつの年代を意昧せしめてゐるかは右
の叙述において明かでないが︑一般に理解される東南
ヨーロツパの古代歴史はその全膿を通じて︑農民の墜
遁・搾取・隷麗の苛酷なる支配遇程をしか吾々に傳へ
ない︒例をイタリアの古代史にとつて︑﹁農村の幸編﹂
失にれ六る農村の樂園 がまさに如何なる﹁姿﹂をとつてゐたかを瞥見しよう︒
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﹀臣囎げ︒りH﹂w侮・Qo・ε◎c・高畠羅﹃資本論﹄新潮肚版第一巻
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問題﹄上︑三九‑四〇頁o
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卜島.H◎︒M念い.卜昆.h◎︒N◎河四太一耶鐸﹃土地問題論﹄一
三四頁◎
α)齪け﹄鴛ゴ屋三切ξ噂U8>槻量眺話鵯"ω﹄◎◎qー飼£・前掲邦鐸
害︑上︑一七九頁︒
二︑ローマ史上にゐける農民生活
イタリアは早くからその南端において先進ギリシア
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