一 「名づけ」としての風
― 詩集『禮節』の諸詩篇
「 風 」 と い う 語、 な い し 形 象 は 石 原 吉 郎 の 詩 に お い て、 そ れ が 出 現 す る 頻 度 と い う 点 の み な ら ず、 そ れ が 担 う 意義という点からも重要であるように思われ る
(1)。本稿で扱いたいのは、その意義についてである。例えば、彼の 第一詩集『サンチョ・パンサの帰郷』 (一九六三)所収の《コーカサスの商業》 (一九五九)には次のような詩句 がある。
石のなかで風が立つためには 斧のなかで斧の刃が めざめればよかっ た
(2)こ の 詩 の コ ン テ ク ス ト で は 風 の 形 象 は、 石 が 体 現 す る 絶 対 的 不 動 性 の 中 の 可 動 性 の 比 喩 と し て、 シ ベ リ ア の 強 制収容所内でかろうじて凶行という形で現出しうる自由を表わしているのだと、ひとまずは考えることができ る
(3)。 しかし、石原の創作において風の形象は、そうした個別的比喩としての使用を超えた、より本源的な意味を担わ 風の顕れ ― 石原吉郎の詩における風の形象について
斉藤 毅
六五 風の顕れ
されているように見える。 ま ず、 比 喩 と い う こ と で 言 う な ら ば、 一 般 に「 風 」 と い う 語 自 体、 「 比 喩 」 的 な あ り 方 し か 可 能 で な い の で は ないかと問うこともできる。この場合の比喩とは、ある形象が別の形象を通して顕れることの謂いである。 「風」 という語の意味は、辞書的には「空気のほぼ水平方向の運動」等と定義される が
(4)、そうした不可視の空気の運動 がつねに「風」と認識されるわけではない。我々が「風」と認識するのは、基本的には自然現象としての空気の 運動であり、つまりはそれを非人称的力の顕れと見なしているのである(風が吹くことをヨーロッパ諸語では非 人 称 文 で 表 現 す る こ と を 思 い 起 こ し て み て も よ い )。 そ し て、 そ う し た 力 の 顕 れ を、 我 々 は 直 接 み ず か ら の 皮 膚 で感じるだけでなく、例えば木々の葉のそよぎを見たり聞いたりするとき、その運動と響きの中に感じ、それを 「 風 」 と 名 づ け る の で あ る。 こ う し て、 「 風 」 と い う 名 は、 例 え ば「 林 檎 」 と い う 名 が 林 檎 と い う 実 体 に 与 え ら れる場合とは異なり、ほとんど無限の媒質において与えられうることになる。つまり、我々が「風」と言うとき、 それはつねにその都度ごとの名づけの行為なのである。 こ う し た「 風 」 と い う 現 象 の 本 質 的 な 言 語 性 は、 石 原 の 第 五 詩 集『 禮 節 』( 一 九 七 四 ) 所 収 の い く つ か の 詩 の「 風 」 の 形 象 に 見 ら れ る も の で あ り、 こ の 詩 集 自 体 の 主 題 の 一 つ を な す と 言 っ て よ い。 例 え ば 散 文 詩《 姿 》 ( 一 九 七 三 ) は「 風 は 最 初 の 意 志 だ と わ た し は 思 い つ づ け た 」 と い う 一 文 で 始 ま る が、 こ れ は 非 人 称 的 力 の 顕 れ と し て の 風 に 関 わ る と 考 え る こ と も で き る( こ の 詩 に つ い て は 後 に 立 ち 返 り た い )。 そ し て、 風 と 名 づ け の 連 関については、まさに《名称》と題する詩(一九七三)で全面的に主題化されている。その前半を見てみよう。
風が流れるのは 輪郭をのぞむからだ マテシス・ウニウェルサリス 第二十一巻 第二号 六六
風がとどまるのは 輪郭をささえたからだ ながれつつ水を名づけ ながれつつ みどりを名づけ 風はとだえて 名称をおろす この詩で興味深いのは、風それ自体が「名づけ」の作用となっていることであ る
(5)。我々がまず「風が」とそれ を 名 づ け、 発 語 す る と き、 我 々 は す で に 自 然 と の 言 語 的 関 係 に 入 っ て い る の だ。 こ こ で 風 は「 な が れ 」、 す な わ ち線として描かれているが、それは風が、連続的な自然に介入し、差異化( 「輪郭」化)する力、ないし「意志」 の 顕 れ( 「 輪 郭 を の ぞ む
000」 と い う 表 現 に 見 ら れ る よ う に ) と し て 捉 え ら れ て い る の だ。 さ ら に そ の よ う に 風 が 起 こった後、それは必ず「とどまる」 、ないし「とだえる」こともまた重要である。 「とどまる」風は「輪郭をささ え」 、「とだえる」風は「名称をおろす」と言われるが、というのも、風はそれが止んだとき、その不在において こそ、単なる現前(現在)の知覚ではなく、統覚された形象として結ばれるのであり、したがって「名」を与え られることになるからである。 このように、何ものかの不在においてその形象を喚起するというのが言語の作用であるが、そこから「名」が 何 ら か の 実 体 を( や は り 不 在 に お い て ) 指 し 示 す 機 能 を 持 つ こ と に な る の に 対 し、 「 比 喩 」 と は、 す で に 見 た よ う に、 「 名 」 に よ り 喚 起 さ れ た 形 象 を 通 し て、 別 の 形 象 が 顕 れ る こ と で あ る。 こ の 顕 れ は「 名 」 に お け る の と は
六七 風の顕れ
異なり、恒常的なものではない。つまり、それは一瞬の顕れであるのと同時に、その比喩が慣用化されているの で な い 限 り、 そ の 都 度 ご と の 顕 れ な の で あ る。 そ う し た 比 喩 の あ り 方 に つ い て は、 詩 集『 禮 節 』 に《 闇 と 比 喩 》 (一九七三)という詩がある。その第一行から十行までを挙げてみたい。
光がいちはやくなぞる道を 闇はすばやくなぞりかえす 濃紺の密度に保証されて ひとつの比喩が 遠のいて行く 濃紺の道をなぞりながら。 光がいちはやく なぞる道を 闇はすばやくなぞりかえす ひとつの輪郭をささえながら
ここでは比喩における形象の顕れが、一瞬の閃光と闇の相克として描かれていると考えられる。つまり、 「光」 はそれ自体が「比喩」の比喩となっているのだが、それは「 ひ
0かり」 、「 ひ
0とつの ひ
0ゆ」という音反復により強調 さ れ て い る。 こ の 比 喩 の「 光 」 は、 《 名 称 》 の「 風 」 と 同 様、 「 道 」、 す な わ ち 線 と し て 捉 え ら れ て い る が、 そ れ は「 輪 郭 を の ぞ む 」 も の で あ る か ら で あ り、 ま た 別 の 場 へ 導 く も の で あ る か ら で あ る( 「 隠
メタファー喩 」 の 語 源 で あ る ギ マテシス・ウニウェルサリス 第二十一巻 第二号 六八
リ シ ア 語 の
metaphoraが「 移 導 」 を 表 わ す 語 で あ っ た よ う に )。 そ し て、 こ の 光 の 道 は「 闇 」 に よ り「 す ば や く なぞりかえさ」れ、 「遠のいて行く」 。つまり、比喩は一瞬の閃光というよりは、むしろそれが消滅してゆく中で の残像として統覚されるのであり、その消滅において「ひとつの輪郭」が「ささえ」られるのだ。言うまでもな く、 こ の「 ひ と つ の 輪 郭 を さ さ え な が ら 」 と い う 行 は、 《 名 称 》 の「 輪 郭 を さ さ え た か ら だ 」 の 反 復 で あ り、 比 喩の光の消滅と「風がとどまる」ことが同じ事態を指していることを示している。そして、これらの行で肝要な のは、輪郭が「ささえ」られるという表現である。輪郭は恒常的なものとして描かれたり、刻まれたりするので はなく、ある 契
モメント機 に微妙なバランスのもとに「ささえ」られているだけであり、それは実体に与えられた名では なく、あくまで比喩としてある 瞬
モメント間 に顕れる形象なのであ る
(6)。 ところで《名称》という詩においては、比喩とは「水」や「みどり」という形象を通しての「風」の顕現であ った。ここで我々はただ「水」や「みどり」の騒めきを視覚的、聴覚的に知覚しているだけなのだが、そうした 騒めきを起こしている非人称的力を想定しつつ、その力の顕れを「風」と名づけるのである。そして、その名づ け が、 比 喩 と し て つ ね に そ の 都 度 ご と の も の で あ る が ゆ え に、 「 風 」 の 顕 れ の 媒 質 と な る「 水 」 や「 み ど り 」 も また、既存の物、すなわちすでに名を与えられた物としてではなく、何らかの顕れとして「名づけ」られるのだ と言えるだろう。注意したいのは、 《名称》という詩において、 「水」も「みどり」も正確には、物の実体を指す 名ではないということである。先に引いた部分に続く、この詩の後半はこうである。
ある日は風に名づけられて ひとつの海が 空をわたる
六九 風の顕れ
この日は 風に すこやかにふせがれて ユーカリはその みどりを 遂
とげよ
つまり、ここで眼前にある実体は海、そしてユーカリの樹なのであるが、そこを「ながれる」ものが「風」と 名 づ け ら れ る こ と に よ り、 そ の 媒 質 を な す 実 体 か ら「 水 」、 「 み ど り 」 と い う 別 の 形 象 が、 そ の 都 度( 「 あ る 日 は …… こ の 日 は ……」 と い う 表 現 を 参 照 )、 新 た に 顕 現 す る の だ と 言 っ て よ い( し か し、 さ ら に 正 確 を 期 す な ら、 右の詩行では「水」のみならず、 「海」もまた「風に名づけられて」というのだから、新たな「ひとつの」 [すな わち、可能な多様な顕れのうちの「ひとつの」 ]形象として顕現するのだと言える。これについては後に見たい) 。 こ の 詩 で は「 み
0ず 」 と「 み
0ど り 」、 さ ら に「 み ど り
0」 と「 ユ ー カ リ
0」 が 音 反 復 に よ り 結 び つ け ら れ て い る が、 前 者 の 結 び つ き は 偶 然 の も の で は な い。 と い う の も、 両 者 は「 水
みづ」 ―「 瑞
みづ」 ―「 み ど り 」 と い う 形 で 語 根 を 同 じ く す る か ら で あ り、 「 み づ 」 と は「 精 」 と も 表 記 さ れ る よ う に、 何 ら か の 精 気 の 発 露 の 謂 い で あ る
(7)。 こ う し て、詩を締めくくる二行で言われる「ユーカリ」が「みどりを遂げ」るというのは、ユーカリが風の作用を受け、 「ユーカリ」という名のもとに定位された実体としては解体され、 「みどり」という純粋な形象、ないし力の顕れ に変容することであると考えられ る
(8)。 この詩の終結部でさらに看過できないのは、命令法への叙法の変化である。つまり、ここでユーカリの樹は二 人称の位置に置かれているのだが、しかし、それはユーカリが擬人化されているからではまったくない。そうで はなく、樹が実体としては解体され、つまり単に在る( ある
00)ことをやめ、形象の顕れ( あら
00われ)となると き
(9)、 マテシス・ウニウェルサリス 第二十一巻 第二号 七〇
それは三人称としての客体ではなく、主体に直接対峙する二人称として現出するのだということだろう。やはり 詩集『禮節』所収の詩《水よ》 (一九七三)では、そうした事態そのものが主題化されているように思われる。
風ならば さらに風であるだろう 水よ 水ならば ふたたび水であれ ながれて蒼く そのいとなみへかかる とおく随意の 礼節のようなもの 水ならば さらに水であるだろう 風よ ながれ行くかたへの ねんごろなその会釈 風ならば ふたたび風であれ
この詩では、右に見た諸詩篇に現れていた形象、共に「ながれる」もの、すなわち力の顕れであり、また流動、
七一 風の顕れ
変容するものである「風」と「水」が、やはり二人称の位置に置かれ、両者に対して呼びかけ、および命令がな さ れ て い る。 詩 全 体 は、 「 風 な ら ば / さ ら に 風 で あ る だ ろ う 水 よ / 水 な ら ば / ふ た た び 水 で あ れ 」、 「 水 な ら ば /さらに水であるだろう 風よ/〔……〕/風ならば/ふたたび風であれ」というように、呼びかけと命令がシ ン メ ト リ ッ ク に 配 置 さ れ た 構 成 を と っ て い る。 こ こ で の( 風 / 水 で あ り な が ら )「 さ ら に
000/ ふ た た び
0000風 / 水 で あ
0る
0」 と は、 「 風 」 と「 水 」 が 不 動 の 実 体 で は な く、 変 容 と し て の 形 象 の 顕 れ( あ ら
00わ れ ) で あ る と い う こ と で あ り、それは主体に対峙するものとして現象するしかなく、詩のタイトルでもある「水よ」という呼びかけもそこ に由来するのであ る
)(1(
。
二 風という「もの」 ― 詩《陸軟風》 (一)
この《水よ》という詩に見られる「礼節」という語は詩集全体のタイトルにもなっているが、当該詩集でこの 語 が 用 い ら れ て い る 箇 所 は、 他 に は 表 題 作 の《 礼 節 》( 一 九 七 二 ) 以 外 に な い。 こ の「 礼 節 」 が 意 味 す る と こ ろ について今ここで論ずることはできないが、こうした事実からも、この『禮節』と題された詩集において風の形 象 が 中 心 的 位 置 を 占 め て い る こ と が 少 な く と も 察 せ ら れ、 石 原 の 詩 に お け る 風 の 形 象 の 言 語 的 本 質 に つ い て は、 この詩集の分析をさらに進めることで掘り下げてゆくことができると思われる。しかし、本論では右で確認した ことを前提としつつ、敢えて時代を遡り、石原のより初期の詩を取り上げてみることにしたい。その目的は、こ の風の形象をより広いコンテクストの中で、具体的には彼のシベリア抑留体験との関わりで、考察するためであ る。 マテシス・ウニウェルサリス 第二十一巻 第二号 七二
陸軟風 1 陸から海へぬける風を 2 陸軟風とよぶとき 3 それは約束であって 4 もはや言葉でない 5 だが 樹をながれ 6 砂をわたるもののけはいが 7 汀
みぎわに到って 8 憎悪の記憶をこえるなら 9 もはや風とよんでも
10
それはいいだろう
11盗賊のみが処理する空間を
12一団となってかけぬける
13しろくかがやく
14あしうらのようなものを
15望郷とよんでも
16それはいいだろう
17しろくかがやく
七三 風の顕れ
18
怒りのようなものを
19望郷とよんでも
20それはいいだろう この詩(行番号は引用者による)は一九六四年に書かれ(初出時の題は《望郷》 )、第二詩集《いちまいの上衣 のうた》に収められた が
)(((
、さらに一九七二年刊の第一エッセイ集『望郷と海』の表題作「望郷と海」 (一九七一) の冒頭に全文が掲げられていることから、詩人にとってのその重要性が窺い知れる。このエッセイ(といっても、 これは実質的に芸術的散文である)では主に、第二次世界大戦後、満洲でソ連軍の捕虜となった石原が一九四九 年、北カザフスタンのカラガンダで重労働二十五年の判決を受けた際の詳細が描かれ、一九五三年、ナホトカか ら日本海を渡り舞鶴に上陸、復員する情景でそれは終わる。こうして、 《陸軟風》という詩における風の形象は、 このエッセイのコンテクストの中に置かれることにより、石原の創作の原点にあるシベリア抑留、つまりは地理、 歴史、政治といったものと関連づけられていることになる。こうした経緯から、以下ではこの《陸軟風》という 詩の考察を、随時エッセイ「望郷と海」との関係をも考慮しつつ行なうことにしたい。 ところで、石原吉郎の詩を検討するとき留意すべきなのは、一般に彼の詩には連分けが少ないということであ る。実際《陸軟風》も連分けがなされていないが、これは彼の詩に連という概念が希薄であることを意味するわ け で は な い。 事 実 は ま っ た く 逆 で あ り、 彼 の 詩 は 全 体 と 部 分 の 構 造 化 が き わ め て 厳 格 に な さ れ て い る が ゆ え に、 むしろ視覚的指標による連分けは必要がないのだと言ったほうがよいだろう。そして、その構造化は主に文法的 な 連
シンタックス辞 の原理、および反復的なパラレリズムの原理によりなされてい る
)(1(
。そういうわけで、石原の詩を考察する にあたっては、初めにテクスト全体の構造を確認することが必須であり、ここでもまずそれから始めることにし マテシス・ウニウェルサリス 第二十一巻 第二号 七四
たい。 こ の 詩 の 第 一 の 部 分 は 最 初 の 文 法 的 文 を な す 第 一 行 か ら 四 行 ま で で あ る( A )。 こ の 部 分 の 切 れ 目 は、 第 五 行 の冒頭で「だが」という逆接の接続詞が置かれていることで強調されている。続く部分は、次の文法的文をなす 第 五 行 か ら 十 行 ま で で あ る が( B )、 そ れ は さ ら に 条 件 節 を な す 第 五 行 か ら 八 行 ま で と、 主 節 を な す 第 九 行 か ら 十 行 ま で に 分 か れ る( B 1 ・ 2) 。 B ま で が 全 二 十 行 の 詩 の ち ょ う ど 前 半 で あ る が、 続 く 後 半 は B 2 の 部 分( 「~ と よ ん で も / そ れ は い い だ ろ う 」) を 拡 大 し て 反 復 す る 二 つ の 部 分 か ら な る。 一 つ め は 第 十 一 行 か ら 十 六 行 ま で で(C) 、それはさらに文の目的語をなす最初の四行と(C1) 、B2の反復である次の二行(C2)に分かれる。 四行+二行という行数の点からも、B1 ・ 2とC1 ・ 2は相似的である。最後の部分(D)は、目的語をなす最初 の 二 行 と( D 1) 、 B 2 の 反 復 で あ る 次 の 二 行( D 2) に 分 か れ、 D 1 は C 1 の、 そ し て D 2 は C 2 の 反 復 で も あるという重層的な構造になっている。CはAと同様に四行からなるため、詩全体はA四行+B六(四+二)行 +C六(四+二)行+D四行というシンメトリックな構成をとることにもなる。 Aがなす文の骨格は「……風を/……よぶとき/それは……/……言葉ではない」というものであり、ここで も 風 を「 名 づ け 」 る こ と が 問 題 と さ れ て い る が、 そ れ、 す な わ ち「 陸 か ら 海 へ ぬ け る 風 」 を「 陸 軟 風 」 と「 よ ぶ」のなら、 「それは言葉ではない」と言われる。つまり、それは実際には「よぶ」行為ではなく、 「約束」なの だ。 こ こ で 留 意 し た い の は、 前 項 で 見 た 詩《 名 称 》 で は「 名 づ け 」 と 呼 ば れ て い た 行 為 が、 こ の 詩 で は「 よ ぶ 」 と 呼 ば れ て い る こ と、 そ し て、 「 よ ぶ 」 と は 本 来、 相 手 へ の 呼 び か け の 行 為 を 指 し、 そ の 意 味 で「 風 と よ ぶ 」 と い う 言 う と き、 「 風 」 と 呼 ば れ る も の は、 や は り 二 人 称 の 位 置 に あ る と い う こ と で あ る。 そ れ に 対 し「 約 束 」 と は、複数者間でそれを「陸軟風」と呼ぶ取り決めであり、そこで「風」はあくまで三人称の位置にとどまる。し た が っ て、 A で の「 言 葉 で は な い 」 も の に 対 し「 言 葉 で あ る 」 も の、 す な わ ち 真 の 意 味 で「 風 と よ ぶ 」 行 為 は、
七五 風の顕れ
そう呼ばれるものが二人称の位置に置かれ、ということは、それが形象の顕れとして現出するときになされるの だと言えるだろう。 こうして、Aでいわば否定による確認( 「言葉ではない」 )がなされた後、Bでは「風とよんでも/それはいい だ ろ う 」 と い う 肯 定 に よ る 確 認 が 続 く( た だ し、 不 確 実 な ニ ュ ア ン ス を 与 え る 助 詞「 う 」 を 伴 う )。 こ の A と B の対比は、B冒頭の「だが」という逆接の接続詞、さらに第四行と九行における「もはや」という語の反復によ り強調されている。つまり、第四行と九―十行の言明は対応しているのであり、前者の「陸軟風」と呼ぶ取り決 めは「言葉でない」のに対し、後者の「風とよぶ」行為、二人称と対峙するその行為こそが本来的な「言葉」な のである。そして、この「風とよんでも/それはいいだろう」という言明が、先に見た通り、詩の後半で「望郷 とよんでも/それはいいだろう」という言明に変わり、二度繰り返されることになる。この「風」と「望郷」と の 関 係 に つ い て は、 追 々 見 て ゆ く こ と に し た い が、 ひ と ま ず こ こ で 言 え る の は、 「 望 郷 」 が「 風 」 と 関 係 づ け ら れている以上、それは「言葉」とも関わるということである。 それでは、Bで言われる本来的な「言葉」とは、具体的にはどのようなものなのか。先に見た通り、Bは条件 節をなすB1と主節をなすB2に分かれるが、 「……なら」 (B1) 「……風とよんでも/それはいいだろう」 (B 2)という構造から、ここで「風」と呼ばれるものの、いわば内実は、B1で述べられていることが分かる。そ して、その内実は、実質的に詩《名称》におけるのと同じである。つまり、第五―六行で「樹をながれ/砂をわ た る も の の け は い が 」 と あ る よ う に( 《 名 称 》 の「 な が れ つ つ 水 を 名 づ け / な が れ つ つ / み ど り を 名 づ け 」 を 参 照 )、 こ こ で 感 覚 さ れ て い る の は、 樹 や 砂 の 運 動 と 響 き だ け で あ り、 そ れ が「 風 」 と「 よ ば 」 れ て い る の で あ っ て、 「風」という何らかの実体があるわけではないのだ。つまり、 「樹」のそよぎとして顕れてくるもの ― 別様 に 言 う な ら、 実 体 と し て の 樹 を 無 数 の「 葉 」 の そ よ ぎ へ と 解 体 し て ゆ く も の を「 風 」 と「 よ ぶ 」 こ と、 そ れ が マテシス・ウニウェルサリス 第二十一巻 第二号 七六
「 言 葉
0」 な の で あ る。 第 五 行 で は 冒 頭 の 接 続 詞「 だ が 」 の 後 に 一 文 字 分 の 空 白 が あ る こ と に よ り、 隣 接 す る 第 四 行と五行で「言葉」と「樹」の語が並ぶことになっている。そして、第六行の冒頭に、より微細な「砂」の形象 が現れ、実体の解体はさらに進められてゆくのである。 続く第七―八行の「汀に到って/憎悪の記憶をこえるなら」は、その意味するところが俄かには分かりかねる 箇所であるが、ここでエッセイ「望郷と海」のほうを見てみよう。その冒頭ではこの《陸軟風》が全文引用され た後、次のような段落が始まる。
海 が 見 た い、 と 私 は 切 実 に 思 っ た。 私 に は、 わ た る べ き 海 が あ っ た。 そ し て、 そ の 海 の 最 初 の 渚 と 私 を、 三千キロに わたる 草
ステップ原 と 凍
ツンドラ土 がへだてていた。 望郷 の想いをその渚へ、私は限らざるをえなかった。空とも いえ、 風 ともいえるものは、そこで絶句するであろう。想念がたどりうるのは、かろうじてその 際
きわまでであ った。 海 を わたる には、なによりも 海 を見なければならなかったのであ る
)(1(
。
ゴシック体で強調したのは(原文にはこの強調はない) 《陸軟風》と共通する語であるが、まず指摘できるのは、 ここで三度繰り返されている「わたる」という語と、 《陸軟風》の第六行、 「砂をわたる」との照応である。つま り、詩において風は「ながれる」ものであると同時に、すぐれて「わたる」もの、すなわち何かを通過し、横切 るものとして捉えられているのであり、それが第七―八行の「汀に到って/〔……〕こえる」につながるのであ る。 そこで着目したいのは、 「望郷と海」の一節の「空ともいえ、風ともいえるものは、そこで絶句するであろう」 と い う 一 文 で あ る。 「 そ こ で 」 と は 少 し 先 の「 そ の 際
きわ」 の こ と で あ る が、 こ れ は《 陸 軟 風 》 で は「 汀
みぎわ」 と 呼 ば れ
七七 風の顕れ
ている(この漢字は「なぎさ」と発音されることもある) 。つまり、ここでも風は陸から海に向けて吹いており、 そ れ は 陸 の「 際
きわ」、 す な わ ち「 汀 」 で「 絶 句 」 す る と 言 わ れ て い る の で あ る が、 こ の 表 現 に は 二 つ の 意 味 が 考 え ら れ る。 一 つ は、 こ こ で「 風 」 は《 陸 軟 風 》 と 同 様、 「 望 郷 」 と 一 体 化 し て お り、 そ の「 想 念 が た ど り う る 」 の は海の「際まで」であるということ、 そして一つは、 やはり《陸軟風》と同様、 ここで「風」は陸の草や土( 「草 原 と 凍 土 」) の 運 動、 響 き と し て 感 覚 さ れ て お り、 そ の た め に「 風 」 は、 陸 に と ど ま る 者 に と っ て は 海 と の 境 で 「とだえる」ように感じられるということである。 勿論、両者は不可分のものであり、風が陸と海の境で途絶えるように感じられるという現象が、右の一節では、 望郷の念が辿りうる限界が陸と海の境までだということの比喩として取り上げられているのだと解することがで き る。 「 風 」 と「 望 郷 」 の 一 体 化 は そ う し た 比 喩 を 基 盤 と し て い る の で あ る。 こ こ で 特 に《 陸 軟 風 》 と い う 詩 と の関わりで注目されるのは、やはり「絶句」という比喩であろう。というのも、ここでも風が立てる響き、ない し風と「よばれる」響きは、 「言葉」として捉えられていることになるからである。 以 上 を 踏 ま え た う え で 再 度、 《 陸 軟 風 》 第 七 ― 八 行 の「 汀 に 到 っ て / 憎 悪 の 記 憶 を こ え る な ら 」 に 戻 る な ら、 そ こ で「 こ え る 」 と い う 語 で 言 わ れ て い る 何 ら か の 移 行( 後 に 見 る よ う に、 そ れ は「 憎 悪 」 と い う〔 対 象 へ の 〕 固着を示す語、そして「記憶」という〔過去への〕繋留を示す語によって強調されている)は、陸から海への移 行 で あ る と 同 時 に、 《 名 称 》 と 同 様、 風 が「 な が れ る 」 こ と か ら「 と だ え る 」 こ と へ の 移 行 で あ り、 前 項 で《 闇 と比喩》と合わせて見た通り、その不在において風の「輪郭がささえ」られ、すなわち形象として統覚され、そ れがそれとして「名づけ」られる、つまり「よば」れるのだと解釈してよいだろう。 た だ し、 風 が「 と だ え る 」 よ う に 感 じ ら れ る の は、 陸 に と ど ま る 者 に と っ て の 話 で あ り、 実 際 に は「 汀 」 を 「こえる」と言われているのだから、 「望郷と海」の表現( 「空ともいえ、風ともいえるもの」 )によるなら、風は マテシス・ウニウェルサリス 第二十一巻 第二号 七八
いわば「空」となって流れ続けている。むしろこの途絶えは、樹→葉→砂と進んできた実体の解体が「汀に到っ て」完遂され、風は完全に非物資化されたのだと解釈でき、詩後半のC、Dで「望郷」と一体化した風は、次項 で見るように、確かにそのようなもの(C1、D1の「かがやき」 )に変容しているのである。 だとするならば、 「陸から海へぬけ」 、「絶句」することで「空」 (これを「 虚
そら」と読んでもいいだろう)と化し た「 風 」 は、 そ れ に よ っ て「 海 」 を 名 づ け て い る の だ と 言 う こ と も で き る。 《 名 称 》 に お い て「 み ど り 」 を 媒 質 と し て 現 象 す る「 風 」 が 名 づ け ら れ る こ と と、 「 風 」 が「 み ど り 」 を 名 づ け る こ と が、 同 じ 出 来 事 で あ っ た よ う にである。実際、この《名称》という詩では、先に引用した後半に次のような詩行があった。
ある日は風に名づけられて ひとつの海が 空をわたる
こ こ で は「 風 」 に よ り「 海 」 が 名 づ け ら れ る、 す な わ ち、 「 風 」 は「 海 」 の「 名 づ け 」 で あ る と い う こ と か ら 発 し て、 通 常 予 想 さ れ る よ う な「 風 が 海 を わ た る 」 で は な く、 「 海 が 空 を わ た る 」 と い う 驚 嘆 す べ き 関 係 の 逆 転 が 起こっているわけである。 以 下、 も う 少 し だ け《 陸 軟 風 》 の B の 部 分 に 踏 み と ど ま り、 「 よ ば 」 れ、 か つ「 名 づ け 」 る も の と し て の 風 の あ り 方 に つ い て 考 え て み た い。 す で に 繰 り 返 し 述 べ て い る よ う に、 「 風 」 と 呼 ば れ て い る も の の 内 実 は、 実 際 に は樹や砂といった媒質の運動、響きであり、それはB1の第五―六行で言われているように「樹をながれ/砂を わたるもののけはい」であるにすぎない。ここで「もののけはい」というのがすべて平仮名で表記されているの
七九 風の顕れ
は 意 味 深 長 で あ る。 ま ず、 「 も の 」 に つ い て で あ る が、 詩 に 三 度 現 れ る こ の 語 は、 す べ て「 よ ば 」 れ る べ き も の であることに注意したい。B1・第六行の「もの」は「風」と「よば」れ、C1・第十四行の(あしうらのよう な) 「もの」とD1・第十八行の(怒りのような) 「もの」は「望郷」と「よば」れるべきものなのである。つま り、 い ま だ 名 を 持 た な い が、 主 体 に 対 し て 二 人 称 的 に 顕 れ て く る が ゆ え に、 「 よ ば 」 れ る、 な い し 呼 び か け ら れ る、つまりは「名づけ」られるべきものが、ここでは「もの」と呼ばれていることになる。だからこそ、それは C1、D1におけるように「のような」という直喩的な形でしか言い表すことができないのである。 このことは、日本語の「もの」という語が一般的存在者を指すのか、あるいは神霊のような存在を指すのかと いった議論とも関わるように思われる。例えば、神霊を指す場合でも、それは「口に直接のぼせることをはばか る事柄などを個個に直接指すことを避けて、漠然と一般的存在として把握し表現するのに広く用いられた」等と 説明されることが多 い
)(1(
。しかし、少なくとも石原の詩において「もの」とは、主体に対し形象として二人称的に 顕 れ て く る も の、 力 と し て 迫 っ て く る も の で あ り、 そ う で あ る な ら、 そ れ が 何 ら か の 媒 質 を 通 し て 顕 れ る「 風 」 を指すと同時に、神霊的存在を指すとしても、何ら矛盾はないことになる。例えば、今検討している「もののけ は い 」 と い う、 す べ て 平 仮 名 だ け で 表 記 さ れ た 箇 所 に、 ち ょ う ど 和 歌 で の「 物 の 名 」( こ の 名 自 体 が 示 唆 的 で あ る)の技法のように、 「もののけ」 (物の怪)という語を読みとることも不可能でないのは、偶然ではないように 思われる。 勿論、実際にはこの部分は、漢字で表記するならば「物の気配」と読むべきところである。しかし、物の怪と 言うときの「 怪
け」と、気配と言うときの「 気
け」は、漢字での表記が異なるだけで、同一の語であるという事実は 残 る。 そ れ は、 い ま だ 形 象 と し て 統 覚 さ れ て い な い、 す な わ ち「 輪 郭 を さ さ え 」 ら れ て い な い 力 の 顕 れ で あ り、 「 け は い 」( 古 く は「 け わ い 」) と は、 そ う し た「 け 」 が 広 が っ て ゆ く こ と を 表 わ す
)(1(
。 そ し て、 こ の 広 が り が B 2 マテシス・ウニウェルサリス 第二十一巻 第二号 八〇
では、その不在において統覚されることで「風」と呼ばれるわけであるが、この「かぜ」という語も「 気
かじ風 」か ら 転 じ た も の と 考 ら れ、 ま た「 気
か」 と は「 気
け」 の 音 韻 的 な 変 化 形 な の で あ る
)(1(
。 さ ら に そ れ を「 気
き」 と 言 う な ら、 気象に作用する力を指すことにもなるが、しかし、風とはそうした気象現象としての空気の流動を意味するより も前に、まず容易には形象化されない力( 勢
いき)の作用を指すわけ で
)(1(
、それは「風邪」という語にも見られる通り である。こうして、 「けはい」も「風」も、いずれも本来的には非常に近い語義を持つことになる。この詩では、 「けはい」という表音文字による表記から、 「風」という象形文字(それ自体、一つの形象である)への移行によ り、力の形象化、つまり「名づけ」という事態が視覚的に表現されているように思われる。
三 風、望郷 ― 詩《陸軟風》 (二)
こ う し て、 詩《 陸 軟 風 》 の 前 半( A、 B ) は、 「 言 葉 」 に つ い て の、 す な わ ち「 風 」 を そ れ と「 よ ぶ 」 こ と に ついての言明が、そのまま海辺の情景の描出をなすという形をとるが、無論、実際にはこれは、すでに在るもの の 描 出 な の で は な く、 「 も の の け は い 」 の 形 象 化、 顕 れ な の で あ り、 「 風 」 を そ れ と「 よ ぶ 」 こ と は、 風 を 同
アイデンティファイ定 、 な い し 再 認 す る こ と で は ま っ た く な く、 そ の 都 度 ご と の 新 た な「 名 づ け 」 な の で あ る。 し た が っ て、 こ の 言 明 は つ ね に 暫 定 的 な も の で あ り、 「 い い だ ろ う
0」 と い う 不 確 実 の 助 詞 を 伴 う こ と な し に は な し え な い の で あ る。 詩 の 後 半( C、 D ) は、 す で に 確 認 し た よ う に、 B 2 の 言 明 の 反 復 で あ る が、 「 風 」 に「 望 郷 」 が 置 き 換 え ら れ た うえで、 「望郷とよんでも/それはいいだろう」という行が繰り返される(C2、D2) 。つまり、ここでも「望 郷」は実体ではなく、何らかの形象として顕れるしかないものであり、そのためにこの言明は暫定的なものにと どまるのである。
八一 風の顕れ
後半での「風」から「望郷」への移行の予兆は、先にも触れたが、第八行の「憎悪の記憶をこえるなら」とい う 部 分 に す で に 表 れ て い た。 こ れ は 風 が「 汀 」 を 超 え て「 陸 か ら 海 へ ぬ け る 」 様 を 表 現 し た も の で あ る が、 「 憎 悪 」 が 同 類 た ち と の 関 係 を、 そ し て「 記 憶 」 が 時 間 的、 歴 史 的 な 関 係 を 意 味 す る 以 上、 こ の 詩 で 言 わ れ る「 陸 」 とは、単に海と対比されるところの地質学的概念であるだけでなく、それは人間の生が営まれる場所であり、そ の 意 味 で「 望 郷 」 と 言 う と き の「 郷
さと」 と 変 わ る も の で は な い の だ。 当 然、 こ こ で 言 わ れ る「 陸 」 は、 エ ッ セ イ 「 望 郷 と 海 」 の 文 脈 で は 詩 人 が 抑 留 さ れ て い た ソ 連 の 領 土 で あ り、 だ か ら こ そ「 憎 悪 の 記 憶 」 と 言 わ れ る わ け だ が、 「 郷 」 に は 同 胞 た ち と の 関 係 が あ る わ け で あ り、 そ の 関 係 は「 憎 悪 」 と は 情 動 の ベ ク ト ル が 異 な る だ け で、 「陸」にしろ「郷」にしろ、人間が生きる 境
エレメント位 という点では同一なのである。 つまり、この詩のパラドックスは、本来は「陸=郷」へ向かうべき「望郷」が、それからの解放でなければな らないというところにある。だからこそ、 「望郷」は「陸から海へぬける」 「風」と同一化するわけであるが、す でに引用したエッセイ「望郷と海」のくだりにあった通り、ユーラシア大陸の内奥、中央アジアにあって、望郷 と い う「 想 念 が た ど り う る の は、 か ろ う じ て そ の 際
きわ」、 「 汀
みぎわ」、 す な わ ち 日 本 海 沿 岸 ま で で あ り、 そ の 先 で は そ れ は「 絶 句 す る 」 し か な か っ た。 し か し、 こ の「 絶 句 」、 す な わ ち 風 が 海 へ ぬ け て「 と だ え る 」 か の よ う に 感 じ ら れる、その不在において、 「風」は形象として統覚されるのであり、 「望郷」はそれとして主体に向けて迫ってく るのである。この「主体に向けて迫る」という形象の顕れかたを、これまで二人称的な顕れとして論じてきたわ けであるが、このように「風」が「よば」れるべきものであること、詩《水よ》におけるように「風よ」と主体 により二人称として「よびかけ」られるべきものであることが、主体の「望郷」と「風」が同一化する条件なの であり、これは単なる修辞法としての比喩であるわけではけっしてないのだ。 こうして、詩後半のCからは、 「風」と同一化された限りでの、 「望郷」と「よば」れるべきものが語られるわ マテシス・ウニウェルサリス 第二十一巻 第二号 八二
け で あ る が、 そ れ は す で に 見 た よ う に、 「 の よ う な 」 と い う 直 喩 的 な 形 で し か 語 る こ と の で き な い「 も の 」 で あ った。そして、一面では海辺の情景の描出であった前半A、Bにおいては、基本的には事実確認的と呼べる叙述 がなされていたのに対し、後半はそうではなくなっている。というのも、そこでは「望郷」という、通常は概念 として語られるものが、諸形象の顕れとして語られているからである。 第 十 一 行 の「 盗 賊 の み が 処 理 す る 空 間 」 は、 前 半 で 描 か れ て い た 陸 と 海 の 境、 「 汀 」 で あ り、 そ れ は 第 一 行 ( A )「 陸 か ら 海 へ ぬ け る
000風 を 」 と 第 十 二 行( C 1) 「 一 団 と な っ て か け ぬ け る
000」 を 比 較 し て も 確 認 で き る。 た だ し、 「 風 」 が「 望 郷 」 と 同 一 化 し た 後 半 に お い て は、 そ れ は 単 に 地 質 学 的 境 界 で は な く、 国 境 と い う 法 的 境 界 で ある。無論、今日の沿岸国において国境線は、実際には海上を走っているのだが、この詩においては「陸」が国 家 を も 含 め た 人 間 の 生 の 境 位 で あ る と す る な ら、 「 汀 」 は 象 徴 的 に 国 境 を な す こ と に な る。 そ し て、 風 は 本 来 的 に通過し、横切るものとして、国境を自由に往き来できるものであるがゆえに、それが「ぬける」空間は「盗賊 のみが処理する空間」と言われるのである。つまり、風がその顕れである力とは、法を蹂躙する力でもあるとい うことになる。 その風は第十二行で「一団となって」という複数的な様態をとるが、詩の前半から風はそのようなものとして 捉えられていた。風とは、実体としての樹が無数の葉のそよぎに解体し、それがさらに微細な砂の騒めきへ移り ゆく中で形象化されるのだが、それが望郷と結びつくことで、第十四行の数多の「あしうら」に変わる。足 裏
0は 人 間 と、 人 間 が み ず か ら の 生 の 境 位 と す る 陸 と の 接 点 で あ り、 そ れ ゆ え 表
0に 曝 さ れ る こ と な く「 し ろ い 」 ま ま な の だ が、 そ れ が 望 郷 と い う、 陸 か ら の 解 放 へ の 動 き に お い て 表 に 出 る と き、 「 か が や き 」 と な っ て 顕 れ( あ ら
00わ
0れ)るのである。したがって、樹→葉→砂と進んできた実体の解体の次の段階は、 「あしうら」というよりは、 その「かがやき」なのであり、ここで解体の過程は完全な非実体化、非物質化にまで到ったのだと言うことがで
八三 風の顕れ
きるだろう。ここで想起されるのは、詩《闇と比喩》において比喩が、やはり「光」として捉えられていたこと である。 この「しろくかがやく」という第十三行は「しろ く
4・ かが
00や く
4」という二つの反復の契機から構成されており、 さ ら に「 し ろ
shiro」 が「 あ し う ら
ashiura」( 十 四 行 )、 お よ び「 処 理
shori」( 十 一 行 ) と、 C 1 の 前 後 双 方 に 反響してい る
)(1(
。そして、この「しろくかがやく」という行自体が第十七行(D1)で反復されることになる。こ の度は「しろくかがやく」ものは「怒り」と呼ばれるが、この語は音韻的には「 光
ひかり」に、そして意味論的には第 八行(B1)の「憎悪」と呼応している。しかし、 「憎悪」とは「陸」における同類たちとの関係であり、 「風= 望郷」により「こえ」られるべきものであった。ということは、 「怒り」とは、C1の「あしうら」と同様、 「憎 悪 」 が 陸 へ の 繋 留 か ら 解 放 さ れ た と き に 顕 す 姿 で あ り、 陸 が 実 体 的 な も の を 体 現 し て い る 限 り で、 そ れ は「 憎 悪」が非実体化(比喩的に非物質化と言ってもよい)されたものであり、だからこそ「しろくかがやく」と言わ れているのだと推論することができる。 「憎悪」が何らかの同類(すなわち実体)への固着であるのに対し、 「怒 り」は純粋な力の顕れであ り
)(1(
、それは「風」の別の姿でもあるわけである。 ここまで到れば、我々はこの詩における「風=望郷」の同一化を十分に理解することができるだろう。最後に、 こうした風と望郷の「比喩」的関係の、もう一つ見逃せない局面を見るために、ここでエッセイ「望郷と海」の あ る 箇 所 を あ げ て み た い。 こ れ は こ の 散 文 の ク ラ イ マ ッ ク ス を な す と 思 わ れ る き わ め て 印 象 的 な く だ り で あ る。 先に触れた通り、石原は一九四九年、カザフスタンのカラガンダにて重労働二十五年の判決を受けるが、それは 四月二十九日のことであった。次のくだりは翌四月三十日、朝の情景である。
白く凍てついていたはずの 草
ステップ原 は、かがやくばかりの緑に変っていた。五月をあすに待ちかねた乾いた風が、 マテシス・ウニウェルサリス 第二十一巻 第二号 八四
吹きつつかつ匂った。そのときまで私は、ただ比喩としてしか、風を知らなかった。だがこのとき、風は完 璧に私を比喩とした。このとき風は実体であり、私はただ、風がなにごとかを語る手段にすぎなかったので あ る
)11(
。
こ の エ ッ セ イ の 冒 頭 近 く に は「 望 郷 の あ て ど を う し な っ た と き、 陸 は 一 挙 に 遠 の き、 海 の み が そ の 行 手 に 残 っ た 」 と あ る
)1((
。 こ こ で の「 陸 」 と は 日 本 海 の 対 岸 に あ る 日 本 の こ と で あ る が、 そ の 場 合 で す ら 望 郷 は「 渚 」 に お いて「絶句する」しかなかった。そして、風が汀で途絶えることで形象として統覚されるように、そこで望郷は その純粋な顕れとなるのだが、このとき風は(主体の)望郷の比喩であると同時に、望郷は風の比喩となる。比 喩という言語的関係における主導権は、もはや主体ではなく、言語自体のほうに移っているのだ。それが主体と、 それに対し二人称的に顕れてくる「もの」との関係なのである。 先に「風は最初の意志だと わたしは思いつづけた」という冒頭行を引いた、 詩集『禮節』所収の散文詩《姿》 では、その少し先で「わたしはたぶん 意志したときにわたしであり そののちはげしくみすてられた」とあり、 さらに次のように続く。
わたしはそのとき 風になるわたしが風になるすがたを見ていたのだが あるいは水が 凍ろうとするすが たを 見ていたのかも知れぬ。その いずれの側に 意志ともいえるものがあったのか。風と私と あるい は水と 氷と。
風が力( 「意志」 )の顕れであり、また主体( 「わたし」 )も力の源泉である限りで主体であるのだとしたら、この
八五 風の顕れ
一節では「わたしが風にな」り、 「意志」は「風と私」のいずれにあるのかが不確実となる。これが「望郷と海」 に お け る「 風 は 完 璧 に 私 を 比 喩 と し た 」 と 同 じ 事 態 で あ る こ と は 明 ら か だ ろ う が、 そ う し た 事 態 の 契 機 と な る のは、主体が「はげしくみすてられた」ことである。実際、石原は右に引いた「望郷と海」のくだりの少し先で 「私がそのときもっとも恐れたのは、 『忘れられる』ことであった」と述べてい る
)11(
。 だとすると、本論で検討してきたような「風」という形象の言語的本質、それと主体との関係といったことは、 こうした政治的経験なしには現れえない特殊な問題なのだろうか。あるいは、それは普遍的問題であり、またそ こに到るためには主体を蹂躙するがごとき過酷な経験を通過することが不可欠であり、その意味でシベリア抑留 といった体験は「肯定」されるべきものなのだろうか。石原吉郎の詩について、さらには二十世紀の詩全般につ いて考えるとき、この問いは根本的な意義を持つように思われ る
)11(
。
注
(1) 野村喜和夫は石原の詩における風の形象について、日本の「四季」派の詩、とりわけ立原道造の影響を指摘している(野村喜和夫『証言と抒情石原吉郎と私たち』、白水社、二〇一五年、三六―三七、一六六―一八八頁)。しかし、石原においてそれは「存在論的に深められていったこともたしかである」(同書、一八八頁)。こうした文学史的側面への考慮はきわめて正当であると思われるが、本論ではそこまで踏み込めなかった。(2) 石原の詩作品のテクストはすべて以下から引用するが、煩瑣になるのを避けるため、頁数はいちいち記さないことにする。『石原吉郎全集I』、花神社、一九七九年。各詩篇の初出年と原題は『石原吉郎全詩集』、花神社、一九七六年の「初出一覧」による(I―X頁)。(3) 斉藤毅「兇器の時―
石原吉郎の詩における斧の形象について」、『マテシス・ウニウェルサリス』、第二十巻、第二号、獨協大学国際教養学部、二〇一九年、二一―二二頁。(4)『デジタル大辞泉』
、小学館。