成長するテキスト
『応氏六帖』
HWM内日出口仏ぬ円山ぐmw吋ω目。ロ。片付VmwCωFEW£。
近*
藤 尚
子
叶,回目内問}円。向。ロ円山。
要 旨
吋応氏六帖』は伊藤東涯の
手に なる
一組印象集
である。
中国文献
から語を
採取
し、
傍訓・註を施す。筆者は
これまでこのコ泌氏六帖』についていくつかの視点から 考察し
てきた。まず吋応氏六帖』
諸本
十本の関係を検討し、
ついで
東渡の同様の著作であり一部が公刊され
ている
吋名物六帖』と
の比較にお
いて『応氏六帖』
が公
刊を
前提としないために俗語的な
傍訓を
含むことな
どを
明らかにした。本稿では
、『応氏六帖』
諮本合二一000一語の
原態から、
一一五OO語の第一段階増補、六OOO一訟の第二段階増補
を経て成長した
と捉え、その状
況を
『大明会典』司訓蒙字会』というニ警に注目 明らかにするために、
し、
その現 れ方を分析した。その結果、
この両蓄は
『応氏六帖』増補の各段階で使用され
てい
ること
が明
らかになった。
さら に「名物六帖hと比較すると『応氏六帖』
におけるこの筒書
出自の増補項目は『名物六帖』と重なる部分が多く、これらの増補が東渡の意図に沿った もの であること
がわ
かった。
iま
め じ
『応氏六帖』は、江戸時代の漢学者伊藤東涯(
六七
01一七二一
六)
の手になる、種々の中田文献から語を抜き出して類粟した語索
集である。ムハ帖という名のとおり全体を六帖に分け、その下に各三
築をおいた六帖十八議の構成をとる。調査した諸本十本とも基本的
な構成は変わらず、つぎのようになっている。
第一帖天文筆
第二帖人品議 地理議
釈属議 宮室体調
神鬼婆 第一一一帖人事筆身体議病病築第四帖飛禽筆走獣築虫魚議第五帖樹木築草花筆金石筆第六帖器用筆食服筆顔色筆各項目は見出し語と、多くの場合右側に傍訓
、そ
して細字双行の註からなっている。註には出典や出血〈内での用例が示されることが多い。
井本
学専任講師(今野
教育 尚子)国語
学・
日本語
この『応氏
六帖
』に出典として最も多くみられるのが『大明会典』
である。たとえば清水本においては二一O項にその名がみえ、全項目数の一割に及ぶ。前稿において筆者は『大明会典』「工部」を出
血ハとする語に注目して、東涯の他の著伶、すなわち『紀開小騎』・
『名物六帖』との比較をおこなった。そして『応氏六帖』は問題語
主義をとっていること、『応氏六帖』における排列にふたつの原理
が混在していることを指摘した。ふたつの原理とはすなわち
意義分類をとろうとすること
同じ
出血〈をもっ語をまとめて掲げること
である。本稿では前稿の結果をふまえつつさらに『応氏六帖』諸本
間での「大明会典』『訓蒙字会』の出現状況を検討し、吋応氏六帖』
の成立過程に迫るとともに、それか」辞書体テキストの成長過程のひ
とつの姿としてとらえてみたい。なお、吋応氏六帖』の諸本とその書誌的関聯についてはすでに考
察したので詳細はそちらにゆ守することとする。しかし本稿の、諸本
を検討して吋応氏六帖』の成立過程に迫るという目的のためにここ
で諸本について簡単にふれておく。筆者がこれまでに確認、調査し
えた『応氏六帖』諸本は以下の十本である。
清水本(国立国会盟書館本)
静嘉堂本
神宮文庫本早稲田大学園書館本
山田忠雄氏蔵本
無窮会文庫本
刈谷市立図書館本 イロ
ノ、 一
ホ�、ト
長津規矩也氏蔵本
黒川本(東京大学本)多和文庫本
諸本の収録語数は静嘉堂本が
約一一
一OOで最少、長調停本
・黒 川本
の二本が増補本で約六000語を有する。残る七本はいずれも二五00前後の項白を有する。項目数の上で最少の静嘉堂本は項目の出
入りという点で『応氏六帖』諸本の中では
他の諸
本とは異なってい
る。涼態にもっとも近いと思われるのは清水本である。ただし清水
本は上巻(第一帖1第三帖)下巻(第四帖1第六
帖) の一
一巻仕立て
となっており、上巻部分には増補と見られる部分があって注意が必
要である。清水本の増補の方向はおおむねハートとヌの六本と一致し、さらにその延長上にチ・リの増補本があると考えられる。 チリヌ
I
基礎資料・増補資料としての『大明会典』
『応氏ムハ帖』人品議には清水本で百余の『大明会典』出自の項目
がある。吋応氏六帖』における『大明会典』引用の約半数が人品議
にあるということになる。そこでまず人品講をとりあげて検討す
る。これらの語の『大明会典b本文での位置と吋応氏六帖』内での
排列を考える。ヨ泌氏六帖』の例としては清水本を用いるが、他の
諸本との間に排列の上で大きな臭向はない。
出典として註文中に
『大明会奥』が一京されている項目を清水本の掲載順に一覧し『大明
会典』工匠からの一語についてはその『大明会典』内での出現順位と
を対照させたものが表〈1
〉で
ある。この表にもとづき考察をすす
める。排列順序についてみると、主人明会典』での出現願位と吋応氏六
帖』でのそれは一致していない。最初の「木匠」のみが両者に共通
する第一項目である。
このことがらについてはすでに前稿でも指擁
したが、『応氏六
帖』が議の内部で意義分類をとろうとしているた
めである。たとえば第十五項「表背一位」から第二十二一
項
「制印匠」
までは出版関係、第四十一一一
項
「鋳既」から第五十八項「骨作匠いま
では貴金属細工関係、という具合である。表〈1〉をながめるとこ
のような関連しあういくつかの
のまとまりを見出すことができ
る。
成長する テ キ ス ト 『応氏六帖』
ところで人品議第一項から第一四O項までの『大切会典』出自の
語八七語はすべて『大明会典』「工部」工監からの語である。とこ
ろが第一二三項以降の『大明会典』出自の語は逆に
「瀧燭匠」一諮問 を除いてすべて工匠以外からのもので
ある。
つまり、
「応氏六帖』
人品議の議のはじめには『大明会典』工匠からの語が集中的に置か
れているということがわかる。その工匠の語はさきほども述べたよ
うに近い意味の語が集められており、そこには他の出典も含めた意
義分類の方向性がうかがわれる。そしてその後におかれた工匠以外
からの語は、意味とは関係なく数項ずつまとめて掲載されている。
第三
六三項から第三七八項のように関連しあう語、が並んでいる部分
もあるが、その前後との意味的関連は見いだせない。つまり工置か
らの語は先にあって意義分類され、それ以外からの語は後にあって
出典別に掲載されるというふたつの状況が、人口問築の内部には混在
しているということになる。この状況の意味をさらに探るために吋応
氏六帖』諸
本中別系統の
本文をもっと思われる静嘉堂本人品筆との比較を試みた。表〈1〉
の静嘉堂本欄に項目の有無をOーで示してある。 まず議の第一項から第一回O項までの『大明会典』工匠からの項
目であるが、これは静嘉堂本でもほぼそのまま収録されている。さ
らにその後に置かれている第
一一二三噴「女輯夫」から第二九八項「逓
卒」
までの『大明会典』工匠以外からの語も向様に静嘉堂本にも存在している。ところが、それまでは他本とほぼ同じように項目をな
らべてきた静嘉堂本は人品議「瀞軍主」以降、右欠き、かわりに十六
項を載せて人品議を終わる。したがって清水本一二十一丁にあたる第
三四四項以蜂は静嘉堂本には掲載されていないのである。つまり、
当応氏六帖』人品集における『大明会典恥出自の語は二一つのグルー
プにわけることができ、その一一一つのグループが順に並んでいるので
ゑ山ヲ心。
『大明会典』『{泌氏六帖』清水本
一
1一四O 静嘉堂本
①
(八七語)
②
工匠以外(九語)
③
工佳以外(二O語)
清水本と他の諸本とを比較しても人口問築のこれらの項目にとくに
大きな異なりはないので、第③グループの項目を静嘉堂本だけが収めていないことはやはり静嘉堂本が『応氏六帖』諸本の中で特異な
位寵を占めていることを裏付ける。そしてこの状況をつぎのように
考えた。『応氏六帖』人口問筆は初め『大明会典』工佳からの語をゆ心に吋経
由大典』・『通奥』などを用いて形づくられた。ここでは意義分類が
試みられている。さらにその他の語をその後ろに加えていくという
方法で編集がすすんだ。そこにはむしろ出典別に語をまとめるとい
う傾向がみられる。そしてここに第②グループの項目が含まれる。
工匠
あり
一一
一一一1二九八
二一四回i四一O
あり なし
表1 W応氏六帖』人品箆における『大明会典』出自の項目一覧
凡17'0 If'応氏六帖』清水本に 収載されている)1僚に掲げる。 行頭の数字は清水本での見出 し語の通 し番号, カ タ カ ナ は 付されて いる傍訓である。
F大明会奥』は 「工部」工涯における出現順位である。
静嘉堂本での項 目 の有無をo c有), 一(無)で示す。
参考 の た め に 『名物六l陪』に 収載さ れ て いる項 目 は人品築の巻 ・了, 傍ヨ11を示す。
『名物六帖』
3 ・10 右 ト ウ リ ヤ ウ 左サ シ モ ノ ヤ 3 ・17 シ タ テ モ ノ シ
3 ・ 9 ス ヤ キ シ 3 ・ 19 タ ケ サイ ク
*
3 ・19ア フ キ ヤ 3 ・2 1ス ミ ヤ 3 ・1 5�ラ ウ チ 3 ・ 8 シ ロカ ネヤ 3 ・ 2 0 タ イ コ ハ リ 3 ・ 19モ ウ セ ン ヤ 3 ・2 0 ト ウ ユヌ リ 3 ・2 1ヘウ 夕、ン 3 ・2 1カ ミ ス キ 3 .2 1ウ チ カ ミ シ 3 ・1 4ハ ンキ ホ リ 3 ・ 2 1へウ シ ヤ
3 ・2 1右シ セ ン ヤ 友ジ ガミ シ 3 ・2 1ハ ン ス リ
3 .19 ミ ス ヤ 3 .19 ノ、カ リ ヤ 3 ・11クノレマ タ イ ク
3 ・7 右セ ニイ ノレモ ノ 左イ モ ノ シ 3 .8 ス ス ヤ
3 .8 ヤ グハ ン ヤ 3 .8 ヤ クハ ン ヤ 3 ・8 メ ツ キ サイ 夕、ン 3 ・1 4 ケ ホ リ シ 3 ・ 13 タ マ ヤ 3 ・ 8 カ カ ミ ヤ 3 ・8 カ カ ミ ト キ 3 ・ 12 ヒ キ モ ノ シ 3 ・ 7 カ タ ナ カ チ 3 .8 ハ リ ヤ 3 ・8 ハ リ ヤ 3 ・19 オサ ヤ 3 ・19 ワ クシ 官争嘉堂本
0000000000000000000000000000000000000000
『大明会典』
-A っ“
A44
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44つん
po opu d也 qυ 7・
po ti nuqδにd
oo od つれ】問、υqJPO
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a斗AAUqtuハ日'i -AqJquAqqυqJ4Ah507・
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1 1 1 1 1 1 1 1 1 1
1 1
『応氏六i防』
サ シモ ノ ヤ シ タ テ モ ノ ヤ カ ワ ラ シ タ ケ サイ 夕、ン フ テ ヤ ア フ キ ヤ ス ミ ヤ クラ ウ チ シ ロカ ネサ イ クシ ツ ツ ミ ヤ モ ウ セ ン ヤ
ト ウ ユヌ リ ヤ ヒ ヤ ウ クシ カ ミ ス キ ウ チ カ ミ ヤ ハ ン ギホ リ
ヒ ョウ シ ヤ シ セ ン ヤ ハ ン キ ス リ
ミ ス ヤ ハ カ リ シ クノレマ タ イ ク カ サハ リ ハ リ シ エノ グヤ ハ クヤ
ヨ サ ヤ ワ クヤ ノ リ モ ノ ヤ イ モ ノ シ ス ズヤ ヤ クハ ン ヤ ア カ ガネヤ メ ツ キ ヤ ケ ボリ モ ノ ヤ タ マ ヤ カ カ ミ ヤ カ カ ミ ト キ ヒ キ モ ノ ヤ カ タ ナ カ ヂ、
1 木匠 3 裁 縫匠
4 瓦匠 5 竹匠 6 筆匠 7 溺匠 9 暴夜 10 鞍匠 11 銀匠 12 鼓匠 13 艶匠 1 4 油漆匠 1 5 表背E 18 紙庄 19 槌紙匠 2 0 干日学医 2 1 摺配匠 22 賎紙匠 23 刷印匠 2 8 簾子 佳 2 9 秤佳 3 0 率匠 32 傘匠 33 鎖匠 3 4 顔料夜 3 5 金箔匠 3 9 慾匠
4 0 鍵匠 42 玖橋匠 43 鋳匠 4 4 錫庇 4 5 鋒児匠 46 銅匠 47 鍍金伝 4 8 銀花匠 4 9 嬢:k匠 50 鏡児匠 51 磨鏡匠 52 鋭匠 53 万匠
成長する テ キ ス ト 『応氏六帖』
『名物六帖』
3 ・ 8 ヤ ス リ シ
3 ・ 16カ タ ナ ノ コ シ ラ ヘシ 毒事嘉堂本
3 ・ 14サ ウ ケ サ イ ク 3 ・ 14ホ ネサ イ 夕、ン 3 ・ 17 ヌイ シ 3 .18ソメ モ ノ ヤ 3 ・ 18イ ト グザ
*
3 ・ 18モ メ ンイ ト ノ グ ミ ヤ 3 ・ 18ヲ ウ ミ
2 ・ 7 ノミイ 3 ・ 2 5ア ブラ ヤ 3 ・ 11フ ナ タ イ ク 3 ・ 11 ト マ シ 3 ・ 11ロタ イ タ 3 ・ 19 オケ ヤ 3 ・ 1 5クソ夕、ン 3 ・ 1 5ユ ミ シ 3 ・ 1 5ツ ルサ シ 3 ・ 1 5ヤ シ 3 ・ 1 5ト キ ウ シ 3 ・ 1 5ヲ シ カ ケ タ ツ ナ ヤ 3 ・ 1 5キ ツ ツ ケ シ 3 .2 0 カ ハ ヤ 3 ・ 17 カ ム ザシ 3 ・ 18ク ミ ヤ 3 .17 シ タ テ モ ノ ヤ 3 ・ 2 0 ヌシ ヤ 3 ・ 2 0 "<キ エシ 3 ・ 19 エカ キ 3 ・ 14ブツ シ 3 .9 ヤ キ モ ノ シ 3 .8 ハ サ ミ ヤ 3 ・ 18ワ タ ウ チ 3 ・ 19 trシ ヤ 3 ・ 19 Yシ ヤ
2宇 シウロ
イt
セ左ヤヤゴ シ カ イ 右qυny -aA唱EA*ηdつd
00000000000000000000000000000000000 00000000000
『大明会典』
。δハuqLAUOd
ni AU OD
ヴdn4114AFUつωdqwbnD
44 4A
oopbqJPU勺t
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・4
ワω
τi 14
ヴtni氏υponLつゐqLqJ1iAUmb
-aA
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咽Ei -- 噌Bよ 噌gi
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ハ叫υ
,n吐
nkUハhU内喝υnHV内べυmhdnNUphu戸hυnJe巧,aハWU円Je内〈υsalphvハ吋upnV44mbハυqoA‘qυバ官QUつムハVOOつムρb
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QdooqdAυ
11 1A 噌i
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41 11 1A τi τi
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ト キ ヤ コ ザイ クシ ビイ ドロシ ザ ウ サ イ タヤ 註
ヌイ モ ノ ヤ ソメ モ ノ ヤ イ ト ヨ リ オザテ カ セ ヤ ヲ ウ ミ ノミイ ア プラ ザ 註
フ ネノ ト マ シ rナ シ
ヨ ケ ヤ
クソクノ クサ リ シ グソクヤ ユミ ヤ ツ ノレサ シ ヤ シ
ト キ ウ ヤ カ ハ ヤ キ ツ ツ ケ ヤ キ ツ ツ ケ ヤ カ ハ ヤ ソウ リ ヤ エボシ ヤ ク ミ ヤ カ タ ヒ ラ ヤ ヌシ ヤ マ キ エシ エカ キ ブツ シ 註 イ カ ウ シ ヤ ハサ ミ ヤ
ウ チ ハ タ ヤ グシ ヤ
ト ウ クシ ヤ f応氏六帖』
n川以内べυ
τ24 nMU QU
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ハ リ ク キ キ ヤ ヤ ピ
シゴ
シ コ イ カ 持磨匠 事件匠 瑠現在主 象王手匠 骨作匠 糠匠 染匠 絡新\11C 織佳 撚綿線庄 絹麻匠 懸獣 池戸 総匠 答蓬匠 櫓匠 木橋匠 空宇Ej3匠 甲l1C 弓匠
"3弦匠 箭医 事寺阪 皮匠 鰍車券E主 粘匠 熱皮庄 麻革主匠 冠縮匠 線匠 涼杉匠 漆匠 描金匠 霊童匠 離鐙夜 窯匠 刷牙匠 努子匠 様綿花匠 木流l1C 箆子匠 粉匠 泥水匠 鋸匠 石匠 蒸鐙佳 54 55 56 57 58 62 64 67 68 7 0 7 1 72 73 89 9 0 9 1 92 9 5 96 9 8 9 9 10 1 102 103 1 0 4 10 5 10 8 110 111 112 114 11 5 118 119 123 12 4 12 5 126 127 12 8 12 9 13 0 132 13 4 137 13 8
『名物六粘』
3 ・7 カ チ
3 ・4 ヲ ン ナ ノ カ コ カ キ
5 ・5 カ ワ サ ラ へノ フ 5・5 イ セ キ フ シ ン ノ ブ 5.5 ッ 、 ミ ブシ ン ノ カ シ ラ 5. 5 ッ 、 ミ ブシ ン ノ コ カ シ ラ 5・5 ッ 、 ミ ブシ ン ノ ト シ ヨ ザ 5 ・5 ッ 、 ミ プシ ン ノ ブ 5 ・5 ヒ ノ ノ、ン
* 2 ・22 タ イ フ
1 ・2 8子 ズノ パン
*
5・33 Pロン ホ ウ 奇事嘉堂本
0000000000
『大切会典』
AV
1163
5・5 イ セ キ ノ ブ 5.5 ハ シ ノ パン 5・5 ワ 夕、ン ノ ノミン 5・5 ッ 、 ミ ノ ブ 5・5 一一ノ ウ ワ ノくン 5・5 ッ 、 ミ ノ ノミン 5 ・5 カ ハサ ラ ヘノ ブ 5・5 ホ リ サ ラ へ/ブ 1 .22 ゴハ ン ア ツ カ リ 3 ・7 セ ニイ ノレモ ノ 3 ・7 セ ニ ミ カ ク モ ノ カ チ
オン ナ ノ ノ リ モ ノ カ キ ロウ ソク ヤ
ツ ウ 、ジ タ イ プ 子 ズノ パ ン
タ キ 父キ リ ノ ブ タ キ にニナ ヒ ノ ブ ク ロホ ウ
コ ウ キ ヒ キ ヤ タ フ チ ト ノレサイ ク ニン カ ワ サ ラ ヘノ フ ッ 、 ミ フ シ ン ノ フ ' ッ 、 ミ フ シ ン ノ カ シ ラ ッ 、 ミ ブ シ ン ノ コ カ シ ラ ッ 、 ミ フ シ ン ノ ト シ ヨ リ ッ 、 ミ フ シ ン ノ ブ
ヒ ノ フ e カ ワ サ ラ ヘノ フ ッ 、 ミ ノ ブ r ハ シ モ ザ
ワ タ シ モ リ ッ 、 ミ ノ ブ、
ッ 、 ミ ノ ト シ ヨ リ ッ 、 ミ ノ パン ノ モ ノ カ ワ サ ラ へノ ブ ホ リ サ ラ へノ ブ イ ン ア ツ カ リ ノ ヤ ク セ ユイ ノレモ ノ セ ニ ミ カ キ
『応.a:;六帖』
鍛匠 女橋夫 溌燭匠 舌人 俳長 夜不収 欣柴犬 j牽柴失 黒斯 逓卒 帯俸匠 携浅夫 修滅失 {務提総lEf3 修提小Ef3 修提老人 修提失 橋夫 ì�夫 繍夫 橋夫 渡夫 提失 塘長 守捷夫 浅夫 党挑夫掌印1i 鋳匠 鐙匠 1 4 0 2 13 222 23 5 2 42 2 4 1 2 47 2 4 8 2 86 2 9 8 3 4 4 363 36 4 36 5 366 367 368 369 37 0 37 1 372 373 37 4 37 5 376 377 37 8 3 80
4 0 9 4 10
ここまでは筆者の調査しえた「応氏六帖』諸本十本は同じである。
ところが静嘉堂本は第①グループの語をもたず、かわりに十六項目
をおさめる。この状況は静嘉堂本が途中から他の九本とはわかれ、
独自の道を歩んだ結果だと考えられる。
吋大明会典』の側からこの状況をみると、吋大明会典』は①1①の
いずれのグループにおいても出典として示されている。このことか
ら、『大明会典』は『応氏六帖』人品体調において数次にわたって資
料として用いられたということが明らかになる。
成長するテ キ スト『応氏六帖』
E
増補資料としての『大明会典』
さらに『応氏六帖』の他の筆での『大明会鼠〈』出自の語の状況を
みることとする。
釈属議の諸本での状況についてはすでに考察したことがある
…勺
『応氏六帖』の中では諸本によって項目数が極端に異なる議である。その項目数の異なりと出典との関係を考えてみる。
項間口数からみると諾本中静嘉堂本が七項自と最も少ない。示され
ている出典は吋老学庵筆記』・『訓蒙学会』・『春秋友伝』である。つ
ぎに、神宮
本
・早
大本・山田本の三本が十一
項1
十二項加えた状態
であるが、出典としては右の一一一本に加え、認開設日』・『荷農集』・吋一一一
国志』・『類書築要』
・ 『唐書』・『血ハ籍便覧』の六本が示されている。
『大明会地〈』の名はまだみえない。ところが清水本は釈属議に五十
瓦項を擁する。七項の静嘉堂本に比較すれば約八倍になっている。
清水本の第一・第二項目と各丁の字詰めの状況からみて(清水本に
は八行で書写されている了と十行の丁とがあり、ムi行詰は増補部分
であると考えられる) ド清水本ももとは静嘉堂本と同じように項目
数がかなり少なかったものを増補した結果、
現在のような正十五項 目になったと考えられる。
清水本の釈属議における
吋大明会典』は、
第一項 から第六項までの六項と、
「伯叔兄弟」・「従祖
兄弟い・「族姉
妹」
・「表兄弟」・「内兄弟」の五項との計十一
項に出典として示され
ている。この十一
項について諸本の状況
を一覧したものが表〈2〉
である。
凡 表例u "2
ヨ泌氏六帖』釈底築における『大明会典』出自の項目
清水本を
基準とし
、Oは項目有、
iは
項目無を表す。
高 大 嘉早 静 根 本 裳 父 ・ 本 母山田 多 本 和本 神宮 本
清水本・刈谷本無窮会本高祖父高祖母曾極父帰国援母祖父祖母
従祖兄弟 他叔兄弟
族姉妹表兄弟内兄弟以下は無務会本のみに存在堂姉妹極姑
族曾祖父母
曾祖王姑|
*ただ し長津本・
黒川本には
『大明会奥』註記がない 長調停本盟小川本0 0 0 0 0 0
01
清水本の増補項目を出典からみると、『酪雅』からのものがほと
んどで、『大開閉会血〈』がそれに次ぐ。『繭雅』を中心に増補をすすめ
ていくこの『応氏六帖』での姿勢は、東躍の吋釈親考』につながる
ものである。『大明会典』を多用する方法も『釈親考』に通じる。
同じ
東涯の著作である「釈親考』はその書名が示すとおり、『酪雅』
を中心とし吋大明会典』にもしばしば言及する
。そ
の意味で東躍に
おけるこのこ書の位置には注目すべきであろう。しかし、当面の問
題は司応氏六帖』でありそのゆの『大明会典』であるので、ここでは『釈親考』はひとまず措いておく。
釈属襲第一項はもともと静嘉堂本以下五本にみえるような「高祖
父母」のかたちであったとおもわれるが、清水本、刈谷本、無窮会
本、一悼文津本、
黒川本
ではそれが「高祖父」
・「高祖母」の二項に分割
され、第一・第二項となっている。そして長津
本
・黒川本を除く三
本で、この二項の註に出血ハとして示されているのが『溺雅』と吋大
明会典』なのである。長津本・黒川本は釈属議に七十項を収め、一
部は清水本と一致するが項目には出入りがあり、そのまま清水本の
延長上にあるとは考えにくい。
さきの人品築において、築のはじめにある『大明会典
』「
工部」
工一段の部分は人品議の基礎資料のひとつと考えられることを述べた
が、釈属築に関しては項目数の多い清水本・刈谷
本
・無窮会本で
『大明会典』は増補資料として使用されているとみることができる。
現註における引用蓄の増補
--E節において、項目そのものの増補についてみてきた。しか
し「応氏六帖』の各項目はそれぞ
れ、
見出し諾・傍訓・註からなっ いろいろなレヴェルでの異同がみられるのである。ここで
は註内部での増補をとりあげる。
清水本の人事議には四十六項に出典として『大明会奥』の名がみ
える。この四十六項を静嘉堂本でみると
、清
水本第二六三項以下は
静嘉堂本になく、項目そのものの重なりはわずか七項である。まず
このことに注目すべきであろう。つまりI節でみた第一一一グループと
問様の状況がこの人事築にもみられ、しかも共通部分の七項に対し
て一一一十九項が静嘉堂本には
ない、
増補部分に含まれているのであ
る。さらに注目すべきことに両者に共通する七項のうちの「糊競」「原慎」の註はつぎのようになっている。清水本・静嘉堂本の一託を
〈5)
上下に対照して示す。 ており、清水本静嘉堂本
〈大明律〉〈大明律!i/
会典工部||示衆〉
〈玉堂照依iil/
又会典依||量〉
右の二項では、清水本にある『大明会典』の出典註記(「会典工
部」
・「会典」)が静嘉堂本にはないのである。つまり静嘉堂本の側
からみれば、『大明
会典』を出典としてもつ共通の項目は
五、とい
うことになる。このように共通する項目でありながら引用書に出入
りがあるという状況は『応氏六帖』の他の議にもみられる。『大明
会血〈』に関して同じ状況を呈する他の筆の項目を次
に掲げる。
〕内
が静嘉堂本の註にない部分である。
宮室筆石篠〈郷箔石
長芯
正
門//又会典篠石〕〉
榔競 原債
〈向前照依ill〉
「一一1
石板||
成長する テ キ ストf応氏六帖』
〈〔会奥工部紅紗i一一一軒/〕
行厨集Il--皮灯角灯各従本名〉
〈門O会典工部iiii一一一割/〕
城上
懸紅111為応約続綱十九〉
ここで開題となるのは、項目そのものは清水本・静嘉堂本のどち
らにも存在するのに、出典として清水本には『大明会典』が示され、静嘉堂本には示されていないことをどのように考えるべきかという
ことである。つまりこの状況は、清水本が『大明会典』の名を出典として加えた、と見ることができると河時に、静嘉堂本が註文の一
部を省いた、あるいは写し損ねたというまったく逆の見方も可能な
のである。 器用筆
紗燈 紙燈
静嘉堂本と清水本とに共通する項目でありながら引用書に異なり
がある項目は、じつは司大明会典』以外に関してもみられる。そし
てそれらはおおむね、清水本には一不されるが静嘉堂本には示されな
いという傾向をみせる。それらの項目を筆を追って拾ってみると次
)内は静嘉堂本にはなく、清水本にみえる引用のようになる。(書である。
宮室護
人口問築 板橋(唐詩)
錠涯(郷談正音)
伍侶(無施録)
熟皮佳(雑学)
持関(集覧)
酷戸(唐)
関了(類書)等身(仏書) 門輸(雑字奨焦)医獣(柳文)皮匠(郷談正昔)漆匠(雑字)番頭(唐)城
主(通鍛)
宗兵(通鑑)
神鬼議 除残(血友一中郎)走解(彰公筆記)
迷蔵(山谷詩)刃背脚本(鏡古集)
振動(周礼)陽眠(宋書)
賞格(通鑑)肉笛(正字通)
大腿指(儀礼・・郷談正音)
食指(左伝・郷談正音)中指(儀礼・郷談正音)
無名指(孟子・郷談正音)耳糖(郷談正音)甲印(郷談正音)
癒菌(正字通)
木盤(通鑑)鳥銃(訓蒙字会)
嬰斗(訓蒙字会)
このように掲げてみると、これらの項自のほとんどが清水本の上
巻、第一帖i第一一一帖に含まれるものであることがわかる。器用議の
一二項とさきに掲げた二項をあわせた五項のみが清水本の下巻、第六
帖に含まれる項自である。そして清水本は二000語程度のいわば原初本から、主によ巻に増補を加えたものであることを筆者はすでに明らかにしている。 人事議身体護病病筆器用筆
右に掲げた各項の、
引用 書が清水本には
あるが瀞嘉堂本にはない、という状況はこの動きに対応しており、ある段階で加えられた
ものと考えてよいであろう。しかしその場合、註における『大明会
典』の位寵に疑問が残る。つまり
「糊競」
「原債」「石篠」のように
『大明会典』が後に置かれているならばあとから加えられたと考え
ることもできるが、「紗燈」「紙燈」のように前に置かれているもの
は、どこかで前後が逆転したと考えなければならないからである。しかし、「紙燭」は他の諸本、『大明会典』が後に置かれており、む
しろ清水本だけが異なっている。すると例外は「紗燈」だけ、ということになる。この一例についてはいまのところ説明できないが、
『行間集』からの項目がつづいている部分であり、『行厨集』の出典
註記がさきにあった可能性は高いと考える。
それでもなお、見出し語は共通して存在するが出典の注記がな
い、というこの状況を増補といえるのかという問題はある。しかし前稿でのべたように、『部氏六帖』において出典を示すことには単
にその語、がそこにあるという以上の積極的な意味があったと考えら
(6)
れるのであり、項目の増補とはまた別の、しかしやはりこれも増補であるとみることができる。
百『大明会典』の増補の方向
吋大明会血ハ』という引用書を中心に『応氏六帖』のいくつかの議
を分析してきた。まず人口問築において『大明会典』が吋応氏六帖』
編纂の基礎資料であったことを明らかにした。そして問時に人品筆
後半においては増補資料として使用されたことも判明した。釈属議においても『大明会典』は清水本をはじめとする数本で増補資料として使われている。さらに表〈1〉の『名物六帖』欄なみると、第①第②グループ(基礎資料の部分)と第③グループ(増補部分)の
項目とで『名物六帖』での当該項目の存否に大きな異なりのないこ
とがわかる。つまり東涯あるいは古義堂グループの意図の完成され
た姿として『名物六帖』をとらえ、それと対照させるとき、『応氏
六帖』
の増補は少なくとも吋大明会典』出自の項目に関する隈り『名
物六帖』と重なっていく。このことは『応氏六帖』内部での増補が東涯の意図に沿ったものであることを意味する。 ここで、清水本が増補するに至らなかった、下巻の器用箆の状況
をみておく。無窮会本を基準として清水本・静嘉堂本にはない項目
(つまり増補項目)を『名物六帖』と対照させたものがつぎの表で
ある。
『応氏六帖』無窮会本器用筆
塗金装綜界風
瀦金厨子
漉金文台漉金手箱
描金粉霞
描金筆匝
抹金銅提銚
灘金木銚角盤
貼金扇
蓋椴 サイシキノキンビヤウフ 『名物六帖』器財議
3・
却サイシキノ
キンベウフナシヂノダイス
4
・7
ナシ、ノダ
イス ナシヂノブンダ
イ
3・
MHナシ、ノブ
ンタイナシヂノテパコ4・5ナシ、ノテ
ハコマキエノコウハコ4・5マキエノテ
ハコマキエノフJアパコ
3 -mマキエノフ
一アハコ
メツキノチヤウシ
4
・口キンメツキ ノ一アフ
シ
ナシヂノツノタライ
4-n右ナシヂノ
ツノタラヒソウキンノアフキ5・日ソ・ワキンノ
アフキヲホヒノフロシキ5-m右オホヒノフロシキ
紅麻索Rなし
5 -mクレナヒナ 祷鼓瓶瓶集湯茶汁
4・
1シルツキシルツキ
チヤピン
4・叩チヤヒン
ユツキ
4・
1ユツキ
Rなし
3 -
M叩
キヨク ログ ノオホヒ 成長する テ キ スト『応氏六帖』臥 裏索坐 単 絹主工祷
フスマ5・
羽白
絹臥単あ フトン
Rなし
-} Qdト 、 t、 ヮ“一ノ ノ
ウラキヌり
皮箱
柳箱この表をみても、増補されている項尽と吋名物六帖』との一致率
は高いということができるであろう。しかしわずか二十一項のなか
に吋名物六帖』にはないものも存するのである。
すでに何度も指摘しているように、司応氏六帖』が発展してその
(8)
まま司名物六帖』になったのではない。主人明会典』にしても『名物六帖
』には可応氏六帖』の二僚をこえる項目に出典注記がみられる
ようになる。両者の聞には構成の上で根本的な相違が見られるし、
直接的な影響関係を考えることはむずかしい。にもかかわらず司大
明会典』という大部の書から選択された項自の重なりをみるとき、
この両者の関には同じ東涯の語蒐集への意闘が共通して存在すると
考えられるのである。
カハコ
4
・7カワッ
、ラ
ッ
、一ブ
A時A -miッ
、一フ
V 『応氏六帖』と吋訓蒙字会』
『応氏六帖』における引用書としてもうひとつ司訓蒙字会』をと
りあげてみたい。
司訓蒙字会』は『応氏六帖』清水本には九築五十七語に出典とし
て示されている。『訓蒙学会』はその「引」によれば
、嘉
靖六年(一五二七)に在世珍の手で成ったものである。東涯の『紀間小臆』第
五冊に『訓蒙字会』を抄出した部分、がある。
ちな
みにこの吋紀開小
臆い第五冊は吋大明会典』工部工匠名をぬきだした築でもあり、『応氏六帖』成立のかぎを握っていると考えられる。そこには次のように記されている。
字会上中下一一一巻嘉靖六
朝年
鮮(挿入符)〈折衝将軍
〉副
護軍握世珍著乙亥之秋天台山書議本借小河弘斎
右の「乙亥」は元禄八年
(一六九
五)であろう。
また、吋名物六帖』についての論考であるが、花房秀樹氏の「名
物六帖の
引用者一間籍に就いて」には次のようにあり、『訓曲家円子会』が
利用されていることの意義は尽くされている。史部地理類に載る朝鮮史略、三薗史記、経盟大典、海東諸堕記の四蓄は、十一を数へる朝鮮書籍の一部である。その中、軽部小屋場類の訓蒙字舎は、肉類の漢籍に劣らず利用せられてゐる。
紹述先生文集に、雑史類に録した懲比必録の、その後序が収めら
れてをり、他に朝鮮官職考等の畳一日のあるを見れば
、朝
鮮書籍に
謝する議書の方向が略々察せられる。(中略)この新知識は、
嘗時の中間研究者の義務として求められたのであり、朝鮮の研究が、その使節の来蒋について要請されたのと共に、社禽的な
意義をもってゐたのである。
『訓蒙字会』出自の一訪問について清水本を中心に一
覧したものが表
〈3
〉である。『大明会典』とは異なり、
項目の出入は少なく、『訓
蒙字会』が早い時期に資料として使われたものであることをうかが わせる。第孤鮪で注目した『応氏六帖』釈属議でも、静嘉堂本の七
項目中にすでに出典として一がされている。その中で注目されるのが
宮室譲である。清水本第一
一一一七項
「下馬
牌
」までは諸本ほぼ同じで
あるが、
静嘉堂本はこのあと他本には
ない
「地筈」
「来賓」の二項 を置いて議を終わる。他の諸本はこの二項とは別の項目を約四十収
める。
この約四十項の中に『訓蒙字会』出自の語が六項含まれてい
る(表〈3
〉の
「傍」以下の六項)
。つ
まり、
さきほど人品築でみ た第③グルiプと同様の状況がこの宮室議にもみられるのである。
静嘉堂本は
「下 馬牌」までと同じ調子で
「地窓口」
「来賓
」の一
一項
を掲載しており、
何らかの事情で議の途中で書写を中断したとは考
えにくい。また、清水本は
「下馬牌」の次に
「井幹」をおいて第十
七丁が終わり、
第十 八γからは増補であることを示す十行詰で警か
れてい
お
←つまり「下馬牌」までが『応氏六帖』宮室譲の初期の姿、その後ろは増補部分と考えられるのである。
そして『訓蒙字会』は
そのどち
らにも出典として示されている。『訓蒙字会』の本
文の体
裁にもよるのであろうが
、司
大明会典』よりも議ごとの扱いが安定
している。
さて、東渡の吋紀開小騎』第五冊には先述のように吋訓蒙字会』
を抄出した部分があり、九十項余りを載せている。『応氏六帖』清
水本の『訓蒙学会』を出血〈とする五十七語は、宮室体調の増補部分にある項目、『訓蒙{子会』を出典として加えている項目(班で掲げた
表3
『応氏六帖』における『訓磯字会』出頭の項目 一覧
明訓蒙字会』本文
埠〈浮頭互市鹿俗呼||t〉勝〈俗呼|風〉厩〈俗呼馬一房一〉緩〈俗呼馬槽〉抑八俗呼出刷機〉図〈俗又呼浄一男〉図〈俗又呼東一司〉
出榔八俗呼後橋〉関〈門中立石俗呼門激〉務〈大日俗称掛小田告示又板i〉批〈俗呼差|又上司以公事題子下司文尾臼〉郭〈俗称羅城〉激〈高堆也俗呼矧牽回船j〉函八俗呼娼又呼街洞〉餓〈竹障俗称亮i〉倫〈即駁!俗称芳子牙人〉
商〈行者自|俗称策郎宛〉資〈坐者自|俗称錦家鏑一戸打家〉
媒〈俗呼男回i人〉灼〈女臼媒婆総称中人〉盲〈或尊者日先生〉工〈俗称作的〉妓〈俗称作繁之妓臼部約〉妾〈俗称小娘子〉狂〈俗呼風子又日開削漢〉 『応氏六帖』清水本
7 6 19 宮地 埠頭フナツキ勝風ハブ馬一房一ムマヤ馬槽ムマフ子馬権トツナキ浄一房カワヤ開閉カハヤ東一司陸棚カハヤノヲケ門域タテツケノイシ傍セイサツ
8 141 65 6 4 62 61 60 9 142
批ウラハン 山出
縫城ソウクルワ
旧
焔激モノミ
出
焔街ケムリダシ
悶 却矧牙子牙人スハイ 倫スハイ口問抑 竹障セウジ m
貨郎旧んコマモノウリ
m
鋪家ミセウリ
出 mm媒婆中人 口問町媒人ナカタチ 鋪一戸ミセウリ 問
先土ザトウ
制
作工的サイクニン
捌
弾的シラヒヤウシ
加
抑制問問子風漢モノクルヒ 小娘子ソハメ 『名物六帖』 静嘉堂本/
0000000
地上叩宮下M守口下M守口下M宮下孔
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