一、はじめに
『万葉集』には「挽歌」という分類項目がある。
「挽歌」は一般的に、「三大部立の一つ。人の死を悼み悲しむ内容の歌を分類したもの (1)」と説明されている。
しかし、実際に『万葉集』の「挽歌」に収載された歌を読むと、そうした言説に違和感を抱く。それでは、「挽歌」とは一体どのような表現内容の歌を指すのであろうか。
「挽歌」の表現内容を基に分類を行い、
類型をまとめる。そして、『万葉集』の「挽歌」が「死を悼み悲しむ内容」と簡単には言い切れないと結論する。
二、挽歌の定義について
ジャンルとしての『万葉集』の「挽歌」(以下、〈万葉挽歌〉と表記)は、『文選』の「挽歌」および「挽歌詩」(以下、〈文選挽歌詩〉と表記)の詩体に由来すると考えられている (2)。〈文選挽歌詩〉は、 「送葬の歌。ひつぎの車を挽きつつ歌われることから (3)」名づけられた。それに対して、〈万葉挽歌〉は、「実は葬送の作には限られていず、死に関わる歌を広く含ん」でいるのだと説明される (4)。〈文選挽歌〉が、死者の立場から、葬送の様子を描写する内容であるのに対して、〈万葉挽歌〉の内容は、死に関わる様相を、さまざまに詠んだ歌とまとめられる。また、〈万葉挽歌〉の特徴的な表現から、伊藤博は「偲びの精神を貫流せしめる」「偲びの歌 (5)」という総括的解釈を導いた。 したがって、〈万葉挽歌〉が、生者の立場から、悲しみや偲びの心情を詠んだ歌だとすると、その心情を表す表現が多数あるはずである。たとえば、「苦し」「さぶし」「悲し」という情緒的な心情のあり様を表す語を、二三九首ある〈万葉挽歌〉から探してみる。しかし、それぞれ「苦し」五件、「さぶし」五件、「悲し」十二件しかない。『万葉集』全体では、「苦し」六十六件、「さぶし」二十四件、「悲し」九十六件ある。いずれも三分の一以下の件数しか、用例が検出されない。 挽歌のまなざし
平 林 信 和(国文学専攻博士後期課程一年)
また、「死」という語は、死に関わる〈万葉挽歌〉にとって重要な語であり、相当数の用例があると予想できる。ところが、『万葉集』全体では、六十九首に見出すことができるが、〈万葉挽歌〉では、わずかに二件しかない。それも、一般的な見解や理念としての意味でしか用いられない。さらに、「偲び」という語も、「挽歌」から抽出すると、死者を偲ぶよすがとなる代替事物とともに詠まれている。そして、「偲び」という表現も、挽歌を包括するような件数がない。
つまり、一般的な「死を悼み悲しむ内容」の歌という理解や、伊藤の「偲びの歌」とする解釈は、早計だと考える。そのように読まざるをえないのは、従来の挽歌論における研究対象が、巻二
・ 三に
集中して、〈万葉挽歌〉における表現内容の全貌を見渡せなかったためであろう。
たとえば、「死を悼み悲しむ内容」という解釈に対して、〈万葉挽歌〉冒頭に配された「有間皇子の自ら傷みて松の枝を結びし歌二首」の表現には、違和感を抱かざるをえない。挽歌に配列されているにもかかわらず、歌の表現から考えると、旅の歌ではないかと思わせる。その点を、古橋信孝が論じている。
旅の歌が挽歌にされた。ということは、それ以前に挽歌はなかったということになる。しかし、死の歌はなかったはずはない。ここから導けるのは、挽歌は特殊な死、異常死の歌だったとい うことである (6)。
つまり、〈万葉挽歌〉とは、『万葉集』の段階ではじめて文学史上に登場したのである。一方で、〈文選挽歌詩〉のはじまりに位置づけられている、「薤露」「蒿里」という二首の詩がある。この二首も、異常死者に対する詩であった。斉王の田横が、高祖に仕える韓信に敗れて尸郷で自殺した時、従者がひつぎを挽きつつ歌ったというエピソードがある (7)。
しかし、古橋が異常死者について分析したのは、『万葉集』巻二
・
三に限定されており、そのほかの巻における「挽歌」は対象外となっている。対象外となった巻は、巻五
・ 七
・ 九
三 ・ 十
四 ・ 十
五 ・ 十
・
十九である。これらの巻には、部立てによる分類の「挽歌」と、題詞による分類の「挽歌」が収載されている。
ところが、〈万葉挽歌〉の研究において議論の中心に位置するのは、成立論や和歌史論である。こうした研究では、基本的に巻二
・
三の歌が取り上げられる。
そのため、〈万葉挽歌〉全体の表現を分類し、表現内容を分析したりする試みは少ない。なぜなら、これまでの『万葉集』の研究では、内容の分類や類型としての総括といった課題は、題詞や左注の説明する詠歌事情が前提とされてきたためである。その結果、表現の問題は、歴史的人物の個別的営為に変換されてしまう。しかし、積極
的に表現から論じること自体、『万葉集』というテクストを考える上で、非常に重要な課題であると考える (8)。
したがって本稿では、まず、歌の歴史的事情を一時的に排して、表現にこだわって分析を行う。
先ほど引用した古橋の指摘を踏まえれば、〈万葉挽歌〉の歌は、『万葉集』以前には、「挽歌」ではなかった。『万葉集』に収載されたことで、「挽歌」としての位置づけを持つに至ったのである。
したがって、「挽歌」という配列が行われるためには、モチーフの表現類型があると考える。「挽歌」という位置づけに適う表現内容のあり方を俯瞰した時、〈万葉挽歌〉とはどのような歌なのか、という全体像が把握できる。
三、死者に関する表現内容の分類
〈万葉挽歌〉から、
死者について描写する表現を抽出し、六パターンに分類した。六パターンは以下の名称である。
①〈平臥表現〉②〈安置表現〉③〈形象表現〉④〈鎮座表現〉⑤〈伝聞表現〉⑥〈形見表現〉
次に、右に示した六つの分類から、内容の共通点と、表現について説明をしたい。「挽歌」の引用は、岩波書店の『新日本古典文学大 系 万葉集一~四 (9)』に拠った。また、引用に際し、必要な表現以外は「……」によって省略した。①〈平臥表現〉……枕になして、荒床にころ臥す君が…… (二
・ 二二〇)
……枕とまきて寝 なせる君かも (二
・ 二二二)
……鴨山の岩根しまける我をかも…… (二
・ 二二三)
……枕に置き我ここにありと誰か告げけむ…… (二
・ 二二六)
……沈みにし妹が姿を…… (二
・ 二二九)
……旅に臥やせる…… (三
・ 四一五)
……旅の宿りに、誰が夫か…… (三
・ 四二六)
……黒髪は、吉野の川の沖になづさふ (三
・ 四三〇)
……うちなびき臥やしぬれ…… (五
・ 七九四)
……ますらをの行きのまにまにここに臥やせる
(九
……奥つ城に妹が臥やせる……(九 八〇〇) ・ 一
・ 一八〇七)
……荒磯をまきて臥せる君かも (十三
・ 三三四一)
浦 うら潭 ぶちに臥したる君を…… (十三
・ 三三四二)
……臥したる君が家道知らずも (十三
・ 三三四三)
……岩が根の荒き島根に宿りする君 (十五
・ 三六八八)
岩田野に宿りする君…… (十五
・ 三六八九)
……露霜の寒き山辺に、宿りせるらむ (十五
・ 三六九一)
黄葉の散りなむ山に宿りぬる…… (十五
・ 三六九三)
以上、十六首の表現は、旅路に倒れ伏した死者の描写である。「臥す」「寝る」「宿る」という内容がある。旅路に倒れ伏した死者を詠む一方で、家に待つ妻や妹を想定する表現が多くある。そのため、家との関係は、旅の内容を持つ歌には、構造的なつながりがある。詠み手は、倒れ伏した死者へまなざしを向けている。
②〈安置表現〉……妹を置きて山道を行けば…… (二
・ 二一二)
……妹を置きて山道思ふに…… (二
・ 二一五)
……君を置きて思ひつつあれば…… (二
・ 二二七)
……送り置きて帰へらふ見れば…… (九
・ 一八〇六)
以上、四首の表現は、山野に置いて行く死者の描写である。「置く」というのは、死体であろう。生者が、険しい山野に死体を置くことを考えると、葬送の一場面であろう。詠み手は、置いていってしまう死者へまなざしを向けている。
③〈形象表現〉……長き命を、露こそば朝に置きて夕は消ゆといへ、霧こそば夕に立ちて朝は失すといへ……朝露のごと、夕霧のごと
(二
・ 二一七)
……いさよふ雲は妹にかもあらむ (三
・ 四二八)
……出雲の児らは霧なれや…… (三
・ 四二九)
……浜松の上に雲にたなびく (三
・ 四四四)
……珠に拾ひつ (七
・ 一四〇四)
……朝、撒きし君が思ほえて…… (七
・ 一四〇五)
……たなびく雲は妹にかもあらむ (七
・ 一四〇七)
……妹は玉かも…… (七
・ 一四一五)
……妹は花かも…… (七
・ 一四一六)
……白たへにかかれる雲は皇子にかも (十三
・ 三三二五)
……人は花物ぞ、うつせみ世人 (十三
・ 三三三二)
以上、十一首の表現は、儚い形象としての死者の描写である。「露」「霧」「雲」「珠(玉)」「花」という形象として、死者を詠んでいる。このような内容は、儚い存在の形象である。詠み手は、儚い存在としての死者へまなざしを向けている。
④〈鎮座表現〉……恐きや御 み陵 はか仕ふる、山科の鏡の山に…… (二
・ 一五五)
……つれもなき真弓の岡に宮柱太敷きいまし、みあらかを高知りまして…… (二
・ 一六七)
……百済の原ゆ、神葬り 葬りいませて、(あさもよし)城上の宮を、常宮と高くしまつりて、神ながらしづまりましぬ……
(二
・ 一九九)
……天つ宮に、神ながら神といませば…… (二
・ 二〇四)
……豊国の鏡の山を宮と定むる (三
・ 四一七)
以上、五首の表現は、鎮まる土地を選び、陵墓に鎮まった死者の描写である。「しずまる」「います」場としての「山」「宮」という内容がある。なぜ鎮まってしまったのかという嘆きや、奉仕を捧げる様子を詠む表現が多く、貴人を対象としている表現であろう。詠み手は死者に代わる陵墓へまなざしを向けている。
⑤〈伝聞表現〉……渡る日の暮れぬるがごと、照る月の雲隠るごと、(沖つ藻の)なびきし妹は、(黄葉の)過ぎて去にきと、(玉梓の)使ひの言へば…… (二
・ 二〇七)
……恋ふれども逢ふよしをなみ、(大鳥の)羽易の山に、我が恋ふる妹はいますと人の言へば…… (二
・ 二一〇)
……石川の峡に交じりてありといはずやも (二
・ 二二四)
……我ここにありと誰か告げけむ (二
・ 二二六)
……我に語らく、なにしかももとなとぶらふ、聞けば音のみし泣かゆ、語れば心そ痛き。天皇の神の皇子の出でましの、手 た火 ひの光そ、ここだ照りたる (二
・ 二三〇)
(なゆ竹の)とをよる皇子、さにつらふわが大君は、(こもりく の)泊瀬の山に神さびに斎きいますと、(玉梓の)人そ言ひつる…… (三
・ 四二〇)
……高山のいはほの上に君が臥やせる (三
・ 四二一)
……葛飾の真間の手児名が奥つ城をこことは聞けど……
(三
・ 四三一)
……人にも告げむ。葛飾の真間の手児名が奥つ城処 (三
……(こもりくの)泊瀬の山に廬りせりといふ(七 三二) ・ 四
・ 一四〇八)
……行きし君、いつ来まさむと、占置きて斎ひ渡るに、狂 たは言 ことか人の言ひつる。(我が心)筑紫の山の黄葉の散りて過ぎぬと、君がただかを (十三
・ 三三三三)
狂言か人の言ひつる…… (十三
・ 三三三四)
……(黄葉の)過ぎて去にきと、(玉梓の)使ひの言へば……
(十三
・ 三三四四)
……我に語らく、はしきよし、君はこのころうらさびて嘆かひいます。世の中の憂けく辛けく、咲く花も時にうつろふ、うつせみも常なくありけり。(たらちねの)御母の命、なにしかも、時しはあらむを、(まそ鏡)見れども飽かず、(玉の緒の)惜しき盛りに、立つ霧の失せぬるごとく、置く露の消えぬるがごとく、玉藻なすなびき臥い伏し、行く水の留めもえぬと…… (十九
・ 四二一四)
……君が嘆くと聞きつれば…… (十九
・ 四二一五)
以上、十五首の表現は、どこに死者がいるか、死者はどうなっ
たか、を伝え聞く内容を描写する。直接話法で問答をする場合もあるが、使いによりもたらされる知らせもある。続く伝言を信じられないという態度を強調すると考えられる。詠み手は、死者がいないことに自覚的であり、いないことがなぜなのか、理解する要因として、伝聞の内容が語られる。伝聞の言葉は、「死者」が永久にいなくなることを明示するとともに、どこへいるのかを示す。そのため、詠み手は、伝聞内容を伝える者へまなざしを向けている。
⑥〈形見表現〉……そこゆゑにせむすべ知れや、音のみも名のみも絶えず、(天地の)いや遠長く、偲ひ行かむ。御名にかかせる明日香川、万代までにはしきやし、我が大君の形見にここを (二
・ 一九六)
……我妹子が形見に置けるみどり子の (二
・ 二一〇)
……石川に雲立ち渡れ、見つつ偲はむ (二
・ 二二五)
……君が形見に見つつ偲はむ (二
・ 二三三)
秋さらば見つつしのへと、妹が植ゑし、やどのなでしこ……
(三
・ 四六四)
……秋風寒み、偲ひつるかも (三
・ 四六五)
佐保山にたなびく霞見るごとに妹を思ひ出で…… (三
・ 四七三)
……我妹子が奥つ城と今、愛しき佐保山 (三
・ 四七四)
……我妹子が入りにし山を、よすかとぞ思ふ (三
・ 四八一)
……山をや今は、よすかと思はむ (三
・ 四八二)
……形見とそ来し (九
・ 一七九七)
……親族どちい行き集ひ、永き代に標にせむと、遠き代に語り継がむと処女墓中に造り置き、壮士墓このもかのもに造り置ける……
(九
・ 一八〇九)
……大御袖の行き触れし松を、言問はぬ木にはありとも、(あらたまの)立つ月ごとに、天の原振りさけ見つつ、(玉だすき)かけて偲はな (十三
・ 三三二四)
……この九月を、わが背子が偲ひにせよと、千代にも偲ひわたれと、万代に語り継がへと始めてしこの九月の……
(十三
・ 三三二九)
以上、十四首の表現は、死者の存在を思い出すような事物を描写する。「形見」「よすが」として、「山」や「入り江」などの光景もある。光景から、思い起こされる死者と共有した時間についての内容である。詠み手は、死者との関係をつなげていた事物へまなざしを向けている。
①は、死者が倒れ伏した状況を描写しており、詠み手の〈まなざし〉が「死者」へむかっているとわかる。②は、置いていかれる「死者」へ〈まなざし〉が向けられている歌である。③は、儚い死者の
形象が表現の中心であるので、「死者」へ〈まなざし〉が向けられている。④では、死者が鎮まる場所という、「代替事物」へ〈まなざし〉が向けられている。⑤では、〈まなざし〉は、「死者」の「代替事物」としての伝達内容へと向かっている。⑥は、「代替事物」としての形見へ〈まなざし〉が向けられている。〈まなざし〉は、ある内容を描写した表現の類型である。それぞれの内容と類型を次にまとめる。
①儚いものとして見る死者という内容②倒れ伏した死者という内容 「死者」への〈まなざし〉③生者が別れる死者という内容④死者の鎮まる地という内容 「代替事物」への⑤言伝による死者という内容 〈まなざし〉⑥死者を偲ぶ事物という内容
「死者」に対する視線は、①②③の表現に顕著であり、
「死者」へ向かう〈まなざし〉から詠まれている、計二十五首である。④⑤⑥は「代替事物」へ向かう〈まなざし〉から詠まれている、計三十三首である。この二つの〈まなざし〉は、死者を対象として詠む、生者の立場による表現と考える。
次に、いなくなったものとしての死者の表現について、まとめる。 四、「不在」である死者の表現
ネリー
・ ナウマンが、死者にまつわる表現の分析から、その本質
に言及しており、死者に対する認識態度として重要な指摘である。すなわち、「死者は」「行き過ぎた人で」、「過ぎ去った人であり」、「別れた人」であると、ナウマンは捉えている。さらに、死者の本質とは、「存在しない人間」であるとする )(1
(。たしかに、そのような死者が過ぎ去った人であることの表現は、非常に多くの用例を検出できる。〈万葉挽歌〉の表現の特徴として、死者が過ぎ去る内容や、別れる内容は、重要な問題である。
しかし、挽歌全体から考えた場合、ナウマンの指摘した、「存在しない人間」の表現は、「行き過ぎた人」、「過ぎ去った人」、「別れた人」という内容だけではない。〈万葉挽歌〉から、不在となった死者についてまとめる。
A、〈待ち恋うという表現〉……目には見れども、ただに逢はぬかも (二
・ 一四八)
うつせみし神に堪へねば…… (二
・ 一五〇)
……待ちか恋ふらむ、志賀の唐崎 (二
・ 一五二)
……旅寝かもする、逢はぬ君ゆゑ (二
・ 一九四)
……またも逢はめやも (二
・ 一九五)
⎭⎬⎫
⎭⎬⎫
……日月も知らず恋ひわたるかも (二
・ 二〇〇)
……君があるくに、似る人も逢へや (三
・ 四二五)
君に恋ひ、いたもすべなみ…… (三
・ 四五六)
……今また更に逢ふよしをなみ (三
・ 四八三)
……待てど来まさず (七
・ 一四〇九)
別れてもまたも逢ふべく思ほえば…… (九
・ 一八〇五)
……またも逢はぬものは妻にしありけり (十三
・ 三三三〇)
……来むと待ちけむ人の悲しさ (十三
・ 三三三七)
……来むと待つらむ人の悲しさ (十三
・ 三三四〇)
以上、十四首の表現は、死者を待ち恋う、逢いたいという内容を描写する。しかし、死者と再会することはないため、永久的に逢えないこと、待っても甲斐がないことの表現となる。一四八歌では、「目には見れども」という表現があり、一般的に、見えるのは霊魂の状態であり、「ただに逢はぬかも」は肉体的に接近した逢瀬が出来なくなった状態をいうと解釈されている。また、Aにおいて、見えたことの表現が付随するのは、一四八歌のみである。そして、Aの表現に共通するのは、待っても来ない死者を、それでも待つという状況である。
したがって、再会が叶わないにもかかわらず待つ、という状況には、死者が不在であることへの、詠み手の〈まなざし〉がある。 B、〈忘れないという表現〉……影に見えつつ、忘らえぬかも (二
・ 一四九)
……我が大君の御名忘れせぬ…… (二
・ 一九八)
……思ひ過ぐべき君にあらなくに (三
・ 四二二)
……相見し妹は忘らえめやも (三
・ 四四七)
以上、四首の表現は、死者を忘れないという内容を描写する。一四九歌の表現では、「影に見つつ」という表現が付随するが、この影は、実体的なものではなく、幻想的に捉えた死者の姿として解釈される。このほか、姿のこと以外にも、一九八歌では、「御名忘れせぬ」という表現で、死者の名を忘れないことをいう。つまり、死者が不在であることへの、詠み手の〈まなざし〉がある。
C、〈とどめたかったという表現〉かからむとかねて知りせば…… (二
・ 一五一)
……おほに見しくは、今ぞ悔しき (二
・ 二一九)
出でて行く道知らませば…… (三
・ 四六八)
……そがひに寝 ねしく今し悔しも (七
・ 一四一二)
……この旅の日に妻放くべしや (十三
・ 三三四六)
……この旅の日に妻離かり…… (十三
・ 三三四七)
……そがひに寝 ねしく、今し悔しも (十四
・ 三五七七)
以上、七首は、死者が去ることを知っていたならとどめたかっ
たという内容を描写する。時間的な立場は、常に過去を振り返るという状況にある。一五一歌「かねて知りせば」や、四六八歌「道知らませば」のように、逆接的表現を踏まえて、とどめられなかったことの表現となっている。また、二一九歌「今ぞ悔しき」のように、心情の表現によって、とどめられなかった事実と、とどめたかったという後悔の連関がある。このような、とどめられなかったものとしてある、死者の不在への、詠み手の〈まなざし〉がある。
D、〈去ってしまったという表現〉……白たへの天領巾隠り、鳥じもの朝立ちい行きて、入日なす隠りにしかば…… (二
・ 二一三)
楽浪の志賀津の児らが、罷り道の…… (二
・ 二一八)
……雲隠りなむ (三
・ 四一六)
……隠りにけらし…… (三
・ 四一八)
……すべの知らなく (三
・ 四一九)
……高山のいはほの上に、いませつるかも (三
・ 四二〇)
……過ぎにし人に…… (三
・ 四二七)
……玉藻刈りけむ手児名し思ほゆ (三
・ 四三三)
……なき人思へば…… (三
・ 四三四)
……雲隠ります (三
・ 四四一)
……朝夕にありつる君は、いかさまに思ひいませか、(うつせみの)惜しきこの世を、(露霜の)置きて去にけむ、時にあらずして
(三
・ 四四三)
……言だに告げず、去にし君かも (三
・ 四四五)
……栄えし君のいましせば…… (三
・ 四五四)
……山辺をさして、夕闇と隠りましぬれ…… (三
・ 四六〇)
……家ゆは出でて、雲隠りにき (三
・ 四六一)
……過ぎにし人の思ほゆらくに (三
・ 四六三)
……借れる身にあれば、露霜の消ぬるがごとく、(あしひきの)山道をさして、入日なす隠りにしかば…… (三
・ 四六六)
……い行く我妹か、みどり子を置きて (三
・ 四六七)
かくのみにありけるものを…… (三
・ 四七〇)
……留めかね、山隠しつれ…… (三
・ 四七一)
……散りぬるごとき、わが大君かも (三
・ 四七七)
……かくのみからに…… (五
・ 七九六)
……かく知らませば…… (五
・ 七九七)
……なき人思ほゆ (七
・ 一四〇六)
……過ぎにし児らと…… (九
・ 一七九六)
……過ぎにし妹が…… (九
・ 一七九七)
……遠つ国黄泉の界に、(延ふつたの)己が向き向き、(天雲の)別れし行けば……つれもなき城上の宮に大殿を仕え奉りて、殿隠
り隠りいませば…… (十三
・ 三三二六)
……またも逢はぬものは妻にしありけり (十三
・ 三三三〇)
……山隠れぬる (十五
・ 三六九二)
新 しら羅 きへか、家にか帰る。(壱岐の島)行かむたどきも思ひかねつも
(十五
・ 三六九六)
以上、三十首は、死者がすでに去ってしまったという内容を描写する。ナウマンの分析した、死者についての特徴的な挽歌の表現は、このDに分類できる。四三四歌「なき人思へば」や、四六三歌「過ぎにし人の」などのように、死者がすでに行き過ぎたこと、共有した時間に対して不在であることの表現となっている。また、四四一歌「雲隠ります」などの、「隠れる」という表現は、貴人に用いられる死の婉曲表現であるが、「雲」のほか、四六〇歌の「夕闇」や四七一歌の「山」など、隠れる様と隠すものが、ともに表現される。
したがって、すでに、時間を共有した存在ではなくなってしまったものとしての、不在の死者への、詠み手の〈まなざし〉がある。
E、〈直接的な不在の表現〉……君もあらなくに (二
・ 一五四)
……君いまさずとも (二
・ 一七二)
……見る人なしに (二
・ 二三一)
……我が手枕を、まく人あらめや (三
・ 四三八)
……見し人そなき (三
・ 四四六)
人もなき空しき家は…… (三
・ 四五一)
……栄えし君のいましせば…… (三
・ 四五四)
……君しまさねば…… (三
・ 四五七)
……君なしにして (三
・ 四五八)
薦枕相まきし児もあらばこそ…… (七
・ 一四一四)
以上、十首は、直接的な表現として、死者がいないという内容を描写する。Eにおける死者は、ほとんどが「君」である。「います」というのは、貴人に用いられる語であり、四三八歌「まく人あらめや」や、四五一歌「人もなき」のように、貴人でない場合、人がいないことの表現となっている。もちろん、この場合の「人」は、身近な死者であり、例にあげた四三八歌、四五一歌を含め、「人」の表現を持つ四首は、妻のことである。このように、直接的な表現から、死者の不在への、詠み手の〈まなざし〉がある。
F、〈間接的な不在の表現〉……我が泣く涙、やむ時もなし (二
・ 一七七)
……流るる涙、止めそかねつる (二
・ 一七八)
……栄えむと思ひてありし我し悲しも (二
・ 一八三)
……昨日も今日も召す言もなし (二
・ 一八四)