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古代和歌における挽歌についての一考察 : 主として挽歌の推移について

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(1)Title. 古代和歌における挽歌についての一考察 : 主として挽歌の推移について. Author(s). 土田, 知雄; 石山, 宗晏. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. A, 人文科学編, 20(1): 29-39. Issue Date. 1969-07. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/3953. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 第 20 巻 第 1 号. 北海道教育大学紀要 (第一部A). 昭和44年7月. 古代和歌における挽歌についての一考察 -- 主と して挽歌の推移につ いて -- 土 田 知 雄◎石 山 宗 曇 北海道教育大学旭川分校国文学研究室. Chikao TSUO日工DA, M[uneharu 1S丑工YAMA; A Study on the Dirges i n the Ancient Japanese Sengs. ia 一-- Bs l l pec y on their transition -. 目. 次. 工 考察の視点 亘 記紀歌謡期の挽歌的素 因 ローA, 1 1-B m 長歌形式による展開. m-A, 皿-B. W 長歌形式からの柔離 V 結. び. 本論で言う古代和歌および挽歌とは, 記紀歌謡期の歌謡と万葉集所収の諸作品を指すものであ り, 古今和歌集に分類を見る哀傷歌の類を含まないものとする。 従って, 文学史的時代区分の観 点からするならば誤解を生じるかもしれないので, 便宜上万葉期をもっ て時代的な下限とすると こ ろ の 呼 称 を 意 図 し て い る。. 周知のことながら挽歌の名称は中国詩賦の影響下に生まれ, 漢土の知識と本邦の習俗とが習合 し た と こ ろ に 生 じ た も の で あ る こ と は 疑 い あ る ま い。 万 葉 集 に お い て 明 ら か な ごと. 詠嘆的・. 衝動 的内容の緊密なものに絶唱的汗情の質を見ることができる。 しかし, その内容や制作過程は 極めて複雑多岐にわたっていることが認められるし, 用いた詩型や構想においては時代的な差異 が認め られる. その発想が極めて特異な状況に支え られているとは言え主体的な拝情詩を定着さ せ助長した側面も注目されよう. 本論では広く死に際会して死者の霊を慰め, 悼むために詠出された歌を挽歌として捉え, 主と して集団的諏詠性に立脚していた挽歌の諸作が 個性的な汗情性を定着さ せるに至る過程と発想の 推移について, 若干の考察を試みることとしたい。. 記紀歌謡はそれ自体集団詠出的な特徴を有するものであるが, 死に関連する歌謡については, その背景を《遊び》の場 --鎮魂歌舞および鎮魂儀礼の場な どに想像の視点をむ けることが可能 -2 9-.

(3) . 土田知雄・石山宗髪. であろう。 折口信夫氏によれ ば, 招魂歌 (こひ歌) -生者, 死者に共通の意識を保有した時の歌 ) と説明さ れている が, 挽歌的発 想の推移は直接, 間接に死 がこの国の詩歌の歴史の中で あった1 生観の推移にかかわっていたこと が考え られる。 以下, 集団表象 的な意識に支え られ挽歌の創作 的礎地に 幾分でも影響を与えたと推 定される記 紀歌謡について私見を述 べる。 5~3鰍について見ると, 記の詞章には 「御陵を作りて, やがて其 倭建の命の后たちの御歌, 記3 地の煩き田に同旬ひ廻りて, 要しつつ歌ひたまひ しく」 とあり, 葬礼に集う泣女の裏声を背後に 思い浮べる ことができる。 しかし, ただちに同旬の 場を想定して歌謡群を検するか否かについて ) は異論 がある2 。 その歌謡観において大別するならば汗情詩観に捉わ れた印象批評的な立場と民 俗学を補助として民謡と の比較研究の立場に立つ実証的歌謡観とであろう。 筆者はそのい ずれに ついても述 べる余 裕を持たないが, 詞章も歌謡も (単に挿入さ れているに過ぎないとされる 場合 においても) 記紀の記述された思惟的, 意志的な面を 尊重したいと思う。 故に倭建の伝詞 が一部 族によ って担われたものとしても, 挿入された歌謡群が歌垣の場で集団 的に詠唱された歌謡の断 片と推定されながら, なお混然と物語の 重要な叙事性に寄 与している力を無視できない。 その巧 級な記述者の力量のか げに習俗が濃厚に息 づいていることを 考えなくてはなるまい。 5) 煩きの 田の 稲幹に 稲幹に 蔓ひ廻ろふ 薩葛 (記3 歌詞について見ると三四句の畳用 は唱い物的な調子を帯び五六 句にいた って, 稲幹にからみつ つ ある蕪 蔦の如く哀果している后たちの姿を想像せしめようとする意図が感じられる。 植物の形 命的に表 現しえたのは, おそらく耕〉作民の集落に 状をもって, 死を悼む叙事詩 中の人々の姿を比= おける芸能人の演出を極めて効果 的にさせたものと思われる。 52 3 ) 道の辺の荊の末にはほ 豆のからまる君を離れ か行かむ (万巻20-4 との類似は夙に指摘されていると ころではあるが, このように序詞に定着する以前に嘱目的詠出 が生活体験と密接に連なっ ていたこと が知 られるので ある。 5~3 8の四首の 歌詞そのものは 葬歌としての性格が稀薄である 土橋寛氏 が指摘されるように記3 ) 物語化されたイメ ージが葬送歌としての効果を発揮していると言えよう。 霊魂が鳥に化する が3 とする死 後の表現は古代人の共通した 思惟の表出として注目され, 白鳥を追い慕う現実の人々の 哀切極まりない有様を劇的に止揚している。 記36 , 「海が行けば 腰なづむ」 などの歌詞は古代人の生 , 37に見 られる 「浅小竹原 腰煩む」 活経験の中での難渋に関連した生成過程を推測できるも のであり 演劇的所作を背後に感じさせる ) で あ ろ う4 。. 1(木梨軽太子の物語に 付随する歌謡) について見ると, その全体的特徴は対句表現に 次に記9 よる葬送儀式の比職的表現である。 後段のみを切り離し て見ると挽歌的要素よりは相聞的な力 強 さを持つ。 しかし, 先学の指摘されるよ うにこの歌謡に付された読歌, 即ち嘉み歌の要素は濃厚 ) であって結句は国讃め歌の定式を踏んでいることは明確 である5 。 しかし, 仮に億傷師の演出す 6 ) による場を想定するな らば, この悲劇における 終幕において 「真 る 木偶 (きなし= 木梨=木成) 吾が思ふ妹」 , 「鏡なす 吾が思ふ妻」 の部分は重畳ではな かったであろう. また, 初句 から 「真玉を掛け」 までの表現は, 嘱目的発想に支え られた序詞的役割りをなす部分で あり, 真 玉を引き出すまでのこの部分が死を暗示し聴衆をし て不安と哀しみに誘ったであろう。 玉なす. いずれにせよ物語化された歌謡の特徴は歌垣な どの場で醸成され, その傑出したものが組み入 悲劇に ) れられたことは明確 である7 。 ここで注目されるのは英雄 調であれ, 情史的物語であれ, 0- -3.

(4) . 古代和歌における挽歌についての一考察. あっての常套的手法として, 登場人物の流離状態および結末を死に導くことがとられていること であり, その終局に至る際に古代人の共通した死後の思惟と習俗, 悲哀感を無視して はいない事 実である。 記86は天田振, 最後のものであるが 天飛ぶ. 鳥も使ぞ. 鶴が音の. 聞えむ時は. 吾が名問はさね (記86). の発想的基盤は霊魂の運搬をなす鳥--白鳥--鶴とする思惟であり, 「ここに八尋白智鳥にな りて, 天に期りて……」 (倭建の物語) の感覚に連なる共通性である。 汗情的整斉によ って, そ の陰繋は被われていると言っ ても過言ではない。 前述の如く考察してきたことは, 歌謡の多 くが物語りの中に活用された場合, 記紀の執筆者も 含めて何らかの意志的な疎通や共通した意識のもとに感得した形跡が認められるが, 死生観その も の は 淡 白 な ま で に 集 団 の 中に 埋 没 し て い る 点 に 触 れ た つ も り で あ る。. 次に劇的要素をともない, 死に関連する歌謡として紀84の影嬢の歌を見ることにす る。 これも 既に見た歌謡と同じく個の稀薄性は 強く, 明らかに第三者の詠唱歌である。 その道行き的表現は 例え ば万葉歌の乞食者詠にみられる 体裁と同様に 軽快な響きさえももつが, 「泣きそ まち行く」 影嬢の行動を, 聴衆は遊芸の徒の語呂合せや, 寿祝性に満ちた内容をもつ歌謡とは同一視しなか っ た で あ ろ う。. 影嬢をめぐる平群臣鮪と太子 (武烈) の恋の争いは, 海柘溜市の歌垣の場と闘歌の応酬を背景 として, 影媛の悲劇へと導かれる。 ここでは物語に結びついた歌謡の有効な姿がある。 紀94の後 半はその意味で劇中人物の心情に同情的に詠唱されれ ばされる程, あたかも影媛の悲嘆に溢れた 声調を聴衆は感得したであろう。 もっとも記と紀のこの物語の取扱い方は, 潤色の度合も比較に ならぬ程であるが, これらの歌謡群も軽太子物語と同様に劇的要素を汲んで見る べきではなかろ ぅか. 事実として見る態度は日本紀の方に濃厚であることは言うまでもない が, 紀95の影媛の歌 さえも個人的詠唱と見倣すことは疑問が多い。 あをによし. 乃楽の峡間に. 鹿じもの. 水漬く辺隠り. 水そそく. 鮪の若子を. 漁り出な. 猪. 5) の子 (紀9 愛人鮪の遺骸を葬りおえて, 「家に還らむとするに臨み, 悲みむせびて, 言ひしく 『苦しきか も, 今日我が愛し夫を失ひぬ』」とある影媛の悲 槍な心情は, かならずしもこの歌には充分な表 現 をしていると思えない。 これは聴衆を意識した演出が根抵にあるからではなかろぅか。 最後の二 句の部分には素朴な希求と, 女性らしい心遣いを覚えるとともに, 猪の子の呼びかけに可憐な語 感 を く み と れる。 し か し, 悲 嘆 の 情 は 稀 薄 そ の も の で あ っ て, 詞 章 の 導 入 に よ っ て は じ め て 歌 の. 精彩も増してくるのを覚える。 3~8句の部分には, 狩猟, 農耕の生活経験が豊かに生かされて いると言うべ きであろう。 そこにこの事件が歴史性と隔絶した興趣をそそられるものがある 次に 紀104について検するに, この歌は聖徳太子の御歌とされており, 前半は不完全ながら短歌 形式を持ち, 後半は, 一応長歌形式を持つ複合歌体を示している。 両部分結句の 「其の旅人あは れ」 は 万 葉 集 巻 3 0415の 太 子 の 挽 歌と さ し て か わ り は な い。. 家にあらば妹が手まかむ草枕旅に臥せるこの旅人あはれ (万 o 巻 3 6415) そして, この作には, 例えば人麻呂の巻20220「讃岐の狭琴の 島に石中に死れる人を見て作れる 歌」 と作歌動 機の共通性を見る。 また, 220の反歌 うはぎ 妻もあらば採みてたげまし作美の山野の上の善過ぎにけらずや (巻2 9221) 15) とには詠嘆の差と拝 情質のちがいを見る が, 太子の作には記紀にはなかっ と太子の作 (前掲4 た汗情を整斉する動きを感じる. 紀104は, おそ らく太子の遺徳を称える付会性の 強い作品であっ -3 1-.

(5) . 土田知雄・石山宗曇. て, 作者の信悪性に乏しく浮動性に富むもののようである. なお, 前掲の人麻呂の挽歌は人麻呂 に よる聖徳太子御歌の発見を意味し ているのであり, 単なる作歌動機の一致ではなく構想 的な面 ) における伝統と創造にかかわる一種の相似性を考えさせられよう8 . この国に仏教な どの哲学的な思惟が導入されない 以前, 生死についての意識や血縁, 愛人の死 によっ て体験されたところの悲哀感は 古代人にとって解明のできぬ天地の節理として感得さ れた のであろう. 和辻哲郎氏がかつて, その著 「日本精神史」 において, 飛 鳥仏と白鳳, 天平の仏像 とを比較して, その形態 が後者において著しく人体の均衡を失っており, それは仏教の現実的な ) 理解のしかたに関連する ことを指摘されている9 . 要するに初期の受容のしかたは, 仏像の素直 な移入と音声楽上の魅力を 除いては考えられない. 死というの がれ得ぬ宿命と仏教の哲理的な側 面とが詩歌に投入さ れるのは, 少なくとも記紀歌謡時代より以後と 考えてよいであろ う. 素朴な死生観を保っていた時期の人々は, 未だ常世の観念や父祖達の遠く行った異郷を憧 侵し てやまなかったのであり, そのような時期には先に見て来たように個の悲傷は集団的詠唱の 中に 没入していたのである. 初期の仏教の移入は, 種々の魅力に支え られた異国 情緒とともに古代貴 族の魂の救済を求める 心に, あるいは一点の火をともし, 中央貴族の優位性と都・郡の精神 的断 絶を意味したと思 われる. 即ち進歩的なものと守旧的なものの性急な縫合のあわいに, 漢詩文に ) o 対立する和歌の生命の存続が見 られたのでありl , 挽 歌の推移も時代的趨勢を無視してはならな い. 新羅舞や数種の異国の歌舞も, おそ らく従前の鎮魂歌舞の中に導入され, 典礼の一翼を担っ たことも想像されるところであろう。 注 1) 折口信夫, 折口信夫全集 第9巻 上代貴族生活の展開--万葉びとの生活 41頁. 2) 西郷信綱, 岩波講座 日本文学史 第1巻 古代, 柿本人麿 9頁. 81頁. 土橋寛, 古代歌謡の世界 1 84頁. 3) 土橋氏前掲書 1 29頁。 4) 相磯貞三, 記紀歌謡全注解 1 5) 同書 270頁. 68頁. 6) 武田祐吉, 記紀歌謡全講 1 5頁 民謡の恋歌に普遍的な慣用手法としての 7) 土橋寛, 記紀歌謡の諸問題--古事記大成 文学縞所収 28 植物的叙法が記紀歌謡にも共通する. 3頁. 8) 高木市之助 古文芸の論 1 9) 和辻哲郎 日本精神史 44頁. 10) 風巻景次郎 日本文学史の周辺 75頁. 甑--B. 避け得られぬ死についての哲学的な 思念が, 清明な 心情に勝を映ずる頃, 宿命的な哀愁の詩的 な表現に深まりが出てきたであろう. そして, 口謡世界からの素因を多く保たなくてはならなか った古代詩歌は文字による記載, 椎蔽の手段とあいまっ て文芸的進歩を遂 げることになる. この過程で考えなくてはな らぬのは, 帰化詞人, もしくは彼等の子孫たちのはた らきである. 彼等が漢土から伝えた中国詩賦の手法は, 技術的にはともかく発 想上においては, わが国におけ る古代歌謡の序想が長く主想 が短少と言 う形式と 嘱 目的な点にかなりな効果を上げ得たと思われ る. 死者への悲痛な慕情を表出するに当っ て, 叙景的素材を前代同様に無視 することはなかった し, 先に見た植物 的な叙法と言うべ き古代歌謡の特質と, その集団的詠出にあらわれた 心情とは ようやく詩的な昇華を遂げることになる. そして一種の連想観念へつらなる詩 的作用を彼等は巧 撤に も中国詩賦の中から摘出し利用することさえも試みたのである. - 32 -.

(6) . 古代和歌における挽歌につし・ての一考察. この傾向は, 初期万葉の世界に直結し, しかも万葉の歌 風の中で挽歌が占める べ き拝情質への 有力な架橋となるものである。 例えばその好例は孝徳 斉明紀に見る一連の歌謡の中に見い出す , こ と が で きよ う。. 古代社会において自然界に遍 く存在した精霊と精霊にかかわる行事 および集団表 象 それら , , が仏教や漢土の知識の移入にともなって 古代貴族の精神構造に遅々たる変革をもたらした時を想 像し なくてはならない. レ ヴィリブリュ ルはその著 「未開社会の思惟」 の中で 「信仰が原因を尋 ね求める知的好奇 心の産物であるとは思われない 神話, 葬礼 農耕行事 共感呪術等は合理的 。 , , 説明の要求から生れるとは思えない」 とのべ, 習俗は命令的で 強い集団欲求 感情に対応すると , ) 説いている1 。 この言は古代人の精神に特有な, 疑問を生む余地のない生命観の上から万葉以前 の集団詠出的な歌謡を見る上で示唆を与えていると言え る。 即ち, 古代人の死生観はあたかも 埴 輪の無 心な表情に比することができるであろう。 この埴輪の表情や古代的習俗から離れ 邑落で , は未だ習俗に支え られてい る頃, 心的な複雑性をそなえたか見える初期万葉の貴族たちは どの , ように死の悲傷を把握したであろうか。 造媛遂因し傷し心而致 死鴇。 皇太子聞二造媛狙逝 1 槍然傷恒。 哀泣極甚。 於 是野中川原史満進 而奉し歌。 (孝徳紀) いた いた いさ 傍線の部分 「憤然み傷但みて, 哀泣ち給ふこと, 極めて甚 しかりき」 (武田祐吉氏 の訓) は 中 , 大兄が妃造 媛の死を悼む場面 を比較的単調に表現してい る 悲嘆の情をこのように漢文表現した 。 例は斉明紀においても 「傷働極甚」 , 「槍爾悲泣」 とあり, 田辺幸雄氏は 「美化された感 傷がぅき 出 てい る。 文 芸 と し て 高 次 の も の で は ない 」 と 言 わ れ た が2 ) 。 , こ こ では む しろ 葬礼 的 習 俗の 陰 勝. を四字の漢字が隠蔽していると思われる。 このように記 録性が濃厚になってからでさえ 習俗に , からんだ心を背 後に思い浮かべずにはおかない <いさっ >者は単数ではなく 葬礼にからむ多 。 , くの裏声がこの四字の単純な表現 に息づいていることを思うべきではなかろぅか 。 山川に鴛喬二つ居て偶好く偶 へる妹を誰か率に けむ 其の一 (紀113 ) 本毎に花は咲 けども何と かも愛し 妹が復咲き出来ぬ 其の二 (紀114 ) この野中川原史満の奉った 二作は代作歌であることが明瞭である が 満が其の一を詩経等の漢 , 籍の知識によってい ることは良く言われるところである だが漢土の知識のみがこの歌の比除部 。 を支えているとは断定できない. 皇太子の悲嘆に関連して 筆者があえて習 俗の陰勝を覚えると , 言ったのは, 記録性の濃厚な記載とあいまって, 「皇太子 慨然頒嘆 褒美めて 『善きかも 悲 , , , しきかも』」 と宣下した 心に歌と感性の脈絡を思うからである この歌は単に 風物の取 り合せのみ 。 に終るのではなく, その比壕を導入し, 皇太子と共にあった妃を 「誰か率にけむ」 と結んだと こ ろに好情質の昇華があると言えよう。 しかし, この悲歌の着想はひと り満の創造し得た ものであ ろうか。 其の二は万葉集, 巻2004 32 3の防人歌に類 似を見るのは, 模倣をこえた流布性と漢土 の 詩文の素養とが 上代貴族 の心に巧みに融けこむ感性的基盤が 既にあ たことを暗示している そ っ 。 して其の一な どで既にわ かるように個人の情感が 歌として発せられる要素が 強く出て きたと言う べ き で あ ろ う。. 斉明天皇の御製, 紀116 , 117 , 118な どの一連 の歌は, さらに個の悲情を深めたものとして注 目される。 素材においても前代には見られぬ斬新さ を得てい ることは明確である 比職的な序詞 。 の使用に進展があり, 景物をその中にとりいれる態度は強いが 独詠的境地 を確立し つつあるこ , とは注目されると ころである。 そして, この連作的傾向は後代の挽歌のありようを示唆している 点で興味深いものがある。 なお, 作者の自然美への注視がこ れら一連 の作歌に清新な趣きを与え -3 3-.

(7) . 土田知雄 o 石山宗鼻. が的確にな っ てきたことは, 同時 ) ていることは首肯されよう3 。 即ち, 自然美に対する個の把握 に歌謡か らの訣別と内省的な汗情の深まりを意味することにな った. 2頁, 未開社会の思惟(上)(山田吉彦訳)2 81頁。 2) 田辺幸雄 初期万葉の世界 1 4年7月 北海道学芸大学紀要所収。 3) 土田知雄 古代歌謡の叙景態度の一考察 昭和3 1) レヴ ィ o ヴリ ュル. . 口詞世界より脱け出た挽 歌は, 既に見に来た ように口譲的な素因を全く剥落させたわ けではな く, 多くの記述以前の素因を発想 的には宿していることは見逃せない。 初期 万葉期には 挽歌の秀作 が現われたが, その証左は例えば斉明天皇御製に求めた。 その作品 には前代の影響は ありながらも自 然に対する個の適確な把握 が見 られた。 そして汗情的内省の深 化は一面におい て自然美への注視とかかわりを持っていたことは 古代人の感性を知る上で, 日本 的思考の祖型にかかわる問題を含んでい るように 思われる。 ある思想 が具象化される時に自然の が 形象がともな うのは日 本的思惟の最大の特徴であったD。 ゆえに日本人が追求して来た美意識 自然的形象を帯びて詩歌の 世界にも投影していることが理解されよう。 さて, 斉明天皇の 一種連作 風の諸作が短歌形に依 っていることか ら, その後の挽 歌は短歌形に 追 よって展開され てもよさそうに 思われるが, 時代的趨勢は, この個 性的凝縮性に富む短詩形を 意し 礎地を用 求する 前に長歌形式を展開させ, 個的な, 集団から禾離した挽歌の絶唱を導き出す た か の よ う に 思 わ れる。. 詞性に富み, 宮廷儀礼歌 60首, 全体の約5 万葉集中, 約2 .7%を占める長歌の特質は, 極めて楓 2 ) られない ては考え をぬきにし 。 長歌の実用 的な に転用され得る寿詞的, 讃勅歌, 宣詞的な側面 特質を示 す例歌は省 くが, その叙述性と あいまっ て挽歌に転用 された主因は, その重畳たる荘厳 な趣きに よるであろ うが, 呪詞としての本来的な性格を無視し ては考え られない。 それは, この 景につ 詩型の 挽歌への転用と言うような表現はま ずいのであって, たえ ず流動的に用い られた背 と し て, 人 い て 視 野 を ひ ろ げる べ き で あ ろ う。 そ う す る こ と に よ っ て, 歴 史 的 に は 壬 申 の 乱 を 境. 麻呂 的声調とも呼ぶ べき悲痛な, しかも長歌形式による挽歌の制作がなされ, 燃焼する過程を捉 えること ができるであろうし, 他の拝借歌との連関や展 望を明らかにできるであろう。 長, 反歌の関係を見ると短歌の胎 生し定着する経 路を暗示している。 もちろん短歌型の定着す る過程は片歌, 問答歌, 旋頭歌等の他の歌体のそれぞれの位相を検し有機的に考えるのが妥当で ) あ ろ う3 。. 万葉集の長歌が多 く反歌をともな う点で原初的な長歌とは峻別す べきであり, 長 o 反歌をそな えた定式は人麻呂の 頃にな って確立されたと 考えて良い。 即ち, この定式を最高度に駆使せんと 試みたの は集中, 彼を第一に推さなくてはなるまい。 この長歌の定式を用いることによっ て, 人 麻呂は挽歌の傑作を生んだのである が, 本来は女性の職 掌から発生したと 思われる葬礼歌を彼が 復興し, かつ, 清新な形に定着させた 点も注目される 事実であろう。 訣にはない表現を求め, 悠 揚せま らぬ修辞によっ て挽歌を確 立した人麻呂の諸作を検すると個々の作品に, その特質を見る 欲 のはもとよりで あるが, 反歌を具 備した詩型として長歌を志向 している ことは, 定式創造の意 とともに真塾に模索している姿を 想わしめるもの がある。 すなわち彼より 後代の長歌が彼の作を 模したとするな らば, 彼にあっては一詩 型の確立を目 ざす実験として長歌が考えられていたであ 4 ) ろうし, 歌形の推移を考えるな らば短歌の確立を 追求しつつあったと言えるであろう . - 34 ‐.

(8) . 古代和歌における挽歌についての一考察 ここ で人 麻 呂 の 挽歌と 謙 の 関 係に つ い て 触 れる こととす る. 秋間俊夫氏によれば, 死者に対し て (この場合は天皇に対して) 氏族の治績を言うもの 天皇の称する ものと区別し , , 天皇と 個々 の人物, 氏, 部と の関係が主となっていて あらゆる種類の臣下を一丸とする全体が , 欠けたもの (例えば, 天武鷹宮 の訣) を謙とされる5 ) 。 一方, 人麻呂の挽歌は氏, 個人, 官僚機 関を超えた <ます らを >一般の立場 から死者をし のぶ性格をもち このことは彼の挽歌が一面に おいて訣の , 個別性の否定を通して成 立していると説かれている 挽歌をはじめとして 長歌の担 。 , った儀礼的 側面は人麻呂に至っ て一応の頂 点に達するが その公的な性格をもつ詩形が 徹底的 な統一を 持 , , たず, 人麻呂にあってさえ公的な 心情に秩序を保 ていな い点が注目さ れる その点 っ で秋間氏が 。 「人麻呂は恋と いう私生活の面 から 『ます らを』 の 心意気 を歌 う位置にあ た」 と指摘 されてい っ ) こ の 公 ◎ 私の感情の混然として統一の保たれ る の は 傾 聴 に 価 す る6 ない状況は, 当時の詩人の 。 隣路でもあり人間性の表出を意味し ているとも考え られる この現象は人麻呂に限らず 。 , むしろ 混沌のエネルギーを包含している万葉歌人の 中でも 宮廷詩人の無視でき ぬ体質であ る筈であ , , る。. 宮廷詩 人たる人麻呂が長歌定式の実験を通じて 短歌を模索しているかに見える のは , , 公的な. 場で用 いる こ と が 専 らで あ っ た 長 歌 を 私 的 に 転 用 す る こ と に よ. っ て,. 徐々 に では あ る が, 反 歌 が. 長歌そのものから離反する 情態を生み出し 個の拝情を凝集さ せるに 足る短歌定型の成立す , る機 運の緒 を 開いた 功績 は認 めな く てはな る ま い 。. 蜂宴の宣詞のために寿詞を予作した家特に至っては言うに 及ばず 宮廷詩人たちが絶えざる椎 , 融をなしつつ, いかに伝統的手法によ って長歌を構築しようとも 自己の内奥に自負に満ちた個 , 性的な詩語を宿す時期が到 来すると 呪力を帯びたことばにかわ て 新しい詩語と詩情が芽生える っ ) わけである7 。 従って, 人麻呂を頂点として長歌が著しく遺物化する過程も無理からぬことのよ うに思われる 赤人などに看取される反歌の離反性などは おそらくはくます らを 〉的意欲 の稀 , 薄さ を背景にもちながら, 前述のような趨勢によって醸し出さ れたものであろう 一方 人麻呂 。 , 以後の詩人の技量が短歌に注がれ, 汗情的な資質の向上をなし得たのは 深く長歌の構想と 関連 , を持っ ていると思わ れる。 即ち, 人麻呂によるこの定式の確立は以後の宮 廷詩人によ て墨守さ っ れたが, 赤人に見る ごとく, 透徹した自然詩 くの佳品を生む礎地ともな っ ていることは否定できな し・。. 注 1) 草薙正夫 日本芸術の理念(上) 文学, 19 6 7 I 5 1 204頁。 .3 , 1I VO 2) 折口信夫, 前掲書。 3) 太田善麿 古代文学思潮論W 古代詩歌の考察 1 1 3頁, 折ロ信夫全集, 第7巻231頁 “ 土橋寛, 前掲書では短歌における対立的二部構造を問題にされ 長歌終末句か らの独立が短歌形にな る説を , 排されている。 4) 太田善麿 前掲書 10 8頁。 5) 秋間俊夫 日並皇子挽歌論 文学, 1 l 66 7 58頁。 .35 9 . 9 Vo 6) 同論考。 7) 大岡信, 古 今 集 の 新 しさ, 文 学 1968, 1I VOI 262頁。 .36 1. 次に長歌を中心に 挽歌の万葉歌人による展開について若干の考察を進めたい 。 壬申の乱を契機として深刻な悲哀の経験は一種の悲痛調を生むことにな たが それは個に即 っ , した汗倍する場の拡大化を意味する1 ) . それは例えば, 巻二の皇子尊宮舎人等働傷作歌二十三首 - 35 -.

(9) . 土田知雄o石山宗曇. 3 ) な どの出現となり 人麻呂 的声調のあらわれとな った。 人麻呂は神 話的世界と 文学と 17 1~19 ( 作者で の架橋を試み, 分化的段階での長歌を挽 歌の面で駆使 した点で 第一に見な くてはならない ある。 彼以前の女 性の挽歌制作者には (額田王, 倭大后な ど) 未だ定式を考慮しない土俗的な余 う 韻をただよわせた作品を見る が, その点と人麻 呂作とは どのような比較 がなりたつであろ 。 巻 2 。194 泊瀬部の皇女忍坂部の皇子に献れる 歌に見られる 冒頭の対 句表現は 伝統的鎮魂儀礼 に由来する語 句であり, 彼には捨て難い ものであったと想像される。 この作にあっては女性の哀 働を女性の 立場から表 現す べ く, あえて過去の生活経験を素朴に 思いやる趣向 が窺えるばかりで それ なく, 「けだしくも 逢ふやと念ひて」 の句には愛 人を失った者の哀情が読者の 心をうつ。 句は ての倒置 結びに至 っ に続く対句表現は愛人の幻影を求めてやまぬ佳人のイメ ージを与える。 2 ) 「逢ふ や と 念 ひ て」 と 響 き 合 っ て 嘆 き が 一 層 深 め られ て い る の で ある 。 そ の 反 歌,. 5) 敷細の袖交へし君玉垂の越智野過ぎゆくまたも 逢はめやも (巻2019 的であり て極めて要約 一首の反歌とし , おさめとしての は枕詞の二 か所の使用は長歌につくただ 内々とした表現から見れば四句目は一に云 うごとく 「過ぎぬ」 の訓が自然なように 効果はある。 言 も思われる。 い ずれにせよ語の韻きは汲まなくてはな らぬ。 これに続く 「明日香の 皇女の木脇の蹟の宮の 時」 人麻呂の作は, 景物の状態を比職的に用いる 態度が 強い。 植物的叙法がここでは哀悼の情感を 支える有効な手段とな っている。 「絶ゆれ」「生 ふる」 のごとく季節的周期に 密着した景物が, 叙事性に富む 長歌の形式の中 で容易に 取り入れら れたのは了解できる が, 生活体験, 感覚が丁度歌謡時代の延長線上におい て蘇生したよ うな, 伝 統の根 強さを知る べ きではなかろうか。 かなりな委 曲を尽している点から認謙 性も強く, 葬送の 雰囲気に 浸り切ること ができるのは, 伝統 的な詠いぶりに依拠し, 負うているところが大であろ う。 人麻呂はこの 作によっ ても判然としているように死者と対置して生存者の悲嘆の表出に力を 傾注し, その描写に斬新性を認めることができよう。 愛する者を失った術のなさ, 所在のない 空 虚感な どを哀悼の詩句の中に巧みに位置 づけて迫真性を保とうともしている。 「念ひ萎える」 心 と祐復してやまぬ 情は卒直に胸をうつ。 逝きし人の名, 明日香, それと同じ地名そして川の名, 悲嘆の中にあっていろいろな連 想が愈々切実な哀しみに「ながる時, 時の寸時もやすまぬさまや 河の塞きあえぬ流れにも人生の悲嘆は 感得されたであろう。 これらの人麻 呂の挽歌は, いま適 宜取り出したものであるが, 如上の作品と例えば同代の丹生 の王の作, 巻3 。420石田の王の卒りし 時の挽歌と比較して見ると, 人麻呂の力量は一層際立っ て見える筈 である。420はあたかも 幼児の咳きこみのような表現をな しており, 心の顛倒そのもの ) の表出は極めて 幼稚であると 言わざるを得ない3 。 重複する が人麻呂が謙詞として意識していたものは, 歌謡時代の 反歌をともな わぬ長歌ではな く, 明らかに反歌を具 備した歌形を志向している. この創造のための模索と実験において後代に ゆるがせに おけるものとは異 質であると言わざるを得ない。 彼の公的立場での長歌による挽歌は できない 定式を後代の作者に提示していることは 巻20199の高市の 皇子の尊の城 上の嘘の宮の 中 時の作歌等 を検すれ ば充分であろう。 死者の生前の治績, 壬申の乱の際 の戦闘の如実 な表現の 悲嘆を畔 に, 死者の雄 姿を浮彫りに した手法の見事さもさることながら, 主従関係の 特に従臣の 悲傷の表 吟の中に表出しているところに, この歌の生命がある。 即ち反歌の 従臣たちの惑乱せる 作, 巻 東人の 作と同代の置始 1~193の舎人らの心情に通 ずるものである。 これらの 出は巻2・17 2。204とをくらべると, 死者を讃え, 従臣の悲嘆のみの結構に終始している点で 創造性の貧困 を感じる であろう。 東人がその反歌 - 36 -.

(10) . 古代和歌における挽歌についての一考察. 王は神にしませば天雲の五百重が下に隠り賜ひぬ. (巻2 の205) において天皇讃歌を根底においていることは人麻呂とさしたる差異を認 めないであろうが 人麻 , 呂が相聞的汗情を大胆に導入し, 反歌を長歌を支える浮情的支柱とした力量は看過できな い点で ある。 この傾向は彼の私的な挽歌に おいて一層明確 である 。 い ま 巻 29207 柿本朝臣人麻呂の妻の死りし 後泣血哀働みて作れる歌について 少しく見ると , 長歌においての亡妻への追 慕は末尾において絶唱とも言うべ き悲傷を読者に感得さ せ 反歌にお , いてその感動は痛 切である. そして反歌, 秋山の黄葉を茂み惑ひぬる妹を求めむ山道知 らずも (巻2 。208) 黄 葉 の 落 り 去 くな へ に 玉 梓 の 使 を 見 れ ば 逢 ひ し 日 念をまゆ. ( 同 。209). 二首の主情は散りま どう黄葉の形状に 彩どられている ここでは既に単純な植物の形状を比輪的 。 に用 い る の では な く, 無 常 な る も の へ の 愛 情 が 深 ま て い る と 言 う べ き で あ ろ う し か も 自 然 の っ 。. 変化に注視 し融即する 心は, 2 10に見 られるように 「取り持ちて わが二人見し 移出の 堤に立て る 槻の木の こち ごちの枝の 春の葉の 茂きが如く 念へりし妹」 のような発想となる 残さ 。 れた現身, 遺児と作者の状態を 「鳥穂じもの 版挟み持ち」 と詠出した素朴さの中に方言にまさ る率直な悲情を把捉 できるであろう 過去の追体験をなさんとしてな し得ぬもどかしさ 道占 。 , , 夕占のす べなさ, す べてが詮なき宿命の悲しさにつながり 墓所にさまよひ出ても求めえぬはか , なさは現実のく吉きこと 〉に既に結びつけようもない これらの悲傷哀実の情が 。 , 食道を引手の山に 妹を置きて山路を行けば生けりともなし (巻2・2 12) の反歌にかっ きりと定着し, 長歌の叙述の冗漫さとは対照的に歌の精粋として印象づ けられるで あ ろ う。. ,. 長歌を用 いた挽歌は, 後代においてはもはや彼の域を出るも のは認められそうもな い が 挙げ , るとすれば公的な作では笠金村 (巻202 30 ) 81)な どであろ , 私的なものでは高橋朝臣 (巻3・4 う。 とくに後者は亡妻を悼む点で人麻呂作 (巻282 10 ) の襲用 が目立つ が, 折口信夫氏も指摘さ れるように長 ◎短歌ともに万葉後期のものとしては群をぬいている4 ) 。 また, 前者は構想 の新し さ が あ る。 1) 太田善麿 前掲書 17 6頁。 2) 沢鳩久孝 万葉集注釈 巻第2 34 7頁。 3) 同書 巻第3 509頁。 4) 折口信夫全集 第4巻 1 5 2頁。. 長歌形式による公用的 ◎ 寿詞的生命は人麻呂を頂 点として燃焼したと考えてよく 同時にこの , 詩形による挽歌も彼をもって一応の終燈をみたと言えよう 。 巻五な どで考えると, 漢詩文による自在な表現と該博な語桑とを見ることができるとともに , 旅人 ◎ 憶良の意識の中 には既に長歌との断絶と限界が窺えるであろう。 その証左は 「日本挽歌」 の詩序についても明 らかに求められるのであり, その作に多少の形 式変革は試 みられてはいるが 既に斬新な形式とは言い難く, 構想の新奇さのみが目立っている 惑情をかえさしむる歌を見て 。 も, 長歌の本来的な陰 勝がまつわりついている。 日本挽歌の発想を支えているも のは 仏家思想 , よりも作者の古典的素養である。 そして, 反歌に挽歌的に昇華さ れた姿を感じとることができよ う。. - 37 -.

(11) . 土田知雄o石山宗髪. 漢詩文の理解と教養とは 韻文的表現ではなし得ぬ散文的な深みを実感 として把捉し ていたであ 想 ろうし, その文章を国語的な表現に転換するには従 来の韻文におもむくより仕 方がなかったと 像される。 漢文で試み られるような高度な思想内容を転換す べ き国語散文が充分用意されていな い状 況を考えな くてはなるまい。 その点で古事記の文体が未だ実験 的段階での所産である とする ものは漢籍 と国民性に ) 考えは首肯されるところ である1 。 一方, 「鳩鳥の二人並び居」 のような 適合する比 除として 矛盾なく用い られた詩 句であろう。 しかし, 中国の故事 成語な どが適切に日 本化するこ とは極めて困難なことで あっ たに違いない。 憶良のような 文化人であってみれば, 漢 詩文と日 本詩歌の二 本立てを実践しても, それなりの, 区別をつけている ことは認め ざるを得な い。 要 す る に< や ま と う た >は や ま と こ と ば で 詠 唱 さ れる も の で あ っ た。. しかしな がら, 旅人およ び憶良のやまと歌で表現された詩 的な形質は, いま とくに挽歌の面 に おいて考える と, 万葉集の編者に擬せ られている家 特に継承され, 沈潜の度を深めた と言えるで 憶良の個 性的な詩 情とは地方官としての欝結した あろう。 即ち, 旅人の連 作的傾向を 持っ諸作,i 心, 諦念な どが底流をなしているこ とが認 められ, なかでも 旅人の斜陽貴族的な自朝によって支 え られた詩質はその子 家特に都会的憂愁を生む素質を与えたよ うに思われる。 み で あ り, 離 宮 因 み に 旅 人 の 作 品 中 長 歌 に つ い て 見 る と, 彼 の 残 し た も の は 巻 3 0315 反316の. 讃美の伝統 的寿歌なのである。 11句の短小な長歌は極 めて常套的であり 彼が長歌の作者でないこ とを示してい る。 人麻呂, 赤人, 金村等の, 吉野応詔歌の模倣が見える。 だが反歌は どうであろ う。 回想による 詩想に儀礼的物々しさを脱した新 鮮な叙景歌の境地を窺うことができる。 懐 風藻 における旅人は五 言, 「初春侍宴」 一首を残し豊富な 漢籍の知識が注目され, 彼の歌と漢詩文と の切難で きない関係を認めなくてはなるまい。 とくに歌において, その汗情質は 「昔見し」 に示 されるよ うに過去の回想を詩想として定着させている作が多く, 汗情を支える上で成功している と 思わ れ る。. 家特に至ると, 長歌形式の 持つ諸種の特質が斜陽の貴公子の心を早くから捉え, 懐古的感情と らぬが, 共に再生さ れな ければな らなかった。 その点で長歌は再生の機を得た と言わなくてはな 家特にあっては寿歌的側面を襲用することに重点がおかれ, 一面において形式の模倣に終始した 66天平十 一年夏六月, 亡ぎにし妾を悲傷 と言うべ きで あろう。 彼の挽歌 について見ると, 巻304 5句のうち, 作者の真 しみて作れる 歌は, 詩 句のいたるところに模倣 が目立つ。 すなわち, 全体2 ) 75十六年春二月, 安積 情は最初の10句に過ぎず, あとは借用の憾みがある2。 また公的な巻3 04 皇子の募り給ひし時にも同様なことがあてはまるであろ う。 再び旅人 と家持の詩的形質の共通性について見ると, 旅人の詩 情の中枢をなす斜陽の陰勝と一 種の敗北感は 家持によって詩的展開を遂 げる。 とくに長歌 的作家ではない旅人の挽歌は短歌に結 実したことは前代にはない個的汗情の表出として注目されよう。 世 の 中 は 空 し きも の と知 る 時し い よ い よま す ます 悲 し か り けり. (巻 5 0793). は, 妻の死に 対する弔問に報える歌ではある が, 雑歌の分類を 超えた個の悲傷を感得せずにはお. 歌 系列 か ら かな い の で ある。 巻 3 。446~448, 449 , 451~453な ど に つ い て は, も は や 実 の , 450. は想像できぬ 純粋汗 情歌としての形態と連作的発想の進 展を 窺うことができるの である。 かかる傾向を家特につい ても指摘できるのであって, それは一つの 系譜(創造的な意味をもつ) と 見 る こ と が 可 能 で は あ る ま い か。 秋 さ らば 見 つ つ 思 へ と 妹 が 植 ゑ し 屋 前 の 石 竹 咲 き に け る か も う つ せ み の 代 は 常 な し と 知 る も の を 秋 風寒 み 思 ひ つ る か も. - 38 -. (巻 3 0464) ( 同 o465).

(12) . 古代和歌における挽歌についての一考察 世間 し 常 か く のみ とかつ知 れ ど痛 きここ ろは 忍 び かね つ も. (巻 3 ・472). これらの作には, 無常を歎く余韻がただよっており, 472は 「悲緒 いまだ息まず 更に作れる歌五 , 首」 の連作的趣向を示している中の一首である. これらの作 風は 世間の常無きを悲 しむ歌 (巻 , 1964 160) の反歌 うつ せ み の 常無 き見 れ ば世 のな かに 情つ け ずて念 ふ日 ぞ多 き. (巻19・4162). などに沈潜し た詩情とな って定着した. 1) 太田善麿 前掲書 34 4頁。 2) 沢潟久孝 前掲書 巻第三 4 66頁。. 巻三における挽歌群は, それ自身が挽歌 の伝統と創造を示す 縮図であろう そこにお ける聖徳 太子より人麻呂に至る相似形的 関係は既に言った また 長歌詩形が担 ていた叙事的 傾向と実 。 , っ 用的呪詞性から, しばしば人麻呂の声調を生彩あらしめた公的挽歌についても触れた 。 長歌詩形による 挽歌が詩形そのものに付着していた楓詞性 儀礼的・集団的側面が呪詞性の否 , 定と主従の連 帯を離れた時点 では萎微する のは当然のなりゆきであっ た しかし, 個の悲傷の表示がこの長歌の定式を礎地として進展し 反歌に佳作を生む結果とな り , さらには短歌による連作的傾向をはぐくみ詩情の統一を保とうとする 斬新な局面をひ らいたので ある。 そして万葉 拝情の一到達点とも言え る都会的憂愁である凄1 周の意に, この挽歌 のたどった 軌跡 が 何 ら か の 投 射 を 与 え て い る こ と は 認 め ら れ る の で は あ る ま い か (1969 。 。4 .26) (付記 例歌の訓法, および歌謡番号は武田祐吉博士の記紀歌謡集 (岩波文庫) 万葉集 (角川文庫) によ た , っ 。 ただし, 訓法は若干私見によって改めたところがある。). - 39、-.

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