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川 田 俊 昭

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Academic year: 2021

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(1)

後 進 国 に お け る 自 由 ︑ そ の 諸 条 件     − フ リ ー ド リ ッ

ヒ ・ リ ス ト の 場 合

− ︵ そ の 三 ︶

川 田 俊 昭

︵ 註

アメリカが︑決して〝農業国″であり得なかった如く︑ベトナムについても然り! ﹁ベトナム民族は︑数千年の

歴史を通じて︑絶え間なく且つ勇敢に︑自己の国家建設と祖国独立の排護を戦って来た民族である︒﹂︵ベトナム民主

︵ 註 二 ︶

共和国憲法︶ ︵殊にベトナム北部の場合︑︶ながく⁝⁝支那⁝⁝フランス︑その他﹁大国﹂の侵入︵支配︶を容易に

許さなかった・支配にも強力なレジスタンスを行って来た・﹁統一あり生気に満ちた﹂この国民が︑過去におけるが

︵ 註 三 ︶

如き﹁水牛の国﹂・所謂﹁後れた小さな植民地農業国家﹂としての屈従に︑甘んずる告がないではないか︒﹁八十年

以上に亙るフランスの支配に対して︑ねぼり強く抵抗して来た民族⁝⁝この民族こそは︑自由になり︑独立すべきで

ある︒﹂︵ベトナム民主共和国独立宣言︶⁝⁝1︵リストロく︒︶﹁未開の農業には︑遅鈍︑肉体の不器用︑旧式な観

念・習慣・風習・作業方法の墨守︑教養・幸福・自由の欠乏が支配している︒これに反して︑工業及び商業国には︑

︵ 註 四 ︶

精神的及び物質的財貨の不断の増加を追求する精神︑競争と自由との精神が︑その特徴をなしている︒﹂

︵註こ ﹁アダム・スミスとl・B・セイは︑こんなことを云っている︒合衆国は︑﹃ポーランド人と同じく﹄︑農業をする様に定

められている︑と︒﹂︵﹃リスト全銀﹄︵以下﹃全銀﹄と略する︶︑型ハ巻−﹃政治経折学の国民的体系﹄︑一四四1五貢︑正

(2)

経 営 と 経 済

六 六

木訳(勤草書房版)一七六頁)

リカ︑ポーランドに栽培せらるべく︑又金物その他商品のイギリスに製造せらるべき:::︒﹂(リカアド︑

の原理﹄︑小泉訳(岩波文庫版)︑上巻︑一三二頁)::::::﹁棉花のみを自国工業品との交換として許可したイギリス貿

リ カ

ア ド

も 云

う ︒

﹁葡萄酒の宜しくブラシス︑ポルトガルに醸造せらるべく︑穀物のアメ

﹃ 経 済 学 及 び 課 税

易制度:::この様にして︑イギリスとの貿易によって︑アメリカ奴隷の良業労働が促進されたのみであった︒これに反し︑

合衆国のうちで最も自由にして最もよく開け且つ最も強力な諸州︹北部││筆者註︺は︑その経済上の進歩を全く阻害され︑

その人口及び資本の年々の過剰部分を西部の荒蕪地へ送るほかはなかった︹:::西漸運動︑乙れである︺︒﹂(﹃全集﹄︑第六

﹁ポルトガルは︑孜滑な外交家の計略によりイギリスの葡萄園となって︑今日までそのま 巻︑三七七 l 八頁︑訳四五四頁)

ま続いているよ(前掲書︑八二頁︑訳九五頁)

﹁北部は︑ベトナム民族の発祥地であり︑専制中国の侵略者にも︑近代に入ってからはフランス植民地主義者に対しても︑

常に戦ってきた伝統がある︒しかし南部は︑フランスに最も早く植民地化されたところであり︑又ベトナム民族の伝統の弱

い乙の地域では︑直轄植民地として︑村落共同体内部までブラシス植民地権力が浸透していた 0 . 又社会的には︑フランス植

民地政策の代理人となるブラシス市民権を持つベトナム人を︑多数創り出し︑経済的には︑ベトナム人を合む大土地所有制

の下での商品作物として米を生産し︑ぺトナム人大地主の封建的社会関係を助長していた D

﹂ (

冥 保

潤 一

郎 ︑

史 ﹄

︑ 七

九 1 八 O

頁 )

﹃ ベ

ト ナ

ム 現

﹁イシドシナ民衆の貧困と惨状については︑多くの乙とが舎かれているが︑インドシナ経済の指導的な権威であるピエール

‑グ

1 ルウ氏は︑アンナシ農民を悲惨であると称するには慎重を要するといっている︒氏の指摘によれば︑東アジアの他の

若干の地域に見られる様な餓えかかった民衆の行進や乞食の大群は︑インドシナでは見られない︒民衆は︑虐待された奴隷

ではなしに︑自分の運命を改善したい望みに配られた自由な人間である︒﹂

( W

・ M

・ ボ

ー ル

﹃アジアの民族主義と共産主

義﹄︑訳八一頁

l i

傍点筆者)

(3)

(註四)﹃全集﹄︑第六巻︑二二八頁︑訳二七四頁︒一部分は︑乙の二つの国民階級の共同生活と教育との方法

が兵なる点にあり︑又一部分は︑彼等の職業とこれに必要な補助手段の性質の異なる点にある︒:::農民は︑人間よりも︑

むしろ生なき自然を相手にする︒彼が播種した場所から︑ながい月日の後にはじめて収穫を得︑その努力の成果を一つのよ

り高い力の怠志に委ねるのが習慣になって︑満足・忍耐・諦観と相並んで因循姑息や遅鈍も︑彼の第二の天性となる︒農民

の仕事が︑いかに彼を人間との交通から遠ざけようとも︑平常の経営にあっては︑その仕事自体が︑極めて僅かな精神の緊

張と極めて僅かな肉体の器用さとを︑必要とするのみなのである︒彼は︑それを︑自己が生を享けた家族の狭い範囲の中で︑

﹁ 乙

の 相

違 の

原 因

は ︑

校倣によって学び知る︒それを別の方法でうまくやることが出来るだろうという様な考えは︑全んど浮ばない︒揺箆から基

坊に至るまで︑彼は絶えず同一の限られた人と環境との範囲の中で動いている︒精神や肉体の異常な勉励にもとづく特別な

繁栄の実例は︑滅多に彼の眼には入らない︒所有と貧弱とは︑未聞の農業にあっては︑子々孫々に伝えられて行き︑競争か

﹁ 単

に 農

業 の

み を

営 む

国 民

は ︑

ら 生 ず る 力 は ︑ 全 ん ど み な 眠 っ て い る の で あ る ︒ ﹂ ( 前 掲 書 ︑ 二 二 八 l 九頁︑訳二七四 i

五 頁

)

その物資的生産において︑片腕のない個人であるよ(前掲書︑

一 九

七 頁

︑ 訳

二 三

六 頁

)

ま さ

に ︑

︒アジアは目覚める

e

︑である︒リストは云う︒ ﹁﹁我国は農業国である﹄︑という常套語を相も変らず口 にしている例の賢人達の耳に︑我々は大声で︑絶え間なく︑叫ばなければならない︒

のナンセンスだ!﹂︑と︒成程︑教養ある国民が︑自然から農業を営む様に特に指定された地方や州をもっていると

﹃君達の話していることは全く

いうことは︑あるかもしれない︒けれども︑農業だけを営んでいる一国民全体は︑決して教養のある国民でも︑富裕 な国民でも︑又独立した国民でもない︒温和な気候︑水力と鉱物︑河水と海︑山脈と森林︑そして天が彼等に与える 最良のもの︑即ち悟性を持っているすべてのね大な国民は︑彼等の農業が或る段階まで向上するや否や︑商品を製造 し商業を営む国民になる様に︑自然によって述命づけられている︒:::現在︑農業国民であるからというので︑自分

後進国における自由︑その諸条件

六 七

(4)

経 営 と 経 済

¥1k ‑ ノ F J

はいつまでも農業国民である様にきめられていると主張する国民は︑手職を習おうとはしないで︑むしろ︑いつまで

( 註

一 )

も浮浪児のままでいようとする少年に似ている︒﹂アジア(東南アジア:::その他アフリカ︑ラテン・アメリカ)は︑

生来後進的なるべくして後進国

3 2

ロロ可芯るであったのではない︒むしろ︑後進的である現在は︑彼等 w 8 当日仏

自身における保守・諦め(その条件の一つとしては︑熱帯の猛暑という如き労働殊に工場労働に不利な自然的条件も︑

当然考慮される:::が︑:::)︑或は他からの強制

ll

農業︑殊にモノ・カルチュアのーーが︑不自然にもそうあら

しめた︑と考うべきである︒ ﹁農業だけを営んでいる国は︑貧しい国である︒ ﹁我々は農業国民であって︑農業に頼

らなければならない﹂︑という常套語は︑次の事を意味するだけである︒即ち︑造物主が我々の額に貧困の刻印を押

し付けた││我々は︑我国の原料や食料品の販路を開いたり︑我国の農業家に一回完全な器具や︑道具ゃ︑

一 一

山 高

な生活の享楽などを与えたりするために︑手を動かしたり︑頭を働かしたり︑無駄に流れ去っている水力を利用した

(註一一)(註一二)

りしてはならない︑というにとである︒﹂││(先の拙稿において既に指摘・強調した如く ll ︑)︒後進国︒なる概

念は︑先進国なる概念同様︑自然科学的概念では決してない︒歴史科学的(文化科学的・社会科学的)概念である︒

::・後進国は歴史を持つ:::後進国は歴史を刻む:::後進国は今や﹁歴史の主体﹂であるべきである︒斯くて︑歴史

は要求する

1

1 後進国は︑先進国としての可能性を有するものとしての後進国(ロロ品

o E 2 0

旬︒色"円同

Z

0 4 0 Z

ロ 向 1

︒︒

H M E

ユ o

ω )

︑これである︒﹁従って︑或る一国民が︑不運にも工業・商業及び航海業において遥かに後れているに

しても︑しかも尚︑これらの発達に必.要な精神的並びに物質的の補助手段を所有しているならば︑何よりも先づ︑自

( 註

四 )

らの努力によって︑先進諸国民と自由競争をなし得る様にしなければならないこ

( 註

一 )

﹃ 全

保 ﹄

︑ 第

五 示

一 九

二 頁

(5)

r i 正

一 七

六 頁

﹁ 東

南 ア

ジ ア

研 究

年 報

﹂ ︑

第 八

集 ︑

昭 和

四 二

年 三

月 ご

二 日

発 行

︑ 一

二 五

頁 ︒

( 註

四 )

﹃ 全

保 ﹄

︑ 第

六 巻

︑ 八

頁 ︑

訳 二

一 氏

( 註

二 )

前 掲

在 ︑

第 九

巻 ︑

後進国における今後の可能性については如何 7

を事実上強制している汐北 6 の姿勢自体から︑或は︐南 4 における(グ北 4 の妨害も手伝っての)経済政策的措置の

未だ中々に余断を許さぬものがある︒

現 在

﹁南北問題﹂において比較生産貨の原理・新植民地主義

院欧・失敗から判断すれば︑

カ 三

と も

あ れ

乙乙で問題を提起しよう︒:::

一国民全体の生産力が︑その文明・安寧・勢力・永続及び独立の特殊な利益のため

( 註

一 )

に喚起され・増大され・保持され・防衛されるか︒﹂ (

リ ス

ト 臼

く ︒

) ﹁

如 何

に す

れ ば

(ベトナム民主共和国怠法第九条に謂う︒)﹁ベトナム民主共和

国は︑社会主義路線に沿って:::後進的な経済を︑近代的工業と農業並びに先進的な科学と技術を備える社会主義経

済に移行させる︒ベトナム民主共和国の経済政策の根本目的は︑絶えず生産力を発展させることによって︑人民の物

資及び文化生活の水準を高めることである︒﹂││砂くとも︑﹁社会主義﹂という言葉を除けば︑

呆を強制する点その他︑)これはリストの問題・論理以外の何ものでもない︒

( 註

二 )

らのみ生れ︑乙の両者からのみ国力が生れる︒﹂ (プラスの生産力効

﹁精神的統一は︑物質的利益の統一か

( 註

一 )

﹃ 全

集 ﹄

︑ 第

六 巻

︑ 三

五 六

頁 ︑

訳 四

二 九

頁 ︒

﹁ ス

ミ ス

が 研

究 の

主 た

る 対

象 と

し た

も の

は ︑

創 造

す る

力 で

は な

く て

︑ 創

造 さ

れ た

も の 即 ち 物 質 的 自 で あ り ︑ 或 は

hu

し ろ

創 造

さ れ

た も

の が

交 換

に お

い て

持 つ

価 値

で あ

っ た

︒ :

: :

こ の

主 義

( 交

換 価

値 主

義 )

欠 点 は ︑ そ れ が 一 つ の 価 値 の 担 論 で あ り ︑ 居 前 乃 至 は 商 μ 人 の 担 論 に ほ か な ら ず し て ︑ 如 何 に す れ ば 一 国 民 全 体 の 庄 産 力 が そ

の 文 明 ・ 安 寧 ・ 勢 力 ・ 永 続 及 び 独 立 の 特 殊 な 利 益 の た め に 喚 起 さ れ ・ 増 大 さ れ ・ 保 持 さ れ ・ 防 衛 さ れ る か ︑ を 説 く 一 つ の 学

後 進 国 に お け る 自 由 ︑ そ の 諸 条 件

六 九

(6)

経 営 と 経 済

説 で

な か

っ た

乙 と

で あ

る よ

( 前

掲 書

︑ 一

二 五

五 l

六 頁

︑ 訳

四 二

八 l

九 頁

)

( 註

ニ )

前 掲

者 ︑

四 一

八 頁

︑ 訳

O 七

頁 ︒

時のベトナムとのけ 往時におけるドイツと︑今日ベトナムの置かれている歴史的状況との著しい相似引同様に︑嘗つてのアメリカと現

( 註

一 )

(南北戦争当時のアメリカ同様︑)ベトナム北部には在来工業(民族資本としての手工業││

を含む)が︑従って労働者が︑集中していた︒ ﹁北部は︑労働者階級が最も多く集中した地域であり︑その結果︑北部

の青年革命同志会内の共産主義者が︑最初に︑インドシナ革命を指導するための労働者階級の独自の革命政覚の必要

( 註

二 )

を ︑

悟 っ

た ︒

それに反し︑ベトナム南部には︑(嘗つてのアメリカ南部同様︑)他国の侃備を住むべく︑前近代的大

土地所有(封建的土地所有)・商業資本が集中していた︒﹁:::南部では︑五 O ヘクタール以上の土地を所有する二・五

パーセントに満たない地主屈が︑全体で四五パーセントの土地を占有しているのである︒五 l 五 O ヘクタールを所有

( 註 一 二

)

する二六パーセント弱の中農屑を加えれば︑優に八二パーセントの土地を占有しているのである︒﹂ よって︑斯かる

南ベトナムの前近代性を打破すべく︑南ベトナムの近代化

( H

工業化)を計るべく

l l

南ベトナム政府は︑(第一次

・第二次五ヶ年計画において︑)﹁地主届には工業活動を指導しているが︑あまり成果はあがっていない︒:::少し

資料は古いが︑民間資本の産業資本への転化の困難な事例として︑

h a k 戸

丘 町

凶 の

E B 己

‑ ‑ w J 1 ︒ ‑ ・ 凶

HWz

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同 町

ω 一 ︒

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開 ︒

︒ ロ

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目 ︒

印 伊

丹 己

主 目

︒ ロ

E J H 目

︒ 神

宮 ω B

W

から引用すると︑ ﹁一九五七年︑ベトナムにおける民間人の銀行預金

は 五

O 億から六 O 億ピアストルであり︑この預金のうち︑ベトナム人の預金は一四億︑フランス人が一四億三︑七 O

O 万︑華僑が六億三︑一

00

万であった︒銀行はこの預金を年利八 l 九分で短期貸付に廻していたが︑相手先は全ん

ど商人で︑工業への融資は全んどない︒:::又繊維企業に二

00

万ピアストルを投資したベトナム貿易・工業銀行を

(7)

( 註

四 )

除いては︑工業関係に投資した銀行は一行もない﹄︑とあるよ

ベトナムの今後については如何?

多大の損害と犠 牲にも拘らず

l l

ベトナムが今度の戦いに生き残り得れば・自らの独立と統一を獲ち得れば︑然り!(経済的にいっ

ても︑)前途には希望がある︒﹁北アメリカの独立戦争は︑数百万の国民を犠牲にしたが︑しかし︑その生産力は︑

国民的独立の獲得によって︑測り得ない程強化され︑そのために︑平和後数年にして︑嘗って所有していたものとは

( 註

五 )

比較にならぬ程の巨富を創造することが出来た︒﹂││﹁アメリカ帝国主義と︑その手先の経済独占を一掃し︑国産品

の保護︑園内商工業の奨励︑農業を発展させ︑独立・自主経済を建設する︒﹂(南ベトナム解放民族戦線宣言)

の独占グループによって統制されている国は︑決して独立・自主の経済を持つ乙とは出来ないこ

﹁ 外

( 註

一 )

一 九 四 一 年 に お け る ベ ト ナ ム 全 土 の 手 工 業 者 数 ・ 生 産 額 は ︑ 次 の 如 き で あ る ( 真 保 ︑ 前 掲 書 ︑ 三 四 頁 よ り ) ︒

~~

手 工

業 者

一 七

一 ︑

五 OO

人 生 産 額 ( ピ ア ス ト ル )

三 O ︑

一 七

O ︑ 000

官 官

四 五

︑ 三

O

O 人

八 ︑

三 00

︑ 000

六 O

︑ 六

OO 人 六

︑ 九 一

o ︑ 000

ニ 七

七 ︑

四 OO 人 四 五

︑ 三 八

O ︑ 000

乙の表で直ちに解る如く︑手工業は北部が圧倒的である︒しかも︑当時の(植民地産業としての)鉱業l│代表的なものと

してはホンガイ炭坑があるーーの労働者数が四九︑五

O

O 人 で 生 産 額 三 千 万 ピ ア ス ト ル ︑ 工 ・ 商 業 労 働 者 は 一 O

万 人

以 下

六千万ピアストル︑であった乙とを勘案すれば︑如何に当時の手工業労働者の生産寄与率が低く︑日の当らない産業であっ

た か が よ く 分 る ︒ に も 拘 ら ず ︑ 敢 て 彼 等 自 身 を ︑ ( 北 部 に つ い て は 一 七 万 人 の 多 勢 を ︑ ) 保 持 さ せ た も の は 何 か ? ( 教 育 : ・

南 部

メ入 E コ

: ・

独 立

心 :

: :

気 骨

︑ 反

骨 :

: :

自 由

へ の

希 求

? )

民 族

資 本

・ 民

族 固

有 の

手 工

業 は

︑ 植

民 地

支 配

国 の

低 廉

な 大

量 生

産 物

の 輸

入 に

後進国における自由︑その諸条件

(8)

経 営 と 経 済

よって駆逐・破壊されてしまうのが落である

l l l 例えばインドの場合典型的である l ーにも拘らず

! :

j i

‑ ‑

:

﹁ 過

去 に

お い

て東アジアの従属民族は︑植民地列強が本国の生産物との問に競争を窓き起すのを恐れて︑植民地に第二次産業を育成する

乙とを故意にしなかったの r ︑と区々訴えて来た︒﹂(ボール︑前掲書︑訳六頁) 尚︑一九五五 l 七年︑北ベトナムにおけるネップとも昨ぱるべき﹁土地改革と経済復興﹂政策時における手工業と他の産業

との対照は︑次の如︑きである(前掲者︑二三O頁)︒

一 九

五 五

一 九

五 六

一 九

五 七

国 営 工 業

一二・O% 二六・四%

五一・二%

公私合営工業 五 ・ 四

私 営 工 業

一 六

・ 八

一 四

・ 二

0

・ 五

合 手 工

片 ︿

七 一 ・ 二 五七・四 四二・九

一 00

・ ︒

一 0

0 ・ ︒

一 0

0 ・ ︒

我々は︑乙の表において︑手工業が(私営工業などと共に)急速に国営工業に改造・発展した跡を見ることが出来る︒換一一↓日

すれば︑手工業(又はマニユファクチュア)こそは工業化(﹁生産様式の変革﹂・近代化)への準備・トレーニング(技術

・経営而その他における)の主要機能を果し得る(唯一のもの︑といってよい)ことを︑(例えば︑フランス平命や明治維

新の場合ーーその何れにもマニユブァクチュアが前提され︑将来の方向を規制していたーーーなどにおけると同様︑)こ乙で

も︑改めて確認し得るのである︒通常全く看過されているが

i l

ベトナム(北部)が他の東南アジア諸国と前記・状況を具

にする一一豆大点である︒﹁東アジアの新しい国々が現在百而している大きな問題は︑その国民に最も大きな利益を与える様

な国内工業を建設するために︑資本設備と技術的訓純を獲得することである︒といっても︑工業化が行われれば︑それだけ

で︑急速且つ確実に生活が向上するというのではない︒民衆が︑技術と経営の手腕をもたず︑産業規律になれていない国々

(9)

では︑工業の進歩が後れ︑ざるを得ない︒﹂(ボール︑前掲者︑訳六頁)﹁工業は︑科学や技術の子供であり︑同時に︑その教

育者・扶益者である︒﹂(﹃全集﹄︑二三一頁︑訳二七七頁││但し︑訳者は︑同ロロ己を﹁芸術﹂と訳している:::その他︑

初歩的な誤りを合めて︑所謂誤訳が少くない)

( 註

二 )

十 日

一 (

保 ︑

前 向

寺 ︑

二 七

頁 ︒

﹁ベトナムの歴史家ミン・チャインによれば︑インドシナ(といっても︑カンボジア・ラオスは僅

少で︑圧倒的にベトナムであるが)のプロレタリアートの形成は︑ ﹃北部の炭坑に︑一九 O 四年に四千人の労働者が数えら

一九一三年には一万二千人︑一九三 O 年には四万五千七百人に達した﹄︑とある︒つまり︑

巨大な資本の投入と︑それが急速な回収の中に︑ベトナムの社会的成も改変されていくのである︒﹂(前掲書︑三三 l 四 頁 )

( 註 一 ニ ) こ れ に 反 し ︑ ベ ト ナ ム 北 部 の 代

J

困は︑いわば絶対的な民地の(人口に対する)過少︑即ち人口過剰に基づいていた︒﹁トン

キンでは︑米の年間平均生産高は︑インドシナの他の地域の一人当り二五 0 キログラムに対して︑一人当り二ニ六キロに過

ぎない︒これは確かに人口過剰を示しているよ(ボール︑前掲在︑訳八四頁)﹁全んどすべての者が︑小さな畑のついた我

家を持っているが︑出家の約六 O パーセントは︑司自分の円以小限の必要を充すだけの充分な土地を持っていない︒一九三八年

には︑トンキンの民地の約六 O バ 1 セントは︑面引が十分の九エーカー以下であり︑吏に三 O バ 1 セントは︑各々四・五エ

ーカー以下であった︒:::彼等は所得の約七九バ 1 セシトを食粧に︑出か七・六バ 1 セントを衣料に賀している︒彼等は木

綿の上衣を若るだけで︑﹁冬はぶるぶる民えている︒﹄﹂(前犯者︑訳八二頁

) I l i

‑ ‑

・﹁インドシナにおける貧困は︑地域が

兵るに従って︑兵なる環境と結びついている︒北万のトンキンでは︑貧困は人口の不均等な配分と結びついている︒出万の

コーチン・シナでは︑それは耕地の不平等な配分と結びついている︒﹂北部に工業化が︑南部に民地改革が︑夫々早急に望

まれる所似である︒ れ

た が

一 九

O

八 年

に は

九 千

人 ︑

( 註

凶 )

只 保

︑ 前

判 引

い い

︑ 二

五 三

︑ 二

五 八

一 丸

( 位

五 )

﹁ 全

保 片

山 六

荘 ︑

一 七

三 四瓦︑訳二 l O

九 瓦

︑ ︑

︑ ︑

. ︑

. ︑

︑ ︑

. . .  

︑ ︑

︑ ︑

. ︑

︑ ︑

. ︑

. ︑

. ︑

︑ ︑

︑ ︑

. ︑

. ︑

︑ ︑

. ︑

. ︑

.

﹁民栄力と工芸方とが︑同一国民の中にあって︑同一の政治的経力の下に統

後巡回における自由︑その諸条件

(10)

経 営 と 経 済

一 さ

れ て

い る

な ら

ば ︑

そ れ

は 永

久 平

和 を

楽 し

み ︑

戦 争

及 び

外 国

の 貿

易 政

策 に

よ っ

て 良

工 相

互 作

用 を

妨 害

さ れ

る こ

と も

な く

従 っ

て 国

民 に

向 っ

て 幸

福 と

文 明

と 国

力 と

の 不

断 の

進 歩

を 保

証 す

る ︒

﹂ (

前 掲

者 ︑

五 二

頁 ︑

訳 六

一 頁

) 七

現今の所謂 A ・ A 諸国(らしき様態)について︑リストの日く︒ ﹁工業品と原始生産物との交換は︑今日の植民関

係の根本条件である︒それ故に︑アメリカ合衆国は︑自ら工業生産をなし︑自ら熱帯の諸国と航海及び貿易を営む欲

求と力とを感じるや否や︑イギリスから離脱したのである︒それ故に又︑カナダも同様の点に到達したならば︑イギ

リスから離脱するであろう︒それ故に又︑オーストラリアの温帯諸国にも︑やがて独立の農工商業国が発生するであ

ろう︒しかしながら︑温帯諸国と熱帯諸国との間の乙の交換は︑あらゆる時代を通じて自然の理に基づいたものであ

る︒従って︑東インドはその独立と共に工業力までイギリスに奪われたのであり︑又アジア及びアフリカのすべての

熱帯アジア諸国は︑次第に温帯地方の商工業国民の支配に帰するであろうし︑現在植民関係に立つ熱帯地万の諸島は︑

その関係から解かれることは永久に困難であり︑又南アメリカの諸国は︑常に或程度まで商工業への隷属を続けるで

( 註

一 )

あろう︒﹂確かに︑リストのこれらの予想は︑砂くとも第二次大戦前までは正確に適中し︑且つ確認されているという

ことが出来る︒ともあれ︑斯かる世界市場についての温帯 1 支配︑熱帯 1 隷属というリストの汎ヨーロッパ主義的・

植民地主義的限界を除けば││今日︑ベトナムの求めているもの︑それは広義には︑リストが嘗って原理として求め

た も の で あ る ︒ (それに加えて︑ベトナムはマルクス的・アジア的粉飾を必要としているが:::︒)

(註 二)

﹁国民的体系﹄は︑彼以後における後進諸国(日本︑ナチス・ドイツを含仕)のための貴重極まるテキストの一冊た

り 得

た ︒

G ・ファピウンケにして云う︒﹁フリードリッヒ・リストの﹃国民的体系﹂は︑多くの経済的後進諸国の政治 事実︑リストの

経済思想に非常に力強い影響を及ぼした︒:::外国に依荏しない自国の産業を発達させることが問題となったすべて

(11)

の国において︑そして又︑民族独立を他のブルジョア国家から脅かされていたすべての国においては︑リストの思想

ハンガリーにおいても︑ルーマニアにおいても︑リストの思想は影響を及ぼ

したし︑インドにおいては特に強い影響を及ぼした︒近代の中国の民族独立運動においても︑その運動が国民党に指 の影響を明瞭に確認することが出来る︒

導されていた限りにおいては︑もとよりそうであった︒孫逸仙と中国のブルジョア的革命勢力の大部分とは︑外国帝

国主義の中国奴隷化に対する闘争においてリストの理論を大いに利用した︒リストの理論は︑経済的に独立した中国

を発達させようとする彼等の努力の手引となった︒:::リストの理論は︑今日も尚︑アメリカ帝国主義に抑圧されて

いるラテン・アメリカの諸国では︑非常に大きい影響力をもっていて︑これら諸国のブルジョア的勢力のアメリカ帝

国主義に対する闘争を︑実り笠かなものにしている︒この事実によっても︑リストの理論が︑ブルジョア的民族独立

( 註

一 二

)

運動の発展に対して︑限界はあるけれども相対的に積極的な役割を演じている乙とは︑明らかとなる

o

( 註

一 )

﹃ 全

保 ﹄

︑ 第

六 巻

︑ 二

八 九

l 九 O

頁 ︑

訳 三

O 頁 ︒

( 註 二 ) 英 ・ 米 ・ 仏 ・ 関 等 帝 国 主 義 的 先 進 諸 国 の 発 展 の ル ー ル を ︑ そ の ま ま 見 倣 っ た が 故 に ︑ 却 っ て 彼 等 に 蹴 り 落 さ れ た お 人 好 し の

国 l

l │

ナ チ

ス ︑

日 本

︒ 古

典 に

倣 っ

た 芥

川 竜

之 介

の ﹁

蜘 妹

の 糸

﹄ で

は な

い が

│ │

( 我

々 の

周 囲

に も

よ く

見 ら

れ る

如 く

) ﹁

権 勢

頂 上 に 到 達 す る と ︑ よ く 登 っ て 来 た そ の 梯 子 を 背 後 に 投 げ 飛 ば し て ︑ 他 人 が 後 か ら よ じ 登 っ て 来 る 手 段 を 奪 う と い う こ と は ︑

あ り

ふ れ

た 処

世 法

の 一

つ で

あ る

︒ ﹂

( ﹃

全 集

﹄ ︑

第 六

巻 ︑

三 七

一 頁

︑ 訳

四 四

六 頁

)

(註一二)プァピウンケ︑

﹃ ド

イ ツ

国 民

経 済

学 者

F

・ リ

ス ト

の 歴

史 的

役 割

﹄ ︑

訳 二

六 九

l 七 O

頁 ︒

現実的・実践的な価値理念としての﹁自由﹂︑そしてその旗印の下における政治・経済(経済社会︑社会)の後進

から先進への﹁国民的発展﹂︑体制転換:::その必然性︑その主体的・客体的諸条件(諸力)││ヴィジョンとして︑

後 進 国 に お け る 自 由 ︑ そ の 諸 条 件

七 五

(12)

経 営 と 経 済

七 六

特徴ある直観的・歴史的方法として︑その一つの霊大な処法を示してくれたのが︑他ならぬフリ l ドリッヒ・リスト

である︒殊に諸力の解放者としての自由の意義を! ﹁自由と産業とは︑たとえ一方が他万に先んじて起ることは杭

でないにしても︑離れることの出来ぬ伴侶である︒:::商工業がどとかに勃興すれば︑その近くに自由が存するのは

確かであり︑又自由がどこかにその軍旗を掲げれば︑これは早腕産業が入城するであろうという確かなしるしである︒

何となれば︑人間がその物質的及び精神的自を獲得した後に︑この獲得物を子孫に遣すための保証をも得ょうと努力

し︑もしくは自由を頒ち与えられた後に︑その肉体的及び精神的諸状態を改善するために全力を尽す程︑当然なこと

( 註

一 )

はないからである︒﹂﹁如何なる所︑如何なる時においても︑市民の知性・徳性及び活動性は︑国民の幸福と比例し)

富はこれらの諸性質とその増減を共にしている︒しかしながら︑個人の勤勉や節約・発明心や企業心は︑それらのも

のが︑市民の自由・公の制度及び法律により︑国家行政や対外政策により︑とりわけ国民の統一や勢力によって︑支

持されていなかった所では︑決して偉大な乙とを成し遂げていない︒:・

j i

‑ ‑

‑ イギリスの工業や努力の只の飛躍は︑

イギリスの国民的自由が真に基礎づけられた時からやっと始まり︑ベニス人︑ハンザ同盟人︑スペイン人及びポルト

ガル人の工業や勢力は︑彼等の自由と時を同じくして衰えた︒個人が︑如何に勤勉であり︑倹約であり︑発明の才が

(註 二)

あり︑又知力があったにしても︑自由な諸制度の欠如を柿うことは出来なかった︒﹂﹁エネルギー︑個人的勇気︑企業

(註一二)

心及び忍耐

l l

明らかに自由の空気の中でのみ繁栄し得るところの諸性質:::︒﹂﹁自由:::全工業力の繁栄・全国民

生産力の増大の根本条件:::自由でなかった国民で商工業を営んだ宮裕な国民を︑歴史はただの一つも知らない︒.

( 註

四 )

::自由の精神:::︒﹂﹁イギリスの貿易政策が国土の天然資源を採掘し︑国民の生産諸力を発展させることが出来

る様になったのは︑主として精神的並びに市民的自由のためであり︑窓法と政治的諸制度一般の卓越のためである︒

(13)

( 註

五 )

しかし︑他の国民にも同じ程度の自由へ飛躍する能力なしと︑誰が断定し得ょうか︒﹂﹁工業・商業及び航海業:::こ

れら大きな国民的統一体の諸制皮:::これらのものは︑市民の自由という土地においてのみ根をおろし︑栄え得るも

( 註 六 ) ( 註 七 )

の で

あ る

: :

: ︒

﹂ ﹁

自 由

は 工

業 や

宮 の

娘 :

: :

︒ ﹂

註 註 註

前 前 ・ 2 2

j 日 指 示

立..主?と

ノ ¥

ノ ¥

頁 訳

頁 。

一 五

一 頁

︑ 訳

一 八

三 一

具 ︒

一 五

二 頁

︑ 訳

一 八

四 頁

(註四)前向古︑一五三頁︑訳一八五 i

六 頁

(註五)前掲古︑三三四頁︑訳四 O

三 一 員 ︒

( 註 六 ) 前 拘 在 ︑ 三 四 六 頁 ︑ 訳 四 一 六 頁 ︒

( 註

七 )

前 括

討 ︑

八 二

一 氏

︑ 訳

九 五

一 氏

( 註

一 )

但し︑我々はこ

ζ

で注芯すべきである︒というのは︑(拙稿において既に指摘した如く︑)従来﹁自由﹂が︑貿易

貿易政策の分野において︑全く逆に取扱われて来た事実である︒人々は︑この倒置に気がつかない程錯覚していた︒

(私自身︑この稿を纏めるに際してやっとその箇条を発見したのだが︑)リストは︑それをよく知っていた︒

﹁貿易の国際的自由が問題となるすべての場合と同様に︑自由という言葉によって悲き起される概

f

彼は苦いている︒

念混同:::その概念混同は︑既に諸々の大きな誤診の原因をなしていた︒人は︑貿易の自由を宗教や市民の自由と同

じ様に論ず・る︒自由一般の加担者並びに代弁者達は︑あらゆる形態の自由を弁護することを義務と考えている︒従っ

後 進

国 に

お け

る 自

由 ︑

そ の

諸 条

(14)

経 営 と 経 済

て貿易の自由も又国内商業の自由と国際商業のそれとの差別なく通俗的となっているが︑しかもこの両者相互の間に

は︑本質及び作用からいって︑天地の相違がある︒その理由は︑園内商業の制限が︑市民の個人的自由と矛盾しない

ことは稀であるのに︑外国貿易においては︑最高度の個人的自由が高度の制限と並在し得るからである︒然り!国

際貿易の最高度の自由が国民的隷属を結果するということは::::::まさにあり得べきことだ︒この意味において︑

/i

既にモンテスキューは次の様に述べている︒貿易は自由国民の場合程大きな制限を蒙る所はなく︑専制的に支配され

( 註

ニ )

ている国民の場合程制限されることの少い所はない︑と︒﹂│l然り!・我々は自由貿易主義なる命名・概念を︑今一

度改めて検討し直す必要がある︒

﹁東南アジア研究年報﹂︑前掲版︑二一二頁︒

( 註

ニ )

﹃ 全

集 ﹄

︑ 第

六 巻

︑ 六

九 l 七 O 頁︑訳八 O

頁 ︒

一方に自由なる理念(根本条件)と︑他方に社会的(自然的)諸条件││それらの集約的・統一的結果が︑リスト

( 註

一 )

の所謂﹁生産力﹂である︑が︒諸条件︑即ち(リスト以後︑歴史学派に共通して見られる基本的範鴎││)﹁:::個

人の勤勉・節約・道徳及び知識:::天然資源又は物質的資本:::国家の社会的・政治的及び市民的制度並びに法律・:

( 註

二 )

・::::国家の在続・独立及び勢力﹂︑そして最後に最も重要な:::以上の全体としての締め括りの役割を果す(と考

えられる):::﹁国民的統一:::国民的分業と生産力の国民的結合﹂︑

: : : i

l それ自体として偉大な﹁新機軸﹂の

( 註

一 ニ

)

効用をもっ││国民的統一を招来・可能とする唯一の原因としての自由!自由:::自由の人:::﹁自由な国民﹂・

﹁ ﹁ 隷 属 状 態 に 陥 っ た 国 民 は ︑ ﹂

うと努める︒反対に自由な国民は︑維持するよりも獲得しようと努める﹄︑と D この真理に充ちた考察に︑彼は次の

と ︑

モ ン

テ ス

キ ュ

ー は

一 一

一 口

う ︑

﹃獲得することよりも︑獲得したものを維持しよ

(15)

様 に 附 言 す る こ と が 出 来 た で あ ろ う

︒ 即 ら

︑ 維 持 に の み 努 め て 獲 得 に 努 め ね ば 滅 亡 す る

︑ と

︒ 何 と な れ ば

︑ 前 進 し な

( 註

四 )

い国民は一歩一歩と衰え︑最後には滅亡せざるを得ないからである︒﹂

﹁国民は︑その生産力を︑各個人の精神的及び物理的諸力から︑或はその社会的・市民的・政治的状態並びに制度から︑或

はその自由にし得る天然資源から︑或はその手中にある資材や︑以前の精神的及び肉体的努力の物質的産物(物質的な良・

工・商業資本)から汲み取るのである︒﹂(﹃全集﹄︑第六巻︑二五一頁︑訳三 O

二 頁

)

(註ニ)前掲害︑五一頁︑訳六 O

頁 ︒

(註一ニ)﹁四分五裂の国民が︑統一ある国民に対する関係は︑破損した容器の破片が︑完全な容器に対する如きものであるよ(前掲

書︑三八頁︑訳四二頁)

( 註 四 ) 前 掲 書 ︑ 六 七 頁 ︑ 訳 七 六 頁 ︒

註 自

由 と

︑ そ の

﹁ 諸 条 件

│ そ れ ら に 加 え て

︑ 両 者 の 媒 体 (

呂 a z

s )

と し て の ( 固 有 の 役 割 を 果 す )

﹁ 特 殊 な

( 機

註 )

能﹂︑特殊な個人:::﹁個人﹂の存在││ウェ

l パ l やシュムペ

l タ l

に独特なそれ:::リストやマルクスに欠けた

│ リ ス ト や マ ル ク ス 自 身 に お け る 個 人 は と も か

l く

l

一つの社会的装置:::ーーを︑私はここで提起しよう︒

( 註 ) 例 え ば ︑ マ ル ク ス の 場 合 ︑ ﹁個人は経済的範怖の人格化であり︑一定の階級関係と利害の担い手である限りにおいてのみ︑

問題となるのである口﹂(マ九クス︑﹃資本論﹄︑第一版序文)従って又︑当然︑その個人は責任・能力ある︑独立性・自律性

を有する個人︑所前﹁人格﹂たり得ない︒事実︑マルグスは一一一日っている︒﹁私の立場は︑経済的な社会梢造の発展を自然史

的過程として理解せんとするものであって︑決して個人を諸凶係に責任あるものとしようとするのではない︒﹂その﹁理由﹂

と し

て 日

く ︒

﹁個人は︑主観的には如何に諸関係を超越していると考えていても︑社会的には畢克その造出物に他ならない

後進国における自由︑その諸条件

(16)

経 営 と 経 済

も の

で あ

る か

ら で

あ る

﹂ ︑

と ︒

即 ち

マ ル

ク ス

は ︑

単 な

る 方

法 に

止 ま

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超 え

た ﹁

社 会

的 自

然 主

義 ﹂

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: 一

つ の

J¥  O 

﹁ 自

然 主

義 ﹂

的 社

会 観

( 哲

学 )

: :

: 彼

の 所

詞 唯

物 史

観 に

よ る

哀 付

を も

強 調

す る

の で

あ る

一つの国民体全部の運命に関わる如き一般的危機(危機意識﹀は︑常に民衆の覚醒を促さずにはおかない︒

い社会的要求﹂に応えるべく︑新しき指導者は全情勢を明確且つ強力に志識・把握し︑その変革・改革││(詩積さ

一社会全体の猛然たるエネルギーの噴出を期待すべくーーを伴う新しい価値理念を唱導する︑と︒

﹁ 新

れた)

一 国

民 ︑

ー「

態度と構造の変革﹂ ﹁革命的変革に導く遥かに進んだ改革﹂

る決定的な時期に︑宗教家或は思想家︑或はウェ l パ l 風に表現すれば﹁予言者﹂司円︒司

F 2

: :

が︑全く新しい・高 :

い価値理念を指し示す︒そして︑そのことによって︑危機的な状態に達している経済生活や政治における利害状況の

( 註

)

現実的な意味がぐるっと変り︑歴史そのものが生れ変ることになる︒﹂

( プ

レ ピ

ッ シ

ュ )

( カ

レ ッ

キ l )

︑これである︒

﹁ あ

( 註

) 大

塚 久

雄 ︑

﹃ 社

会 科

学 の

方 法

﹄ ︑

(岩波新書版)二一二 i

三 頁

自由の謡歌︑その先覚者・体現者︑或は民衆の指導者・組織者としての(的大なる)個人

( l

天才・英雄)の出 i

現!査し︑﹁偉大な人聞が創始者回︒向山口口

O

円 ω であるのは︑他の人々よりもよく先を見通し︑又他の人々よりも︑

( 註

一 )

強く物事を望むからに他ならないこ斯かる意味では︑(例えば︑)シュムペ

l タ

i

( 或はゾムバルト)

( 註

二 )

業者﹂にせよーーー﹁伎は英雄である︒:::その力はおそるべきものであるよ の所前﹁企

企業者の拾頭・出現により︑

﹁ :

・ ・

: 近

代国家と我々の名付けているところのものは︑その本質を変えてしまうであろうし︑経済は︑新しい発動機によって︑

新しい軌道の中へ︑推しやられざるを得なくなるであろう︒社会構造は︑現状のままに止まることが出来なくなるで

(註一二)

あろうし︑生活感情と文化内容︑個々人の心理的慣習

l

│ そういう全てのものが変らざるを得ないであろう︒﹂

(17)

( 註

一 )

プ レ

ハ ノ

フ ︑

﹁歴史における個人の役割﹂︑木原訳(岩波文庫版)八五頁︒﹁偉大な人間が偉大なのは︑彼の個人的特質が

偉大な歴史上の事件に対して個性的な様相を与えるからではなくて︑彼がその時代の大きな社会的要求ーーー一般的原凶や特

殊な原因の影響を受けて起った要求ーーに︑彼を最もよく役立たしめることが出来る特質を持っているからである︒:::彼

は社会の知的発展のそれ以前の歩みが持ち出した学問上の問題を解決する︒:::﹂(この後について︑)同じ事柄を︑積極

的・能動的に表現すれば・表現(万法)を変えれば︑乙うである︒

値 は

︑ 一

時 代

全 体

の ﹁

卸 万

﹄ を

規 定

す る

︒ ﹂

( ウ

1 パ 1 ︑ ﹁科学的天才がその研究対象に関わらしめるところの価

﹁社会科学的並びに社会政策的認識の﹃客観性﹄﹂︑富永・立野訳(

岩波文庫版)六一頁︒)

( 註 二 ) シ ュ ム ベ ー タ 1 の指導者社会学の一片を記せば

l i

l ‑

‑ :

:

﹁企業者の指導:::元来指導とは︑ただ仕事そのものではなくして︑

これを通じて他人へ影響を及ぼすことを志味する︒指導者行為とは︑(例えば︑)騎兵隊の指揮者が真先に敵陣に乗入って

敵を万式通りに居り殺すことではなくして︑むしろその際に部下を率︑きつれて行くことである︒

11

l

又 以 上 述 べ た こ と は ︑

最後には︑完成せられた社会的地位という装置を通じて行われる指導者活動についてもあてはまる︒そうして︑指導者のタ

一万に於て事物を見る特殊な方法であり││乙の際再び注意すべきは︑これは知力によるという

よりも(克も知力によるとしても単純にその広さ・高さによってではなくて︑まさに特定種類の偏狭によるのである)︑む イプを特徴づけるものは︑

しろ全く一定の事柄をつかんで︑これが真相を見る所の志志と力とによる点︑乙れである ll 又(他万に於て)単独に且つ

衆に先んじて進み︑不確定なことや抵抗のあることを反対理由と感じない所の能力であり︑次でここでは最早これ以上詳し

くは研究しないが︑﹃結成﹄︑﹃圧力﹄︑﹃人を服従せしむる力﹄とも昭ぴ符べき影響を他人に及ぼす乙と等である︒﹂

発 展 の 理 論 ﹄ ︑ ご 一 八 l 九頁︑訳一二五頁)﹁あらゆる困難に打克つこと︑与えられた任務をやり遂げること︑

的 な 行 い に 間 違 い な い ︒ ﹂ ( ホ 1

・ チ

・ ミ

シ )

( ﹃

経 済

それは英雄

( 註

一 ニ

) シ

ュ ム

ベ ー

タ 1 ︑ ﹃ 租 税 国 家 の 危 機 ﹄ ︑ 訳 三 七 l 八頁︒斯かる意味で︑シュムベータ 1 の所謂﹁発展﹂││企業者なる特殊な

後進国における自由︑その諸条件

J¥ 

(18)

経 営 と 経 済

八 二

個 人 に よ る ﹁ 自 由 ﹂ の 経 済 社 会 へ の 導 入 ︑ そ の ( 生 産 過 程 へ の ) 火 付 け に よ る 社 会 的 条 件 の ( 全 体 と し て の ) 爆 発 ー ー は ︑

ま さ に 特 別 の ・ ﹁ 特 殊 な 過 程 ﹂ で あ る ︒ ( 後 期 ) 歴 史 学 派 ( ウ ェ

1

1

︑ ゾ

ム パ

ル ト

︑ プ

ッ ト

ル :

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) に

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︑ そ

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付 け

は ︑

先 づ

﹁ 精

神 ﹂

に つ

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け、と 7 ご も

と い 「

う 個 乙 人 と 的

も な 、 特

そ 質 れ の に 影 劣 響 ら が ず ど 疑 れ い 程 な 疑

~) ~

乙 な

と~

)  で と あ(し る註て よ二も そ れ

カ 2

作 用 す る の は た T ご

一定の社会的条件のも

(リストの言葉をもって換言すれば︑こうである︒)

( 註

ニ )

﹁歴史の教えるところによれば︑個人は︑その生産力の大部分を︑社会的な諸制度及び状態から汲み取るものである︒﹂

従って又︑我々は︑思い切って次の様に言い換えることが可能である︒﹁歴史の中の本当に重要な事件や個人は︑そ

( 註

一 ニ

)

れが只単に制度や経済条件の発展のしるしゃ象徴としてだけ重要である︑と︒﹂つまり︑乙うである︒

( 註

四 )

徴﹂たる個人より本当に重要なのは︑その背後にある﹁制度や経済条件﹂なのである︑と︒ ﹁しるしゃ象

コ般的な歴史的条件は︑

最も強い個人よりも更に力強い︒偉大な人聞にとっては︑彼の時代の一般的な性格は︑﹃経験的に与えられた必然性﹄

( 註

五 )

で あ る ︒ ﹂ ( シ ュ ム ペ l ターにして言う︒)﹁成程︑人は各々自己の行動の万向を﹁選ぶ﹂ものであり︑しかもそれは環

境の客観的与件によって直接規制されているわけでもない︒ しかし︑人が選択する場合に基礎となる立場や意見や性

向 は

それ自体客観的な与件によって型を決められているものであって︑何か独立の一組の与件をなしているもので

( 註

六 )

はないのである︒﹂極端に云えば︑乙うである││﹁自由とは必然性の認識である︒﹁必然性が盲目なのは︑それが

( 註

七 )

理解されない限りにおいてに過ぎない︒﹂﹂

( 註 一 ) プ レ ハ ノ フ ︑ 前 掲 論 文 ︑ 訳 五 七 頁 ︒ ﹁ 英 雄 : : : だ が 彼 が 物 事 の 自 然 の 歩 み を 止 め た り ︑ 変 え た り 出 来 る と い う 意 味 で 英 雄 な

のではなくて︑彼の活動が︑この必然的な無意識の成行きを自覚し︑乙れを自由に表現するものだという意味で︑彼は英雄

(19)

なのである D ﹂(前掲論文︑訳八五頁)

(註二)﹃全集﹄︑第六巻︑一五一頁︑訳一八三頁︒﹁如何なる所︑又如何なる時においても︑市民の知性・徳性及び活動性は国民の

幸福と比例し︑富はこれらの諸性質とその増減を共にしている︒しかしながら︑個人の勤勉や節約・発明心や企業心は︑そ

れらのものが︑市民の自由・公の制度及び法律により︑国家行政や対外政策により︑とりわけ︑国民の統一や勢力によって

支持されていなかった所では︑決して偉大なことを成し遂げてはいない︒﹂

( 註

一 ニ

) プ

レ ハ

ノ フ

︑ 前

掲 論

文 ︑

訳 八

七 頁

﹁歴史科学の最も主要な任務は︑社会制度や経済条件を研究すること:::その様な傾向が︑決定的に強くなる時に︑歴史科

学は︑非常な進歩を遂げるだろう︒﹂(前掲論文︑訳四 O

頁 )

( 註

五 )

前 掲

論 文

︑ 訳

三 六

頁 ︒

( 註

四 )

( 註

六 )

シ ュ

ム ベ

1 h

p I

︑﹃資本主義・社会主義・民主主義﹄︑二一頁︑訳一九頁︒シュムベーターのこの言葉をもって︑直ちに︑マ

ルクス(の哲学︑唯物史観)との同一を云々すること(例えば︑都留主人氏の場合)は︑尚早である︒(引用中︑﹁直接﹂

なる語に注立︒)彼は又︑次の様にも云っているからである︒﹁人格も又:::総ての諸事情の成果である︒人格は︑斯かる

諸事情から直ちには抽き出し得ない様な固有のメルクマールを多少とも持っているかもしれない︒:::人格は又:::反作用

を及ぼすのである︒それ故︑人格が未だ説明されざる独自の性質を持つからであるにせよ︑或はそれが﹃寄続型﹄であり︑一

皮形成されるならば或程度まで独立の要因となるからであるにせよ︑それ自身一つの独立的契機として顧慮せられねばなら

ぬこ合理論経済学の本質と主要内容﹄︑二ご一百円︑訳一一四頁)﹃本質﹄でのこのロジッグは︑そのまま︑﹃資本主義・社

会主義・民主主義﹄(前の引用に続く箇所)において︑唯物史観批判の一方法として︑用いられてさえいる︒それのみか︑

(私の前述せる如︑き訟味・在在としての)﹁個人﹂によっての﹁指導者の機能﹂もが︑積極的に高揚されるに至っている︒

即ち臼く︒﹁それにも拘わらず︑医史の経済的解釈︹唯物史観のこと││筆者註︺が︑或場合には満足に作用し︑他の場合

八 三

後進国における自由︑その諸条件

(20)

経 営 と 経 済

/

1 、

には不満足にしか作用しない一つの便利な接近以上のものであるか否かが問題となる︒乙れには最初から一つの明白な制約

がある︒社会構造︑様式︑態度は︑容易に融けない硬貨の如きものである︒それらは︑一度形作られたら︑恐らくは数世紀

聞も存続するであろう︒そして︑構造や様式の異るに従ってその生容能力も異なるから︑現実における集団や国民の行為は︑

生産過程の支配的形態に基づいて推論せんとした場合に予期されるものとは︑全んど沼に若干の喰違いを有することが解る︒

:::マルグスは︑斯様な事実を見逃したのではなかったが︑それが包含するすべての意味を全んど認識していなかった︒こ

れに関聯した場合として一層芳しくない意義を有するものがある︒六︑七世紀を通じてのプラング王国における土地貴族主

義なる封建的様式の出現を見よ︒それが多年に亙って社会構造を形作り︑且つ又欲望や技術をも含めた意味での生産条件に

影響を与えた最も重要な出来事であったことは多言を要しない︒しかしそれは︑元々家族や個人によって充たされていた軍

隊指導者の機能によって︑いとも簡単に説明され得る︒:::斯かる事情は︑マルクスの図式には全然うまく適合しないが︑

他の方向で考えてみれば︑その要点は極めて容易に理解されるものである︒成程︑乙の種の事実が︑補助的仮設の導入とい

う形でマルクスの図式内に持込まれ得ることは疑いないが︑斯様な仮設を導入せねばならぬということは︑通常その理論の

終需の第一歩をなすものである o

﹂ (

一 二

l

三 頁

︑ 訳

x u i 一

頁 )

( 註

七 )

エ シ

グ ル

ス ︑

﹃ 反

デ ュ

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シグ論﹄︑村田訳(大月害届版)

一 三

五 頁

﹁自由とは意識に転じた必然に過ぎない︒﹂(プレハ

ノブ︑前掲論文︑訳一七頁) コ定の現象が無条件に必然的だという自党は︑その現象に共感を持ち︑自分をその現象を惹

き起す幾つかの力のうちの一つだと考える人の精力を増大させるこ(前掲論文︑訳二六頁)

( 波 多 野 精 一 氏 に よ れ ば

︑ キ リ ス ト 教 に お い て は

︑ ) 天 使 自 体 は 何 等 重 要 で な く

︑ 彼 が 媒 介 せ ね ば な ら ぬ 神 と 人 と の 関 係 が 本 当 は 重 要 な の で あ る

︒ 天 使 は 神 と 人 と の 関 係 そ の も の

︑ そ の

﹁ 象 徴

﹂ と し て 登 場 す る わ け で

︑ 彼 自 体 に 怠 義があるのではない︒

l

l と

︑ す れ ば

︑ 我 々 が

︑ 個 人 を 没 却 し て

︑ 別 の 論 理 ( 論 理

│ シ ュ ム ペ

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参照

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