ピエール・ロチと小説<お菊さん>
引田稔
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カ
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小説八お菊さん
Vのロチ文学における位置
I
小説八お菊さん
Vにあらわれたロチ文学の特質
結 ぴ
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京 日 国
寸円ー
2
白
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即ちロチ像
4
ロチにおける児国情縮とその起源
5
ロチの人生観︑哲学
まえ
カ1
き
フランスの印度支那植民地建設の構想はルイ十六世時代に発し︑フランス革命後の王政復古期を経て︑
第二帝政︑即ちナポレオン三世によって実行に移され︑フランスは交祉文那を領有した︒その後トンキン
地方を占めていたフランシス・ガルニエ
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口
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ω片岡戸山内凶同)が一八七三年伏兵に倒れ︑一八八三年同じくアンリ・リヴィエlル
(問
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ユ恒
三常
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が戦死すると︑フランス政府はクlルベ提督
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を司令官とする海軍兵力を増派した︒乙の時海兵隊はユエの近くのチュアン・アン
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を砲撃し乙れを占領したが︑その詳細な報導記事が現地にあった海軍大尉ジュリアン・ヴィオ
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によって書かれパリのフィガロ紙に送られたDヴィオl大尉とは即ちピエlル・ロチである︒
ロ
ピニ~'-ll- ・ロチと小説くお菊さん〉
チの記事は一八八三年十月一七日掲載され︑当時このトンキン戦争に熱狂していたフランス国民の間に大
きな反響をまき起こした︒ところがそのルポルタージュの中の一節をめぐって当局の物議をかもす結果と
なっ
た︒
l
lロチの述べているところによると︑フランス軍は敗走している安南人に砲火を浴びせている︒
八フランスの海兵が戦争法規に違反するかくの如︑き行為を犯しているとすることは許し難いv
ー ー と い う
のがその理由であった︒そしてその非難の高まりに耐えられず海軍大臣は遂にヴィオl
大尉を本国へ召還
せ︑ざるを得なくなった︒だが帰国してみると︑その間に事態はヴィオl大尉にとって好転しており︑何ら
の罰を受けることもなく︑ロチはその後再びクlルベ艦隊に合流するため極東海域へ派遣された(一人人
五年)︒安南およびトンキンをフランスの保護国とすることを承認させたが︑安南に対する宗主権を主張
五二九
五 三
O
す る 清 国 と の 聞 に 戦 争 が 拡 大 し て い た か ら で あ る
︒ 自 ら の 筆 禍 事 件 に つ い て ロ チ は
︑ 八 と も あ れ 極 東 に お
い て
は ︑
破壊すること︑
そ れ が 戦 争 の 第 一 の 捉 で あ る
︒ な ん と い っ て も わ ず か 一 握 り の 兵 員 を も っ て 到 着 し
広大な一つの国全体に自分の捉を押しつけようとするのであるから︑
そのような事業は冒険というの
外はなく︑
大量の恐怖を浴びせるのでなかったならば︑倒されるのは己れ自身である︒
V
と述壊している
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さ て
︑ ロチの乗組んだ軍艦は北上して台湾封鎖に当り︑次いで
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官SE
を 訪 れた︒小説ハお菊さん
V
はそのような時点において筆を起こされた︒
か つ て の フ ラ ン ス 艦 隊 に 代 り
︑ 今 日 印度支那の沿岸を封鎖する艦艇には星条旗がなびき︑
世 界 の 注 目 を 集 め て い る が
︑ ベ ト ナ ム の 運 命 を 思 い 合わせるとき感慨深いものがある︒
I 小 説 八 お 菊 さ
んV
のロチ文学における位置
一九
五 O
年︑ピエ
lル・ロチ
附 よ
0210HA
︒ 己
の誕生一
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年 を 記 念 し て 長 崎 の 諏 訪 公 園 に 建 て ら れ た 記 念 碑 の 除
幕式において︑
八ロチの主要な功績は︑
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人は ロ チ
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ロチが最初に︑ フランス人に対して︑
かき立てたことである︒ フランス人はこれによって︑
そ れ ま で 唯 一 の も の と 思 い 込 ん で い た 自 国 の ギ リ シ ャ︑ラテン文化の流れから︑他の追った︑
す な わ ち 東 洋 の 文 化 へ の 限 を 閃 か れ た
︒ そ し て
︑ 半 世 紀 以 上 を 経 た今日においても︑なお多くのフランス人は︑
ロチの眼を通して日本を見︑
日本を愛しているということが
ピエーノ
L・ロチと小説くお菊さん〉
でき
る︒
八し
かし
︑
ロチのこうした面における成功は功罪相半ばするということもできるだろう︒なぜならば今日の
日本はもはや当時の日本ではないし︑比較にならないほどの多くの︑
よ り 良 き も の を も っ て い る か ら で あ る ︒
八ロチは多くの日本の美しいものを見た︒しかしそれらは︑
いわば日本の外観である︒ロチが見落したも
の︑よくうかがい知ることができなかったもの︑(それもそのはずで︑当時としてはまだ研究も行き届いて
いなかったのであるからもちろんロチのみの責任に帰することはできないが)︑その見落したものは︑日本
文化の底を貰いている本質的なもの︑日本の精神である︒人類の真の財産であり︑そ乙に人類の真の偉大が
ある芸術および思想の分野において日本が寄与したもの︑また寄与しようとしているもの︑そういうものに
ロチは深く触れていない︒しかしそれ乙そが︑今後のフランス人の注目に価するものである︒││そして︑
結論として次のように結んでいる︒
八ロチは日本の近代佑B
︒ 品 ︒ 円
ロ 2
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ロについて歎いているが︑しかし︑日本は生存し︑成長する︒すでに
二十世紀の強固であることは実証ずみで︑こうした日本は︑同時にその本来の文化的な特質︑特に偉大な精
神力を発揮すべ︑きであろう︒V(
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乙れは別に文学者ではない︑若い︑ふつうのフランス人︑特に今日のフランス人のことばである︒そのあたりま
えの一フランス人が今日ロチを読んで︑特に日本を題材とした小説八お菊さんV
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んでどう感ずるか︑ということを率直に述べている点でわれわれはおもしろく思う︒また小説八お菊さんVを読む
五 三
一
五三二
われわれ今日の読者にとっても大いに教えるところがあると思う︒
またある別なフランス人︑これは永く日本に住み︑日本人を妻にした一人の年とったフランス人であったが︑同
じくロチについて︑次のようにいっている︒
八小説﹁お菊さん﹂を注意して読んでみると次のことがわかる︒ロチはこの若い日本の女性からいわば深い
愛情がほしかった︒しかし彼女としては︑ロチの長崎滞在が一時的なものであることが初めからわかってい
たのであるから︑そうすることができなかったのは当然のことである
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││いずれもこれは︑とくすなおな小説八お菊さんVの読後感であると思う︒
それでは︑今日のわれわれ日本人は︑この小説八お菊さんVを読んでまず何を感ずるであろうか︒このことを考
えてみたい︒そしてとく簡単にいうならば︑誰でもが気づくように︑題名は非常によく以ているがあの八お蝶夫
( 註
1)
人V
冨包
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自
広々とはすっかり様子が違っていて︑主人公であるロチとお菊さん︑すなわちマダム・クリ
国
EZザンテlムとの関係はあの歌劇のようにはちっともロマンチックではなく︑むしろがっかりさ
J
られるというのがいつわら︑ざる読後感であろうと思う︒乙れを一つのふつうの小説としてペlジを追うものは︑
ζ
の物語がいっ乙うに小説らしくないことにしびれをきらし︑せめてもと思う物語の中のお菊さんもまたいっこうに恋愛も事件も展開
しないので退屈を感じないではいられない︒
それ
のみ
か︑
お菊さんという一人の女性によって代表されている日本
の女性が︑その外の種々の日本的なものとともに作者ロヂの辛疎な批評のことばを浴びせられているのをみて︑
不
愉快な思いになることもいく皮かあることげこれもまた一般の読者︑われわれ日本人としては(もともとフラン
ス人のみを対象として書かれたものとはいえ)当然のことというの外はない︒
しかし作者ロチは︑
さん
Vの序文の中で︑ 一見そうみえるようにお菊さんではない︒
そ れ は 乙
自・の 分・小
と 説、八
日・お 本・菊
八この作品の主要人物は︑
と︑乙の日本が自分につくり出した効果なのだ︒
Vということをはっきりと定義している︒
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その同じ序文の中で︑
八どうか道徳的な批判などはされずに︑
遠いアジアの果てからの珍しいみやげものの骨苦品でもうけとるように︑
寛大な微笑とともにこの書を受けとってほしい︒
Vという意味のことを書き添えている︒序文は一人の公爵夫人に 献じられたものであるからそのように乙とわりを記したとみられるが︑
ロチの日本における生活それ自体について も八時代
V
を考えに入れてみればそれはまた当然のことであろう︒
われわれにとって重要なことは︑八ロチがこの 作品の中で浮彫りにしようと読みた三つのもの︑││﹄ロチが冨三
(己れ自身)と称したものと︑ その中
日 本
と ︑
ピエー;t・ロチと小説くお刻さん〉
におけるロチの変貌
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とがどのように描かれて︑作家としてのピエ
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ル・ロチの文学的な価値を決定し︑ 位置づ
けているか
Vということである︒更にこの小説が今からおよそ八
O
年以前に書かれたという乙と︑ 日本の読者とい
うものは全くその念頭になかったであろうということ︑
それだけに顧慮もなく遠慮もない率直な感想や批評をわれ
われ日本人が見出す乙とができるという乙とと併せて︑
ロチの日本文化の見方がいかなる価値をもっ乙とができる
かという乙とである︒まず第一に︑
ロチが自らの作品を定義した前述の言葉は甚だ重要である︒何故ならば︑それ はいわゆるロチ文学の特徴を端的に表現しているからである︒作品の主要人物は一人の日本の女性ではない︒
逆 に
日本の風物の中にさながらその樹木や山水の如く溶けこんでそれらが海然とかもし出している八日本の魂
V
をロチ
五
五三四
はとらえた︒ロチは日本の外見しか︑康民しか︑片田舎の
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しか見なかった︒しかし︑彼の見たもの(描
いたもの)の中に最もよく日本の民衆を代表する生活があった︒いわばその体臭がとらえられている︒そのような
生活の体験を通したとき最もよきもののほんとうの体得も可能となるものである︒外国の文佑を真に正しく理解す
るためにはその文化を生み出した風土を理解し︑その民族を理解しなければならない︒そのためには︑
その
国民
︑
その民衆とともに生活してみる乙と以上に有益なことはないであろう︒ロチのこの小説はまさにそのような理解の
基盤を提供している︒フランス人といわず日本の読者も︑ひとしくこの小説が日本の最も価値ある側面││即ちそ
の精神力の偉大や︑高い文化をたゆみなく創造し続けてきた芸術性を特に指摘していないことに不満をもつことは
充分考えられる︒しかし︑一つの民族について︑その精級華麗な芸術文化や英雄的な武勲にしか注目しないことも
決して正しい理解とはいうことができない︒むしろ前述の如く︑平凡な日常生活の真相の中によくその国民︑
その
民族の特色や本質が根を下ろしている︒ロチの文学の中にとらえられている当時の日本および日本人の姿は今もな
お多くの部分が変らずに生きつ"つけているということができよう︒小説八お菊さんVは以下において述べる如く最
もロテ的なテlマとその技法の特色とが見事に結合した作品であって︑ほぽ同じ時期に執筆された八氷島の漁夫V
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FZロ品︒(一八八六年)とともに︑ユニークな響きと色彩とにつらぬかれたロチ文学の双壁を成すもの
とあえていうことができる︒
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にあらわれたロチ文学の特質
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ロテの文学の特色はいうまでもなく︑その異国情緒
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にある︒しかしこのエグゾチスムは第一に自
分の祖国フランス人に対するものである︒したがって日本が直接の対象となっているこの小説八お菊さんVの場合
は︑作品の魅力︑作品の価値の大半を占めているその異国的なものが︑
われわれには奇妙な形でしか理解できな
い︒つまり︑われわれ自身のなんでもない事柄を︑変った西洋人の眼で眺め︑表現しているその風変りな表現が逆
にエグゾチックであるということになる︒ところが︑時日が経過するにつれて︑思いがけない効果が生れてきた︒
それは作者も読者もはじめは気づかなかったことに違いないと思われるが︑小説に描かれた自然も人も大きく変貌
して
︑
いまわれわれには︑歴史的な興味とともに蘇つくるということでその過ぎ去ったものへの激しい惚しさが︑
ピエーノ
L・pチと小説くお菊さん〉
ある︒そしてこの怯しさが︑はじめロチが表現しようとしたそのエグゾチックなものと非常に似通った響きをもっ
ている︒いいかえると︑半世紀をはるかに越える時日を経てわれわれ日本ははじめて乙の作品の中に乙められてい
たその異国伯絡を理解できるようになった︒
そし
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そのように直接そのエグゾチックな響きを︑汲みとり得るよう
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って
︑
このロマン
(小
説)
が︑
予期しなかった不思議な再生の光を浴びはじめてきたのではないかということ
である︒だがこれを単なる時代の効果ということはできない︒なぜならば︑過去のものであり︑古いものであるな
らばすべてがわれわれに似しさをもたらすものでは決してないからである口ロチが当時の日本︑特に長崎について
とらえた鋭い印象が︑よく当時の日本的なものの真髄を洞察していたからであり︑特にその印象を彼の独特な平明
五 三 五
五三六
で筒潔な筆力の中に受けとめ写し出していたからに外ならない︒
異国情緒というとき︑それは具体的には︑異った土地の匂い︑昔︑色︑形などの﹂利子といってきしっかえないと
思う
が︑
ロエノはこの点特に優れた画家であった︒画家のように︑鮮明に︑克明に拙き上げた作家ということができ
ょう︒ところが︑これは全く偶然というべ︑きであろうか︑日本人はどの国民よりも自然を愛し︑自然に親しみ︑白
然の中にその文化を育ててきた国民である︒したがってロチがこの小説八お菊さんV
の中
で︑
事件や人間心理の複
雑微妙な紛糾葛藤をテlマとするよりは︑唯一の主要人物である八自分Vというものの主情的な印象を中心として
もっぱら背景を︑舞台としての自然的な環境を︑美しく豊かに描いたということは︑
日本的なものと調和してλ乙乙にもまたこのロマンが︑その内容の前世紀的な古さにもかかわらず︑ この場合ま乙とによく題材の
何か拾てがた
い味わいを今日もなお残している一つの理由が見出せると思う︒われわれはたしかにロチが書き残した自然描写の
中に少なからぬ共感を︑かつ郷愁さえもを感︒するといいたい︒あえていえば︑その断章のいくつかは青い自によっ
て書かれた徒然草の一章とも形容できるのではないだろうか︒そこでは︑自然が描かれていると同時に︑その自然
の懐にすっぽりと抱きかかえられている人聞の心が土の香りのようににじみ出ている︒
ニ︑自然
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風景描写︑あるいは自然描写というものは︑価値の低いものということができるであろうか口というのは︑文学
の中におけるいわゆる風景描写は次第にせまくなってきているように思えるからである︒そしてこのことは近代文
学︑特に現代文学の特徴の一つであると指摘することもできると思うからであるU
たしかに︑文学は絵画ではな
い︒文学の主要な領域が人間の心理であることは︑われわれの今日の関心が自然よりも人間に︑社会に向けられて
いる以上それは当然の乙とである︒しかしそれにもかかわらず風景描写は今日もなお依然その本質的な意義を文学
つまり︑心理的な描写の前に風景的な描写は引きしめられるだけ引の中で持ちつづけているということができる︒
きしめられ︑そこにかえってすばらしい凝縮がみられるのであって︑いっそその結果︑われわれはむしろ広大な︑
う力強い自然の中に誘われ呼吸させられることに気づく場合が決して少なくない︒
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の八ペストVや八呉邦人Vの中にみられるほとんど絶対最小限としか思えない簡潔きわまる自然描写の数行
がいかに作品を生々と力づけているかをみるのである︒ロチが描いた風景はその意味で人の心とは無関係に眺めら
れている背景描写ではなく︑彼が描く広大な海洋の︑きらめきと︑漂う如く進路を探る帆船の姿は︑自らの運命の術
献であり︑人間の存在を自然の中に融合させ︑かつ合一させることによって生命の意味を倍ろうとする一つの試み
の如くにわれわれに迫るものをもっているということができる︒
ヒらエーノ
L・hチと小説くお菊さん〉ロチは自然を愛したーーというと︑なにかいかにもセンチメンタルな︑弱々しい感じを与えることになると思う
カ
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ロチは決して少女的な意味でのセンチメンタルな作家ではなかった︒彼は海軍士官であった︒そして自らが選
んだ海軍士官であることに彼は終生変ることのない誇りを抱いていたD彼は故国を遠く離れ地球上のさまざまの国
を訪れ︑さまざまの自然に接して旅人としての強い郷愁に駆られる一方︑この人間の住む世界の空間的な︑また時
間的な拡がりの深さに打たれてしみじみとその遥かな国の自然を眺めている︒その印象には未知の国を訪れる旅人
の新鮮な感党が躍っている反面︑単なる行きずりの旅人とは巡ったその土地の風物に対する温い︑深みのある観察
ロナが︑単に広大な自然を実際に訪れたばかりでなく︑が汲みとられている︒というのは︑ある場合には少なくも
五三七
五三八
かなりの日数をその未知なる土地に溶け入っていっしょに暮したからである︒初期の作品についてのみに限定して
も
スタンプlル中心に一八七六年八月から翌年の五月まで約一年に近い期間をこの異境に過
( 註
2)
とし
1 1
作品八アジヤデV一八七九年││︑南太平洋︑タヒチ臼には約二ヶ月間滞在した
l
l作品八ロチの結婚
V
ロチ
は︑
サロ
ニ力
︑
一八
八
O年 ︒
更にサン・ルイからダカlルにおよぶ西アフリカのセネガル海岸には八ヶ月近くを勤務や滞在に賀し
ている││作品八アフリカ騎兵V
一八
八一
年︒
このように充分な生活体験の積み重ねの中から主味のある現実とし
て把握されている自然︑しみじみとした愛情の中で眺められている自然であるが︑その自然についてロチはさまざ
まの乙とを何よりも一人の人間として感じたに違いなく︑その疑問を己れ自身に対してきま︑ざまに語りたかったに
相違ない︒しかし︑名もなき雑草の一つ一つにも解き明かしがたい存在の神秘がかくされている如く︑ロチは何も
のかをこの自然の懐の中に解き明かそうと苦しみながら︑遂にその不可能の前に行み︑孤独な自分の魂を眺めてい
る︒そこにわれわれが見出だすものは海軍士官ピエiル・ロチであるとともに存在の本義を模索するひとりの人間
の憂愁である︒
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われの何もかもが移り変るのに︑自然のみはいささかの変佑もなく同じようにその限りなく小さな隅々まで再
生を繰返していく姿はま乙とに驚くべき神秘だ││同じ苔の独特の種類が何世紀もの問︑まさに同じ場所に青
( 註
3 )々とひろがり︑同じ小さな昆虫がくる夏ごとに同じ場所で︑同じような営みを繰返す
::
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V
長崎訪問以前にロチはすでに海路が許す次の国々をめぐっていた︒すなわち︑地中海︑ブラジル︑
カ
アメ
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︑
ナダ︑北海およびバルト海︑南太平洋︑西アフリカ︑近東諸国︑
アド
リア
海︑
印度
支那
︑
トル
コ︑
アリジエリア︑
台湾
︒
ロチ自身が訪れ︑そして鮮かに描いた世界の隅々の国の生々とした自然と風俗とは︑人々をロチとともにそ
の新しい広い異った地平線の前に立たせ︑いわば人間の心の視野を拡げ︑当時の人々︑西欧の人々に対して実感を
こめた新しい世界像を植えつけたことは回目頭に引用したフランス人のことばにもみられた通りであるが︑これによ
って未知な国々︑ささやかな民族︑民衆に対する八理解Vへの一つの機縁がつくられたことは︑たしかにロナの功
績の一つとして数えてもさしっかえないと思う︒小説八お菊さんV
の中
には
︑
先進国としての西欧人のあからさま
な優越感が随所にのぞいている反面︑否定しようとしても不可能な東洋の価値ある伝統的な文化風習の特質が次第
にロチをとらえ︑ロチの心を変えていく推移が読みとられる︒それはロチが八効果Vと呼んだものに外ならない︒
ヒ.エ ..-l~ ・ロチと小説くお菊さん〉
註 註
( 3 ) ( 2 )
拙稿八ピエール・ロチに於ける文体の発展V参照(﹁経営と経済L
第三
五年
第一
冊︒
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八宮
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︑ハ 富三 V
│
│即ちロチ像
この小説を読んで今日の日本人がまず第一に読後感としてもつものは︑前述のようにかならずしも愉しいもので
はな
いこ
と︑
その理由はあまりにも率直にわれわれ日本人の欠点︑美しくない面がところどころで指摘されている
ところにある︒われわれ日本人としては︑それが日本人のために書かれてはいないとしても︑もっと別の点︑好ま
五三
九
五 四
O
しい点をこそとり上げてもらいたかったと思うとしたらそれも当然の人情であろう︒だが問題の本質はロチの見方
にあると思われる︒われわれはそこに作品の焦点を合せてみなければならない︒
一口
にい
うと
︑
このような遠慮の
ない批判の陰にも︑ロヰノという作家の生来の優しさがにじみ出ている︒思怠ある旅人の限をもった観察家ではなか
ったということがいえる︒まさしく︑前にふれた一人のフランス人が評したように︑もしできれば激しくお菊さん
を愛したかったのだということも決して誤りではないであろう︒事実︑ロチがどちらかというと海軍士官というい
かめしい一肩書には似合わないくらいに女性的なタイプ︑やわらかな人柄を感じさせるのは否定できない︒おそらく
これは彼の根本的な性格であったのではあるまいか︒そしてその原因を彼の家族構成の中にさぐってみるとき︑あ
ながちこの想像が根拠のないものでもないように思える︒すなわち︑彼が母︑姉︑伯母のほとんど女性のみの家庭
でその幼年から少年時代を送ったということが第一にあげられる︒特にロJFノに深い影響を与えたのは姉マリl
冨
?
片山ゆであるが︑彼女はロナより一九も年上で︑全く母に代ってロキノを育て︑ロチを教育した︒ロチはその回顧録であ
り自殺伝ともいうべき八ある少年の物語V(
ピ 問 ︒
B g
円ロ
ロ開
P ロ
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‑ ∞ωO)の中で︑自ら乙の姉のことを八もう
一人のお母さんVとさえよんでいる︒そしてこの姉マリーが全くロチにそう呼ばれるにふさわしい優しい︑
ま た
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心な母親代りであったことは︑彼女が弟ロヰノの少年時代の成長するありさまを克明な日記に綴って観察しているこ
とでもよくうかがうことができる︒もちろんこのために︑ほんとうの母親の存在が薄くなったのでは決してない︒
母に対して終始深い愛情と思慕をもっていたことは︑同じ自伝の中で︑八海軍に入ろうなどとは歩にも考えていな
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つまり︑母の許を遠く離れるなどということはVと記して回顧している程である︒ひるがえって︑小説八お菊さんV
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lジを絞ってみると︑その中に次のような場面が綴られているD│││舛小の
晩
ロチはいつも影の如くっき添っている従卒のイl
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とともにその神社を訪ねて︑にぎやかなあたりを眺
めている︒そこは前日妻のお菊さんたちときたところであるが︑この日は何かしら不機嫌になり︑お菊さんもまた
そのロチの不興の原因が自分にあることを察して︑今日は頭が痛いからと病気を装い︑丘の下の白分の母親のもと
で泊るからという︒ロチは喜んで暇を与えた︒ロチは今晩は久しぶりに港の軍艦に帰つてのびのびと寝ることがで
きるとひとり楽しみにしながら祭礼の雑踏を眺めている︒するとそこに︑頭痛で帰ったはずのお菊さんが竹坊とい
う末の弟をおんぶしてこの宵祭りの丘の社に登ってきた︒そこで双方思いがけなく出遭ってみるとその日の不機
妹︑気まずきもおのずから解けて︑甘えるように誘うお菊さんの願いを入れて︑ロチはイlヴとともにその夜もま
た十善寺の宿へ連れ立って登って行く︒ところが︑こ乙に困ったことが起きた︒お菊さんの背中の竹坊がどうして
もい
っし
ょに
行く
とい
って
︑喝
さか
ない
︒
ロチは︑八こんなことはあり得べから︑ざることだVとつぶやきながらも︑祭
りの腕には子供を泣かせてはならないという言葉通りに︑イlヴと自分の二人で代るがわるにおんぶしながら坂道
ヒ。エ戸 J~ ・ロチと小説くお菊さん〉
をわが家へと急ぐ︒
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またこんなことも書いてある︒
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l日本のパイプ︑すなわちキセルは苦くて吐き出しそうになる︒そのキセルを
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お菊さんが︑長崎の方言で書いてあるのだが︑八あなた︑一Vとすすめると︑b
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とわるのもbるいと思ってがまんしてそれを吸う︒((UHH州
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あるいは︑頭痛がして十善寺の宿にねていると︑お菊さんが一生懸命にこめかみを力いっぱいの指先でもんでく
れて︑それでふしぎに気分が爽快になる︒
ところがお菊さんはなおも心配して発熱でもするといけないと思って
ロチはとうとうその紙つぷをのみこんでしまう︒
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か︑おまじないの護符をまるめてのめという︒
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あるいはまた︑夕方の散歩から夜おそく帰って︑夏のことなので喉がかわく︒しかし宿の二階住いには時々水鉢
の飲み水が切れている︒その水を汲みに怖がるお菊さんのためにつき添って陥い庭の井戸端へいっしょに降りて行
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F H H H )このように眺めてみると︑作者ロチの人柄がどのようなものであったかがおのずから浮かび上ってくる︒
そし
て︑たしかに︑八もしできるならお菊さんを︑日本の女性を熱烈に愛しもしただろうVということが︑きわめてすな
おに想像されることも不自然ではない︒しかし事実は︑乙の日本の女性︑お菊さんは︑ただ一つの人形にすぎなか
った︒飾りものにすぎなかった︒置きものにすぎなかった︒ロヰノが求めるような︑西欧人が求めるような︑そうい
う意味での魂を欠いていた︒こうした人形を前にしての満たされないロナの心は︑
限は︑おのずから外界に向っ
て︑美しい日本の景色︑長崎の山々︑港を抱いた街々の姿に向って吐露されたのである︒
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(いつも寝ていてくれればいい︒美しい置きものだ︒それに︑少なくもそうしていてくれれば煩わしいこと︑が
ないから口もっとも︑もし彼女の頭に︑心にどんなことを考え︑どんなことを感じているのかが解ることがで
きれば︑だが果して:::ともかく︑
彼女と同棲してこのかた︑日本の乙とばの勉強を進めようとするどころ
か︑かえってなまけているというのは妙なことに︒それほど私はその不可能を感じてしまった・
縁側に肢をおろして︑私は足下に︑寺々や墓地︑森や真青な山々を︑あまねく陽光に照らされている長崎の
街を眺めた︒
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自然の風物に託して吐露されている人の心の激しい乾きが︑真夏の炎熱の中でじりじりと燃えている︒その乾き
を医し得ないからといって︑それを登場人物のお菊さんのせいにばかり帰することはできないかもしれない︒
何 故
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それはロチが描いた(すなわちめぐりあった)さま︑ざまの国の女性に共通のタイプでもあることを見逃し三
得ないからである︒タヒチ島の一フラユ河川凶
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スタンプlルのアジヤデを︑アフリカのファツゲ司ω
件︒
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1]..・ロチと小説くお菊さん〉
を想起することができる︒
四
ロチにお貯る異国情緒とその起源
ロヰノが初めて長崎を訪れたのは彼が三五才の明治一八年︑七月八日であった︒ピエlル・ロチ︑すなわちジュリ
アン・ヴィオl
は 海 軍 大 尉
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gロとして軍艦八ラ・トリオンファント号
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に坐乗していた︒甲鉄艦ではあったが︑マストに帆を張っていた︒そして前述の如く対支戦前後の作戦に従事し︑
小説八お菊さんVはその折の台湾から︑おそらく修理のためと思われるが(小説にはドック入りの絞景がある)︑長