Ⅰ. はじめに
中部山岳域の亜高山帯に分布する主要な針葉樹 としてはハイマツ ()、 オオシラビソ ()、 シラビソ ()、 コメ ツガ ()、 トウヒ () などが挙げられる。 この亜高山帯針葉樹の垂直的 な分布については、 最上部を形成するハイマツ分 布域、 次いでシラビソ・オオシラビソの優占域が みられ、 その下部にはコメツガが優占するコメツ ガ亜帯がみられることが報告されている (今西 1 937;前田・島崎 1951など)。 しかしながら、 こ れらの分布については各山地、 もしくは山脈の標 高ごとの分布により論じられることが多く、 中部 山岳域全体を概観することや他の地域と比較する ことは難しい。
植物の分布域を規定する条件としては、 主に水 分条件と温度条件がある。 日本では蒸発量の多い 夏期に十分な降水量があるため、 水分条件よりも 温度条件によって植物の分布域が規定されている。
植物の分布に関わる温度条件については、 温量指 数を用いた吉良 (1948)、 野上・大場 (1991) な どによって議論されているが、 種の分布や植生帯 に関わる温度条件についての具体的な研究は少な い。 植物の分布規定要因として大きな影響力をも つ温度分布領域を検討することは、 土地的な条件 や温度以外の気象条件、 例えば積雪といった他の 要因が植物にとってどれほど影響しているのかを 明確にするためにも必要である。 また、 分布温度 領域を用いることによって、 他地域との比較も可 能となる。 従って、 各樹種の分布温度領域を検討
する必要がある。
逢沢・梶 (2003) では、 中部山岳域におけるオ オシラビソ、 シラビソ、 コメツガ、 トウヒの分布 について各樹種の分布下限における温度条件と積 雪条件から、 各樹種の分布下限標高が気温に規定 されること、 および各樹種の積雪量に対する耐性 の違いについて明らかにした。 しかし、 ここでは 分布上限は示されていない。 そのため、 ハイマツ の分布と他の亜高山性針葉樹との分布の関係、 亜 高山性針葉樹種同士の位置関係については不明瞭 な点を残している。 亜高山帯の種分布の構造を知 るためにも、 各樹種の分布上限をあわせて検討す る必要がある。
本研究では亜高山性針葉樹の分布関係を明らか にするため、 亜高山帯に分布する主要針葉樹の分 布域を検討する。 ここでとりあげる樹種は、 亜高 山針葉樹林帯において主要樹種であるハイマツ、
オオシラビソ、 シラビソ、 コメツガ、 カラマツ ( )、 トウヒである。 またこれらに 加えて山地帯から亜高山帯に分布するとされてい るクロベ () を加え、 7種を取り 上げる。
Ⅱ 方法
山岳地域の気温観測資料はごく限られている。
従って、 山岳地域の気温は主に二つの方法で推定 されてきていた。 一つは気温逓減率を適用するも のであり、 二つめは重回帰モデルを使う方法であ る。 気温逓減率を使った方法の問題点については、
大森・柳町 (1988) や岡 (1991) に詳しい。 簡単
中部山岳亜高山帯における主要針葉樹分布域の温度領域
山口 史枝
本学理工学部非常勤講師 国士舘大学地理学報告 No.18 (2010)
にまとめると、 気温逓減率は地域・季節・地形・
標高・斜面の方位などさまざまな要因によって大 きく変化することが指摘されており、 ある特定な 気温逓減率によって広域的に気温を推定した場合、
上記に記載した諸要因に起因する誤差が生じると 予想されるためである。 そこで、 本稿では重回帰 式モデルにより気温を推定した。 山岳気温の推定 式は大森・柳町 (1988、 1991) を参考とした。 今 回、 大森・柳町の推定式を引用しなかったのは、
この式が日本列島全体を対象にした推定式であっ たためである。 中部山岳域は日本では特に高標高 の山岳が集中していることから、 この地域に限定 した推定式を構築した。
針葉樹各種の分布上限および下限に関しては、
林 (1951、 1952、 1954) を用いた。 林の文献に関 して梶 (1982) が再検討した結果、 林の報告に記 載がみられる産地の分布量の少ない地域や分布限 界付近の産地に関しては疑問視されている。 しか し中部山岳域はここでとりあげる針葉樹の分布中 心域であること、 今回は個々の山岳ではなく中部 山岳域全域について統計的な処理を行なって検討 することから、 林の報告の記載を用いることに大 きな問題はないと判断した。
本研究で用いた資料は中部山岳域 (35°21'〜
36°45'N) の範囲における各樹種の分布上限およ び下限である。 分布上限と下限を検討する理由と しては、 その種の分布の中心域を抽出するのが目 的ではなく、 その種の分布温度の範囲、 言い換え れば温度の生態的なニッチの範囲を求めるためで ある。 従って、 今回求めた分布温度領域が種によっ て重複していたとしても、 実際の分布が重複して いるとは限らない。 温度領域が重複しているにも 関わらず実際の分布が重複していない場合は、 温 度条件以外の要因による棲み分けによるものであ るととらえることができる。
各樹種の分布温度領域を検討するにあたり、
(1991) が分布する山岳の山頂高度 の違いによって分布温度領域が異なる可能性を示
していることから、 山頂高度と各樹種の分布上限・
下限の違いによる各樹種の分布域を比較した。 上 記の結果に基づき、 山頂高度によって影響を受け ない範囲について各樹種の温度分布範囲を検討し、
次いで山頂高度の違いによる各樹種の分布域の違 いと、 各樹種同士の分布傾向をみた。
Ⅲ 結果
1 山岳気温を推定するための重回帰式 重回帰式を構築するにあたり使用した気象デー タを表1に示す。
月別平均気温などを算出するための重回帰モデ ルの基本式は次の形で示した。
Tj=β0j+β1jθ+β2jφ+β3jλ+β4jι+εj
Tj (j=1、 2、 3、 ‥‥、 12) はj月の平均気温 (℃)、 θ、 φ、 λ、 ι、 εはそれぞれ標高 (m)、
緯度 (°N)、 経度 (°E)、 および内陸度 (海岸 までの最短距離、 ㎞) である。 α0j はj月の定数 であり、 αn (n=1、 2、 3、 4) はそれぞれの偏 回帰係数である。 εj はj月の残差 (誤差) であ る。
変数の選択は変数増減法で行なった。 偏回帰係 数検定のためのF値の限界値としては、 慣例に従っ て、 Fin=Fout=2.0を採用した。 いずれの検定 においても分散比、 偏回帰係数のF値は危険率1%
で有意であり、 変数選択では、 ステップごとに自 由度修正済み決定係数が増加し赤池の情報基準 (AIC) が減少していくことから、 最適な回帰式 であると認められる。 求められた重回帰式の偏回 帰係数は表2に示した。
表2には重相関係数、 決定係数、 自由度修正済 み決定数を月別に示した。 重回帰式の適合度を示 す尺度としては自由度修正済み決定係数が挙げら れる。 この中で最も問題があるのは年最低気温の 平均値である。 しかし、 値は0.91604と0.9を越え
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ており、 実測値と重回帰式による推定値との関係 を直接示す重相関係数も0.95833と大きい。 従って、
表2で示された重回帰式はいずれの月においても 高い適合度を持っているとみなすことができる。
図1は、 対象地域にある八ヶ岳、 檜洞丸、 双六 岳、 槍ヶ岳、 富士山を例に、 月別平均気温の実測 値と推定値との関係をまとめたものである。 相関 係数は0.9973 (檜洞丸) 〜0.9838 (双六岳) を示 し、 重回帰式の気温推定精度が高いことを示して いる。
2 山頂高度と各樹種の垂直分布の関係 山頂高度と各樹種の分布高度について図2に示 した。 山頂高度と各樹種の分布上限については、
いずれの種も山頂高度が高くなるに従って、 分布 高度が高くなる傾向がみられた。 オオシラビソ、
シラビソ、 カラマツは分布高度が標高2700m〜
2800m周辺で、 コメツガ、 トウヒは2600〜2700m 周辺で分布上限が頭打ちになる傾向がみられた。
ハイマツは山頂高度が高くなるに従って頭打ちす ることなく分布高度が高くなる傾向があった。
分布下限については、 各樹種ともに山頂高度と は関係がみられず、 一定の標高の幅に収まる傾向 がみられた。 分布下限の温度領域は、 全体的にバ ラつきが小さいという傾向がみられた。 オオシラ ビソ、 シラビソは標高1500〜1900mに集中してみ られた。 コメツガは1000〜1500mにその分布の集 中がみられた。 トウヒとカラマツの分布下限につ いては、 その中心は1500mから1700mであった。
ハイマツは、 分布下限の中心が2500m付近にみら れたが、 山頂高度が2500m以下になっても分布が あった。 分布下限が集中する範囲よりも標高の低 い山岳において分布が一定してみられたのは、 ハ イマツだけであった。
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図1 月別平均気温の観測値と重回帰式による推定値と の関係
表2 各種平均気温を推定するための重回帰式の係数と推定精度
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図2 各亜高山性針葉樹の分布高度と山頂高度との関係
データ出典:林 (1951、 1952、 1954)
3 主要針葉樹7種の上限および下限の 温度領域
ハイマツを含めた針葉樹林の分布温度領域を検 討するため、 標高2800m以上の山岳を対象に主要 針葉樹7種の上限および下限の気温を算出した。
表3に7樹種の上限、 下限温度領域を示した。 最 暖月は8月、 最寒月は1月であった。 年最低気温 がみられたのは2月であった。 年最低気温の上限 の範囲は−19.0℃ (ハイマツ) 〜-15.8℃ (トウヒ)、
−13.9℃ (クロベ) であり、 下限の範囲は−15.7
℃ (ハイマツ) 〜−9.9℃ (コメツガ)、 −8.8℃
(クロベ) であった。 年平均気温の上限範囲は、 − 1.5℃ (ハイマツ) 〜1.3℃ (コメツガ、 トウヒ)、
3.2℃ (クロベ) であり、 下限の範囲は1.4℃ (ハ イマツ) 〜6.5℃ (コメツガ)、 7.6℃ (クロベ) で あった。 温量指数の上限範囲は13.2℃・月 (ハイ マツ) 〜29.1℃・月 (トウヒ)、 39.7℃・月 (クロ ベ) であり、 下限範囲は29.7℃・月 (ハイマツ)
〜58.2℃・月 (コメツガ)、 64.6℃・月 (クロベ) であった。 年最低気温、 年平均気温の標準偏差は それぞれ1℃前後であった。
以上のようにみると各樹種の上限および下限に おける各種の平均気温の標準偏差は1℃前後であ
る。 また変動係数が最小を示すのは、 ほとんどが 最暖月平均気温であり、 次いで、 年平均気温、 年 最低気温となっている。 標準偏差の最小値も多く が最暖月平均気温にみられ、 最暖月でないものは 年平均気温となっている。 そこで、 ここでは主に 最暖月平均気温を用いて各樹種の上限、 下限を表 現することとする。
各樹種の上限・下限の温度領域について、 クラ スター解析 (最近隣法ユークリッド距離) を行なっ てグループ分けをし、 そのグループ群内でのそれ ぞれの樹種の温度分布範囲のデータを 検定によって分析した。 検定としたの はバーネット検定から等分散でないことが示され たためである。 検定とは、 全ての群に ついて対比較するノンパラメトリック法の一つで ある。 クラスター解析をした結果を図3に示す。
最暖月の平均気温を変数とした結果では、 ハイマ ツとクロベを除く樹種に関して、 それぞれ上限毎、
下限毎に収束が見られた。 ハイマツの上限は他樹 種の上限グループには近い傾向がみられるが独立 し、 ハイマツ下限は他の種の上限と同じ分類群に 属すことが示された。 クロベの上限は他樹種の下 限と同じグループ群に近い傾向はみられるものの、
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表3 中部山岳域における主要針葉樹上限・下限の温度領域
(データ:標高 2800m以上の山岳)
クロベの下限とともに他の種の下限と同じ分類群 に属さなかった。
次に各温度領域のデータについて、 ハイマツ上 限とクロベの上限を除き、 それぞれ上限グループ 群と下限グループ群内の最暖月平均気温の平均値 について 検定を用いて温度データにつ いて分析した。 その結果、 最暖月平均気温では上 限グループにおいて危険率1%で有意な差がみら れなかったのは、 ハイマツ下限・カラマツ・トウ ヒ・コメツガ・シラビソ・カラマツであった。 上 限域の関係については、 最寒月平均気温・年平均 気温・年最低気温・WIにおいても同様の結果が 得られた。 各樹種の下限域については、 最暖月平 均気温で有意な差がみられなかったのはカラマツ とトウヒであった。 最寒月平均気温においてはカ ラマツとトウヒに加えてコメツガとシラビソも下 限に差がみられなかった。
山地帯に分布するクロベは亜高山帯に分布する 6種と比較して、 亜高山性針葉樹種とは異なる温 度領域をもつ樹種であることが確認された。 山地 帯に分布するといってもその分布下限は山地帯上 部であり、 亜高山帯の6種の下限に比較的近い位 置にあった。
コメツガの分布下限はシラビソ、 オオシラビソ の分布下限よりも下部に分布する傾向がみられた。
算定された温度領域からはシラビソとコメツガは 最暖月の下限の分布温度領域では有意な差がみら
れた。 しかし、 最寒月やWIでは、 シラビソとコ メツガの分布上限・下限には最暖月ほどはっきり した差はみられなかった。
4 山頂高度の違いによる7種の温度分布範囲 山頂高度によって各樹種の分布が影響を受けて いると考えられたことから、 以上では温度領域に ついては標高2800m以上の山岳のみにおいて議論 してきた。 以下では、 山頂高度の違いによる各樹 種の分布域の違いと各樹種同士の分布傾向をみた。
分布域を捉える温度領域としては最暖月 (8月) 平均気温を取り上げた。 山頂高度については、 各 樹種の分布域から2800m以上、 2500m以上2800m 未満、 2000m以上2500m未満、 2000m未満に区分 した。
表4に各樹種の温度領域を最暖月平均気温の平 均値を用いて山頂高度毎に示した。 加えて各樹種 の分布上限、 下限毎に温度領域に差があるかを 検定を用いて検定した。 各樹種の分布 下限では、 山頂高度毎のグループ間における有意 差はあまりみられなかった。 分布上限については、
ハイマツは山頂高度毎に有意な差があった。 オオ シラビソ、 シラビソ、 カラマツ、 コメツガ、 トウ ヒは山頂高度2800m以上と2500から2800mでは有 意差がなかった。
ハイマツの分布下限は山岳高度が2000m以上で はコメツガ、 カラマツ、 トウヒなどと有意な差が なかった。 山頂高度2000m未満では、 ハイマツの 分布上限・下限はオオシラビソ、 シラビソと有意 な差が無く、 またハイマツの分布下限はカラマツ、
トウヒと有意な差が無かった。 山岳高度20000m 以上でハイマツは独立した分布域がみられたが山 岳高度2000m未満ではハイマツの分布域はオオシ ラビソ、 シラビソの分布域と重なっていた。 オオ シラビソは標高2500m以上ではハイマツ下限、 他 の針葉樹の分布上限と比較して最暖月平均気温が 低い傾向であった。
山頂高度の違いによらず、 全体的に同様な傾向 図3 最暖月 (8月) 平均気温における各樹種の分布温
度領域のクラスター解析結果
(データ:標高 2800m以上の山岳域)
がみられたこともあった。 まず、 コメツガ・トウ ヒの下限とシラビソ・オオシラビソの下限とを比 較すると、 コメツガ・トウヒの下限が高い位置に 分布していた。 カラマツの上限とシラビソの上限 は、 どの山岳高度域についても有意な差がみられ なかった。
Ⅳ 考察
今までの多くの研究では、 亜高山性針葉樹の分 布は各山岳や山脈における分布標高により比較さ れていることが多かった。 本研究では、 中部山岳 域全体において亜高山性針葉樹の主要な樹種の分 布域を温度領域で比較し、 各樹種の分布域の比較 を行なった。 ハイマツを除く亜高山性針葉樹は分 布温度領域を共有していることが示され (図3)、
山地帯上部に分布するとされるクロベは明らかに 別の温度領域に分布しており、 分布域は山地帯上 部から亜高山帯下部という中間的な温度領域をも つことが示された。
ハイマツを除く各種の分布下限は山頂高度に影 響されることなく一定の温度領域に分布していた。
分布上限は山頂高度により影響を受けていること が示唆されたが、 山頂高度に関わりなく、 ハイマ ツの分布域とコメツガとトウヒの分布域は温度的
に棲み分けの傾向がみられた。 これはハイマツや コメツガはそれぞれ岩塊地などに分布することが 知られていることから、 生息環境が共通するため に温度によって棲み分けているためだと考えられ る。 シラビソ、 オオシラビソ、 カラマツの分布域 は、 コメツガとトウヒの分布域と比較して、 分布 域は上部に位置していた (表3)。 山頂高度が高 いほど各樹種の分布上限は上部に分布する傾向が みられた。 このことから、 低い山 (特に山頂高度 2500m以下) では、 亜高山性針葉樹の分布には寸 詰まりの傾向があることが考えられた。
吉良・吉野 (1967) では、 今回用いた林 (1951、
1952、 1954) の樹木の分布データによってWI値 を求め、 亜高山帯の下限温度域として40〜45℃・
月を示した。 上限については吉良 (1948) で15℃・
月が提示されている。 この数値は、 今回算出され たWIの範囲とは差があった (図4)。 吉良・吉 野 (1967) では中央気象台がまとめた気温を用い て、 この中央気象台の観測値から温度逓減率 (10 0mにつき0.61℃) により各地点の温度データを求 めた。 それに対して今回は重回帰モデルを用いて 各地点の平均気温を求めた。 従って今回の結果と の違いは、 この温度データの質の違いによって生 じたものと考えられる。 加えて、 (1 991) が指摘するように山頂高度と樹種の分布に
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表4 山頂高度ごとにおける主要針葉樹上限・下限の温度領域