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伊藤永之介と〈戦中〉・〈戦後〉の農村社会

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    一   農民観   一 九 三 一 年 の 東 北 大 凶 作 を 契 機 と し て「 本 当 の 意 味 で 絶 え ず 農 村 に 注 意 を む け る や う に な つ た

」 伊 藤 永 之 介 は、 以 来、 一九五九年七月二六日に亡くなるまで、一貫して農村を舞台に した小説を書いた。定点観測を続けたという意味において、日 中戦争・太平洋戦争前後の連続と不連続を考える上で極めて好 適な作家の一人と言えるだろう。

  永之介は、 「農民に対する観念」 (『農民の幸福』 、国際出版株 式会社、一九四八年一一月一五日)の中で、かつて農民の純朴 さは都会人にとって「一つの田園詩」であったので一九三一年 から一九三四年にかけての東北大凶作に対しては救援の手を差 し伸べ同情を寄せたし、日華事変によって食糧の確保が問題化 することで農民の地位の重大さを認識し戦争の激化とともに農 村の労力が欠乏してくると田植え・稲刈り等の勤労奉仕さえし て協力するようになったとし、しかし、食糧の配給制度が行わ れその配給が少なくなって買出しが始まると、 農民像は 「冷淡」 ・ 「 狡 猾 」・ 「 強 慾 非 道 」 と い っ た 否 定 的 な イ メ ー ジ を 帯 び る よ う になった、と都会人の農民観の変遷について概括している。   一 方、 同 時 期 に 執 筆 し た「 戦 後 の 農 民 文 学 」( 『 新 日 本 文 学 』 第 三 巻 三 号、 一 九 四 八 年 三 月 一 五 日 ) に お い て は、 〈 観 念 〉 に 対する〈実態〉について、次のように述べている。

  本当の農民の姿は、今も昔も変らず、あらゆる商品のな かで一番安い値段で、一年間の血の出るような労働による 作 物 を 供 出 し て い る ぼ ろ 〳〵 の 姿 で あ る。 〔 中 略 〕 永 い 戦 争の期間を通じて一家の働き手を戦線に 狩

ママ

り立てられ、年 寄や女手で辛うじてつくつた米を「聖戦完遂」の至上命令 で二番米のはてまでもぎ取られて来た農民が、戦終つた今 になつても、凡ゆる商品のなかで最も安い値段で供出した 上に、なおかつ疎開者や買出人に貢ぐ余裕などあるはずが ない。今日の都会人の空腹は、農民の強慾によるものでな く、逆に農民を踏台として強行された侵略戦争によるもの である。

  戦争によって変わった都会人のイメージに反して、現実の農 民 は、 〈 戦 前 〉・ 〈 戦 中 〉・ 〈 戦 後 〉 を 通 じ 常 に 苛 酷 な 労 働 と 貧 し さにまみれながら生きているというのである。 伊藤永之介と〈戦中〉 ・〈戦後〉の農村社会

高    橋    秀    晴

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  一九四三年一〇月、義妹高橋ミサオの住む秋田県平鹿郡横手 町(現横手市)に疎開し、一九四八年三月まで農村生活を送っ た 永 之 介 は、 「 曾 て 私 が 胸 に 描 い て ゐ た 醇 朴 な 農 民 の 姿 と い ふ も の も、 そ ん な に 多 く は 発 見 出 来 ま せ ん。 む し ろ そ の 反 対 の、 心をゆるせないやうな百姓の方を、多く見かけるやうな気さへ し ま す。

」、 「 百 姓 と い ふ も の の 性 質 に、 好 ま し く な い も の を 見 出 し て ゐ る と い ふ こ と だ け は 事 実 で す。 〔 中 略 〕 そ し て そ の もや〳〵とした気持のうちには、百姓の済度しがたいやうな頑 固な性質とか、利己的な面とかが姿をあらはして来ることがあ り ま す。 」( 「 東 京 の 友 へ の 便 り 」、 前 掲『 農 民 の 幸 福 』) と い う 発 言 を 繰 り 返 し て い る。 そ の 上 で、 「 零 細 な 農 民 の 味 方 と し て の気持だけは、依然として変りありません。 」(前掲「東京の友 へ の 便 り 」) と 断 言 す る こ の 作 家 の 描 い た 農 民 と 彼 ら が 暮 ら す 農村の有様に、戦争前後の日本の見過ごされてきた一面を発見 できる可能性は高い。

    二   農地改革   第 四 回・ 第 六 回 の 芥 川 賞 候 補 と な っ た 永 之 介 の 文 壇 出 世 作 「梟」は、 『小説』第一巻第七号(一九三六年九月一日)に発表 さ れ た 後、 『 文 学 界 』 第 四 巻 第 七 号( 一 九 三 七 年 七 月 一 日 ) に 転載された。十五年戦争下に執筆・発表されたこの小説は、酒 役人の検挙の様子から始まっている。

  村人たちが大慌てで濁酒を隠したり棄てたりする様や、お作 婆 さ ん と 地 主 の 六 兵 衛 に 対 す る 対 照 的 な 検 査 態 度 が 記 さ れ た 後、 嬰児の死体を茂みに隠して逃走する女としてお峰が現れる。 彼女の状況は、もう一人の中心人物である與吉によって「亭主 の新治郎はお峰が三人目の子を生み落すのも待たずにあの世に 行ってしまったが、間もなく生まれた子も二十日足らずで死ん だことは與吉もうすうす知っていた」と間接的に紹介される。   後家となったお峰は、地主の六兵衛に言い寄られ扶養を受け るようになる。死児を運んでくれた縁で親しくなった與吉と関 係を結ぶに及んで六兵衛を拒絶するようになるが、程なく與吉 が濁酒密造の罪で労役場送りになると、再び六兵衛を受け入れ てしまう。労役場を脱走してきた與吉と再会したお峰は、今度 こそ六兵衛の世話にならぬと決心して、労役場に入るべく警察 署に出向く。   労役場の中でお峰は産気づき、市立病院に運ばれて無事女の 子を出産する。十日程経って、六兵衛が與吉毒殺を謀ったかど で 捕 ま っ た と 聞 い た 彼 女 は、 「 喜 び に か が や い た 眼 を き ょ ろ つ かせ」て退院の準備を始めるのだった。   —— 亡夫の死児を棄てた女であったお峰は與吉の子を産んだ 女 と し て 再 生 し た こ と に な る が、 明 る い 結 末 と は 言 い 得 な い。 お峰には新治郎を父とする二人の子が、與吉には女工となった キ ミ エ 以 外 に 縊 死 し た 妻 菊 代 を 母 と す る 三 人 の 子 が い る 上 に、 今もう一人の赤子が誕生したのだ。濁密をしなければ生活でき な か っ た 者 同 士 が 所 帯 を 持 っ た と し て も、 「 梟 」 の 世 界 は 解 決 しないのである。   表題の〈梟〉は、 闇に紛れて密造酒を売り歩く者を指す隠語。 ストーリーは、地主の六兵衛、夫を亡くしたお峰、彼女に好意

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を寄せた與吉らの関係を軸に展開してゆくものの、一編の趣意 は、違法行為と知りながらも濁酒密造をしなければ立ち行かな い 農 村 の 実 態 を 描 く こ と に あ る。 「 酒 役 人 」 が ま ず 登 場 す る 所 以である。

  お峰の不幸のそもそもの原因は、地主である六兵衛から小作 地 を 取 り 上 げ ら れ た こ と に あ っ た。 そ の 結 果、 夫 は 病 死。 「 六 兵衛にいぢめぬかれて来た」にも拘わらず、その財力と権力に 頼 ら ざ る を 得 な い の は、 「 地 主 に た い す る 人 格 的 服 従 ま で 余 儀 な く さ せ る 」( 『 戦 後 日 本 農 業 史 』、 新 日 本 出 版 社、 一 九 九 六 年 九月二〇日)地主制の特徴故のことである。

  「梟」の書き手は、

一六年後、 農村の戦争後遺症を扱った「な つかしい山河」 (『改造』第三三巻第七号、 一九五二年五月一日) を 発 表 す る。 戦 争 終 結 を 挟 ん で ど の よ う な 変 化 が 生 じ た の か、 或いは生じなかったのか。

  舞台は、終戦直後の、鳥海山を遠望する出羽丘陵の麓、雄物 川べりの盆地。ミナは、息子たちの帰りを待ちながら、四男卯 四郎の嫁初江と孫の百合との三人で暮らしていた。

  真っ先に帰ってきたのは、末子の勇助であった。しかし一二 月 に は 卯 四 郎 戦 死 の 報 が 入 る。 農 地 解 放 の 噂 を 聞 い た 勇 助 は、 農作業に精を出す。そこへ総領朝太郎が帰還、主導権をめぐる トラブルが起きる。

  旧正月が過ぎた頃、三男平三が戻ってくる。彼は、村政改革 と村機構民主化の運動に参加、村長の不正を糾弾する村民大会 開催のために奔走する。   そうしたある晩、 卯四郎が生還する、 戦死は誤報だったのだ。 こ れ で 五 人 の 息 子 が 家 に 入 っ た が、 ミ ナ の 気 持 ち は 晴 れ な い。 工場に就職する五郎太以外は自活の見通しが立たず、後継者も 未定なのである。   朝太郎が、勇助と初江との男女の関係を察知、不穏な気配が 流れ始めた秋のこと。真夜中に酔って帰宅した朝太郎が、迎え に出た初江に絡む。飛び出して行った勇助に、朝太郎は馬栓棒 を揮って打ちかかる。が、形勢は逆転、滅茶苦茶に打ち据えら れた朝太郎は土間に倒れ、明け方には息を引き取ってしまうの だった。   —— 重 要 な 変 化 は、 や は り 農 地 改 革

で あ る。 こ れ に よ っ て 農 民 は、 「 生 産 力 を 高 め て え た 成 果 を み ず か ら 取 得 で き る よ う な、 自 立 的 な 条 件 に お か れ る よ う に な る 」( 前 掲『 戦 後 日 本 農 業史』 )が、 それは反面において、 農家の零細化を促進したり、 「な つかしい山河」が捉えたような家族間の主権争いを生じさせる 結果をも招来した。何となれば、農地改革によって土地の所有 権は移動したものの、土地そのものが増えた訳ではなかったか らである。   さて永之介は、一九四九年九月一九日、秋田県湯沢市の農耕 作家新山新太郎

に宛てて次のような封書を出している。

稲刈始まりましたか 別封で御作送りました   今度の秋田文学にのせたいと思い ま す の で   な る べ く 二 十 五、 六 日 ま で 屆 く よ う 秋 田 市 楢 山 南 新 町 里 崎 方 金 澤 君 あ て に 第 四 節 以 下 に 手 を 加 え て 送 つ

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て 下 さ い( ど う し て も 間 に 合 は な け れ ば 今 月 い つ ぱ い に )  □

記 手 を 入 れ よ う と か か つ た が 仕 事 の 都 合 で 出 來 な く な つたのです 尚いそがしいところ恐縮ですが左のことについて一筆急に お知らせ下さい 労力過剩失業時代では   次男三男以下兄弟が澤山居つて暮 しに困る農家も多いことと思いますが   一町歩かそこらの 農家で   弟に田を分けるとか家をもたせるとかで家内にゴ タ 〳〵 の 起 る と い う 場 合 も あ ろ う と 思 い ま す   た と え ば   そういう農家で戰死したと思はれていた長男がヒヨツコリ 帰つて來てみたら   弟が嫁をとつてあとをついでいたとか   相続してしまつていたとか   或はまた先に帰つて來た弟が     坐りこんでカマドをおさえて動かないとか   いうことで     兄弟喧嘩になつて血を見る騒ぎをしたなどいう話もきき ますが、そういう労力過剩失業から來る小農家の家庭不和 悲劇の実例の二三についてそのイザコザの模様をなるべく くはしく知りたいのです

  ここで問い合わせている内容が「なつかしい山河」のモチー フとなっているのは明らかである。新山の返信は残っておらず 本人の記憶も定かでなかったため、いかなる素材がいかに小説 化されたかを跡付けることは不可能だが、少なくとも永之介の 興味の方向性は確認できよう。

    三   近代化の影響

  農村とその近代化をめぐって、 第二回新潮社文芸賞 (一九三九 年 四 月 ) を 受 賞

し た「 鶯 」( 『 文 藝 春 秋 』 第 一 六 巻 第 九 号、 一九三八年六月一日)を見てみる。

  キンが娘のヨシエの捜索を依頼しに警察署を訪れた。ヨシエ は 父 無 し 子 で あ っ た の を キ ン が 貰 い 受 け て 育 て た 養 子 だ っ た が、一〇歳になった秋、実母のスギに連れ去られ曲馬団に売ら れてしまった。紆余曲折を経て子供連れで清風館の女中をして いたところまではわかったが、 その後の消息は不明なのだった。   キ ン は 一 夜 を 警 察 署 で 過 ご し た 後、 小 説 の 表 舞 台 か ら 退 く。 鶏泥棒を働いていた間に女房を寝取られた喜助、モルヒネ中毒 の女形にたぶらかされた作太郎、教え子の身売りを訴えに来た 小野崎訓導、もぐりの産婆上田八重子らが引きも切らずに登場 した後、ミヨが鶯を売りにやってくる。横田医師との商談がま とまりかけた時、三好巡査が禁鳥であることを思い出す。言い 争っているうちに肝心の鶯が逃げてしまい、署内には哀愁のみ が残る。

  上田八重子を取り調べている最中に産気づいた女が駆け込ん できた。三好巡査は、八重子に助けを求める。八重子は手際よ く赤子を取り上げ、司法主任は「もぐり産婆でもこんなときは 役に立つものだな」と喜ぶ。やがて出産を終えた女がヨシエで あることが判明、首尾照応を見せつつ大団円に至る。

  —— 単なる野鳥が商品になったり禁鳥に指定されたりする点 に、農村に押し寄せた近代化の一端を見ることができる。司法

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の番人が「もぐり産婆」に仕事をさせるというのも、皮肉の効 いた設定であろう。小説が、八重子が警官たちに向かって「ま たいつでも用あつたら呼ばつて呉れせ」と叫んだところで結ば れ て い る の は 故 の な い こ と で は な い。 「 鶯 」 に お い て は、 農 村 の実態にそぐわない法の綻びが、或いは法で裁ききれない農村 の貧しさが、さりげなく掬い上げられているのである。

  警察署という設定は、 『警察日記』 (小説朝日社、一九五二年 一二月二〇日)の「後記」に、 「「鶯」では素描の程度にとどま つた農民の苦い胸の底を、十分にたたいてみたい、田舎町の警 察署の調室や留置場にうごめく農民の姿を、まる 刻

ママ

りに描き出 してみたいという要求は、その後も引きつづいて今も私のうち に燃えつづけている。 」とあるように、 戦後の 「警察日記

」や 『刑 務 所 志 願 』( 山 田 書 店、 一 九 五 五 年 一 月 三 〇 日 ) の 原 型 と な っ ている。

  「後記」には次のような記述もある。

  農民は決してシヤチホコばつた理屈では、批判の声を発 しない。 その無残に踏みつけられたみじめな暮しの果ての、 一見愚かな泣き笑いの身ぶり手ぶりによつて、農村社会の 深刻な矛盾をバクロし、批判する。田舎町の警察署は、そ れが最も集約的に演じられる舞台である。

  こ れ が 一 九 五 二 年 の 春 に 執 筆 さ れ た 文 章 で あ る こ と

か ら、 農民の批判の現れ方や警察署の「舞台」としての役割に対する 永之介の見方に〈戦中〉と〈戦後〉の別がないことがわかる。   次 に、 戦 後 の 機 械 化 に 伴 う 悲 劇 を 描 い た「 早 場 米 」( 『 世 界 』 第一〇四号、一九五四年八月一日)について。   千代松の息子宇一は戦死、嫁のキセと宇一の忘れ形見志郎の 面倒を見てくれる婿を探していたところへ、復員してきた辰治 郎が現われた。田畑を持てない次男であった辰治郎は、抵抗な く婿に入る。   やがてキセと二人だけの農作業に限界を感じた辰治郎は、動 力脱穀機、籾摺機、精米機などを買い揃えた挙句、三〇万もの 大金を借りて自動耕耘機を手に入れる。確かに手間自体は省け るものの、借金返済のための賃掘りに奔走しなければならなく なった。   耕耘機を使い始めて二年目の秋、早場米の奨励金が出ること になり、辰治郎へ籾摺の依頼が殺到する。睡眠不足が続いてい たある日、例によって午前二時頃帰宅した辰治郎に異変が起き る。嘔吐、各部の激痛、そして意識不明。医者は、極度の過労 による脳膜下出血と診断、絶望を仄めかした。   倒れて五日目頃、泣いているキセを薄ぼんやり見ていた辰治 郎は、 「死ねば運命だべ、 仕方ねえ、 それ不足なら、 俺の墓に入っ て来い」と呟くのだった。   —— 慢性的な貧困、徴用による人手不足、後継者の戦死、戦 後の混乱と、暇なく痛めつけられてきた日本の農村に、機械化 の波という新たな問題が生じた。これは農民の救世主然とした 趣 を 帯 び て い る 点 が 厄 介 で、 借 金 地 獄 の 危 険 性 を 隠 蔽 し つ つ、 作業の合理化や負担の軽減化を謳う。

  農 地 改 革 に よ っ て 自 作 農 と な っ た が 故 の 悲 劇 で あ る 点 が、

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「梟」や「鶯」との違いである。とは言え、 「一見愚かな泣き笑 いの身ぶり手ぶりによつて、 農村社会の深刻な矛盾をバクロし、 批判する」 (前掲『警察日記』 「後記」 )という農民の在り方は、 「早場米」にも一貫していると見ることができる。

    四   女性をめぐる状況   最 後 に、 農 村 女 性 の 描 写 つ い て 検 討 し よ う。 戦 前・ 戦 中 期、 東 北 地 方 の 多 く の 貧 農 の 娘 た ち が 東 海 道 の 機 業 地 に 売 ら れ て いった。彼女らは奥州っ子と呼ばれ、地元の女工よりも明らか に 冷 遇 さ れ 酷 使 さ れ て い た。 『 鴉 』( 版 画 荘、 一 九 三 八 年 五 月 二〇日)は、その奥州っ子を題材とした小説である。

  父専治の借金のため、濃尾地方の工場へ連れられて行った戸 谷ナミの生活は熾烈を極めた。未明から綿埃を吸いながら働き 続け、 夕食にありつけるのは深夜一一頃。朝は実のない味噌汁、 昼は沢庵二切、夜は一摘みのお菜に麦飯二杯という粗食。正に 「 織 機 の ま わ り を ば た ば た と 駈 け 廻 わ っ て い な け れ ば な ら な い 鴉」なのである。

  救いを求めるナミの手紙に急き立てられて専治がやって来る が、連れ帰りたいという願いは入れられない。専治は、ナミの 代わりに、病に倒れた同村の娘ソヨを連れて戻る。   彼女を負ぶって雪の中を歩いていると、ソヨの父五郎七と出 会った。何度も専治を陥れようとした五郎七だったが、事情を 知って、 「申訳ないな、 なんとも済まねえな」と繰り返し詫びる。

  —— ナミを中心とした物語の裏面に専治をめぐる貧農の物語 が 重 ね 合 わ さ れ て い る 点 で、 「 梟 」 や「 鶯 」 と 共 通 の 問 題 意 識 に基づいていると言えよう。   ナ ミ の そ の 後 の 物 語 と し て も 読 む こ と が で き る の が、 「 雪 代 とその一家」 (『群像』 第四巻第三号、 一九四九年三月一日) 。「戦 中、 戦 後 の 農 村 を 真 正 面 か ら 描 こ う と し た 」「 伊 藤 永 之 介 の 戦 後の代表作」 (平野謙 『日本現代文学全集

作である。 一九六八年七月一九日)と評された永之介の戦後文壇復帰第一 89』 作品解説、 講談社、

  機 織 工 場 に 奉 公 に 出 て い た 雪 代 が、 「 奥 羽 線 も ズ ッ と 北 の 端 れに近い故郷」に帰ったのは、シンガポール陥落直後の春のこ と。 伯母の養子勇四郎との結婚が予定されていたからであった。 し か し、 勇 四 郎 は 出 征、 あ る 吹 雪 の 夜 に、 戦 死 の 公 報 が 入 る。 雪代は悲嘆にくれ、物思いに耽る日々が続いた。

  や が て 終 戦。 雪 代 の 家 に も、 妹 鈴 江 や 弟 英 二 が 帰 っ て き た。 喜 び も 束 の 間、 英 二 は 新 し く 購 入 し た モ ー タ ー の 事 故 で 亡 く なってしまう。その冬、戦死した筈の勇四郎が帰還。彼は、雪 代の心中を余所に、彼女の従妹ツルを嫁に貰ってしまう。鈴江 も 結 婚 し、 雪 代 一 人 が 取 り 残 さ れ る。 そ の 上、 耕 作 地 が 減 り、 雪代の手は要らなくなった。

  雪代は、足かけ七年振りで機織工場に戻る。そこで働く娘た ちの待遇は驚くほど良くなっていた。一カ月余りの後、鈴江か らの手紙が届く。父銀蔵が、供出米の完遂と闇肥料に関わった 罰金の支払いとに苦しんでいる旨の文面に、雪代の胸は痛むの だった。

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  —— 戦争末期、企業整備や転業によって女工が不要になった のと農村の労働力不足とが相俟って、奥州っ子たちの帰農が促 された。一九四三年一〇月に疎開した永之介は、娘たちが続々 と 村 へ 帰 っ て く る の を 目 撃 し て い る。

感を以て描かれているのである。 そうした時代の転変に翻弄される農村の娘の厳しい青春が臨場 ると娘たちの居場所は再びなくなった。 「雪代とその一家」 には、 とれていたのはほんの一時期で、終戦とともに村に男たちが戻

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し か し 需 給 バ ラ ン ス が   そ の 一 方 で 村 に 縛 り 付 け ら れ た 女 性 も い た こ と を 伝 え る の が、 「山の彼方」 (『文藝』第一一巻第九号、 一九五四年八月一日) である。

  二十歳になる和枝は、中川村の資産家と言われた籾山家に嫁 いだ。人も羨む結婚であったが、和枝は籾山家に入った直後か ら下女のように働かされた。数年前の農地解放と財産税によっ て、籾山家は屋敷の修理も儘ならぬ状況にあったのである。

  間もなく作男の銀次郎が暇を取ることになるが、それが嫁入 り以前に決まっていたことが判明、和枝は、労力の埋め合わせ の た め に 給 金 を 払 う 必 要 の な い 嫁 を 取 っ た の で は と 思 い 至 り、 愕然とする。

  翌年、ひどい悪阻に苦しみながら田植えや草取りの重労働に 耐えていたある日、和枝は、姑のタキから乾餅を盗み食いした 嫌疑をかけられる。翌日、着の身着の儘飛び出して生家に戻っ た 彼 女 は、 「 お ら、 も う 二 度 と 籾 山 の 家 に 行 か な い、 二 度 と 行 かない」と泣き崩れるのだった。   —— 従 来 か ら 農 村 女 性 は 家 事 労 働 に 加 え て 農 業 労 働 に も 携 わ っ て い た が、 戦 争 の 長 期 化 に よ っ て 農 村 の 労 働 力 が 不 足 し、 女性の労働負担は増大していった。戦後、労働力が過剰になり 「 雪 代 と そ の 一 家 」 の 雪 代 の よ う に 余 計 者 扱 い さ れ る ケ ー ス も あ っ た 反 面、 男 性 が 戦 死 し た り、 家 が 没 落 し た り し た 関 係 で、 使用人代わりに酷使される女性も少なくなかったのである。

真夏の陽にジリ〳〵と背中を焼かれて、もや〳〵と湯気の ような靄の立つている稲の中を、四つ這いになつて草をつ かみ取つて行く顔は、カツカと火のようにほてり、滝のよ うに流れる汗はとめ 度

ママ

がなかつた。菅笠にさら〳〵と触れ る剣みたいにとがつた稲の先が、絶えずだら〳〵流れこむ 汗でかすんだ眼を、意地わるくチクリ〳〵と刺した。腹が 突つ張り、躰全体が石のように重くなつて来るのを、グツ とこらえながら、ハアツ〳〵と太息をくり返して、和枝は ただ夢中に株間の草を掻き取り掻き取り、地を嗅ぎまわる 獣みたいに這い進んで行つた。

  右は、和枝が農作業をしている場面である。横手での疎開体 験が生きている描写と言えようが、これを妊娠中の作業とした ところに、女性ならではの苛酷さに対する書き手の意識が窺え る。

  また、縁談が持ち込まれた際の和枝の反応にも注意が必要。

「おら、まだ嫁になど行きたくない」

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  去年ずつと奥の方に嫁入つた同級生の千代がこの旧盆に 実家に戻つてきたときの急に五年も年とつたようなやつれ た姿や、まだ嫁に来て間もない部落うちの誰かれの苦労に 頬のこけた顔などが、急にいくつも眼に浮んできて、和枝 はそういう境遇に自分を置いて見る気にはならなかつた。

  結婚生活が苛酷なものとなるであろうことと同時に、彼女の 体験が例外的なものではないことが暗示されているのである。

    五   表層の変化と深部の不変   ここで取り上げた七編には、農地改革に伴うトラブル、機械 化の陥穽、女性の立場と労働負担の変質、といった歴史化し難 い 戦 禍 と も 言 う べ き〈 戦 後 〉 的 問 題 と、 〈 戦 中 〉・ 〈 戦 後 〉 を 通 じて変わらない農村の貧しさ、封建性、強かさ、といった普遍 的問題の両面が映し出されている。

  永 之 介 は、 「 田 舎 に 住 ん で 」( 『 東 北 文 学 』 第 一 六 巻 第 七 号、 一九四六年七月一日)の中で、農村に親近感を覚える理由の一 つ と し て、 「 社 会 の 基 本 的 な 階 級 と し て の 農 民 を 尊 敬 す る 私 の 根づよい観念」を挙げている。また、描く対象として、知識階 級や俸給生活者は 「最も下積みの苦悩を嘗めてゐる農民ほどに、 私 の 心 を 引 く も の で は な か つ た 」 し、 「 農 村 の 中 に 居 り、 農 民 の 身 近 く に ゐ る と い ふ こ と だ け で、 心 の 落 ち つ き を 感 じ て ゐ る。 」とも述べている。 農民に向けるこうした敬意や愛情こそが、 時代の推移に伴う変化を的確に捉えながらもその底流にある不 変を凝視し続けることを実現せしめた最大の要因であったに違 いない。   日 本 の 近 代 文 学 は、 西 洋 文 学 の 強 い 影 響 下 に 出 発 し た 結 果、 主 と し て 個 人 的・ 内 面 的 テ ー マ の 追 求 に 勤 し む こ と と な っ た。 それに対し、永之介の農民文学とは、日本の近代文学が等閑視 してきた前時代の面影を濃厚に宿す農村に、或いは集団として の農民に、日本及び日本人の本来の姿の一面を見出そうとする 試みだったのではないか。さらには、戦後、農村を捨てたり農 村から追い出されて都市の住民となった元農民たちや彼らの子 供たちは、永之介の描いた農村世界と果して無縁なのか。そう した文脈に立てば、伊藤永之介作品群の内に、 〈戦前〉 ・〈戦中〉 ・ 〈 戦 後 〉 と い う 区 分 を 超 え た 連 続 性 を 想 定 す る こ と も 可 能 と な るだろう。 注 1

所収) 手 帖 / 新 選 随 筆 感 想 叢 書 』、 金 星 堂、 一 九 三 九 年 六 月 二 五 日、   「 文 学 的 自 叙 伝 」( 『 新 潮 』、 一 九 三 九 年 二 月 一 日、 後、 『 作 家 の

  2

  「搾られる百姓」

(前掲 『農民の幸福』 )。 ただし、 この後、 「しかし、 そ れ に も か か は ら ず「 強 慾 」 だ と か「 悪 農 」 だ と か、 百 姓 を 悪 し ざ ま に 言 ふ 言 葉 を 聞 く と、 私 は い ま だ に い い 気 持 が し ま せん。 」と続く。

  3   第 一 次・ 第 二 次 改 革 を 経 て、 不 在 地 主 制 の 否 定、 在 村 地 主 の 貸 付 地 保 有 限 度 制 定( 一 町 歩 )、 地 主 に よ る 土 地 取 り 上 げ 禁 止 な ど を 実 現。 一 七 〇 〇 年 代 初 頭 以 来 続 い て き た 地 主 制 は 解 体

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した。

  4   一 九 一 〇 年 一 〇 月 一 〇 日 〜 一 九 九 八 年 一 一 月 二 三 日。 永 之 介 と の 関 係 に つ い て は、 拙 論「 伊 藤 永 之 介 と 新 山 新 太 郎

未 発 表 書 簡 群 か ら の 考 察

」( 『 社 会 文 学 』 第 一 三 号、 一 九 九 九 年 六月一二日)参照。

  5   判読不能。

  6

れている。 学 界 』 第 七 巻 第 三 号、 一 九 五 三 年 三 月 一 日 ) で も 取 り 上 げ ら 配をめぐって生じた兄弟間の争いを描いた 「谷間の兄弟」 (『文 弟 の 梅 四 郎 が 満 州 か ら 引 き 揚 げ て き た こ と を 契 機 に 土 地 の 分   「 労 力 過 剩 失 業 か ら 來 る 小 農 家 の 家 庭 不 和 悲 劇 」 は、 例 え ば 末   7   東 京 発 声 よ り 映 画 化( 監 督 豊 田 四 郎、 出 演 清 川 虹 子、 霧 立 の ぼる、杉村春子)もされた。

  8   普通、 『警察日記』 (小説朝日社、 一九五二年一二月二〇日) 、『続 警察日記』 (角川書店、 一九五五年八月二〇日) 、『新警察日記』 ( 新 潮 社、 一 九 五 五 年 九 月 三 〇 日 ) に 収 録 さ れ た 作 品 群 を 総 称 して「警察日記」と言う。

  9   本文中の記載による。

 

10   「秋田から東海道への便り」

(前掲『農民の幸福』 )参照。

(秋田県立大学教授   平成元年度修了生)

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