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〈論 説 〉
西 ア ジ ア の 農 業 と社 会(3)
後 藤 晃
目 次
第四章 割 替耕地 制 と土地所 有の 諸形態 は じめ に
・ 「農場 」 の経営 シス テム と割替 制 二 共 同体 的i弛 所有 と割替制 三 土地 の権利 設定 とム シ ャー
四 東 ア ラブにお ける共 同体 的 土地所 有 の諸契 機
第 四章 割替耕地制 と土 地所有 の諸形 態
は じめ にイ ラ ンの オ ア シス農 業 地帯 にお け る割 替制 度 につ い て は第二 章 「村 落社 会 と 農 業 の 諸制 度」 で子 細 に検 討 を行 っ た。 こ こで確 認 され たの は,実 態 調査 を実 施 した限 られ た事例 で はあ るが,す で に 国民経 済 が 成 立 しオ イ ル シ ョックに よ
る莫 大 な 石 油 収 入 を もっ て 工 業 化 に ア クセ ルが 踏 ま れ て い た1970年 代 前 半 に,前 近 代 の村 落 共 同体 を彷彿 させ る村 が 存 在 し,割 替 え を慣 行 と して い た こ とで あ る。 しか も,マ ル ヴ ダシ ト地 方 で は調 査村 だ けで は な く200を 数 え る村 の ほ とん どで慣 行 とな って い た。
割 替 制 は,村 が文 字 通 り大 十 地所 有者 に所 有 され て い た農 地改 革 以前 の 制 度 で もあ った。 オ ア シス農 業 地帯 で は19世 紀 半 ばか ら20世 紀 前 半 にか けて大 地 主経 営 の 「農場」 が 発達 し,農 民 は権利 の きわ め て脆 弱 な 「農 場」 の雇 農,集
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落 は そ の 「飯 場 」 と化 し て い た が,こ の 「農 場 」 で 割 替 え が み ら れ た の で あ る。
割 替 え は,20世 紀 半 ば ま で イ ラ ン の 農 村 で 広 く と ら れ て い た 制 度 で あ っ た
〔バ デ ィ,1972年,59ペ ー ジ 〕。 ラ ム ト ン に よ れ ば,フ ァ ー ル ス ,ア ゼ ル バ イ ジ ャー ン の 一 部 の 地 方,ホ ラ ー サ ン,ケ ル マ ン,フ ー ゼ ス タ ン,コ ル デ ス ター ンの 諸 地 方 に み ら れ た 〔ラ ム ト ン,1976年,229‑303ペ ー ジ〕。 と く に 灌 概 農 業 地 帯 で 広 範 に み ら れ た が,こ れ に は 灌 概 農 業 が 生 産 力 的 に は 乾 地 農 業 よ り高 く,こ こ で 農 業 投 資 が 進 み 「農 場 」 が 発 達 した こ と と関 係 が あ る。 つ ま りzイ ラ ンの 農 業 地 帯 の 中 で は 生 産 力 が 高 い オ ア シ ス 農 業 地 帯 で 大 地 主 経 営 が 展 開 し,割 替 え は こ の 「農 場 」 で 般 化 して い た 制 度 で あ っ た 。
も っ と も,割 替 制 は イ ラ ン に 特 殊 な 農 業 制 度 で あ っ た 訳 で は な い。20世 紀 半 ば ま で に 時 代 を 限 定 して 言 え ば,現 在 の シ リ ア,パ レス チ ナ,ヨ ル ダ ン,イ ラ ク と い っ て 東 ア ラ ブ 地 方 で も割 替 え を 慣 行 とす る 村 が 数 多 くみ ら れ た 。 大 戦 間 期 に 東 ア ラ ブ 地 方 を統 治 した 委 任 統 治 政 府 は 地 域 の 安 定 化 を は か る 目的 で 農 民 に 土 地 の 所 有 権 を確 定 す る 登 記 を 実 施 し た が,パ レ ス チ ナ で 言 え ば,1928 年 か ら43年 の 間 に 登 記 さ れ た40万 ヘ ク ター ル(全 耕 地 の84%に 相 当)の 村 の ほ とん ど で そ れ ま で 割 替 えが 慣行 と な っ て い た 〔Antoun ,1972,P.23〕 。 シ リ ア や ヨル ダ ンの 場 合 もお お よ そ 同 じで あ っ た。 村 の 土 地 は 個 人 が 所 有 した の で は な く村 や 村 社 会 を 構 成 す る 親 族 な ど の 団 体 に よ っ て 共 同 体 的 に 所 有 さ れ る か,社 会 を構 成 す る 農 民 に よ っ て 共 有 され る こ とが 多 か っ た の で あ る 。
ま た ア ナ ト リ ア で は,割 替 え の 慣 行 は19世 紀 に す で に 消 滅 し た と 言 わ れ て き た 。 オ ス マ ン トル コ政 府 は そ の 領 域 の 土 地 の ほ と ん ど を 法 律 上 は 国 有 地(ミ リ地)軸 と して い た が,19世 紀 後 半 期 に この ミ リ地 の 用 益 権 を確 定 す べ く登 記 作 業 が 進 め られ た 。 こ の 際 村 や 親 族 な どの 団 体 に よ る 所 有 や 共 有 を 原 則 と し て 認 め な か っ た た め,割 替 え も ま た 消 滅 し た と 考 え ら れ て き た の で あ る 〔Ger‑
ber,1987,p.77,p.148〕 。 しか し,例 え ば 現 在 の トル コ 共 和 国 の 東 部 に 位 置 す る カ ル ス 県 で は1920年 代 ま で 「耕 地 が 共 同 で 管 理 さ れ3年 ご と に く じ引 き で 利 用 地 が 割 当 て られ る」 村 が 存 在 して い た し,黒 海 の エ レー リ地 方 で も同 様 の
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事 例 の 記 録 が あ り 〔Husrev,1935,pp.25‑26〕,ア ナ トリア の 辺 境 地 方 で は 割 替 制 が 消 滅 して い た 訳 で は な か っ た 。
しか し,東 ア ラ ブ や ア ナ トリ ア 東 部 に お け る割 替 制 は,シ リア の ユ ー フ ラ テ ス 川 流 域 な ど一 部 の 地 方 を 除 く と,イ ラ ン に み られ る よ う な 大 地 主 経 営 の 制 度 とは 明 らか に異 な り,共 同 体 的 所 有 の村 の 制 度 と して の 特 徴 を も っ て い た 。 割 替 制 の もつ 目的 と機 能 は基 本 的 に異 な っ て い た とい っ て よ い。 イ ラ ンの 地 主 経 営 で は割 替 え が 雇 農 と して の 農 民 を 「農 場 」 の 労 働 者 と して編 成 す る 上 で の 制 度 で あ っ た の に 対 して,地 縁 血 縁 の 共 同 体 の 農 業 制 度 と し て の 性 格 を 色 濃 く
も っ て い た の で あ る 。 しか しfこ の 相 違 に も 関 わ らずr農 民 が 固 定 した 地 片 を 利 用 す る の で は な く割 替 えが 続 い て き た の に は い ず れ に も共 通 す る な ん らか の 理 由 が あ っ た か ら と考 え られ る 。 こ こ で は 割 替 え の もつ 制 度 的 性 格 を 比 較 検 討
す る こ と を通 し て 西 ア ジ ア の 村 落 の 構 造 を明 らか に す る こ と を 目的 とす る。
(注)
割 替制 はTも とも と共同体 の成員 に耕地 を分割 しこれ を定期 的 に配 分 しなおす 制 度 と して,と くに共 同体所 有 との 関係 で扱 わ れて きた。共 同体 の 成員数 の変 動 に応 じて 七地 を再 配分す る制度 はかつ て は農業共 同体 の耕 地 共有制 にみ られ た もの で あ る。 しか し, 地域研 究が 盛 んに なる と各地 の様 々 な農業社 会 に登場 し歴 史の段 階 と して位 置 づ け る こ
とが必ず し も適 当で ない こ とが明 らか に され る ようにな った。例 えば,ロ シアの ミー ル 共 同体 では ツ ァー リズ ムの徴 税 と賦 役 のため の共 同責任 を負 わせ る制 度 と して二 次 的 に 生 まれた もの であ り,ヨ ー ロ ッパ の荘 園制 で は荘 園領i三がマ ル ク仲 間 を構 成 して いた小 農の労 働力 を耕作 に用 いなが ら経営 してい た領 主直営地 にみ られ た制 度 と して 理解 され て い る。 東 ア ラブで も多様 な 十地制 度 の下 で み られ た。 もっ と も20世 紀 に は砂 漠 の周 辺 部 な どに わずか に残 って い るに過 ぎず,割 替 え は存 続 した ものの 耕 地 の被 配 分 権 は 個 々の農民 の私 的 な権 利 とな っていた。 マル ヴ ダシ ト地 方の場 合 も同様 であ り,持 分の 質的平等 をはか る 目的で割替 えが 慣行 とな っていた ので ある。つ ま りS近 代 以 降の西 ア ジアでは,割 替 え も共 同体 成 員の実 質的 平等 をはか る もの と,持 分保 有者 の形式 的 平等 の維持 を 目的 とす る もの とが あ り,本 論文 で は割 替 え をこの 双方 を含 む広義 の概 念 と し て扱 う。
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一 「農 場 」 の 経 営 シス テ ム と割 替 制
1.1970年 代 にお け る農 業 制 度 と割 替制
1970年 代 にマ ル ヴ ダ シ ト地 方 の村 で は村 落 共 同体 を彷 彿 させ る農 業 制 度 が み られた。 当時,地 主 はす で に村 か ら撤 退 し土 地所 有 権 は地 主か ら農民 に移 っ て い た。 村 の土 地 は農 民 に私 的 に所 有 されて いた の で あ る。 しか し,農 地 の 利 用 や 農作 業 に は村 全 体 に よ る強 い規 制 が あ り,開 放 耕 地 制,共 同耕作 制,割 替 制 が 村 落 共 同体 さなが らに維 持 され て い た。村 の 耕 地 は複 数 の 耕 区 に 区分 さ れ,個 々の 農 民 は 各耕 区 に利 用 地 を分散 させ て保 有 し,農 地 の 利 用 で は耕 区 を 単位 と して個 人の 自由 は まっ た くみ られ なか った。 作付 け循 環 が耕 区循 環 の形 を と り,例 えば小 麦 と夏作 と休 閑 を循 環 す る とい う作 付 け体 系 で は 図1‑2?に み る よ うに これ を耕 区 ご とに循 環 させ てい た。 麦作 の耕 区 は収穫 が 終 わ る と共 同放 牧 地 と してす べ て の農 民 に開放 され,休 閑地 は作 物 栽培 の準 備 に先 立 ち測 量が し直 され くじ引 きに よって 農民 に割 り当て られ た。
開放 耕 地制 が と られ た理 由 と して は,… つ に耕作 権 を もつ 農民 の 平 等性 と, 地 味 や水 利 施 設へ の ア クセ ス な どの 差 を な くす こ とに よ る 共 同 関 係 の 維 持 が あ っ た が,他 方 で この 制 度 は 当時 の 農 業 生 産 力 水 準 に対 応 す る もの で もあ っ た。 農耕 と牧 畜 が複 合 した経 営 が 十地 利 用 の中 に休 閑 を組 み込 む休 閑 農業 と一 体 化 した伝 統 的 な農 耕 の 方式 が ほ とん ど変 わ る こ とな く70年 代 に も続 い て い た。 トラ ク ター が 導 入 され 省 力 化 が 進 ん で い た が,17,S世 紀 に西 欧 にみ られ た よ うな農 業 革命 が 未 だ起 こっ てい なか っ たた め 農法 とい うこ とで は 旧態 依 然 であ った。
しか し,開 放 耕 地 制 は必 ず し も割替 え を必 要 と しなか っ たか ら,開 放 耕 地 制 が存 続 した こ とが 割 替 制が 続 い た こ との 十 分 な説 明 には な らない。 これ は 西欧 の前 近 代 にお け る村 落 共 同体 をみ れ ば明 らか で あ る。 したが って,割 替 制 が続 い た こ とには 別の 理 由 が探 られ なけれ ば な らな い。 こ こで注 意 すべ きは観 察 さ れ た農 業 制 度が も と もと農 地 改 革以 前 の 地主 制 下の 制 度 であ った とい うこ とで あ る。 しか も調 査 時 は農 地 改 革 後10年 足 らず しか 経 過 して お らず,地 主制 の
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時代 の 農業 制 度 をたぶ ん に と どめ て い た。土 地 所 有 関係 と農業 経 営 の形 態 は大 き く変 わ っ た もの の,農 耕 方式 と耕地 制 度 は地 主制 の そ れ を踏襲 し割 替制 も同 様 に引 き継 が れ てい た。 地 主経 営 の 「農場 」 の 制 度が 農 地改 革 後 の村 に踏 襲 さ れ てい た とい う こ とで あ る。
さ らに時代 を潮 れ ば,割 替制 は前近 代 の村 落共 同体 の制 度 で もあ った。 割 替 制 が サ フ ァビー朝 期 の村 落 の 農 業制 度 で あ っ た こ とにつ い て,ケ ンブ リ ッジ大 学 で編 纂 した イ ラ ン史で は 「農 民 の 間で 等 しい取 分 を得 られ る よ うに数 年 に 一 度割 替 えが 行 われ て い た」 と記 され て い る 〔B.Fragner,1980・P・492‑3〕 。 この 時代 の 割 替 えの実 態 につ いて は子 細 を知 る こ とは で きないが,村 落 共 同体 の制 度 が地 主制 の展 開 した 時代 を経 て 農地 改 革後 の村 に踏 襲 され た であ ろ うこ とは 推 測 で きる。 この 間,生 産力 に わず か な発 展 しか な く,技 術 水 準 に規 定 され て 農業 制 度 も大 きな展 開 をみせ なか った の で あ る。 この た め,開 放耕 地 制 も共 同 耕 作制 も また割 替 制 も基 本 的 には村 落 共 同体 の 時代 か ら変 わ る こ とな く地 主経 営 の 「農場 」 に引 き継 が れ,こ こで村 落 の 共 同体 的 関係 を剥 ぎ取 られ 農民 の労 働 者 化 を強 め なが ら,地 主 経営 の 合理 的 な経営 シス テム と して続 い て きた。 そ して,農 地 改 革 で土 地が 農 民 の もの とな り地 主経 営 が 解体 す る と・ こ の農 業制 度 を踏 襲 したが 故 に かつ ての 村 落共 同体 の 復 興 の ご と き村 が登 場 す る こ とに なっ たの で あ る。 た だ,商 品経 済社 会 の最 中 に登場 した この村 は農 業 制度 で は 村 落共 同体 の そ れ を引 き継 ぎな が ら封建 社 会 の村 落共 同体 と似 て非 な る もので
あ る こ とは言 う まで もな い。
2.「 農 場 」 の経 営 シス テ ム と土 地 割 替 え
次 に 問題 となるの は,地 主経 営 の 「農場 」 で割 替 制 が なぜ と られ てい た か と い うこ とで あ る。 第三 章 で述 べ た よ うに,乾 燥 地 の灌 概 農 業 で は地 主 は灌 概水 利 を独 占す る こ とで 農民 に対 して 強 い請 求権 を もち,大 地 主経 営 は商業 的 農業 が展 開 した時代 に オア シス農 業地 帯 で発 達 した。 農産物 市 場 が 内外 に形 成 され た時代 に商 品作 物 生 産 に積 極 的 に対 応 した地 主の 主導 で 農民 か ら耕 作 権 を奪 う 形 で 「農場 」 が 形 成 され た ので あ る。 農 民 に対 す る地 主の 強 い請 求 権 は地 方 警
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察 の暴力 に よ って 保 証 され,経 済外 的 な強 制 関係 か ら地 主 は 領 主,「 農場 」 は 領 主 直営 地 の ご と き様 相 を示 した が,「 農場 」 形 成 の動 機 は あ くまで 資 本 主義 的 で あ っ た とい っ て よい 。 これ は}18世 紀 か ら19世 紀 に か け て バ ル カ ンに登 場 したチ フ トリキ 農場 や19世 紀 エ ジ プ トの イ ズ バ農 場 な どア ジア の 各地 にみ られ た多 様 な大 地 主 経営 と同 じ歴 史 的性 格 を もつ といっ て よい。 た だ,イ ラ ン の地 主 が すべ て 「農場 」 の経 営 者 に な った訳 で は な く,生 産力 の低 い乾 地 農業 地帯 で は 地 主 は小 作 料 を受 け取 る こ とに の み 関心 を もつ 寄 生 地 主 的 性 格 が 強 く,こ う した地 主 の所 有 す る村 は共 同体 と して の 自治 が 相 対 的 に維 持 され て い た とい って よい。割 替 制 は この地 主 の2類 型 の うちの前 者,つ ま り農民 の権 利 が脆 弱 な大 地 主経 営 の 「農場 」 で一 般 的 で あ った とい う特 徴 が あ る。 マ ル ヴ ダ シ ト地 方 もオ ア シス農 業 地帯 に位 置 し,調 査 した2つ の村 はいず れ も 「農 場 」 と して の性 格 を もち,雇 農化 してい た農 民 の 間 で耕 作 地 を入 れ替 える割 替 えが 行 わ れ て いた の で あ る。
ラム トンは,割 替 制 度 が続 いた の は イ ラ ンの村 に共 同体 的 な伝 統 が あ りまた イ ス ラム 的 平 等 の 意識 が あ っ た か らだ と述 べ て い る 〔ラ ム トン,1976年,303 ペ ー ジ〕。 共 同耕作 制 が 農 業 制 度 と して続 き,階 層格 差 が 生 じる こ とが な く農 民 間 の均 等性 が 維持 され た こ と と同様 に,割 替 制 度 も村 社 会 の共 同体 的 関係 の 強 さに よ って存 続 した とい う訳 であ る。 しか し,そ うであ れ ば地 主 的 土地 所 有 の村 で,村 が 「農場 」 化 した オ ア シス農業 地帯 よ りも地 主 が寄 生 的性 格 を もち 村 が 共 同体 と して相 対 的 に 自立 性 を維持 して いた乾 地 農 業地 帯 で 割 替 えが 一 般 的 で あ っ て しか るべ きで あ る。 実 態 は この 逆 で あ っ た。 共 同体 的 伝統 が地 主 制 下で の割 替 制 の 契機 で は なか っ た とい うこ とで あ り,む しろ雇 農 を組 織 す る地 主 の側 に割 替 制 を維 持 す る積 極 的 な動 機 が あ った と考 え るのが 妥 当 で あ ろ う。
バ デ ィは 「定期 的 な割 替 え は イ ラ ン農村 で 広 く行 われ て い る。 土 地 の割 替 え は 商 品 ・貨 幣 的 お よび資 本 主義 的 関係 の発 達 の結 果 と して,農 民 が 「永 小 作 」権 を失 え ば失 うほ どます ます 広 く行 わ れ る。 … … 耕作 地 の再 配 分一 これ は共 同 体 制 度 の残 津 であ るが一 は,地 主 と富 農 が 農民 を収奪 す る ため の最 も強 力 な武 器 と なっ て い る」 と述 べ て い る 〔バ デ ィ,1972年,59‑60ペ ー ジ〕。 ラム トン も
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また農 民 間 の平 等 な ど共 同体 的契 機 を挙 げ てい る一方 で,農 民 の 土地 に対す る 保 有権 が 発 生す るの を防 ぐとい う地 主 の 意 図が あ った こ とを認 め て い る 〔ラム
トン,1976年,302‑3ペ ー ジ〕。
また,大 地 主経 営 で農 民 は雇 農化 して い た とは い え ば らば らな労 働 者 で あ っ た訳 で は ない。 「農場 」 は 農業 生 産 の技 術 とい う面 で は 旧態 依 然 で あ り技 術 革 新 が伴 わ なか っ たか ら農民 社 会 の共 同組織 に依 存 す る必 要 が あ った。 通 常,地
主は都市 に居住 し村 に は差配 をお い て経営 を行 うこ とが 多 く丁伝 統 的 な農業 制 度の もとで農 民 を編 成 し耕 作 に 当 らせ る 方が 管理 上す ぐれか つ コス ト面 で も有 利 で あ っ た。 言 い換 え れ ば,農 民 社 会 の 共 同関係 を経 営 方式 に組 み入 れ,共 同 関係 を維 持 して 農民 に連帯 責任 を課 す こ とが経 営L合 理性 を もって い たの で あ り,割 替 え は この共 同関係 を維 持 し強め るた め の手段 と もなっ て いた と考 え ら れ る。 要す る に,地 主 経営 にお いて割 替 制 は,一 ・つ に は土地 に対す る農民 の権 利 が強 まるの を避 け る こ と,ま た… つ に は共 同関 係 を経営 に利 用す る こ との2 つ の 目的 に よ って踏 襲 され たの で あ り,農 民 を 「農場 」 の 雇 農 と して組織 す る 上 で 有効 な制 度 で あ った と言 うこ とが で きる。
3.農 地 改 革 と農 業 制 度 の継 続性
農地 改 革 で 地主 が 退却 した後 に村 落 共 同体 を彷彿 と させ る村 が登 場 した が, この村 で も農 業制 度 と して割 替 制が 存 続 した。 次 に この理 由を説 明 す る必 要 が あ る。 地 主経 営 の 「農場 」 で は,割 替 え は農民 の 土地へ の権 利 が強 ま るの を抑 えかつ 農 民 の共 同関係 を経 営 に利 用 す る こ とを意 図す る もので あ っ たが,改 革 後 の村 で は,地 主が 退 場 した た め に この い ず れ もが 意 味 を失 っ た。 した が っ て,割 替 制 は廃 止 され て 然 るべ きで あ った 。 に も関 わ らず 割 替 えが 続 い た の は,伝 統 的 な農 耕方 式 と耕地 制 度 が存 続 した こ と と大 い に関係 して い る。 つ ま り,耕 作 規 制 と耕 地規 制 が 共 同関係 を さ らに強 め る こ とに な った と言 う こ とで あ る。 しか し,開 放耕 地 制 そ の もの は割 替 制 と直 接 に は関係 が ない。 農 民 の私 的 土地 所 有 の村 で も開放 耕 地 制 を とる こ とが 可能 で あ る。 そ れ ゆ え,農 地 改革 後 の村 で割 替 制が 続 いた こ とにつ い て は さ らに別 の説 明が 必要 とな る。
8商 叢蚤 論 叢 第36巻 第1号 (‑‑1)
1960年 代 に 実 施 さ れ た 農 地 改 革 で 村 の 土 地 は 農 民 の もの に な っ た 。 しか し,個 々 の 農 民 が 個 別 の 分 割 地 に 所 有 権 を 得 た 訳 で は な か っ た 。 土 地 は 農 民 個 々 人 に譲 渡 さ れ ず, 被 譲 渡 権 を もつ 農 民 全 体 に ・括 で 譲 渡 さ れ た 。 図4‑1は マ ル ヴ ダ シ ト地 方 の ポ レ ノ ウ村 に お け る 土 地 の 売 買 譲 渡 契 約 書(サ ナ ッ ド) の 一部 だ が,こ こ に 記 さ れ て い る 重 要 な 事項 は 以 ドの3点 か ら な っ て い た 。 ・
図4‑1ポ レ ノ ウ 村 の 土 地 の 譲 渡 契 約 書(一 部 〉
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(1>村 の耕 地 面積 と灌 概 の た め に河 川 か ら分水 され る農 業 用水 の村 の持 分 (2)地 主 の氏 名 とそ の持 分 お よび譲 渡 を受 ける36人 の農 民 の氏 名
(3)村 の 土地(水 利 権 を含 む)の 譲 渡 価格
この村 で は36人 の 農 民 に譲 渡 を受 け る権 利 が 確 定 され,契 約 書 は地 主 と農 民 そ れ に農地 改 革委 員 会の 役 人 の立 ち会 いの も とで作 成 され た もので あ る。 上 の事項 か らわか る よ うに,こ の契 約 書 で は村 の 土地 の 筆 筆 に権 利 を もつ 農 民 を確 定 して 譲渡 を行 う手続 きが と られず,地 主 と個 々の 農民 との 間 で の契 約 書 で は な い。 地 主 と被 譲 渡 者 全 員 の 間 で取 り交 わ され,土 地 は36人 に 一括 譲 渡 され た の で あ る。 つ ま り,村 の 土 地 が36人 の 共 同名 義 で 共有 財 産 と して 譲 渡 され た。 また譲 渡価 格 に対 す る36人 の分担 金 は 等 し く,そ れぞ れ は36分 の
(110) 西 ア ジ ア の 農 業 と 社 会(3)9
1に 相 当す る金額 が 割 り当 て られ て い る。
こ う した譲 渡 の 方式 が と られ たの は,一 つ には 少数 の担 当者 で 農地 改 革 を早 期 に実 施 しなけ れ ば な らな い とい う当時 の政 治 的事 情 が あ ったが,ま た一 つ に は地 主制 の も とで の農 業制 度が 関係 してい た と考 え られ る。 雇農 と して の 農民 の耕 作 地 は複 数 の耕 区 に分 散 した短冊 状 の地 条 か らな り しか も割 替 え に よって 毎年 移 動 した か ら,分 割 地 の所 有権 を確 定す る こ とは技術 的 に難 し く行 政 の能 力 の 点 か ら も不可 能 で あ った。村 の土 地 を測 量 し権 利 者 を確 定す る こ と以 上 の こ とが で きな か っ た か ら,十 地 の譲 渡 も こ う した した 方 法 を取 らざ る を得 な か っ たの で あ る。
この結 果,農 地 改 革 に よって村 の土 地 は 農民 の 共 同所 有 とな り個 々の農 民 は 持 分 を もつ こ とに な った 。灌 概 農業 で は土 地 だ けで な く灌 概水 利 施 設 や水 利 権 も共 有 され,農 民 は持 分 に応 じて これ に権 利 を もっ た。村 の施 設 で あ る ガナー トや井 戸 は共 同で 管 理 し利 用 され,河 川灌 概 の村 で は村 が 配分 を受 け る灌 概用 水 は農民 の 持 分 に応 じて そ の利 用地 に割 り当 て られ た。
この持 分 は法 的 に はサ フム と呼 ば れ,マ ル ヴ ダシ ト地方 の 農民 の 間で は 「ガ ー ウ」 と呼 ばれ た。 ポ ーレ ノウ村 の場 合,36人 の 農民 が 譲 渡 を受 け そ れ ぞ れ が 等 し く1単 位 の持 分(サ フ ム)を 取 得 した こ とか ら,こ の村 の 持 分 す な わ ち ガ ー ウ数 は36と な る。 ガー ウ は もと も と雄 牛 を意 味 す る 語 で,1ガ ー ウ は 農 民 が 一 頭 の雄 牛 を使 役 して耕 作 で きる規 模 も表 してい る。 地 主制 の 下で は農 民 は1頭 の 雄牛 を もつ こ とが 「農場 」 で働 く条 件 で あ り,2頭 の雄 牛 に黎 を結 ん で 農作 業 に使役 した。 農民 の耕 作 す る規模 は等 し く,こ の権 利 を ガー ウ と言 っ た の で あ る。 つ ま り,地 主 制 下 で は雄 牛1頭 を もっ て 「農 場」 で 働 く権 利 が ガー ウで あ り,こ の 能 力 は皆 等 しい もの と され た 。等 しい持 分 を もつ こ と に なっ たの は地主 制 下 で 農民 が1ガ ー ウの規 模 を耕 作 して い た こ とに よった ので あ る。
以 上か らイ ラ ンにみ られ た割 替制 につ い次 の よ うに ま とめ る こ とが で きる。
α)割 替制 は村 落 共 同体 にお け る農 業制 度 で あ っ た。 た だ,耕 地 共 有 制 の も と で共 同体 の 成 員 間の 実 質 的 な平等 を はか る こ とを 目的 と した割 替 えか,持 分 を
10商 経 論 叢 第36巻 第1箋} (1Q9)
私 的 に所 有 す る農民 の 間の平 等 を はか る 目的 に よ る割 替 えで あ っ たか につ い て は明 らか で は ない。
(2)割 替制 は地 主経 営 の 「農 場 」 にお け る農 業制 度 で もあ っ た。伝 統 的 な農 法 か ら離 脱 で きなか った た め に村 落共 同体 の 農業 制 度 を踏襲 した が ,割 替 制 は 農 民 の十 地へ の権 利 が 強 まるの を避 け,ま た連 帯 責任 を負 わせ る共 同組織 の維 持 が そ の契機 とな って い た。
(3)農 地改 革 で 土地 所 有 権 は 農民 に移 っ たが,こ の村 では伝 統 的 な農業 制 度 が 引 き継 が れ た故 に共 同関係 が強 め られ,ま た土 地 が 農民 の共 有 と して登 記 され たた め に割 替 制 も また踏 襲 され た。
も っ と も,地 主制 の 時代 に イ ラ ンの どこで も 「農場 」 の形 態 が と られ た 訳 で は な い。 先 に述 べ た よ うにi小 作 料 を得 る 目的 だけ で 土地 を所 有 した寄 生 的地 主 の村 は よ り自治 的 で あ り,農 民 間の 階 層分 化 も生 じて いた 。 また 「農場 」 も 農民 の 共 同 関係 を経 営 に利 用す る方式 は一一様 で は な く,少 数 の農 民 を軸 に経 営 組 織 を編 成 す る ところ もあ った。 複 数 の雄 牛 を もつ小作 農民(ガ ー ウバ ン ド) が 小作 権 を もた ない分 益 労働 者 を耕作 組 織 に編 成す る経 営 形 態 が そ の例 だが,
この 点 に 関 して は 第三 章 で述 べ た と ころ であ る。
4.シ リア のShamsed‑Din村 の 場 合
農 民 が 均 等 な持 分 を もつ 村 は シ リ ア で も確 認 さ れ て い る 〔Seeders,&Kad‑
dour,X984,pp.495‑05〕 。 こ こ で は 持 分 は 村 の 全 耕 地 の 一一部 を 意 味 す るfaddan を基 準 と し,た と え ば1faddanを も つ とい う 時 に は村 の 土 地 に 対 す る 総 シ ェ ア ー 数 の う ち の1シ ェ ア ー を もつ こ と を 意 味 し て い た 。1974年 に 調 査 が 行 わ れ た ユ ー フ ラ テ ス 川 流 域 のShamsed‑Din村 も こ の 事 例 に相 当 す る 。 こ の 村 で は 持 分 を もつ 農 民 は15人 で あ り,図4‑2に み る よ う に 農 民 は村 の5つ の 耕 区 に 散 在 し た 均 等 な 短 冊 状 の 地 片 を 利 用 して い た,,耕 区 は 人r二的 に 灌 概 が 可 能 な と こ ろ に 分 散 しeそ の 規 模 は 土 地 の 肥 沃 度 に よ っ て 違 い が あ り劣 等 地 ほ ど大 き か っ た 。 耕 区 は15ま た は30の 地 片 に 区切 られ,各 農 民 は そ れ ぞ れ の 耕 区 に1 つ な い し2つ の 地 片 を保 有 して 利 用 し た。 こ の 村 で は 主 穀 で あ る小 麦 と大 麦 が
(108) 西 ア ジ ア の 農 業 と社 会(3)11
1対2の 割 合 で 栽培 され,西 ア ジ アの乾燥 ・半乾 燥 地 に一一般 的 な農 耕 と牧 畜 が 複合 した農業 を特徴 と してい た。 麦 作 に利 用 され た耕 区 は刈 り取 りが 終 わ る と 共 同放 牧 地 とな り,地 片 での 農民 の個 別 の利 用 権 は失 われ る。 家 畜 は冬 には牧 童 に よっ て 山や 近 隣の 地主 が 経 営 す る綿 花 農場 に移動 し一種 の移 牧 の形 態 が と
られ てい た。 また,作 付 け に先 立 って毎 年 割替 えが 行 わ れ たが,割 替 え に際 し て は耕 区 ご とに ロー プで 簡 単 な測 量 が行 な われ,く じ引 きで農 民 の利 用地 が 割
り当 て られ た。
この村 の 農業 制 度 はマ ル ヴ ダ シ ト地 方 の それ と基本 的 には 同 じで あ り,開 放 耕 地 制や 割 替制 が 西 ア ジア の乾燥 ・半 乾燥 地 にお け る伝 統 的 な制 度 で あ っ た こ
とを想起 させ る。 また農民 が共 有地 に等 しい持 分 を もって い た点 も共通 してい る。 この村 は64年 に農 地 改 革 で 所 有 権 が 地 主 か ら農 民 に移 っ た とい う経 緯 が あ り,マ ルヴ ダ シ ト地 方 と同様 に,地 主経 営 地 にお い て1労 働 単 位 と して 雇 わ
図4‑2Shamsed‑Dln村 の耕地(・ 部)
「 一 一'皿
『
る 集'∫・落/(注)耕 地 と な っ て い る の は 灌 概 適 地 で あ る (出 所)Seeden,H.&Kaddour,M、,1984,p.504
12商 経 論 叢 第36巻 第1C7 (107)
れ た農 民 が,農 民 所 有 とな っ た村 の土 地 に等 しい持 分 を もつ こ とにな っ た経緯 が窺 え るの で あ る。 また,二 つ に共通 す るの は いず れ も乾 燥 地 の 農牧 複 合 の灌 概 農 業 地帯 とい う こ とで あ る。 農 牧 複 合 とい う こ とで は 乾 地 農 業 も同 じで あ る。 ただi生 産力 で は差 が 大 き く,地 主経 営 の 「農場 」 は灌 概農 業 地帯 で発 達 したの で あ り}マ ル ヴ ダ シ ト地 方の村 もShamsed‑Din村 も農地 改 革 前 は地 主 経 営 の 「農場 」 で あ っ た。 つ ま り,い ず れ も農 民 は 「農場 」 にお いて等 しい労 働1位 と して雇 用 され,農 地改 革 後 に等 しい持 分 に よる共 有 の村 が生 まれ る こ
とに なっ たの で あ る。
マ ル ヴ ダシ ト地 方 で は,80年 代 に入 って 多 くの 村 で 割 替 制 が 廃 止 され 農 民 の利 用 地 が 固定 化 した。 この 結 果,耕 作 規 制 が ゆ るみ 共 同 関 係 が 弱 まっ た。
Shamsed‑Din村 も同様 に その 後 に制 度 上 の変 化 が 起 こっ た こ とは容 易 に推 測 で きる。 した が って,村 落共 同体 を彷 彿 させ る村 の姿 は地 主制廃 止 後 の過 渡 的 な形 態 で あ り,商 品経 済化 が 進 み農 業技 術 に進 歩が み られ る現 代 に伝統 的 な農 業制 度 が 盈 き続 け る こ とは現 実 に はあ り得 ない と考 え られ る。
二 共同体 的土地 所有 と割替制
1.ム シ ャ ー の 概 念
「ペ ル シ ア の 地 主 と農 民 」 の 著 者 で あ る ラ ム ト ンは,土 地 を 分 割 せ ず 持 分 で 共 有 す る 所 有 の 形 態 を ム シ ャ ー(musha'a}と 呼 ん だ 〔ラ ム ト ン,1976年, p.101〕 。 彼 女 が 注 目 した の はf1つ の 村 の 七地 を複 数 の 地 セが 所 有 す る場 合, 土 地 を持 分 で 共 有 す る と い う地 主 的 十 地 所 有 の ・形 態 で あ る 。 一般 に 小 農 村 落 で は 地 主 は 農 民 と相 対 で 契 約 を結 ぶ が,イ ラ ンで は複 数 の 地 主 が 分 割 地 を も た ず 村 の 上地 を共 有 す る こ とが 多 か っ た 。 例 え ば,マ ル ヴ ダ シ ト地 方 の ポ レ ノ ウ 村 の 場 合,農 地 改 革 前 に3家 族9人 の 地 主 に よ っ て 所 有 さ れ て い た が,こ の9
人 は 境 界 で 区 切 らず 村 の 土 地 を持 分 で 共 有 して い た 。 売 買 や 相 続 の 時,村 の 土 地 は 持 分 で 譲 渡 さ れ た 。 相 続 は イ ス ラ ム 法 に も とず く分 割 相 続 が 一般 的 だ が,
この 場 合,所 有 権 は 複 数 の 子 供 に 相 続 さ れ る がL地 そ の もの は 分 割 さ れ な か っ
(106) 西 ア ジ ァ の 農 業 と 社 会(3>13
た の で あ る。
共 有 の 形 態 を と っ た 理 由 は,す で に 明 らか な よ う に村 が 農 業 生 産 の 分 割 で き な い 一 つ の 単位 を な して い た こ と に あ る。 村 落 共 同 体 の 農 業 制 度 が 地 主 制Fの 村 に 引 き継 が れ,そ れ 故 に 「農 場 」 の 形 態 を と っ た と こ ろ で も村 が 経 営 の 単 位
と な っ て い た 。 村 の 土 地 を境 界 で 分 割 し て 相 続 す る こ とが 適 当 で は な か っ た の で あ る 。 こ の 場 合,複 数 の 地 主 の う ち の ・人 が 経 営 に 関 わ る か ま た 第 三 者 に 任 せ た が,地 代 は 複 数 の 地 主 の 問 で 村 の 農 民 が 支 払 う総 量 に対 す る持 分 比 で 分 け
られ た 。 ラ ム ト ンが ム シ ャ ー と した の は こ う した 地 主 の 所 有 形 態 で あ っ た 。 土 地 を分 割 せ ず 持 分 で 共 有 す る とい う こ とで は 先 に 示 し た 農 地 改 革 後 の 村 も 同 じで あ る。 村 の 土 地 は 権 利 を もつ 農 民 に よ っ て 共 有 さ れ,個 々 の 農 民 は この 共 有 地 に 持 分 を も っ て い た 。 した が っ て,耕 作 農 民 が 「持 分 に よ る 共 有 」 の 関 係 に あ る 村 も ラ ム ト ンの 規 定 す る ム シ ャ ー と い っ て よ い 。
ム シ ャ ー は 一 般 に,個 人 が 境 界 で 区 切 られ た 土 地 を排 他 的 に 所 有 す る所 有 形 態,マ フ ル ー ズ(mafruz)の 対 概 念 で あ り,ラ ム ト ンが 言 う 「持 分 に よ る 共 有 」 だ け を 意 味 して い る 訳 で は な い 。 例 え ば,1930,40年 代 の パ レ ス チ ナ の 農 業 制 度 を研 究 した グ ラ ノ ッ トは 次 の よ う に 述 べ て い る。 「(東ア ラ ブ 地 方)の 土 地 所 有 に は 二 つ の 形 態 が あ る 。 … つ は 個 人 に よ っ て 分 割 地 が 永 続 的 に 所 有 さ
れ る 形 態 で あ り,も う 一一つ は 土 地 が 家 族 や 親 族(hamula)の 団 体,ま た 村 の 住 民 全 体 の い ず れ か に よ っ て 分 割 さ れ ず に 共 同 で 所 有 さ れ る ム シ ャー の 形 態 で あ る」 〔Granott,1952,p。174〕 。 こ こ で は 「持 分 に よ る 共 有 」 だ け で は な く所 有 の 主 体 が 村 や 親 族 の 共 同 体 で あ る 場 合 も ム シ ャ ー に 含 ま れ る こ とが 示 唆 さ れ て い る 。 ま た,委 任 統 治 の 時 代 に パ レ ス チ ナ で 土 地 の 登 記 作 業 を 行 っ た 七地 設 定 委 員 会 は ム シ ャ ーを 「村 落 のL地 を利 用 す る 農 民 が 分 割 地 を所 有 す る の で は な く定 期 的 な割 替 え で 利 用 地 が 決 ま り共 同 体 的 な 強 い 耕 地 規 制 の あ る 土 地 制 度 」 と 規 定 し て い る 〔Report,1926,P.52〕 。 グ ラ ノ ッ ト と 同 様 に ム シ ャ ー一を よ り 広 義 の 概 念 と して 理 解 して い る が,こ こ で は ム シ ャ ー の 重 要 な 要 素 を 土 地 所 有 形 態 よ りむ し ろ割 替 制 に お い て い る 。 割 替 え が あ れ ば マ フ ル ー ズ で は あ り得 な い 訳 で あ る。
14商 経 論 叢 第36巻 第1号 (105)
グラ ノ ッ トや土 地 設 定 委 員 会が ム シ ャー を ラム トンよ りも広 義 の概 念 で と ら えた の に は4研 究 対 象 とされ た地 方 の土 地 制 度 の違 いが 反映 され て い る。 グ ラ ノ ッ トが 対 象 と したの はパ レスチ ナ だが ,こ の地 方 で は割 替 え は農民 が 土 地 を 持 分 で共 有 す る村 と親族 集 団 な どの共 同体 が 土地 の 所 有主 体 を なす村 の 双 方 で み られ た。 この後 者 は,共 同体 に帰 属 す る成 員 に 土地 の 被 配 分 権 が あ っ た か ら,所 有 形態 で言 えば 「共 同体所 有 」 と言 っ て よい 。 この 点 で は シ リアや ヨル ダ ン も同様 で,一 般 に 東 ア ラブ で は割 替 えを制 度 と して もつ村 の所 有 形態 と し て 「持 分 に よる共 有」 と 「共 同体 所 有」 の2つ が あ っ た。
広 義 に理 解 され た の に は さ らに ・つ の 理 由 が あ る。 東 ア ラ ブ で は,1920年 代 末 か ら40年 代 初 め にか け て イギ リスや フ ラ ンス の委 任 統 治政 府 に よ って 土 地 を耕 作 者の 名義 で登 記 す る政 策 が 進 め られ た。 しか し,こ の作 業 は現 実 には 地 方 の有 力 者 の 反発 が 強 くシ リアで は部 族 長 や地 方 の 有力 者の 名義 で登 記 され る こ と多か ったが,割 替 え の慣 行 も また この作 業 を停滞 させ る要 因 で あ った。
伝統 的 な慣 行 に 固執 し登 記 の名 義 人 に な る と徴 税 や徴 兵 の対 象 と され るの で は ないか とい う不 安 か らの 反発 が あ り,割 替制 を もって ム シャー とす る理解 は こ の慣 行 が 権 利 の 設 定 に際 して 制 約 とな っ て い た と い う現 実 が あ っ た か らで あ る。 村 の 所 有 が 共 同体 所 有 か 持 分 に よる 共 有 か とい う こ と よ り,く じ引 きに よって 土 地が 定 期 的 に割 替 え られ る慣 行 の有 無 が 当面 した 問題 で あ った の であ る。
そ れ で は東 ア ラブ にみ られ る割 替 制 に は どの よ うな特 徴 が あ った の か。 次 に
「共 同体 所 有 」 と 「持 分 に よ る共 有」 に分 け て具 体 的 に検 討 して み る こ と にす る。
2.共 同体 所 有 と割替 方 式 の 二類 型
東 ア ラ ブ には部 族 や 親族 の結 合 の強 い村 が多 い。 こ う した村 の 中 に私 的 な所 有が 未 発 達 で十 地 が 共 同体 の 成 員 間で 定期 的 に 再配 分 され る共 同体 所 有 の 村 が あ り,1940年 代 まで わず か で は あ っ た が存 在 して い た。 こ の村 で は 親 族 な ど 共 同体 の 成 員 人 口の増 減 に応 じて土 地 が 定期 的 に再 配分 され,割 替 え は共 同体
{104} 西 ア ジ ア の 農 業 と 社 会(3)15
の 成 員 問 の 実 質 的 な 平 等 を は か る こ と を本 来 的 な 目的 と して い た 。1930年 代 の 半 ば に シ リ ア の 農 業 制 度 を 調 べ た フ ー リ は 次 の よ う に 述 べ て い る 。 「ム シ ャ
ーは,土 地 が 団 体(通 常 は村)に よ っ て 所 有 さ れ,そ の 個 々 の 成 員 の 間 で 定 期 的 に配 分 さ れ る 社 会 的 な 所 有 の 制 度 で あ る 。 こ の 制 度 は ミ リ地 が 圧 倒 的 な この 国 の 東 部 で は一 般 的 で あ る 。 村 の ム シ ャ ー地 は,通 常 は}村 民 の 内 の4,5人 の 代 表 者 の 名 前 で 登 記 され て い る 。 ム シ ャ ー地 は1年 な い し3年 程 度 の 間 隔 を お い て 定 期 的 に 再 配 分 され,個 々の 村 民 は 土 地 の 同 じ地 片 を 永 久 に 保 有 す る こ と は な い 。」 〔Himadeh,1936,p.57〕 。 こ こ で 述 べ られ て い る の は 共 同 体 所 有 の 村
に お け る 割 替 耕 地 制 につ い て で あ る 。 当 時 シ リア の 東 部 で 一 般 的 で あ っ た とい う点 に 疑 問 が 残 る が,こ こで は お よそ 次 の よ う な こ とが 指 摘 され て い る 。
まず,土 地 は 団 体 つ ま り村 な どに よ っ て 所 有 さ れ て い る が,通 常,数 人 の 代 表 者 の 名 義 で 登 記 され て い る 。 第 一次 大 戦 ま で こ の 地 方 は オ ス マ ン トル コ帝 国 の 領 域 で あ り,後 に 述 べ る よ う に,帝 国 政 府 は19世 紀 末 に 土 地 の 権 利 を 登 記 す る 政 策 を実 施 して い る。 こ の 時,書 類 上 は村 の 代 表 者 の 名 で 登 記 さ れ る こ と
が 多 か っ た が,土 地 所 有 の 実 態 は 個 人 で は な く共 同 体 に あ っ た と い う こ と で あ る。 次 に,こ の 団体(村 や 親 族 な ど)の 成 員 は村 の 耕 作 地 に 配 分 を受 け る権 利 を もち,再 配 分 を 目的 に 定 期 的 に土 地 が 割 替 え られ た と さ れ る 。 フ ー リの 言 う ム シ ャ ー は 共 同 体 所 有 の 割 替 耕 地 制 を 指 し て お り,こ の 土 地 所 有 形 態 は19世 紀 半 ば 頃 まで 東 ア ラ ブ(シ リ ア や パ レ ス チ ナ)に 広 くみ られ た と考 え ら れ て い る 。
東 ア ラ ブ で は 村 は 血 縁 集 団 で あ る複 数 の 親 族 で 構 成 さ れ る こ とが 多 く,こ の 場 合,親 族 の 成 員 が 親 族 割 当 地 に 配 分 を受 け た が この 点 は 明 記 さ れ て い な い 。 親 族 は 強 い 血 縁 的 絆 で 結 ば れ,そ れ ぞ れ 集 落 の 一 角 に ま と ま っ て 居 住 し ま と
ま っ た 土 地 を保 有 した 。 組 織 の 成 員 が 犯 した 過 ち に は 共 同 で 責 務 を負 い ま た 村 に あ る ゲ ス トハ ウ ス を 使 う 権 利 を も っ た が,こ れ ら の 義 務 と 権 利 は 村 社 会 の 伝 統 的 ル ー ル と な っ て い た と言 わ れ て い る 〔Granott,1952,p.216〕 。 東 ア ラ ブ で は 共 同 体 所 有 の 村 の 多 くが 親 族 を 土 地 保 有 の 主 体 とす る もの で あ っ た と考 え ら れ る 。
16商 経 論 叢 第36巻 第1号 (103)
こ の 共 同体 所 有 の ム シ ャ ー も 土地 の 配 分 に は 多 様 な 原 則 が あ っ た と考 え られ て お り,こ の 中 で 確 認 さ れ て い る の は 次 の2つ で あ る 。
a共 同 体 の 成 員 で か つ 村 に 居 住 す る す べ て の 男 子 が 被 配 分 権 を もつ 。 b耕 作 す る 能 力 を もつ も の だ けが 被 配 分 権 を もつ 。
まず,aの 原 則 を もつ 村 は か つ て は 乾 燥 ・半 乾 燥 地 の 部 族 社 会 に 広 範 に 存 在 して い た が,大 戦 間 期 に は 農 業 の 限 界 地 の と くに 部 族 的 関 係 を 強 く残 し た 地 方 に わ ず か に み られ る だ け に 減 っ て い た 。 シ リ ア に つ い て は,Ansariehs,Hau‑
ran,palmiraの 諸 地 方 の べ ドウ ィ ン遊 牧 民 の 定 住 村 の 中 で と く に 貧 しい 村 に 残 り}こ の 例 が ウ ォ リ ナ ー に よ っ て 紹 介 さ れ て い る 〔Warriner,19fifi,pp.74‑‑
75〕。 こ れ に よ る と排 他 的 な 私 的 所 有 は み ら れ ず,村 の 上地 は 部 族 に 帰 属 し下 位 集 団 で あ る複 数 の 親 族 に 平 等 の 原 則 で 割 り当 て られ,こ の 親 族 割 当 地 が 家 族 に そ の 男 子 成 員 数 に応 じて 配 分 さ れ た 。 こ の 原 則 で は 規 模 の 大 き な 家 族 ほ ど多 くの 耕 地 の 配 分 を 受 け,男 子の 子供 が 生 ま れ る と家 族 は 村 の 耕 地 に 持 分 を増 や し,死 ん だ り村 を 離 れ る とそ の 権 利 は 共 同 体 に 戻 る。 つ ま り,実 質 的 な平 等 原 理 が 制 度 的 に 保 証 さ れ て い た 。
ま た,グ ラ ノ ッ トは 調 査 文 献 を も と に 共 同 体 所 有 の ム シ ャ ー を 紹 介 して い る。 彼 が 挙 げ た 配 分 の 原 則 は,… つ は 村 に 居 住 す る 共 同 体 成 員 の う ち 男 子 に 限 っ て村 の 耕 地 に 配 分 を受 け る権 利 を もつ と い う ウ ォ リ ナ ー が 示 し た 事 例 に 相 応 す る も の で あ る 〔Granott,1952,pp.225‑227〕 。 共 同 体 は す べ て の 成 員 が 村 の 耕 地 に均 等 な 被 配 分 権 を もつ こ とが 理 想 と され る。 しか し,こ の 形 態 は ズ ク ル(zukur)と 呼 ば れ,ズ ク ル の 語 意 が 男 で あ る こ とか ら も わ か る よ う に,文 字 通 り男 子 で あ れ ば 新 生 児 か ら老 人 に至 る ま で 労 働 能 力 の 有 無 に 関 わ り な く被 配 分 権 を も ち,家 族 は これ を構 成 す る 男 子 の 数 だ け の 土 地 の 割 り当 て を受 け る こ と に な る。 被 配 分 権 は 共 同 体 の 成 員 で あ る 個 人 に 属 す る もの と観 念 さ れ て い た が}農 業 経 営 は 個 人 で は な く家 族 を 単 位 と し た か ら 幼 児 に 上 地 が 配 分 さ れ て も こ の 土 地 は 家 族 の 土 地 と して ま とめ て 耕 作 さ れ る こ と に な る。 一 般 に 東 ア ラ ブ の 農 村 で は 家 族 は拡 大 家 族 で あ っ た か ら家 族 を 単 位 に 土 地 が 利 用 され れ ば よ か っ た し,人 日 に 対 して 土 地 が 豊 富 で あ れ ば 家 族 の 労 働 力 で 耕 作 可 能 な 範 囲 で
(102) 西 ア ジ ア の 農 業 と社 会(3)17
農 地が 利 用 され れ ば よか っ た。
した が って,村 落 な ど共 同体 の 成員 で あ る こ とが土 地 の 配分 を受 け る共 同体 所 有 にお い て も,配 分 が 農 作 業 の 能 力 を もつ もの に 限 るの が よ り合 理 的 で あ り,先 の分 類 で はbの 形態 の 方 が よ り 般 的 で あ っ た。 これ は 共 同体 の 成 員 の う ち農 作業 の能 力 の あ る男 子 に限 って 配分 を受 け る権 利 を もつ とい う もの で あ る。雄 牛 で黎 を牽 引 して耕 作 す る伝 統 的 な 農耕技 術 で は耕 作 可 能 な農地 は農 民 が 雄牛 と一 体化 した耕作 能力 に よっ て決 ま る。 この た め,こ こで 農作 業の 能 力 と され るの は,裸 の 人 間の労 働 能 力 で は な く農具 な どの労 働 手段 と結 びつ い た能 力 であ り,労 働 手段 と して と くに 重要 とされ た の は黎 を牽 引 す る ため の役 畜 で あ る。 第 一章 で 述べ た よ うに,西 ア ジア の乾燥 ・半乾 燥 地で は,耕 地 を耕 す 塑 耕 と表 土 を砕 い て な らす 紀 耕 の基 幹 的作 業 に は黎 や紀 を牽 引す る2頭 の 雄 牛が 使 役 され,こ の作 業 能 力 が耕 作 面積 を規 定 した。 この ため耕 地 規 制 の 強い 村 落 の 農業 で は 農民 は 雄牛 を もつ こ とが必 要 とされ た。 土地 の 配 分 を受 け る資 格 も雄 牛 の 所 有 が 条 件 と され,村 の 成 員 の 中 で 土地 の 配 分 を望 み か つ 雄 牛 を
もって 耕作 す る能力 を もつ もの だけ に 土地 が割 り当て られ た。 しか も,配 分 さ れ る耕 地 の広 さは耕 す ため の雄 牛 の 数 と農 具 の量 に よ って格 差 が あ った。 け だ し,土 地 が 豊富 で 多 くの 未 利 用地 が あ れ ば,農 業 に とって は土 地 の広 さよ りも 't'一を牽 引 す る役 畜 の 数 が農 民 の耕 作 地 の 規模 を規 定 したか らで あ る。 グラ ノ ッ
トに よれ ば,定 期 的 な割 替 えで 親族 は村 の 土地 に耕作 地 を割 り当て られ たが, この 割 当地 は所 有す る雄牛 の数 に応 じた割 合 で成 員 の 問で 配分 され た。 雄 牛 を もた な い もの は配 分 を受 け られ なか った し,沢 山の 雄 牛 を もつ家 族 は多 くの割 当地 を手 に入 れ たの で あ る。 また,雄 牛 を1頭 しか もた ない農民 は2頭 を もつ 農民 の半 分 が 配分 され,2人 の 農民 は雄牛 を合 わせ て1つ の黎 を牽 引 して耕 地 を耕 した 〔Granott,1952,p.227〕 。 したが って,割 替 え は実 質的 な 平 等 の 維 持 を 目的 とす る もの とは言 えな い。
いず れ にせ よ,こ の ム シ ャー の形態 は砂 漠 の周 辺 地域 な ど条件 と して は農 業 の 限 界 地 で か つ 未 利 用 地 が 比 較 的 豊 富 な と こ ろ に残 っ た。 共 同 体 所 有 の ム シ ャー の村 の 数 は19世 紀 半 ば以 前 に は20世 紀 と比 べ てず っ と多 か った と考 え
18商 経 論 叢 第36巻 第1号 (101)
られ て い る が,こ れ は 未 利 用 地 の 豊 富 さ と も関 係 して い た 。 あ る 旅 行 記 に よ れ ば,19世 紀 初 頭 に シ リ ア のHauran地 方 で は 土 地 は 豊 富 で,村 の 土 地 は 毎 年,長 い ロ ー プ で 測 られ,農 民 は 欲 しい だ け の 耕 地 を 手 に 入 れ る こ とが で きた の で あ る 〔Granott,1952,pp.34‑7〕 。
3.「 持分 に よ る共 有」 と土 地割 替 え
大 戦 間期 に は 「共 同体 所 有」 の村 はわ ず かで,農 民 が持 分 を私 的 に もつ 「持 分 に よる共有 」 の村 の方 が は るか に多 か っ た。 この形 態 の村 も社 会 関係 は 共 同 体 的 で あ り農 地 の利 用 も全体 に よる規制 が 強 い 。 しか し,土 地 の 配分 を受 け る 権 利 は私 的 な権利 で あ り,権 利 を もつ 農民 の 間 で のみ 配 分 され た点 で共 同体所 有 の ム シ ャー とは違 って い た。 土地 は具 体 的 に次 の よう な方法 で 配分 され た 。
一般 に村 の耕 地 は複 数 の耕 区 に分 れ て いた
。東 ア ラブ で は村 は複数 の親 族 集 団で構 成 され る場 合 が 多 く,各 耕 区 に一 つ の割 当地 を分散 させ て保 有 した 。 た とえ ば,4つ の耕 区 を もつ 村 の場 合,親 族 は4耕 区 の そ れ ぞ れ に ま と まっ た割 当地 を もった。 この 耕地 は 固定 して い る こ とが多 い が割 替 え に よっ て定期 的 に 移動 す る こ と もあ る。 親族 集 団 の 耕 地 は 親 族 に属 す る 農 民 の 問 で く じ引 きに よっ て利 用 地 が 配 分 され るが,「 持 分 に よ る共 有 」 で は 配 分 を得 るの は持 分 を もつ もの だ け であ る。 た だ,持 分 は農 民一 人 に所 有 され る とは 限 らない。 複 数 の農 民 が 共有 し地 片 を共 同で利 用 す る こ と もあ る。 図4‑3は この耕 地制 度 に よ
る土 地 分割 を示 した もの で あ る。 た だあ くまで概 念 図 であ り実 際 に は村 の条 件 の違 いに よって偏 差が 大 きか っ た と考 え られ る。
マ ル ヴ ダ シ ト地 方の 場合,す で に述べ た よう に農 地 改 革が 実 施 され てか ら程 な く,農 民 を一労 働 単 位 と して編 成 した 「農場 」 の 農 業 制 度 を残 して い た ため 持 分 は均 等 で あ っ た。 しか し,パ レスチナ の村 で は通常 農民 の 間で持 分 にか な りの格 差 が あ り,均 等 な持 分 は一般 的 で は なか っ た。 同 じ 「持 分 に よる共 有」
の村 で も,す で に階 層 分化 が 生 じて い た とこ ろで は均 等性 は崩 れ て い た。 これ は ヨル ダ ンの 場 合 も同様 で あ る。 例 え ば ア ン トンが1950年 代 に調 査 したKfr al‑Ma村 は,年 間 降水 量 が200ミ リか ら400ミ リの 間 を変動 す る半 乾燥 地 に位
(100}
図4‑3東 ア ラ ブの 「持分 によ る共 有」
の村 の耕地 の概念 図
//♂}
地当割族親
一 耕区一
/〆/
書寺分 保 脅 者 の 地 片(地 条)
西 ア ジ ア の 農 業 と 社 会(3)19
置 す る こ の 地 方 の 平 均 的 な 村 だ が,相 続 や 譲 渡 に よ る 権 利 移 動 に よ っ て持 分
に か な りの 格 差 が 生 ま れ て い た 。 こ の 村 は19世 紀 末 に オ ス マ ン トル コ 政 府 に よ っ て 個 人 に持 分 が 登 記 さ れ た 。 権 利 を得 た の は 兵 役 の 義 務 を負 う男 子 で
この 時 に は持 分 は 均 等 で あ っ た が,そ の 後 か な りの 年 月 が 経 過 し,こ の 間 に 不 均 等 化 が 進 ん だ と考 え ら れ る 〔An‑
toun,pp.22‑230
ま た,1944年 に パ レ ス チ ナ で 調 査 が 実 施 され た が,調 査 の 対 象 と な っ た5つ の 村 も い ず れ も持 分 に か な りの 格 差 が あ っ た 〔Granott,1952,PP.43‑45,221‑226〕 。 こ れ ら の 村 の 土 地 は1933年 か ら35年 に か け て 委 任 統 治 政 府 に よ っ て 登 記 さ れ,そ の 時 点 で 割 替 え は行 わ れ な くな っ た が,そ れ 以 前 は毎 年 く じ引 き に よ っ て 利 用 地 が 決 ま る 「持 分 に よ る 共 有 」 で あ っ た 。 村 の 耕 地 は い くつ か の 耕 区 に 分 か れ て お り(4耕 区 の 場 合 が 多 い),個 々 の 農 民 は持 分 に 応 じて そ れ ぞ れ に 地 片 を も っ て い た。 こ こで は 血 縁 集 団 で あ る 親 族 の 結 合 が 強 く,村 の 土 地 は 複 数 の 親 族 が そ れ ぞ れ の 耕 区 に ま
と ま っ た 割 当 地 を も ち 親 族 の 割 当 地 が そ の メ ンバ ー の 問 で 持 分 に 応 じて 分 け ら れ た の で あ る。
パ レ ス チ ナ の 例 で は,農 民 が 各 耕 区 に 分 散 して もつ 地 片 は 一 般 に 細 長 い 帯 状 を な し地 条 の 形 を な した 。 割 替 え 作 業 で は 耕 区 の 向 き合 っ た2つ の 側 を,棒 と ひ もで 測 り持 分 比 で 分 け る と い う方 法 が と ら れ,地 条 の 境 界 は 盛 り上 げ られ た 小 さ な 土 の 塊 や 石 に よ っ て 印 さ れ,と こ ろ に よ っ て は 玉 葱 が お か れ た 〔Gra‑
nott,1952,P.28〕 。 こ の 幅 は 持 分 の 大 き さ を 表 し て い た 。 狭 い も の で は2150m
×4.5mの 地 条 も記 録 さ れ て お り,あ た か も荷 車 の 轍 の よ うで あ っ た 。 こ の よ う に 地 条 が 帯 状 に 分 割 さ れ た 理 由 と して は,一 つ に割 替 え作 業 に 際 して技 術 的 に 容 易 で あ っ た こ とが 挙 げ られ る。 しか し ま た 黎 耕 と も 関 係 して い た 。 細 長 い
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地 条 の 形 は雄 牛2頭 で黎 を牽 引 す る作 業 で 反転 の 頻 度が 少 な くて す む とい う効 率 面 で の メ リ ッ トが あ っ た。
図4‑4は 実 際 の村 の耕 地 を傭 瞼 した もの で あ る。割 替 えの廃 止 で個 々の 農民 の利 用 地 は 固定 され,交 換 分合 も進 ん で い た ため にム シ ャ ーの時 代 の様 子 をそ の まま示 して い る とは言 えな いが,こ こか ら耕 区 制 を窮 うこ とが で きる し,ま た細 長 い帯状 をな した地 片 は不 均 等 で あ りす で に 分化 が 進 ん で い た こ とが わか る。 東 ア ラ ブで は分 割 相続 が … 般 的 で あ った こ とか ら相続 に よる持 分 の分 割 が み られ,持 分 は零 細 化 す る傾 向 にあ っ た。 また,こ れ を避 け るた め複 数 の相続 人が 持 分 を分 割 せ ず に共有 す る こ と もあ った。 この場 合,複 数 の相 続 人 が 共 同 して農 業 を行 な うこ と も,相 続 人 の うちの0人 が 農 業 に従 事 し他 の相 続 人は土 地 か ら離 れ,そ の代 わ りに収穫 に一 定 の取 分 を得 る こ と もあ った。 南 イ ラ クの 例 で は,相 続 で兄 弟 や従 兄 弟 が持 分 を共 有 し,時 代 が 下が るに したが って共 有
図4‑4パ レスチナ の村 の耕地 図(事 例)
{gg) 西 ア ジ ア の 農 業 と 社 会(3)21
関 係 が 複 雑 に な っ た 。 た だ,一 般 に は持 分 を もつ 者 の うち 一 人 な い し二 人 が 農 業 に 従 事 し,他 は 別 の 仕 事 に 従 事 しい わ ば 貧 困 を 共 有 す る状 態 が 生 ま れ る の を 避 け た と言 わ れ て い る 〔Fernea,1970,p.94〕 。
格 差 は 売 買 譲 渡 に よ っ て も生 まれ た 。 も っ と も 農 地 の 利 用 な ど で 規 制 が 強 く ま た 親 族 集 団 に よ る 規 制 も あ っ た た め に 外 部 者 に譲 渡 す る こ と は 実 質 的 に は難 し く,持 分 の 移 動 は も っ ぱ ら 村 落 や 親 族 の 内 部 に か ぎ ら れ て い た 〔Warri‑
ner,1966,p.76〕 。 い ず れ に せ よ,農 民 層 の 分 解 が 進 ん だ こ と で 持 分 の 格 差 が 生 じて い た の で あ りs分 割 相 続 と 売 買 に よ る 持 分 の 集 積 が 進 ん で い た 〔Hi‑
madeh,1936,p.57〕 。 ま た,図4‑4の な か で と くに 広 い 区 画 が み ら れ る が,こ れ は 地 方 や 村 の 有 力 者 ま た 商 人 の 直 営 地 で あ る こ とが 多 い 。 村 長 が そ の 職 権 に
よ っ て 得 た もの も高 利 貸 しの 手 段 で 集 積 され た もの もあ り,持 分 格 差 は さ ま ざ ま な契 機 で 生 まれ た と考 え られ る 。
三 土 地 の権 利 設 定 とム シ ャー
1.土 地 政 策 と土 地 所有 形 態 の変 容
これ まで ム シャ ーを十 地所 有 と割 替制 の 関係 か ら類 型 化 し,大 戦 間期 の東 ア ラ ブで は,割 替 制 を農業 制 度 を して とる村 に 「共 同体 所 有」 と 「持 分 に よ る共 有 」,ま た 「農場 」 経 営 の 地 主 所 有 の3つ の 所 有 の形 態 が み られ た こ と を示 し た。 前 二者 の 村 の 中 に は部 族 長 や 領 主 に よっ て 領 有 され,商 人 な どの地 主 に よっ て所 有 されて い る とこ ろが あ る。 東 ア ラ ブで は大 土 地所 有 制が 発 達 してい たが,こ の 上級 所 有 権 の 問題 につ い ての検 討 は こ こで は割愛 す る。
この3つ の形 態 の うち,「 共 同体 所 有 」 の村 が どの 程 度 を占 め て い た に つ い て は知 る こ とが で きない が,19世 紀 半 ば か ら20世 紀 は じめ に か け て 「持 分 に よる共 有」 と地 主経 営 に徐 々に移 行 して い った と考 え られ る。理 由 は この時代 に起 こった 農業 をめ ぐる環 境 の変 化 が あ る。mつ は この 地方 が 西欧 を 中心 と し た 自由貿 易 体 制 に農 業 地域 と して組 み 入 れ られ 商 業 的農 業 が発 達 した こ とで あ る。 この過 程 で 地 主や 都 市 の蓄積 層 の 間 に土 地 所 有へ の 関心 が高 ま ったが,他 方 で 農村 にお け る私的 権 利 の意 識 も強 まった。 また一一つ に農村 の安 定化 が進 ん
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だ こ と も付 け加 え る必 要 があ る。 オ スマ ン トル コ政 府 に統 治 能 力 が 欠如 して い た ため 遊牧 民 部族 の略 奪 や 強 引 な徴 税 な どで秩 序 が維 持 され ず 農村 は長 期 に不 安 定 な状 態 にお か れ て い たが,委 任統 治下 で 相 対 的 にで はあ るが 安 定化 がみ ら れ た の で あ る。
しか し,こ う した 環境 の変 化 と と もに,土 地 の登 記 を進 め る政 策が 果 た した 役 割 も大 きか った 。 耕作 者 に対す る土 地 の権 利 設 定 が所 有権 の 観 念 を生 んだ と い う こ とで あ る。Kufrai‑Ma村 の 例 で み る と,こ の 村 を 調 査 した ア ン トン は,19世 紀 に は 親 族 の 成 員 で あ る こ とが 被 配 分 権 を も つ 共 同 体 所 有 の ム シ ャー で あ っ たが,19世 紀 末 に な って 農 民 の私 的 な権 利 が 強 ま り,こ の 契 機 をな したの が オスマ ン トル コ政府 の 土地 政 策 で あ った と推 測 して い る。 この政 策 は農 民 の もつ 用 益権 の登 記 を 目指 した もの で あ り,こ の 村 で は徴 兵 に応 じた 成 年男 子 が対 象 とな った。 た だ,割 替 えの慣 行 が あ っ たた め 登記 も固定 した地 片 にで は な く持 分 と して登 記 され た。
委任 統 治 政 府 も上地 の 登 記 を土 地 政 策 の主 要 な柱 と した 。Kufral‑Ma村 で も,1942年 に イギ リス の委 任 統 治 政 府 に よ って 再 び権 利 を設 定 す る登 記 作 業 が実 施 され た。 この 際 権 利 は村 の 土地 全体 に対 す る持 分 で はな く境 界で 区切 られ た個 別 の地 片 に対 して 与 え られ た。 このた め割 替 慣 行 が廃 止 され 土 地所 有 関係 に さ らに 一つ の変 化 が 生 じた。 耕作 地 の個 々の農 民へ の 固定 化 は割替 えの 廃 止 を意 味 した の で あ る。 一一般 に,パ レスチ ナ や ヨル ダ ンで は多 くの村 で 大戦 間期 に割 替 えが廃 止 され た が,こ の 変化 に は委任 統 治 政府 に よる 土地 の権 利 設 定 が 直接 的 な契機 とな った とい って よい。
2.オ ス マ ン トル コの 土 地 政 策 とム シ ャ ー
t地 の 権 利 設 定 に 関 す る オ ス マ ン トル コ の 十 地 政 策 は1858年 の 土 地 法 に 始 ま る 。 帝 国 の 伝 統 的 な 法 律 に よ れ ば,都 市 な ど の 居 住 区 を 除 く と 領 域 の 土 地 は 原 則 と し て ミ リ地(国 有 地)で あ っ た 。 この た め 村 の 土 地 を耕 作 す る 農 民 が も つ 権 利 は 国 有 地 に お け る 用 益 権(tasarruf)と い う こ と に な る。 た だ,こ の 用 益 権 は 近 代 的 な そ れ と は 異 な り,果 樹 な どの 半 永 久 的 な作 物 の 栽 培 は 禁 止 さ れ
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て い る もの の 農 業 に 利 用 す る 限 り農 民 は 権 利 を失 わ な い 。 しか も相 続 や 譲 渡 が 認 め ら れ,借 地 権 の 設 定 も実 質 的 に は 可 能 で あ っ て 所 有 権 と 大 き な 違 い は な
か っ た 〔Warriner,1966,p.73〕 。
土 地 の 登 記 は 本 来 的 に は 耕 作 農 民 に こ の 用 益 権 を保 証 す る こ と を 目的 と して い た 。 東 ア ラ ブ は 帝 国 の 周 辺 部 に位 置 して い た た め 直 接 的 な統 治 は 難 し く,領 主 や 部 族 長 な ど地 方 の 有 力 者 が 実 質 的 な 支 配 層 を な し徴 税 制 度 も徴 税 能 力 を も つ 地 方 有 力 層 が 介 在 す る 徴 税 請 負 制 が 一 般 化 して い た 。 土 地 法 はT政 策 の 理 念
と して は,中 間 的 な 支 配 層 を抑 え農 民 に 用 益 権 を確 定 す る こ とで 農 民 を 直 接 的 に 管 理 し支 配 す る シ ス テ ム を作 り,税 の 増 収 と徴 兵 を ス ム ー ズ に 行 う こ と に あ っ た とい っ て よ い 。 例 え ば 次 の よ う に 言 わ れ て い る 。 「オ ス マ ン トル コ の 支 配 の も とで 封 建 制 の 名 残 が な お 生 き続 け て い た 。 国 家 は脆 弱 で そ の 土 地 に対 す る権 利 は 地 方 権 力 に よ っ て挑 戦 を受 け て い た 。 そ れ ゆ え オ スマ ン トル コ の 法 律 は ミ リ地 の保 有 者 に 厳 しい 制 限 を加 え,保 有 者 の あ ら ゆ る 権 利 を 正 確 か つ 詳 細 に 記 録 す る こ と に よ っ て 国 家 の 権 利 を 強 化 す る こ と を 目 的 と し た」
〔Baer,1969,pp.s7‐s9〕 。 こ の 法 律 が 目指 し た の は ミ リ 地 に 対 す る 国 家 の 権 限 を 回 復 し,農 民 を 個 別 の 地 片 と結 び つ け て そ の 用 益 権 を登 記 し,村 の 耕 作 農 民 を 直 接 的 に把 握 す る こ と に あ っ た の で あ る。
しか し,こ の 法 は 実 施 過 程 で 多 くの 困 難 に 遭 遇 した 。 そ の 理 由 は統 治 能 力 が 脆 弱 で あ っ た 故 に既 得 権 を もつ 地 方 権 力 層 を排 除 す る 力 を もた な か っ た こ と に あ る 。 こ の た め,部 族 長 や 封 建 勢 力 の 土 地 へ の 権 限 を 保 証 す る 形 で 登 記 さ れ る こ とが 多 く,ま た 十 分 実 効 性 を も た な か っ た と言 わ れ て い る 〔Granott,1952, p.74〕 。 シ リ ア の 場 合,都 市 の 周 辺 部 で は 都 市 の 有 力 者 が 新 た に 土 地 を 取 得
し,19世 紀 末 に 多 数 の 村 を 所 有 す る 数 十 の 家 族 が 出 現 し た 〔lssawi,1988, p.24〕 。 イ ラ ク で も部 族 長 や 地 方 の 有 力 者 の 名 で 登 記 さ れ る こ とが 多 く,都 市 の 商 人 も 土 地 の 権 利 を 安 い 価 格 で 手 に 入 れ た 〔Fernea,1970,pp.12‑16,Ger‑
ber,1987,p.75〕 。 し た が っ て,結 果 か ら み る と 土 地 法 は 大 土 地 所 有 制 の 発 達 に 法 的 根 拠 を与 え る役 割 を 果 た した と も 言 え る 。 地 方 の 領 主 層 や 部 族 長 また 商 人 に よ る 土 地 集 積 が 進 ん だ た め,20世 紀 初 頭 に は 東 ア ラ ブ の 各 地 方 で 大 土 地
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所 有 が 優 越 す る よ う に な っ た 〔庄'L1。
一方,村 落 につ い て 言 え ば 村 社 会 の 伝 統 的 な 農 業 制 度 が 政 府 に よ る登 記 作 業 の 制 約 と な っ た 。 割 替 制 が 土 地 法 の 条 項 通 りの 施 行 を 難 し く した とい う こ とで あ る。 土 地 法 第8条 は 「全 土 地 は住 人 の 全 体 ま た 彼 等 に よ っ て 選 ば れ た 一 人 な い し二 人 に 認 可 す る こ と は で き な い 。 個 別 の 地 片 が 各 住 人 に 認 可 さ れ,権 利 は こ の 保 有 権 を示 す 各 自 に与 え られ る」 と して い る 〔Warriner ,19fifi,p.73〕。 ム シ ャ ー で の 登 記 は 帝 国 政 府 が 個 々 の 農 民 を直 接 的 に 把 握 す る 止 で 障 害 に な る た め に 認 め て い な い 。 村 の 土 地 を有 力 者 の 名 義 で 登 記 す る こ と も村 の 農 民 の 共 同 で 登 記 す る こ と も 認 め て い な い 。 「共 同 体 所 有 」 や 「持 分 に よ る 共 有 」 の 関 係 を解 消 し割 替 制 を 廃 止 して 農 民 を個 々 の 地 片 の 権 利 保 有 者 とす る こ と,言 い 換 え る と分 割 地 所 有 農 民 を創 出 す る こ とが 理 想 と され て い た 。 こ の 点 に 関 して は 当 時 次 の よ う に い わ れ て い た 。 「パ レ ス チ ナ で 最 近 の 数 年 の 内 に 導 入 さ れ,精 力 的 に 強 制 され て い る オ ス マ ン トル コの 土 地 法 は 住 民 の 意 志 や 希 望 に 反 して , 占 くか らの 法 律 や 慣 習(ム シ ャ ー一 をす べ て 変 え つ つ あ る。 土 地 は 帝 国 弁 務 官 に よ っ て 個 々 の 地 片 に 分 割 され て村 民 に 与 え られ て い る。 彼 ら は 個 人 で 所 有 権 を 得 て 権 利 証 書 を受 け取 り,気 に い っ た 人 に は 村 の メ ンバ ー で あ ろ う と よ そ 者 で あ ろ う と に 自分 の 土 地 を 自由 に 売 る こ と が で き る よ う に な っ た 。 … … 政 府 の 目 的 は ム シ ャ ー の 占 い 慣 習 を 崩 す こ と に あ り,村 の コ ミュ ニ テ ィ ー の 多 くの 抵 抗 が あ ろ う と,政 府 が こ れ を 遂 行 す る こ と に な れ ばh記 の 占 い 慣 習 は消 え て 忘 れ 去 られ る だ ろ う。」 〔Bergheim,1892,p.195〕 。
しか し,実 際 に は 権 利 の 登 記 は 税 負 担 の 増 大 や 徴 兵 の 手 段 と な る の で は な い か との 危 惧 か ら農 民 の 抵 抗 に 遭 い 成 功 した とは い い 難 い 。 シ リ ア や パ レ ス チ ナ で は 村 の 全 耕 地 が 村 の … 人 な い し数 人 の 代 表 者 の 名 で 登 記 され る こ とが 多 か っ た と い わ れ て い る 。 例 え ば,シ リア の 東 部 地 方 で は 多 くの ム シ ャ ー 村 の 土 地 は 一補般 に そ の 住 人 の 代 わ り に4
,5人 の 名 前 で 登 記 さ れ た 〔Himadeh,193fi, p.57〕 。 た だ,農 民 に と っ て 村 の 土 地 は 共 有 財 産 で あ り慣 行Lは そ の 後 も ム
シ ャ ー で 保 有 さ れ た 。 も っ と も,ム シ ャ ー の 伝 統 が 村 の 共 同 体 意 識 に 根 ざ して い た と は い え登 記 は 法 律 上 の 権 利 を発 生 させ る た め 混 乱 を 引 き起 こ す 原 因 と な