• 検索結果がありません。

﹂ 所 収 の 三 浦 和 田 一 族 関 係 文 書

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "﹂ 所 収 の 三 浦 和 田 一 族 関 係 文 書"

Copied!
36
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

﹁越後文書宝翰集﹂ の 言語 について

︱三浦一族文書 の 仮名遣 いと 語彙 について ︱ 川   野   絵   梨

一   はじめに    本 稿 は ︑﹁越 後 文 書 宝 翰 集

﹂ 所 収 の 三 浦 和 田 一 族 関 係 文 書

1

き る 貴 重 な 資 料 で あ る と 思 わ れ る ︒﹁越 後 文 書 宝 翰 集﹂ に 関 し て は 前 稿 で 色 部 氏 文 書 特 に ﹁越後文書宝翰集﹂ や ﹁中条家文書﹂ は ︑東国在住者 の 書写 した 中世東国語 の 実態 がいかなるものかを 解明 で 史 的 な 視 点 か ら 分 析 し ︑ 鎌 倉 時 代 を 中 心 と し た 中 世 の 主 に 東 国 所 在 文 書 の 言 語 を 明 ら か に し て い き た い と 考 え て い る ︒ 浦 和 田 一 族 の 文 書︑ ﹁中 条 家 文 書﹂ と 周 防 の ﹁三 浦 家 文 書﹂ で あ る ︒ 本 稿 で は こ れ ら の 文 書 に 書 か れ た こ と ば を 日 本 語 こうして 三浦半島 から 越後国︑周防国 と 分 かれていった 三浦氏 に 関 する 文書 の 集成 が ﹁越後文書宝翰集﹂所収 の 三 良岐郡平子郷 の 平子氏 も 周防国仁保荘 を 与 えられ ︑建久八年︵一一九七︶ に 入部 した ︒ 府 が 開 かれた 後 は ︑越後国 の 奥山庄等 の 阿賀野川以北 の 荘園 に 地頭職 を 得 て 進出 した ︒ また 同 じ 三浦氏 の 出 である 久 三浦氏 は 相模国三浦郡 を 本拠 とする 豪族 で ︑平安後期 には 相模国 の 在庁官人 として 勢力 を 拡大 した ︒ その 後鎌倉幕 から 中世末期 に 至 るまでの 武家文書 を 通 じて 当時 の 言語 の 実態 を 明 らかにすることが 目的 である ︒ ︑﹁中 条 家 文 書﹂ ︑ そ し て ﹁三 浦 家 文 書﹂ と い う 鎌 倉 時 代

2

を 中 心 に 扱 い ︑ 本 庄 房 長 書 状

3

4

に 見 られる 言語記述 を 明 らかにした ︒ ﹁﹁越後文書宝翰集﹂ の 表記 について ︱色部氏文書・三浦和田氏文書 を 中心 として ︱ ﹂

5

(2)

同 様 の 分 析 を 三 浦 一 族 の 文 書 に つ い て 行 う こ と に よ っ て 三 浦 半 島 か ら 移 り 住 ん だ 直 後 の 文 書 も 多 数 あ る 三 浦 一 族 文 書 と ︑ 本 庄 房 長 書 状 等 の よ う な 越 後 国 に 土 着 と な っ た 後 の 文 書 の 言 語 記 述 が ど の よ う に 異 な る の か を 本 稿 お よ び 続 稿 で 明 ら か に し て い き た

い ︒

一︱一   分析資料 と 翻刻資料 ︻分析資料︼ 分 析 に 際 し ︑ 使 用 し た 資 料 は 以 下 の 通 り で あ る ︒ こ こ で は 以 下 を 総 称 し て ﹁三 浦 一 族文書﹂ とする ︒ ○ ﹁越 後 文 書 宝 翰 集﹂ 三 浦 和 田 氏 文 書・ 三 浦 和 田 中 条 氏 文 書・ 三 浦 和 田 黒 川 氏 文 書・ 三 浦 和 田 羽 黒 氏 文 書・ 大 輪 寺 文 書・ 河村氏文書︵新潟県立歴史博物館蔵︶ ↓以下﹁三浦和田﹂

地図

1

 三浦一族の北遷と西遷

(3)

○ ﹁中条家文書﹂ ︵山形大学附属図書館蔵︶ ︑﹁中条氏文書﹂ ︵東京大学史料編纂所蔵︶ ︑﹁中条文書﹂ ︵鈴木精英編﹃

中条文書

越 後奥山庄史料﹄所収︶   ↓以下﹁中条﹂ 相 模 国 三 浦 郡 の 豪 族 和 田 義 盛 の 弟 で 鎌 倉 初 期 に 越 後 国 奥 山 庄︵北 蒲 原 郡 中 条 町・ 黒 川 村︵現 胎 内 市︶ ︶ に 地 頭 職 を 得 て 進出 した 義茂 の 系統 の 一族 の 文書︒ ○﹁三浦家文書﹂ ︵平子氏関係 のみ ︶︵山口県文書館蔵︶ ↓以下﹁山口三浦﹂ 桓武平氏 の 流 れで ︑ 建久八年 重経 の 時︑鎌倉幕府 により 周防国仁保庄 および 恒富保 の 地頭 に 任 じられ ︑仁保 を 根 拠 として 活動 し ︑時 によって 平・平子・仁保 とも 称 し た

﹁越後文書宝翰集﹂⁝東京大学史料編纂所﹁所蔵史料目録 データベー ス 分析 に 際 し ︑写真版 は 次 のものを 用 いた ︒本稿 に 掲載 した 画像 は 左記 によるものである ︒ ︒本稿 では 平子氏関係 の 仮名文書 を 扱 う ︒

6

  出 典 注 記 本 稿 で は 用 例 の 下 部 に 漢 数 字 で 年 代 を 示 す ︒︵ ︶ 内 の 数 字 は 本 稿 末 尾 に 掲 載 の 分 析 資 料 一 覧 の 番 号 を 示 後 にまとめて 記載 する ︒ 今回 は 以上 の 文書 から 一三〇点 の 仮名文書 を 分析資料 として 扱 う ︒ なお ︑分析 に 使用 した 仮名文書一覧 は 本稿 の 最   ﹁三浦家文書﹂⁝山口県文書館蔵﹁三浦家文書﹂ 現地調査・写真版   htt p://w w w2.li b.ya m aga ta-u .ac.j p/m ain lib/ra reb oo ks/n aka jo/n aka jo.p hp ﹁中条家文書﹂⁝山形大学附属図書館﹁中条家文書検索 システム ﹂  現地調査・写真版   htt p://w w wa p.hi .u-t ok yo .ac.j p/s hi ps/s hi ps co ntr oller ﹂

7

す ︒ ︵例︶ ﹁越後文書宝翰集﹂ の 用例 の 場合⁝︵   ︶内 は 番号 のみ ︒ 一三三二

  ︵

83 ︶

(4)

︵例︶ ﹁中条家文書﹂ の 用例 の 場合⁝︵   ︶内 は 中 と 番号︒ 一三三七

  ︵中

  ︵例︶ ﹁三浦家文書﹂ の 用例 の 場合⁝︵ ︶内 は 三 と 番号︒ 一三七七 10 ︶

  ︵三 書 の 翻刻 が 収録 されているのかを 示 した ︒   分 析 は 現 地 調 査︑ な ら び に 写 真 版 を 元 に 独 自 に 作 成 し た 翻 字 に よ る が ︑ 以 下 の も の も 参 照 し た ︒︵ ︶ 内 に ど の 文 ︻翻刻資料︼ 5 ︶

  ﹃大日本古文書 1

  家 わけ 第十四   三浦家文書﹄ ︵山口三浦︶   東京大学史料編纂所︑一九三七年

2

  鈴 木 精 英 編 ﹃

中条文書

越後奥山庄史料﹄ ︵中条︵米沢市中条弘賢氏所蔵文書︶ ︶一九四〇年

︵三浦和田︵一部︶ ︶     3 佐藤進一編﹃越後文書宝 翰集﹄ ﹁新潟県文化財調査報告書 第二︵文書篇︶ ﹂ 新潟県教育委員会︑一九五四年

︵三浦和田・中条︶   4 井上鋭夫編﹃奥山庄史料集﹄ ﹁新潟県文化財調査報告書﹂第十 新潟県教育委員会︑一九六五年

  ﹃中条町史 5

  資料編第一巻   考古・古代・中世﹄ ︵三浦和田・中条︶中条町︑一九八二年

  ﹃新潟県史 6

  資料編

4

  中世二   文書編Ⅱ﹄ ︵三浦和田・中条︶新潟県︑一九八三年

山形大学附属図書館︑一九九二年   7 山形大学附属図書館﹁中条家文書展﹂解説資料﹃鎌倉 から 戦国 へ ︱東国武士 の 世界︱﹄

山形大学附属図書館︑一九九三年   8 山形大学附属図書館﹁中条家文書展﹂解説資料﹃ サインとハンコの 原形︱花押 と 印章 の 世界︱﹄

  ﹃特別展 9

  鎌倉御家人     平子氏 の 西遷・北遷﹄ 横浜市歴史博物館︑二〇〇三年

(5)

︵三浦和田︵一部︶ ・中条︵一部︶ ・山口三浦︵一部︶ ︶

10   ﹃新横須賀市史

  資料編古代・中世Ⅰ﹄ ︵三浦和田︵一部︶ ・中条︵一部︶ ︶横須賀市︑二〇〇四年

11   ﹃新横須賀市史

  資料編古代・中世Ⅱ﹄ ︵三浦和田︵一部︶ ・中条︵一部︶ ︶横須賀市   二〇〇七年

︵三浦和田︵一部︶ ︶ 12     矢田俊文・新潟県立歴史博物館編﹃越後文書宝 翰集 古文書学入門﹄ 新潟県立歴史博物館︑二〇〇七年

山形大学附属図書館︑二〇〇八年 13   山形大学附属図書館﹁中条家文書 の 世界﹂展﹃ ﹁中条家文書 の 世界﹂展解説﹄

二   表記 以下 では 助詞﹁ を ﹂・ ﹁ へ ﹂︑ ハ 行転呼音︑ ﹁ いふ ︵言︶ ﹂ の 表記︑和語 の 仮名遣 いを 中心 に 見 ていく ︒ 助 詞﹁ を ﹂ は ワ 行︑ ﹁ へ ﹂ は ハ 行 で 表 す こ と が 表 記 規 範 と し て 正 し い が ︑ 本 文 書 の 中 に は そ れ ら か ら 外 れ た 所 謂 発 音通 りに 表記 したであろうと 考 えられる 例 を 見 ることができる ︒ つまり ︑助詞﹁ を ﹂﹁ へ ﹂ は ︑ ア 行 の ﹁ お ﹂︑ ワ 行 の ﹁ ゑ ﹂ と 表記 した 例 が 見 られるのである ︒ また ︑﹁ か は ︵川︶ ﹂﹁ さか ひ ︵境︶ ﹂ といった 本来 はハ 行 で 表 される 語 がワ 行 になるハ 行転呼音表記︑ ﹁ いふ ﹂ が ﹁ ゆ

う ﹂ と 表記 される 例 についても 以下 に 記述 する ︒ 文学作品等 ではハ 行音 での 仮名遣 いが 行 われるが ︑一二〇〇年代〜一五〇〇年代 にかけての 古文書 が 集 まる 本文書 集成 においては ︑ ハ 行転呼音表記 の 割合 がそれらに 比 べると 多 く 見 られると 思 われる ︒ それはつまり ︑地方 で 書 かれ た 文献 は 中央文献 に 比 べて 文法 の 規範意識 が 緩 いことを 示 しているのではないだろうか ︒

(6)

中世 はハ 行転呼 が 進行 した 時代 であるが ︑現在刊行 されている 翻刻資 料 従来 の 翻刻資料 に 対 する 本稿 の 立場   1 ハ 行転呼音 の 表記

稿 で は ︑ デ ー タ ベ ー ス 上 等 に て 公 開 さ れ て い る 写 真 には 必 ずしもそれが 反映 されていない ︒本

8

に よ る 確 認 を 行 い ︑

9

4 〜

5 頁 に 示 し た 既翻刻資料

1 ︑ 3 〜 6 ︑ 10 〜 11 で は す べ て ﹁ ハ ﹂ と さ れ て い る 例 に も ﹁ ワ ﹂ で あ る 可 能 性 が あ る と 判 断 し ︑ ハ 行 転 呼 を 起 こ し て い る と 見 な し た

    例 たまワるへく 候 例 取 あワせ それらの 例 を 以下 に 示 す ︒ ︒

10

翻刻資料 では ﹁ ハ ﹂ 例   くワしく

一方︑ ﹁ ハ ﹂ と 判断 したものは 次 のような 助詞 の ﹁ は ﹂ である ︒右記 の ﹁ ワ ﹂ とは 字形 が 異 なることが 分 かる ︒ 例   今日 ハ 例   明日 ハ

翻刻資料 では ﹁ ハ ﹂

(7)

しかし ︑字体 が ﹁ ハ ﹂ なのか ﹁ ワ ﹂ なのか 認定 が 困難 な 例 もあったため ︑今回 はそのような 例 は 除 いた ︒ 以下 は ︑翻刻資料 では ﹁ ハ ﹂ となっているが ︑﹁ ワ ﹂ ではないかと 思 われる 例 である ︒

くワん ︵貫︶     

五百 かりねんく 三 く ワ ん 一四八六︵中 10     翻刻資料 では ﹁ くハん ﹂

  六百 なしにて □ □ ろ 三 く ワ んとり 候 一四八六︵中

41 ︶

三百 なしにして 二 く ワ んとり 候 一四八六︵中 41 ︶ 41 ︶

ねんかりねんく 五 く ワ んとり 候 一四八六︵中

又 もと 三 く ワ んきりうとのゝ 一四八六︵中 41 ︶ 41 ︶

もと 三 く ワ んのせにのかたに 一四八六︵中

一 く ワ んへちのかワりをそへて 一四八六︵中 41 ︶

六 く ワ んにて 御 なし 候 へく 候 一四八六︵中 41 ︶

こはやしとのゝねうはうのかたへ 二 く ワ ん 一四八六︵中 41 ︶ 41 ︶

ひこ 四郎 かかたへ 四 く ワ んなし 候 へく 候

かはる ︵変︶

2 ⁝ きりうとのゝか ワ りとりて 候 か 一四八六︵中

41 ︶

        一 く ワ ん へ ち の か ワ り を そ へ て   一四八六︵中

41 ︶

(8)

うけたまはる ︵承︶

3 ⁝ うけたま ワ り 候 つる 一五〇八︵中

32 ︶

うけたま ワ りおよひ 候 へは 一五〇八︵中

32 ︶

いつかうにやうたいともうけたま ワ らす 候 あひた 一五〇八︵中

32 ︶

一方︑ ﹁ ハ ﹂ の 字形 は 以下 の 通 り ︒右記 の ﹁ ワ ﹂ と 判断 した 字形 とは 異 なることが 分 かる ︒ これ ハ 一四八六︵中

41 ︶

二百 かり ハ 一四八六︵中

41 ︶

中 世 末 期 は ︑ 言 語 史 上 ハ 行 転 呼 が 進 行 し て い る 時 代 で あ る が ︑﹃新 潟 県 史﹄ 等 の 翻 刻 資 料 で は 転 呼 音 表 記 を 忠 実 に 翻字 することが 行 われていないように 見受 けられ ︑本稿 で 独自 に 行 った 翻字 とは 異 なる 例 が 散見 されるのである ︒今 後︑写真版 を 通 して ﹃県史﹄等従来 の 翻刻資料 と ︑今回 の 独自 に 行 った 翻字 による 相違点 を 注意深 く 検討 し ︑ ハ 行音

の 変遷 を 忠実 に 記述 していく 次第 である ︒ 以下 はその 他 のハ 行転呼 の 例 である ︒ なお ︑翻刻資料 でも 転呼音表記 は 反映 されている ︒数字 は 延語数 を 表 す ︒

(9)

本文書 の  

fa ↓ す わ う ︵周防︶ wa   表記

3 一二二四 ︵三

1 ︶ ほか

く わ えたる ︵加︶

7 一二六七 ︵中

か わ ︵川︶ 8 ︶ ほか 11 一二七七 ︵

22 ︶ ほか

く わ ︵桑︶

1 一三二三 ︵

さ わ ︵沢︶ 84 ︶ 1 一三五一 ︵

85 ︶

いた わ しく ︵痛︶

1 一三四二〜四五 ︵

  いた わ り ︵労︶ 31 ︶

1 一三五〇 ︵

29 ︶

おこな わ れ ︵行︶

1 一三八四 ︵三

6 ︶ わつら い ︵煩︶

  5 一三五〇 ︵中

すな わ ち ︵即︶ 一四五二 ︵中 15 ︶ ほか 27 ︶ ほか つか い ︵使︶

  1 一五六九 ︵中

46 ︶

く わ しく ︵詳︶

1 一五六九 ︵中

46 ︶ もち い す ︵用︶

  1 一五七四 ︵中

33 ︶ fi ↓ wi ・

i

fu ↓ u

さか い ︵境︶

6 一二四一 ︵中

4 ︶ ほか わきま う ︵弁︶

  1 一三二三 ︵

あ い た ︵間︶ 84 ︶ 2 一二五〇 ︵

20 ︶ ほか いろ う ︵綺︶

  1 一四七九 ︵

48 ︶

あ い て ︵合︶

1

  一二五〇 ︵

20 ︶ ふる う 〳〵 ︵震震︶

  1 一四八九〜九六 ︵中

い ゐ し ︵言︶

38 ︶ 1

  一二五〇 ︵

20 ︶

fe ↓ we ・ e

はから い ︵計︶

3

  一二七七 ︵中

9 ︶ ほか あた え て ︵与︶

  2 一二二四 ︵三

あ い ︵相︶ 1 ︶ ほか 14

  一二七七 ︵中

9 ︶ ほか い ゑ ︵家︶

  8 一二四一 ︵中

4 ︶ ほか

(10)

ま ゑ ︵前︶

1 一二四一 ︵中

    4 ︶

fo ↓ wo ・

o

そ ゑ て ︵添︶

7 一三一七 ︵中

11 ︶ ほか を ゝ ︵大︶

  1 一二七七 ︵中

9 ︶

わきま ゑ ︵弁︶

1 一三二三 ︵

84 ︶ な お ︵尚︶

  2 一三三八 ︵中

うんた ゑ ︵訴︶ 51 ︶ ほか 3 一三五〇 ︵

29 ︶ ほか し お たに ︵塩谷︶

  1 一三五九 ︵

35 ︶

う ゑ ︵上︶

5

  一三五〇 ︵

29 ︶ ほか と を り ︵通︶

  1 一五六九 ︵中

か ゑ す ︵返︶ 46 ︶ 4

  一三七六 ︵

46    ︶ ほか

fo ↓ u

おさ ゑ ︵押︶

1

  一四二八 ︵中

40 ︶ お う ち ︵祖父︶

  1 一三二三 ︵

た え ︵耐︶ 84 ︶ 1

  一五六九 ︵中

46 ︶ お う せ ︵仰︶

  1 一四八六 ︵中

である ︒ ただし 次 に 六人 の 人物 の 文書 を 一点 ずつ 取 り 上 げてハ 行表記 について 見 てみる ︒使用 した 文書 を 年代順 に 示 すと 次 のよう 39 ︶

12 は 色部氏文書 に 含 まれるもので 末尾掲載 の 分析資料一覧 にはな い

中 ︒

11

4

  津村尼譲状 仁治二年︵一二四一︶ 中

21        中条政資譲状 永和元年︵一三七五︶

21

  黒川 ノ 尼起請文 正嘉二年︵一二五八︶  

55

  黒川宮福丸母起請文   文明十二年 ︵一四八〇︶ カ

33     和田茂実譲状 貞和三年︵一三四七︶

      ハ 行表記 津村尼︵一二四一︶ 数字 は 延 べ 語数 を 表 す ︒ 12        本庄房長書状 天文四年︵一五三五︶

            3 ハ 行転呼音表記

6

︽ は ︾ ふかさ ハ ︵深沢︶ ︽ わ ︾ 用例 なし ︽ ひ ︾ あ ひ た ︵間︶ ︽ ゐ ・ い ︾ さか い ︵境︶

(11)

︽ ふ ︾用例 なし ︽ う ︾ 用例 なし ︽ へ ︾ ま へ ︵前︶ ︽ ゑ ・ え ︾ い ゑ ︵家︶ ・ ま ゑ ︵前︶ ︽ ほ ︾用例 なし ︽ を ・ お ︾ 用例 なし 黒川尼︵一二五八︶

ハ 行表記       

5

        ハ 行転呼音表記    

0

︽ は ︾ くろか ハ ︵黒川︶ ・候 は む ︽ わ ︾ 用例 なし ︽ ひ ︾ おも ひ ︵思︶ ︽ ゐ ・ い ︾ 用例 なし ︽ ふ ︾用例 なし ︽ う ︾ 用例 なし ︽ へ ︾用例 なし ︽ ゑ ・ え ︾ 用例 なし ︽ ほ ︾用例 なし ︽ を ・ お ︾ 用例 なし 和田茂実︵一三四七︶ ハ 行表記       

2

        ハ 行転呼音表記    

5

︽ は ︾給 は る ︽ わ ︾ 用例 なし ︽ ひ ︾用例 なし ︽ ゐ ・ い ︾ あ い ︵相︶ ・ あ い た ︵間︶ ︽ ふ ︾用例 なし ︽ う ︾ 用例 なし ︽ へ ︾ い へ とも ︵雖︶

︽ ゑ ・ え ︾ そ え て ︵添︶ ︽ ほ ︾用例 なし ︽ を ・ お ︾ 用例 なし

(12)

中条政資︵一三七五︶ ハ 行表記      

          4 ハ 行転呼音表記

1

︽ は ︾ あ ハ ︵阿波︶  

︽ わ ︾ 用例 なし ︽ ひ ︾ あ ひ ︵相︶ ・ わつら ひ ︵煩︶ ︽ ゐ ・ い ︾ 用例 なし ︽ ふ ︾用例 なし ︽ う ︾ 用例 なし ︽ へ ︾用例 なし ︽ ゑ ・ え ︾ そ ゑ て ︵添︶ ︽ ほ ︾ こ ほ り ︵郡︶ ︽ を ・ お ︾ 用例 なし 黒川宮福丸母︵一四八〇 カ ︶

ハ 行表記      

          2 ハ 行転呼音表記

5

︽ は ︾用例 なし ︽ わ ︾ 用例 なし ︽ ひ ︾用例 なし ︽ ゐ ・ い ︾ はから い ︵計︶ ︽ ふ ︾用例 なし ︽ う ︾   お う せ ︵仰︶ ︽ へ ︾候 へ ・ たと へ ︵仮令︶ ︽ ゑ ・ え ︾ 用例 なし ︽ ほ ︾用例 なし ︽ を ・ お ︾ 用例 なし 本庄房長︵一五三五︶ ハ 行表記      

          3 ハ 行転呼音表記

2

︽ は ︾候 ハ ヽ ︽ わ ︾ く ワ しく ︽ ひ ︾ あ ひ ︵相︶ ︽ ゐ ・ い ︾ たか い ︵互︶

1218

 黒川尼起請文(『新潟県史 資料編

4

 中世二 文書編Ⅱ 付録』より) 傍線部は筆者による。

(13)

︽ ふ ︾用例 なし ︽ う ︾ 用例 なし ︽ へ ︾用例 なし ︽ ゑ ・ え ︾ 用例 なし ︽ ほ ︾用例 なし ︽ を ・ お ︾ 用例 なし 以下 の 表

右 の 表 2 に 本文書 のハ 行音 と 転呼音 の 数 をそれぞれ 表 にまとめた ︒

態 1 は 平 安 末 期 か ら 鎌 倉 中 期 に か け て の 資 料 の ハ 行 音 表 記 の 実

強 く 働 かず ︑口頭音 が 反映 されやすいのではないかと 考 えられる ︒ 本 文 書 集 成 の よ う な 地 方 文 書 は 中 央 文 献 に 比 べ る と 表 記 規 範 が 朝期︑室町期 とハ 行転呼 が 進行 していることが 分 かる ︒ 結 果 は ︑ 転 呼 音 の 方 が 多 く な る 文 書 が 見 ら れ る よ う に な る ︒ 南 北 行 音 の 方 が 転 呼 を 起 こ し た 数 を 上 回 っ て い る が ︑ 本 文 書 集 成 で の を 表 し た も の で あ る ︒ 比 較 す る と ︑ 平 安 末 か ら 鎌 倉 中 期 は ︑ ハ

12

一三七五〜七九 そうしてミろくたう ゑ きしん 申 たるふんミなそへて 助 詞 ﹁ へ ﹂ を ワ 行 の ﹁ ゑ ﹂ と 表 記 し た 例 が 以 下 の よ う に 見 ら れ る ︒   2 助詞﹁ へ ﹂ の 表記

  ︵ 御 たつちう ゑ / ゑいたいをかきりてきしん 申 ところなり 76 ︶

一三八六

  ︵ かミ ゑ 申候 て 一三八六 77 ︶   ︵ 77 ︶

1

 金子彰

1987

恵信尼 親鸞 法然 書写者/

表記

23 16 10

5 9 0

転呼音

7 5 8

5 7 1

転呼音

2 6 2

0 3 0

転呼音

12 7 4

0 4 0

転呼音

5 2 1

3 2 0

転呼音

49 36 25

は行

13 25 1

転呼音

2

本庄房長︵一五三五︶ 黒川宮福丸母︵一四八〇カ︶ 中条政資︵一三七五︶ 和田茂実︵一三四七︶ 黒川尼︵一二五八︶ 津村尼︵一二四一︶

書写者/

表記

1 0 1 1 4 1

1 0 0 0 0 0

転呼音

2 0 2 0 1 1

1 2 0 3 0 3

転呼音

0 0 0 0 0 0

0 3 0 0 0 0

転呼音

0 2 0 1 0 1

0 0 1 2 0 3

転呼音

0 0 1 0 0 0

0 0 0 0 0 0

転呼音

3 2 4 2 5 3

ハ行

2 5 1 5 0 6

転呼音

(14)

本文書 において 大半 の 表記 は 正 しいハ 行﹁ へ ﹂ であるが ︑ これら 三例 は 表記規範 を 破 って 当時 の 発音 がそのまま 顔 を 出 したものと 見 られる 例 である ︒

助詞﹁ を ﹂ をア 行 の ﹁ お ﹂ と 表記 した 例 が 以下 のように 見 られる ︒三浦一族文書 において ﹁ お ﹂ という 異表記 が 見   3 助詞﹁ を ﹂ の 表記

られ 始 めるのは 南北朝時代 からである ︒ ○ いらんさまたけ お いたさんまさひてかしそんにおひてハ 一三三二

  ︵

○政秀 かあと お なかくちきやうすへからす 一三三二 83 ︶   ︵

○ しやてい 弥三郎 お や うし として 一三三七︵中

83 ︶

○一筆同日 の 状 お もてかきあたうるうゑハ 一三三七︵中 10 ︶

○ は んしやう せん 時 はなおた お もよせられ 候 へく 候 一三三八︵中

10 ︶

○ ほたいのためにはんふん お ハゑいたいにゆつり 申候 一三七二︵中 51 ︶

○又 く ろかハひやうへ 大郎 いやしき お そへて 又一 にゑいたいとらする 一三七六

23 ︶   ︵

○ たつちうのうゑ お かきる 一三七七︵三 45 ︶

○ ことさらかたく さ いくわ お すへし 一四一二︵中

5 ︶

○ なんときもてつきをひきてぬす 人 のさた お いたされ 候 へし 一四一二 45 ︶   ︵

○此 きしんに 慈悲 お たまへ 一四三六 40 ︶

  ︵

○ さやうの 人々 お も 御存 ち 候 ハす 候 一四五二︵中 81 ︶

○弥七郎治実・智覚房自筆 お 為以後取置候 一四八〇 27 ︶

  ︵

51 ︶

(15)

○剰新屋 お 立 させられ 候 一四八〇︵中

43 ︶

○私領地 へ 御手 お 可被入御覚悟 一四八〇︵中

43 ︶

○御芳志 お 奉憑外無他候 一四八〇︵中

43 ︶

○ さてハおうせなく 候事 お 申 とそんし 候 て 一四八六︵中

39 ︶

○御 ちきやうなく 候 ところ お かやうに 洩承候 ハ 一四八六︵中

39 ︶

○御 ひんニ 人 お 遣申 へく 候 一四八六︵中

39 ︶

大 半 の 表 記 は 正 し い ﹁ を ﹂ で あ る が ︑ こ れ ら 十 九 例 は 表 記 規 範 を 外 れ た 例 で あ る ︒ 前 稿

て つき の せ うもん お あ いく して ︑ あ さな け さとう ニ ゆ つりあたう ところ 也 一二八五

﹁ を ﹂ の ﹁ お ﹂表記 は 一例見 られた ︒一二八五年 の 例 で ︑本稿 における 三浦一族文書 の 例 よりも 早 い ︒ の 色 部 氏 文 書 で も 助 詞

13

  ︵ 1 ︶ くとも 南北朝期 には ﹁ いふ ︵言︶ ﹂ のイをユとする 発音 の 存在 が 知 られるとしてい る 小林博士 は 片仮名文 において 同様 に ﹁ ユウ ﹂ と 表記 された 例 について 次 のものを 指摘 しており ︑ このことから 少 な ﹁ いふ ︵言︶ ﹂ を ﹁ ゆう ﹂ と 表記 した 例 が ﹁三浦和田黒川氏文書﹂ と ﹁三浦和田氏文書﹂ に 見 られた ︒   4 いふ ︵言︶ の 表記

言 謂 礼法之 言

ユフ コト

14

ヲイフ

︵承久三年︵一二二一︶京都大学附属図書館蔵御注孝経︶ コ レ ヲ 本 ケ ン ト モ チ イ ラ ル ヘ ク 候︑ ナ ム ト キ タ リ ト ユ ウ ト モ ︑ モ ト メ タ シ 候 ワ ン ヲ チ ヤ ウ ニ マ イ ラ セ 候 ヘ ク 候

(16)

︵観応元年︵一三五〇︶高野山文書之三︑読宝簡集六十六︑中村 シムキヤウ 紛失状︶ 聚

要言

︱誠

メと

こと

爾 ︵応安元年︵一三六八︶斯道文庫蔵帝範︶

また ︑室町時代 の 能楽者世阿弥 の 自筆能 本

       ムカシノアリサマ ミエ 申 サント ○ ユウ カトミレハ ︵応永三十四年︵一四二七︶ ﹃松浦之能﹄ ︶ にも ﹁ いふ ︵言︶ ﹂ を ﹁ いう ﹂︑ ﹁ ゆう ﹂ と 表記 する 例 が 見 られる ︒

15

アラフシキヤコ 二郎 ト ユウ ワ   トノハシ 御 クタリアルカ ︵応永末年頃筆 か ﹃柏崎﹄ ︶ 以下 が 三浦和田氏︑三浦和田黒川氏文書 に 見 られた ﹁ ゆう ﹂ の 例 である ︒片仮名文 だけではなく ︑平仮名 の 文献 に

おいても 同時期 に ﹁ ゆう ﹂ と 表記 された 例 があることが 分 かる ︒ いふ ︵言︶↓ ゆう

︵ 2 ⁝ さためて ふ るほく のなかニいつころゑつをつくると ゆう 事候哉

53 正応五年︵一二九二︶?︶

       又 このしやうよりほかハゆつりしやうと ゆう とももちいへからす ︵

35 延文四年︵一三五九︶ ︶

三   語彙

﹁越 後 文 書 宝 翰 集﹂ に 見 ら れ る 漢 語 の 受 容 に つ い て 次 の 男 女 七 人 の 文 書 の 漢 語 表 記 を 見 て い く ︒ 男 女 差 や 時 代 差 に   1 漢語

よる 違 いの 実態 について 分析 する ︒ 中

         4 津村尼譲状 仁治二年︵一二四一︶ 中

24

  中条寒資譲状      応永十九年︵一四一二︶

21         黒川 ノ 尼起請文 正嘉二年︵一二五八︶

55     黒川宮福丸母起請文 文明十二年︵一四八〇︶ カ

33          和田茂実譲状 貞和三年︵一三四七︶

12

  本庄房長書状      天文四年︵一五三五︶

(17)

か さ う け ︵未 詳︶ ・ こ ゝ ︵後 後︶ ・ こ せ ん ︵御 前︶ ・ さ た ︵沙 汰︶ ・ し そ く ︵子 息︶ ・ し ち ︵実︶ ・ そ う た う ︵僧 堂 仮名表記 津村尼 の 漢語︵一二四一年︶ 含 んでいる ︒   表記 の 違 いは 別個採録 する ︒人名 は 調査対象 に 含 めない ︒宛漢字 を 私 に ︵ ︶ に 入 れて 示 すが 再考 を 要 するものも 21        中条政資譲状 永和元年︵一三七五︶

カ ︶

一字漢語 四月・十七日 漢字表記 二 ねん ︵年︶ 漢字仮名交 じり 表記 2 ・ ちうすむ ︵中寸︶ ・ ちうたい ︵重代︶ ・ ちきやう す ︵知行︶ ・ にんち ︵仁治︶ ・ まつたい ︵末代︶

   1 二字漢語

13    三字漢語

漢語使用率︵延 べ 語数︶ =    2 ︵延 べ 語数︶

取 り 上 げる 七人 の 中 で 最 も 古 く ︑女性文書 であるので ︑仮名表記 の 漢語 が 最 も 多 い ︒漢字表記 は 日付 を 示 す 二語 の 19.4 %

みで ︑漢字仮名交 じり 表記 も 漢数詞 に 関 するものである ︒漢語 の 使用率 は

地 に 関 する 語 がほとんどである ︒ 2 割 ほどである ︒本文書 は 譲状 なので ︑土

(18)

黒川尼 の 漢語︵一二五八年︶ 仮名表記

あま ︵尼︶

一字漢語 正嘉・弐年・七月・日本 漢字表記 用例 なし 漢字仮名交 じり 表記 ︵御前︶ ・ にしよ ︵二所︶ ・ ろくしう むくに ︵六十六国︶   2 ・ きしやう ︵起請︶ ・ きしやうくわん ︵起請願︶ ・ きしやうもん ︵起請文︶ ・ くわん ︵願︶ ・ こせん

   3 二字漢語

   8 三字漢語

漢語使用率︵延 べ 語数︶ =    2 ︵延 べ 語数︶

文書 は 起請文 なので ︑使 われている 漢語 は 仏教用語 が 多 いことが 分 かる ︒漢語 の 使用率 は 津村尼 とは 十七年 の 差 があるが ︑女性文書 ということで 同様 に 仮名表記 の 漢語 が 多 い ︒ しかし ︑津村尼 とは 違 い 本 26 %

仮名表記 和田茂実 の 漢語︵一三四七年︶ 2 割強 である ︒

あ ん と ︵安 堵︶ ・ ゑ い た い ︵永 代︶ ・ お ん し や う ︵恩 賞︶ ・ く わ い そ ふ ︵外 祖 父︶ ・ け た い あ む と ︵外 題 安 堵︶ ・ こ 兼連︵故︶ ・ さうろむ ︵相論︶ ・ しひつ ︵自筆︶ ・ せんれい ︵先例︶ ・ そりやう ︵所領︶ ・ たう 御代︵当︶ ・ たうちき

やう ︵当知行︶ ・ とくたい す ︵得替︶ ・ ほん ゆつり 状︵本︶

漢字仮名交 じり 表記 2 ・ りやうち す ︵領地︶

(19)

一 ふん ︵分︶ ・ はう 母︵亡︶ 漢字表記 郷・三年・子息・十七日・ おく 山 の 庄 ・ ゆつり 状

2 ・譲 状 ・ ほんゆつり 状

一字漢語 御下文 等 ・ そりやう 等 ・水 なしの 村 等 ・譲状 等 ・八月・北条 2 ・貞和・ たう 御 代 ・他人・譲状 等 ・

だい

17    二字漢語

17    三字漢語

   3 四字漢語

漢語使用率︵延 べ 語数︶ =    1 ︵延 べ 語数︶

れていなかったが ︑本文書 では 四字漢語 が 見 られる ︒漢語 の 使用率 は 漢語以上 の 漢字表記 は 年号 や 日付 などの 漢数詞 に 関 するものが 多 い ︒前二人 の 女性文書 では 三字漢語 までしか 使用 さ しかし ︑漢字表記 が 用 いられるのは 一字漢語 が 多 く ︑二字漢語以上 になると 仮名表記 を 用 いて 表 すことが 多 い ︒二字 男 性 文 書 で あ る ︒ 津 村 尼︑ 黒 川 尼 と は 異 な り ︑ 漢 字 表 記 が 最 も 多 い ︒ 仮 名 表 記 漢 語 も 前 二 人 と 比 べ て 増 え て い る ︒ 40.2 %

仮名表記 中条政資 の 漢語︵一三七五年︶ 4 割 を 超 える ︒

をんしやう ︵恩賞︶ ・ かふ ︵郷︶ ・御 くうし ︵公事︶ ・ けいはふ ︵競望︶ ・ さいけ ︵在家︶ ・ さた ︵沙汰︶ ・ せいはい ︵成敗︶ ・ せんれい ︵先例︶ 漢字仮名交 じり 表記 一 そく ︵族︶ ・先 れい ︵例︶ ・ ちやく 子︵嫡︶ 漢字表記 以下

2 ・永代・永和・関東・元年・兄弟・公家・後日・在家・次第・十月・重代相伝・自余・ おくやまの 庄

2 ・

(20)

こいつミの 庄 ・ とよたの 庄 ・中 条 ・譲 状 ・尊氏 将軍 ・ 証文 等・庶子・所領

一字漢語 証文 等 ・二分・別紙 3 ・親類・惣領・存知・代々・屋 地 ・

   9 二字漢語

35    三字漢語

   0 四字漢語

漢語使用率︵延 べ 語数︶ =    1 ︵延 べ 語数︶

に 漢字表記 が 多 く 見 られたが ︑本文書 では 二字漢語以上 の 漢字表記 も 多 く 見 られるようになっている ︒漢語 の 使用率 和田茂実譲状 から 二十八年後 の 男性文書 である ︒仮名表記 より 漢字表記 の 漢語 が 増 えている ︒和田茂実 は 一字漢語 44.8 %

は 和田茂実同様︑

以下 漢字表記 ちやく 子︵嫡︶ 漢字仮名交 じり 表記 おんしやう ︵恩賞︶ ・御 くうし ︵公事︶ 仮名表記 中条寒資 の 漢語︵一四一二年︶ 4 割 を 超 える ︒

2 ・永代・応永・関東・公家・金山 郷 ・後日・在家

2 ・沙汰・ 沙汰 す ・・三月・十九年・重代相伝・奥山 庄

2 ・ 豊 田 庄 ・ 小 泉 之 庄 ・ 中 条 ・ 譲 状 ・ 高 氏 将 輩︵軍︶ ・ 証 文・ 庶 子・ 所 領

4 ・ 成 敗・ 先 例

一字漢語 等 ・廿一日・二分・別紙 2 ・ 代 々・ 屋 地 ・ 証 文

   9 二字漢語

28    三字漢語

   2 四字漢語

漢語使用率︵延 べ 語数︶ =    1 ︵延 べ 語数︶

46.5 %

(21)

中条寒資 は 前 の 中条政資 の 息子 である ︒二人 の 間 には 三十七年 の 差 がある ︒二人 を 比較 すると ︑息子寒資 の 方 が 漢 字 表 記 を 多 く 用 い て い る こ と が 分 か る ︒ 例 え ば 父 政 資 が 仮 名 表 記 で 表 し て い た 語 は ︑ 寒 資 は 漢 字 表 記 で 表 し て い る ︒ 漢語 の 使用率 は

政資 さい け 5 割近 くになる ︒

一字漢語 衛門・十八日 漢字表記 十二 てん ︵天︶ ・大 くわん ︵願︶ ・八 まん 大 ほさつ ︵八幡大菩薩︶ 漢字仮名交 じり 表記 しきふ ︵式部︶ ・ しよち ︵処置︶ ・ たんかう ︵談合︶ ・ ふん ︵分︶ よき ︵余儀︶ 仮名表記 黒川宮福丸母 の 漢語︵一四八〇年 カ ︶ 寒資 在家︑沙汰︑先例︑成敗 ︵在家︶ ︑ さた ︵沙汰︶ ︑ せんれい ・先 れい ︵先例︶ ︑ せいはい ︵成敗︶

16

   1 二字漢語

   6 三字漢語

   2 四字漢語

   0 五字漢語

漢語使用率︵延 べ 語数︶ =    1 ︵延 べ 語数︶

用率 は てん ﹂﹁大 くわん ﹂﹁八 まん 大 ほさつ ﹂ など 仏教 に 関 する 語 が 並 ぶ ︒次 に 示 すように 全体 を 通 して 和語的 で ︑漢語 の 使 今 回 扱 っ た 女 性 文 書 の 中 で 最 も 年 代 の 新 し い 文 書 で あ る ︒ 黒 川 尼 と 同 様︑ 起 請 文 で あ る ︒ 仮 名 表 記 が 多 く ︑﹁十 二 13.5 %

  十八日 ミやふくはゝ / とのへまいる 申給 へ /返々 そなたにも / おなし 心 ニ 候 へとおうせ /候 へく 候/ ミやふく 1 割強 であり ︑七人 の 中 では 最 も 少 ない ︒︵傍線部 が 漢語︶

(22)

おさなく 候 ほとに /身 つから 大 くわん ニ 申候 たとへいかやう / なる 事候 とも 七郎 とのへ / そのほか 衛門 の 二郎 す け / はまさき しきふ とのへミな 〳〵/ おとなしきかた 〳〵 よろつ / たんかう 候 て しよち をはからい /候 へく 候 ミ

やふくとも / とりそたてはからい 候 へく 候/ かたくおうせつけ 候 へく 候/ われ 〳〵 もまんたくこのすへ /人 なに 事申候 ともみうら / 十二 てん 八 まん 大 ほさつ をかけ /申 へく 候 よき あるましく 候/ この ふん よく 〳〵 おうせつけ /候 て 給 へく 候 かしく 本庄房長 の 漢語︵一五三五年︶ 仮名表記 かんよふ ︵肝要︶ ・御 けうめひ ︵糾明︶ ・御 けふう ︵家風︶ ・ けんきやう ︵現形︶

2 ・ しやうけん ︵証言︶ ・ せいは

ひ す ︵成敗︶ ・ せひ ︵是非︶

2 ・ ふしき ︵不思議︶

大 せつ ︵大切︶ 漢字仮名交 じり 表記 2 ・ めいはく ︵明白︶ ・御 ゆたん ︵油断︶

2

漢字表記 御 家風 ・恐々・謹言・四月・四五人・ 某 うつろ 之者・謀心 一字漢語

   1 二字漢語

18    三字漢語

漢語使用率︵延 べ 語数︶ =    3 ︵延 べ 語数︶

七人 の 中 で 最 も 年代 の 新 しい 文書 である ︒ これまでの 男性文書 は 漢語使用率 は 25.6 %

4 割 を 超 えていたが ︑本庄房長 は

3

割弱 と 少 ない 結果 となった ︒漢語 の 表記方法 は 仮名表記 が 多 く ︑漢字表記 の 多 かった 他 の 男性文書 とは 異 なる ︒他六 名 の 文 書 は ︑ 譲 状 と 起 請 文 が 主 で あ っ た た め ︑ 土 地 に 関 す る 語 や ︑ 仏 教 用 語 等 が 見 ら れ た ︒ 本 文 書 は 書 状 で あ る の

(23)

で ︑ それらには 現 れなかった 語 が 見 られる ︒ 以 上 ︑ 男 女 七 人 の 文 書 の 漢 語 表 記 に つ い て 見 て き た が ︑ 漢 語 の 使 用 率 は 女 性 が

1 割 〜 2 割 ほ ど で ︑ 男 性 は

3 割 〜

5 割

ほどという 結果 になった ︒文学作品 と 比較 してみると ︑同時代 の ﹃平家物語﹄中 で 使用 される 漢語 の 割合 は

べ 語数︶ という 結果 もあ り 23.1 %︵延

表記 の 漢語 が 多 く ︑男性文書 では 漢字表記 の 漢語 が 多 いという 性差 による 相違 があることが 分 かる ︒ また ︑男性文書 譲状 などは 土地 の 譲渡 に 関 する 語彙 が 多 く ︑形式化 した 漢語 が 使用 される 場合 が 多 い ︒ しかし ︑女性文書 では 仮名 ︑地方文書 における 漢語 の 浸透 はかなり 進 んでいたものと 見 られる ︒

17

の 中 でも 中条政資 と 寒資 のように 子 の 世代 になると ︑漢字書 き 漢語 の 割合 が 増加 していく 傾向 も 見 られた ︒

もしこのくろかはを ︑ ね ゐ こせんにとらせう とん 申 一二五八︵

とん   2 口頭語・俗語

右 の 一例 が 本文書 に 見 られた ﹁ とん ﹂ である ︒口頭語 の 詳細 は 前 稿 21 ︶

     たふ ︵賜︶ で 触 れたのでここでは 割愛 する ︒

18

こ の ﹁ た ふ ︵賜︶ ﹂ は ︑ 前 稿 10   で 扱 っ た 本 庄 房 長 書 状

19

る 方 向 に 働 く 性 格 が あ る ︒﹁本 庄﹂ と い う 公 認 さ れ た 庄 域 を 支 配 す る 立 場 で あ っ た 本 庄 房 長 の 書 状 に は 見 ら れ な か っ で は 一 例 も 見 ら れ な か っ た ︒﹁ た ふ ︵賜︶ ﹂ に は 受 け 手 を 卑 し め

20

たのは ︑ そのような ﹁ たふ ︵賜︶ ﹂ の 性質 も 関係 しているかと 思 われる ︒ ﹁ たふ ︵賜︶ を 検討 すると 次 の 用例 では ﹁判 を 押 してくれ ﹂ と 発言者 を 卑 しめる 方向 に 働 いているものもある ︒

くろかハのゆつりしやうなりはんをして たへ 一二五〇︵

本文書 で 見 られた ﹁ たふ ︵賜︶ ﹂ の 例 は 以下 の 通 りであるが ︑身分関係 と ﹁ たふ ︵賜︶ ﹂ の 意味︑使用者 の 関係 につ 20 ︶

(24)

いては ︑今後 さらに 考察 を 深 める 必要 がある ︒ これよりのちも たひ 候 はむとおもひもよりて 候 ものならは 一二五八︵

又犬若 にてのこらん 子 に たふ へき 也 一三〇八︵ 21 ︶ 母 のはからひとしておんひんの 子 に たふ へきなり 一三〇八︵ 28 ︶ 28 ︶

きやうこうのためにあんをかきうらをふうしてまさひてに たふ ところなり 一三二三︵

のこるところなく 一 ゑんにたきわう 丸 にゆつり たふ へきなり 一三二三︵ 84 ︶ 84 ︶

うるしにいたるまてのこるところなくたきまるにゆつり たふ ところなり 一三二三︵

まさひてかちきやうふんのこるところなくたきまるにゆつり たふ ところなり 一三二三︵ 83 ︶ 一 このゝちハのこらん 子 に たふ へしとミへたり 一三四〇︵ 83 ︶

故旦越祐叟庵主 の 身 にあて 候 て 満雑 を ち やうし 候 て 永代 たひ たる 事 に 候 一四一二︵

30 ︶

80 ︶

言 える ︒ 語 は ︑強調表現 の 一 つとして 本文書 や 色部氏文書 の 中 で 用 いられているが ︑表現技法 として 最 も 単純 な 方法 であると 同語 を 重 ねる 畳語 は 以下 に 示 すように 多 く 見 られる ︒本文書 だけでなく ︑色部氏文書 においても 多 く 見 られた ︒畳   3 畳語

いつれも 〳〵 ︵何何︶

4 ︵ 84 ︶・

85 ︶・

︵中

29 ︶ いろ 〳〵︵色色︶

1 ︵中 44 ︶ かた 〳〵 ︵方方︶

2 ︵中 かへす 〳〵 ︵返返︶ 44 ︶ 1 ︵中

32 ︶ さを 〳〵︵?︶

1 ︵中 46 ︶ たれ 〳〵 ︵誰誰︶

1 ︵中 45 ︶

ない 〳〵 ︵内内︶

1 ︵中

44 ︶ なか 〳〵︵中中︶

1 ︵中 33 ︶ ふるう 〳〵 ︵震震︶

1 ︵中 まつ 〳〵 ︵先先︶ 38 ︶ 2 ︵中 44 ︶・

︵中

33 ︶ みな 〳〵︵皆皆︶

2 ︵中 44 ︶ ゆめ 〳〵 ︵努努︶

1 ︵中

16 ︶

(25)

よう 〳〵 ︵漸漸︶

1 ︵中

33 ︶ よく 〳〵︵良良︶

2 ︵中 44 ︶

四   おわりに 本稿 では ︑鎌倉時代 から 中世末期 までの 三浦一族文書 の 仮名遣 いと 語彙 について 分析 を 行 った ︒ 一︑ ハ 行音 は 多 くの 語 に 渡 って 転呼 を 起 こしており ︑前時代 からのハ 行転呼現象 が 進行 していることが 伺 える ︒ 一︑ ハ 行 転 呼 音 の 表 記 は ︑ 従 来 の 翻 刻 資 料 に お い て ﹁ ハ ﹂ と ﹁ ワ ﹂ 等 の 字 体 の 翻 字 が 忠 実 に 行 わ れ て い な い よ う に 見受 けられ ︑本稿 で 独自 に 行 った 翻字 とは 異 なる 例 が 散見 される ︒ 一︑ 助 詞﹁ へ ﹂ を ﹁ ゑ ﹂︑ ﹁ を ﹂ を ﹁ お ﹂︑ ﹁ い ふ ︵言︶ ﹂ を ﹁ ゆ う ﹂ と い っ た よ う に ︑ 口 頭 音 を そ の ま ま 表 記 し た と 見 られる 例 が 見 られる ︒ 一︑ 漢語 の 使用率 は 女性 が

1 割 から

2 割 ほどで ︑男性 は

3 割 から

る 本 稿 の 問 題 点 と し て 譲 状 に 類 す る も の は 本 人 が 書 く が ︑ そ れ 以 外 の も の は 右 筆 が 書 く 場 合 が 多 い と い う こ と が あ 違 がある ︒ 場合 も 多 いが ︑女性文書 では 仮名表記 の 漢語 が 多 く ︑男性文書 では 漢字表記 の 漢語 が 多 いという 性差 による 相 5 割 ほどであった ︒形式化 した 漢語 が 使用 される

紙幅 の 関係上︑今回 は 仮名遣 いと 語彙 のみであるが ︑別稿 にて 音韻︑語法︑促音 の 表記等 の 検証 を 行 っていく ︒ 語学 としての 研究資料 に 十分 なり 得 ると 思 われる ︒ ︒仮 に 右筆 であったとしても ︑ その 時代 の 言語 を 反映 しているという 点 においては ︑本文書集成 のような 古文書 が

21

(26)

分析仮名文書一覧

以下 に 本稿 で 扱 う 三浦一族文書 の 仮名文書一覧 を 掲載 する ︒番号 は 本稿 で 独自 に 割 り 当 てた 通 し 番号 であり ︑用例 の 出 典 表 記 の 番 号 に 一 致 す る ︒ な お ︑

1 〜

史﹄ の 掲載順 に 並 べた ︒ 18 は 色 部 氏 文 書 で あ る の で ︑ 今 回 は 割 愛 し た ︒ ま た 原 則 と し て ﹃新 潟 県

  ﹁越後文書宝翰集﹂所収三浦和田関係仮名文書一覧 1

三浦和田氏文書

19. 嘉禎四年 ︵一二三八︶四月四日 平氏尼譲状

20.

氏 井

建長二年 ︵一二五〇︶十月廿八日 つふらの 尼

譲状

21. 正嘉二年 ︵一二五八︶七月九日 黒川 ノ 尼起請文

22. 建治三年 ︵一二七七︶十一月五日 高井道円 譲状案

時茂

23. 建治三年 ︵一二七七︶十一月五日 高井道円 譲状

時茂

24. 建治三年 ︵一二七七︶十一月 十 五 日 高井道円 譲状案

時茂

25. 建治四年 ︵一二七八︶正月廿二日 高井 義重去状

高野

26. 永仁六年 ︵一二九八︶十月廿八日 高井 義重譲状

高野

27. 文保二年 ︵一三一八︶三月廿 □ 和田茂実請取状

28. 徳治三年 ︵一三〇八︶八月十三日 和田兼連置文

29. 貞和六年 ︵一三五〇︶二月廿五日 平氏女証状

(27)

30. 暦応三年 ︵一三四〇︶八月九日 尼妙智譲状

31. 一三四五 康永年間 ︵ ︶ カ 十二月廿日 藤原公房書状 一三四二〜

32. 康永四年 ︵一三四五︶二月七日 某文書等去状

33. 貞和三年 ︵一三四七︶八月十七日 和田茂実譲状

34. 貞和六年 ︵一三五〇︶二月廿五日 平氏女文書請取状

35. 延文四年 ︵一三五九︶六月十三日 和田応寸 譲状

茂実

36.           年不詳 五月十六日 沙弥喜阿書状

37. ︵嘉慶二年︶

︵一三八八︶六月卅日 長尾高景書状

38.   永和二年 ︵一三七六︶二月十日 和田時実譲状

39. 応永十五年 ︵一四〇八︶八月十六日 和田時明譲状

40. 応永十九年 ︵一四一二︶八月十八日 尼 めうきよく 置文案

三浦和田中条氏文書 該当 する 仮名文書 なし 41.   宝徳三年 ︵一四五一︶三月二日 和田氏実置文

三浦和田黒川氏文書 42.           年不詳 十月十八日 五十公野輔親書状

43. 永和二年 ︵一三七六︶二月十日 和田時実自筆同日一筆譲状

(28)

44. 永和二年 ︵一三七六︶月十日 和田時実自筆同日一筆譲状

45. 永和二年 ︵一三七六︶二月十日 和田時実自筆同日一筆譲状

46. 永和二年 ︵一三七六︶二月十日 和田時実譲状案

47. 永和二年 ︵一三七六︶二月十日 和田時実譲状案

48. 文明十一年 ︵一四七九︶十一月廿四日 黒川氏実置文

49.

文明十二年 ︵一四八〇︶十月二日 黒川応田 譲状

50.

文明十二年 ︵一四八〇︶十月二日 黒川応田 置文案

51.

文明十二年 ︵一四八〇︶十月十六日 黒川応田 置文

52. 文明十二年 ︵一四八〇︶七月十三日 黒川氏実置文

53.   正応五年 ︵一二九二︶七月十八日? 和与状勘文

54. 文明十二年 ︵一四八〇︶十月十六日 智覚坊快済請文

55. ︵文明十二年︵一四八〇︶ ︶︵十月︶十八日 黒川宮福丸母起請文

56. 年不詳十月五日 北孫太郎書状

57.   宝徳三年 ︵一四五一︶三月十二日 平子政重証状

58.   享徳三年 ︵一四五四︶十月二日 平子政重書状

59.   宝徳三年 ︵一四五一︶三月十二日 平子政重書状

60.   享徳三年 ︵一四五四︶ カ 五月廿日 正教保運書状

61.   宝徳三年 ︵一四五一︶八月十日 発智景義書状

(29)

62. 享徳三年 ︵一四五四︶ カ 十月二日 飯沼頼泰書状

63. 宝徳三年 ︵一四五一︶ カ 二月四日 飯沼頼泰書状

64. 宝徳三年 ︵一四五一︶八月十三日 飯沼頼泰書状

三浦和田羽黒氏文書 65. 宝徳三年 ︵一四五一︶三月十一日 飯沼頼泰書状

以下中条家文書 の 写 し 66.   文明五年 ︵一四七三︶十月十六日 黒川氏実副状

22

67. 元亨三年 ︵一三二三︶三月廿二日 比丘尼道信譲状案

68. 文永三年 ︵一二六六︶七月十三日 加地重朝譲状案

69. 元亨三年 ︵一三二三︶三月廿二日 比丘尼道信譲状案

70. 永仁六年 ︵一二九八︶十月廿八日 高井義重譲状案

大輪寺文書 71. 建武五年 ︵一三三八︶七月七日 教意譲状案

72. 貞治七年 ︵一三六八︶二月廿五日 中条政義寄進状

73. 応安五年 ︵一三七二︶九月三日 沙弥彦暢寄進状

74. 応安六年 ︵一三七三︶三月四日 大輪寺塔頭領田坪付注文

75. 文和三年 ︵一三五四︶八月廿二日 中条茂資寄進状

76. 永和 ︵一三七五〜一三七九︶ 五月十日 石川道景寄進状

(30)

77. 至徳三年 ︵一三八六︶七月廿六日 羽黒景茂寄進状

78. 応永二年 ︵一三九五︶八月初四 落合秀宗証状

79. 応永十二年 ︵一四〇五︶十二月七日 中条寒資寄進状

80. 応永十九年 ︵一四一二︶十一月初六 某寄進状

81. 永享八年 ︵一四三六︶八月十九日 大輪寺契端寄進状

河村氏文 書 82. 文明十七年 ︵一四八五︶正月吉日 沙弥秀建譲状

23

83. 正慶元年 ︵一三三二︶八月十五日 河村政秀譲状案

84. 元亨三年 ︵一三二三︶八月七日 河村秀久譲状案

85. 観応二年 ︵一三五一︶九月廿日 河村秀継譲状

86. 観応二年 ︵一三五一︶九月廿日 河村秀継譲状案

87. 観応二年 ︵一三五一︶九月廿日 河村秀継譲状案

  ﹁中条家文書﹂仮名文書一覧 2

東京大学史料編纂所所蔵

1. 嘉元三年 ︵一三〇五︶二月十三日 佐々木加地章氏譲状案

山形大学附属図書館所蔵 2. 嘉元四年 ︵一三〇六︶十月二日 佐々木加地章氏譲状案

3. 嘉禎四年 ︵一二三八︶四月四日 津村尼譲状

(31)

4. 仁治二年 ︵一二四一︶四月十七日 津村尼譲状

5. 弘長四年 ︵一二六四︶三月十一日 高井道円 譲状

時茂

6. 永仁二年 ︵一二九四︶六月十二日 三浦和田茂連譲状

7. 文永三年 ︵一二六六︶七月十三日 佐々木加地重明譲状

  8. 文永四年 ︵一二六七︶十二月 日 某不作田地注文案

9. 建治三年 ︵一二七七︶十一月五日 高井道円 譲状

時茂

10. 建武四年 ︵一三三七︶六月十日 中条道秀 譲状

茂継

11. 正和六年 ︵一三一七︶正月廿日 三浦和田茂明譲状

12. 元応二年 ︵一三二〇︶十月九日 尼 しゑん 譲状

13. 康永三年 ︵一三四四︶五月十四日 沙弥某等二名連署状

14. 貞和六年 ︵一三五〇︶三月十六日 黒川茂実置文案

15. 貞和六年 ︵一三五〇︶卯月三日 藤原清時・同長時連署譲状

16. 文和三年 ︵一三五四︶三月廿八日 羽黒義成譲状

17. 文和四年 ︵一三五五︶八月廿五日 中条茂資譲状

18. 延文元年 ︵一三五六︶八月廿五日 中条茂資譲状

19. 延文元年 ︵一三五六︶八月廿五日 中条茂資置文写

20. 貞治五年 ︵一三六六︶十一月廿六日 きた 女売券

21. 永和元年 ︵一三七五︶十月三日 中条政資譲状

(32)

22. 至徳元年 ︵一三八四︶二月十五日 聖英寄進状

23. 応安五年 ︵一三七二︶六月三日 尼聖 ゑき 譲状

24. 応永十九年 ︵一四一二︶三月廿一日 中条寒資譲状

25. 応永廿八年 ︵一四二一︶九月十日 羽黒時茂譲状

26. 寛正五年 ︵一四六四︶ カ 八月十九日 中条朝資書状

27. 宝徳四年 ︵一四五二︶八月十二日 輔澄書状

28. 享徳元年 ︵一四五二︶八月十六日 輔澄書状

29. 明応三年 ︵一四九四︶十月七日 羽黒朝義譲状

30. 文明十八年 ︵一四八六︶ カ 月日不詳 某覚書

31.        年月日不詳 某所領堺勘文

32. 永正五年 ︵一五〇八︶ カ 七月二日 色部昌長書状

33. 天正二年 ︵一五七四︶八月七日 上杉謙信 書状

輝虎

34. 永禄十二年 ︵一五六九︶ カ 新発田忠敦書状

35. 永禄十二年 ︵一五六九︶ カ 新発田忠敦書状

36. 宝徳四年 ︵一四五二︶ カ 正月廿八日 飯沼頼泰書状

37. 永禄十二年 ︵一五六九︶ カ 八月廿四日 新発田忠敦書状

明応五年 ︵一四九六︶ カ 十月廿八日 羽黒朝義書状案 38. 長享三年 ︵一四八九︶〜

38.

(33)

39. 文明十八年 ︵一四八六︶ カ 九月十五日 某書状

40. 正長元年 ︵一四二八︶三月廿日 千坂信高書状

41. 文明十八年 ︵一四八六︶ カ 月日不詳 某小山年貢注文

42. 永仁二年 ︵一二九四︶六月十二日 和田茂連譲状案

43. 文明十二年 ︵一四八〇︶極月廿日 黒田応田 書状

氏実

44. 文明十二年 ︵一四八〇︶ カ 十一月十二日 中条朝資書状

45. 応永十九年 ︵一四一二︶二月九日 中条寒資置文

46. 永禄十二年 ︵一五六九︶ カ 月日不詳 新発田忠敦書状

47. 元亨三年 ︵一三二三︶三月廿二日 尼道信譲状案

48. 文永三年 ︵一二六六︶七月十三日 佐々木加地章氏譲状案

49. 元亨三年 ︵一三二三︶三月廿二日 尼道信譲状案

50. 永仁六年 ︵一二九八︶十月廿八日 高井義重譲状案

51. 建武五年 ︵一三三八︶七月七日 尼教意譲状案

52. 建武五年 ︵一三三八︶七月七日 尼教意譲状

53. 仁治二年 ︵一二四一︶十一月十四日 津村尼譲状案

文書

鈴木精英編﹃ 越後奥山庄史料﹄所収中条文書

中条

54. 永仁二年 ︵一二九四︶三月十日 和田茂連譲状案

55. 延文三年 ︵一三五八︶六月廿日 平氏女 譲状写

とくまつ

(34)

3 山口県文書館蔵 ﹁三浦家文書﹂ ︵平子氏関係 のみ ︶仮名文書一覧

  1. 貞応三年 ︵一二二四︶五月廿九日 平子西仁重経譲状案

2. 貞応三年 ︵一二二四︶五月廿九日 平子西仁重経譲状案

3. 徳治三年 ︵一三〇八︶四月廿五日 平子重頼和与状

4. 応安五年 ︵一三七二︶二月十一日 平子重世譲状案

5.

永和三年 ︵一三七七︶八月十九日 平子貞重赤童丸 連署寄進状

6.

永徳四年 ︵一三八四︶二月廿八日 平子貞重赤童丸 連署田地売券

1 ︶ 

新 潟 県 長 岡 市 の 反 町 十 郎 氏 が 蒐 集 し た も の で 現 蔵 は 新 潟 県 立 歴 史 博 物 館︒ 鎌 倉 か ら 戦 国 に か け て の 中 世 越 後 地 方 で 活 躍 し た 武 家 関 連 文 書 の 集 成 で あ る ︒ 昭 和 五 十 四 年︵一 九 七 九︶ に 国 の 重 要 文 化 財 に 指 定 さ れ ︑ 総 文 書 数 は 七 七 三 点 に 及 ぶ ︒ 外 題 に よって 整理 すると 次 の 十八集成 から 成 る ︒下線部 が 本稿 で 扱 う 文書︒ 色 部 氏 文 書︑ 三 浦 和 田 氏 文 書 ︑ 三 浦 和 田 中 条 氏 文 書 ︑ 三 浦 和 田 黒 川 氏 文 書 ︑ 三 浦 和 田 羽 黒 氏 文 書 ︑ 築 地 氏 文 書︑ 大 輪 寺 文 書 ︑ 河 村 氏 文 書 ︑ 大 見 安 田 氏 文 書︑ 大 見 水 原 氏 文 書︑ 毛 利 安 田 氏 文 書︑ 上 野 氏 文 書︑ 斎 藤 氏 文 書︑ 発 智 氏 文 書︑ 小 田 切 氏 文書︑段銭日記︑雜文書︑雜集 ︵

2 ︶ 

三浦和田氏文書︑三浦和田中条氏文書︑三浦和田黒川氏文書︑三浦和田羽黒氏文書︑築地氏文書︑大輪寺文書︑河村氏文書︒ ︵

3 ︶ 

鎌倉初期 に 越後国小泉庄色部条︵岩船郡神林村 を 中心 とする 一帯︶ に 地頭職 を 得 てこの 地 を 本拠 とした 秩父氏 の 一族 の 文書︒ ︵

4 ︶ 

色部氏文書 に 所収 の 書状︒分析対象 とした 仮名書状 は 全十一通 で 以下 の 通 り ︒数字 は 独自 に 割 り 当 てた 通 し 番号 である ︒

5

  年月日不詳         本庄房長書状

6

  天文四年︵一五三五︶三月廿三日     本庄房長書状

7

  年月日不詳         本庄房長書状

8

  天文四年︵一五三五︶三月廿八日     本庄房長書状

9

  天文四年︵一五三五︶三月廿九日     本庄房長書状

(35)

10   天文四年︵一五三五︶四月一日      本庄房長書状 11   天文四年︵一五三五︶四月二日      本庄房長書状 12        天文四年︵一五三五︶四月二日 本庄房長書状 13   天文四年︵一五三五︶卯月三日      本庄房長書状 14   天文四年︵一五三五︶四月四日      本庄房長書状 15   天文四年︵一五三五︶四月六日      本庄房長書状 ︵

5 ︶ 

東京女子大学﹃論集﹄

66 巻

︵ 2 号︑二〇一六年三月 6 ︶ 

山口県文書館︑所蔵文書検索﹁三浦家文書﹂ htt p://a rchi ves.p ref .ya m aguc hi .lg .jp/m sea rch/c ls_s ear ch.p hp?o p=s ear ch&id=2642 ︵

7 ︶ 

当該 データベースから 引用 した 文書 の 現蔵 は 新潟県立歴史博物館 である ︒ ︵

8 ︶  井 上 鋭 夫 編﹃奥 山 庄 史 料 集﹄ ︵﹁新 潟 県 文 化 財 調 査 報 告 書 第 十﹂ 新 潟 県 教 育 委 員 会   一 九 六 五 年︶ ︑﹃新 潟 県 史   資 料 編

4   中 世二   文書編Ⅱ﹄ ︵新潟県︑一九八三年︶ など ︒ ︵

9 ︶ 

東京大学史料編纂所﹁所蔵史料目録 データベース ﹂︑山形大学附属図書館﹁中条家文書検索 システム ﹂︒ ︵

10 ︶ 

本研究 における 日本史 の 研究者 の 直話 では ︑ ハとワの 表記 の 翻刻 は 緩 やかな 認識 のもと 行 われている 由 である ︒ ︵

11 ︶ 

︵ 5 に 本庄房長 の 仮名書状一覧 を 示 した ︒ 12 ︶ 

金 子 彰﹁世 代 差 と 表 記 差 ︱ 院 政 後 期・ 鎌 倉 初 期 書 写 の 仮 名 書 状 の ハ 行 音 表 記 を 視 点 と し て ︱﹂ ︵﹃鎌 倉 時 代 語 研 究﹄ 第 十 集︑ 一九八七年五月︶ ︵

13 ︶ 

川 野 絵 梨﹁ ﹁越 後 文 書 宝 翰 集﹂ の 表 記 に つ い て ︱ 色 部 氏 文 書・ 三 浦 和 田 氏 文 書 を 中 心 と し て ︱﹂ ︵東 京 女 子 大 学﹃論 集﹄

66 巻

︵ 2 号︑二〇一六年三月︶

14 ︶ 

小林芳規﹁中世片仮名文 の 国語史的研究﹂ ︵﹃広島大学文学部紀要﹄三〇︑一九七一年三月︶ ︑七八〜七九頁︒ ︵

15 ︶ 

﹃世阿弥自筆能本集   影印篇﹄ ︵月曜会編︑岩波書店︑一九九七年︶ ︵

16 ︶ 

政資 は 仮名表記 と 漢字表記 それぞれ 一例 ずつあるが ︑息子寒資 は 漢字表記 のみである ︒ ︵

17 ︶ 

白井清子﹁平家物語 の 語彙 の 性格 を 探 る ︱現代語 との 比較 も 含 めて ︱﹂ ︵﹃学習院大学国語国文学会誌﹄

︵ 24 ︑一九八一年︶

18 ︶ 

︵ 11 に 同 じ ︒ 19 ︶ 

川野絵梨﹁本庄房長書状 にみる 中世末期越後地方 の 言語﹂ ︵第

の 表記 について ︱色部氏文書・三浦和田氏文書 を 中心 として ︱﹂ ︵東京女子大学﹃論集﹄ 80 回新潟県方言研究会︑二〇一五年八月︶ ︑﹁ ﹁越後文書宝翰集﹂

66 巻

︵ 2 号︑二〇一六年三月︶

20 ︶ 

︵ 4 に 同 じ ︒

21 ︶ 

山 形 大 学 人 文 学 部   松 尾 剛 次 教 授︑ 新 潟 大 学 人 文 学 部   矢 田 俊 文 教 授 の 直 話 で は ︑ 譲 状 は 本 人 が 書 い た 可 能 性 が 高 い が ︑ そ

(36)

れ 以外 の 文書 は 右筆 が 書写 した 可能性 があるとのことである ︒ ︵

22 ︶ 

三浦和田羽黒氏文書

67 〜

︵ 71 は 中条家文書 の 写 しであるため ︑分析 の 際 は 中条家文書 の 方 を 用 いた ︒ 23 ︶  86 ︑ 87 は

︿付 記﹀ 本 稿 は ︑﹁平 成 85 の 案文 のため ︑﹃新潟県史﹄ では 省略︒本稿 でも 分析 では 割愛︒

27   年 度 新 潟 県 こ と ば の 会﹂ ︵二 〇 一 五 年 十 一 月 二 十 一 日︶ ︑﹁第

︵東京女子大学大学院博士後期課程人間科学研究科在籍︶ て ︱三浦一族文書 を 中心 として ︱﹂ と 題 した 研究発表 に 基 づくものである ︒ 二 十 七 日︶ に お い て ︑﹁中 世 越 後 地 方 の 言 語 に つ い て ︱﹁越 後 文 書 宝 翰 集﹂ を 通 し て ︱﹂ ︑﹁ ﹁越 後 文 書 宝 翰 集﹂ の 言 語 に つ い 81   回 新 潟 県 方 言 研 究 会﹂ ︵二 〇 一 六 年 三 月

キーワード ﹁越 後 文 書 宝 翰 集﹂ ︑﹁中 条 家 文 書﹂ ︑ 三 浦 一 族 文 書︑ 仮 名 遣 い ︑ 語 彙︑津村尼︑黒川尼︑本庄房長

参照

関連したドキュメント

 一六 三四〇 一九三 七五一九八一六九 六三

七圭四㍗四四七・犬 八・三 ︒        O        O        O 八〇七〇凸八四 九六︒︒﹇二六〇〇δ80叫〇六〇〇

Utoki not only has important information about the Jodo Shin sect of Buddhism in the Edo period but also various stories that Shuko recorded that should capture the interest

一一 Z吾 垂五 七七〇 舞〇 七七〇 八OO 六八O 八六血

チ   モ   一   ル 三並 三六・七% 一〇丹ゑヅ蹄合殉一︑=一九一︑三二四入五・二%三五 パ ラ ジ ト 一  〃

[r]

目について︑一九九四年︱二月二 0

建築第一グループ 建築第二グループ 建築第三グループ ※3 建築第四グループ 建築第五グループ 建築第六グループ ※3