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標準新演習 歴史Ⅱ 

 指導のポイント

学 習 内 容

1 キリスト教世界の動き (P.9) ⑴ 中世ヨーロッパ   西ヨーロッパ…カトリック教会(ローマ教皇)   東ヨーロッパ…正教会 ⑵ イスラム教世界の動き   オスマン帝国(トルコを中心),ムガル帝国(インド) ① イスラム商人の活動   陸上(ラクダの商隊)と海洋(船)で世界各地と交易  →イスラム経済栄える。 ② イスラム文化   ギリシャ・ローマ・インド・中国の文化を吸収  →科学や技術が発達。 ③ 十字軍   イスラム勢力がエルサレム(キリスト教聖地)を占領  →それに対しローマ教皇は十字軍を結成。  →エルサレム奪還は失敗。  →しかしイタリアとイスラムが貿易を行うようになり,イス ラムの文化が西ヨーロッパへ伝わった。 ⑶ ルネサンス   14 世紀,ヨーロッパでイスラム文化の影響で古代ギリ シャ・ローマの文化を見直す動きが起こる。  →文芸復興 美術・天文学・地理学が発展。 ⑷ 宗教改革 16 世紀,ローマ教皇が免罪符を販売。  →ルター(ドイツ)とカルバン(スイス)が批判し宗教改革  →カトリック教会はプロテスタントと勢力が分かれる  →カトリック教会はイエズス会を結成,宣教師を海外に派遣, 布教活動。 2 ヨーロッパの世界進出 (P.10) ⑴ 新航路の開拓   イスラム勢力の国々を通らずヨーロッパからアジアへ直接行 く方法が考えられた。 ⑵ ポルトガルの進出   1498 年,バスコ・ダ・ガマが喜望峰を回ってインドへ到達。 インドのゴアや中国のマカオを拠点とし貿易を行う。 ⑶ スペインの進出   1492 年,コロンブスが大西洋を横断し西インド諸島へ到達。 ① アメリカ大陸の植民地化   アステカ帝国・インカ帝国を滅ぼす。 ② 大西洋の三角貿易   ヨーロッパ・アメリカ大陸・アフリカで三角貿易 ③ スペインの繁栄   1519 ~ 1522 年,マゼランが世界一周航海に成功。フィリ ピンのマニラを拠点とし貿易を行う。 ⑷ オランダの進出   スペインから独立しジャワ島のバタビア拠点とし貿易を行う。 3 鉄砲とキリスト教の伝来 (P.11) ⑴ 鉄砲の伝来 1543 年,種子島に鉄砲が伝わる。 ⑵ キリスト教の伝来   1549 年,フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸。 ⑶ キリスト教の広まり ① キリシタン大名   1582 年,九州の大村氏・大友氏・有馬氏の 3 大名は天正遣 欧少年使節をスペイン国王とローマ教皇の元へ派遣した。 ② 民衆への広まり   宣教師は慈善事業も行った。17 世紀はじめには 30 万人以 上の信者がいた。 ⑷ 南蛮貿易 南蛮人(ポルトガル人・スペイン人)との貿易

補足知識・留意事項など

1 キリスト教世界の動き ⑶ ルネサンス   14 世紀にイタリアの諸都市で始まった。ギリシャ・ローマ 時代の人間中心の文化を見直そうとする運動。封建制やキリス ト教の教えにとらわれない自由な考え方がヨーロッパ各地へ広 まった。文学ではダンテ,ボッカチオ,美術ではラファエロ, ミケランジェロ,レオナルド・ダ・ビンチなど。 ⑷ 宗教改革   カトリック教会が財政をまかなうため,免罪符を販売。ル ターはカトリック教会の腐敗として批判し,キリスト教本来の 聖書の教えに帰るように説く。カトリック側はイエズス会を結 成し,海外にキリスト教を広め,その勢力を拡大しようとした。 日本にキリスト教を伝えたザビエルもイエズス会の宣教師で あった。 2 ヨーロッパの世界進出   15 世紀ごろ,ヨーロッパのイベリア半島ではポルトガルとス ペインの両国が半島を制圧した。両国は,アジアにおけるキリス ト教の布教と交易を求めて新航路の開発に力を入れた。1450 年 代にはポルトガルがアフリカの西海岸を南下する航海事業に着手 した。それより少し遅れて 1492 年,スペインがコロンブスを派 遣し,大西洋をどこまでも西へ向かわせた。インドや日本を目指 すのには当然,東の航路をたどるはずだが,両国は地中海経由の 道を避けざるをえなかった。   なぜなら 8 世紀以降,地中海はほぼ全域にわたりイスラム教 徒におさえられていたからである。西ヨーロッパの諸民族は勢力 を広げようとしても約 800 年間,南と東へ進出することができな かった。当時,イスラム勢力は学問・芸術においても,軍事力に おいても中世ヨーロッパを圧倒していた。スペインもポルトガル もイベリア半島のイスラム勢力をやっとの思いで追い出し,国土 の統一を果たしたのである。   のちにヨーロッパ人は,この時代の世界進出を「大航海時代」 と呼び,自画自賛したが,実際には壁のように立ちはだかるイス ラム教徒の力への恐怖を前提としていた。 3 鉄砲とキリスト教の伝来 ⑴ 鉄砲の伝来   1543 年,ポルトガル人を乗せた中国船が種子島に漂着した。 この時,鉄砲が日本に伝えられた。戦乱の時代だったため,鉄 砲は新兵器として注目され,たちまち全国に広がった。まもな く堺(大坂)など各地で刀鍛冶が生産をはじめ,やがて日本は世 界一の鉄砲生産国となった。鉄砲の使用により,それまでの戦 闘方法が大きく変わったため全国統一が早まった。 ⑷ 南蛮貿易   16 世紀末,ポルトガル人に続いてスペイン人も日本にやっ て来た。日本人は南蛮人と呼んだ。彼らは日本に火薬・時計・ ガラス製品などヨーロッパの品々や中国の生糸・絹織物をもた らした。日本は当時,世界有数の銀の生産国だったので南蛮人 たちは日本で銀を手に入れてアジア各地との交易に用いた。南 蛮貿易の利益に着目した西日本の大名たちはキリスト教を保護 し,自ら入信するものもいた。彼らをキリシタン大名という。 【指導のねらい】 ★キリスト教世界の動きからヨーロッパの世界進出への流れをつかませる。 ★ヨーロッパの世界進出と鉄砲とキリスト教の伝来の関係について理解させる。

1

ヨーロッパの進出と日本への来航

◆指導ページ P.9 ~ 14 ◆ 

第 3 章 近世の日本

(2)

【指導のねらい】 ★織田信長・豊臣秀吉の統一事業について重要政策とともにつかませる。 ★安土桃山時代の文化の特色と重要事項について理解させる。

2

安土桃山時代

◆指導ページ P.15 ~ 20 ◆ 

学 習 内 容

1 織田信長の統一事業 (P.15) ⑴ 統一への歩み 織田信長 尾張の戦国大名 ① 桶狭間の戦い… 1560 年,今川義元を破った。 ② 室町幕府の滅亡… 1573 年,足利義昭を追放し室町幕府滅亡。 ③ 長篠の戦い… 1575 年,鉄砲隊を用いて武田勝頼を破った。 ⑵ 信長の政策 天下布武→武力を以て天下を取る ① 安土城の築城   琵琶湖に天守閣のある安土城を築き拠点とした。 ② 商工業の育成…楽市・楽座  →座の廃止・減税,関所の廃止 ③ 抵抗勢力の弾圧   石山本願寺を屈服させ,比叡山延暦寺を焼き打ち。 ④ キリスト教の保護   仏教勢力の牽制,南蛮貿易の利益が目的。 ⑶ 本能寺の変    1582 年,明智光秀にそむかれ,本能寺(京都)で自害した。 2 豊臣秀吉の統一事業 (P.16) ⑴ 天下統一 明智光秀を倒し,信長の後継者として地位を確立。 ① 大阪城の築城…石山本願寺の跡地に大阪城を築いた。 ② 関白への就任…朝廷から関白に任命。 ③ 全国統一の達成… 1590 年,北条氏を倒し全国統一。 ⑵ 兵農分離…武士と農民の区別  →農民の反抗を防ぎ,農業の安定をはかる。 ① 太閤検地   全国の田畑を統一基準で測量。農民の直接支配。年貢の確 保が目的。 ② 刀狩 農民の反抗を防ぎ,農業の安定をはかる。 ⑶ 経済政策 多くの領地や鉱山からの莫大な利益で権力を強化。 ① 経済基盤…大阪や堺,京都などの重要な都市は直接支配。 ② 貨幣の発行…佐渡金山,生野銀山,石見銀山などを開発。 →統一的な金貨・銀貨を鋳造した。 ⑷ 宣教師の追放 キリスト教は禁止,貿易は奨励。 ⑸ 朝鮮侵略 明の征服を目指し,朝鮮に協力を要請→拒否 ① 文禄の役― 1592 年,ソウルを占領→明の援軍により失敗。 ② 慶長の役― 1597 年,秀吉の病死とともに引き上げた。 3 安土桃山時代の文化 (P.17) ⑴ 豪華・壮大な文化   権力や富を背景として豪華・壮大な桃山文化 ⑵ 天守閣―天守閣を持つ城 安土城・大阪城・伏見城・姫路城 ⑶ 絵画 狩野永徳「唐獅子図屏風」 ⑷ 茶の湯 千利休「わび茶」 ⑸ 芸能 出雲の阿国「かぶき踊り」 ⑹ 陶磁器 有田焼・薩摩焼など ⑺ 庶民の生活 衣服→麻から木綿へ 食生活→ 2 食から 3 食へ ⑻ 南蛮文化 ヨーロッパの文化が影響  ① 活版印刷術   キリスト教の書物や日本の書物がローマ字で印刷された。  ② 西洋の品物 カステラやカルタ,タバコ,時計など。  ③ 絵画 日本の画法を使って南蛮屏風に描かれた。

補足知識・留意事項など

1 織田信長の統一事業   約 1 世紀にわたる戦国の世にあって,各戦国大名は領国政治を 確立し次第に全国統一の覇権が争われるようになった。甲斐の武 田氏,越後の上杉氏,駿河の今川氏は京都に上って天下統一をし ようとしたが失敗し,尾張の織田信長がこの野望を達成した。 ⑵② 関所の廃止とともに楽市・楽座は座の特権を排除し,商 業・流通の自由化をはかるものであった。 2 豊臣秀吉の統一事業 ⑵① 検地の基準になる全国共通の新しい度量衡。重さ,長さ, 面積,体積の単位を定めた。度量衡の統一は全国を一律に治 めるためには欠かせないものであった。  ② 秀吉は方広寺大仏建立を名目に刀狩を発布。目的は農民の 武装解除で農業の安定と農民の身分を固定することにあった。 ⑷ 秀吉は九州を平定した時,長崎が信者の寄進でイエズス会の 領地とされていることを初めて知り,背後のポルトガル・スペ インの領土的野心を疑い,キリスト教を禁止した。 ⑸ 明の征服をくわだて,その先導を朝鮮に要求し拒否される と,2 度にわたって大軍を朝鮮に送ったが激しい抵抗にあい失 敗。朝鮮の武将李舜臣は文禄の役で朝鮮水軍を指揮,亀甲をか たどった鉄装の軍船を駆使して日本との海戦に勝利したが慶長 の役で奮戦の後,戦死した。 3 安土桃山時代の文化   信長は安土城に,秀吉は京都桃山の伏見城に居住し政治を行っ たので,この時代の文化を安土・桃山文化または桃山文化という。 特色は支配階級に成り上がった大名と,それを経済的に支えた豪 商の気風と財力を反映し,新鮮で豪華・壮大である。寺院勢力は 没落して,武士・庶民が文化の担い手として台頭したため,仏教 色が少なく世俗的・現実的な精神に富んでいた。また,南蛮貿易 にともなって海外文化が流入し芸術や生活に影響を与え,日本の ルネサンスともいわれる。 ⑵ 琵琶湖畔に築かれた豪華壮大な安土城は,その完成まで 3 年 を要した。その 5 層 7 重の天守は後の天守建築の見本となる。 金色に輝く最上階,朱色の欄干,青い屋根瓦の城はヨーロッパ の城に劣らないと宣教師が驚嘆した。 ⑻ 明や南蛮から世界地図や地球儀がもたらされ,地理学・天 文学・力学・暦学・医学も移入し世界に対する知識が広まった。 活版印刷機によるローマ字の「イソップ物語」や「平家物語」 などのキリシタン版も出版された。また南蛮文化が生活に影響 を及ぼし,ズボン・ジュバン・カッパ・カルタ・カステラ・ シャボン・コンペイトウなどの外来語は今日でも国語化され使 われている。

(3)

標準新演習 歴史Ⅱ 

 指導のポイント

【指導のねらい】 ★江戸時代初期の政治・外交についてつかませる。 ★江戸幕府の政治(人物・政策)と元禄文化の特色と重要事項について理解させる。

3

江戸幕府の成立と鎖国

◆指導ページ P.21 ~ 26 ◆ 

第 3 章 近世の日本

学 習 内 容

1 江戸幕府の成立と身分制度 (P.21) ⑴ 関ヶ原の戦い   1600 年,徳川家康の東軍が石田三成らの西軍を破る。 ⑵ 江戸幕府の成立   1603 年,征夷大将軍となり江戸幕府を開く。 ① 政治組織…老中が政治の中心。三奉行が政務を分担。 ② 経済力   幕領を持ち,全国の重要都市を直接支配。貨幣の鋳造権。 ⑶ 大名の統制 幕藩体制をとり,土地と人民を支配。 ① 大名の配置…親藩・譜代大名・外様大名の配置。 ② 武家諸法度…大名を統制するために定められた決まり。 ③ 参勤交代…徳川家光が制定。1 年おきに領地と江戸を往復。 ⑷ 朝廷の統制 禁中並公家諸法度を制定,京都所司代を置く。 ⑸ 身分制度 ① 武士…名字・帯刀・無礼討ちなどの特権,武士道を守る。 ② 町人…営業税を納める商人や職人。 ③ 百姓…庄屋・組頭・百姓代→村の自治や年貢の徴収。      五人組 年貢の納入,犯罪,一揆の防止に共同責任。 ④ 厳しい差別…えた・ひにん 厳しい差別と束縛があった。 2 鎖国 (P.22) ⑴ 朱印船貿易 日本の商船であることを証明する朱印状を使う。 →東南アジアに日本町がつくられた。 ⑵ 禁教 キリスト教を禁教。朱印船貿易も停止。 ⑶ 島原・天草一揆   島原(長崎)と天草(熊本)の農民とキリシタンが起こした一揆。  →幕府は絵踏など禁教強化。 ⑷ 鎖国の流れ    1639 年,ポルトガル人の来航禁止。   1641 年,オランダ商館を平戸から長崎の出島へ移動。 ⑸ 鎖国下の対外関係 ① オランダ・中国 長崎への入港が許され貿易を行う。   オランダ風節書・唐船風節書を提出させる。 ② 朝鮮 通信使が来日するようになり,釜山で貿易を行う。 ③ 琉球 薩摩藩により制圧。江戸に使節を送った。 ④ 蝦夷地 アイヌ民族との取り引きを松前藩が独占。 3 幕府政治の推移と元禄文化 (P.23) ⑴ 徳川綱吉の政治   儒学奨励。貨幣の質を落とす。生類憐みの令。 ⑵ 新井白石の政治   貨幣の質を戻す。長崎貿易の制限(金銀の海外流出を防ぐ)。 ⑶ 元禄文化 上方を中心に栄えた活気ある町人文化 ① 文芸 井原西鶴「浮世草子」      松尾芭蕉 俳諧・紀行文「奥の細道」 ② 芸能 近松門左衛門 人形浄瑠璃 ③ 絵画 菱川師宣 浮世絵「見返り美人図」 ④ 風俗 友禅染め,年中行事,相撲,村芝居

補足知識・留意事項など

1 江戸幕府の成立と身分制度 ⑵ 江戸幕府の成立   1603 年,家康は征夷大将軍となり幕府を開いたが 2 年後に は将軍職を子の秀忠に譲り,自らは駿府に隠居した。しかし大 御所として政治の実権を握り,秀忠を指揮・監督した。 ⑶ 大名の統制    大名とは 1 万石以上の領地を与えられた将軍直属の武士をい う。将軍家との親密さの度合いや領地の大小により分類格付さ れた。 ・親藩   徳川氏一門の大名で最も重んじられた。家康の子がそれぞ れ開いた尾張家・紀伊家・水戸家を御三家といい,将軍に後 継ぎがいない時にはここから将軍を選んだ。他にも越前松平 家や会津松平家も重要視された。 ・譜代   関ヶ原の戦い以前から徳川氏に従ってきた大名。大老や老 中・若年寄などは譜代に限られていた。 ・外様   関ヶ原の戦い以後,徳川氏に従った大名。幕政には参加で きず常に厳しい監視をうけた。 2 鎖国 ・鎖国の原因 ① キリスト教は神の前の平等を唱え,世俗的権威は認めよう とせず,神の教えを絶対とした。幕府は世俗的権威である将軍 を絶対視させ将軍に忠誠を誓うよう強要した。また,キリス ト教は結束が強く,一揆への危機感をあおった。 ② 日本に対しては後発国のオランダは対日貿易を独占しよう とポルトガルやスペインのカトリック諸国に領土的野心があ ると幕府に中傷した。 ③ 幕府は貿易の発展により商工業が発達した。農業主体の経 済を揺るがすことや,西国の外様大名や商人が貿易の利益で 巨大化することを恐れ,貿易を幕府の統制下におこうとした。 ⑸ 鎖国下の対外関係   琉球は薩摩藩の監督のもとに将軍の代わりごとに「慶賀使」 を琉球王の代わりごとに「謝恩使」を派遣。使節は 1850 年ま で 18 回派遣された。使節一行には薩摩藩士が随行し 100 名前 後で往復に約 1 年を費やした。 3 幕府政治の推移と元禄文化 ⑴ 幕府は儒教の教えに基づき学問と法で秩序を守り,将軍の権 威を高める文治政治へと転換。5 代将軍綱吉はその典型で学芸 を奨励,元禄文化の隆盛に寄与した。   生類憐みの令は人々を苦しめる結果になったが,本当のねら いは犬に限らず,捨て子の養育や行き倒れ人,牛馬の保護など を通して人々に「慈悲の心」をもたせ社会秩序の安定をはかろ うとするところにあった。

(4)

【指導のねらい】 ★幕府政治の動き(幕府や諸藩の改革)の流れについてつかませる。 ★外国船の接近について理解させ,幕末への流れをとらえさせる。

4

幕府政治の動き

◆指導ページ P.27 ~ 32 ◆ 

学 習 内 容

1 幕府や諸藩の改革 (P.27) ⑴ 亨保の改革 8 代将軍徳川吉宗が行った政治改革。 ① 上げ米の制…参勤交代をゆるめるかわりに米を献上させた。 ② 目安箱の設置…人々の意見を聞き,政治に生かした。 ③ 公事方御定書…裁判の基準を定めた法令 ④ 農業対策   新田開発を奨励し,年貢率を上げた→百姓一揆の増加 ⑵ 田沼の政治 田沼意次   10 代将軍家治の老中となり政治を行う。 ① 株仲間の奨励…特権を認めるかわりに営業税の徴収。 ② 長崎の貿易…清へ俵物を輸出。 ③ 蝦夷地の開発計画…俵物の増産,ロシアとの通商 ④ 干拓事業   町人に出資させ,印旛沼など干拓を行い新田の増加。 ⑶ 天明のききん   天候不順からききん→百姓一揆増加→田沼失脚。 ⑷ 寛政の改革 松平定信   田沼の次に老中となり,享保の改革を手本にする。 ① 凶作・ききん対策…各地に倉を設け,米をたくわえさせた。 ② 旗本・御家人の救済…生活苦から救うため借金帳消し。 ③ 学問の統制   昌平坂学問所をつくり,朱子学以外の学問を禁止した。 ④ 民衆の統制…政治批判の禁止,出版の制限→民衆の反感。 ⑸ 諸藩の改革 財政難→藩札の発行。         藩校→儒学を教える。 2 外国船の接近 (P.28) ⑴ 外国船の接近と鎖国の考え   1792 年,ラックスマンが通商を求め,根室(北海道)に来航。  →鎖国を理由にロシアとの通商を断った。 ⑵ 北方の探検 間宮林蔵 蝦夷地や樺太の探検を命じられる。  →樺太が島であることをつきとめる。 ⑶ 鎖国の維持 1825 年,異国船打払令を出した。 ⑷ 蛮社の獄   1839 年,高野長英・渡辺崋山がモリソン号事件への幕府の 対応と鎖国政策を批判し処罰される。 3 天保の改革 (P.29) ⑴ 天保のききん   1830 年代におこり,多くの餓死者が出て百姓一揆や打ちこ わしが多発。 ⑵ 大塩の乱   1837 年,大塩平八郎(元大阪町奉行所の役人)が貧しい人々の 救済を求め大阪で挙兵。 ⑶ 天保の改革   1841 年,水野忠邦が幕府の力を回復させる目的で政治改革。 ① 社会の統制…倹約令 ぜいたく品の禁止。出版・風俗の取締。 ② 農村の再建…農民の出稼ぎ禁止。強制的に村へ帰らせる。 ③ 株仲間の解散…物価の引き下げをはかった。 ④ 干拓事業…印旛沼の干拓を再開。 ⑤ 対外政策…江戸湾の防備強化。異国船打払令の緩和。 ⑥ 改革の失敗   江戸・大阪周辺の農村を幕府の領地にしようとするが大名 や旗本の反対にあい失敗。 ⑷ 西南雄藩の改革   薩摩藩(鹿児島)や長州藩(山口)は財政の再建に成功。   肥前藩(佐賀)は農村の立て直しに成功。 ⑸ 渋染一揆    岡山藩で出された倹約令にえたの人々への差別も含まれてい たため,一揆や抗議がおきた。

補足知識・留意事項など

1 幕府や諸藩の改革 ⑴① 上げ米の制    大名 1 万石につき 100 石の米を上納するかわりに参勤交代 の江戸滞在を半減する。 ② 目安箱 匿名による投書で民意を問う。 ③ 公事方御定書 裁判・刑罰の基準を明確にする。 ⑵ 田沼意次の積極的な経済政策は金権的体質もあり,賄賂が横 行するという弊害も生じた。 ② 長崎貿易制限を緩和,銅・俵物を輸出。ロシアとの交易も 考えていた。 ⑶① 凶作にそなえ米価を調節するため大名 1 万石につき 50 石 の割合で米の備蓄を指示する。 ④ 都市の出稼ぎ農民を村(故郷)へ帰るように奨励。 2 外国船の接近 ⑷ 日本人漂流民を送還したアメリカのモリソン号を撃退した幕 府の外交姿勢を著書で批判した蘭学者渡辺崋山や高野長英が幕 府の追及を受け,切腹や自殺に追い込まれた。 3 天保の改革 ⑴ ・農具や肥料などを購入せねばならず,支出が増えた。   ・財政が苦しくなった幕府や藩が年貢を重くしていった。   ・冷害や日照りなどの天災でききんが度々おきた。 【江戸時代の三大ききんと政治改革の関係】 ① 享保の大ききん(1732 年)  →徳川吉宗の享保の改革に打撃を与えた。 ② 天明の大ききん(1782 ~ 87 年)  →田沼意次の政治改革に打撃を与えた。  →このききんの後,松平定信が寛政の改革を行った。 ③ 天保の大ききん(1833 ~ 39 年)  →このききんの後,水野忠邦が天保の改革を行った。 ⑶② 百姓が江戸へ移住することを禁じ,永年住んでいるもの以 外は強制的に帰農させ,農村の耕作人口の確保を狙った。 ③ 株仲間の独占的性格が物価高騰の原因になるとして解散さ せられた。上知令を出して江戸・大阪両周辺地の幕府直轄化 を企てたが,実施できなかった。幕府の権威がすでに失われ ていることを白日の下にさらす結果になった。  ・上知令    重要な都市である江戸と大阪を直轄にし,幕府権力を強 化するため天領とした。年貢の加重をおそれた農民や町人 が反対し,旗本や大名も財政難を理由に不満が高まり将軍 の命令で撤回され,水野忠邦の失脚の原因となった。

(5)

標準新演習 歴史Ⅱ 

 指導のポイント

【指導のねらい】 ★江戸時代の産業の発達と社会の変化についてつかませる。 ★新しい学問について理解させ,化政文化の特色と重要事項についてとらえさせる。

5

産業の発達と社会の変化

◆指導ページ P.33 ~ 37 ◆ 

第 3 章 近世の日本

学 習 内 容

1 産業の発達 (P.33) ⑴ 農業の発達 耕地が広がり,農業技術が進歩した。 ① 新田の開発   幕府や藩は年貢を増やそうと水路を整備したり新田開発を 進めたため,耕地が増加した。 ② 農具の改良 備中ぐわ・千歯こき ⑵ 水産業の発達 網が改良され各地で漁が行われた。  →干鰯に加工された。 ⑶ 鉱山の開発 採掘や精錬の技術が進み各地の鉱山が栄えた。 ⑷ 手工業の発達 酒造や織物など各種の産業が発達した。 ⑸ 商人の台頭   株仲間→同業者組織を結成→営業を独占。   両替商→金銀の貨幣を交換,金の貸し付け ⑹ 交通の発達   (陸上)東海道などの五街道の整備。   (海上)菱垣廻船・樽廻船,西回り航路・東回り航路 ⑺ 都市の発達 城下町・港町・宿場町などが発達。特に三都。 ① 江戸 「将軍のおひざもと」と呼ばれ政治の中心となる最 大の城下町。 ② 大阪 「天下の台所」と呼ばれ蔵屋敷が集中し商業の中 心地。 ③ 京都 西陣織をはじめ手工業と文化・宗教の中心地。 2 社会の変化 (P.34) ⑴ 貨幣経済の広まり ① 商品作物の栽培 藍・菜種・麻・綿など販売目的の商品作 物が栽培されるようになった。 ② 貧富の差の拡大 自作農→小作農へ 小作人の増加 ⑵ 農工業の発達 ① 問屋制家内工業 問屋商人が原料や道具を貸し,賃金を 払って製品を買い取る仕組み。 ② 工業制手工業(マニファクチュア)   資本のある商人が働く人を工場に集め分業で製品を作ること。 ③ 手工業の地方への拡大   (絹織物) 桐生(群馬),足利(栃木)   (綿織物) 大阪周辺,尾張(愛知)   (醸造業) 灘(兵庫),野田(千葉) ⑶ 民衆の抵抗 ① 百姓一揆 多くの村が団結して年貢の軽減などを要求。 ② 打ちこわし   民衆は米の買いしめをした商人や高利貸しを襲った。 3 新しい学問と化政文化 (P.35) ⑴ 国学 「古事記伝」本居宣長によって大成された。 ⑵ 蘭学 ① 「解体新書」杉田玄白・前野良沢      ② シーボルト 長崎で塾をひらいた。      ③ 平賀源内 エレキテル(発電器)の発明      ④ 伊能忠敬 日本初の実測日本地図を製作。 ⑶ 心学 職業の誇りや生活道徳を説く学問 ⑷ 教育 寺子屋で読み・書き・そろばんを学んだ。 ⑸ 化政文化 ① 文芸(小説) 十返舎一九「東海道中膝栗毛」         滝沢馬琴「南総里見八犬伝」     (俳諧) 小林一茶・与謝蕪村 他に狂歌や川柳 ② 浮世絵 鈴木春信 錦絵,喜多川歌麿 美人画,       葛飾北斎・安藤広重 風景画

補足知識・留意事項など

1 産業の発達 ⑴① 江戸幕府が開かれてから 100 年のあいだに全国の田畑の面 積は 2 倍近くに増加した。 ② 備中ぐわ 田んぼの荒おこしなど深く耕すのに用いるくわ。   千歯こき 稲束を引っかけてを落とす道具。従来のこき箸 に比べ能率は 10 倍になり,「後家倒し」とも言 われた。 ⑸ 株仲間   株仲間は独占的な性格が強い(度々,物価を高騰させる)商工 業者の同業組合,運上・冥加という営業税(時には賄賂になる) を幕府や藩に納める条件で享保年間に公認された。 ⑹ 交通の発達 (陸上) 五街道  東海道(江戸~京都)・中山道(江戸~草津)  甲州街道(江戸~甲府)・日光街道(江戸~日光)  奥州街道(江戸~白河) (海上)  年貢米など大量の品物の輸送には,ほとんど船が利用された。 ・菱垣廻船   荷が落ちないよう,菱形の垣根をつけていたので名がついた。 ・樽廻船   主に酒樽を運んだので,この名がついた。他の物資も積み 込んだのでしばしば,菱垣廻船と争いになった。 2 社会の変化 ⑴ 年貢のとりたてや多発するききんで困窮した農民は土地を手 放すようになる。特に商品作物の栽培が早くから行われていた 畿内ではその傾向が強い。 ⑶ 一揆や打ちこわしは,ききんの時に増加する。多くの餓死 者がでた天明・天保のききんの頃は打ちこわしと一揆の件数も, そのピークに達した。 3 新しい学問と化政文化 ⑴ 元禄期から引き継がれた国学は賀茂真淵を経て本居宣長に大 成された。幕末の尊王攘夷運動に影響を与えた。 ⑵ 刑場で人体の解剖を実際に見た医師達は中国の書物とは異 なり,オランダの解剖図が実際にみたものと正確に一致してい ることに驚き,苦心してその解剖書を日本語に訳して出版した。 これによって蘭学がはじまったとされる。 ④ 伊能忠敬の測量図は今日の技術からみても精度の高い正確 なものである。 ⑷ 寺子屋   日常生活に役立つように読み・書き・そろばんを教えた初等 教育機関。教師には村役人・神主・僧侶・町人らがあたった。 ⑸ 化政文化 江戸を中心に栄えた町人文化   時代劇の舞台とされることが最も多いのがこの時代である。 政治・社会の出来事や日常の生活を風刺する川柳や狂歌が流行 した。「世の中に蚊ほどうるさきものはなし文武両道と夜も寝 られず」などと世相を風刺した狂歌などによく表れている。

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【指導のねらい】 ★ヨーロッパの啓蒙思想と近代革命のかかわりについてつかませる。 ★ヨーロッパの近代革命を国ごとに理解させる。

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ヨーロッパの近代革命

◆指導ページ P.43 ~ 48 ◆ 

学 習 内 容

1 ヨーロッパの啓蒙思想 (P.43) ⑴ 商業・文化の中心地オランダ 16 世紀後半スペインから独立 ⑵ フランスやイギリスの海外進出   オランダに対抗し東インド会社を設立。 ⑶ 啓蒙思想家の活動 コーヒーハウスで語り合う。 ① ロック(イギリス) 「統治二論(市民政府二論)」=抵抗権 ② モンテスキュー(フランス) 「法の精神」=三権分立 ③ ルソー(フランス) 「社会契約論」=人民主義 2 イギリスの革命とアメリカの独立 (P.44) ⑴ イギリス国王の専制政治 王権神授説に立脚。 ⑵ イギリスの革命 専制政治→議会政治(立憲君主制の実現) ① ピューリタン(清教徒)革命   (ピューリタン→プロテスタントの一派)   専制政治を行う国王と議会の対立。議会派はクロムウェル を指導者として国王軍を破る。 ② クロムウェルの独裁   ピューリタン革命後,王政は否定され共和制となった。   (しかし,クロムウェルの死後,王政は復活する) ③ 名誉革命   1688 年,国王を追放→オランダから新国王を迎える。   「権利の章典」を新国王に認めさせた。   イギリスは立憲君主制の国となり議会政治の基礎を固めた。 → 18 世紀には議院内閣制のしくみがうまれる。 ⑶ アメリカの独立   17 世紀からイギリスはアメリカに 13 の植民地を作った。 ① 独立戦争   1775 年,植民地の人々がイギリスから独立を求めて戦争 をはじめる。   1776 年,独立宣言を発表。   1783 年,パリ条約で独立を認められた。 ② アメリカ合衆国憲法   植民地の人々はアメリカ合衆国をつくる。   1787 年,人民主権・連邦制・三権分立を柱とする合衆国 憲法が制定された。   1789 年,ワシントンが初代大統領に就任。 3 フランス革命 (P.45) ⑴ フランスの絶対王政   ルイ 14 世 17 世紀後半,官僚制と常備軍をにぎり,大きな 権力をもち,絶対王政を行った。ベルサイユ宮 殿の建設。 ⑵ フランスの旧体制   第一身分(聖職者) 第二身分(貴族) 第三身分(平民) ⑶ フランス革命   1789 年,バスチーユ牢獄を襲い,革命がはじまった。 ① 人権宣言 1789 年,人権宣言を発表。 ② 政治の混乱 1792 年,王政の廃止→共和制へ ③ ナポレオンの政治   軍人ナポレオンは対外戦争で名声を高めた。   1804 年,国民投票によりナポレオンは皇帝へ   民法典(ナポレオン法典)を制定。

補足知識・留意事項など

1 ヨーロッパの啓蒙思想 ⑵ 東インド会社   17 ~ 19 世紀にヨーロッパの国で政府がアジアとの貿易の独 占や植民地経営のために設立した企業。重商主義政策のもとに 1600 年(イギリス),1602 年(オランダ),1604 年(フランス)と 設立された。インドやジャワ島に拠点をつくり,商品の入手を めぐって互いに競走し強力な武器で現地の政治に介入,植民地 化を進めた。 ※ 重商主義政策   王政が採用した経済政策。当時の政治は絶対的な君主を中 心とするもので,それを支える多くの軍隊と役人とが存在し た。そのため多くの費用を必要とした。鉱山を開発したり海 外に植民地を広げたりと一部の商工業者に特権を与え,富を 集めたのである。 2 イギリスの革命とアメリカの独立 ⑵ イギリスの清教徒(ピューリタン)革命でクロムウェルは国王 を処刑し共和制を打ち立てたが,そのような急進的な革命はイ ギリスの気風になじまなかった。名誉革命では,議会の主導で 穏健で議会に協力的な国王をオランダから迎え,血を流さず王 の交代に成功した。新国王は権利の章典に署名。 ⑶ アメリカの独立戦争は単なる独立戦争ではなく,市民階級が 封建的習慣をうち破って自由・平等などの基本的人権や人民主 権の原則を掲げた点で市民革命の性格を帯びており,独立革命 と呼ばれている。そして,その影響はフランス革命や 19 世紀 の自由主義やラテンアメリカの独立運動にも及んでいる。アメ リカ独立戦争は 1775 年の武力衝突を契機に始まった。1776 年 には独立宣言を発表。植民地軍は当初劣勢であったが,民兵を 中心に抵抗を続けた。しかし反英国的なヨーロッパ諸国が植民 地軍を支持し,イギリスが国際的に孤立したことで形勢が有利 になり,1783 年にパリ条約で独立を達成した。 3 フランス革命   フランスでは革命で成立した共和政府内部で急進的な党派が反 対者を次々と処刑する恐怖政治に走り,その党派もまた流血でつ ぶされ,軍人のナポレオンが国民の支持を得て政権を握り,皇帝 になると領土的野心から全ヨーロッパの征服を企てロシアに遠征 し,大敗北。その晩年は絶海の孤島に幽閉されたまま孤独な生涯 を閉じた。 ⑶① 人権宣言    フランス国民議会で採択された宣言。17 条からなり人間 の普遍的な自由平等と抵抗権を明示し,政治の目的をその維 持に求め,国民主権・法の支配・権力分立・私有財産の不可 侵などを規定した。アメリカの独立戦争やルソーの啓蒙思想 の影響が強くみられる。

(7)

標準新演習 歴史Ⅱ 

 指導のポイント

【指導のねらい】 ★ヨーロッパ諸国における産業革命と資本主義についてつかませる。 ★ヨーロッパ諸国のアジアとの貿易のようすとアジア進出にともなう争いについて理解させる。

7

産業革命とヨーロッパのアジア進出

◆指導ページ P.49 ~ 54 ◆ 

第 4 章 近代の日本と世界

学 習 内 容

1 産業革命と資本主義 (P.49) ⑴ 産業革命 紡績機や織機などの発明や技術革新   蒸気機関の実用化→交通手段の発達→社会・経済の変化 ① 世界の工場 最初に産業革命を達成したイギリスのこと。 ② 産業革命の拡大   19 世紀,フランス・アメリカ・ドイツでもおこった。 ③ 輸送能力の向上 蒸気機関車や蒸気船の発明 ⑵ 資本主義   資本家が労働者を雇って生産を行い,利潤を求めること。 ① 海外進出   原料と市場を求めアジア・アフリカ・ラテンアメリカに進出。 ② 社会問題   長時間労働,労働災害などから生活を守るために労働者は 労働組合を結成。労働条件の改善などを要求。 ⑶ 社会主義   生産手段を共有して,貧富の差をなくそうとする考え。ドイ ツのマルクスが「資本論」で実現を説いた。 2 19 世紀の欧米諸国とアジア貿易 (P.50) ⑴ 欧米諸国の発展   産業革命と資本主義経済の発展により国力を高めた。特に強 い国は列強と呼ばれた。 ① イギリス 世界経済の中心・二大政党政治が確立。選挙法 の改正により労働者にも選挙権が与えられた。 ② ドイツ プロイセンのビスマルク首相「鉄血政策」により 戦争に勝利。ドイツの統一→ドイツ帝国 ③ アメリカ 貿易政策や奴隷制をめぐって南北が対立・分裂。 1861 年,南北戦争→ 1863 年,大統領リンカンが奴隷解放宣 言を発表。→ 1865 年,北軍勝利で終結。 ④ ロシア 皇帝の専制政治,農奴の開放,シベリア鉄道 ⑵ イギリスのアジア貿易 ① 清の貿易   清から茶を輸入,イギリスの工業製品は売れず赤字。 ② 三角貿易    インドのアヘンを清に売り込み,イギリス・清・インドの 三角貿易 3 ヨーロッパ諸国のアジア進出 (P.51) ⑴ アヘン戦争   清のアヘン輸入禁止をきっかけにイギリスと戦争がおこった。 ① 南京条約   1842 年,香港をイギリスに割譲し,広東・上海など 5 港を 開港することを認めさせた。→ 1843 年,不平等条約を結ぶ。 ② 日本の反応 異国船(外国船)打払令をゆるめ,水や薪など を与えて退去させた。 ⑵ 太平天国の乱   1851 年,洪秀全に率いられた農民がおこした反乱 ① 洪秀全 中国南部に太平天国をつくる。       外国軍の力を借りた清によって倒された。 ② 英仏軍の北京占領   イギリスとフランスは北京を占領し,清に市場開放とキリ スト教の布教を認めさせた。 ⑶ インド大反乱   1857 年,イギリスへの反感から東インド会社に雇われてい た兵士が反乱をおこした。   1858 年,イギリスは反乱を鎮圧し,ムガル帝国を滅ぼした。 ⑷ 植民地化の進行   イギリスはインド全土を直接支配。イギリス国王がインド皇 帝を兼ねた。東南アジアはタイ以外,イギリス・フランス・オ ランダ・スペインの植民地。

補足知識・留意事項など

1 産業革命と資本主義 ⑴ (紡績機)―綿花から糸を紡ぐ機械。   (織機)―綿糸を織る機械。 ① 他国に先がけて産業革命を完成した 19 世紀中頃のイギリ スは世界中から原料を輸入,国内の工場で加工して輸出し, 世界の工業生産で独占的な地位にあった。 ⑵ 絶対王政を支えた商人は植民地からの金銀や商業貿易で得た 投機的商業資本に頼っていたが,産業革命で生まれた工業資本 家は強力な生産力でそれにまさる巨大な富を生み出し,イギリ スの国力をさらに高め,未曾有の世界的植民地帝国を築くこと になる。 2 19 世紀の欧米諸国とアジア貿易 ⑴② 新興ドイツを成立させたのは,ビスマルクの巧みな外交政 策による。英仏に続いて植民地獲得競争に加わろうとして世 界大戦の原因になる。 ③ 南北戦争後のアメリカの国力の発展はめざましい。世紀末 には,米西戦争で勝利しフィリピンをスペインから獲得し太 平洋に進出。 ・奴隷解放宣言   大統領リンカンが,南北戦争中に出した布告。1863 年 1 月 1 日の時点で南部の奴隷は,ただちにすべて解放するとし た宣言である。 ・リンカン   奴隷制度の拡大に反対して結成された共和党に加入し, 1860 年の選挙で大統領に当選した。彼が当選すると南部の 7 (の 511)州は合衆国から脱退し,南北戦争が始まった。はじ めに南軍が優勢だったがリンカンは奴隷解放宣言を発布し, 南部の奴隷に自由を保証したので戦局は逆転し,1865 年北 軍が勝利した。この直後に暗殺された。 ⑵ 三角貿易   二国間の貿易では輸出入のつりあいがとれない時,第三国を 入れて,三国間でうまく全体のつりあいを保とうとする貿易。 3 ヨーロッパ諸国のアジア進出 ⑴ アヘン戦争   18 世紀になると,ヨーロッパでは紅茶を飲む習慣が広まり 清から輸入する茶葉は生活必需品となり,多額の費用がかかっ た。イギリスは植民地のインドにアヘンをつくらせ,茶の代金 として清に売った。(三角貿易)   清がアヘンの輸入を禁止すると,イギリスは自由貿易をさま たげたとして軍艦を派遣して戦争をしかけ,1840 年にアヘン 戦争がはじまった。戦争は 2 年あまりも続き,圧倒的な力を持 つイギリス海軍が海上を封鎖して,1842 年に清は不平等な南 京条約に調印した。 ⑵ 太平天国の乱   アヘン戦争後,欧米諸国の工業製品が多数流入し,清国内の 家内工業が衰え,失業者が増大した。清の政府役人の不正・物 価の上昇などによって国民は生活に困窮し,政府に対する不満 が高まった。1851 年に洪秀全を中心に反乱がおこり,民衆に 支持されたので中国全体に広がっていった。政府は地主や外国 軍の力を借りて,十数年かけて鎮圧した。 ○太平天国の乱のスローガン  ・漢民族によって満州民族の清を滅す。  ・農民に土地を与える・税を軽減・男女平等の実現。

(8)

【指導のねらい】 ★開国とその時期に結ばれた条約の内容,開国の影響についてつかませる。 ★尊王攘夷運動から倒幕運動への変化と江戸幕府の滅亡への流れを理解させる。

8

開国と江戸幕府の滅亡

◆指導ページ P.55 ~ 60 ◆ 

学 習 内 容

1 開国 (P.55) ⑴ ペリーの来航   1853 年,アメリカのペリーが軍艦を率いて浦賀(神奈川)に 来航。 ⑵ 日米和親条約   1854 年,日米和親条約を結び,日本は開国。  →イギリス・ロシア・オランダとも同様の条約を結ぶ。 ① 2 港の開港   下田(静岡)・函館(北海道)を開港。→ハリスが滞在。 ② アメリカ船への供給 食糧・水・燃料などの補給を認めた。 ⑶ 日米修好通商条約   1858 年,ハリスと大老井伊直弼との間で結ばれた。   イギリス・ロシア・オランダ・フランスとも同様の条約を結 んだ。→安政の五か国条約 ① 5港の開港   函館・神奈川(横浜)・長崎・新潟・兵庫(神戸)の開港 ② 不平等条約   領事裁判権(治外法権)を認め関税自主権がないなど日本に とって不利な内容だったのでこう呼ばれた。 ⑷ 開国の影響 物資不足により,物価上昇→民衆の不満高まる。 ① 貿易の開始 最大の貿易は横浜で相手国はイギリス。 ② 経済の混乱 生糸が不足し粗悪な貨幣が流通し物価が上昇。 2 攘夷から倒幕へ (P.56) ⑴ 尊王攘夷運動の高まり ① 安政の大獄   井伊直弼が開国反対派を処罰。吉田松陰を死刑。 ② 桜田門外の変 井伊直弼が暗殺された。 ⑵ 攘夷の実行と報復 ① 攘夷の実行   1862 年,生麦事件…薩摩藩がイギリス人を殺害。 ② 外国の報復   1863 年,薩英戦争…イギリス艦隊が鹿児島を砲撃。   1864 年,四国艦隊(英仏米欄)が下関砲台を占領。 ⑶ 長州征伐 幕府は天皇や薩摩藩の支持を得て,長州藩を攻撃。 ⑷ 薩長同盟 1866 年,坂本龍馬(土佐藩)の仲介で薩摩藩と長 州藩は同盟を結び,倒幕の計画を進めた。 3 江戸幕府の滅亡 (P.57) ⑴ 「世直し」の期待   「世直し」といって百姓一揆や打ちこわしが続発。 ⑵ 新政府の成立 ① 大政奉還    1867 年,15 代将軍徳川慶喜,政権を朝廷に返上。 ② 王政復古の大号令 天皇中心の政治 ⑶ 戊辰戦争 旧幕府軍と新政府軍(朝廷)の戦い。 ① 鳥羽・伏見の戦い   1868 年,旧幕府軍と薩長方と交戦。戊辰戦争の発端。 ② 江戸城の無血開城   旧幕府(勝海舟)と新政府軍(西郷隆盛)の会談で江戸を戦場 にせず城をあけわたした。 ③ 五稜郭の戦い   1869 年,函館(北海道)の五稜郭にたてこもった旧幕府軍 を降伏させた。→ 260 年続いた江戸幕府の滅亡。

補足知識・留意事項など

1 開国 ⑴⑵⑶ 開国の問題点は,領事裁判権(治外法権)を認め,関税自 主権のない不平等条約を結んだこと。治外法権を認めると外国 人を裁判にかけられない。関税を自由にかけられないと貿易で 不利益になる。外国から安い商品が入ってくると,国産品が売 れず国内の生産活動が大きな打撃を受ける。事実,開国後の貿 易では国内の物価が急騰して民衆の生活が苦しくなり幕府への 反感を招き,倒幕を早めた。もうひとつは幕府は独断で開国し, 朝廷の許可を得なかったこと。尊王派が幕府を非難攻撃する口 実を与えてしまった。その後の弾圧は火に油を注ぐようなもの で,幕政の中心にあった人物が暗殺されたことによって幕府の 権威は失われてしまった。 2 攘夷から倒幕へ ⑴ 幕府が通商条約に調印した事に対し,朝廷の意向を無視し 外国に屈服したことになるとの批判がおこった。それは朝廷を 盛り立てる尊王と外国を打ち払うべしとする攘夷の要求が結び ついた尊王攘夷運動に発展した。条約の締結を推進した大老井 伊直弼は,長州藩(山口県)の吉田松陰など尊王攘夷派 100 人あ まりにはげしい弾圧を加えた。(安政の大獄)しかし 1860 年井 伊直弼は江戸城に出勤する途中,桜田門の近くで安政の大獄に 憤った水戸藩などの浪士たちに暗殺された。(桜田門外の変) ⑷ 1866 年,土佐藩(高知県)出身の坂本龍馬は,外国に対抗で きる強力な統一国家をつくる必要を説き,それまで反目してい た薩摩の西郷隆盛と長州の木戸孝允を引き合わせて薩長同盟を 結び,両藩が連携して倒幕をめざすことを密約させた。こうし て尊王攘夷運動は倒幕運動へ変化していった。 3 江戸幕府の滅亡 ⑵ 1866 年,先代の将軍が死去したあと徳川慶喜が第 15 代将軍 となった。朝廷では,幕府に好意的だった孝明天皇が亡くなり, 14 歳の明治天皇が即位して朝廷内部では倒幕派が優勢となっ た。1867 年慶喜は徳川家が幕府という形で政権を維持するこ とは不可能であるとみて征夷大将軍の地位を朝廷に返上した。 (大政奉還)慶喜は,天皇のもとで諸大名が集まる議会をつくり, その中で最大の大名である徳川家の実質的な支配を続けること ができると考えていた。その意図を見抜いた薩摩藩の西郷隆盛 や大久保利通は公家の岩倉具視や長州藩の木戸孝允らと結んで, 慶喜追放と領地没収を朝廷に働きかけた。その結果,1867 年 朝廷は王政復古の大号令を発し,古代建国の出発点に立ち戻っ て天皇を中心とした新政府を組織することを宣言した。

(9)

標準新演習 歴史Ⅱ 

 指導のポイント

【指導のねらい】 ★明治新政府の改革(明治維新・富国強兵・殖産興業)についてつかませる。 ★文明開化にともなう生活の変化と学問・思想の発達について理解させる。

9

明治維新

◆指導ページ P.61 ~ 66 ◆ 

第 4 章 近代の日本と世界

学 習 内 容

1 明治維新 (P.61) ⑴ 五箇条の御誓文 1868 年,新しい政府の方針 ⑵ 五榜の掲示   民衆に対して江戸時代と同じような内容の政治方針 ⑶ 明治維新 政治改革と社会の変化 ① 年号と首都 年号を明治,首都を東京に。(江戸→東京) ② 版籍奉還 1869 年,土地(版図)と人民(戸籍)の返上。 ③ 廃藩置県 藩を廃止し,府と県を置き,中央から府知事・ 県令を派遣。(中央集権の完成) ④ 四民平等 皇族,貴族,士族,平民と分けた。 ⑤ 解放令 1871 年,えた・ひにんの呼び名を廃止。       →差別は残った。 2 富国強兵をめざして (P.62) ⑴ 富国強兵 欧米諸国に対抗して経済発展・軍の強化する政策 ⑵ 教育制度 ① 学制 6 歳以上の男女すべてに小学校教育 ② 高等教育 東京大学,慶應義塾などがつくられた。 ⑶ 徴兵制度 1873 年,徴兵令…満 20 歳の男子に兵役義務。 ⑷ 租税制度 ① 地租改正 1873 年,地租改正条例を公布。   地券の発行・地価の 3%を地主が現金で納税(地租)政府の 税収入の安定。 ② 反対一揆   農民の負担は変わらなかったり,重くなったので各地で地 租改正反対一揆がおこった。→ 1877 年,地租を 2.5%へ軽減。 ⑸ 殖産興業 近代産業を盛んにしようとする政策 ① 官営模範工場 官営模範工場の設立(富岡製糸場など)   外国の技術や機械を導入。民間に手本を示す。 ② 交通 1872 年,新橋・横浜間に鉄道が開通。 ③ 通信 郵便制度や電信網の整備 ④ 金融 1882 年,日本銀行設立。貨幣の統一。 ⑤ 北海道の開拓   蝦夷地→北海道,開拓使を置き,屯田兵が開拓。 3 新しい文化と思想 (P.63) ⑴ 文明開化 世の中や生活の変化(洋風化) ① 生活様式の変化 衣食住の洋風化,ゴルフや登山が広まる。 ② 太陽暦の採用 1 日を 24 時間,1 週間を 7 日と定めた。 ③ 都市の変化 洋風建築・人力車や馬車,ランプやガス灯。 ④ 農村のようす   洋風化は都市が中心で農村までには広がらなかった。 ⑵ 学問・思想の発達 ① 福沢諭吉「学問のすすめ」 慶應義塾を開いた。 ② 中江兆民 ルソーの思想を翻訳して日本に紹介。 ③ 外国人教師 アメリカ人クラークは札幌農学校に赴任。 ⑶ 出版 活字印刷が普及して,日本で最初の日刊新聞が発行。

補足知識・留意事項など

1 明治維新 ⑵ 民衆に中世以来の高札形式で公示された「五榜の掲示」の第 1 ~ 3 札は江戸幕府の政策を継承したものであり,内容も儒教 的道徳を奨励し,徒党・強訴を禁じ,キリスト教も禁じていた。 ⑶②③ 藩体制の解体を進めていた新政府は権力を中央に集中さ せるためにまず各藩に版籍奉還を行わせ,薩長土 3 藩の御親 兵 1 万名を東京に集めて有事に備えたうえで一挙に廃藩置県 を断行。3 府 302 県を成立させた。後に統廃合により 1 道 3 府 43 県とした。 ④ 農工商を合わせて平民とし,えた・ひにんの呼称を廃して 平民に加えた。平民には名字が許され,華族や士族との結婚 や移転,職業選択の自由も与えられた。 2 富国強兵をめざして ⑵ 学制の発布により,政府は 2 万 6 千校の小学校の設置を目指 した。その多くは,寺子屋や藩校を転用したものだった。学校 は国民に平等に開かれ武士の子も町人・農民の子と一緒に机を 並べて競い合うようになった。能力と努力に応じて平等に未来 が約束されるこの仕組みが,これまでの身分意識を壊すのに役 立った。こうして明治維新の教育立国の方針は日本の近代化の 土台になったのだった。 ⑶ 徴兵制度   20 歳以上の男子はすべて兵役につくとされたが国や地方の 役人,官公立学校の生徒,戸主,長男のほか,お金を納めた者 などが兵役を免除された。そのため兵役にとられるのは貧しい 農家の次男・三男が中心で,農家では働き手を失い,大きな負 担になった。 ⑷ 租税制度   従来の貢租額を減らさないように地租の 3%と改められ農民 の負担は軽減されなかった。農民は負担の軽減を求め,大規模 な地租改正反対の一揆がおきた。翌年,地租の 2.5%に引き下 げた。 3 新しい文化と思想 ⑴ 1872 年に太陽暦を採用し,やがて 1 日 24 時間制や七曜制も 実施。断髪令が出されて,ちょんまげ頭はザンギリ頭にかわっ た。都市では,レンガ作りの洋風建築が立ち並び,舗装された 道路を馬車や人力車が走るようになった。ガス灯やランプが使 われ,洋服を着て帽子をかぶり靴をはく人も増えた。懐中時計 やこうもり傘を持つことは紳士の誇りとされ,牛肉・牛乳・パ ン・西洋料理などが食生活に取り入れられた。 ⑵ 鉛の活字による活版印刷を開始し,新聞や雑誌が急速に発達 した。福沢諭吉・中江兆民らによって西洋の自由・平等の近代 思想が紹介され,のちの自由民権運動に大きな影響を与えた。

(10)

【指導のねらい】 ★明治時代初期の外交についてつかませる。 ★明治新政府を批判する動きとそれに対する新政府の対応について理解させる。

10

立憲政治の始まり

◆指導ページ P.67 ~ 72 ◆ 

学 習 内 容

1 近代的な国際関係 (P.67) ⑴ 岩倉使節団   岩倉具視・木戸孝允・大久保利通らを欧米に派遣  →条約改正交渉の失敗 ① 使節団の意義 欧米の政治・経済・文化を 2 年かけて視察。 ② 女子留学生   岩倉使節団と共に 5 人の女子留学生も同行した。最年少は 津田梅子。 ⑵ 国境の画定 国境を定め,日本の領土の範囲を明確にした。 ① オホーツク海方面   1875 年,樺太・千島交換条約をロシアと結ぶ。 ② 太平洋方面 1876 年,小笠原諸島の日本領有。 ⑶ 中国 1871 年,日清修好条規を結ぶ。 ⑷ 朝鮮 ① 征韓論   武力で開国させようとする考え方。(西郷隆盛らが主張) ② 日朝修好条規   1875 年,江華島事件をきっかけに翌年結び開国させた。 ⑸ 琉球処分 ① 琉球藩設置 1872 年,琉球藩設置(明治維新後) ② 沖縄県設置 1879 年,沖縄県設置 2 自由民権運動 (P.68) ⑴ 明治六年の政変 西郷隆盛・板垣退助らが政府を辞める  →大久保利通が政府の中心→藩閥政府と呼ばれた。 ⑵ 士族の反乱 1877 年,西南戦争   西郷を中心とした反政府軍が起こした反乱。 ⑶ 民衆の抵抗 地租改正・徴兵令・学制に反対  →各地で一揆がおこる。 ⑷ 自由民権運動の始まり   1874 年,民撰議員設立建白書 板垣退助 ⑸ 自由民権運動の進展 ① 国会期成同盟 1880 年,大阪で結成。 ② 憲法草案の作成 民間で多くの憲法草案が作成された。 ③ 国会開設の勅諭 1881 年,国会開設の約束(10 年後) ⑹ 政党の結成 板垣退助(自由党)・大隈重信(立憲改進党) ⑺ 自由民権運動の激化   武力で政府に反抗する者も現れた(激化事件) 3 立憲国家の成立 (P.69) ⑴ 憲法の準備 伊藤博文が中心となりドイツ憲法を模範。 ⑵ 内閣制度 1885 年,内閣制度創設。初代総理 伊藤博文 ⑶ 大日本帝国憲法   1889 年 2 月 11 日,天皇が国民に与えるという形で発布。 ① 天皇主権 国を治める統治権は天皇にあった。 ② 国民の権利 「臣民」となり,臣民の権利・自由は法律の 制限内でのみ認められた。 ⑷ 法律の整備 1890 年,教育勅語 忠君愛国 ⑸ 地方制度 地方制度の整備(制限のある地方自治) ⑹ 議会と選挙 帝国議会 ① 二院制 貴族院 皇族・華族・国家の功労者       衆議院 民選 ② 選挙 有権者は直接国税 15 円以上納める 25 歳以上の男子 (全国民の 1%)

補足知識・留意事項など

1 近代的な国際関係 ⑴ 1871 年,廃藩置県のあと新政府として正式に条約締結国を 訪問し,合わせて条約改正の予備交渉を行うための全権大使岩 倉具視を代表とする使節団がアメリカとヨーロッパに派遣され た。(岩倉使節団)留学生も含め,総勢 110 人。2 年近く欧米文 明を現地で学び取った結果,欧米と日本の文明進歩の差は 40 年と見積もった。そして,何よりも近代産業の確立(富国)を優 先していくべきだと考えた。 ⑷ 日本との開国を拒絶してきた朝鮮の態度を無礼だとして,武 力をもって開国をせまる征韓論がわきおこった。西郷隆盛は, 廃藩で失業した士族たちの不満や名誉を守るべく戦争覚悟の交 渉によって朝鮮に門戸を開かせようと考えていた。しかし欧米 諸国の強大な軍事力を目のあたりにして帰国した大久保利通と 岩倉具視らは,国力の充実を優先すべきと考え(出兵は欧米の 干渉を招くとおそれた)朝廷や政府内部を工作し,閣議で正式 に決まった西郷隆盛の派遣を延期した。これを機に西郷隆盛と 板垣退助らが政府の役職を辞任した。 2 自由民権運動 ⑵ 1876 年,政府は旧藩に肩代わりをして士族に給付していた 給料を,一時金の給付と引きかえに打ち切った。(秩禄処分)こ れを不満として各地の士族が政府に反対する兵を挙げ,鎮圧さ れた。西郷は鹿児島に帰って私学校を開いていたが,不満をも つ全国の士族は西郷に期待を寄せた。1877 年鹿児島の士族た ちは西郷を指導者として兵を挙げたが,徴兵された平民からな る政府軍に敗れた。(西南戦争)これ以降,士族たちの武力によ る抵抗はなくなった。 ⑷⑸ 1874 年,前年の征韓論をめぐる変政で政府を去った板垣 退助らは,民撰議員設立建白書を政府に提出し,国民が政治に 参加する道を開くことを求めた。それと共に,板垣は高知県に 士族中心の政治結社である立志社を作った。板垣らは政府が薩 摩・長州などの出身者からなる藩閥政府であると批判し,これ に対抗して国民の自由な政治参加を主張する政治運動を始めた。 (自由民権運動) 3 立憲国家の成立 ⑶ 1889 年 2 月 11 日,大日本帝国憲法が発布された。この日は 前夜からの雪で東京は一面の銀世界となったが,祝砲が轟き山 車が練り歩き,仮装行列がくりだし祝賀行事一色と化した。 ⑷ 教育勅語   これは父母への孝行や,学問の大切さ,そして非常時には国の ためにつくす姿勢など国民としての心得を説いた教えで 1945 年の終戦にいたるまで各学校で用いられた。 ⑹ 帝国議会   1890 年,初めての衆議院議員選挙が行われ,第一回帝国議 会が開かれた。これによって日本は立憲政治は欧米以外には無 理だと思われていた時代にアジアで最初の議会をもつ本格的な 立憲国家として出発した。

(11)

標準新演習 歴史Ⅱ 

 指導のポイント

【指導のねらい】 ★条約改正への取り組みの流れをつかませる。 ★日清・日露戦争へ向かう流れとそれぞれの講和条約の内容について理解させる。

11

日清・日露戦争

◆指導ページ P.73 ~ 78 ◆ 

第 4 章 近代の日本と世界

学 習 内 容

1 条約改正 (P.73) ⑴ 不平等条約の改正:明治政府最大の外交問題 ⑵ 欧化政策:外務大臣―井上馨 鹿鳴館→条約改正交渉のため ⑶ ノルマントン号事件:1886 年におきたこの事件をきっかけ に条約改正の動きが高まった。 ⑷ 交渉の経過:アメリカは交渉に応じるもイギリスとは難航した。 ⑸ 領事裁判権の撤廃:1894 年 日英通商航海条約を結ぶ。 ⑹ 関税自主権の完全回復   1911 年 小村寿太郎がアメリカと交渉→条約改正が達成された。 2 日清戦争 (P.74) ⑴ 帝国主義…植民地の獲得や市場の独占を目指して海外発展を 計ろうとする政治・経済体制と政策のこと。 ① スエズ運河:1869 年に開通。列強がアジアに進出。 ② 植民地化:列強はアフリカや東南アジアへ進出した。 ⑵ 朝鮮の情勢:親日派と親中派が政権争いで対立。 ① 国内の政争   親日派と親中派が対立し,しばしば政変がおきた。 ② 甲午農民戦争   1894 年,朝鮮南部を中心におきた悪政と外国の侵略に対 する農民の戦い→日清戦争のきっかけ。 ⑶ 日清戦争:朝鮮が清に援軍を求め,日本も対抗して出兵        →日本勝利 ⑷ 下関条約:1895 年 下関で講和会議が開かれた。 ① 条約の内容   清は台湾などを日本に譲り,多額の賠償金を支払う。 ② 大韓帝国   下関条約で独立した朝鮮は 1897 年,大韓帝国と改めた。 ⑸ 三国干渉   ロシア・ドイツ・フランスの三国の求めに応じて日本は遼東 半島を清に返還。 ⑹ 日本の政治   政党育成のため 1900 年,伊藤博文が立憲政友会を結成。 3 日露戦争 (P.75) ⑴ 中国の半植民地化   日清戦争に敗れた清へ列強は勢力を広げた。 ⑵ 義和団事件…清でおこった外国排斥運動。 ① 義和団の蜂起   1900 年 義和団を日本とロシアを中心とした連合軍が鎮圧。 ② 事件の影響:ロシアは事件の終結後も満州を占領。 ⑶ 日英同盟:1902 年 ロシアの南下に対抗してイギリスと同盟。 ⑷ 日露戦争:1904 年 日露戦争開戦,翌年終戦。 ① 反戦論:幸徳秋水,内村鑑三,与謝野晶子らは戦争を批判。 ② 主戦論:新聞・雑誌などは開戦を強く主張。 ③ 戦争の経過  ・東郷平八郎率いる海軍が日本海海戦で勝利。  ・ロシアは戦争中に革命運動がおこり,戦争の継続が困難に なる。 ⑸ ポーツマス条約   1905 年 アメリカの仲介で,ポーツマスで講和条約が締結。 ⑹ 日比谷焼き打ち事件   条約に不満を持った人々が警察署や新聞社を襲った。 ⑺ 大陸への進出:南満州鉄道株式会社が設立され,日本は経済 利権の拡大に力を注いだ。

補足知識・留意事項など

1 条約改正   幕末に欧米諸国と結ばれた修好通商条約には領事裁判権(治 外法権)を認め,関税自主権がないなどの不平等な内容が含ま れていた。そのため明治新政府はその成立当初からこの条約の 改正を最も重要な外交交渉の案件として取り組んできたが,改 正実現には実に数十年の歳月を要した。   ノルマントン号という船が難破,イギリス人は救助されたが, 同乗の日本人は全員が水死してしまった。領事裁判権が認めら れていたイギリスはイギリス人の船長をイギリス領事が裁くと いう裁判で,その船長は最初は無罪。後に有罪が認められたが 刑期はわずか 3 ヶ月で賠償なしという判決に日本の世論は激怒 した。条約改正が急務であることは国民の目にも明らかだった。 2 日清戦争 ⑵① 甲午農民戦争をきっかけに日清両軍が出兵,反乱の鎮圧後 も朝鮮の内政に干渉を続けて対立を深めた。日本海軍が豊島 沖で清の艦隊を奇襲して戦争が始まった。 ⑷ 下関条約の内容は,清は朝鮮の独立を認める,遼東半島・台 湾・ポンフー諸島を日本に譲る,2 億両(約 3 億 1 千万円)の賠 償金を日本に支払うなどであった。 ⑸ 三国干渉は,ロシアがドイツ・フランスを誘っておこしたた め,以後日本のロシアに対する敵意が強くなった。 3 日露戦争   日清戦争後の三国干渉以来,日本とロシアの対立が深まり義 和団事件後ロシアが満州から引き上げなかったため,ロシアへ の不満が高まった。ロシアの南下に備え,1902 年,イギリス と日英同盟を結ぶと日本とロシアの対立は決定的となり,戦争 に反対する非戦論もあったが,戦えという声が高まった。   1904 年,日露戦争が始まり,日本は苦戦しながらも陸軍は 勝利,海軍は日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を破った。  日本は兵力・物資・財力が不足し,ロシア国内では専制政治 に反対する革命運動がおこり両国とも戦争を続けるのが困難と なった。1905 年,アメリカ大統領セオドア=ルーズベルトの 仲介でアメリカ北東部のポーツマスで講和会議が開かれ,講和 条約(ポーツマス条約)が結ばれた。   その結果,ロシアの南下はおさえられ,日本は朝鮮に対する 優越権,遼東半島の半島南部の租借権,東清鉄道の一部を譲り 受けると共に,樺太(サハリン)の南半分を手に入れた。しかし, 賠償金は得られず,この講和条約に不満の国民は日比谷焼き打 ち事件などをおこした。

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