地域 の環 境 を生 か した歴 史 的右 造物 の 科 学教材化
富 山 哲 之 *
(平 成13年10月31日受 理 )
A St udy on Te ac hi ngMat e r i al sf or t heSc i e nc eofHi s t or i c
St one wor ksUs eofLoc alEnvi r onme nt
Nor i yukiTOMI YAMA
* (Received October31,2001
)1
. は じめ に古 い時代 の建造物 が現代 の ものよ り も遥 か に頑 丈 に存在 して いる例 を身近 に見 か ける こ とが あ る。 中で も石造 アーチ橋 は典型 的 な もので あ る。 九州地方 で は、石造 アーチ橋 が多 数現存 して お り、独特 の石橋文化 を築 いて い る と思 われ る。石橋 の起 源 や その架設 法 につ いて は諸 説1)2)が述 べ られ て い る。 長 崎市域 には、 旧市街 を貫 流 す る中 島川 の石橋群 に代 表 され るよ うに、江戸 時代 を通 じて様 々な形式 の石造 アーチ橋が架設 され た。 この河川付 近 の寺 町界隈 には寺 院が密集 してお り、 その参道 に繋 が って いた石橋群が‑ 河川 に整然 と 並 ぶ光景 は他 には見 られ ない。 この中で眼鏡橋 は江戸 時代前 期 に創建 され た国 内最古 の石 橋 と して広 く知 られて い る。 石橋 の よ うに華 やか な存在 で はないが、 それ と共通 す るアー チ構造 の右造物 が あ る。 名 勝 図絵 等 の文献3)4)に見 る寺 院 の組 積造 の山門 で あ る。 現 存 し な い もの もあ るが眼鏡橋 と同 じ時期 に建立 され た と推定 され るアーチ式石 門が描 かれて い る。 何 れ も石塊 を アーチ状 に積 み上 げた構造 にな って い る。 以上 は、郷土 の地域環境 にお いて歴史 的 に も特長 あ る石造物 で あ る。 このよ うな数少 ない建造物 につ いて、環境教 育 的 に教材化 した試 み は報告例 が少 ない。
本稿 で は、岩 石 とい う身近 な素材 で造 られ た重要 な伝統 的建造物 を対象 に して地域 の環 境 を見 直す ことにす る。 長 崎市域 の アーチ式 石橋、及 び寺 院 の石 門 の実地調 査 の結果 に基 づ いて石組構造等 を検討 した。 また、 この よ うな構造物 に対 す る学 習者 の見方 や考 え方 に つ いて の調 査 を行 い、 これ らを生 か した環境教 育 的 な教材作 りを 目指 した ことにつ いて述 べ る。
2.
アーチの力学 的原理図 1(a)、(b)に二種類 の橋梁 アーチ ・リブを示 す。 (a)は半 円 アーチを、(b)は中心角1500の
*長 崎大学 教育学部理科教育講座
7 0
長 崎大学 教 育学 部 紀 要 教 科教 育N o . 3 8( 2 0 0 2 )
(a
) 半 円 ア ー チ鉄 工■石
図 1 アーチの形状
欠 円 アーチを示 す。 アーチの円弧 に沿 って並べ られ た横形 の部材 を迫石 と呼ぶ。 アーチの 項部 にあ る右 は洪頂 石 または要石、冠頂 石 と呼 ばれ るが力学 的 に は他 の迫石 と同等 の働 き をす る。 特 に区別 して呼ぶ意 味 が あ るとす れ ば、 それ はアーチを組 む ときに一番最後 に積 む石 で あ る ことと装飾 的 な もので あ ると思 われ る。 これ らの アーチの両端 は堅 固 な基礎部 分 に固定 されて移動 しない もの とす る。 各 図 の挨頂石 は同 じ質量 の もので あれ ばそれ ぞれ の挟頂石 に働 く重力 の大 きさ も同一 で あ る。 図 中に力 のベ ク トルの矢 印を示 す。 この場合、
石 は模状 に挟 まれて い るので落下 しな い。 アーチの円弧 に沿 って横 向 きに挨頂石 が隣 りの 右 に力 を及 ぼす。 この横 向 きの分力 の大 きさは矢 印 の長 さを比 べて、半 円 アーチ よ りも欠 円 アーチの方 が幾 らか大 きい ことが分 か る。 また、横 向 きの力 は抵抗 して扶頂石 を押 し返 す。 この よ うにすべ て の迫 石 が力 を受 け、 それ の反作用 で押 し返 す。
アーチの両端 が基礎 を押 す力 を各 図 の アーチ下部 に太 い矢 印で示 す。半 円 アーチの基礎 を押 す力 は鉛 直下 向 きで あ る。 欠 円 アーチで は、基 礎 は水平方 向の力 と鉛 直方 向 の力 を受 けるので、 この二 カ を支 え な けれ ばな らな いか ら、基礎 を一層 強固 な もの に しな ければ な らない 。 何 れ に して も積 み上 げ られ た材料 の荷重 によ って生 ず るアーチの根元 の圧縮応 力 は最 も大 き くな る。
3.
歴 史 的石造物 の現況[1]長 崎市域 にあ る石橋 と石 門 の調査結果
図
2
に中島川 の橋梁 と周辺 の寺院 の配 置図 を示 す。石橋数 は1 4
基、寺 院数 は2 8
棟 (図 中○ 印) で あ り、両者 と も高密度 で あ る ことが分 か る。 中島川石橋群 を代表す る眼鏡橋 は寛 永
1
1年( 1 634
年 ) に創建 され た。橋 の全景 を図3
に示 す。橋長21. 0m
、 幅員4. 1 m
で あ り石 橋群 の中で最 大規模 で あ る。二速 の半 円 アーチ形 を成 して い るのが分 か る。 昭和3 5
年 に国 の重 要文 化 財 に指定 され た。 興福 寺第二 代住 持 と して寛永7
年 (1 630
年) に渡 来 した唐僧 黙子如定が架設 したと伝え られてお り、 この橋の決 に昭和62
年 に建立 された黙子禅師像がある。 眼鏡橋 が創建 され た後、木造橋 に代 わ り洪水 に強 い石造 アーチ橋 が 中島川 に相次 いで架設 された。過去4
回の洪水 の度 に流失 した橋 はその都度再建 され、石橋発祥 の地 の伝統 を維持して きた よ うで あ る。
⊥£
f@‑ 震 取 ZEf神 社
〇 五Eネ古寺
‑ 竺 駅 如 o
r‑‑ \出 島 橋 ○集 積 寺
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O I.tテt川
● 榊 専 O 。 ‑‑ 事 btj̲eげ
3TLT
E i EE g] 寺 囲9
本 河 内 水源地
宅 In < /.三 戸 =
○井 手古寺 つ △ 風 頭 山
0 1km
「 山 積 。 0.# 福 寺
図2 中島川の橋梁群 と周辺の寺院の配置図
長 崎県南部地域 内 は昭和
57
年( 1 9 82
年 )7
月23
日夜、各地 で非常 に強 い雨 が降 り、長 崎 市域 を中心 に土 石流 や河川 の氾濫 によ り大被害 が相次 いだ。百年 に一度 と もいえ る長 崎大 水害 で あ る。 中島川 の石橋1 6
橋 の うち支流 の合流点 か ら川下 の大井手橋、編笠橋、古 町橋、一 覧橋、 竿原橋、東新橋 の
6
橋 が迫石基 礎部分 を残 して全壊 流失 した5)。 この時 の集 中豪 雨禍 とその後 の河川改修 によ り、市域 に点在 して いた石橋 は永年 の星霜 を閉 じた。洪水 によ る落橋 を免 れ、然 も眼鏡橋 に次 いで古 い石橋 を図4、図 5、図 6、図 7、図 8、
図
9
に示 す。 図4
に袋 町橋 を示 す。 この橋 は先 の洪水 で半壊 し修復 されて い る。正確 な架 設年 は明 らか で はないが、享保6
年( 1 7 21
年) の洪水 で破損 した記録 が残 されて い るか らそれ以前 に造 られ た橋 で あ ると推定 されて い る。 アーチの弦 が長 く円周 はか な り偏平 で あ る ことが分 か る。 これ は中心角 の小 さい欠 円 アーチの弧 を成 して いる。 図5の桃 渓橋 は、
延宝
7
年( 1 67 9
年) に架設 され、両岸 に桃 の木 が多 い所 に由来 す る名称 が残 る。 旧名 は 卜 意橋 と もい う。 図6
の大手橋 は、慶安3
年( 1 65 0
年) に架設 され、 旧名 は堂 門橋 と称 した。交通量 が多 く橋面 は舗装 されて い るが、 アーチ本体 は昔 の ままで あ る。 図
7
の古 橋 は、承 応3
年( 1 65 4
年) に架設 され た。 旧名 を中河橋 また は鳴滝橋 と もいう 。 橋長6. 4 m
、幅員2. 9
mで あ り石橋群 の中で最小 で あ る。 アーチ部 分 は半 円 アーチの弧 を成 して い る。 橋面敷石 か ら取付 け道路 にか けて、坂 の長 崎石畳 の風情 を醸 しだ して い る。案 内表示板 によれ ば、
「長 崎開港
1 571
年 (元亀2
) よ り3
年前、清 時代 の江南風舗装術 の エキ ゾチ ックな もの‑」とあ る。 図
8
の一 ノ瀬橋 は、承応2
年( 1 65 3
年) に架設 され、一度 も崩壊 した ことはない と伝 え られて い る。 太 田 は著書 1)の中で 「‑原型 を今 日まで良好 に伝 えて きた うえ、復原 修理 も比 較 的 に容 易 な最 初 期 の橋 とな る と、 一 ノ瀬橋 以外 に はち ょっとみ あ た らな い。」と述 べて い る。 本調査 で は、高欄笠石 3カ所、高欄 束石 2カ所 が真新 しい材料 で補修 され て い る ことが分 か った。先 の水害 で破損 した部分 と思 われ る。 この地 は、 明治
30
年 頃 まで その付近 は蛍 の名所 で見物人 が多 くその傍 らにあ った料亭 が いっ しか蛍茶屋 と呼 ばれ るよ うにな った6)。 図9
に示 す高麗橋 は、承 応元年( 1 652
年) に架設 され た。 大正4
年 の橋面7 2
長崎大学教育学部紀要 教科教育N o . 3 8( 2 0 0 2 )
拡幅工事 で上流側面 は旧観 を失 った といわれ る。 先 の水害 は免 れ たが中島川 の河川改修 の ため昭和
61
年 に撤去 され、平成5
年 に西 山水源池 の ダムの傍 らに移 設 されて い る。 ダムか らの水流 は先ず この橋 を くぐり西 山川 (堂 門川) が始 ま る。 この橋 の下手 にあ った阿弥陀 橋 は昭和6 2
年 に撤去 され たが その後 の経緯 は本稿 の時点 で確認 で きて いない。撤去後 は何 れ もコ ンク リー ト桁橋 が架設 されて い る。市郊外 の平 間 町間 の瀬 に は黄葉宗寺 院 ・長滝 山霊源 院が あ る。 ここに は美 しい滝 が あ り 県指定名勝 ・滝 の観音 で知 られて い る。古 い石橋 が
2
基 あ ったが先 の洪水 で全壊流失 した。滝庭 の石橋銘板 には昭和普請 の詳細 が記 されてい る。豪雨禍前 の普済橋 (旧称滝下橋) は、
架設年代 は不明だがか な り古 い橋 であ り、昭和初期 に下流側 か ら移設 された ものであ った。
羅漢橋 は元禄
1 4
年( 1 700
年) に創建 され、純 中国風 の橋 といわれて いた。 図1 0
、図1
1に昭 和 の石橋 ・普済橋 と羅漢橋 を示 す。 文献 2) の著者 山 口は これ らの石橋 の設計監督者 と して 旧観 に優 る銘橋 の復元 に労 を尽 くされ た ことが銘板 に記 されて い る。
アーチ式石橋 の不利 な所 は、簡単 な概算 を してみ ると水路 断面 が増水 時 に単一 アーチ橋 で2割程、二速 アーチ橋 で4割程狭 め られ る ことで あ る。 非常 に大 きな動水圧 が橋側面 に 作用 して石材 が離 間 し破壊 に繋 が る。 先 の水害 で全壊流失 した中島川 の石橋
6
橋 は、 昭和61
年 に新 しい石 材 を用 いて架 け替 え られて お り、 新橋 は旧橋 の位 置 に比 べ て護 岸 か ら3、 4
m程嵩上 げ してあ る。小 さな河川 に巨大 な構造物 が突 出 した印象 を受 ける。近年、中島川 ・ 寺 町地 区 は多様 な景観 的特徴 が あ り、景観保全 の重点地 区 とされて い る。 眼鏡橋 を囲 む よ
うに両岸 には増水 時対策 の暗渠式 バ イパ ス水路工事事業 が継続 されてお り、片側 の水路 は 既 に完成 して い る。 県 は平 成
1 4
年 か ら3
年 間 の予定 で、 同橋下手 か ら見 て右側 川岸 約260m
に渡 って水路 を造 る計画 で あ る ことが新 聞報道7)され た。寺 院 にあ るアーチ式石 門 は、石橋 ほどの壮大 さはないが、 アーチの構造 的働 きを知 る上 で石積 みが複雑 で な く扱 い易 い素材 で あ る。 アーチ式石 門 は、県 内の由緒正 しい伝統 あ る 寺 院 に
7
棟8)確認 され て い る。 この 中 で長 崎市 域 に5
棟 が現存 して い る。 それ以 外 に2
棟3)4)あ った と考え られ るが現存 していない。最古級 の ものは市 内の聖福寺 と妙相寺 にあ る。 図1 2
に聖福寺 の石 門 を示す。 昭和55
年 に市指定有形文化財 に指定 され た。 眼鏡橋 か ら徒歩 約1 0
分 の所 にあ る。 この石 門 中央 の挨頂石 に は、唐僧 木庵 が 「華蔵 界」 と記 した石額 が あ る。 明暦3
年 (1 6 5 7
年) 頃 に建造 され た もの と推定 され て い る9)。 元 は無凡 山神宮寺 (覗 在 の金比羅神社) にあ った ものを、 明治1 9
年、聖福寺 が譲 り受 け、現在地 に移設 した もの で あ る。妙相寺 は、一 ノ瀬橋 か ら徒歩約30分、平成 7年 に完成 した 日見新道随道 問 の高架 橋下 付近 にあ る。 境 内 に あ る石 門 を図1 3
に示 す。 この寺 の前 身 は宗 囲寺 と称 し寛永1 9
年 (1 6 4 2
年) に創建 され たが、延宝7
年( 1 6 7 9
年)、廃寺寸前 に開基逆流 が再興 し、妙相寺 と 改称 した。 その後、宝永 4年(1707年 )頃、現在 の本河 内高部水 源池 が あ る奥 山地 区 に寺 を 移転 した。石 門 は明治2 1
年 に始 ま る水源地新設 に伴 い この場所 に移設 され た とされ る。 石 門中央 の扶頂石 には、住持逆流 が 「瑠璃光 山」 と記 した石額 が あ ることか ら して、 この石 門 は元禄7
年( 1 6 9 4
年)逆流 入寂 まで に建立 され た もの と推定 され て い る9)。 何 れ に して も 眼鏡 橋 が創建 され た後 に これ らの石 門が建造 されて い る ことか ら、 当時 の石橋 造 りの工演 lo)が石 門造 りに も利用 され た ことが考 え られ る。
図3 眼鏡 橋
74 長 崎大学教育学部紀要 教科 教育
N o . 3 8( 2 0 0 2 )
翠
・+'Jb ' 図 6 大 手 橋
∵ 予 ∴二 二 三∴・:∴ '∴ ∴ ∴ ∴̲ー1.̲V:
弼 i 喜喜.:=r‑pt 声 こ =‑‑i ‑i‑̲‑‑! 図
7
古橋義 表 壷 轟 義 盛 ≡ 監
tt
l ー
' p ■ ・ ・Lt・‑p ・、「㍗
図8 一 ノ瀬橋
‑i‑ 惑 .‑̲:‑liii:二二:‑・‑̲ 寡 ̲̲i・ ‑i1‑
二 三 三 三
図9 高麗橋
図10 普済橋
図11 羅 漢 橋
図12 聖福寺の石門
撃 萱 ≒ ̲̲̲l l .二二 二:≡
重 ‑ ̲‑=喜 軍 .̲‑‑:転 ≡ 図13 妙相寺の石門
長崎大学教育学部紀要 教科教育 N o . 3 8( 2 0 0 2 )
[2]検討
眼鏡橋等 の石造物 に使用 され た石材 は、長 崎地域 に広 く分布 す る火 山岩類 の角 閃安 山岩 で あ る11)。 岩石 の密度
2000kg/
m3と して、 柱状 台石2
本 と台上 の アーチ輪石各部 の寸 法 の 測 定値 を基 に、 柱状 台根 元 に加 わ る力 の大 きさを計 算 した。 聖 福寺 の石 門 (高 さ2 m
、 間 口2 m)
につ いて は約1 . 3×1 0
4N
とな り、 妙相寺 の石 門 (高 さ3m
、 間 口2. 6m)
につ いて は 約3. 3×1 0
ANとな る。 ただ し、 アーチ外側 の屋根形 の笠 石等 に よ る外 力 は この結 果 に含 ま れ な い。このよ うな多 くの石造物 の石材 問 は 目地漆 喰 を塗 って密着 されて い る。 石材 の継 ぎ目の 密着 が良 ければ、圧縮応 力 は 目地 の全域 にわ た って均等 に分布 す る ことにな り、構造物 の 安定性 は高 め られ る。 この よ うにアーチ構造 は、全体 が圧縮 の状 態 におかれ るよ うな組積 造 を成 して い る。
アーチの円形 度 は、 アーチの弦 の長 さ (S)に対 す る扶 矢長 さ (R)の比 を扶 矢比 (S/
R)で表 され る。 表 1に、文献 に見 る中島川石橋群 の各橋 の扶矢比12)を示 す。 表 の下方 に、
筆者 の実測値 を基 に算 出 した羅漢橋 と普済橋 の扶 矢比、及 び聖福寺 と妙相寺 の石 門 の扶矢 比 を示 す。 この表 の中で、 川 幅 の狭 い所 に架 か る古 橋 の洪 矢比 は
2. 0
で最小 で あ る。 川 幅 の広 い所 で は、扶矢比 の小 さい単一 アーチ橋 の建造 は困難 にな るので、袋 町橋 の よ うに洪 矢比 を大 き くす るか、 また は眼鏡橋 のよ うな二連 アーチ式、 また はそれ以上 の形式 で架設 す る方 法 を採 らな けれ ば な らな い ことが多 い。 これ に対 して石 門 の洪 矢比 は2. 0
以 下 で あ る。 半 円 アーチで あ るが楕 円状 の弧 を成 して い る。半 円 アーチで は、 アーチ右 が基礎 を押 す力 は鉛 直方 向 に働 くか ら、 この力 を支 え る ことが で きれば よいので、基礎工事 が容易 で あ る。 これ に対 して、 欠 円 ア ーチで は この比 が2. 0
を越 え るので基 礎 工事 が高度 にな る。石橋 の中で は、袋 町橋 の
4. 0
が最大 で あ る。表 1 石橋及 び石 門 の洪矢比 によ る比較
名 称 架設年代 挨矢比
( S/R)
眼鏡 橋
1 63 4
年2. 0
桃 渓橋
1 67 9
年2. 6
大手橋
1 65 0
年3. 1
古 橋
1 654 年 2 . 0
一 ノ瀬橋
1 653
年2. 8
高 麗楠
1 652
年3. 8
袋 町橋
1 600
年代4. 0
羅漠槽
1 986
年1 2
月2. 0
普済 橋1 987
年1 0
月3. 0
聖福寺石 門
1 600
年代1. 7
妙相寺石 門
1 600
年代1. 9
4.
歴史 的構造物 の環境教 育教材 と しての有用性[1
]学生 に対 す る意識調査結果及 び検討学生 達 が獲得 す る周 囲 の環境 の知識 ・認諾机ま、 これ まで の生活経験 で得 られ た もので あ る。 そ こで、大学
2
、3
年生次 の学 生 を対象 に、 ア ンケー ト法 によ って これ を調 べ た。調査対象 は本学学部 の学生
8 8
人 (この うち2
年生3 4
人) で、 内訳 は男子が32
人、女子 が5 6
人 であ った。調査 は平成1 3
年6
月 に実施 した。調査方法 は筆者 が担 当 した授業実施 中 に質 問 紙 を配布 し、 その場 で回答 させた。調査内容 と結果 を以下 に示す。各該 当人数 の右側 に併 記 した括弧内の数値 は、全体 にお ける各該 当人数 の比率 (%) を示す。(1) 長崎市 内 には数多 くの歴史 的構造物が あ ります。 あなたは何 につ いて調 べ たいか、 ま たは学 びたいかを記 しな さい。 (複数 回答可)
表 2
大浦天主堂、浦上天主堂
31( 3 5)
オ ラ ンダ坂 (石畳 .側溝)9( 1 0)
石 橋
2 8( 32 )
平和祈念像8 (9)
出 島
1 4( 1 6)
原爆被災建物 (片足鳥居等)8 (9)
崇福寺 .興福寺等 の寺院1 2( 1 4)
諏訪神社等 の神社5(6)
4 0
盲 30 i ■ コ ■ E i 轍 20 濫 1 0
0
a
B天主堂 f ロオランダ坂 b 田石橋
gB平和祈念像 C ロ出島 h 日原爆被 災建物 d □寺院 i t神社
e t洋銀
j申その他 abcde千ghij
図14 歴史的構造物 に対する回答率
( 2 )
①長崎市 内 にアーチ式石橋 はい くつ あ ると思 いますか。項 目① の回答者 は閉(塾に答 え て くだ さい。約
5
橋1 2( 1 4)
約l
o槽1 6( 1 8)
約20
橋2 3( 2 6)
約30橋1 7
(1 9)
約40橋以上1 8( 2 0)
A口約5橋 B圏約10橋 C口約20橋 DD約30橋 E}約40橋 以 上 F口無回答
A B C D E ド
図15 市内に現存する石橋数の予想
7 8
長崎大学教育学部紀要 教科教育 No . 3 8
(2002)② 市 内 にお いて 中島川 以 外 の河川 に架 か って い る石橋 を見 た ことが あ ります か。
表 4
(イ) 見 た ことが あ る
2 0( 2 3 )
(ロ) 見 た ことは な い
6 8( 7 7 )
( 3 )
昭和5 7
年7 月 2 3
日に発生 した長 崎大 水 害 の際 に中 島川 の石 橋群 は大 被 害 を受 けた こと を知 って い ます か。(イ) 知 って い る
5 2( 5 9 )
(
9
学校 の授 業 で習 った8(9 )
(診 家族 か ら聞 いた
2 5( 2 8 )
③ マ ス コ ミを通 じて知 った
1 9( 2 2 )
(4) 石 橋等 の橋 梁 の物 理 (力学 ) 的構 造 を知 りた い と思 い ます か。
表 6
(イ) はい
7 4( 8 4 )
(丑 力学 的原 理
3 8( 4 3 )
② 作業 過 程 等
7(8 )
(5) この よ うな題 材 を「環 境教 育」の授 業 で取 り上 げて欲 しい と思 い ます か。
表
7
(イ) 取 り上 げて欲 しい
8 0( 9
1)〔理 由〕 身近 な事 柄 で あ る○ 幅広 く学 べ るo (ロ)必要 で な い
8(9 )
表2及 び図
1 4
に、 「歴 史 的構 造物 につ いて、 何 を調 べ た いか、 また は学 び た いか」 とい う問 い に対 す る回答 を示 して い る。 「教 会堂 」 の回答 が最 も多 く、3 5 %
を 占め た。二番 目に多 か ったのが
、3 2 %
の 「石橋 」 で あ った。三 番 目は1 6%
の 「出島」 で あ った。 複 数 回答 した中で 「教 会堂」 また は 「石 橋 」 ‑ の関心 がか な り高 い ことが分 か る。表 3及 び図
1 5
に、 「アー チ式 石 橋 の総 数 につ いて」 とい う問 い に対 す る回答 を示 して い る。「 2 0
橋 」 の回答 が2 6 %
で最 も多 く、 次 いで「 3 0
橋 」 が1 9 %
で あ る。
「市 内 にお いて 中 島 川 以 外 の河 川 に架 か る ア ー チ式 石 橋 を見 た こ とが あ るか。」 とい う問 い に対 す る回 答 は2 3%
で あ った (表4
)。 先 の長 崎大 水害以前、市 内 にあ った石橋 の総数 は7 2
橋5)で あ った。市郊外 の現川 に は自然 石 を積 み上 げた古 い アーチ式石橋群 が あ った。筆者 が現地 に行 って 調 べ たが
4
基 と も全壊流失 し復元 され て いない ことが分 か った。 中島川 の石橋群 は再建 さ れ たが現在 の総数 は半分以下 に減少 して い る もの と思 われ る。時間最大 雨量
1 2 7 . 5 m m
を記録 した先 の長崎大水害 で は尊 い多 くの人命 と財産 が奪 われ た。「中島川 の石橋群 は大被害 を受 けた ことを知 って い るか」 とい う問 いに対 して は、表
5
に 示 す よ うに、全体 の5 9%
が知 って いた。 家族 か ら聞 いた、 マス コ ミを通 じて知 ったケース を合 わせ る と全体 の5 0%
に達 す る。 学校 の授業 で情報 を得 た ケースは9%
に止 ま った。「橋梁 の物理 的 な特性 を知 りたい と思 うか」 とい う問 いに対 して は、表 6に示 す よ うに、
少 し関心、が あ るを も含 めて全体 の
8 4%
が肯定 した。 全体 の43%
は力学 的原理 を知 りたい と 回答 して い る。「環境教育 の授業 で取 り上 げて欲 しい と思 うか」 とい う問 いに対 して は、全体 の
91 %
が この よ うな題 材 を取 り上 げて欲 しい と して い る (表7
)。 文 系学部 の カ リキ ュ ラム上 、 環 境教育 関係科 目の授 業 で取 り上 げ られ る適切 な題材 で あ る と考 え られ る。5.
環境教育授業 への適 用環境 教育演 習 にお いて、 「中島川地 区 の昔 を探 そ う」 の活動 題 の もと、歴 史 的 な石造 物 の観 察 を主 と して学 習者 同士 で話 し合 った りす る ことを通 して 自分 た ちの住 む地域 を知 る ことを テーマに した授 業 を試 みた。 この授 業 は集 中講義 の形 態 で あ る。環境教育演習 は平 成
1 3
年7
月 に大学3
年次 ク ラス1
1名 (男子5
名、女子6
名) を対象 に行 われ た もので あ る。当初 の授業 を振 り返 り、授 業 内容 や進行状 況 を述 べ る。
[1](1) 1校 時 日に次 の項 目につ いて解説 した。 その要点 を示 す。
(イ)江戸 時代 の橋梁文化
( 1 6 0 0
年代初頭、長崎文化 の中国‑ の依存度 は非常 に高 か った。1 6 0 0
年代初頭 に架設 され た石橋 の多 くは釆舶唐僧 や唐人 によ って創建 され た。渡来人 の報 恩行為 と して の石橋架設 で あ った。二)。 明治 時代 の橋梁文化 (橋梁材料 は伝統 的 な木材 や石 材 か ら鋳鉄、練鉄、鋼 ‑ と発展 した。 明治2 3
年( 1 8 9 0
年) に架設 され た長 崎 の出島橋 は、車両 が通行 で きる、 国 内最古 のプ ラ ッ トトラス式鉄橋 で あ る。)
(ロ) アーチ形状 と見徹 す ことがで きる色 々な構造物 (卵殻、 吊 り橋、 コ ンク リー ト擁壁、
ダムの堰堤、 トンネルの内張 り、石橋 、建物 の窓 や出入 り口の門構 え) が あ る。 石橋 に使 われ た石材 の特徴 (圧縮 に強 いが 引張 、勇 断 に弱 い)。 近代 橋 に使 われ て い る鉄 材 の特 徴
(引張 に強 い、弾性材料)。
(‑) ベ ク トルの基本性質、物体 に加 わ る力 の合成 お よび分解、外 力 を受 け る構造物 、荷 重 と応 力、 曲 げモ ー メ ン トと努 断力、支点 の構造 と反 力、 アーチの反力 の計算法、流水 に
よる動水圧、橋全体 を振 る トル ク、橋 を破 断 しよ うとす る前 断力。
(2) 石橋 の観察 は 2校 時 か ら 4校 時 にか けて行 われ た。受講生 3、 4人一組 の 3班 に構 成 した後、調 査地域 の中島川下流地 区 に移動 した。下流側 か ら上流側 ‑向か って歩 を進 め なが らウォーク ラ リーの問題 を解 くとと もに、 それぞれ の石橋 の観察 を行 った。班毎 に、
石橋 の橋長、 幅員、 アーチ高 さ等 を巻尺 で測定 した。 これ は、単 に精確 な測定 を競 うもの で はな く、石橋 に直 に接 す る ことによ り橋 に対 す る親近感 を喚起 させ観察 力 を向上 させ る
もので あ る。
8 0
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[2] ウォー クラ リーの問題
中島川 に架設 され た多数 の橋梁名称 を以下 の項 目に示 した。各人が観察 した橋 に該 当す る説明文 を(a)〜 (p)の中か ら選択 す る問題 であ る。
(1) 袋 町橋、 (2) 眼鏡橋、 (3) 魚市橋、 (4) 東新橋、
(6)一覧橋、 (7)古 町橋、 (8) 編笠橋、 (9) 大井手橋、
(ll) 鎮西橋、 (12) 大手橋、
( 1 3 )
高麗橋、 (14) 阿弥陀橋、ヽヽ橋橋、原渓橋竿桃首
㈲㈹個
(16)一 ノ瀬橋
(a)新 たに架設 された橋 の決 に残 された元 の橋 の旧親柱 には、次 のよ うに刻 まれて いる。
「寛政七年 乙卯七月十九 日、洪水 旧橋落、於是十二年庚 申九月再造」 とある。
(b) 日本 にお ける代表 的な石造 りアーチ橋 と して有名 であ る。 寛永11年 に興福寺 の住職 如定が架設 した と言 われて いる。
(C) 案内表示板 には元禄
1 0
年 に創建 された とあ る。( d)
繁華街 に最 も近 い石造 りアーチ橋 であ る。 架設年代 が不 明で ある。 先 の長 崎大水害 で半壊 したが復元 されてい る。(e) 旧親柱 には、「文化元 甲子八月、官命造之」 と刻 まれて いる。
( f )
中島川 の支流で ある一 ノ瀬川 に元禄3年 に架設 された もので あ り、 当時で は、 日本 人 の寄付 による初 めての架橋 であ った。( g)
旧親柱 には、「享和元年辛酉九月有 官命造之」 と刻 まれて いる。(h) 中島川 であ る西 山川 と一 ノ瀬川 とが合流す る場所 に架設 されてい る。 旧親柱 には、
「文化元年 甲子九月吉旦 有 官命造之」 と刻 まれて いる。
(i) この橋 は伊勢神宮 の前 にあ る。 先 の長 崎大水害 のあ と、元 の石橋 は撤去 されて コ ン ク リー ト桁橋が架か る。
(j) 旧長 崎街道 に架設 され た橋 の一つであ り、 旧市街 に入 る要所 にあ る。 長 崎氏 の居館 か ら見て大手門 に当たるか らこの名が付 け られた。
( k )
旧親柱 には、架橋 に従事 した石工4
人 の名前が刻 まれてい る。(1) 僧 卜意 が募金 を して この石橋 を架設 した といわれてお り、別名 卜意橋 とも呼ばれ る。
(巾 中島川石橋群 の中で最 も小 さい橋である。 橋上 に厚 さ1m程の上積みが施 されている。
( n)
元 の石橋 は極楽橋 と も呼 ばれて いた。先 の長 崎大水害 のあ と、 この石橋 は撤去 され て コ ンク リー ト桁橋 が架か る。(o) コ ンク リー ト桁橋で ある。 眼鏡橋 の上手 にある。 この橋が あ った ことによ り眼鏡橋 の全壊流失 は免 れた と言 われて いる。
(p) 諏訪神社 の近 くにあ り、交通量 の多 い国道 に架 か る橋 であ る。
[3
]授業 の際 の レポー ト課題仏)
昔 の ものを見 っ けて回 って、 どのよ うな ことを思 ったか。 どんな ことを詳 しく調 べ てみたい と思 ったか。1
)数十 メー トルお きに橋 が架 か って いて、 その橋 はどれ もその町の一部 と して生活 にか かせ ない ものにな って いた と思 う。2)川幅 によ って石橋 の形 が異 な って いた と思 う。川 幅が広 くな ると、 中央 の川底 に基礎 をっ くり二っの アーチ形 に してあ った。
3) と ころ ど ころ にあ る石 段 が人 々 の生活 と川 とのつ なが りを よ り感 じさせ る もの とな っ て い た。昔 は川 で洗 濯 な どを して生 活 の一 部 に川 が あ った と思 う。
4
)昔 の町 の様子 や人 々 と橋 との関 わ り方 の時代 に よ る変 化 につ いて調 べ た い。(B) 石橋以 外 の もので身辺 に見 られ るアーチ構造 の建 造 物 を思 い起 こ し、 その外観 を描 いて み よ う。 (以下 省 略)
(C) 要 石 の中 に重 力 の大 きさ と向 きを示 す矢 印が記 入 されて い る。 要 石 か ら隣 の迫 石 に 働 く力 の大 きさ と方 向 を矢 印 で書 き入 れ よ。 (以 下省 略)
(D) 厚紙 を用 いて アーチ模型 を作 って み よ う。
1)模 型 の作 成 法 と作 品
図
1 6 ( a )
は中心 角7 . 5
0の ブ ロ ック展 開図 で あ る。 この型 紙 を各 人 に渡 し、 厚 紙 を用 いて2 4
個 の ブ ロ ックを班 員で手分 け して作成 す る。 これ を積 み重 ね ると半 円 アーチが 出来上 が る。
一 つ の班 で製 作 した アーチ模型 の一 例 を図
1 6 ( b)
に示 す。アーチの真 上 か ら手 で押 して も容 易 に変形 す る こ とはな い。 ア ーチの強 さを体 感 で きる 模 型 で あ る。
(a) ブロック展開図 (b) 半円アーチの製作例 図16 アーチ模型の製作
[4
] 授 業実 践後 の学 習者 の感 想今 後 の参考 に と求 めた レポ ー トの 「感想 」 は以下 の通 りで あ る。
1)昔 、 一 つ の川 にあれ だ け多 くの橋 が かか って いた とい うことは、川 の両 側 で行 き来 が 頻繁 に行 われ て い た と考 え られ る。商業 が盛 ん で あ り、人 や物 の往来 が多 く、 町 と して 栄 えて い たので はないだ ろ うか。
2
) 初 めて橋 を長 い時 間見 た。 「環 境 」 とい うと生 物 を扱 うこ とが多 い けれ ど、 建 造 物 か ら考 え る ことが で きる ことを知 り、 見方 が広 くな った。3
) 実 際 に実 物 を じっ くり見 た り、 橋 の歴 史 につ いてふ れ る こ とはなか ったので こ うや っ て調 査 す る ことで い ろい ろな発 見 が あ った。 石橋 を多 くみ たが ほ とん どが洪 水 な どで流 失 して いて新 しく架設 して あ った りコ ンク リー トの橋 にな って い る もの も多 く見 られ た。石 は圧 縮 に強 く、鉄 は引張 に強 い とい う性 質 が あ って橋 の形 が作 られて い る。
4
) ‑ 河川 に多数 の石 橋 が残 されて い る ことは思 って もみ なか った。 石橋 の安 定性 な ど今 まで全 く考 え も しなか った ことに 目を向 け る ことが で きた。感 想 文 に繰 り返 し出て くる感動 的 な内容 は、 既 習 の概 念 に よ る物理 的理 解 が 目の前 に再
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現 され た ことに対 す る喜 びの感情 で あ ると思 われ る。
6.
まとめ長 崎大水害 か ら既 に
1 9
年 が経 過 した。 中島川石橋群 の中で当時全壊流失 した橋 は架 け替 え られ昭和 の石橋 と して年輪 を増 して い る。幾 っ か の石橋 や石 門 は三百年 もの風雪 に耐 え て お り、石橋 は今 も現役 と して活躍 し人 々の暮 ら しを支 えて い る。 ここに示 した多 くの歴 史 的 な石造物 は文化財 に指定 されて い るとはいえ、一部 の橋 には植物 が生 い茂 る等放 置 さ れて い る。 もう少 し手 を加 えて保存 しな けれ ば な らない と思 われ る。 これ らの歴 史 的 な石 造物 は寺 院 との関連 が深 く異 国 の文化 が色濃 く疹 んで い る とい う印象 を得 た。ア ンケー ト調査 によれば、学生達 の歴史 的構造物 に対 す る興 味 ・関心 は高 く 「環境教育」
科 目にお いて学 びたい とい う期待 が大 きい ことが分 か った。 この授業実践 につ いて は、 中 島川 の石橋群 を題材 に した授業 を 「環境教 育演習」 で取 り扱 った。学 習者 の授業 に対 す る 反応 は非常 に良 く、学習意欲 または物理 へ の興 味 ・関心 の高揚 が得 られ たよ うに思 われ る。
学生達 は中島川 に架 か る石橋群 の素 晴 ら しさに気 づ き、石橋 を取 り巻 く環境 に 目を向 けそ れ を守 ろ うとす る気持 ちを表 した。石橋 は構造物 の アーチ作用 を理解 す るための活 きた教 材 と して有効 で あ ると考 え られ る。
江戸期 の長 崎 は西 欧諸 国 と交流 した唯一 の都市 で あ った こと もあ り、多 くの歴史 的建造 物 は特異 な景観 を創 る重要 な要素 とな って い る。 こう した地域環境 にあ る歴史 的建造物 の 教材化 は、 身近 な地域素材 に対 す る定性 的 な環境調査 の取 り組 み の一 つで あ る。 この一連 の調 査 は現在実施 中で あ り、機会 を改 めて報告 す る ことに したい。
本稿 は、 日本理科教 育学会第
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回全 国大 会( 2 0 01
年8
月、広 島大学) の発表 資料 に加筆 修正 を行 い作成 した ものであ る。参 考 文 戟
1) 太 田静六編 :九州 のかたち 眼鏡橋 ・西洋建築 (西 日本新 聞社, 昭和54年)16. 2) 山 口祐造 :九州 の石橋 をたずねて ・前編 (昭和堂 印刷,1975)111.
3)長崎史談会編 :長崎名勝図絵 (長崎史談会,昭和6年)104,152,324. 4) 長崎市役所編 :長崎市史 (地誌編仏寺部)(長 崎市役所,大正12年)901. 5)文化財建造物保存技術協会編 :眼鏡橋保存修理工事報告書 (長 崎市,1984)14.
6)長崎市役所編 :長崎市史 (地誌編名所 旧跡部) (長崎市役所,昭和12年)262. 7) 西 日本新聞社 :西 日本新聞2001年9月18日付 ・長 崎県版長崎県南 ニ ュース,30面 .
8)長崎県教育委員会編 :長 崎県文化 財調査報告書 ・長崎県 の近世社寺建築 (長 崎県教育委員会, 昭和61
年)16.
9)小森定行 :本河内村 の史跡 (昭和堂 印刷,1995)360. 10) 石崎融思 :石橋架設之 図 (文政年 間),長崎市立博物館蔵 ll) 朝 日新 聞社編 :日本科学技術史 (朝 日新聞社,1962)655.
12) 山口祐造 :石橋 は生 きて い る (葦書房,平成 7年)272.