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-41- ラモーの《遍歴騎士≫-パリ・オペラ座における喜劇の試み

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ラモーの《遍歴騎士≫‑パリ・オペラ座における喜劇の試み

はじめに

モリエールやマリヴォ‑など、偉大な台本作家を生み 出したフランス喜劇の伝統は、オペラにおいても引き継 がれているに違いない。たとえば今日、世に広く知られ ているオッフェンバックOffenbachのフランス・オペ ラ・ブ‑フなども、オペラ座の重要なレパートリーの一 つである。しかし、悲劇と対等にオペラ座で上演される

‑ジャンルとして、喜劇による音楽劇が容易に認められ たわけではない。

フランス・バロックの作曲家として名高いジャン‑

フィリップ・ラモーJean‑Philippe Rameau (1683‑1764) は、リュリが創始したフランス・バロック・オペラの後 継者とされた。彼はデイジョンに生まれ、 18世紀中期の パリを舞台に活躍し、フランス革命という激動の時代を 迎える前にこの世を去った。彼は二つの喜劇によるオペ ラ《プラテPlatee≫ (1745) 《遍歴騎士Les Paladins≫ (1760) を残しているが、後者は前者と比べてそれほど評価され ずに消え去った。

本稿では、まさにブッフォン論争LaQuerelledes Bouffons (1752‑1754)の後に書かれたラモー晩年の作

《遍歴騎士》 とその周辺を、当時イタリア的書法として 流行した形式‑アリエツトane仕e一を鍵に考察する。イ タリア・オペラ・ブッフアの影響下にある当時のフラン スの音楽喜劇が、正統なオペラとして認められていく一 つの出発点として、この作品の意義を明らかにしたい。

1.フランス喜劇オペラ(1)の背景 18世紀中期までの状況

喜劇と音楽の融合は、実はフランス・バロック・オペ ラ(トラジェデイ・リリックtragedielyrique)が創造 される前から行われていた。宮廷ではバレ・ド・クー ルの伝統を引き継いだコメディエバレcomedie‑balletと いうジャンルが大変に好まれ、 1661年から1672年まで の間創作され続けた。これはモリエールMoliとreの台 本にリュリLullyが音楽をつけたもので、せりふと音楽 を交互に繰り返していく形をとる。宮廷の祝祭として の機能を兼ね備えているため、デイヴェルテイスマン divertissementという、ダンスが寄せ集められた部分を 必ず伴い、これはオペラにも引き継がれた。その華やか さによって、この音楽入り喜劇は皮肉な笑いだけでなく、

喜びとしての笑いをも表現することが出来た(2)。

コメディエバレの時代はトラジェデイ・リリックへの 実験段階であり、またこのジャンルは将来のオペラ・コ ミックへの足がかりになったと言われるほど(3)、後世

森   佳 子

に大きな影響を与えた。しかしリュリとモリエールの仲 違いにより、コメディ‑バレの時代は終幕を迎ええるこ とになる。モリエール最後のコメディ‑バレ《気で病 む男LeMaladeimaginaire≫ (1673)はシャルパンティ エCharpentierが作曲を担当した.リュリは法令(ordon‑

nance)によってその後も周囲に圧力をかけ続け(4)、トラ ジェデイ・リリックに専念した。

こうして悲劇は喜劇に取って代わったが、リュリが喜 劇的場面で培った手法がすぐに途絶えてしまうことは なかった。とくに、リュリの初期に書かれたトラジェ デイ・リリック 《カドミュスとエルミオーヌCadmuset Hermione≫ (1673) 《アルセストAlceste≫ (1674)は、コ メディ‑バレに似た喜劇的場面を含んでいる(5)。

ともかく、この一連の出来事は結果的に̀フランス劇場 界を大きく変えることになった。パリ・オペラ座は自ら の領分を守り続け(6)、音楽劇とそれ以外の劇、あるいは 悲劇と喜劇は別々のジャンルとして独立性を高めること

になる。

ところで宮廷の外では、オペラ・コミックopera comiqueというジャンルが芽生えていた。しかし、この オペラ・コミックの成立ち自体は単純なものではない。

これはヴオードヴイル、オペラのパロディなどが、コメ ディ・イタリエンヌと呼ばれるコンメディア・デッラル テの系統を引くイタリア人の一団によって演奏されたの が始まりであったという。周知のとおり、 1680年には このイタリア人の劇団に対抗するかのようにコメディ‑

フランセ‑ズが誕生し、パリには活気が生まれた。しか し1696年に、マントノン夫人を邦旅した《にせ淑女h FaussePrude≫上演が原因で、イタリア人たちは王に追 放された(7)その一方、パリの定期市Foireの劇場でも 庶民的な音楽芝居が行われており、とくにサン‑ジェル マンSaint‑Germainとサン‑ローランSaint‑Lourentの二 つは有名であった。イタリア人一座が追放された後、彼 らのレパートリーはここに取り入れられ、 1715年にはオ ペラ・コミック座OperaComiqueを名乗ることになる。

しかし、放縦なオルレアン公フィリップの摂政時代にな ると、再び新しいイタリア人の一座が招かれた。フラン ス人作曲家ムレMouretは、 1718年よりこの劇団のため に仕事を続け、フランス語による作品を書いた(8)。こ のような背景があって、オペラ座の悲劇オペラとは全く 違った、フランス劇音楽のレパートリーが発展していく。

18世紀後期一ラモーとブッフォン論争

このように18世紀前半という時代は、フランスの喜 劇オペラが発展していく土壌としてすでに十分なもので

(2)

あった。そして18世紀中ごろになると、啓蒙思想の芽 生えによる新しい「自然観」が、さらに大きな変革を与 えていく。

1752年に画期的出来事が起こる。ペルゴレージ Pergolesi (1710‑1736)の《奥様女中La serva padrona≫

上演が、パリの人びとを興奮の渦に巻き込んだ。これは かのブッフォン論争の火付け役となったが、ラモーはそ の犠牲者であった。 17世紀より、フランス音楽とイタリ ア音楽のどちらが優れているかという議論は際限なくさ れていた。そしてこの事件により、オペラにおいてイタ リア音楽がいかに貢献しうるかということを証明しよう と、多くの理論家が挑戦した。しかしながら、そこには 矛盾した一面が含まれていた。百科全書派などの理論家 たちは、イタリアの喜劇、しかもインテルメッゾと呼ば れる軽い幕間劇とフランスの正統的な悲劇オペラを比べ る方法を用いて、これを正当化しようとしたのである。

このブッフォン論争期にラモーは旧勢力のフランス派 として、百科全書派などに強く批判される。例えばデイ ドロDiderot (1713‑1784)とグリムGrimm (1723‑1807) は最初ラモーを支持していたが、後に二人とも強烈な批 判に転じた。とくに、ラモーの音楽的特徴である「パピ ヨタ‑ジューちらつき、まぶしさ、けばけばしさ」(9)が 非難の対象となった。彼らは旋律重視の考えを示し、和 声は単純であるべきだと考えたため、ラモーの和声にお けるパピヨタ‑ジュ的な対比の方法、不協和音の使い方 を支持出来なかった。たとえば、ある感情表現が継続し て表現されると、それは全く対立した感情によってはね 返される。その後、内なる強迫観念はますます強くなる。

彼らは、その高まる感情の動揺を落ち着かせるためには、

音楽を構成する上で音の色彩が感情の内なるダイナミズ ムよりも目立ってはいけないと考えた(10)

フランス、イタリア、トラジック、コミック

むろん、思想家たちの意見が必ずしも客観性を維持し ていたとは言いがたい。すなわち、この批判は純粋に美 学的な見地によるだけでなく、王の音楽アカデミー、つ まり貴族主義の理想に対する反撃でもあった(ll)。実際、

オペラ座で上演される悲劇オペラは、次々に中傷されて いったのである(12)そしてこのことは、逆らいがたい大 きな時代の流れを作っていった。もはや、リュリからの 伝統をそのまま引き継いでいくことは不可能になった。

そして、ただイタリアから喜劇作品を導入するだけでな く、悲劇オペラにおいても次の時代を担う新機軸を打ち 出さなくてはならなかった。

その最初の成功者は、オペラ・コミック座で活躍して いたフイリドールPhilidor (1726‑1795)であったo彼の トラジェデイ・リリック 《エルヌランドErnelinde》 は 1767年にオペラ座で初演されたが、啓蒙思想家たちが 支持したイタリア音楽をフランスの悲劇オペラに挿入す ることに成功した最初の作品と言われる(13) 《遍歴騎士≫

の七年後に上演されたこの作品は、たしかにブッフォン 論争をきっかけに、未来のフランス・オペラに道筋をつ

けるための一つの回答となった。そしてそれは、確実に グルックGluckの手によって引き継がれた。だがそれは、

喜劇的なエッセンスとは無関係に、単にイタリア音楽の 技法を悲劇に当てはめたものには違いない。

《エルヌランド≫ を絶賛したデイドロは著作『ラモー の甥LeNeveudeRameau』の中で、ペルゴレージ、

ドゥ‑ニDuni、フイリドールのコミック作品から引用 して説明を試みているが、彼の関心はやはり悲劇オペラ にあったことを思わせる記述が多い(14)。デイドロが待ち 望んでいたのは、おそらく旋律の美しい、新しいフラン スの悲劇オペラであった。しかし彼は、喜劇的エッセン スを中心軸に据え、フランスの悲劇オペラとイタリア・

オペラ・ブッフアの要素を上手く組み合わせた劇音楽の 創造には関心がなかったのだろうか。

2. 「イタリア的」を表現する形式‑アリエツト エールとアリエツト

18世紀中期の思想的転換期において、具体的に実際の 作品の中でイタリアの強い影響はどこに現れたのだろう か。まず第‑に目を向けたいのは、フランス・オペラの 特徴とされるエールに代わって使われるようになった、

アリエツトの存在である。

バレ・ド・クールとコメディ‑バレからの伝統を引き 継ぐエールは、レシタティフとともにソロで歌う形式と して重要な役割を果たしている。エールはイタリア・オ ペラで言えばアリアにあたるものだが、その多くは二部 形式か単純なロンド形式で出来ており、むろんダ・カー ポ・アリアとは全く違う。

マソンMassonによると、リュリからグルックまで のフランス・オペラにおけるエールは、四種類のカテ ゴリー‑会話のエールl'airdu dialo劉le、独自のエール Ie monologue、格言のエール1'air‑maxime、歌われる舞 曲Ia danse chantee‑に分かれるという(15)。会話のエー ルはレシタティフの中に混ざる形で使用されることが多 く、物語の進行を中心になって担う。独自のエールはそ れよりも静的な性格を持ち、深い感情を表現する役割を 果たす。 「歌手は一人で、自分に向かって語りかける」 (ル ソー)のである。ここではただ一つの感情が表現され、

オーケストラ伴奏を伴うことが多い。形式的な面を除け ば、これは機能的にイタリア式のアリアに近い(16)。格言 のエールとは、一般的なことがらや客観的事実を表現す るもので、たいていは脇役によって歌われる。歌われる 舞曲はデイヴェルテイスマンの中に挿入されており、舞 曲のリズムによって構成されている。これは中でももっ とも華やかな、歌を伴う婚礼のシーンなどでよく使われ る。

ラモー以前のエールの大部分はリュリの伝統に従い、

前述したような単純な形式であった。しかし、次第に歌 がより表現豊かになり、より広い音域を網羅するように なっていくと、単に音楽的理由でテキストの断片を繰り 返すといった手法もめずらしくなくなっていった。こう してフランス版ダ・カーポ・アリアであるアリエツト

(3)

は、次第にデイヴェルテイスマンの中に現れてくるよう になり、装飾的な役割を果たす重要な手法となった。そ して作曲家は、今までのフランスになかったヴイルトウ オジテを重視した書法で、これらを書くようになった(17)。

むろん、当時大きく発展したオペラ・コミックでもこの 書法は使われていた。

18世紀中期におけるアリエツトの定義

アリエツトは、イタリア語のアリエッタ(小さいアリ ア)から来た言葉である。 1703年にプロツサールBros‑

sardは『音楽事典Dictionnaire de musique』の中で、 「小 さいアリア」あるいは「イタリアのエール」と定義した。

むろん彼は、フランス・オペラ特有のアリエツトとして の認識はなかった。 18世紀中期になってフランス式アリ エツトが定着すると同時に、その正しい定義づけが行わ れるようになった。マルモンテルMarmontel (1723‑1799) は「この用語は私たちの言語において新しいものである」

と述べた(18)。

当時の理論家たちはさまざまなアリエツトの定義を述 べたが(19)、形式というよりは性格的な面で一つの傾向が あった。彼らの定義にはしばしば、 「陽気で目立ったgai etmarqueJ 「legerte軽さ」 「vif軽快な」などという言 葉が見られる。おそらく、彼らの漠然とした印象は同じ ようなものであった。形式に関しては、たとえばルソー Rousseau (1712‑1778)は「アリエツトとは、一般に認 められたロンドである」 「ロンドは二回、それ以上の繰 り返しのあるエールの一種である。その形式とは、二回 目の繰り返しが終わった後に最初‑戻るものである。こ のように続け、いつも始まりと同じ最初の繰り返しをし て終わる」と述べた。彼によれば、エールは小さいもの (petitsairs)と大きいもの(grandsairs)に分かれ、前 者の形式はAABBであるが後者はABAあるいはABACA であり、その中でも陽気な性格のものをアリエツトと呼 ぶのだという(20)。またマルモンテルは、エールを「単純 で自然」とし、アリエツトを「輝かしい」として区別し た(21)

アリエツトの特徴と思われる「旋転‑くるくるとめぐ ること」あるいは言葉の繰り返しは、理論家の間で論争 の種になった。ヌガレNougaretやマルモンテルは「旋転」

を不自然として否定的であったが、ルソーやオペラ・コ ミックの代表的作曲家グレトリGretry (1741‑1813)は これを支持した。ルソーによれば、それは「悲しく情熱 的な歌」の中では使われないものであり、またグレトリ によれば、それは登場人物によって使われ、しかも決ま

りきっているのだという。言葉の繰り返しについても、

シャステリュ‑ Chastelluxやヌガレはこれを否定したも のの、グレトリは喜劇的な状況を作る手段として必要で あるとした(22)

アリエツトの是非はともかく、この形式が喜劇的な雰 囲気を醸し出すためのものであり、何回も同じモチーフ や単語を繰り返すものであるという認識は、当時の人び

との間でほぼ一致したものであったと思われる。

ラモーのアリエツト

前述したとおり、非難するにしろ賞賛するにしろ、同 世代人はみなアリエツトに興味を示したが、ラモーはこ の形式をフランス・オペラに走着させるように貢献した 一人である。そして、リュリとラモーの最も大きな違い がこのアリエツトに現れているのである。

しかしアリエツトの使用は、当時はまだかなり限定さ れたものであった。イタリア・オペラにおいて、場の最 後に存在する大きなアリアはドラマティックな機能を持 ち、主役の心の状態を表現する。そして彼らの歌は、そ の場の状況をまとめる役割を果たすのである。一方フラ ンス・オペラのアリエツトは、形式的にはイタリアのア リアと似ているものの、普通はデイヴェルテイスマンの 中でしか見られない。つまり、筋の進行に直接かかわる ものではなく、歌詞自体もドラマティックではない。つ まり、ドラマにとっては「快いアクセサリー」でしかな

い(23)○

これには、リュリ以来フランス人たちが固く守ってき た伝統的な理由がある。マルモンテルは「私たちフラン ス人は、すべての歌詞を主題と一致させたがり、すべて の音楽を歌詞と一致させたがります。すべての美は、あ えて言えば、調和を壊し不足を招きます。私たちは、舞 台音楽が遅れることなく筋の展開を速め、加熟させるこ とを望みます。また、歌手がその声を輝かしたり、音楽 家がその才能をひけらかしたりするのに満足するよりも、

歌手が演技することを期待します。私たちは、場の途中 や終わりの陽気なエールに耐えられないでしょう。です から、私たちはアリエツトをデイヴェルテイスマンの中 に置くことにします」と語る(24)。つまりフランスでは、

音楽的な展開を優先したヴイルトウオジテ的な広がりを 持つアリエツトは、ドラマ的な展開が集中している部分 から追放されるべきであるから、デイヴェルテイスマン の中に挿入されかナればならないというものである。

アリエツトの歌詞は、通常、一つ以上のヴオカリ‑ズ による単語を含んでいる。たとえばラモーにおいて、 (餐 はL'Amour) 「飛ぶvoleJ 「支配するregneJ 「勝利する triompheJ 「心を束縛するenchaine les cceursJ 「矢を放 つIancesestraites」などによく見られる(25)。このヴオカ

リ‑ズという手法は、おそらく器楽音楽を理想として、

それを声に当てはめたものである。その他音楽的な見 せ場を作る方法として、前述したように、同じフレーズ を繰り返したり母音を長く引き伸ばしたりする特徴があ る。また、この形式で善くにあたり、ラモーは二種類の イタリア式アリアースカルラッティとペルゴレージーを 模倣したという。前者は音楽が流麗で表現や書法がより 繊細だが、後者はより速めで、単純かつ純粋にメロディ 重視の傾向を持ち、ラモー晩年の作品によく見られると いう(26)。

3. 《遍歴騎士≫について 歴史的位置と上演について

《遍歴騎士LesPaladins≫ (コメディ・リリックco‑

(4)

medielyrique) (27)は、 1760年にパリ・オペラ座で上演さ れた。当時、上演は15回に及んだが、結局その後再演 されることはなかった。この作品が再び世に現れたのは 20世紀になってからである(28)。

この《遍歴騎士》にさかのぼること15年、ラモーはす でにイタリア的要素を持つと言われる 《プラテ≫ を書い ていた。またグレトリによれば、ラモーは「もし30才若 かったら、ペルゴレージを模範としてイタリア‑行った だろうに」と語ったという(29)しかしブッフォン論争が 起きると、ラモーの立場はおそらく彼自身が予期しない ものになっていった。論争と関わらないという姿勢を示 したにもかかわらず、前述したとおり、彼はフランス的 伝統の象徴として見なされた。おそらくこの《遍歴騎士≫

は、論争に対する彼の答えの一つでもある。

結局、この作品は成功したとは言えなかった。たとえ ば、メルキュール・ド・フランスには「このバレエで もっとも非難されたのは、セリユーseneux まじめな) とコミックcomique 滑稽な)の混交である・・・‑」と書 かれた(30)。おそらく 《プラテ≫と比較して、この喜劇の 性格が当時のフランス人の趣味にとって少し弱すぎたと いう批判があったことが想像される(31)また、デイドロ がこの作品についてふれた文章は見当たらないが、グリ ムはこれを厳しく批判した。彼は ト‑・これは失敗に終 わり、作曲家の名を定めた。 ‑中略‑どんな新聞でもラ モーの名とヨーロッパーの音楽家という呼称は同義語で あるのは確かかもしれない。しかし私は、この地球‑と 言われる音楽家のすべての作品より、ハツセやブラネッ ロのアリアの方が好きである」と述べた(32)。また、こ の作品の第三幕では中国式の庭が登場して、デイヴェル テイスマンがメルヴェイユーの要素を伴って形成される が、これは当時の観客に少し困惑を生じさせたようだ(33)

ドゥクロワDecroixはこの作品の詩は「冗談にしか過ぎ ない」もので、 「音楽は耐えられないほど退屈」(34)など と述べた。またコレColleは、 「最低限の舞台芸術への 配慮もなく、詩を作ることも出来なかった男の手によっ て創造された」(35)などと批判した。ドゥクロワはこれを 76才の老人が作ったと知り驚いたというが、たしかに人 びとは、ラモーの衰えを感じていたのかもしれない。そ れでも、この作品の音楽の美しさを挙げればきりがない が、マソンによればメロディやスタイルにおける単純さ があちらこちらに見られるという(36)。

このように作品自体‑の批判は多かったが、上演その ものは好意的に受け入れられた。たとえば、メルキュー ル・ド・フランスには「ネリーヌ役とオルカン役である、

ルミュール嬢とラリヴェ氏は、歌も演技も素晴らしかっ た」と書かれ、アルジー役を演じた女性歌手、リヴイエー ルと名高いアルヌーArnouldについても誉め言葉を惜し まなかった。またここでは、トロバトウールや中国の踊 りを踊ったダンサーにもふれ、好意的な評価を下してい る(37)。

台本について

台本作者は不明であるが(38)、物語は中世のヴェニス を舞台としたラ.フォンテーヌLaFontaineの寓話(39)か らアイディアを得ている。また、性格的にはモリエール の作品と共通性があり、 1661年に初漬された彼の『亭 主の学校L'丘cole des maris』の筋立てと酷似している部 分がある(40)。またラシーヌやコルネイユ、あるいはマリ

ヴオーMarivaux(41) (1688‑1763)らによって引き継がれて きた、ヒーローとその腹心を登場させるという伝統的な 方法が使われている。つまりこの台本は、フランス演劇 の伝統を踏襲したものであると言える。以下にあらすじ

を紹介する。

第一幕:アルジーArgieは侍女のネリーヌNerineと ともに、後見人である年老いた上院議貞アンセルム Anselmeの城に閉じ込められ、オルカンOrcanに見張ら れている。アンセルムはアルジーと結婚したいが、彼女 は若い遍歴騎士アテイスAtisを愛している。アテイスは 巡礼者になりすまして、仲間とともに彼女のもと‑たど

り着く。オルカンはこの偽の巡礼者たちとの戦いに屈し、

無理やり仲間入りさせられる。

第二幕'・アンセルムはアルジーを取り戻す準備をして いる。オルカンは巡礼者の新しい衣装をまとって現れる。

アンセルムはオルカンに剣と毒を与え、アルジーを殺す ように命じる。悪だくみはネリーヌによって発覚し、彼 女はオルカンに愛を語るふりをしてこれを阻止する。怒 りに満ちた遍歴騎士たちが現れ、オルカンを脅かして武 器を押収する。

第三幕:アンセルムの部下たちは城の壁を破って侵入 する準備をしていたが、突然だれもいなくなり、オルカ ンも去ってしまう。突然中国式の庭が現れる。妖精マン トが奴隷の姿で現れ、パゴド(動く人形)の踊りの最中 にアンセルム‑の愛を告白する。突然アルジーがやって 来て、怒った様子をしてアンセルムの良心のなさを答め、

参らせる。お詫びのしるLにアンセルムはアルジーとの 結婚をあきらめ、マントによってア)レジ‑はアテイスと 結ばれる。

分析‑アリエツトとエールを中心に(42)

全体の構成はプロローグなしの三幕で、通常のオペラ と同じくレシタティフとエール、デュオを中心に物語は 進むが、その中に前述したアリエツトが混ざっている。

また、フランスの伝統に従い、ところどころに合唱が入 り、各幕のデイヴェルテイスマンがかなりの割合で配置 されている。

前章において、18世紀中期における「イタリアらしさ」

を表現する音楽的手段としてのアリエツトの存在にふれ た。ここでは《遍歴騎士》の喜劇性とイタリア的なもの との接点を探るため、この作品に含まれる七つのアリ エツトを中心に分析を行う。方法としてはドラマの前後 関係を追いながら、ソロの部分を担うアリエツトとエー ルが果たす機能的な役割を考察する(表を参照のこと)。

《遍歴騎士≫の七つのアリエツトの内、三つはデイヴェ

(5)

ルテイスマンの中に挿入されていない。これらは、多か れ少なかれドラマに関与するものである。まず、第一幕 1場でアルジーの侍女ネリーヌが歌う「繊細でなく気ま ぐれな恋人は」 (表‑アリエツトの①)は、彼女の初め ての登場を表し、またアルジーを慰めるという意味を持 つ。そして、第二幕7場で同じくネリーヌが歌う「なん というため息でしょう」 (秦‑③) (語例1)はオルカン を編す場面であり、コミックとして一つのクライマック スを作っている。これは、アリエツトの軽さと滑稽さが 筋の中で生かされている例であろう。第三幕2場、妖精 マントの「恋人たちの春よ」 (秦‑⑥) (語例2)は、こ の物語中唯一人間ではない妖精が歌う初めての歌であ る。これは彼女(?)の登場をアンセルムに対してアピー ルする歌であるが、この後現実から離れたメルヴェイ ユーが次々と展開されていく。

その他四つのアリエツトは、テざィヴェルテイスマンの 中に挿入されている。第一幕5場、アテイスの「逃げろ、

恋人たちよ」 (秦‑②) (語例3)は彼の登場を示す歌で あるが、それほど長いものではなく、内容的にはドラマ の筋に関与している。しかし他の三つは筋の進行に貢献 する要素は少なく、装飾的な効果の方がより大きい。第 二幕最後の二つのアリエツト「私は飛んでいく、愛よ」

(アルジー) (秦.‑(杏) 「ひらひらと飛ぶためには」 (ネリー

表1 ≪遍歴騎士≫におけるエールとアリエツトの分析

メ) (表‑⑤) (語例4)は、恋人たちの再会を祝う喜びの 歌であり、筋には直接関与しない。第三幕最後の大デイ ヴェルテイスマンに挿入されている「愛よ、お前の勝利 の矢を投げておくれ」 (アテイス) (衣‑⑦)も愛の勝利 の素晴らしさを歌うもので、むろん装飾的な役割を果た

している。

一方、ほとんどのエールはむろんアリエツトよりも短 いが、やはりデイヴェルテイスマンから離れているもの と、その中に挿入されているものに分かれる。前者の エールの中で機能的にイタリアの影響を受け、かつ特徴 的だと思われるのは、第二幕におけるアンセルムとオル カンのエールであろう。ここは、このオペラにおいて非 常に大きな劇的進行に関与する部分であり、感情描写を 音楽で巧みに表現している。アンセルムはアルジーに怒

り、復讐しようと剣を取り出す.彼の気持ちは4場のエー ル・ド・モノローグにおいて、ヴァイオリンの≡連符の 連続などによって激しく表現される(秦‑エールの①)

(語例5)。その後アルジーを殺すことを託されたオルカ ンは恐怖心にかられるが、 6場のエールにおいて、頻繁 にテンポを変える形で彼の不安な気持ちが表現される。

ここでは深刻な感情描写が音楽の力を借りて長々と行わ れ、大きなクライマックスを形成する部分となる(表‑

エールの②) (譜例6)。

エ ール とア リエ ツ ト 歌 詞お よび ドラマ の状況 音 楽の特 徴

1 場

* エー ル (アル ジー) (ヘ短調 4/ 4) 「 寂 しい 日々 よ T ri ste seiou r」 ア ル ジ ー 前 奏 の後 に入 る le nt ゆ っ く りと) で、

が 恋人 の不 在 を嘆 く○ 物 憂 い感 じで歌 わ れ る○

「繊 細 で な く気 ま ぐれ な恋 人 は L 'am an t, レ シ夕テ ィフを は さんで、 長調 で歌 わ れ ( ト長 調 3/ 4

3 場

* エー ル (ネ リー ヌ) (ヘ 長調 3′4 )

1 +%

* エ ー ル A ir gai ( ネ リ ー ヌ ) ( ト長 調

pe u sen sib le et v olag e 」 侍 女 ネ リー ヌが る cou rag e (勇気 ) とい う言 葉 に長 い アル ジー を慰 め る0

「 まあ ! あん たは 、 ど うや っ て好 きに な

ヴ オカ リーズ が付 く○

オ ル カ ン との 短い レシ 夕テ ィフの後 、 テ れ とい うの E h ! C om m en t veu x ‑tu qu e

l'on aim e ?」 見 張 り役 オ ル カ ンに ネ リー ヌはつ らい 日々 を訴 え る○

「E st‑ilb eau com m e le jou r? 彼 は太 陽の よ

ンポ を緩 めず に歌 われ る○

アル ジー との レシ 夕テ ィフの後 、 八 分休 6/ 8

* エ ー ル g ai et m esure (ネ リー ヌ) (ホ■

う に素 敵 か しら ? 」 ネ リー ヌ はア ルジ ー 符 を多 く使 った、 語 りか ける よ うな リズ に巡礼 者 に変装 した アテ イス の到 着 を予 ム で陽 気 に歌 わ れ る0 rep an dre ( ま きち 告 す る○ しか し信 じて もらえず 、 そ れ は らす ) に、 八分 音符 に よる技 巧 的 なヴ オ■

ア ンセル ムだ と言 い張 るの で、 彼 女 は皮 肉 を込 め て歌 う0

「幸 福 の 瞬 間 よ U n in stant d e felicite」 ネ

カ リー ズが付 く○

前 のエ ール に続 け て歌 われ 、 メヌエ ッ ト 短調 3′2 J 4 ′4 )

5 場

リ ー ヌ は ア テ イス の 到 着 を告 げ、 ア ル に 変 わ る0 わず か数 小 節 で 次 の レ シ 夕 ジー を励 ます○

「逃 げろ、 恋人 た ち よ A ccou rez ,am an ts,」

テ ィフ に入 る○ (独 立 したエ ー ル とい う よ りは 、 次へ の橋 渡 し的 部分 であ る)

テ ンポ は速 く陽気 に歌 われ 、 5 場 全 体 に 棚 琵(ハ長 調 6′8) (語例 3 ) 巡 礼 者 に変 装 した遍 歴 騎 士 の入 場 の 後 、 及 ぶ大 デ イ ヴ エル テ イス マ ンが始 ま る○

そ の 中 に混 じった ア テ イス が現 われ る○ p ele rin ag e 巡 礼 ) に ヴ オカ リーズ が 付

(6)

*エールAirunpeugaiettendre アテイ ス) (変ロ長調3/4)

6場

*エール(オルカン) (イ短調3/4)

3場

*エール(アンセルム) (ハ長調4/4)

4場

・・ ・㌧Airdi‑nunulu岩inl  "‑ ': ∴

(ハ長調4/4) (語例5)

(変イ長調4/4) (語例6)

(変ロ長調3/4) (語例1)

8場

*エールAirdefurie オルカン) (ト長 調4/4)

*エールDeuxiとme Air de furie (悪魔) (ト短調6/8)

9場

*エール(アテイス) (ト長調3/4)

彼はアルジーを政おうとする。

「愛の法に従うときQuand sous l'amou‑

reuseloi,」アテイスはアルジーに自分だ と打ち明け、愛を確かめ合う。

「恐くて死にそうだJemeursdepeur」

オルカンはアテイスに許しを請い、その 後巡礼者の仲間入りさせられる。

「謀ったな、裏切りものめ! Vousmedi‑

tiez,perfide! 」アンセルムはアルジーの 裏切りを責める。

「これがその剣だC'estce poignard,」ア ンセルムは剣を取り出し、アルジーを殺 すことを決心する。

「おれ自身で復讐するぞJe puis done me vengermoi‑meme,」アンセルムにアル ジーを刺すための剣を渡され、オルカン は自分で復讐することを誓う。

「なんというため息でしょうC'esttrop so也pirer,」ネリーヌはオルカンを怪しん で、彼を欺こうと近づく。

「何の音だ! QuelbruitH遍歴騎士たち は激怒して悪魔の姿でオルカンに向かっ

" >‑ ¥ '<0.

「我こそは怒りであるJe suislefurie」遍 歴騎士が変装した悪魔が現れ、オルカン を脅かす。

「もっと甘美な運命を待とうEsperons un destin plus doux」オルカンが罰せら

く。アリエツトとしてはそれほど長くな OK

前のアリエツトの後、ガヴォットが入 り、その後に挿入される。少し陽気かつ 穏やかに歌われる。その後またガヴォッ

トに戻る。

6場に入る前にBruitdeguerre (戦い の音)が挿入され、弦楽器で激しい連打 のモチーフが奏される。それに続くこの エールは短いが和声の変化に富み、緊張 感がある。続けてアテイスとオルカンの 二重唱、ダンスが続き、再び大きなデイ ヴェルテイスマンを作る。

アルジーとのレシタティフの後に歌わ れ、単純で滑稽な印象を与える。再びア ルジーとの会話のレシタティフが続く。

アルジーが去った後、アンセルムの心を 表すような三連符のモチーフがヴァイオ リンで演奏され、それに重ねて歌われ る。続けてオルカンとのレシタティフに 入る。

弦楽器の低音部による連打でオルカンの 恐怖心を表現した後に歌われる。レシタ ティフから入り、その後4拍子になり (lent)、気持ちの動揺に応じIent (ゆっ くり)vite (速く)を繰り返す。途中16 分音符の連打を繰り返し恐怖心を表す。

Vengeance (復讐)に長いヴオカリ‑ズ が付く。 「私は震えているTefremis」で、

伴奏も一緒に弦楽器の16分音符による 長い連打を行う。

前のエールに続けて、優雅に歌われる。

flamme (衣)にヴオカリ‑ズが付き、

ardeur 熱情)が長い音符で引き伸ばさ れる。続けてレシタティフの後、オルカ ンとの二重唱になる。

突然嵐のような雰囲気の、弦楽器の16 分音符による連打が始まり、それを伴奏 に歌われる。歌は数小節で終わり、また ヴァイオリンの演奏に戻って連打が続 く。続いてアテイスと合唱による戦いの 場面に入る。

器楽による長い前奏が、速く快活に演奏 された後、歌が入る。その後また器楽の 部分を繰り返す。

前のレシタティフに続けてそのまま歌わ れる。

(7)

*エール(アテイス) (ニ長調4/4)

i二⊥ ・・ ̲」 ・\rii‑iii‑Iciiii‑  .一二: ・

(ニ長調3/4)

10場

・ 1蝣'' . * 二・\rii‑iifln、→JSl><"I'1、・・L・l

鵬(ニ長調3/4) (譜例4)

1場

*エールAirdemonologue (アンセルム) (イ長調4/4)

2場

Arii‑Hi蝣g:iy.    変

ロ長調3/4) (譜例2)

*エール(マント) (ト短調3/4)

3場

*エールAirironique (アルジー) (ト短 調6/8)

*エールAkunpeugai アルジー) (ト 長調4/4)

(ト長調4/4)

れた後、アテイスはアルジーに語りかけ る。

「美の復讐者たちよVengeurs des beau‑

tis」アテイスは遍歴騎士たちに礼を言う。

「私は飛んでいく、愛よJe vole,Amour,」

前の続きで、アルジーの喜びを表すO

「ひらひらと飛ぶためにはPourvoltiger,」

前の続きで、トロヴァトウールと吟遊詩 人たちが入場した後、ネリーヌも喜びを 歌う。

「お前は私の手に落ちるだろうTuvas tomber sous ma puissance,」アンセルム は部下と、城を攻撃する準備をしてい

・o o

「恋人たちの春よLePrintempsdes amants,」突然現われた中国の庭を目に して驚くアンセルムの前に、奴隷の姿を したマントが登場する。

「Detagraviteそなたの重々しさに」マ ントはアンセルム‑の愛を告げる。

「愛に勝つことを知らなくてはIIfaut scavoir vaincre l'amour」アルジーはアン セルムの罪を答める。

「罪は愛することではないLe crime n'est pas d'aimer,」前の続きで歌われるO

「愛よ、お前の勝利の矢を投げておくれ Lance Amour tes traits vainqueurs,」喜び

を表現するアテイスの歌である。

遍歴騎士の入場の後、その雰囲気のま ますぐに入る。後半はCourez 行け) volez (飛べ)にヴオカリ‑ズが付き、

さらにIetriomphe (勝利)で技巧的な ヴオカリ‑ズが付く。そのまま合唱に入 り、大デイヴェルテイスマンが始まる。

テンポはゆっくりであるが、 32分音符 による三度のアルペジオを細かく繰り返 すヴァイオリン伴奏の付いた技巧的な曲 で、vole 飛ぶ)にヴオカリ‑ズが付く。

前に続いて調性も拍子もそのままで入 る。陽気に歌われ、 voltiger (ひらひら と飛ぶ)ramage (小鳥のさえずり)に ヴオカリ‑ズが付く。そのままガヴォッ

トに入る。

弦楽器による付点音符の勇ましい前奏が 入り、歌はいきなり下行型の音階で始ま

り、それは二度繰り返される。途中、弦 楽器の16分音符による連打が入り、興 奮を掻き立てる。そのまま復讐を誓う合 唱に入る。

合唱に続いて、庭が現れる場面は短い歌 で表現され、レシタティフが続き、その 後にこのアリエツトになる。楽しい雰囲 気で、技巧的なヴァイオリン伴奏と共に 歌われる。 volage (気まぐれな)に長く 技巧的なヴオカリ‑ズが付く。

二人の会話に続けてゆっくりと歌われ る。 mengage 私に約束する)に音程 の跳躍を含んだヴオカリ‑ズが付く。そ の後レシタティフをはさみ、ダンス(パ

ゴド人形のエール)に入る。

「皮肉なエール」と名づけられたこの エールは、レシタティフに続いて静かに 歌われる。

短いレシタティフをはさみ、そのまま前 のエールに続いて歌われる。この二つの エールは、一つに見なしてもよい。続け てトリオに入る。

最後を飾る、大デイヴェルテイスマンの 中のアリエツトである。ホルンの入った 勇ましい前奏に続いて陽気に歌われる。

ソロの中で最も長いもので、 lance (投 げる victoire (勝利) gloire (栄光)に

ヴオカリ‑ズが付いて、それも何度か繰 り返される。続いて華やかなコントルダ ンスが始まり、最後まで慣習どおりダン スで締めくくられる。

(8)

考察‑《遍歴騎士≫の喜劇性

《遍歴騎士≫の中心テーマーきらわれている老人が若 い娘と結婚しようとして画策し失敗するという物語は、

誰もが知るとおり、喜劇としては長い伝統の上にある。

またこの種の物語で主人公たちに協力する召使の存在は 大きいが、このオペラも例外ではない。侍女ネリーヌの 出番が非常に多いことからも、それがよく理解出来る。

ラモーがこのオペラに、喜劇の伝統とそのエッセンスを 取り込みたかったのは間違いないであろう。

この物語の三つの幕において、アンセルムとオルカン は三度失敗する。彼らの失敗談はそれぞれ喜劇性を帯び、

完結したものになっている。

まず第一幕の最後で、オルカンは遍歴騎士との戦いに 敗れ仲間入りさせられ、滑稽なデイヴェルテイスマンが 繰り広げられる。これはモリエールのコメディ‑バレ

《町人貴族Le Bourgeois gentilhomme≫や《気で病む男≫

によく似ている。

この三つの幕のうち、第二幕が一番当時の流行にか なった形であったに違いない。おそらく、ここにラモー が意図するブッフォン論争‑の答えの一つがあった。前 述したようにネリーヌのアリエツトは、この形式がドラ マの中に自然に組み込まれた一つの例である。聡明な侍 女が気の小さな男をからかうというのはまさにペルゴ レージを連想させるが、ラモーはここで物語の核とな る喜劇性を当時の趣味に合わせて表現したのだと思われ る。その後遍歴騎士が悪魔に化けてオルカンを脅かし、

これもデイヴェルテイスマンとなって締めくくられる。

そして第三幕では、最後のデイヴェルテイスマンにお いてイタリア・オペラ・ブッフアを思い起こさせるよう な終わり方を試みており、非常に興味深い(43)。まずアン セルムは攻撃を企むものの妖精マントの力で中国式の庭

を見せられ、阻止されてしまう。前述したとおり、第三 幕の不自然さは当時の人びとにとって違和感があったと いうが、この異国趣味的なモチーフは伝統的に喜劇的な 場面で使われていたものである。またここで展開される パゴド人形のダンスは、むろん滑稽感を醸し出すのに必 要なモチーフである。しかしマントのアリエツトは、当 時の観客に滑稽感を演出する意図を感じさせたのだろう か。実際、このアリエツトに続けて歌われるマントの エールは、アンセルムへの愛を告白するという意味を持 つ。ここで彼女(?)が果たす役割は、たとえばオッフェ ンバック 《ホフマン物語Les contes d'Hof:血nann≫のニク ラウスにも似ている。ニクラウスは最後になって超人間 的な存在である自らの正体を明かし、ホフマン‑の愛を 告げて失恋した彼を慰める。ここには皮肉な形で、 「生 身の女性に相手にされない男」という、ある種の「滑稽」

が存在している。 《遍歴騎士≫の場合、その後アンセル ムがアルジーに説教をされることで、その滑稽感はさら に強まるのである。そうした筋の展開の中で、ラモーは

この部分をアリエツトで強調したのだろうが、当時の観 客には理解されなかったのかもしれない。

おわりに

フランスで18世紀中ごろより流行した技巧的なアリ エツトは、オペラの中で軽さあるいは滑稽さを表現する

ために重要な書法であり、エールと違う存在意義を示し ていた。ラモーは≪遍歴騎士≫において、アリエツトを 筋に結びつけその喜劇性を高めようと試みた。しかし、

メルキュール・ド.フランスに「悲劇と喜劇の混交」と 書かれて批判されたように、ペルゴレージのような喜劇 的雰囲気を前面に押し出すことはなかった。たとえば前 述したオルカンのエールは深刻かつドラマティックであ り、次時代のモーツアルトのオペラを予告するかのよう にも思える。しかしその直後に、喜劇的な軽さを持った ネリーヌのアリエツト‑と続くのである。このようにド ラマティックな進行を突然押し留める形で、全く異質な アリエツトという形式を挿入することが、 「悲劇と喜劇 の混交」というイメージを創りあげたのかもしれない。

喜劇をオペラ座の舞台に引き上げたラモーのこの試み は、当時の人びとには理解しにくく、それゆえか《遍歴 騎士≫は消え去ったのだと思われる。しかし現代の我々 から見たこの作品は、当時はっきりと区分されてしまっ

ていた悲劇と喜劇の要素を再び一緒にさせ、技法的には イタリアからヒントを得て、ドラマティックで新しい

「喜劇オペラ」を目指した興味深い一例と言えるのでは なかろうか。

注(1)ここで言う喜劇オペラとは、貴族のための悲劇オペ ラ(トラジェデイ・リリックを含む)に対する、庶 民的で軽い音楽劇全般のことをさす(オペラ・コ ミックを含む)。注27にもあるように、 《遍歴騎士≫

がどのジャンルに含まれるのか厳密に限定すること は不可能である。そのため、あえて「喜劇オペラ」

という用語を使わざるを得ない。

( 2 ) L.Auld, "Lully's Comic Art", Jean‑Baptiste Lully, Laaber: Laaber Verlag, 1990, p.29.

( 3 ) C.Cessac, Marc‑Antoine Charpentier, Paris: Fauard,

1988, p.66.

(4)リュリが取得した特許状によって、数回に渡り歌手 やヴァイオリン奏者の数が制限された。これは、音 楽アカデミー(パリ・オペラ座)以外での音楽劇の 上演を不可能にさせようとするものであった。

(5) Auld,p.17

( 6 ) J.Powell, "Charpentier's Music for Moliとre's le Malade

imaginaire and Its Revisions Journal of the American Musicological Society, 39/1, p.142.

( 7 ) P.vendrix ed. L'Opera‑Comique en France cm 18e

si占cle, Liとge: Mardaga, 1992, p.27.

(8)その最初の作品とは、 LeNaufrage au Porta I'anglais である(J. Anthony, La Musique en France a I'epoque baroque, 1978 / traduction franjais, Paris: Flam‑

marion, 1981, p.207)

( 9 ) M.Hobson, The Object of Art, Cambridge: Cambridge University Press, 1992, p.266.

(10) ibid., p.268.

(9)

(ll) D.Heartz, "Diderot et le theatre lyrique", Revue de musicologie, 1978, p.230.

(12) J.‑E.Doussot, Grimm et la musique d'apres la corre‑

spondance, "LE TEMPS MUSICAL" collection dirigee par Marcelle Benoit, Paris: Zurfluh, 1995, p.46.

(13)レシタティ7.オブリジェ(オヴリガ‑ト・レシ タティーヴ)というイタリア的な技法を、最初に 導入した作品だと言われる。 (J.Rushton, ̀̀Philidor and the Tragedie Lyrique", Musical times, 517, 1976, pp.734‑37を参照)

(14) Heartz, p.246.

(15) p.‑M.Masson, L'Opera de Rame.au, New York: Da Capo Press, 1972, pp.202‑37.

(16)通常、フランス・オペラではエールが場を導くのに 対し、イタリア・オペラでは場がアリアを導くのだ

という。 (An血ony,p.117を参照) (17) ibid.,p.16.

(18) Vendrix, p.261.

(19) J.‑J.Rousseau, (Ariette), Dictionnaire de musique, 1768/ J.‑B.Nougaret, De I'art du theatre en gen占ral, Paris, 1769/ N.‑E.Framery, (tCompte rendul Sur l'union de la poesie et de la musique), Journal de

Musique, 1770/ J.‑F.Marmontel, (Ariette) , Eleme舛tS

de literature, Paris, 1787. (ただし、 Vendrix, p.261‑2 からの引用)

(20) Rousseau, (Rondeau) (Air) , Dictionnaire de musique, 1787.ただし、 Vendrix,p.262からの引用)

(21) Ve∋ndrix, p.263.

(22) iWd., p.264‑5.

(23) Masson, p.231.

(24) Marmontel, Idees sur I'opera, 1764. (ただし、 Masson, p.232からの引用)

(25) Masson, p.232.

(26)その他、ラモーのアリエツトには、前述したエール の一種である歌われる舞曲に似ているものがある。

あるいは逆に、アリエツトのヴオカリ‑ズの特徴が エールの中で使われることもある(Masson,p.235)。

またラモーは、オペラ・コミック座(Foire)のため にもエールを書いており(Vendrixp.66)、彼のエー ルやアリエツトを研究する際にその影響も看過でき

ないであろう。

(27)台本には「コメディ‑バレcomedie‑ballet」とあり、

当時の資料の多くがタイトルにこの用語を使ってい る。しかしMassonは、普通の会話が挿入されるモ リエールとリュリのコメディ‑バレとは形式が異な るとして「コメディ・リリック」という用語を用い ているため(Masson,p.63)、ここではそれに倣った。

28 1967年にリヨンにおいて、 ReneeViollierによって 上演された(RWolf, "Rameau's Les Paladins from autograph to production", Early music 9/4, 1983, p.497

を参照)。

(29) A.Gr&ry, MemoiresI, Paris, 1792. (ただし、 R. Wolf,

"Introduction , Les Paladins, comedie lyrique, Jean‑

Philippe Rameau, French Opera in the 17 and 18"

centuries, vol XL IV, New York: Pendragon Press, 1986, p.43からの引用)

(30) Mercure de France, mars, 1760. (ただし、Wolf, "Intro‑

ductiou", p.44からの引用) (31) Wolf, "Introduction", p.44.

(32) Doussot, p.49.

(33) Masson, p.62.

(34) J.‑J.‑M.Decroix, L'Ami des arts ou Justification de plusieursgrands hommes, 1776.ただし、 Masson, p.62

からの引用)

(35) C. CoWe,Journal etMemories H, 1760.ただし、 Mas‑

son, p.62からの引用) (36) Masson, p.63.

(37) Mercure de France, mars, 1760. (ただし、 Wolf, p.44‑5 からの引用)

(38) BeffaraのDictionnaire alphabetique des auteurs qui ont compose des operas‑balles et autres pieces lyriques pour le theatre de I'Academie Royale de Musiqueによ

ると、台本作者はDuplatdeMonticourtとある。し かし現在、その真偽の問題が浮上しているため、あ えてここでは「不明」としておく。 (Wolf,̀̀Introduc‑

tion", p.38を参照)

(39) Le Petit chien qui secoue de VArgent et des pierreries. (こ

の作品自身、 l'Arioste, Rolandカneuxからの引用で ある[Wolf,p.38を参照])

(40) Wolf, "Introduction", p.38.

41 18世紀前半において、テアトル・イタリアン

′Theatre Mienで最も活躍した一人であるO

(42) 1760年の初演用にRolletが写譜したスコアを復刻 した版(Les Paladins, comedie lyrique, Jean‑Philippe Rameau, French Opera in the 17th and 18 centuries, volXLF , NewYork: Pendragon Press, 1986)を使用。

(43) Wolf, "Introduction", p.38.

(10)

譜例1 ネリーヌ(アリエツト)

LT ES・', J: '.up Sロupi ‑rer,  E Yかォa言Llへ

‑ ←  L'flrJミurうu I,、‑e‑r.

J^Jい‑‑   日   日‑‑‑‑‑=一一日=‑蝣me,

語例2 マント(アリエツト)

譜例3 アテイス(アリエツト)

(JUCLou‑txこ 3JT‑liui5 yer'iei.七pA‑?  蝣アCA,LLTこ /er.ez‑ 醜F由lう‑

略‑ I*

語例4 ネリーヌ(アリエツト)

o」lli  【Lu qtl& 5CK/矩1U cf‑pa.x

語例5 アンセルム(エール)

'嫡柵Jv

語例6 オルカン(エール)

S?ml cWs 〔臼‑JUntl巾与 Iicux, ttH‑‑‑一一]ヒ恒rnTs H‑‑.

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