論 説
ド イ ッ 簿 記 理 論 に お け る 実 在 論 的 視 座
ースガンツィー二理論にみる﹁複式簿記﹂観‑ーi
奥 山 茂
目次
序一問題の所在
二﹁受入(引渡)給付﹂対﹁反対給付﹂
三﹁貨幣﹂・﹁商品﹂概念の援用
四勘定系列・記人規則の.一種
五実在論的﹁複式簿記﹂観ー1結びに代えてf
序
嘗て︑士口田ゼ,︑ナールの大学院研究会における私の報告苧後の歓談の中で︑﹁スガンツィ⊥の簿記理論を採り上げてみてはど.つか﹂との上q田先生の問い掛けに具体的にどのような返答をしたのかは亡心れてしまっ奈・これを採り
上げるΨ﹂とには消極的な反応を示した}﹂とがあった︒とはいえ︑それ以来︑スガンツィ⊥理論の存在が気にかかり・
いつしかこれに沈潜してみたいとの思いが強くなっていた︒この追榎勺への寄稿により︑スガンツィ⊥理論にみ︑り
れる覆式簿起観をここに明らかにする}とを以て︑丁竿年前の先生の問い掛けへの答えとしたい.果たして︑
先生の批判によく堪えることを得るか︒
一問題の所在
会計学において・﹁会計の目的を更に上位の経薪かり規定し︑貸借対昭裟.損益計算翌目︑資産.負債.(諏益.窟
等の本質規定へと・﹂位目的から出発し目的・手段の関係を纏的に辿.て最終的賛体的手段に到達するL方法と
贅産.負債等の奢の検討から始まりくム計の目的の解明へと︑手段か︑b出発し目的.手段の関係を逆に辿.て︑ある
いはその関係を遡って上倍的に到達しよ・つをμ塞との二つの研究方法の存在している▼しとに異霊てる余地
はあるまい・士吊教授によれば斯かる﹁芳法を}とに要約するなりば︑次の如くなる︒即ち︑第一の方法にあって
は・手段(資産責債の本質)を上倍的(企業会計の日的︑更にはその上位禺)か.b轟する︒}しれに対して第.あ方
法にあっては・﹂位目的(企業会計の目的︑更にはその上倍的)を︑手段(資産.負債の本質)かり逆に遡.て解明す(疑・Lそし三かくの如く要約するならば︑ここから︑これ・り.芳法の持つ課題が︑更に}﹂れ,りの互いに全く異なる}﹂
とが明らかとなる・即ち・第一の方法は具体的手段を轟する処に︑第.誇法は上位禺を解明する処に︑それぞ
れ課題のあることが明らかとなる︒﹂
ここで注意すべきは・右の二方法に係る畠教授の次の指摘である︒すなわち︑笙の方法にあ.ては﹁企業会計
の或る特定の目的更にはその上倍的の実現の為の手段の考察提唱が︑端的には企萎計の現実指導.改革が課題
となって境﹂こと・また第二の方法にあっては︑現実の企業会計即ち}しれを構成してい負体的な諸計算法.諸基
79 ドイツ簿 記 理 論 にお け る実在 論 的視 座
準の総てを必要.充分な姦た︑bしめている目的即ち現実の企業会計隻配している目的の解明︑端的には企萎計の現実譜を課題としているL}﹂とである︒吉田教授によれば︑前者は現実がどうであれー望ましいものであれ何で孟ー﹃在るべきもの﹄を問題巳L︑後者は要しいものであれ何であれ・﹃現実の在るが儘のもの﹂を問題にする︒﹂
}﹂れ︑b.万法の.つち何れに与すべきかについては︑贅染婁要しないであへ犯︒た義々がここで留意すべきは次の}﹂とに尺︑きる︒すなわち︑﹁会計学に於いてその理論的探究に専A芯せんとする者には・天の例外もなく・これらの事実(会計学徒にあ︒ては決算表との各数値)の前では︑敬肇までの謙虚さが要求さ恥﹂・この}芝である・この故に・演嚢去数値︑更にはその数値の計算法の観察分析が出発占{で麟L前述の第二の研究方法におていは・﹁この観察.分析に当た.ては︑蕩略種数値及び織の計算法について︑これを欠陥多きものとしてでは弩全きものとして見る謙虚な態度が求められ﹂ねばならぬのである︒
以上の如き方法論上の墓な指摘を手に︑簿記学に専心しようとするならば︑﹁もし・褒籍は不完全であり三式簿記へ拡張する}﹂とができるとい・つ}しとを韮するとしたら︑どういうことをやらなければならないだろ.施Lとい.つが如き問題意識は︑撃﹂}﹂では無縁のものでなければならぬ筈である‑ー尤も︑前述の篁の方法を採る場合
には当然斯かる観点に痴せざるを得ないであろうがー‑︒ここ袋められるべき観点とは・スガンツィ⊥の謹よれば︑﹁嘆簿記の)体系は︑極めて号々り完成された姿で誕生した.あとから付け足されたものは・奢的なものではない︒﹂とする覆式簿記L観に他なりぬ︒更に彼は︑覆式簿記の)体系内のすべてのものが・その目的護
に役立.ているに違いないLと観ており︑複式簿記の体系が特定の目的に対する;の手段であると臥施・とすれば・
スガンツィー二の観点は︑正に我々簿記学徒の依って薯べきものであるといっても導・ではあるまい・畠教授の
⁝
舳
囲
助言︑正鵠を射ていた所以か︒
そのスガンツィよによれば︑複式簿記が単に客観的製のみによって明・りかとなるよ.つな錫であるな.bば︑何
も理論を必要とし腿・つまり︑殊更に我々は︑複式簿記についての﹁理論的説明を必要としない﹂のである︒しか
し・スガンツィ上も述べている如く・実際には覆式籠の)体系の中には一見しただけでは根本的には把握し得
ぬ・それ故に理論的に解明を必要とするものがあると思わ襲Lとすれば︑ここに複式簿記それ自体に関する理論の
必要性が見出されることとなる︒ところが︑彼は既存の簿記理論を吟味した結果として﹁従来の簿記理論は何れも︑
科学的説明に課された任務を満足させるもので幾四との結論に到達したに過ぎなか.た.かくて︑従来の簿記理
論への批判t既存の簿記理論において彼が見出した難点の巖1によ.て動機づけ・りれたスガンツィー二の簿記
理論が誕生することとなったのである︒
このスガンツィ上簿記理論は・自り付した他に例をみない実在論的(塁一ω二ω・ゴ)なる付加語によって︑勘定学説
史上ひときわ異彩を放つが如きもので麓.このこともまた︑充分に我々の興味を惹く理由の;たり得る︒とすれ
ば・ここでの問題は次のことでなければならぬ︒すなわち︑旧来の簿記理論への批判として生まれたスガンツィ上
簿記理論において・覆式簿記とは何であるのかについて︑何処までが明りかにされており(理論的成果は何であり)︑ど
の点について説明が不充分なのか(理論的難点は何であるの鉾を明らかにする}﹂とである.士口田教授によれば︑﹁}しの
問題は・個々の理論・学説を検討することによって︑明らかとなるものである︒甲﹂}﹂に}﹂そ︑簿記学説の研究.所謂
ぬ 勘定学説研究の簿記論上の意味がある︒﹂
かくして・我々はスガンツィ上簿記理論が複式簿記についてどこまでを明りかにしているのかを}﹂ワ﹂に検討すべ
きこととなる︒彼のいう実在論的﹁複式簿記﹂観の下では複式簿記記録の意味は如何に説明され得るのか︒
ドイ ツ簿 記 理 論 にお け る実 在 論 的 視 座 S1
︽注︾
(1)吉田威︑評価論の本質(商経論叢︹神奈川大学︺第一二巻第四号
吉田威︑経営経済的会計の基礎理論︑白桃書房一九九一年︑二二頁︒
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吉田威︑評価論の本質(前掲誌所収)︑
吉田威︑評価論の本質(前掲誌所収)︑
吉田威︑評価論の本質(前掲誌所収)︑
吉田威︑評価論の本質(前掲誌所収)︑
吉田威︑評価論の本質(前掲誌所収)︑
(8)占田威︑評価論の本質(前掲誌所収)︑ 一九七七年一‑一〇二頁所収)︑九ー一〇頁︑および
一〇頁︑および吉田威︑経営経済的会計の基礎理論(前掲)︑一一二頁︒
一〇ー=頁︑および吉田威︑経営経済的会計の基礎理論(前掲)︑二三頁︒
二頁︑および吉田威︑経営経済的会計の基礎理論(前掲)︑二三頁︒
=頁︑および吉田威︑経営経済的会計の基礎理論(前掲)︑二三ー二四頁︒
一一ー一二頁︑および吉田威︑経営経済的会計の基礎理論(前掲)︑二四頁︒
一二頁︑および吉田威︑経営経済的会計の基礎理論(前掲)︑二五頁︒
(9ご﹂}﹂では︑倉地教授に倣い︑第の方法によるものを摺導論L︑箏の方法によるものを﹁説明理論﹂と呼ぶ(倉地幹三・会計学における挑戦のあり方︑(企業会計︑第二五巻充七三年︑七九三‑八〇四頁所収)七九四頁)とすれば・この稽導論Lに就き︑吉田教授は次の如く述べている︒いわく︑摺導論の蘂な震蘂たる﹃演繹﹄に通常考えられている程農力が本当に潜んでいるのか疑わしいのである!操作主義一流の疑問︒即ち︑纏推理の形式を最も端的に表現するものは・定扁 口的三段論法であるが︑そ}﹂に於いて示される演繹的帰結は︑内容的にはそこに於ける大前提に初めから含まれているのである︒演繹推理に於いては論理的な前提に含まれていない内容は決して帰結される筈がないのである・したがって・纏の帰結の
内容竺に前提のそれに依存している▼﹂ととなり︑この前提の出処が要点となる︒この出処こそ説明理論の側にあるのではなかろうかとい,つのが︑操作主垂流の疑問なのであるLと指摘した上で︑呆をはじめ︑米国︑ドイツにおいてさえ摺導論の探究︑即ち現実の指導.改革に携わ薯の多い現在︑指導論の支柱たる﹃纏﹄の本質をじっくり解明して・以て毎論・説明理論が如何なる関係にあるのか︑両者は何処で結びついているのかを明らかにしなければならない・この問題は単に右の如き論理的なものだけでなく︑場A口によ.てはも・と基本的な︑研究課題にも関わるものである︒もし指導論・説明理論が応用塞礎の関係にあるとすれば︑その}﹂とは︑研究課題としてどちらを選択すべきかという問題に影響を与えずにはいない筈であるLとい
う(吉田威・評価論の本質前掲辻曲所収)︑九九∴○○頁︑およびL晶威︑経営経済的会計の基礎理論(前掲)︑一西⊥一
五頁)︒
(Ol)(n)(膿)ωα・餌︒量ON=﹁︒崔藁曼曼・﹃歪一ω爵§ぎ・ユ昏§や℃①岸Φ口ゆ¢︒導9犀=ロ・q二九〇八年ω爵.︒9=①コ︑
七二頁・(なお・邦訳として岡本愛次・尾上忠雄共訳︑スガンチ上覆式簿記の実在論的理論︑有斐閣冗五三年がある︒)
19
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))))))
の理論はシェ⁝ア
N≦Φ学胃o葺①艮ゴΦoユΦ.Nロαq冨8ゴΦ冒Φ国三αqΦσqコロコσq鋤鼠α一Φ︾同げ①搾<oコ=Φ霞コ勺﹁ohωαq印富N一コ一﹃︼鼠Φ﹁Φ9ゆ嵩ω口ω︒5①↓7Φ︒﹁一ΦαΦ附
∪︒℃喜蚤藝轟・(N①冨げきh嵩9ぎ一ε贔第ニハ巻笙号充〇七年︑丁九頁所収)︑特に∵三頁)︒Ψ﹂れに
対し・スガンツィ⊥は更に反論を試みている(ωα・きN葺︒﹄蕊§ユ一暮疑αΦ門ヨ餌一Φ吋一鋤鵠ω江ω︒ゴ︒コ穿①ぎコ8Φ口夢Φ︒門一Φ
(NΦ舅げき貯ゆ=.喜9ぎ轟箋九巻第二号冗一〇年︑二四上→二互頁︑および笙九巻第一毒一九δ年︑
二八二⊥五〇頁所収))︒また︑スガンツィー二とマェア︑ベルリナ∴しd・量Φ円・三との論争の経緯については︑例えばノ
バク(ぎ雲﹀)が言及している(Z︒重﹀甲︒雪︒三酔韓穿9ΦαΦ乙§Φ=Φβじdロ6喜山騨¢富・︑げ︒同¢ぎロhΦ一ロゴΦ菖︒ゴ①ロ
訳8霧琶§(舅陰﹁費嵩§藝旨ひ・第一七巻第四号冗〇八年︑七八‑八六頁所収)︑特に七九人o頁)︒
(2・)ル・マトル(芭︒毎Φ藁.)は︑スガンツィ上理論を物的勘定理論には含めず︑その他の理論の名のドに他の如何な
る理論とも種を異にするものとして位置付けている(翼︒葺Φ噛多ゆ蚤琶喜⁝︒9Φ︒﹃一Φ口2︒匪ω︒臣・編︑田ロα, 井尻雄士︑三式簿記の研究ーi複式簿記の論理的拡張をめざして︑中央経済社一九八四年︑五頁︒
︒・αq鋤︒N員ON霞9︒邑Φゆq藷旨塁寮︒曇↓§膏旨§艮Φロbd⊆6喜鋤==口σq(前掲)︑
ωσqき量ρN霞︒§巳Φαq藷番蕾璽ω︒蚤↓ぎ幕旨§︒Φ#Φコゆ二︒喜ゆぎコ・︑(前掲)︑
誓コ量ON母ぎ琶Φσq塁血Φ幕餌=・・冒蚕↓ぎ旨魯§艮Φコゆ二∩喜固巨コ・,(前掲)︑
︒・αq帥鼠三b冒︒琶亀①ゆ‑塁量歪霧︒琶↓ぎ膏量α§Φ=Φ5しu¢︒喜鋤一言・q(前掲)︑
ωαq雪N一巳響ρN霞O歪賢色Φαqニロひqα頸﹃窪一一ω一一ω︒7Φコ↓げΦoユΦOΦ﹁αo℃やΦ一一①ロゆ¢︒77凶雰¢コαq(前掲)︑
︒・ゆ身ゆ︒N葺ρN︒﹃9§巳Φα・藷︒Φ霞雲.・⁝︒雪↓ぎ幕量α§Φ蚕ゆ¢︒喜働=二口・・(前掲)︑六四.頁︒
(ω07似﹁曽一'司巳)の[日に止まり︑シェーアはこれを酷評している(Qo︒ヨ吋・旨閃・ 五六頁(括弧‑奥山)︒
五七頁(括弧ー奥山)︒
五三︑頁︒
五二頁︒
五ニー五三頁︒
スガンツィー二
N口門く①﹁一Φ一口帥ゆq=コσqαΦ﹁
≦α村けΦ﹁σ億︒70Φ村しdΦ一﹁一︒σ︒︒≦一﹁一︒︒oプ︒沖のε簿αq碧二九二六年︑第二巻︑一四六ー一九八頁所収︺一四六頁)︒また︑マテス
(ζ働茸Φ︒︒甥≦囑)は︑}﹂れを機能的︑勘定理論と特徴付けている(垂鍔多︒‑蚤藝薦善a図︒三2けぎ§︹囚§葛編・国山口α&﹃仲Φ﹃げロ︒こ︒ω幻Φ︒げコ藷ω萎舞︒︒再三留二九七〇年︑ご五四⊥・・八〇頁所収︺三七二頁)・芳・シェー7(望ΦΦ.Φ炉男)は︑}﹂の理論をスコゐン(ぎ蚕き︑ワルプ(≦・冨)の錘論と軌を一にする物的勘定理論として捉
えている(・︒げΦΦ﹃Φき翼・コけ①切導Φ︒﹃一Φ§こ§Φ蚕寒憂↓碁N罫﹃九五〇年︑尚︑邦訳として・安平昭二訳・複式藷の基鑑論︑中央経済社充六九年がある)︒更に︑木村教授は︑スガンツィ⊥理論を評して﹁恐らく当時においては余りに進歩的なると︑ギッ賜ア界の忠より距たっていたために高く評価せられることがなかったもののごとくである・しか
しきわめて卓抜なものである﹂とい・つ(木村和..郎︑科学としての会計学(ド)︑有斐閣充七.年・五八頁)・
(12)(毘)士口田威︑複式簿記記録の意味(商経嚢︑第九巻笏.号充ヒ︑一︑年︑丁九四頁所収)四頁・および吉田威・経営経済的会計の基礎理論(前掲)︑一八七ー一八八頁︒
ドイ ツ簿記 理 論 に お け る実 在 論 的 視 座 83
二
﹁受入(引渡)給付﹂対﹁反対給付﹂
スガンツィ⊥は︑覆式簿記体系の解明の手掛かりが︑その現実の基盤に為﹂という・この現実の基盤とは・彼
誤れば﹁すべての経済的関係(人的.物駐)﹂であり︑﹁個別的にみれば︑経済体の讐的性質を享るすべての
行為﹂にほかなりぬ︒彼は︑コ︑の現実の基盤から必然的に複式簿記の体系が生ま窺﹂という・とすれば・複式簿記
体系の解明の手掛かりとして我々がワ︑こに着目すべきは︑経済体の経済的性質を有するすべての行為それ自体であることとなる︒それでは︑経済体の経済的性質を有するすべての行為とは一体如何なるものであるのか︒
彼は︑▼︑の経済的性質を享るすべての行為︑すなわちあらゆる形態における経済活動が財貨を調達する努力・財貨の集積.貯蓄の努力︑財貨の消費行動という三種の活動に纏め・bれ得ると馳・更に彼は・これらの活動・端的に
は財貨の調達.籍・消費が個別経済体の直接的目標であると馳.そして︑彼によ襲﹂れらの活動は︑重位の
活動主体において・結合しておこなわれることもあれば︑個々に独立した目標としておΨ﹂なわれる}﹂ともあるのであ
る︒そこで・これを手掛かりとすれば︑経済活動の主体たるすべての個々の経済体は︑獲得した財貨の集積と調達を
縛織 蕪 鰐 蕩 耀 膨羅 露 藤 蕪 搬 難 覧韓 雛 鴛
類あるとすれば︑それぞれの経済活動についての考察が}﹂}﹂になされねばなりぬこととなる︒
右の三つのグ牛プのうち・先ず箪のグ牛プについて彼は次の恕述べて麺.すなわち︑具体的には︑個人︑
生活共同体(家庭など)・更には国家︑公共団体(政治︑宗教︑スポ←等)︑そして学校︑病院などが甲﹂れに属すると︒
これら具体的成員から明らかな如‑︑Ψしれ・りに属する活動森は︑コ磐会的なものであ.て︑経蠣なものではな(哩・L尤も・彼はこれらの活動主体を消費経済体(α幕ヨ①§曼≦一旨ゴ¢εと特徴付けているのだが︒彼によれば︑
この消建済体の活動の過程たる屑馨済のあ・りゆる個別形態に蓮する過程は︑経済曽的を護するた動の価
値の滅失︑つまり財貨の犠牲で麟.Lとはい・え︑}︑の財貨の瑳︑即ち財貨の消費は遇の存在を仏剛提とするL筈
である・別言すれば・﹁内部的または外部的補給なくして消費をおこなう経済体はあり得ない﹂が故に︑一つの消費経
済体にあって・一定の恒常的在高の財貨を保有するにしろ︑外部かりの財貨の流入による規則的補給があるにせよ︑
何れにしても消費分蘇続的に補給する財貨が必要で墾と雪口わざるを得ない.とす鍛︑消費経済体において︑
その活動の基本過程として﹁財貨の流入﹂︑﹁未消費部分の集積﹂︑﹁財貨の消費﹂とい・つ過程の存在が考え.りれる筈で
ある
この過程における財貨の流入による財貨の増加は︑この財貨の増加が反対給付の性質を有する場合には︑つまり消
ドイ ッ簿 記 理論 に お け る実 在 論 的 視 座 85
費経済体の給付が先行している場合には︑双方向的行為すなわち交換の過程において生ずると彼は転発︒ただ・この
場合には給付は顧慮されず︑これに相当する財貨の増加︑具体的には貨幣収入のみが捉えられているに過記躍︒この
限りにおいて︑貨幣収入は一方的な単純な過程として経済体の活動の基本過程の出発点となり得るのである︒そして︑
}︑の幕収入は︑必要に応じて消費財に転化されねばなら謁︒それゆえに・﹁幕価値物が財貨の獲得のための反対
給付として経済体から流出為﹂こととなる.これもまた・交換の過程にほかならぬ・かくて・ここに消建済体の
活動の一つの基本型を見出し得る︒つまり︑貨幣の流出と財貨の流入とが対応する貨幣ー財貨(貨幣の流出ーー財貨の流
(22)入)なる型である︒
先の基本過程から明らかな如く︑経済体の活動の過程は交換により調達された財貨の消費を以て終わるのである
が︑これは内部的な齢であって︑芳的な轟な羅として経済体の基本過程の終点となる・
かくして︑ここに消費経済体における活動の基本過程は観念的には﹁貨幣の流入﹂︑﹁貨幣の流出ー財貨の流入﹂︑
﹁財貨の消費﹂なる勘として捉えられ得ることが明らかとなる・﹁この基本型は;のモデルで墾と彼はいう・
そして︑彼によれば︑﹁一個の消費経済体の内部においてなお他の諸過程が生じることがあるということは自明である
が︑それ.bは本質的なものではない付随的性質のものであり︑基本型には何らの変更も齎すものでは亀﹂のである・
したがって︑我々はこの基本型をあらゆる具体的形態に適合するものと看倣し徹縄︒
次に︑第二のグループについて彼は次の如く述べている︒すなわち︑具体的にはその社会的機能にむ膳・
(‑)財貨の製造および所篠移転に係る経灘鯉(原始生産に携わる麺・財貨型に携わる飾)・
(2)用役の調達総付に係る経済体(運輸︑通償保険業等に携わる騒)・
(3)財貨の所有権移転の仲介に係る経済体(商業に携わる創羅)︑
(4)用役の給付・移転の仲介に係る経済体(銀行業に携わる企業)︑ あ
なる四種のものがこれに属する︒これらの成員から明らかな如く︑各々が社会経済的役割を有するものである︒彼は︑
あ これらの経済体を営利経済体(巳Φ国毫霞σω註﹃一8ゴ臥一)と呼ぶ︒
スガンツィー二によれば︑この営利経済体の活動過程においては︑先ず以て一般社会的価値を有し︑他人から有償
的に求められるべき性質を備えている給付を生み出すことが必要と箋.このことから︑営利経済体の活動の基本過 が
程の出発点が﹁交換価値を持つ給付︑すなわち当該反対給付と引換に他人の自由に委ねられるべき給付の産出﹂にあ
ることが明らかとなる︒彼によれば︑ここにいう給付とは︑それが具体的な形態をとるならば物的財貨の製造つまり
財貨製造により生み出される財貨それ自体を意味し︑また具体的ならざる形態をとるならば提供される用役それ自体
を意味することとなる︒
この財貨・用役なる給付の産出の過程には二つの型があると彼はいう︒一方は︑前段階的交換を必要とせず﹁自己 れ
の生産手段(上地︑労働等)から直接に財貨・用役︹という給付︺(原料または半製口⁝︑完成品の如何を問わぬ)を生み出す﹂ れ 場合であり︑ここでは︑産出した財貨・用役という給付の譲渡︑即ち有償的販売という二系列の交換行為﹂が成立
することとなる・したがって・この場合には莞成(引渡)給付L対皮対総能Lなる型が当て嵌まるといい得る.
尤も・彼によれば・この型は一つの抽象型であるとはいえ︑このような全く純粋な姿では今口において恐らく殆ど存
在しないのではあ撫彼は・この型に相当する活動の過程を薔的莉経済と墨︒
もう一方は︑﹁まず最初に固定的および流動的なる生産手段と労働力とが交換により反対給付と引換に獲得され︑そ
の後に交換能力のある財貨●用役︹という給付︺の産出に供せら塾場合であり︑ここでは生産手段・労働力の獲
得すなわち有償的購買と産出した財貨・用役(という給付)の譲渡すなわち有償的販売という二系列の交換行為が成立 ⁝⁝
87 ドイ ツ簿 記 理論 に お け る実 在 論 的 視 座
が する}︑ととなる︒この場合には︑﹁受入給付﹂対反対給付L︑﹁完成(引渡)給付﹂対皮対給付Lなる型が当て嵌まる皇口い得る︒スガンツィ⊥は︑}﹂の型に相学る窃の過程を覆合し左父換過程L︑あるいはその性格から﹁二面的・完全交換的営利経済﹂と吸測︒
齊の下に叩りかな如く︑︒一つの型の相違は︑﹁受入給付﹂対皮対給付Lなる過程の有無にある・しかし・﹁資本
家的企萎呂利経済体の典型で舞ならば︑而もそこでは﹁箋の為の覆的手段すなわち財章労働・用役が交換を通じて︑端的には有償性の原則によ︒て調達され︑この交換行為を以三活動の)過程が始灘﹂ならば・第二の
型▼﹂そが営利経済体における活動の過程の基本型︑つまり給付の産出過程の基本型たり得ると考'凡るべきこととな
る︒
最後に︑彼は︑第三のグ牛プを混合経済体と覧.これは︑スガンツィ⊥の言により・篁グル﹁プである消費経済体および第ニグル﹂フである営利経済体におけるそれぞれの活動の過程の基本型が結合あるいは部分的修正を経て適用されているに過ぎぬことは明らかで麓.したがって・混合経済体の活動の過程は・いわば基本型の応用と看倣され得る︒
}﹂}﹂に到って︑経済体における活動の過程の基本型には・ぢの型のあることが明らかとなる・すなわち・芳は・
蚕幣の流入﹂ー﹁財貨の流入眼貨幣の流出﹂ー財貨の消費Lなる型︑他方は︑蔓入給付麦対給付L莞成(引渡)
鵡 難 鰐 鰐︑ 総 髭 毅 蕪 鎖硝雛 懸 難
方法であるLとのスガンツィ⊥の指摘である︒このことから明らかな恕︑複式藷が営利経済体に圃有の記録方
法であるとすれば︑複式簿深系の解明の手掛かりが存すると彼がい・つところの現実の基盤とは営利経済体の活動の
過程であると考えるべきこととなる︒而も︑それは︑上述の如く一般化された過程である︒
かくて︑複式簿記の体系の解明の手掛かりが営利経済体の活動の過程であり︑この過程が先に示した如き基本型に
還元され得るとすれば︑次なる問題は以下のことでなければならぬ︒すなわち︑スガンツィー二は︑複式簿記の体系
の解明の手掛かりを営利経済体の行為に求めているのであるが︑ここでは吉田教授の指摘に倣い︑営利経済体の活動
それ自体︑つまり行為とその行為によって生ずるもの(両者を原因と結果の如く捉えるか否かはともかく)とは戴然と区別
されるべきであると考えねばなる施・斯かる観点の下では︑既に明らかとなっている営利経済体の活動の過程の基
本型は︑行為そのものであり︑一歩譲って﹁給付﹂の交換なることがしかも︑具体的には財貨などを意味してい
ることが明らかになっているとはいえ︑単に﹁給付﹂というだけではそこから生ずるものが何であるのか︑厳密
にいえば何であると観ているのか︑ということは未だ解明されていないと言わざるを得ない︒したがって︑次なる問
題とは︑このことの解明でなければならぬこととなる︒
(((((((伶 121095431}王 )))))))》
(2)︒・αq叫︒量ρNg︒凄︒幕α・仁コ︒・匹貫婁︒・爵ゴ雪↓ぎ膏量§艮Φコ¢︒・︒喜餌犀¢コ︒・(前掲)︑責︒
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